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  • [13]
  • 慕楠頌。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2009年 8月23日(日)19時42分59秒
  • 編集済
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■平泉澄博士『嗚呼黒木少佐』(昭和二十年一月六日)

一、
舞鶴の 一角にして
われ深く 思ふ事あり
願はくは 正し給へと
文寄せて 日本(やまと)の道を
ひたむきに 尋ね進みし
あゝ黒木少佐

二、
故郷の 母のたまもの
山の幸 栗の木の實に
紅玉の 柿の赤きを
今日得たり 半をさきて
贈るとて 遙々寄せし
あゝ黒木少佐

三、
江田島の 夜はふけたれど
物語 盡くる時なし
かへるさの 船に補ひ
又汽車に 乘り込み來り
ゑみつつも 語りつづけし
あゝ黒木少佐

四、
戰は いと捗らず
人々は 倦んじたりけむ
よしさらば 我れ割腹し
建白書 血潮に染めて
戰術に 活入るべしと
あゝ黒木少佐

五、
魚さへや 水底(みなそこ)ゆくを
益荒雄の などか能はぬ
紺青(こんじよう)の 波をくぐりて
アメリカの 胴腹うたむ
人々よ 我につづけと
あゝ黒木少佐

六、
颯爽と 水を彈きて
波くぐる 一尾の大魚
近づくや 龍宮の門
圖らずも 左右に開き
客人(まらうど)と 請ぜられたり
あゝ黒木少佐

七、
いかならむ 飛彈の工(たくみ)に
刻まれし 清き面ざし
熱血の ほとばしりては
山を拔き 星にも迫る
益荒雄や 見む術(すべ)あらず
あゝ黒木少佐


■平泉澄博士『慕楠記』(昭和二十年五月二十七日筆。岐阜縣教育懇話會竝楠公社下呂奉贊會叢書第十集・昭和五十年七月・岐阜縣教育懇話會刊)に曰く、「

 黒木少佐、名は博司。大正十年九月十一日、下呂にて生れ、小學校時代の大部分は、嚴父に從つて山梨縣にて送りしが、六年生の時、下呂に歸りて小學校を卒業し、昭和九年、岐阜中學校に入り、五年在學中、海軍機關學校を受驗して、舞鶴に入學せり。時に昭和十三年なり。やがて十六年卒業、皇國護持の爲に心血を濺ぐこと數年、十九年九月六日、惜むべし、碧海に沈んで、また物言はず、予をして痛歎慟哭せしめたり。

 今茲(ことし)昭和二十年五月十三日、衣手の飛彈川を溯り、下呂の町に赴いて、其の兩親を訪ふ。嚴父彌一氏、醫師にして、信望、頗る厚し。わざゝゞ二三驛手前まで出迎へられ、懇ろに招請せられたり。さて二階に上りて祭壇を拜するに、清淨なる壇上に遺骨を安置し、その後に冩眞を掲げ、その前に劍を立てられたり。冩眞は少尉の軍服を着用し、劍を杖と立てゝ、兩手をその上に重ねたるが、傍の卓上に短册を收めし額あり。短册は橘曙覽先生の、
 大皇の醜の御楯といふ物は かゝる物ぞと進め眞前に
の歌にして、予の執筆にかゝるもの也。冩眞の背後には、神潮特別攻撃隊の菊水隊、また金剛隊の勇士、名を列ねて冥福を祈り、成功を念じたり。

 この祭壇は、明治天皇の御畫像を奉掲せる床の間の横なる違棚の前に設けられたるが、上方欄間には少佐の血書にかゝる士規七則を掲げたり。室の一隅に故人の本箱あり。その上に美しき額に收めし短册三葉あり。一は前記、大君の醜の御楯の歌、二は同じく曙覽先生の、
 太刀佩くは何の爲ぞも 大皇の勅のさきをかしこまむ爲
三は予の作れる歌、
 香港島如法(じよほう)闇夜の海の波 拔手きりつゝ渡るは誰ぞ
にして、三葉共、予の筆にかゝる。

‥‥

 昭和二十年五月十三日、黒木家に一泊し、翌日午後、暇乞して歸京せんとするに、母堂、わざゝゞ二三驛先まで見送られたり。

 幾度か夢に見し下呂の町、生涯忘れざるべき下呂の町と、惜しき別れを告げし日の歌、數首、左にかきつけむ。
 亡き友のふるさと訪へば飛彈もまた 若葉薫りて春過ぎにけり
 明けくれに我が忘られぬ益荒雄の 友を生みしは此の山里か
 益田川つゝじの花のかげをゆく 流れようつせ友の面影
 激しては七里の巖かみくだき 大海さして落ちたぎりゆく
 亡き友のこゝろに似るか益田川 たゞに急げり太平洋へ

昭和二十年五月二十七日朝、東大國史學研究室に於て清書し畢んぬ。平泉(花押)」と。


■平泉澄博士『黒木少佐を弔ふ』(昭和二十一年十一月四日、通夜に於ける挨拶。田中卓博士『平泉史學と皇國史觀』平成十二年十二月・青々企劃刊より所引)

一、
秋ふけて 飛彈の山々
もみぢばに 映ゆるを見れば
想ひいづ 純忠の士
一生涯 頂天立地
報國の 丹きまごころ

二、
笑止なり 世の顯官
廟堂の 高きに立てど
情報は 餘すなけれど
見通さず 國の行末
徒らに 月日を送る

三、
君思ふ ま心をのみ
唯一の たよりとなして
眺むれば 火を覩る如し
盟邦の くらき運命
わが國の 苦しき歩み

四、
眠られぬ 夜をば徹して
血もて書く 非常の策
謹みて 上に獻じつ
浪くぐる 決死の術
難きをば 自ら擔ふ

五、
皇國に 幸しありせば
いしぶみに 黄金ちりばめ
琅杆(らうかん)の 墓をも立てて
いさをしは 村々傳へ
口々に ひろく讚へむ

六、
今集ふ 友わづかにて
とぶらひは 寂しくあれど
天かけり 見ませみ靈よ
血に泣きて 沈める月の
消えやらぬ 影悲しむを

 昭和丙戌霜月四日朝、草之。
   平(花押)


■平泉澄博士『囘天碑銘文』(「囘天」裏面・昭和三十九年十一月、飛彈郷土館傍に建碑)

 囘天の壯擧は世の驚きにして、その忠烈は人の感銘する所なり。ここに創案者・黒木博司少佐を敬慕する人々相計り、少佐の筆になる囘天の二字を、石に刻して郷里下呂に建て、之を顯彰す。よりて今、歌をつらねて、その志を傳へ、その功をたゝへむとするに、調拙くして、意を達するに能はざるを恥づ。

祖國 今すでに危し いかにせむ
何とすべきか 思ひわづらふ
身をすてて 國にむくいむ 一念
の凝りて生れぬ 魚雷囘天
只一人 魚雷いだきて波くぐり
おごる敵艦 粉にくだかむ
百千のいかづち 一時におつる
ごと 敵艦みぢんにくだけ飛び
散る
その姿 目にこそ見えね ま心は
とはに守らむ 父母の國
昭和三十九年春
  平泉澄 泣血拜書


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