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大和魂の本義、續。

 投稿者:備中處士  投稿日:2014年11月11日(火)22時44分7秒
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  ●橘曙覽翁の哥

山ざくら にほはぬ國の あればこそ 大和心と ことわりもすれ



【生きては、忠義の大和魂を、骨髓に填め、死しては、忠義の鬼と爲り、極天、皇基を護らむ。】
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/2223

 前に「大和魂」の本義を探らむと欲して、幾つかを掲げたるも、今、小谷惠造翁『「源氏物語」に見える「大和魂」の眞義』を見るに及んで、屋上、屋を架さうと思ふ。大和魂の具體的な意味は、多くの學者が述べるやうに、『源氏物語』の文章だけでは明かにし難く、『大鏡』の記事を參考しなければならぬ。



■河内本『源氏物語』少女卷──源氏が子息夕霧の爲めに學問の必要性を、懇々と大宮に語る件り──

 高き家の子として、官爵、心にかなひ、世の中の榮えに驕りならひぬれば、學問などに身を苦しめむことは、いと遠くなむ、覺ゆべかめる。戲れ遊びを好みて、心のまゝなる官爵にのぼりぬれば、時に從ふ世の人の、下には鼻まじろきをしつゝ追從し、氣色にとりつゝ從ふほどは、おのづから人と覺えて、やむごとなきやうなれど、時移り、さるべき人に立ちおくれて、世衰ふる末の際に、人に輕め侮らるゝも、かゝりどころなきためしになむ、覺え侍りける。なほをもととしてこそ、大和魂の、世に用ひらるゝ方も、誠に頼もしき方は侍らめ。さし當りて心もとなきやうなりとも、遂に世のおもしとなるべきおきてを習ひなば、侍らずなりなむ後の世も、うしろやすかりなむ。



■『大鏡』左大臣時平の項──前半は菅原道眞傳、後半は藤原時平一族の末路を總括する件り──

 あさましき惡事を申し行ひ給へりし罪により、この大臣の御末は、おはせぬなり。さるは、やまとだましひなどは、いみじくおはしましたるものを。



●小谷惠造翁『「源氏物語」に見える「大和魂」の眞義』(藝林會『藝林』平成二十六年十月)

 (『大鏡』の)「あさましき惡事」が、時平のことを述べたものであることは言ふまでもないことであるが、續く「この大臣の御末は、おはせぬなり」以下の主語は、右大臣顯忠のことなのであつて、「この大臣」を時平と讀むのは誤讀なのであり、この誤讀が「大和魂」の意味を混亂させてゐるのである。‥‥

 『大鏡』の本文の記述を、丹念に精讀すれば明らかなやうに、「この大臣」は、立派だつた(時平の子の)顯忠や敦忠のことを指してゐると讀まねばならないのである。もしも「この大臣」が時平のことであれば、「この大臣」は不要の句であつて、書き入れる必要はないのである。またこの「あさましき惡事」云々の總括的な文章の前に記述されてゐることは、顯忠や敦忠のことが中心であつて、時平に關することは、何一つ書かれてゐないのであるから、「この」といふ指示語の指すものがないことになる。假りに百歩讓つて、「この大臣」が時平であるとしても、「さるは、やまとだましひなどは、いみじくおはしましたるものを」といふ哀惜の言葉が、「あさましき惡事」をしただけの時平に捧げられたものとするのは、どう考へても誤讀曲解なのである。

 このやうに『大鏡』の記述を精確に讀むことをして來れば、「いみじくおはしましたる」「やまとだましひ」は、顯忠と、そして敦忠とのことであることが明らかとなる。そしてその「大和魂」の具體的な内容は、恭謙の徳に厚く、「和歌の上手」・「管弦の道」にすぐれてゐる(文雅の情趣、豐かなり)ことなどであることが知られるのである。‥‥用例を見れば分るやうに、「才」は、習得して得られる知識や技能を廣く言ふのであり、從つてこれと對稱される「魂」や「心」は、生得のものであることを、特に意識してゐることが知られるのである。‥‥

 「世に用ひらるる」といふのは、政界で有能であることを言つたものであるのに、源氏學者のすべてが、この「世」を「世間」のことと誤讀してゐる。これも「大和魂」の意味を讀み誤つてゐることの一因でもある。

 以上のやうに讀み解いて來れば、『源氏物語』の「大和魂」といふ言葉の意味は、諸書が解してゐる「實務的・常識的な思慮分別」といつたやうな意味ではないことが明白であらう。確かに源氏の言つた言葉には、政治家としての「實務の力量」といふやうな意味も含まれてはゐる。だがそれは、生得の「大和魂」に、「漢才」が加はつた時のことであつて、「大和魂」といふ言葉自體に、その意味があるのでない。然もそれは朝廷で重用されるべき、すぐれた「實務の力量」であつて、「常識的」な範圍を超えるものを意味してゐるのである。

 このやうに考察し檢證して來て、また改めて『大鏡』の「左大臣時平」の項で記されてゐたことを併せ考へれば、「大和魂」に關する記述が、よく符合することが理解されるであらう。顯忠の恭謙の人柄や敦忠の雅び心は、夕霧のそれに通ふもので、彼らこそ、「大和魂」の持ち主に他ならないのである。



 愚案、小谷翁の斷案に從ふときは、大和魂の本義は、上田萬年博士『大日本國語辭典』に在るやうに、「日本的識見」の謂に復らざるを得ないのである。黒川眞頼博士『大和魂説』以來の説、即ち現在流行する所の、平安時代に於ける「大和魂」は、「世才、實務的・常識的な思慮分別」てふ俗説は、『大鏡』誤讀に因る解釋であつて、斷然、破棄せられてよい。而してこゝに想起すべきは、『菅家遺誡』卷一に曰ふ所の、

「一、凡そ神國一世無窮の玄妙なる者は、敢へて窺ひ知る可からず。漢土三代周孔の聖經を學ぶと雖も、革命の國風は、深く思慮を加ふ可き也。

一、凡そ國學の要する所は、論、古今に渉り、天人を究めんと欲すと雖も、其の和魂漢才に非ざるよりは、其の閫奧を闞(うかゞ)ふこと能はず矣。

[右、二則は、『遺誡』中の眼目也。既に北野神社東の碑に記す焉。漢籍を學ぶ者は、心を用ふ可きの第一也]。」

の遺訓である。『源氏物語』の「才をもととしてこそ、大和魂の、世に用ひらるゝ方も、誠に頼もしき」は、其の文字の表面から謂へば、漢才を「本」としてゐるやうであるが、小谷翁が云はれるやうに、「生得の大和魂に、漢才が加は」るべきものと解釋すべく、本末論から申せば、生得の「大和魂が本」で、習得する「異國才は末」であることは、固より明かと謂はねばならぬ。是は、磐山友清歡眞翁の、夙に道破せし所、前に引いた──「今から五百年前、一條禪閤兼良は、大和魂に定義を與へて、『わが國の目あかしになる心なり』といつた。近ごろの言葉に直せば、我が國の指導精神‥‥やまと心は、才[ざえ]の本になるもので、藝術も科學も産業も、要するに才であるが、その本は、必ず『やまと心』でなければならぬ」の言を味はふべきである。平時に於いては雅びなる心、非常時に於いては重忠奉公の精神、是れ即ち「大和魂」の本義と謂はねばならぬ。



●徳富蘇峰翁『大正の青年と帝國の前途』(大正五年十一月・民友社刊)に曰く、

「何物を失ふも、失ふ可からざるは、我が日本魂也。何物よりも大切なるは、我が日本魂也。日本帝國の隆替消長は、實に日本魂の隆替消長也。‥‥日本魂なき學問は、所謂る佛作りて、魂を入れざる偶像也。日本魂なき才能は、猿智・牛力の類たるに過ぎざる也。

 日本魂とは、何ぞや。一言にして云へば、忠君愛國の精神也。君國の爲めには、我が生命・財産、其の他のあらゆるものを獻ぐるの精神也。如何なる場合にも、君國を第一にし、我を第二にするの精神也。國家の緩急に際しては、他の催告を待たず、自から率先して、此れに奉ずるの精神也。古人の所謂る『海行かば水づく屍、山行かば草むす屍、大王の邊にこそ死なめ、長閑(のど)には死なじ』とは、此の事也。個人主義とか、國家主義とか、彼是、其の得失を論議するが如きは、畢竟、我が大日本帝國の國體を知らざる輩の譫語のみ。我が帝國には、個人主義もなく、國家主義もなし。祖先以來、帝國の臣民は、君國の爲めに其の身を竭し、其の力を致すは、先天的の約束也。吾人は如何なる學説を信ずることを得可し。如何なる宗教を奉ずることを得可し。されど、如何なる學説にせよ、如何なる宗教にせよ、其の以前に日本魂の持主たることを忘却す可からざる也」と。
 
 
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