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天皇陛下萬歳──正學正心。

 投稿者:備中處士  投稿日:2014年10月 3日(金)19時40分32秒
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  ~承前~

●平泉澄博士『魂の復活』(昭和四十五年九月六日。第七囘楠公囘天祭に於ける講話。『日本』四十五年十一月號。奉贊會編『楠公囘天祭──五十年誌』平成二十六年九月刊に所收)

「私は、今日の日本を嘆くと同時に、何とかして、もとの日本にかへしたい。これが我々の願ひであり、祈りである。我々のいのちの限りは、この私も餘生いくばくもないと思ひますが、いのちの限りは、このために盡さなければならぬと云ふことを思ふのであります。その場合に、日本の、若き日本の目標となるものは、私は、回天の勇士、特に黒木少佐である。黒木少佐を思ふことによつて、最も純粹なる日本の道義道徳が考へられ、日本の眞の勇氣、それは大勇とん眞勇とか云ふべきものだと思ひますが、さう云ふ勇氣が湧いて來ると思ふのであります。

 黒木少佐の日記──これは、十八年から十九年の春まで、丁度一年間書かれた日記、御承知の如く、全部血で書かれた日記であります。その日記の一枚を持つて參りました。この半枚が、九月五日の日記であります。うしろが九月六日の日記、丁度、今(今日の楠公囘天祭當日)であります。最初に『天皇陛下萬歳』と書いてあります。次の行に『死の戰法』。月日を書いて、『九月五日、書判』であります。天皇陛下の萬歳を祈る。黒木少佐の願ひとする所は、陛下の萬歳以外にないのであります。それ以外、一切考へてをらぬ。これがかつてビルマのオツタマの驚嘆した所(★註一)であり、印度のヴイヴエーカナンダの讚美した所(★註二)である。日本の明治の興隆は、この一點によつてのみ伸びたのであります。明治の日本に、陛下の萬歳を祈る以外に、何の願ひがあつたでありませう。

 次に死の戰法。忠君愛國の極致は、自分の生命を捨てる以外にはない。死と云ふことを、人は非常に嫌がります。今の日本ほど、死を嫌ふものはありますまい。しかしながら私共の學び得た限りにおきましては、たとへば劍道にしましても、船越(正道)師範がをられますので、その前でまことに恐縮でありますが、私共のかつて聞いた直心影流の劍道の極意と云ふものは、最後に於いては、長短一味と云ふ所に重きを置いてをる。長短一味と云ふのは、いのちは長くても短くても同じものだ。吉田松陰先生の品川彌二郎に與へられた手紙の中に詳しく論じてありまして、何とも言ひやうのない偉いことだと思つて、私は年來、この手紙を愛讀してをりますが、『十七八で死ぬのが惜しいと云ふのならば、八十九十で死ぬのも惜しいんだ。何時まで經つても、惜しいんだ。一體、何時まで生きてをつたら、氣が濟むんだ』。これは實に名言と謂はなければならぬ。劍道に於いては、如何なる勝れたる人と雖も、自分が無傷で殘ると云ふことは考へてをらぬと、私は思ひます。必勝の方法は、必死になる。戰爭に於いて勝たうと云ふものは、必死以外にはない。自ら期する所は、いのちを捨てゝ敵を討つ。まさに大東亞戰爭は、最初より、この死の戰法に據るべくして、本來さうあるべきであつて、或る人には、さうであつた。そして最後に、その最も戰爭の酷烈なるに及んで、黒木少佐によつて、この事はいよゝゝ確認せられ、そして自らこの戰法を推進されたのでありました。

 『九月六日、天皇陛下萬歳、正學正心』。正しい學問をして、心を正しくすると書いてありますが、これであります。これは戰爭の終りました時に──憚るべき事があらうかと思ひますが、私ももう段々餘命あぶなくなりましたんで、皆さんには聞いて置いてほしいと思ひます──、いよゝゝマツカーサーが乘込んで來ると云ふ時に、『今後の國體を維持する力は、何處にありませうか』と云ふことを尋ねられました。『それは特攻隊の生殘りの人々に依頼すべきでありませうか』と云ふことでありました。私は、『不幸にして、さうではありますまい。さうでないと思ひますのは、一時の感激では、隨分お國のために盡されるであらうと思ひます。問題は學問にあつて、正しい學問によつて、日夜、その心を鍛へた者にあらざれば、永久にその力を君國に捧げると云ふことは出來るものではありません。歴史の上に明瞭に現れてをりますが、日夜、正しい學問による鍛錬のみが、人の魂を永久に光あらしめる、力あらしめるものであつて、それを怠るとなれば、それは一時の線香花火に過ぎないでありませう』と云ふことを言ひました。今、黒木少佐は、やはりそれを考へてをられるでありませう。正學正心、それ以外に、自分の一生を通じて、皇國に貢獻すると云ふことは考へられないのであります。

 今度十一月に出ます『少年日本史』の中では、大東亞戰爭の章には、黒木少佐を、特に掲げました。章の分け方を、明治維新からその前で言ひますと、井伊直弼で一章を立てゝ、これは井伊直弼を痛烈に批判したのであります。その次に橋本景岳・吉田松陰・眞木和泉守、やがて明治維新、西郷隆盛。この人に對しては、痛惜の餘りに、特に一章を立てました。いはゆる明治の三傑の中で、特に私は、西郷さんと云ふ人を重大視するのであります。そしてこの人物を、逆賊の名に於いて斃したと云ふことは、明治の聖代の瑕瑾であると信ずるのであります。そして西郷さんが亡くなり、同時に木戸孝允・大久保利通、皆な倒されたあとで、誰が日本を指導したとするか。誰でもない。世間では、伊藤博文と云ふ、山縣有朋と云ふ。さうではない。彼らに全日本を指導するだけの力はない。明治維新、明治日本の興隆は、西郷死後に於いて、全國民の心をつなぎとめたものは、明治天皇以外にない。明治天皇によつてのみ、日本は興隆したのだと云ふことを説いて、それから大正・昭和の日本、これを説くのでありますが、その中で章としましては、日清・日露の役、次に大東亞戰爭、その大東亞戰爭に於いては、前の日露戰爭に於いて東郷元帥、或は乃木大將を仰ぎ見た如くに、黒木少佐を、特に掲げたのであります。眞實、私は、黒木少佐は偉い、これほどの純粹性、これほどの光輝ある魂と云ふものは、古今にまれに見る所だと思ひます」と。


★註一。ビルマの高僧オツタマの曰く、「日本はもう、これで駄目だ。日本の前途は、暗澹たるものだ。何故かと云へば、明治の末に日本に來た時には、日本全國民、何處へ行き、誰を叩いても、天皇陛下を敬こと、神の如くであつた。今日は、さう云ふ、陛下を敬ふ忠誠心と云ふものは、非常に薄らいで、場合によつては、全然持つてをらん者が多い。日本はもう、これで駄目だ」(昭和初め來日。名古屋松阪屋社長・伊藤氏『日本の履歴書』)と。

★註二。哲人ヴイヴエーカナンダの曰く、「印度の國が、日本の進歩について行き得るやうな見込みは、全然ありません。三億の印度人が一つになつて、一つの國民を形成するまでは、その見込みは、全然ありません。日本人ほどに愛國心があるかと言へば、印度には、日本人の如き愛國心はありません。また日本人ほど藝術的な民族は、世界中にをりません。日本の特徴は、全國民が一つになつてをると云ふこと、愛國心が熱烈であると云ふこと、又た非常な優れた藝術的な民族であると云ふこと、これらの點に於いては、世界に最も優れた國は、日本であります。日本の特徴は、實にこのことにあります。歐洲でも他の所でも、藝術は一般に穢れを持つてゐます。然るに日本の藝術は、絶對に清淨潔白であります。日本の佛教は、セイロン島の佛教とは違つて、積極的な、又た有神論的な佛教であります。日本が急速に偉大となつた祕訣は、日本人は、自分を信じ、自分の國を愛したからです。日本人の社會道徳と政治道徳を體得し得るならば、印度も亦た偉大となるでありませう。然し印度では、自分の家族と所有物のために、すべてを犠牲にしてゐるのです」(明治二十五年來日。三十年の印度の新聞記事)と。



【泉水隆一監督『遊就館上映──みたまを継ぐもの』批評】
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/116

 愚案、「印度では、自分の家族と所有物のために、すべてを犠牲にしてゐるから、日本には及ばない」と。今日、是れ如何。現代の日本は、それすら覺束ないと云ふのか。「家族のため、愛する人のため」と、特別に説教しなければならぬ時代となつて、それを描くドラマや映畫が花盛り。小生の道徳觀念では、之を利己主義と謂はざるを得ない。正に西洋物だ。殊更らに唱道しなければならぬものでもあるまいに‥‥、道義道徳の名に價ひしない。而して現代はグローバルの時代とか、それも泰西流だ。元軍人も神職も、現代人に媚びたか、或は舊敵國に倣はんと欲するか、「家族・愛人の爲めに戰つた」と、之を吹聽して已まぬ。道理で、「アメリカと價値觀を同じうする」と申して、恬として耻ぢざる首相も出現する始末、民主主義・個人主義が基盤となつてゐる。松陰先生に、叱られるがよい。

 皇國の道義──古道の復興、未だ緒に就かざるなり。あと二三百年、時を經ねば、皇國の再興、日本の復活はならぬのか。嗚呼、已んぬるかな哉。



【矢嶋立軒先生『啓發録の敍』── 一時の感憤激昂、意氣の恃む可からざるを悟る可し】
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t6/2



●『緒方竹虎』(修猷館創立七十周年記念講演の祕話。昭和三十一年五月・修猷通信刊)に曰く、

「(緒方竹虎氏の曰く、)終戰の直後でありましたが、私が非常に懇意にしてをりました米内光政といふ海軍大將、永い間、海軍大臣をつとめてゐた、この米内君が、天皇陛下に拜謁(昭和二十年十二月一日參内)いたしまして、
『かういふ敗戰の結果と致しまして、今後、度々參内拜謁をする機會も、恐らくはないことと思ひます。隨つて今日は、ゆつくり陛下のお顔を拜みたいと思つて參りました。このたびの敗戰には、われわれ、大きな責任を感ずるのでありまするが、敗戰の結果、日本の復興といふものは、恐らく五十年はかかりませう。何とも申し譯ないことでありますが、何卒、御諒承をお願ひ致します』といふことを申し上げた。

 ところが陛下は、

五十年で日本再建といふことは、私は困難であると思ふ。恐らく三百年はかかるであらう

といふことを仰せられたといふことで、米内は、そのお言葉に胸を打たれて、暫くは頭が上らなかつた。その敗戰の責任の一端を背負つてゐる米内と致しましては、何とも恐縮に堪へなかつたといふことを、歸つて私(緒方氏)に、直接話してをつたのであります」と。



●田中卓博士『平泉史學と皇國史觀』(平成十二年十二月・青々企劃刊)の「敗戰直後の平泉先生」に曰く、

「『昭和二十年八月十九日夜、平泉先生御講話打聞』に、「‥‥日本が本物にかへつてゆくのは、先づ三百年位かと思ひますが、しかし天下の風雲は勝手に動きますから、二三十年たてば、相當の事はやれるでせう。‥‥私は見られないでせうが、天翔つて見ることにしませう‥‥」。

 恐らく先生の念頭には、逆に三百年以前の歴史が思ひ起されてゐたのではあるまいか。昭和二十年より三百年遡ると、後光明天皇の正保二年であるが、もとよりこれは概數と考へてよい。幕府でいへば、三代將軍徳川家光の時代であつたが、その頃より、次第に日本の自覺がはじまり、大日本史の編纂を中心とする水戸學、山崎闇齋を祖とする崎門學、或いは國學等の發達を經て、明治維新へと進展する。そして昭和の時代に至るのであるが、先生はこの三百年を囘想して、本物の日本が囘復するには、これ位の年月を必要とすると直觀されてゐたのであらう。‥‥この(現在の)惨状の矯正は、一朝一夕に出來ることではない。純正日本再興のためには、やはり先生が言はれたやうに、三百年前の大日本史の編纂から、新しく始めなければならないであらう」と。
 
 
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