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天下無雙の大厦・國中第一の靈神への敕願。

 投稿者:備中處士  投稿日:2014年 9月16日(火)19時06分20秒
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  ■後醍醐天皇『王道再興の綸旨』(元弘三年三月十四日。昭和十年國寶。『異本・伯耆卷』に「宸筆の願書」と)

綸旨を被るに儞(い)はく、
 右、以(おも)んみるに、王道の再興は、專ら神明の加護也。殊に當社の冥助を仰ぎ、四海の太平を致さんと欲す。仍つて逆臣を退け、正理に復せしめんが爲めに、義兵を擧げ、征伐を企てらるゝ所ろ也。速かに官軍、戰勝の利を得て、
朝廷静謐の化に歸す可き旨、精誠を凝らし、祈り申す可し。敕願、成就せしめば、勸賞、請に依る可し。者(てへれ)ば、
天氣に依り、状すること、件の如し。
 元弘三年三月十四日 左中將(千種忠顯の花押──臣下に賜はる御書は、天皇の御名を記させ給はず──『禁祕御抄』御書の事の條)
 杵築社神主舘



■靈元天皇『永(よう)宣旨』(寛文七年五月七日。出雲國造家は、吉田・白川兩家の差配に及ばざる聽許)

 出雲國造は、本と壽詞を奏し、恆に潔敬を異にし(即ち御火所の祕事潔齋)、神の爲めに自ら重んず。乃(よ。仍)つて須く永く厥(そ)の職を掌るべき也。復た兼ねて文天、風調(とゝのほ)り、愼みて撫教の信を布くの有典を徽(よ)くし、武日、道泰(ゆた)かに、彌々仁壽、疆(きはま)り無きの祝延(筵)に符(かな)ひ、政術、善化に順ふ。是れ象を北辰に取り、盤石の盛治を安んずること、猶ほ慶を南極に徴(しる)すがごとし。喜感、遂に通じ、瑞應、斯に表はれん。宜しく誠款を效(いた)し、夙夜、口に祝し心に祷るべきのみ焉耳矣。然れば則ち社中の進退に於ては也、事、巨細と无く、其の制度を規倣す可し。者(てへれ)ば、
天氣、此の如し。仍つて執達、件の如し。
 寛文七年五月七日 左少辨・資廉
 國造舘



●寒林平泉澄博士『新に發見せられたる後醍醐天皇宸筆の御感状』(『名和世家』昭和二十九年一月・日本文化研究所刊。五十年九月・皇學館大學出版部刊に所收)に曰く、「

世治まり民安かれと祈るこそ わが身につきぬ思なりけれ

身にかへて思ふとだにも知らせばや 民の心のをさめがたさを


 國體の大義を確立し、國民の安寧を確保せしめんが爲に、千辛萬苦を顧み給はなかつた後醍醐天皇の叡慮は、是等の御製に現れて、今に至るまで之を拜誦する者は、感激恐懼してやまないのであるが、同時に天皇の雄渾にして莊重、殆んど天空を翔るが如き氣高き御筆蹟は、吉野・室町の間、相つぐ騒亂のうちに多く失はれて、心ある者をして黯然悲傷せしめたのであつた。しかるに近年、建武中興の眞實の意義、愈々明かにせられ、聖徳の讚仰、益々盛んとなるや、宸筆の發見、陸續として相つぎ、今や既に三十數通に上つた事は、まことに喜に堪へざる所である」と。



●身余堂保田與重郎翁『ふるさとなる大和──日本の歴史物語』(平成二十五年月・展轉社刊)に曰く、

「國を讓られた大國主命は、將來、天神のご子孫は大和國へゆかれると、神の知惠で知られましたので、そのご子孫のために、大和國の三輪山に、ご自身御魂をしづめ、また飛鳥と加茂の二つの神奈備の森に、御子の御魂をしづめ、御子の事代主命を、大和盆地の中央に祭られて、天神のご子孫をお待ちしてゐました。特に尊い三輪の神のご子孫の姫神が、建國第一代の神武天皇の皇后となられたといふことは、まことに深い大國主の神のおんはからひのやうです。このご婚禮によつて、日本國の建國は、何もかも見事にをさまつたわけです。

 日向國へ高天原の大神の御孫の神が天降られたころに、大和國へ高天原から降つてこられて、大神の御孫のご子孫をお待ちしてゐた神がみの話は、饒速日命は古典にも出てゐますが、丹生津姫神のことも、千年の昔にしるされた古典に殘つてゐます。この姫神は、吉野河に沿つた大和國から紀伊國にかけて巡幸せられ、水田で米を作り、新嘗の祭りをするわが國の生活の基本を教へられました。吉野河の上流の小村にある丹生神社は、丹生津姫神を祭る大社で、神武天皇が、戰況の最も苦しい時に、嚴肅なお祭りをして、高天原の神にお祈りをされたご遺蹟です。天武天皇も、一時ここに逃避され、後もこの社を特に崇敬されました。神武天皇の古事を、ご念頭に遊ばしてのことだつたでせう。大和の山間には、高天原から神がこの地へ降りてこられたといふ傳へが、あちこちに殘つてゐます」と。



 平成二十六年九月七日、千家國麿出雲大社禰宜、權宮司に就任。九月九日、告期の儀。十月五日、結婚の儀の由。洵に御同慶に堪へません。天上神界の御宏圖、天地翼贊、允に畏き極みなりけり。恐懼謹白。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/2230

千家國造尊澄┬尊福┬尊統──尊祀──尊祐──國麿
       └尊紀┘
 
 
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