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  • 畏命卒伍の臣從

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2009年 2月26日(木)22時04分4秒
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●淺野晃翁『楠木正成』(昭和十八年三月・日本打球社刊)に曰く、「

 わが國は、古來、多くの謂はゆる義士を輩出した。これ、固より、國體の然らしめたところであらねばならぬ。而して、彼等も亦た英雄には違ひなかつた。その行動は、まことに壯烈鬼神を哭かしむるに足るものが多かつたのである。しかしながら、これを壯烈と言ふことは出來るが、それ故に直ちにこれを崇高と言へるかといふに、われらはなほ大いに躊躇せざるを得ないのは、何故であらうか。‥‥

 至誠の心を盡くすを忠といふ、と、孝經にある。松陰が死字を排して、一誠字に工夫を附けんとした心事は、悲壯といふにとどまらずして、すでにまた崇高であつたと言ふことも出來よう。しかも、崇高なる英雄といふ概念は、はなはだ單純であるやうに見えて、實はきはめて峻烈なものを藏してゐる。絶對なるものを含んでゐる。‥‥

 高きものへの臣從がある時、その高きものが至高のもの(これが至尊である)とされる故に、卒伍の感情が、眞に崇高なる覺悟となると考へられる。「大君のみこと畏み」と歌ふ前に、「大君は神にしあれば」と歌はれたことを忘れてはならない。畏命は、それが神ながらなる大君の命であるが故に畏むのであつて、その命のままに、われわれはみな一介の無名の卒伍として、それぞれの部署に就くのではないか。‥‥

 偉大と崇高との間に、わたしはこの兩者をつなぐ媒介的な概念として、悲壯を考へ、壯烈を考へたのであるが、畏命の心情は、臣從あるひは卒伍の心情の至純の境地に入つたものとして、おのづから沈痛な調子を強く帶びざるを得ない事情があるやうに思はれる。自己を小なるもの、低きものとする時、われわれは深いところへと、無限に深く沈下するのである。且つまた高きものが至高なるものであり、至尊であり、大君であり、神である時には、その命を畏むことの故に、われわれは臣從として、さやうに深く沈下せねばならぬのである。それは痛ましいが、その自己拒否あるいは獻身が、至高のものに捧げられてあるそのことから、それは悲壯とか、壯烈とか言ふ、偉大そのものの變貌をはげしく拒斥しつつ、自己を深く沈める。そのことによつて、却つて高められてゆくのではないか。‥‥

 日本の臣從は、これほどまでにも誓ひであり、捧げであつた。決意とのみ言ふことすら、許されないのかも知れない。わたしが運命といふとき、この言葉を誤解しないで欲しいのである。わたしは、くり返し民族のカオスを言ひ、また、アトラスよりも重きをになへるものの意識を、假りに使命とも言つた。すべてはしかし、畢竟するに臣從の畏命である。われわれに於いて、人倫の觀念は、日日に新たに、この底知れぬ國の生の深淵から、抗しがたく囘復されるのである。‥‥

 東洋では、英雄を言ふ前に、忠臣を言ひ、義士を言ふのである。さうでなければ、謂はゆるあの豪傑である。しかし豪傑といふ時には、もう其處には偉大の感情はいちぢるしく拒斥される。まして悲壯は無い、義烈はあり、壯烈はあつても。いはんや沈痛はない。烈といつても、凛烈ではない。義といつても大義でなく、節といつても大節でない。漢人や儒者は、かうした重大な形容詞をしばしば用ゐて快とするけれども、それは濫用であり、誇張であつて、われわれはさうした言葉は、もつと抑制して愼重に用ふるやうに心すべきであらう。豪傑には義侠はある。しかし痛快があるだけである。ましていはんや崇高は無い。それは臣從の契機があいまいだからである。‥‥

 諫臣は、いはば支那の一つの名物である。理路井然たる辯駁は、われわれには論者の悲痛な慟哭にもかかわらず、或る硬直した乾燥の氣を感ぜしめ、そこに過度の儒教的臭味を感ぜしめる。それが、われわれをして、彼と我との國の體の相違を感ぜしめ、忠の觀念が日本に於いて深化せしめられた、その深い所以を思はしめるのである。わが國では、新羅王を罵つた調伊企灘のやうな場合に於いてのみ、あらはな論理的反駁が傳説化された。さうでない時、諫言はあらはさを忌まれたのである。就中、武人はただみことのままに動くものとされた。そのことが、實に武人に對する不可抗的な尊敬の念を起させたのである。‥‥

 わたしは、湊川の戰の前における彼を指して、岡倉天心が、あの英雄正成の「やつれた」姿と言つたのを、忘れることが出來ない。やつれた姿。ひたすら重きをになひつづけ、默々として沒落へと急ぐ孤忠の臣の姿である。これを誤つた形容として斥ぞける人があるなら、わたしは言ひたい。諸君は、そこに、脂ぎつた赤ら顔の、颯爽とした、快活で陽氣な一豪傑を想像することが出來るか、と。わたしは、何も汨羅の淵に立つてゐる屈原の如きを思ひ浮かべてゐるのではない。ただ、瞑目して、世のゆく末をつくづくと思ひめぐらしてゐる、一個誠忠の武將の姿を想像してゐるのである。それは失望の故の意氣沮喪でもなければ、不滿の故の鬱屈でもない。危機の深さ、おそらくはその克服の機か永久に逸し去られたことを知つてゐる、そしてふたたびすべての重きを雙肩にになつてゐる、孤忠の臣の姿である。運命的なものの影が、すでに濃やかに忍びよつてゐる。途はもはや此の上の生存ではなくて、ひとへに再生へしか通じてゐない如く見える。‥‥

 吉田松陰は、正成の不死を言つた。不死を言ふのはよい。しかし、あの七生滅賊の語は、七生すなわち無限の再生を言つてゐるところに、盡きぬ味ひがあるとも言へる。しかし、われわれにとつては、いろいろな忖度を越えて、どこまでも眼底に焦げついて離れぬものは、正成のやつれた姿である。すなわち、大君のために己れの有てるすべてのものを捧げおほせた、この孤忠の面影である。そして、わたしに、われわれの志を守り通す上においての、いちばん肝要な決意を、又しても新たにしてくれるのである。‥‥

 武人が政治にかかはらぬのを尊ばれたのは、卒伍の心情に於いてであつたのではないだらうか。大君のみことかしこみ、である。少なくともさう歌つた防人たちは、政治家ではなかつた。孤忠の臣は、默々として臣從の道に生死すべきであつたのである。かくてふたたび、櫻井の別れのあの單調な旋律が、どこか遠い追憶の日の中からひびいてくる。そして次第にそのひびきを高めてくる。それは國の重きをになふ者の慟哭の聲である。皇運を無窮に扶翼し奉らんとする日本臣民の嗚咽の聲である。‥‥

 福澤の楠公論(合理主義)・直木三十五の楠木正成(其の亞流)には、死所を得るに就いての打算が表明されてゐる。つまり一種の損得主義である。志の不滅を希ふまでは判る。知己を千載に俟つといふのは、まだ恕すべきであらう。しかし自己の死の歴史的役割をあらかじめ計量して、それを選ぶといふやうなことが、正成に於いて、一般にわが國の忠臣に於いてあり得ることだつたらうか。眞淵の所謂ひたぶるなる心である(芳賀矢一の美しい心、自己獻身の決意に裏うちしてゐる耐へがたく美しい心)。大君のみこと畏み、ではなかつたか。畏命であり、更には死の受命である。わたしは、淺見絅齋が、正成の心事を忖度して、「もはや生きて天子の御難儀となり玉ふべきを見るに忍びず」と書いたのをさへ、あまりに篤論に過ぎて、畏命の絶對を十分に意識してゐないと思ふものである。やはりわれわれは、朱子學から出た名分論の學にあきたらなく、眞淵のはじめた國學の思潮に赴くべきなのであらう。吉田松陰の七生滅敵は、沈痛の志であつて、死の効果の打算による目的ではなかつた筈である。山田方谷は言つた。「それ臨終の一念、縁を他生に牽くは、匹夫匹婦すら且つ然り」と。卒伍の心情は、どこまでも畏命の絶對によつて重く使命づけられてゐるところに、護國の鬼たるの日本的な崇高があるのではないだらうか。むしろ、至誠、天地を貫く、と言ふべきである。山陽の言葉を借りれば、餘烈、である。以て世道人心を萬古の下に維持するに足るといふのは、その巍然たる大節の、強ひて言ふなら、結果であつて原因ではない。ひたぶるな畏命の心情が、どうして多少の計量を容れることが出來よう。‥‥

 よりよき現實の打開そのものも、再び國史の囘想に依らねばならぬだらう。古い信仰の不死鳥は、永遠に灰の中から生き返つて來なければならぬ。民族の生活力は、ただ神話と傳説の中にのみ、その若返りの水を求めることが出來るのである。‥‥

 正成のやつれた姿と、天心は言つた。くり返しわれわれは此の畏命の悲劇に於いて、死から生への轉囘を體驗するのである。それは無名の卒伍の心情であつた。日本の悲劇に於ける崇高の感情は、ただ卒伍の心情に於いてのみ在り得たのではないだらうか。つひに默々たる死である。絶對の重きを負ふものにとつて、それ以外に生の道があつたであらうか。故に、われわれの間の防人たちは、昔ながらの嘆き(それが決意である)の中に、大君のしこの御楯と出で立つてゆく。國の歴史を身を以て守り拔く、それが護國の鬼である。人倫の根抵であり、國體のまことに限りなく輝ける、その崇嚴なのである。‥‥

 わたしは落合直文の作だといはれる「櫻井の訣別」を、眞下飛泉の作にかゝる「戰友」と、土居晩翠の作といふ「荒城の月」とともに、明治時代に於ける三つの偉大な國民歌謠であると信じてゐる。三者ともに、太平を謳歌する豪華な饗宴の調べではない。危機に直面して國の重きをになふ民庶の、野にあつて低唱する沈痛ななげきである。だからそこには、實朝の歌に於けるあの叫びや、人麿の歌に於けるあの慟哭や、防人に於けるあの嘆きやが、抗しがたい力を以て脉打つてゐる。わたしの謂はゆる卒伍の決意である。そしてそれは、明治の精神のあらゆる偉大さの中での、最も偉大なるものであつた。中に就いて、『櫻井の訣別』の一作は、偉大な孤忠の臣正成の囘想に於いて、盡くるところのない草莽の恨みと、身を以て語らうとするその一死の志とを傳へてゐる。「世の行末をつくづくと」、この一句のなかに、臣從の衷情がこめられてゐることを、われわれは少年の日の生活のなかで、無意識のうちにそれと知つたのである。それは、天心の謂ふところの劍の精神に於いて、われわれの國史を今日まで護り通して來たところの、われわれの父祖の孤忠のこころなのである。直文は、山陽と竝稱されてよいのである」と。



●落合直文翁『大楠公・櫻井の訣別』

一、
青葉茂れる櫻井の、里のわたりの夕まぐれ、
木の下かげに駒とめて、世の行末をつくづくと、
偲ぶ鎧の袖の上に、散るは涙か、はた露か。

二、
正成、涙を打ち拂ひ、わが子正行、呼び寄せて、
『父は兵庫に赴かん、彼方の浦にて討死せん、
汝は此處まで來つれども、疾(と)く疾く歸れ故郷へ』。

三、
『父上、如何にのたまうも、見捨てまつりて、我ひとり、
いかで歸らん、歸られん、この正行は、年こそは、
未だ若けれ、もろともに、御供仕へん、死出の旅』。

四、
『汝を此處より歸さんは、われ私の爲ならず、
己れ討死なさんには、世は尊氏(高氏とあるべし)の、ままならん、
早く生立ち、大君に、仕へまつれよ、國の爲』。

五、
『この一刀は、去(い)にし年、君の賜ひし物なるぞ、
この世の別れの形見にと、汝に之を贈りてん、
行けよ、正行、故郷へ、老いたる母の待ちまさん』。

六、
ともに見送り、見返りて、別れを惜しむ折りからに、
またも降り來る五月雨の、空に聞ゆる時鳥、
誰か哀れと聞かざらん、哀れ血に鳴く、その聲を。

□久坂秋湖(玄瑞)先生『郭公』(文久元年辛酉、江戸遊學中)

ほととぎす 血になく聲は 有明の 月よりほかに 聞くものぞなき

□渡邊豐城(重石丸)大人『軍營郭公』

血になくも あはなれりけり 戈取りて 月見る夜半の 山時鳥

われも血と なりて草むす 屍ぞと おもへば悲し やまほととぎす


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