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民主主義を否定して、大義を天下に宣明せよ──天皇親政に復し奉るべし。

 投稿者:備中處士  投稿日:2014年 9月18日(木)22時45分55秒
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   我が皇國の大政は、政黨の弊害を去つて、無黨を期し、全て國體に則り、大御心を仰ぎ奉つて、一億一心、大政翼贊、滅私奉公に徹するを理想とす。是を之れ、天皇親政と曰ふ。吾々日本人は、利己主義・自由主義・民主主義の時代に浸つて長く在り、此の理想を忘却してゐるのではないか。

 下記に紹介するは、頭腦明晰、判斷適確、憂國・尊皇の念厚く、且つ之を心底に祕めて誇示する所のなき秀逸の人物と評される近衞文麿公の、「たとへ殺されても本懷」なりとして、斷然として自ら任じて立たれた玉文である。



●近衞文麿公『寺内壽一陸相に與ふる書』(平泉澄博士の代筆なり。『似鐵記』所收。田中卓博士『平泉史學の神髓』續田中卓著作集五・平成二十四年十二月・國書刊行會刊に所收)

『意見十條』

一、成敗利鈍を眼中に置かず、千載の目標、萬世に規準を示されん事を要す。
 建武の中興は、二年にして敗れ、明治維新は、數年にして轉囘せり。しかれども三千年の中、此の二年の存し、此の數年のあるありて、皇國の歴史、燦然たる光輝を發し、國體の基礎、永遠に牢固たるなり。たとへ目前の利害を顧慮し、懷柔これ努めて、衆望を得んとするとも、利害を得ては、望蜀の念あり、利を得ずしては、嫉視の目あり。破綻を生ぜん事、年を出でざるべし。寧ろ一意、大理想に邁進して、千古の光と仰がれんに如かざるなり。

二、創業の古に立歸る志氣を以て、百弊を一新せらるべし。
 今日、制度固定、人心萎靡、政治は、脈搏衰弱して元氣沈滯し、殆んど老廢の状を呈す。之をして活溌の熱血、全身に漲らしめんには、百事、草創の意氣を以て、非常の英斷を施さるべし。所謂政界の動きの如き、多く之に心を動かす事なく、大化改新・建武中興・明治維新の鴻業に溯つて、深く思ひを致さるべし。

三、大義を天下に宣明せらるべし。
 今日、政界に勢力として目すべきもの、一は政黨にして、一は軍部なり。兩々相讓らず、相克、止む時なし。これを操縱する、尤も難く、廣田内閣は、遂に瓦解せり。しからば如何にして、此の間に處すべきかと云ふに、他なし、大義を天下に宣明せんのみ。大義を前に政黨なく、大義を前に軍部なし。苟くも大命降下して、内閣を組織するに當り、他の掣肘に屈する事あるべからず。すべて人材を主として簡拔し、他の容喙を許さゞるべし。若し組閣の基礎に妥協あり、屈讓ありては、大義を天下に宣べんこと、思ひもよらず。

四、道徳の確立を眼目とせらるべし。
 今日、革新を説くもの、經濟生活の向上、又は安定を主眼とす。其の必要なるは論をまたずと雖も、更に重大なるは、道徳なり。道徳は、一切の基礎なり。國民道徳荒廢しては、經濟の安定、亦た得べからず。假りに得たりとして、國家の基礎、既に危し。國家長久の大計は、一に道徳の確立に在りとす。

五、一人として其の所を得ざる者なきを期せらるべし。
 功利を思ふ徒輩、萬人の怨嗟は、之を恐るゝに足らず。正理實直の士、一人の失望を恐れざるべからず。明治天皇『五箇條の御誓』の際の敕語に、「天下億兆、一人も其の所を得ざる時は、皆、朕が罪なり」と仰せられし一事、敕を奉じて政をなす者の、須臾も忘るべからざる所なり。

六、所謂政黨政治を破棄せらるべし。
 政黨政治と云ひ、議會政治と云ふ、名は異なれども、實質は一にして、其の根本思想は、フランス革命より出で、結局、政治を國民の自治と見、天皇を國家の機關と考ふるなり。曾て岩倉右大臣が、「下民、上を罔(あみ)するの路を牖(みちび)き、大權、下に移るの漸(ぜん)をなし、實に大祖以降、二千五百三十餘年、確然不易の國體をして、一變、復た囘す可からざらしむるの原因たるの虞あり」との深憂、近時、實現したるものに外ならず。この不逞を破る事なくして、國體を闡明し、大義を宣ぶること能はざるなり。

七、議員任官の非望を絶たるべし。
 議會の禍は、議員の議會に安住せず、任官を希望し、内閣を乘取らんとするにあり。此の非望なきは、府會・縣會なり。よろしく國會をして、府縣會の如くならしむべし。この事、至難中の至難と雖も、若し此の點に妥協苟合ありては、結局、大義明かならず、志士、憂憤蹶起の因となるべし。過去數年、幾度か流血を見しもの、結局、この點に於て革新を要望するものに外ならざるなり。

八、自治に制限を加へらるべし。
 今日、地方自治の勢を見るに、種々の弊害あり。就中、東京・大阪等の大都市に於て然りとなす。是等の都市に、中央の威令、徹せざること、殆んど昔の大名封建の制に類す。よろしく之を改正し、大都市に於ては、國家の直接管理に、町村に於ては、適當なる監督の下に置かるべし。その爲には、郡役所の復活の如き、亦た考慮せらるべき歟。

九、天皇の親政に復し奉らるべし。
 尤も重大なるは、此の點なり。皇國の政治は、國體の本義、必ず天皇の親政ならざるべからず。宮中・府中を峻別するは、外國の風なり。我が國にありては、宜しく閣議を宮城に於て開き、天皇親臨あらせらるべし。況んや今日、非常の英斷を以て、庶政を一新せんとす。聖斷に決せずして、何人か之を決すべし。之をしも臣下に一任せらるゝ時は、これ、大權の降下を誘致せらるゝもの、斷じて非なりとす。

十、君徳の涵養に、尤も意を致さるべし。
 古へ、支那に、太師・太傅・太保、各一員あり、之を三師と云ふ。天子の師法とする所、明治に、侍補あり、常侍規諫、闕失を補益するを掌る。其の後、君徳涵養の大事、殆んど忘却せるにちかし。今、天皇親政の實を擧げんには、進講納諫、その人を選び、その道を開かざるべからず。

 曾て岩倉右大臣は、天下の形勢、日に非なるを見、

「斷乎として、一たび府縣會を中止し、上み陛下より、下も百官僚屬に至るまで、主義を一にして動かず、目的を同じふして變ぜず、更に萬機を一新するの精神を奮勵し、陛下の愛信して股肱とし、且つ以て國家の重きを爲す所の海陸軍及び警視の勢威を左右に提げ、凛然として下に臨み、民心をして戰慄する所あらしむべし。凡そ非常の際は、一豪傑振起し、所謂武斷專制を以て治術を施す、古今、其の例少なからず。故に此の時に當て、半期一歳の間、或は嗷々不平の徒あるも、亦た何ぞ顧慮するに足らんや」(『岩倉公實記』明治十五年十二月「具視、府縣會中止の意見書を、三條實美に示す事」)

と述べられしが、今日、正に其の時なりとす。若し今にして非常の英斷なくんば、土崩瓦解、底止する所を知らざるに至るべし。

 右、『意見十條』
昭和十二年丁丑正月二十四日、早朝、一氣に之を草し、夕刻、之を近衞公に呈し[使者・松本純郎氏持參]、別に一部を、大阪府知事・安井(英二)氏に送れり。予の手許には草案のみにて、清書の暇なかりしが、昨今、兩日を以て、之を清書し得たり。昭和十七年九月七日。平泉澄。

○矢部貞治氏『近衞文麿』に曰く、「近衞は、これ(平泉澄博士草案『意見十條』)を(後藤隆之助に)示して、意見を求めたので、後藤は贊意を表したが、近衞は、『先刻、瀧(正雄)君に見せたら、かういふものを出されたら大變だといつて反對してゐたが、自分は、かういふ問題のためなら、たとへ殺されても本懷だ』と、平素に似合はず氣負つて、凛然たる態度で語つた。後藤は、永年交際してゐたが、あの時ほど、近衞が強い態度を示したことは知らぬと言ひ、この時の態度を見て、公に對し、一層畏敬の念を深めたと語つてゐる」と。



●内閣總理大臣・近衞文麿公『大命を拜して』(昭和十五年七月十九日、平泉澄博士代筆。二十三日午後七時半・ラヂオ放送。『似鐵記』所收。田中卓博士『平泉史學の神髓』續田中卓著作集五・平成二十四年十二月・國書刊行會刊に所收)
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http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/367
○奧書に曰く、「昭和十五年七月十九日午後、一氣に之を草し畢。内閣の顔觸は、未だ定まらず。近公は、東條[陸](英機)・吉田[海](善吾)・松岡[外](洋祐)の三人と、外交の根本を審議中なり。右、一文、念の爲、起草せしに、七月二十二日夕、近衞内閣親任式あり。二十三日、之を富田(健治)内閣書記官長に渡す。その夕七時半、近衞首相の放送あり。殆んど予の原案のまゝにて、僅に多少の添削ありたり。昭和十七年九月十一日夕、之を清書して、將來に備ふ」と。



●近衞文麿公『英米本位の平和主義を排す』──近公の霞山公に於ける、恰かも慶喜公の烈公に於けるが如し。其の傳來、見る可きなり。
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http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/248
 
 
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