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「臥薪嘗膽」の本義。

 投稿者:備中處士  投稿日:2015年 1月27日(火)22時42分32秒
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  ■明治天皇『在廷の臣僚、及び貴衆兩院議員に告げ給へる敕語』(明治二十六年二月十日)

國家軍防の事に至りては、苟くも一日を緩くするときは、或は百年の悔を遺さむ。朕、茲に内廷の費を省き、六年の間、毎歳三十萬圓を下付し、又た文武の官僚に命じ、特別の情状ある者を除く外、同年月間、其の俸給十分の一を納れ、以て製艦費の補足に充てしむ。



■明治天皇『大孝に就きて土方宮内大臣に下し給へる敕語』(明治二十六年二月)

朕、さきに内廷の費を省き、製艦の費を補はんことを命じぬ。されば力の堪へ、心の及ばん限りは、節約を重ぬべし。されど朕、特に汝に告ぐることあり。朕が祖宗列聖の祭事、及び山陵の費と、皇太后陛下の供御の費とは、少しも動かすこと勿れ。



■明治天皇『第九囘帝國議會の開院式に賜へる敕語』(明治二十八年十二月二十八日)

國防は、曾て漸を以て完實を期せり。今、交戰の爲め缺損せるものを補充し、并びに自衞に必要なる設備をなさむとし、朕が臣僚をして贊畫の任に當らしめ、必要の支出に付いて、議會の協贊を待たしむ。而して其の止むを得ざる國費の増加は、朕が忠良なる臣民の、進んで之を負擔するに躊躇せざるを信ず。



●一般會計決算に於ける軍事費(陸海軍省費)と歳出總額に占める割合(大岡弘氏『明治天皇の靖國神社招魂式の御製に想ふ──軍事費大幅増額への轉換』──『國民同胞』平成二十六年十一月刊に所引。岡田則夫翁の紹介朗讀せられたる文章より)

明治二十三年度・ 二五六九萬圓[三一%]
明治二十四年度・ 二三六八萬圓[二八%]
明治二十五年度・ 二三七七萬圓[三一%]
明治二十六年度・ 二二八二萬圓[二七%]
‥‥
明治二十九年度・ 七三二五萬圓[四三%]
明治三十 年度・一一○五四萬圓[四九%]
明治三十一年度・一一二四三萬圓[五一%
明治三十二年度・一一四二一萬圓[四五%]
明治三十三年度・一三三一一萬圓[四五%]
明治三十四年度・一○二三六萬圓[三八%]
明治三十五年度・ 八五七七萬圓[三○%]
‥‥
平成二十五年度・約 五  兆圓[ 五%
  ↓↓↓↓↓
http://www.kokubunken.or.jp/kokumindouhou/637.html#02
http://www.kokubunken.or.jp/kokumindouhou/638.html#04



 愚案、軍艦製造費を巡つて、吏黨・民黨の相克あつて、明治初期の帝國議會は、混亂を極めた。然し明治天皇の敕語を賜はるや、兩黨は一致協力、臨時軍事費の支出を全院一致で可決した。復た日清戰爭・三國干渉に際しては、反省の機運が一氣に生じ、提携協力、擧國一致、「臥薪嘗膽」、軍事費の大幅増額に因る嚴しい國家財政の運營や、之によつて齎される増税等の國民生活への直接負擔にも、能く凌ぎ得た。此の「臥薪嘗膽」の四文字、現代の國民の、容易に使ふこと能はざる金文字である。此の擧國辛苦の血涙こそ、當に「臥薪嘗膽」の本義、新たなる出典と謂ひつ可きものであらう。

 果して現代、吾好しの功利を貪り、既に飽食暖衣の老若男女、吾人の父祖たる明治の皇民に、些かでも倣ふることあらば、平成の御民として、四方の跳梁、萬里の怒涛、抑も何するものぞ。茲に想起するは、平泉澄先生の玉章である。



●寒林平泉澄博士『明治の光輝』(昭和五十五年五月・日本學協會刊)の「はしがき」に曰く、

「明治の大御代は、氣宇雄大、朝野奮勵、精神充實して、光彩陸離たる時代であつた。曾て延喜・天暦の御代がさうであり、また歐洲に於いてギリシヤ・ローマの盛時がさうであつたやうに、それは黄金時代として、讚美愛惜を以て追憶せられるであらう。無論、衣食の樣式も貧弱であれば、學校その他の設備も低級であり、人々の收入も少なければ、娯樂も云ふに足らなかつたであらうが、それにも拘らず、人々は希望に燃え、努力を樂んだ。維新の變革は、一方に幸運者を生じたと同時に、他方に多くの不運者を出だしたが、しかも雙方それにこだはる事なく、ひとしく上御一人の聖徳を仰ぎ、聖謨を翼贊するところに生甲斐を感じた。あだかも長き眠りよりさめたるが如く、俄然奮起して三千萬國民の總行進が始まり、ひとり自國の興隆を計るのみならず、近隣諸國をも援護して、東洋の平和を目指したのであつた。その國が光り輝いたのに、不思議は無い。私は明治に生れ、明治に育ちたる者として、當時を囘想するごとに、骨髓のうづき、胸の高鳴るを禁ずる事が出來ない」と。
 
 
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