スレッド一覧

  1. 「九段塾」塾頭・一兵士翁遺文抄(101)(備中處士)
  2. 「九段塾」塾頭・金城翁最終講義(44)(備中處士)
  3. 泉水隆一監督『凛として愛』臺本(8)(備中處士)
  4. ★☆★ 時計の間 ★☆★(389)(塾頭)
  5. 先哲景傳同血抄(17)(暘廼舍)
  6. 肥後勤王黨・敬神黨の精神を恢弘せむ(12)(備中處士)
  7. 祖神垂示 親譲之道 拾遺(38)(はゆまつかひ)
  8. 嗚呼、慕楠黒木博司少佐。(15)(備中處士)
  9. 先哲遺文に學ぶ。(35)(備中處士)
  10. 神道に學ぶ。(61)(備中處士)
  11. 賀茂百樹大人遺文(6)(備中處士)
  12. 大高山傳・合纂――高山赤城先生を仰ぐ。(25)(備中處士)
  13. 和氣公傳(12)(備中處士)
  14. 日本刀四方山話(52)(那須の権太)
  15. 崎門學筌蹄――埀加靈社・山崎闇齋先生の學問。(48)(備中處士)
  16. 世界的天皇信仰――愛國か尊皇か――(37)(はゆまつかひ)
  17. 平田篤胤大人『古史成文』(165)(南雄)
  18. 平田篤胤大人顯彰者・相原修神主(30)(相州之民艸ならびに備中處士)
  19. 霊的国防の本義 拾遺(35)(はゆまつかひ)
  20. おゝ靖国の大神(40)(はゆまつかひ)
スレッド一覧(全44)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成

新着順:32/985 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

保守家に臨むに、敵陣に向ふが如し。

 投稿者:備中處士  投稿日:2018年 9月 7日(金)21時45分55秒
  通報 返信・引用 編集済
   鈴屋・大壑兩大人の、革命温存儒者に對する、亦た九段塾頭の、今ま流行の保守家に對する、當に敵陣に向ふがごとし。大喝高聲、其の揆、一なり矣。有志を善導せむとの心底、翁の偉功、仰ぎて已まず。尊皇敬神の士、縁故あらば、九段塾頭の言靈を聽いてよ。平成二十年九月十三日、塾頭御開講以來、而今、こゝに十年に埀んとするの前に、先哲遺文を拜記すること、次の如し。



●咲園柴田花守翁『古道或問』(明治三年九月刊)

問。方今、本居氏の學風、大いに行はれ候ふが、此の人、猥りに聖人を誹謗し、儒教を排斥する僻(へき)あり。依りて其の門に入るものは、至極、人品(ひとがら)惡しく相成り候ふよし、既に御答の如く、漢籍を讀む事を、敵陣に向ふが如しと云ひたるにて、其の心底、明白に候ふ。他を誹謗すれば、己れ、亦た誹謗せらるゝ、是れ天理に候はずや。誹謗を受け候ふは、即ち其の身の穢れにて、自らなる神代の令(りやう)にも戻(もと)り候はずや。

答。それは、本居翁、湯武放伐の、皇國に害ある事を、『直日靈』と云ふ書を編みて、強く論辨せられたるを申す事に候ふ。其の頃、市川多門と云ふ者、『末加乃比禮』と云ふ書を著はして、大いに難じ候ふを、翁、また『葛花』と云ふ書を以て打返されし故、多門のみならず、世の頑儒、みな嘴を閉ぢ申し候ふ。

[放伐の事は、もと伊東龜年が『湯武論』、蘇東破(愚案、破は坡の誤植なり)が『武王論』なども、之れ有る由、承り候ふ。猶ほ此の辨は、平田翁の『玉襷』、橿園(中島廣足)翁の『童子問答』などに、悉(つぶさ)に記載、之り有り候ふ。]

 又た儒教を排斥せられしと云ふは、荻生岨崍(徂徠)・太宰春臺などいふ俗儒有りて、漢土を中華と稱し、皇朝を自ら東夷と書し、或は上古の天皇方の御上を、忌み憚らず論じ奉りて、書にも著はし候ふ故、其の惡習の泥醉を覺知させんとて、大喝一聲、叱咤せられたる事にて候ふ。これ、譬へば岐路に迷ひ入りたらん人の、正路ぞと思ひ違へて、遙かに行き過ぎたるを、本道を知らせむとて、高聲(かうしやう)に呼び返すに等しく候ふ。當今の本學者といふものゝ、己が矮見(せびく)にして、微音の屆かざる程をも知らで、いつも高聲に呼ばんとするは、禪語に所謂る粥飯の熱氣にて、却りて他に怪しまれ、惡まるゝ事情を知らぬ故に候ふ。然し乍ら此の高聲に呼び返され、驚かされて、立返りしより、名分の筋、大きに開け、皇朝の古史を詩に詠じ、倭魂など云ふ事を口實に唱へ、天朝を尊奉する儒風に變じ候ふは、全く此の(本居)翁、又た平田翁の大功に候ふ。

[殊に此の二翁は、皇朝學の爲めに、身命を擲ちて、勤勞せられし事に候へば、なまゝゝなる世人の誹謗ぐらゐを顧みらるゝ暇はあらざりし事と覺え候ふ。]‥‥

問。さほど上代は、和漢合一の學問なる事の明證も、之れ有り候ふに、後世の儒者は、國典を和語に訓む事を好まず、和歌を詠ぜず、和文を作らず、偶々歌をよみ、文を作るも、語格に疎く、假字格(かなづかひ)を知らず、和學者は、經書にうとく、詩文を作らず。やゝもすれば、氷炭の説を起して、互ひに誹謗致しあひ候ふ。其の由縁を承り度く候ふ。

答。上代は、上下の等級、正しく、君臣の名義、順逆内外の道理、明らかなる學風にて候ふ處、文運、年々に開け、才學、次々に出で候ふより、遂に其の學ぶ方につきて、固執(こしう)する僻學起り、彼れを慕ひ此れを疎じ、外を尊び内を卑しむずる惡弊に押移り、春秋の書法に違へる孔子の罪人ども、多く相成り申し候ふ。先づ林羅山ほどの大儒さへ、『本朝通鑑』を撰ばるゝ折、呉の泰伯の説を取られ候ふを、西山公(水戸義公)、これを議して、止めさせ玉ひし由、また荻生岨崍が、孔子の肖像の上に、「日本國夷人・物茂卿、拜手稽手、敬題す」と書し、門人・春臺が事は、前に申し候ふ如くにて、此の一派の學風は、殊に名分に暗く候ふ。又た澁川春海の『新蘆面命』と云ふ書中に、伊藤仁齋の、紀伊殿へ奉りたる書也とて、載せ之れ有り。實に驚き入りたる文體に候ふ。

[「天に二日無しと申し候ふが、日本には、二日、之れ有るによりて、號令、一ならず。宜しく帝位をば、將軍、御踐みなされ、天子をば、大和公に成され候ふやうに」云々。]

此の人、清和天皇以來の御諱を犯して、號(な)を仁齋とつけるも、天朝を畏まざる不敬の趣き、平田翁、論じ置かれ候ふ。‥‥
  ↓↓↓↓↓
https://9112.teacup.com/bicchu/bbs/3182

○此の一とぢは、家翁(咲園翁)の、或る人の問ひに答へられたる、假初(かりそめ)のすさびなるを、ある人、同志のたれかれとはかりて、板にゑらせむとて、己が浪花の旅やどりにあとらへ、おこせたるなれども、是れ計りの物、いかならむと思ふものから、折ふし、岩崎(長世)翁を相見てかたらひけるに、いたくめでて、御里なる大學大博士・平田(銕胤)大人にさへ見せられけるに、大人も、いとよしと悦ばれ候ふ、とく書肆(ふみや)にはかりてよと勸められたれば、やがてかく物する事とは成りにたり。男・磐守。
 
 
》記事一覧表示

新着順:32/985 《前のページ | 次のページ》
/985