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  • 『凛として愛』上映禁止の經緯。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 8月15日(月)00時11分35秒
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■【註二】泉水隆一翁『靖國神社製作「凛として愛」撮影ご協力頂いた皆様方へ』(平成十四年九月十八日)
○凛氏/http://ameblo.jp/rintositeai/entry-10680084559.html

「前略、突然ながら、お手紙差し上げます。

 皆様に撮影ご協力頂いた映画、『凛として愛』に関してのことです。もう、既に皆様方の中には、ご存じの方もいらっしゃると思いますが、『凛として愛』は、去る七月上旬には完成をし、七月十三日から始まる靖國神社恒例のみたま祭に、「こけら落とし」された新・遊就館映像ホールで上映されましたが、上映は二日間のみで、神社側の一方的な判断で、それ以降は、上映中止の措置がとられました。

 中止理由は、中国・韓国からの反論・抗議を恐れるためでした。神社の中でも、若手職員の中からは、「映画は中・韓を恐れず、堂々と上映すべき」という声も、陰にはありましたが、首脳部は「トラブルに巻き込まれたくない」という、もっともらしい理由を楯に、上映中止を断行したのです。英霊の汚辱を晴らす、本作品の上映よりも、「トラブル」を嫌ったのです。神社側の言い分は、日本外務省同様に、「国際的な配慮が必要」というものでした。

 神社に祀られる英霊は、身命を擲って、国家のため、同胞のために地に伏しました。その英霊のおかげで、靖國神社は、今も現存しています。英霊のおかげで、靖國神社に勤める神職・職員の豊かな生活は成り立っています。どんなに世の中が不況に陥っても、彼らの生活に影響を及ぼすことはなく、多くの参拝者の奉納金で、豪華なマンションを彼らは建設し、毎日のように酒席を設け、何の経済的不安もなく、楽しい生活をしています。それはいいでしょう。神社の神職・職員が、全てを英霊のために擲っているならば、私は彼らの生活にまで斟酌する必要はありません。

 しかし、現実は違う。私は二年間、靖國神社に勤務して、映画を制作してきました。普通の人が垣間見られない、裏の姿も見ることが出来ました。これも英霊のおかげでしょう。英霊が、私に真実を覗かせているのだと思っています。私は、なにも靖國神社の本当の姿を暴露するつもりは、今日の所はありません。いいたいことは、彼らが保身に走ったことです。トラブルを防ぐというのは、詭弁であり、要は韓国・中国からの、あるいは左翼系からの抗議・攻撃に身を曝すことを嫌がったという、ただそれだけの理由です。安穏とした生活をしていたいだけなのです。訪れる遺族には、いかにも英霊への崇敬を果たしているような言葉をいい、尊敬を抱かれることが好きなだけなのです。彼らは、神社がぼろぼろになっても、正しい歴史のために、英霊のために闘うという思いは、まったくありません。政治的に全てを計ろうとしているだけなのです。戦後の日本がだめになった縮図が、現在の靖國神社運営首脳部に見ることが出来るのです。

 考えてみれば、戦後の靖國神社は、戦前の靖國神社と名称が同一なので、ついつい、私たちも靖國神社という名前に騙されて、神社の職員は、全て英霊一筋だと考えてしまいがちですが、かれら神職は、たまたま、神学大学を卒業後、一般人と同様な感覚で、靖國神社という所に勤めただけのことで、英霊がどうのこうので、就職したわけではないということが、二年間、彼らと共にしたことで、そのことがよくわかりました。またまた靖國神社の悪口になりましたが、今日は、それは極力押さえるつもりなのです。真実は、別の機会でしたく考えています。

 本日、私が言いたいのは、普段は『中国・韓国に屈するな』、『正しい日本近代史を』等、口にしながらも、いざとなれば、保身に走った現在の靖國神社首脳部は許しがたいという思いを、皆様に伝えたいということなのです。欺瞞という衣をまとった通常人が結束し、神社を牛耳っております。英霊の汚辱を晴らすために闘うという姿勢は、何度も言うように、まったくありません。あるのは「闘っているぞ」というポーズと、参拝者が減ることと奉納金は減じることだけが、日常の心配の種というだけの、靖國神社にいるべきでない人々が参集していると、私は考えています。決して私の思い過しでも、偏向ではありません。二年間、私は、彼らの日常会話を耳にし、言葉を交わしてきました。裏も表も見て来た、私の靖國観です。

 今まで、皆様には何のご連絡もせず、このような突然の手紙を見て、さぞかしお驚きのことでしょうが、話を進めます。実は上映中止の後、神社側から他の団体に映画を譲渡して、その団体名で映画を上映したいという意向が伝えられました。その話が決まった段階で、皆様にはご連絡しようと考えていたために、ご通知が遅れました。申し訳ございません。私は神社側が、『トラブルに巻き込まれたくない。しかし、どうしても映画は上映したい』という言葉を信じて、「譲渡という行為そのものが卑劣・卑怯」と、心に思いながらも、それでも映画が上映できるならと考え、譲渡することに承諾をしました。

 しかし神社と譲渡先の団体とのやりとりで、やはり中国・韓国から抗議がくるような内容は削除、一部修正して上映したいという話が、私の方に伝わってきましたので、私は、即座に譲渡の話は断りました。何の修正もなしに譲渡することを条件として、譲渡を承諾したにも関わらず、彼らは、再度、姑息にも、今度は譲渡先で修正してから、靖國神社で上映するという密約をしていたようです。

 英霊をないがしろにし、保身のみに汲々とする神社に、現在は、未練も魅力も、私は持っていません。従い、戦後、歪められた日本近代史を破棄し、正しい英霊の歩みを国民に知らしめようと企図した本作品は、靖國神社では上映できなくなりました。出来なくなったというより、私の方で、こんな神社で上映してほしくないという気持ちが強く、断ったというほうが適切でしょう。

 「なんとか、上映するために譲渡したい」という神社側の言葉に、またしても騙されたという思いが強くあります。本来は、この映画は「日本を変える」、「日本の正しい近代史を描き、英霊の汚辱を晴らしたい」という意向を、強く主張された花田(忠正)権宮司の意向に従って、制作がスタートしています。しかし、どういう悪霊が動き回ったのか、花田権宮司は、制作途中で担当を外され、新たな人事異動で、現在の首脳陣が形成されました。それから英霊の真実を伝えようとする『凛として愛』に、徐々に圧力がかかりだしました。色々な噂が、私の耳に飛び込んで来ます。
「宴会シーンに神社の人間を使い、出演料を浮かせようとしている」、
「監督は、左翼思想があるのではないか」、
「どうせ、金で雇われてやってるんだから、次は共産党のものもやるんじゃないの」、
などなど、個人的中傷の噂です。本作品は私が中心になっているので、私を腐らせて、作品から降りてくれれば、作品が完成せず、彼らにとって最都合なのでしょう。スタッフ一同とも嘲笑しながら、私たちは構わずに、初期の目的どおり、映画制作を続行しました。

 そして今年の六月下旬には、一応の完成を見たのですが、神社側と神社の上部組織である総代会からの意見として、中国・韓国を『悪く言うことは避けたい』ということが伝えられました。日本近代史を描く映画で、『悪く言うことは避けたい』という、驚くべき稚拙な歴史認識に、私は驚愕しました。悪く言っているのではなく、事実を描いているだけです。それは皆様にお送りしたプリントをご覧になって頂ければ分かることです。そして幾分かの修正が出ました。私は忍の一字を心に呑んで、映画上映のために主張に影響がない限り、修正できることは、神社の意向に沿った修正を致しました。

 そしていよいよ明日が本番上映という時に、総代の一人である阿南総代と小田村四郎総代から中止命令が出たということで、わずかこの二人のために、映画上映は中止となりました。ところが、本作品をなんとか上映したいという神社の人々が裏で動き回り、神社としては、社報やポスターで『凛として愛』を大々的に宣伝し、そのための招待客を大勢呼んでいる手前、なんとか「みたま祭」期間だけは上映したいと、小田村氏と交渉し、当日、「本作品は、神社の意向に沿ったものではなく、泉水隆一監督個人の歴史観による作品であるので、このような作品を上映することに至ったことをお詫びします」という、トンデモナイ挨拶文の紙が招待者に配布される中で、本作品は二日間だけ上映されたのです。

 なんという常識のない、公式挨拶であろうか。これが現在の神社執行部の志向なのです。それでも、映画は上映されたので、満員の観客は至る所で泣いていました。山口県から来たというお年寄りの団体が、「いい映画を見させてもらった。冥途の土産になります」と、私の隣で話をしていたのを聞いて、さすがに私も涙を流しました。映画を上映してよかったと思いました。

 少し横道に逸れてしまいましたが、現在、私は靖國神社に祀られる英霊そのものは、大切にしたいと考えておりますが、現在の靖國神社執行部である、湯澤(貞)宮司・三井(勝生)権宮司・山口(建史)総務部長の三人を信じてはおりません。又、神社に上映中止を迫ったと言われる阿南(惟正)総代(阿南惟幾大将の遺児)・小田村四郎総代(拓殖大学総長)、他に小堀桂一郎氏などの一連の著名な学者・研究者も、私は信じていません。彼らが、今後、英霊に対してどのような崇敬の言葉を吐いたとしても、私はそれを腹で嘲笑し、軽蔑します。全て偽善者であると、私は断定するからです。

 取り敢えずは、今日はここまでのこととして、皆様にご連絡が遅れたことをお詫びすると同時に、完成した映画『凛として愛』のプリントをお送り致しますので、どうぞ、ご鑑賞ください。 また本作品の完成後、同時進行していた真珠湾攻撃の真実を描いたアニメ併用の『太陽に向かって翔べ』や『大東亜戦争の真実』の二作品も、編集を中止しました。『太陽に向かって翔べ』の作品では、スタジオに、真珠湾攻撃に出撃した三十隻の縮小艦船模型に、潜水艦部隊三十数隻(縮小模型は龍角散社長よりお借りする)、また航空部隊の三機種の模型を準備し、三日がかりで、その威容を撮影。そして真珠湾攻撃に参加した空母加賀の雷撃隊のお一人のインタビューや、ハワイまでロケ、真珠湾攻撃を直接目撃した日系二世の元米軍将校のインタビューなどで構成、真珠湾攻撃の真実の姿を描く予定でしたが、これも中断せざるを得なくなったこと、誠に残念です。ご協力頂いた方々には、申し訳ないの一言です。『大東亜戦争の真実』では、戦後、初めてカメラの前に立たれたアッツ島生き残りの元兵士の貴重な証言、山崎大佐の遺児・山崎保之さんのインタビュー。また日赤の従軍看護婦の方、島根県の山村で戦後の日本の歩みを批判する人々の話、あるいは玉砕の島ペリリューに十日間ロケ、彼らは、どのように執拗に闘ったか――その雄渾の姿を描くつもりでしたが、これも中止という運命になりました。

 私は、靖國神社執行部に対して、今後、どのような形で戦いを挑んでいくか、目下熟慮中です。今の靖國神社の体制を崩さないかぎり、英霊は浮かばれません。ただただ英霊が、彼らの私利私欲のために利用されるだけです。先人が「靖國神社で逢おう」といった言葉は、あくまでも日本国民全てが認めていた、戦前の靖國神社です。今の靖國神社ではないということを、どうかよくお考えになって下さい。その上で改めて、靖國神社というものを考えて下さい。決して彼らの表面ごとの言葉やポーズに騙されてはいけません。『凛として愛』をふみにじったものたちが、靖國神社の中枢にいることが、現在の日本の不幸であり、真実の歴史の扉の前に立ちふさがっています。敵は左翼ではなく、まさに本能寺にあったのです。獅子身中の虫という言葉が、私の胸の中で煮え繰り返っています。

 大変激高した言葉になってしまいましたが、皆様の中にはご不快になられる方もいると思いますが、英霊の力を借りて二年間、『凛として愛』に、自分の才能を注いだ監督の言葉としてお許し下さい。なおプリントと共に、『凛として愛』の鑑賞記を掲載した『不二』(下記★)という雑誌が同封されていますので、お読み下さい。但し部数に限りがありましたので、一部の方にはコピーとなりましたこと、重ね重ねお詫び申し上げます。書いているうちに怒りがこみあげ、支離滅裂な箇所も多分あるかと思いますが、これもお許し下さい」と。



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★大東塾・不二歌道會『不二』平成十四年八月號
○神屋二郎翁の哥――映畫『凛として愛』
英靈の憑りしがごとき氣迫もてみ國を覆ふむらくもを斷つ
○『映畫「凛として愛」鑑賞記』
一、「凛として愛」を拜觀して――松下眞啓氏
一、普及に協力したい――福永武氏
一、東京裁判史觀からの脱却――石田愼氏
一、靖國神社遊就館新館開館の記念行事――平田隆太郎氏

**********

 備中處士案、映畫『凛として愛』は、靖國神社に於いて放逐されたが、「日本青年社」・東條由布子刀自・「愛国女性のつどい・花時計」のご努力により、今や、何人も制止する能はざる勢ひを以て、本來の靖國神社が、此の映畫制作の目的とせる通りに、遊就館改修の目的とせる通りに、俗流保守の思惑を遙かに超えて、國中に、世界中に擴散しつゝある。洵に皇國の幸福と謂はねばならぬ。蓋し靖國護國の英靈、必ずや嘉納し給ふ所であらう。或る御方は、次の如き言靈を寄せて下さつた。知らず、涙、頬を下れり。



●某氏の曰く、「塾頭は、‥‥『詩吟大和流』をおこし、かつて山崎保代大佐にも稽古なされたと云う、父上・福井銀城師の下で朗詠を学び、宗家を継承し、金城と号された監督の声は、大和心の正統を発するお声にほかならなかったのです。思えば、「城」を号とされた泉水監督は、その後、道場を閉ざされましたが、映画製作・脚本の世界で、城たる所以を発揮されました。その監督が自らの肉声で製作されたのが、映画『凛として愛』だったのです。「プロのナレーターを使わずに、自分で吹き込んだのは、製作費を浮かせたいからだ」と、愚か者が言いました。しかし監督は、いくら声のサンプルを聞いても、納得がいかない。『自分の志操は、自分で語るしかない』と云うのが結論でした。思えば、泉水監督の公然たる戦いは、一昨年の十二月二十七日、九段会館での『凛として愛』の上映だったのではないでしょうか。ここで、肉声を以て、かの映画製作と上映中止の真相を語られました。

 もっとも泉水監督は、この映画製作を以て、御自身のお仕事が完成したとは思われておらず、皇国の復興、尊皇精神の恢弘を目指しておられました。正統なる右翼集団の形成をめざしておられました。世論に便乗した靖國神社崇敬奉賛会などではなく、かりにネット上であっても、「靖國神社正統崇敬奉賛会」の形成をもくろみ、それが将来の神社運営に多大の影響を及ぼし、さらには皇室の彌栄を翼賛しまつるものと、信じておられました。それが徐々に実現し、映画上映を計画する人々も現れたことに、大いに喜びを語っておられました。一兵士翁は、今も健在であられましょう。御投稿はかなわなくても、お声は万人が聞いておられる」と。



●某氏の曰く、「泉水隆一監督は、此の映画を創作せしものに非ず。正に『英霊の言の葉』を、脚本に写し取られしものにして、美しくも力強い詩吟の調べに乗せて、朗々と歌ひ上げしもの、即ち『凛として愛』なりと思考する。此の映画は、一篇の詩、民族慟哭の叙事詩なり。監督の意図する所、靖國神社の、遊就館の入館者増加を乞い願うなどの小事に非ずして、究極する所、皇室の翼贊に外ならざるものと恐察す。此の映画は、今日の皇室に奉賛の誠を捧げるものなり。その為めにこそ作られし映画にして、靖國神社が、如何あるべきか、如何に護持するか、の次元を超えた、神武創業の正史を、正当に理解する為めの映画なりき」と。



●某氏の曰く、「『凛として愛』に出て来る、回天のことを語る老婆、反日映画にも、しばしば出演している由。泉水監督が、『真実の事を語ろうよ』と、粘り強く言えば、『真実の事を言えば、映画からカットされる』と。ならばとて、彼の『日本刀をぱーと上げて』のシーンとなったのである」と。



 備中處士案、柳條溝事件に端を發した滿州事變は、昭和六年九月二十一日の「閣議決定」に曰く、
「九月十八日夜、支那兵の滿鐵爆破に因り生起したる今囘の事件は、之を事變と看做す」と。

 泉水監督は、先づ東京裁判史觀の根源にある滿州事變の研究を始め、柳條溝の現場へも出向き、「やはり關東軍は、やつて無い」との結論を下す。而して『凛として愛』は、「天皇陛下認證の閣議決定」に據つて、正統に之を承繼してゐる。然るに現在、靖國神社に上映されてゐる、改竄版『私たちは忘れない!――感謝と祈りと誇りを』(ナレーシヨンは浜畑賢吉・上村香子夫妻)には、「關東軍の一部の將校がやつた」と、明確に訴へてゐる。名指しされたに等しい、其の一部の將校とは、勿論、靖國神社の祭神である。にもかゝはらず、英靈を顯彰する筈の『私たちは忘れない!』では、之を貶めて憚らないのである。

援軍を 送ると聞くに 十年すぎ 未だ來らず 髮逆立つを
援軍の 來たるを待つに 横槍を 入れたる奴は たぶれ誰が奴

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