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頼神祇之靈、借天皇之威。

 投稿者:備中處士  投稿日:2015年 7月 5日(日)00時54分36秒
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  ■日本書紀卷第七

 日本武尊、乃ち斧鉞を受けたまはりて、再拜みたまひて曰さく、

「嘗(むかし)、西に征ちし年、皇靈之威(みたまのふゆ)に頼り、三尺劔を提げて、熊襲國を撃ちしに、未だ浹辰(いくばく)も經ざるに、賊首、罪に伏しぬ。今ま亦た神祇之靈に頼り、天皇之威を借りて、往きて其の境に臨み、示すに徳教を以てせむに、猶ほ服はざること有らば、即ち兵を擧げて撃たむ」

とまうす。仍りて重ねて再拜みまつる。‥‥

 吉備武彦を遣はして、天皇に奏して曰さく、

「臣、命を天朝に受けて、遠く東夷を征つ。則ち神恩を被り、皇威に頼りて、叛く者、罪に伏し、荒ぶる神、自らに調(したが)ひぬ。是を以て甲を卷き戈を戢(をさ)めて、愷悌(いくさと)けて還れり。曷(いづ)れの日、曷れの時にか、天朝に復命(かへりごとまを)さむと冀ひしが、然るに天命、忽ちに至りて、隙□[馬+四](ひまのひかり)、停め難し。是を以て獨り曠野に臥して、誰にも語ること無し。豈に身の亡せむことを惜しまむや。唯だ面(まのあた)りつかへまつらずなりぬることを愁ふ」

と、まうしたまふ。



 昨日の岡山縣愛國者協議會月例會は、奇しくも古事記景行天皇の御段の講義、倭建命(やまとたけのみこと)には、「明衣(みそ)のみ空しく留りて、屍骨は無し」、「白鳥(八尋白智鳥)と化(な)りたまひて」、「遂に高く翔りて、天に上りしかば、徒に衣冠(みそつもの)を葬しまつ」れり(愚案、此の奧義は、宮地嚴夫大人『本朝神仙記傳』參看)。

 倭建命の御訓は、江戸時代以降、鈴屋大人始め、「タケ」が、古來の正訓。「タケル」の訓は、伴信友翁の説を受けし、田中頼庸翁以來、流行の由。魁帥・梟帥の如き夷賊の長が「タケル」にして、「タケル」は賤しき語なれば、獻られし御名は、「武(タケ)き皇子」なるべしとは、講師・岡田則夫翁の、嘗て紹介された所である(飯田季治翁『日本書紀新講』中卷に、「伴信友は、川上梟帥が自己の梟帥と云ふ名を獻上せる如く誤解して、『川上梟帥に對して、日本梟帥と訓むべし』と云はれたので、往々此の妄説に從ふ學者もあるが、右は甚だしき僻事である。日本紀竟宴歌にも、『やまとたけ』とあり、且た如何なる古典にも、日本武(たける)と傍訓せる書は無い」と)。

 天皇「大御葬の四歌」(大正天皇の御節は新歌曲であつたものゝ、昭和天皇の御節に復興せられたり)の一、

「なづきの 田の稻幹(いながら)に、稻幹に はひ廻(もとほ)ろふ ところ葛(づら)」

は、鈴屋大人は未完脱漏の歌と解かれ、神武天皇「かむかぜの 伊勢のうみの 大石に はひ廻ろふ 細螺の い這ひ廻り うちてしやまむ」に照らせば、後に「い這ひもとほり 音(ね)のみし泣くも」と補ふぞ、あるべき、と。

 「頼神祇之靈、借天皇之威」りまつりて、大政に翼贊せむと欲する者は、天下、一人だに存しないものか。費用對效果とか何とか知らぬが、國の大本立ちて、道生ずるなり。虎ならぬ、西蕃の威を借る功利主義者共の退場を、切に熱祷せむ。

 次囘は、八月の祖靈月、岡田則夫翁には、淺野晃翁『天と海――英靈に捧げる七十二章』の朗讀を賜ふと云ふ。今から樂しみに俟ちたい。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/1268
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t36/70



 又た荒魂之會『あらたま』七十九號を拜戴。中に見逃し難き一文あり。駒井鐵平翁『元號が蹂躙されてゐる』に曰く、

「西暦が跋扈し、『平成』といふ元號を聞いたことがない小學生、自分の生まれた年を、西暦では言へるが、平成では言へない中學生が出現し、驚愕したのが三年前の話である。状況はますます惡化しつつある。中學校の定期試驗、範圍表等、最も子供が目にするものは、ほとんど西暦で表記されてゐる。

 國立であるはずの博物館も西暦、幕末の志士を顯彰する京都・東山の靈山歴史館のポスターも西暦であつた。

 平成二十六年五月、伊勢神宮に參拜した折に、内宮に隣接した崇敬會が經營する會館に初めて宿泊した。豫約確認書なる書類が事前に送られてきた。右上の送付日の年次、豫約日の年次、二箇所とも西暦であつた。一枚の紙の中に、元號がどこにも見當たらない。早速、會館に問ひ合はせてみると、コンピユーターの關係で西暦にしてゐるとの囘答であつた。

 しかし、伊勢神宮の崇敬會が西暦を用ゐることに、どうしても納得がいかず、神宮司廳、東京の神社本廳に電話て訴へたが、管轄外である爲、直接指導はできないといふ返事があつた。諦めたまま宿泊當日、受付で宿泊手續をすると、擔當者に、『西暦から元號に變更します』と告げられた。眞僞を確かめる術はその後ないが、神宮の御膝元で、これまで西暦を使用し續けて、誰も今まで違和感を覺えなかつたのだらうか。電話の遣り取りの中でも、神宮會館の方には、殘念ながら元號の持つ意味の重要性を認識してゐるとは感じられず、更に落膽させられた。

 年末には又追ひ撃ちをかけられる出來事があつた。以前から境内に西暦で記した石碑のある近所の氏神神社から、氏子一同への囘覽板が囘つて來た。そこには新年の伊勢神宮參拜の日歸り旅行の參加者を募る文面が記されてゐたが、年次は西暦であつた」と。
 
 
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