投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

  1. 「九段塾」塾頭・一兵士翁遺文抄(101)(備中處士)
  2. 「九段塾」塾頭・金城翁最終講義(44)(備中處士)
  3. 泉水隆一監督『凛として愛』臺本(8)(備中處士)
  4. 日本刀四方山話(52)(那須の権太)
  5. ★☆★ 時計の間 ★☆★(377)(塾頭)
  6. 先哲景傳同血抄(17)(暘廼舍)
  7. 平田篤胤大人顯彰者・相原修神主(30)(相州之民艸ならびに備中處士)
  8. 神道に學ぶ。(60)(備中處士)
  9. 肥後勤王黨・敬神黨の精神を恢弘せむ(12)(備中處士)
  10. 平田篤胤大人『古史成文』(165)(南雄)
  11. 霊的国防の本義 拾遺(35)(はゆまつかひ)
  12. 祖神垂示 親譲之道 拾遺(38)(はゆまつかひ)
  13. おゝ靖国の大神(40)(はゆまつかひ)
  14. 平泉澄博士遺文(11)(備中處士)
  15. 大高山傳・合纂――高山赤城先生を仰ぐ。(25)(備中處士)
  16. 崎門學筌蹄――埀加靈社・山崎闇齋先生の學問。(47)(備中處士)
  17. 淺見絅齋先生『靖獻遺言』筌蹄。(51)(備中處士)
  18. 靖國神社祀職(11)(備中處士)
  19. 賀茂百樹大人遺文(6)(備中處士)
  20. 嗚呼、慕楠黒木博司少佐。(15)(備中處士)
スレッド一覧(全44)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


最敬禮。

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 4月29日(金)23時38分56秒
返信・引用 編集済
  奉祝 昭和節



 泉水隆一監督『靖国神社の真実』(平成二十三年十二月・洛風書房刊)に曰く、

「大東亞戰爭時、陸軍侍從武官であつた吉橋戒三さんと云ふ方が、昭和天皇のお傍に在つた時の話を殘してをられる。

『二十年の一月七日の事でしたが、軍司令官が特攻隊員に與へた一枚の感状(戰功のあつた者に與へる賞状)を携へ、御文庫の御政務室(大元帥陛下がをられる所)に向かひました。御政務室は、わづか六坪ほどの小さな部屋で、私は、陛下の机の上に、ルソン島リンガエン灣の地圖を廣げ、この日の上奏事項である、リンガエン灣の戰況について報告をいたしました。そして感状の内容を讀み上げ、特攻隊が突入した場所を地圖にかゞみ込みながら、ご説明を申し上げました。私が顔を上げようとすると、陛下は、すつとお立ちになり、遠くの方を見つめながら、最敬禮をなさつてゐたのです。いつも最敬禮を受けられる陛下が、御自ら最敬禮をされるお姿は、私にとつて名状し難い體驗でした。御文庫を出る時も、電氣に打たれたやうな感覺で、武官府に歸つても、暫くは口も利けない状態でした』。

 軍人に對する最高の名譽は、最敬禮です。それは畏敬の念を表象するものだからです」と。
 
 

松平永芳宮司の諫言。

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 4月20日(水)00時04分53秒
返信・引用 編集済
   「畏れ多い」てふ言葉は、現代、既に死語になつてゐるやうだ。行幸を奉迎する國民の態度に、大いに問題が存する。携帶で御眞影を撮り奉るなどは、不敬至極であること、勿論である。かつて昭和天皇巡幸に於ける逸話──左翼の労働組合員が、天子樣の稜威に感激して「握手」を求め奉つたが、天子樣には、『日本流でゆきませう』との御言葉を賜はり、御會釋を戴いたと傳はる。こゝゝに軍人にして從軍神職・松平永芳靖國神社宮司の諫言を想起したい。



●泉水隆一監督『靖國神社の眞實』(平成二十三年十二月・洛風書房刊)に曰く、

「松平永芳宮司が退職する前年の暮れだつたか、ペルシヤ灣の機雷除去のために派遣されてゐた海上自衞隊の掃海派遣部隊が横須賀に歸つて來るのを、松平宮司は、痩身に外套を羽織つて、靖國神社職員と出かけた。同行した職員の中には、女性職員も數人混じつてゐた。既に退職したAさんは、この日の松平宮司を、今でも涙の粒の向かう岸で、搖れる海軍軍人松平永芳を、「初めて見た――」と、以前、話してくれた。岸壁に送迎用のランチが到着すると、松平宮司は、脇で身體を支へてゐた女子職員の手を振り切るやうにして乘り移つた。そして走り出したランチの舳先に、不動の姿勢で立つた。七十七歳の御高齡である。遠く岸壁から、松平宮司のご樣子を心配げに見てゐた女子職員等は、普段とは違ふ宮司を、そこに見てゐた。寒風吹きすさぶランチに立ち盡くす宮司の外套が、風に膨らんで、バタヾヽとはためく。女子職員は、『何故か、涙が滲んで來たんです。あのやうな姿の宮司さんを、私は見たことがなかつた‥‥。あれが本當の宮司さんの姿なんだ、と。きりつと背筋が伸びてゐて‥‥、カツコウ良かつた』。帝國海軍軍人の姿を見た、と云ふ。そして港内にゆつくりと入港して來た自衞艦と竝行するやうに走る、遙か彼方のランチの上で、松平宮司は、直立不動の姿勢で、擧手の敬禮をされたさうだ。搖れるランチの上でしつかりと、いつまでもゝゝゝゞゝ敬禮してゐた、その姿が忘れられないと云ふ。自衞官の敬禮とは違ふと、さう話した。『あれが、松平宮司の本當の姿なんだ。やつぱり宮司さんは、軍人だつた』と、感想を述べた女子職員。私は、この話を伺つた時、うつむいてしまつた。不覺にも涙がこぼれた。孤軍奮鬪された松平宮司。靖國神社は正統に戻さねばならない、と。外部ではない、内側から‥‥。

 靖國神社中興の祖と云はれる、松平永芳宮司の言葉。

靖國御社頭での祈りとは誓ひだ、御靈と同じやうに、いざといふ時は、國に命を投げ出します、といふ誓ひのない祈りでは、御祭神の御滿足は得られない‥‥』。

賀茂百樹宮司も言つた。鈴木孝雄宮司も言つた。數少ない、正統の繼承者。それでも、絶やしてはならないと思ふ。

 少し外れるが、地震などの災害地訪問で、兩陛下が、體育館の床に膝をついて、被災者とにこやかにお話してゐる姿を、テレビニユースで拜見するたびに、つらい思ひをする。皇后陛下の膝にまとはりつく子供がゐたりすると、子供を叱り飛ばしたい。松平宮司の、社報『靖國』に書かれた「謹愼謙虚」といふ話が、胸にコタヘル。

『岩倉公が亡くなる少し前に、明治天皇が岩倉邸に見舞ひの行幸をなさつた。もう自分では起き上がれず、令息夫人に背中を支へられて身を起こしてゐる岩倉公に対して、天皇さまは、軍服姿で直立不動の姿勢でをられる。これが王者の見舞ひです。王者には、王者の見舞ひの態度があるんです。こゝで天皇さまが腰を屈めたり、疊にひざをつけたりしてしまはれたら、王者としての繪にならない。‥‥皇室のお立場では、開かれるべきと云つても、限度があり、國民と同じ床でお振る舞ひをなされゝば良いといふものではないんです。‥‥』
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t3/8

この松平宮司の話も、「何がいけないの。いいぢやないの。開かれた皇室だよ」と言ひ出すのが、「靖国ファン」だらう。この開かれた皇室、天皇が被災者の前に膝をつかれた姿が‥‥、實は、現在のこの國ををかしくしてゐるのではないか。さう思はざるを得ない。

 明治維新は、天皇を國民一人ひとりが仰ぎ奉つて成就した。さう云ふ時代を作り、骨格を形成し、近代日本を作つて來た。その骨格は、敗戰後も、かなりあつた、感じられた。だが、今は、もう無い‥‥。感じにくい。靖國神社ですら、「骨格」が搖らいでゐる。ましてや國民は、骨格など求めてゐないやうにも見える。現に「皇室ファン」・「靖国ファン」が、正統を押しのけて、尊嚴を笑ひ飛ばし、肩で風を切つて歩いてゐる。年寄りは消えろと、野次つてゐる。極右が求められる。囘天である。誰が理解できるか、どの程度、理解できるか」と。
 
 

大御心。

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 4月15日(金)21時41分56秒
返信・引用 編集済
   熊本地震を聞きて、天變地異に畏む‥‥。天地の大道、是れ、一視同仁なり矣。



●葦津珍彦翁『天皇陛下』(昭和二十六年五月。『光榮』第二號。『神道的日本民族論』昭和四十四年一月・神社新報政教研究室刊に所收)に曰く、

「天皇陛下は、われら日本人の良心の鏡であらせられる。私は、新聞やラヂオを通じて、陛下を拜する。自動車で行幸せられる陛下を拜したことがある。だが、私は、陛下の玉音を親しく承つたことはないし、終生、そのやうな機會があらうとも考へない。だが、私の心は、常に陛下の玉座の下に赴く。‥‥

 かつてワシントン會談が難航し、平和の危機が重苦しく感ぜられたころ、私は、常に思つた。陛下は、今、どのやうに御考へだらうかと、會談の前途が破綻に瀕して來た時に、私は、朝も夕も、陛下の御心を御察し申し上げては、考へた。十二月八日、陛下の宣戰の詔書を拜したとき、私の一切の思慮は、一段落をつげた。私は、たゞ陛下の御心に從ふと決めた。

 戰地から還つて來る白木の箱を驛頭に迎へる時に、私は、常に思つた。陛下は、今、どのやうに御考へになつてゐるだらうかと。

 東京の空襲の激しくなつたころ、私は、何時もかの凄壯な夜戰を見つめてゐた。B29の巨大な機體に、高射砲彈が命中すると、街上からは、本能的な歡聲が擧がつた。彼方の空の下では、猛火が人家を包んでゐた。燃えおちる空の米兵と、猛火の中を逃げまどふ市民の心を想像してゐる私には、歡聲を擧げることができなかつた。そして私は、考へた。陛下も、亦た今、あの燃えおちる飛行機と、あの猛火を御覽になつてゐるだらうかと。

 私は、今、世界戰爭の危機を報ずる新聞を見、ラヂオを聞いては、考へてゐる。陛下は、どう御考へになつてゐるだらうかと」と。
 
 

戰鬪精神の繼承。

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 4月14日(木)19時27分16秒
返信・引用
   こゝにも、「一兵士」翁を發見せり。曰く、



●葦津珍彦翁『明治・靖國社頭のちかひ』(昭和二十四年。『神道的日本民族論』昭和四十四年一月・神社新報政教研究室刊、また頭山滿翁生誕百五十年祭實行委員會編『近現代戰鬪精神の繼承──西郷隆盛・頭山滿・葦津珍彦の思想と行動』平成十七年二月刊に所收)

「戰終の年の秋、私(葦津珍彦翁)は、明治神宮に參拜致しました。かの歴史的な十月三日の、自由の指令が出て間もないころでした。聯合國軍總司令部は、日本天皇の政府に對して、強硬なる指令を發し、その命令に基づいて、内務大臣は罷免され、特高警察は廢止され、天皇制防護の法令が撤廢されて、コムニスト等の政治犯は、すべて釋放されました。皇族内閣東久邇宮内閣は崩壞し、獄外に出たコムニストは、凱旋將軍のやうに歡迎され、一流の大新聞紙も、天皇制に對する嘲笑と攻撃の論説や記事を掲げてゐました。特に日本は、亡國に瀕してゐると思はれたのであります。神宮の參道は寂として人なく、爆撃に傷められた樹木がそのまゝで、荒涼たるものでありました。私は、この神宮に御參りして、日本帝國の中興の英主たる御神靈の前に、謹んでお誓ひ申し上げ、且つお祈り致しました。

「明治天皇樣の大御代のやうな、光榮ある帝國の獨立を恢復致したい。私は、そのための一兵士として、御奉公致したいと念じて居ります。この志に對して、御神靈の御加護を祈り上げます」と。

 私は、靖國神社にも參拜致しました。こゝには、私共と親しくした、幾多の英雄が祭られてある。私共と志を同じうした人々である。かれ等は、祖國の光榮と獨立のために、生命を捧げた人々である。かつて私共と親しく志を語り、誓ひあつた人々である。私は、その英靈の前に、私が、決して祖國を裏切らないことを誓つたのであります。

 かくて私の良心は、明治神宮の御神慮に背き奉ることを畏れる。私の良心は、靖國の神々の照覽し給ふ所である。それ故に、私の良心の畏れる所は、この世の權力者でもなければ、法律でもない。私の肉體的な本能的情意は、權力や法律を畏れるかも知れないが、少なくともそれは、良心に對しては、何の權威でもない。私は、千萬人の大衆から嘲笑され、惡罵されても、私の良心は、少しも恥づる所はない。たゞ私は、靖國の神々に對する誓ひを裏切ることを恥づるでありませう。

 かやうに私の良心に對して、權威を以て命令するものは、神宮や神社の御祭神の神意であつて、それはこの世の俗衆の議論でもなければ、權力者の命令でもあり得ない。わたしの良心は、神宮や神社の神慮によつて支配される。このやうな關係に立つとき、私の思想は宗教的であり、特に神道に屬すると稱すべきだと思ふのであります」と。



【賀茂百樹宮司『明治神宮と靖國神社との御關係』】
  ↓↓↓↓↓
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/meiji_yasukuni.htm



 泉水隆一監督の曰く、

「あと十五年で、皇軍兵士は消える。では、誰が、明治天皇の聖旨、靖國神社の社憲を、過てること無く繼いでいけるのか。あなた方しかゐないでせう」と。

 愚案、聞かれるがよい。稻麻竹葦の混迷の中に在つて、金鐵、少しも撓はざる誠忠の臣・泉水隆一翁の、血に泣く、其の聲を、其の雄叫びを。『靖國神社の正統を、次代者は、どう受け繼ぐべきか』、是れ即ち吾人の深刻かつ親切なる問題にして、勤皇報國、御志深き者は、血の涙、決してこれから遁るゝこと能はず、皇國の復興、尊皇精神の恢弘は、吾人に依託されたのである。共に立たむか、戰鬪精神の繼承者たちよ。有志、如何。
 
 

神武天皇以來の正史と『凛として愛』

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 4月 2日(土)15時21分17秒
返信・引用 編集済
   明日は、神武天皇二千六百年式年大祭。天皇陛下の橿原神宮行幸を仰ぎ奉る御由。



 泉水隆一監督の曰く、「映畫『凛として愛』は、日本を變へる、日本の近代史を描き、英靈の汚辱を晴らしたい、といふ意向を強く主張された、花田忠正靖國神社權宮司の意向に從つて、制作が開始してゐます。靖國神社は、それまで默つてゐたんですけれども、一つ打つて出ようと、本當の話を言はうぢやないかと云ふ事で、その映画を制作する最高責任者・花田權宮司(平泉澄博士の門下)が、それを考へましてね。日本と云ふ國は、神武東征以來ね、大和民族として、天皇の爲めに戰つて來たんだ、さう云ふ國であると、さう云ふ事を、最初から言はうぢやないかと云ふ事で、この映畫の制作はスタートしたんですけど、たゞ餘りに長いスパンがあり過ぎるんで、大東亞戰爭と云ふか、明治以來の近代戰爭と云ふ事で、そこの部分を取り上げて、常に日本は、武器を取り、戰ひ續けて來たと、さう云ふ事實を、若い人に知つて貰はう。この映畫はね、これを見た人が、日本民族の、大和民族のね、魂に觸れて、勇氣を持つて、映畫館から出て行つて貰ひたかつたと、さう云ふ思ひを籠めて作つたのです。‥‥神武天皇を始め、創世の神々は、常に矛をもち、劍を握り、戰はれて來た。靖國神社は、その天皇の臣靈を守護する神官とて、神威を戴き、眦を決するのは、至極當然のこと、靖國神社は、軍人を祀る神社である事を忘失してはならない」と。



 某氏の曰く、「泉水隆一監督は、映畫『凛として愛』を創作せしものに非ず。正に『英靈の言の葉』を、脚本に寫し取られしものにして、美しくも力強い詩吟の調べに乘せて、朗々と歌ひ上げしもの、即ち『凛として愛』なりと思考する。此の映畫は、一篇の詩、民族慟哭の敍事詩なり。監督の意圖する所、靖國神社の、遊就館の入館者増加を乞ひ願ふ等の小事に非ずして、究極する所、皇室の翼贊に外ならざるものと恐察す。此の映畫は、今日の皇室に奉贊の誠を捧げるものなり。その爲めにこそ作られし映畫にして、靖國神社が、如何あるべきか、如何に護持するかの次元を超えた、神武創業の正史を、正當に理解する爲めの映畫なりき」と。



【泉水隆一監督が、唯一認可した『凛として愛』頒布先】
  ↓↓↓↓↓
http://www.hanadokei2010.com/prof.php?no=5

http://ameblo.jp/rintositeai/
 
 

松平永芳大人遺文。

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 3月 8日(火)23時46分50秒
返信・引用 編集済
   靖國神社には、やはり、松平永芳宮司を云々する輩が巣食つてをるやうだ。寒心に堪へない。

 今一度、九段塾頭・泉水隆一監督の言靈を思ひ起し、松平永芳宮司の遺文を熟讀されむことを切に懇祷して已まない。「松平永芳大人遺文」こそ、戰後に於ける靖國神社正統護持の據つて立つ最後の砦である。「松平永芳大人遺文」を、恢弘せよ。何人も、讀めば分る筈。分らぬ奴は、暗躍使嗾する戰後保守・俗流右翼の手先なり。撃つて、撃つて、撃ちまくれ。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t3/l50
 
 

罪、萬死に價す。天壤無窮を確信して瞑す。

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 2月15日(月)21時44分14秒
返信・引用 編集済
   我が畏友・秋田智紀主より、告知到來す。曰く、

平成二十八年二月二十八日午前十時、岡山市中區平井の野中家墓地にて、第四十囘野中祭(陸軍歩兵大尉歩兵第三連隊第五中隊長・野中四郎命八十年慰靈祭。是れ、周年祭なり)を齋行せんとす、と。

 こは、岡山縣愛國者協議會・岡田則夫翁より、秋田智紀祭主が承け繼ぎたる祭典なり。齋主は、足高神社・井上直亮禰宜。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/1701



●野中四郎大尉『遺書』(昭和十一年二月十九日)

 迷夢昏々、萬民赤子、何れの時か、醒むべき。一日の安を貧り、滔々として惰風に靡く。維新囘天の聖業、遂に迎ふる事なくして、曠古の外患に直面せんとするか。彼のロンドン會議に於て、一度、統帥權を犯し奉り、又た再び我が陸軍に於て、其の不逞を敢へてす。民主僣上の兇逆徒輩、濫りに事大拜外、神命を懼れざるに至つては、怒髮、天を衝かんとす。

 我、一介の武辨、所謂る上層圏の機微を知る由なし。只だ神命神威の大御前に阻止する兇逆不信の跳梁、目に餘るを感得せざるを得ず。即ち法に隱れて私を營み、殊に畏くも至上を挾みて、天下に號令せんとするもの、比々皆な然らざるなし。皇軍、遂に私兵化されんとするか。嗚呼、遂に赤子、御稜威を仰ぐ能はざるか。

 久しく職を帝都の軍隊に奉じ、一意、軍の健全を翹望して他念なかりしに、其の十全徹底は、一意に、大死、一途に出づるものなきに決着せり。我、生來の軟骨、滔天の氣に乏し。然れども苟も一劍奉公の士、絶體絶命に及んでや、玆に閃發せざるを得ず。或は逆賊の名を冠せらるゝとも、嗚呼、然れども遂に天壤無窮を確信して瞑せん。

 我が師團は、日露征戰以來、三十有餘年、戰塵に塗れず、其の間、他師管の將兵は、幾度か其の碧血を濺いで、一君に捧げ奉れり。近くは滿洲・上海事變に於て、國内不臣の罪を、鮮血を以て償へるもの、我が戰士なり。我等、荏苒、年久しく帝都に屯して、彼等の英靈、眠る地へ赴かんか。英靈に答ふる辭なきなり。

 我、狂か、愚か、知らず。
 一路、遂に奔騰するのみ。

 昭和十一年二月十九日、於週番指令室、陸軍歩兵大尉・野中四郎



●野中四郎大尉『遺書』(昭和五十四年七月十六日、野中大尉の圖嚢から、四十三年目に發見せられたる蹶起決意の手記)

一、自己を否定し盡くした、眞の人としての活動。

一、聖旨を奉戴し、之を具顯すべく、輔弼協贊、扶翼し奉る政治たることに於て、毫末も變化は認め得ぬ。

一、我が國、昭和維新は、急速に進展すべからず。幾變轉、幾波瀾の後、又た幾多軍民、煩悶懊腦の後、遂次(愚案、「逐次」か)に機運を促進し、遂に澎湃たる興國維新の波に、黎明を迎ふるに至らん。濫りに陰謀を畫し、術策を弄して、自便征行、一擧に事を爲さんとするの誤りなるや、明白なり。

一、軍隊、先づ更生せざるべからず。神國具現は、先づ神軍具現に發せざる可からず。

一、目標は、一個誠忠、茲に功名爭ひある可き筈なし。利慾勝利を超越、茲に維新の根源存す。

一、人生人事、悉く之れ、人と人との交換、捨我棄自の人無くして、人生人事、進展することなし。

一、一心の成滿、結局は行に移行す。



●野中四郎大尉『蹶起趣意書』(二十六日)

 謹んで惟るに、我が神州たる所以は、萬世一神たる天皇陛下、御統帥の下に、擧國一體、生成化育を遂げ、遂に八紘一宇を完ふするの國體に存す。此の國體の尊嚴秀絶は、天祖肇國、神武建國より、明治維新を經て、益々體制を整へ、今や、方に萬邦に向つて、開顯進展を遂ぐべきの秋なり。

 然るに頃來、遂に不逞凶惡の徒、簇出して、私心我慾を恣にし、至尊絶對の尊嚴を藐視し、僭上、之れ働き、萬民の生成化育を阻碍して、塗炭の痛苦に呻吟せしめ、從つて外侮外患、日を逐ふて激化す。所謂る元老・重臣・軍閥・財閥・官僚・政黨等は、此の國體破壞の元兇なり。倫敦海軍條約、竝びに教育總監更迭に於ける統帥權干犯、至尊、兵馬大權の僭竊を圖りたる三月事件、或は學匪・共匪・大逆教團等の、利害、相結んで、陰謀、至らざるなき等は、最も著しき事例にして、その滔天の罪惡は、流血憤怒、眞に譬へ難き所なり。中岡・佐郷屋・血盟團の先軀捨身、五・一五事件の噴騰、相澤中佐の閃發となる。寔に故なきに非ず。

 而も幾度か、頸血を濺ぎ來つて、今ま尚ほ些かも懺悔反省なく、然も依然として私權自慾に居つて、苟且偸安を事とせり。露・支・英・米との間、一觸即發して、祖宗遺埀の、此の神州を、一擲破滅に墮らしむるは、火を賭るよりも明かなり。内外、眞に重大危急、今にして國體破壞の不義不臣を誅戮して、稜威を遮り、御維新を阻止し來れる奸賊を芟除するに非ずんば、宏謨を一空せん。恰かも第一師團出動の大命、渙發せられ、年來、御維新翼贊を誓ひ、殉死捨身の奉公を期し來りし、帝都衞戍の我等同志は、將に萬里征途に上らんとして、而も省みて、内の世状に、憂心轉々、禁ずる能はず。君側の奸臣・軍賊を斬除して、彼の中樞を粉碎するは、我等の任として能く爲すべし。臣子たり、股肱たるの絶對道を、今にして盡さゞれば、破滅沈淪を飜すに由なし。

 茲に同憂同志、機を一にして蹶起し、奸賊を誅滅して、大義を正し、國體の擁護開顯に肝腦を竭し、以て神州赤子の微衷を獻ぜんとす。皇祖皇宗の神靈、冀くば照覽冥助を埀れ給はんことを。

 昭和十一年二月二十六日
  陸軍歩兵大尉 野中四郎
  外      同志一同



●野中四郎大尉『遺書』(二十九日)

 實父勝明に對し、何とも申し譯なし。老來、益々御心痛相掛け、罪、萬死に價す。

 養父類三郎、義母ツネ子に對し、嫡男としての努めを果さず、不幸の罪、重大なり。俯して拜謝す。妻子は勝手乍ら、宜しく御頼み致します。

 美保子、大變世話になりました。貴女は、過分無上の妻でした。然るに此の始末、御怒り、御尤もです。何とも申し譯ありません。保子も可哀想です。かたみに愛してやつて下さい。井出大佐殿に御願ひして置きました。



●野中四郎大尉『絶筆』(二十九日、於陸相官邸の一室)

天壤無窮


**********


■平泉澄博士『孔雀記』(昭和十一年三月六日夕筆。田中卓博士『平泉史學の神髓』平成二十四年十二月・國書刊行會刊に所收)

 檄

 利己主義・自由主義・民主主義の、多年に亙る跳梁跋扈の爲めに、皇國のまことの姿の失はれたるを歎き、慨然として時弊を改革し、大いに皇政を翼贊し奉らんとするは、我等、平素の本願にして、其の爲めにこそ、刻苦努力し來りしなれ。從つて今次(二二六)の變、その形の一半に於ては、我等と相通ずるところなしとせず。しかれども若し眞に國體を擁護せんが爲めに、非常の手段をとれりとせば、遂行の曉に於ては、直ちに割腹自決するか、しからざれば二重橋の御前にひれふして、謹んで罪を待つべきのみ。しからずして要地を占領し、朝廷に要請し奉りてやまざるが如きは、全く外國革命の手段に同じく、叛軍逆徒にあらずして、何ぞや。之を誅戮する事なくして、皇國の中興、いつをか期すべき。

 しかも之が討伐は遷延して、一向に開始せられず、勅命降下して、猶ほ且つ躊躇逡巡しつゝあるを見ては、我等、到底傍觀する能はず。微力なりといへども、蹶起して凶徒を誅戮せんとす。もとより武力の、見るに足るものなし。只だ肉彈を以て突入せんとす(愚案、實は或る具體策を立てられし由)。期する所は、一死以つて、皇國臣子の道、かくの如くなるを示し、眠れる日本魂を覺醒せしめんとするに在り。

 嗚呼、我等、生きて不逞の徒を鎭壓する能はず、無力無能、慚愧に堪へざるも、死して長く國家を守護し、天地無窮の皇運を扶翼し奉らん。冀くは天下、志を存する者、身の軍籍に在ると否とを問はず、苟くも日本人なる以上、幾千年來、祖先忠義の精神を繼承し、この難局に當つて、決然奮起し、違勅の凶徒を討伐して、天皇陛下の宸襟を休め奉らん事を。昭和十一年二月。

 (昭和十一年)二月二十八日深更、(平泉先生)奮起討死の方略を決し、檄文を草す。‥‥

 三月二日、中川中尉(平泉先生宅へ)來訪。‥‥中川中尉が、二十七日、禁足中を脱走して、首相官邸に至り、叛徒に自決を勸告せし事は、その夜、西内教授より聞きしが、今、中川中尉より聞くに、二十九日には、田中・岩田・畑中・一宮等の中尉、打揃ひて自決勸告に赴きし由。また聞く、二十八日深更、田中中尉は、單騎討入りを覺悟し、中川中尉等に對し、遺書を認め居るところへ、中川・岩田兩中尉、予の宅よりのかへりにおとづれ、予の決意を告げたるに、大いに喜びたりと云ふ。又た聞く、岩田中尉も、其の夜、遺書を認めたりと云ふ。

 三月三日早朝、(大阪府警察部長)富田氏より電話あり。「仄聞するに、陛下は、荒・眞兩大將に對し、深く御不快に思召さるゝ由。また聞く、秩父宮殿下より、野中大尉に、御叱りの御言葉あり。野中、之を承りて、殿下よりは、恐らく御ほめいたゞく事と思ひ居たるに、『殿下よりも、御叱りいたゞく上は、致し方なし』とて自決せし、との説あり。斯くては事の成らざりしは、或は平泉の爲めかと思ひて、憤激するもの無きを保せず、身邊、警戒せよ」と云々。予、厚くその芳情を謝すといへども、警戒は出來る事にもあらず、また敢へて恐るゝに足らず。但し予の判斷、并びに行爲は、之を明記し置くべし。

 二十七日、(秩父宮・高松宮)兩殿下に言上の要旨は、次の如し。

一、天皇が、下々の脅迫強要によりて、御方針をかへ給ふ事は、斷じてあるべからず。若し萬一、左樣の事あらば、是れ國體の根源を破り、天皇の神聖を汚すもの、此の膝、一たび屈して、また伸ぶべからず。強要は、斷じて許さるべきにあらざるなり。

二、然れども其(丙子二二六事件)の精神は、之を汲まれざるべからず。昭和六年以來、頻々として繼起せる事件は、これ、朝廷に一大英斷の無き爲めに起れるものなり。よろしく勇敢に時弊を革新せらるべし。

三、而して此の大方針の下に、時局を收拾し、國難を救ふものは、文に在りては近公、武に在りては荒木・末次の兩將軍なり。よろしく近公を中心とし、兩將軍をして左右、之を支持して進ましめらるべし。

 以上の三點、これ、言上の要旨なり。

 [一]は、二十九日、實現したり。而して三月四日午後、近公に組閣の大命下りし時は、[二]・[三]共に、或は實現すべきかと思ひしが、西園寺公の注文、恐らくは[二]を防ぎ阻みしと見えて、近公、御辭退申し上げられ、翌日、廣田外相に、大命下るに及び、事、遂に成らず。天を仰いで長歎すれば、天、黯慘たり。人を避けて兀坐すれば、燈明滅す。この心、何人か能く之を察すべき。禿筆、もとより盡すなきのみ。しかれども事の成らざりしは、時の到らざるなり。我は、たゞ此の非常の難局に遭遇して、道義の判斷、曾て惑ふことなく、微力は微力ながらに、聊か以て國體を守護し得たりしを喜びつゝ、これよりまた靜かに學窓にこもらんとす。
 
 

奉祝 紀元節。

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 2月10日(水)22時49分12秒
返信・引用 編集済
  ●贈正五位・秦山谷丹三郎大神重遠先生『劒匠・山口國益に贈る序』(『秦山集』四十二・信五卷・明治四十三年十二月・隈山谷干城子刊)

 我が國、寶祚、數千萬載、一劒を以て、天下、平かなり矣。劒の徳、其れ盛んなるかな矣哉。上、王公より、下、皁隷に至るまで、食は去る可きも也、劒は去る可からざる也。劒の用、其れ廣いかな矣哉。‥‥

 嗚呼、劒は、身を護る所以ん也。身を護ること能はずんば、利しと雖も、亦た奚をか爲さん。此れ、往古神人の説、予が諸れを鹽土に聞く所にして、國益が傳ふる所と、約せずして會す。何ぞ其れ奇なるや也。予、竊かに神代の學に志有り。此に相證する有るを喜ぶ焉。因つて書して以て之を遣る。元祿辛巳正月二十日。鏡郡山田野の農夫・谷重遠、序す。



 平成丙申の紀元節を祝ひ奉るに、秦山先生の玉文を以てす。
 
 

『日本美のこころ』──日本美を巡る旅。

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 2月 9日(火)22時16分4秒
返信・引用 編集済
   先般、岡田則夫翁によつて、下記の、美しい御本の御紹介に與かつた。其の極く一部で恐縮であるが、拜記し、清覽に供したい。



●彬子女王殿下『日本美のこころ』(平成二十七年十二月・小學館刊)

 神宮は、平成二十五年、六十二囘目の式年遷宮の年を迎へた。二十年に一度、神樣のお住まひになる社殿と、神樣のお召しになる御裝束・神寶を造り替へ、新しい社殿に御遷座頂くといふ式年遷宮は、戰亂や財政難で中斷したことはあつたものゝ、持統天皇の御代から約千三百年の長きに亙り、連綿と續いてきた。これだけの長い間、御遷宮を支へてきた力とは、一體、何なのだらう。

 今日、式年遷宮といふと、神宮のすべての建物を造り替へることだと思つてをられる方が多いと思ふ。實際、私も最近まで、さう信じてゐた。『律令』の施行細目を定めた『延喜式』といふ書物には、式年遷宮について、神樣のお鎭まりになる正殿、お供へした御神寶や幣帛を納める寶殿と外幣殿といふ、神樣に直接關係のある御垣内の三つの建物を、新材を使つて、二十年に一度造り替へるやう決められてゐる。つまり「すべての建物を、新材で造り替へる」とはされてゐないのだ。

 時代と共に、より鄭重にすべきといふ考へ方から、御垣の外の鳥居や別宮も新しくするやうになつたものゝ、すべての建物を新材で造り替へることになつたのは、昭和四年の御遷宮からなのださうだ。大日本帝國が一番力を持つてゐたときに、國力を揚げて行つた事業だつたため、前例と違ふ大規模造營となつた。このときの事例が踏襲されて現代に至つてゐるので、明治・江戸、それより前の御遷宮はどうであつたのかを、きちんと調べ直し、本來の御遷宮の形を復興しようといふ動きもあると聞いた。

‥‥

 帝室技藝員の作品に共通することは、その卓越した技術の力だ。少々殘念なことではあるが、現代の作家が、「明治の工藝家の技術には、とてもかなはない」と言ふのを、しばゝゞ耳にする。でも、それほどまでに評價されてゐるのにもかゝはらず、どうして誰も「知らない」のだらう。これは、日本美術史が、長い間、明治を境に分斷されてきたことと關係してゐる。

 例へば日本の國立博物館の作品蒐集の對象は、江戸時代末期まで。一方、近代美術館の蒐集對象は、大正時代以降が中心。近年、多くの研究者の努力により、やうやく再評價され始めてはゐるものゝ、明治時代の美術は、研究對象として、てふど狹間にあり、影が薄い。結果として帝室技藝員の存在も、その作品の「凄さ」も、長い間忘れられてきたのである。‥‥作品の完成度、そして、それらが持つ力は、帝室技藝員の實力を垣間見る‥‥。日本の工藝史において、技術的水準が最高潮に達した時代が明治時代であり、その中心にゐたのは、帝室技藝員だつたのである。

‥‥

 日本での(竹工藝の)需要が減る一方、海外で評價をされたことで、竹工藝が、その壽命を長らへることができたのは、幸運であつたといへるかもしれない。でも、産業としても、美術の一分野としても、竹工藝界の苦しい現状に變はりはなく、世界に誇る日本の竹工藝の存續は危ぶまれるばかり。竹ひごを準備し、編み上げ、仕上げに染色したり、漆をかけたりと、一つの作品にかゝりきりで制作しても、完成まで何ケ月もかゝることもあると聞く。でも、その勞力に、正直に値段をつけようとすると、「竹なのに、こんなに高い」と驚かれる。結果として作品制作だけで生活できる作家は、本當に一握りなのださうだ。これでは、優秀な若手を育成する餘裕は生まれるはずもなく、竹工藝界に明るい將來は見えやうもない。他の多くの工藝品と同じやうに、日本の竹籠は、存續の岐路に立つてゐる。日本の文化に育まれてきた、素晴らしい美術を生かし續ける力となるのは、いつなくなるかわからない外國からの需要ではなく、日本人であつてほしい。さう、願ふばかりだ。

‥‥



 愚案、神宮式年遷宮に於ける二十年てふ期間は、如何なる故ぞ。『延喜式』に據れば、世代技術傳承説は、もろくも崩れ去りたり。然れども現代に於いては、却つて必須と爲さゞる可からざるものあり。金滿日本に於いて、傳統技術の傳はる、縷の如し矣。悲しいかな夫。

 女王殿下の御本は、文章も寫眞も美しく、是非とも手に執つて拜戴されたい。洵に畏れ多いことではありますが、中に元號もあるものゝ、西暦が主となつた所もあり、又た「太平洋戰爭」の辭も、遺憾ながら存する。御諫め申し上げる御方の出現を乞ひ奉り、只管ら御待ち申し上げたい。恐懼謹言
 
 

神明奉仕の覺悟。

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 2月 3日(水)22時36分4秒
返信・引用 編集済
   神明奉仕には、平生の覺悟が肝要にして、「いざ」てふ時の對應は、臨機應變なるを要す。「笏を持たざる神主」葦津珍彦翁の、いとも尊き教へを、『葦津珍彦先生追悼録』(平成五年十二月・宮崎正顯翁刊)から數條拜見し、靖國神社正統護持のための一助としたい。



○乃木神社宮司・高山亨翁「乃木神社に神明奉仕するにあたつて」

 昭和六十年九月に、乃木神社宮司を拜命した間もなく、久しぶりに葦津珍彦伯父に會ひ、話をする機會を得た。‥‥(珍彦伯父の曰く、)

「君は、乃木神社の宮司として、何を最も大事に奉仕、努めたらよいか、私の參考意見を申し述べるので、よく聞いて欲しい。御祭神・乃木將軍は、古來、稀な英雄・偉人として、又、日本人の鏡として、その神徳を高揚致すことが、一番肝要と思ふのが、一般的な考へであらうと思ふが、果してそれのみで、御祭神が喜ばれるであらうか。乃木將軍自刃後、自分は神として祀られることを、御自身想定したであらうか。

 日露戰爭凱旋の折、『‥‥愧づ、我、何の顔あつてか、父老に看えん。凱歌、今日、幾人か還る』と詠まれてゐる。又、明治天皇に、悲痛の復命書を奏上してをる。その中に、『‥‥忠勇の將卒を以てして、旅順の攻城には、半歳の長月日を要し、多大の犠牲を供し、‥‥臣が終世の遺憾にして、恐懼、措く能はざる所也。‥‥天恩の優渥なるを拜し、顧みて戰死・病沒者に、此の光榮を分つ能はざるを傷む。‥‥』。この御祭神の意を體するならば、この混迷せる世にあつて、乃木將軍の國體觀を充分に勉強しなほし、今、この世に御祭神が在ますならば、何と考へるであらうか、どのやうな行動をとられるであらうか、といふことを、先づ第一に考へて神明奉仕することが、御祭神が、一番にご嘉納になる道である。‥‥」



○葦津元成翁「珍彦伯父の教育の一端」

 以前に東伏見の學生が、國大の研修で、先生から、「神靈代は、限りなく尊く、火災時、神職は、命がけで護るのが第一義」と教はつてきた。これに對し、父(葦津大成)は、

「萬一、社殿が火災となつた場合、神靈代を搬出できるにこしたことはないが、命の危險もある場合には、無理をせず、ご昇神いたゞくのが至當と思ひ、職員にも、さう指導してゐるのだが、如何」と、伯父に尋ねた。

「それで良い。教條的でないが良いよ。但し歴史の重みとでも言ふか、神靈代にも、種々ある。例へば神宮の場合なら、何百人かの犠牲を覺悟してゞも、ご神體護持につとめることが當然だらう」と、教へられた。
 
 

『寤寐憂國』──崎門の宿老・有馬良橘大將の奧津城。

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 1月27日(水)22時11分24秒
返信・引用 編集済
   下山陽太兄は、今日、明治神宮宮司・有馬良橘大將奧津城の掃苔をされた由。感謝に堪へませぬ。加へて寫眞まで寄越して下さつた。謹んで御披露させて戴きます。

 有馬大將こそは、山崎闇齋先生の御墓を、偶然、見つけられて之を修理し、自ら闇齋先生を研究して、徳富蘇峰翁と共に顯彰に力められ御方であります。而して大將の促す所、内藤湖南・平泉寒林兩博士によつて、廣く天下に紹介され、山崎先生の研究が起りました。闇齋先生の奧津城は、其の後、近藤紹宇先生によつて護持されてをります。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/240



 葦津珍彦翁が、最晩年に居間から外されたと云ふ、「寤寐憂國」の四文字は、實は有馬大將の揮毫にかゝります(尊父・耕次郎翁に贈りしもの)。『葦津珍彦先生追悼録』(平成五年十二月・宮崎正顯氏刊)の扉に、其の寫眞が出てをります。



 水戸義公『明の故き徴君・文恭朱(舜水)先生を祭る文』に曰く、

「嗚呼、先生は、明の遺民なり。難を避け□[木+査=筏]に乘り、來つて秋津に止む。寤寐、國を憂ひ、老涙、巾を霑す‥‥」と。
 
 

御神縁、無量なり。

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 1月25日(月)18時51分28秒
返信・引用 編集済
   瓶子廼舍の兄が紹介されたブログ、甦りし「神道家・眞橘道義」氏のブログ『櫻水鏡』、是非、御清覽たまはらむことを。

 未だ面謁も得ないが、小生、熱いものが込上げて來るを、如何とも止め難い。
  ↓↓↓↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/qq6a9kv9k/65712283.html
 
 

平成大御代の新年、謹みて賀し奉る。

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 1月 1日(金)18時04分6秒
返信・引用 編集済
  平成紀元 二十八年
中興紀元(皇紀) 二千六百七十六年
天降(あもり)紀元 五千十六年
天皇正月、歳、丙申に次(やど)る、元旦、大御代新春の御慶び、芽出度く申し納め候ふ。更めて謹み、
聖壽の萬歳を祝ひ奉り、竹の園生の彌榮を懇祷し、併せて御閲覽各位の福壽無量を祝祷申し上げ候ふ。



■『訂正古訓・古事記』上卷(本居宣長大人訓。享保三年十月刊)

 此の時、伊邪那岐命、大(いた)く歡喜ばして詔りたまはく、「吾れは、子(みこ)生み生みて、生みの終(はて)に、三(みはしら)の貴子(うづのみこ)得たり」とのたまひて、即ち其の御頸珠之玉の緒もゆらに取りゆらかして、天照大御神に賜ひて詔りたまはく、「汝が命は、高天原を知らせ矣」と、事依さして賜ひき也。故れ其の御頸珠の名を、御倉板擧(たな)之神と謂(まを)す(天照大御神の左の御みづらに纏かせる物實、即ち八尺の勾璁之五百津之美すまるの珠より、皇太子・正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命、成りませる也)。



【美甘政和大人『天地組織之原理』卷之第五「三種神寶考」】
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t10/34
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t10/35
 
 

祓給清給へ──吉き御歳を。

 投稿者:備中處士  投稿日:2015年12月31日(木)21時06分28秒
返信・引用 編集済
   年末に、不可解なる闖入者を見ましたが、之に凝りませず、來る歳も、何卒、宜しく御引廻し下さい。



 先般、病院の待ち時間を利用して讀了した、長濱浩明氏『韓國人は何處から來たか』(平成二十六年一月・展轉社刊)にある、次の文字(『舊約聖書』民數記第三十一章)が印象に殘つた。我が日本を除いて、洋の東西を問はず、現代の世相を映し出して、餘す所が無い。曰く、

「さて主(エホバ=ゴッド=アラー)は、モーセに言はれた、『ミデアン人(びと)に、イスラエルの人々の仇を報いよ』と。‥‥

 そこでモーセは、ミデアン人に復讐する爲め、一萬二千人のイスラエル軍を編成し、主がモーセに命じられたやうに、ミデアン人と戰つて、五人の王を含め、其の男を、皆な殺した。‥‥

 又たイスラエルの人々は、ミデアンの女共と其の子供たち(ママ)を捕虜にし、其の家畜と羊の群れと財貨を、悉く奪ひ取り、其の住まゐのある町々と其の部落を、悉く火で燒いた。かうして捕虜と略奪物を持つて、イスラエルの町に歸つて來た。‥‥

 時にモーセ・祭司と會衆の司達は、皆な宿營の外に出かけて迎へたが、モーセは、軍勢の將達に對して怒つた。『あなた方は、女共を、皆な生かして置いたのか。此の子供たち(ママ)のうちの男の子を、皆な殺し、亦た男と寢て、男を知つた女を、皆な殺しなさい。但し未だ男と寢ず、男を知らない娘は、全てあなた方の爲めに生かして置きなさい』」と。



 かやうな砂漠の禍神・預言者を信奉する蕃人共と、我々は、戰ひ、附合ひ、言向け和はして行かねばならないのである。任重くして、道遠し。祓給清給へと、恐み恐みも白す。
 
 

四方節 元始祭

 投稿者:はゆまつかひ  投稿日:2015年12月30日(水)13時58分36秒
返信・引用
  四方節
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t31/24

元始祭
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t31/25

元始祭祝詞
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t31/30
 

明日は大祓

 投稿者:はゆまつかひ  投稿日:2015年12月30日(水)13時15分46秒
返信・引用
  聖上の大綾威を仰ぎ、大祓の儀を遥かに拜みて、大祓詞を奉唱致しませう。

引き潮は 十二月三十一日 二時七分、十四時三十二分

天皇大御身の祓詞
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t31/33

萬古天皇を仰ぐ
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t31/17

禊祓浄化・祝福安泰
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t25/10

大祓の一大事
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t28/33

國之大祓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t28/32

大祓式幽祭
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t28/34

大祓に對する一考察
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t31/8
 

大祓の前日に‥‥。

 投稿者:備中處士  投稿日:2015年12月30日(水)03時03分57秒
返信・引用
  謹告

 「愛国主義者」てふ御方は、九段塾頭が世に出る契機(櫻掲示板のスレツド)をつくられた方であり、塾頭も恩義を感じて容認された人でありましたが、今、出現の「愛国主義者」てふ御方は、或は別人か、或は熟知した上での發言か存じませんが、「本掲示板の主旨に反する書込み」が目に餘り、此の管理人も對應いたし兼ねますので、已むことを得ず、退場を乞ふことと致します。

 御閲覽各位には、御諒承を御願ひ申し上げる次第であります。敬白
 
 

この奇怪な乱入者について

 投稿者:愛国主義者  投稿日:2015年12月29日(火)23時35分54秒
返信・引用 編集済
  備中處士様、常連の皆様

長々と無粋なる投稿を、
続けたることにお詫び申し上げます。

しかるに、この桜坂 秀翠なる正体不明の
人物の行動は奇怪の一言であります。

年末の挨拶と称し、言葉の
揚げ足を取る挑発的なる言動。

天長節に対する祝意は一切述べない。
自分自身で議論を吹っかけておきながら、
それに対する質問には答えない・答えら
れないという奇異なる行動・言動。

奇怪千万、正体不明、まさに得体のしれない人物。
小生が言うのもなんですが、当掲示板には似つかわ
しくない御仁とみなしております。

いったい何の目的があって突如として当掲示板に
出現したのか?ふざけた愉快犯のつもりなのか。
 

・・・・・つまりあなた自身が説明できない

 投稿者:愛国主義者  投稿日:2015年12月29日(火)22時12分18秒
返信・引用 編集済
  ・・・・そういうことですか?
唖然とするというか、あきれ返るというか・・・

>あいにくですが不毛な議論をするほど暇ではありませんし、また徒労に終わるのは目に見えてますから、貴公からのせっかくのご要望に答えられず申し訳ありませんが、要望は悪しからず却下させていただきます。

いやいや、もう一度言いますが貴殿が、今この場で簡潔に
説明していただければ、内容次第でなっとくします。

暇ではない・・・本日は小生と長きに
わたり意見を交わしているではありませんか?
話がかみ合ったかは別ですが。

無論、納得できなければ貴殿の言う
『不毛な議論』になってしまうと思いますが。
徒労であるかは誰にもわかりませんよ。

・・・・『凛として愛』の件も貴殿の方が
わかりやすく説明できると思うのですが??
逆に当方から質問ですが、何をしに当掲示板に来られたんですか?
 

ご遠慮します

 投稿者:桜坂 秀翠  投稿日:2015年12月29日(火)22時07分53秒
返信・引用
  >いや、貴殿が簡潔に今説明していただければ問題ないのでは?
答えが掲示板にあると指摘されても、恥ずかしながら
皆目見当もつきませぬので、むしろ貴殿から具体的に説明を
受けたほうが、何を指摘されているのかがわかりやすいと
感じております。


あいにくですが不毛な議論をするほど暇ではありませんし、また徒労に終わるのは目に見えてますから、貴公からのせっかくのご要望に答えられず申し訳ありませんが、要望は悪しからず却下させていただきます。
 

いま説明してください

 投稿者:愛国主義者  投稿日:2015年12月29日(火)21時59分14秒
返信・引用 編集済
  いや、貴殿が簡潔に今説明していただければ問題ないのでは?
答えが掲示板にあると指摘されても、恥ずかしながら
皆目見当もつきませぬので、むしろ貴殿から具体的に説明を
受けたほうが、何を指摘されているのかがわかりやすいと
感じております。

正直、貴殿の説明が今一わからんのですが・・・・
 

えっ???

 投稿者:桜坂 秀翠  投稿日:2015年12月29日(火)21時36分14秒
返信・引用
  >堕落した執行部とありますが、具体的にどの部分が堕落しているのですか?
それはいつごろから?それを放置した宮司は誰なんでしょうか?
近代主義的神社という意味が分からんのですが?


ということはまさかとは思いますが愛国さん、あなた塾頭や備中さんの言ってきたことや映画「凛として愛」のことをまったく読まずここに来たのですか?

ご質問の答えはこの掲示板にすべてありますから、私へのご反論はひとまずそれを読んでからにして頂きたいものですな。


 

えっ?

 投稿者:愛国主義者  投稿日:2015年12月29日(火)21時14分44秒
返信・引用 編集済
  桜坂さん、

ご返信いただけるとは、恐縮であります。
さて、貴殿の御投稿拝察いたしましたが、
正直何を仰っているのか、よくわからないのですが。

>国や人種の違いを超え、そこを訪れる者すべてが額ずかざるを得ない、
拝跪せざるを得ない、霊気漂う「神聖なる場所」、それが靖国神社の本来の姿でしょう。
靖国神社がそういう場所であるなら本来守衛も門番も監視カメラも、
そういう人為的なものは一切要らないのです。

まあ理想論の域を出ないご意見だとは感じてはいます。
神社本来の姿はこうあるべき、という主張は理解致します。
もっとも神社そのものは人為的に建てられたものですが・・・
特段異論はこの部分に関してはさほどありません。ただ、次の

>しかし堕落した執行部によって政治的あるいは
興行的に神社が利用され、英霊は客寄せパンダとされ、
神社は近代主義的神社という訳の分らない神社に変貌したのです。

堕落した執行部とありますが、具体的にどの
部分が堕落しているのですか?
それはいつごろから?それを放置した宮司は誰なんでしょうか?
近代主義的神社という意味が分からんのですが?

>これを治すのは愛国さんのいう(設計主義的な)制度などではなく、
われわれ国民の気風しかないのですよ。
つまり私が言いたかったのはそういうことです。

最後にはまた理想論という印象ですが。国民の気風は結構ですが、
神社に侵入する暴漢や無頼の衆を放置して、なすすべもなく
神社が棄損されるのは意味合いが違うのではありませんか?
 

つまり

 投稿者:桜坂 秀翠  投稿日:2015年12月29日(火)20時56分19秒
返信・引用 編集済
  戦後採用したアメリカニズムによって近代主義(歴史の英知を外し、たかだか今を生きてるに過ぎない人間の理性に依拠して何事も決定する不治の病)が横行闊歩する日本列島ですが、それでも地方などへ行きますと、断末魔一歩手前ではありますがまだまだ「共同体」の名残に触れることができます。

「左翼」というものをその語源であるフランス革命に倣って言いますと、「人工的(人為的)な理念に基づき、社会の総体を合理的に設計しようとする設計主義」を左翼と言いますから、生じた何らかの不都合をあるシステムによって合理的に解消しようとする思想は左翼思想であり、そういう設計主義(コンストラクティビズム)には背を向けるのが真正の保守主義です。

共同体にお話を戻しますが、そこでは誰がいつ決めたものでもない、歴史によって自生的に醸成されたルール(不文の慣習法=村社会の掟)に従って人々は日々を暮らしている。そういう人間社会にあってはおおよその家では夜間を除き家に鍵をかけません。外部とは遮断された地縁血縁でつながった社会ですから鍵をかける必要もないし、仮に掟を破る者がいたとしたらその者には厳しい罰(村八分などの)が課せられますからね。

こういう人為のない「自生的秩序」が人間集団の理想なのですよ。

しかし、こうした地方も自由主義による国際化の波というか人の流動というかそういう流行には抗えませんから、やがてそうした侵入者への警戒心から人々は家に鍵をかけるようになっていく。これも時代の流れだから「仕方がない」とみるほかないでしょう。

愛国主義者さん同様、私とてこういう止むに止まれずの「セキュリティ」まで否定するつもりは毛頭ありませんが、じゃあ果たして靖国神社ではどうでしょうか。

国や人種の違いを超え、そこを訪れる者すべてが額ずかざるを得ない、拝跪せざるを得ない、霊気漂う「神聖なる場所」、それが靖国神社の本来の姿でしょう。

靖国神社がそういう場所であるなら本来守衛も門番も監視カメラも、そういう人為的なものは一切要らないのです。しかし堕落した執行部によって政治的あるいは興行的に神社が利用され、英霊は客寄せパンダとされ、神社は近代主義的神社という訳の分らない神社に変貌したのです。

これを治すのは愛国さんのいう(設計主義的な)制度などではなく、われわれ国民の気風しかないのですよ。

つまり私が言いたかったのはそういうことです。







 

年末の御挨拶が揚げ足取り

 投稿者:愛国主義者  投稿日:2015年12月29日(火)19時22分9秒
返信・引用 編集済
  これはしたり、恥ずかしいかな、不調法者ゆえ、
粗忽極まりない、文章を投稿してしまいました。

しかしながらなんでしょうか、少なくとも当方は
天長節を心よりお喜び申しあげ、ついつい余計な文言を
付け加えてしまった。それについて、なんとも揚げ足取りとも
取れるお言葉も、またいかがなものでしょうか?

掲示板に投稿しなかったから、天長節を祝っていないということ
ではありませんが、桜坂さんのお名前は随分とお見受けしないのですが。
まず、貴殿がすべきことは、他人様の言葉の揚げ足取りではなく、
素直な気持ちで、天長節に対する祝意を述べること。

それを差し置くとは、面白おかしい御仁だ。

>備中さんのいう「かむながら」が理解できるはずもない。

さて、一体何について指摘をされているのか?
靖国神社を参拝される方々や神社の警備を改めるべし・・・
という一般常識を投稿したつもりですが?
 

年末のご挨拶

 投稿者:桜坂 秀翠  投稿日:2015年12月28日(月)21時18分46秒
返信・引用 編集済
  >お喜び申し上げ奉ります。


↑「頭痛が痛い」とか「靖国通りアベニュー」とか「アメリカに訪米する」といったような可笑しな言葉遣いと次元的に同じだな。

こういうトートロジー(同義語反復)を使うようなお方に、備中さんのいう「かむながら」が理解できるはずもない。

「左翼的反左翼」が保守の主流を占める戦後にあっては、戦後の保守思想はなべてシナ式の「からごころ」や、欧米式の「設計主義」といった「こしらえものの思想」をベースとして生まれてくる。こうして「自然(じねん)」という概念は日本思想から死滅していくんだ。

「保守主義」の「設計主義化」これは相当に根深いビョーキといっていい。

備中處士 さん、「九段塾」ご常連の皆さん、本年も残りわずかとなりました。

皆様にとって新たな年が輝かしいものとなりますように。

どうか良いお年をお迎えください。


 

祝禱 天長節。

 投稿者:愛国主義者  投稿日:2015年12月23日(水)17時48分10秒
返信・引用
  備中處士様、常連の皆様

本日は天長節であります。
今上陛下の82歳の御聖誕日を心より、
お喜び申し上げ奉ります。

天皇陛下万歳!  
 

祝禱 天長節。

 投稿者:備中處士  投稿日:2015年12月22日(火)19時21分55秒
返信・引用 編集済
   明日は、天長節、謹みて賀し奉る。

天皇尊には、御寶算八十三、彌益の御長壽を祝禱すると共に、神敕を奉じて、億兆の大君に坐します、
天皇尊の大御代を、嚴し御代の足し御代に、守り幸はへ奉り給ひ、皇御國を彌榮えに榮えしめ給ひ、
天皇尊の大御心の隨にまに、世界皇化、八紘億兆、一人も其の處を得ざること無からしめ給はむことを。



 『老子道徳經』韜光章第七に曰く、「天は長なへに、地は久し。天地の能く長なへにして、且つ久しき所以の者は、其の自ら生ぜざるを以てなり。故に能く長なへに久し」と。
 
 

Re: 大祓を控へて‥‥。

 投稿者:宮城野の月  投稿日:2015年12月21日(月)01時02分0秒
返信・引用 編集済
  備中處士様

御多用の中を御教示いただきまして、まことに有難う御座いました。
墓所のことなども、他にも伝える様に致します。

別途、横文字のアドレスでメールを差し上げておりました。

備中處士様始め皆々様もどうぞ御自愛くださいませ。
種々有難うございました。

             宮城野の月 拝


 

有難う御座いました。

 投稿者:宮城野の月  投稿日:2015年12月21日(月)00時43分18秒
返信・引用
  はゆまつかひ様

首肯して御礼申し上げます。
神社での御祓いしか経験が無い故に、そのようなことも判らずにおりました。
今後とも御指導の程、宜しく御願い申し上げます。
本当に有難う御座いました。

                 宮城野の月 拝
 

大祓を控へて‥‥。

 投稿者:備中處士  投稿日:2015年12月20日(日)19時23分0秒
返信・引用 編集済
  宮城野の月樣
はゆまつかひ樣

拜復

 御供へに非ざれば、山川に散ずべしと、理の趨く所、自己流に思考しつゝ、大掃除にかまけてをりました所、はゆまつかひ樣の、丁寧かつ正確なる御囘答に接しました。感謝に勝へません。



 餘談‥‥出雲大社岡山縣支廳長の權大教正樣の御教へを二三。

一、御下りの神饌の五穀を、庭に撒くとよい。實れば福來らむ、と。いつも稔らず、乃至は氣づきませんでしたが、或る時、父母が氣づき、みつとも無いので拔くぞと云ふので、暫く待つて戴きました所、御蔭樣にて、愚娘の縁談が調ひました。

一、かつて墓所を清めんとして、小生、鹽を撒きしに、甚(いた)く叱られました。墓所に鹽を撒くものでは無い、と。直ちに先靈に對して、御詫びを取次して戴きました。

一、最近は花筒に、ステンレスを用ゐるは、甚だ惡し、と。墓所は、金氣(かなけ)を特に嫌ふ。速かに棄つるべし、と。これは仄聞する所なり。

 件は流派もありませうが、また支廳長の受けし神示か、出雲古傳か、得て知らざる所でありますが、小生の心に殘る御教へです。



 寄る年次みに克てず、大掃除は、年々疲勞度を増します。兩親は不可能、家内も、最近は衰へが顯著、愚息や娘夫婦の手傳ひが必須と相成り、歸省するを待たねばなりません(泣)。暖冬とは申せ、風吹けば、寒さも一入です。皆樣には、御自愛ください。敬みて白す。
 
 

Re: 小人「豆津魔」──精米にて祓ふべし。

 投稿者:はゆまつかひ  投稿日:2015年12月20日(日)17時06分31秒
返信・引用
  > No.2407[元記事へ]

宮城野の月様

御神前へのお供へではなく祓ひの料ですから、白紙で包んで川や海に流すか土に埋めて下さい。其の前に屋内の四方もしくは八方に散じて祓ひを重ねるも尚、宜し。

はゆまつかひ 拝


宮城野の月氏への返書。

> 備中處士様
>
> >枕邊に「精米」を置いて、自ら祓はれむことを。
> >各位の周圍に、同樣の御方が居られましたら、是非とも勸めて戴きたい。
>
> この祓いに使った「精米」は、どのように扱えば宜しいのでしょうか。
> 勧めようと思いましたが後始末の仕方が解りません。
> ご教示いただければ幸いでございます。
>
>
 

Re: 小人「豆津魔」──精米にて祓ふべし。

 投稿者:宮城野の月  投稿日:2015年12月20日(日)09時34分41秒
返信・引用 編集済
  備中處士様

>枕邊に「精米」を置いて、自ら祓はれむことを。
>各位の周圍に、同樣の御方が居られましたら、是非とも勸めて戴きたい。

この祓いに使った「精米」は、どのように扱えば宜しいのでしょうか。
勧めようと思いましたが後始末の仕方が解りません。
ご教示いただければ幸いでございます。

 

200cc乗り様

 投稿者:愛国主義者  投稿日:2015年12月11日(金)21時06分25秒
返信・引用
  初めまして、御返信ありがとうございます。

少なくとも好き勝手に日本と朝鮮半島を行き来できる
状態は何とかしてもらいたいですね。朝鮮人の
入国に関しては、指紋・顔写真、血液サンプルと
目的地の確認。最低でもこの程度の監視は必要でしょう。
 

何故また来日したのか・・・

 投稿者:200cc乗り  投稿日:2015年12月 9日(水)22時04分23秒
返信・引用
  まさに何が何やら・・・と言った感じですね。
この罰当たりな輩には、しっかりとして取り調べをして、証拠が固まれば起訴を行って欲しいものです。
 

靖国爆弾テロ犯逮捕

 投稿者:愛国主義者  投稿日:2015年12月 9日(水)19時33分39秒
返信・引用
  靖国爆弾テロ犯『チョン・チャンハン』という
男が逮捕されました。逮捕された経緯が再入国
だったというのだから、いささか驚いた。

単に我が国を舐めているだけなのか?
帰国したままという手段もとれたはず。
とりあえず厳しく取り調べをしてもらいたい。

靖国神社で爆発音 韓国人の男を逮捕
12月9日 11時33分

先月、東京・千代田区の靖国神社のトイレで爆発音がして火が出た事件で、
事件直後に帰国していた韓国人の男が、9日朝、再び来日し、警視庁は、
正当な理由がないのに神社の敷地内に侵入したとして、建造物侵入の疑いで逮捕し、
不審物を仕掛けたとみて捜査しています。

警視庁によりますと、調べに対し男は「よく分からない」などと供述し、
容疑を否認しているということです。

逮捕されたのは、韓国人のチョン・チャンハン(全昶漢)容疑者(27)です。
(後略)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151209/k10010334811000.html
 

おかしなもの言い

 投稿者:愛国主義者  投稿日:2015年12月 8日(火)19時02分28秒
返信・引用 編集済
  備中處士様

貴殿の知識・博学さに比べれば小生のごときは
何も理解できぬ俗物でございましょう。
しかし、貴殿の御意見が通るのはあくまでも
神道を学んだ人だけの間の理屈にしかすぎません。

生きるも、死ぬも運命論的なご意見ですが、
果たして靖国神社の宮司の方々も同意見なのでしょうか?
神様が見ているのはよくわかりましたが、人間が努力すべきは
努力しなければいけません。警備も甘いところ、見落とした
部分があるのでしょう。今一度吟味しなおして、参拝者の
方々の安全を図るべきであります。

小生は単に警備を、より厳格にすべしと申し上げたまで。
何らおかしなことはないと思いますが?

衞士がゐるし、參拜者の目もあります

残念ながらこのたびは、その衛士も参拝者の
目も当てにはなりませんでした。
そもそもなぜ衛士がいるのか?それは神社内の
公共秩序を守るため。当然だと思います。

しかし、衛士の方々が爆発物の処置の心得
があるのでしょうか?おそらくないでしょう。

靖国の社に誰か彼きがねなく、参拝できるようにするための
参拝者の方々を守るための警備であります。

不心得者へ神罰を下すは神様のなさることである。
現世において身の周りを護るは人の務めではありませんか?
そのために衛士もいるんではありませんか?
 

天詔降下、義勇、公に奉ぜし日なり矣。

 投稿者:備中處士  投稿日:2015年12月 8日(火)18時51分47秒
返信・引用
  ■吉田松陰先生『對策一道・附論』(『戊午幽室文稿』安政五年四月中旬)に曰く、

天子の敕は、乃ち皇神の旨なり」と。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/2324



 夫れ天下は、一人の天下なり。天皇御一人の天下は、乃ち皇祖皇宗の天下なり。皇祖皇宗の天下は、天皇御一人の天下なり矣。蓋し皇國體の骨髓、皇民の安心なり。世界皇化の淵源なり。



●星野輝興掌典『日本の祭祀』(昭和四十三年七月・祭祀學會編・遺著刊行會刊)の「皇室の祭祀」に曰く、

「祭神は、嘉永癸丑以來、王事に盡瘁して、隕命の勤王志士、伏見の役以來、君國の爲めに戰死された方々をお祀り申し上げたのである。‥‥此の祭神の内のお一柱が、生前は一兵卒であつたとかで、吉野某が、ある雜誌で、其の生前の芳しくないことがあつた爲め、同伴のお子たちが、社前に於いて頭を下げ澁つたといふことを記されたことがある。しかし我が國の神社は、其の祭神の生前の生活全部の爲めにお祀り申し上げるのでなく、其のお方の、國家に對する功とか徳とかいふものを抽出し、それを主とし、出發點としてお祀り申し上げるのである。

 
例へば東照宮の徳川家康公である。御祀り申し上げたのは、豐臣氏に對して、どうした、かうしたといふのでなく、實に三百年の太平の基礎を築き上げられた功と徳、我が御國體の眞髓、天津日嗣の本始、惟神の大道の一部分に協つた功と徳とに對し、公を神としてお祀りしたのである。で、多少、生前云々があつた一兵卒といへども、君國の爲めといふ一念の下に倒れられた其の至誠は、皇祖の思召しと一致するものである。御國體のまことの姿である。惟神である。神である。それをお祭り申し上げたものである。之れに對し、何者が頭を下げることを肯んぜざるものがあらうか。しかしかういふ見解、吉野某に類した考へ方を、別格官幣社に對してするものが、當事者といはれる方々の内に、ひよつとすると見受けることがないでもないのは、甚だ遺憾とする所である」と。
 
 

神は見てをる。

 投稿者:備中處士  投稿日:2015年12月 7日(月)22時17分11秒
返信・引用 編集済
  愛国主義者さん

 靖國神社には、衞士がゐるし、參拜者の目もあります。何より、神樣は、見てをられます。「關所」を設けて拜觀料をむしり取る、遺産遺物の寺では無く、神社は、活きた齋庭です。愚見は、既に申し述べてをります。小生が、「政治家は來るな」と懇祷するのは(それは熱烈に懇祷しますが)、所詮、希望に過ぎません。日本の神社は、世界の萬人に開かれてをるのですから。「爆彈犯人は來るな」、「不敬な者は入る可からず」と申しても、網をかいくゞても、やつて參ります。御祓ひをしない、それは偉い總理大臣も存在しましたし、何を恐れるのか知りませんが、こそゝゝ訪問する、疚しき首相もをられます。參道の「正中」に天幕を張り、來賓と稱せらるゝ御方もをります。

 屋上、屋を架するならば、生死は、人間の力では、どうにもなりませぬ。靖國神社に參拜するに、安全を期待する人ならば、參拜を控へるでせう。警備を幾ら嚴しくしても、人間は、死傷するときは、死傷し、助かるときは、助けられます。奇特な參拜者と雖も、死ぬべきときは、生きたくても死に、生くべきときは、死にたくても生くるものです。犯人と雖も、之に同じ。何もかも「惟神ら」であります。但し幽顯無敵ですから、御國替への折には、幽律に因つて、きつちりと精算されます。御安心ください。

 愛国主義者さん、‥‥小生は、參りました(泣)。

 御閲覽の御方がをられましたら、小生の如き風流人に關はらず、吉き御意見を、愛国主義者さんに應へて戴き度く、宜しく御願ひ申し上げます。小生、今日は寒氣がしてをりますので、休ませて戴きます。 不具
 
 

参拝者の安全は?

 投稿者:愛国主義者  投稿日:2015年12月 7日(月)20時03分16秒
返信・引用
  備中處士様

ご意見が食い違うことはよくあること。
このこと自体は良しと致しましょう。

ただ神社の警備は厳しくするべきではありませんか?
このたびの爆弾テロが、たまたま不発・たまたまトイレ
を使用している人たちがいなかった。

まさに不幸中の幸いですが、同じ手口でまた違うところで
爆発物を仕掛けられて、そのとき、参拝をされる方に死傷者が
出た場合、どうなさるのでしょうか?運が悪いとかの
レベルでは済まされません。

やはりそれなりの現在より厳しいセキュリティにせざるを得ません。
靖国神社側としてもそうせざるを得ないでしょう。
理想は理想、現実は現実です。参拝をされる一般の方の安全を
守るためにも警備は厳しくしていかなければ。
 

見直し聞直して‥‥。

 投稿者:備中處士  投稿日:2015年12月 6日(日)21時14分9秒
返信・引用 編集済
  愛国主義者樣

 靖國神社への相繼ぐ放火は、悲しいかな、靖國神社が、政治的に利用されてゐる證據でありませう。今は、敢へて「一宗教法人」を楯に取つて、劇場型の政治家共を排除して、靜謐と清淨を取戻したいと、幾度びも小生が懇祷してをること、御承知の通りであります。

 「空港のセキユリテイー竝みの警備が、靖國神社には必要」となれば、そこは、最早や、神社では無くなりませう。靖國神社には、朝鮮籍の祭神二萬一千一百八十一柱ましませば、靈威赫々、大事には至りますまいと確信してをります。大東亞戰爭にても大事に至らず、今、若し大事に至ることあるとすれば、それは神意として、之に應へ奉らねばなりますまい。

 
勿論、對朝鮮には、是々非々にて臨まなければなりませぬが、國家百年、千年の大計を思へば、共産支那の解體を見据ゑ、また米露に對抗するには、先づ朝鮮を、再び皇化に浴せしめんことが重要と信じてをります。一衣帶水の朝鮮すら、皇化せしむること能はずとなれば、八紘一宇・世界皇化は、夢幻となりませう。

 
皇國の使命、即ち皇祖皇宗の神敕を、地上に於て完遂せむと力め給ふ、皇上陛下の大御稜威の下、吾人國民は、皇運の一端を翼贊し、幾萬年の皇恩に報いなければならい。小生は、神代からの結縁、戰前からの日鮮同祖論、大亞細亞主義の道統を承け繼ぎ、朝鮮の民を「見直し聞直して」戴き度く冀ふものでありますが、愛国主義者樣には、論調から拜するに、御無理なやうですので、此の議論は竝行線にして、精神衞生上からも終了とし、小生の如き風流人は御見捨て戴き、再論は御容赦たまはらむことを、切に御願ひ申し上げます。懇祈々々。
  
↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t19/222
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t41/l50
 
 

不逞朝鮮人を警戒するのは当然

 投稿者:愛国主義者  投稿日:2015年12月 6日(日)16時18分42秒
返信・引用 編集済
  備中處士様

えらく朝鮮人を警戒してをられますが、
不逞な者は、何處の國にもをりませう。

不逞朝鮮人は以前も靖国神社の神門に放火をしたことがあります、
日本と朝鮮の歴史を見直せば、今日も朝鮮人の野蛮な性癖は
全くといっていいほどかわっておりません。
のみならず、皇室に対するテロ未遂も
何度も起こしているではありませんか?

在日韓国・朝鮮人の事件年表

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E9%9F%93%E5%9B%BD%E3%83%BB%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E3%81%AE%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E5%B9%B4%E8%A1%A8

それこそ草薙の剣盗難事件から1000年たっても変わらない。
道徳心の欠如、恥の無さ、犯罪行為に対する善悪の無さ、
根拠なき優越心、日本に対する逆恨み・妬みと嫉妬と羨望。

耶蘇教の流布が原因とおっしゃるが、遠因の一つではあっても
今までのことを考えれば、民族的な性癖と断言できるでしょう。

どこの国にも・・・とは言い難い。支那・南朝鮮・北朝鮮の
3か国を称して『特定アジア』といわるほどの精神の歪んだ
反日思想の塊でありましょう。

やはり開国の手順が間違っていたのだろうか?
警備は日ごろからしていたのだろうが、これからは
空港のセキュリティー並みの警備が靖国神社には必要と
なりましょう。
 

神敵とは。

 投稿者:備中處士  投稿日:2015年12月 5日(土)23時00分7秒
返信・引用 編集済
  愛国主義者樣

 御元氣で、何よりです。

 愛国主義者樣には、えらく朝鮮人を警戒してをられますが、不逞な者は、何處の國にもをりませう。思想的には、韓國が、邪蘇教に牛耳られた結果でせう。朝鮮人の問題と申すより、邪蘇教徒による使嗾でせう。靖國神社への攻撃は、蓋し奴等の陰謀です。所謂從軍慰安婦にしろ、其の與黨は、正に亞米利加人でせう。亞米利加人が、靖國神社を容認することは、畢竟、ありますまい。

 大詔降下の十二月八日も、間近です。歐米の基盤は、邪蘇教に在り。朝鮮人より、砂漠の惟一神とやらに、もつと注意を拂ふべきと存じます。日本の保守家も、相當、邪蘇にやられてをるやうですね。彼の戎夷の教義は、世界皇化の爲めには、正面の神敵です。最近話題のテロとやらも、近親憎惡、民主主義とやらを宣布せんと欲する空爆に對抗するに、政治的弱者には、テロしか無いのでせう。兩者共々、呆れ果てた連中です。御仲間同士の血肉を爭ふ内輪揉め、日本人は、靜觀するしかありますまい。

 本日は、小生も勉強會に參加、「靖國暦」の話も出てをりました。其の末尾に「年齡干支九星早見表」がありますが、何と、「滿年齡」が主となつてをります。靖國神社社務所も、御時勢に掉差してをるやうです。それに引換へ、乃木神社を始めとする神社は、正統な年齡表示を護持してをります。靖國神社社務所も、少しは考へて戴かねばなりませんね。「六十年目が還暦」と、テレビでよく聞きますが、干支を何と心得てをるやら、これも歐米流なのでせう。



●宮地嚴夫掌典『神道普及の方法に就いて』に曰く、

「神道を、今日に興隆し普及せねばならぬは、今更らに申すまでも無きことで有りますが、如何やうにも、遲々として更に興隆致しませぬは、全く其の普及の方法の宜しからぬが故であらうと思ひます。 これに反して、其の傍らに於いて、佛教を廣めます所の僧侶とか、又たキリスト教を主張する所の宣教師とか言ひますが、遣り方は兎に角く、其の方法の宜しきより、追々と意外に、其の潛在力が膨張して、御承知の通り、既に本年の初めに至りては、三教合同などと言ふことの一問題なりたるは、全く其の潛在力の表發したものに違ひ有りませぬ。

 そもゝゝ維新の初め、即ち明治三年庚午正月三日を以て御發し在らせられし、鎭祭詔や大教宣布詔、または其の後、時々に漏れ承りたる多くの御製などに伺ひ奉りますれば、畏れながら先帝陛下の叡慮は、我が神道、即ち惟神の道を以て、我が國家の道徳を保たせ給はんとの叡慮にて在らせられたること、火を見るよりも炳焉で有りますにも拘はらず、斯の道は、一向に振はず、荏苒として打過ぎますに反し、傍らなる佛教は、大いに首を擡げ、又たキリスト教も勢力を表はすに至りますより、當局者の或る部分に於いては、又候ろ外教の方を借つて、我が國の道徳を保たなければならないと言ふ威を起こさしむるに至つたは、先帝の叡慮に對し奉りて、斯道に從事する者に在りては、實に申し譯無き次第にて、殘念とも遺憾とも、恐縮、此の上無き事で有ります」と。



●勅使河原大鳳翁『國魂神の冥護』に曰く、

「たとへ伊勢神宮の荒垣外でも、或いは其の他の有名大社・古社・靈地に於いても、神域外に邪靈は圍集してゐるのである。萬物は不増不減であるから、熱量不變と云ふ原則からしても、プラスエネルギーの強い場には、同時に同じ強さのマイナスエネルギーが 發生する。それが邪靈集團發生の靈理である」と。
 
 

靖国爆弾テロ犯は朝鮮人

 投稿者:愛国主義者  投稿日:2015年12月 5日(土)19時49分7秒
返信・引用
  備中處士様

ご無沙汰しております。愛国主義者であります。
去る11月23日、靖国神社のトイレにて爆弾テロ
が起きました。すでにご存じのことと思います。

幸い死傷者がでず、また爆発の規模も
大したことは無く不幸中の幸いでした。
警視庁が捜査しておりますが、犯人は韓国籍の男。
つまり朝鮮人でした。

かかるにかの国の者共は日本人を害することに
優越心を持っておおり、きわめて野蛮・危険な人種であります。
日ごろから靖国神社には警察の方々が警備しておられたはずですが、
このたびの爆発物の早期発見及び被疑者の身柄の確保にことごとく
失敗しております。

昨今話題となっておりますイスラム国等のテロリストの動向も
気になる次第ではありますが、不定朝鮮人に対する警戒・警備
を怠ってはならないと痛快しているところであります。
 

不敬な行動は、叱ります。

 投稿者:備中處士  投稿日:2015年11月11日(水)22時14分39秒
返信・引用 編集済
  ●山城國宇治郡に坐す、宇治上神社の社務所置文「小さなお子樣をお連れの親御樣へ」(今、進駐文字遣ひを改めたり)に曰く、

「こゝは、神社です。皆樣が、心を靜めてお參りをされる場所です。テーマパークでも、フアミリーレストランでもありません。サービス業ではないのです。『お客樣は神樣』の自論は通用しません。本當の神樣は、目の前においでです。當然、不敬な行動は叱ります。親御さんが、お子樣をしつかり御監督なさつて下さい。お子樣を叱るのは、親の責任ですし、親が不行き屆きで、周りの人に叱つていたゞいたなら、逆切れではなく、『ありがたうございます』です。自分本位な考への大人になられないやうに、正しい教育で、共にお子樣の健やかなる成長を見守りませう」と。
  ↓↓↓↓↓
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151111-00000001-withnews-l26



 悲しいかな哉、蓋し現代に於ける名文である。

 靖國神社に於かれましても、時節柄、「おとな用」も併せて、是非とも御取上げ賜はらむことを、切に懇祷いたします。謹白
 
 

櫻山招魂場──山海致死の靈所。

 投稿者:備中處士  投稿日:2015年10月24日(土)14時01分32秒
返信・引用 編集済
   長門國赤間關後地村梨子ケ迫なる、櫻山神社の招魂場は、奇兵隊士の英靈を祀る齋庭にして、靖國神社の源流である。而して『櫻山の歌集』は、阿部恭久宮司より賜はる所、敬みて抄し、益良武雄の志を繼がむことを、おほけなくも、しかと誓ふなり。



●『さくら山の哥集』(櫻山神社祭神への獻詠。題「櫻」。百二十四首。奇兵隊藏板。長門赤間關・佐伯屋藤八刊。谷省吾翁『さくら山の歌集』覆刻と解説──『神道史研究』昭和五十六年七月號。また『櫻山の歌集』平成二十年七月・櫻山神社刊に所收)

──慶應元年八月六日、招魂場、最初の大祭あり。祝詞奏上は、萩・椿八幡宮の社司・青山上總介藤原長清なり──

○櫻山哥集はしがき
こゝの櫻山はしも、かく名におへるやうに、大和こゝろの花、あまた植なへて、咲にほへる所也けり。その木かげを、須賀々々しうはらひて、しるしの石、たてならべにたるは、此花のこゝろを心として、
大御國のみためにいそしみつゝ、みまかれりし人々のみたまになん、ありける。かゝる人たちにしあれば、そのこゝろざしをしたへるまにゝゝ、哥やなにやと、よみてたむけつるを、おなじくは世におほやけにこそと、したしき友どち、はからひて、かくかきあつむる事とは、なりにたり。そのよし、一くだりかいつけゝるは、これの國の殿人白石資風(號は橘圓)。

(慶應二)丙寅年七月

‥‥

○櫻山に詣でゝ──谷(高杉)東行
おくれても おくれても またおくれても ちかひしことを あにわすれめや

○野むら芳共(野村望東)
ふしをがむ こゝろのそこに せきあへぬ なみだは神や しろしめすらむ

人々の、たま、まつる所とて、はり成したる所を、招魂場といふ。さくら、あまたうゑなしたれば、よの人、櫻山とぞよぶ。もとは岡のはら山といひて、赤間が關の、にしのはてなる、尾上にして、つくしのくにゞゝ、みわたす所也けり。いまだまうでぬ人々の爲にもとて、かくは、ゑ、かゝせたるになむ。

‥‥

○白石(正一郎)資風
さくら山 友のすみかと 也にけり あらくなふきそ はなの下風

○白石(庫之進・東一郎)資貞(のち資東。資風の長男)
誰もみよ きみのみためと ますらをが ちりにし花の 色の深さを

○白石(廉太郎)資正(資風の弟・白石廉作資敏の長男)
はる風に 身をばまかせて 櫻山 あなおもしろの ちりのまかひや

‥‥

○青山清(上總介長清。初代靖國神社宮司)
あふぎみよ さきてちりにし 櫻山 やまとこゝろの 花のありかを

‥‥

○長歌并反哥──片山(貫一郎)高岳(文久二年九月二十五日、氣吹舍入門。奇兵隊に學を講ぜり。白石資風翁と共に、此の歌集の編纂者なり)
花とふも さはにあれども ことさはぐ からにはさかで 日の本の ひかりとなれる さくらこそ めでたかりけれ 人とふも 多くあれども きみがため まめにつかふる 人こそは 尊とかりけれ しかばかり めでたき花を ものゝふの こゝろ赤間の 關ちかき 尾上にうゑて かくばかり 尊き人を しが蔭に かくしをさめし その本の ゆゑよしきけば えみじらが 船つらなへて たゝなへて いこぎまゐきて おふけなく みくにせめんと ゆく鳥の あらそふはしに いはまくは かしこけれども あきつ神 吾おほきみ そこをしも きこしめさけて やつこわが つかへまつらふ うみをなす 長門周芳の 國つ神 とのゝみごとに えみしらを うちきためよと おほみこと おふせ給へば おほみこと かしこみまして ふた國に のらし給へば 千萬の いくさおこして ますらをが いさみきほひて いでやつこ とりてつかみて このみゆる うみにしづめて あらしほの からきめみせんと をたけびて きしにいむかひ うちなすや つゞみのひゞき ふきなすや くだのおとなひ くにつちも とゞろゝゞゝと 空かぞふ おほづゝをづゝ なる神の おつるがごとく 玉だれの をだまおほ玉 いなづまの とひかふなして たゝかひの さかりなるころ 玉ぢはふ 神のみいづと 雨まじり あらちふきゝて おほ空も くもりふたがり あらなみの あらくしたてば えみじらは おそれをのゝき 引しほの ひきていにけり しかばかり すゝみきそひて 國のため きみのみために さく花の ちらふがごとく 玉きはる いのちすてつる 人こそは 尊とかる人 その人の おくつきしめし この山の みねにも尾にも めでたかる 花をうゑなへ はることの 手向となして もろ人の まつるゆゑよし きかくしよしも
おほきみの へにこそしなめと うたひつる ますら武雄が たま所これ

‥‥


 愚案、囘天學舍・西村梧樓代表の曰く、「來島又兵衞政久、御所を犯す、と。否、會津・桑名の賊の挑發する所、之を狙ひし彈、御門に當りたるのみ。皇居を犯し奉る意、固より全く無からむ。商賣作家の創作に惑ふ勿れ」と。此の言の葉、甚く心に殘れり。かつて葦津珍彦翁も、亦た此の老雄・來島蓮城を推せり(『永遠の維新者』昭和五十年九月・二月社刊)。靖國神社合祀。贈正四位なり。

 水戸の正學を承けし眞木紫灘先生は、久坂秋湖先生の與する所にして、秋湖先生の志は、亦た松陰・東行兩先生の志なり。而して東行先生の、「是れ此の時、日本の日本たらんと欲する日也」てふ叱咤蹶起は、奇兵隊を奮起せしめ、皇軍の源流を爲す。是れ、山海致死の英靈、櫻山の齋庭に鎭り、遂に靖國神社に祀らるゝに至る所以なり矣。

 嗚呼、草莽崛起は、松陰先生の唱道する所、佛蘭西語たる「右翼」てふ名號、此の垢に塗れし呼稱、相對的名稱を脱して、「眞の日本人」と爲る秋、日本中興、推して知る可く、有志草莽、誓つて期す可きなり。



●平泉澄博士『眞の日本人』(『傳統』昭和十五年一月・至文堂刊に所收。六十年五月・原書房復刊)に曰く、「

 甚だしいかな、天下形勢の急轉、朝に連衡の約あつて、夕に合從の盟となり、こゝに權變の術あれば、かしこに反間の策存し、一方に衆力を集めて、猛虎を攻めようとかる者あれば、他方に兩虎、相搏つて、共に疲弊するを待たうとする者がある。斯くの如く詐謀の祕術をつくして、一上一下、動亂やむ時なき外交の怒濤に棹さす者は、抑も何を頼み、何に依るべきであるか。これ今日、護國報恩の志をいだく士人の、日夜、肝腦をくだく問題でなければならぬ。‥‥

 一億一心、上下一和するならば、何ぞ外敵を恐れんや、むしろ進んで、大に國威を發揚すべし。然るに之に就いては、世に異論があらう。蓋し人心は互に相違する事、まさに其の面貌の異なるが如く、從つて之を一つにするといふが如きは、恐らくは單に修飾の辭であつて、實際に於いては、到底、不能の事に屬すると考へられ易いからである。しかしながら事實それは、決して不可能ではない。人々にして若し其の私心を去り、深く祖國の傳統に復歸するならば、こゝに祖國傳統の力は、上下貧富の差、老若男女の別を越えて、よく一億を一心ならしめるのである。天下の人心を一にするの説は、國民のすべてを、國家の正しき傳統に復歸せしむるといふに歸着するのである。國體の大義を明かにし、日本の道義に一命を捧ぐる、これ即ち私を去つて傳統に歸順するものに外ならず、よくかくの如くであるならば、之をこそ眞の日本人と呼ぶべきであるが、國民のすべてが、眞の日本人となる時に於いては、一億こゝに一心となつて、外國の權變、恐るゝに足らず、合從連衡、多く意に介せずして、一路邁進し得るのである。‥‥

 皇國臣子の道の、その後再び忘却せられ、傳統の光の、近年、又も衰微して來た。しからば我等は、此の道を再び明かにし、此の光を今日に輝かしめなければならぬ。我等日本人のすべてが、この忠死の心に立ち、この傳統にかへる時、換言すれば眞の日本人となる時、一億をうつて一心とする事は、始めて可能である。一億をうつて一心となし得たる時、海外の怒濤、それ何物であらうか」と。



**********

 初代靖國神社宮司「青山清」の哥を見たり。かつて「靖國神社祀職」てふスレツドを建て、宮司列傳を試みしが、些か増補して再掲せむと欲す。


 青山清翁は、長門國萩の人。文化十二年五月生る。諱は長清。上總介と稱す。其の家代々、萩城下の總鎭守椿八幡宮の宮司たり。上總、夙に國學を修め、近藤芳樹等と交はる。慶應元年八月六日、下關の櫻山招魂場(文久四年二月三日、長門國招魂社創建)にて、奇兵隊士を祭る(招魂大祭)。伊藤博文主の依頼あつて、兵部省より山口藩御用召し之れ有り、明治四年八月、上京し、同八月二十二日、兵部省十一等出仕・東京招魂社祭事掛に補せらる。同七年七月十二日、陸軍省十等出仕。同十年一月、招魂社雇ひ申付けらる。同十二年六月十六日、別格官幣社靖國神社初代宮司に任ぜらる。同十二月二十七日、權少教正に兼補せらる。同十五年一月二十四日、教導職。同十六年、七月六日、正八位に敍せらる。同二十年三月三十日、職制改正に依り、更めて宮司に補せらる。神社誌編纂を企て、禰宜・黒神直臣をして之に當らしめしが、幾許も無く黒神氏の不幸に接して已む。從七位に至る(特旨進位)。同二十四年二月六日(或は四日)、宮司在職中に歸幽。享年七十七。

●『京都に於ける吉田松陰慰靈祭紀事』文久二年十月十七日條(以下の[云々]は編者の註。(云々)は愚案にして、◎は靖國神社祭神。但し脱漏あるを恐懼す)
○覺
‥‥
一、祭主   寺島忠三郎。
一、[空白] 青山上總。(蓋し神主ならむ)
‥‥
○十月十七日、參詣人
久坂玄瑞(◎・正四位・義助通武・號秋湖)
佐世彦七(經一)
青山上總(從七位・長清)
福原音之進(◎・從四位・乙之進信冬)
寺嶋忠次[三カ]郎(◎・正四位・昌昭・號刀山)
福原三五郎
岡部繁之進(富太郎利濟・號巨川か)
河上彌市(◎・從四位・正義)
杉山松介(◎・從四位・松助律義・號寒翠)
吉田榮太郎(◎・從四位・稔麿秀實・號風萍軒)
澄川敬助(澄川謙藏正義ならば、◎)
楢崎八十槌
佐々木次郎四郎(雅風)
瀧彌太郎(從五位・厚徳・號壕里)
三戸詮藏
結城市郎[筑前の人也]
小國甲[剛]藏[彈正殿(◎・正四位・増田右衞門介親施・號霜台)より代香](從五位・融藏武彝・號嵩陽)
松嶋剛藏(◎・正四位・久誠・號韓峰)
福原龜太郎
今日、大坂より、廣岡(◎・從五位・浪秀正恭)上京に付き、政府廻り、乍(たちま)ち明日あたり、參詣の筈也。
‥‥
○覺
一、狩衣、壹領。
一、差貫き、壹下り。
一、烏帽子、壹頭。
一、中ケイ。
右、青山上總、着用。
‥‥

●『白石正一郎日記』慶應元年條
十月廿五日、今日晝過ぎより、招魂場[今の下關市櫻山]にて、吉田先生(◎・正四位・寅二郎矩方・號松陰)の御祭り執行す。
青山[上總]・
高杉[晉作](◎・正四位・春風・號東行)・
山縣[狂介](從一位・公爵・有朋・號含雪)・
福田[俠平](◎・正四位・公明・號悠々)・
伊藤春介(從一位・公爵・春輔博文・號春畝)君・
小子(正五位・白石正一郎資風・號橘圓)也。
 歸路、伊藤君にて、馳走、之れ有り。

●乃木神社社務所『乃木希典全集』上卷(平成六年六月・國書刊行會刊)の「日記・明治十一年」
十月第廿一日條、午後、青山清を訪ぬ。不在。‥‥
十月第廿二日條、午後、乘車。青山を訪ぬ。又た不在。‥‥
十月第廿三日條、午後、青山に、招魂社に逢ひ、祭事を托す。歸る。

●樟堂吉田祥朔翁『増補・近世防長人名辭典』(昭和五十一年六月増補版・マツノ書店刊)の「青山上總」に、歌一首「暮秋」を引きたり。
古さとの 垣根の小萩 かれしより もとあらはにも くるる秋かな   長清

●青山幹生・青山隆生・堀雅昭の三氏『靖國の源流――初代宮司・青山清の軌跡』(平成二十二年七月・弦書房刊)
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/920
 
 

招魂場・櫻山神社。

 投稿者:備中處士  投稿日:2015年10月18日(日)21時49分43秒
返信・引用 編集済
   平成二十七年十月十七日、時局對策協議會・河原博史議長代行の促す所、皇道民族連盟・近藤勝博代表と共に、長門國赤間關後地村梨子ケ迫なる、櫻山神社秋季大祭に參列せむと欲し、一路、下關へ。囘天學舍・西村梧樓代表の案内(下關隨一の案内人とは、仄聞に違ばざる所なり)にて、先づ安徳天皇御陵に伏し、赤間神宮を拜して、宮司・禰宜御兩所に挨拶、而して次々に史蹟を巡り、遂に櫻山神社に至る。

 明日の準備の爲めに上つて居られた、阿部恭久宮司に遭遇、懇篤なる案内を賜はる。靖國神社の元ともなりし、招魂場。松陰吉田先生を始めとする祭神の招魂碑に壓倒されて、感慨、新たなり。

 翌日、櫻山神社創建百五十周年の大祭に參列、玉串奉奠を許され、無上の榮と謂ひつ可し矣。蓋し是れ、囘天學舍・西村代表の御蔭ならむ、深謝に堪へざる所なり。同血新聞社・塚本保嗣相談役に、初めて御目にかゝり、共に相語ることを得たり。同血新聞社・下山陽太主(彼の「廢佛毀釋」は、主の代名詞たるは、夙に知らるゝ所なり)とも再會、將に神出鬼沒の青年なり。健康を祈るや、切なり。下りて、周防國熊毛郡なる、式内社縣社・石城神社、亦た神道天行居の諸神社を登拜す。

 特記すべきは、小生、車輛の燃料携行罐てふものを、生れて初めて見たることなり。備へあれば憂ひ無しとは、此れを云ふか。感心頻りなるは、獨り小生のみ。田舍道、御要愼‥‥呵々。

 時局對策協議會各位の厚恩に接し、歡喜、甚だ大なり。記して感謝の意を表すと、備中の一處士、爾か云ふ。



上=官幣大社・赤間神宮參拜。
中=櫻山神社にて、宮司より案内を賜り、又た『櫻山の歌集』(平成二十年七月・櫻山神社刊。覆刻と解説は、谷省吾翁なり)を戴く。
http://sakurayamajinja.com/
下=招魂場。第一列中央は「松陰吉田先生神靈」、向つて右に「高杉晉作春風神靈」・「入江九一弘毅神靈」、左に「久坂義助通武神靈」・「吉田稔麿秀實神靈」はじめ、招魂碑三百九十一基。
 
 

神社本廳は、何處に行かうとしてゐるのか。

 投稿者:備中處士  投稿日:2015年10月 4日(日)20時01分6秒
返信・引用 編集済
   久振りに同志に遇ひ、樂しい日々を送つた。これぞ、道樂の極みなりけり。其の席で、下山陽太氏からは、『闢邪』第四號を戴く。目を疑ふやうな神道界の亂脉、遂に神社界も、明治維新の大精神を踏みにじるが如き體爲、呆れて言葉を失つた。また此の號には、かつて其の『檄文』を紹介させて戴いた、眞橘道義神主の、事件の顛末、現在の心境を綴られた文章も拜讀し得た。有志には、是非とも一讀されむことを乞ふ。

●『闢邪』第四號目次
一、下山陽太氏「本教界の松永久秀たる田中恆清を膺懲す──廢佛毀釋の正統性を喧傳し、神佛習合を排す」
一、眞橘道義氏「再び神の道へ」
一、下山陽太氏「念佛宗膺懲義擧を正當化し、廢佛毀釋を擧行す」
一、下山陽太氏「編集後記」

◎『闢邪』の問合せ先
同血新聞社=一○三-○○○七・東京都中央區日本橋濱町三の二十七の二
      中銀日本橋濱町マンシオン四○五號室
電話番號=○三―五六四五―七七四五
douketsushinbunsha.hekija@gmail.com
 
 

自から 敕かしこむは、我が大君、雲上の神にし座せばなり矣。

 投稿者:備中處士  投稿日:2015年 8月28日(金)22時18分55秒
返信・引用
  ■『萬葉集』抄


○皇は 神にし座せば 天雲の 雷の上ヘに 宮敷き坐す(柿本朝臣人麻呂。流布本云、「廬(いほり)せるかも」。古義軒或本に據れり。卷三・二三五)

○皇は 神にし坐せば 眞木の立つ 荒山中に 海を成すかも(人麻呂・三・二四一)

○皇は 神にし座せば 赤駒の 腹ばふ田ゐを 京師となしつ(大將軍贈右大臣大伴卿・十九・四二六○)

○大王は 神にし座せば 水鳥の すだく水沼を 皇都と成しつ(十九・四二六一)


○晝見れど 飽かぬ田兒の浦 大王の 命恐み 夜見つるかも(田口益人大夫・三・二九七)

○大船に 眞梶(まかぢ)繁貫(しゞぬ)き 大王の 御命恐み 磯廻(いそみ)するかも(石上大夫・三・三六八)

○物部(ものゝふ)の 臣の壯士(をのこ)は 大王の 任けのまにゝゝ 聞くと云ふものぞ(三・三六九)

○千萬の 軍(いくさ)なりとも 言擧げせず 取りて來ぬ可き 男(をのこ)とぞ念ふ(高橋連蟲麻呂・六・九七二)

○大君の 命畏み 愛し妹が 手枕はなれ よだち來ぬかも(十四・三四八○)

○大君の 命畏み 大船の 行きのまにゝゝ 宿りするかも(雪宅麻呂・十五・三六四四)

○大君の 命畏み 磯に觸り 海原わたる 父母を置きて(助丁丈部造人麿・二十・四三二八)

○大君の 命畏み 出で來れば 我に取りつきて 言ひし子らはも(種准郡上丁物部龍・二十・四三五八)

○霰ふり 鹿島の神を 祈りつゝ 皇御軍に 吾は來にしを(那賀郡上丁大舍人部千文・二十・四三七○)

○今日よりは 顧みなくて 大君の 醜の御楯と 出で立つ吾は(火長・今奉部與曾布・二十・四三七三)

○大君の 命にされば 父母を 齋瓮(いはひべ)と置きて 參ゐ出來にしを(結城郡雀部廣島・二十・四三九三)

○大君の 命畏み 弓の共(むた) 寢か渡らむ 長きこの夜を(相馬郡大伴部子羊・二十・四三九四)

○唐衣 裾に取りつき 泣く子らを 置きてぞ來ぬや 母なしにして(國造丁小縣郡他田舍人大島・二十・四四○一)

○大君の 命畏み 青雲の 棚引く山を 越よて來ぬかむ(小長谷部笠麿・二十・四四○三)

○大君の 命畏み 愛(うつく)しけ 眞子が手離り 島傳ひ行く(助丁秩父郡大伴少歳・二十・四四一四)

○大君の 命畏み 於保の浦を 背向に見つゝ 都へ上る(掾安宿奈杼麿・二十・四四七二)



http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t15/11
  ↓↓↓↓↓
 淺野晃翁『楠木正成』に曰く、「湊川の戰の前における彼を指して、岡倉天心が、あの正成の『やつれた』姿と言つたのを、忘れることが出來ない。やつれた姿。ひたすら重きをになひつづけ、默々として沒落へと急ぐ孤忠の臣の姿である」と。畏命卒伍の臣從は、當然當爲の道と云はむより、抑も吾人固有のこゝろ、草莽戀闕の至情なり。

 湊川大神に獻る哥二首。愚詠。

大君の 命畏み 五月雨の やつるゝまでに 盡くし大人はも

大君の 命畏み ますらをの 餘香は今に 盡きざらむとす
 
 

保守の敵は、保守なり矣。

 投稿者:備中處士  投稿日:2015年 8月15日(土)00時53分2秒
返信・引用 編集済
   戰後七十年安倍内閣談話を聽く。絶句‥‥。「保守の敵は保守」てふ言の葉を、更めて噛みしめる。期待も無かつたが、此の憤怒、何處より來れる、知らんと欲して知るを得ず。今夜、『凛として愛』を觀て、獨り哭きたり。



●平泉澄博士『日本の悲劇と理想』(昭和五十二年三月・原書房刊。平成六年十一月・錦正社復刊)
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t9/3



●泉水隆一監督『凛として愛』(平成十四年七月十三日。靖國神社遊就館に於いて上映)に曰く、

「森本文子の曰く、『そのために出たのに、今はもうちょっと世間の常識としたら、厄介者扱いのような、あれでしょう。本当、身内になってみりゃ、情けないですよ。なんのために命まで捨てたんかなあと思うてね。まあ、日本の国はええ国ええ国って云われとりますけど、これをわからん国民が多いんかなあと思ってね。いつも思います。情けないなあ。私は、あんな人間になっちゃならんと思うてね。大げさ云うちゃあれじゃけど、日本の国のためになるんじゃちゅう気が、兄貴にはあったんだろうと思います。とても今の若いものじゃったら、悪いことはする、人を殺したりなんかはするけど、自分の命を絶ってまで国のために尽くそうと思うものは、今はあまりいないんだろうと思いますよ』と。戦争は悲惨なもの、悪と云われ続けている。しかし戦わなければ、国家国民は、それ以上の悲惨な目に遭遇しなければならなかった。極東の小国日本が生き残った理由は、幾度かの国難に常に武器を取り、立ち向かったからである。‥‥

 明治開国以来、欧米列強の植民地化を避けるために、必死に刻苦努力して来た。こづきまわされても、じっと我慢を重ねて来た。日本人は多くの天災に襲われ、幾度とない飢饉にも見舞われたが、全て耐えぬいて来た。だが、日本民族の息の根を止めようとするアメリカの要求だけは、耐えることが出来ない。戦争をしない道は残されていた。全ての権益を放棄して、許しを乞う道はあった。しかし、それは戦争をしなくても、戦争に敗けたと同様の悲惨な末路を意味していた。国民には、それが出来なかった。武器を取ることを選択したのです。軍令部総長永野修身は、『戦うも亡国かも知れぬ。だが、戦わずしての亡国は、魂までも喪失する永久の亡国である。たとえ、一旦の亡国となるとも、最後の一兵まで戦いぬけば、我らの子孫は、この精神を受け継いで、再起三起するであろう』と語った。大東亜戦争は、逃げも隠れもしない日本が戦争を決意した、一億の日本人が武器を取り、決意した戦争です。恥じることも、たじろくこともない。凛として、日本人は、襲い来る外敵を撥ね除けるために、日本生存を賭けて戦った、自存自衛の戦いです。それが極東の国日本の揺るがすことの出来ない、ただ一点の戦争理由です。‥‥

 子供を愛し、妻を愛し、兄弟を慈しみ、両親を尊敬する多くの先人。誰一人、日本が侵略戦争をしたとは思っていません。外国の土地を強奪した事実もありません。礼・義・智・信と云う厳しい道徳観の中で育った日本人は、不正義を憎み、卑怯卑劣を嫌う武士道を軍人魂として教育されて来ています。あなたが、もし日本人ならば、そして、正義を愛するならば、かっての日本人も、同じ日本人です。あなた方が誇れる、先人の方々です。あなたが自分を信ずるならば、日本を守った先人を信じて下さい。英霊を、先人の愛を、見つめて下さい」と。
 
 

/20