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スレッド一覧

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  2. 「九段塾」塾頭・一兵士翁遺文抄(100)(備中處士)
  3. 泉水隆一監督『凛として愛』臺本(8)(備中處士)
  4. 平泉澄博士遺文(10)(備中處士)
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  17. 平田篤胤大人遺文(31)(備中處士)
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「いづみ りゆういち」の翁。

 投稿者:備中處士  投稿日:2011年 5月14日(土)23時42分41秒
返信・引用 編集済
   『金城翁遺文』、一先づ校正を畢へました。讀む度びに、漢字の措き替へが増へて參ります。これつて、袋小路に入つたかも知れません。更に校正を續けます‥‥。

 小生の迂闊なる、泉水隆一翁の訓は、「いづみ りゆういち」でありました。下記冒頭にご留意ください。此の迂闊、小生のみでせうか(苦笑)。塾頭、どうせうも無い未熟者で、洵に相濟みませぬ。
  ↓↓↓↓↓
【ニコニコ動畫=肉聲】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9239223



 何方か、泉水隆一監督、即ち福井金城翁の「生年月日」を知られませんか。最近は、「行年」と申しても、歐米の精神的侵略に遭うて、滿年齡を云ふ髮長も繁殖してをりますもので‥‥。何卒、御示教ください。名越二荒之助翁は、「自分(名越翁)より三つぐらゐ、年上かと思つてゐましたよ」と、以前、金城翁に言はれたことがある由。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/1070

【金城翁遺影・講演中における車椅子の塾頭の白髭姿】
  ↓↓↓↓↓
http://hanausagi.iza.ne.jp/blog/entry/1714862/
 
 

玉稿を書物で讀みたい

 投稿者:那須の権太  投稿日:2011年 5月 1日(日)20時12分51秒
返信・引用
  備中處士樣
わたくしは塾頭の血を吐くやうな熱聲を書物で讀みたい。
寶としたい。神棚に捧げたい。
ああ・・、涙流れます・・。
 

宇内に擴散せよ、『凛として愛』。

 投稿者:備中處士  投稿日:2011年 4月30日(土)19時15分19秒
返信・引用 編集済
  那須の権太樣

 御氣遣ひ、難有う存じます。數名の御方から、御骨折り戴いてをりますが、最近の出版不況に重ねて、此の大震災、洵に難澁してをる次第です。ま、じつくりと腰を据ゑて、出版社を探さうと思つてをります。

 本を讀みやすくする爲めに、句讀點を少なくし、又た假名を漢字にしたりと、小閑を得ては、獨り勵んでをります。自分の文章では無いので、中々骨が折れますね。頑張ります。

 何處ぞから訴へられて、萬事休すとならぬやうにするには、如何した事か。しかし保守への批判が無ければ、塾頭の本意は達せられませぬ。松平永芳宮司の「保守の敵は保守」の實踐篇、此の出版を引受けて下さる會社は、義侠心が無ければ叶ひますまい。あちこち、御付合ひの方々に、當りますからね‥‥。

 最後の手段は、自費出版(一册の原價、漱石先生は必要ないでせう)。那須さま、完成の曉には、「郵便局留め」の御流儀の由、御教示賜はれば、送付させて戴きますよ(微笑)。


**********


 「宮城野の月」樣から、貴重な情報を戴きましたので、ご披露申し上げます。


 メインPCの調子が悪いために、こちらから失礼いたします。英語版が載っていましたので、私も拡散中です。

「この国は少し変だ!よーめんのブログ」様
http://youmenipip.exblog.jp/
に載っていました。

花うさぎの「世界は腹黒い」様
http://hanausagi.iza.ne.jp/blog/
でもここから転載していました。



凛として愛(英字幕版、予告編)
http://www.youtube.com/watch?v=rrvvyguPimA

凛として愛(英字幕版 1/7)
http://www.youtube.com/watch?v=xHXw-3E4UT0&feature=related

凛として愛(英字幕版 2/7)
http://www.youtube.com/watch?v=a1UNWDo5TCA&feature=related

凛として愛(英字幕版 3/7)
http://www.youtube.com/watch?v=us8gG6BmdVs&feature=related

凛として愛(英字幕版 4/7)
http://www.youtube.com/watch?v=KGwjFfD4Uqo&feature=related

凛として愛(英字幕版 5/7)
http://www.youtube.com/watch?v=srY4aot8GIY

凛として愛(英字幕版 6/7)
http://www.youtube.com/watch?v=q3U1uEU_MpM

凛として愛(英字幕版 7/7)
http://www.youtube.com/watch?v=AIPFU9x6L3U&feature=related
 
 

お役にたてず・・・

 投稿者:那須の権太  投稿日:2011年 4月30日(土)11時27分35秒
返信・引用
  備中處士樣
お役にたてず申し譯ありません。
佳き出版社が見つかりますやうお祈りさせていたゞいてをります。
 

泉水隆一監督遺文『靖国神社の真実』出版の梗概。

 投稿者:備中處士  投稿日:2011年 4月28日(木)00時09分58秒
返信・引用 編集済
   現在、我が塾頭の言靈を、滿天下に知らしむべく、不肖小生、おほけなくも其の出版を企劃準備してをります。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t36/



○書名

靖國神社正統尊崇奉賛準備会叢書第一輯

┌──────────────────────────────┐
│ 「九段塾」塾頭・一兵士翁 ―― 泉水隆一監督遺文
│ 靖国神社の真実――靖國神社正統護持のために――
└──────────────────────────────┘


○一頁・大ぶりな太字

―― 靖國神社は、軍人が軍人を祀り、
        軍人が奉慰顕彰する神社なり ――

 我が「九段塾」塾頭・一兵士翁は、
是れ、詩吟大和流宗家第二代・金城福井忠翁にして、
映画『凛として愛』の監督・泉水隆一翁、即ち其の人なり矣。
 塾頭は、平成二十二年庚寅七月十六日、帰幽。享年六十九。
謹みて此の書を、塾頭に捧げ、ご照覧を乞ひ奉る。


○二頁(一頁の裏)

 本書は、
一兵士翁が、戦後の人々に、或は静かに滾々と、或は荒び迸り、
或は教化しようとして、誰も聞くことのなかつた、
「靖国神社の真実」の記録、
そして、
「靖国神社の正統を、次代者はどう受け継ぐべきか」の覚悟を問ひ、
皇猷神算を翼賛し奉らむと欲するものであります。
ご閲覧の御方には、翁の血涙の雄叫びを、どうか、お聴き取り下さい。
               九段塾管理者・備中處士、謹みて白す。


   目 次

一、九段塾塾頭・福井金城翁事歴抄‥‥‥‥‥‥‥‥‥   三
二、一兵士翁、掲示板に登壇‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥  二一
三、靖国神社の正統を次代者はどう受け継ぐべきか‥‥  六五
四、参考文献‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 四○三
五、跋‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 四○四


○三頁~

 本文(目次の一、以下)‥‥


【上梓覺書】
一、塾頭のみの玉稿、凡そ五十萬餘字。
一、A五版。本文(目次の二・三)は、縱書き二段を一頁とする。凡そ四百六頁。
一、原則として、いはゆる常用漢字・通俗假名遣ひ。
 但し固有名詞「靖国神社」は、塾頭にあつては、正統字「靖國神社」に統一。
 塾頭には、殊に拘つてをられましたが故ゑに‥‥。何と、現在のteacup、「靖」字が表示できるではないか。開板當時、「靖國神社」は「國神社」と、字が飛んで表示すること叶はなかつたのに‥‥。やるではないか、teacup。
一、原稿は、ワードに入力し畢ぬ。後は印刷・製本のみ。
一、本年中の出版を目指したい。或は自費出版となるも、出版コードある書店からの一般流通を目標とす。
 塾頭は、其の志操を天下に恢弘したき念願を御持ちでありました。不肖、其の志を伸べようと熱祷してをります。
 大きな本屋に、一册くらゐは置いてもらひたく、其の部數を檢討中。自費出版して、自己滿足には終らせたくない。
一、簡易製本にして、販賣は廉價としたい。純然たる自費出版なら、頒布無代。
一、現在、句讀點等、文章を整へさせて戴いてをります。鋭意、校正中。
一、出版社は、未定。
一、自費出版か否かの結論は、塾頭ご命日の七月十六日頃に出したい。
 
 

ありがとうございました

 投稿者:実存主義者  投稿日:2011年 4月22日(金)17時56分57秒
返信・引用
  備中處士様

転載の件、快くご承諾頂き誠にありがとうございました。

「南京の真実」と「凛として愛」とを比べることほど不適切なことはないでしょうが、所詮二番煎じは二番煎じで、「南京の真実」の文学的描写は、「凛として愛」からのパクリでしょう。

しかしその模倣がグロテスクな表現となるのは、監督の資質の違いでしょうね。

塾頭、すなわち泉水監督には太陽のような明るさがありました。しかしあの水島のネチネチした陰湿さには嘔吐感すら覚えます。

ところ構わず説教をたれる井上とかいう馬鹿には「鏡に向かってそれを言えよ」と言ってやりたい。しかしまあ、「馬鹿につける薬はない」と昔から言いますから、不治の病に冒された可哀想な面々、ということで哀れんでやりましょう。

転記を快諾してくださった河原様にもよろしくお伝え下さい。

 

山河死守、再び。

 投稿者:備中處士  投稿日:2011年 4月21日(木)18時32分26秒
返信・引用 編集済
  実存主義者樣

 これは、ゝゝゝ。ご無沙汰してをります。

 野村秋介烈士の檄文は、ネツトからの無斷拾得です。實は烈士の本から引用しようとしたのですが、直ぐには見つからなくて‥‥。歳の所爲か、其の在り處を失念、今の度びは、易きに就いてしまひました(反省)。

 經團連の襲撃については、土光敏夫老の曰く、「儂も右翼なのに、何故ゑ右翼が、右翼を襲ふか」と。土光老は、それはゝゝゝ清貧に徹し、企業人としても立派な御方でしたが、此の老人にして、此の言ある。些か意氣消沈‥‥(ガクツ)。世代の差異か、或は民族として、土民としての志操は無かつたか、と。況してや、現代の企業經營者たる、其の顔を見ても、‥‥判りますよね。誰か東電のトツプを、彼のクレーンに埀らして、人柱にせよと云つた人がゐましたが、‥‥。笑つちやいました。

 河原博史氏からは、轉記の快諾を得ました。なほ小生の私見は、いはゆる著作權なぞと申す舶來のものは、固よりございません(笑)。煮るなり燒くなり、ご隨意に。
【同血社主人の一艸獨語】
  ↓↓↓↓↓
http://sousiu.exblog.jp/

 塾頭遺文『泉水隆一監督が語る靖國神社の真実』(塾頭の文のみ)の出版を、小生、無謀にも企でてをるのですが、塾頭は、餘りにも直截に語りかけていらつしやるので、名譽棄損・威力業務妨害に抵觸しないやうに配慮もしなければならず、やはりプロの手が要るのかなあ。自費出版しても、自己滿足に終はつては、塾頭に申し訣なし。大きな本屋の棚に、一册ぐらゐ置いて戴かねば‥‥。丁度、好き所に、実存樣のお聲。ご意見があれば、お聞かせ下さい。

 塾頭は、本道におやさしい御方でした‥‥。塾頭の擬態も、小生のダブルネームの投稿(さうゝゝ、実存樣宛てでしたね。失禮)から始まりました。反省、しきりです。然し面白くもありました。櫻の掲示板の管理人、惡質なあれは、三十臺の男、井上敏治とかいふ取締役(南京映畫の制作進行・プロジユーサー)みたいですよ。相手にしたら、此の方が穢れるワ。あほらし‥‥。今では、水島氏と井上氏のみとか。○○○○さんも、社員にしてもらへば好いのにねえ。此の兩氏の警告に因つて、一兵士翁は退去せざるを得ませんでした。さうです、翁は、其の與黨たる我々の身の上の事を慮つて‥‥。而して諫言される老翁に對して、何と言ひ放つたか‥‥。此奴等は、「日本が足らない」どころか、「日本は絶えて無い」。小生は、之を許すことが出來ぬ。

 それはさうと、泉水隆一監督逝去につき、水島総氏は、葬式ぐらゐ參つたのでせうね。知らぬ間柄では無からうに。權威に弱い、小心者なんだから。それから映畫は諦めたのでせうかね。何でも核燃料棒を自ら取上げに行くとか。やれゝゝ、人の金を集めて、自らは御國替へとは。これつて、何と云ふのか、立派な○○でせう。『凛として愛』を超える作品を熱望してをりますよ。何せ、我が塾頭に對して、「妄想老人の繰言」、「ど素人の分際で、自分で映画を作るなどと、言い出す始末」とまで面罵したのですら。「まあ、覚悟を決めて、ご自分の汗を流して、自分でやってみたらわかるだろう、私たちの一部分のことでも、本当にやってみたら、大変さが身に沁みて、いいお灸になるだろう」、あげくは「シナ人の考え方に近い」とも。水島氏、惡口を云はせたら、世界の一流品なのになあ。早く行きなさいよ、立入禁止になる前に。

 あ、塾頭遺文を拜記してゐたら、ついゝゝ、昔咄に‥‥。面目ない。これも歳の所爲。塾頭風に、失敬。


http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/415


 次を讀む度びに、小生は、涙が流れて仕方がないのであります。
  ↓↓↓↓↓
http://pearl.x0.com/pg_blog/diary.cgi?no=142
 
 

備中殿にお願い

 投稿者:実存主義者  投稿日:2011年 4月21日(木)14時02分53秒
返信・引用
  備中處士さん、こんにちは。

少々のご無沙汰でした。

御貴殿が一片の躊躇いもなく仰せになった、

*然るに環境問題は、長らく左翼の獨擅場と化して顧みられること、餘りに少なかつたと謂はねばならぬ。此の度びの原子力發電所の人災を承け、原發の安全神話は完全に崩壞した。即ち此の人災は、科學者の驕慢無能を曝け出して、我が「ふるさと消滅」、「山河死滅」の危機さへ惹起したのである。事は、節電・停電で濟む問題では無い。今後、其の對策は圖られるであらうが、如何に十全の國防對策が爲されようとも、將來、いざと云ふ秋にあつては、所詮、現場の「人」如何に據ること、火を睹るより炳かであり、國策の大轉換が迫られる。此の震災に遭遇して、人心は大きく變ると聞き、且つ之を祈る者であるが、山河死守の精神を以て、鋭意、事に當らねばならぬ*。

とのお言葉に「然り」と思い、私なりのコメントを書いてましたらどういう訳か途中で文が飛んでしまいました。科学主義という名の「似非宗教」を撲滅せよ、といった内容の文章だったのですが(トホホ)

備中殿にお願いがあるのですが、ご貴殿の卓見と合わせて、野村氏と河原氏の言の葉を私のBBSに転記させていただいてもよろしいでしょうか。
 

山河死守。

 投稿者:備中處士  投稿日:2011年 4月18日(月)19時11分13秒
返信・引用
  ●野村秋介烈士『經團連襲撃「檄」』(昭和五十二年三月三日)に曰く、「

 諸君ら(經團連)の營利至上主義が、どれほど今日の日本を毒し、日本の荒廢と混迷を促し、社會世相の頽廢を煽つてきたか、その罪状、看過すべからざるものがある。 ロツキード疑獄が投じた政治の混亂は、國民の政治不信を拔き差しならぬところまで追ひ込み、自由社會の根幹をすら搖るがすに至つてゐる。それだけではない。日本の文化と傳統を慈しみ、培つてきたわれわれの大地、うるはしき山河を、諸君らは、經濟至上主義をもつてズタズタに引き裂いてしまつた。環境破壞によつて人心を荒廢させ、「消費は美徳」の輕薄思想を蔓延させることによつて、日本的清明と正氣は、もはや救ひ難いところまで浸蝕されてゐる。自ら産んだ子供を、コイン・ロツカーに平然と遺棄する異常の社會を、君らは、君らが意圖したか否かは別として、現實として構築し續けてきた。營利主義の犠牲となつた薬品公害患者の苦惱を、君らは一度でも眞摯に顧みたことがあるのか。大昭和製紙等に見られる無責任きはまるヘドロ公害、または瀬戸内海を死の海へと追いたててゐる現實の大企業体質を、君らは、一度でも虚心に直視したことがあるのか。祖國民族あるを忘れ、大衆國民のあるを輕んずる、この天を恐れぬ諸君らの所業は、必ずや日本を、否、全人類をも亡ぼすこと、必至である」と。



 愚案、野村秋介氏は、夙に我が國の環境問題に取組み、「山河死守」を唱道してゐた。將に民族の觸覺としての、豫言者の一人でもあつた。然るに環境問題は、長らく左翼の獨擅場と化して顧みられること、餘りに少なかつたと謂はねばならぬ。此の度びの原子力發電所の人災を承け、原發の安全神話は完全に崩壞した。即ち此の人災は、科學者の驕慢無能を曝け出して、我が「ふるさと消滅」、「山河死滅」の危機さへ惹起したのである。事は、節電・停電で濟む問題では無い。今後、其の對策は圖られるであらうが、如何に十全の國防對策が爲されようとも、將來、いざと云ふ秋にあつては、所詮、現場の「人」如何に據ること、火を睹るより炳かであり、國策の大轉換が迫られる。此の震災に遭遇して、人心は大きく變ると聞き、且つ之を祈る者であるが、山河死守の精神を以て、鋭意、事に當らねばならぬ。我が九段塾にも玉稿を賜ふ、河原博史主の言靈を聽くがよい。



●河原博史氏『皇恩に沐浴し報恩に努めん』(不二歌道會『不二』平成二十三年四月號)に曰く、「

 我が皇土は、あまねく神神の産み給ひしものであることは云ふまでもない。勿論、一本の木、一本の草と雖も、總べて神の産み給うたものである。近年、都市を中心に緑化計劃が進められてゐるが、全體から觀察すれば、今猶ほ我が國は緑に包まれ、春は翠緑、秋は黄金に彩られ、春秋の變はるを氣付かぬ者はない。それでも緑化の聲逞しくあるを一顧するに、吾人の自然を崇拜するの心、依然高所に在るを公言して、いさゝかも憚らない。

 みよ、四季はうるはしく、その巡りは清々としてやまず、山紫水明、花鳥風月は、人をして吟詠たらしめぬものがない。山川これ玲瓏、雲表には、千秋雪を戴く富嶽あり。春の朝日に映ぜる櫻花あり、秋の紅雲に俯く稻穗あり。精粹の靈氣、宿らぬものは、一としてこれなく、まさに吾人は、神州の佳景の中に沐浴し、守護せられ、三千年を生きてゐるのである。

 苟くも我が國人は、文明の攝取・開發に驀進するあまり、自然を損壞する愚をいさゝかも省みぬ隣國と異なり、山河に對する冒涜に、良心の呵責を思はざる者はない。吾人は川を汚穢させ、山を破壞することを、少なからず恐れる。假令ひそれによつて莫大な利益を得る能はぬとしても、だ。遺憾ながら過去には公害問題も現出したが、吾人は猛省する良心を持つてゐる。公害を指彈する判斷も備へてゐる。他ならぬ、これは我らが本質である。神の宿りし禽獸蟲魚、草木土塊、有形無形を崇ぶ心の働きによるものだ。乃ちこれ啻に風光明媚を愛するのみならず、敬神に相ひ通ずる心と看做すべし」と。
 
 

「金城祭」の三箇月前に‥‥。

 投稿者:備中處士  投稿日:2011年 4月16日(土)00時24分21秒
返信・引用 編集済
   スレツド欄に、

『 「九段塾」塾頭・一兵士翁遺文抄 』

てふ、新スレツドを建てさせて戴いてをります。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t36/l50

 ご高覽たまはれば幸甚です。

追記。『塾頭遺文』、塾頭玉章のみの字數を計上するに、「日本文化チヤンネル櫻掲示版二篇」だけで、凡そ五十萬餘字であります。


 

千鳥ケ淵の墓守・美山要藏翁。

 投稿者:備中處士  投稿日:2011年 3月22日(火)01時07分5秒
返信・引用 編集済
   病中、閑ありで、人に勸められて『奇をてらはず』を讀んだ。これは、毎日新聞靖國取材班『靖國戰後祕史――○級戰○を合祀した男』平成十九年八月刊の姉妹編にて、松平永芳宮司を貶める爲めのもの、「一兵士とは、別の視點で、靖國神社内部暴露を行つた特異な出版物である」(塾頭)が、新しき知識は得られる。

 東條英機大將は、靖國神社存續の爲めに、指示を陸軍省大臣官房長・美山要藏大佐に與へた。まさに大將の「遺言」と謂ふべきである。美山翁の顯彰は好しとしても、然し「平泉門下」は、どうして斯くまで誤解され、歪曲されてしまふのであらうか、讀みて情けなくなる。血の涙‥‥。


●『東條英機大將打聞・昭和二十年八月二十七日』(伊藤智永氏『奇をてらはず――陸軍省高級副官・美山要藏の昭和』平成二十一年三月・講談社刊より)に曰く、「

 今後も、大勢を大觀してやつていかねばならぬ。まづ第一に、皇室の問題である。國民の怨嗟の的にならんやうにせよ。終戰について、段々處理が進むと、戰繼續よりも苦しい事も出て來るが、全責任は、補弼・補翼者が負ふべきである。然らざれば、皇室が消滅するまで行く事となる虞れがある。次に、軍の統制は、錦旗奉戴に在る。一絲亂れざる姿で、清い姿で以て、武裝解除に應ずべきである。次いで靖國神社の處置であるが、これは永久に存續する。ご親拜も、當然にある事と思ふ。未合祀の戰死・戰災者、戰爭終結時の自決者も、合祀すべきである。これを犬死としてはならぬ。人心安定、人心一和の上からも必要である。共産主義の瀰漫を、極力防止しなければならぬ。蘇聯に媚態を呈する不可、米英と與み蘇聯に對抗すべきである。自由主義は、共産主義よりも可なり、である。

 敗れたりと雖も、本戰爭が國際道義に立つた戰爭なりとの印象だけは、後世に殘さねばならぬ。滿洲國皇帝・總理の取扱ひに注意すべし。敵手に任すならば、小日本となるであらう。作戰的に將來の觀察をすれば、米國は、日本の靜謐を維持するであらう。その眞意は、米は將來、蘇聯と戰ふことになると考へてをり、内地及び南鮮は、米の航空基地となるであらう。

 次に戰爭責任者について述べる。元來、戰爭責任者は有つても、戰爭犯罪者は無い。而してそれは、陛下では 無い。彼が要求して來たら、應ずるべきである。小者が相手になるのは不可である。東條一人と云ふのならば、これは世界的にも明かで好し。竊盗・強盗は犯罪者であるが、戰爭責任者は犯罪者では無い。責任者は、此處に居つて、敵の出方を待つてゐる。極めて輕い氣持でゐる。自分は、皇徳を傷つけない。日本の重臣を、敵に賣らぬ。國威を損しない。故に敵の裁判は受けない。自分は、陛下に代はる爲め、榮爵を辭さない。大きな形で、國に代はるのである。最近、自殺者が多いが、復興に努力させるがよい。さう、説得せしむべきである」と。



【參考・『靖國神社合祀等に關する件』昭和二十年九月二十一日】
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t36/28


【塾頭『二十一。千鳥が淵戦没者墓苑から想うこと』】
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t36/22
 
 

國民精神作興に待つ。

 投稿者:備中處士  投稿日:2011年 3月20日(日)15時28分42秒
返信・引用 編集済
  天災地變は、人力を以て豫防し難く、只だ速かに事を盡して、民心を安定するの一途あるのみ。凡そ非常の秋に際しては、非常の果斷なかるべからず。若し夫れ平時の條規に膠柱して、活用することを悟らず、緩急、其の宜しきを失して前後を誤り、或は個人、若しくは一會社の利益保障の爲に、多衆災民の安固を脅すが如きあらば、人心動搖して、抵止する所を知らず。‥‥迅かに災民の救護に從事し、嚴に流言を禁遏して、民心を安定し、一般國民、亦た能く政府の施設を翼けて、奉公の誠悃を致し、以て興國の基を固むべし」と。

宜しく教育の淵源を祟びて、智徳の竝進を努め、綱紀を肅正し、風俗を匡勵し、浮華放縱を斥けて、質實剛健に趨き、輕佻詭激を矯めて、醇厚中正に歸し、人倫を明かにして親和を致し、公徳を守りて秩序を保ち、責任を重んじ節制を尚び、忠孝義勇の美を揚げ、博愛共存の誼みを篤くし、入りては恭儉勤敏、業に服し産を治め、出でては一己の利害に偏せずして、力を公益世務に竭し、以て國家の興隆と民族の安榮・社會の福祉とを圖るべし」と。

【皇都復興に關する詔書】
【國民精神作興に關する詔書】
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t13/6

【勅語・平成二十三年三月十六日】
  ↓↓↓↓↓
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/tohokujishin-h230316-mov.html#h01



 更めて詔書を拜し、擧國一致して、祖國復興を熱祷し奉る。我が祖母は、「教育敕語」・「戊申詔書」・「國民精神作興に關する詔書」を、今でも諳んじてゐた。小生、前二詔は暗記するも、とても祖母には敵はない。
 
 

宮城野の月、今日も仰ぐべきかな。

 投稿者:備中處士  投稿日:2011年 3月15日(火)23時24分34秒
返信・引用 編集済
  「自宅にて被災しましたが、お蔭様で、なんとか凌いでおりますので、ご休心なさってくださいませ。

 早く水が出て、ガスも通れば、シャワーを使うことができますが、一ケ月はかかるでしょう。水が出れば、洗いものができます。

 欲しがりません、復興するまでは、です。

 三日目の13日夕方に、電気がつきました。すぐ飛び出せるように、ず~っと、服を着たまま就寝しています。一日目は余震が強いので、車ですごしました。ガソリン節約で、サバイバル用のアルミシートにくるまりましたが、寒かったです。二日目は室内で、就寝? 余震もあり、何度も起きました。明日は水汲みと食料に並びますが、確保できるとは限りません。灯油は並んで、一缶だけゲットしました。

 ま、なんとかなるでしょう」と。


 何と、嬉しき御便り。無斷掲載させて戴きます。

 二十日の追伸――「十九日、建物の目視と打診による判断で、マンションは倒壊の恐れはないとのこと。二十日、初めて給水車が来ましたので、バケツに2杯いただきました。高架水槽の破損は、復興の後になるみたいで、長引きそうです。仕方ありません。待つしかありませんが、灯油やガソリンを確保できないのが、ちょっとつらいところです。余震といえないくらい、強い揺れが続きます」と。


 然し、やはり‥‥と申すべきか、反吐が出る話を聞いた。マスコミは、決して傳へない。阪神大震災の折も、亦た然り。いづこも、同じかな。異人に褒められても、少しも嬉しくない。數の問題? でも、稱贊記事を讀めば、涙が出て參ります。これつて、歳の所爲?
  ↓↓↓↓↓
http://sousiu.exblog.jp/15665668/
 
 

天を仰ぎ、地に俯す。

 投稿者:備中處士  投稿日:2011年 3月12日(土)23時18分53秒
返信・引用 編集済
  那須の権太樣
皆 樣

 大變でございました。那須樣も、もしやと心配してをりましたが、御無事の由、何よりでございました。

 今の度びの震災、地獄繪圖を見、神變國替への方々の、發表報道の數字に虚しさを感じてをりましたが、日を逐ふごとに、言語に絶するものになりませう。言葉を失ひ、心が痛みます。謹みて御冥福を懇祷申し上げます。

 被災された皆樣には、彌益に深謀遠慮、又た御疲れが出ませぬやう、ご自愛ご勇健、幾重にも御願ひ申し上げます。互助共存、郷土復興を、何としても成し遂げなければなりませぬ。

 天神地祇の冥護加助あらむことを、只管ら乞ひ祈み白すと云爾。

     備中處士 熱祷謹拜
 
 

大地震

 投稿者:那須の権太  投稿日:2011年 3月12日(土)22時38分1秒
返信・引用
  《現況報告》
本日12日午後、電氣がやうやく復舊しました。
家の石塀が崩れました。
なんとか大丈夫です。
頻繁に緊急地震速報が來ます。
當初は、震度6強でした。生きた心地がしませんでした。
12日22:30現在、まだ餘震がつゞいています。

御報告まで。
 

宮城野の月樣。

 投稿者:備中處士  投稿日:2011年 3月12日(土)01時26分0秒
返信・引用
  宮城野の月樣

 私信を御許し下さい。

 貴方樣は、雅號から拜しますに、或は、陸奧は仙臺に所縁の御方ではないのでせうか。然らば此の震災に遭遇してをられるのでは無いでせうか。心配してをります。

 ご無事ご息災を、只管ら懇祈申し上げます。

     備中處士 謹拜
 
 

神變神怒、謹愼を要す。

 投稿者:備中處士  投稿日:2011年 3月11日(金)19時09分49秒
返信・引用 編集済
   三陸・常陸沖大震災、被災されました方々には、謹みて御見舞ひ申し上げます。

 靖國神社月次祭の日に、軍人會館、即ち九段會館の天井崩落とは、何かの御埀示かと恐察いたします。

 神變神怒、國民の謹愼を要します。畏み畏みも白す。
 
 

尊父・福井銀城翁。

 投稿者:備中處士  投稿日:2011年 2月19日(土)16時47分56秒
返信・引用 編集済
  ●本宮三香翁『九段櫻』

至誠、烈烈、乾坤を貫き、
忠勇、譽れ高し、靖國の門。
花、九壇に滿ちて、春、海の若し、
香雲、深き處、英魂を祭る。



 我が塾頭の尊父、福井銀城翁が編著『愛國詩吟集』を落掌したので、ご紹介したい。

 平泉澄先生は、詩歌の朗讀を好み、詩吟の調子を好まず、と仄聞してゐるが、先生講義の席の最後は、宋人・疊山謝枋得『初めて建寧に到りて賦する詩』を、塾生一同、吟ずるを常としてをり、現在も變り無からう。詩吟朗詠と云へば、『吟道詩歌集』(昭和五十年・大東塾刊。平成九年四月増補改訂版)あり、『益良雄の歌』(日本學協會刊)と共に、吾が座右の書でもある。



■大和流詩吟宗家・福井銀城翁編『愛國詩吟集』(昭和十三年六月・大和詩吟普及會刊。十七年九月改版)

○大和詩吟會詩

義名分は、不滅の言なり、
同、常唱、乾坤に遍し。
歌正調は、神慮に基づく、
皇風を詠して、聖恩に應へん。


○大和詩吟普及會顧問・本宮三香翁「改版の序」(明治十一年~昭和二十九年。∴柴野栗山先生――柴野碧海――藤森天山――依田學海――三香)

 凡そ宇宙の間、其の最も人を感動せしむる熱と力と響きとを持つものは、詩吟である。朗吟の崇高なること、彼の卑俗なる歌謠の淫聲に比すべきでない。自ら元氣を振起し、品格を向上する是等、寔に興國の音と云ふべきである。

 友人・福井銀城君は、東都に大和詩吟普及會を創設し、詩吟に就ては、所謂る熱と力と響きの三拍子を揃へたる、斯界の權威にして、特に青少年學徒の徳性を陶冶し、雄渾なる氣魄を涵養せしむべく、東吟西誦、維れ日も足らず、内地に、滿鮮に、君が熱吟力行により、斯界に貢獻する反響は、天下に谺してゐる。

 余は漢詩作家として、時局の新題を賦咏し、專ら君が朗吟の資に供し、聊か詩人忠厚の誠を輸すものであるが、世の愛吟家諸君は、須らく詩中の意味を咀嚼し、敢て音調節奏の巧を衒はず、拙を愧ぢず、以て朗吟興趣の三昧境に逍遙して、詩吟、即ち禪定の大修養を積まれんことを切望す。


○大和詩吟塾主・福井銀城翁「緒言」

 明治維新の鴻業と共に興つた詩吟の好尚は、其の後、歐化主義の風靡に依つて、漸く衰退の路を辿るものゝ如く見えたが、併し日本に起り、日本に發達した漢詩朗吟の流風は、世情一朝の變化に依つて頓挫するものでなく、滿洲事變後、日本精神の高潮すると同時に、俄然再興の機運を盛り返して、今や全國各地方、都鄙の別なく、龍吟虎嘯を耳にせざるなきに至つたのである。俗を移し風を改むる上に於て、特に時節柄、此の事を心から慶ぶものである。

 秋! 大東亞戰爭決戰下に於て、須らく皇國の臣民たるもの、克く浮華放縱を退け、巷間に□[口+皆]々たる亡國的卑調を排撃すると共に、雄渾悲壯なる諸賢烈士の雄篇大作を朗吟し、天地正大、質實剛健の氣風を涵養し、大義名分を暸かにし、大いに日本精神を宣揚し、以て金甌無缺の社稷を擁護し、聖戰完遂の決意こそ、我等の使命である。


○口誦

 吟詠は、邪穢を蕩滌し、飽滿を斟酌し、血脈を動蕩し、精神を流通し、その中和の徳を養ふて、其の氣質の偏を救ふものなり。

 吟詠は、氣を養ふの道なり。人の生や、氣なり。氣、竭くれば死す。氣は、以て養はざるべからず。

 皇風、六合に洽し、一聲、士氣高し。吟じ終りて、清風起る、一吟、天地の心。


*****


竹屋光晶樣

 小生は、高松宮殿下の御逸事を拜し奉りて、慰靈のこゝろ、塾頭の遺骨收集の深意、勤皇護國の眞髓を、より深く知ることが出來るやうになりました。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/838



【淺野晃翁『天と海――英靈に捧げる七十二章』】
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http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t18/8
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t18/9
 
 

「九段塾」塾頭・一兵士翁遺文抄

 投稿者:竹屋光晶  投稿日:2011年 2月19日(土)02時36分7秒
返信・引用 編集済
  「九段塾」塾頭・一兵士翁遺文抄」

くりかへし拝読させていただいております。目下の国難もただ不逞の輩のなせるものではなく、大樹の幹が空洞化するがごとく、「正統」が自壊したからこそ出現したものでしょう。


「護国の鬼は、地中深くに立ったまま、文字通り、「鬼として未来永劫、無限の果てまで祖国日本を」護り続けているのです」とのお言葉は、衝撃であるとともに直ちに合点のいくものでありました。

竹屋がまだ「少年」であったころは大東亜戦争から戻られた方々が各方面の第一線で健在でした。戦争には負けたが我が国は勇敢に戦ったんだ、一旦は負けたが今は反撃戦だ、それが当時の雰囲気でした。敗戦のトラウマからこの国が立ち直らんとする、そういう時代でした。少年達は、いかに日本軍が勇敢に戦ったかを語り合ったものです。

世の中の雰囲気がおかしくなってきたのは、出征されていた方々が引退されはじめた昭和50年代半ば以降のように思います。サヨクは「戦争を美化する」などと言って批判しますが、日本人が「平和を美化する」口車に騙されるようになったのがその実態と言えましょう。「平和を美化する」とは、誰しも反対できない命題を唱える事により思考停止に至らせ、その実、国家の基盤を浸食融解させることです。
 

九段塾塾頭・一兵士翁のむすび。

 投稿者:備中處士  投稿日:2011年 2月16日(水)19時12分46秒
返信・引用 編集済
   「九段塾」に於ける、塾頭・一兵士翁の鬪病日誌を拔出しました。道兄諸賢のご清覽に供します。

 塾頭、庶幾くば、爾後彌益の靈導を乞ひ奉る。再掲を御許し下さい。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/569



平成二十一年九月十一日・十二日/塾頭『むすびに至る日々』他――九段塾最後の玉稿
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/572
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/573
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/577

九月十九日/塾頭、九月十六日、胸部急性心筋梗塞にて倒る。
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/587

十月一日/塾頭『九月二十九日の訓話』――頚椎損傷にて倒る。
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/603

十月七日/塾頭『左手人差指一本の玉翰』
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/608

十月十八日/塾頭『左手人差指爪の玉翰』
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/629

十月二十五日/塾頭『短信』
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/635

十一月三日/塾頭『新天地』
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十一月十八日/塾頭『七難八苦』
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/654

十二月二日/塾頭『日本人とは誰のことを言ふか』――承詔必謹
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/668

‥‥十二月七日・「静」樣『凛として愛――上映會の告知』
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/673

十二月二十一日/塾頭『尊王勤皇の風を吹かせよ』
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/689

平成二十二年一月十一日/塾頭『最後の斷章』――病名・間質性肺炎
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/710

六月十四日/塾頭『三月六日の打聞・首一丁』――最後の言靈
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/896

七月十六日、塾頭、遂に歸幽。



●神屋二郎翁の哥――映畫『凛として愛』

英靈の 憑りしがごとき 氣迫もて み國を覆ふ むらくもを斷つ



 愚案、塾頭の歸幽は、「神變」なり。悲しみを乘り越えて、勇健、是れ惟だ前進あるのみ。「九段塾」の在る所、塾頭・一兵士翁、常に坐しませり矣。

 塾頭、落ち着かれましたら、天翔けり國翔けり坐して、神界の實相、殊に「靖國神界」のご樣子など、御教示たまはらむことを。お待ち申し上げてをります。
 
 

援軍、何れの時か來る。

 投稿者:備中處士  投稿日:2011年 2月15日(火)20時57分48秒
返信・引用 編集済
  ――

靖國神社に祀られる二百四十六萬六千餘柱の英靈は、未だ侵略戰爭の汚名を着せられたまゝでゐる。

かつて南方の島々で戰つた日本軍に、援軍は來なかつた。

ならば、今から援軍を送る。

日本を變へる援軍を送る。

あなた方の眞實を、痛みを、私達は傳へて行きます。


――



「現在の靖國神社執行部である、湯澤宮司・三井權宮司・山口總務部長の三人を信じてはをりません。又、神社に上映中止を迫つたと言はれる阿南總代(阿南大將の遺兒)・小田村四郎總代(柘植大學總長)、他に小堀桂一郎氏などの一連の著名な學者・研究者も、私は信じてゐません。彼らが、今後、英靈に對して、どのやうな崇敬の言葉を吐いたとしても、私はそれを腹で嘲笑し、輕蔑します。全て僞善者であると、私は斷定するからです」と。



援軍を 送ると聞くに 十年すぎ 未だ來らず 髮逆立つを

援軍の 來たるを待つに 横槍を 入れたる奴は たぶれ誰が奴



 柳條溝事件に端を發した滿州事變は、昭和六年九月二十一日の「閣議決定」に曰く、

九月十八日夜、支那兵の滿鐵爆破に因り生起したる今囘の事件は、之を事變と看做す」と。

 泉水監督は、先づ東京裁判史觀の根源にある滿州事變の研究を始め、柳條溝の現場へも出向き、「やはり關東軍は、やつて無い」との結論を下す。而して『凛として愛』は、「天皇陛下認證の閣議決定」に據つて、正統に之を承繼してゐる。然るに現在、靖國神社に上映されてゐる、改竄版『私たちは忘れない!――感謝と祈りと誇りを』(ナレーシヨンは濱畑賢吉・上村香子夫妻)には、「關東軍の一部の將校がやつた」と、明確に訴へてゐる由(確認しようとするも、ユーチユーブから削除されてゐる)。名指しされたに等しい、其の一部の將校とは、勿論、靖國神社の祭神である。にもにもかゝはらず、英靈を顯彰するはずの『私たちは忘れない!』では、之を貶めて憚らないのである。

【一兵士翁『靖國神社の正統を次代者はどう受け繼ぐべきか』二十~二十一頁】
  ↓↓↓↓↓
http://nf.ch-sakura.jp/modules/newbb/viewtopic.php?topic_id=1164&forum=1&viewmode=flat&order=ASC&start=190

 『凛として愛』と『私たちは忘れない!』、他に相違點は何か。否、何處を改竄してゐるのか。

 而して更に指摘を受けた。靖國神社社報『靖國』平成二十三年二月號の、佐々淳行「靖國神社と私」。急ぎ見て、驚いた。拔け目のない此の保守家は、さらりと東條英機首相を貶め、中曾根「訪問」に喝采し、靖國神社をして「國の慰靈施設」(神社は、「施設」ださうだ)たらしめむと圖る。現在の靖國神社首腦部は、社報の編集は放棄したのか、それとも同じ穴の何とかか‥‥、昭和殉難者「遷座」の爲めの準備は整ひつゝある、と見た‥‥。闇は深く、且つ長い。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/770

 監視せよ、靖國神社に集まる似非保守共の策謀は、着々と進行中である。


*****


 今の度びの大變以來、多くの御方の援軍を得、涙あふるゝるを如何とかせむ。

 今、又た、相州大庭の四阿主人の來援を知つた。塾頭、ご照覽くださつてをられますか。
  ↓↓↓↓↓
http://sousiu.exblog.jp/15510825/
 
 

皇猷翼贊。

 投稿者:備中處士  投稿日:2011年 2月14日(月)19時24分9秒
返信・引用 編集済
   映畫『凛として愛』は、靖國神社に於いて放逐されたが、「日本青年社」・東條由布子刀自・「愛國女性のつどひ・花時計」のご努力により、今や、何人も制止する能はざる勢ひを以て、本來の靖國神社が、此の映畫制作の目的とせる通りに、遊就館改修の目的とせる通りに、俗流保守の思惑を遙かに超えて、國中に擴散しつゝある。洵に皇國の幸福と謂はねばならぬ。蓋し靖國護國の英靈、必ずや嘉納し給ふ所であらう。小生が兄事する御方は、次の如き言靈を寄せて下さつた。知らず、涙、頬を下れり。曰く、


泉水隆一監督は、此の映畫を創作せしものに非ず。正に『英靈の言の葉』を、脚本に寫し取られしものにして、美しくも力強い詩吟の調べに乘せて、朗々と歌ひ上げしもの、即ち『凛として愛』なりと思考する。

 此の映畫は、一篇の詩、民族慟哭の敍事詩なり。監督の意圖する所、靖國神社の、遊就館の入館者増加を乞ひ願ふなどの小事に非ずして、究極する所、皇室の翼贊に外ならざるものと恐察す。

 此の映畫は、今日の皇室に、奉贊の誠を捧げるものなり。その爲めにこそ作られし映畫にして、靖國神社が、如何あるべきか、如何に護持するか、の次元を超えた、神武創業の正史を、正當に理解する爲めの映畫なりき
」と。


 諸彦諸姫よ、願はくば、『凛として愛』の感想を述べ語られむことを。而して之を更に擴散喧傳して、皇猷翼贊に資されむことを、只管ら乞ひ奉ると云爾。
  ↓↓↓↓↓
http://www.hanadokei2010.com/rintositeai/index.php
 
 

壁立萬仭、攀ぢ難し。

 投稿者:備中處士  投稿日:2011年 2月14日(月)00時36分42秒
返信・引用
  実存主義者樣

 おゝ、手嚴しい。小生も、貴兄には負けます‥‥(笑)。然し當然の論、有り難うございました。
  ↓↓↓↓↓
http://6131.teacup.com/dartford/bbs/3048
 
 

是非お声を

 投稿者:実存主義者  投稿日:2011年 2月14日(月)00時22分12秒
返信・引用
  「南京の真実」がたかだか一握りの現代人による理性で人工的に作られたものとするなら、「凛として愛」は、過去における無数の死者たちとその死者たちの思いを引き継いだ泉水監督=塾頭との「共有された感情」によって有機的に醸成されたものであった、と言っていいでしょうね。死者と生者とのコラボレーション、それが映画「凛として愛」でしょう。チャンネル桜という左翼団体が人為的に作った映画に負けるわけがありません。

備中處士さん

>墓參のご提案がありましたが、やはり靖國神社へ御報告・遺志繼承の誓ひに參りたいと、獨り小生は考へてをりました。七月中旬は、靖國神社みたま祭りの日なれば、それ以前の五六月頃が宜しかるべく、ご一緒して戴ける御方がをられるやうでしたら、其の節は、御聲がけ申し上げたいと存じます。

私は塾頭のユーモアと優しさ溢れる人間性が好きでした。軍歴詐称ばかりを論う者が居ましたがそれが真か偽かなどといった実証主義的なものは二義的な問題であって、重要なのは直感的に好きか嫌いか、ということでしょう。

靖国神社への「遺志継承の誓い」。何ら異存はありません。その際は是非私にもお声をおかけ下さい。

それにしましても、故泉水隆一監督のご遺影ですが、塾頭一兵士さんのイメージと余りにもピッタリです。

http://hanausagi.iza.ne.jp/blog/entry/1714862/
 

泉水隆一翁『凛として愛』。

 投稿者:備中處士  投稿日:2011年 2月14日(月)00時18分24秒
返信・引用 編集済
   泉水隆一翁『凛として愛』に關して、ネツト情報、竝びに或る御方から貴重な教示を受けましたので、ご紹介いたします。



平成十二年七月二十三日、金城福井忠(泉水隆一)翁、靖國神社へ、初めて映画製作の趣意書を持參す。

平成十四年七月十三・十四日、靖國神社、『凛として愛』を上映。
七月十五日、靖國神社首腦部、『凛として愛』をして中止せしむ。

平成二十一年十二月二十七日。九段會館にて、『凛として愛』を上映。

平成二十二年七月十六日、歸幽。
七月二十三日、杉竝區なるコムウエルホール高圓寺に於いて告別式。



 或る人の曰く、「泉水監督は、平成二十二年七月十五日、『凛として愛』受難の日を確認して、翌十六日の午前○時三分、静かに逝かれたのです。ご葬儀は、七月二十三日。その日付の符合には、驚き戦いた次第です」と。



 愚案、寔に數靈の神祕と謂ふべく、此の七月の十五日と二十三日とは、此の九段塾にとつても、重要なる日として記憶されるでありませう。



 亦た塾頭は、「‥‥『詩吟大和流』をおこし、かつて山崎保代大佐にも稽古なされたという、父上・福井銀城師の下で朗詠を学び、宗家を継承し、金城と号された監督の声は、大和心の正統を発するお声にほかならなかったのです。思えば、「城」を号とされた泉水監督は、その後、道場を閉ざされましたが、映画製作・脚本の世界で、城たる所以を発揮されました。その監督が自らの肉声で製作されたが、映画『凛として愛』だったのです。「プロのナレーターをつかわずに、自分で吹き込んだのは製作費を浮かせたいからだ」と、愚か者が言いました。しかし監督は、いくら声のサンプルを聞いても、納得がいかない、『自分の志操は、自分で語るしかない』というのが結論でした。思えば、泉水監督の公然たる戦いは、一昨年の十二月二十七日、九段会館での『凛として愛』の上映だったのではないでしょうか。ここで、肉声を以て、かの映画製作と上映中止の真相を語られました。

 もっとも、泉水監督は、この映画製作を以て、御自身のお仕事が完成したとは思われておらず、皇国の復興、尊皇精神の恢弘を目指しておられました。正統なる右翼集団の形成をめざしておられました。世論に便乗した靖國神社崇敬奉賛会などではなく、かりにネット上であっても、「正統靖國神社崇敬奉賛会」の形成をもくろみ、それが将来の神社運営に多大の影響を及ぼし、さらには皇室の彌栄を翼賛しまつるものと信じておられました。それが徐々に実現し、映画上映を計画する人々も現れたことに、大いに喜びを語っておられました。一兵士翁は、いまも健在であられましょう。御投稿はかなわなくても、お声は万人が聞いておられる。‥‥」と。



詩吟大和流宗家第二代・金城福井忠翁、
泉水隆一監督、即ち、
我が塾頭・一兵士翁の御聲・語りは、『凛として愛』の外、次でも拜聽できます。
  ↓↓↓↓↓
■ユーチユーブ――英靈にこたへる會制作『君にめぐりあひたい』――監督・ナレーシヨン=金城福井忠翁・平成十二年・五十三分――

一、
https://il.youtube.com/watch?v=bWrCYiJqcpg&feature=related

二、
https://il.youtube.com/watch?v=1hhpvctVJ0I&feature=related


■ニコニコ動畫――日本女性の會「そよ風」イベント『凛として愛――泉水隆一監督は、かく語りき』――肉聲=泉水隆一翁・平成二十一年十二月二十七日・於九段會館――
  ↓↓↓↓↓
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9239223


*****


竹屋光晶樣

 御叱責、難有く拜受いたしました。九拜
 
 

塾頭!

 投稿者:那須の権太  投稿日:2011年 2月13日(日)23時00分0秒
返信・引用
  矢張り、矢張り・・。
塾頭!あの映畫は凄いですよ。餘計なことはまるで云はない。
單刀直入だ。それが胸を打つ。全日本人に觀ていたゞきたい。
慟哭の叫びだ。靜謐なる靖國神社を・・。英靈の思ひを・・。
 

うろたえるな、さうおほせられるであろう

 投稿者:竹屋光晶  投稿日:2011年 2月12日(土)23時45分15秒
返信・引用
  備中處士 様

「九段塾」の大看板は重たうして、七月になりましたら、「九段塾・繼承篇」とでも改めたき所存、と。

なんとおほせられるか。重き看板を背負う者なくして、この国の行く末があるやいかん。

靖國神社へ御報告・遺志繼承の誓ひもよろしかろう。しかし、尊皇・勤皇は当然のこととして受け継いできたこと。これまで通りでよろしかろうと、さう思ひます。
 

嗚呼、哀しいかな哉。

 投稿者:備中處士  投稿日:2011年 2月12日(土)20時38分29秒
返信・引用 編集済
  ご閲覽の皆樣 硯北

 今の度びは大變出來、覺悟はしてはをりましたものゝ、九段塾管理の任に在る者としては、こゝに謹みて、塾頭一兵士翁、即ち泉水隆一監督なり矣、と申し上げねばならぬやうであります。

 一読者樣の投稿に據つて、彼の泉水監督の文の調べ・言ひ廻しは、我が塾頭ならではのものにして、一兵士翁に非ざれば、果たして誰ぞや、と。暫し呆然‥‥。所用に紛れつゝも、獨り悲しみに堪へ、然し如何としても之を轉載せずんばあるべからずと愚考するに至り、「招魂――泉水隆一監督」三篇を書かせて戴きました次第です。

 然し昨晩、泉水監督とメールの遣り取りをされてゐたてふ別の御方のメールによりますと‥‥、泉水隆一監督と塾頭一兵士翁とのメールアドレスが、遂に一致してしまひました‥‥。塾頭、逝いて凡そ二百十日、是れ、塾頭の御導きと恐察いたします。

 塾頭とは、掲示板以外にて、小生、實は四百通を超えるメール交換をさせて戴いてをりました。掲示板には書けないことも、それはゝゝゝ‥‥。たゞ小生も、塾頭の御素性・御齡ひらしきことは、敢へて聞かないやうにしてをりました。かつて櫻掲示板にて、殊更に此の問題を提起する輩が續出したもので‥‥。よつぽど、水島総はじめ、一兵士翁の追放を圖りたかつたんでせうね。自稱保守の掲示板は、もう、呆れ果てたと申さうか、席を同じうするを耻ぢます。

 また塾頭歸幽の節は、必ず連絡する手筈となつてゐる、と。或は小生、メール・書翰の到來を、迂闊にも見落としたかも知れませぬ。これも運命と受け止めてをります。塾頭は峻嶮にして優しく、且つ樂しき御方でございました。一兵士翁の、彼の御聲を聞きたかつた‥‥。涙も枯れ果てゝございます。彌益の靈格冥福の向上を、只管ら懇祷申し上げます。

 塾頭不在なれば、靖國神社の現状は知るべからず、「九段塾」の大看板は重たうして、七月になりましたら、「九段塾・繼承篇」とでも改めたき所存、引續いて、我が塾頭・一兵士翁、即ち泉水隆一監督の遺志、即ち尊皇・勤皇の御志を紹繼して參りたいと考へてをりました。

 墓參のご提案がありましたが、やはり靖國神社へ御報告・遺志繼承の誓ひに參りたいと、獨り小生は考へてをりました。七月中旬は、靖國神社みたま祭りの日なれば、それ以前の五六月頃が宜しかるべく、ご一緒して戴ける御方がをられるやうでしたら、其の節は、御聲がけ申し上げたいと存じます。

 九段塾塾頭・一兵士翁、何ぞ遽かに吾人を捐てゝ逝ける。嗚呼、哀しいかな哉。久しく歔欷して、實に堪ふる能はざる也。情を陳べ、以て祭る。魂魄、知ること有らば、庶幾はくば、饗け給へ。

 塾頭有縁の皆樣には、今後とも、何卒、御引き廻しの程、切に御願ひ申し上げます。恐懼九拜

     眞金吹く吉備の中つ國、黍房書屋にて、備中處士、謹みて白す。
 
 

(無題)

 投稿者:実存主義者  投稿日:2011年 2月12日(土)17時22分15秒
返信・引用
  備中處士さん、皆さん

間質性肺炎という病名といい、倒れた時期(一昨年9月)といい、何もかもが一致しています。

認め難いという皆さんのお気持ちはよく解かりますが、私は塾頭=泉水隆一監督であった、という確信に至りつつありますね。

ここには泉水監督のファンも来られているようですが、機会を作って皆で墓参しようではありませんか。
 

(無題)

 投稿者:  投稿日:2011年 2月12日(土)15時10分25秒
返信・引用
  管理人様

何か書けるような者でもないので、いつもROMさせて頂いております。
泉水隆一監督につきまして御息女と思しき方のブログがあります。
http://pearl.x0.com/pg_blog/diary.cgi?no=142

遅ればせながら泉水隆一監督のご冥福を謹んでお祈り申し上げます。
 

推論すべからず

 投稿者:竹屋光晶  投稿日:2011年 2月12日(土)07時13分21秒
返信・引用
  我々が考えるべきは、塾頭様から出された問いに対する答えを考えることである。「私は誰でしょう」と問われたことは一度たりとも無かった。むしろ、「私が誰であるかは問題ではない」と仰せられたのは、問題の本質をすり替えられないように細心の注意を払っておられたからであろう。
 

おや?また別の情報?

 投稿者:那須の権太  投稿日:2011年 2月12日(土)01時00分8秒
返信・引用
  早とちりかなあ・・。
別人であつて欲しいです。
そしたら目茶苦茶怒られるなあ・・。はは・・。
 

Re: 有り難き御便り拜戴。

 投稿者:那須の権太  投稿日:2011年 2月12日(土)00時49分25秒
返信・引用
  > No.1079[元記事へ]

嗚呼、なんとやはりさうですか。嗚呼・・・・。
「懍として愛」、凄い映畫だ。塾頭はかつて仰つた。「英靈が俺の背中を押してゐる」と・・。
さうだつたのだらう。それは慟哭の思ひだ。本當の日本を取り戻せと・・。神代へ歸れと・・。
 

或るご常連からの御手紙。

 投稿者:備中處士  投稿日:2011年 2月12日(土)00時45分18秒
返信・引用
  又た別の御方から、メールを戴きました。謹んで一部轉載させて戴きます。謹白


*****


‥‥

 掲示板は、毎日拝見しておりますが、浅学菲才の身にて、ROMでございます。

 一読者様の御投稿を拝見して、すぐ思いましたのは、年齢が違うのでは?ということと、遺骨収集についてのお考えが違うということでした。

 一読者様は、実際にお会いして、同一人物のご印象を持たれたのでしょうから、その可能性は大きいのかも知れませんが…

 泉水監督と一兵士様は、同じ魂の仲間ではありますが、此岸では別の肉体であるように思っていました。監督の残された「凛として愛」は、私ももっと広めて行きたいと考えています。

 塾頭なら、何か以前のように連絡がありそうなものですが…、病院も同じなのでしょうか?

‥‥
 
 

有り難き御便り拜戴。

 投稿者:備中處士  投稿日:2011年 2月11日(金)21時53分11秒
返信・引用 編集済
   或る御方より、次のメールを頂戴した。ご本人の承諾を得て、一部轉載させて戴きます。本道に有り難うございました。九拜


*****


 時々、九段塾の掲示板を拝見していました。

 泉水隆一監督とは、一昨年に、九段会館で「凛として愛」の上映会を企画した時に、監督に連絡をとり、上映会の許可を頂いてから、その後、親しくさせて頂いてました。

 泉水監督は「ネットはやっていない」と言っていたのですが、九段塾の掲示板を見た時に、塾頭は監督ではないかと思っていましたが、監督はネットの事を言わなかったので、私も知らないフリをしていました。しかし、お見舞いに行くと、時々パソコンを片手で、一生懸命打っている時がありました。きっと九段塾に書き込みをしていたのかもしれないですね。

 二月には、映画作製の計画を話したりして、すごく元気で、四月には『少年日本史』の本を元にして、歴史勉強会も計画していましたが、病状が良くならずに、勉強会も延期になってしまいました。

 六月に危篤状態だと、家族の方から連絡が入り、病院は私の家から五分ぐらいの場所でしたので、急いで行ったのですが、そこで「凛として愛」についての感想を送ってくれた方々のメールを読んだら、翌日、翌々日と元気になって、お医者さんも、「奇跡だ」と言われました。

 監督が残してくれた「凛として愛」を、少しでも日本の本当の歴史を知ってもらえるように、多くの人に拡散していこうと思います。本当に素晴らしい映画を残してくれて、監督には感謝しています。

 
 

驚愕未だ醒めやらず

 投稿者:那須の権太  投稿日:2011年 2月11日(金)20時22分59秒
返信・引用
  「懍として愛」の泉水監督が塾頭ですつて?!!!
そして昨年7月にすでに歸幽されてゐたとなん!
本當なのでせうか。信じられませぬが・・。しかしさうとしか思へぬか・・・。
嗚呼、何といふことだ。亦いつか、あの御叱責のお聲が聽けると思うたに・・。
つゝしんで御冥福を熱祷し奉る。
 

招魂――泉水隆一監督、其の三。

 投稿者:備中處士  投稿日:2011年 2月11日(金)18時43分40秒
返信・引用 編集済
  ~承前~

 靖國神社遊就館の映像ホールは、映畫『凛として愛』を、理想的な條件で上映させるため、プロジエクターや客席など、徹底的にこだはつて設計された由。其の映畫が完成して、靖國神社に於いて、平成十四年七月十三日・十四日と上映され、其の素晴らしき映像と共に、泉水隆一翁のナレーシヨンは鳴り響く。何と云ふ、清澄なる、澁い聲であらうか。

 然し遂に十五日、上映中止に追ひ込まれ、放逐された‥‥。小田村四郎靖國神社總代等の策謀と云ふ‥‥。悔恨憤怒は、如何とも爲し難く、癒されることは無い。悲歌慷慨‥‥。然し此の映畫を復活恢弘することは出來る。それこそ、泉水隆一翁を鎭魂復活することに他ならない。

 諸彦諸姫よ、此の紀元節の日にこそ、「日本の新しい時代」を始まらせようではないか。あらためて復古の「志」を堅く持たうではないか。泉水隆一監督と共に‥‥。



■『凛として愛』――脚本・監督・ナレーシヨン、共に泉水隆一翁――

一、
http://www.youtube.com/watch?v=Hpz5rFqI7jA

二、
http://www.youtube.com/watch?v=shv750vHcIU&feature=related

三、
http://www.youtube.com/watch?v=vQOQm52iAnk&feature=related

四、
http://www.youtube.com/watch?v=MjhR4NvXiEs&feature=related

五、
http://www.youtube.com/watch?v=kTP3t4cdL3Q&feature=related

六、
http://www.youtube.com/watch?v=mWMcs7Cv9f4&feature=related

七、
http://www.youtube.com/watch?v=Cx5Wyl8C8YI&feature=related



○オープンニングナレーシヨン

 國家によつて、安全と平和、生命と財産を護りきれなかつた國民の悲慘さを、私たちは知らない。この一篇を、明治開國から大東亞戰爭に至るまで、祖國のために、力の限り戰つた幾千萬の將兵と、銃後の守りに盡くされた總ての先人に、感謝と畏敬の念をこめて捧げます。

 昭和二十年八月――廣島・長崎に、原子爆彈が投下される。八月十五日、日本は、三年八ケ月に及ぶ大東亞戰爭に終止符を打つた、建國以來、初めての敗戰であつた。この日から、日本の近代史が、ひび割れた鏡のやうに歪んで傳へられていく、汚辱の日となつた。

 戰爭に負けたのは、仕方がない。だが、日本人は、戰ひに敗れても、誠實さが必要だつた。日本といふ國に、祖國に盡くした、幾百萬の英靈に、幾千萬の先人に、愛をこめて、感謝を捧げるべきだつた。

 ‥‥が、果たせなかつた。多くの日本人が裏切つた。戰後の荒廢した日本に、赤旗がなびき、社會主義思想が廣まり、戰勝國による一方的な東京裁判が開かれる中で、日本の近代史は、僞りに滿ちた惡意のもとに書き替へられていつた。

 私たちの國には、明治維新以來、幾たびかの困難に、敢然と立ち向かつた日本民族の、不屈の歴史があります。たつた一つしかない命を、國家に同胞に捧げた、凛とした眞實の歴史があります。その扉を、今、開け放さう。

凛として愛

 六十數年前、日本は、アメリカを始め、世界百十數國を相手に大戰爭をした。しかしその戰爭は、國家國民の安全と平和を守るため、亞細亞の安定を築くため、世界の平和を乞ひ願つたものである事に間違ひなかつた。戰場に出て行つた將兵は、皆な同じ考へであり、力の限り、彼等は戰つた。だが、事、志と違ひ、戰ひに敗れたことで、日本の掲げた理想は實ることはなかつた。

 日本は、敗れたままでゐる。平和を享受する現代日本から遠く離れた異國には、未だ收集されない將兵の遺骨が、山野に埋もれてゐる。いつになつたら、日本は、戰ひに散つた將兵を暖かく迎へてくれるのだらうか。全國民が祈りを捧げてくれるのだらうか。

 靖國神社に祀られる二百四十六萬六千餘柱の英靈は、未だ侵略戰爭の汚名をきせられたままでゐる。かつて南方の島々で戰つた日本軍に、援軍は來なかつた。ならば、今から援軍を送る。日本を變へる援軍を送る。あなた方の眞實を、痛みを、私達は傳へていきます。

‥‥‥‥

○エンデイングナレーシヨン

 日本よ、陽はまた昇る。

 祖國日本を防衞するために、陸に海に空に散華された方々に、私たちは誇りと叡知を、此の胸に抱き、凛として愛を捧げる。それがあつて、初めて、日本の新しい時代が始まる。



*****

 高畫質DVD『凛として愛』は、下記の「愛国女性のつどい花時計・『凛として愛』拡散プロジェクト」にて、頒布して戴けるやうであります。
  ↓↓↓↓↓
http://www.hanadokei2010.com/rintositeai/index.php
 
 

招魂――泉水隆一監督、其の二。

 投稿者:備中處士  投稿日:2011年 2月 9日(水)19時48分54秒
返信・引用 編集済
  ~承前~

http://ameblo.jp/sakurara-f/entry-10593755283.html
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9239223
  ↓↓↓↓↓
【日本女性の会「そよ風」イベント『凛として愛』――泉水隆一監督は、かく語りき】(平成二十一年十二月二十七日。九段会館にて――車椅子の泉水翁――上部サイトの映像を下に、一部改變させて戴いた)

「泉水隆一でございます。一寸身体が今の所、不自由しているんですけれども、やがてまた元気になると思いますんで。

 今日、こゝに私が参りましたのは、この映画が出来たと云うか、制作を始めたのは、平成十二年の暮から、十三年、十四年、靖国神社百三十周年を記念して作ると云う事で、三年間に及んでですね、この映画を制作しました。

 たゞ皆さん、ご覧になってお分りの通り、今までの、こう云う映画の中には無い、言い回しと云いますか、一寸違った趣向が全編に出ていると思うんですね。それは「日本は戦って来たんだ」と、戦後六十余年たって、今「日本解体」と云う言葉が出ていますけれどもね、もう終戦直後から、「日本解体」と云うのは、始まっているわけですよね。それからずっと、自虐史観と云うんですか、「日本が悪かった」と、あの映画の中でも、名越先生も仰しゃっていましたけれども、「日本は悪い国だった」と云う話があった、と。

 それを靖國神社は、それまで黙っていたんですけれども、「一つ打って出ようと、本当の話を言おうじゃないか」と云う事で、その映画を制作する最高責任者TOPが、それを考えましてね。打って出ようと云う事で、「日本と云う国は、神武東征以来ね、大和民族として、天皇の為めに戦って来たんだ」、そう云う国であると、そう云う事を最初から言おうじゃないかと云う事で、この映画の制作はスタートしたんですけど、ただ余りに長いスパンがありすぎるんで、大東亜戦争と云うか、明治以来の近代戦争と云う事で、そこの部分を取り上げて、「常に日本は武器を取り、戦い続けて来た」と、そう云う事実を、若い人に知って貰おう。この映画はね、これを見た人が、日本民族の、大和民族のね、魂に触れて、勇気を持って映画館から出て行って貰いたかったと、そう云う思いを籠めて作ったのです。

 ところがこの映画は、靖國神社で二日間しか上映されなかった。

 ネットを見ますと、中国・韓国からの抗議によって、この映画は上映禁止になったと云う事が、なんか出回っていますけれども、あれは全くの嘘です。何方がそれを言い触らしたのか、私には判りませんが、中国・韓国からは、抗議も一遍たりともありません。この映画を中止させたのは、保守陣営です。靖国神社と云う所には、様々な利益集団・権威集団、主導争い・主権争い・利権争い、これも同じなんですね、その中で、この映画は上映禁止にしようと云う事で、そう云う措置が取られた。だから、これは「泉水隆一監督の個人の映画である」と云う事で、二日間だけ上映されて、それで現在、靖國神社、私は何も靖國神社と喧嘩しようと云うんじゃないんですけれども、これは「関係ない」と云う事で、放逐されたのですね。

 それが死な無いで、これを最初に取り上げたのは、日本青年社と云う日本最大手の右翼団体が、この映画を数万枚コピーして、配布したんですね。その後、会場にも御見えになっていらっしゃると思いますが、東條由布子先生が、ご自身の講演会で、常にこの映画を上映されて、それを見た方々が、またそこからコピーしたりして、全国に行き亘って行った、と。で、最後にね、日本女性の会・そよ風と云う所から、私の所に電話がかゝって来て、「どうしても、この映画を上映したい」と云う事で、「どうぞ」と云う事になったんですけれども、この軍人会館で、たった三百メーター前には靖國神社がありますけれども、そこでこの映画が上映されたと云う事は、非常に画期的な事じゃないかなと、私は喜んでおります。そよ風の皆さんには、本当に感謝に堪えないです。

 この映画の中で、本当に言いたかったのは、「皇国史観」です。今あまり出ていない「皇国史観」に則ったものでやって行こうと云う話が、最初はあったんですけれどもね。やはりいきなりそこから入ると、若い人にはよく分らないと云うのと、戦前が悪く言わされてるんで、迷いも出るだろうと云うので、所々ソフトになっています。

 でもその中でね、あの特攻で出て行った人達が最初に出ていましたけれども、私がこの映画で言いたかったのはね、日本人と云うのは、天皇の下に身を投げ出してね、死んで行ったんだと。高天原から、瓊々杵尊と云う神様が、九州の高千穂に降り立って、その時に二人の部下をつれて来た。この国を平定しろ、自分を服はぬ者共を平定して、日本と云う国を作ると、そう云う神話があったんですけれども、その神話がもう過去になってしまっている、埋没してしまったと。これを掘り起こしてね、もう一度、大和民族の原点を作り直そうと云うのが、この映画の大元にあるんですね。

 そこで、その祖先の中に、大伴家持、皆さん知っているでしょうけど、

海行かば水浸(みづ)く屍(かばね)、山行かば草生(む)す屍

これは七百年代の聖武天皇の時に、聖武天皇が、たまゝゝその時の大伴家持、その時代では、大伴家は少し落ちぶれてましたけど、「お前の家は、お前の一族は、よく天皇の為めに尽くしてくれた」と。その御礼として、大伴家持が、『海行かば水浸く屍、山行かば草生す屍』、大君の為めに、何時でも私達は死んでみせると、『のどには死なじ』、普通の死に方はしませんよと、そう云う事を言っている。その歌が、ずっと明治の時に戻って来て、靖國神社に祀られる英霊の人々に捧げられている。

 この精神をね、つまり日本人と云うのは、今、最近、日本と云う国が、もう殆んど無くなって来ている。こないだ、天皇陛下、今上陛下ご在位二十年と云う事で、御祝いされているけれども、根拠が無いですよね。あの今上陛下が、我々日本人の祖先であると云う事を、果たしてどれくらいの国民が知っていたか。それを知ればね、今、外国人参政権とか、色々問題が起きてね、デモしたりして、何とか食い止めようとしてますけれども、こう云う日本解体と云うのは、もう六十年前から始まっているわけですから、それを取り戻すにはね、もう一度日本人が、日本人としての原点に戻らないと無理じゃないかと、私は思っていますね。

 だからあの映画で、大和の司令官が三千の兵を連れて、「沖縄に特攻するのは嫌だ」と、「無駄死には嫌だ」と言った。「有意義な死に方をしたい」と言った。それを参謀が、「そうじゃないんだ」と、「一億総特攻の先駆けとなって欲しい」と言ったら、「それなら分った」と。何が分ったかと云うと、「天皇の為めに死んでくれ」と、そう云う事を言ったわけね。「それなら分った」と。だから三千の兵も、皆な死んで行ったわけですね。

 これは防人の『万葉集』に一杯出ていますけれども、「防人の歌」、皆さんご存知かどうか、一寸判りませんが‥‥。飛鳥・天平の、遙かな時代からね、日本人の祖先は、自分は九州の防人に防備に行かなきゃいけない、と。自分は、美しい妻がいる、可愛い妻がいる、子供達もいる、この家族と別れる事は出来ない。でも「今、天皇の命令が下った」と、益荒男として行かねばならないと言って、出て行ってますね。

 つまりこれは、自分は醜いかもわかんないけど、天皇の前に立ち塞がって、『醜の御楯』(しこのみたて)となる、と。この精神が、日本人の原型だったわけですね。だから、天皇が海を行くならば、自分も海の屍となろう、藻屑ともなります、と。天皇が鞭を揮って叱咤激励して山を行くならば、自分達も草生す草莽と成り果てましょう、と。そう云う気持ちを、あの時代からずっと持ってきて、それが大東亜戦争まで来てるわけですね。それが甦ったのが、あの雪の、幕末に雪を蹴散らして桜田門に殺到した維新の獅子達がね、大老井伊直弼の首をあげてから、激動のように、また古き時代の日本人の血が沸騰して近代になって来たんですけど、それが終着点が、大東亜戦争で終ってしまったんですね。

 だから今の日本人は、父親を殺す、母親を殺す。また子供を殺しても、何んとも思わない。娘を殺す、娘同士でも殺す。そこには何の、かつての日本人としての、美しさも節操も無くなってしまった。これはやっぱり、タガが外れたと云う事だろうと思うんですね。自分達の祖先が何処にいるのかも判らない。猿から生まれたわけじゃないですね、日本人は。神から生まれて来た。だから尊かった。だから自分達の祖先である天皇の為めならば、身を挺してね、矢弾を受けませうと云う事で、戦って来たわけです。

 靖國神社に祀られる英霊って云うのは、年輩者の方なら、もうお分りだと思いますけれども、天皇の為めに戦った人達が祀られているわけですね。皇軍兵士が祀られているわけですね。日本の為めに戦った人達が祀られているわけでは無いんです。明治天皇は、「よくやった、可哀想だから祀ってあげよう」と言って、祀ったわけでは無いんです。生きている国民に、「お前達の忠義の心、その魂を受け継がせろ」と。その為めに、皇軍兵士を祀ったわけです。追悼施設なんて、誰も言って無いです。「感謝もしてくれなくていい」と。要は靖國神社に祀られる祭神、英霊は、「後を頼む」と、「後に続いてくれ」と云う事で、言ったわけです。

 だから靖國神社と云うのは、追悼施設でも何んでも無いし、あそこは誓いを、生きている国民が、まず前に行って、「分りました」と。「いざ、国難があれば、私も、あなた方の後を追って、この国を守ります」。我々にとっては、この国ですけど、天皇陛下が御製を作られた時に、この国を守る為めに、「我が国の為めに尽くせる人々」と。天皇の言う「我が国」と云うのは、「私の国だ」と云う事を言ってるわけですね。我々が、私達の国・日本と言っているのと違うわけです。天皇が「我が国の為め」と言ったらば、畏れ多い事ですが、平たく云えば、「俺の国だ」と、天皇は、そう云う事を言っている。それを戦前は理解していたが、戦後は理解されてないわけですね。

 だからそう云った問題を、本当はあの映画で、『凛として愛』でね、最後の最後まで、そう云う日本人の原型を描きたかったんだけれども、中々時間も無いんで、戦いの中で、それを見せて行った。だから特攻の人達も、「何処か死に場所があるだろうと、祖国のた為めに自分がやろう」と、そう云う事を、皆さん仰しゃってるわけです。最初に出て来た小母さんは、今の若い人は、「国の為めに死のう」なんて言わないだろう。ま、最近、よくね、「恋人のために戦った」とか、「お母さんのために戦った」と云うように、確かにそう云う事を言う人も、戦後ね、いますけれども、日本の軍隊は、そう云う風になってないわけですよ。

 天皇に忠誠を尽くす、軍人徴用、誇称して、誓紙を出しているわけですね。天皇に命を差し出すと云う、この精神をね、もう一度、僕は呼び戻して来ないと、日本の大和民族、日本民族と云うのは、蘇生出来ないだろう、と。

 ま、話は一寸色々飛んでいますけれどもね、この『凛として愛』と云う映画は、そう云う想いが背景にあってね、作られたんだ。そう云う想いを持って、もう一度、また家へ帰って見て戴ければ有り難いなぁと思います。話がまだ山のようにありますが、短い中で、自分の言いたい事を言いましたんで、これで終りたいと思います。どうも本日は、暮にも関わらず、この映画のためにお越し戴いて有り難うございました」と。


http://ameblo.jp/rintositeai/entry-10680081580.html
  ↓↓↓↓↓
【一億国民に崩壊の危機】(平成二十二年一月六日)

「日本が日本であるために、

大和民族のふるさとへ還れ――神国日本へ――。

汝臣民は、父母に幸を尽くし、兄弟弟妹仲良く、朋友互いに信義を以って交わり、
人々に対し慈愛を及ばすようにし、知識才能を養い、善良有為の人物となれ。
そして万一国家に緊急の事態おこらば、大義に勇気を奮い起こして、一身を捧げて、
皇室国家のために尽くせ。

あらたな教育勅語を以って、日本は神の国に還る。

尊王の国、勤皇の国として、皇祖皇宗の子孫として、日本国民一億は、遥か悠久の大義の昔に引き返す」と。
 
 

招魂――泉水隆一監督、其の一。

 投稿者:備中處士  投稿日:2011年 2月 9日(水)19時46分12秒
返信・引用 編集済
   迂闊にも迂闊、寔に迂闊なるかな、――たゞ涙、流れて止まず――。如何に悔むも、逝きし歳月は歸るべからず。何方か、「泉水隆一」監督を知る御方、其の志操、其の行藏を、是非とも御紹介せられむことを。

 彼の幻の映畫『凛として愛』を謹作(脚本・監督・ナレーシヨン)し、江湖に多大な感銘を與へた、泉水隆一監督がみまかられしことを、「一読者」樣の示教から知つた。謹んでこゝに、追悼の意を表します。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/77
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/673
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/674


■泉水隆一、本名・福井忠翁

平成二十二年七月十六日午前○時三分、間質性肺炎に因り歸幽、享年六十九。法謚・忠賢凛徳。
  ↓↓↓↓↓
http://hanausagi.iza.ne.jp/blog/entry/1714862/


 嗚呼、泉水隆一監督‥‥。其の御志は、『九段塾』にて繼承せむことを、微力を耻づと雖も、こゝに御誓ひ申し上げます。願はくば、來り坐して、ご照覽あらむことを。

 監督を顯彰されし關係各位の御文、謹んで轉載する事を、何卒、御許し下さい。



■泉水隆一翁の曰く、

http://ameblo.jp/rintositeai/entry-10680084559.html
  ↓↓↓↓↓
【靖國神社製作『凛として愛』撮影ご協力頂いた皆様方へ】(平成十四年九月十八日)

「前略、突然ながら、お手紙差し上げます。

 皆様に撮影ご協力頂いた映画、『凛として愛』に関してのことです。もう、既に皆様方の中には、ご存じの方もいらっしゃると思いますが、『凛として愛』は、去る七月上旬には完成をし、七月十三日から始まる靖國神社恒例のみたま祭りに、「こけら落とし」された新・遊就館映像ホールで上映されましたが、上映は二日間のみで、神社側の一方的な判断で、それ以降は、上映中止の措置がとられました。

 中止理由は、中国・韓国からの反論、抗議を恐れるためでした。神社の中でも、若手職員の中からは、「映画は中・韓を恐れず、堂々と上映すべき」という声も、陰にはありましたが、首脳部は「トラブルに巻き込まれたくない」という、もっともらしい理由を楯に、上映中止を断行したのです。英霊の汚辱を晴らす、本作品の上映よりも、「トラブル」を嫌ったのです。神社側の言い分は、日本外務省同様に、「国際的な配慮が必要」というものでした。

 神社に祀られる英霊は、身命を投げうって、国家のため、同胞のために地に伏しました。その英霊のおかげで、靖國神社は、今も現存しています。英霊のおかげで、靖國神社に勤める神職・職員の豊かな生活は成り立っています。どんなに世の中が不況に陥っても、彼らの生活に影響を及ぼすことはなく、多くの参拝者の奉納金で、豪華なマンションを彼らは建設し、毎日のように酒席を設け、何の経済的不安もなく、楽しい生活をしています。それはいいでしょう。神社の神職・職員が、全てを英霊のために投げうっているならば、私は彼らの生活にまで斟酌する必要はありません。

 しかし、現実は違う。私は二年間、靖國神社に勤務して、映画を制作してきました。普通の人が垣間見られない、裏の姿も見ることが出来ました。これも英霊のおかげでしょう。英霊が、私に真実を覗かせているのだと思っています。私は、なにも靖國神社の本当の姿を暴露するつもりは、今日の所はありません。いいたいことは、彼らが保身に走ったことです。トラブルを防ぐというのは、詭弁であり、要は韓国・中国からの、あるいは左翼系からの抗議・攻撃に身を曝すことを嫌がった、という、ただそれだけの理由です。安穏とした生活をしていたいだけなのです。訪れる遺族には、いかにも英霊への崇敬を果たしているような言葉をいい、尊敬を抱かれることが好きなだけなのです。彼らは、神社がぼろぼろになっても、正しい歴史のために、英霊のために闘うという思いは、まったくありません。政治的に全てを計ろうとしているだけなのです。戦後の日本がだめになった縮図が、現在の靖國神社運営首脳部に見ることが出来るのです。

 考えてみれば、戦後の靖國神社は、戦前の靖國神社と名称が同一なので、ついつい、私たちも靖國神社という名前に騙されて、神社の職員は、全て英霊一筋だと考えてしまいがちですが、かれら神職は、たまたま、神学大学を卒業後、一般人と同様な感覚で、靖國神社という所に勤めただけのことで、英霊がどうのこうので就職したわけではないということが、二年間、彼らと共にしたことで、そのことがよくわかりました。またまた、靖國神社の悪口になりましたが、今日は、それは極力押さえるつもりなのです。真実は、別の機会でしたく考えています。

 本日、私が言いたいのは、普段は≪中国・韓国に屈するな≫、≪正しい日本近代史を≫等、口にしながらも、いざとなれば、保身に走った現在の靖國神社首脳部は許しがたいという思いを、皆様に伝えたいということなのです。欺瞞という衣をまとった通常人が結束し、神社を牛耳っております。英霊の汚辱を晴らすために闘うという姿勢は、何度も言うように、まったくありません。あるのは「闘っているぞ」というポーズと、参拝者が減ることと奉納金は減じることだけが、日常の心配の種というだけの、靖國神社にいるべきでない人々が参集していると、私は考えています。決して、私の思い過しでも、偏向ではありません。二年間、私は、彼らの日常会話を耳にし、言葉を交わしてきました。裏も表も見てきた、私の靖國観です。

 今まで、皆様には何のご連絡もせず、このような突然の手紙を見て、さぞかしお驚きのことでしょうが、話を進めます。実は、上映中止の後、神社側から他の団体に映画を譲渡して、その団体名で映画を上映したいという意向が伝えられました。その話が決まった段階で、皆様にはご連絡しようと考えていたために、ご通知が遅れました。申し訳ございません。私は神社側が、≪トラブルに巻き込まれたくない。しかし、どうしても映画は上映したい≫という言葉を信じて、「譲渡という行為そのものが卑劣・卑怯」と、心に思いながらも、それでも、映画が上映できるならと考え、譲渡することに承諾をしました。

 しかし、神社と譲渡先の団体とのやりとりで、やはり、中国・韓国から抗議がくるような内容は削除、一部修正して上映したいという話が、私の方に伝わってきましたので、私は、即座に譲渡の話は断りました。何の修正もなしに譲渡することを条件として、譲渡を承諾したにも関わらず、彼らは、再度、姑息にも、今度は譲渡先で修正してから、靖國神社で上映するという密約をしていたようです。

 英霊をないがしろにし、保身のみに汲々とする神社に、現在は、未練も魅力も、私は持っていません。従い、戦後、歪められた日本近代史を破棄し、正しい英霊の歩みを国民に知らしめようと企図した本作品は、靖國神社では上映できなくなりました。出来なくなったというより、私の方で、こんな神社で上映してほしくないという気持ちが強く、断ったというほうが適切でしょう。

 「なんとか上映するために譲渡したい」という神社側の言葉に、またしても騙されたという思いが強くあります。本来は、この映画は「日本を変える」、「日本の正しい近代史を描き、英霊の汚辱を晴らしたい」という意向を強く主張された花田権宮司の意向に従って、制作がスタートしています。しかし、どういう悪霊が動き回ったのか、花田権宮司は、制作途中で担当を外され、新たな人事異動で、現在の首脳陣が形成されました。それから英霊の真実を伝えようとする『凛として愛』に、徐々に圧力がかかりだしました。色々な噂が私の耳に飛び込んできます。
「宴会シーンに神社の人間を使い、出演料を浮かせようとしている」、
「監督は左翼思想があるのではないか」、
「どうせ、金で雇われてやってるんだから、次は共産党のものもやるんじゃないの」、
などなど、個人的中傷の噂です。本作品は私が中心になっているので、私を腐らせて、作品から降りてくれれば、作品が完成せず、彼らにとって最都合なのでしょう。スタッフ一同とも嘲笑しながら、私たちは構わずに、初期の目的どおり、映画制作を続行しました。

 そして、今年の六月下旬には、一応の完成を見たのですが、神社側と神社の上部組織である総代会からの意見として、中国・韓国を≪悪く言うことは避けたい≫ということが伝えられました。日本近代史を描く映画で、≪悪く言うことは避けたい≫という、驚くべき稚拙な歴史認識に、私は驚愕しました。悪く言っているのではなく、事実を描いているだけです。それは皆様にお送りしたプリントをご覧になって頂ければ分かることです。そして、幾分かの修正が出ました。私は忍の一字を心に呑んで、映画上映のために主張に影響がない限り、修正できることは、神社の意向に沿った修正を致しました。

 そして、いよいよ、明日が本番上映という時に、総代の一人である阿南総代と小田村四郎総代から中止命令が出たということで、わずか、この二人のために、映画上映は中止となりました。所が、本作品をなんとか上映したいという神社の人々が裏で動き回り、神社としては社報やポスターで『凛として愛』を大々的に宣伝し、そのための招待客を大勢呼んでいる手前、なんとかみたま祭り期間だけは上映したいと、小田村氏と交渉し、当日、「本作品は神社の意向に沿ったものではなく、泉水隆一監督個人の歴史観による作品であるので、このような作品を上映することに至ったことをお詫びします」という、トンデモナイ挨拶文の紙が招待者に配布される中で、本作品は二日間だけ上映されたのです。

 なんという常識のない、公式挨拶であろうか。これが現在の神社執行部の志向なのです。それでも、映画は上映されたので、満員の観客は至る所で泣いていました。山口県から来たというお年寄りの団体が、「いい映画を見させてもらった。冥途の土産になります」と、私の隣で話をしていたのを聞いて、さすがに私も涙を流しました。映画を上映してよかったと思いました。

 少し、横道に逸れてしまいましたが、現在、私は靖國神社に祀られる英霊そのものは、大切にしたいと考えておりますが、現在の靖國神社執行部である、湯澤宮司・三井権宮司・山口総務部長の三人を信じてはおりません。又、神社に上映中止を迫ったと言われる阿南総代(阿南大将の遺児)・小田村四郎総代(柘植大学総長)、他に小堀桂一郎氏などの一連の著名な学者・研究者も、私は信じていません。彼らが、今後、英霊に対してどのような崇敬の言葉を吐いたとしても、私はそれを腹で嘲笑し、軽蔑します。全て偽善者であると、私は断定するからです。

 取り敢えずは、今日はここまでのこととして、皆様にご連絡が遅れたことをお詫びすると同時に、完成した映画『凛として愛』のプリントをお送り致しますので、どうぞ、ご鑑賞ください。 また、本作品の完成後、同時進行していた真珠湾攻撃の真実を描いたアニメ併用の『太陽に向かって翔べ』や『大東亜戦争の真実』の二作品も、編集を中止しました。『太陽に向かって翔べ』の作品では、スタジオに、真珠湾攻撃に出撃した三十隻の縮小艦船模型に、潜水艦部隊三十数隻(縮小模型は龍角散社長よりお借りする)、また、航空部隊の三機種の模型を準備し、三日がかりで、その威容を撮影。そして、真珠湾攻撃に参加した空母加賀の雷撃隊のお一人のインタビューや、ハワイまでロケ、真珠湾攻撃を直接目撃した日系二世の元米軍将校のインタビューなどで構成、真珠湾攻撃の真実の姿を描く予定でしたが、これも中断せざるを得なくなったこと、誠に残念です。ご協力頂いた方々には申し訳ないの一言です。『大東亜戦争の真実』では、戦後、初めてカメラの前に立たれたアッツ島生き残りの元兵士の貴重な証言、山崎大佐の遺児・山崎保之さんのインタビュー。また、日赤の従軍看護婦の方、島根県の山村で戦後の日本の歩みを批判する人々の話、あるいは玉砕の島ペリリューに十日間ロケ、彼らは、どのように執拗に闘ったか――その雄渾の姿を描くつもりでしたが、これも中止という運命になりました。

 私は、靖國神社執行部に対して、今後、どのような形で戦いを挑んでいくか、目下熟慮中です。今の靖國神社の体制を崩さないかぎり、英霊は浮かばれません。ただ、ただ英霊が、彼らの私利私欲のために利用されるだけです。先人が「靖國神社で逢おう」といった言葉は、あくまでも日本国民全てが認めていた、戦前の靖國神社です。今の靖國神社ではないということをどうか、よくお考えになってください。その上で、改めて、靖國神社というものを考えてください。決して、彼らの表面ごとの言葉やポーズに騙されてはいけません。『凛として愛』をふみにじったものたちが、靖國神社の中枢にいることが、現在の日本の不幸であり、真実の歴史の扉の前に立ちふさがっています。敵は左翼ではなく、まさに本能寺にあったのです。獅子身中の虫という言葉が、私の胸の中で煮え繰り返っています。

 大変、激高した言葉になってしまいましたが、皆様の中にはご不快になられる方もいると思いますが、英霊の力を借りて、二年間、『凛として愛』に、自分の才能を注いだ監督の言葉としてお許しください。なお、プリントと共に、『凛として愛』の鑑賞記を掲載した『不二』(下記●)という雑誌が同封されていますので、お読みください。但し、部数に限りがありましたので、一部の方にはコピーとなりましたこと、重ね重ねお詫び申し上げます。書いているうちに怒りがこみあげ、支離滅裂な箇所も多分あるかと思いますが、これもお許しください」と。



●大東塾・不二歌道會『不二』平成十四年八月號――映畫『凛として愛』鑑賞記――
一、「凛として愛」を拜觀して――松下眞啓氏
一、普及に協力したい――福永武氏
一、東京裁判史觀からの脱却――石田愼氏
一、靖國神社遊就館新館開館の記念行事――平田隆太郎氏
 
 

(無題)

 投稿者:一読者  投稿日:2011年 2月 6日(日)00時53分49秒
返信・引用 編集済
  備中處士様
ずっとロムしてきたのですが、一兵士様って「凛として愛」の泉水隆一監督じゃなかったのですか?
http://ameblo.jp/sakurara-f/entry-10593755283.html
http://ameblo.jp/rintositeai/entry-10680084559.html
なんだか、そんな気がします。
 

禁忌復興を願ふ。

 投稿者:備中處士  投稿日:2011年 2月 1日(火)23時56分34秒
返信・引用 編集済
  ●保田與重郎翁『述史新論』(『日本史新論』昭和五十九年十月・新潮社刊。『全集』第三十七卷に所收)に曰く、「

 わが神祇に於て、神饌とされる生物は、主として神々の愛玩用に供進したものであつたが、その例外が諏訪神社の祭典に見られた。この神は、出雲の神の中で最後まで國讓りを諾なはれなかつた神で、諏訪まで逃げて、こゝでつひに力競べに破れて承諾されてゐる。この神に奉る三月酉日の祭りの神饌の古例に、「鹿頭七十五、俎上にして進(たてまつ)り、肉も添ふ」とあるのは、驚くべきことである。往時の出雲の神たちの生活の反映と考へる他ない(愚案、異国の肉食の起原と謂ひつべし)。

 わが俗に、宍(しゝ)を食ふことを忌む風は、皇大神宮にも見られ、その發端は、御歳神の怒りによるとされてゐる。御歳神は、米を司る神である。宍を食はぬといふ生活の態度は、わが祭祀の一基幹であるが、これを禁制化するといふことは、佛教の政治に及ぼした影響の結果である。中世になると、宗派神道風の思想から、神道でも、この種の禁制を好んで立てるのであるが、宍食ふことを忌むといふ限度が、わが古俗である。後世、諏訪神社が發行した鹿食許状は、いかゞはしい商法であつた。それは藥食ひに宍食ひを許すものだが、この神社が、それを發行するについては、忘れられたやうな遠い因縁があつたのである。その因縁は、出雲の神たちの日常の一端を證するものでもあつた」と。



 愚案、神社の祭禮等に、境内に於いて出店あり、中に飲食物を扱ふ店もあつて、參拜後の氏子の樂しみとする光景であるが、最近、遂に牛串や豚串まで扱ひ出したことは、大いに問題であり、深く憂ふべき大事である。吾人の好物とは云へ、神社境内に在るべきものとは、古俗禁忌からして、到底考へられぬ。神職の注意喚起、店の主人の出店遠慮を、強く乞ふ次第である。

 かつて猫見海宝樣が指摘されたことであるが、靖國神社の遊就館に在る食堂に、「海軍カレー」てふ肉入りのメニユーがあるが、いくら生前の海軍將兵の好む所と雖も、已に英靈として祀られし神に坐しませば、宍(忌詞「くさびら」)を嫌ひ給ふや必定、極めて此の提供販賣は、之を愼しむべきであらう。せめて大祭の節は、神職潔齋を犯す虞れ之れ有り、是非とも販賣遠慮と致すべく、關係各位に對して、切に留意熟考を御願ひ申し上げる次第である。



●松陰吉田先生『講孟箚記』公孫丑上・首章に曰く、「

故家・遺俗・流風・善政

 故家は、註に云ふ、舊臣の家也。遺俗は、殘りたる風俗なり。流風は、上より下々へ流れ下る風なり。善政は、よき仕置き也。‥‥

 抑も國の治安長久なるは、地廣きにもあらず、民衆きにも在らず、惟だ頼みとすべき者は、此の四者(故家・遺俗・流風・善政)にしくはなし。然れば政を爲す者、茲に心を用ひずんば有るべからず。是を知らずして、妄りに祖宗の成法を變じ、國家の美俗を易ふる者は、國賊と云ふべし。今ま吾輩、至賤と雖も、苟くも國の爲めにせんことを思はゞ、亦た茲に心を用ふべし。我が家、先代の事を考へ、又た吾が家、祖宗の業を稽へ、次は大臣其の他、勳舊の家の傳記を尋ね、古來の制度・風俗等に至る迄、悉く考究して、湮沒を著はし、晦昧を顯はし、務めて古を存する如く心掛くべし。

 心を用ふるの深く、功を積むの久しくして、遂に一大撰述を成し、遍く世に傳へ、故家・遺俗・流風・善政、益々盛んに、益々明かならしめば、是れ亦た國の爲めなり。是れ學者、最も務むべきことなり。余、常に茲に志あり。而して未だ及ぶこと能はず。今ま此の章を讀みて、益々奮發す。願はくは徐ろに諸君と、之を謀らん」と。
 
 

鈴木重胤翁の曰く、延喜式祝詞は、日本の國の憲法なり。

 投稿者:備中處士  投稿日:2011年 1月31日(月)23時33分52秒
返信・引用 編集済
  ~承前~

 本日の講演主題は、保田與重郎翁『年の始め』であつた。東夷の襲來とマスコミの報道に因りて、年の概念は混迷を深めてゐる。NHKで見る「百歳萬歳」てふ、めでたき番組があるが、本道は、番組に云ふ齢に、一歳乃至二歳も超えた方々であることを知るべきである。



●保田與重郎翁『年の始め』(『全集』第二十七卷に所收)に曰く、「

 年の始めといふ、「とし」といふ言葉は、米のことである。人の齡ひを「とし」といふのも、米がもとである。米がもとといふことは、食つた米を意味し、人が社會において共同生活をしてゐるといふことをもととしたうへで、米作の年度をかぞへるのである。かぞへ年は、だから簡單にいふと、一年に一度とれる米を一とし、それをいくつ食べたかといふ勘定である。この點、滿年齡とは、考へ方として、まつたく異なるものである。かぞへ年は、共同生活をもとにして考へられたものだが、滿年齡は、個人の生きた日數といふものに立脚する。つまり個人主義の考へ方である。米にもとづき、米作りといふ共同生活にもとづく年の考へ方からして、共同生活の一年を無事おくり、また新しい出發が、よみがへりとして始まる、この永遠の泰平といふ觀念に、年の始めの「めでたさ」がある。

 米をつくり、それによつて生きてゆく生活といふものが、人生において「永遠のもの」と考へたとしても、今だつて反對できないと思ふ。米を玄米のまゝ食ふときは、パンの生活とちがつて、ほゞ完全食に近いといふことも、今日の榮養學で、實驗の結果として出てゐる。麥、すなはちパンの生活では、必ず家畜と牧場が必要だつた。牧場が必要だから、廣大な土地を支配するといふ繩張りの必要と、侵略排他の考へ方が、生活の必要からして起つてくる。人一人がまともに暮らして、耕作できる水田は、五段[五十アール]で十分、欲ばつても、一人で五町[五百アール]は作れない。この米作りを基本とするとき、民族の生命に無常といふものはない。個人の諸行は無常でも、ふるくからの神話的生活は永遠である。この永遠の生活を守るものが、神を祭る主體であり、國體の實體といふべきものとして、永遠につゞくと信じたのが、日本のふるくからの考へ方だつた。明治以來、よくいはれた「國體の精華」は、つまり「米作り」に、その基礎があつたのである。‥‥

 日本の神話では、いはゆる天孫降臨といふ、高天原から皇孫命が天降(あも)りされるとき、神聖な稻穗を、天上の神から「こと寄さされた」。そのとき神敕があつて、この米を作つてくらしのもととするなら、地上においても、また、天上の神々と同じくらしの風儀ができる。地上の國も、みな、天上の神々の國と等しい神國となるだらう、と教へられた。この責任を神に負ひ給ふのが、皇孫である。すなはち、天皇陛下である。‥‥

 高天原で米の種をいたゞいて地上に降り、これを地上でつくるなら、地上でも神々の生活、天上の生活ができるといふのが、日本の神話の根本だつた。これが實現されたのが、神武天皇の肇國である。その肇國の實體は、土地を拓いて米を旨とした農耕を成就し、その成果を、神の大前に上つて、大孝を申されたことにある。この大和櫻井の鳥見山で行はれた祭りが、肇國の大嘗祭だといふことは、封建末期の國學者も、大よそは知つてゐた。わが國の歴史時代を通じて、天皇の御位は、大嘗祭を行ふことによつて、名實具はるとしたのは、この神武天皇肇國の故事にならふからである。このとき「大孝を申す」と、『日本書紀』にしるされてゐる點に注意せねばならない。この語義は、ふるいむかしから、御祖の教へに從つた由を奏上されたとよんできた。天降りの時の神敕を、つひに實行しましたといふ證を立てられたわけである。

 このことから、わが國の天皇は、つねに一つであり、つねに皇孫であるといふことが理解される。つまり天皇は、天降りのときの神敕を實現する中心であつて、代々をへても、つねにこの意味で一つなのである。このつねに一といふことが、永遠の證である。神話の生活の實現の中心として、その存在は唯一である。このことが、いはゆる「萬世一系」といふことばの意味であり、同時に「天壤無窮」の意味でもある(愚案、上御一人の、人格を建てない、絶對唯一の皇孫。また、件の草地宇山翁『天皇私觀』參看)。くだいていふと、米作りを生活の根本とし、その生活から生れる道徳によつて生きてゆくといふことが、萬世一系・天壤無窮の實證的な意味である。いつさいの權力も榮華も欲望も無常だつたが、「米作り」は、萬世一系の永遠のものであるといふ考へ方である。米作りの生活は、牧畜の生活と異なつて、本質的に爭鬪や侵略や殺生を伴はない、平和の原理生活である。つまりこの世の中で、平和の根柢となる觀念は無數にあつて、平和だけが實現しないが、平和の根柢となる生活は、たゞ一つしかない、日本の神話の米作りといふ、天上生活を地上に實現することである。これが國體の觀念であることは、皇大神宮の祭祀を見てもわかるし、天皇陛下の最も根源的な年中行事を拜してもわかることである。天皇は、天降り神話を、この世に實現しつゝ、現實に米作りをなされることが、その御本質なのである。米作りは、祭りの生活なのである。

 かういふ意味で、天皇は「働く」ことを實行遊ばされるが、「所有」といふことは、絶對無關係なのである。天皇は財産をもたれないといふことは、國史上の眞實であり、天皇の御本質を申す時の第一項だつた。天皇は所有權と無縁で、神話を地上に實現される中心の御存在である。これが祭りの主宰といふ意味だつた。しかも神話の實現といふのは、米作りといふ素朴な生活を意味してゐる。これがわが神話であり、わが國で「道」といはれるのは、この生活である。このやうな平和な神話をもつ民族は、日本以外、どこも存在してゐまい」と。
 
 

宮中歌會始御儀。

 投稿者:備中處士  投稿日:2011年 1月30日(日)23時24分1秒
返信・引用 編集済
  http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/utakai.html


 岡山縣愛國者協議會一月例會にて、荒魂之會『あらたま』を戴いた。其の會主・駒井鐵平翁は、例會講師・岡田則夫翁との縁故ある由。講師は、『あらたま』の記事の内、次の記事を讀み上げられた。


●荒魂之會『あらたま』第七十號(平成二十二年十二月刊)「風信帖」に曰く、「

 平成の御代の、新年の宮中歌會始御儀は、平成三年に始まり、本年平成二十二年で二十囘である。この間に、歌會始御儀の日に、首相の任に在つた者は、‥‥十二名である。平成三年の海部俊樹に始まり、本年平成二十二年の鳩山由紀夫に至る十二名の首相の中で、歌會始御儀の陪聽の席に列つた者は、一人もゐない。が、これを以て、首相の條件を論ずる條は、福田氏の記事(福田和也氏「徹底採點――平成『總理の値打ち』――『週刊文春』七月一日號」)の何處にも見られない」と。



 愚案、こゝに於いても、松平永芳宮司の「保守の敵は保守」の、悲しき實證を見る。口先の尊皇は、今時の總理大臣でも申すが、固より侍殿防護の精神は、一片も無い。

 先に小生は、中島一光翁の、宇山草地貞吾翁『大東亞戰爭大觀論――大東亞戰爭は世界歴史上の最高峰』を紹介させて戴いたが、
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/1015

今は、相州大庭の四阿主人による、宇山翁『天皇私觀』(平成八年八月・日本民族覺醒の會刊)の紹介を見た。
  ↓↓↓↓↓
http://sousiu.exblog.jp/15413862/
http://sousiu.exblog.jp/15417419/

主人の曰く、「先日、保守派と自稱する、某市民團體の副會長と對話した。彼は、彼らの運動の支柱が、尊皇から發せられるものではない、と告白した」と。而して其の極まるや、「皇孫は、天照大御神の血統に非ず」とうそぶく、最近の保守の出現を見るに至る。嗚呼、已んぬるかな哉、流行保守こそ、皇道否定、國體紊亂の元兇と謂はねばならぬ。抑も不敬罪は、何も皇化に浴せぬ蝦夷の爲めだけに存するものでは無いのである。


**********


 本日は、孝明天皇崩御の日(太陽暦換算)にして、「日本心の集ひ」に參加、講師・岡田則夫翁より、

孝明天皇『御述懷一帖』(文久二年五月十一日附敕書。近臣に閲覽を許すも、拜寫を嚴禁すと云ふ)

の講義あり。御文は、『孝明天皇紀』・『岩倉公實記』・徳富蘇峰翁『近世日本國民史』等に所收。「明治維新の原動力は、長州に非ず、薩摩に非ず、公家・大名・志士に非ず、一に孝明天皇の大御心に在り」との、蘇峰翁の言葉に學び、恐懼に堪ふる能はず。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t13/2


 又た國語問題協議會編『皇室敬語』(平成二十一年八月刊)を頒けて戴く。此の書は、野尻一郎翁『皇室の儀制と敬語』(昭和十七年・新光閣刊)のうちの、「第六章・敬稱」と「第七章・敬語」を覆刻せしもの、其の後書に曰く、「經緯は不明だが、同年に冨山房より刊行された『増補・皇室事典』[井原頼明著](昭和十三年六月初版。十七年四月増補版。五十四年五月再版)に、そのままが採用されてゐる」と。然しながら一覽した所、重大なる相違も存する。例へば、

『皇室敬語』
 御聖徳に關する敬用語
  御稜威――みいづ。天皇の御威光。稜威(みいづ)、大御稜威としてもよい。
 誤り易き用語例
  稜威――御稜威としても可。

『皇室事典』
 誤り易き用語例
  稜威(みいつ)――近來、御稜威と記すものが多い。
  (愚案、前後の文から、明かに「御稜威」を誤り易き用語例の一として擧げてゐる)

は、從來、疑念としてゐた所、明らかに兩者の相違が讀み取れる。何れが先か後か、或は其の正否は、研究課題とすべく、博雅の士の御示教を乞ひまつる。



 『皇室敬語』は、定價五百圓。ご希望の御方は、「〒二四六―○○○八 横濱市瀬谷區五貫目町十番地一三五 C四○二 横濱五十番館」に問合せられたい。



【參照・皇室に對する敬稱を學ぶ】
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t7/l50
 
 

神社參拜のこゝろ

 投稿者:備中處士  投稿日:2011年 1月23日(日)19時00分36秒
返信・引用 編集済
  ●八坂神社名譽宮司・皇學館大學々長・高原美忠翁『日本家庭祭祀』(昭和十九年六月・増進堂刊)に曰く、「

 潔齋は、普通、湯に浴することゝしてゐるが、古は裸になつて水にかゝつたものである。川に入つて禊をすることもある。潔齋に齋戒を守ることは勿論で、後に參宮の心得のうちに記したことは、そのまゝ、こゝに守らなければならぬ。特に食物について、色々の禁忌を守つてゐる家が多い。祇園樣の氏子だから、胡瓜は食べぬ。金刀比羅宮信仰のため、蟹を食べぬと云ふ類も、食にあたつて、神威を忍ぶよすがとなり、敬神の念を深めることが出來る。天神樣の氏子だからとて、牛肉を食べず、鷄を飼はず、夜、碓を用ひて米を搗かず、梅木を他所より買求めて焚かず、等と云ふ家もある。

 昔の人が、懇ろに伊勢參宮の心得を記したものが色々ある。それらを見ると、先づ齋戒には、散齋と致齋とある。昔、神宮に參拜する人は、前三日の「散齋」をして、參拜の當日は「致齋」をする。前三日と云ふのは、七十二時間を云ふと教へてゐる。『大寶令』の「六色の禁忌」、

喪を問はず、病を問はず、肉を食はず、刑殺を判せず、罪人を決罰せず、音樂をせず、

を守る。其の他、穢惡の事に預らず、「忌詞」をも守る。忌詞は、「内七言

佛を中子と云ひ、經を染紙と云ひ、塔をあららぎ、寺を瓦葺、僧を髮長、尼を女髮長、齋を片膳、

と云ひ、「外七言」、

死をなほる、病をやすみ、哭を鹽埀、血をあせ、打を撫、肉を□[艸+因。くさびら]、墓を壞(つちくれ)、

と云ふ。かく言語の末々も、心を用ひる。猶ほ五辛を食はず、遊戲の處に立ちよらず、前一日、宮川・二見などで禊をする。前日夕暮の沐浴から致齋に入り、當日鷄鳴、潔齋行水をする。當日は、爪を裁り、髮を剃る等のことをせぬ。

 神域に入りては、道の正中を避けて歩く、痰・唾を吐き散らさぬ。唾は疊紙にとる。一鳥居を入る時には、豐葦原に入り、二鳥居を入る時には、瑞穗國に入り、三鳥居に入る時には、大倭國に入る思ひとなり、一鳥居では、念を起さず、言を發せず、心身恭敬、忽せにするなく、入りては元源に立ち歸り、出でゝは和光の塵に同じうすと、古老は觀念を、かく傳へてゐる。或は鳥居に入りては、念慮をやめねばならぬ。信を以て祓除すべきである。これを「心の注連」といふ。祓は清淨を要とする。清淨なれば、精明を致し、精明なれば、元を元とし、元神に入り、神を神とし、本心にまかせて、一に歸すると教へてゐる。

 神前に出でゝは、息も立てぬほど謹み、退いて始めてホツとする。弘安の昔、通海は『太神宮參詣記』に、「内宮にまゐり侍れば、神路山の風の聲、有爲の妄雲も、忽ちにはれ、御裳衣河の浪の音、無始の罪障、もはやすゝがれぬる心地して、承り及びしにも過ぎて、身の毛もよだち、忝く覺えて」と云ひ、坂士佛の『伊勢大神宮參詣記』には、「就中、當宮參詣の深き習ひは、念珠をもとらず、幣帛をもさゝげずして、心に祈る所なきを、内清淨といふ。瀬をかき水をあびて、身にけがれたる所なきを、外清淨と云へり。内外清淨になりぬれば、神の心と我が心と隔てなし。すでに神明に同じなば、何を望んでか、祈請の心あるべきや。是れ眞實の參宮也と承りし程に、渇仰の涙、とゞめ難し」とあるが、「何事のおはしますかは知らねども 忝さに涙こぼるゝ」もの、一西行のみでない。

 これは神宮のことであるが、一般神社に參拜の心でもあり、家庭祭祀に當つての心持ちも、かくあるべきである。

 神饌を調理するには、清く調理することに心がける。神社などでは、神饌所と云ふ建物が別にあつて、人の飲食とは異にして調理する。大祭などには、神饌所とか、御炊屋とか云ふ所に、一週間籠つて調理することもある。京都伏見の下村氏などは、邸内祖靈を祭る祠堂の傍らに、一棟の神饌所があつて、主人がこゝで調理する。押入れには、神饌用の器を納め、片隅には水道を引いて流れが作つてあり、又た鍋・釜をおいて煮炊きも出來る。中央に調理臺がある。汁を温め神饌を盛ること、終つて椀を洗ひ拭ひして、紙に包み箱に入れて納める迄、皆な主人がする。資力の關係で、それまでには、一般人は出來ぬが、布巾を異にし、又た調理用の器具を異にし、別の棚に納めて、清く扱つてゐる家は多い。精神は、こゝに學ばねばならぬ」と。



 愚案、見られるがよい、戰前の家庭祭祀の御本である。神社參拜の正統を學ぶことが出來る。神社崇敬者たる者、否、俗流保守は暫く措く、神社崇敬の正統を護持せんと勇む者は、せめて其の「參拜の心」、「精神は、こゝに學ばねばならぬ」。然るに昨今の靖國神社に於いては、果して如何。此の掲示板を見て戴いてをる御方には周知の事であるが、靖國神社を「靖國」と呼捨てにすること、昭和殉難者を「○級戰○」と申すこと、固より嚴禁であり、忌み憚る詞であることは申し上げるまでも無い。申せば際限が無い‥‥。

 塾頭・一兵士翁の曰く、「

 彼らは、靖國神社にビラ撒きの申請に行つて、「斷られた」事を明言してゐる。それを「境内外なら、問題はない」と解釋して、大鳥居の前の路上で、參拜者にビラを渡してゐる。これがダメだと云つてゐるのに、「警察の許可をとつた」と云ふ。似非保守・右翼ゴロ同然だから、ビラを撒いてゐるが、これまでの保守・右翼陣營は、正統を守つて、ビラを撒かなかつた。募金活動はしなかつた。一企業の宣傳はしなかつた。

 だから、靖國神社の大鳥居周邊は、いつも靜かで、靜謐で、參拜者は九段下から、肅々とした氣持ちのまゝで、大鳥居前に至り、靜かに頭を下げ、うつむき加減に身を抑へて、參道に入つていくことが出來る。その參拜者に、突然、横からビラが渡される。ビラ配りの者が配置されてゐる。背廣は着てゐても、胡亂であることにかはりはない。參拜者の心の中を亂し、神社周邊の景觀を汚す‥‥ビラ配りは、あつちやいけない風景なんです。

 一度二度ならいい。まつたく、他の繁華街での活動はしない。參拜者の懷だけを狙つてゐるとしか考へられない。いくら云つてもわからない。一兵士の惡口雜言で、正當化してゐる。無念だ。右翼ゴロ・似非右翼に勝つ手段はない。こゝまでだ。何かと云へば、「實力で排除しろ」と、ヤクザみたいに脅してくる。天下の公道で、警察の許可をとつてゐるビラ撒きを、實力排除できないでせう。こちらは、暴力團右翼ではないのですよ。あきれたイカレポンチとして、諦めるしかないか‥‥殘念です。しかし、一兵士の衝撃は、大きい」と。
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【一兵士翁・最終勸告より】
http://nf.ch-sakura.jp/modules/newbb/viewtopic.php?topic_id=1164&forum=1&viewmode=flat&order=ASC&start=810
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【一兵士翁・信仰の卑俗化】
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/126
  
 

蠻風書法にも、亦た一理あり。

 投稿者:備中處士  投稿日:2011年 1月17日(月)23時16分46秒
返信・引用 編集済
   我が國語は、縱書きし、右より左に書すを正と爲す。大方の傳統は、之に傚ひて疑はざるべし。然るに泰西蠻風の文字の流れ來り、且つ最近に至りては、電腦機器の流行や、遂に我が國語を以て横書きし、左より右に書すを習ひと爲し、些かも疑はざるに至れり。

 我が大御國振りを固守する人、また古典に親しみ愛する人は、大いに之を憂ひて、電腦文書を讀むを嫌ひ、遂に之を廢するに至ると聞くこと、まゝあり。小生も縱書きを欲すと雖も、此の掲示版に文字を打つ以上、其の樣式に從はざるを得ず。然れども先日、國語を愛する人より、甚く注意を受けたり。本末顛倒、言行一致せず、と。

 小生は、我が國文を横書き・左より右に打つこと、躊躇逡巡、こゝに惱むこと久しと雖も、年來、唯一の言ひ訣を用意しをる(苦笑)が故に、こゝに披露して、大方の理解と海容を乞ひまつると爾か云ふ。

 小生の爲に注意を喚起せる御方、下記を讀み給ふべし。‥‥でも、苦しいなあ(洪笑)。許させ給へ。



●平田篤胤大人『古史徴開題記』一之卷春に曰く、「

 神世の字は、‥‥梵字といふ字に似て、横行の字體なりしと聞こゆ‥‥。其は彼の梵音の、皇國の音(こゑ)に、やゝ似て、その書く字の横に右行(みぎりがき)なるが、神隨(かむながら)なる道に符(かな)ひて、然る事に所思ゆればなり[但し竪行(たてくだり)に書くこともあれど、横行(よこがき)を正しとし、横行に、右行と左行とあれど、右行を正しとすると、或人いへり。誠に然るにや]。

 其は大地の旋りは、伊邪那岐・伊邪那美二柱の大神の、固め給はむとして、畫き成したまへる御手の運びのまにゝゝ、右行なり[此の事、『古史傳』第五段に、委しく註せるを見るべし]。その右行なる、大地の旋りにならふ謂れなると見えて、草の蔓(つる)の右廻りに纏ひ著き[但し稀れには、左廻りにまとひ著く草もあるは、變とも云ひつべくや]、人の立ち廻りも、左より右に爲るが便りよく、また試みに右と左と下とに、瞳子(ひとみ)を活動(はたらか)し見るに、左より右に見やるかた、便りよく、右より左に見やる事は、便りあしく、下に見おろす事は、兩眼ともに活かさず。見開きたるまゝに見る故に、こよなく苦しきを思ふに、眼の横に裂けて、右に見るに便りよきことは、大地の横に右に旋る理に符へれば、字も其の如く書くべき物なる故に、梵字を横に右行に書くこと、神隨なる道に符へりと云ふなり[此は梵字のみならず、音の印の字を、横に右行に書くは、みな神隨の理に符へり。然れば横行に記す國々の字の起めは、天つ神の傳へ坐せるならむも知るべからず。國々に、其の傳へは無きか。ひろく異國の事知れる人に問ひて明らむべし]。

 漢土も、文句(ふみことば)は竪下りに書きならひたれど、原(もと)は決(きは)めて横に右行に書きけむと所思ゆ。そは彼の國の字も、體(かたち)こそ異なれども、「一」の字を書くさまにても知るべし。左より右に物するは、神隨の道に遁るゝ事の能はざるなるをや[此を案ふに、漢字を始めて製れる人をも、誰ぞ彼ぞと云ひて、其の説の詳かならざるを思ふに、本は神の傳へ坐せるに、彼の國人の伏羲にまれ、蒼頡にまれ、次々に造り加へたるならむも知るべからず。但しかく辨へたらむも、漢土に邊(へ)つらふさかしら人は、なほ信(う)けざるも有るべけれど、此は熟く眞の道の趣きを悟り得て後は、おのづからに思ひ得て、疑ひの晴るゝべきものぞ]。斯在れば、神世の字の梵字に似たる状なりけむは、信(まこと)に然も有るべき事にて、彼よりは、殊になだらかに優美しく、横に右行にかけりけむと所思ゆ[但し梵字に似たりと云ふを、惡(きら)ふ人も有るべけれど、上に云へる如く、梵字の體、すなはち神隨なる道に符へれば、然しも惡ふべき事にあらずかし]」と。
 
 

承詔必謹、天皇歸一。

 投稿者:備中處士  投稿日:2011年 1月14日(金)18時38分43秒
返信・引用 編集済
  ●葦津珍彦翁述『創刊十周年紀念出版・神社新報編集室記録』(昭和三十一年五月・神社新報社刊)に曰く、「

 終戰後に至つて、私は始めて吉田(茂)先生の敬神愛國の至情に打たれて、心から先生を敬愛し、先生の教示を仰ぐことができるやうになつた。終戰後、間もないころ、私は、目白に先生を訪問した。

『(吉田茂翁の曰く、)僕は、最後まで敗戰を信じなかつた。終戰の詔書を拜して、地底につきおとされたやうに感じた。これからどうするかと、君(葦津珍彦翁)は云ふが、僕としては、亡國の危機に瀕した祖國に、神ながらの大道が生きつゞけるやうに、そのために、全心全靈を捧げたい。

 この測らざる悲運に際會して、僕は、思ひ餘つては、眼を閉ぢて考へこむ。今は亡き先輩の顔が浮かび、僕は心の中で語りつゞける。君の親父(葦津耕次郎翁)は、最も力強く、僕の魂を勇氣づけてくれる。僕は、これ以外に道はないと信ずるに至つた。』

 この日の先生の話は、初めて私の心を打つた。縱横の機略、豐富なる智識を有つた先生が、それらの一切を棄てゝ、一途に敬神護國の至情に生きようと決意された話は、私を感動させずにはおかなかつた。

 神道指令の發せられる前から、先生が政府やGHQの間を往來し、あるいは神社本廳の創立について、大きな努力をされたことは、餘人によつて記録に止められるであらう。日本の神社は、明治以降の國家管理時代に、内務省の所管に屬してをり、先生も神社局長をされたことがある。内務省で神社に關係した高官の數は、極めて多い。しかし終戰直後の神社神道危機の際に、終始して神社神道のために盡力されたのは、それらの人々の中にあつて、吉田先生を以て第一人者とすることには、何人も異存はないところである。

 神社本廳が創立された後には顧問となり、後には自ら總長として、神社新報に對しては、絶えず助言を惜しまれなかつた。特に直會の御神酒の後で、得意のべらんめえ口調で論じ立てる時の先生は、まことに痛快でもあり、好ましかつた。それらの議論の中の‥‥、私の最も印象に殘つてゐる先生の、詔書に關する教説について述べておきたい。これは、(神社新報)社で、“詔書研究”をした際に聞いた話である。先生は語られた。

『私が閣議に列して、詔書の起草に奉仕した經驗から云ふと、詔書の起草の時ほどに、“皇位”の神聖を痛感することはない。形の上で云ふと、詔書は、内閣書記官長が起案して、閣議に提出する。各國務大臣が、それぞれに意見を述べて、修正・加筆・削除がされる。最後に決定案ができて、内閣から、陛下の御裁可を仰ぐ。御裁可を仰いだ後に修正されたと云ふやうな事は、私の知る限り、帝國憲法實施以來、かつてない事と思つてゐる。これを外側から形ばかり見てゐると、閣議の議決書と同じではないかと云ふやうな、淺薄な感想を有つ人もあらうが、これは精神的には、全く別のものである。

 書記官長も、詔書の起案には、二三の助言者を求めて執筆するが、その時の心境は、全く平常とは異るものとなる。自分と云ふものを考へない。陛下の御心境・御立場を拜察しての、歴史的文章であることを考へてゐるので、平素には思ひも及ばぬやうな高い心境に到達する。

 閣議で審議される時も、同樣である。何時もの閣議では、閣僚は各省長官として、又は一政派の代表としての意識に支配されてをり、策略的な駈引の空氣が、議場を支配する。だが、詔書の審議の時には、それらが一切消え去つて終つて、すべての閣僚が、いかにして崇高な大御心を傳へるかと云ふ一點に眞劍になる。あの大臣が、この大臣が、こんな崇高な精神に思ひ及ぶのであらうかと、驚嘆するやうな發言をする。詔書起草の時の閣議は、平常の閣議の際とは、全く別人の會議のやうな空氣に支配される。僕は、詔書審議の閣議には、皇祖皇宗の神靈が臨ませられ、閣僚が全く大御心に歸一して動いてゐるのを、決して疑はない。詔書は、正しく大御心の表現であると信ずべきである。固より國務大臣の副署は、その輔弼を證するものであるが、詔書を以て内閣の決議書のやうに考へるのは、斷じて誤りである。詔書起草の閣議を經驗した人は、皇位の精神的威徳の、いかに偉大なるものであるかを、決して疑ひ得ないであらう、云々。』

 この吉田先生の言葉を、戰後派の若い人々が、どの程度に理解し得るかを、私は知らない。吉田先生は、鈴木終戰内閣の政策に對しては、極めて批判的であつたやうである。だが、それは終戰の大詔を拜する吉田さんの心理には、何の影響もなかつた。終戰の大詔を捧讀する吉田總長は、詔書の中に、たゞ一途に大御心を拜して、感涙にむせぶのみであつた。慶應病院に歸らざる入院をされる直前に、明治神宮で、詔書を捧讀された時の吉田總長の姿は、終生、私の印象から消え去ることはないであらう」と。



 愚案、詔書とは、かくも神祕儼在、偉大崇高なるものであり、國民たるもの、必ず謹みて承るものである。然るに最近の者共は、感激が實に薄うして、事務文書くにゐにしか思はない。甚だしきに至つては、「皇祖皇宗の大御心に反する」なぞと、喧傳して憚らぬ癡れ者保守も蟠居してゐる有樣、申す者は、何樣か知らないが、寔に魑魅魍魎、若しくは熊襲か、はた土蜘蛛の殘黨の如し。



●『吾妻鏡』文治元年六月十六日條に曰く、「

(右大將源頼朝の曰く、)綸命に違背するの上は、日域に住す可からず。關東を忽緒せ令むるに依ては、鎌倉に參る可からず。早く逐電す可し」と。



然れども朕は、時運の趨く所、堪へ難きを堪へ、忍び難きを忍び、以て萬世の爲に、太平を開かむと欲す。朕は、茲に國體を護持し得て、忠良なる爾ぢ臣民の赤誠に信倚し、常に爾ぢ臣民と共に在り。若し夫れ情の激する所、濫りに事端を滋くし、或は同胞排擠、互に時局を亂り、爲に大道を誤り、信義を世界に失ふが如きは、朕、最も之を戒む。宜しく擧國一家、子孫相傳へ、確く神州の不滅を信じ、任重くして、道遠きを念ひ、總力を將來の建設に傾け、道義を篤くし、志操を鞏(つよ)くし、誓つて國體の精華を發揚し、世界の進運に後れざらむことを期すべし。爾ぢ臣民、其れ克く朕が意を體せよ。



 此の「時運の趨く所」の字句は、『春秋左氏傳』成公八年條に曰ふ、「信、以て義を行ひ、義、以て命を成す」から、「義命の存する所」と謂はねば、日本の正義を失ふなぞと、息卷いて演説し、詔書を私物化した老陽明學者もゐた。これも、何樣の心算か存ぜぬが、遂に女狐にたぶらかされて死んだやうである。
 
 

松平永芳宮司の先憂。

 投稿者:備中處士  投稿日:2011年 1月 5日(水)00時54分44秒
返信・引用 編集済
  ~承前~

 愚案、植村和秀氏『昭和の思想』第二章「思想史からの靖國神社問題――松平永芳・平泉澄」に引用する、永江太郎翁の一文に於いて、殊に重要な指摘がある(實は小生、不覺にも見落としてゐた)。永江翁の原文に當つて、之を擴大し、こゝに引用させて戴き、松平永芳宮司の覺悟と憂慮とを、謹みて御傳へし、有志の注意を喚起したい。



●永江太郎翁『所謂○級戰○合祀(愚案、「昭和殉難者」と書す可し矣)と首相の靖國(愚案、「靖國神社」と書す可し矣)參拜をめぐつて』(日本學協會『日本』平成十八年七月號)に曰く、「

 昭和六十年八月十五日の公式參拜を公約した中曾根首相は、この參拜問題を審議するため、林敬三氏を座長とする官房長官の諮問機關を作つた。そして「宗教色を薄めれば、違憲ではない」といふ結論に從つて、神式の拜禮はしないといふ方針を出した。

 中曾根首相の公式參拜實現を最優先した「英靈に答へる會」と「遺族會」は、この方針を受諾し、八月十二日、グランドパレスホテルに、松平宮司を招いて、政府の方針を傳へて受諾を求めた。松平宮司は、『手水や拜禮の仕方などは、個人の問題であるから干渉しないが、[本殿に入る人を清める]祓はやる。これは、神社側がやるべきものである』と囘答した。これに異論があり、一時紛糾したが、次囘からの修正を約束したので、松平宮司は即答を保留して、一旦歸社し、翌十三日十時、遺族會の代表に、『受諾はするが、蔭祓はする』と囘答して、今後修正すること、竝びに遺族會は所詮部外者なので、官邸サイドから正式に要請すること、といふ二つの條件を付けた。しばらくして藤波官房長官から、明十四日に行くとの電話があり、約束どほり、藤波官房長官が、的場内閣審議室長を同道して、神社を訪れた。そこで、『政府の方針を受諾するが、蔭祓はする』と囘答し、天皇陛下の御親拜の御作法と敬虔なお參りを説明し、靖國神社を政治に卷き込まないことなどの要望を、中曾根首相に傳へるやう依頼した。

 十五日當日は、武道館の慰靈祭の後、中曾根首相は武道館で晝食を取り、その間に遺族を參道に竝ばせて參拜したが、御本殿の中には入らず、階段を上がつた所で參拜した。この時、松平宮司が最も心配したのは、中曾根首相の參拜のやり方が、地方の護國神社における知事の參拜に影響することであつた。

 首相の公式參拜推進の中心となつたのは、遺族會であつた。遺族會の村上會長は、靖國神社の總代で、宮司推薦委員でもあつたので、松平宮司は、『小職、この度び政治壓力に屈し、靖國神社祭式についてのみならず、我が國の傳統祭式に對する許すべからざる惡例を容認致し、自責の念に耐へず。よつてその職を辭したく、お願ひ申し上げます』との辭表を、村上總代に提出した。驚愕した村上總代の報告で、直ちに宮司推薦委員會が開かれた。審議の經過は議事録にあるが、「辭表を受理せず」と決定して、宮司留任となつた。

 松平宮司が、この問題を深刻に考へたのは、政教分離は前哨戰で、最終目標は、宮中祭祀であり、皇室潰しにある、と認識したからである。神道は、皇室と一體で、建國以來、いや、建國以前から、日本民族の中に根ざした傳統習俗であり、日本人の精神や道徳心、物の見方・考へ方に、深く關はつてゐる。潔癖な程の清潔感や、靈魂を信じて來世での再會を誓ふ宗教心などは、日本人特有のものである」と。

http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t3/l50
 
 

平泉澄博士の神主としての遺訓。

 投稿者:備中處士  投稿日:2011年 1月 2日(日)02時10分31秒
返信・引用
  ●平泉隆房博士『寒林夜話――祖父平泉澄との對話――十一』(日本學協會『日本』平成二十三年二月號)に曰く、「

(平泉澄博士の曰く、)戰前も戰後も、神職界を見ると、大體、二通りの神主がをる。一方は、神樣に對して尻を向けて、自分が神樣になつたくらゐの氣分で、氏子や庶民に神道やご祭神の徳を吹聽し、説教する神主だ。意氣込みは良いとしても、お前(平泉隆房博士)は、決してこのやうな神主になつてはならぬ。もう一方は、氏子と共にあつて、氏子と一緒に、ひたすら神樣を拜する神主、お父樣[祖父の尊父・平泉恰合翁]がさうだつた。お父樣を見習つて、立派な神主になるんだ。‥‥

 戰前の神道行政、これは評價して良いが、肝心の神職に、その人が少なく、實態は殘念なことが、實に多かつた。住吉大社の高松[忠清]宮司や、彌彦(神社)の庄本[光政]宮司(『神道教化概説』神社新報社刊あり)は、大陸で非常にご苦勞され、そして引き上げて歸つて來られた。いづれも立派な神職さんだつた。このやうな見識ある方々も居られた。‥‥

 内務大臣官邸で、會議があつた(昭和十六年、平泉澄博士は、神祇院參與を拜任。同年七月十七日、神祇院參與會議)。神祇院より[飯沼]副總裁・石井總務局長・宮村教務局長、參與として山田孝雄博士・吉田茂氏・今泉定助氏・高山氏・桑原氏・宮地直一博士、宮内省から岡本參事官が來てをられた。この日の議題で重大だつたのは、明治の末に、神社合併によつて廢止せられた神社のなかで、復活すべきものを調査した結果の概要が、總務局長より報告せられたことだつた。わし(平泉澄博士)は、非常に嬉しくなつた。ところが意外なことに、高山・桑原兩翁が、依然、神社合併策を良しとされて、復活に反對された。そこで、わしは反對意見を述べた。

『神道がずつと不振であつた原因は、當局が神社の形式のみを整備しようとして、神社の廣さ・氏子の數・資産等に、種々の制約を設けて、不適格なものを、表面上は合併の名のもとに、事實上廢止し、少しも由緒や信仰として顧みないことにあるのであります。かゝる形式的なものとして取り扱ふ以上、世間の人々の信仰は薄らぎ、神社のさびれゆくは當然のことでありまして、延喜式内社の古いお社が、由緒もない新興の村社に併合され、村人が畏敬してきた神の森は伐採開墾され、傳統は破壞され、信仰は蹂躙されてきたのです。私は年來、これを遺憾としてきたのでありますが、今日、當局が、昨日までのそれを非として、方針を一變されたことは、誠に感謝に堪へないところであります』と。

幸ひにも山田・今泉・吉田の三氏も、わしの意見に贊成、かくして明治四十年代の合併は、これを否定することに決し、しかし「先輩に對して、公然と間違ひであつたと言ふのもどうか」といふことで、「氏子の熱望に應じて復活するのを默認する」ことに落ち着いたんだ」と。



【參考・南方熊楠翁『神社合祀に關する意見』】
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/161
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/170



 愚案、植村和秀氏『昭和の思想』(講談社選書メチエ・平成二十二年十一月刊)全七章に、二章を割いて、

一、思想史からの靖國神社問題――松平永芳・平泉澄

一、思想史からの終戰と昭和天皇――阿南惟幾・平泉澄

あり。若い研究者が、平泉澄博士を論じたもの、興味あられる御方は、ご一讀ください。
 

第四年目に突入せる九段塾、何事をか爲さむ乎。

 投稿者:備中處士  投稿日:2011年 1月 1日(土)09時21分18秒
返信・引用
  平成二十三年
紀元二千六百七十一年
天降五千十一年
天皇正月、歳、辛卯に次る新春を壽ぎ、謹みて、
聖壽の萬歳を祝ひ奉り、竹の園生の彌榮を懇祷し、併せて塾頭・一兵士翁はじめ、ご閲覽各位の道福を祝祷申し上げます。

 大祓詞を奏上しては、何時も「辛苦」の二字を想起して、「清清之(すがゝゞし)」の境に至らんと努力するも、遂に近づく可からず。然れども元旦の清々しさは、神明の稜威恩頼、殊更に深くして、吾が心に助力あるを覺ゆるのであります。神國に生れて、懇祷し奉る幸福、洵に難有いことゝ謂はなければなりません。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t22/18

 塾頭・一兵士翁の主宰する、此の『九段塾』も、數へて四年目に入りました。各位のご勇筆ご靈健を、幾重にも乞ひ奉ること、愈々切なるものがあります。塾頭には、ご病氣ご療養中ではございますが、各位の述志熱祷、文章奉皇の言靈を、必ずや照覽したまふものと確信いたします。

 當塾は、塾頭ご高覽の下、靖國神社の正統護持を期し奉るもの、延いては皇國の復古中興を請ひ祈み奉り、其の翼贊期成を誓ひ奉る齋庭にしたき至願、固より變ること有る可からずと雖も、各位のご協贊ご參加なくんば、其の存在意義を、嚴しく問はれるものと恐察いたします。

 本年も、何卒、倍舊のご交誼ご誘掖、ご指導ご叱咤を、只管ら懇祈して、至誠の通ずる所、必ず狂瀾を囘し、聊か皇國無窮の恩に報い奉るを得むと、爾か云ふ。敬つて白す。

   眞金吹く吉備の中つ國、黍房書屋に於て、掲示板管理者・備中處士、謹拜
 
 

謹賀新年

 投稿者:愛国主義者  投稿日:2011年 1月 1日(土)00時05分16秒
返信・引用
  備中處士様、常連の皆様
昨年は大変お世話になり、誠に有難うございます。

改めまして、本年もよろしくお願い致します。
謹んで新春の御祝詞を申し上げます。

皇室の弥榮と國運の隆昌、皆様の御健康と御多幸を御祈り申し上げます。

 皇紀二六七一年 平成二十三年 元旦
 天皇陛下萬歳!!!大日本帝國萬歳 !!!
 

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