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淺野晃翁『天と海――英靈に捧げる七十二章』、人

 投稿者:備中處士  投稿日:2015年 8月 8日(土)17時15分39秒
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  ~承前~

六十四
南の海の もりあがる汐のうねりから
月がのぼる
はるかなものの影が波の上に
生まれ出る

六十五
おお 晩夏の海に
まぶしくまぶしく燃えてゐるもの

六十六
 アジアの岸の歌

曾て不毛の河邊に
寢ずの番してゐた彼らであつた

天のどんな豫兆をも聞きのがすまいと
全身を耳にしてゐた彼らであつた

影に充ちた夜であつた
草はやはらかく幼な子のやうに
眠つてゐた
君たちもどこか草のやうに幼な子めいて
見えてゐた

滿天の星は身をふるはせて
縛された女性を凝視してゐた
アジアといふ名の漠たる女性は
漠たる永い夜に縛されてゐた

あの刻 彼らの耳は 何をきいたのか

さかしらな人間があやつる舞臺が
音 たてて
廻つただけなのか けれど
そんなことが 君らの願ひと
何のかかはりがある

君たちは裝ひを改めた
爭つて祖國の急に赴いた

花のやうな羞ぢらひの中に
五月の夜よりもかぐはしく

やさしい思ひ出とも別れ
答へなき天に
おのれの影を投げながら

ひとり世を超え
おそれもなく ためらひもなく
意味ありげなものの虚妄を
惡しく意味づけられたものの虚妄を
はげしく拒み また拒み

人みなが冷たしと見る
アジアの岸の夜明け前に
虚妄の意味を燒きつくし
おのれひとつの焰と燃えて
おそれもなく ためらひもなく
花のやうな羞ぢらひの中に
五月の夜よりもかぐはしく

聖なる戰の眞實を
おのれひとつに證しして
闇の汐に呑まれていつた

君ら 運命を超えて逝つたものよ
いまこそ 魂を鎭めるとき

六十七
われらが盡きぬ夏の日は
青い海が白い船を逝かせ 渚に光あふれ
瞳燃え いかにながい別離が
われらを捉へ
はるかな夜にさまよはせようとも
いつもここで わたくしらは出會ふ
生きるかぎり のちの世までも

六十八
ミンドロの岬から シブヤンの水道から
スリガオの海峽から デナガツトの海から
ミンダナオの海から
サン・ベルナルデイノの迫門(せと)から
パラワンの島から スルアンの島から
エンガノの沖から サマールの沖から
レイテの沖から サイパンの島から
テニヤンの島から グアムの島から
アンガウルの海から ハルマヘラの海から
パラオの島から ヤツプの島から
トラツクの島から ルオツトの島から
クエゼリンの島から タラワの島から
マキンの島から ペリリユーの沖から
モロタイの沖から ビアクの島から
ニユーギニアの岸から
ブーゲンヴイルの島から
ソロモンの海域から ツラギの島から
ガダルカナルの島から ルンガの泊地から
ミツドウエイの海から アツツの島から
歸つて來い
歸つて來い
歸つて來い


六十九
赤道の秋
ひややかにうねりを返す浪の背に
祖國の聲が 青い天から
呼んでゐる
捧げた君らの 尊い名を

七十
靜謐で清淨な空間を充たす 無盡の光
このひたすらな挺身者
時は いま 重い足どりで 歩いてゐる
僞りの歴史を じつくりと溶かすべく

七十一
すべては逝く
知つてゐたその人も逝く
録されたすべては亡びる
けれど記憶は殘る
けれど天は忘れない
すこやかにありし日のまま

七十二
死を超えて
なほも多くの日付がある



 愚案、愛協會主宰・岡田則夫翁は、

「八月には、故國の爲めに散華せられた英靈に、各人のおもひをこめて、『天と海――英靈に捧げる七十二章』を朗讀して捧げて下さい。この詩を朗讀してゐると、本當に大聲で、『歸つて來い! 歸つて來い!』と叫びたくなり、英靈が頭上にあらはれるやうで、胸が熱くなる」

と云ひ、九段塾頭・泉水隆一翁は、

「第六十八章の『ミンドロの岬から、シブヤンの水道から‥‥』といふ、太平洋の激戰場を連呼する箇所は、何度讀んでもたまらない。頭の中には、大砲の發射、砲彈が海濱に炸裂し、米兵が吹つ飛ぶ、椰子が裂かれる、手榴彈を投げる皇軍兵士が、燒け爛れた椰子の林を突切つて、米軍陣地に飛込んで行く兵士の姿が、『撃てつー』と叫ぶ隊長の顔が――殲滅されるまで、阿修羅のやうに肉彈となつて、米軍におほひかぶさつて行く皇軍將兵の顔が、メチヤクチヤに現はれる。發狂しさうだ! 餓鬼と戰ひ、髑髏のやうになつた眼孔を光らせたまゝ、絶命する兵士の姿が浮かぶ。南雲忠一中將を始めとする、多くの大將・中將・參謀・司令官・守備隊長が、敢鬪しつゝも、遙かに宮城を拜して割腹、自決する姿が浮かぶ。艦と共に海底に沈む將官・兵士の姿が閃く。血みどろの眼球がえぐられた顔で、敬禮しながら沈んでいく兵の姿が浮かぶ。『天皇陛下萬歳』の聲が、がんゞゝと響いてゐる。‥‥溢れ出る涙の粒で、パソコンの畫像が見えにくい」

と云つた。「歸つて來い、歸つて來い、歸つて來い」。彼の國民感情に、異論は固より無い。感動、落涙を禁じ得ない。然し誤解を恐れず申し上げるならば、靖國神社祭神に對し奉る「慰靈と感謝」──素直に表現するに、小生は、些か違和感を覺え、躊躇逡巡せざるを得ない。

 天子樣には、畏れ多くも英靈として「慰靈鎭魂」され給うたならば、其の本魂は、直ちに欣然として歸國昇天し、永く護國の神と坐します。臣民たる我々が、既に敕祭され給うた祭神の「靈を慰め」奉るとは、御鎭座以前ならまだしも、抑も烏滸がましいのではなからうか。これは、小生が『靖國神社考』に於いて、特に申し上げたかつたことであります。平時に在つては、祭神の大和魂を「顯彰」し、吾人の大和魂を堅むることこそ、國民の責務なりと信じます。
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/yasukuni-kou.htm

 亦た「感謝」──かつて塾頭は仰つた。

「靖國神社に祀られる英靈つて云ふのは、天皇の爲めに戰つた人達、即ち皇軍兵士が祀られてゐるわけですね。日本の爲めに戰つた人達が祀られてゐるわけでは無いんです。明治天皇は、『よくやつた、可哀想だから祀つてあげよう』と仰つて、祀つたわけでは無いんです。生きてゐる國民に、『お前達の忠義の心、その魂を受け繼がせろ』と。その爲めに、皇軍兵士を祀つたわけです。佛教でもあるまいし、追悼施設なんて、誰も言つて無いです。『感謝もしてくれなくていゝ』と。要は、靖國神社に祀られる祭神、英霊は、『後を頼む』、即ち『後に續いてくれ』と云ふことで逝つたわけです」

と。靖國の祭神に神習うて、「一旦、緩急あれば」、「承詔必謹」、即ち父母妻子を措くこと、萬葉の防人の如く、亦た「妻は病床に臥し、兒は飢に叫(な)くとも、身を挺して、直ちに戎夷に當らむと欲す」ること、幕末の志士の如く、斷々然と「後に續」き、己が一命を捧げ奉らなければならないのであります。是れ即ち靖國神社祭神と國民の關係に於ける本義、靖國神道の要諦でありませう。「慰靈と感謝」てふ字づらに拘つて申すのでは無い、「皇國護持の道」發揚の爲めに、敢へて言擧げさせて戴いたのであります。
 
 
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