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  • 山に住む 人ぞかしこき きたなけく 陋しき人の 多かる思へば

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2009年12月16日(水)23時28分51秒
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●平田篤胤大人『勝五郎再生記聞』に曰く、「

 凡て世に、くさゞゝ聞こゆる奇しき事どもに、信ずまじきあり、信ずべきあり。信ずまじきを信ずるは、尋常の人なり、信ずべきを信ぜざるは、漢國意に化(うつ)れる人にて、共に思慮の至らざるなりけり。然れば此等の事ども、其の人に非ざるには、謾りに語るべからぬ事なれど、然のみは默止しがたくてなむ」と。



●平田篤胤大人『信濃國淺間山』に曰く、「

八隅しゝ わが大君 高光る 日の御子の 天地 日月と共に 限りなく、知し食しける(一云、高知りいます) 細矛、千足國中に 神ろぎの 大山祇の いさをしく 國の鎭めと 神ながら 竝みたて坐せる 山はしも 多には有れど(一云、多かる中に) ちはやぶる 淺間の嶽は 眞薦かる 信濃の國の 國中に 神さび立てり 此の國は 國ちふ國の 其が中に 日高見の國 國中の 山にしあるを 此の山は その山國の 上にしも 立てし有れば 山の上の 山なる故に 此の山を さしも高しと 人知らず また此の山に 神ながら います神をも 尊しと 人は思はず 其の神を 尋ねも問はず 夕月夜 おほに過ぎぬれ 此れをしも あやに慨たみ 師木嶋の 倭の國は 言擧げせぬ 國には有れど 此を思ひ 吾は言擧す 此の山の その石根はも 大地の そきへの極み 蹈み凝らし 其の高根はも 足引きの 山のまほらと 天雲の そらかき分けて 進(そゝ)り立ち 高くたふとく 時じくに 烟たち立つ こゝをしも 阿夜に向しみ 靈幸ふ 神世おもへば 此の山に おはす神はも 人の世を 堅磐常磐に 榮えしめ 惠まひ給ふ 山の神 大山祇の 宇都の御子 石長比□[口+羊](壽神)の 常しへに 在ます御山は(一云、ぞ) 見れどあかぬかも

○反歌――四十ぢまり四つのよはひをもゝかへり
いつ速き 淺間の山は 神柄か 分けてかしこく(一云、長く) 思ほゆる哉



●『日々津高根王御神之神影』贊辭(平田家祕藏・一本近江神宮横井時常翁祕藏。毎年四月八日に奉祭)に曰く、「

 眞薦苅る信濃國、千早振る淺間の岳に常石に坐せど、赤玉の御赤らひまし、白玉の御白髮まさで、青玉の瑞の吉玉の行相ひに、靈幸へます日々津高根王御神の、面足らず、稜威の御かた、阿夜かしこ。

 うらがき(由來記)に曰く、これの像はしも、己いとせちに、うつし傳へまほしくて、寅吉にそのさまを探ぬれど、決めて云ふまじき定めなりとて、假そめにも言はざりしを、なほねもごろに、此の神にも願ぎ白し、種々に心を用ひて、問ひあなぐりしかば、神の許したまへると覺しくて、うづなひ、みづから筆をとり、日あまた勞きて、たゞに見知り奉れるまにゝゝ、大かたを成せりしを、畫師どもに誂へたるに、みな寅吉の言のごと、かき得ざれば、阿野宗道の心つきて、芦澤洞榮老翁を伴ひ來て、かゝしめたるに、速かになも成れりける。寅吉見て、たゞにその面を見つるごと、かき得たりと、歡ぶにぞ。老翁に、然らば例のごと、名印を記してと云ふに、辭みて、今まで人の肖像を圖せること許多あれど、かく速かに成れることなし。殊にこは、我が見知らぬ御顔なれば、童子の心にかなへて、かき得べくも非ず。然るにかく心に應へりとて悦ぶこと、實には我がかけるには非ずて、君の厚き心に、神のめでたまひて、童子に神懸りして、そのさまをさとし、我が手をかりて、かゝしめたまへると思はるれば、あなかしこ、わが圖せるとは云ふべからずとて、記さず。こゝに己もさとることに覺えて、かしこみゝゝゝゝ贊辭を記して、その由をうらがきに記せるなも。なほ委しくは、寅吉がこと記せる物語ぶみを見て知るべし。

 文政四辛巳年四月
  平篤胤(花押)」と。



●平田篤胤大人『仙境異聞』に曰く、「

 仙童寅吉の云く、我が師は、釋迦よりも遙か前より世に存へ給ふが、常の物語を聞くに、佛道といふ物は愚人を欺きて、釋迦の妄りに作れる道なりと聞きたり。‥‥何處ならむ、いと寒き所にて、見事なる筒袖の服物を着たる國に一寸行きたりし時、其處の人々、然る類の本尊を、各々もち齋きて有りき。師は然る物を見るごとに、唾をしかけらるゝ故に、其の由を問ひしかば、此は切支丹と云ふ邪法の本尊なり。日本にては堅く禁制の事故に、唾をしかけたるなりと言はれき。‥‥

 我が師の本山は、信濃國淺間山なれど、常陸國なる筑波山、また岩間山にも住み、或は諸越、その外の國々の山に住める事も有り。すべての山人、此の如し。‥‥師は、彼の山に住して守護せらるれば、彼の神に仕へ奉らるゝ謂れなり。鎭坐まします神の御名は聞かざれど、姫神にて、富士山の神の、御姉神に座せど、御同體とも拜すと云ふ事は聞きたり。‥‥

 我が師の如きも、山に住む故に、山人とは稱すれども、眞は生きたる神にて、佛法なき以前より、現身のまゝ世に存し、神通自在にして、神道を行ひ、其の住する山に崇むる神社を守護して、其の神の功徳を施し、或は其の住する山の神とも崇められて、世人を惠み、數百千萬歳の壽を保ちて、人界の事に鬧(さわ)がしく、かつて安閑無事には居らざる物なり」と。

○寅吉――同書に云く、仙名は高山嘉津間。越中屋與惣次郎の二男、文化三寅年十二月三十寅日朝七ツ寅刻生、車屋と號す。後ち蛭子流神道・筑波六所社人白石丈之進の養子・白石平馬。文政三年三月出山。『氣吹舍日記』に、十月一日、平田先生と對面。

○山人――同書に云く、某王別持命の分身・山人杉山僧正(實は組正。山人は、唐には仙人と云ふ)。「さうじやう」には非ず、「さうしやう」と清みて唱ふ。本山は信濃國淺間山、亦た常陸國筑波山・岩間愛宕山・男體山、大山の杉山に在りては杉山常昭と稱し、或は唐土等の山に住みては雙岳山人と號す。誕辰は三月十三日。三千餘歳、亦た四千歳に近き人、或は四千二百歳(六百歳を一歳と定めて、七歳と記さる。定命は六萬歳と見えたり)とも云へり。

○稻村眞里翁『評釋近世名家諄辭集』(昭和七年十一月・明治書院刊)に曰く、「日々津高根王命、此の神は、(平田篤胤)翁が、常に信愛して幽界の事を聽かれたりといふ、仙童寅吉が師として仕へたりし神にて、幽界の事を知ろしめしたる由なるが、常には此の信濃の淺間の嶽に坐せりとぞ。今ま平田家に祕藏せらるゝ、此の神の畫像は、此の寅吉の物語によりて圖せるものにて、巖の山に坐したまへるその裝ひは、束帶と同じさまにて、御衣の色は黒く、巖の下には、牡鹿の稻をくはへて捧ぐるがありて、いかにも神々しきありさまなりとぞ」と。



●平田篤胤大人『山人へ送れる消息』(文政三年。『仙境異聞』に收む)に曰く、「

 今般、慮はざるに、貴山の侍童(寅吉)に面會いたし、御許の御動靜、略々承り、年來の疑惑を晴らし候ふ事ども之れ有り。實に千載の奇遇と、辱く存じ奉り候ふ。其れに就き、失禮を顧みず、侍童の歸山に付して、一簡呈上いたし候ふ。先づ以て其の御衆中、ますゝゝ御壯盛にて、御勤行のよし、萬々恐悦奉り候ふ。

 抑々神世より顯幽隔別の定まり之れ有る事故、幽境の事は、現世より窺ひ知り難き儀に候へども、現世の儀は、御許にて委曲御承知、之れ有る趣きに候へば、定めて御存じ下され候ふ儀と存じ奉り候ふ。拙子儀は、天神地祇の古道を學び明らめ、普ねく世に説き弘め度き念願にて、不肖ながら先師・本居翁の志をつぎ、多年、その學問に酷苦出精いたし罷り在り候ふ。併しながら現世凡夫の身としては、幽界の窺ひ辨へがたく、疑惑にわたり候ふ事ども、數多これあり、難澁仕り候ふ間、此の以後は、御境へ相願ひ、御教誨を受け候ひて、疑惑を晴らし度く存じ奉り候ふ。此の儀、何分にも御許容成し下され、時々疑問の祈願仕り候ふ節は、御教示下され候ふ儀、相成るまじくや。相成るべくば、侍童下山の砌に、右、御答へ成し下され候ふ樣、偏に願ひ上げ候ふ。此の儀、もし御許容下され候はゞ、賽禮として、生涯毎月に、拙子相應の祭事勤行仕る可く候ふ。

 偖てまた先達つて著述いたし候ふ、『靈の眞柱』と申す書、御覽に入れ候ふ。是は神代の古傳によりて、及ばずながら天地間の眞理、幽界の事をも考へ記し仕り候ふものに候ふ。凡夫の怯き覺悟を以て考へ候ふ事故、貴境の電覽を經候はゞ、相違の考説も多く之れ有る可しと、恐々多々に存じ奉り候ふ。もし御一覽成し下され、相違の事ども御教示も下され候はゞ、現世の大幸、勤學の餘慶と、生涯の本懷、之に過ぎざることと存じ奉り候ふ間、尊師へ宜しく御執り成し下され、御許容之れ有る候ふ樣、偏に頼み奉り候ふ。一向に古道を信じ學び候ふ凡夫の誠心より、貴界の御規定如何と云ふ事をも辨へず、書簡を呈し候ふ不敬の罪犯は、幾重にも御宥恕の程、仰ぎ願ふ所に候ふ。恐惶謹言。

 十月十七日 平田大角平篤胤(花押)
常陸國岩間山幽界
 雙岳山人 御侍者衆中

 猶ほ寅吉こと、私宅へ度々入來にて、深く懇志を通じ候ふに付き、今般、下總國笹川村門人・五十嵐對馬と申す者に、御山の麓まで相送らせ申し候ふこと、實に千載の奇遇と、雀躍限りなく存じ奉り候ふ。之に依り、憚りを顧みず申し上げ候ふ。尚ほ此の上とも修行の功相積り、行道成就いたし候ふ樣、拙子に於いても祈望仕り候ふ事に御座候ふ。以上。

○車屋寅吉が山人の道を修行に、山に入るに詠みておくる。
寅吉が 山にし入らば 幽世(かくりよ)の 知らえぬ道を 誰れにか問はむ
いく度も 千里の山よ ありかよひ 言(こと)をしへてよ 寅吉の子や
神習ふ わが萬齡(よろづよ)を 祈りたべと 山人たちに 言傳をせよ
萬齡を 祈り給はむ 禮代は 我が身のほどに 月ごとにせむ
神の道に 惜しくこそあれ 然もなくば さしも命の をしけくもなし」と。


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