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傳統と陋習と。

 投稿者:備中處士  投稿日:2018年 4月 7日(土)00時07分35秒
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   神事たる可き相撲の土俵は、女人禁制の由。傳統ならば墨守すべきもの、人命は二の次と考へるが、蓋し保守の神髓でありませう。然し世俗の非難に反對しても、却つて煩はしいから申さぬが、參考とす可き御説があるので、長いが、敢へて引用させて戴く。

 昨今の大相撲の土俵が、神聖か否かは知りませぬが、土俵の下には錢が埋まつてをる由、八百屋の長兵衞さんが申してをられました。だつたら、相當、穢れがあるかも知れません。また女相撲とて、スポーツとして樂しむことは宜しいでせうが、「女人禁制の大相撲の土俵」に、どうしても上りたい女性は、どうぞゞゝゞ、嫌な言葉ではあるが、泰西流の「自己責任」にて、大いに蠻勇を奮はれむことを。「悔し」がる程のことでもありますまいに‥‥。



●友清磐山翁『古神道祕説』(古神道夜話。昭和十三年六月・井上出版部刊。五十八年七月・神道天行居復刻。『全集』卷一に所收)に曰く、

「神社といふものは、決して表面の御祭神だけが鎭まつて居られるものではありません。その土地に、太古から因縁のある神靈は固よりのこと、表面の祭神に、何等かの關係ある神靈も、多數集まつて居られるのが普通で、更に謂はゆる眷屬級の神・使ひ神たちも澤山居られるもので、民衆の信仰如何によつて、其の信仰に應ずる神靈も集まつて來られるものであります。ですから、柿本人麿を祭つた神社を、いつともなしに、民衆がヒトマル(火止まる)に通はして、火防の神徳ありとするやうになりますと、やはり左うした方面の神靈が集まつて、民衆信仰の至誠に感應せられるものでありまして、決して世の輕薄なる學者や物知りぶつた人の笑ふやうなものではありません。

 人間の智慧といふものは、如何なる博士でも大博士でも、有限的のもので、九牛の一毛か二毛しか見えないものです。そんな哀れな智慧で、神威神徳を彼れ是れ批評がましいことをするのは、愛嬌であります。人間の知識が、如何につまらぬもの、あてにならぬものであるかを、最も克く哲學的に論明したものは、古代印度の思想家で、佛典の大部分も、實は殆んど此の一點を闡明し論證して居るもので、これは今日の新しい哲學を以てしても破ることの出來ないものです。恐らくは斯ういふものが、眞理とかいふものなのでせう。此のヒトマルのことを、よく噛みしめ味はつてみて、他の場合のことも類推してみられるならば、少しは神化不測の靈得を感悟することも出來ようかと思はれます。

 方面を更へて別のレンズから、此れに類似の問題を覗いてみると、一例を擧げてみますと、世俗に三輪亡といふ日があります。これは昔から建築業者や土木業者の、非常に嫌がる日なのであります。學者や物知りは、無論、迷信として排斥して居ります。ところが事實として此の日に土工を起こしたりすると、災害が生ずることが多いので、決して普通の心理學のいふ豫期作用ばかりではないのでありますが、さて然らば三輪亡なるものは、何ういふ根據のあるものかといふと、極めてくだらぬ理由によつて算出されたもので、起原も左のみ古いものではないので、理論の上からいふと、全く迷信に過ぎぬものであります。然るに其れが何故に應驗があるかといふと、昔から此の三輪亡の説を信じた人間が、支那にも日本にも、何百萬、何千萬と居りますので、その靈が感應するからであります。嘘から出た誠といふやうな關係のもので、事實上、應驗がある以上は、理論の上に於て取るに足らぬことでも、求めて災害に罹るに及びますまい。

 斯ういふ風な靈界の事情を注意せられるならば、ヒトマルの話などを解決する上に、又た側面の一參考となるだらうと思ひます。萬一の誤解をさけるために序でに申し上げておきますが、そんならばと云つて、昔から申し來つた迷信的なことは、悉く應驗のあるものかといふと、決してさうではないので、應驗の無いものが大部分、すなはち理論上にも事實上にも、全くの迷信が大部分で、丙午の説なども、全くの迷信であります。そんならば、殆んど同じ理由により、同じやうな起因により、同じやうな俗信を維持して來た三輪亡の説の如きにのみ、何故ゑに靈が應驗するかといふと、そこになると、全く説明が困難で、いづれ左ういふ方面の關係の靈でも捉へて説明させてみるより外に、詮方がありませんが、併し其の説明も、必ずしも信用の出來るものではありません。

 其の他、東洋流の多くの運氣説を、片ツ端から迷信として斥けるのが、如何にも教養ある紳士らしいので、學者といふ學者、物知りといふ物知りが、調子を揃へて攻撃して居られますが、併し一概に左うは參らぬので、正しい古傳のものゝ中には、事實上の應驗あるのみならず、理論上からも、立派な根據のあるのもありますので、春夏秋冬による、一切生物の受ける交渉の如く、あめの靈氣とつちの靈氣によつて結ばれたる人間が、あめとつちとの數理に、本來、沒交渉なものではないのであります」と。
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