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  • 靖國神社祭神

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2008年 9月21日(日)16時46分12秒
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●所功博士『「靖國祭神」の要件と合祀の來歴』(藝林會『藝林』平成十八年十月・第五十五卷第二號)に曰く、「

 いはゆるA級の方々については、長い年月を要した。そのいきさつを、神社から提供された記録などにより、少し詳しくみておかう。まづ昭和四十一年二月八日、厚生省援護局調査課長から、靖國神社調査部長あて「靖國神社未合祀の戰爭裁判關係死沒者に關する祭神名票の送付について」と題する文書が送られた。その内譯は、「東京裁判關係(A級)死沒者・十二柱」(刑死七柱・獄死五柱)を筆頭に、軍人・軍屬(B・C級)内地刑死者が五十三柱、同内地獄死者が二十九柱(講和發效前十三柱と發效後十六柱)、非軍人・軍屬の外地死沒者五十五柱(刑死・病死四十三柱と未決死沒十二柱)など、合計二百五柱である。

 そこで、神社としては、いはゆるA級の方々も、B・C級と同樣に合祀すべきところ、この前後から「靖國神社國家護持法案」の實現に向けて、日本遺族會や國會議員有志などの動きが活發になり、おそらく世論(國民感情)に配慮して、A級のみ先送りせざるをえないことになつたのであらう。

 たとへば、靖國神社創立百周年の昭和四十四年、やうやく六月に國會へ上程された同法案が、八月に一旦廢案となつたことをふまへて、九月の崇敬會總代會(十名)では、「未合祀の東京裁判受刑者十二名(刑死七名・獄死五名)、内地未決中、死亡者十名(病死六名・自決四名)の取扱につき諮り、將來は合祀すべきものと考へてゐるが、現段階に於いては、暫く其の儘として、‥‥差支へない」といふことで、「全員の意見一致」をみてゐる。

 ついで、翌四十五年六月の總代會でも、ある總代から、「A級だけ合祀しないことは、極東裁判を認めたことに‥‥なると思ふ」と、合祀促進の意見があり、別の總代から、「宮司が決定すべきでないのか」との意見が出された。それに對して、宮司(代表役員)の筑波藤麿氏が、「時期は愼重に考慮し、(總代會の)御方針に從ひ、合祀することとする」と返答してゐる。そして同四十九年に、五度目の靖國法案が廢案となつた後も、先送りされ、結局、同五十三年三月に、同宮司が病沒するまで(總代會の方針内定から九年間)、實行されなかつたことになる(注十九)。

 このやうな延引措置は、「靖國祭神」合祀の基本的・慣例的な在り方と、著しく異なる。合祀對象の祭神選考(要件確認)は、戰後も一貫して國家(厚生省)が、都道府縣の協力により行つてきたのである。そしてその公的な「祭神名票」(昭和四十六年からは、神社からの照會依頼に對する囘答資料)を送付された靖國神社では、私的な判斷をすることなく、それに基づいて速やかに合祀するのが當然(だから勝手に分祀するやうなことも不可能)とされてきたのである。

 そこで、同五十三年七月、第六代宮司として就任した松平永芳氏は、從來のいきさつを調べて、關係者に手順を確かめ、十月六日の崇敬者總代會で、「A級戰犯十四名の合祀については、昭和四十五年六月三十日の總代會で、時期を見て合祀する旨、決定されて居り、今囘これを合祀することとした」と報告し、總代全員の諒解をえた。ついで、早速、翌七日には、「來る十七日、新祭神合祀の儀、上奏。翌十八日、勅使御差遣申請のため、池田權宮司、宮内廳侍從職及び掌典職へ出向す」と、『社務日誌』にみえるとほり、例年のごとく、新しい「合祀者名簿」を、宮内廳の侍從職と掌典職へ持參してゐる(注二十)。

 その上で、十七日夜、「支那事變・大東亞戰爭、合計千七百六十六柱」の中に、A級の十四名を含めて、その靈璽簿が奉安され、やうやく合祀されたのである。そして翌十七日の「秋季例大祭當日祭」終了後、松平宮司が挨拶の中で、「昨夜、靈璽奉安祭、即ち未合祀の神靈を合祀申し上げる祭典が執り行はれ、‥‥その中の十四柱の神靈は、白菊會(A・B・C級殉難者遺族會)關係の方々」である旨を説明してゐる(松平永芳大人『「靖國」奉仕十四年の無念』平成四年・靖國神社々務所刊に所收の付載資料「昭和五十三年十月十八日・秋季例大祭當日祭に於ける宮司挨拶」)。‥‥

(注十九) この筑波藤麿氏は、‥‥東大文學部の國史學科を卒業して、同期の坂本太郎博士等と「六國史索引」等の作成も手がけ、昭和二十一年から三十二年餘り、靖國神社の第五代宮司を務めた。その間の數多い事績で、大變ユニークなものが二つある。
 一つは、創立九十周年の同三十四年十月、從來「臣下」の「軍人・軍屬」を、全員「靖國大神」一座に祀つてきた靖國神社で、それ以外に、「北白川宮能久親王」(明治二十八年、臺灣に近衞師團長として出征中、薨去)と、その直孫「永久王」(昭和十五年、駐蒙古軍參謀として出征中、薨去)の、「皇族御二方」を、「新たなる御靈代(神鏡)に招魂申し上げ、内々陣左側に一座を設け」、合祀したことである。
 もう一つは、同四十年七月、本殿に向つて左奧の「元宮」脇に、「鎮霊社」を建立し、「嘉永六年以降、幾多の戰爭・事變に起因して、非命に斃れ、職域に殉じ、病に斃れ、自ら生命斷ちにし命等にして、靖國神社に祀られざる諸命の御靈」一座と、「西暦一八五三年以降、幾多の戰爭・事變に關係ひて、死歿にし諸外國人の御靈」一座とを併せ祀つてゐる(共に無名不特定の集合靈であつて、本殿の「靖國大神」とは、全く異なる)。

(注二十) 徳川義寛氏口述『侍從長の遺言・昭和天皇との五十年』(平成九年[二月]・朝日新聞社刊)によれば、「靖國神社の合祀者名簿は、いつもは十月に神社が出して來たものを、陛下のお手元に上げることになつてゐたんですが、昭和五十三年は、遲れて十一月に出して來た」とある。しかし、これは完全な記憶違ひか、思ひ込みであつて、十月七日に、池田權宮司が、宮内廳侍從職と掌典職を訪ね、「合祀者名簿」を持參してゐることは、文中に引いた『社務日誌』に明らかである。
 なほ、聞き手の岩井克己記者が加へた解説の末尾に、「天皇は、昭和五十年十一月二十一日を最後に、靖國神社には參拜してをらず、春秋の例大祭には、他の皇族が出席してゐる。天皇が『今後、參拜せず』の意向を示したのは、A級戰犯合祀が報道され、内外の批判が出る前からだつた、と證言する元宮内廳幹部もゐる」とみえる。これは、「富田メモ」の信憑性を檢討するにも、重要な『證言』であらう。私も、昭和天皇は、『終戰三十年』(昭和五十年)を區切りとして(その親拜が、國會で公式か私的か論議されたことも配慮され)、『今後、參拜せず』と考へてをられたものと拜察する」と。


●所功博士『靖國神社みたま祭の成立と發展』(平成十九年十一月・『明治聖徳記念學會紀要』復刊第四十四號に所收)に曰く、「

 時間的にも空間的にも無限定に近い、氏名のわからない無數の戰沒者は、靖國神社本來の「靖國大神」(幕末維新期から大東亞戰爭までの、氏名明白な招魂・合祀ずみの戰死者)と、全く異なる。また「みたま祭」の前夜、臨時に招かれ慰靈されてきた「諸靈」(大東亞戰爭で亡くなつた、上記以外の一般戰沒者)とも、著しく異なる。それにも拘らず、これらの「御靈」を二座にまとめて、「鎮霊社」といふ常設社殿に鎭齋した以上、そこに年中毎日お供へを差し上げ、毎年七月十三日に例祭を營むことになつたのである。これは、戰後、一宗教法人になつても、明治創建以來の「聖旨」を奉ずる靖國神社の在り方として、かなり異質の冒險といはざるをえない(注二十)。‥‥

(注二十) この社殿で、「萬邦の英靈をも合祀」(筑波宮司の言葉)するといふやうなことが、神社神道の教義上、本當に可能なのであらうか。管見によれば、靖國本來の「英靈」と範疇を異にする、國内外の一般的な「戰爭犠牲者」の“みたま”を靜かに慰めるところと解される。さうであれば、むしろ古來の佛教的な「怨親平等供養」に類する慰靈のひとつとして意味があらう」と。



○「鎮霊社」については、別テーマスレ【靖國の祈り】第三に、夙に一兵士樣の解説があります。


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