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  • 黒木慕楠少佐『戲曲』、其の三。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2009年 8月22日(土)19時07分20秒
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   第三場 建武中興
時、建武元年。中興の廟議。正面に御座の御簾あり。右に、萬里小路宣房・足利高氏(註)・赤松則村・楠木正成。左に、北畠親房・新田義貞・結城宗廣・菊池武重・名和長年、列なる。

高氏「正成殿・長年殿お揃ひにて、記録所と決斷所御兼任とは、おとりちがひではござらぬか。」
宣房「足利氏御不審の御樣子なれども、楠氏・名和氏御兼任の段、正に相異なくござる。」
高氏「意外のことにござる。」
宣房「前々、詔のありましたるやう、記録所は、主上の最も重きを置かせさせ給ふ所にして、土地の性質・領有を吟味し、之を上代の如く、本質に於て、朝廷の有に歸し奉り、以て天皇御親政の御理想を實現遊ばされんとの御思召しでござれば、これが決議に實行を與へ、千鈞の重みを加へさせられんが爲、武人にして學問あり、古に通じ義に明るき楠氏・名和氏の撰ばれましてござる。」
則村「學問が、武人には、學問などいらぬものをなう。」
親房「いやゝゝ、學問せねばこそ、義に暗き輩が多くて困り申す。」
則村「義、義と申さるゝが、朝廷方につきさへすれば、義でござらうが、何も學問などせぬとて、たやすいことではござらぬか。ワハ‥‥。」
親房「左樣なものなれば、世も安からうにのう。」
宣房「ついで雜訴決斷所に、兩氏の兼任せられましたるは、抑々決斷所は、五畿七道、一般の政をとり行ひ、天皇御親政の御精神を弘め、且つ天下の公正を期せられんが爲、諸地方に適うて才識あり、武功あり、加へて公明正大の士を撰ばれてござる。楠氏・名和氏如き、記録所と共に御兼任せられて、正にもつともなお方と存じ奉る。」
則村「足利氏は、何のお役もござらぬが、何と致されてござらうか。」
宣房「何ともなう。御應へ致し難くござる。」
則村「片手落ちではござらぬか。それにては、かへつて天下の不公平とも相成らう。」
高氏「よいわ、ゝゝゝ。吾は、天下は暇大臣ぢや。うるさきお役目は、かへつて御免ぢや。その代り恩賞の方は、やぶさかではござるまい。ワハ‥‥。」
則村「公卿・お役人のことは、どうでもよいわ。本日は、恩賞の議のはずぢや。主上は、まだか。」
宣房「間もなく出御と存じまする。お靜かに。」

――しばらく靜肅。間もなく一同平伏。宣房、更に一禮。更に此の方になほつて、
宣房「大將方恩賞の議、始められまする。」
  「先づ新田氏。」
義貞「ハツ、畏れながら申し上げまする。臣義貞、始め不明の爲、朝廷に弓引かんと致しましたる事、唯々心苦しく存じ居りますれば、鎌倉攻めの武勳に賞でて、御許しのみありたく、謹みてお願ひ申し上げまする。」
宣房「次に結城氏。」
宗廣「畏れながら申し上げまする。臣宗廣、新田殿の鎌倉攻め御助勢申し上げましたる外、さしたる事もこれなくござりまする。」
宣房「赤松氏。」
則村「申し上げまする。赤松一族こそは、天下に魁け擧兵仕り、爲に一族の犠牲少なからず、孤軍奮鬪、遂に六波羅を討ち滅ぼして、京師に還幸を迎へましたる、畏れながら中興の武勳、人に劣るまじと存じまする。」
宣房「足利氏。」
高氏「申し上げまする。足利一族は、源氏の嫡流にして、天下に最も重きをなす一門でござります。ひの度の御成功も、又た足利一族の、北條方につかざりしによるかと存じまする。さらに六波羅滅びて、近畿鎭まり、諸將、漸く身の危きを遁れしは、足利一族拔群の功と申すべく、よつて關八州・近畿四ケ國恩賞に當るかと存じまする。」
宣房「楠氏。」
正成「畏れながら申し上げまする。此の度の戰、各々勳功はござりますけれども、皆々大將は生きながらへて、畏こき大御代を仰ぎ得ましたるものなれば、身の幸ひ、これに過ぐるものござりませぬ。唯だ一人、菊池入道武時公のみは、勅諚により、早く命を落としまゐらせ候ふもの、一人、勳功厚きものかと存じ奉りまする。」
親房「まことにのう。身の幸ひ、これに過ぎずと申さるゝか。」
――幕。



【參考】
■平泉澄博士『白山本神皇正統記解説』に曰く、「

 高氏といへば、普通に用ゐらるゝ尊氏の字を、親房は決して用ゐず、神皇正統記に於いては、必ず高の字を用ゐてゐるのは、注意を要する所である。いふまでもなく彼は、元高氏といつたのを、元弘三年、勳功にめでて、後醍醐天皇の御諱の一字を賜はり、高の字を尊に改めたのである。しかるに親房が、本書に於いて尊の字を用ゐず、高氏と書いてゐるのは、單に彼の謀叛を憎む憤激の情より出た事ではない。思ふに高氏謀叛の時、建武二年十一月二十六日、朝廷に於いて、その官爵を削られた際、必ずや恩賜の尊の字も奪はれたに相違ない。既に朝廷に於いて、逆賊と認め討伐せられようとする者に、天皇の御諱の一字を與へられたまゝで、捨て置かれる筈はないからである。もとより高氏自身は、終生、尊氏の字を用ゐたのであるが、それは、建武二年十一月二十六日以後は、盗んで之を用ゐたのであり、朝廷に於いては、決して認められなかつたのであるから、後世の史書には、すべて高氏と書くべきであり、今日普通に尊の字を用ゐてゐるのは誤りであるといはなければならない」と。



 愚案、(註)名分の辯。會澤正志齋先生の曰く、「程なく高氏、謀叛して、天下、再び亂れ[欄外註、尊氏を高氏と書く事、當時の古文書に從ふ]」(『草偃和言』四月十七日條)と。詳細は、平泉博士『足利高氏名分論』(建武義會『建武』三卷一號・昭和十三年一月刊に所收)。小生は、高氏を所謂尊氏と書すること、如何しても能はず。少佐、建武元年の時、尊氏なるが故に、原本「尊氏」に作らると雖も、茲に於ては、敢へて「高氏」と書くこと、少佐、冀くば笑つて之を容認されむことを。
 又た神明への願文は、其の爲人りを映して、少しも過たず。少佐、當時の古文書(平泉博士の研究成果)に證して、之を書かれてゐる。下つては、井伊直弼の願文を見るに、幕府安泰のみにして、全く人を容るゝの器量なし(平泉博士『安政大獄の眞相』――『増補三訂・先哲を仰ぐ』平成十年九月・錦正社刊に所收)。恐るべきかな、神前の願文、心底を白日の下にさらすこと、現に見るが如し矣。
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/kanrin.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/yoshino.htm
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