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嗚呼、招魂鎭魂の國民歌謠。

 投稿者:備中處士  投稿日:2015年 8月 5日(水)22時10分45秒
  通報 返信・引用 編集済
   先般の岡山縣愛國者協議會例會は、倭建命、天翔りて‥‥から、「鎭魂」と「責務(責任と義務)」について考へるてふ主題の下に、淺野晃翁『天と海――英靈に捧げる七十二章』他、盛澤山の朗讀會と相成つた。古事記講義は、故に休講。其の語られた一部であるが、御紹介したい。

 岡田則夫翁は、三時間ぶつ通しで喋つても、聲が嗄れることが、絶えて無い。嗄れるどころか、其の聲が、實に佳い。殊に『天と海』を獨朗されること、凡そ三十分。次月は、一同にて朗讀會、これは大變である。かつて其の一部を、拜記させて戴いたことがあり、塾頭も大層喜ばれた想出が、目に浮かぶ。大詔奉戴日までには、岡田翁に傚ひ魂を籠めて、全七十二章、謹寫したい。



■大木惇夫氏『戰友別盃の歌──南支那海の船上にて』

言ふなかれ、君よ、わかれを、
世の常を、また生き死にを、
海ばらのはるけき果てに
今や、はた何をか言はん、
熱き血を捧ぐる者の
大いなる胸を叩けよ、
滿月を盃(はい)にくだきて
暫し、ただ醉ひて勢(きほ)へよ、
わが征(ゆ)くはバタビヤの街(まち)、
君はよくバンドンを突け、
この夕べ相離(さか)るとも
かがやかし南十字を
いつの夜(よ)か、また共に見ん、
言ふなかれ、君よ、わかれを、
見よ、空と水うつところ
默々と雲は行き雲はゆけるを。



●大木惇夫氏改作・古關裕而氏作曲『海を征く歌』
https://www.youtube.com/watch?v=EWO4WjQImrw

君よ、別れを言ふまいぞ
口にはすまい、生き死にを
遠い海征(ゆ)くますらをが
なんで涙を見せようぞ

熱い血潮を、大君に
捧げて遂(とぐ)るこの胸を
がんと叩いて、盃に
くだいて飲まう、あの月を

僕は遙かなつんどらの
北斗の空を振(ふる)はすぞ
君は、むらがる敵艦を
南十字の下(もと)に撃て

誓ひ誓ふて、征くからは
きつと手柄をたてようぞ
萬里の雲にうそぶけば
波は散る散る、雪の華



□岡山縣愛國者協議會・岡田則夫翁『愛協通信』(昭和十年十月・百四十六號/十一月・百四十七號)

 藍川由美の『レクイエム「ああ此の涙をいかにせむ」──古關裕而歌曲集二』の解説には、かう書いてある。

「文化部隊の一員として、ジヤワに參加した大木惇夫が、歸國後、發表した詩集『海原にありて歌へる』の中の「戰友別盃の歌──南支那海の船上にて」に感動した古關は、大木に改作を依頼して、この歌を書いた。『私の作つた、いくつかの戰時歌謠の中でも、好きな曲の一つである』と、古關はいふ。

 しかし、この歌には、歌詞の誤植や樂譜上の問題があつた。中でも、レコードの演奏が八分の六拍子なのに、全音樂譜出版社『古關裕而作品集』のピアノ伴奏譜が、四分の二拍子になつてゐる點が重要で、記念館で調べたところ、八分の六拍子の自筆オーケストラ・スコアが出てきた。すると、出版の際、便宜的に四分の二拍子に書き替へられた可能性もある。そこで今囘の録音には、改めて現存する自筆スコアから、ピアノ譜をおこして用ゐることにした。」

 こゝにある「今囘の録音には云々」といふのは、『ああ此の涙をいかにせむ』で、日本コロムビアからCDで、定價三○五九圓で發賣されてゐる。古關が「好きな曲の一つである」と言ふだけあつて、此の曲を初めて聞いた時の感動は、一言では表はせない。曲がながれだした時から、一點集中となり、曲が終了して、すぐ解説書を開いた。そこで、またゝゝ衝撃をうける。その詞が、以前から私の好きな『戰友別盃の歌』の改作であつたからである。

 大木惇夫の心(精神・魂)が、古關裕而の心が、藍川由美の美聲にのつて、聞くものゝ心をうつ。大木惇夫の言魂(詞)は、古關裕而の魂を振はせ、藍川由美の言魂(美聲)は、それゞゝの魂を融合して、さらに大きな言魂となつて、聞くものゝ魂を振はせる。嗚呼、‥‥。この感動を、ぜひともあなたの耳と心で、確かめて頂きたい。

 そして、祖國防衞のために生命を捧げられた英靈の心を偲び、慰靈のあり方を考へて頂きたい。さらに、現在もなほ遠くはなれた地に埋もれたまゝになつてゐる、多くの英靈の遺骨があるといふことを忘れてはならない‥‥。我々は、いま何ができるのだらうか。一人一人が、ひとりの日本人として、英靈と向かひ合ひ、答へをださなければ‥‥。英靈と向かひ合ふ事は、不可能ではない。何故ならば、殘つてゐる英靈の『遺書』に向かふことだ。一人一人と語ることができる。一人一人の言魂(ことだま)を、あなたの魂(こゝろ)で受け止めて頂きたい。そして、あなたの聲で、英靈に答へを告げてください。‥‥

 さきに紹介した、『ああ此の涙をいかにせむ』の藍川由美の解説書の中から、古關裕而の言葉を拔粹し、ご紹介いたします。ある時、陸軍病院へ慰問にゆき、

「隊長が、突然、私をステージの上にあげて紹介した。私は、なにか挨拶をしようとしたが、酷暑の炎火に座つて聞いてゐる、多くの兵隊の顔を見たとき、その一人一人の肉親が、無事に歸ることを祈つてをり、はたしてその中の何人が?と思ふと、萬感が胸に迫り、絶句して、一言もしやべれなく、たゞ涙があふれてきた。」

「私も何度か、戰地や戰跡に出向き、悲慘な樣子を目の當たりにしてきた。それらの體驗が、『露營の歌』や『曉に祈る』・『ラバウル海軍航空隊』等の歌となり、國民のために少しでも役に立てたことはよかつたと思ふ。」

『露營の歌』について──「「土も草も火と燃える」とか、「鳴いてくれるな草の蟲」など、詩は旅順で、見たまゝの光景で、私には、あの戰跡の、かつての兵士の心が、そのまゝ傳はつてくるのであつた。夏草の搖れ・蟲の聲も、そこにあつた。」

『曉に祈る』について──「私は、この詞を見た時、中支戰線に從軍した經驗がそのまゝ生きて、前線の兵士の心と一體になり、作曲が樂だつた。兵隊の汗にまみれ、勞苦を刻んだ日燒けした黒い顔、異郷にあつて故郷を想ふ心、遠くまで何も知らぬまゝに運ばれ、歩き續ける馬のうるんだ眼、すべては私の眼前に髣髴とし、一氣呵成に書き上げた。」

 古關裕而その人の、心のやさしさを感じる文章である。このやさしさが、彼の曲の根底にあるから、彼の「戰時歌謠」は、聞く人の胸をうち、魂をゆさぶるのだと思ふ。

‥‥

 詩歌は、默讀でなく、聲をだして拜讀したい。そしてできれば、詩歌を書き寫したい。書き寫してゆくと、作者の思ひが、惻々として心に響く。それに關連してだが、先月、萬葉學會の長老・犬養孝博士が亡くなられた。讀賣新聞(十月六日)に、中西進・大阪女子大學學長が、次の樣な事を書かれてゐた。

「『萬葉集』の歌を文字として見るのは、寄席の落語を書物で讀むのと一緒である。半分死んでゐる。いはゆる「枕詞」といふのも、無意味につけるはずがない。なかば音樂に依存しながら、聞きなれたリズムの中に相手を引き入れつつ、歌いかけていく。なにしろ「うた」は、「うつた(訴)へる」ものなのだ。ことばのひゞきやリズムは、もつとも人の心を動かしやすい。ところが現代人は、ことばを意味だけに置きかへて使つてゐる。ひゞきの美しさなど、日常語では邪魔にさへされかねない。せいゞゝことばのひゞきの美しさを考へるのが、四股名と藝名だといふのは、情けない。この現代人と正反對なのが、萬葉びとだつた。

 ことばの音樂性を十分大切にし、ひゞきも、意志を傳へる大きな武器であつた。そこで萬葉の歌を生かさうとするには、朗々と聲をあげて味はふしかない。事實、聲に出して詠んでみると、新しい發見をすることも、少なくない。古代、歌をチヤンネルとして、人間と神は會話をかはした。また相手をやつつけることを、「言向け」といつた。歌を相手に向けて歌ふと、相手をことばで壓倒してしまふのである。萬葉の歌の魔力は、朗々とした歌のひゞきにやどり、歌はれた歌は、言靈をいかんなく發揮した。博士(犬養先生)が野外に立つて朗詠されるのも、よく聞いた。とくに博士は、古代そのまゝの風土を愛されたから、その大自然の中に、歌の言靈は、はるゞゝと放たれ、木精(こだま)となつた。その意志を繼承しなければならない。」

 『海を征く歌』を、そんな思ひで聞き直して見てください。新しい何かが發見されると思ひます。そしてそれは、すべての事にあてはまるのではないでせうか。人に思ひを傳へるといふことに。演劇や歌謠曲から演説まで、あらゆるものに、すべてあてはまるのではないでせうか。



■柳井道弘氏『招魂の賦』

一、
南の海はおもくうねり 南天の星はみをふるはせて
美しい魂の炎(も)えつきるのを 言葉もなくみまもつてゐた
焦げつく飢と生への渇望を 枯木のやうな祈りにこめて
清純な花の羞ぢらひに散つて逝つた乙女たち
そのやはらかな乳房や小さな脣はすでに風化してしまひ
遙かな海がうたふ もりあがる汐のうねりが
ああ空がうたふ 南の夜空の滿天の星たちが
戰野に散つた靈たちの 魂乞(たまご)ひのうたを
おおけなげなみ靈たち
海坂(うなさか)の浪折をふんで歸つてこい
歸つてこい
なぐはしい大和島根に
さうして
涙にぬれた苦しみの重さを
ふる里の山河に返し與へるがいい
み戰に散つた優しい乙女たち

二、
櫻の花を 見たいとゆふ
日本の乙女 心は故郷
南天の星 みをふるはせて
思慕(おもひで)だけが 靜かに流れ
ああ海が 歌ふ
ああ空が 歌ふ
歸つてこいよ ふる里の山河
歸つてこいよ ふる里の山河
きれいな魂 炎えつきて
言葉もでなく みまもつてゐ た
戰野に散つた 若き靈たちの
あなたの命 むだにはしない



 岡田則夫翁の曰く、「昭和五十七年五月二日、岡山縣奈義町『直毘塾』で、物故者合同慰靈祭・塾長就任奉告祭があり、當日に『招魂の賦』と題された詩に、中村武彦塾長と共に出席されてゐた作曲家の濱圭介氏が、武山巖氏令室の從軍看護婦の話により、其の二番を即興にて作曲、ギターを彈きながら歌はれた。私は感動に胸熱くなり、涙を禁じ得なかつた。柳井氏は、詩人。岡山縣出身。大正十一年生。明治大學卒」と。



□岡田則夫翁『愛協通信』(平成四年六月・七十一號/七月・七十二號)

 三島由紀夫氏は、かつて「ポエムジカ」と名付け、この詩を朗讀。音樂は山本直純氏。山本氏は、「ポエムジカは、たつた一人でピアノやギターの彈き語りもできるし、またあり合せのレコードをかけて朗讀してもよい。好きな詩と好きな音樂が一つづつあれば、それでよいのである。日ごろ愛唱してゐる、古典の朗讀であつてもよい。要は音樂と朗讀の結合を、どう表現するかといふことで、最もたいせつな事は、その詩の精神を、どう表現するかといふ點である」と語つてをられる。三島氏は「この七十二章を讀み返すごとに、私の胸には、大洋のやうな感動が迫り、國が敗れたことの痛恨と悲しみが、ひたゝゝと寄せてくる。淺野晃氏は、日本の詩人としての最大の『責務』を果たしたのである。」

 八月には、故國の爲めに散華せられた英靈に、各人のおもひをこめて、『天と海――英靈に捧げる七十二章』を朗讀して捧げて下さい。この詩を朗讀してゐると、本當に大聲で、「歸つて來い! 歸つて來い!」と叫びたくなり、英靈が頭上にあらはれるやうで、胸が熱くなる。



●淺野晃翁『天と海――英靈に捧げる七十二章』(昭和四十年四月・翼書院刊)
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t18/8
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t18/9
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/1268

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●淺野晃翁『楠木正成』(昭和十八年三月・日本打球社刊)

「わたしは、この『櫻井の訣別』を、眞下飛泉の作にかゝる『戰友』と、土井晩翠の作といふ『荒城の月』とともに、明治時代に於ける三つの偉大な國民歌謠てあると信じてゐる。三者ともに、太平を謳歌する、豪華な饗宴の調べではない。危機に直面して、國の重きをになふ民庶の、野にあつて低唱する、沈痛ななげきである。だからそこには、實朝の歌に於けるあの叫びや、人麿の歌に於けるあの慟哭や、防人の歌に於けるあの嘆きやが、抗しがたい力を以て脉打つてゐる。わたしの謂はゆる卒伍の決意である。そしてそれは、明治の精神のあらゆる偉大さの中での、最も偉大なるものであつた。

 中に就いて、『櫻井の訣別』の一作は、偉大な孤忠の臣正成の囘想に於いて、盡くるところのない草莽の恨みと、身を以て語らうとする、その一死の志とを傳へてゐる。

木の下かげに駒とめて
世の行末をつくづくと‥‥

 「世の行末をつくづくと」──この一句のなかに、臣從の衷情がこめられてゐることを、われゝゝは少年の日の生活のなかで、無意識のうちに、それと知つたのである。それは、(岡倉)天心の謂ふところの劍の精神に於いて、われゝゝの國史を今日まで護り通して來たところの、われゝゝの父祖の孤忠のこゝろなのである。わたしは、かやうな意味から、この歌を、明治の國民文學中に於いて、ながく愛誦されるであらう傑作の一つに數へたいと思ふ。もしこれが、坊間傳へる如く、まことに落合直文の作であつたとするならば、直文は、(頼)山陽と竝稱されてよいのである」と。
 
 
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