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國家有功の神を祭るは、神代の遺風、神國の正道なり。

 投稿者:備中處士  投稿日:2015年 4月20日(月)22時47分36秒
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  ●旭香美甘與一郎源政和大人『天地組織之原理』(明治二十四年七月・神典研究會事務所刊)卷之第五・附記
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http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/1913

○或る人、又た曰く、‥‥方今、今の世人の喋々する所の諸神社、祭神の義に付き、御意見のある所を伺ひ置きたし。そは如何となれば、凡そ吾が皇國に於て、奉祭尊信する所の神社、官・國幣社を始め、府・縣・郷・村社、攝社・末社に至る迄、其の數、枚擧に遑あらず。且つ其の祭神に於ても、天津神・國津神を始めて、或は人皇以後、國家有功の人靈等に至る迄、實に多神なりと云ふべし。而して其の祭りの等位に於ても、天津神にして、村社以下、攝・末社に奉祭するあり、或は又た人靈にして、官幣社に列するありて、其の祭祀の精神に於ても、國家的より祭るものあり、信仰的より祭る等ありて、其の規律定まらざるものゝ如きは、聊か惑ふ所あり。故に參考の爲め、御説明を仰ぐ。

○答ふ。御質問の通り、各神社の中には、天津神にして、攝・末社あり、人靈にして、官社等もありて、一通り考ふる時は、順序を失ふたるものゝ如くなれ共、更に神位・神徳の高下に關係あるに非ず、其の祭事に大小の等あるものにて、其の神位・神徳に於ては、攝・末社と雖も、天津神は、天神の神位に坐し、官社と雖も、人靈は、人靈の神位に坐すは申す迄も無く、攝・末社なるものは、本社に對する臣位の如きものには非ざるなり。只だ天神・地祇・人靈、何れにもあれ、官祭本社の外に、これを祭りたるものは、多くは其の御分靈を祭れるものなり。故に天神・地祇共に、御高徳の神は、皆な其の御本祭の御本社ありて、天照大御神には、伊勢神宮あり、大國主大神には、出雲大社あるが如し。其の他に同じ大神等を祭る社は、皆な御分靈奉祭の神社たるものなれば、更に大小の論無きことなるべし。又た人靈にして官社云々に至りては、方今、世論の喋々する所なれ共、國家有功の靈を祭るは、吾が國、神世の遺風にして、天神・地祇を祭るも、同じ精神なり。天神・地祇は、天地組織の有功神に坐すが故に、國家は、これを祭るべき報本反始の義務あるものにして、人靈も、又た國家維持の有功神なるが故に、同じく國家は、これを祭りて、報本反始の至誠を表すべき神社無かるべからざるなり。吾が神世相承の神國に於て、人靈を神と祭るは勿論のことにて、神代の神と人皇以後の人靈とは、其の新古はありと雖も、神たるに於て、何の別かあらん。皆な造化大元靈の御分靈ならざるの靈無し。たとひ神代の天神と雖も、天若日子の如きは、人皇以後の神靈たる護王神社・湊川神社等の祭神の前に立ちて、何の面目かある。再び慙死するの外無かるべし。これを以て國家有功の人靈、其の徳の尊むべきを知るべし。

 方今の學生等、多くは彼の洋人の「所謂る衆神教は、野巒の國に行はるゝ教法、一神教は、文明の國に行はるゝ教法」と云ふが如き説に惑ひ、彼が所謂る衆神たるものは、如何なるものと云ふことをも辨へず、吾が神道の衆神を論ぜんとするは、洋醉も亦た甚だしきことにて、彼が所謂る衆神なるものは、申さば昔日、巒民共が獸骨の類などを祭りたるを云ふものにて、更に國家有功の靈を祭りたるものに非ず。これに反して吾が衆神なるものは、國家に大關係ある造化分擔の神祇を始め、國家有功の靈を祭るものにて、報本反始の至誠に出づる所、其の祭りの精神に於て、彼が衆神と云ふものと、天壤の相違あるものなり。國家有功の神を祭るは、國人の義務にして、神國の正道なり。故に諸神社は、國家的の精神より祭るべきものなれ共、又た敬神の至誠を表する神社なるを以て、自ら信仰的の精神も、これに加はるは勿論のことなり。既に余は、電氣・蒸氣等の發明有功者は、たとひ外邦人と雖も、其の靈を祭りて、其の功に報ゆるの道を開かんと欲し、外邦に先立ち、先づ其の禮を吾より行ひ、これを萬國に學ばしめんと企望しつゝあるものなり。聊か意見を吐露して、御質問に答ふ。

○或る人、又た問ふ。御辨明によりて、「神代の神と、人皇以後の人靈を祭る云々」、了解する所あり。就ては今一疑、御説明を乞ひ置きたし。そは如何となれば、方今、各神社なるものは、其の土地に在住する人に於て、これを産土神と唱へ、氏神と唱ふるものなるに、或は祭神の不分明なるものあり、又た諸神社祭神取調べ際、始めて何の神なりと、神官・氏子等の協議によりて定めたるの類も少なからず。如此の類は、全く國家的の精神より祭りたるものに非ず。申さば信仰的の精神に出でたるものにて、方今の諸神社祭神等のこと、甚だ不規律のものなるは、神祭の大典に於て、大いに惑ふ所あり。故にこれが御説明を仰ぐ。

○答ふ。御質問、了承せり。御意見の通り、方今、産土神・氏神等、神社の祭神に於ては、近世に至りて、其の祭神を定めたるものも、間々之れ有り。是等は國家的に祭るべきものか、信仰的に祭るべきものかとの疑點は、必ず免れざる所にして、又た産土神と云ひ、氏神と唱ふるは、如何なる理由なりやと云ふに至りても、頒然たらざるものなれ共、何れも神代の遺風に基くものにて、先づ産土神・氏神と云ふ名稱は、何れの時代より唱へ始めたることかと考ふるに、是も慥かなる傳書も見當らね共、上古の時代には、此の名稱は共に無きことにて、中古以來の名稱の如く思はるゝことなるが、何等の理由より、如此く名付けたるものかと云はゞ、先づ産土神と云ふは、始めて其の土地を開くの時に當り、其の土地守護の爲めに祭り始めたるにより、これを産土神と唱へ始めたることゝすれば、粗々其の當を得たるもの存ず。然れば何れの神を祭りたりと云ふに至りては、今日、舊記も失ひたるものは、知るべき限りに非ず。又た氏神と唱ふるは、上古の時代より、其の地に住する人の姓氏に付きて、其の祖先の神を祭り來りたるより起りたる名稱なることは、疑ひ無きことにて、たとへば中臣家の人々は、天兒屋根命を祭りて、これを氏神と唱へ、齋部家の人々は、太玉命を祭りて、これを氏神と唱ふるの類にて、後には其の人々のみならず、他姓の人も、其の地に來りて住することゝなり、後世にては、諸神の子孫が雜居することゝなりしも、一旦、其の地に祭り來りたる神は、何氏の祖たる神にもせよ、其の地に永く奉祭し來りたる神にて、自ら其の土地の守護神となりしものなれば、他姓のものは、これをも其の土地の神として尊信するより、自ら産土神と唱ふることに至りたるものも知るべからず。

 然るに諸社祭神、不分明の社多きは、舊記等を失ふたるによるものにて、即今、何神と知るべき由無きことなれ共、只だ舊式に隨ひ奉祭すれば、神は幽中に坐して、其の饗を受け玉ふことなれば、後世に至り、新たに祭神を定むる等は、好ましからざることなれ共、一旦、何神なりと神號を定めて、これを祭るの禮を始むれば、其の唱ふる所の神も、又た來感あるべきことなれば、是等の類は、古來より祭り來りの神の外、更に神靈を加ふる譯にて、從來の神と共に、幽中の神政に關り玉ふ理りなれば、當時の神社たるものは、多くは産土神・氏神の外に、更に鎭守の神を加へ、一社、數神の社にて、其の名稱も、産土神・氏神・鎭守神の三唱を相兼ねたるものなり。最も式内神社にして、大座の分等は、素より一姓の氏神として祭りたるものに非ず、國家的の精神より祭り來りたるものにて、國家の守護神たるは、『式』の祝詞文にても明かなることなれば、是等は永遠、國家的の精神にて、國家よりこれを祭るべきは勿論、人皇以後の人靈と雖も、國家有功の靈は、又た國家的の精神を以て、國家よりこれを祭るべきは、吾が神國の正道なり。且つ郷・村社等に至りては、信仰的の精神より祭れるもの多ければ、これを信仰的より祭るも、又た自然の然らしむる所なるべし。

 如此の理由なるが故に、方今の諸神社は、其の舊記の證明する所に隨ひ、國家的と信仰的の兩性質を以て祭るべきものと考へらるゝなり。然れ共たとひ信仰的に祭るべき神社と雖も、神祇官再興あるに至れば、これを統轄するは、又た神祇官の宰るべきは、舊式に則とる所なり。如此の道理上より考ふる時は、諸神社祭神、分明ならざるも、産土神・氏神・鎭守神の三唱を混じたるも、頒然たるものにて、不規律中に、自ら規律無きに非ず。顯・幽、界を異にする、後世、幽事にかゝる神事は、只だ道理の許す所に隨ひ、開國以來、傳へ來りたる禮典に傚ひ、無窮に此の大典を傳ふる以て、吾が國體の精華とすべきなり。



 愚案、靖國神社に、攝・末社の無きことは、塾頭の仰せの如し。
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http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t36/39

 明治天皇の聖旨に基づき、奉齋され給ふ靖國神社は、固より國家有功之神の坐す御社にして、護王神社・北畠神社・湊川神社等と共に、永遠に鎭齋ましませり。美甘政和大人の解義、靈理炳焉、眞に簡にして要を得たりと謂ひつ可し矣。國民、擧りて仰ぎ奉り、神習はざる可からざるなり。神習ふとは、何ぞや乎。祭神の遺志を繼承して、一旦緩急あらば、滅私奉公、即ち家族・親族を措きて、忠死殉皇、是れ有るのみ而已矣。
 
 
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