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靖國神社初代宮司從七位・青山清傳。

 投稿者:備中處士  投稿日:2010年 8月 7日(土)00時30分38秒
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   青山幹生・青山隆生・堀雅昭の三氏による『靖國の源流――初代宮司・青山清の軌跡』(平成二十二年七月・弦書房刊)が出版された。靖國神社初代宮司の一族縁故である三氏の、四十年に亙る執念の先祖調査の成果である。詳細は、本書を繙いて戴きたい。


○青山清傳抄(上記に、愚案を少しく加へたり)

 文化十二年五月二十八日生る。駿河守從五位下・長門國萩椿八幡宮大宮司第八代・青山氏藤原長宗(長宗靈神)の嫡男。名は長清、上總(介)を通稱とす。明治以後は、一介、後ちに清。安政年間、明倫館で助教を務め、文久三年七月、山口講習堂(山口明倫館の母體)にて、「國學振興」の調査を始む。亦た吉田松陰門下の吉田栄太郎秀實(字無逸。贈從四位)に、「稔麿(年麿)」の名を與へ、時を同じうして神道興隆を目的とせる「神祇道建白書」を、藩政府に提出。藩の許可を得、同志五名と共に京都に留學するも、八一八政變にて歸郷。國學の研究書『大八州廼調』を著す。秋頃から奇兵隊に顔を出し、翌元治元年五月、山口明倫館の楠公祭の準備を行ひ、七卿の一人・錦小路頼徳卿を祀り、山口赤妻の地に、錦小路神社を創建。禁門の變にて、頤堂福原越後元□[人+間](贈正四位)が十一月に處刑されるや、翌慶應元年五月十六日、宇部村の琴崎神社(現・琴崎八幡宮)に、福原頤堂の神靈を假合祀せり。是れ、長州藩招魂祭の原型たり。八月六日、下關新地の櫻山招魂場(文久四年二月三日、長門國招魂社創建)にて、奇兵隊士を祭る(最初の招魂大祭を齋行)。同三年二月、洋學者・等塊小野爲八正朝(贈從五位。黒住教教導)と、西市や阿彌陀寺の安徳天皇御陵の調査を行ひ、同四年、仲哀天皇古陵御修理方に就任せり。十一月、戊辰戰爭に於る錦の御旗調整に與り、完成するや、密裏に之を祓ひ祝詞を奏す。

 明治二年、東京招魂社の創建あり、伊藤博文の依頼により、椿八幡宮を嫡男・春木に任せて上京。同四年八月二十二日、兵部省十一等出仕・東京招魂社祭事掛に補せらる。十月、招魂社御用掛。同五年一月、招魂社祭事掛。三月二十一日、官制改正により、陸軍省十一等出仕に補せらる。同七年一月二十七日、明治天皇御親拜の砌、之に奉仕。七月十二日、陸軍省十等出仕。同十年一月十二日、出仕官廢止、更めて招魂社雇ひ申付けらる。同十二年六月十六日、別格官幣社靖國神社初代宮司に任ぜらる(内務省)。十二月二十七日、權少教正に兼補せらる(太政官)。同十五年一月二十四日、教導職廢止に付き、權少教正を止む。同十六年、七月六日、正八位に敍せらる(太政官)。同二十年三月二十九日、職制改正に依り、更めて宮司に補せらる(陸軍省)。神社誌編纂を企て、禰宜・黒神直臣をして之に當らしめしが、幾許も無く黒神氏の不幸に接して已む。遊就館の建設、青銅製大鳥居の建立、大村益次郎永敏像の制作等に關與。同二十四年二月四日、從七位に至る(特旨進位・宮内省)。六日、宮司奉職中に歸幽。享年七十七。墓は青山靈園に在り。



●青山上總介藤原長清翁の歌(贈正五位・橘圓白石正一郎資風翁編『さくら山の哥集』慶應二年・奇兵隊刊)

あふぎみよ さきてちりにし 櫻山 やまとこゝろの 花のありかを



●青山清宮司『大祭の日、よみて奉る歌』(靖國神社藏『靖國神社記』――『靖國の源流』より所引)

靖國の 神のみやしろ 齋庭(ゆつには)に
たくや庭燎(かゞい)の ほのゞゝと 明行からに あともへる
喇叭の音は 敵見たる 虎が吼ゆると もろ人の おびゆるまでに ふきならし
近き衞(まも)り 遠き鎭めの 兵(つはもの)の 聲も飛さず ねりきつゝ くだにの坂の さかのうへに いさめるみれば
大洋(おほなだ)に 颶(かぜ)ふきおこり 五百重涛(いほへなみ) 龍てふものゝ 雲を蹴て 天翔(かけ)るらん さまなして
いともかしこし みやしろの 大殿内(おほとなうち)は
ことさらに 海路陸路 總督(すべ)たまふ 軍省(いくさつかさ)の 官人(つかさびと)
そのほどゝゞに 目輝く 黄(く)金しろ金 かざりたる 衣とりよそひ 玉纏(たまゝき)の 太刀の緒してゝ
まゐのぼり たまふをみれば いともゝゝゝ めでたかりけり いともゝゝゝ 雄々しかりけり
朝彦の 豐榮登れば 雅樂人(うたびと)の うつやつゞみも 笛の音も さやけくすみて
祝部等(はふりら)が さゝぐるみきは □[瓦+長。みか]の 腹みてならへ
み饌(け)はしも 葉盤に高く もりなべて
ためつものはも 秩父峯(ね)の 麓にか(狩)りし 竹芝の 浦に漁(すなど)り 葛飾の 里につみこし
海山の 種々(くさゞゝ)のものら ひとつだに もらすことなく 大前に つみたかなし
たてまつる 神御寶は 八咫鏡 十握劍 大御衣は 和妙荒妙を
根こし來し 美豆の榊に とりしてゝ 祷(のみ)奉る時に
みさきおふ 聲さへ高く 馬車 きしらひくれば 官人 いでたちむかへ
天皇の 大御使は ゆくらかに 神階(みはし)を登り
たなうらを うちならしつゝ のりたまふ 大詔ぞ かしこくも かしこかりける
天地の わかれし時ゆ
天津日の 日嗣くもらぬ 大御代を 長五百秋の 常(とこ)御代と 天の下 知したまへば
この神達の 功績を めでさせ給ひ 千萬の 御代遠長に 臣たらん 人と生まれきて 臣たらん
道をし知りて むくさかに 仕へまつらん たれゝゝも かくてあるべき
靖國の 神のみやしろ 尊きろかも

 反歌

この神の みたまかゝふり 益人よ ますら武雄と つかへつかさね

  宮司 青山清




【參照】
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/313


 愚案、青山清翁は、夙に松陰門や奇兵隊にも、深き縁故あつて頼りにされてをる。是れ、靖國神社初代宮司に就任したる所以にして、防長に於いて、唯一とは云はざるも、神道家の大立物に相違ない。乃木將軍も、わざゝゞ翁を訪問して、尊父一周年祭の齋主を依頼してゐる。然るに正八位に甘んじ、防長の若き縁者の高位に居るに比して、餘りにも平仄が揃はないと謂はねばならぬ。國家神道の實體とは、かゝる方面にも露呈して、祭政一致の理想は、其の當初から蹉跌してゐたのである。神道にとつて、憂ひは實に深い。
 
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