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『凛として愛』から、乾。

 投稿者:備中處士  投稿日:2014年 8月29日(金)20時09分56秒
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   九段塾塾頭の監督作品『凛として愛』を、試みに散文化したら如何なるか。玲瓏たる肉聲も、壯嚴たる映像・音聲も無いのであるが、凝縮された玉文からは、一篇の近現代史が抽出される。熟讀、泪が込み上げて來るのは、ひとり小生だけであらうか。



 泉水隆一監督『凛として愛』臺本
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t38/l50

靖國神社遊就館上映作品(平成十四年七月十三日・十四日)
『 凛として愛 』
脚本・監督  泉水 隆一
ナレーター  花椿 一心(即ち泉水隆一)

*********

 國家によつて、安全と平和、生命と財産を護れなかつた國民の悲慘さを、私たちは知らない。

 この一篇を、明治開國から大東亞戰爭に至るまで、祖國のために力の限り戰つた幾千萬の將兵と銃後の守りに盡くされた總ての先人に、感謝と畏敬の念を籠めて捧げます。

 昭和二十年八月――廣島・長崎に、原子爆彈が投下される。八月十五日、日本は三年八ケ月に及ぶ大東亞戰爭に、終止符を打つた。建國以來、初めての敗戰であつた。この日から、日本の近代史がひゞ割れた鏡のやうに、歪んで傳へられて行く汚辱の日となつた。戰爭に負けたのは仕方がない。だが、日本人は戰ひに敗れても、誠實さが必要だつた。日本と云ふ國に、祖國に盡くした幾百萬の英靈に、幾千萬の先人に、愛を籠めた感謝を捧げるべきであつた。‥‥が、果たせなかつた。多くの日本人が、裏切つた。戰後の荒廢した日本に、赤旗がなびき、社會主義思想が廣まり、戰勝國による一方的な東京裁判が開かれる中で、日本の近代史は僞りに滿ちた惡意の下に、大きく書き替へられて行つた。

 女高生の曰く、『私はあの、小學校の時に初めて遊就館に行つたんですけれども、その時に初めて戰爭に行つた方の遺書や思ひが綴つてある資料を見て、涙が出て來たんです。それで、その事について、私は小學校で何も教はつてなかつたなあと、氣が付いたんです。教科書にも、餘りさう云ふことは載つてゐなかつたし。日本の歴史だけぢやないかも知れないんですけれど、世界の歴史を學んでも、やつぱりその時代に生きた人にしか分らない歴史つて云ふのがあると思ふんです。絶對にその状況になんなきや、分らない。何んで、その人が、さう云ふ行動を云々』と。

 私たちの國には、明治維新以來、幾度かの國難に、敢然と立ち向かつた日本民族の不屈の歴史があります。たつた一つしかない命を、國家に同胞に捧げた、凛とした眞實の歴史があります。その扉を、今、開け放さう。

凛として愛

 六十數年前、日本はアメリカを始め、世界百十數國を相手に大戰爭をした。しかしその戰爭は、國家國民の安全と平和を護るため、アジアの安定を築くため、世界の平和を請ひ願つたものであることに間違ひなかつた。戰場に出て行つた將兵は、皆な同じ考へであり、力の限り、彼らは戰つた。だが、事、志と違ひ、戰ひに敗れたことで、日本の掲げた理想は實ることはなかつた。日本は、敗れたまゝでゐる。

 平和を享受する現代日本から遠く離れた異國には、未だ收拾されない將兵の遺骨が、山野に埋もれてゐる。何時になつたら日本は、戰ひに散つた將兵を暖かく迎へてくれるのだらうか‥‥。全國民が祈りを捧げてくれるのだらうか。靖國神社に祀られる二百四十六萬六千餘柱の英靈は、いまだ侵略戰爭の汚名を着せられたまゝでゐる。かつて南方の島々で戰つた日本軍に、援軍は來なかつた。ならば、今から援軍を送る。日本を變へる援軍を送る。あなた方の眞實を、痛みを、私たちは傳へて行きます。

 昭和十六年十二月八日、日本は西太平洋に浮かぶハワイ眞珠灣に停泊中のアメリカ太平洋艦隊を奇襲攻撃、米英を相手とした大東亞戰爭を起こした。この開戰の意義を、『智惠子抄』で知られる詩人・高村光太郎は、一篇の詩に書き綴つてゐる。
『黒船以來の總決算の時が來た。民族の育ちが、それを可能にした。長い間こづきまはされながら、なめられながら、しぼられながら、假裝舞踏會まで敢てしながら、彼等に學び得るかぎりを學び、彼等の力を隅から隅まで測量し、彼等のえげつなさを滿喫したのだ。今こそ古へにかへり、源にさかのぼり、一瀉千里の奔流と成り得る日が來た云々』と。
大東亞戰爭は、黒船來航以來、長い間、歐米列強にこづきまはされて來た日本人の、白人社會の強壓に對抗する總決算であることを、詩に託してゐる。何が總決算だつたのか‥‥、その慟哭の聲を聞かう。

 高千穗商科大學前教授・名越二荒之助の曰く、『そこがまあ、日本人の個性と云ふのかねえ。今でもわからんですよ。終戰直後に朝日新聞なんか見ればですね、一億が慟哭して、皇居前でその土下座してゞすね、靖國神社の社殿でも土下座して、その自分の至らなさねえ、そしてその慟哭した譯でせう。それがもう僅かな間に、クルツと引つ繰り返つてしまつた。それで、そこにまあ、日本人の輕薄さと云ひますかねえ、日本がこんなに惡いことをした、こんな惡行をしたと云ふことをですね、ラヂオを通じて、テレビを通じてやり出した。皆んなそれに染まつてしまつたといふ、さう云ふ日本人の便乘癖ですねえ‥‥』と。
 又た曰く、『明治維新に成功する。見事な成功ぶりです。それから國論の一致。富國強兵と云ひですねえ、それで大國ロシアを打ち破る。アジア諸國に大きな感動を與へる。それでアジア諸國はですねえ、それに觸發されてゞすねえ、皆な獨立精神を奮ひ起こさうとし出す。それでその最終結論みたいなものが、大東亞戰爭であつた、と。これはまあ、歐米諸國の植民地勢力に對する日本の抵抗。アジアを代表する日本の抵抗であつた、と。日本が敗れたらですねえ、もうアジアは、永遠に彼らの支配下に陷つてゞすねえ、永遠に植民地にされてしまふ、と。アジア安定の責任は、日本に在る、と。日本人の使命である、と、日本の責任だ、と云ふことですね、常にまあこの口ずさんでをつたし、私なんか小學校以來、さう考へてをつた。日本が負けたら、日本が弱くなつたらですね、まあ負けることはなかつた、負けるとは考へなかつた。日本が弱くなつたら、アジアが駄目になる、と、アジアの責任を感じてをつた、と、アジア安定の。それは一言で云へば、日本の近代史の最大の使命だつたですね』と。

 どんな山奧からも、小さな村からも、國民は一つとなつて、日本の戰ひに出て行つた。
森本文子の曰く、『そのために出たのに、今はもう、ちよつと、世間の常識としたら厄介者扱ひのやうな、あれでせう。本當、身内になつてみりや、情けないですよ。何んのために命まで捨てたんかなあと思うてね。まあ、日本の國はえゝ國えゝ國つて言はれとりますけど、これをわからん國民が多いんかなあと思つてね、いつも思ひます。情けないなあ。私はあんな人間になつちやならんと思うてね。大袈裟いふちや、あれぢやけど、日本の國のためになるんぢやちふ氣が、兄貴にはあつたんだらうと思ひます。とても今の若いものぢやつたら、惡いことはする、人を殺したりなんかはするけど、自分の命を絶つてまで、國のために盡くさうと思ふものは、今は餘りゐないんだらうと思ひますよ』と。

 戰爭は悲慘なもの、惡と云はれ續けてゐる。しかし戰はなければ、國家國民は、それ以上の悲慘な目に遭遇しなければならなかつた。極東の小國日本が生き殘つた理由は、幾度かの國難に、常に武器を取り、立ち向かつたからである。

 嘉永六年、日本がペリー率ゐる黒船艦隊により開國された時、アジアは歐米列強の植民地化の中にあつた。白人こそ、最も優れた人種であると考へた彼らは、アジアを文化果てる未開の地・非文明地と見做し、次々と植民地化して行つた。しかし、日本を植民地にすることは出來なかつた。サムラヒたちが、歐米人の差別と蔑視を跳ね返すために、明治維新を成し遂げ、新しい體制の下に國民を一つにまとめ、近代化に取り組んだからである。その大膽さと決斷力が、日本を護つた。

 この列強の勢力に對抗するため、日本は朝鮮半島にあつた朝鮮國が、長い間服屬してゐた清國より獨立し、共にアジアの安定に關はることを強く願つたのだが、朝鮮は國論が一致せず、清國もそれを許さず、明治二十七年、朝鮮の獨立を巡つて、清國との間に日清戰爭が起きた。

靖國神社に祀られる日清戰爭戰歿者、一萬三千六一九柱英靈。

 大國清に勝つて喜ぶ日本に、突然、襲ひかゝつて來たのは、ロシアだつた。下關條約で清國より遼東半島・臺灣を領土として讓渡された日本に、ロシアはフランス・ドイツを誘ひ、遼東半島を清國に返せと要求して來たのである。三國干渉である。日本に、三國と戰ふ力はなかつた。

深く時世の大局に視、邦家の大計を誤まること勿きを期せよ
との、明治天皇の御言葉に、國民は涙を呑んで、ロシアの要求に從つた。しかしロシアは、直ぐにその遼東半島を自國のものとしてしまつた。力が全ての時代だつた。日本人の魂に、怒りの炎がついた。國家が強くならなければ、白人社會の横暴に對抗できない。臥薪嘗膽。將來、恨みを晴らすまで、どんな苦労にも耐へると云ふ此の言葉が、國民の合ひ言葉となつた。

 十年後、東アジア征服を目論むロシアは、遂に牙を剥いた。滿洲を占領し、大兵力を朝鮮半島に進出させて來た。日本に、危機が迫る。

 名越二荒之助の曰く、『朝鮮はロシア領。さうなると匕首を突き付けられたやうなもんですから、遂に日本は立ち上がつた譯ですね』と。

 ロシアは當時、世界最大の陸軍大國であつた。ロシア陸軍三百五十萬に對し、日本は僅か十八萬。海軍戰艦もロシア十一隻に對し、日本は六隻。鐵鋼生産量ロシア百五十萬トンに、日本は數萬トン。日本が勝てるデータは。何處にもない。世界もまた日本の大敗を豫測してゐた。

 天皇は、深い憂慮を示された。だが、若き内閣總理大臣桂太郎は、天皇に心の内を明かす。宣戰布告である。負ければ、日本はロシアに占領される。まなじりを決した七千萬人の國民が、背後にゐる(備中處士案、實は同胞四千萬人と云ふ)。日本は、蹶然と立つた。陸に大山巖・兒玉源太郎・黒木爲禎・奧保鞏・乃木希典。海に連合艦隊司令長官東郷平八郎・天才作戰家秋山眞之がゐた。渾身の力で、ロシアに立ち向かつたのが、明治三十七年の日露戰爭である。この戰爭は、ロシア國家を滅ぼすことが目的ではなく、朝鮮半島・滿洲から、ロシア兵を追ひ返すことにあつた。

 名越二荒之助の曰く、『セオドア・ルーズベルト大統領がですね、もう日本海海戰で勝利した時には、もうその嬉しくて、仕事が手に付かなかつたと云ふことを言つてますし、ネールがですね、自分の青年時代の最大の感激は、日本が大國ロシアを打ち破つたことだと云ふ言葉も引用しとります。そりやもう、バーモンも、さう言つてゐる。チャンドラボースも、さう言つてゐる。皆、感動を與へましたね』と。

 日露戰爭の日本の勝利は、列強の植民地化にあつた全世界の人々に、勇氣と希望を與へた。自分たちでも、白人社會に對抗できる‥‥と、獨立運動の風を捲き起こしたのである。人種差別の激しいアメリカでも、黒人活動家アーチボールド・グリムケの曰く、『小さき褐色の人々よ、征服せよ。汝の恐るべき劍を鞘に收むるなかれ。汝はロシア人を打ち据ゑた。汝はロシア人以外の人々の誇りを、權力を打ち据ゑるやう運命づけられてゐる』と。グリムケは、強大な白人社會を打ち破つた同じ有色人種の日本に、なほも世界の權力者たちを、その誇りを打ち破ることを激勵してゐる。人種差別こそ、二○世紀(備中處士案、ママ)最大の惡であつた。これがなければ、世界は血を流さなかつたかも知れない。

靖國神社に祀られる日露戰爭戰歿者、八萬八千四二九柱英靈。
 日本のために、地に伏した人々である。

 全國津々浦々には、國家に忠義を盡くした英靈を讚へる忠魂碑が、數多く建てられてゐます。あなたがもしも通りかゝつたなら、心の想ひを傳へて下さい。英靈は、きつと喜ばれることでせう。あなたの愛を。國を想ひ、家族を慈しむ日本人は、一度國難があれば、身を挺して戰場に赴いた。後顧の憂ひを斷ち、肅々として征つた將兵の胸にあるのは、今はもう誰も言はなくなつた、忠義と云ふ心であつた。その心があつて、今日、日本は亡國とならずにゐる。現代日本人よ、祖國のために逝つた英靈に、默祷を捧げてほしい。

 日清・日露戰爭を勝つた日本は、アジアに國力を伸ばして行つた。大正三年、日本は第一次世界大戰に參戰後、カロリン諸島など南洋諸島の統治權を、國際聯盟より委託される。又た明治四十三年には、韓國を併合する。

 名越二荒之助の曰く、『國論が一致しない。一つにならなかつた。お互ひに派閥爭ひが絶えない、權力爭ひが絶えない、と云ふことと、外國の勢力に直ぐ便乘すると云ふことですね。そりやもう、あの頃の韓國と、現在の日本は似てますよ。國論が常に二つに割れて、一致しないでせう。靖國(備中處士案、ママ)問題とかね、教科書問題とかね。分裂しとるんですからね。大正八年に、三・一獨立運動いふのがありました。萬歳事件いひまして、獨立だ獨立だ言うて、全國に擴がりましたね。それで、それに對して獨立いふのはですね、デモをやつて獨立できるんぢやないんだと、あらゆる條件そろへないとですね、たゞ萬歳萬歳いふとるだけで獨立できるかと、こんな輕薄な民族はですね、こりやもう履き捨てるべきだと言つてゞすね、あの當時、あの獨立運動批判した韓國人もをる譯ですね。だから、その一概にですね、そのいゝとか惡いとか云々』と。

 しかしアジアをあくまでも支配したい歐米列強にとつて、東洋に突出して來た日本は、邪魔な存在に見えた。大正十年のワシントン軍縮會議では、日本の海軍力は抑へられ、それまで最大の支援國であつたイギリスとの同盟が破棄された。日本を孤立化させようとする、アメリカの意志である。一方、中國(備中處士案、ママ)大陸では、排日の嵐が吹き荒れてゐた。大國清は、既に革命で倒れ、國内は中國人同士の權力爭ひで亂れに亂れ、民衆は西に東に逃げ惑つてゐたが、國内を統一しようと現はれたのが、國民黨を率ゐる蒋介石である。日本の近代化を見習はうと、蒋を始め多くの中國人が日本に留學、共にアジアの安定に協力しようと云ふ氣運が盛り上がつてゐたが、それを遮つたのが、共産勢力であつた。第一世界大戰中に、ロシアは革命によつて倒れ、社會主義國ソビエト聯邦共和國が成立してゐた。この新たに興つた國家の共産主義は、當時、赤の恐怖と呼ばれてゐた。ソ聯は中國を赤化するために、中國人の手により、外國勢力を排除しようとした。その矢面に立たされたのが、中國各地に正當な權益を持つ日本であつた。ソ聯共産黨に扇動された多くの民衆・國民黨が、抗日運動に加はり、各地の日本人居留民が襲撃され、無殘にも殺された。滿洲東北部のニコラエフスクでは、石田領事以下、七百數十名が殺され――、昭和三年には、濟南に住む日本人居留民が――(尼港事件・濟南事件)、イギリスのデイリーテレグラフは、『中國人は掠奪と殺人を、天與の權利であるかの如く、暴行を繰り返してゐる。日本人の忍耐にも限度がある』と書いてゐる。しかし日本は、世界と協調するために、動かうとしなかつた。

 過激な排日の嵐は、滿洲にも及んだ。滿洲には、日露戰爭で勝ち取つた正當な權益があり、多くの日本人・朝鮮人が住んでゐたが、その平和郷も、排日テロの波に曝された。背後には、日本を追ひ出さうとする中國軍の暗躍がある。廣大な滿洲には、關東軍と呼ばれた日本軍が駐留してゐたが、その數は、僅かに一萬。中國軍は二十五萬。滿洲各地で、日本人が無差別に襲はれてゐたが、日本政府は中國側との摩擦を恐れ、關東軍の出動を許さなかつた。「腰の軍刀は竹光か」と、日本人居留民からも涙の抗議を受けるが、關東軍は、命令がなければ動けない。だが、忍耐の緒が切れる時が來た。
 
 
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