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  • [222]
  • 孤忠悲しき朴鐵柱之命――日本を愛しぬいた一韓國人の生涯。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年10月20日(木)12時09分15秒
  • 編集済
  • 返信
 
 大腸内視鏡檢査の爲め、病院に行つた所、ポリープが多く切除、そのまゝ入院、三泊四日の拘束を餘儀なくされました。序でに陰部に出來た瘤も切除、妖艶なる看護婦に介護され、耻づかしいやら、○しいやら、只今、着到、簿に就いた次第です。

 それは兎も角く、入院に方り、河原博史樣ご紹介の、橋本徹馬翁『天皇と反亂將校』(昭和二十九年五月・日本週報社刊)、竝びに以前拜讀して感歎已まなかつた、野村健・京田葦男兩氏編『朴鐵柱大人を偲ぶ』(平成三年一月・マルゲン刊――題字・西内雅翁。序・中村武彦翁)を持參、沈讀して感激を新たに致しました。

 橋本翁の書で知つた、柳川平助陸軍中將の逸事に感銘、而して「鷄林八道第一」の國士・朴鐵柱翁(葦津珍彦翁の言)に就いては、元氣囘復の後、更めて本篇掲示板に紹介したいと思ひます――と、構へました所、幸ひ下記に原文抄録がありました。徳、必ず隣有り、是非とも御讀み下さい。
  ↓↓↓↓↓
http://akebonokikaku.blog27.fc2.com/blog-entry-62.html
http://akebonokikaku.blog27.fc2.com/blog-entry-61.html
http://akebonokikaku.blog27.fc2.com/blog-entry-64.html
http://akebonokikaku.blog27.fc2.com/blog-entry-66.html
http://akebonokikaku.blog27.fc2.com/blog-entry-65.html
 或は、
http://www5e.biglobe.ne.jp/~fukushin/page017.html
  ↓↓↓↓↓
 なほ此の書は、今でも、下記「展轉社」左帶の「取扱い書籍」から購入可能です。贅言ご容赦。
http://www.tendensha.co.jp/

【參考】
白井爲雄翁編『アジアに架ける橋――日本青年講座叢書』(昭和四十二年十二月・原書房刊)
 葦津珍彦翁「韓國の學生と語る――對日不信感の根源」
 中村武彦翁「韓國管見と斷想――その惱む心に共鳴して」

――朴鐵柱翁は、大正十一年十二月十九日、韓國釜山市に生る。昭和十七年、皇典講究所受講、十八年、釜山なる龍頭山神社、亦た光州神社奉職。十九年、長門國下關なる官幣中社住吉神社に出仕職として奉仕。朝鮮人にして神社人となりしは、朴翁のみと云へり(西内雅翁の言)。同年秋、中村武彦翁を訪ね、そのまゝ同居師事。二十年暮、韓國へ帰國。二十四年、日本文化研究所(後の韓日文化研究協會)を設立主宰。平成二年一月二十五日、馬山市にて歸幽。享年六十九。



 小生は、氣吹樣の御叱りを再々蒙つてをりますが、氣吹樣ご本人へ御詫びすることに吝かではありませぬ(御免なさい)が、神界の御事情、竝びに朴鐵柱翁を知るが故に、一般には韓國・臺灣を竝べ稱することを取下げる訣には參らぬのです。重ねて御容赦願ひます。

 韓國に在る維新派、其の御勇健を、切に祈つて已みません。かつて公安の某氏、右翼の八割は在日だとかぬかしたのには笑殺憐憫に勝へなかつた(嘘であることは炳かなり)が、一歩讓りて眞實ならば、皇化に浴して歸化し、天皇の御民と爲るも吉し、或は叶ふことならば、祖國に歸つて再建再起を乞ひまつり、日韓の連携共鬪を懇祈したい。



 朝鮮事情に御詳しい「解法者」樣には、見てをられましたら、如何に考へてをられるのでせうか。日韓の將來について、御示唆たまはれば幸甚です。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/37



●影山正治翁「韓國ゆきの歌」(『朴鐵柱大人を偲ぶ』所收の杉田幸三翁「からくに人朴鐵柱君の英魂に捧ぐ」より)
數千年 かなしき歴史 くりかへし 今にかなしき 韓のくにかも


●名越二荒之助翁「表紙解説」(『朴鐵柱大人を偲ぶ』所收)に曰く、

「朴鐵柱氏は、釜山の東莱に生まれただけに、郷里に傳承された『駕洛國』の建國神話に親しみ、それこそ本物と信じてゐたやうである。そして現在韓國で『國定』のやうになつてゐる『檀君神話』に對して、氏は『あれは高句麗神話であり、渤海神話でもある』と、否定的な見解をとつてゐた。私も朴氏の指摘に刺激されて、平成元年八月に、ゼミ學生と共に、現在の金海市の北方にある靈峰・龜旨峯(くじぼん)を訪れた。龜旨峯は、賀洛國の始祖である金首露王が、いはゆる『天孫降臨』した、聖なる山である。山の高さは五百メートルにも滿たないが、現地を訪れて、『古事記』に『筑紫の日向の高千穗の久士布流多氣に天降りまさしめき』とあるのを想起した。そればかりではない。『日本書紀』にも、『皇孫をば、筑紫の日向の高千穗の■觸峯に到ります』とある。我國の記紀神話は、檀君神話よりも、駕洛神話の方に關連が深いのではないか。

 そんなことを思ひながら、金首露王陵にお參りした。王陵は高さ六・二メートル、周圍十五・一五メートルの圓墳で、その前には、崇善殿がある。崇善殿には、日本の鳥居を思はす紅箭門があり、本殿には、十六世、五百二十年にわたる歴代の王位の位牌も鎭祀されてゐる。この崇善殿と下關の赤間神宮は、共に御陵を管理するといふことで、數年前から姉妹關係を結んでゐる。

 平成元年、下關市は、市政百周年を迎へた。そこで『下關青年神職會』が、密接な關係を持つ韓國との精神文化交流を圖るべく、六月十二日、駕洛國(日本では任那と呼んだ)の古都・金海市を訪れた。そこで、金首露王陵を祭祀する崇善殿で、古代朝鮮をルーツに持つ『納曾利(なそり)』などの舞樂・雅樂を奉納した。その雅樂を參觀した現地韓國人たちが、いかに感激したことか。そして誰よりも強い感動を持つて參觀したのは、朴鐵柱氏その人であつた。朴氏の信仰してやまない駕洛神話の始祖の前で、かつての古代朝鮮の雅樂の舞が、日本人神職の手で演ぜられたのである。朴氏は、その時の感想を、後に絶句しながら私にもらした。『思ひもかけない私の夢が、眼前に實現したんですからね。涙がとめどもなく流れて、とめることができませんでした。あの感激は、私にとつて生涯のクライマツクスでした。今度は、是非ソウルで催して貰ひたいと思つてます。』

 朴氏が生涯最高の感動と言はしめた金首露王陵前・崇善殿の庭で奉納した舞樂・雅樂の模樣を表紙に掲げる所以である」と(裏紙は、「日本は神國なり 朴鐵柱」)。


 愚案、天孫降臨(即ち大國主大神ご退隱)は、五千年、乃至一万年前と考へられるから、檀君にしろ、金首露王にしろ、素盞鳴尊ないし五十猛命の御事とは思はれない(悠久の太古に降臨坐しませり)。韓國(朝鮮)の所謂る天孫降臨てふ神人天降は、何も一囘とは限らず、斷續的に天降り坐しまし、各々始祖に考定される神人・靈人は、其の後裔と見るべきであらう。
 


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