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生きては、忠義の大和魂を、骨髓に填め、死しては、忠義の鬼と爲り、極天、皇基を護らむ。

 投稿者:備中處士  投稿日:2014年 5月18日(日)12時50分56秒
  通報 返信・引用 編集済
   眞木和泉守の辭世の哥(眞蹟。元治元年七月二十日、三條實美公に贈る)

大山の ミ祢の岩祢(峰の岩根)に 埋にけり わがとし都き(我年月)の 大和魂

に云ふ、「大和魂」とは、何ぞや。

 訓詁的には、大和魂(日本魂・倭魂・和魂・皇國魂・大和心・日本膽)とは、

一、處世の才能。世々に賢きこと、即ち學事に耽るとも、世事に迂遠ならず、事に對して頑固ならぬこと。而して漢學の力に頼らず、獨り自ら活動するを得る心・魂(氣力)の名なり(後拾遺集俳諧・源氏物語卷二十一・大鏡卷二・今鏡・愚管抄卷三)。

二、日本人獨特の元氣・勇氣は、即ち不撓不屈・堅忍持久の精神、不敗必勝の精神、愛國・尚武・廉潔・義侠の精神なり。其の本源は、絶對大忠の心より湧出する所の國民的自覺の精神の名なり。

を云ひ、主として「一」の謂ひから、近世に至り、埀加・國學諸家の解釋、志士・國民の鼓吹によつて、やがて「二」に轉ぜし、或は千古の眠りより醒めし、日本固有の精神を謂ふなり。こゝに云ふ「志士」とは、「家庭の恩愛の情に流されず、やむにやまれぬ戀闕の憂憤によつて、召されざるに起ち、革新の渦中に投じ、大義に生きし人々」(鳥巣通明翁『戀闕』の「眞木和泉守の立場」昭和十九年九月・朝倉書店刊。平成九年四月・青々企画覆刻)の謂ひである。



■明治天皇御製

いかならむ 事にあひても たわまぬは わがしきしまの 大和だましひ

事しあらば 火にも水にも いりなむと 思ふがやがて やまとだましひ

思ふこと つらぬかずして やまぬこそ 大和をのこの こゝろなりけれ

國といふ くにのかゞみと なるばかり みがけますらを 大和魂

くろがねの まと射し人も あるものを 貫き通せ 大和たましひ

とき遲き たがひはあれど 貫かぬ ことなきものは まことなりけり




●諸家の哥

なにゆゑに 碎きし身ぞと 人問はゞ それと答へむ 大和魂(谷川淡齋先生)
敷島の 大和心を 人問はゞ 朝日に匂ふ 山櫻花(本居宣長大人)
漢に才 やまとに魂(たま)と 教へてし 神の御語の たふときろ哉(一に「かしこきろ哉」。平田大壑大人)
皇一人 知ろし食せとて 花木に 書く漢文字ぞ 日本魂(佐久良東雄翁)
打てば斬り ふるればほふる 劍おひ 股はくゞらじ 大和魂(清川樂水翁)
備へとは 艦や砲との 謂ひならず この敷島の 大和魂(吉田松陰先生)
かくすれば かくなるものと 知ながら 已むに已まれぬ 大和魂(吉田松陰先生)
身はたとひ 武藏の野邊に 朽ぬとも 留置まし 大和魂(吉田松陰先生)
斯て世に 有らむ限りは 山科の 止まず盡さぬ 大和眞情(まごころ。有馬正義翁)
玉の緒は よしやなかばに 絶ゆるとも 朽ち果つべしや 倭たましひ(中山忠能公)
誰が身にも ありとは知らで まどふめり 神のかたみの 日本魂(野村望東尼)
打たばうて 碎かばくだけ 碎くとも 身にみがきえし 大和魂(平野國臣翁)
はれ曇り しばし霞の かゝるとも うごかぬものは やまとだましひ(平野國臣翁)
山ざくら にほはぬ國の あればこそ 大和心と ことはりもすれ(橘曙覽翁)
火もて燒き 水もて消せど 變らぬは わがしきしまの 大和魂(河上彦齋翁)
大君の 御楯とならん 身にしあれば 磨かざらめや 日本こゝろを(乃木希典將軍)


●『菅家遺誡』卷一に曰く、

「一、凡そ神國一世無窮の玄妙なる者は、敢へて窺ひ知る可からず。漢土三代周孔の聖經を學ぶと雖も、革命の國風は、深く思慮を加ふ可き也。

一、凡そ國學の要する所は、論、古今に渉り、天人を究めんと欲すと雖も、其の和魂漢才に非ざるよりは、其の閫奧を闞(うかゞ)ふこと能はず矣[右、二則は、『遺誡』中の眼目也。既に北野神社東の碑に記す焉。漢籍を學ぶ者は、心を用ふ可きの第一也]」と。
  ↓↓↓↓↓
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2543229


●山田孝雄博士『菅公の識見』(北野神社編『菅公頌徳録』昭和十九年七月・官幣中社北野神社奉贊會刊に所收)に曰く、

「公は、その漢學の才に至りては、白樂天の再來なりと、渤海の使をして驚嘆せしめたる人、本邦の鴻儒をして、文道之大祖と仰がしめ、近き頃まで、國民の教育の祖神として祭られたる人なり。かくの如く漢才に富める人にして、然も眞の日本人たるの雄偉なる識見を有せらるゝこと、誠に驚嘆するに堪へたり。後人、和魂漢才の語を唱ふるや、人、皆な期せずして之を菅公の言とせり。これもとよりその實を證すること能はずといへども、若し古來の偉人にして、眞に和魂漢才の語に當るべき人を求めむとせば、恐らくは、公は唯一の人ならむ」と。


●山本信哉博士『和魂漢才』(『國學院雜誌』第三十四卷第四號)に曰く、

「和魂とは、『やまとだましひ』、又は『やまとごころ』ともいつて、日本民族固有の精神を謂ふのである。日本人たるの自覺を以て、國家の爲め、天皇の御爲めに獻身的行爲・犠牲的動作を實行する國民性を謂ふのである。我々日本人が、天皇の御命令に絶對服從するのは、屈從に非ずして、自由意志である。義務でなくて、權利である。この精神を有せずして、徒らに漢才、即ち『からざえ』を修め、支那の文化に心醉するのは、寧ろ有害無益であるが、さりとて和魂のみで漢才の無いのも、亦た頑固固陋で宜しくない。妙は和魂と漢才とを兼備する所に在るといふのが、和魂漢才の要訣である」と。


●友清歡眞翁『吾等が道標』(昭和二十年九月七日記。『春風遍路』・『全集』卷五に所收)に曰く、

「斬つたり殺したりすることが、『やまとだましひ』ではない。『やまとだましひ』といふ言葉は、紫式部の『源氏』に書いてあるのが初見であらうし、『やまとごころ』といふのは、同時代の御堂關白道長の室倫子に仕へた女官の赤染衞門の歌に出てゐるのが初見であらうし、‥‥『源氏物語』をとめ卷に出てゐる大和魂といふ言葉の意味は、多くの學者によつて誤解されたまゝで傳へられて來たやうで、當時の新思想たる漢學を才[ざえ]を本とし、大和魂を末としたかのやうに解されたが、事實、其の反對で、才は種々あるが、やまとだましひが本でなくてはならぬことを、紫式部は強く主張してゐるので、これは、其の當時の漢學は、表向き男子の獨占するところであつたので、それに對する女性の立場からの抗議の意味も含まれて居るのである。そんなら、大和魂は何であるかといふと、今から五百年前、一條禪閤兼良は、大和魂に定義を與へて、『わが國の目あかしになる心なり』といつた。近ごろの言葉に直せば、我が國の指導精神といふこゝろであらう。これは如何にも立派な定義で、我が國の目あかしとなる大和魂が、すべての基本となつて、世界への文化も世界への平和へも、力を及ぼして行かねばならぬのである。‥‥

 平安時代の原義による『やまとごころ』は、即ち大和魂であつて、それが『わが國の目あかしになる心』である。この本來の、純潔な、媚態も嬌態もない美、すなはち其の『うるはしき心』(何の濁りもなく、崇高な清く匂やかな美を、言葉にうつせり)は、神典にある『清明心』であり、又た『平心』である。その本來の『やまとごころ』が『我が國の目あかしになる心』であつて、これは決して昔のことでなく、今日に於ても明日に於ても、特に國民の注意を要する重大なことであると思ふ。やまと心は才の本になるもので、藝術も科學も産業も、要するに才であるが、その本は、必ず『やまと心』でなければならぬ。これは民族の優越感とか、お國自慢とかいふやうなものではない。世界共通的なものであると思ふ。東洋であれ西洋であれ、古來の大詩人や大藝術家や大哲學者や大宗教家や大科學者に共通するところのものである。この本來の意味の『やまと心』が、新しき才と正しく調節されて進むところに、人類の新しい理想境が描かれるものと信ずる。世界の人々はそれゞゝの立場から、又た同じ日本民族でもそれゞゝの立場から、其の目標に進むべきものと信ずる」と。


●若林強齋先生『神道大意』(谷省吾翁『神道原論』昭和四十六年六月・皇學館大學出版部刊に所收)に曰く、

○京都市眞言宗阿刀家所藏本(淡齋野村新左衞門正明自筆・強齋先生朱批)「志を立つるも、此の形は氣のつゞくほど、つゞいてくちはつる事ぢやが、それは形あるものは、始めがあれば終りがあるはづは知れた事、あの天神より下された面々の、このみたまは、死生存亡のへだてはないゆゑ、この大事のものを、生きては忠孝の身をたてゝ、どこまでも[(朱批)即今、忠孝の身となして]、君父にそむき奉らぬ樣に、死しては[(朱批)君父にそむき奉らぬ樣に、其のなりにどこまでも]八百萬神の下座につらなり、君上を護り奉り、國土を鎭むる神靈となる樣に、と云ふより外、志はないぞ。ぢやによつて、死生の間にとんぢやくはない。‥‥末の世ぢやと云うて、吾れと身をいやしめふ樣もない事。天地も、古の天地なり。日月の照臨も、今にかはらせらるゝ事なければ、面々にきたなき心をもたぬ樣に、常に幽(いう)には、神明を畏れ、明(めい)には、上に事へまつり、下をいつくしみて、萬事すぢめにたがふ事なければ、我が身一分の日本魂は失はぬと云ふものゆゑ、餘所を見る事も、何にもない。只だ我が志のつたなき事、我が身のろくにない事をなげいたがよいぞ」と。

○伊豫大洲常磐井家所藏本「志を立つるといふても、此の五尺のからだのつゞく間のみではない。形氣は衰へうが、斃れうが、あの天の神より下し賜はる御玉を、どこまでも忠孝の御玉と守り立て、天の神に復命(かへりことまを)して、八百萬神の下座に列り、君上を護り奉り、國家を鎭むる靈神となるに至る迄と、ずんと立てとほす事也。さるによりて、死生存亡のとんちやくはなき事也。‥‥末の世というて、我と身をいやしむべからず。天地も、古の天地なり。日月の照臨も、今にあらたなれば、面々の黒心(きたなきこゝろ)を祓ひ清め、常々幽(いう)には、神明を崇め祭り、明(めい)には、君上を敬ひ奉り、人をいつくしび物をそこなはず、萬事すぢめたがふ事なければ、おのれ一箇の日本魂は失墜せぬといふもの也。餘所を見て怨み尤(とが)むる事なく、たゞ我が志のつたなき事を責め、我が心身のたゞしからぬ事のみをうれひ、冥加を祷りてあらためなほすべし」と。


●松岡渾成翁『神道學則日本魂』第三則に曰く、

「第令(たと)ひ儒生・釋徒・異端・殊道の頑、村甿(農)・野夫・賈販・奴隷の愚なるも、悃悃欵欵(こんゝゝくわんゝゝゝ。至誠)、國祚(皇位)の永命を祈り、紫極(御所)の靖鎭を護る者は、此れを之れ日本魂と謂ふ。予、呶呶然として此の如く、其の已まざる所以の者は、實に日本魂の教の著れざるを懼るれば也。辯を好むに非ざる也。學者、諸れを諒せよ」と。


●藤田東湖先生『常陸帶』に曰く、

「おほよそ神國に生れむ人々は、一人づつも大和魂を礪ぎ、一人づつも猛きわざを學び、邪なる教もて誑かざるゝとも、露だに心を動かさず、おほけなくも穢き夷狄の寄せ來らむ事有らむには、煙の下より一さんに馳入り、八尋の矛・十握の劍、思ふまゝに打振りて、彼の鼻高く眼入りたる奴原、一人も殘さぬ許りに、憂き目見せたらむには、いかに心地よきわざならずや」と。


●平田大壑先生『靈能眞柱』に曰く、

「この築き立つる柱はも、古へ學びする徒(とも)の大倭心の鎭りなり。然るはこの柱の固めは、底つ磐根に築き立て、千引きの石の堅固めずては、その言ひと言ひ爲しと爲す、言にさへ事(わざ)にさへ柱なくて、桁・梁・戸・窓の錯(きかひ)鳴り動き、引き結べる葛目の緩び、取り葺ける草(かや)の噪(そゝ)ぎつゝ、夜目のいすゝき、いつゝしき事なも、これに因りて出で來める。然のみならず、その靈の行方をだに鎭め得ずて、潮沫の成れる國々、いな醜目、穢き底の國方(べ)の國より、荒び疎び來し説に、相率(まじこ)り相口會へむとするも多かるを、見るに得堪へねば、いかでその心の柱を、太く高く磐根の極み築き立てさせ、鎭めてまし率らせじと、思ふまにゝゝ、屋船神の幸ひ坐して、築き立てさせし此の柱よ。はたその因(ちなみ)に彼處や此處へ遊(うか)れ行く靈の行方も、尋(と)めおきて鎭めに立てし、これの柱ぞも。

眞木柱 太き心を 幸へむと 進(そゞ)ろ心は 鎭め兼ねつも

 古へ學びする徒は、まづ主と大倭心を堅むべく、この固めの堅在らでは、眞の道の知りがたき由は、吾が師(本居宣長大人)の翁の、山菅の根の丁寧ろに教へ悟しおかれつる。此は磐根の極み突き立つる嚴し柱の、動くまじき教へなりけり。斯くてその大倭心を、太く高く固めまく欲りするには、その靈の行方の安定(しづまり)を知ることなも、先なりける。‥‥

 たまゝゝも大御國へ射向ひ奉る夷のありて、翁の御心をいためまさば、この篤胤がまかり向ひ、見て參り候はむと、賊の軍中に翔入りて、蟻の集へる奴原を‥‥追しき追伏せ、‥‥蹴散らかしうち罸め、山室山にかへり來て、老翁の命に復命まをしてなまし。あな、愉快かも。此は、篤胤が常の志なり」と。


●平田大壑先生『玉襷』卷一に曰く、

「人の國にては、文武とついでて、文を重き事にすめれど、我が皇神の道は、武の道ぞ、文にまさりて重かりける。其は武とし云へども、弓箭・劍戟を用ふる術のみを云ふに非ず。神武にして雄々しき倭心ぞ、本なりける」と。


●川合清丸翁『大和魂』(明治四十年九月・日本國教大道社刊)に曰く、

「此の(大和)魂の、高尚優美にして、麗しく嫻(みやびや)かなる氣品は、我が天度の中正和暢なる所より産み出だされしものなるべし。又た其の剛毅果斷にして、雄々しく逞しき氣勢は、我が地形の嶮峻雄拔なる所より産み出だされしものなるべし。又た其の和樂愷悌にして、安らけく樂しき氣象は、我が人種の國産國出なる所より産み出だされしものなるべし。又た其の忠勇義烈にして、猛く勇ましき氣概は、我が皇統の神聖無比にまします所より産み出だされしものなるべし。又た其の尊嚴、武を尚ぶの嚴(いかめ)しく尊大なる氣質は、我が國體の卓犖不群なる所より産み出だされしものなるべし。又た其の虚懷、衆を容るゝの裕に優しき氣宇は、我が宗教の天を覆ひ地を載する所より産み出だされしものなるべし。又た其の職を勵み業を勉むる忍耐の氣力は、我が道徳の天に報い地に答ふる所より産み出だされしものなるべし。又た其の己を捨てゝ人を救ふに任侠(じんけふ)の氣骨は、我が風俗の強を挫(ひし)ぎて弱を扶(たす)くる所より産み出だされしものなるべし。

 我が大和魂の生れ故郷は、斯くの如く宏大に、斯くの如く深遠なれば、彼の儼乎として易ふべからず、確乎として拔くべからず、凛乎として犯すべからざる氣象は、謂はゆる附燒刃の切れ味には有らで、是れぞ眞の無垢鍛(ぎたひ)より生ずる所の作用なるべき。再言すれば、天地間の衆善衆美を集めたる精氣が、天地間の至神至聖を極めたる寶祚と、相結托し相煥發して、天地の間に生(は)え貫きたるものなけば、長き間には、時運の泰否に因りて、消長汚隆はこれ有るべきも、隱れしかと思へば復た發顯し、廢れしかと思へば復た勃興して、天地の在らむ限りは、活動變化、極まり有るべからざるものぞ。因りて憶ふに、從來、古人が此の魂の全體大用を辯論し置かざりしは、中々に其の信ずる所の深く、頼む所の厚かりし故にや有らむ」と。


●村山惣作翁『タマシヒの安定は鎭守樣から――日本精神の本義顯彰は産土神信仰から』(昭和十二年九月・五色屋書房刊。平成元年六月・山雅房復刻)に曰く、

「天皇陛下の寶祚無窮を使命とせられて、出雲大神主宰の基に、各土地々々の幽政萬般を掌らせ給ふ産土神は、我等國民をして、一意專心、陛下に仕へ奉らしめんが爲め、萬物を守り惠み幸ひ賜ひ、同時に我等個人々々の正邪曲直を審判して、道徳の根源を把握し給ふ、最も縁深き親神樣なり。此の故に産土神奉齋の根源は、天皇陛下の御爲なり。而して大和魂や日本精神の本源は、實に産土神の御意志にして、此の御意志を己が意志にすること、即ち産土神信仰の最奧義たり。是れ「日本精神の本義顯彰は産土神信仰から」と絶叫する所以にして、産土神を信仰してこそ、日本人本來の熱も力も勇氣も安命も得らるゝなり。而して産土神は國魂の神であり、地主の神であるが故に、此の神を信仰することは國魂信仰にして、其の國魂を基として祀り信仰してこそ、其の土地は治まり、萬物に處を得せしむる所以にして、其の具體化せるもの、即ち神社(鎭守)なり」と。
 
 
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