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  • 嗚呼、慕楠黒木博司少佐。

  • 投稿者:備中處士
 
●平泉澄博士『少年日本史』(昭和四十五年十一月・時事通信社刊。四十九年一月・皇學館大學出版部復刊。講談社學術文庫『物語日本史』上中下と改題して、五十四年二月・講談社刊)の終卷・第七十四章「大東亞戰爭」に曰く、「

 大正より昭和の初めにかけて、自由主義・共産主義の流行の爲に、殆んど消えたかと想はれた日本の道義が、その間にも根強く殘り、いよいよ國難に遭遇しては、一度に爆發して來たのでした。今その一例として、海軍少佐・黒木博司をあげませう。少佐は、大正十年、岐阜縣下呂町に生れ、岐阜中學を經て、昭和十三年のくれに、舞鶴の海軍機關學校に入學し、太平洋の風雲急を告ぐる十六年十一月に卒業して、戰艦山城に乘組み、やがて海軍少尉に任ぜられましたが、志願して特殊濳航艇の訓練を受けました。昭和十七年の夏より戰勢は逆轉し、攻守、所を替へて來ますと、昭和十八年正月元日、二十三歳の黒木少尉は、指を切つて左の歌を血書しました。

皇(きみ)の爲 命死すべき 武夫(もののふ)と なりてぞ生ける 驗(しるし)ありける

 幕末の志士・佐久良東雄のよみました歌、それが今、少尉の心によみがへつたのです。その年二月、少尉自身のよみました歌、數首、すべて血で書かれました。その中の二首、

伊はそむき 獨は敗れん ものなけん 葉月長月 近きを如何せん
國を思ひ 死ぬに死なれぬ 益荒雄が 友々よびて 死してゆくらん

 伊はイタリア、獨はドイツ、葉月は八月、長月は九月、そして「物無けん」は、我が國も物資缺乏するだらうといふ意味です。當時、日獨伊三國は同盟を結んでゐましたが、この夏から秋にかけて、そのイタリアは離れ、ドイツは敗れ去り、日本は孤立無援に陥るであらうと豫言したのです。事實、イタリアの政變は七月に起り、九月には既に敵側に廻つて了ひました。獨伊の情勢、半年以内に變化する事の豫言は、特別なる情報によつて得たものではなく、只だ憂國の至誠から直感し、そして適中したのでした。

 是に於いて少尉は、十八年四月一日より、日々の日記を、墨にて書かず、インキを用ゐず、ただ指よりしたたる鮮血を以て書きました。半紙二つ折り、その一面を一日に宛てて、一日大抵三行、その第一行には、必ず「天皇陛下萬歳」と大書し、次の行には、或は「神國不滅」、或は「忠孝一本」、「神州男兒、遂に屈せず」、「必死殉皇」、「擧族殉皇」等の文字が、淋漓として書かれ、第三行に、月日と花押(かきはん)があります。早くより楠木正成を慕つて、自ら慕楠と號し、また眞木和泉守を敬慕してゐましたが、その精神がここにも現れてゐます。

 憂國の至誠は、やがて人間魚雷「囘天」を創作しました。昭和十九年五月八日、今は大尉に任ぜられた黒木博司は、極めて高邁にして切實なる建白書『急務所見』を提出して、未曾有の兵器を以てする非常の作戰を要請します。その長さ二丈一尺二寸五分、すべて鮮血を以て書かれました。大尉は、その秋九月六日、訓練實施中に殉職して、二十四歳の生涯を終りましたが、しかも其の創案したる囘天は、盟友の胸に抱かれたる黒木少佐の遺骨を載せて、アメリカ艦隊の集合するウルシー基地を攻撃したのでした。その後、囘天の出撃、凡そ百四十數基、いづれも浪をくぐつて遠く敵艦を襲ひ、艦底に必中してこれを爆破し、敵の心膽を寒からしめたのでありました。しかも之を創案し、之を指導したる黒木少佐その人は、弱冠二十四歳、滿で云へば二十二歳、温厚にして紅顔、極めて純情の青年でありました。それが未曾有の兵器を作り、非常の作戰を考へたのは、只々忠君愛國の至誠、やむにやまれずして、敵を摧かうとしたのに外ならないのでした。しかも是れは、ひとり此の人に止まらず、當時の青少年、皆さうでした。少年航空兵、海軍豫科練、その外、陸軍・海軍の各部隊に、かかる純情の勇士は充ちてゐたのでした。此の愛國の至誠なくして、どうして物資乏しき一國が、よく四面の敵に當り、足掛け五年の大戰を繼續し得られませう。

 そして是等純情の青年に、愛國の至誠あらしめ、非常の秋(とき)に臨んで、殉國の氣概あらしめたものは、幼時に耳にした父祖の遺訓であり、少年にして學んだ日本の歴史であり、その歴史に基づいての明治天皇の御諭し、即ち教育勅語に外ならなかつたのでありました。未曾有の國難に遭遇して、能く國家を護持したるもの、それは實にかくの如き純粹の道義心でありました。そして今後、今も猶ほ殘る幾多の傷害、幾多の困難に打勝つて、日本國を崇高なる傳統の光ある國とし、よつて以て全世界の眞實の平和、眞實の幸福に貢獻するもの、それも亦た、かくの如き純粹の道義心でありませう」と。



一、松平永芳翁『ああ黒木少佐』(昭和三十五年■月・私家版。未見)
一、平泉澄博士『慕楠記』(昭和二十年五月二十七日筆。岐阜縣教育懇話會竝楠公社下呂奉贊會叢書第十集・昭和五十年七月・岐阜縣教育懇話會刊)
一、吉岡勳翁『ああ黒木博司少佐』(昭和五十四年十月・教育出版文化協會――囘天楠公社奉贊會・楠公社下呂奉贊會刊。舊著『慕楠録』昭和二十三年五月美濃判和紙筆録の復刻)
一、平泉澄博士『悲劇縱走』(昭和五十五年九月・皇學舘大學出版部刊)の第七十章から七十二章『黒木少佐』其一から其三
一、田中卓博士『平泉史學と皇國史觀』(平成十二年十二月・青々企劃刊)の「黒木博司少佐を弔ふ」
一、其の他
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kai-kuroki.htm

より、此の絶代の英傑にして且つ哲人と謂ふべき、靖國神社竝飛彈護國神社竝下呂信貴山頂楠公社祭神・黒木慕楠少佐の、

○『國難を救ふ』(海軍機關學校卒業講演會・昭和十六年十月六日)
○『大日本青年の歌』(作年不明)
○『大東亞宣戰大詔謹解』(昭和十六年)
○『尊皇』(血書。昭和十七年九月頃)
○『風古の序』(昭和十七年十一月三十日)
○『艦政本部宛て歎願書』(血書。昭和十八年十月二十五日・十九年一月二十五日)
○『戲曲』(昭和十九年四月)
○『急務所見』(血書。昭和十九年五月八日)

等を、拜しつゝ敬書させて戴きます。

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