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第一章信仰の卑俗化ー2-

 投稿者:塾頭  投稿日:2008年10月17日(金)15時31分1秒
  通報 返信・引用 編集済
  (記述更新:10月17日.20時)
それでは、遊就館上映「みたまを継ぐもの」という映画がどれほど罪悪的な映画であるかをお話します。

現在の靖國神社の運営をする者、それを取り巻く人々が、いかに靖國神社の歴史と伝統、正統を反古にし、昨今の参拝者に、新たなる靖國神社のイメージ、捏造に近いものを作り出そうとしているか。そうとしか考えられない、左翼的傾向に嵌りつつあることを私は強く指弾したいのです。

これまでにも、現在の執行部は、明治天皇聖旨の何処にも、社憲の何処にも存在しない「悠久の平和を祈願する神社」という靖國神社の新たなる性格づけを図って来ています。
又、ヒットラーやフセインでさえ祀られているかもしれない神霊不在の、忌まわしき「鎮霊社」―これは筑波宮司夫人の私的な信仰であった世界平和という願いを叶えるための祠。世界中の戦乱で死んだ人たちを祀りたいという意向に、筑波宮司が境内の一角にそっと置いた極めて恣意的な祠であったのです。その存在は靖國神社創建の趣意にも反し明治天皇の聖旨にもそぐわぬものとして、長い間公開をはばかってきたものです。

松平宮司も大野宮司も「触れるな」と内部には通達していた。
それを、現在の執行部が勝手に世界平和を唱えるために利用、堂々と神社の玉垣を一部破壊までして、鎮霊社への参拝口を作ってしまった。先の奉賛会会長はこれを「靖國神社の末社」などと妄言を吐いている。畏くも靖國神社をなんと心得ておったものか。あきれ果てる始末。
これでは、全英霊は、やがては靖國神社を出て、伊勢と代々木と宮中だけを飛翔するのではなかろうか。

更に、歴史学者でもない一介の市井人岡崎某なるものを呼び込み、遊就館に記載されていた歴史記述を大幅に変更―あたかも英霊が世界侵略を起こしたかのような歴史記述に巧妙に書き換えさせた。その罪は大きいと言わなければならない。

こうした一連の策動を重ねていながらも、目の前にその破廉恥なる行為が、事歴があるにも関わらず、保守陣営は誰一人非難、批判をしないどころか、へつらい、擦り寄るものばかり。
学者、知識人、有識者は数知れず、密に群がるありの如しである。

彼らの靖国論をみればいかに「靖国ファン」でしかないことが一目瞭然。まことに頼りなき人たちばかりである。これもあれも、皆がみな、学者と称する人も参拝者も殆ど正鵠に靖國神社を理解していないことに原因があるのだろうと…考えるしかない。

手じかな所で言えば、靖國神社崇敬奉賛会が今年で設立十年になります。
それを記念した「十年のあゆみ」という冊子がある。この中に、各界から寄せられた声という頁があり、保守界に名を知られたーこの業界だけに著名な名士がぞろぞろ名を連ねています。その数37名。大半は戦後生まれ。ほとんどの著名者とはいわないが、大かたが「愛すべき民衆のために自らの命を捧げた英霊」というような架空の観点での祝詞を述べているものが目立つ。
かと思えば「自分の漫画で靖国神社に参拝者が増えた」ようなことを自慢げに話す者もいるし、相変わらず念仏のように○級戦犯がどうだこうだと宣伝する、まだGHQの亡霊に取り付かれた若手の教授も後を絶たない。

また、「英霊追悼は心の問題」だというフオークソング世代の大学教授が適当な解釈をはべらしている。この37名の中で、「靖國神社に祀られる祭神、神霊は、天皇陛下の忠烈な臣民として、国民盡忠の証として、出征―戦死した賞嘆すべき人々である」のような趣旨のことを書いた人は誰一人としていない。
みたま祭の賑わいがうれしいとか、なにかと「英霊、英霊」と口にする。祭神、神霊などの字句はほとんど見えない「靖国ファン」だらけ。

つまり、冒頭に書いたように
今の時代「天皇」という言葉が禁句になったような価値観の人間しか集まってきていないという終末的な情況を呈しているのです。

去る夏の盛りに、戦前からの国粋団体である大東塾の神屋二郎さんが亡くなられた。その告別式で長男の方が「我が家はこれからも勤王の家であることを継いで行きます」と挨拶をされ、会葬者が感激したという話が私のところまで廻って来ていますが、その勤王・尊皇の精神を語るのにふさわしい神域が靖國神社なのです。だというのに、誰一人皇国を語らず、天皇を語らず、尊皇・勤王を語らない。

もう末期と嘆かざるを得ない。
ヘボ学者・ヘボ知識人ばかりがなぜにこうも靖国神社に集ってくるのかー類がいるからだろうと、最近は思わざるを得なくなっています。

この「崇敬奉賛会10周年」という大事な冊子の中にさえも、靖國神社の正統、ないしは「間違いない歴史事実」を書かない時代になってきたということです。

崇敬奉賛会青年部「あさなぎ」を一様に褒め称えているが、その中味は「英霊ちゃん」という言葉が溢れかえっているとんでもない「オタク連合会」その実態をどれだけの人が理解しているのか。

少しは頭のまとな人は、どんどん、辞めていくと聞くと、思わずホッとする。

このいいかげんさの充満した現在の靖國神社環境をそっくり取り込んだのが、今回の「みたまを継ぐもの」という映画です。

南部宮司以下両権宮司は、浄財を使って、靖國神社がどのような神社であるかを、参拝者に話しかけている。参拝者を洗脳させようとしている。安直な神社であることを。では、内容を紹介しましょう。

此の映画の主人公はニートの若者と身体障害者を励ますサークル活動に忙しい若者の恋人?の二人が主役です。
この設定自体がどうも首を傾げます。ニートとか身障者サークル…。そしてニート若者のおばあちゃんが大昔大映の役者だった?と思う弓惠子が演じている。元従軍看護婦?らしき人物。このおばあちゃんがどうも靖國神社側のメッセンジャーとしての役割を果たしているようだ。

話の中味はかったるいので、詳細は省きますが、ともかくニートの若者が、おばあちゃんの代わりに靖國神社へお参りしてくれと頼まれる。が、本人は行きたくない。
それを一流大会社の役職にいる父親が一万円を渡し「行って来てくれ」と頼む。それで、しぶしぶと恋人と一緒に靖國神社に行くのだが、この恋人は完全な「靖國ファン」で彼女の部屋の書棚には靖國関係の書物がズラーと並べてある。笑える。
この彼女と二人で境内を歩くシーンは不思議な演出だ。境内には誰もいないのだ。真っ昼間だというのに、人っ子一人いない。だあれもいない。不気味なほど人がいない靖國神社を見たのは、初めてだ。(参拝者を長時間排除して撮影したのでしょう)寂れ果てた靖國神社の姿である…どうしてこういう映像を作るのかー私の心には批判の芽がぐじゃぐじゃと鑑賞中に這い登ってくる。

そして、拝殿前で二人は二礼二拍手するのだが、なんと、女性はただの「はくしゅ」ではなく、普通の「ファン」では絶対に知らない指先を最後にそろえる「かしはで」を打った。誰がこんな指導をしたのか。ところが「はくしゅ」ではなく「かしはで」を打った女性であるにも関わらず、大きなバッグを肩にかけたまま拝礼したり、拝殿前で唾を飛ばして、長々とバカっ話しをするという、チグハグな演出。
一体この女性は崇敬奉賛会会員なのか、ただの「ファン」なのか、性格設定がまったくわからない。
そして、遊就館に入る二人だが、ここでの会話がふるっている。女性は「むしゃくしゃする時にはいつも遊就館に来るの」という台詞を吐く。別に英霊がどうとか祭神がどうのではなく「むしゃくしゃした時に来る」だけらしいことが観客には伝達される。何故に「英霊の声を聴きたくて来るんです」とまともにしゃべれないのか。参拝者の教化をしないのか?疑問は、どんどん膨らむ。

そして、な、なんと、驚くべきことがこのニートの若者に起こる。
入口の戦闘機や機関車、あるいは陳列した武器や遺品などをみてもなんとも感じなかったダラダラアンチャンが、英霊のずらりと並んだ写真。遺影を見た瞬間、顔つきが変わってしまうのだ。きりっとした表情の祭神の顔顔顔―これを見た瞬間、若者は瞬時に変革してしまう。忽ち、覚醒。崇敬奉賛会員の如くに変身。翌日からダラダラシャツを脱ぎ捨てワイシャツにネクタイ紺スーツで町中を胸を張って歩くという素晴らしさ。
これはコメディーなのかと一瞬思った程だ。

一体、何が起こったのか観客にはわからない。ともかく若者は遺影にしびれたようだ。
遺影でニートが変革するという設定も悪くは無いだろうが、あまりに安直、ご都合主義ではないか。その幼稚な設定に溜息が出る。こんな映画を作るのに一年掛けたと聞いたから驚きは重なる一方だ。

父親は自分の勤める一流会社に入社できるようダンドリするが、彼は憤然、蹴っ飛ばして、「オレは自分の力で生きていく」それを英霊に教わった風なことを言って、対立する。そして、恋人の父親が経営する町の喫茶店の従業員として働き出すのだが、月給はわずか10万円。これで生活していくのは大変だなと思ったら、彼は、父親の豪邸に住みながら通勤する。(なんだ。じゃあ給料10万円というのは小遣いになるだけで、寝る喰うは豪邸の我が家で済ますというとんでもない若者。つまり、彼は相変わらずニート状態)と変わりはないのだが、そのことは自覚していない様子。製作者、監督も皆、彼が英霊によって覚醒したという設定で話を進めていく。こちらも主人公同様呑気なもんだ。

彼は、その後、恋人の身障者サークルにも出入りし、人気者となる。ここら辺は退屈極まりない。そして、ついに、父親と大喧嘩する。
この時、若者は父親に向かって「靖国神社の英霊に対して恥ずかしくないか!」みたいなことを叫ぶ。つまり、父親の金金金の人生哲学に対して英霊を引き出し、そのまっとうでないことを罵る!ここが山場だ。この映画の主題がなんであるかー製作者が主張する場面である。

父親は叫ぶ「何が英霊だ、靖国に何があるんだ!」と言い返す。
若者は「靖国に祀られる全英霊は家族のため、友達の為に戦い、皆、そうやって死んでいったんだ!」と下手な芝居を始める。

私は鑑賞の途中からメモを取り出して書いたが、一字一句正確ではない。大意です。とにかくこういう台詞をしゃべっている。今でも耳に残っている。

「靖國の英霊はみんな家族のため、友人の為に戦い、死んでいった」と。
これは何処かのプロダクションが勝手な解釈で作った映画ではなく、靖國神社が浄財をつぎ込んで製作した映画です。その映画の中で「天皇」という言葉は一回も出てきていない。天皇の為に、お召しを戴き出征したーなんて話もゼロだ。

「英霊は家族のため、友達の為に戦った!」
靖國神社を初めて参拝した人がこの映画をみれば、この映画は靖國神社が企画・製作したのを知っているわけだから、正統なーメッセージが描かれていると思うに違いないのです。
観客は「そうか。靖国神社に祀られている英霊は家族のため、友達の為に戦ったのか」なんと素晴らしい先人ではないか。オレだって、家族のため、友人のためなら、恋人のためなら戦ってもいい…。と、思うかどうかはしらんけど、まったく創建の趣旨でもなく、明治天皇の聖旨でもなく、社憲にも書かれていない「家族のため、友達の為に」死んだ英霊が祭られているーことをこの映画は主張している。

更に、最悪なことは激怒した父親が叫ぶ「英霊は皆犬死したんじゃないか!戦争なんかでみんな死にたくなかったんだ」と痛烈に叫ぶ。
父親にしては迫真の演技だ。此処だけ大根役者が新劇人並みの演技を見せる。
「英霊は皆犬死じゃないか!」と。

どうしてこんな台詞を監督は、監修者は、製作者は、靖國神社は言わせたのか…。

これに対して「違うよ、犬死ではないぞ!」と反撃してくれるのかと思いきや、元内地勤務の看護婦経験のおばあちゃんが出てきて「そんなこというもんではありませんよ」の一言でオシマイだ。それはないだろうーと、憤然たる思いで私は忍耐強く鑑賞を続ける。

若者は言う「(確か…)戦争なんかなくて、笑って助け合っていけるなら、その絆を守るためならなんだって出来たんだ。命をかけられたんだ。日本人はみなそうだったんだ」と若者が叫ぶのだが、もう一つ、要領の得ない台詞だった。どうも家族の絆を守るために、みんな戦争に行った…ようなことを言いたかったらしい。すると、おばあちゃんは何と言ったか「それが靖国のこころよ」と言ったのだ。唖然である。

天皇は何処へ行った。皇軍は何処へ行った。東條英機よ、出てきて、なんとかいってくれーである。これでは英霊が哀れである。

私は、悄然とした。最早、救いの手は無い。靖國神社さえも最早「天皇」を言わなくなった。

明治二年東京招魂社創立の際の祝詞にはなんと書かれていたのか
「天皇が大御詔に因りて、軍務(官)知官事宮・嘉彰、白さく、去年の伏見の役より始めて、今年筥館の役に至るまで、國々所々の戰場に立ちて、海行かば水付く屍、山行かば草生す屍、額には矢は立つとも、背には矢は立てずと、言立てゝ、身も棚知らず、仕へ奉りし將士の中に、命過ぎぬるも多なりと所聞し食して、其の人等の健く雄しく、丹心持ちて仕へ奉りしに依りてこそ、如此く速かに賊等を服へ果て、世も平けく治りぬれ、專ら其れが功ぞと、哀れみ偲び、此の清所に、宮柱太敷立てー」

同年右大臣三條實美参拝の際の奉読祝詞にはなんとあったかー
「皇軍に死(まか)れる輩の靈の前に白さく。
汝等は、靈幸ふ神の御代より、樛木の彌や繼ぎ々ゞに、天下知し食しぬる我が天皇の大御代と共に、久しく言繼ぎて、臣たる人の鑑となす、押日命の言立ての、海行かば水漬く屍、山行かば草生す屍、大王の上にこそ死なめの、其の事業を、今の現に取り行ひて、所は變れども、心は一に、皇軍に役立てして、賊徒等を討むる、其の戰に、痛手負うて命果てぬる輩なれば、上も下も、憐きの靈よ、尊きの靈と、言ひ慕ひ思ひ哀れみ畏み祭る、此の祭を受け辱なみ、千世・萬世、天翔りて、動かず變らず、大御世の御爲めとすらむ靈とぞ、思ひ慕ふになむ。」

大東亜戦争終戦の八月十五日陸軍大臣阿南惟幾命は
「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル  神州不滅ヲ確信シツツ」の遺書をのこしての割腹自決。
阿南さんは何のために腹を召されたかー女房、子供、友人のために腹を切ったのかー。

この「みたまを継ぐもの」を作ったものは靖國神社を食い物にする蛆虫だと私は明言したい。
この映画は「靖國の英霊は皆犬死じゃないか!」と父親が叫んだ一言が残ったまま、終了する。とんでもない映画だ。

また、恋人の女性が、英霊の遺影から覚醒した若者に最初に渡した教科書がなんと「雲流れる果てに」である。
反戦思想そのものの本を渡して、恋人は言う「これを読みなよ。靖国の英霊がよくわかるよ」と意味深げに言う。

渡すべき本なら「英霊の言の葉」もあるし「やすくにの祈り」もあるし「いざさらば我はみくにの山桜」もある。
よりによって反戦本「雲流れる果てに」を渡すとは絶句である。しかも本の大写しだ。
これぞ靖國神社の英霊を理解する入門書だとばかり。

冷静に見て…この映画は何処から見ても共産党の作った映画でしょう。サヨク映画でしょう。
憶測すれば山口権宮司は、昔から「雲流れる果てに」が大好きで、同名の鶴田浩二主演の映画「雲流れる果てに」を遊就館で上映したくてしかたがなかったそうだ。若い神職が何度も「それは駄目です」と諫言したという風聞をあちこちで耳にしている。
もしかしたら、この「雲流れる果てに」の本を英霊入門書として若者に渡すシーンのアイデアは山口権宮司がいいだしたのか…ふと思ったりもした。

山口権宮司といえば、例の神門横の樹林を伐採して、一億円かけて便所と休憩所を作る計画を立て、公告までした担当権宮司です。

幸にも主権回復を目指す会の西村修平代表の壮烈な反対運動の実行により、公告を取り下げ、便所工事は一時中断という形になったがーその騒動がまだ耳新しい中で、いつのまにか今は、大手水舎、能楽堂が老朽化したとかの理由で、大掛かりな改修工事が進行中だ。これ以外にも相撲場全体の整備とか更には崇敬奉賛会のためらしい「靖國教場」(仮称)の新築も予定されいる。

松平宮司が、将来の靖國神社経営のために、貯蓄し続けた浄財が惜しげもなく、現執行部―南部宮司になり変ったとたんに、湯水の如く消費続けられている風に見えてならないのだが…。

もう一度、「みたまを継ぐもの」に話を戻します。
この映画の監修である國學院大學教授大原康男氏は一体全体なにを監修していたのでしょうか?
靖國神社の、なんらの正統な話も表現されていない。ーむしろ、遺影で瞬時に覚醒した若者の架空話しを映像化した真の理由は何か?

私は、この映画製作で、一体誰と誰が得をしたのか、ふと考えたくなるような80分だった。

映画の最後の方で、遺書めいたものが紹介されるが、時に兵隊さんたちがざれ言葉で詠んだような歌が画面に書き出される。誤解を呼ぶような字句ばかり。
「出撃の時間来るまでへぼ将棋」
「諸共と思えばいとしこのしらみ」
「きんたまはたれているぞと友笑い」

…こういうことをわざわざ大文字で画面に大書して紹介するこのクソバカ製作者の神経が私にはわからない。

そして、ニューギニアに撮影に行ったスタッフや出演者の記念写真がどういうわけかエンディングにえんえんと映し出される。映画の中ではニューギニアの映像は出てこない。
この映画製作で金が余ったので遊びに行ったのか?観客にサービスで見せているのか意味が不明だが、みんな「くたばりやがれ!」という台詞しか出てこなかった。
神は非礼を受けずー
ここでもやがて罰当たりが出現するだろう…と思わざるを得ない。

土台、「みたまを継ぐもの」の意味が不明だ。
みたまとは神霊のこと。靖國神社では国家に捧げた忠魂をこれまで「みたま」と呼んでいます。そして、その「みたま」の尊い「みこころ」を次世代に継いでもらうことを目的として神職は、奉賛会は参拝者の教化をするよう督促されています。

「その「みこころ」とは…一言で言えば「後に続け」であり、賀茂宮司が、鈴木宮司が、松平宮司が言い続けてきた「いったんことあれば一命を差し出す」ということなのです。
この心を国民から抽出するために、明治天皇は皇軍兵士の「いさおし」を祭り、神霊を奉慰顕彰することを命じたのです。このことは再三お話したし、これからも幾度も話す積りです。

靖國神社に参拝する人は、英霊に感謝を捧げるだけでは足りないのです。奉慰顕彰するだけでは祭神の満足を得ることは出来ないのです。

英霊の武勲を褒め称え、英霊の功績をつまびらかにしているのは、参拝者、国民総てに、盡忠の精神を抽するためなのです。天皇に、この國のために「いざという時は一命を差し出す」
その誓いが必要なのです。

それが明治天皇の聖旨であり、歴代天皇の靖國神社行幸でもあるのです。



この原点、根幹を誰も把握していないから、「靖国の心は日本の心」とか「英霊の御心を大切に」とか、「明治天皇の思いを伝えましょう」「ご英霊の気持ちを大切に伝えましょう」など、本人がまったく掌握していないことを暴露するような、曖昧模糊とした、抽象的な言葉しか出てこないのです。

先ほど紹介した「崇敬奉賛会十年の歩み」に寄稿した37人の有識者。元軍人も含め、誰一人、このことを理解、把握していない。つまりは、「なっちょらん」連中だといえるのであります。

さて、矛先をもういちど靖國神社執行部に向けましょう。
神社の宣伝広告費は従来から宣徳費が受け持つものと決まっています。宣とは天子や神の言葉。みことのり。詔。宣命といえば天皇の命令を宣(の)べ聞かせる意味です。そして徳とは人を感化する力。めぐみ、神仏の加護を言います。

即ち靖國神社が靖國神社を大切に思う国民からの浄財によって、靖國神社に祀られる祭神の言葉、あるいは徳、神の加護、めぐみ、それらを通して人を感化させるための宣伝をするーそれが宣徳費なわけです。
「英霊は皆、家族のため、友人の為に戦った」と捏造した映画「英霊は皆犬死だ!」という台詞を放置したままの映画「むしゃくしゃした時に遊就館に来るの」といわせた台詞。誰もいない寂れた神社境内の描写ー
これだけ英霊不在の映画を靖國神社が企画・製作し、國學院大學教授が監修した「クサレ映画」に何故、貴重な私たちの浄財が使われなければならないのかー告訴に値する映画ー。これを崇敬者は許しておいていいものか、それを問いたい。明日から例大祭が始まります。全祭神がお見えになられる。今上陛下の勅使が参向される。祭神がどのような判断をされるのか…靖國神社を覆う雲を私は大いに感じるのであります。


崇敬者の教化育成費がドブに捨てられ、飲み食いにしか使われていないー私はそう判断した。
破廉恥極まる台詞まわしと、主人公達の言動。製作者は何を画策しているのだろうか?

南部宮司、三井・山口両権宮司。そして、総代会はその役割を果たしているのか?

私は、今後、この九段塾を靖國神社正統崇敬奉賛会としての位置を明確にし、全国の神職を始めとする憂国者の集まりの場所として発展させていきたい。

参拝者を一向に教化しない靖國神社に代わり、九段塾が靖國神社の正統とは何かを広めていきます。

靖国神社は浅草寺とは違う。観音様とは違う。金比羅山とは違うことを徹底して語っていき、実際にあらゆる宣伝媒体を使って、国中に知らしめていきたい。

愚弄な人間からの罵倒はあるだろうが、相手にはしない。正統を知るものは少ない今日、九段塾がやるしかない。そのうち、理解者が次第に集ってくることを願うだけである。
(まだ、このあとがありますが、明日になるでしょう)
 
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