投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

  1. 「九段塾」塾頭・一兵士翁遺文抄(101)(備中處士)
  2. 「九段塾」塾頭・金城翁最終講義(44)(備中處士)
  3. 泉水隆一監督『凛として愛』臺本(8)(備中處士)
  4. 日本刀四方山話(52)(那須の権太)
  5. ★☆★ 時計の間 ★☆★(377)(塾頭)
  6. 先哲景傳同血抄(17)(暘廼舍)
  7. 平田篤胤大人顯彰者・相原修神主(30)(相州之民艸ならびに備中處士)
  8. 神道に學ぶ。(60)(備中處士)
  9. 肥後勤王黨・敬神黨の精神を恢弘せむ(12)(備中處士)
  10. 平田篤胤大人『古史成文』(165)(南雄)
  11. 霊的国防の本義 拾遺(35)(はゆまつかひ)
  12. 祖神垂示 親譲之道 拾遺(38)(はゆまつかひ)
  13. おゝ靖国の大神(40)(はゆまつかひ)
  14. 平泉澄博士遺文(11)(備中處士)
  15. 大高山傳・合纂――高山赤城先生を仰ぐ。(25)(備中處士)
  16. 崎門學筌蹄――埀加靈社・山崎闇齋先生の學問。(47)(備中處士)
  17. 淺見絅齋先生『靖獻遺言』筌蹄。(51)(備中處士)
  18. 靖國神社祀職(11)(備中處士)
  19. 賀茂百樹大人遺文(6)(備中處士)
  20. 嗚呼、慕楠黒木博司少佐。(15)(備中處士)
スレッド一覧(全44)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


全國神職への激勵、宇内隈なく屆け。

 投稿者:備中處士  投稿日:2019年 3月22日(金)21時54分35秒
返信・引用
   平成三十一年三月二十二日、時局對策協議會の同志は、神社本廳を訪れ、神道政治聯盟に對して『激勵文』を手交し、意見交換をされた由。

 天神地祇照覽の下、安倍晉三内閣に對する宇内神道人の抗議、愈々盛んならむことを、切に々ゝ懇祈す。さばへの神も靡け、草木も言止めて聽けと云爾。



**********


『激勵文』

 安倍内閣は、元號法に叛きし新元號の前倒發表、事前公布を強行しようとしてをり、この妄斷は、天皇の大權を干犯する暴擧なれば、之を吾人は默過せずにをられません。

 貴聯盟は、安倍内閣に對して、新元號の前倒發表、事前公布が、「改元の本義」を蹂躪する暴擧であることを辯駁なされてをります。故に貴聯盟の國體信仰に基く行動は、心強く頼もしいものがあります。

 結びになりますが、志を同じくする全國神職に於かれましては、新天皇の即位と同時に改元が行はれるやうに、これからも諦めることなく、初志を貫徹していたゞきますことを切に願ひ、茲に激勵を表明致します。

平成卅一年三月廿二日

  大日本愛國團體聯合・時局對策協議會
   議長 福田 邦宏
      會員一同

神道政治聯盟會長 打田 文博 樣


**********
 
 

逆賊安倍晉三に與ふる紙礫。

 投稿者:備中處士  投稿日:2019年 3月22日(金)19時01分15秒
返信・引用
  ●『古事談』に曰く、

「延喜の聖主、臨時奉幣の日、南殿に出御したまふ。本と自ら風有り。笏を把り靴を著け拜せんと欲りしたまふ間、風、彌々猛く、御屏風、殆んど顛倒す可し。仰せられて云はく、『穴な見苦しの風や。神を拜し奉るの時、何ぞ此の風有るや哉云々』と。即刻、風氣、俄かに止みぬ」と。



 最近は、特に天候不順、寒暖差激變、花粉症も、例年以上に猛威を振つてをります。小生も御多分に洩れず、花粉症の妖氣に感けて五日程寢込み、熱にうなされてをりました。或る神職が、「御代替りによる所の天候大變でせう。然し心配には及びますまい」と申されし由、仄聞いたしました。天人相感、成る程と納得したる次第です。安倍晉三幕府も、傲然として猖獗を極めて、大内山を蔑ろにし奉つてをる中今、正神界も、更なる天譴を下すかも知れませぬ。天子樣の大御心に背き奉る者、之を逆賊と謂ふ。天子樣、或は之を默認され給ふと雖も、天神地祇は之を赦さず。病中ではございますが、憂憤に堪へず、敢へて紙礫を一筆啓上仕ります。各位には、御自愛御專一、御要愼御謹愼せられむことを、只管ら懇祷申し上げます。恐々敬みて白す。



●神宮奉齋會長・今泉定助翁『國體講話』(昭和十二年七月講演)に曰く、

「結局、國體の明かになりませぬのは、天皇の御實相に徹しないからで、天皇の御實相がわかれば、國體の大半は分る。天皇機關説だとか、又た天皇機關説といふことは申しませぬでも、今日のやり方は、大抵、天皇機關説の實行をして居るのであることは、覆ふことの出來ない事實であります。天皇機關説を排撃したから、それで、天皇機關説がなくなつたと考へるのは、極めて單純な話であります。事實は、皆な天皇機關説を實行して居るのであります。

 極めて簡單な例を申し上げますれば、例へば閣議がある。今日の閣議の内容は、書記官長の手を經て、今日の夕刊に公にせられて、誰某は東京府の知事になつた、誰某は北海道の長官になつた、或は又た人事上のことでなくても、斯ういふことは斯うと決定した、あゝなつたといふことが、直ぐ夕刊に出る。それは書記官長の手を經て新聞記者に傳へるので、新聞記者が漏聞して書くのではありません。其の間、陛下に奏上する暇もないのでありますから、明かに閣議で決めた事は、陛下は御裁可遊ばされるものと、斯う決めて居る。是は明かに天皇機關説の實行ともいはれませう。閣議で決めた事は、陛下は何も仰しやらぬと決めて居るのであるから、天皇を機關として御取扱ひ申して居る樣にしか考へられぬ。併し之を行ふのは、決して惡い積りでやつて居るのではない。當り前のことのやうに考へて、歴代の内閣がやつて居る。惡い心持でやるのであれば、赦すまじきことですが、さういふ心持でなく、普通のことのやうに考へてやつて居るのであります。

 併しながら嚴密な意味から考へますれば、さういふ事は面白くない。畢竟、日本の天皇といふことが分らぬからである。結論は、さうなると思ふ。詰り輔弼の大任にある人に、天皇といふことが、能く御分りにならぬのであります。やはり英吉利の皇帝と同じものであると考へて居るのではないか。‥‥

 (天皇が)人であらせられるといふことであるならば、私の方から問ひたいことがあります。人間には、必ず人倫がある。人倫の中に、孝ほど重いものはない。‥‥然らば陛下が人間であらせられるといふことであれば、やはり人倫は、立派に御蹈みにならなければならぬ。然るに先帝が御崩れになつた時に、皇太子が御葬式に御立ちになつて居るかどうか。斯ういふことを聞きたい。

 是は、孝としては見逃すことの出來ない問題です。親を見送るのが、孝の終りである。所が歴代の皇太子は、御見送りになつて居ない。又た今日の皇室典範に依りますれば、天皇崩御、皇太子、直ちに踐祚とあつて、其の間、寸秒の時間の餘裕もなく、皇太子が御踐祚なさらなければならぬ。又た踐祚には、神器を御承けにならなければならぬ。人間としては、悲しみのどん底に陷り、悲哀の極に達してゐらせられる時である。然るに少しの御猶豫もなく、御踐祚にならなければならないといふことは、これは一體、どう解釋すべきであるか。實に重大な事でありまして、孝といふ方から言へば、人倫に戻る樣に見えますけれども、天津日嗣の天皇といふ御方は、人倫を超越して、神倫に在します御方である。人間であらせられず、神樣であらせられる。人間ならば、人倫が大切なものとなりますけれども、天津日嗣といふ重大な御天業から見ますれば、人倫の孝は、渺たるものであります。それであるから、人倫を棄てゝ、神倫に在しますのであります。‥‥皇室典範も憲法も、その邊の事は、よく歴史から書かれてあるのであります。

 天皇は絶對である。又た絶對でなければ、神聖といふことは出て來ぬ。今日の人は、輕く神聖などといふことを使うふやうでありますけれども、さういふことは外國流であつて、日本流に申せば、神聖といふは、絶對であつて初めて神聖である。天皇は絶對であらせられるから、「天皇には、父母なく、子なく、私なし」と、日本では昔から申し傳へて居ります。是は支那の諺ではなく、日本獨特の諺であります。天皇とて、勿論父母の居らつしやらない筈はない。併し天皇の位を御繼ぎになれば、御父母と雖も、臣下となつて御仕へなさるのであるから、「天皇には父母なし」といふのであります。若し御父母の居らつしやる時がありますれば、それは國亂の本を爲す時であります。保元の亂とか、平治の亂とかいふのは、皆な天皇の御父が、法皇とか上皇とかいふ御名前で居らせられた時であります。‥‥

 天皇は絶對の御方であるから、天上天下、唯我獨尊の御方である。此の釋迦の言はれた言葉は、日本の天皇に於て初めてそれを見るのであります。何者も對比すべき者のない、絶對の御方である。それであるから、御父母も、天皇の御位を御繼ぎになれば、子としては御取扱ひにならないで、臣下として之に御仕へになる。

 それから「妻子なし」は、是も皇后樣も居らつしやれば、皇太子樣も内親王樣も居らつしやるのでありますが、どうしてさう申すかといふと、天皇は、獨り皇后樣や皇太子樣のみを御妻子と思召すことの出來ない御方であらせられる。即ち國民全體を妻子として御思召す御方であらせられます。それが天津日嗣の天皇の天業であらせられるのであります。

 それから「私なし」は、天皇には、一擧一動、私的の御行ひといふものはない。なさることは悉く公的な國家的な御行動であらせられる。憲法は、其の通りに出來て居る。‥‥畏れながら皇后樣も皇太子殿下も、其の他親王樣も宮様方も、皆な被統治者であらせられ、天皇獨り統治權を御持ちになつて居る、絶對の御方であらせられます。それですから、上御一人と申すのである。言葉の上にもさうであつて、少し考へますれば、上御一人といふ言葉は、何等の對立のないといふことを表して居るといふことは、直ぐに分る。御生れながらにして、氏も姓もない。それは、何等對立がないからであります」と。
 
 

恐る可し矣、安倍晉三幕府の傲然たるや。天子樣に背ける者の最期は‥‥。

 投稿者:備中處士  投稿日:2019年 3月 5日(火)22時11分32秒
返信・引用 編集済
  ○橘曙覽先生の哥

天皇は 神にしますぞ 天皇の 勅としいはゞ かしこみまつれ

國汚す 奴あらばと 太刀拔きて 仇にもあらぬ 壁に物いふ

大皇に 背ける者は 天地に いれざる罪ぞ 打ちて粉にせよ

君と臣 品さだまりて 動かざる 神國といふ ことをまづ知れ



●林春齋『改元物語』に曰く、

「此の時、諸家、勘進する所ろ數多ありといへども、大猷公(家光)御前にて、御裁斷ありて仰せに云く、「年號は、天下共に用ふる事なれば、武家より定むべき事、勿論なり云々」と、議定し玉ふ云々。先考(林羅山)、舊例を考へ調進す。公家の勘文を、御前にて讀進す。我(春齋)も、其の事に預り侍りぬ云々。‥‥

 其の(慶安)四年に當りて、四月廿日、大猷公薨去し玉ふ。同八月十八日、今の大君(家綱)、征夷大將軍に任じ玉ふ。是に依て明年の秋、改元ありて、承應と號す云々。寛文三年に、當今皇帝(靈元天皇)、即位まします。御宇の始めなれば、改元ありたく思召しけれども、江戸より御許容なかりけるにや云々。‥‥

 正保より明暦まで、毎度、先考の預かる所なり。萬治より此の度(延寶の度を云ふ)まで三度、予(春齋)が預かる所なり」と。



 愚案、瀧川政次郎博士『元號考證』に引用する、關根正直博士『改元故事』(『隨筆雜話・からすかご』昭和二年十月・六合館刊に所收)に據れば、徳川幕府は、家光・家綱・家宣の時代に、元號大權の干犯があつた。殊に「寛和」の叡慮に逆らつて、「正徳」の年號を定めた家宣の行爲の如きは、明かに大權干犯であつて、御用學者林家父子ともゞゝ、僭上專横の沙汰、辯護の餘地は無い。

 瀧川博士、更に曰く、「新井白石は、皇室のことを深く慮り、世襲宮家をつくつて、皇統の斷絶を防いだのも、彼であるが、白石は、幕府が改元のことに干渉することに反對であつて、彼は『折たく柴の記』に、

我が朝の今に至りて、天子の號令、四海の内に行はるゝ所は、獨り年號の一事のみにこそおはしますなれ。異朝の書にも、其の事を論ぜし事も見えたり。古より此のかた、我が朝、改元の例は、代始め、又は革命・革令・三合・天變・地妖・水旱・疫病・兵革・飢饉等の事によれり。武家の代となりしより後も、武家の御事によりて、此の事ありし例は、いまだ聞かず」

と言つてゐるが、この「武家の御事によりて、此の事ありし例は、いまだ聞かず」といふのは、さる例は有るべからざるものであるといふ意味であつて、規範意識が働いてゐる。私は、そこに氣がつかなかつたので、元號大權は、未だかつて臣下の者によつて干犯せられたことはないと斷言したのであるが、その誤りであつたことは、率直にこれを認めなければならない。‥‥

 室町時代に、應永といふ年號が、三十年も續いたのは、途中で稱光天皇の御代始めの改元が略されてゐたからで、白石は、室町時代の將軍にも、天皇の大權事項に口出しをした將軍があつたのではなからうかと疑ひ、檢討を加へたが、「そのことなし」と言つてゐるが、私は、そのことがあたと思ふ。すなはち將軍が、天皇の改元に干渉することは、徳川將軍に始まつたことではなく、室町時代に、その先蹤があつたものと思ふ。

 しかしそんな時代は、大化より昭和に至る長い時代にくらべれば、まことに一瞬間であつて、百年ぐらゐのものである。江戸時代も、十代將軍家治の時代から以後になると、京都の勢力は盛んとなり、將軍が天皇に對して制壓を加へるといつたやうなことは、もはや全然できなくなつてしまつてゐる。故に幕末期に書かれた『徳川實記』には、改元は、すべて京都にて行なはれ、幕府は唯々として、その命を奉じたかのやうに記述せられ、徳川將軍の元號大權干犯は、そのことがなかつたかのやうに扱はれてゐる」と。

 然らば平成の中今に、將に改元に干犯せむと欲する所の安倍晉三は、「元號は、民主政府より定むべきこと、勿論なり」と、恰も將軍家光に比すべく、即ち自民黨幕府の巨魁であること、決定せり。皇室の式微、復た漸く始まりぬと謂ふ可きか。吾人が憤懣、遣る方なし。有志、尊王討幕の大旌、高く掲げて、倶に共に之を討つ可し。「森羅萬象を擔當」、「私は國家なり」と言ひ放ち、驕り昂ぶる安倍晉三、討つて粉にせむは、正に此の秋なり矣。天神地祇、照覽の下、逆賊安倍晉三、將た高き熱に魘されむか、將た高轉びに轉ばむか。驕る者、久しからずとは、驕れる者、如何で知るべき。



 追記、圖らずも三月七日、關根正直博士『隨筆・からすかご』を落掌して、之を確認し得た。これも御縁と云ふものならめ。また瀧川政次郎博士は、其の内弟子であつた先輩に連れられて、二度ほど謁したことがある。其の書齋「麟趾閣」を拜見して、學者、斯くある可しと憧れたことを想ひ出す。此の老博士は能書家であつて、かつての勝海舟がさうであつたやうに、毎日、習字をなされてゐたと聞く。其の編著『日本律令』は、毛筆であつた。
 
 

新元號の前倒發表、竝びに事前公布を強行に推進する杉田和博内閣官房副長官への『抗議文』

 投稿者:備中處士  投稿日:2019年 3月 3日(日)13時55分17秒
返信・引用 編集済
   平成三十一年三月三日、松田晃平・下山陽太兩同志は、新元號の前倒發表、竝びに事前公布を強行に推進する杉田和博内閣官房副長官の自宅へ、『抗議文』を持參して再考を促した由。吉備の田舍から、此の老兵も、心からの支援を送る。熱祷懇祈。


**********


●松田晃平・下山陽太兩同志『抗議文』平成三十一年三月三日

杉田和博内閣官房副長官に告ぐ

 本年、天皇陛下の御讓位に際し、貴公をはじめとする内閣中樞の人間らが推し進める「新元號事前發表」に、斷固反對の聲をあげる。

 昨年より、新元號の發表時期が議論されてゐたが、歴史的に觀ても、一度たりとも行はれてゐない「事前發表」など、到底、許されるものではない。

 安倍内閣の中に、勤皇赤誠の眞心を持つた人間は、一人たりともゐないのか。かくのごとき愚策を強行せば、安倍内閣は、新帝の元號制度權を蹂躙する大不敬大叛逆の國賊集團として、後世末代までも汚名を、歴史に刻むであらう。

 貴公の言ふ「國民生活への影響」とは、何か。自身らの輕率な行動で、傳統や文化を否定し、變へてしまつても良いのか。

 今一度、「新元號事前發表」を見直し、發表は、新帝御即位後に改めるべきである。

 もしも猛省改心なかりせば、内閣總理大臣安倍晉三以下、閣僚らは、
天皇陛下・皇太子殿下にお詫び申し上げ、辭任すべぎある。

 一勤皇家として、ここに斷固反對の意を表明する。

平成三十一年三月三日

     松田 晃平
     下山 陽太

内閣官房副長官
杉田 和博 殿


**********



 愚案、「御聽許」は、皇太子殿下に賜はるのでは無い。代々木坐大神樣の定められし「一世一元」の御制は、新しく即位せられた
天皇陛下から認めて戴いて賜はるもの、勘違ひがあつてはなるまい。「御名御璽を、單なる手續き」なぞと云ふ輩は、不敬至極と謂ひつ可し矣。

 直ちに御詫びを、
天皇陛下へ奏上し、又た皇太子殿下へ言上して、宜しく先例古儀に倣ふ可し矣。
  
 

嗚呼、懇祷して已まず。

 投稿者:備中處士  投稿日:2019年 2月28日(木)19時51分49秒
返信・引用 編集済
   歸宅した所、不二歌道會『不二』平成三十一年二月號到來。早速、中澤伸弘博士「即位儀禮に關する問題點(二)」を拜讀し、暗澹たる思ひに‥‥。曰く、

民族派の出版物は、著者の原稿がどうあれ、西暦併記は削除すべきです。もはや、そのやうなことまでもせねばならない状況となつてゐるのです」と。

 然り、さうなんですよ。學生時代に「元號問題」に取組んだせゐか、小生は、邪蘇暦の使用を、頑なに拒んで來た。民族派右翼は、皇紀を常用する方が多いが、然し小生は、元號に拘りつゞけてをり、今も、一以て之を貫いてゐる。かつて「西暦(元號)」の文字を操る編著を爲した大東塾門下を見て、小生は之を悲しんだ。『不二』舊號の中に、「美○子さま」なる辭を見て、購讀を中止した御方も、身近に存する。
  ↓↓↓↓↓
https://9112.teacup.com/bicchu/bbs/1390

 安倍晉三と申す人は、抑も見識と云ふものが無い、依怙地なる男なのか、或は傳統とか國史とか古風とかは嫌ひなのか、或は周圍に其の人を得ないのか、或は本末の錯誤を知つても、猶ほ修正する勇氣が無いのか、或は眞正なる馬と鹿との合ひの子なのか、或は底意ある「革命」家なのか。「西暦」を常用し、「二十一世紀」とか叫ぶ總理大臣を、我々は現に視てゐる。嗚呼、此の情勢において、保守家は如何。神道人は立つて動かないのか。かつて元號法に腐心した同志は如何。

 新たに即位される天皇陛下には、萬歳の後の追號となるであらう元號に、一世一元制における歴史上初めて「御署名」、即ち「御名御璽」を捺されない天皇になられるかも知れないのです。勿論、平成の天皇陛下は、御父君に坐します。父帝の公布し給ふ年號なれば、大孝の皇太子殿下には、之に服されませうが、何はともあれ、之を強行せんと企む安倍晉三と云ふ男を、小生は許すこと能はぬのであります。
  
 

岡山縣愛國者協議會による第四十三囘野中四郎大人命慰靈祭。

 投稿者:備中處士  投稿日:2019年 2月24日(日)23時08分58秒
返信・引用
   平成三十一年二月二十四日午前十時半、野中四郎大人命の八十三周年、即ち八十四年慰靈祭を、吉備前國御野郡岡山市中區平井の東山靈園なる野中類三郎家墓地に於いて齋行す。岡山縣愛國者協議會・岡田則夫翁が創祀されて以來、こゝに四十三囘なり。

 梅香る、近年希有なる穩かなる天候の中、嚴肅裏に、滯り無く御祭を畢ぬ。天壤無窮なり矣。祭主兼典儀は、秋田智紀主、齋主は、式内縣社足高神社・井上直亮禰宜なること、從前の如し。禰宜の祝詞は、二十五年前の直き志のまゝの祝詞、直す能はざる由、祭式に生命を賭すてふ禰宜の聲と姿、まことに莊嚴、之を拜して、身、愈々震ふなり。

https://9112.teacup.com/bicchu/bbs/3154
  ↓↓↓↓↓
【訂正】墓石の文字を讀むこと、次の如し。

   昭和十一年二月二十九日卒
   享年三十有四
一、野中四郎之墓

   昭和十七年一月五日卒
一、慈雲院幽峰宗□居士
   野中類三郎
   行年七十七

   昭和三十七年三月八日歿
   類三郎妻・野中ツ子(つね)
   行年七十七才
一、慈光院貞室常昭大姉
  清心院慈光美妙大姉
   四郎妻・野中美保
   (裏)昭和五十二年八月吉日、野中美保建之
 
 

勤皇黨の使命、一に討幕に在り。

 投稿者:備中處士  投稿日:2019年 2月19日(火)19時22分42秒
返信・引用 編集済
  【明治改元の詔・明治元年九月八日】『太政官日誌』八十一。

太乙を體して位に登り、景命を膺(う)けて、以て元を改むるは、洵に聖代の典型にして、萬世の標準也。

朕、否徳と雖も、幸ひに祖宗の靈に頼り、祇みて鴻緒を承け、躬、萬機の政を親らす。乃ち元を改めて、海内の億兆と與に、更始一新せむと欲す。

其れ慶應四年を改めて、明治元年と爲せ。自今以後、舊制を變易し、一世一元、以て永式と爲せ。主者、施行せよ。




 謹案、元號と年號と、一世のうちに、強ひて「御名御璽」を要し奉るは、抑も誰ぞや。代々木の大神樣「一世一元」の詔、之を施行せず、「永式」と爲さゞるは、果して誰ぞや。安倍晉三内閣、即ち是れ也。

 皇后陛下「宮内記者會の質問に對する文書御囘答・平成二十八年十月二十日」に、「新聞の一面に、『生前退位』といふ大きな活字を見た時の衝撃は、大きなものでした。それまで私は、歴史の書物の中でも、かうした表現に接したことが一度もなかつたので、一瞬、驚きと共に痛みを覺えたのかもしれません」と。

 天皇・皇后兩陛下には、度々「讓位」の玉音を發せられ給ふ。然るに「退位」の文字に拘り、未だ大御心を奉ぜず、「讓位」と申し上げざるは、何處の誰ぞや。歴史と傳統を顧みざる者、果して誰ぞや。安倍晉三幕府、即ち是れ也。

 根本羽嶽博士『讀易私記』に曰く、「天下之變、革命より大なる者は莫し矣。聖人之憂患、革命より深き者は莫し矣」と。「孝子の情、終身の喪有り。忠臣の心、革命の時無し」とは、蒲生靜修先生の言に非ずや。然り而して「上皇」は、太政天皇の略稱に非ず、皇太后に非ずして、「上皇后」なり嘯くは、夫れ誰ぞや。民主革命家安倍晉三、即ち是れ也。



【現憲法下では、必ず「御聽許」を乞ひ奉る可し矣】
  ↓↓↓↓↓
https://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t10/64
 
 

一世一元制下の改元。

 投稿者:備中處士  投稿日:2019年 2月12日(火)23時04分14秒
返信・引用 編集済
  ~承前~

●讀賣新聞政治部『平成改元』(平成元年六月・行研出版局刊)に曰く、

「(昭和六十四年一月七日)
午前六時三十五分、陛下のご危篤發表。
六時三十三分、陛下崩御。
七時五十五分、崩御發表。
八時二十二分から三十六分、第一囘臨時閣議(崩御・皇位繼承の内閣告示、總理大臣謹話等の決定)。
十時一分から五分、宮中三殿で、劍璽等承繼の儀等。
午後零時二分から二十五分、政府・與黨首腦會議。‥‥

 午後一時三分から「元號に關する懇談會」、同二十五分からの「衆參兩院正副議長への意見伺ひ」を經て、閣僚全員による「全閣僚會議」は、同四十九分から二時二分までの十三分間で、最終三案のうち、「平成」を採用することが決まつた。この後、二時十分から、臨時閣議が開かれ、「平成」が正式決定(十八分)されてゐる。しかし閣議の詳細を知る立場にある内閣官房の職員は、匿名を條件に、次のやうに話す。

「閣議の正式終了時間は、明らかにされてゐません。閣僚が閣議室から出てきたのは三十三分。しかし實際は全閣僚會議で、『平成』が決まつてゐたわけだから、閣議では、それを追認する手續き、つまり閣僚の署名が殘つてゐただけ。あとは閣僚は、正式發表までに情報が漏れないやう、足止めをくつてゐただけ」

 この間を利用して、官房長官・小渕惠三の命を受けた事務の官房副長官・石原信雄は、閣議室を脱け出し、總理執務室か、隣の總理祕書官室から、宮内廳長官・藤森昭一に電話を入れた。

「『平成』に決まりました。新しい天皇陛下にお傳へ申し上げてほしい」
「承知致しました。さつそくに」

 一方、政務の官房副長官・小澤一郎は、幹事長・安倍晉太郎ら、自民黨四役が詰めてゐる自民黨本部總裁室に電話を入れ、「平成」を傳へた。

「これから、新天皇に傳へるので、それまで口外を控へていただきたい」

 「元號を『平成』に改める。この政令は、公布の日の翌日から施行する」との政令は、總理・閣僚全員が署名したうえで、二時二十分過ぎ、閣僚室の隣の閣僚應接室で待機してゐた内閣官房總務課職員に手渡され、總理執務室・總理祕書官室・同控え室を拔けて、總理官邸裏の公邸に出て、そこからパトカーではないが、緊急用車輛の先導で、宮内廳へと運ばれた。「公邸を出たのは、三十分にはなつてゐなかつた」と、その關係者も證言する。

 かうして政令は、皇居・宮殿「鳳凰の間」に運ばれ(二時三十五分より前)、新天皇は、事前に宮内廳長官・藤森を通じて報告を受けてゐた「平成」を確かめたうえで、二時四十五分に、その政令に「明仁」と、毛筆で署名された(政令の正式な手續き完了、公布)。

 一方、元號の政令案は、新元號の二文字部分だけを除いて、「準備原稿」として、官邸から東京・虎ノ門の大藏省印刷局に送られてゐた。閣議で二文字の空白部分が「平成」と決まると、今度は赤のボールペンで、「平成」と書き込まれた「正原稿」が印刷局に運ばれ、活字が組まれた。時間の節約のため、フアツクス利用のアイデアもあつたが、萬全を期して、信頼できる職員が手持ちで運んだ。そのうえで、皇居での新天皇による「ご署名終了」といふ電話連絡により、官報印刷の輪轉機が囘り始め、官報號外は、午後四時ごろには、印刷局前の官報掲示板に張り出された。‥‥

 總理官邸、官房長官・小渕は、新天皇への事前連絡が濟み、政令が皇居に向つたことを確かめたうえで、記者會見場に向かひ、二時三十五分に、毛筆で「平成」と書いた額をかざしながら、新元號を發表した。

 かうして新憲法下で、初の改元は、「新天皇に、あらかじめ複數の案を見せておいて、内々に決めておいてもらふ」とか、「新天皇のご意見を事前に聞いておいて、それを參考に決める」といふやうなオーバーランを冒すこともなく、「平成」に決まつた。しかし一方で、正式發表前に、新天皇のお耳に入れるといふ、ギリギリの綱渡りの中で、何とか「元號」と「天皇」を調和させたことも、事實ではあつた」と。



【踐祚、即ち即位】
  ↓↓↓↓↓
https://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t10/62
 
 

尊皇討幕の大旌。

 投稿者:備中處士  投稿日:2019年 2月 9日(土)21時31分57秒
返信・引用 編集済
   下山陽太主の曰く、「北畠親房卿著『神皇正統記』に曰く、

毫釐も君を忽せにする心を兆す者は、必ず亂臣となる』と。

 安倍「民主革命」政權による新元號の前倒發表、竝びに事前公布は、新天皇の元號制定權を干犯する大不敬大叛逆行爲にして、皇室に對する下剋上であり、謀反であり、叛亂に外なりません(平成三十一年一月四日に行はれた安倍晋三の年頭記者會見とは、新天皇の元號制定權の強奪を宣言した「民主革命」である。即ち一月四日を以て、安倍政權は「民主革命」政權に變貌し、安倍晋三は、弓削道鏡・平清盛・北條義時・足利尊氏(ママ。愚案、高氏のこと)に竝びし、大不敬大叛逆の大惡人になつた)。

 かゝる皇國重大事の折柄、超黨派によつて志を一にした『新元號事前公表問題を考へる有志の會』(事務局:横山孝平氏)が結成されました。「趣意書★」に御贊意いたゞける方は、同志道友各位に弘めて下されば幸甚でございます」と。


**********


★ 新元號事前公表問題を考へる有志の會『元號の本質を破壞する「新帝御即位前公表」に反對します

 平成二十八年八月八日、「象徴としてのお務めについて」との天皇陛下のおことばを拜し、政府は、御讓位に向けた法整備を行つてきました。しかしこれは、「讓位」といふ言葉を勝手に讀みかへ、「退位」といふ、わが國の皇室の歴史にない文言を持ち出し、憲法や皇室典範の條文をなにひとつ變へることなく、「特例法」として一代限りを條件とするものを作り上げました。たしかに御讓位による皇位繼承は、過去に二百年ほどありません。また明治以降は、憲法、そして皇室典範において、この讓位の規定がないことも事實です。しかし大本を改めず、時の政府の判斷でいかやうにも出來る「特例法」とは、次代に對する負の先例になりかねない危險をはらむものでもあります。「政教問題」に對する配慮との見方も出來ますが、これによつて政府は、わが國の大本である皇室・皇位繼承のあり方を、いとも簡單に變へることが出來るといふシステムを作り上げてしまつたのです。

 さらに今般、政治日程から、御讓位・新帝御即位の日が決定されてゐるとはいへ、新帝が御即位あそばされる前に、次の御代の元號が公表されようとしてゐます。はたして行政や經濟への混亂を最小限にといふだけの瑣末な理由で、歴史に例を見ない、このやうな暴擧を許してよいのでせうか。

 たしかに現在の元號法において、新元號を天皇陛下がお決めになることにはなつてゐません。しかしその規定には、「皇位の繼承があつた場合に限り、(元號を)政令で定める」とされてゐます。そして政令には、かならず天皇陛下の御名御璽を賜ります。これにならへば、五月一日の御即位の日に、新帝から御名御璽を賜る元號が、政令としてはじめて發せられなければなりません。

 かりにのちに政令を經ることにならうとも、政府の閣議決定のみで、事前公表が行はれれるのだとすれば、それは皇位の繼承とはなんら關はりのない、「政府の元號」の公表といふことになります。はたしてそれが、日本の傳統に照らし、また國民から愛され、親しまれる元號になり得るでせうか。これは皇位繼承と密接にある元號を蔑ろにする以外のなにものでもありません。

 私たちは、ここに政府による「新帝御即位前新元號公表」に反對し、歴史と傳統に基づく改元がなされることを求めます。


**********


 愚案、元號大權の干犯は、皇國の至重至大の問題であり、我々有志の憂憤は、洵に深刻と謂はざるを得ませぬ。蟷螂の斧と雖も、尊皇討幕の旗を高く掲ぐるときでありませう。内、平かにして、外、成る。外は流行保守や政治ゴロに任せておけば宜しい。内が本であります。本末を辨へざる安倍晉三、驕る者、久しからずとは、驕れる者、何如で知るべき。

 また不二歌道會『不二』平成三十一年一月號所收の、中澤伸弘博士「即位儀禮に關する問題點(一)」は、簡にして要、有志には、是非とも御熟覽を乞ひたい存じます。「退位の禮」に拘り、放伐思想を隱す安倍自民黨幕府、本道に許し難し矣。皇民は、大御心を奉じて、正しく「讓位の禮」と申し上げようではありませんか。

 平成の大嘗祭に於ける參列者、自民黨の者どもの態度は、寒いの、眠たいの、闇くて見えないのと、聞くに勝へざるものあつて、むしろ社會黨の議員の方が、謹嚴神妙であつたと聞き及びます。驕る自民黨は、昭和の御代を以て、既に役目を終へてをるやうです。
 
 

ほとゝゝ情けない神職共‥‥。

 投稿者:備中處士  投稿日:2019年 1月18日(金)19時03分20秒
返信・引用
  ~承前~

 小堀邦夫の「退任始末」は、更に續く。



「(靖國神社の)秋の大祭中は、辭職を決心してゐたため、宮司室で謹愼してゐました‥‥、ただ大祭參籠中にも拘らず、十月十八日の夜には、新宮司(山口建史)を迎へる喜びに沸き立ち、深夜まで鯨飲會が續いたと聞き、ほとほと情けない神職が幾人もゐると、思ひ知らされました。‥‥

 (靖國)神社の資産運用のうち、二十億圓が償還不能となつてゐるのではないかといふ問題でしたが、これはそもそも運用のリスクを考慮すれば、不可避のことであり、これを擔當した者が、たとへ自分の資産運用をそこでしたとしても、責を負はせる證明はできさうにないし、かりに謀證券會社との癒着があつたと推定されるにしても、それは總代會のやうな席で結論を出せないゆゑに、不問に付すしかないと、同意を求めました」と。



 見るがよい。宮司本人の告發を。これが靖國神社一部神職の實體だ。經濟的に惠まれてゐる大きな神社は、こともあらうに、財テクとやらにうつゝを拔かしてゐるさうだ。年收三百萬圓未滿の神社は、全國で六割を超えると云ふ(小川寛大『神社本廳とは何か』平成二十九年十二月・K&Kプレス刊)に、「二十億圓が償還不能」だとよ。誰も責任を取らぬ。御賽錢・奉納金が、湯水の如く消費される。

 『神社新報』は、「十月二十二日號で、一段記事として、この『事實』を傳へただけである。それは、『極めて不穩當に言葉遣ひ』と、その録音内容が漏洩したこと、これが『暗い汚い事實』とまで斷定できるかどうかはともかくとして、少なくとも明るく清らかな事實でないことだけは確かである。だから本紙は、書かなかつた。それが『傳統的品格の固守』と判斷したからである」(平成二十九年十一月十二日「論説」)由、ふざけるでは無い。葦津珍彦翁の血筆もて書いた『神社新報』も、神社本廳一派の提燈持ちとなつてゐるではないか。然らば評論家氣取りは止めて、靖國神社の肅清改革案を出し給へ。「新宮司の手腕が問はれる」とのこと、蓋し机上の空論、話にもならぬ。

 先般、「神社本廳から差囘された酒好き・女道樂の惡黨・山口建史が權宮司になつて、神社が金まみれになつたと云ふ。神門前の神木を切倒し、便所を作らうとした張本人にして、勝手に舊招魂齋庭に鳥居を立てたり、遊就館の歴史解説を改竄し、昭和殉難者を「死刑囚」と呼ぶ南京映畫の上映を強行した、俗物中の俗物。間者を驅使する、恐怖支配の再來だ。靖國神社總代會、狂つたか、最惡の結末。騒動が、又た亦た始まるぞ」と書いたが、益々確信を強くする。宮司交替は、「多分にクーデターの要素を孕んでゐるんですよ」(靖國神社關係者──『週刊新潮』)。而して小堀の結論は、



「七十年以上も、單立宗教法人でありつづけてきたところに、隱された深刻な問題が未解決のまま、今日に持ちこされてきたのです。少なくとも國家護持法案が、昭和四十九年、全國の遺族會の願ひとは別に、廢案となつた日以來、樣々な問題や訴訟に振り囘されてきたことは、同情されるべきところとは思ひます。しかし單立宗教法人でありつづけるための目標が立たなくなつた以上、なるべく早く、神社本廳の被包括法人(伊勢の神宮と同樣)となり、全國の神社と神道人たちと手を携へて、よりよい未來を志向すべき日が、新元號とともに始まらなければならないと、覺悟すべきではないでせうか」と。



 御冗談でせう。小堀は知らないやうだが、神社本廳の差廻し(山口建史・宮澤佳廣等)に因つて、或は本廳の贅澤三昧なる放埓經營を眞似るから、此の爲體になつたんですよ。更に本廳の被包括法人にもならうものなら、靖國神社は食ひ物にされるだけ、頼むから御免蒙りたい。

 本年は、九段塾頭、即ち泉水隆一監督の逝きて足掛け十年の歳、塾頭の識見・情熱を仰ぎながら、細々と駄文を掲げて參りました。大地社・木下厚兄の如き、いつも泉水監督を顯彰して戴く贊同者を得ることが出來ました(『芳論新報』)が、靖國神社を巡る情勢は、更に惡化の一途を辿つてゐると謂はざるを得ませぬ。『凛として愛』の遊就館上映の悲願も、未だ達成することは叶ひませぬ。九段塾としては、松平永芳・大野俊康兩宮司に立ち復つて想ひを新たにし、ひたすら靖國神社護持、靖國大神照覽を懇祈したいと存じます。
 
 

不敬宮司、利權にまみれし俗物──新宮司を撃つ。醜惡至極なり。

 投稿者:備中處士  投稿日:2019年 1月17日(木)22時24分59秒
返信・引用
   彼の不敬宮司が、何と、前宮司・新宮司の不逞を暴いてゐるではないか。書いた「謹愼中」の小堀邦夫も然ることながら、呆れて物も云へぬとは、此の事。靖國神社執行部も、神社本廳幹部と同じ穴の貉でありました。許せぬ矣。

 遺族・奉贊者・参拜者の奉納は、遂に執行部の資金源と化し、「靖國神社のたゝずまひを變へること勿れ」てふ松平永芳宮司の悲願は、無殘にも棄てられた。有志には、目の穢れでありませうが、こゝは堪へて、雷覽を賜はらむことを。今は、其の一部、小生の仄聞する所の具體例のみ。

 申し上げることは、たゞ一つ。靖國神社から、山口建史一派を追放せよ。直ちに、だ。



●小堀邦夫著『靖國神社宮司、退任始末』(平成三十年十一月・日本傳習所刊)

 宮司に就任したばかりの三月の總代會では、昨年(平成二十九年)九月來の「怪文書」問題が、未解決のまま持ち越されてをり、今後、この種の雜音を神社内外から閉め出すべく、私の方から今後の方針案を作成してお示しし、總代會で了承していただきました。五項目についての具體的な内容について、會議記録を、許可なく盗み取つた者たちが默してゐるやうなので、‥‥

 「怪文書」は一種類ではなく、私のもとには、いくつか屆けられてをり、それらを歸宅後、夜な夜な讀み込んで行きますと、ひとつの闇が見えてきました。それは御創建百五十年記念事業や中長期計畫の名のもとに、三十五億圓餘りの豫算を計上し、その大部分を、小さなコンサルタント會社が主導し、そこに數名の幹部職員が關つてきたこと、すなはち利權構造の常態化といふ闇に突き當たりました。多分、百五十年記念事業の豫算二十億圓では滿足できず、中長期計畫といふ、不急の事業を提案することによつて、より大きな支出を見込み、それは今後、十五億圓を越えて、都合四十億圓、五十億圓と、ふくらませたいとする野心が見えてきます。すでに全ての計畫は、總代會で了承され、施工契約も、ほとんど濟んでゐました。このやうな利權構造と目されても仕方のない状況を改めるために、綜合企劃委員會を設置し、優能な職員の意見を廣く求め、公正な意見を反映した企劃作成に着手することになりました。

 「いつまでも、このやうな豫算執行をくり返してゐたら、やがて靖國スキヤンダルになる」と、權宮司たちは話してゐましたが、つひに今囘、『週刊新潮』(平成三十年十一月一日號「『不敬發言』流出はクーデターといふ『靖國神社』神々の權力鬪爭」★)が利權構造を指摘しましたやうに、どこまで漏洩したのか不明のデータの中から、マスコミは、スキヤンダラスな事柄を拾ひ集め始めたのだと見られます。‥‥

 「怪文書」のかなりの部分は、徳川宮司の非を、次から次へと論ふ内容でしたが、御體調の不良などもあつて、同情すべきところもありました。しかしただ一點、私が神職として看過容認できない問題のあることを、總代の方々に説明しました。それは「權宮司に退職の花道を飾つてもらふために、(平成二十七年)六月十一日の月次祭齋主は、權宮司となる以上、宮司は、當日、ゐない方がよいので、出社しなかつた」との談話でした。毎月一日・十一日・二十一日の旬祭を、靖國神社では月次祭と稱してゐます。これは年間を通して行ふ恆例祭で、朝御饌祭・夕御饌祭と合はせて、靖國神社の背骨(バツクボーン)と稱すべきお祭りです。宮司が出張などの公務で、止むを得ず不在の場合は、權宮司が代理を勤めることはあるでせうが、明治この方の恆例祭、つまり公のお祭りであることを忘れて、權宮司退職の花道に、宮司の代理をさせ、自身は自宅で休んでゐたことは、到底、神職の世界では許されないことです。この問題で、最も重い責を問はれ、嚴しい反省を課せられるべきは、「花道」を受けた權宮司です。「靖國神社の恆例祭を、私事のお祭り、私祭に貶めてはなりません」と、諫言すべきであつた權宮司が、今囘、三人の總代(責任役員)の推薦によつて新宮司となる提案に、私は内心驚きを禁じ得ませんでした。おそらく三總代から、過去のあやまちを深く反省した上で、靖國神社の御祭神のために、國家の公儀としてのお祭りに、誠意をもつて奉仕するやうに、との説諭があつたことと信じます。



★ 徳川氏の出自ゆゑの、宮司でありながら、靖國神社を輕んじてゐるのではないかとの疑念を裏付けるやうに、
「『みたままつり』から露店を締め出したり、LEDで星空を再現する『プラネタリウム化』を進めるなど、靖國神社の傳統を蔑ろにする行爲が目に付き、その上、皇族が薨去しても、海外旅行を續けるなど、徳川さんは、『問題行動』のオンパレードでした」(靖國神社の關係者)と。
 
 

謹賀新春。

 投稿者:備中處士  投稿日:2019年 1月 2日(水)00時01分45秒
返信・引用
  平成紀元 三十一年
中興紀元(皇紀) 二千六百七十九年
天降(あもり)紀元(神皇紀) 五千十九年
天皇正月、歳、己亥に次(やど)る、
元旦、大御代新春の御慶び、芽出度く申し納め候ふ。更めて謹み、
聖壽の萬歳を祝ひ奉り、竹の園生の彌榮を懇祷し、併せて御閲覽各位の福壽無量を祝祷申し上げ候ふ。

 下りて愚生、無事、還暦を越えつゝあり、生業、漸く退隱する所存に御座候ふ間、愈々研鑽に相勵み度く候ふ。本年は、新元號元年の御由、各位倍舊の御交誼、只管ら懇祈仕り候ふ。

 惟みるに四十年前、與黨の躊躇逡巡に對して、生長の家を中心とする學生の活躍、所功博士の研究、而して影山正治翁の一撃にて、元號法制化相成り候ふ。然るに彼の頃の熱氣は喪せて、今は泰西流の合理功利主義の跳梁跋扈、 かつての學績識見を顧みる者、絶えて無く、一途私見を主張して止まる所を知らず、憚り乍ら、
天子樣・日嗣の御子樣には、此の爲體、如何に思召させ給ふらむと、遙かに恐察仕り候ふ。畏し矣。備中處士、百拜、敬みて白す。
 
 

謹愼せざる者の惡あがき。

 投稿者:備中處士  投稿日:2018年11月11日(日)23時03分15秒
返信・引用 編集済
  ■靖國神社社務所『宮司就退任のお知らせ』(『靖國』平成三十年十一月)

 去る十月一日、一部週刊誌により、當神社小堀宮司による、會議での極めて不穩當な言葉遣ひについて報じられました。ご遺族・崇敬者の皆樣には、多大なるご心配をおかけいたしましたことを、心よりお詫び申し上げます。

 この件に關して、十月五日に、宮司が、直接、宮内廳掌典職へ伺ひ陳謝し、宮司退任の意向をお傳へいたしました。

 また十月十七日から齋行された秋季例大祭は、謹愼中の小堀宮司の代理として、坂權宮司が齋主を務め、祭儀のすべてを滯りなくご奉仕いたしましたことを、ご報告申し上げます。‥‥



 愚案、「謹愼中の小堀宮司」の由。然しこの小堀邦夫てふ神職は、謹愼なぞ、實はしてゐなかつたのである。謹愼とは、天皇陛下、皇太子・皇太子妃兩殿下に對し奉り、己が不敬を御詫び申し上げ、只管ら懺悔反省することを謂ふ。此奴、何をしてゐたか。『文藝春秋』(平成三十年十二月號)に、『靖国神社は危機にある』と云ふ獨占手記を書き、辨明釋明に、是れ腐心してゐたのである。呆れて物が云へぬとは、此の事だ。これでは、音聲漏洩者の罪を問ふどころでは無い。又た書かれてゐることは、言語道斷、一讀、心が萎える思ひである。

 先づ昭和殉難者てふ言葉を知らず、「A級戰犯」と何度も言ひ放つことは、靖國神社の正式呼稱を無視するものにして、結論は、「靖國神社に關して根本的な問題は、結局のところ、悲しい生涯を送つたご祭神を、國や天皇陛下が、どう扱ふかといふこと」なのださうだ。相かはらず「扱ふか」と言ひて、何樣か知らぬが、敬語は遣ひたくない御樣子。祭神は「どれだけ恨みを呑んで亡くなられたかわからない。だから祟ることがないやうに」と、怨霊信仰の吹聽。草木物言ふ時代、小堀の「戰略」とは、驚く勿れ、天皇陛下に於ける「私人として」の立場を創り出したこと、而して『靖國神社祭神祭日暦略』の存在を明かにして、祭儀の祕密を暴露、天下に知らしめた罪は、殊に萬死に價ひしよう。「掌典職には、こちらの原案(靖國神社改革案)すら受け取つてもらへず、『五十年、百年の次は、創建二百年が節目』と言はれました」と、こちらも負けず劣らず、祕密漏洩して憚らない。

 靖國神社に於ける白袴族の不見識・不行跡ないし危機感の無さは、既に塾頭の文章にて知る所、今更ら驚くには當らない。書きたいことは幾らでもあるが、小堀邦夫の「私見」を以て、神道「教學」を打立てゝもらつては、神道にとつて迷惑千萬であることだ。合祀問題も、神道にあつては、「合祀」が出來て、「離祀」が出來ぬことなぞ、「物理的」(小堀の言葉)に有り得ないことだけは、こゝに明言しておきたい。此の人の神觀念は、一體、どうなつてをるのやら。神宮禰宜をひけらかすより、もう少し先人の神書を謙虚に勉強するか、神職を御辭めになつて、保守評論家に轉身されるが、身の爲めでせう。
 
 

本立ちて、道生ず矣。

 投稿者:備中處士  投稿日:2018年11月 3日(土)19時41分54秒
返信・引用 編集済
   『大學』に曰く、「物に本・末有り、事に終・始有り。先・後する所ろを知れば、則ち道に近し矣。‥‥皆な身を修むるを以て、本と爲す。其の本と亂れて、末ゑ治まる者は、否なり矣」と。

 何、靖國神社宮司の後任に、山口建史・元權宮司だ、と。此の嫌はれ者、辭めた筈では無かつたのか。神社本廳から差囘された酒好き・女道樂の惡黨・山口が權宮司になつて、神社が金まみれになつたと云ふ。神門前の神木を切倒し、便所を作らうとした張本人にして、勝手に舊招魂齋庭に鳥居を立てたり、遊就館の歴史解説を改竄し、昭和殉難者を「死刑囚」と呼ぶ南京映畫の上映を強行した、俗物中の俗物。間者を驅使する、恐怖支配の再來だ。靖國神社總代會、狂つたか、最惡の結末。騒動が、又た亦た始まるぞ。

 小堀邦夫氏は、報道への囘答釋明にて、耶蘇暦を使つてゐる由(「(昭和天皇が)1975年に參拜した際」と)。椅子から、思はず、ずつこけた。靖國神社の社内でも、耶蘇暦が通用してゐるのか。それとも元號は奉ずるものゝ、平生は耶蘇暦を常用してゐると云ふことか。「山法師」ならぬ、「耶蘇宮司」であつたか。至極納得。

 毎週、産土神社の清掃奉仕を、夫婦にてさせて戴いてゐるが、雜草は、取つても々ゝゝゝ生へて來る。是れ、己が罪穢れと思つて、只管ら取る。境内、雜草は無しと自己滿足しても、今日、見れば、亦た生へてゐる。敬遠してゐた隅の小山に、一面の雜草‥‥。此れが「本」かと、一面を土ごと小鎌にてすくひ取る。産土を削り取ることは避けたいが、御許しを乞うて取る。

 國粹の「本」は、神社に在り。畢竟、神社本廳を正さねば、國本が立たぬ。葦津珍彦翁は、既に居ない。田舍の神主樣は、純粹にして無慾な方が多い。斯う云ふ方々の中から、忠義の固まりのやうな頑固者を、本廳總長に迎へたい。政治好きや利權屋、そして戰後保守と交流深き者は、神社に無用と云ふより、極めて有害だ。

 かつて松平永芳靖國神社宮司は、火の國より大野俊康宮司を招いたではないか。然しH權宮司を追出して、山口建史を呼込んで權宮司に据ゑた奴が居る。陰に巨大な闇を感ずる。神社維新、永遠に續くとは申せ、「先」づは神社本廳執行部の維新が、喫緊不可缺だ。然し保守を稱へる者は、案の定、之を無視して聲を擧げぬ。洵に不可思議千萬、同じ穴の狢と云ふ他ない。神社本廳も靖國神社も、其の執行部は、魑魅魍魎の巣窟。一旦解散して、もう一度作り直さない限り、昔日には戻らないだらう。有志は、田中恆清總長一派への追及、之を緩めてはならぬと共に、後任人事に注視せよ。

 黒塗りの運転手付高級車でなくても、輕四車でよいではないか。銀座や赤坂に繰り出さなくても、安くて旨い健全な店はある。田舍の神職、腐敗せる神社本廳に對して、聲を擧げて戴きたい。
  ↓↓↓↓↓
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/239587/1
 
 

亂臣賊子、謀叛の兆しあり。

 投稿者:備中處士  投稿日:2018年10月28日(日)12時03分25秒
返信・引用 編集済
  ■北畠親房公『神皇正統記』後醍醐天皇條

 此の頃のことわざには、一たび軍(いくさ)にかけあひ、或は家子郎從、節に死ぬる類ひもあれば、「我が功に於きては、日本國を給へ、若しは半國を給はりても足るべからず」など申すめる。實にさまで思ふ事はあらじなれど、やがて是れより亂るゝ端ともなり、又た朝威のかろゞゝしさも推し測らるゝものなり。「言語は、君子の樞機なり」と云へり。白地(あからさま)にも君を蔑ろにし、人に驕ることはあるべからぬことにこそ。堅き氷は霜を蹈むより至る習ひなれば、亂臣賊子と云ふものは、其の始め、心ことばを愼しまざるより出で來るなり。世の中の衰ふると申すは、日月の光のかはるにも非ず、草木の色のあらたまるにも非じ。人の心の惡しくなり行くを、末世とは云へるにや。‥‥

 君は萬姓の主にてましませば、限りある地をもて、限りなき人に分たせ給はんことは、推しても測り奉るべし。若し一國づつを望むならば、六十六人にてふさがりなむ。一郡づつと云ふとも、日本は五百九十四郡こそあれ、五百九十四人は悦ぶとも、千萬の人は悦ばじ。況んや日本の半(なかば)を心ざし、皆ながら望まば、帝王は、いづくを知らせ給ふべきにか。かゝる心の萠して言葉にも出で、面にも恥づる色の無きを、謀反の始めと云ふべき也。



 愚案、「一國」を「天子樣の神社親拜」に置換へれば、靖國神社宮司小堀邦夫氏は、「惡しき心の萠して言葉にも出で、面にも恥づる色の無きを謀反の始めと云ふべき」であり、平成の山法師にして、足利高氏の一歩前であらうか。「靖国さん」のみ良しとするは、戰後保守の與する所と雖も、靖國神社祭神の亨け給はざる所である。「ますらをの 屍草むす あらのらに 咲きこそにほへ やまとなでしこ」てふ、伴林光平大人の扇子(小堀氏揮毫)は、取り敢へず書いてみただけか。



 曰く、

一番大きな問題は、あの慰靈の旅です。氣がつかないのか、君たちは。‥‥陛下が、一生懸命、慰靈の旅をすればするほど、靖國神社は遠ざかつていくんだよ。さう思はん? どこを慰靈の旅で訪れようが、そこには御靈はないだらう? 遺骨はあつても。違ふ? さういふことを眞劍に議論し、結論をもち、發表をすることが重要や、と言つてるの。はつきり言へば、今上陛下は、靖國神社を潰さうとしてるんだよ。わかるか?‥‥

 あと半年すれば、わかるよ。もし御在位中に、一度も親拜なさらなかつたら、今の皇太子さんが、新帝に就かれて、參拜されるか? 新しく皇后になる彼女は、神社神道、大嫌ひだよ。來るか?‥‥

 あのビデオメツセージで、讓位を決めたとき、反對する人、をつたよね。‥‥正論なんよ。だけど正論を潰せるだけの準備を、陛下は、ずつとなさつてる。それに、誰も氣がつかなかつた。公務といふのは、それなんです。實績を陛下は積み上げた。誰も文句を言へない。そしてこの次は、皇太子さまは、それに輪をかけてきますよ。どういふふうになるのか、僕も豫測できない。少なくとも温かくなることはない、靖国さんに對して
」と。



 愚案、「御靈なぞ坐さぬ『ますらをの 屍草むす あらのら』への慰靈は無意味であつて、御靈の坐す靖國神社を親拜しない理由は、今上天皇が、靖國神社を潰さうとするもの」とは、如何なる論據から出來したのであらうか。英靈としての本居は、「靖國神界」に坐すことは、誰も否定しない所である。「我が國には、古來、二魂説・四魂説・一靈四魂説(直靈・和魂・荒魂・奇魂・幸魂)等があり、神仙家の間に、三魂七魄の説があり、古來、日本・朝鮮・支那人の間の、殆んど常識とも云ふべき魂魄説がありますが、要するに開合の變であつて、矛盾のやうで、皆な會通し格致して居るのであります」とは、眞面目な神道人の曰ふ所であるが、小堀氏の「私見」、即ち「御靈は、靖國神社のみに坐す」てふ、薄つぺらな、硬直せる靈魂觀は、何處か、一神教を想はせる。

 小生も、小堀流に倣うて妄想を逞しうするならば、小堀邦夫てふ靖國神社宮司は、蓋し「胡馬法王」の唯物一派、即ち靈的共産黨員ではなからうか。何だか、憂鬱である。元神宮禰宜と云ふから、事は更に深刻である。「さう思はん? 違ふ?」と拔かしたら、松平永芳・大野俊康兩宮司の遺訓、未だ滅びざる所、「思ひませぬ。それは違ひませう」と申す神職は、一人も居なかつたのか。否、一人位ゐは居たでせう。さうだ、必ず、きつと、居たに違ひ無い──さう信ずることにしよう、切に祈る。

 神道の本義は、天子樣護持に在る。それにしても近頃の神職は、密室に於いて、かくも不敬なる言辭を弄して疑はず、誰も詰問せざるに至りしか。少なくとも小生の周邊には、絶えて無い。かつて歴史ある雜誌に、「○○子さま」とあるを見て、或る方は、「皇后陛下は、世界廣しと雖も、御一方のみ」と、此の購入を止めたと云ふ。皇太子妃殿下を「彼女」と呼び奉る神經に驚くと共に、「來るか」てふ言葉遣ひは、實に言語道斷にして話にもならぬ。かやうな會議・集ひからは、靜かに退席したいもの、平生の片言と雖も、之を忽せにすることは出來ぬのである。
  ↓↓↓↓↓
【皇室に對する謹愼の心ばへ】──神宮少宮司幡掛正浩翁に叱られるがよい。
https://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t7/3
 
 

幽界からの大掃除。

 投稿者:備中處士  投稿日:2018年10月20日(土)01時07分27秒
返信・引用 編集済
   三度び、下山陽太主からの示唆。

【神社界に身を置く者からすれば、譬へるなら、ときの總理大臣(=總長)が、天皇陛下(=統理)に正面から楯突くやうな前代未聞の事態】
  ↓↓↓↓↓
https://diamond.jp/articles/-/182881

神社本廳總長・田中恆清
神道政治聯盟會長・打田文博
靖國神社宮司・小堀邦夫

加へて内閣總理大臣・安倍晉三

 芋蔓式に、「戰後保守」の役者の揃ひ踏み。密室で何を語つてをるやら。畏し矣。權力は、驕り昂ぶり、且つ腐敗する。危ふきかな哉。驕る者は久しからずとは、驕れる者、如何で知るべき。

【百二十年ぶりの石清水八幡宮行幸】──父祖の名を辱むること勿れ。
【國民の間の見解のあらゆる對決を、陛下に御すがりして、自説にとつて有利に解決しようと思ふこと勿れ】──況んや祭祀大權を干犯すること、之を容さず矣。
  ↓↓↓↓↓
https://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t1/9

 葦津珍彦大人が、泣いてをられる。否、幽界からの大掃除の發動か。

 再言す。靖國神社勅祭以來、行幸を賜ること、都合四十囘の多きを拜し奉り、恐懼至極の御事と謂はねばならぬ。然し靖國神社行幸は、凡そ三十四年間、絶えて無く、而して世間は喧しく、之を強訴恫喝する神職の出現を見た。待て、思ふがよい。石清水八幡宮の如き御祖神にあられても、行幸(平成九年八月十九日)は百二十年ぶりと仄聞し奉る。實に然り、行幸を賜るてふ御事は、實に難有い御事であり、靖國神社は護國之神靈の坐す磐境なりと雖も、臣下の神靈であつて見れば、畏くも行幸を賜りなば、靖國之大神(鈴木孝雄元宮司の喧傳する呼稱)、如何に忝なみ喜び給ひなむ。

 然し日本の神社祭祀は、天皇陛下の祭祀大權に基づくもの、臣民・草莽の、決して吐々するを許さゞるものであり、殊に靖國神社は、明治天皇特段の思召しによつて祀らるゝ神社である。松平永芳元宮司は、其の在任中、深刻なる反省遠慮を以て、現在の状況下では、「行幸を、絶對にお願ひしない」と申された。只管ら行幸を懇祷し、御待ち申し上げるはよろしいが、天裁し給ふのは、あくまで雲上であらせらる。我々は百年でも五百年でも、只管ら御待ち申し上げてをればよいことなのである。穴賢こ、穴尊と。
 
 

皇國の大義は、天皇歸一に在り。

 投稿者:備中處士  投稿日:2018年10月12日(金)20時23分27秒
返信・引用 編集済
   再び下山陽太主からの急報、難有し。靖國神社は、「小堀宮司による會議での、極めて不穩當な言葉遣ひの録音内容が漏洩した」として、小堀氏が宮内廳を訪れて謝罪し、退任の意向を傳へたと云ふ。後任の宮司は、十月二十六日の總代會にて、正式決定する見込みの由。蓋し當然である。

 小堀宮司の靈魂觀も呆れるばかりだが、皇太子妃殿下に對し奉り、「彼女」呼ばはりし、剩へ「來るか」と。敬語も知らぬものいひ、洵に以て恐れ入つた次第です。かゝる不敬漢が、神宮禰宜であつたことは、眞に深刻、心を痛むること甚大、抑も何を學び、何を行つて來た神職なのでせうか。夫れ靖國神社は、天皇の神社なり。天子樣より、靖國神社を重んずるなぞ、本末轉倒も甚だしく、至誠惻怛の心なき神職は、靖國神社より去れと、獨り懊惱してゐた所、天網恢々、疎にして漏らさず、祭神の照鑑、嚴烈神速と謂ひつ可し矣。恐懼至極。

 「教學研究委員會、僕、出てませんよ」とは、小堀氏の爲人を見る要諦でせう。「神埀祈祷、冥加正直」、少なくとも正直にさへあれば、神慮に合ふものを。後任には、清廉高徳が無理と云ふならば、純忠正直なる御方に‥‥。保守べつたり、酒亂、逆賊合祀、不敬恫喝と續いては、もう勘辨。神社本廳派は、斷固排除したいものです。
  ↓↓↓↓↓
https://lite-ra.com/2018/10/post-4304.html

 更に「宮内廳を訪れて謝罪」とは、諫言自裁の覺悟は、固より無かつた樣子、「漏洩したから、已むなく退任」の由。天子樣には、小堀邦夫の有られも無き言靈を聞し食されて、如何に思召させ給ひしか、思ふだに畏し矣。
  ↓↓↓↓↓
●吉田松陰先生『評齋藤生文・天下非一人天下説』
https://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t1/14

 泉水隆一監督、在天の靈、如何に思召されませうやと、問ひ續けてゐた所、『藝林』到來落掌。就中、竹内羞齋先生『事君辨』を見る。これも奇縁と感じ、流行本『奉公心得書』と校合して、敬書させて戴く。何方か、小堀邦夫とか申す偉い先生に、かつて拜讀したに違ひない『奉公心得書』の沈讀を促して戴きたい。


**********

■羞齋竹内式部先生『君に事ふるの辨』(『奉公心得書』と殆んど同じく、其の異本と謂ふものゝ、原本に最も近しと云ふ。『藝林』平成三十年十月號の、大貫大樹氏『竹内式部「奉公心得書」の成立と受容について──附「事君辨」飜刻』に所引するを、『奉公心得書』と校合)に曰く、

 夫れ大君は、上古(いにしへ)、伊弉諾・伊弉册尊、天日を請ひ受け、天照大神を生み給ひ、此の國の君とし給ひしより、天地海山、よく治まりて、民の衣食住、不足なく、人の人たる道も明らかになれり。其の後、代々の帝より、今の大君に至るまで、人間(人間界)の種ならず、天照大神の御末なれり。天子は、直ぐに神樣と拜み奉り、御位に即かせ給ふも、天の日を繼ぐといふ事にて、天津日繼といひ、又た宮づくし(つかへし)給ふ人を雲のうへ人といひ、また都を天(あめ)といひて、四方の國、東國よりも西國よりも京へは、皆、のぼるといへり。譬へば今ま床の下には、物の生ぜざるにて見れば、天日の光り及ばぬ處には、一向、草木の生ぜざる事なり。然れば凡そ萬物、天日の御蔭を蒙らざるものなければ、其の御子孫の大君は、君なり、父なり、天なり、地なれり。しかれば此の國に生きとしいけるもの、人間は勿論、禽獸草木に至るまで、皆な此の君をうやまひ尊み、各品物(おのゝゝそれゞゝ)の才能(わざ)をつかへして御用に立ち、二心なく宮つかへし奉る事なり。

 故に此の君に背くものあれば、親・兄たりとも、則ち之を誅(ころ)して、君に歸(したが)ふ事、吾が國、道の大義なり。況んや官祿をいたゞく人々は、世に云ふ三代相傳の主人などといふ類にあらず、神代より先祖代々の臣下にして、今ま父母兄弟に至るまで、大恩を蒙むる人なれば、其は勿論、紙一枚・絲一筋、皆な大君のたまものなり。誤りて吾が身のものと思ひ給ふべからず。分けて御側近く奉公し給ふ人々は、天照神の冥加にかなひ、先祖神靈の御惠みに預り給ふ御身なれば、いよゝゝ敬ひかしづき奉る心、しばらくも忘れ給ふべからず。

 然れども只わざにのみ敬ひて、誠の心うすければ、君に諂らふに近うして、君を欺くにも至るべし。本心より二心なくうやまふを忠といへり。忠は己が心を盡すの名にして、如才なき本心を、わざと共に盡す事なり。其の御側近く事ふる身は、始めの程は恐れつゝしむの心、專らなれども、馴れては衰ふるものにや。古より、「官は宦の成るに怠り、病は小愈に加る。禍ひは懈惰に生じ、孝は妻子に衰ふ」(『韓詩外傳』・『説苑』敬愼篇に在る曾子の語)といひ、又た『禮記』(曲禮上第一)にも、「狎れて之を敬ひ、畏れて之を愛す」といへり。わけて君の御寵愛に預かる人は、幸ひに天地萬民の爲めに、君を正しき道にいざなひ奉り、御前に進みては、道ある人を進め、善をのべ、邪なる人は勿論、はなしをもふせぎ、只だ善き道に導き奉り、共に天神地祇の冥加を、永く蒙り給はん事をねがひ給ふべし。然し若き人のあまりいきすぎたるは、憎ましきものなれば、言葉を敬しみ、時をはかり給ふべし。此の道を忘るれば、只だ恩になれ愛をたのみ、いつしか始めの敬しみを忘れ、睦しきさのあまりより、口に道ならぬ戲れをいひ、人の善惡をまげて、君をくらまし、身に越えたる奢りを好むより、無禮不敬の事も起り、君をして淫亂の御身となし、人々を疎ましめ、遂に神明(かみ)の御罰を蒙る事、恐れ敬しむべし。

 又た君に疎まるゝ人は、少しも君を怨むる心など出でたらば、勿體なき事と心得、只だ天の神につかふると心得、猶ほも身持ちを大切にして、奉公を勵み給ふべし。譬へば今ま大風・大雨・飢饉・□[病埀+重。はやり]病等ありても、天を怨むる人なし。吾が君は、眞(ぢき)に天神といふ事、返す々ゝも忘れ給ふべからず。然るを淺はかに心得、君を怨みねたむ人は、其の身は勿論、父母兄弟の家の害となり、推しては天下の亂れにも及ぶ事、古今、其の例し多し。敬むべし。楠正成の言葉に、『君を怨むる心起らば、只だ天照大神の御名を稱ふべし』(玉木葦齋が『楠家七卷書』より採つて、之を表章せり)とあるも、天照神の御恩を思ひ出さば、眞に其の御子孫の大君、たとへ如何なるくせ事を仰せ出さるゝとも、始めより一命をさへ奉り置く身なれば、いかで怨み奉る事あるべき哉(や)。まして「至誠、神に通るは、則ち造化(あめつち)と功しを同じうす」といひ、又「人を感ずること能はざるは、誠の未だ至らざる也」ともいへば、誠だに至らば、などか君の、ふたゝびかへりみ給ふ事なからんや。其の誠に至る道は、心に如才なきのみにては至り難し。すべて心を盡すは、業にある事なれば、平生、身にする事の道に違はざる樣に敬しみ、心一ぱいを身と共に盡す故、身心内外、相ひそろふ事、誠に至る事なり。さはいへども餘り恐れをのゝきては、離るゝと云ふ事あり。只だ我に立ちかへりて、道にそむく事だにあらずんば、云ふべき事、すべき事は、ずつかりとしたまふべし。

 皇后(きさき)に奉公し給ふも、同じ事なるべし。皇后は、君と相ならひ給ふ御方にて、天地・陰陽・日月とならび給ふ御方ゆゑ、君と同じく敬まひ給ふべし。又た女子は嫌(ねぎらひ)をさゝくると云ふ道あり、風(ふ)と男のうはさなどして、不義の名を受くる事あり。故に古人、「男女、年五十にならざれば、同じ居間にて物語をもせず」と云ひ、又「既に嫁して、親の家にかへるとき、兄弟も、男たるものは、同じ居間に居らず」(『禮記』曲禮第一)と戒めり。心は潔くとも、不つゝしみより、不義惡名を蒙りては、其の罪、免れがたし。故に「女は夜行くに、燭を以てす」(『小學』内篇・明倫第二・夫婦之別)とて、くらき所へ行かざるも、嫌をさくる教へなり。兎角く本心の誠を盡して、天命をもち給ふべし。心の誠を盡すを仁といひ、筋目をつゝくるを義といひ、言葉も行ひも、仁義の道にかなふ人を、聖人・賢人ともいひ、此の道に背く人を、禽獸同然の人と云へば、朝たより夕べまで、喜ぶ事につき、哀しむ事につきても、只だ仁義の道にそむかむかと、恐れ敬しみ、奉公し給ふべし。
 
 

一葉の落つるを見て、天下の秋を察するに足り、一斑を見て、全豹を卜するに足る。

 投稿者:備中處士  投稿日:2018年10月 7日(日)23時00分0秒
返信・引用 編集済
   小生の寡聞なる、「廢佛毀釋・大敎宣布」の下山陽太主が、「小堀邦夫は、天○機關説の權化」と、次を教示して下さつた。有り難い。
  ↓↓↓↓↓
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57816
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57592

 成程、々々。小堀邦夫氏を、靖國神社宮司に「推薦したのは、靖國神社責任役員でもある田中恆清神社本廳總長である。小堀氏は、神道政治聯盟會長の打田文博氏とも親しく、それが選定にも影響した。現在、神社本廳は、就任八年目の田中總長が、打田氏を右腕に支配體制を築いてをり、靖国は神社本廳に屬さない單立の宗教法人ながら、靖国にも影響力を及ぼしたといへる」由。

 「反・神佛分離令」の頭目と「不敬恫喝」神職と、役者が揃ひも揃つて、維新の大精神を打ち壞さうと圖つてをるのである。神社への行幸は、抑も大御心次第であつて、春秋兩囘も、勅使御差遣を仰ぎ奉りながら、更に尚ほ何をか熱望する。人間の慾は、限りが無く、畏れを知らぬ。

 而して最近の皇學舘大學・國學院大學では、皇學を學ばず教へず、「靈魂は、神社にのみ在つて、奧津城や祭壇に居ない。遺骨收拾、戰沒地慰靈なぞ、無意味」とか、呆氣てゐるのか。流行歌「千の風に乘つて」とか、歌ひ過ぎぢやないのか。これぢや、「神社神道は大嫌ひ」になるはな。



 大御名奉唱、祓へ給ひ清め給へ。楠公に神習うて、熱祷懇祈、祓ひ清めねばならぬ。
  ↓↓↓↓↓
https://9112.teacup.com/bicchu/bbs/832

●影山正治翁『求道語録』(昭和四十二年三月・大東塾出版部刊)に曰く、

 「主上──天皇陛下をお怨み申したい氣持が起きた時には、『天照大御神』と唱へつづけよ」と、大楠公が申されたと云ふ。「身のために君を思ふは二心 君のためには身をも思はず」、この歌も、大楠公の歌であると傳へられて居る。事實、僕も、昭和二十年八月、大陸戰地で「降伏」と聞いた時には、しばらくは必死になつて、「天照大御神・天照大御神」と唱へつづけたものだ。‥‥

 本當の勤皇は、南風の競はない時世にこそ、毅然として行はれる。「君のためには身をも思はず」だからだ。これに對し、「身のために君をおもふ」流行勤皇や便乘勤皇は、逆世や亂世になると、すぐ馬脚をあらはす。
 
 

「宮司某、恐み恐みも白」さゞれば、天下大亂の基なり矣。

 投稿者:備中處士  投稿日:2018年10月 1日(月)18時53分40秒
返信・引用 編集済
   「はゆまつかひ」樣より、「時計の間」にて紹介あり。小堀邦夫靖國神社宮司、統率力ありとは聞くも、聞き捨てには出來ず、轉載させて戴く。

 就中く「戰沒地には、骨は在つても、御靈は無い」とは、始めて聞く。宮司獨自の創見と申せませう。然し驚いた。神道教學の、不可缺なる所以である。天子樣の御ん親からの御拜を仰ぎ奉るは、「靖國神社の悲願」の由。少なくとも靖國神社中興と謳はれし松平永芳宮司は、之を恐懼遠慮された。靖國神社の靜謐・清淨化こそ、喫緊の課題であり、謹愼恭敬は、神職第一の鍵關、ゆめ怠ること莫からむことを。

 然し神職の祕密會議、下品な言靈が飛び交ふことよ。神宮の神職は、學識拔群なりと雖も、神縁にて就任の可否が決定されると仄聞す。小堀氏は、例外なりしか、或は神宮の御祓箱となりしか、或は所謂保守家との交流が過ぎて、何か惡しき物でも憑きしか。それにしても、不敬の言靈、信に恐懼至極なり。

 小堀宮司は、天子樣の大御前に於いて、果して同じ言葉を白せるとでも云ふのか。諫言と申すには、言葉が汚な過ぎる。此の強訴不敬、「平成の山法師」と謂ふに相應しい。而して宮司の録音漏洩こそ、祭神の御心と知る可し矣。

 更めて謹みて白す。天子樣は、靖國神社の爲めに大坐すに非ず。靖國神社は、天子樣御守護の爲めに鎭り座す。御創建百五十年に當つて、宮司の功業を立てむと焦る餘り、考へ違ひ、決して有つてはならない矣。敬みて白す。



**********

https://www.news-postseven.com/archives/20180930_771685.html
  ↓↓↓↓↓
『陛下は、靖国を潰さうとしてる』――靖國神社トツプが「皇室批判」(平成三十年九月三十日。『週刊ポスト』平成三十年十月十二・十九日號)

 天皇が「深い悲しみを新たにいたします」と述べた、平成最後の終戰記念日、靖國神社(東京・九段北)には、安倍晉三首相はじめ、現役閣僚の姿はなく、中国(ママ。愚案、支那)や韓國も、一頃ほど神經をとがらせなくなつた。しかしその落ち着きの裏で、靖國神社は“爆彈”を抱へてゐた。來年、天皇の「代替はり」と創立百五十年が重なる大きな節目を目前に、前代未聞の問題發言が、神社トツプである宮司から飛び出したのだ。


◆「さう思はん?」、「わかるか?」

 靖國神社では、今、來年の創立百五十年に向け、境内のいたるところで、改修工事が行なはれてゐる。だが、その内部では、修復不可能なほどの“綻び”が生じてゐた。

 六月二十日、靖國神社の社務所會議室で行なはれた「第一囘教學研究委員會定例會議」で、その重大事は起きた。今年三月に、第十二代靖國神社宮司に就任した小堀邦夫氏(68/數へ六十九歳)が、創立百五十年に向けて、新たに組織したのが「教學研究委員會」だつた。これからの靖國神社がどうあるべきかを考へるとして、第一囘の會議には、小堀宮司以下、ナンバー2である權宮司など、職員十人が出席したことが、當日の議事録に殘されてゐる。

 その會議の場で、靖國神社のトツプである小堀宮司から、驚くべき發言が飛び出した。

「陛下が、一生懸命、慰靈の旅をすればするほど、靖國神社は遠ざかつていくんだよ。さう思はん? どこを慰靈の旅で訪れようが、そこには御靈はないだらう? 遺骨はあつても。違ふ? さういふことを眞劍に議論し、結論をもち、發表をすることが重要や、と言つてるの。はつきり言へば、今上陛下は、靖國神社を潰さうとしてるんだよ。わかるか?」

 さらに發言は、代替はりで、次の天皇となる皇太子夫妻(ママ。愚案、何たる申し樣)にも向けられた。

「あと半年すれば、わかるよ。もし御在位中に、一度も親拜(天皇が參拜すること)なさらなかつたら、今の皇太子さんが、新帝に就かれて、參拜されるか? 新しく皇后になる彼女(愚案、何たる言靈)は、神社神道、大嫌ひだよ。來るか?」

 靜まり返る會議室で、小堀宮司の高壓的な口調の“獨演”と、速記のキーボードを打つ音だけが響く──。

 この會議は、小堀宮司の意向もあつて、複數の出席者が記録のために録音してゐた。宮司の「總括」から始まる百十分に及ぶ音聲データを、本誌は入手した。

 小堀宮司が語氣を強めたのは、今上天皇が、即位以來、一度も靖国を參拜したことがない一方、かつての戰地を訪れ、戰沒者の靈を慰める旅を續けてきたことを指してゐるとみられる。皇室ジヤーナリストの久能靖氏は、かう言ふ。

「今上天皇が、靖国を參拜されない理由は、わかりません。が、あへて推察すれば、昭和天皇が、1978年(ママ)のA級戰犯(ママ。昭和殉難者)合祀以來、靖国においでにならなくなつた、その思ひを咀嚼されたのではないかと考へられます。今上陛下は、戰爭體驗をお持ちで、戰中の國民の苦しみは、直接ご存じでした。だからこそ、國内外にわたるすべての戰地で、慰靈を行なひたいといふお気持ちになられてゐたと思ひます。天皇陛下の慰靈の旅は、強い信念に基づいて行なはれてゐるものでせう」

 その慰靈の旅が、小堀宮司の目には、靖國神社を否定する行爲に映つてゐると、靖國神社關係者が言ふ。

「小堀宮司からすれば、英靈の御靈は靖国にこそあり、戰地にはない。にもかかはらず、今上天皇は、靖国よりも慰靈の旅を選んでゐるとなると、靖国の存在意義を否定することになつてしまふといふ思ひがあつたのではないか」

 しかしこの発言は、靖國神社内でも問題視された。

「勅祭社(天皇が例祭などに勅使を派遣し、奉幣を行なふ神社)としての靖國神社の性格を考へると、天皇陛下を批判するやうな發言は、宮司として問題ではないかといふ聲が上がつてゐます」(同前)


◆「お前の説教、聞きたくないよ」

 靖國神社は、來年までに、天皇の參拜を實現させようとしてゐた。靖國神社職員は、かう語る。

「平成の御代のうちに、天皇陛下にご參拜をいただくことは、私たち靖國神社からすると、悲願なのです。小堀宮司は、“平成の御代に、一度も御親拜がなかつたら、この神社はどうするんだ”と、口にしてゐました。さうして宮内廳に對し、宮司自らが伺つて、御親拜の御請願を行なふための交渉を内々にしてゐるのですが、まだ實現の目處は立つてゐない」

 小堀宮司は、專門紙『神社新報』で、「(創立)五十年目に、大正天皇が行幸され、百年目には、昭和天皇が皇后とお揃ひで行幸されてゐます。そして來年、百五十年といふ大きな節目の年がやつてくることの重大さは、御代替りと相俟つて、深刻に考へてゐます。」(七月三十日付)と語つてゐた。

 天皇の參拜を求める焦りが、發言の背景にあつたのだらうか。問題發言に至るやり取りを見ると、小堀宮司の眞意が分かる。

 この日の會議は、靖国の創立百五十年史略年表の作成・出版などについて話した後に、「戰犯に對する誤解や東京裁判の不當さについて調査考證する」といふ議題に入つた。そこで出席者の職員が、「富田メモ」について言及したことが、小堀發言に繋がつた。

 富田メモとは、富田朝彦元宮内廳長官(在任は1978~1988年(ママ))が、昭和天皇の非公開發言を記したメモで、靖国にA級戰犯(ママ)が合祀されたことに關し、「だから、私は、あれ以來、參拜してゐない。それが、私の心だ」との記述があつた。2006年(ママ)に、日經新聞がメモの存在をスクープすると、「昭和天皇の眞意が分かる超一級史料」と評價される一方、「陛下の眞意とは限らない」と、否定的意見も上がり、眞贋をめぐる大論爭となつた。それに伴ひ、A級戰犯(ママ)の靖國神社への合祀の是非や、小泉純一郎首相(當時)の靖国參拜議論も過熱した。

 靖國神社は、この富田メモについて、現在に至るまで、一切コメントしてゐない。だが實際は、“深い棘”として刺さつてゐたやうだ。

 この富田メモについて、職員が、「もしそれが、本當の昭和天皇の發言だつたら、どうするんだ、といふことで、私は眞劍に考へましてですね」と言ひ出し、合祀の經緯を振り返つた上で、かう熱辯を振るつた。

「このまま時代を五十年、百年經過していつたときに、どういふふうな説明をして、國民が理解していけるのか、といふところの先讀みしたやうな考へ方を持つていく必要があるんぢやないか」

 ところがこの職員の發言を、小堀宮司は、いきなり遮り、切つて捨てた。

「お前の説教、聞きたくないよ。しやうもない。お前のどこに、戰略があんねん。『これ知つてます、私は、これ知つてます』つていふ話ばつかりやないか。どうやつて戰ふかを考へるんが、この仕事やないか。何も恐れる必要はない。間違つてたら、間違つてたと言へばいい。(中略)戰略を考へるのは、俺が考へる。君らが考へんでいい。一番大きな問題は、あの慰靈の旅です。氣がつかないのか、君たちは」

 さうして冒頭の発言が、飛び出した。つまり小堀発言は、富田メモから連なる、天皇と靖国の“複雜な關係”が伏線にあつたのだ。

「富田メモについては、靖國神社の中でも“タブー扱ひ”されてきた。昭和天皇・今上天皇の御親拜が途絶えてゐる眞意についても、觸れないできたわけです。

 小堀宮司は、さうした空氣の中で、トツプとしての風格を見せる狙ひもあつて、ああした物言ひをしたのではないか。『戰ふ』・『戰略』といつた言葉からは、どんな事情が背景にあるにせよ、とにかく天皇の御親拜を實現させたいといふ強い意思を感じます。しかしそれが、實現しないことの不滿となれば、天皇陛下への批判となつてしまふ。靖國神社が抱へるジレンマが、つひに噴出してしまつたといふことでせう」(前出・靖國神社關係者)


◆「皇太子さまは、輪をかけてくる」

 發言の主である小堀宮司とは、どんな人物なのか。

 小堀宮司は、三つの大學・大學院を出たあと、伊勢神宮に奉職。以來、伊勢神宮一筋で、宮司を補佐する禰宜といふ要職に登り詰めた。

 靖国の前宮司・徳川康久氏が、戊辰戰爭の“賊軍”である幕府軍や會津軍の戰死者も、合祀に前向きな姿勢を示したことなどが問題視され、「一身上の都合」で辭任したのを受けて、靖国の宮司に就任した。

 伊勢神宮時代には、メデイアにも何度か登場してゐる。2016年(ママ)に、天皇が生前退位の「お氣持ち」を表明された際には、中日新聞(2016年(ママ)八月九日付)の取材に、「苦心されて、お言葉を選ばれたのだらう。天皇陛下が『傳統の繼承者』であり續けるため、現行制度の問題を問ひ掛けてゐるのでは」と、贊同する姿勢で答へてゐた。

 ところが、教學研究委員會では、まつたく別の意見を述べてゐる。

「あのビデオメツセージで、讓位を決めたとき、反對する人、をつたよね。(中略)正論なんよ。だけど正論を潰せるだけの準備を、陛下はずつとなさつてる。それに、誰も氣がつかなかつた。公務といふのは、それなんです。實績を陛下は積み上げた。誰も文句を言へない。そしてこの次は、皇太子さまは、それに輪をかけてきますよ。どういふふうになるのか、僕も豫測できない。少なくとも温かくなることはない。靖国さんに對して」

 生前退位に反對だつたといふ本音をにじませ、皇太子に代替はりしても、靖国との距離は廣がるばかりだと、危惧してゐるやうに聞こえる。


◆「僕、出てませんよ」

 一連の小堀宮司の發言について、宗教學者の島田裕巳氏は、かう讀み解く。

「伊勢神宮は、神社の世界では別格扱ひで、そこにゐたといふ自負が、小堀宮司にあるはず。その感覺には、少し浮き世離れした部分があり、發言がどのやうな問題を引き起こすかを認識しないまま、思つた通りに本音を話してしまつたのではないか。

 ただし現在の天皇が、靖國神社を參拜されないのは、好き嫌ひの問題ではなく、政教分離の問題が大きいはず。なにより、宮内廳が止めるはずです。昭和天皇の參拜が途絶えた經緯においても、A級戰犯(ママ)の合祀より、當時の中曾根康弘首相が、國際社會の反發を豫想せずに、公式參拜したことの影響が大きい。それは安倍首相が強行した參拜も同樣で、首相參拜へのハレーシヨンが、ますます靖國神社と天皇の距離を遠くしてゐるといふ状況がある。果たして小堀宮司は、さうした複雜さを理解した上で、發言してゐるのでせうか」

 本誌は、一連の發言の眞意を確認するため、九月二十六日早朝、小堀宮司の自宅前で、本人を直撃した。

──六月二十日の教學研究委員會で話されたことについて、お聞きしたい。
「何も知らないですよ」

──いや、小堀さんが話されたことですよ。
「教學研究委員會、僕、出てませんよ」

──教學研究委員會ですよ。
「ええ、出てませんよ」

さう質問を遮つて、迎への車に乘り込んだ。

 靖國神社に、會議での發言について見解を求めた。

「教學研究委員會は、社外公開を前提としたものではございませんので、各委員の發言を含め、會議内容などの囘答は控へさせていただきます。また當委員會では、世代交代が進む御遺族・崇敬者のみならず、多くの人々に、當神社をご理解いただくべく、神社運營や教學について、研究・協議を始めたばかりです。その過程において、協議内容の一部分を抽出し、神社の見解とすることはございません」(廣報課)

 前述の富田メモは、靖国問題についての昭和天皇の「本音」が記されていたとして、議論を卷き起こした。

 それに對する靖国トツプの「本音」と言ふべき小堀發言は、どのやうな波紋を呼ぶのだらうか。

*音聲データは「News MagVi」
https://twitter.com/News_MagVi
にて、公開中。
 
 

保守家に臨むに、敵陣に向ふが如し。

 投稿者:備中處士  投稿日:2018年 9月 7日(金)21時45分55秒
返信・引用 編集済
   鈴屋・大壑兩大人の、革命温存儒者に對する、亦た九段塾頭の、今ま流行の保守家に對する、當に敵陣に向ふがごとし。大喝高聲、其の揆、一なり矣。有志を善導せむとの心底、翁の偉功、仰ぎて已まず。尊皇敬神の士、縁故あらば、九段塾頭の言靈を聽いてよ。平成二十年九月十三日、塾頭御開講以來、而今、こゝに十年に埀んとするの前に、先哲遺文を拜記すること、次の如し。



●咲園柴田花守翁『古道或問』(明治三年九月刊)

問。方今、本居氏の學風、大いに行はれ候ふが、此の人、猥りに聖人を誹謗し、儒教を排斥する僻(へき)あり。依りて其の門に入るものは、至極、人品(ひとがら)惡しく相成り候ふよし、既に御答の如く、漢籍を讀む事を、敵陣に向ふが如しと云ひたるにて、其の心底、明白に候ふ。他を誹謗すれば、己れ、亦た誹謗せらるゝ、是れ天理に候はずや。誹謗を受け候ふは、即ち其の身の穢れにて、自らなる神代の令(りやう)にも戻(もと)り候はずや。

答。それは、本居翁、湯武放伐の、皇國に害ある事を、『直日靈』と云ふ書を編みて、強く論辨せられたるを申す事に候ふ。其の頃、市川多門と云ふ者、『末加乃比禮』と云ふ書を著はして、大いに難じ候ふを、翁、また『葛花』と云ふ書を以て打返されし故、多門のみならず、世の頑儒、みな嘴を閉ぢ申し候ふ。

[放伐の事は、もと伊東龜年が『湯武論』、蘇東破(愚案、破は坡の誤植なり)が『武王論』なども、之れ有る由、承り候ふ。猶ほ此の辨は、平田翁の『玉襷』、橿園(中島廣足)翁の『童子問答』などに、悉(つぶさ)に記載、之り有り候ふ。]

 又た儒教を排斥せられしと云ふは、荻生岨崍(徂徠)・太宰春臺などいふ俗儒有りて、漢土を中華と稱し、皇朝を自ら東夷と書し、或は上古の天皇方の御上を、忌み憚らず論じ奉りて、書にも著はし候ふ故、其の惡習の泥醉を覺知させんとて、大喝一聲、叱咤せられたる事にて候ふ。これ、譬へば岐路に迷ひ入りたらん人の、正路ぞと思ひ違へて、遙かに行き過ぎたるを、本道を知らせむとて、高聲(かうしやう)に呼び返すに等しく候ふ。當今の本學者といふものゝ、己が矮見(せびく)にして、微音の屆かざる程をも知らで、いつも高聲に呼ばんとするは、禪語に所謂る粥飯の熱氣にて、却りて他に怪しまれ、惡まるゝ事情を知らぬ故に候ふ。然し乍ら此の高聲に呼び返され、驚かされて、立返りしより、名分の筋、大きに開け、皇朝の古史を詩に詠じ、倭魂など云ふ事を口實に唱へ、天朝を尊奉する儒風に變じ候ふは、全く此の(本居)翁、又た平田翁の大功に候ふ。

[殊に此の二翁は、皇朝學の爲めに、身命を擲ちて、勤勞せられし事に候へば、なまゝゝなる世人の誹謗ぐらゐを顧みらるゝ暇はあらざりし事と覺え候ふ。]‥‥

問。さほど上代は、和漢合一の學問なる事の明證も、之れ有り候ふに、後世の儒者は、國典を和語に訓む事を好まず、和歌を詠ぜず、和文を作らず、偶々歌をよみ、文を作るも、語格に疎く、假字格(かなづかひ)を知らず、和學者は、經書にうとく、詩文を作らず。やゝもすれば、氷炭の説を起して、互ひに誹謗致しあひ候ふ。其の由縁を承り度く候ふ。

答。上代は、上下の等級、正しく、君臣の名義、順逆内外の道理、明らかなる學風にて候ふ處、文運、年々に開け、才學、次々に出で候ふより、遂に其の學ぶ方につきて、固執(こしう)する僻學起り、彼れを慕ひ此れを疎じ、外を尊び内を卑しむずる惡弊に押移り、春秋の書法に違へる孔子の罪人ども、多く相成り申し候ふ。先づ林羅山ほどの大儒さへ、『本朝通鑑』を撰ばるゝ折、呉の泰伯の説を取られ候ふを、西山公(水戸義公)、これを議して、止めさせ玉ひし由、また荻生岨崍が、孔子の肖像の上に、「日本國夷人・物茂卿、拜手稽手、敬題す」と書し、門人・春臺が事は、前に申し候ふ如くにて、此の一派の學風は、殊に名分に暗く候ふ。又た澁川春海の『新蘆面命』と云ふ書中に、伊藤仁齋の、紀伊殿へ奉りたる書也とて、載せ之れ有り。實に驚き入りたる文體に候ふ。

[「天に二日無しと申し候ふが、日本には、二日、之れ有るによりて、號令、一ならず。宜しく帝位をば、將軍、御踐みなされ、天子をば、大和公に成され候ふやうに」云々。]

此の人、清和天皇以來の御諱を犯して、號(な)を仁齋とつけるも、天朝を畏まざる不敬の趣き、平田翁、論じ置かれ候ふ。‥‥
  ↓↓↓↓↓
https://9112.teacup.com/bicchu/bbs/3182

○此の一とぢは、家翁(咲園翁)の、或る人の問ひに答へられたる、假初(かりそめ)のすさびなるを、ある人、同志のたれかれとはかりて、板にゑらせむとて、己が浪花の旅やどりにあとらへ、おこせたるなれども、是れ計りの物、いかならむと思ふものから、折ふし、岩崎(長世)翁を相見てかたらひけるに、いたくめでて、御里なる大學大博士・平田(銕胤)大人にさへ見せられけるに、大人も、いとよしと悦ばれ候ふ、とく書肆(ふみや)にはかりてよと勸められたれば、やがてかく物する事とは成りにたり。男・磐守。
 
 

神代、はるけき昔より、大和島根の益荒男が、靈と肉とを鍛へたる、雄々しき姿、相撲道。

 投稿者:備中處士  投稿日:2018年 4月21日(土)22時57分11秒
返信・引用 編集済
  ■孝明天皇大御歌

照る影を ひら手に受けし 旭形 千代にかゞやく いさをなりけり



●武者成一翁『史談・土俵のうちそと』(平成十四年九月・雲母書房刊)

「角界の戰後の歩みをみても、人々の心の價値觀が變はつたやうに、大きく變はつてしまつた。相撲道を極めるといふやうな、古人の讚美した魂魄(「神代、はるけき昔より、大和島根の益荒男が、靈と肉とを鍛へたる、雄々しき姿、相撲道」)などは、今では人々の口の端にも上らず、只々力技の形骸のみ留めて、プロスポーツとして、觀賞の對象にのみ終始してゐるやうに思はれる。時の流れといふべきであらうか。この世相や風潮に反發するかの如く、十六年前、江馬盛氏は、力士・旭形龜太郎に、一片の紙碑(『諸國相撲帖』)を捧げて、相撲史上に、その丹心を留めんとされたのであらう。‥‥

 現在の相撲を生業としてゐる力士・協會には、歴史をたづねるといふ氣風の稀薄なことは、つとに識者の指摘するところである。また各地に遺されてゐる相撲の遺蹟なども、次第に損傷しつゝあつて、相撲協會に、何らかの處置を申し出ても、無い袖は振れぬと、一見、冷淡とも受け取られる態度が強いと仄聞する。相撲に關する文化財保存の責任は、協會には無い。一概に相撲協會の態度を責めるわけにはいかないであらう。よしんば假に實行するとしても、協會の財源にも限度があらうし、もし申し出の一つに答へれば、無數に存在するであらう他の文化的な遺産も、無視できなくなるおそれが生ずる。協會が、これらの問題には、自ら逃げ腰とならざるを得ないことは理解できる。

 しかし財團法人である協會が、その寄付行爲として掲げてゐる、相撲博物館の維持運營についての、更に付帶事業として、「相撲に關する主要な文化財の維持に關し助成する」くらゐの前向きの姿勢は、果して取り得ないであらうか。今日の相撲は、先人の築いた歴史的所産の上にあるに過ぎない。民族の傳統を傳へなければならないといふ觀點に立つて、協會が、その必要性を痛感し、やる氣を起せば、出來ぬ相談でもあるまい。

 たとへば本場所後、然るべき團體の協贊を得て、「古式相撲」を一日催して、收入をその基金とするなども、一つの方法であらう。私はそれによつて、玉鉾神社の維持を考へろとか、旭形龜太郎の顯彰碑を建てろとなど申す氣は、全くないが、當世角界で生活を營む人々は、興行にのみ走るだけでなく、もつと歴史を大切にし、先人の偉業を忘れるな、そして後世に傳へてもらひたいと叫びたくなるのである」と。



 はゆまつかひ樣から紹介された、武者成一翁『土俵のうちそと』は、四百頁に埀んとする力作であつて、目次を見るだけでも興味が盡きない。早速、取寄せて、其の一篇「旭形龜太郎の業績を偲ぶ──相撲史外傳」を讀み畢ぬ。塾頭も、『靖國神社の眞實』に於て、大相撲の土俵の事を述べられてゐたことが懷しい。然もあらばあれ、此の大相撲協會であれば、吉田司家に醜聞があつたとは云へ、之を扶けて傳統を護持することなど、努にも思はぬのであらう(吉田長孝氏『原點に還れ──國技相撲廢止の危機を突破した男・吉田司家二十三世追風吉田善門』(平成二十二年九月・熊本出版文化會館刊)。

 旭形龜太郎翁は、幕末、勤王の同志を集めて「力士隊」を組織し、宮中守衞に當らんと出願し、文久三年正月、勅許を得、其の總指揮官となつて、日夜宮中を奉仕、元治元年七月十九日の蛤御門の變は、『このとき、君は藩兵に加はり、各所に連戰し、またその際、特に宮中に召され、錦旗を守衞し、かたはら玉座の守備を命ぜらる』(小傳『照日の影』)。戊辰の變では、薩藩の猛將伊地知正治に從ひ、本宮詰めとして砲隊に屬して奮戰、身に數彈を浴びるも屈せず、偉功を樹つ。また征討將軍仁和寺宮嘉彰親王殿下に從つて、錦旗を護衞し、御親征として大阪行幸に際しては、鳳輦の供奉となり、海軍總督の横須賀への出陣には、大總督付となる。

 天恩を蒙り、御下賜品を賜ること度々にして、明治二十六年に、伊勢神宮の鹿島大宮司より、「孝明天皇御正體・玉鉾大神」てふ神號を拜戴して、獨力にて、三十二年十二月、愛知縣知多郡武豐町郊外の六貫山に、一萬九千坪の御用地、三千二百三十七坪の境内を擁し、熱田神宮を模し奉つた、壯嚴なる無格社・玉鉾神社(境内入口標柱には、「御祭神孝明天皇・玉鉾神宮」)を創祀した。旭形翁は、自ら刻苦勉勵、國學を修め、三十三年一月、神職に補せられ、元帥陸軍大將小松宮彰仁親王殿下の御參拜を仰ぐに至る。然し昭和三十四年九月の伊勢灣颱風により、今は僅かに其の形骸を殘すのみとなつてゐる。
 
 

天下の變、革命より大なる者は莫し矣。聖人の憂患、革命より深き者は莫し矣。

 投稿者:備中處士  投稿日:2018年 4月16日(月)22時38分59秒
返信・引用 編集済
   「時計の間」にて、不逞なる革命思想を述べたが、事は重かつ大なれば、之を増補して表にも書かせて戴く。蒲生静修(君平)先生の曰く、「孝子の情、終身の喪有り。忠臣の心、革命の時無し」と。




●谷秦山先生『新蘆面命』に曰く、

 太田藤九郎殿[土御門泰福卿の弟、松平丹波守殿に仕ふ]物語り申され候ふは、近年、伊藤源助、紀州樣へ書簡をさし上げ、「天に二つの日無しと申し候ふに、日本には二つの日有り。是によりて、號令、一ならず。宜しく帝位を、將軍御踐み成され、天子を大和公に封じ成さる樣に」と申し上げ候ふ。

 紀州樣、ことの外か怒り遊ばされ、ケ樣の妄言、江戸へ申し上げ候はゞ、死刑にも仰付けらる可く候ふ。然れ共も御慈悲を以て、默止成され候ふ間、以來、必ず々ゞケ樣の言、筆は申すに及ばず、口に吐き申す間敷き旨、御制戒め成され候ふ」と。



 愚案、此の「伊藤源助」、まさか「伊藤仁齋」(源七・源吉・源佐)ではあるまいな。仁齋の不敬、否、國賊とて、よく擧げられる典據ではあらうが‥‥。「仁」の御字は、天子樣の御諱の通字、知らぬ筈も無からうに。仁等の徳目の字は憚り無しと雖も、やはり遠慮はあつて然るべき。

 「儒に非ず、佛に非ず、朱に非ず、陸に非ず、一種無稽杜撰の學、名分綱常の大罪人」(絅齋先生の評)たる伊藤仁齋は、淺見絅齋先生にとつて小僧扱ひ、全く齒牙にもかけなかつた者なり。谷秦山先生は、謹嚴實直、其の聞く所に疑ひは無し矣。然れば「仁齋=源佐=げんすけ=源助」説の由つて來る所、無理も無い。博雅の士の示教を乞ひまつる。


**********


●若林強齋先生『絅齋先生常話雜記』

 (絅齋)先生の御物語に、「仁齋がわづらふよし、聞きたか」とありしゆゑ、「なるほど承りましたが、■■のわづらひのよし、私(強齋)存ずるは、あいつ(仁齋)を病死さするは、殘念なること」と申したれば、先生、笑つて仰せらるゝは、「(中村)惕齋が、平生、『仁齋、はやう死ねかし、道の害』と云ひたるよし、是非なき云ひやうぞ。あれ(仁齋)が一生の精微の書を出したらば、おれ(絅齋)が辨じようと思うたぞ。朱子の、陸象山が死んだ時に、告子に■■と仰せられた」と云うて、御笑ひなされたぞ。‥‥

 仁齋が死して、儀節を萬事用ふるよし。棺槨は、五郎兵衞が受取つたるよし。片木でしたぞ。なぜまき(★註)ではせなんだぞ。棺槨の間、一寸五分あるとなり。まへゝゝより神主(靈牌)なども、五郎兵衞がしたぞ。何樣、(仁齋は)にくきやつぢやは。程・朱の格物の物をそしりて、又た神主などは、其の制を用ふる。神主式は、程子の格物の内から出たものと云ふことを知らぬぞ」。


★註・『日本書紀』卷一

 一書に曰く、素戔鳴尊の曰はく、「韓郷之嶋は、是れ金銀有り。若し吾が兒の所御(しら)す國に浮寶有らずば、佳からじ」とのたまひて、乃ち鬚髯(ひげ)を拔き散(あか)ちしかば、即ち杉と成り、又た胸の毛を拔き散ちしかば、是れ檜と成り、尻(かくれ)の毛は、是れ柀(まき)と成り、眉の毛は、櫲樟(くすのき)と成りき。已にして其の用ふべきを定む。乃ち稱(ことあげ)して曰はく、「杉及び櫲樟、此の兩(ふたつ)の樹は、浮寶と爲す可し。檜は、以て瑞の宮を爲(つく)る材とす可し。柀は、持って顯見(うつ)しき蒼生の奧津棄戸(すたへ)に將(も)ち臥さむ具(そなへ)に爲す可し。夫の噉(くら)ふべき八十木種も、皆な能く播き生(おは)しつ」とのたまふ。時に素戔鳴尊の子、號を五十猛命と曰す。妹は大屋津姫命、次に抓津姫命、凡て此の三神も、亦た能く木種を分布(まきほどこ)したまふ。即ち紀伊國に渡し奉る。然して後に素戔鳴尊、熊成の峯に居しまして、遂に根國に入りましき。

【神代以來の御掟なり】
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t10/27
 
 

傳統と陋習と。

 投稿者:備中處士  投稿日:2018年 4月 7日(土)00時07分35秒
返信・引用 編集済
   神事たる可き相撲の土俵は、女人禁制の由。傳統ならば墨守すべきもの、人命は二の次と考へるが、蓋し保守の神髓でありませう。然し世俗の非難に反對しても、却つて煩はしいから申さぬが、參考とす可き御説があるので、長いが、敢へて引用させて戴く。

 昨今の大相撲の土俵が、神聖か否かは知りませぬが、土俵の下には錢が埋まつてをる由、八百屋の長兵衞さんが申してをられました。だつたら、相當、穢れがあるかも知れません。また女相撲とて、スポーツとして樂しむことは宜しいでせうが、「女人禁制の大相撲の土俵」に、どうしても上りたい女性は、どうぞゞゝゞ、嫌な言葉ではあるが、泰西流の「自己責任」にて、大いに蠻勇を奮はれむことを。「悔し」がる程のことでもありますまいに‥‥。



●友清磐山翁『古神道祕説』(古神道夜話。昭和十三年六月・井上出版部刊。五十八年七月・神道天行居復刻。『全集』卷一に所收)に曰く、

「神社といふものは、決して表面の御祭神だけが鎭まつて居られるものではありません。その土地に、太古から因縁のある神靈は固よりのこと、表面の祭神に、何等かの關係ある神靈も、多數集まつて居られるのが普通で、更に謂はゆる眷屬級の神・使ひ神たちも澤山居られるもので、民衆の信仰如何によつて、其の信仰に應ずる神靈も集まつて來られるものであります。ですから、柿本人麿を祭つた神社を、いつともなしに、民衆がヒトマル(火止まる)に通はして、火防の神徳ありとするやうになりますと、やはり左うした方面の神靈が集まつて、民衆信仰の至誠に感應せられるものでありまして、決して世の輕薄なる學者や物知りぶつた人の笑ふやうなものではありません。

 人間の智慧といふものは、如何なる博士でも大博士でも、有限的のもので、九牛の一毛か二毛しか見えないものです。そんな哀れな智慧で、神威神徳を彼れ是れ批評がましいことをするのは、愛嬌であります。人間の知識が、如何につまらぬもの、あてにならぬものであるかを、最も克く哲學的に論明したものは、古代印度の思想家で、佛典の大部分も、實は殆んど此の一點を闡明し論證して居るもので、これは今日の新しい哲學を以てしても破ることの出來ないものです。恐らくは斯ういふものが、眞理とかいふものなのでせう。此のヒトマルのことを、よく噛みしめ味はつてみて、他の場合のことも類推してみられるならば、少しは神化不測の靈得を感悟することも出來ようかと思はれます。

 方面を更へて別のレンズから、此れに類似の問題を覗いてみると、一例を擧げてみますと、世俗に三輪亡といふ日があります。これは昔から建築業者や土木業者の、非常に嫌がる日なのであります。學者や物知りは、無論、迷信として排斥して居ります。ところが事實として此の日に土工を起こしたりすると、災害が生ずることが多いので、決して普通の心理學のいふ豫期作用ばかりではないのでありますが、さて然らば三輪亡なるものは、何ういふ根據のあるものかといふと、極めてくだらぬ理由によつて算出されたもので、起原も左のみ古いものではないので、理論の上からいふと、全く迷信に過ぎぬものであります。然るに其れが何故に應驗があるかといふと、昔から此の三輪亡の説を信じた人間が、支那にも日本にも、何百萬、何千萬と居りますので、その靈が感應するからであります。嘘から出た誠といふやうな關係のもので、事實上、應驗がある以上は、理論の上に於て取るに足らぬことでも、求めて災害に罹るに及びますまい。

 斯ういふ風な靈界の事情を注意せられるならば、ヒトマルの話などを解決する上に、又た側面の一參考となるだらうと思ひます。萬一の誤解をさけるために序でに申し上げておきますが、そんならばと云つて、昔から申し來つた迷信的なことは、悉く應驗のあるものかといふと、決してさうではないので、應驗の無いものが大部分、すなはち理論上にも事實上にも、全くの迷信が大部分で、丙午の説なども、全くの迷信であります。そんならば、殆んど同じ理由により、同じやうな起因により、同じやうな俗信を維持して來た三輪亡の説の如きにのみ、何故ゑに靈が應驗するかといふと、そこになると、全く説明が困難で、いづれ左ういふ方面の關係の靈でも捉へて説明させてみるより外に、詮方がありませんが、併し其の説明も、必ずしも信用の出來るものではありません。

 其の他、東洋流の多くの運氣説を、片ツ端から迷信として斥けるのが、如何にも教養ある紳士らしいので、學者といふ學者、物知りといふ物知りが、調子を揃へて攻撃して居られますが、併し一概に左うは參らぬので、正しい古傳のものゝ中には、事實上の應驗あるのみならず、理論上からも、立派な根據のあるのもありますので、春夏秋冬による、一切生物の受ける交渉の如く、あめの靈氣とつちの靈氣によつて結ばれたる人間が、あめとつちとの數理に、本來、沒交渉なものではないのであります」と。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t19/8
 
 

忠孝の學問を復活せよ。

 投稿者:備中處士  投稿日:2018年 4月 4日(水)22時10分47秒
返信・引用 編集済
  ●教育敕語を仰ぐ
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/2749



●平泉澄先生『明治百年』(昭和四十三年十月二十八日・水戸市に於ける講演)に曰く、

「(承久の御計劃・建武の中興)慘憺たる結果に終はつて、もうこれで駄目かと思はれた時に、やがて江戸時代になりまして、學問が、この途を切り開いていつた。學問は、各方面から興つてきました。‥‥國學が盛んになつてまゐりました。これが日本の歴史を明らかにし、日本の道といふものを、次第に闡明してまゐります。しかし、まだこれは弱い。

 日本の道を強く天下に知らしめたものは、山崎闇齋の教へであります。山崎闇齋は、忠孝の絶對を主張するのであります。君に忠にして、親に孝であるといふこと、忠孝の二つは、人倫の大本である。人が人として考へられるのは、この忠孝の道徳を全うするからである。これを外れては、人ではない。その親子の關係は、たとへ子供がどれほど大きくならうとも、子供がどれほど立身出世しようとも、子供がどんなに金儲けしようとも、子供が親になり代はつて親になり、親を子供として遇するといふは、許されない。親は、どこまでも親である。年をとつても、よぼゝゞになつても、貧乏してをつても、親は、親だ。子は、子だ。親子の間に、變化があつてはならぬ。同樣に、君臣の間も左樣である。君臣の間が、世の中の事情が變はつたからといつて、にはかにひつくり返ることはあり得ない。戰爭に敗れたから、君は臣になる、臣が君になる、さういふことは絶對にあり得ないのだ、といふことを明らかにされたのが、山崎闇齋先生の教へであります。これは、非常に強い、嚴烈なる教へであります」と。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t22/l50
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t40/-100



 愚案、明治維新百五十周年、即ち百五十一年に當つて、「教育敕語復活の爲に、如何に働きかけるべきか」、沈潛、深く考へたい。世は保守化の由であるが、「忠孝」と申しても、全く通じない。然し「忠孝の二つは、人倫の大本である。人が人として考へられるのは、この忠孝の道徳を全うするからである。これを外れては、人では無い。世の中の事情が變はつたからと云つて、俄かにひつくり返ることはあり得ない」。變轉きはまり無き世に在つて、不易の道を求める。學問の興隆こそ、喫緊の課題と謂はねばならぬ。
 
 

Re: お久ぶり

 投稿者:桜坂 秀翠  投稿日:2018年 4月 4日(水)18時07分1秒
返信・引用
  > No.3168[元記事へ]

那須の権太さん

> 桜坂 秀翠氏への返書。
>
> > わが国は長いこと鎖国状態にあり、外国との交流が活発でなかったことが、却って国家観念、国体観念の稀薄さを招いた、という平泉博士の論考は以前私がどこかに書いたものと似てるね。
> >
> > 知らない間にオレは平泉学派に近づいてたんだな。

↑私の書いたものを引用されるのは一向に構いませんが、ご貴殿はいったい何をされたいのですか?

いや、別に悪意も他意もないのです。

ただ、こういう尻切れトンボが嫌なのです。

逆にご貴殿だったらどうです?

気になって仕方がないでしょう。
 

やり方は、人に聞くのが一番です。大笑い。

 投稿者:備中處士  投稿日:2018年 3月31日(土)20時09分42秒
返信・引用 編集済
  ●佐久良東雄大人の哥

さくらさく うまし御國に 生(あ)れいでて かくたのしむは うれしからずや



那須の権太兄

 本道に久しぶりでありますね。

 小生も、先哲遺文を敬書したら、何があたつたのか、パソコンが初期化。あ~、ですよ。愚息に、やつと直してもらつた次第。とほほのほ‥‥です。

 何でも仰せ下さい。但し「やり方」だけは、御免です。御待ち申し上げます。不具
 
 

(無題)

 投稿者:那須の権太  投稿日:2018年 3月30日(金)22時38分14秒
返信・引用
  やり方忘れた。備中さん、ごめん。  

Re: お久ぶり

 投稿者:那須の権太  投稿日:2018年 3月30日(金)22時32分4秒
返信・引用
  桜坂 秀翠氏への返書。

> わが国は長いこと鎖国状態にあり、外国との交流が活発でなかったことが、却って国家観念、国体観念の稀薄さを招いた、という平泉博士の論考は以前私がどこかに書いたものと似てるね。
>
> 知らない間にオレは平泉学派に近づいてたんだな。
 

自画自賛

 投稿者:桜坂 秀翠  投稿日:2018年 3月21日(水)10時42分49秒
返信・引用
  わが国は長いこと鎖国状態にあり、外国との交流が活発でなかったことが、却って国家観念、国体観念の稀薄さを招いた、という平泉博士の論考は以前私がどこかに書いたものと似てるね。

知らない間にオレは平泉学派に近づいてたんだな。
 

平成日本國民の大自覺、人、知るや否や。

 投稿者:備中處士  投稿日:2018年 3月20日(火)22時29分27秒
返信・引用
  ●友清磐山翁『古道』昭和三年四月號に曰く、

キリスト教、日本國に入りて、僅かに三百六十九年。

それ以前の吾等の祖先は、總てキリスト教と交渉無し。

佛教、日本國に入りて、僅かに千三百七十六年。

それ以前の吾等の祖先は、總て佛教と交渉無し。

天國も極樂も、總て關する處無し。

それより以前の天皇・皇族・聖賢・英雄・名將・忠臣・義士・孝子、すべてキリスト教と佛教とに交渉あること無し。

吾等は、須らく祖先の信仰に歸り、限界を大にして、
神武天皇に歸らざる可からず。
天照大御神に歸らざる可からず。

是れ、昭和日本國民全員の大自覺たらざる可からず。

‥‥
 
 

言葉の狂いは人間の狂い

 投稿者:桜坂 秀翠  投稿日:2018年 3月20日(火)22時11分13秒
返信・引用
  備中處士さん

この前、県立歴史博物館の館長がやってきまして、神仏分離(あるいは廃仏毀釈)を批判的に捉え、「神仏習合がわが国の伝統です。皆さんも今日から神仏習合になってください」などとのたまっていました。

「伝統」というのはそれがオリジン、つまり物事の出自となったものだから「伝統」というのでしょう。神仏習合がわが国の伝統だとしますと、そうしますと、儒教や仏教の影響を受ける以前からあった日本古来の神道はどこへ行っちゃったのでしょうね。

先の歴史研究会にせよ、この博物館のお偉いさんにせよ、言葉が狂ってるのです。

もっとも基礎的な過去からの相続財産である言葉が狂っているということは、その人間そのものが狂っているということでしょうね。

ご論考は後程ゆっくり読ませて頂きます。

備中さんの文は難しいけどね(涙)。
 

神道再興を熱祷す。

 投稿者:備中處士  投稿日:2018年 3月20日(火)21時45分39秒
返信・引用
  拜復

 明治の過ぎたる歐化政策は、神道を敬して遠ざける結末となりました。大教宣布は、明治政府みづから手によつて否定されたのです。「神道は宗教に非ず」との苦肉の公言は、神道界の悲劇です。神道界の大物は、或は沈默するか、或は神道十三派の如く、所謂る新興宗教の教祖に納まるしかありませんでした。

●葦津珍彦翁『国家神道とは何だったのか──現代史通説の虚像を論破する』(昭和六十二年四月・神社新報社刊。平成十八年七月増註新版)

を、桜坂兄の目にて、問題意識にて、是非とも確認してみて下さい。小生は、大なる衝撃を受けた書であり、現代に於いては、古典と申してよい本です。

 以前と同じやうな應接・紹介とならざるを得ませぬが、御容赦ください。神佛關係に就いては、下記の指摘、動かすことが出來ません。神道人が、保守家然として、政府に與するやうでは、話になりますまい。神道再興は、八紘一宇の大旗を降ろさぬ限り、將來に期さねばなりますまい。「神ながら」、これから、ですよ。

●寒林平泉澄博士『神佛關係の逆轉』(昭和二年七月)
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/1478

●「佛教者の神社參拜」に於ける頭山立雲翁の評
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t10/2
 
 

備中殿に教えを請う

 投稿者:桜坂 秀翠  投稿日:2018年 3月20日(火)19時13分38秒
返信・引用
  備中處士さん

(引用開始)

(権田)直助が阿夫利神社祇官になっての最初の仕事は執事福原定次郎の罷免であった。そこから、直助の神社再興施策が始まる。その基本は平田学派の国学の理論であった。しかし、その理論がしっかりとあったわけではない。平田学派は神仏混淆の宗教界を破壊してみたが、再興についての基本理念はなかった。ただ、感情に任せて神仏分離活動に走っただけの事であった。

(引用終了)

私の地元で「歴史研究会」を自称する某グループが、上記のような記事を世に喧伝しているのですが、不勉強な私にはその真偽や妥当性を判定する知識もなく、備中殿のご意見ご感想などをお聞かせいただきたく伏してお願い申し上げます。

特に、後半部分の、

「平田学派は神仏混淆の宗教界を破壊してみたが、再興についての基本理念はなかった。ただ、感情に任せて神仏分離活動に走っただけの事であった。」

という断定的な口調には違和感を覚えています。

何卒、無学な私にご教授ください。
 

高山赤城先生五世孫・高山正行翁の祈願行軍。

 投稿者:備中處士  投稿日:2018年 3月12日(月)19時17分28秒
返信・引用 編集済
   興味深き記事を入手したので、紹介したい。但し文屋の此の記事は、揶揄か、愉快ならざる字面もあるが、御容赦を乞ふ。然し此の祈願行軍、たしか昨今‥‥身近で經驗したやうな、無いやうな‥‥(苦笑)。懷しいなあ‥‥。


**********


●昭和十三年六月二十日『河北新報』

熱血たぎる風來坊
全國神社佛閣に祈願行脚の
彦九郎五世の孫來訪


【仙臺】寛政三奇人の一人、勤王の志士・高山彦九郎の五世の孫が、仙臺にヒヨツコリ出現した。然も仙臺が産んだ「世紀の先驅者」で、同じ三奇人の一人であつた、林子平の第百四十六年祭が、明廿一日、仙臺市伊勢堂下の菩提寺・龍雲院で、盛大に擧行されやうとしてゐる矢先である。幾星霜を隔てゝ、淺からぬ因縁話と一笑し去るには、餘りにも美はしい人情奇譚である。

淺からぬ奇人の縁
三條の橋を思はす
敬虔、奉安殿傍の野營
既に足跡を印す三千社


 昨十九日午前六時ころ、仙臺市北山・輪王寺に、奇人が訪れた。十貫目もあらうと見受けられるカーキ色のリユツクサツクを背負ひ、「國威宣揚・武運長久・勝戰祈願」と書き込んだ日章旗を手にした國防色の郷軍姿‥‥漆黒なアゴひげをしごく風情は、正しく奇人であつた。然し何所やら、凛とした氣骨と人品とを感じた龍雲寺住職・河合文應師(輪王寺滯在)が、茶を招じて懇談すると、その怪異な風來坊こそは、彦九郎五世の孫で、彦九郎の住居であつた群馬縣新田郷澤野村細谷在に、今もなほ居住してゐる、高山正行氏(三十九)、その人であつたのだ。林子平の墓參をすべく、豫ての知己であつた輪王寺住職・福定無外和尚を訪ねたものであつたといふ。

  ◇

 奇人の血は爭はれない‥‥?、五世の孫たる正行氏は、今、全國の神社佛閣を徒歩行脚で巡囘して、出征軍人の武運長久を祈願する一方、陸軍病院の戰傷病兵を慰問し、勤王志士の墓參をやつて來たもの、仙臺出現は、北海道への途中であつたといふ。

  ◇

 この徒歩祈願行脚を思ひ立つたのは、昨年十一月十二日だといふ。今事變で召集されたのであつたが、無念にも即日歸郷の身となつたからだといふから、奇異である。

  ◇

 昨年十一月二十四日朝、明治神宮を出發して、鹿兒島から櫻島に渡り、山上に三丈四方の大日章旗を樹て、歸路、郷里に立寄つた上、東北々海道に向けて、遙々と行脚し來つたものだ。
「祈願した神社は、三千社はくだるまいよ。歩いた距離、かつて‥‥?、二千五、六百里はあるだらうなあ」
と語りながら、各地神社と印判帳や行脚證明書、各地名士の署名した武運長久祈願の日章旗が六枚。後から後から「高山正行、ルンペンに非ず」の證明書類が、續々と飛び出すのである。リユツクサツクには、毎夜、小學校御眞影奉安殿傍らに露營するに必要なテントや、炊事用七ツ道具・米・味噌の類が、ギツシリ一杯だ。

子平祭逮夜のけふ行脚談

 林子平の第百四十六年祭は、明二十一日午後二時から、龍雲院で執行されるが、正行氏は、お逮夜の今二十日夜は、特に参席者に行脚談と講演を行ふことになつた。明二十一日も同樣、講演の筈で、昨十九日は、まづ林子平の墓に詣でた後、故相澤中佐の靈を慰め、午後から瑞巖寺に赴いた。

 因みに同氏は、彦九郎正之、次いで儀助正春、石九郎正風、守四郎正隆と、その後をつぐ五代目である。


**********


●般庵野間光辰翁『日本の旅人・高山彦九郎──京都日記』(昭和四十九年十月・淡交社刊)

「高良内町に、森輝夫氏を訪ねる。‥‥森嘉膳以來、祕襲する遺品の數々を拜見することが出來た。‥‥森氏方にて、私は一つの新しい發見をした。それは彦九郎四代の孫・守四郎と五代の孫・正行の寫眞が、關睡峒寫すところの彦九郎の面貌(「高山彦九郎正之先生肖像」。睡峒は、赤城先生と親交ありし伊勢崎藩家老──立原翠軒翁が、戲れに「活ける雲長」と稱した程、晩年の赤城先生の一枚看板の由)に依稀寫(いきうつ)しであるといふことであつた。‥‥

 正行は、高山家最後の人、終生娶らず、戰後、大阪府堺市にて客死せし由である」と。
 
 

戀闕の志を繼承せむ。

 投稿者:備中處士  投稿日:2018年 2月25日(日)15時46分5秒
返信・引用 編集済
   平成三十年二月二十五日午前十時半、野中四郎大人命の八十二周年、即ち八十三年慰靈祭を、吉備前國岡山市平井の東山靈園なる野中家墓地に於いて齋行す。岡山縣愛國者協議會・岡田則夫翁が創祀されて以來、こゝに四十二囘を數ふるなり。

 曇天なりと雖も、祭典が始まれば、日の光り挿込み、國旗の旌めく音、實に清々し。此の祭典の奇瑞、毎度の事にして、雪は降ること有つても、雨降ること無し矣。参列する者、感激の至りなる可し。

祭主兼典儀 秋田智紀
齋   主 式内縣社足高神社・井上直亮禰宜
https://www.okayama-jinjacho.or.jp/search/16671/

一、陸軍喇叭
  國歌齊唱二囘
一、皇居遙拜
一、祝詞奏上
一、蹶起趣意書捧讀
  野中四郎命遺書捧讀
一、玉串奉奠
一、聖壽萬歳

http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/2722

【蹶起趣意書・遺書・平泉澄博士『孔雀記』】
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/2449

【平泉澄博士『松下村塾記講義』】
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/1701

 祭典後、野中大尉の御尊父・野中勝明陸軍少將の墓地へ推參し、拜禮。

 野中四郎命の墓は、大尉の叔父にして養父なる野中類三郎翁の墓地に在り。元祿以來の墓石を存して壯觀なるも、絶家ならむか、無縁墓地と化してゐる樣子なり。墓石の文字を讀むこと、次の如し。

   昭和十一年二月二十九日卒
   享年三十有四
一、野中四郎之墓

   昭和十七年一月五日卒
   行年七十七
一、慈雲院幽□□□居士
   野中類三郎

   行年七十七才
   昭和三十七年三月八日歿
   類三郎妻野中ツ子
一、慈光院貞室常昭大姉
  清心院慈光壽妙大姉
   四郎妻野中美保
   (裏)昭和五十二年八月吉日、野中美保建之



追記
●『皇道日報』記事──祭典中は寫眞撮影の嚴禁なること、勿論なり。祭典を終へ、解散後の一葉。
  ↓↓↓↓↓
http://koudoupress.net/%e3%80%90225nonaka/
 
 

天皇守護の力士道。

 投稿者:備中處士  投稿日:2018年 2月 7日(水)23時10分19秒
返信・引用 編集済
   貴乃花親方の曰く、

『觀るものを魅了する』大相撲の起源を取り戻すべく、現世への生まれ變はりの私、天命があると心得てをり、毘沙門天(炎)を心にしたゝめ、『己に克つ』を實踐してをります。國家安泰を目指す角界でなくてはならず、『角道の精華』、陛下の御言葉をこの胸に、國體を擔ふ團體として、組織の役割を明確にして参ります。角道の精華とは、入門してから半年間、相撲教習所で學びますが、力士學徒の教室の上に掲げられてをります、陛下からの賜りし訓です。力と美しさ、それに素手と素足と己と鬪ふ術を錬磨し、國士として力人として、陛下の御守護をいたすこと、力士は、そこに天命ありと心得てをります。‥‥角道・報道、日本を取り戻すことのみが、私の大義であり、大道であります。勸進相撲の始まりは、全國の神社佛閣を建立するために、角界が寄與するために、寄進の精神で始まつたものです。天皇陛下から命を授かり、現在に至つてをります
  ↓↓↓↓↓
https://dot.asahi.com/wa/2017121100028.html?page=1

と。 純にして正、大相撲界から、圖らざる言葉に衝撃を受けたり。惜しむらくは、親方の周圍に人を得むことを懇祷す。政治家も、これくらゐの精神で、大政に臨んで戴きたいものだ。悔しかつたら、嘘でもいゝから、一遍でも言つてみろ。

 一方、大相撲協會の見識が窺へる一駒。大相撲千秋樂、拜戴前に準備された「賜杯」を、テレビ中繼にて拜見。何と、清潔と云ひ難き一般の臺車の上に、天子樣から賜りし優勝杯を、無造作に置いてゐるではないか。小汚い臺車、せめて一葉の和紙を敷いて奉戴しなさい。視聽する者も、不快千萬、洵に不敬億兆。こりや、本道に駄目だワ。

 而して本日、貴乃花親方の獨白を視聽。大相撲協會に於ける貴乃花親方は、靖國神社執行部に於ける泉水隆一監督、神社本廳に於ける何某と重なつて、込み上ぐるものあつて、涙を禁ずる能はず。親方は、下山陽太主の云ふ、紛れも無き復古派だ、正統護持派だ。親方の角道復古、「天皇守護」の力士道に、「獨り」と雖も、頑張つて欲しいと、切に祈る次第。
 
 

Re: アメリカニズムと云ふ純粹左翼思想の徒花を刈り取れ。

 投稿者:桜坂 秀翠  投稿日:2018年 2月 7日(水)14時07分38秒
返信・引用
  > No.3150[元記事へ]

備中處士さん

ご無沙汰してます。

また、新年にはご丁寧な挨拶状を賜りありがとうございました。

ご貴殿と河原氏と私とでの靖国神社昇殿参拝からいったい何年経つのでしょうね。

月日の流れとは早いものです。

歳をとるのも早い訳だ(笑)。

拙稿をご紹介いただきまして、有り難いやら照れ臭いやらですが(笑)、何はともあれ厚く御礼申し上げます。

そうでしたか、備中さんも西部氏の「保守の真髄」お買いになりましたか。

勝手な推測ですが、備中さんは西部邁氏など読まれる方ではないと思ってました。

偶然の一致とはいえ、アマゾンで購入した当該書物が昨日届きまして、第一章を読み終えたところです。

事象を細分化し、そして分析するだけの従来の専門主義的な保守を批判的に捉え、物事を「大衆社会論」に落とし込み総合的に論じる西部思想がここでも大爆発です。

カタカナを多用するなど、備中さんにはご不満のところも多々あるかとは思いますが、西部氏も自分自身で言うように、所詮は誤謬多き生き物としての人間ですから大目に見てやってください。

そちらも身も凍るような大寒波に見舞われていることと存じますが、どうかお風邪など召しませぬようご自愛ください。
 

アメリカニズムと云ふ純粹左翼思想の徒花を刈り取れ。

 投稿者:備中處士  投稿日:2018年 2月 6日(火)17時48分32秒
返信・引用
   閑古鳥も鳴く掲示板を憐れんでか、桜坂秀翠兄が、贊意を表して下さつた。有り難い。御元氣さうで、何よりです。當方は、將棋界に顯れた天才「藤井聡太」五段が氣になつて、勉學停滯、些か困つてをる次第です(苦笑)。

 先般、西部邁氏が逝かれたさうで、兄も御淋しいでせう。小生も、遺著

『保守の眞髓──老醉狂で語る文明の紊亂』(講談社現代新書/まことの保守を語り盡くす、大思想家ニシベ、最後の書)

を購入してみむとて豫約注文、而して増刷されたのか、本日、奇しくも郵便函に到來した所であります。平泉澄博士は、エドモンド・バークを我が國に紹介された草分ですが、学生時代、博士の『武士道の復活』・『傳統』下篇・『革命と傳統』に導かれて、ポール・ブールジエ『弟子』等を讀み漁つた經驗もありましたが、小生の愚鈍なる、泰西に於ける保守傳統主義は、頓と御無沙汰であります。

 次は、桜坂秀翠兄の論説、紹介させて戴きます。



**********

元来、日本人はお人好しであるとともに、好奇心旺盛な国民性を有している。

それと同時に、「来る者拒まず、去る者追わず」の俗言にあるように、飽き易い側面も持っている。

こうした国民性からハイブリッド、つまり神道あり仏教あり儒教あり、更には国学や洋学もありという、雑種文化が形成されてきた。

鎖国を敷いていたとされる江戸期だが、厳密に言えば、純粋な意味での鎖国など存在せず、それは四方を海に囲まれているという地勢上の関係で、外国との交流が活発でなかったという意味においてであり、呑気というか大らかというか、日本人は外国の文化を排斥することなく、包括的に迎え入れてきたといえるだろう。

私見で甚だ恐縮だが、やはりそこには神道(惟神の道)というものの存在があったからこそ、日本人の精神文化に、そうした余裕が生じていたように思われる。

仏教が神道を包摂しようとしてやってきても、知らぬ間に仏教が神道に包摂されてゆく。まあ確かに山王権現のような神仏習合の色合いの濃い神社も数多く存在するが、平常、われわれはそれを特段意識に昇らせることなく、むしろ淡々と接している。

儒教の持つ強い道徳観念と、神道の持ついい意味でのアンモラル(聖と俗が同居する例大祭などが、その見本)との融合なども、「丁度いい塩梅だ」ぐらいの大らかさでいられたのではないか。これを無節操と観るか、大らかと観るか、寛容と観るかは、人それぞれだろうが、いずれにせよ、こうした包括的な日本人の精神的構えが一つの長所となり、西洋の文物を積極的に摂取し、西洋列強と並ぶ文明を、開国からわずか数十年でもたらしたのだと見ることは大過ないように思う。

もちろん、そうした長所ばかりではなく、雑種文化は、外国のさして上等でない文物(戦後のアメリカニズムが、その見本である)まで、短絡的に摂取してしまう危険を常に孕んでいる。

仏教やキリスト教などの教条臭の強いものであれば、神道は、それをいち早く察知し、それらを中和できるだろうが、アメリカニズムが内包する自由とか民主とか平等とか人権といった抽象的な理念の、いわば無臭のイデオロギーに対しては、神道は無力だった。

むろんその神道の欠点を補うのが、異端と正統を見分けるための知恵としての「伝統」なのだが、狡猾なアメリカは、その「伝統」を根こそぎにすることから始めた。

現行憲法しかり、改正民法しかり、教育基本法しかりである。

われわれ日本人の判断の基礎となる伝統を根絶やしにすれば、日本のアメリカ化は容易いと、アメリカは読んだのだろう。

日本人の持つ「大らか」という文化が、却って徒となり、アメリカニズムという純粋左翼思想の徒花を満開せしめたのが、戦後といっていいのではないか。

【出典】
http://6131.teacup.com/dartford/bbs

**********
 
 

実存主義者改め桜坂秀翠

 投稿者:桜坂 秀翠  投稿日:2018年 2月 6日(火)10時46分33秒
返信・引用
  「田母神氏の論文を拜見して思ふに、大東亞戰爭の言あるは當然としても、元號の表記は全く無い。これは何うしたことか。敢へて申し上げたいが、戰後世代にとつては、元號とは、一體、何であるのか。自衞隊關係者にとつて、影山正治翁なぞ、全く關係ないのは判るものゝ(影山翁の最近の弟子も、師に叛旗を飜して、西暦を用ゐて憚らぬ時代、小生は其の門下では無いが、之を悲しむ)、せめて我が國に於ける記事論文の筆法として、我が元號を用ゐて戴きたいものである。元號とは、時間・空間を支配せるもの、吉野時代以降、論説する者の思想傾向を見るに、奉ずる所の暦法は、缺くべからざる要素である。西暦を奉ずるてふ事は、精神的放浪、往いて歸らざる者、或は邪蘇の軍門に降ると云ふ事、之に因り、敵か否かを判別し得る程の、至重至大の問題である。人、小生を變人奇人として、或は嗤へば嗤へ。獨り堪へるのみ。此の已むことの無い怒りは、俄か保守には、決して理解して戴けないであらうが、小生の悲しみは洵に深い。

 戰後政治家に愛想をつかして長い小生であるが、戰後の歴代首相に對して、靖國神社參拜を求める御方の氣持ちが、小生には、實は全く解せぬのであります。何故ゑ人氣集票のみに苦慮して、皇國の名譽に關はらうとしない政治家に、靖國神社の參拜を懇願して、此の一點に對し、現代の民族派・保守家の人々は、一致團結して之を求め得るのか。皇國中興の御志を有たぬ者にとつて、靖國神社は、何等かゝはりは無い所でありませう。寧ろ靖國神社の一切から、戰後政治家の一掃を懇望して、靖國神社の清淨と靜謐を守りたい。平素に於いて黨派の政諍流行に忙しい政治家・保守家は、一部の民族陣營を含めて、靖國神社を利用してゐるのに、全く氣が附いてゐないのでは無いか。小生は憂鬱を抱き、反吐が出て頭が劇しく痛み、且つ懊惱する。故に筆が進まない」と。

↑久し振りに覗かせて頂きました。

備中さんに大賛成!
 

春風獻上。

 投稿者:備中處士  投稿日:2018年 1月 1日(月)14時36分49秒
返信・引用
  平成紀元 三十年
中興紀元(皇紀) 二千六百七十八年
天降(あもり)紀元 五千十八年

天皇正月、歳、戊戌に次(やど)る、元旦、大御代新春の御慶び、芽出度く申し納め候ふ。更めて謹み、
聖壽の萬歳を祝ひ奉り、竹の園生の彌榮を懇祷し、併せて御閲覽各位の福壽無量を祝祷申し上げ候ふ。

 下りて愚生、遂に還暦を迎へるに至り、復た赤兒にもどり候ふ間、愈々赤心を磨く所存に御座候ふ。各位倍舊の御交誼、只管ら懇祈仕り候ふ。敬みて白す。
 
 

天長節參賀

 投稿者:はゆまつかひ  投稿日:2017年12月24日(日)16時44分21秒
返信・引用
  昨日の天長節參賀、例のまにまに、御龍顏を遙かに拜みつつ、玉體守護、日嗣無窮、國家靜謐の懇祈を果たし得ました。

http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t31/12
 

靖國神社を政爭の具にする勿れ。

 投稿者:備中處士  投稿日:2017年 7月23日(日)20時07分24秒
返信・引用 編集済
   平成二十九年七月二十二日、靖國會第九代總代に、田母神俊雄氏がなつたさうだ。復た又た政治家共と仲のよい氏のこと、靖國神社境内の清淨と靜謐が破られようとしてゐる。氏は、俄か保守の典型にして、彼の政治ゴロとも仲がよかつたし(最近、喧嘩別れし、訴訟沙汰にもなつた由だが)、山本七平や渡部昇一の如き、邪蘇を奉ずる者の歴史書を下敷きとして論文を書き、俄かにマスコミに登場して來た人である。

 靖國會は、平泉澄先生の門下・草地貞吾翁も總代であつたが、松平永芳・大野俊康兩宮司の遺言を悉く否定する總代湯澤貞氏の後繼とあつては、無視も出來ない。かつて小生は、次の如く書いたが、全く修正の必要を認めない。曰く、

「田母神氏の論文を拜見して思ふに、大東亞戰爭の言あるは當然としても、元號の表記は全く無い。これは何うしたことか。敢へて申し上げたいが、戰後世代にとつては、元號とは、一體、何であるのか。自衞隊關係者にとつて、影山正治翁なぞ、全く關係ないのは判るものゝ(影山翁の最近の弟子も、師に叛旗を飜して、西暦を用ゐて憚らぬ時代、小生は其の門下では無いが、之を悲しむ)、せめて我が國に於ける記事論文の筆法として、我が元號を用ゐて戴きたいものである。元號とは、時間・空間を支配せるもの、吉野時代以降、論説する者の思想傾向を見るに、奉ずる所の暦法は、缺くべからざる要素である。西暦を奉ずるてふ事は、精神的放浪、往いて歸らざる者、或は邪蘇の軍門に降ると云ふ事、之に因り、敵か否かを判別し得る程の、至重至大の問題である。人、小生を變人奇人として、或は嗤へば嗤へ。獨り堪へるのみ。此の已むことの無い怒りは、俄か保守には、決して理解して戴けないであらうが、小生の悲しみは洵に深い。

 戰後政治家に愛想をつかして長い小生であるが、戰後の歴代首相に對して、靖國神社參拜を求める御方の氣持ちが、小生には、實は全く解せぬのであります。何故ゑ人氣集票のみに苦慮して、皇國の名譽に關はらうとしない政治家に、靖國神社の參拜を懇願して、此の一點に對し、現代の民族派・保守家の人々は、一致團結して之を求め得るのか。皇國中興の御志を有たぬ者にとつて、靖國神社は、何等かゝはりは無い所でありませう。寧ろ靖國神社の一切から、戰後政治家の一掃を懇望して、靖國神社の清淨と靜謐を守りたい。平素に於いて黨派の政諍流行に忙しい政治家・保守家は、一部の民族陣營を含めて、靖國神社を利用してゐるのに、全く氣が附いてゐないのでは無いか。小生は憂鬱を抱き、反吐が出て頭が劇しく痛み、且つ懊惱する。故に筆が進まない」と。



【松平永芳大人遺文】
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t3/l50

【塾頭遺文──「國民服喪の日に、ピンクの胸の徽章を付けて、靖國神社參道で演説する、『來賓』とか云ふ無禮者『田母神閣下』を、何故、ひきづり降ろさない。この日は祝賀會か。誰か教へてやれ、總理でも『特別參拜者』と呼ぶ。祭神の御前に、祭神より偉い來賓なんか存在しない」──】
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/193
 
 

神道界の憂鬱‥‥。

 投稿者:備中處士  投稿日:2017年 6月26日(月)23時40分33秒
返信・引用
   「天の怒りか地の聲か、そも只ならぬ響あり」とは、かつて謠はれし所、現代に於いても、上は幕府執權から、下は神道界隈に至るまで、何處も同じではないか。諸共に喪せて可なり。「いまは亡き 悲願の人の 悲願を繼ぐ」大惡人、「只一人 亂世の雄出でよと 海にいのる」のみ。嗚呼、已んぬるかな。



http://diamond.jp/articles/-/132516
  ↓↓↓↓↓
週刊ダイヤモンド編集部/平成二十九年六月二十一日
神社本庁で不可解な不動産取引、刑事告訴も飛び出す大騒動勃発』から、轉載させて戴く。上記には、相關圖あり。乞ふ、御照覽を。

**********

 大半の国民にとつて神社と言へば、初詣や七五三・結婚式等、人生の節目々々で、神に祈りを捧げる場だ。ところがそんな明鏡止水の場の裏側で、今、ある不可解な不動産取引をめぐつて、大騒動が起きてゐる(週刊ダイヤモンド編集部・ダイヤモンドオンライン編集部『瓦解する神社』取材班)。

瓦解する神社

 「神社界の『中枢』にゐる全員が、疑心暗鬼に陥つてゐる。誰が敵で、誰が味方なのか、分からない」──。

 日本最大の信者数を誇る宗教である「神道」。その中で、全国約八万社の神社を『包括』する組織が、宗教法人「神社本庁」(東京都渋谷区。以下、本庁)だ。安倍政権の伸長に絡んで、昨今、注目が集まつてゐる政治団体「神道政治連盟(神政連)」の実質的な母体組織でもある。そんな本庁で、目下、ある疑惑をめぐり、「全国の神職を巻き込んだ騒動が勃発してゐる」と、本庁関係者は明かす。といふのも、本庁の一部幹部たちが「怪文書」や「名誉毀損文書」と呼ぶ、複数の匿名文書が、全国の神職関係者の間で飛び交つてゐるからだ。さらに今月、業を煮やした本庁首脳が、これら匿名文書に対し、被疑者不明のまゝ、名誉毀損で刑事告訴に踏み切るといふから、穏やかでない。争ひ事、ましてや法廷闘争とは無縁に思へる神社界で、一体、何が起きてゐるのか。

 「事情を知る本庁職員や有力神社の神職は、神社界における『森友学園問題』と呼んでゐる」と自嘲するのは、本庁の役員会関係者だ。本庁は、週刊ダイヤモンド編集部の取材に対し、騒動のあらましこそ認めたものゝ、「顧問弁護士に一任してゐる」と、口をつぐむ。その顧問弁護士は、「宗教法人内部の財産処分の話なので、外部に話すことはない」とだけ答へ、受話器を置いた。だが、複数の本庁関係者や、神職などに対する取材を進めると、「本庁の実権を握る一部の幹部が、特定の不動産業者と癒着し、貴重な本庁の財産を損なつてゐるのではないか」といふ、疑惑が浮上してきた。

最終的に三億円超になつた不動産を、一億八千四百万円で売却

 事の発端は、一昨年の平成二十七年十月までさかのぼる。

 本庁の議決機関で、全国の神職などから選出される「評議員会」において、本庁が所有し、二十世帯以上が入る職員用宿舎「百合丘職舎」(川崎市)を、新宿区の不動産会社「デインプルインターナシヨナル」に売却することが承認された。その額は、一億八千四百万円だつた。ところが、売買契約日の同年十一月二十七日、本庁からデインプルへ売却されるかたはらで、同じ地方銀行の別室において、もう一つの不動産売買契約が交はされる。デインプルから、東村山市の不動産会社A社への『即日転売』だ。「デインプルに売られる」とだけ説明されてゐた本庁の役員会は、ふたを開けてびつくりしたといふ。その上、A社への売却額は、デインプルへの売却額一億八千四百万円よりも高い、「二億円を大きく超える金額だつた」と、別の本庁関係者は明かす。

 この取引について、不動産取引に詳しい弁護士や不動産業者は、「経緯を見る限り、『三為(さんため)契約』を使つた、典型的な『土地転がし』だらう」と指摘する。三為契約とは、民法の「第三者のためにする契約」の略称で、簡単に言へば、三社の間で不動産を転売する際に、要件を満たせば、途中の登記を省略することができるといふもの。だが、「買値よりも二から三割の金額を上乗せして転売するケースが多い」(不動産関係者)ため、合法ではあるが、各地で問題となつてゐるスキームだ。たゞ話がこれで終はれば、「不動産取引に疎い宗教法人が、不動産会社に合法的に手玉に取られた」といふ話。ところが、だ。昨年五月、今度は、A社が、さらに大手ハウスメーカーB社に不動産を転売、その価格が、一気に三億円超に跳ね上がつたといふから、ひつくり返る。

原則売却禁止の基本財産を、随意契約でたゝき売り

 そもゝゝ今回、対象となつた百合丘職舎は、本庁の「基本財産」だ。基本財産とは、「本庁永続の基幹となる財産」(神社本庁規)であり、やむを得ない事情がある場合を除いて、原則「処分することはできない」(同)とされてゐる。たとへ事情があつて、処分が認められたとしても、三者以上の競争入札で行はなければならないと、規定されてゐる。たゞし競争入札が、「特に不利、または不可能な場合」(神社本庁財務規程)に限つて、初めて随意契約が可能となるなど、基本財産の処分には、幾重もの制限がかけられてゐる。それも、そのはず。基本財産を取得する『原資』の多くは、過疎化にあへぐ地方の神社を含めた、全国の神社から吸ひ上げた、言はゞ『上納金』だ。さらにそのおほもとをたどれば、地元の氏子や参拝者たちから、コツヽヽ集めた大切な浄財。地方になればなるほど、地域コミユニテイに参加するための『税金』の色彩が強くなり、それゆゑ本庁の財産は、おいそれと売却してはならない、とされてゐるわけだ。

 基本財産目録に記された百合丘職舎は、簿価ベースで、土地建物合はせ七億五千六百十六万円。もちろんこれは、減価償却をしてをらず、現在の資産価値ではない。それでも本庁の基本財産のうち、かなりの部分を占める『虎の子』だつた。実は、本庁は百合丘職舎の売却案が内部で出た当初、当時の財務部長(前任)は、競争入札を行ふべく、大手信託銀行などに相談してゐた。その過程で、相談先からは、「三億円前後の値がつくだらう」といふ評価を受けてをり、また実際に内々に、「三億円近い買ひ取り額を提示する買ひ手もゐた」(当時の事情に詳しい本庁関係者)といふ。それが、内規で原則禁じられてゐるはずの随意契約により、一億円以上低い金額でたゝき売られたことになる。

 では、なぜ随意契約による一億八千四百万円といふ売却額が、評議員会で承認されたのか。デインプルとの随意契約に後ろ向きだつた前財務部長が『更迭』され、氏が財務部長に変はると、話は一気に進む。評議員会や役員会で説明を求められたK氏が、売却の経緯や金額の根拠を説明した議事録(神社業界誌掲載)によれば、「入札に至るまでの時間的制約により、随意契約的な内容で契約を取り交はした」。また「不動産鑑定評価書に示す価格(中略)など、総合的に検討した結果、提示価格は適正の範囲内であると判断した」とある。まづ入札にかけられないほど、緊急の時間的制約があつたのかだが、「不動産の価格は流動的で、デインプルに即座に売らなければ、値下がりするかもしれない」などと、デインプルとの契約を推し進めた幹部たちは説明したといふ。「そんな理由がまかり通るなら、不動産売買全てが、随意契約でしか行へないことになる」と、さらに別の本庁関係者は呆れる。実際、即日転売で二億円を超え、さらにわづか半年後には、当初の想定してゐた売価三億円を超える値で買ひ手がついてをり、何とも苦しい。また売価の根拠として、真つ先に挙げられたこの不動産評価鑑定書は、実は、購入者であるデインプル自身が持ち込んだもの。そこには、鑑定時の同行者として、ご丁寧にもデインプル社員の名前まで記載され、その評価額は一億七千五百万円となつてゐた。

 これを本庁側が、本当に信用したのか、その真相は分からない。しかし三為契約の舞台となつた地銀は、A社のものになつてゐた百合丘職舎の土地・建物に、計三億円の根抵当権を設定してゐた。無論、根抵当の額は、必ずしも資産価値を担保するものではないが、B社の買ひ取り額を見ても、安すぎることは間違ひないといへる。B社担当者は言ふ。「われゝゝも不動産のプロ。実勢価格などを精査し、三億円超の価値があると判断したが、常識的に考へて、わづか一億八千四百万円といふ額には、『ちよつと待つてくれよ!』と、文句を言ひたくなる」。

売却益で、幹部職舎に高級マンシヨン危機管理名目にも、疑問の声

この話には、二つの『オチ』がつく。

 まづ神社本庁が百合丘職舎の売却益で購入した『モノ』が、問題視されてゐる。複数の本庁幹部と役員関係者は、異口同音に眉をひそめる。「危機管理用の新たな職舎といふ名目で、渋谷区代々木の中古の高級マンシヨンを購入。その入居予定者が、なんとデインプルへの早期売却を推し進めた、本庁の幹部二人だつた」(前出の本庁関係者)からだ。つまり職員用宿舎から入居者を追ひ出して得たカネを使ひ、一部の幹部が住むための家を買つてゐた、といふわけだ。この「二人の入居予定者」とは、百合丘職舎の売却時、本庁総務部長だつた小野崇之氏と、当時は秘書部長で、現在は小野氏の後任の総務部長に『出世』した(愚案、眞田宜修)氏。本庁人事において、実質的な権力を握る二大ポストが、この総務部長と秘書部長だ。だが昨年二月、小野氏が伊勢神宮に次ぐ有力神社の一つで、全国八千社の八幡神社の頂点、宇佐神宮(大分県)の宮司に栄転。それが影響してか、当初は二戸購入する予定だつたものが、総務部長(つまりS氏)が入る一戸に減らされた。

 これには、末端の本庁職員も、一様に苦笑ひだ。
「緊急時の危機管理対応用と言つておきながら、入居予定者が、外部に栄転したら買はないとは、そもゝゝ始めから一戸は必要なかつたのでは、と言はれても仕方ない。S氏は、秘書部長当時、『秘書部長は、役員との連絡係だから、緊急時に備へて、宿舎が必要だ』と言つてゐたが、役員には携帯で連絡すればいゝし、自分が総務部長になつた途端、秘書部長用の宿舎を買はないのは、それまでの説明と矛盾してゐる」。
「緊急時に実働する職員たちの大半は、百合丘職舎より遠い郊外に住んでゐる。緊急の事態に、総務部長一人だけが駆け付けて、一体、何ができるんですかね? ましてや、今回購入したマンシヨンは、それまでの危機管理対応宿舎よりも遠い。本当に危機管理対応が目的なのか、と言ひたくなる」。
かうした声が、あちらこちらから上がつてゐるが、現総務部長のS氏が入居したマンシヨンの購入価格は、中古ながら都心の一等地に建つてゐるだけあつて、なんと七千二百六十万円にも上る『超高級物件』だ。

 そしてもう一つの『オチ』が、三億円超を出して『バヾを引いた』格好の大手ハウスメーカーB社が、今年二月までに、「百合丘職舎の躯体(柱など構造的部分)に、購入後、大きな瑕疵があつた」(B社担当者)と指摘したことだ。B社は、元々リノベーシヨン物件として再販するために百合丘職舎を購入したが、この瑕疵により、いまだ着工できない状態にあるといふ。B社は、現在「買ひ戻してもらふか、損害賠償を請求するか検討してをり、売主(つまりA社)にクレームを入れてゐる最中だ」(同じ担当者)。

 こゝで、更なる疑惑が浮上する。さらに別の本庁関係者は言ふ。
「神社本庁の一部やデインプル社が、実は瑕疵を隠して売つたのではないかといふ疑惑が出てゐる。もしさうなら、一億八千四百万円といふ売価は、腑に落ちる。だがさうなると、詐欺に該当し、刑事事件に発展する可能性もある」。
かうした疑惑の根拠となつてゐるのが、先の議事録。財政部長のK氏は、売価が安くなつた理由の一つに、問はれてもゐないのに、「売却後の瑕疵による経費発生の有無」を挙げてゐるのだ。不動産評価鑑定書に、「瑕疵」についての記載は、一つも見当たらないにもかゝはらず、である。

デインプルの社長と神社界『大物』の浅からぬ関係

 では、なぜデインプルが「随意契約的な内容」で、百合丘職舎を手中に収めることができたのか。「デインプル社長の(愚案、髙橋恆雄)氏は、小野氏と懇意な関係にある神社界の『大物』と、かねて繋がりがある」と、複数の本庁関係者は、ため息を漏らす。ある本庁関係者は、「本庁の人間なら、誰でも知つてゐることだが‥‥」と、前置きした上で言ふ。

「デインプル社長のT氏は、実は『日本メデイアミツクス』といふ会社の社長も務めてをり、その取締役に、日本レスリング協会長を務める福田富昭氏が就いてゐる。その福田氏は、本庁の元幹部である神政連会長の打田文博氏と懇意にしてゐる。そして打田氏は、本庁の総長である田中恆清氏と盟友といふ関係。かうした流れで、デインプルは本庁との関係を深めてゐた。また小野氏は、打田氏の腹心で、その後継者が、現在の総務部長S氏だ。小野氏は、本庁の関係財団の過去の土地取引で、デインプルと密接な関係があつた」。

 ちなみに日本メデイアミツクスは、「日本で唯一の『皇室』専門誌」と謳つて、「全国の神社が、半ば強制的に買わされてゐる」(ある神職)といふ季刊誌『皇室』(扶桑社)の販売会社だ。実際、デインプルと本庁との関係は古い。平成十二年に、本庁の関係財団が、神職養成機関である國學院大学に土地を売つたことに、端を発する。この売却益を元手に、関係財団が、本庁に隣接するビルを購入。そのビルを三ケ月前から所有してゐたのが、デインプルだ。当時、本庁の財政部長で、この関係財団の事務局長を兼務してゐたのが、小野氏である。そして二十四年には、本庁の所有する中野職舎(中野区)と、南青山のマンシヨンも、デインプルに売却されるなど、同社は、本庁の不動産取引に深くコミツトするやうになつた。なほこの二物件とも、百合丘職舎と同じく、即日転売されてゐる。

 百合丘職舎をめぐる一連の取引について、小野氏は弁護士を通じ、書面で「神社本庁の問題であり、現在、神社本庁において、しかるべき調査が進行中と聞く。(小野氏が宮司を務める)宇佐神宮の問題ではないため、回答すべき事項ではない」とした。またデインプルから、百合丘職舎を三為契約で購入した不動産会社A社担当者は、「(瑕疵の存在は)知らなかつた」とする一方、「何も話すことはない。社長も、さう言つてゐる」とした。そしてデインプルのT社長は、期限までに取材に応じることはなかつた。だが本庁関係者によれば、瑕疵が発覚した今年二月以降、T氏は、数度にわたつて本庁を訪れ、「百合丘職舎が解体されてゐれば、問題はなかつた」とし、「『随意契約ではない』、『三億円の価値はなかつた』と言ふやう、約束してほしい」などと、本庁幹部に迫つたといふ。

 不動産取引をきつかけに、揺れる神社界の中枢である神社本庁。田中総長は、今月、「司法の場での判断に委ねられるやうな問題」として、名誉毀損による刑事告訴に向けて動き始めた。片や、百合丘職舎の契約に疑問を抱く小串和夫・本庁副総長は、調査委員会を立ち上げ、今月から真相解明に乗り出してゐる。つまり「本庁首脳間で、ねぢれ現象が起き、分裂状態にある」(前出の本庁関係者)わけだ。「一連の出来事を、をかしいと感じてゐた人たちも、一部にはゐたが、ほとんどの神職は性善説に立ち、争ひを好まないため、事務方の決定を踏襲するだけだつた。それが、今回の問題を生んでゐる」(本庁役員会関係者)。

 神社界の疑惑は、どこまで白日の下にさらされるのか、関係者は固唾を飲んで見守つてゐる。

**********

【周防國熊毛郡の四代正八幡宮の慘劇】
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/2285
 
 

之を古今に通じて謬らず、之を中外に施して悖らず ── 教育勅語を仰ぐ。

 投稿者:備中處士  投稿日:2017年 3月12日(日)22時37分37秒
返信・引用 編集済
  ■『教育に關する勅語』漢譯(『漢英佛獨・教育勅語譯纂』明治四十年・文部省刊)

 朕惟、我皇祖皇宗、肇國宏遠、樹徳深厚。我臣民、克忠克孝、億兆一心、世濟其美、此我國體之精華、而教育之淵源、亦實存乎此。

 爾臣民、孝于父母、友于兄弟、夫婦相和、朋友相信、恭儉持己、博愛及衆、修學習業、以啓發智能、成就徳器、進廣公益、開世務、常重國憲、遵國法、一旦緩急、則義勇奉公、以扶翼天壤無窮之皇運。如是者、不獨爲朕忠良臣民、又足以顯彰爾祖先之遺風矣。

 斯道也、實我皇祖皇宗之遺訓、而子孫臣民之、所當遵守、通諸古今、而不謬、施諸中外、而不悖、朕庶幾、與爾臣民倶拳拳服膺、咸一其徳。

 明治二十三年十月三十日。

御名御璽。




■明治天皇聖喩『教學大旨』(明治十二年。元田永孚謹記。森清人翁『みことのり』平成七年六月・錦正社刊)

 教學の要、仁義忠孝を明かにして、智識才藝を究め、以て人道を盡すは、我が祖訓國典の大旨、上下一般の教とする所なり。然るに輓近、專ら智識才藝のみを尚び、文明開化の末に馳せ、品行を破り、風俗を傷ふ者、少なからず。然る所以の者は、維新の始め、首として陋習を破り、知識を世界に廣むるの卓見を以て、一時西洋の所長を取り、日新の效を奏すと雖も、其の流弊、仁義忠孝を後にし、徒らに洋風、是れ競ふに於ては、將來の恐るゝ所、終ひに君臣父子の大義を知らざるに至らんも、測る可からず。是れ我が邦教育の本意に非ざる也。

 故に自今以往、祖宗の訓典に基づき、專ら仁義忠孝を明かにし、道徳の學は、孔子を主として、人々、誠實品行を尚び、然る上、各科の學は、其の才器に隨つて、益々長進し、道徳才藝、本末全備して、大中至誠の教學、天下に布滿せしめば、我が邦、獨立の精神に於て、宇内に恥づる事無かる可し。




●梧蔭井上毅子『元田永孚に與ふる書』(明治二十三年十月二十二日)

「愚見にては、内閣の政事に混雜せずして、一に聖主の親衷より斷ぜられ、内閣大臣の副署なき勅語、又は御親書の體裁にして、廣く公衆へ御下げに相成り候ふ方、然る可きか歟。‥‥若し副署ある一の政令となりて發せらるゝ時は、國會にて啄を容るゝ所の内閣、責任政略の一と看做され、後日に政海の變動と共に紛更を招くの虞れあるべく、却て千載不滅の聖勅の結果を薄弱ならしむべきか歟、御熟思、之れ有り度く冀ひ奉り候ふ」と。



●東野元田永孚男『内閣總理大臣・山縣有朋に與ふる書』(明治二十三年十一月三日)

「囘顧すれば、維新以來、教育の主旨定まらず、國民の方向、殆んど支離滅裂に至らんとするも、幸ひに聖天子、叡旨の在る所と、諸君子、保護の力とを以て、扶植矯正、今日に至りたる處、未だ確定の明示あらざるより、方針に迷ふ者、少なからず。

 然るに今般の勅諭にて、教育の大旨、即ち國民の主眼を明示せられ、「之を古今に通じて謬らず、之を中外に施して悖らず」、實に天下萬世、無窮の皇極と云ふべし。彼の不磨の憲法(大日本帝國憲法)の如きも、時世に因りては、修正を加へざるを得ざるも、此の大旨(教育勅語)に於ては、萬世に亙りて、復た一字も易ふ可からず矣」と。



●田中卓博士『教育勅語を仰ぐ』(『日本』昭和四十二年十月號。日本思想史研究會『教育勅語を仰ぐ』昭和四十三年十一月・皇學館大學出版部刊に「日本教育のバツクボーン」として所收)

「教育勅語の飜譯は、單に英語・ドイツ語のみではない(戰後の獨逸にては、教育勅語の價値を失はず、例へばアデナウアー元首相は、其の官邸に獨譯を掲げたりと云へり)。實はフランス語も支那語もある。そしてその飜譯者は、他ならぬ日本の文部省であつた。明治四十年、文部省は、教育勅語の英譯を公にした。そしてそれには、教育勅語發布の由來書まで附載した。その後、漢語譯(愚、上記を拜記す)ができ、引きつゞいてフランス語譯・ドイツ語譯ができたのでこれをあはせて一卷とし、明治四十二年、文部省より『漢英佛獨・教育勅語譯纂』と題して公刊された。

 すなはち教育勅語は、その發布後二十年間に、日本國民の精神をつちかひ、日清・日露の戰勝を經て、大いにわが國威を發揚せしめたが、政府は、さらに文字通り「之を中外に施して悖らず」といふ信念をもつて、外國譯に飜譯し、精神的にも日本の道義を海外に宣布しようとしたのである。いはゞ千二百餘年前、日本の歴史を漢文で書き、『日本書紀』と題して唐人に示さうとした父祖の態度と同じである。何とすばらしい氣概、堂々たる識見であらうか。あゝ、『明治の精神』。この精神、なかんずく教育勅語を復活することこそが、明治維新百年を迎へての眼目でなければならぬ」と。



 愚案、かつて東野元田永孚翁『聖喩記』を、蘇峰徳富翁の書から拜抄して、同憂の士の清覽に供せしことあり。目的の爲めなら手段を撰ばざる所の、何某記念小學院の創立にかゝはつて騒擾する折柄、こゝに再掲して、教育勅語の、宇内に神聖たる所以、また古今に普遍たる所以を高唱し、
代々木大神の大御心より發せらるゝ所にして、世界皇化の大眼目なる可きを喚起すと云爾。
  ↓↓↓↓↓
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/genda.htm



●蘇峰徳富猪一郎翁『増補・元田先生進講録』(昭和九年六月・民友社刊・普及版)に曰く、

「聖喩記・明治十九年丙戌十一月五日・元田永孚謹記

 十一月五日午前十時、例に依り參内、既にして皇上出御、直ちに臣(元田永孚)を召す。臣、進んで御前に侍す。皇上、親喩して曰はく、

「朕、過日、大學に臨す[十月二十九日]。設くる所の學科を巡視するに、理科・化(學)科・植物科・醫科・法科等は、益々其の進歩を見る可しと雖も、主本とする修身の學科に於いては、曾つて見る所無し。和漢の學科は、修身を專らとし、古典講習科ありと聞くと雖も、如何なる所に設けあるや、過日、觀ること無し。

 抑も大學は、日本教育高等の人材を成就すべき所なり。然るに今の學科にして、政治治要の道を講習し得べき人材を求めんと欲するも、決して得べからず。假令ひ理・化・醫科等の卒業にて、其の人物を成したりとも、入つて相となる可き者に非ず。當世復古の功臣、内閣に入つて政を執ると雖も、永久を保すべからず。之を繼ぐの相材を育成せざる可からず。然るに今、大學の教科、和漢修身の科、有るや無きやも知らず。國學・漢儒、固陋なる者ありと雖も、其の固陋なるは、其の人の過ちなり。其の道の本體に於いては、固より之を皇張せざる可からず。

 故に、朕、今、徳大寺侍從長に命じて、渡邊總長に問はしめんと欲す。渡邊、亦た如何なる考慮なるや。森文部大臣は、師範學校の改正よりして、三年を待つて地方の教育を改良し、大いに面目を改めんと云つて、自ら信ずると雖も、中學は稍々改まるも、大學、今見る所の如くなれば、此の中より眞成の人物を育成するは、決して得難きなり。汝(永孚)、見る所、如何」。

 臣(永孚)、謹んで對へて曰く、

「陛下の言、此に至る、皇國生民の幸なり。臣、曩(さき)に命を奉じて、徳大寺と共に大學を巡視し[十月十八日]、竊かに感覺する所あり。徳大寺、先に既に反命するを以て、臣、未だ敢へて陳せず。謂へらく、臣、敢へて言はずと雖も、陛下、一たび臨御せば、必ず叡心に覺る所あらん」と。

 今、宸勅を奉ずるに、果して臣が見る所の如し。臣、嘗つて大學々科の設けを聞くに、修身の學科なし。和漢の學は、文學科に和漢文ありと雖も、僅かに和漢の文章を作るのみ。哲學科に東洋哲學ありと雖も、是れ亦た僅かに經書聖賢の話を述ぶるのみ。加之(しかのみならず)、僅かに時限を以て、匆々に經過すれば、和漢修身の學も、僅かに名のみにして、其の勢、將に廢棄せられんとす。其の教科にある教官は、物見高見・島田重禮等、僅々たる一二員にして、其の餘は、皆、洋學專修の徒、而して此の人々たるや、大抵、明治五年以來の教育に成立したる者にして、西洋の外面を摸彷し、曾つて國體君臣の大義、仁義道徳の要を聞知せざる者共なり。彼の某等の著書を一見しても、其の放言する所に依て、其の思想の赴く所を概見すべし。此等の腦髓を以て生徒を教導せば、後來の害、實に恐る可きなり。今にして此を停止せざれば、復た挽囘すべからず。

 今、陛下の眞衷より發し、徳大寺を遣はされ、渡邊總長に詰問賜はらば、皇道の興張、果して此より生るべき也。臣、誠恐、深く陛下の此の言に感仰欽敬す。臣、敢へて一身を顧みず、唯だ陛下の命ずる所、森大臣・渡邊總長に向つて問難する所あらんとす。然れども臣、竊かに自ら量るに、臣が漢學者流にして、陛下の左右にあるは、衆目の視る所なり。故に臣が言を出さば、陛下眞衷の勅語も、故は臣が上言して作爲する所と、疑を容れんも知るべからず。是れ臣が、謹んで敢へて自ら任ぜざる所なり。

 抑も教育の重大なる、夙に陛下の深く慮る所、『幼學綱要』の欽定ありしより、漸くにして米國教育の流弊を救正し、世上、再び忠君愛國の主義に赴き、仁義道徳を唱ふる者あるに至りしも、去去年より、又た復た洋風に傾き、昨今に至つては、專ら洋學と變じ、和漢の學は、將に廢絶に至らんとするの勢、有志の士、皆、大いに憂慮する所なり。但だ國學・漢學の固陋なるは、從來、教育の宜しきを得ざるに因る。其の忠孝道徳の主本に於いては、和漢の固有なり。今ま西洋教育の方法に由つて、其の課程を設け、東洋哲學中に、道徳の精微を窮るに至るの學科を置き、忠孝廉恥の近きより進んで、經國安民の遠大を知得することを務めたらんこと、眞の日本帝國の大學と稱すべきなり。今の設けの如くしては、聖喩の如く、名醫は多人數成就するも、政事は執ることはなるまじく、法學にて、君徳の輔佐も充分ならず、理科・植物・工科等にて、其の藝に達したりとも、君臣の道も、國體の重きも、腦髓に之れ無き人物、日本國中に充滿しても、此を以て日本帝國大學の教育とは云ふべからざるなり。

 自今以往、聖喩に因つて、和漢の學科を更張せんには、其の道に志ある物集・島田等の如き、聊かも國學に僻せず、漢學に泥まず、西洋の方法に因つて教科を設け、時世に適應して、忠孝道徳の進歩を生徒に教導せんこと、何の難きことあらん。其の風氣の及ぶ所、必ず國學・漢學者中に奮發して、國用に供する者出で來るべき也。當世の風潮は、面々各々、其の辯を振ひ、其の腕を伸ばし、唯だ進んで取ることを要するの時に際しては、自分一歩も退くべからず。素より彼等に抵抗するにも及ばず。唯だ地歩を占めて進む時は、一歩も拔かさず、吾が道徳仁義を進入せしむるを以て、當世の著眼となすべきなり。是れ臣が平生の見る所、深く陛下の勅喩を敬承贊美し、速かに徳大寺に命ぜられ、渡邊總長に下問あらんことを希ふ所なり。更に宜しく伊藤大臣・吉井次官等にも、聖意の在る所を御示喩あらんことを欲す。

 右、謹んで上言する處、聖顔、喜色麗しく、更に又た反復懇喩あり。一時間餘にして退く」と。



○自在・公平か、自由・平等か。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/1826
 
 

明治御一新百五十年。

 投稿者:備中處士  投稿日:2017年 3月 4日(土)11時32分3秒
返信・引用
   本年は、「明治維新百五十年」なり矣。

 五十年前の昭和四十二年には、神道界に於いて、「明治維新百年祭」が齋行された。然し俗流の蔓延る所、翌四十三年の百周年が採用され、且つ「維新百年」では無く、「明治百年」とされた。

 更めて問ひたい。

一、抑も「明治維新百五十年」なのか、「明治百五十年」なのか。

一、殊更に維新百五十年を想起せむと欲するならば、本年の「百五十」なのか、來年の「百五十周年」なのか。

を。下記は、かつて掲記した所、默し難きものあつて、再掲するを許されたい。即ち我が神道界およびそれに連なる陣營は、本年こそ、「明治維新百五十年」であつて、之を想起し、之を祭り、之を顯彰されむことを、固より確信し、確く信じたい。



●保田與重郎翁『年の始め』(『全集』第二十七卷に所收)に曰く、

年の始めといふ、「とし」といふ言葉は、米のことである。人の齡ひを「とし」といふのも、米がもとである。米がもとといふことは、食つた米を意味し、人が社會において共同生活をしてゐるといふことをもととしたうへで、米作の年度をかぞへるのである。かぞへ年は、だから簡單にいふと、一年に一度とれる米を一とし、それをいくつ食べたかといふ勘定である。この點、滿年齡とは、考へ方として、まつたく異なるものである。かぞへ年は、共同生活をもとにして考へられたものだが、滿年齡は、個人の生きた日數といふものに立脚する。つまり個人主義の考へ方である。米にもとづき、米作りといふ共同生活にもとづく年の考へ方からして、共同生活の一年を無事おくり、また新しい出發が、よみがへりとして始まる、この永遠の泰平といふ觀念に、年の始めの「めでたさ」がある。

 米をつくり、それによつて生きてゆく生活といふものが、人生において「永遠のもの」と考へたとしても、今だつて反對できないと思ふ。米を玄米のまゝ食ふときは、パンの生活とちがつて、ほゞ完全食に近いといふことも、今日の榮養學で、實驗の結果として出てゐる。麥、すなはちパンの生活では、必ず家畜と牧場が必要だつた。牧場が必要だから、廣大な土地を支配するといふ繩張りの必要と、侵略排他の考へ方が、生活の必要からして起つてくる。人一人がまともに暮らして、耕作できる水田は、五段[五十アール]で十分、欲ばつても、一人で五町[五百アール]は作れない。この米作りを基本とするとき、民族の生命に無常といふものはない。個人の諸行は無常でも、ふるくからの神話的生活は永遠である。この永遠の生活を守るものが、神を祭る主體であり、國體の實體といふべきものとして、永遠につゞくと信じたのが、日本のふるくからの考へ方だつた。明治以來、よくいはれた「國體の精華」は、つまり「米作り」に、その基礎があつたのである。‥‥

 日本の神話では、いはゆる天孫降臨といふ、高天原から皇孫命が天降(あも)りされるとき、神聖な稻穗を、天上の神から「こと寄さされた」。そのとき神敕があつて、この米を作つてくらしのもととするなら、地上においても、また、天上の神々と同じくらしの風儀ができる。地上の國も、みな、天上の神々の國と等しい神國となるだらう、と教へられた。この責任を神に負ひ給ふのが、皇孫である。すなはち、天皇陛下である。‥‥

 高天原で米の種をいたゞいて地上に降り、これを地上でつくるなら、地上でも神々の生活、天上の生活ができるといふのが、日本の神話の根本だつた。これが實現されたのが、神武天皇の肇國である。その肇國の實體は、土地を拓いて米を旨とした農耕を成就し、その成果を、神の大前に上つて、大孝を申されたことにある。この大和櫻井の鳥見山で行はれた祭りが、肇國の大嘗祭だといふことは、封建末期の國學者も、大よそは知つてゐた。わが國の歴史時代を通じて、天皇の御位は、大嘗祭を行ふことによつて、名實具はるとしたのは、この神武天皇肇國の故事にならふからである。このとき「大孝を申す」と、『日本書紀』にしるされてゐる點に注意せねばならない。この語義は、ふるいむかしから、御祖の教へに從つた由を奏上されたとよんできた。天降りの時の神敕を、つひに實行しましたといふ證を立てられたわけである。

 このことから、わが國の天皇は、つねに一つであり、つねに皇孫であるといふことが理解される。つまり天皇は、天降りのときの神敕を實現する中心であつて、代々をへても、つねにこの意味で一つなのである。このつねに一といふことが、永遠の證である。神話の生活の實現の中心として、その存在は唯一である。このことが、いはゆる「萬世一系」といふことばの意味であり、同時に「天壤無窮」の意味でもある(愚案、上御一人の、人格を建てない、絶對唯一の皇孫)。くだいていふと、米作りを生活の根本とし、その生活から生れる道徳によつて生きてゆくといふことが、萬世一系・天壤無窮の實證的な意味である。いつさいの權力も榮華も欲望も無常だつたが、「米作り」は、萬世一系の永遠のものであるといふ考へ方である。米作りの生活は、牧畜の生活と異なつて、本質的に爭鬪や侵略や殺生を伴はない、平和の原理生活である。つまりこの世の中で、平和の根柢となる觀念は無數にあつて、平和だけが實現しないが、平和の根柢となる生活は、たゞ一つしかない、日本の神話の米作りといふ、天上生活を地上に實現することである。これが國體の觀念であることは、皇大神宮の祭祀を見てもわかるし、天皇陛下の最も根源的な年中行事を拜してもわかることである。天皇は、天降り神話を、この世に實現しつゝ、現實に米作りをなされることが、その御本質なのである。米作りは、祭りの生活なのである。

 かういふ意味で、天皇は「働く」ことを實行遊ばされるが、「所有」といふことは、絶對無關係なのである。天皇は財産をもたれないといふことは、國史上の眞實であり、天皇の御本質を申す時の第一項だつた。天皇は所有權と無縁で、神話を地上に實現される中心の御存在である。これが祭りの主宰といふ意味だつた。しかも神話の實現といふのは、米作りといふ素朴な生活を意味してゐる。これがわが神話であり、わが國で「道」といはれるのは、この生活である。このやうな平和な神話をもつ民族は、日本以外、どこも存在してゐまい」と。
 
 

野中祭寫眞

 投稿者:備中處士  投稿日:2017年 3月 1日(水)22時07分10秒
返信・引用 編集済
  ~承前~

 平成二十九年野中祭にて、小生、初めて寫眞をスマホにて撮らうと試みたものゝ、まごつき、其の機を逸してしまつた。然し參列の或る御方が、親切にも小生に寫眞を送つて下さつた。掲示して謝意を表したいが、投稿可能なフアイルサイズは、最大四MBの由。掲示せむと欲して能はざるを、何卒、御許し下さい。



追伸。

 復た「はゆまつかひ」樣の温情を戴きました。何時も感謝に勝へません。然し小生も頑張つて、試してみます。上手く掲示出來るかな。
  ↓↓↓↓↓
 パチパチ‥‥出來ました。
 
 

天壤無窮 ── 野中四郎命八十二年祭齋行。

 投稿者:備中處士  投稿日:2017年 2月27日(月)18時48分39秒
返信・引用 編集済
   平成二十九年二月二十六日、野中四郎命の八十一周年、即ち八十二年祭が、吉備國に於いて齋行された。
  ↓↓↓↓↓
http://koudoupress.net/%e3%80%90226%e3%80%91nonaka81/

http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/2449



 本年の祭典は、珍らしく暖かく、體調を崩してをつた小生も、此の日だけは無事に參加するを得た。道縁に感謝。或人の曰く、「百年祭までは、何としても‥‥」と。胸に迫る。
 
 

袋背負ひの心は、赤猪抱きを辭せず矣。

 投稿者:備中處士  投稿日:2017年 2月19日(日)23時03分18秒
返信・引用 編集済
  ~承前~

 阿部國治翁の曰く、

「この(大國主命の)『赤猪抱(あかゐだき)』の示してをることは、當り前のこと、正しいこと、世の中のためになることを行ふ者は、すぐには世間から、譽められたり認められたりはしないものであるといふことであります。それどころか、良いことをすると、そのためにかへつて憎まれて、惡口を言はれたり酷い目に遭つたりするものであります。

 『ふくろしよいのこゝろ』を持つて仕事をしていくと、赤猪を抱かねばならぬ場合があります。『ふくろしよいのこゝろ』の窮まるところは、死の覺悟であります。道に合ふことを實行するに當つては、何人に認められずとも、あるいはまたさらに進んで、そのために憎まれ嫌はれて、死なねばならぬことも、默つて進んで行かなければならぬこともあつて、かういふいろゝゝなことを、お諭しになつてゐるのであります。‥‥

 先の見える人や、ものゝ眞相の見える人は、他人から何と言はれても、「かういふことは、せねばならぬ」と信ずることは、率先して實行したり、人に教へようとするわけです。さうすると、一般の人からは、「物好きだ」と言はれり、「氣違ひだ」と言はれたり、ときには迫害をすら受けることになりますが、これも一種の『あかゐだき』であります。

 したがつて昔から、本當の仕事をするときには、「神さまを相手にせよ」とか、あるいは「天を相手にせよ」とか申します。このやうに「神さまや天を相手に仕事せよ」といふことは、「人間のことを考へるな」といふことではないのであります。結局、人間を相手として、人間のためにする仕事ですけれども、「當面する人々の氣持ち・主張を取り上げてをつたのでは、本當の仕事ができない場合がある」といふこと、つまりこの赤猪抱きのことを教へてゐるのであります。

 かういふことを、こゝに書くのはどうかと思ひますが、『あかゐだき』をはつきりわかつてもらふのに、まことによい材料になると思ひますから申し上げます。筧克彦先生などは、世間の人々が、神道とか國體とかいふことに、まつたく無關心の頃から、そのいちばん酷かつた頃を通して、三十年以上も長い間、あらゆる障害をものともせずに進んでこられました。そのために、「神さまををがむ先生だ」、「それも柏手を打つて、神さまををがむ先生だ」と言つて、大學教授(東京帝國大學)の仲間からも、學生からも、嘲笑はもちろんのこと、氣違ひ扱ひにされてきました。一頃は大新聞や大雜誌に、先生の噂話が出ると、決まつてもの笑ひの種としてゞありました。

 日本歴史の上に例を取つてみますと、楠木正成公のことが、すぐ思ひ出されます。正成公の湊川での戰死は、立派な『あかゐだき』であります。西郷さんは、島津藩侯による島流しがありましたし、勤王僧・月照との心中事件・十年戰爭(西南の役)など、何囘も何囘も、『あかゐだき』をやつてをります。吉田松陰の生涯も、『あかゐだき』の連續でありました。このやうに教へてきますと、日本歴史の上で、立派な日本人として傳へられてゐるやうな人は、例外なく、『あかゐだき』を實行してゐると言つてよいと思ひます。‥‥

 だからこそ、「立派な人になつて、歴史に名を殘すやうになりませう」と言ふよりは、「必要とあらば、『あかゐだき』をやりませう。そして『うるはしきをとこ』となつて、出て歩きませう」と言ふはうが、われゝゝ日本人には、はつきりと響くはずであります」と。



 愚案、靖國神社祭神は、此の「赤猪抱き」の實行、即ち大國主大神の精神、換言すれば大和魂を發揮し給うたのであります。故に輝かしき國史の上に於いて、皇神の恩頼により、遂に蘇り來つたのであります。また一人の門弟に因つて、筧克彦博士も、其の面目が明かにせられました。先哲賢人の精神は、其の精神を繼承する者に因つて、復た見事に蘇るのであります。我々も、ぼやゞゝしてをられませぬ。



**********


●阿部國治翁著・栗山要氏編『新釋古事記傳』全七卷(平成二十六年四月・致知出版社刊)

○第一集
第一章・ふくろしよひのこころ(袋背負ひの心)
第二章・あかゐだき(赤猪抱き)

○第二集
第三章・へみはらひ(蛇撥ひ)
第四章・しらみとり(虱取り)
第五章・うきゆひ(盞結)

○第三集
第六章・すくなさま(少彦名)
第七章・おまつり(齋奉り)

○第四集
第一章・なきいさち(啼きいさち)
第二章・まゐのぼり(參上り)
第三章・いつのをたけび(稜威の男建び)
第四章・うけひ(受け日)

○第五集
第五章・あめのやすかは(天安河)
第六章・あめのまなゐ(天之眞名井)
第七章・いふき(氣吹き)
第八章・やさかのまがたまのいほつのみすまるのたま(八尺勾瓊之五百津之美須麻琉之珠)
第九章・みこのりわけ(子詔別)
第十章・かちさび(勝佐備)

○第六集
第十一章・のりなほし(詔直し)
第十二章・みかしこみ(身畏み)
第十三章・おこもり(天岩屋戸籠り)

○第七集
第一章・かむつどひ(神集ひ)
第二章・おもひかね(思兼)
第三章・とこよのながなきどり(常世長鳴鳥)
第四章・かがみ(鏡)
第五章・たまつくりのこころ(玉作りの心)
第六章・うらへ(占合へ)
第七章・いほつまさかき(五百津賢木)
第八章・やまたのをろち(八俣遠呂智)
  
 

阿部國治翁『新釋古事記傳』全七卷

 投稿者:備中處士  投稿日:2017年 2月18日(土)23時04分27秒
返信・引用 編集済
  ■橘曙覽大人の哥

神々に 一人おくれて 負ひ給ふ 袋にこもる 千の幸はひ



 最近、Twitterにて、何方かが、阿部國治翁『新釋古事記傳』全七卷を紹介してをられ、今、あらためて確認しようとしたが、當該呟きが見當らぬ。然し大いに氣になり、思ひ切つて購入した。御紹介の御方に、深く感謝したい。冗長な所が些か氣にはかゝるものゝ──驚いた、平明なる文章と見事なる解釋。眞の名著として、大人にも子共にも、強く推奬する。早速、我が愚なる妻子にも讀ませたい。

 「私(阿部國治翁)は、筧克彦先生によつて、魂の目を開いていたゞきました。そしてまた『古事記』の味はひ方に、本道のあることを悟らせていたゞきました。それ以來、いつもゝゝゝ『古事記』と取り組んでをります。『古事記』を味はひながら、あるときは泣き、あるときは喜びつゝ、日常生活の指導原理を、全部『古事記』の中から汲み取つてをります。いはゞ『古事記』は、汲んでも汲んでも汲みきれることのない泉のやうな、『たましひ』の糧なのであります」と。此のやうな御本は、ハード本では無く、是非とも文庫化して、『古事記』入門の契機としてもらひたい。



●阿部國治翁著・栗山要氏編『新釋古事記傳』全七卷(平成二十六年四月・致知出版社刊)

○阿部國治翁の書(昭和十三年三月三十日筆)

切散八俣遠呂智──切り散(はな)つ、八俣遠呂智
負帒爲從者率往──袋を負(しよ)ひ、從者(ともびと)と爲りて率往(ゐき)き

○栗山要氏の解説

 意譯すれば、「八俣遠呂智(八岐大蛇)を遠ざけて、袋を背負ひ、從者となつて、人生を歩いていかう」といふことにならうか。

 『日本書紀』には、八岐大蛇について、「頭と尾が、それぞれ八つあり、眼は赤酸奬(あかほおずき)のやうである。松や柏が背中に生へ、八つの山・八つの谷の間いつぱいに廣がつてゐた」と書いてある。そして前後の記事から推察すると、「若い女と酒が大好きだつた」やうである。言つてみれば、周圍を睥睨する權力者の象徴であらう。「その八俣遠呂智のやうな權力者の生き方と決別して、大國主命のやうに、袋を背負つて、世の中の下積みになるやうな仕事をしていかう」といふのが、筆者の決意だつたに違ひない。

 事實、筆者は、東京帝國大學法學部英法科首席卒業といふ榮光を擲ち、疲弊にあへぐ農民救濟のために、地下足袋を履いて、全國の村々を歩いてゐる。そのまゝ進めば、東京帝國大學法學部教授、官界に入れば、高級官僚への道が約束されてゐたであらう人生を、自ら拒否して、『袋背負ひの心』に徹したのである。
 
 

神武開國

 投稿者:はゆまつかひ  投稿日:2017年 2月11日(土)12時04分24秒
返信・引用
  本日は天壤無窮の祝日なり。

http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t31/26

http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t31/35


 

/20