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天下の變、革命より大なる者は莫し矣。聖人の憂患、革命より深き者は莫し矣。

 投稿者:備中處士  投稿日:2018年 4月16日(月)22時38分59秒
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   「時計の間」にて、不逞なる革命思想を述べたが、事は重かつ大なれば、之を増補して表にも書かせて戴く。蒲生静修(君平)先生の曰く、「孝子の情、終身の喪有り。忠臣の心、革命の時無し」と。




●谷秦山先生『新蘆面命』に曰く、

 太田藤九郎殿[土御門泰福卿の弟、松平丹波守殿に仕ふ]物語り申され候ふは、近年、伊藤源助、紀州樣へ書簡をさし上げ、「天に二つの日無しと申し候ふに、日本には二つの日有り。是によりて、號令、一ならず。宜しく帝位を、將軍御踐み成され、天子を大和公に封じ成さる樣に」と申し上げ候ふ。

 紀州樣、ことの外か怒り遊ばされ、ケ樣の妄言、江戸へ申し上げ候はゞ、死刑にも仰付けらる可く候ふ。然れ共も御慈悲を以て、默止成され候ふ間、以來、必ず々ゞケ樣の言、筆は申すに及ばず、口に吐き申す間敷き旨、御制戒め成され候ふ」と。



 愚案、此の「伊藤源助」、まさか「伊藤仁齋」(源七・源吉・源佐)ではあるまいな。仁齋の不敬、否、國賊とて、よく擧げられる典據ではあらうが‥‥。「仁」の御字は、天子樣の御諱の通字、知らぬ筈も無からうに。仁等の徳目の字は憚り無しと雖も、やはり遠慮はあつて然るべき。

 「儒に非ず、佛に非ず、朱に非ず、陸に非ず、一種無稽杜撰の學、名分綱常の大罪人」(絅齋先生の評)たる伊藤仁齋は、淺見絅齋先生にとつて小僧扱ひ、全く齒牙にもかけなかつた者なり。谷秦山先生は、謹嚴實直、其の聞く所に疑ひは無し矣。然れば「仁齋=源佐=げんすけ=源助」説の由つて來る所、無理も無い。博雅の士の示教を乞ひまつる。


**********


●若林強齋先生『絅齋先生常話雜記』

 (絅齋)先生の御物語に、「仁齋がわづらふよし、聞きたか」とありしゆゑ、「なるほど承りましたが、■■のわづらひのよし、私(強齋)存ずるは、あいつ(仁齋)を病死さするは、殘念なること」と申したれば、先生、笑つて仰せらるゝは、「(中村)惕齋が、平生、『仁齋、はやう死ねかし、道の害』と云ひたるよし、是非なき云ひやうぞ。あれ(仁齋)が一生の精微の書を出したらば、おれ(絅齋)が辨じようと思うたぞ。朱子の、陸象山が死んだ時に、告子に■■と仰せられた」と云うて、御笑ひなされたぞ。‥‥

 仁齋が死して、儀節を萬事用ふるよし。棺槨は、五郎兵衞が受取つたるよし。片木でしたぞ。なぜまき(★註)ではせなんだぞ。棺槨の間、一寸五分あるとなり。まへゝゝより神主(靈牌)なども、五郎兵衞がしたぞ。何樣、(仁齋は)にくきやつぢやは。程・朱の格物の物をそしりて、又た神主などは、其の制を用ふる。神主式は、程子の格物の内から出たものと云ふことを知らぬぞ」。


★註・『日本書紀』卷一

 一書に曰く、素戔鳴尊の曰はく、「韓郷之嶋は、是れ金銀有り。若し吾が兒の所御(しら)す國に浮寶有らずば、佳からじ」とのたまひて、乃ち鬚髯(ひげ)を拔き散(あか)ちしかば、即ち杉と成り、又た胸の毛を拔き散ちしかば、是れ檜と成り、尻(かくれ)の毛は、是れ柀(まき)と成り、眉の毛は、櫲樟(くすのき)と成りき。已にして其の用ふべきを定む。乃ち稱(ことあげ)して曰はく、「杉及び櫲樟、此の兩(ふたつ)の樹は、浮寶と爲す可し。檜は、以て瑞の宮を爲(つく)る材とす可し。柀は、持って顯見(うつ)しき蒼生の奧津棄戸(すたへ)に將(も)ち臥さむ具(そなへ)に爲す可し。夫の噉(くら)ふべき八十木種も、皆な能く播き生(おは)しつ」とのたまふ。時に素戔鳴尊の子、號を五十猛命と曰す。妹は大屋津姫命、次に抓津姫命、凡て此の三神も、亦た能く木種を分布(まきほどこ)したまふ。即ち紀伊國に渡し奉る。然して後に素戔鳴尊、熊成の峯に居しまして、遂に根國に入りましき。

【神代以來の御掟なり】
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