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「國」異體字考。

 投稿者:備中處士  投稿日:2014年 7月10日(木)22時17分37秒
返信・引用 編集済
   舊稿を合纂して、「國」の漢字につき、諸賢の參考に供したい。



●千秋廼舍名越時正翁『新版・水戸光圀』(水戸史學選書。昭和六十一年七月・錦正社刊)に曰く、

「光國といふ名は、のちに光圀と改められた。その光圀を、はじめて用ゐたのは、天和三年十月ごろからである‥‥。しかしわからないのは、なぜ國を圀に變へたかといふことである。光國の文字は、家光からもらつた光の字と、『晉書陸雲傳』に、「聖徳龍興して、大國を光有す」といふ文句からとつたのであるが、これは九歳の時のことで、自分でつけた名ではない。やがて學問が進んでくると、國といふ字を名にするのは、どうも遠慮すべきことだと考へたらしい。ことに天和三年の頃は、靈元天皇の勅によつて、鳳足硯の銘を作り、それに對してお褒めの宸翰をいたゞき、さらに『禮儀類典』の編纂の勅命を受けた年で、これまでになく、皇室との關係の深まつた時である。かうしたことから、國の字を使ふのを遠慮して變へたのであらうと思はれる。しかし圀の字は、唐の則天武后が作つた文字であつて、則天武后といふやうな暴惡な女帝の作つた文字を、光圀が使ふのは、ふさはしくないことである。この理由は、今だにわかつてゐない」と。



 愚案、直ぐ浮かぶ推測としては、義公、「國・国」てふ字に憚りあり、故に彼の簒奪者の作字たる「圀」を敢へて用ゐるは、暗に幕府の專横を彼に比して、吾は其の家の子たり、故に自ら懺悔するならめと愚考したいが、名越翁が不明と仰るのだから、固より確信が無い。源實朝公の哥に、「ひんがしの 國にわがをれば 朝日さす はこやの山の かげとなりにき」とあるは、或は義公の心境、謹愼の極致ならむか。

 又た平野國臣先生の諱は、「或」を嫌ひ、「王」(玉に非ず)の俗字を用ゐられし由。「或」は人、皇國は「王」の國なりと云へり。其の戀闕の情、此に至ると謂ふべきか。教育漢字(當用・常用)では、「玉」の俗字を用ゐる。然らば神器の一を表す「玉」の方が、亦た穩當ならむとも謂ひつべし。

 亦た平田大壑大人はじめ、其の門流は、「八方」に非ざる「八土」の國てふ古字(『玉篇』)を用ゐられてをるものゝ、我が所謂國字にも見えず、其の據る所、果して如何。「禮」を用ゐず、古字「礼」と書くが如きか。

 持統天皇の御代、那須の評督(郡大領・郡司)に任命されし「那須國造・追大壹(八色四十八階制の第七色上階の爵位)なる那須直韋提」の墓(那須郡湯津上村に在り)が、延寶四年四月、陸奧磐城の髮長の圓順により發見され、馬頭村梅ケ平の里正・大金久左衞門源重貞は『那須記』を著し、天和三年六月七日、義公が馬頭村へ巡視の爲め來訪したときに該書を獻上、那須國造碑は、義公の知る所となつた。碑には冒頭「永昌元年己丑」(持統天皇三年)てふ則天武后の年號があり、義公と武后との縁故を見る。而して其の年(天和三年)の十月頃、義公は光圀と改名するのである。即ち此の十月とは、永昌の年號が、考證の末、武后の年號であることが明かになつた、正に其の時であつた。

【後補して云ふ。先般、水戸史學會『水戸史學』(昭和二十六年六月號。前會長名越時正先生歸幽十年追悼號)を得たり。中に、但野正弘翁『水戸義公の諱「光圀」考(一)』を收む。續きが樂しみなり。】

 手許に在る二三の字書に據るに、漢字「國」につき、次を拾ふことが出來た。まだゝゞあることでせう。

【くに】
土・地・邑・郷・邦・州
或・域・國
「口」=『字彙』に、「古文國字」。
「口に玄」=『龍龕手鑑』に、「國に同じ」。
「口に氏」=『龍龕手鑑』に、「國に同じ」。
「口に民」=『字彙補』に、「國に同じ」。
「口に八土」=『玉篇』に、「古文國字」。
「口に八一夕」=『字彙』に、「古文國字」。
「口に八方」=『玉篇』に、「古文國字、唐武后の作る所」。『正字通』に、「唐武后の時、言有り。國の中の或は惑也。武を以て之を鎭ぜむ。又た言あり。武は國の中に在つて、困と何ぞ異ならむ。復た改めて圀と爲さむ」。
「口に王」=『正字通』に、「俗國字」。
「口に玉」=俗字。
「口に臣戈」=『龍龕手鑑』に、「國と同じ」。

 又た或る御方より、「川面凡兒門下・中村文山翁の、最晩年の著作に、「口に皇」の「くに」を使つてをられた」由、御示教あり。更に舊掲示板にて、金剛満洲男樣てふ御方より、貴重なご埀示を賜つてをりますので、ご紹介したい。此の「或る御老人」は、蓋し泉水隆一監督、即ち我が塾頭でありませう。

 平成二十二年七月十六日、塾頭歸幽せられ、まもなく數へて五年、塾頭、眼の前に坐すが如し。塾頭に非ざれば、誰か爲す、次の言靈を。

**********

 或る御老人から、普段なにげなく言う「我が国」という言い方について、ご教示をうけました。曰く、

「我が国」というのは、天皇陛下が、この国をさして言われる御言葉である。国民からは、これを「君が代」とたたえ奉る。日本は、天孫降臨に際して、天皇が「王」として治める国とされた「天皇の国」であって、「国民の国」ではない。天皇と臣民が横に並んで、ひとしく「我が国」ということはありえない』と。

 靖國神社の御本殿に、次のような明治天皇の御製がおさめられている。

「我が国のためをつくせる人々の名も武蔵野にとむる玉垣」

明治天皇が国民と並んで、「我が国」と仰せになっているのではなく、大政奉還をうけて王政復古を令し、この国を「我が」国とされた。であるから国民は、

「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」

と、時に御代の安きを期して、天皇に命を捧げた
』と。

**********
 
 

靖國神社の御本質。

 投稿者:備中處士  投稿日:2014年 7月 2日(水)22時05分6秒
返信・引用
  ●吉川正文翁『靖國神社の國家祭祀原理』(昭和四十五年、神道史學會大會發表。補訂して『志士神道と神社』昭和六十一年十月・神社新報社刊に所收)に曰く、

「第一に、靖國神社は、未だ死すべからざる方達の、死んで祀られる所であると云ふことであります。凡そ人の人たるは、不斷に生と死との境に立つて、道を踐むことにあります。死ぬには惜しい命を捧げることによつて、生きることよりも尊いものゝあることを明らかにする、此處に、自然の死ならぬ、血しぶく生命の永遠に燃え立つ姿を拜します。これを拜するところ、拜して、己れも斯の道を繼がうと志す、それが靖國神社です。「生ける身は 戰死せる身の 願ひをば 果たさむ爲に 厚き肌もつ」と詠んだ人を思ひます。繼述者が出ねば、御靈は安んじ給はぬのです。『萬葉集』の古からの歎き──、「唐衣 腰に取りつき 泣く子等を 置きてぞ來ぬや 母(おも)無しにして」。詠んで額けば、涙とゞまらぬ齋庭です。

 次には、此處は、哀しみ弔ふ爲に設けられたと云ふこと。一體、弔ふとは、どんなことか。有限なる我々は、死者の姿を目の邊りにすることによつて、誰人も生命の極限に立たしめられます。その悲哀は、直ちに、最も深い生命の活動に、惜しみなく踐み切る力と轉じます。後鳥羽上皇の隱岐に坐(おは)しての『無常講式』を御覽下さい。信長出陣の際の『敦盛』の舞を、そして乃木將軍『武運短急を祈る』の詩を──。人は祭りによつて御靈を己れに迎へ、弔ひによつて御靈に着いて行くのです。それは、單なる無常の悟りではない、「無常迅速、はかない生命ゆゑにこそ、進んで惜しみなく大義に捧げよう」と悟るところ、起つところです。革命の民の所謂宗教の、現世否定意識による供養や追悼、ミサの行事によつて達し得る境地でせうか。

 第三には、敕裁によつて、御靈の迎へられるのが本質とされたといふことです。人は己れの力ならぬ親から生まれますとゝもに、生命は生命自身の力によつて、其の根源に歸るでせう。その根源の親の心を、萬世一系に傳へ給ひ深め給ふ天皇の御招きといふものは、まさしく是れ生命の根源からの招きであり、敢へて革命的宗教の言葉を借りれば、「彌陀の招還の敕命」であります。故にこそ、此處は、宇宙の中で最も安住のところ、譽れあるところと云つてよいでせう。

 第四には、全國民の忠死の御靈の集ひ給ふ所です。全國の──、それ故に子々孫々も、そして「山河も 寄りて仕ふる 神ながら」の所、「大皇の 設(ま)けの御贄(みにへ)と 魚すらも 神代よりこそ 仕へ來」たつたと云ふ本質を具へて存する聖所です。こゝに於いて「國民皆兵」の道──悉く忠孝護國の爲に殉ずべきものたるべきこと、『軍人敕諭』は、武士道は、全國民の道なることが始めて肯かれ、それは極めて明瞭となるのも、此の神社有つてこそであります。

 第五には、神社の位置が語る精神であります。『木戸日記』によると、始めは上野東叡山の内にと考へられてゐました。そこは江戸城の鬼門、もと京都御所の鬼門を護る比叡山に習つたもの、即ち皇居守護の、最も要所難局を引き受ける姿と拜されました。が、大村益次郎の、「上野は亡魂の地」だから、といふ意見によつて、九段坂に決められたと云ひます。要所難局を引き受けて立つ志に出發して、更に亡魂の地を去つたのであれば、その志、一段と砥がれ清められたのであり、而かも進んで皇居に眞近くなつて、「さや」と云へば、直ちに刀の鯉口を切り得て、陛下の御側近にお仕へする、純正日本人の風姿凛然、此處に額く者の覺悟をせまる齋庭であります。

 第六に、其處に行はれる祭式です。これこそ、「神社も、宗教の中から脱けられない行事だ」と(革命的宗教陣營から)押へて來ます。が、一體、「人の禽獸と異なる所以」は、禮節の立つ所に見られるもの、それは親子の間に始まり、節度ある體制となつて、家を成します。其れを擴めて、萬人の信頼する現實の世の主を中心に結束する永遠の體制、これを眞の國家といふ。禮節によつて結ばれたその組織、即ち家國が、歴史的に續いて革命の無いところ、その禮節の形は、當然に民族の歴史風俗の整備されたもの──それは祖先に仕へる祭式となります。萬世一系の祭祀に結ばれる歴史國民が、祖先に習つた作法、祖先と結ぶ禮節、それはわが家運・國運と分離出來ることではありません。生命を捧げて「歸命」信頼すべき主體を現實に求めて得ず、やむなく觀念の中に描いて、これに縋つて、わづかに安心すべく創作された所謂宗教儀禮とは、まさに其の本質を異にして、是れは祖先の遺風であり、祖先と現在の國運、即ち國家國民生活とを直結してゐるものであります。これが、どうして宗教儀禮なのですか、一宗派と云へるのですか。我々は祖先なる祭神方と、斯の禮節作法によつて相見えます。祖先の禮節を傳へ、歴史を表現する祭式によつて、其處に神々の面影に接し、日本の姿を瞻(み)ます。世界の各民族にも、革命以前に遡れば、それゞゝに民族の初發に承ける、かけがへ無く嚴肅な、宗教ならぬ祭式がある筈です。

一筋を 踐みて思へば 千早ぶる 神代の道も 遠からぬかな

とは、明治天皇の深い御心ですが、祖先の祭式を國家が奉仕するとき、國家の體制に、神代の歴史が現れて參るのであります。

 最後に、靖國神社の、最も深刻にして壯大なる御本質は、かの所謂宗教の描く神祕的理想をも、それを彼岸・天國に飛び去らしめずして、現實の世界に引き戻すに死力を盡くすところたるにあります。即ちこゝは、世界の革命を、悉く革命以前の道に復古して、それゞゝの民族の永遠なる生命の祖先祭祀の護持の爲に、死力を盡くすところです。世界の革命に塗れた民をして、永遠の磨かれた親心に立つ道に、命をかけて復歸せしめる、最後の要塞たるにあります。我々は、此處にこそ、生命を捧げる究極の道を拜するのです。人類永遠の悲願を現實化するに、命をかけるところ、具體的歴史體系たらしめる據點たるところ、こゝ靖國神社であります」と。



 愚案、靖國神社國家護持──此の悲願は、遂に達成もかなはぬ時代となつた。戰後數十年は、臥薪嘗膽を心底に潛める政治家・國民が存した。其の時代には、靖國神社國家護持の宣言も、蓋し當然であつたらう。然し「自由主義と民主主義てふ價値觀」を公言して憚らぬ總理大臣の出現に、誰も憤怒も疑問も持たぬ世代に溢れ、今ま茲に、猶ほ靖國神社國家護持を叫ぶは、實に危きかな哉。彼の云ふ「國家」とは、何ぞや。主權を存するてふ、歐米もどきの國民の多數決にて、「天皇の神社」が穢されようとしてゐる。靖國神社に、絶えて不必要なるもの、それは、「からごころ」ならぬ洋魂、即ち「自由主義と民主主義てふ價値觀」である矣。

 平泉澄博士『意見十條』(『似鐵記』所收。近衞文麿公『寺内壽一陸相に與ふる書』の代筆なり。田中卓博士『平泉史學の神髓』續田中卓著作集五・平成二十四年十二月・國書刊行會刊に所收)の第六に、
「六、所謂政黨政治を破棄せらるべし。
 政黨政治と云ひ、議會政治と云ふ、名は異なれども、實質は一にして、其の根本思想は、フランス革命より出で、結局、政治を國民の自治と見、天皇を國家の機關と考ふるなり。曾て岩倉(具視)右大臣が、「下民、上を罔(あみ)するの路を牖(みちび)き、大權、下に移るの漸(ぜん)をなし、實に大祖以降、二千五百三十餘年、確然不易の國體をして、一變、復た囘す可からざらしむるの原因たるの虞あり」との深憂、近時、實現したるものに外ならず。この不逞を破る事なくして、國體を闡明し、大義を宣ぶること能はざるなり」と。

 皇國中興を期さんと欲する吾人有志は、靖國神社祭神の「繼述者」たる可く、自ら任じて立ち、「天皇の大權」の下に、一致團結、皇運を翼贊し奉らうではないか。
 
 

大祓詞四卷、奏上仕り候ふ。

 投稿者:備中處士  投稿日:2014年 6月30日(月)22時42分1秒
返信・引用 編集済
  ●鈴本武一翁『氏神と氏子』(大正四年四月・誠之堂書店刊より所引。また昭和十年十一月改訂・五色屋書房刊。平成元年九月・山雅房覆刻)に曰く、

「大祓の神事に、恆例と臨時との區別あり。恆例の大祓は、一人一己の祓に非ずして、六月と十二月との晦の日に、宮中にて、百官人を始め、天下萬民の爲めに、種々の罪穢れを祓ひ清め給ふ神事なり。又た宮中にては、當時、大祓の式後、『節折(よをり)の神事』とて、天皇、及び皇后・皇太子の御爲めに、竹の枝を折りて、御長(おんたけ)の寸法を量り奉る、特別の御祓あり。因つて當日は、全國の官國幣社を始めて、府・縣・郷・村社に於ても、此の大祓の式を行ひ奉るなり。

 さて六月の大祓は、一月より六月までに犯せる罪穢をば、官より祓物[はらへつもの。過罪の、あがなひとして出だすもの]を出して、六月三十日の大祓に祓ひ清め、七月より十二月までに犯せる罪穢れをば、十二月三十一日の大祓に祓ひ清め給ふ。之を恆例の大祓と云ふなり。臨時の大祓とは、罪穢れある時にのぞみて之を行ふ。また平生、大祓の詞を唱ふることあり。そは、此の大祓の徳を以て、知らず識らずの内に犯せる、各自の罪穢れをば、祓ひ清めて、幸福を祈る爲めに行ふなり。故に氏子各自に對する御祭[氏神の御祭にも、此の祓の詞を奉唱することあり]などには、最も盛んに、此の大祓の詞を唱へて、觸穢を解除し、内心一點の疚しき事なく、清々しき人となるこそ、誠の敬神尊皇の民と云ふべきなれ。

 太古、伊邪諾尊、黄泉國に往きて、汚穢に觸れ給ひ、海水に沐浴して、祓除し給ふ。又た素盞鳴尊、高天原朝廷に於て、天罪を犯し給ふに方(あた)り、諸神、之を責めて、千座置戸[數多の祓物を出して、其の罪過の贖料(あがなひ)とす]を以て、其の罪を贖はしめ、天兒屋命をして、祓の詞を宣べしめ給へり。

 神武天皇、已に天下を平定し給ひ、皇祖天神を祭り、天兒屋命の孫・天種子命をして、天罪・國罪[國罪は、天罪に對して、此の國にて犯せる種々の罪を云ふ。天罪、上に出づ]を解除せしめ給ふ。又た十四代仲哀天皇崩御の時、皇后・息長足姫命[亦た神功皇后と申す]は、武内宿禰に命(おほ)せて、國の大幣(おほぬさ)を取つて、天罪・國罪を求めて、諸國の大祓を爲さしめ給ふ。四十二代文武・六十代醍醐兩朝の官制に、天皇踐祚大甞祭[御即位後に行はせらるべき、御一代一度の大祭]の御時には、大祓使を諸國に遣はして、大祓を行はしめ給ふことに定めさせたり。

 因みに大正二年七月三十日は、先帝陛下の御一年祭に當らせ給ふを以て、當日、一年祭御終了後、御尊靈は、皇靈殿に移御し奉り、然して後、宮城二重橋門内にて、大祓の式を擧げさせられ、此に全く宮中の御大喪は解除さるゝに至るべしと拜承す。こは、元より上古の御制度に准(よ)らせらるゝ御事にて、各氏子の家々にても、忌明など[五十日・百ケ日、或は一周忌など、宗旨の如何に拘らず、家々の都合にてよろし。又た病氣、其の他の事故にて行ふことも、數多あるべし]には、土地の神官を招きて、大祓の式を行へるは、全く朝廷の御儀式に傚ひ奉れるなり」と。



 愚案、本日は大祓。然し太陰太陽暦の六月三十日に行ふ神宮・神社あり、太陰暦(今年は、太陰太陽暦七月二十六日)に擧行する神主あり、或は關西に在ては、「夏越」てふ御名に應せてか、一箇月遲れの七月三十一日に行ふ産土神社あり。然れども『大祓詞』に、

「如此く所聞食しては、皇御孫命の朝廷を始めて、天下四方國には、罪と云ふ罪は在らじ」

とあれば、大祓式の齋日に統一なきは、好ましからざるものありと恐察す。擧國一齊の御式に非ざれば、蓋し氣線の亂れ、靈的國防の全からず、果して是れ、如何ぞや。或はいづれの日も尊びて、之を懇祈解除すと雖も、或は神道人の、斷然、熟思默考を要する所なるべし。

【はゆまつかひ樣『大祓』】
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t28/33

 こゝに、贈正五位・加藤錦山神社祠官兼少講義・敬神黨副首領・加屋榮太霽堅翁(諡は大御門護嚴矛神靈)の言靈を仰いで、諸賢の參考に供すと云爾。



●荒木精之翁『神風連實記』(昭和四十六年十一月・新人物往來社刊)に曰く、

「加屋(霽堅)は、またある時、和歌の會の定日をたづね、それが新暦か舊暦かを問ふた時、辻橋見直(玉名大神宮祠官)が、
『むろん、舊暦です』
といつたら、加屋は、
『新暦に一定した方が便利ですよ。太陽暦も、大君の御採用になられたものなれば、正しく日本の正朔です』
といつた。
『しかし正月といつても、季節が合はないでせう』
といふと、
あなたは知らないのか。大君は神にしませば、といふでせう。大君の用ゐたまふ以上は、必ず新暦にして、正月に梅も咲きいづるだらうし、氣候も正月めくに至るでせう
といつたといふ」と。
 
 

氏子と共にあつて、ひたすら神樣を拜する神主たれ。

 投稿者:備中處士  投稿日:2014年 6月 1日(日)17時37分26秒
返信・引用 編集済
  ■寒林平泉澄先生『遺詠』(寒林先生一年祭に、平泉洸先生より拜戴せし色紙複製)

怒り無し 怖れあらめや 我は只 いにしへの道 今にふむのみ



 日本學協會編『平泉澄博士神道論抄』(平成二十六年五月・錦正社刊)の上梓を見た。ご令孫・平泉隆房博士「神職としての祖父平泉澄」から、平泉寒林先生の玉聲を紹介したい。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t19/296

 其の論文十九編の大概は、既に拙稿『靖國神社考』や本掲示板・スレツド等にて、再々紹介させて戴いた所であるが、是非とも本文を手に執つて、其の全體を見られむことを。
  ↓↓↓↓↓
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/yasukuni-kou.htm

 亦た靖國神社に直接關係する遺文拾遺は、次に拜記させて戴いた。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t9/l50



「わし(平泉澄先生)が(昭和十六年、神祇院)參與になつた時、もしもお父樣(清泉平泉恰合白山神社宮司)が生きてをれば、さぞ、お喜びであつたことと思ふ。白山社の社司の家に生まれて、長年、神域近く仕へてきたものゝ、大學にとゞまり、神社に何らのご奉仕もできずにゐたことでもあり、わしも嬉しかつた。昭和十年頃より、神職講習會の講師といふことで、明治神宮に參上したことが、何度かあるだけだ。」



「その日[昭和十六年七月十七日]、内務大臣官邸で會議があつた。神祇院より飯沼副總裁・石井總務局長・宮村教務局長、參與として山田孝雄博士・吉田茂氏[のち神社本廳事務總長。首相の吉田茂氏とは別人]・今泉定助氏・高山(昇)氏・桑原氏・宮地直一博士、宮内省から岡本參事官が來てをられた。この日の議題で重大だつたのは、明治の末に、神社合併によつて廢止せられた神社のなかで、復活すべきものを調査した結果の概要が、總務局長より報告せられたことだつた。わしは非常に嬉しくなつた。ところが意外なことに、高山・桑原兩翁が、依然神社合併策を良しとされて、復活に反對された。そこで、わしは反對意見を述べた。

『神道がずつと不振であつた原因は、当局が神社の形式のみを整備しようとして、神社の廣さ・氏子の數・資産等に、種々の制約を設けて、不適格なものを、表面上は合併の名のもとに、事實上廢止し、少しも由緒や信仰として顧みないことにあるのであります。かゝる形式的なものとして取り扱ふ以上、世間の人々の信仰は薄らぎ、神社のさびれゆくのは、當然のことであります。延喜式内社の古いお社が、由緒もない新興の村社に併合され、村人が畏敬してきた神の森は伐採開墾され、傳統は破壞され、信仰は蹂躙されてきたのです。私は、年來これを遺憾としてきたのでありますが、今日、当局が、昨日までのそれを非とされ、方針を一變されたことは、誠に感謝に堪えないところであります』と。

 幸ひにも山田・今泉・吉田の三氏も、わしの意見に贊成、かくして明治四十年代の合併は、これを否定することに決した。しかし先輩に對して、公然と間違ひであつたと言ふのもどうかといふことで、氏子の熱望に應じて復活するのを默認することに落ち着いた。」



「戰前も戰後も、神職界を見ると、大體二通りの神主がをる。一方は、神樣に對して尻を向けて、自分が神樣になつたくらゐの氣分で、氏子や庶民に、神道やご祭神の徳を吹聽し、説教する神主だ。意氣込みは良いとしても、お前(令孫の隆房博士)は、決してこのやうな神主になつてはならぬ。もう一方は、氏子と共にあつて、氏子と一緒に、ひたすら神樣を拜する神主、お父樣(寒林博士の尊父・清泉宮司)がさうだつた。お父樣を見習つて、立派な神主になるんだ。」



 更に平泉隆房博士の曰く、「某氏が著者(寒林先生)に、かう言つたのである。『私が幼い頃に、あなたのご尊父(清泉宮司)の祝詞を聽いて育ちました。少年の日に東京に出て働くやうになつて、實に多くの神社で、祝詞を聽いてきました。しかし低く重々しい祝詞に、どうしても飽き足らず、今日まできました。今日、たまゝゝ故郷に一旦歸つて、祭禮にも參列し、久々にさはやかに清く澄んだ祝詞を聽きましたが、祝詞は、さういふのが良いのです』。著者が、白山神社宮司として、神前で奏上する祝詞は獨特なものであつて、谷省吾教授が、著者の神葬祭の際に、齋主として讀まれた『葬祭詞』に、「銀の御鈴なす、清く透れる御聲」と表現されたのは、まさにその聲のことであつた。‥‥

 祖父(寒林先生)は神佛を尊び、ひたすら神佛に祈り感謝する日々であつた。毎朝、平泉寺(越前白山神社)でも、品川(東京)でも、神前に額づき、就寢前には、白山の神を拜し、それは終生變はることがなかつた。旅行先でも、もちろんである。‥‥祖父の歸幽は、昭和五十九年二月、數へで九十歳、生涯を青袴の一神職として、ひたすら氏子と共に神を拜み、神に仕へた一生であつた」と。
 
 

謹みて賀し奉ります。

 投稿者:備中處士  投稿日:2014年 5月27日(火)17時50分55秒
返信・引用 編集済
  宮内廳發表──平成二十六年五月二十七日──

『 典子女王殿下には、本日、千家國麿氏と、ご婚約がご内定になりました。



 青天の霹靂の如き報道に接し、眞實に慶祝至極の御事と拜承恐察いたします。昨年、神宮の式年御遷宮と大社六十年ぶりの御遷座が重なり、如何なる御事ならむと存じ上げてをりましたが、かやうな御慶事がありませうとは、無上無比の歡喜で一杯あります。

 出雲國造家は、
天照大御神の
皇太子・正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊の御弟君・天穗日命の御血脈。こゝに、
皇室と、皇國の最古最尊の門閥家との御妙契、悠久の歳月を中にして、更に深く結ばせられようとしてをります。雲上、綾に尊き高圓宮の日女殿下と出雲國活神樣の御嫡男樣と‥‥。亦た天神地祇の宏謨神算に、只管ら々々ゝ畏むばかりであります。天地の神祇、よりてまつらふ、神の御代かも。正に皇大御國、不滅の證明であります。

 第七十五世・第八十四代出雲國造・千家杖代彦出雲宿禰尊祐大社宮司の曰く、

今度びの御内定につきまして、大變畏れ多きことではございますが、誠に目出度き事と、感謝申し上げてをります。大きな慶びを戴きました事を、有り難く存じてをります」と。



○天皇は 神にしませば 君が代は この世ながらの 神代なりけり(千家尊孫大人。『出雲』創刊號)

○殿内に、客座五神あり。こは、もと大國主命の祭祀せられし神々なり。故に社殿と同じく南面し給ひ、大國主命御自身は、脇座に在りて、西面し給ふ(千家尊福大人。『神祇志料』)。

○君が代の もとゐ杵築の 宮柱 貴(たか)きみかげを 仰がざらめや(尊福大人)

○幽冥(かくりよ)の 神のめぐみし なかりせば 靈の行方は 安くあらめや(尊福大人)

○年の始の 例とて 終りなき世の 目出たさを 松竹立てゝ 門ごとに 祝ふ今日こそ 樂しけれ。
初日の光 さし出でて 四方に輝く 今朝の空 君が御影に たぐへつゝ 仰ぎ見るこそ 尊けれ(一月一日。尊福大人)



【出雲大神】
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生きては、忠義の大和魂を、骨髓に填め、死しては、忠義の鬼と爲り、極天、皇基を護らむ。

 投稿者:備中處士  投稿日:2014年 5月18日(日)12時50分56秒
返信・引用 編集済
   眞木和泉守の辭世の哥(眞蹟。元治元年七月二十日、三條實美公に贈る)

大山の ミ祢の岩祢(峰の岩根)に 埋にけり わがとし都き(我年月)の 大和魂

に云ふ、「大和魂」とは、何ぞや。

 訓詁的には、大和魂(日本魂・倭魂・和魂・皇國魂・大和心・日本膽)とは、

一、處世の才能。世々に賢きこと、即ち學事に耽るとも、世事に迂遠ならず、事に對して頑固ならぬこと。而して漢學の力に頼らず、獨り自ら活動するを得る心・魂(氣力)の名なり(後拾遺集俳諧・源氏物語卷二十一・大鏡卷二・今鏡・愚管抄卷三)。

二、日本人獨特の元氣・勇氣は、即ち不撓不屈・堅忍持久の精神、不敗必勝の精神、愛國・尚武・廉潔・義侠の精神なり。其の本源は、絶對大忠の心より湧出する所の國民的自覺の精神の名なり。

を云ひ、主として「一」の謂ひから、近世に至り、埀加・國學諸家の解釋、志士・國民の鼓吹によつて、やがて「二」に轉ぜし、或は千古の眠りより醒めし、日本固有の精神を謂ふなり。こゝに云ふ「志士」とは、「家庭の恩愛の情に流されず、やむにやまれぬ戀闕の憂憤によつて、召されざるに起ち、革新の渦中に投じ、大義に生きし人々」(鳥巣通明翁『戀闕』の「眞木和泉守の立場」昭和十九年九月・朝倉書店刊。平成九年四月・青々企画覆刻)の謂ひである。



■明治天皇御製

いかならむ 事にあひても たわまぬは わがしきしまの 大和だましひ

事しあらば 火にも水にも いりなむと 思ふがやがて やまとだましひ

思ふこと つらぬかずして やまぬこそ 大和をのこの こゝろなりけれ

國といふ くにのかゞみと なるばかり みがけますらを 大和魂

くろがねの まと射し人も あるものを 貫き通せ 大和たましひ

とき遲き たがひはあれど 貫かぬ ことなきものは まことなりけり




●諸家の哥

なにゆゑに 碎きし身ぞと 人問はゞ それと答へむ 大和魂(谷川淡齋先生)
敷島の 大和心を 人問はゞ 朝日に匂ふ 山櫻花(本居宣長大人)
漢に才 やまとに魂(たま)と 教へてし 神の御語の たふときろ哉(一に「かしこきろ哉」。平田大壑大人)
皇一人 知ろし食せとて 花木に 書く漢文字ぞ 日本魂(佐久良東雄翁)
打てば斬り ふるればほふる 劍おひ 股はくゞらじ 大和魂(清川樂水翁)
備へとは 艦や砲との 謂ひならず この敷島の 大和魂(吉田松陰先生)
かくすれば かくなるものと 知ながら 已むに已まれぬ 大和魂(吉田松陰先生)
身はたとひ 武藏の野邊に 朽ぬとも 留置まし 大和魂(吉田松陰先生)
斯て世に 有らむ限りは 山科の 止まず盡さぬ 大和眞情(まごころ。有馬正義翁)
玉の緒は よしやなかばに 絶ゆるとも 朽ち果つべしや 倭たましひ(中山忠能公)
誰が身にも ありとは知らで まどふめり 神のかたみの 日本魂(野村望東尼)
打たばうて 碎かばくだけ 碎くとも 身にみがきえし 大和魂(平野國臣翁)
はれ曇り しばし霞の かゝるとも うごかぬものは やまとだましひ(平野國臣翁)
山ざくら にほはぬ國の あればこそ 大和心と ことはりもすれ(橘曙覽翁)
火もて燒き 水もて消せど 變らぬは わがしきしまの 大和魂(河上彦齋翁)
大君の 御楯とならん 身にしあれば 磨かざらめや 日本こゝろを(乃木希典將軍)


●『菅家遺誡』卷一に曰く、

「一、凡そ神國一世無窮の玄妙なる者は、敢へて窺ひ知る可からず。漢土三代周孔の聖經を學ぶと雖も、革命の國風は、深く思慮を加ふ可き也。

一、凡そ國學の要する所は、論、古今に渉り、天人を究めんと欲すと雖も、其の和魂漢才に非ざるよりは、其の閫奧を闞(うかゞ)ふこと能はず矣[右、二則は、『遺誡』中の眼目也。既に北野神社東の碑に記す焉。漢籍を學ぶ者は、心を用ふ可きの第一也]」と。
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http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2543229


●山田孝雄博士『菅公の識見』(北野神社編『菅公頌徳録』昭和十九年七月・官幣中社北野神社奉贊會刊に所收)に曰く、

「公は、その漢學の才に至りては、白樂天の再來なりと、渤海の使をして驚嘆せしめたる人、本邦の鴻儒をして、文道之大祖と仰がしめ、近き頃まで、國民の教育の祖神として祭られたる人なり。かくの如く漢才に富める人にして、然も眞の日本人たるの雄偉なる識見を有せらるゝこと、誠に驚嘆するに堪へたり。後人、和魂漢才の語を唱ふるや、人、皆な期せずして之を菅公の言とせり。これもとよりその實を證すること能はずといへども、若し古來の偉人にして、眞に和魂漢才の語に當るべき人を求めむとせば、恐らくは、公は唯一の人ならむ」と。


●山本信哉博士『和魂漢才』(『國學院雜誌』第三十四卷第四號)に曰く、

「和魂とは、『やまとだましひ』、又は『やまとごころ』ともいつて、日本民族固有の精神を謂ふのである。日本人たるの自覺を以て、國家の爲め、天皇の御爲めに獻身的行爲・犠牲的動作を實行する國民性を謂ふのである。我々日本人が、天皇の御命令に絶對服從するのは、屈從に非ずして、自由意志である。義務でなくて、權利である。この精神を有せずして、徒らに漢才、即ち『からざえ』を修め、支那の文化に心醉するのは、寧ろ有害無益であるが、さりとて和魂のみで漢才の無いのも、亦た頑固固陋で宜しくない。妙は和魂と漢才とを兼備する所に在るといふのが、和魂漢才の要訣である」と。


●友清歡眞翁『吾等が道標』(昭和二十年九月七日記。『春風遍路』・『全集』卷五に所收)に曰く、

「斬つたり殺したりすることが、『やまとだましひ』ではない。『やまとだましひ』といふ言葉は、紫式部の『源氏』に書いてあるのが初見であらうし、『やまとごころ』といふのは、同時代の御堂關白道長の室倫子に仕へた女官の赤染衞門の歌に出てゐるのが初見であらうし、‥‥『源氏物語』をとめ卷に出てゐる大和魂といふ言葉の意味は、多くの學者によつて誤解されたまゝで傳へられて來たやうで、當時の新思想たる漢學を才[ざえ]を本とし、大和魂を末としたかのやうに解されたが、事實、其の反對で、才は種々あるが、やまとだましひが本でなくてはならぬことを、紫式部は強く主張してゐるので、これは、其の當時の漢學は、表向き男子の獨占するところであつたので、それに對する女性の立場からの抗議の意味も含まれて居るのである。そんなら、大和魂は何であるかといふと、今から五百年前、一條禪閤兼良は、大和魂に定義を與へて、『わが國の目あかしになる心なり』といつた。近ごろの言葉に直せば、我が國の指導精神といふこゝろであらう。これは如何にも立派な定義で、我が國の目あかしとなる大和魂が、すべての基本となつて、世界への文化も世界への平和へも、力を及ぼして行かねばならぬのである。‥‥

 平安時代の原義による『やまとごころ』は、即ち大和魂であつて、それが『わが國の目あかしになる心』である。この本來の、純潔な、媚態も嬌態もない美、すなはち其の『うるはしき心』(何の濁りもなく、崇高な清く匂やかな美を、言葉にうつせり)は、神典にある『清明心』であり、又た『平心』である。その本來の『やまとごころ』が『我が國の目あかしになる心』であつて、これは決して昔のことでなく、今日に於ても明日に於ても、特に國民の注意を要する重大なことであると思ふ。やまと心は才の本になるもので、藝術も科學も産業も、要するに才であるが、その本は、必ず『やまと心』でなければならぬ。これは民族の優越感とか、お國自慢とかいふやうなものではない。世界共通的なものであると思ふ。東洋であれ西洋であれ、古來の大詩人や大藝術家や大哲學者や大宗教家や大科學者に共通するところのものである。この本來の意味の『やまと心』が、新しき才と正しく調節されて進むところに、人類の新しい理想境が描かれるものと信ずる。世界の人々はそれゞゝの立場から、又た同じ日本民族でもそれゞゝの立場から、其の目標に進むべきものと信ずる」と。


●若林強齋先生『神道大意』(谷省吾翁『神道原論』昭和四十六年六月・皇學館大學出版部刊に所收)に曰く、

○京都市眞言宗阿刀家所藏本(淡齋野村新左衞門正明自筆・強齋先生朱批)「志を立つるも、此の形は氣のつゞくほど、つゞいてくちはつる事ぢやが、それは形あるものは、始めがあれば終りがあるはづは知れた事、あの天神より下された面々の、このみたまは、死生存亡のへだてはないゆゑ、この大事のものを、生きては忠孝の身をたてゝ、どこまでも[(朱批)即今、忠孝の身となして]、君父にそむき奉らぬ樣に、死しては[(朱批)君父にそむき奉らぬ樣に、其のなりにどこまでも]八百萬神の下座につらなり、君上を護り奉り、國土を鎭むる神靈となる樣に、と云ふより外、志はないぞ。ぢやによつて、死生の間にとんぢやくはない。‥‥末の世ぢやと云うて、吾れと身をいやしめふ樣もない事。天地も、古の天地なり。日月の照臨も、今にかはらせらるゝ事なければ、面々にきたなき心をもたぬ樣に、常に幽(いう)には、神明を畏れ、明(めい)には、上に事へまつり、下をいつくしみて、萬事すぢめにたがふ事なければ、我が身一分の日本魂は失はぬと云ふものゆゑ、餘所を見る事も、何にもない。只だ我が志のつたなき事、我が身のろくにない事をなげいたがよいぞ」と。

○伊豫大洲常磐井家所藏本「志を立つるといふても、此の五尺のからだのつゞく間のみではない。形氣は衰へうが、斃れうが、あの天の神より下し賜はる御玉を、どこまでも忠孝の御玉と守り立て、天の神に復命(かへりことまを)して、八百萬神の下座に列り、君上を護り奉り、國家を鎭むる靈神となるに至る迄と、ずんと立てとほす事也。さるによりて、死生存亡のとんちやくはなき事也。‥‥末の世というて、我と身をいやしむべからず。天地も、古の天地なり。日月の照臨も、今にあらたなれば、面々の黒心(きたなきこゝろ)を祓ひ清め、常々幽(いう)には、神明を崇め祭り、明(めい)には、君上を敬ひ奉り、人をいつくしび物をそこなはず、萬事すぢめたがふ事なければ、おのれ一箇の日本魂は失墜せぬといふもの也。餘所を見て怨み尤(とが)むる事なく、たゞ我が志のつたなき事を責め、我が心身のたゞしからぬ事のみをうれひ、冥加を祷りてあらためなほすべし」と。


●松岡渾成翁『神道學則日本魂』第三則に曰く、

「第令(たと)ひ儒生・釋徒・異端・殊道の頑、村甿(農)・野夫・賈販・奴隷の愚なるも、悃悃欵欵(こんゝゝくわんゝゝゝ。至誠)、國祚(皇位)の永命を祈り、紫極(御所)の靖鎭を護る者は、此れを之れ日本魂と謂ふ。予、呶呶然として此の如く、其の已まざる所以の者は、實に日本魂の教の著れざるを懼るれば也。辯を好むに非ざる也。學者、諸れを諒せよ」と。


●藤田東湖先生『常陸帶』に曰く、

「おほよそ神國に生れむ人々は、一人づつも大和魂を礪ぎ、一人づつも猛きわざを學び、邪なる教もて誑かざるゝとも、露だに心を動かさず、おほけなくも穢き夷狄の寄せ來らむ事有らむには、煙の下より一さんに馳入り、八尋の矛・十握の劍、思ふまゝに打振りて、彼の鼻高く眼入りたる奴原、一人も殘さぬ許りに、憂き目見せたらむには、いかに心地よきわざならずや」と。


●平田大壑先生『靈能眞柱』に曰く、

「この築き立つる柱はも、古へ學びする徒(とも)の大倭心の鎭りなり。然るはこの柱の固めは、底つ磐根に築き立て、千引きの石の堅固めずては、その言ひと言ひ爲しと爲す、言にさへ事(わざ)にさへ柱なくて、桁・梁・戸・窓の錯(きかひ)鳴り動き、引き結べる葛目の緩び、取り葺ける草(かや)の噪(そゝ)ぎつゝ、夜目のいすゝき、いつゝしき事なも、これに因りて出で來める。然のみならず、その靈の行方をだに鎭め得ずて、潮沫の成れる國々、いな醜目、穢き底の國方(べ)の國より、荒び疎び來し説に、相率(まじこ)り相口會へむとするも多かるを、見るに得堪へねば、いかでその心の柱を、太く高く磐根の極み築き立てさせ、鎭めてまし率らせじと、思ふまにゝゝ、屋船神の幸ひ坐して、築き立てさせし此の柱よ。はたその因(ちなみ)に彼處や此處へ遊(うか)れ行く靈の行方も、尋(と)めおきて鎭めに立てし、これの柱ぞも。

眞木柱 太き心を 幸へむと 進(そゞ)ろ心は 鎭め兼ねつも

 古へ學びする徒は、まづ主と大倭心を堅むべく、この固めの堅在らでは、眞の道の知りがたき由は、吾が師(本居宣長大人)の翁の、山菅の根の丁寧ろに教へ悟しおかれつる。此は磐根の極み突き立つる嚴し柱の、動くまじき教へなりけり。斯くてその大倭心を、太く高く固めまく欲りするには、その靈の行方の安定(しづまり)を知ることなも、先なりける。‥‥

 たまゝゝも大御國へ射向ひ奉る夷のありて、翁の御心をいためまさば、この篤胤がまかり向ひ、見て參り候はむと、賊の軍中に翔入りて、蟻の集へる奴原を‥‥追しき追伏せ、‥‥蹴散らかしうち罸め、山室山にかへり來て、老翁の命に復命まをしてなまし。あな、愉快かも。此は、篤胤が常の志なり」と。


●平田大壑先生『玉襷』卷一に曰く、

「人の國にては、文武とついでて、文を重き事にすめれど、我が皇神の道は、武の道ぞ、文にまさりて重かりける。其は武とし云へども、弓箭・劍戟を用ふる術のみを云ふに非ず。神武にして雄々しき倭心ぞ、本なりける」と。


●川合清丸翁『大和魂』(明治四十年九月・日本國教大道社刊)に曰く、

「此の(大和)魂の、高尚優美にして、麗しく嫻(みやびや)かなる氣品は、我が天度の中正和暢なる所より産み出だされしものなるべし。又た其の剛毅果斷にして、雄々しく逞しき氣勢は、我が地形の嶮峻雄拔なる所より産み出だされしものなるべし。又た其の和樂愷悌にして、安らけく樂しき氣象は、我が人種の國産國出なる所より産み出だされしものなるべし。又た其の忠勇義烈にして、猛く勇ましき氣概は、我が皇統の神聖無比にまします所より産み出だされしものなるべし。又た其の尊嚴、武を尚ぶの嚴(いかめ)しく尊大なる氣質は、我が國體の卓犖不群なる所より産み出だされしものなるべし。又た其の虚懷、衆を容るゝの裕に優しき氣宇は、我が宗教の天を覆ひ地を載する所より産み出だされしものなるべし。又た其の職を勵み業を勉むる忍耐の氣力は、我が道徳の天に報い地に答ふる所より産み出だされしものなるべし。又た其の己を捨てゝ人を救ふに任侠(じんけふ)の氣骨は、我が風俗の強を挫(ひし)ぎて弱を扶(たす)くる所より産み出だされしものなるべし。

 我が大和魂の生れ故郷は、斯くの如く宏大に、斯くの如く深遠なれば、彼の儼乎として易ふべからず、確乎として拔くべからず、凛乎として犯すべからざる氣象は、謂はゆる附燒刃の切れ味には有らで、是れぞ眞の無垢鍛(ぎたひ)より生ずる所の作用なるべき。再言すれば、天地間の衆善衆美を集めたる精氣が、天地間の至神至聖を極めたる寶祚と、相結托し相煥發して、天地の間に生(は)え貫きたるものなけば、長き間には、時運の泰否に因りて、消長汚隆はこれ有るべきも、隱れしかと思へば復た發顯し、廢れしかと思へば復た勃興して、天地の在らむ限りは、活動變化、極まり有るべからざるものぞ。因りて憶ふに、從來、古人が此の魂の全體大用を辯論し置かざりしは、中々に其の信ずる所の深く、頼む所の厚かりし故にや有らむ」と。


●村山惣作翁『タマシヒの安定は鎭守樣から――日本精神の本義顯彰は産土神信仰から』(昭和十二年九月・五色屋書房刊。平成元年六月・山雅房復刻)に曰く、

「天皇陛下の寶祚無窮を使命とせられて、出雲大神主宰の基に、各土地々々の幽政萬般を掌らせ給ふ産土神は、我等國民をして、一意專心、陛下に仕へ奉らしめんが爲め、萬物を守り惠み幸ひ賜ひ、同時に我等個人々々の正邪曲直を審判して、道徳の根源を把握し給ふ、最も縁深き親神樣なり。此の故に産土神奉齋の根源は、天皇陛下の御爲なり。而して大和魂や日本精神の本源は、實に産土神の御意志にして、此の御意志を己が意志にすること、即ち産土神信仰の最奧義たり。是れ「日本精神の本義顯彰は産土神信仰から」と絶叫する所以にして、産土神を信仰してこそ、日本人本來の熱も力も勇氣も安命も得らるゝなり。而して産土神は國魂の神であり、地主の神であるが故に、此の神を信仰することは國魂信仰にして、其の國魂を基として祀り信仰してこそ、其の土地は治まり、萬物に處を得せしむる所以にして、其の具體化せるもの、即ち神社(鎭守)なり」と。
 
 

恐惶恐懼して稽首。

 投稿者:備中處士  投稿日:2014年 5月12日(月)00時11分36秒
返信・引用 編集済
   昨日、第四百二十二囘岡山縣愛國者協議會月例會に參加。岡田則夫翁より、幡掛正浩翁『皇家第一の重事』の文章ご紹介の後、

一、日野西資博子爵『明治天皇の御日常──臨時帝室編集局に於ける談話速記』(『明治天皇御紀』の爲めの聞取り。昭和二十八年二月・祖國社刊。五十一年七月・新學社教友館刊)により、神宮式年造替につき、明治天皇の聖旨を拜聽。
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http://www.ttcc.or.jp/chair/report/deac51eb11

【明治天皇の御沙汰】

「その御沙汰は、建築の方法はだんゞゝ進歩をする、今後もますゝゝこれは進歩するに違ひはない。さういふ時分に、神宮の御造營のやうな、萬事舊式な、いはゆる掘立柱に藁の屋根といふやうな建築をして、二十年ごとに改築をするといふことは、これは實に時代錯誤のことである。よろしくこれはこの進歩の建築法によつて、煉瓦造りとか何かで、永世不朽の御造營をする方がよろしからうといふやうな議論をする者が、必ず出來て來るだらうと思ふ。しかしそれは、大變な間違ひであらうと思ふ。神宮の御造營といふものは、我が國の固有の建て方である。これを見て始めてこの國の建國の昔の古い事を知り、一つはまた祖宗が、かくの如く御質素な建物の中に起臥をあそばされたといふことも知るし、神宮を介して始めて我が國建國の基を知るのであるから、現在のこの建て方は、全く永世不變のものでなくてはならぬ。決して建築法が進歩したからと言つて、煉瓦とかコンクリートで造るものではないといふことを、懇々と御沙汰がございまして」と(小生が拜承した御沙汰には、更に畏れ多き、代々木大神樣の大御言が、「懇々」と續いてございます‥‥拜記不能、無念)。

一、『頭山滿翁生誕百五十年祭記念誌──近現代戰鬪精神の繼承──西郷隆盛・頭山滿・葦津珍彦の思想と行動』(平成十八年二月・實行委員會刊)所收の明治神宮禰宜の論考により、乙酉大詔に於ける國體に關する尊話──三種神器につき、昭和天皇の叡慮を拜聽。

 現在、兩書は小生の手許に無い。無いので紹介出來ませぬが、極めて重要なる逸史であるので、各位ご所持の方々には、是非とも清覽を乞ひたいと存じます。又た有志には、ご紹介の勞(本掲示板にでも、各位のサイトにでも、御仲間内の會議にでも)を賜はれば、道福彌益、幸甚であります。

 標題「稽首」とは、座つて頭を地面につけ平伏する最敬禮、本道に有り難き大御思召に感泣慟哭、恐惶恐懼の極みでありました。あなゝゝ畏こ。



 こゝに於いて想起するは、【皇家祕奧の傳統】の御事である。



●木下道雄元從侍次長『新編・宮中見聞録――昭和天皇にお仕へして』(平成十年一月・日本教文社刊)に曰く、

「(小泉信三)博士が、東宮殿下の御補導役を命ぜられたときのことであるが、自分は、かつては慶應義塾の塾長として、青年教育には經驗があるが、將來、天皇の位につかれる皇太子の御教育には、全く經驗がない。この特殊教育の經驗者といへば、東郷・乃木・杉浦の諸公、すでになき今日、たゞ一人の御經驗者、今上陛下にお話を承るより他に途がない。甚だ畏れ多いことながら、自分の任務の重大性に鑑み、敢へて陛下に拜謁して、質問を申し上げた。

一、陛下は、何か物事を御決定になるときに、御自身のお考へだけで、それを御決定になるや、それとも、それゞゝ擔當者の意見を徴して御決定になるや。お答へは、

それゞゝ擔當者の意見を徴し、その結論を聞いた上で、自分の責任に於て、これを決定する

とのことであつた。

二、博士は、更に、陛下の、その御態度は、誰か侍臣のおすゝめ參らせた結果によるものか、將又(はたまた)陛下が古への聖人・明哲の傳記等をお讀みになつて、さういふ習慣をおん身につけられたのか、お尋ねしたところ、陛下は、いとも簡單に、

それは人のすゝめによつたのでもなく、また讀書の結果でもない。これは、わが家の傳統である

とお答へになつたさうだ。

 
博士は、この言葉を承つて、まことにこれなるかな、これなるかなと、感嘆したとのことである」と。



 
謹記。雲上祕奧の洩傳を拜承して、洵に畏れ多いことながら、我々皇民は、此の御國に生を享けしことに恐懼すると共に、神ながらなる皇家傳統の御精神の下、只管ら聖徳を仰ぎ奉り、滅私奉皇に生きるのみである。
 
 

神武天皇に仰ぎ奉れ ── 皇國中興の本幹。

 投稿者:備中處士  投稿日:2014年 5月 4日(日)19時22分48秒
返信・引用 編集済
   前に、贈從三位・大學中博士・毅軒玉松操眞弘翁の名が出て來たので、こゝに眞木紫灘先生を掲げて、世の喚起注視を、特に促して置きたいと思ひます。

 神武天皇御創業に立囘るてふことは、即ち「神武天皇、神代の例をのみ、とり行ひ給ふ樣にあらまほしき事」(『經緯愚説』)を申し上げるのであります。平成中興の理想に在つても、亦た然りであること、勿論であります。決して「普通の國」になる事では無いのであります。



■贈正四位・靖國神社祭神・久留米水天宮第三十二代祀家大宮司・山梔窩紫灘眞木和泉守平保臣先生『南僊雜稿』

茫茫たる彼の蒼天、視聽、自ら有り焉。
悠悠たる此の人世、大道、則ち坦然たり。
死して以て仁を爲す、屈すと雖も、亦た猶ほ伸びん。
生きて以て僥倖なる、萬世、公論を奈(いかん)せん。
我、唯だ吾が志を展(の)ぶ、生死、一に義を取らん。
我、其の他を知らず、以て丈夫の事を爲すのみ。



■眞木紫灘先生『木村三郎に與ふる書』(文久三年十月二十日)

一朝、忽ちに奸人に忌まれ、天下、既に足を容るゝの地無し。
數畝の山園、猶ほ求む可し、如何、聖主、中興の事。

‥‥必死の地に陷り、却つて綽々仕り候ふ樣、相覺え申し候ふ。『大日本史』、恐ろ敷く候ふ間、此の節は、見事、戰死の積りに御座候ふ。



●平泉澄博士『眞木和泉守の理想』(神道史學會『神道史研究』昭和三十九年五月號所收)

「眞木和泉守は、二心なく君を慕ひ君を思ふ純情を、菅公によつて養はれ、一身一家を棄てゝ皇統を護持し奉らんとする熱情を、楠公によつて鍛へられた。眞木和泉守にとつて、最も大切なる恩師であつた。しかし菅公は、和泉守の生れた文化十年より、九百年も前の人であり、楠公にしても、四百七十餘年前になくなつてゐるのである。年代の斯くの如きへだたりは、現實との結びつきを困難ならしめ、敬慕は敬慕として、とかく現實の批判とは遊離せしめやすい。こゝに媒介の勞をとつて、先哲先賢の教を、今の世に切實ならしめたものは、水戸學であつた。‥‥

 既に『大日本史』に觸れて激發せられ、『大日本史』によつて開眼せられたとすれば、和泉守の見る所は、悠々二千數百年、國史の全體を達觀するものであり、その目標とする所が、特に建國創業の際にあつて、現在の改革が、その精神、その規模を、神武天皇の創業に則るべしとするものであつた事に、少しの不思議もない。されば文久元年の『經緯愚説』(★註一)には、

一、創業の御心得の事の條に、神武天皇、九州より東征して、中州に皇化を敷き給うた功業を目標にし給ふべきを説き、
二、節儉を行ふ事の條に、太古の朴素に挽囘すべきを説き、
三、百敗百成の事の條に、神武天皇、御東征の際、軍いくたびか利あらず、御兄弟の宮、相ついで戰死し給うたに拘らず、それに屈せずして、終ひに大業を成就し給うた、其の不屈の御精神を繼承のあらせらるべきを説き、
四、舊弊を破る事の條に、奈良・平安以降の例格になづむ事なく、遠く古に立囘り、天智天皇以前、神武天皇もしくは神代の例を御考へありたしと説き、

くりかへしゝゝゝゝゝて、神武天皇の御創業を規模とすべきを論じてゐるのである。

 同樣の趣旨は、文久三年七月の『五事建策』にも見え、また文久三年八月以後、坂木氏に與へたる書翰にも見えて、和泉守が建武中興に目標を置かず、それを遙かに越えて、遠く神武天皇の創業に着目した事は、明瞭である。只こゝに問題となるのは、和泉守の此の目標が、いつ頃より説かれたものであるか、また果してそれが中央にまで達したものであるか、といふ二つの點である。

 何故かと云へば、明治維新の際に、人々多くは建武の中興を目標として進んでゐたのに、これを一轉して、神武天皇の創業にまで遡らせたのは、玉松操の功績であつて、操は此の理想を、その師・大國隆正より受けて、之を岩倉具視に進言し、具視、之を以て朝議を決した爲である(★註二)とするのが、從來の通説であつて、此の通説の前には、和泉守の理想は、殆んど無視せられて來たからである。

 玉松操を、かやうに重視するのは、よりどころのある事であつて、それは井上毅の『梧陰存稿』(明治二十八年刊)に見え、更に『岩倉公實記』(明治三十九年刊)に述べられてゐるのであり、その事、疑ふべき所ろ無いやうに見えるが、しかし玉松操が初めて岩倉具視に會つたのは、慶應三年二月であつて、眞木和泉守の歿後すでに二年半を經過してゐるのである。和泉守の、神武天皇の創業に復すべしとの論は、すでに述べた如く、文久元年の『經緯愚説』に見えてゐるが、それが最初かといふに、さうではなくして、安政五年六月、『野宮定功に呈した書』の中に、承久・建武の着眼、狹小であつて、範とするに足らず、よろしく古昔の隆世に挽囘せらるべしと説いてゐるのを以て、その初見とすべきであらう。

 しかも同樣の趣旨は、安政五年の四月に、大宰府延壽王院信全僧都に託して、『三條實萬に呈した書』の中に、すでに述べられた筈である[『(眞木和泉守)遺文』四十八頁・『年譜』二十頁參照]。當時、野宮定功は參議であり、三條實萬は前内大臣であつて、地位から云つても、人物から云つても、實萬(★註三)を重しとしなければならぬ事、いふまでも無い。そして實萬が、和泉守の建白を見て感動した事は、翌年正月二十八日、實萬より延壽王院に與へた書翰に見えてゐる。‥‥(紫灘先生自寫『澹空公御俗翰三通・安政六年九月十八日』──平泉澄博士、之を發見、祕匣に藏して、『丹精帖』と名づけられたり)‥‥和泉守の「丹精」をこめた「一策」は、内々實萬の手に入り、實萬は之を「熟覽」し、「感佩」してゐる事、明かである。そしてそれが、參議野宮定功に呈したものと同趣旨でなければならぬ事は、『遺文』の編者の記述によつて知られるのであるから、主要なる内容は、承久・建武に則る事なく、直ちに神武天皇建國創業の古に溯り、こゝに理想を仰ぎ、こゝに目標を定め、百敗屈せず邁進すべしとの進言であつたに相違ない。

 果して然らば、明治維新の規模・理想・目標、一に之を神武天皇に仰ぐべしとするは、決して慶應三年二月、玉松操の岩倉具視への進言に始まるものでなく、それはそれで岩倉を動かしたであらうが、實ははやく安政五年四月に、和泉守の喝破して、三條實萬に進言し建策した所であり、實萬は不幸にして間もなく倒れたが、その子・實美、父の志をついで奮起し、和泉守の輔翼をうけて達成しようとした事を思へば、維新の主流は、やはり此の筋にあつたとしなければならないであらう。和泉守が大山の峰の岩根に埋めた所の、その年來丹精をこめた「大和魂」が、いかなる深刻、いかなる純忠、いかなる規模をもつものであつたかは、是に於いて想察せられるであらう」と。



★註一。
「經」
一、宇内一帝を期する事。一、創業の御心得の事。一、徳を修むる事。一、經筵の事。一、紀綱を嚴にする事。一、賞罰を明かにする事。一、節儉を行ふ事。一、親征の事。一、百敗一成の事。
「緯」
一、言路を開く事。一、舊弊を破る事。一、封建の名を正す事。一、古來の忠臣義士に神號を賜ひ、或は贈位・贈官、或は其の子孫を祿する事。一、九等の爵位を修むる事。一、文武一途にして、其の名を正す事。一、勳位を復する事。一、服章を正す事。一、文武の大學校を建て、天下の人材を網羅する事。一、伊勢・尾張の神器御扱方の事。一、親衞の兵を置く事。一、僧を以て兵とし、寺院を衞所とする事。一、兵器を改め造る事。一、古訓師を學校に置きて、舶來の器械に名を命ずる事。一、財貨を公にする事。一、邦畿を定むる事。一、帝都竝びに離宮を定むる事。一、租税を輕くする事。一、官制を改むる事。‥‥

★註二。『三宮(義胤)覺書』(伊藤武雄氏『復古の碩師・玉松操』上卷──昭和二年八月・金鷄學院刊に所收。玉松操(深青)翁は、大國隆正翁の所謂門人に非ずして、特立の皇學者なり。是れ大国翁、亦た平田大壑先生の所謂門人に非ざるに、亦た同じ。而して玉松翁は、就中、栗山潛鋒先生に畏服せりと云ふ)に曰く、
「始め玉松先生の、北山に岩公を訪はるゝや、即夜、天下の形勢を論じ、談次、公が後醍醐天皇中興の偉業に復せんとするの宿望あるを聞き、先生、襟を正して曰く、『凡そ天下に事を爲さんとする、須らく志望、遠大なるを尊ぶ。今ま公が建武中興の事を企圖するが如き小慮ならんには、奚んぞ能く天下の大事を爲す可けんや。何ぞ神武天皇創業の大に傚ひ、大政復古の基礎を建てざるや』と、確論、凛乎として動かす。是に於て公、初めて夢の醒むる心地し、遂に先生の卓論に服し、始終、先生を師父として敬せりといふ」と。

 『岩倉公實記』中卷に曰く、
「(慶應三年)九月、具視は、中山忠能・正親町三條實愛・中御門經之と共に、王政復古の大擧を圖議するや、忠能等、『建武中興の制度を採酌し、官制を建定せん』と論ず。具視、以謂へらく、『建武中興の制度は、以て模範と爲すに足らず』と。之を操に諮問す。操の曰く、『王政復古は、務めて度量を宏くし、規模を大にせんことを要す。故に官職制度を建定せんには、當に神武帝の肇基に原づき、寰宇の統一を圖り、萬機、維新に從ふを以て規準と爲すべし』と。具視、之を然りとす。是に於て新政府の官職制度は、操の言に從うて、之を建定すといふ」と。

 井上毅翁『梧陰存稿』に曰く、
「(岩倉)公は、玉松の功を推して、『己れの初年の事業は、皆な彼の力なり』とまでのたまへり。薨去の前年に、一夕ことさらに余をめして、玉松の履歴を物語り、『其の人の績を空しくなせそ。書きしるして、後の世の語り繼ぎの料とせよ』と、慇懃に仰せられけり」と。

 甕江川田剛翁『從五位・玉松君碑銘』に曰く、
「(岩倉)公、甞て人に語りて曰く、『博識多才、狷介、自ら守ること、吾が眞弘(操)の如き者は、世、未だ其の比ひを見ず』と。而して君も亦た曰く、『鞠躬盡瘁とは、甞て其の語を聞く。今ま其の人を見る、岩倉公、是也』と」と。

★註三。文部省維新史料編纂事務局『維新史料聚芳』(昭和十一年十二月・巧藝社刊)に曰く、
「實萬、天資英邁、學徳竝び高く、光格・仁孝・孝明三朝に歴仕して、信任、特に厚く、聲望識見、遠く菅丞相に比せらる。嘉永・安政の交、武家傳奏を兼ね、廷中の振肅、時艱の匡救に、其の力を効せり。安政の末、幕府内外の措置を失し、公武の間、乖離するに及び、慨然として叡慮の貫徹、幕府の革新に志し、獻替劃策これ勗め、上、亦た一に倚頼し給へり。幕府の大獄を起すや、最もその忌む所と爲る。屡々叡旨を下して救解し給ふも、遂に及ばず。落飾して澹空と稱す」と。



●平泉澄博士『維新の先達・眞木和泉守』(『先哲を仰ぐ』所收)に曰く、

凡そ明治維新の偉大なる改革の殆んど全部は、眞木和泉守の方寸より出て來たものであります。どれを見ても、さうであるとさへいつてよい。第一に、神武天皇創業の昔に歸れといふのが、眞木和泉守の精神でありました。これは從來、誤解されてをりまして、元は建武中興を目標としてをつたのが、神武天皇の昔に歸れといふことをいひ出したのは玉松操であつて、その玉松操が、慶應三年に、岩倉具視に進言したところより、初めて建武より更に一變して、神武天皇の昔に復古することを目標とするに至つたといふことは、明治を通じていはれてきたところであります。これは、であります。玉松操が出て來、岩倉具視と提携して、神武天皇の昔に歸らうといふことをいひ出すに至りましたのは、今ま申し上げました如くに、慶應三年でありまして、それ迄は、玉松は働いてをりませぬ。玉松が働いてをらぬばかりではない。岩倉その人が、明治維新には反對の立場にをつた人とであります。眞木和泉守のをられます間は、岩倉具視といふ人は、眞木和泉守と、むしろ正反對であるところの公武合體、即ち現状維持に力をいたしてをつた人であります。それが王政復古派として立ち、玉松操の建言を入れて、神武創業の昔に歸れといふことをいひ出したのは、慶應三年であります」と。



●阪本健一翁『津和野藩主從と眞木和泉守』(『神道史研究』昭和三十九年五月號。『明治維新と神道』・『明治神道史の研究』所收)に曰く、

「『岩倉公實記』には、具視が王政復古の基礎を玉松操に諮問した事がのせてあるが、それはそれとして、吾々は、明治の新政に於て、次々と發せられた諭告文や布告・達等を檢討すればする程、和泉守、朝廷の側近にありて、文案を起草せしにあらざるかと疑ふのである」と。

○愚案、阪本健一翁は、平泉澄博士の所論に同調せられしものならむ。『王政復古の大號令』渙發の前日に、三條實美公等の所謂七卿の復權が認められたが、紫灘先生大見識の影響は、在朝の同盟公家の腦裡に、嚴として猶ほ存してをり、中興復古の「文案を起草」せしめたであらう。春秋の筆法を以て之を書すならば、眞木和泉守、玉松操を靈導し、岩倉具視をして「神武創業」の大精神に囘轉せしめたり、と謂つてよい。而して「神武天皇に仰ぎ奉る」は、復た百五十年後の我々が指標であつて、辛苦艱難の重疊なると雖も、必ずや期すべき使命課題である。
 
 

神道人の悲願──神佛分離。

 投稿者:備中處士  投稿日:2014年 2月14日(金)22時37分20秒
返信・引用 編集済
   sakamoto樣「明治の『国家神道』や『神仏分離令』を、『それは歴史性のない近代主義に基づく設計主義ではないのか』と、誤解していた節があります」と。



 それはゝゝゝ、祝着至極です。小康小閑を得たので、書き掛けのものを書き込んでおきます。世の流布する國家神道論は、葦津珍彦翁の著作『国家神道とは何だったのか』が出るまでは、左翼御用學者の獨壇場にして、其の所論は、淺薄皮相を免れませんでした。「神佛分離令」と「國家神道」とは、直接つながらざるものであつて、所謂る國家神道なるものは、明治三十三年、

「内務省のなかに神社局(後の神祇院)の官制を立て、社寺局の宗教行政下から、公的神社と認めない神道の一部と區別して、宗教行政を改めた時に、決定的に確立したもの」、「國家神道なるものは、明治以來の、眞摯なる神道人の志を前提源流として出發したものではあるが、有力な非神道の政治勢力や宗教勢力からの強いブレーキ(殊に眞宗僧・島地默雷の工作、即ち神道非宗教論てふ、宗教的神道を封殺するための佛教徒の對神道政略)との交錯が重なつて、それらの諸勢力に中和されて、その精神は、全く空白化してしまつた無精神な世俗合理主義で、無氣力にして無能なものであつたといふのが、歴史の眞相に近い」

のであつて、現代通説の國家神道論とは全く異なるもの、俗説は「虚像・幻想」と謂ふ可きものでありませう。神道人の悲願──「神佛分離」は、明治初年には形骸化してをり、所謂る國家神道の爲せる所業では無く、一朝の「神計り」と申すものと謂ひつ可きものであります。若し「廢佛毀釋」が、神佛分離から逸脱し過ぎ、「文化的破壞」と見なされようと、「神武創業」に無かりし不純物を清めむと欲する、庶民の熱禱・復古精神(其の指導者は、地方の國學者・神主であつたでありませう)に出づるものであれば、小生は、咎む可きものとは思ひません。

 戰後の神道指令なるものは、「國家神道なる用語は、日本政府の法令に依て、宗派神道、或は教派神道と區別せられたる神道の一派、即ち國家神道、乃至神社神道として、一般に知られたる、非宗教的なる國家的祭祀として類別せられたる神道の一派」と定義し、之を彈壓したが故に、眞摯なる神道人の苦惱は測り知れないが、

「國の神祇制度上、神宮・神社を、法制的に國の宗祀として復古する希望が消えたとしても、神社の精神の本質が、日本人の社會國家の精神的基盤であるとの信條を死守する線からの退却は、決して許されない。神社が、自ら私人の一宗教の類と認めることは、決して許されない

との、笏を持たざる神主・葦津珍彦翁の決意悲願は、吾々神國に生くる者として、心して覺悟繼承せねばならぬと思ひます。



●葦津珍彦翁『国家神道とは何だったのか──現代史通説の虚像を論破する』(昭和六十二年四月・神社新報社刊。平成十八年七月増註新版)に曰く、

「この(王政復古の大號令)卓拔な宣言の實際のプランを立てた神道家・玉松操の提案した「神武創業の始めにもとづく」との語には、岩倉や維新派武士團一般が、同感した程度の意味以上の深刻な意味があつた。この大號令の文章の終りには、今後、皇室・政府の官制や朝廷の禮式の御改正あるべきことを豫告してゐるが、玉松には、その構想があつた。この大號令から、わづか三四ケ月で、明治元年三月には、「祭政一致の制に復し、天下の諸神社を神祇官に所屬せしむ」と表明され、次いで「神佛分離令」が、太政官から發せられてゐる。玉松のみならず、神道の諸大家が岩倉にせまつて、神道人多年の悲願を、この維新にさいして一擧に實現すべく急進した(矢野玄道『獻芹□[瞻の右]語』・大國隆正『神祇官本義』他)。

 これは、神道人としては、少なくとも百年以上も前からの悲願であつた。徳川幕府時代は、切支丹禁壓のために、佛教國教制を強く固めてゐて、神社と佛道との集合の下に、佛寺への從屬を強ひられて來た(一例。神主でも、原則として佛葬で、寺院の監督下にあつた)。徳川幕府は、學者の學問的言論には比較的寛容で、神道や國學の立場からの佛教批判や非難でも許した。しかしその思想的影響をうけて、地方の神主なとが社會實踐の場で、佛教への不服從を實現しようとすると(特殊例外的な神道好意の藩でないかぎり)、きびしい強壓と制約をうけた。そのために自刃したり、終身流島されたり、地位を剥奪されて社家が倒産したやうな例は、少なくない。神佛を別だとして、神道の高揚を欲する神主のなかから、幕政に反抗する神道人がいくらも出て來た。そしてかれらの神佛分離論に、多分の排佛的な感情があつたのは、歴史的にも理由がある。その社會勢力は、全國に及んでゐた(水戸・岡山・長州・薩摩他)。

 しかしながらその社會勢力が、政治的に見て、どの程度の力關係にあつたかは、また別の一問題である。神佛習合の精神傳統は、千有百年の根づよさがある。しかも佛教教團が、徳川幕藩體制下の國教的特權の上に築いて來た、社會的組織影響力も財的勢力も強大である。幕府が大政を奉還したからとて、未だ中央權力としての實力のない(兵權も財力もなく、地方の諸藩に依存するほかない)太政官の一片の文書で、このやうな精神的大變革は、佛教側の同意なくしては進めがたい。しかしあへてこの史上未曾有の大變革を斷行したのは、神道雄飛の最高調をしめしたといつてもいいかもしれない。神佛分離の思想を排佛であると見た佛教教團からは、即刻に抗議の意が内示され、太政官は、忽ちに(わづか十數日後に)「排佛行動は、これを犯罪とする」と公示した。とくに六月になると、眞宗の反抗をおそれて、太政官名にて、佛教(眞宗)本山への宥和妥協工作をせねばならなかつた。

 眞宗は、佛教でも最大の教團だつた。しかも維新にさいして西本願寺は、特に長州の討幕急進派と同盟して、強力な支援をして來た(月性──大洲鐵然、他)。明治新政府へ出て來た長州系權力者は、そのほとんどが眞宗の盟友である。眞宗としては、たゞ薩摩系が、維新前から國學・水戸學流の神道排佛家が多い(例。伊地知正治の宮中での神佛分離の徹底を求めた明治四年九月の『建白』は、西郷隆盛の筆跡と云ふ。愚案、大西郷は、陽明學・禪の徒と云ふ者あるも、佛は胡神として嫌ひし所、實は平田篤胤大人歿後の門人にして、其の私塾・氣吹舍の門を、自ら叩くこと四度び、又た薩摩藩士を多く門人として氣吹舎に送り込みし由──國立歴史民俗博物館研究報告第百二十二・三集『平田國學の再檢討・一~二』平成十七年三月・十八年三月刊)ので、輕々しく政府への抗爭は愼まねばならないが、「新政權、必ずしも恐れるら足らず」との自信がある。それは事實、政權内の西郷薩摩系の後退した明治六七年後から、次々に實證されて行く。

 岩倉は、さすがに政治能力者である。岩倉が、討幕から王政復古の大號令まで、玉松を最高ブレーンとしたのは、非常に成功であつた。しかし新政府の建設工作では、玉松流の神道家には、あまりにも敵が多きにすぎると見た。玉松以下の神道要人は、全國の尊攘神道家を結集して、祭政一致の公約を基にして、京都皇學所をして日本の神道的教學の本據とすることを要求する。この皇學所を中心とする神道學には、新政府の開明派エリートの、強い反對がある。岩倉は、政府の神祇政策は、開明派と妥協的な津和野藩の龜井茲監──福羽美靜等に實務をとらせて、玉松等の強硬神道家を敬遠しはじめる。玉松は、剛氣で氣迫の強い人で、岩倉も相對すると、壓力を感じた。岩倉は、晩年に玉松の維新當初の功をたゝへて、追慕の談を井上毅に筆談させてゐる(『梧陰存稿』卷一「岩倉公逸事」)が、玉松その人は、すでに明治三年、岩倉を痛烈に難詰して、決裂を宣告して京都に歸り、門を閉ぢて憤りの念禁じがたきまゝ、明治五年に歿した。そのころ、激派の地方神道人には、外山光輔卿を立てゝ蹶起をはかり、また愛宕通旭卿を立てゝ、謀叛を企てたとして、死罪となつた者が多いが、政治的暗黒裁判の疑念が多い。

 明治四年には、玉松と親しかつた矢野玄道・權田直助・角田忠行および丸山作樂等の一連の神道家が、突如として檢擧された(丸山は、その後も長い在獄生活をした。他の多くのは、五年七月二十四日には免罪となつたが、發言力を失つてしまふ。所謂る平田派の國事犯事件)」と。



【丸山作樂翁と須多因博士】
  
↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/780
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/792
 
 

謹んで訂正します。

 投稿者:備中處士  投稿日:2014年 2月10日(月)23時00分28秒
返信・引用 編集済
  いちのへ樣

 ご退出の諒承、有り難うございます。

一、貴殿は「三八云々」と、執拗に仰せですが、塾頭は、一言も仰せではありませんよ。「黒色火薬は、黒煙があがる」てふ一件です。どこかで筋が違つてをります。この件の蒸返しは、ご遠慮ください。

一、「あなたの要求通り退出しましょう、ですから私に対するいいがかり、【チヤンネル櫻の「靖国闊歩」の贊同者であつた貴殿】は、取り消してください。私はそのような行為に、チャンネル桜の掲示板上で賛同を表明したことはありません」。これは、小生の勇み足でありました。いちのへ樣の名譽の爲めに、謹んで訂正いたします。

一、明日は、紀元節。こゝ二三日の騒動に關する一件は無かつたものとして、各位には、ご諒承たまはりたう、宜しく御願ひ申し上げます。

 いちのへ樣、ご退出の御件、お聞き屆たまはり、重ねて御禮申し上げます。小生も、體調不良、介護する母の看護も重なり、暫く謹愼させて戴きます。なほ掲示板管理は、出來る限り行ふ心算ですので、御安心ください。

     九段塾管理者・備中處士、謹白
 
 

訂正を求め、退出とします

 投稿者:いちのへ  投稿日:2014年 2月10日(月)22時43分45秒
返信・引用 編集済
  備中處士さん

初めに申し上げますが、退席要求されるのも結構、受け入れるに吝かではありませんが、
退席を要求した相手には最期に言説の場を与えられることが公正だと思いますので、
以下書かせて頂くことをご了承ください。駄目なら即刻削除で結構です。

まず、

【塾頭は、『藝林』(昭和五十七年十二月號)の論文にて引用されましたし、
小生も、其の論文の主が、山岡貞次郎こと井星英翁であることから、 信用出來る旨、申し上げてをります】


わかりました、要は山岡氏という人が論文で叙述した三八式実包に関する内容を、
終戦時は4歳だった泉水氏が戦後に『藝林』で引用した、ということですね。

備中處士さんが、
『○○は△△である。何故ならば、それを云った誰それを私は無条件に全幅で信じるから』
という理由で、弾着距離測定用6.5ミリ特殊実包は存在したとするならば 、それはそれでいいのです。
『信じることで何かが物質的的に実存した』とする思考プロセスならば これ以上申し上げることはありません。


最期に。
備中處士さんは直前の投稿にて

【抑もチヤンネル櫻の「靖国闊歩」の贊同者であつた貴殿】

とまたもヘンなことを仰っていますが、これを唱えたのは『原風景』氏でしょう。私はちゃんと記憶しています。
私は彼のこの提案に唱和したこともないし、一緒に徒党を組んで参拝したこともない。
寧ろ、『靖国というところは徒党を組んで参拝するとこぢゃない、一人でひっそりいけばいいんだ』
と、ある人とネットの会話チャットで批判的に語っていたくらいです。そんな示威行動は恥ずかしいことだ、と。
私が徒党を組んでの昇殿参拝などしていないことを、あなたはご存知ないしょうが.......。

ですから、あなたが言う【チヤンネル櫻の「靖国闊歩」の贊同者であつた貴殿】は正しくありません。

あなたがいくら過去を検索しても私が『靖国闊歩』に賛同している書き込みなど探し出すことは出来ないでしょう。
何故なら、私はそんなことは一言も発言していませんから。
何故このような有りもしないことを頭ごなしに決めつけて、他者を誹るのでしょうか?

再度。
備中處士さんの要求通り退出しましょう、ですから、あなたも私に対する有りもしないいいがかり

【チヤンネル櫻の「靖国闊歩」の贊同者であつた貴殿】

は取り消してください。チャンネル桜の掲示板上で私はそのような行為に賛同を表明したことはありません。
 
 
<textarea id="adlesse_unifier_magic_element_id" style="display:none;"></textarea>

http://

 

これにて辞去いたします

 投稿者:ひぐらし  投稿日:2014年 2月10日(月)21時21分9秒
返信・引用 編集済
  備中處士様

 ご丁寧なご挨拶をいただきありがとうございます。
 私は長らくこのスレッドの読者でした。そこに、自らの掲示板を閉じた方が突然やってきて、「靖國神社の正統護持のために」とは無関係の自らの思想を語り出しました。もちろん、それは備中處士様が

> ②本掲示板の主旨に反する書込み

をお認めになられたのであり、私にはそのことに口を差し挟むことはできません。しかしながら、彼の書込は、備中處士様が別にスレッドを作るからそこでやって欲しいという段階にまで及んだと、私は理解しました。
 彼の言説に聞くべきものがあればともかく、言説の内容以前に、公の場に言論・意見を開陳するにはあまりにも「言論の作法」をわきまえないその姿勢(知的怠惰とでも申しましょうか)に苦言を呈したものです。

> 塾生と否とは問ひませぬが、せめて九段塾の『常識』の範圍、殊に喧嘩は、絶對に御法度
> です。論爭も一二囘はあり得ませうが、君子の爭ひにて、宜しく御願ひ申し上げます。な
> ほ我慢ならぬ所もありませうが、堪忍も修業の内、私見は程々に。感情が昂揚した折は、
> 一日おいて、冷靜を取り戻して意見を述べて下さい。切磋琢磨は當然ですが、抑も論爭の
> 勝ち負けは、此の掲示板ではありませぬ。かう云ふ意見もあるのかと、勉強の一助として
> お聞き置き下さい

 これは、彼と私の両方に向けて呼びかけられたものと理解し、私が年来のこのスレッドの読者であることを明らかにした上で、彼の「言論の作法」に疑問を呈しているのであり、彼の思想に問題にしているわけではない旨を再確認させていただき、それにて辞去しようと思っておりました。しかし、これは私にのみ向けられた「警告」だったのですね。

> 「度が過ぎる」論爭ないし喧嘩は、ご法度です。

 とのことですが、汚い言葉で私を侮辱し、私の思想信条を勝手に決めつけて「論争」(というか「目を覚ませ」等の命令ですね)と「喧嘩」をふっかけてきたのは彼の方ではありませんか。やむを得ず対応した、というのが私の認識です。

 備中處士様は、彼の私への態度を

> ③禮儀・品位に著しく缺ける言語

とは認識されず、また彼の言説が、

> ④論理・文法が判らないもの

に該当しないと認識されました。そして、彼には、

> 「度が過ぎる」論爭ないし喧嘩は、ご法度です。

というこの掲示板のルールは適用せず、私にだけ、

> 場を少しは辨へて戴かないと‥‥、再度、御願ひ申し上げたいと存じます。

ということなのですね。彼は場を辨えているが、私は場を辨えていないと・・・。了解致しました。認識が違うのは仕方ありません。

 この掲示板の管理人は備中處士様であり、この掲示板の中でこれ以上異論を申し上げるわけには参りますまい。丁寧なご挨拶をいただいたばかりですが、これにて辞去し、泉水隆一氏の肉声である「靖国神社の真実」を読み返すことと致しましょう。
 今後のご活躍をお祈り致します。
 

九段塾掲示板の作法。

 投稿者:備中處士  投稿日:2014年 2月10日(月)18時59分28秒
返信・引用 編集済
  いちのへ樣

 本掲示板は、最上段に掲げてをりますやうに、

「本掲示板およびスレツドは、『靖國神社の正統』を、九段塾頭より學び、共に語り教へ合つて、志操を固め且つ昂め、靖國神社の正統を恢復護持し奉らむとする掲示板であります。
 なほ①
神宮
皇室等、畏き邊りに對し奉る不敬な言擧げ、②本掲示板の主旨に反する書込み、③禮儀・品位に著しく缺ける言語、④論理・文法が判らないもの、⑤青少年へ惡しき教育效果を與へる書込み
等は、嚴禁であること、勿論であります。かやうな場合は、管理者權限にて削除、または書込禁止の處置をさせて戴きますので、豫め御承知おき賜りますやう、謹んで御願ひ申し上げます」。

③④⑤は常識の範疇でありますが、①②に關しましては、他の掲示板よりも嚴格であります。他の參加者・閲覽者各位の靈眼も之れ有り、宜しく御願ひ申し上げます。

 「此所は、友人からたまたま紹介され、昨日、覗いただけのこと‥‥この掲示板に連投するつもりなどは、更々ありません」由、掲示板の趣旨は、件の如し。「九段塾頭より學び、共に語り教へ合つて、志操を固め且つ昂」めむと欲せず、他の投稿を閲覽する氣も、始めから無く、「情報を貼っただけで、他意はありません」とのこと、一見の投稿なら幸甚、切にご遠慮ご退場を乞ひます。

 「私が、何処でどう、揶揄罵倒したのか、具体的に示して頂けませんか? もしそのような非礼を仕出かしていたならば、記録を示してください」と。貴殿は、もう、お忘れでせうか。貴殿等の仰る「奥座敷」とやらの、――塾頭の言葉で申すなら、「三銃士」間の遣り取りを‥‥。塾頭も覗かれて

扉を開けたら、なんだ石ころが三つ転がっていただけか、という感想ですかな。要は「脇が甘い」から、こういう失態を晒す。しかし、傑作だった。なんか、熊野山中の盗賊の棲家を覗いたみたいで、酒盛りの真っ最中だった。向こうも笑っていたが、こちらもゲラゲラ」笑つてをられました。


小生は、不愉快千萬でしたが、諦觀の氣持ちもございました。古參の方々は、周知のことです。「【己を省みることとは無縁の貴殿のこと】との人格誹謗」とのことですが、「奥座敷」での言辭は、あれは何だつたのでせうか。人間は、悲しいことながら、感情を持ち合はせてをりますので、貴殿と交はることは、畢竟、無理と申すものでせう。「先に仕掛けたのは、アンタ」と。違ふのですか。抑もチヤンネル櫻の「靖国闊歩」の贊同者であつた貴殿が、「一兵士」翁を快く思はない、否、チヤンネル櫻主宰者某と同類ならむと、小生は考へてをりますが‥‥。

 小生が「一言『挨拶』あつて然るべき」と申したのは、「ご挨拶が遅れた段、先ずはお詫びいたします」てふ、取つてつけたやうな無機質な遲延のことでは無いのです。況んや「挨拶が無いと、先ずは叱責」と。誹謗・叱責など、とんでも無い、闖入・喋々再言に、貴殿が「呆れる」以上に、小生も、たゞ呆れてゐるだけです。

 「私は『一兵士の三八式実包に関する記述はおかしい、この人は、経験を偽っているのではないか?』と、疑義を呈しただけ、あなたはそれが面白くないようですが」と。塾頭は、『藝林』(昭和五十七年十二月號)の論文にて引用されましたし、小生も、其の論文の主が、山岡貞次郎こと井星英翁であることから、信用出來る旨、申し上げてをります。貴殿は自己主張が強烈で、聞く耳を持たぬだけの事です。

 「もしそれが虚偽であったならば、他の体験談や断定も、本当に確かなものかどうか、不明と思われることは当然でしょうし」と。仰せの如くであれば、貴殿はご存知あるまいが、塾頭が如何なる御方か、この掲示板の閲覽者は、既にご承知です。然しsakamoto樣との應答によれば、どうも知つて、敢へて申されてゐるやうですから、なかゝゝの御方です。此の言は、世に云ふ「荒し・煽り」の類でせう。屋上、屋を重ねて、なほ挑發されますか。

 「一兵士氏への疑念/批判が【執拗な揶揄罵倒】であるとするならば、今まさにあなたが、私の示した技術的疑念について回答する責務を負うことになった」由、「執拗な揶揄罵倒」と「技術的疑念」とは、全く連動しません。前者は「奥座敷」でのこと。小生の愚鈍なる、貴殿の、

○○さま、読んでいらっしゃると思いますが、少しは面白くなってきたかナ?と。........んなこたないか.......?笑 ウヌボレにすぎませんが、長年、『正論だんわ室』でモマれてきた、カラミ技術の成果がチッタァでないと、今迄使った時間がバカみたいですもんネ(泣)」、

其の蕃流の「リベート」とやらの御相手は、到底、出來かねません。貴殿と小生とでは、餘りにも思想の根底が違ひ過ぎます。

 「出鱈目なことを書いている、やっている相手に対しては、ストレートに批判指摘を行うのが、当方のスタイル」の由。さうですか、どうか、他所で頑張つて下さい。貴殿の明晰なる頭腦では、本掲示板も「出鱈目」だらけなのでせう。貴殿の口は、天下無敵、誰も叶ふまいと、小生は諦めてをります。管理者・備中處士は、暇つぶしの恰好の鴨、與し易しと思はれたのでせう。一度だけ、及ばすながら、お相手させて戴きました。光陰、矢の如し。もう、ご放念ください。ご返事は、ご無用に願ひます。

 いちのへ樣、「この掲示板に連投するつもりなどは、更々ありません」實證を、是非とも御示し賜はらむことを。



 Sakamotoさん、塾頭への配慮、洵に有り難うございます。願はくば「いちのへ」樣への應對、何卒、中止して下さい。伏して幾重にも御願ひ申し上げます。

 ひぐらしさん、「初めての投稿」で、「九段塾の読者」の由。挨拶が遲れましたが、それはゝゝゝ、有り難うございます。然し前の「九段塾の本義」にて、「塾生と否とは問ひませぬが、せめて九段塾の『常識』の範圍、殊に喧嘩は、絶對に御法度です。論爭も一二囘はあり得ませうが、君子の爭ひにて、宜しく御願ひ申し上げます。なほ我慢ならぬ所もありませうが、堪忍も修業の内、私見は程々に。感情が昂揚した折は、一日おいて、冷靜を取り戻して意見を述べて下さい。切磋琢磨は當然ですが、抑も論爭の勝ち負けは、此の掲示板ではありませぬ。かう云ふ意見もあるのかと、勉強の一助としてお聞き置き下さい」と申しましたが、ご理解いたゞけませんか。此の掲示板は、「塾」と銘打つてをる以上、塾頭なき後では、勉強會・切磋琢磨の場でありませう。何處の團體でも、勉強會でも、「度が過ぎる」論爭ないし喧嘩は、ご法度です。こゝは2チヤンネルでも、櫻のやうな巨大掲示板でも無いのです。場を少しは辨へて戴かないと‥‥、再度、御願ひ申し上げたいと存じます。

 閲覽者各位、此の掲示板管理者の不徳無能により、紀元節の前日、かくも醜惡無樣なる體を曝し、「九段塾」掲示板を穢しまして、慙愧に堪へません。幾重にも御詫び申し上げます。何卒、ご容赦ください。懇祈、懇祷。
 
 

日韓併合条約

 投稿者:sakamoto  投稿日:2014年 2月10日(月)18時26分20秒
返信・引用 編集済
  第六條

日本國政府ハ前記?合ノ結果トシテ全然韓國ノ施政ヲ擔任シ同地ニ施行スル法規ヲ遵守スル韓人ノ身體及財?ニ對シ十分ナル保護ヲ與ヘ且其ノ福利ノ增進ヲ圖ルヘシ

第七條

日本國政府ハ誠意忠實ニ新制度ヲ尊重スル韓人ニシテ相當ノ資格アル?ヲ事情ノ許ス限リ韓國ニ於ケル帝國官吏ニ登用スヘシ

日韓併合条約の第六条第七条に着目してみた。この条約の文言をもってなお、いちのへさんの言う、

「戦中の雇用に関して『日韓条約』の枠外と『条理解釈』して日本企業に賠償を求めることと同じ」というような結論を導くことが果たして妥当だろうか。

この二つの条文には明文としては朝鮮人の雇用に関する具体的な文言はないが、これに反対解釈もしくは類推解釈を加えることによって、朝鮮人の強制労務や強制徴用を合法のものとする根拠が見出すことが可能となる。

条文にある「法規ヲ遵守スル韓人」とか「制度ヲ尊重スル韓人」には十分な福利を与えるとか、官吏に登用する、といった「負担付き」の契約だな。これら法律に付記された条件を「附款(ふかん)」というのだが、当時の韓国政府は合意の上でこの条約に調印し、国内的にも批准しているのだから、ここ(日韓併合条約)に、いちのへさんの言うように「条理解釈」を持ち込む余地はない。

そしてこれらの条文を「反対解釈」すれば、「法規ヲ遵守シナイ韓人」や「制度ヲ尊重シナイ韓人」には強制労働を課してもそれは法律の許す範囲内である、ということになる。解釈的に可笑しかろうが苦しかろうが、法律とはそういうものです。

従って、いちのへさんのお説はとんだ的外れということになる。
 

荒らしは即刻削除

 投稿者:sakamoto  投稿日:2014年 2月10日(月)17時43分41秒
返信・引用 編集済
  これだからオツムのよろしくない方とのやり取りは嫌なんだ。

一次的には法律の文理解釈という方法を取る。これがまずは基本だ。次に、法律に直接的な規定が置かれていない場合、他の条文の反対解釈もしくは類推解釈が準用できないか、とやる。

そして、反対解釈や類推解釈の元となる規定がないとなった場合に、ようやく条理解釈の出番となる。

こんなことは法律を少しかじったことがあれば常識中の常識だ。そしてその条理解釈は法律の趣旨・目的・条理等を根拠として、言外に意味を読み取って解釈することが許される。このぐらいはどこの法学部の学生だって知っている基礎のそのまた基礎だ。

あなたの言うのは、法律用語でいうなら「趣旨の操作」あるいは「文言の操作」というものです。従ってそれは条理解釈とはまったく違う。「自分流の解釈」などと余り無礼を言うなよ。

備中さん

私が来たことで、とんだ騒動となってしまい申し訳ありません。おそらく塾頭を快く思わない者が、乱入するタイミングを虎視眈眈と狙っていたのでしょう。

田母神は単なるその「ダシ」です。間違いない。荒らしは即刻削除がよろしいかと存じます。
 

知的誠実性

 投稿者:ひぐらし  投稿日:2014年 2月10日(月)15時11分12秒
返信・引用 編集済
  sakamoto様

 私の問いかけには無視を決め込んでおられるようですね。同じことの繰り返しになりますが、再度、貴殿にご意見申し上げることとします。

 何故、貴殿は、泉水隆一氏の生年を調べる努力をされてから書込をなされないのですか。その努力や手間を惜しみ、「条理解釈」などという言葉を持ち出してこのように一兵士氏を擁護されていますね。

> まあこれは私の勝手な推測ですが、おそらく一兵士さんはその時(それも60年以上昔
> の記憶を辿って)の「印象(impression)」を述べたに過ぎなく、事実がどうであったか
> などは二義的なことであり、大事なこととは一兵士さんがその時それをどう感じていた
> のか、といった、そういう表象的な事実のほうを大事にしようじゃないか、ということ
> だ。

> 年齢的にいって一兵士さんの従軍経験は不自然だ、との指摘には正直一兵士さんのお歳
> を知らないからコメントは控えるが、戦場での実戦で撃ったのか、少年練兵の一環とし
> て撃っただけに過ぎないのか、そこらへんが定かでない以上(故人である以上、確かめ
> ようもない)死者についてたかだかの生者があれこれ詮索するのはいかがなものかと思
> う。

 一兵士こと泉水隆一氏は、平成22年7月16日に逝去されました。享年69歳。終戦時には4歳か5歳でしょう。これは、まさにこの掲示板に備中處士氏が書かれていることです。
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t36/l50

 一兵士氏は、「印象(impression)」を述べた」のでしょうか。「少年練兵の一環として撃った」のでしょうか。「故人である以上、確かめようもない」とのことですが、本当にそうですか。少しの努力や手間を惜しむので、結果としてこのような突拍子もない文章になるのです。
 「死者についてたかだかの生者があれこれ詮索するのはいかがなものかと思う」となにやら「保守思想」的なことを語っておられますが、「死者」について自分の思い込みを書き殴ることは「死者」への冒涜ではないですか。「生者」として「死者」について語るときには、基本的なことくらい調べてから語らなければ「死者」に対して失礼だとは思われませんか。いや、貴殿の場合、「生者」にも勝手な自分の思い込みを語っておられますね。

 「条理解釈」という法律用語を持ち出しておられますが、「条理解釈」は

> (条約=国際法も含め)法令等の条文に書かれていない事案に直面した場合、それらが
> 反対解釈や類推解釈の適用も困難な場合に限って言外に意味を読み取って解釈すること
> が許されるというものです。

 との説明は全く間違っています。法律用語としての「条理解釈」とは、「法令の文言にとらわれることなく、法令の目的・趣旨・道理(条理)などに重きをおいて解釈すること」です。すなわち、「望ましい法規範を創造するために、文理解釈で不十分と考えられる場合」に例外的に用いられる法解釈です。「条文に書かれていない事案に直面した場合」に「許される」法解釈の方法などではありません。

(条理解釈の定義については、例えばここに記載されています。)
http://kohoken.s5.pf-x.net/cgi-bin/folio.cgi?index=nen&query=/lib/khk071a3.htm

 しかも、法律用語としての「条理解釈」の適用範囲を法律ではない文章にまで拡大させ、

> 重要なのは直接書かれたことそれ自体を根拠に事実かそうでないかを論うのでなく、
> 言外に意味を汲み取って解釈する『条理解釈』なんだ

とは、私の理解の範疇を超えています。しかしながらこれで得心しました。田母神論文を徹底的に読み間違え、私の書込の論旨をまるで理解できなかった理由が。「言外に意味を汲み取って」ご自分の解釈したいように解釈していたということですね。
 なるほど、話が通じないわけです(嗚呼)。

平成26年2月10日 15時23分
 句読点修正

平成26年2月10日 16時06分
 文言修正。論旨に変更なし。
 

成文法主義を排せ

 投稿者:sakamoto  投稿日:2014年 2月10日(月)13時39分30秒
返信・引用
  法律的な意味で「条理解釈」という言葉を使う場合は、(条約=国際法も含め)法令等の条文に書かれていない事案に直面した場合、それらが反対解釈や類推解釈の適用も困難な場合に限って言外に意味を読み取って解釈することが許されるというものです。

日韓条約をきちんと読んだことはないが、おそらくそこには「戦後の損害賠償」に関する規定など書かれていないでしょう(敗戦を予定していたなら話はまた別でしょうけど)が、仮にそこに反対解釈や類推解釈できる文言が条文に書かれていれば、「日韓条約の枠外」を理由に日本企業に損害賠償請求することはできない。

ですから「なんでもあり」というのは的外れであって、「条理解釈」の適用が妥当なのは今のこの論点・・・一兵士さんが実戦で撃ったかどうかが論争となっている三八式歩兵銃についての・・・に限ってのことであり、日韓条約に関して言うなら、反対解釈や類推解釈が可能であれば、それらで対応すべきことであって、ここに「条理解釈」を持ってくるのは条理解釈の適用の範囲を逸脱している、ということだな。

そもそも、国際法にせよ国内法にせよ、無限にあるであろう様々な事象に対応するための個別具体的な条文を用意せよ、などとやっていたら、それこそ条文が何千何万あっても足りなくなってしまう。解釈学(ハーマニューティクス)というのは抽象的な言い回しの条文を、個別の案件にどう具体的に落とし込んでいくかについて考察するためには不可欠な学問なんだな。

おそらく日韓条約にも具体的な規定こそないにせよ、戦時徴用や戦時労務に関する免責事項(つまり意思の合意があった妥当なもの)と解釈可能な条文があった、とみておくのがまともな思想ではないか。

年齢的にいって一兵士さんの従軍経験は不自然だ、との指摘には正直一兵士さんのお歳を知らないからコメントは控えるが、戦場での実戦で撃ったのか、少年練兵の一環として撃っただけに過ぎないのか、そこらへんが定かでない以上(故人である以上、確かめようもない)死者についてたかだかの生者があれこれ詮索するのはいかがなものかと思う。

 

Re: 戦後の悪弊としての科学主義を撃つ

 投稿者:いちのへメール  投稿日:2014年 2月10日(月)12時16分17秒
返信・引用 編集済
  sakamoto氏への返書。

おそらく一兵士さんはその時(それも60年以上昔の記憶を辿って)の「印象(impression)」を述べたに過ぎなく

↑ということは、一兵士氏は従軍経験があって、実際の三八式歩兵銃を撃ったことがあるということですね?
氏の生年あるいは軍歴は御存知ですか? 氏は何歳で平成22年に逝去されたのか御存知ですか?

重要なのは直接書かれたことそれ自体を根拠に事実かそうでないかを論うのでなく、言外に意味を汲み取って解釈する「条理解釈」なんだ

↑ それが世の中に通るなら韓国の司法が戦中の雇用に関して『日韓条約』の枠外と『条理解釈』して日本企業に賠償を求めることと同じ、
 そして、それは法理よりもさらに【重要なこと】なのですね。それならば、世の中なんでもアリですね。






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http://

 

戦後の悪弊としての科学主義を撃つ

 投稿者:sakamoto  投稿日:2014年 2月10日(月)11時53分34秒
返信・引用
  「もう出てこない」と言いながら、たびたびの出現で申し訳ないが(笑)、いちのへさんのそれは文理解釈といって、書いてある文言ただその一点だけを捉えて、それがある事柄についての定説や理論と合致しないとなると直ちに虚偽で片付けてしまう、言わば、戦後の悪しき悪弊としての科学主義に依存した物の見方ではないか。

違うのだ。

重要なのは直接書かれたことそれ自体を根拠に事実かそうでないかを論うのでなく、言外に意味を汲み取って解釈する「条理解釈」なんだ。

科学主義は人間精神を一つの範型に押し込み、その規定にないようなもの、その型からはみ出したものを一切認めようとしない、杓子定規的な物の見方をモットーとする。今言った「文理解釈」や「法規的解釈(定義解釈)」などがその見本だな。

まあこれは私の勝手な推測ですが、おそらく一兵士さんはその時(それも60年以上昔の記憶を辿って)の「印象(impression)」を述べたに過ぎなく、事実がどうであったかなどは二義的なことであり、大事なこととは一兵士さんがその時それをどう感じていたのか、といった、そういう表象的な事実のほうを大事にしようじゃないか、ということだ。

確かに科学は大事ですよ、しかし、科学に人間が使われるようになっちゃお仕舞いですよ。
 

これは失礼しました

 投稿者:いちのへメール  投稿日:2014年 2月10日(月)02時02分7秒
返信・引用 編集済
  備中處士さん
ご挨拶が遅れた段、先ずはお詫びいたします。
早速ですが...........。

「いちのへ」氏、貴殿は、チヤンネル櫻と一味して、我が一兵士翁を、執拗に揶揄罵倒した「三銃士」の一人ではないか。
 何の顔せあつて、此の掲示板に闖入し來れるや


わかりました。ですが、ならば私が何処でどう揶揄罵倒したのか、具体的に示して頂けませんか?
私の記憶では『一兵士』が三八式歩兵銃の弾着を見るに特殊弾(黄色い煙が出る?)を使って距離を計った云々の記述がありましたので、
はて、当時は既に三八式用6.5ミリ実包には無煙火薬が使われている、あるいはトレーサー(曳光弾)を使ったのか、
しかし今迄読んだ支那大陸の戦記では歩兵が携行する三八式実包にトレーサーが含まれていたような記述は一度も読んだことがない、
この『一兵士』なる人物は本当に実戦で三八式用6.5ミリ実包を撃ったことがあるのだろうか?という疑念を素直に桜の掲示板に書いたつもりです。
(もしそれが虚偽であったならば、他の体験談や断定も本当に確かなものかどうか不明と思われることは当然でしょうし。)

まずは、上記の一兵士氏が云う『特殊弾』がどのようなものか、御存知でしたら御教示ください。
それについて当方が無知であるか勘違いしていたのならば勿論平伏して陳謝致します。
此所は友人からたまたま紹介され昨日覗いただけのこと、核武装についてあきらかに誤った断定がありましたので
参考までに情報を貼っただけで他意はありません。

しかしですね.......。挨拶が無いと先ずは叱責、それはいいでしょう、しかし次段で【己を省みることとは無縁の貴殿のこと】との人格誹謗とは畏れ入りました。
いままで、私が、このような言葉を受けるに値する何か批判や攻撃的なこと、失礼なことをあなたに云ったことがありますか?
もしそのような非礼を仕出かしていたならば、記録を示してください。平伏陳謝致します。
私は『一兵士の三八式実包に関する記述はおかしい、この人は経験を偽っているのではないか?』と疑義を呈しただけ、
あなたはそれが面白くないようですが、ならば一兵士氏のかわりに、先ずは私が『疑念を呈した』三八式実包に関する
技術的説明をすれば良いではないですか。

御存知でしょうが、三八式実包6.5ミリの初速は762m/sで音速の倍以上の速度で射出されていく、
実戦に於いては着弾する場所が砂埃が立つ場所とは限らない、ましてや戦闘地域は支那の山野、
プローン(伏せ)姿勢での射撃では着弾地点は尚更視認しづらい。
プラス、日本軍における小銃弾が6.5ミリから7.7ミリに変更された経緯は備中處士さんも御存知でしょう、
威力不足のみならず、6.5ミリでは曳光弾は仕込めないことがひとつの理由だったわけです。
曳光弾が仕込めないならば、着弾確認の為に『黄色い煙?』だかが出る発煙実包も製作が困難だったろう、
一兵士氏の体験談通り、そのような発煙実包が本当に製造されたのだろうか?という疑念を持つのは自然だと思いませんか?

当方の考えでは、プローンで撃とうがニーリングで撃とうが、音速の2倍の速さで飛ぶ小銃弾の実戦射撃開始距離は
400メートルくらいなそうですが、その400メートル先の地点で着弾したとしても、さらに跳弾してポンポン先へ飛ぶ、
だからたとえ発煙する弾頭であろうとも、煙によって弾着を把握することは実用的ではない、と推測しています。
仮令、トレーサーを使用したとしても、機関銃のように連続射撃が出来ないボルトアクション式単発射撃において
音速の2倍で飛んでいくトレーサー弾頭を射撃した本人が直視確認することは反動で銃が大きくリバウンドするので不可能だと思います。

私は、根拠なく、他人の人格や性格を誹謗罵倒することは『どちらかというと』やらないほうですが、
今回はあなたのほうが

【己を省みることとは無縁の貴殿のこと】

と私の人格を断定しています。自己省察をすることなどない人間である、と人間の性向を断定している。
つまり、ランボー風に云えば、『You drew first blood=先に仕掛けたのはアンタだ』ということになると思います。
 
この掲示板に連投するつもりなどは更々ありませんが、私が記述した上記の技術的な疑問については綺麗にお答えいただければと思います。
この技術的疑問に対して明解な回答が無いのであれば、一兵士氏の発言のあやふやさ/論拠の不明さに起因する氏への批判が甚だしく
不当非礼であるとはいえないでしょう。すなわち、一兵士氏への疑念/批判が【執拗な揶揄罵倒】であるとするなば、
今まさにあなたが私の示した技術的疑念について回答する責務を負うことになったと思います。
 
 
尚、何処かで『一兵士』という人が泉水隆一という映画監督で、『凛として愛』という映画をリリースした人であることは
後日知りましたが、この方の生年は存じ上げませんが、従軍経験はあるのでしょうか?
また、水島総の『映画:南京の真実第一部』に批判があるならば、
何故『私は泉水隆一という者で、自分でも映画を撮っているものだが』と素直にモノを書かず『一兵士』などというハンドルで
他人の本業を批判するのかわからないですね。
私の場合は水島総の『映画:南京の真実第一部』の論理的反駁性の無さ、第二部の放擲に対しては実名も出して
徹底的に批判していますし、水島の金勘定の出鱈目さを突くために検察庁特捜部に水島を告発もしています。
詳しくは下記ブログを御覧ください。
 
憂鬱いちのへ空間
 
出鱈目なことを書いている、やっている相手に対してはストレートに批判指摘を行うのが当方のスタイル、
一兵士氏の云う『三八式実包特殊弾』への疑念もたまたま当方のセンサーにひっかかっただけ。
私は一兵士なる人がどのような人かは当時知らなかったし興味もなかった、ただ『弾着は特殊弾で計る』という言説に
『それは真実なのか?』と疑念を抱いただけ。その疑念を提示したことにより、数年後に遣り取りもしたこともない方から
 
【己を省みることとは無縁の貴殿のこと】
 
と性向を断定されるとは。正直に申し上げて、呆れております。
 
 
 
 
 
 




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http://

 

九段塾の本義。

 投稿者:備中處士  投稿日:2014年 2月 9日(日)23時19分59秒
返信・引用 編集済
  ●九段塾頭の曰く、「

 喫茶室・酒場は困りますが、皆さんが、塾の講義を聞いているだけでは疲れるでしょう。私も以前から、気楽にみなさんがお話を出来る「休憩室」みたいなものを作ったら、案外、いろいろなことをおしゃべりできていいかな、とは思っています。酒の「話だけ」なら構わないが、持ち込みは厳禁です。お茶とお菓子ぐらいで、あとは手弁当を食べるぐらいはいいでしょう。あくまでも「九段塾の休憩室」ですから。居酒屋ではありませんよ(笑)。

 そこで『時計の間』という部屋を、スレッドの中につくってもらいましょう。「時計の間」の意味は、休憩室ではあるが、常に柱には「時計」が架っていますので、いつまでもグダグダ、この休息の場でだべってばかり、寝そべっていては困るという話です。

 焼酎の話でも、孫の話でも、世間話でも、それは一向に構わないと思いますが、それでもこれから天下に名を馳せようと考えている九段塾ですから、あまり品位の無い話はまずいでしょう。政治の話、神社の話し、時世の話、日常の話、旅の話し、よもやま話――九段塾の掲示板では、少し不似合いな話。それは、なんでも自由でいいでしょう。あくまでも皆さんの休憩室。講義の間の休憩室です。そこらへんは、皆さんなんですから、善く飲み込んで理解して下さい。九段塾の「常識」の範囲で。

 喧嘩は、絶対ダメですよ。つい、激論、激昂にはしりそうなメンバーもいそうなので、塾生同士の喧嘩は、絶対にご法度。

 「時計」がありますから、あくまでも時計を眺めて、お話を適度にされて。

 ‥‥それと、これは私の気持ちだが、あまり食い物と飲み物の話ばかりというのは、私は好きではない。歳をとると(若ければなおさらだが)、必ず「どこそこの酒はいいとか、名物はいいとか」話し出す。昔、大先輩より云われた言葉があって、「人間、食い物・酒の話の自慢話をやるようになったらおしまいだ」というのがあります。それはプチ人間になるからです。やはり食い物が無くて困った生活をしている人たちが、世間には沢山いるし、自分もそういう経験をしてきている。みなさんはそれなりの生活を作ってきているのでしょうけれど、自分たちだけが幸せな話をされるのは、私は好まない。「たまには、すこしは、いいでしょうが、あまり食い物・酒の話をするのは困ります」。これは私の性格で、もともと酒宴が嫌いなもので、申し訳ない。食い物にもあまり興味が無い。なんでも、あれば食べるので。どれがおいしい、まずいを云うと、怒られる。今でも。「なんでもおいしいおいしい」と食べるのが普通ですからね。それと‥‥結構、うるさいですが、「今日は俺がおごるとか、ごちそうするとか」の会話。これも好きではない。申し訳ないね。なんだかんだ、うるさくて。

 「じゃ、ちっとも自由にしゃべれないじゃないか。そんなら休憩室はいらねえよ」とは言わないで下さいよ。九段塾ですからね。そこらここらにあるもんじゃない。××社を始め、多くの正統保守が見ている掲示板ですから。そこはそれ、お願いします。じゃんじゃん、やってもいいですよ。お茶とお菓子と弁当で。なんとか間を持たせて、休憩して下さい」と。

**********

 九段塾管理者、謹んで白す。

 件は、別スレツド「時計の間」卷頭に掲ぐる、塾頭の言であります。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t19/l50

 本掲示板は、九段塾頭、亦た花椿一心・一兵士・泉水隆一と號す所の、金城福井忠翁が、『靖國神社の正統護持』を期さむと、それはゝゝゝ、大切にされてをられる掲示板であります。塾頭の『尊皇・勤皇の風を吹かせよ』との遺言を承け、備中處士、固より不肖を顧みず、管理をさせて戴いてをります。他の凡百の掲示板と違ひ、其の趣旨に反するものは、之を許さず、又た「塾生」と否とは問ひませぬが、せめて「九段塾の『常識』の範圍、殊に喧嘩は、絶對に御法度」です。論爭も一二囘はあり得ませうが、「君子の爭ひ」にて、宜しく御願ひ申し上げます。なほ我慢ならぬ所もありませうが、堪忍も修業の内、私見は程々に。感情が昂揚した折は、一日おいて、冷靜を取り戻して意見を述べて下さい。切磋琢磨は當然ですが、抑も論爭の勝ち負けは、此の掲示板ではありませぬ。かう云ふ意見もあるのかと、勉強の一助としてお聞き置き下さい。

 然しこゝからは言葉を改める。「いちのへ」氏、貴殿は、チヤンネル櫻と一味して、我が一兵士翁を、執拗に揶揄罵倒した「三銃士」の一人ではないか。何の顔せあつて、此の掲示板に闖入し來れるや。一言、「挨拶」あつて然るべきであらう。塾頭、現身はあらずとも、此の掲示板を見てをられる。貴殿を許容することは、管理者の責任を問はれる。己を省みることとは無縁の貴殿のこと、面白半分にて書込まれることは、ご遠慮あらむことを切に乞ふ。此の零細掲示板に、貴殿のやうな有名な御方は、抑も似つかはしくありませんでせう。 ご活躍を御祈り申し上げたい。



●松陰先生『講孟箚記』梁惠王上・第六章に曰く、「

[孟子、梁の襄王を見る。卒然として問ひて曰く、『天下、惡(いづ)くにか乎、定まらん』と]

 梁の襄王の暗愚、固より論を待たず。但だ其れ尤も暗愚を見るべき者、果して何れにありや。曰く、『天下、惡くにか、定まらん』の一句にあり。‥‥此の時、梁國、四方に難多し。然るに襄王、一も憂勤□[立心+易。てき]□[勵の左。れい]の色、あることなし。其の『天下、惡くにか、定まらん』と云ふは、世上話なり。かゝる田別(たわけ)者、安(いづ)くんぞ與に語るに足らん。蓋し此の章を擧げて、孟子、梁を去る所以を示すなり。

 抑も有志の人、言語、自ら別なり。心・身・家・國、切實の事務を以て世上話となす者、取るに足る者、有ることなし。是れ人を知るの眞訣なり。然れども是を以て人を知るの眞訣とするも、亦た世上話の類のみ。宜しく親切反省すべし。辭を修め誠を立つる(『易經』文言傳)、是れ君子の學なり」と。



 愚案、「心・身・家・國、切實の事務を以て世上話となす者、取るに足る者、有ることなし」とは、松陰先生の嚴訓、仲間内の密室ならいざ知らず、テレビ等の公的媒體にて、政治・國防等、皇國の重大事を、漫才師よろしく、誇つて漫談を爲す者は、小生の好まざる所、反省する所であります。
 
 

だからもう休ませてくれってば

 投稿者:sakamoto  投稿日:2014年 2月 9日(日)16時00分40秒
返信・引用 編集済
  おそらくそれは、NATOに見るようなNS(ニュークリア・シェアリング)制度を言ってのものでしょうよ。

私がアメリカが決して許容しないだろうというのは、アメリカ本土を射程に収めるような大陸弾道弾(つまりしょぼい戦術核なんかではなく、ニューヨークやワシントンを数発で瞬時に灰にできる能力を持った戦略核を言っている)のことであり、コレまでをアメリカが認めるなどということは絶対にないということですよ。

しかしそれでは意味がないんだ。中朝韓への抑止力に期待するだけなら射程2000キロもあれば十分だろうが、アメリカの内政干渉を跳ね除けるために持つ核はアメリカを射程に入れたものでなければ意味がない。

核に中韓への威嚇効果だけを求め、アメリカとの離別の手段というのをお座成りにしてるから、何時まで経ってもそのイデオロギーから自由になれないんだ。

 

核武装は大事なイシュウなので事実提示

 投稿者:いちのへメール  投稿日:2014年 2月 9日(日)13時50分57秒
返信・引用 編集済
 
【日本人特有の楽観主義といえばそれまでだが、アーミテージやナイらの言葉からも自明のように、
 わが国の核武装を歓迎するお人好しのアメリカ人など一人も居ないということだ。】


以下、御参考まで証拠提示。


http://megalodon.jp/2012-0517-0640-09/sankei.jp.msn.com/politics/news/111009/plc11100920310007-n3.htm

安全保障読本(55)米国から提唱する「日本の核武装」

【有力政治評論家クラウトハマー氏による米ワシントン・ポスト紙などのコラムはその典型だ。
氏は「日本が唯一の核兵器被爆国として過去、 自国の核武装に強く抵抗する理由は明白だったが、
常軌を逸した隣国が核兵器保有を公式宣言するに至った今、再考が必要になった」と言明。

「国際社会の模範的一員というだけでなく、米国にとり英国に次ぐ最も重要で最も信頼できる同盟国となった」と指摘しつつ、
「主要国は全て核保有国になったのに、日本は真の異端」とまで踏み込んだ。

同じ頃、ブッシュ前大統領のスピーチライターだったフラム氏も米ニューヨーク・タイムズ紙への寄稿で、
日本にNPT(核拡散防止条約)破棄と核抑止力構築を奨励せよと、驚くべき提案をしている】

【日本への独自核の勧めを説いたのは、イラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」と名指しした2002年のブッシュ大統領の
 一般教書演説の草稿を執筆したことで知られるデビッド・フラム氏。
10日付の米紙、ニューヨーク・タイムズへの寄稿で日本に核拡散防止条約(NPT)の破棄と核抑止力の構築を奨励せよと
ブッシュ政権に求め、「中国や北朝鮮が最も恐れることだ。地域の核バランスを崩そうとする無法国家の試みを、
米国や友好国が積極的に正そうとすることを示す」と、その理由を説明した。】


【米政治評論家・クラウトハマー氏 日本に核武装奨励を 中朝抑止、東アジア安定
2006/10/22, 産経新聞

【ワシントン=古森義久】米国の有力な政治評論家でコラムニストのチャールズ・クラウトハマー氏は20日、
北朝鮮の核実験に関連して米国は最も信頼できる同盟国としての日本に核武装を促すことが東アジアの安定に
つながるという見解を発表した。ブッシュ政権の周辺ではこれまでの思考を根本から変えたこの種の日本核武装奨励論が目立ってきた。

クラウトハマー氏は20日付のワシントン・ポストなどに掲載された「第二次世界大戦はもう終わった」と題するコラムで
北朝鮮の公式の核兵器保有宣言という新たな事態に対し「日本が唯一の核兵器被爆国としてこれまで自国の核武装に
強く抵抗する理由は明白だったが、常軌を逸した隣国が核兵器保有を公式に宣言するにいたった現在、再考が必要となった」と述べた。

同コラムは「世界の主要国はみな核保有国になったのに、日本は真の異端だ」として、「米国も日本が核クラブに入ることに
疑念を抱いてきた」と述べる一方、「日本は国際社会の模範的一員というだけでなく、米国にとってイギリスに次ぐ
最も重要で最も信頼できる同盟国となった」ため、もはや核兵器保有を奨励した方がよいと示唆した。

同コラムは日本の核武装は日本がその関心を表明するだけでも

 (1)中国に朝鮮半島の非核化継続を強めさせる(中国は北朝鮮の核武装が米国の東アジアでの関心を奪うという理由からだけでも、
   北の核を放置している気配がある)
 (2)中国は日本の核武装を止めるために北朝鮮に本格的圧力をかけてその核武装を破棄させようとする
 (3)日本の「核カード」が北の核開発阻止の唯一の方法かもしれない-などと述べた。

同コラムは東アジアでの日本の政策目標は「軍事と政治の安定、陶酔したように膨張する中国の平和的な封じ込め、
無法な北朝鮮政権への反対、民主主義の拡散などという点で米国と同じ」だとして、だから日本の核武装を促した方が
中国や北朝鮮への抑止が効果を発揮する、と論じている。

そして結論として「なぜ米国は太平洋地域で安定し、信頼でき、民主主義の同盟国である日本が核武装により米国自身の
負担をも削るという展望に反対しつづけるのか」と 疑問を提起する形でブッシュ政権が日本の核兵器保有を奨励するよう訴えている。

クラウトハマー氏はブッシュ政権とも近い保守派の大物政治評論家だが、同じ保守派ではブッシュ大統領補佐官だった
デービッド・フラム氏も米国政府が日本核武装を奨励すべきだと提言したばかりだった。】

以上、『
わが国の核武装を歓迎するお人好しのアメリカ人は一人ならず居た』証明完了。





 

言論の作法 再び

 投稿者:ひぐらし  投稿日:2014年 2月 9日(日)13時36分37秒
返信・引用 編集済
  > No.2066[元記事へ]

sakamoto様

 私を誰と勘違いされたのかはわかりませんが、私に対して「またストーカーが出てきたようだ。」、「どこにいっても後をついてくるな。なんで私の後ばかり付いてくるんだ?」、「私の熱烈な『追っかけファン』が出てきたようですので(後略)」と私にとって非常に不愉快な言葉を投げたことへの言及はなしですか・・・。ネット上とは言え人間関係です。初めて言葉を交わす人にこれですか。

 私を「その方」とは別人と認識されて「覚醒せよ」を書かれたのであれば、貴殿が認識できる私の意見は、私の二つの書込だけの筈です。私は二つの書込で、貴殿の「言論の作法」を問題にしたのであって、「私の意見」を述べたのではないことは普通の読解力があれば自明でしょう。私は自分の思想信条を述べていないのです。それなのに、何故、「ご貴殿のような『産経新聞系保守』の方を私は散々見てきましたから(後略)」と私の思想信条を決めつけることができるのですか。このことを見てもやはり、貴殿の「言論の作法」には問題ありとせざるを得ません。「覚醒せよ」において、その後貴殿が書かれていることは貴殿が貴殿の意見を書かれただけで、私の書込の論点とは無関係ですから私の意見は差し控えます。しかし、何故、私は、貴殿に「安直な思想はそろそろ止」めろとか「いい加減に目を覚ませ!」とまで言われなければならないのでしょうか。私の思想信条を勝手に決めつけ、初めて言葉を交わす私に「安直な思想は止めろ」、「いい加減に目を覚ませ!」と命令することの異常さをお感じになられませんか。

 「そんな『高級』なことを言ってるわけじゃないのか。」というのはある意味当たっています。思想を語る前に、思想を語る言論には作法がある筈だというのが私の今回の書込の主旨です。
 いろいろ書かれていますが、書かれる前に、貴殿は再度田母神論文を全文読み通されましたか。読むのに便利なようにURLを記載しておきましたがクリックされましたか。ほんの9ページ程度のものです。さらに、貴殿はこの論文が何をテーマに書かれたものか確認されましたか。この論文は「真の近現代史観」をテーマにしたものです。ですので、私が引用した部分は、この論文の「核心部」ではありません。さらに、論文を読めば、私が引用した部分の後に「自分の国を自分で守る体制を整えることは、我が国に対する侵略を未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。」という文章が続いていますが、これを確認されましたか。さらに、「田母神が核武装肯定派かどうかは知らないが(後略)」とさらっと書かれていますが、「田母神俊雄 核武装」で検索すれば、彼が、こういう本を書いていることくらい10秒もかからずわかります。10秒の手間を惜しんだのですね。
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%A0%B8%E6%AD%A6%E8%A3%85%E8%A8%88%E7%94%BB%E2%80%95%E2%80%95%E7%9C%9F%E3%81%AE%E5%B9%B3%E5%92%8C%E3%81%A8%E8%87%AA%E7%AB%8B%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AB-%E7%94%B0%E6%AF%8D%E7%A5%9E-%E4%BF%8A%E9%9B%84/dp/4396614691
 私は、このように10秒もあればわかることすら調べもせず、批判すべき文章(田母神論文や私の書込)をよく読みもせず、どう読めばそう解釈できるかはわかりませんが、高圧的に決めつけ、自分の思想を理解しない人は馬鹿だと言わんばかりの貴殿の「言論の作法」を問題にしているのです。

 このスレッドは、「靖國神社の正統護持のために」をテーマとするスレッドです。それを私は静かに読んできました。ご自分の思想を語りたいのであれば、ご自分の掲示板を再開されてはいかがでしょうか。

平成26年2月10日
 「私は自分の意見を述べていないのです」を「私は自分の思想信条を述べていないのです」に修正。
 句読点修正。

平成26年2月10日 15時56分
 「田母神俊雄」を「田母神俊雄 核武装」に修正。
 

「一国独立」それこそが国体を護持するということである

 投稿者:sakamoto  投稿日:2014年 2月 9日(日)11時55分58秒
返信・引用 編集済
  そんな「高級」なことを言ってるわけじゃないのか。

「親子関係である」と田母神が言ったか言わないか、といった、低級な質問なんだから、ひと言「言ってるじゃん」でお仕舞いで良かったな。

田母神:

①私は日米同盟を否定しているわけではない。

②アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。

③但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。

④子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。

問題となっている田母神論文の「核心部」である部分を4段落に分けて考えてみよう。

第一段落において既に田母神氏の思想の中心にあるものが正直に吐露され、続く第二段落でその理由が述べられる。「中韓の脅威への対抗手段としての良好な日米関係が不可欠である」と。

そして問題の第三段落にある、「但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい」だが、これを普通の読解力をもってどう捉えるか。

確かに言い回しとしては「親子の関係である」とは言ってないが、「親子関係のようなものであることが望ましい」と、田母神氏自身の希望として「親子関係が望ましい」と正直に述べられているではないか。

確かに、「必要なときに助け合う」という条件を前置してはあるが、そんなものは言い訳にもならない詭弁であって、アメリカの核の傘にうずくまりながらの、アメリカの圧倒的軍事力に依存しながらの、そういった対等にない者同士の助け合いが果たして最後の段落にあるような、「子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている」の実現にどれだけ寄与するというのか。

日本人特有の楽観主義といえばそれまでだが、アーミテージやナイらの言葉からも自明のように、わが国の核武装を歓迎するお人好しのアメリカ人など一人も居ないということだ。

田母神が核武装肯定派かどうかは知らないが、仮にそうだとして、日米安保を友好な状態に保持したまま核武装を成し遂げようなどと氏が考えているとしたならそれは人間性に対する度し難い過信であり、その思想は左翼の基本形としての啓蒙主義の所産である。

核武装によって対等な関係を獲得せずして、氏の懸念する「日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく」などといったアメリカナイゼーションが治癒することなどあり得ないのですよ。残念ながら人間という生き物はそこまでご立派な生き物じゃないのですよ閣下。

核武装なくして東京裁判の否定も我々日本人の「靖国神社崇拝思想」をアメリカに認めさせることも日本を日本たらしめる根拠としての国体(一国独立というもっともベーシックなそうあるべき国の姿)の連続性を取り戻すことも到底叶わぬことと自覚すべし。

備中さん、遠慮すると言っておきながらどうもすみません。これで当分出てきませんからどうかご安心を。

それから風邪とノロウィルスにくれぐれもお気をつけください。奥方様にもそうお伝えください。

ありがとうございました。

 

覚醒せよ

 投稿者:sakamoto  投稿日:2014年 2月 9日(日)10時16分13秒
返信・引用 編集済
  ひぐらしさん

ご貴殿のような「産経新聞系保守」の方を私はもう散々見てきましたから、本来なら何らのコメントもないのですが、貴殿は真面目そうな方ですから敢えてひと言言わせてもらいます。

「貴方は甘い」

田母神氏が言いたいこととは、(貴殿の理解をそのままお借りして言えば)、アメリカとの関係を友好なものにとどめつつ、これまでの片務的な関係を改善し双務的な同盟関係にしていこうじゃないか、そして何よりもその実現には「集団的自衛権の行使」が不可欠であって、田母神氏の発言の本旨はそこにあった、だから「親子関係」という言葉は肯定的に使ったのではなく、否定的に使ったのだ、とこう貴殿は言いたいのでしょう?集団的自衛権行使の中身に深い考察を加えることなく、直ちにそれ自体が「良かれしもの」であるかのごとき結論を結んでしまう「思想のチップインバーディ」・・・結論に至るまでのきちんとしたアプローチを省略し、直ちに結論を出してしまうような安直な思想・・・はそろそろお止めになったほうがよろしい。

いいですか、ひぐらしさん。

アメリカがわが国に対して有する様々な軍事的プレゼンスや政治的イニシアチブの根拠がどこから来るのかと言いますと、日米間における軍事的非対象性にあるということはもはや自明でしょう。

例えばですが、私はわが国の核武装肯定の立場ですが、仮にわが国が近隣の脅威を退けるに充分な核を手に入れたとしたら、アメリカのわが国に対するこのアドバンテージは滅失する。これまでの上下関係の根拠だった軍事力の不均衡が治癒し、アメリカと日本は文字通り対等となるのですからね。

そうすると、これまでは上命下服(上からの命令に下が服すということ)の関係だった米軍と自衛隊との関係にイコーリティが生まれ、「その案件には我々の合意が必要である」などと自衛隊が言うようになったらアメリカはどう思うか。当然面白くないでしょう。これまで主体と客体とに明確に分離していたた米軍と自衛隊とがイーブンな関係になることなどアメリカは欲しもしないだろうし考えもしないだろう、と見ておくのがまともな思想というものです。

戦後民主主義に保蔵されるヒューマニズムの毒をたっぷり食らってきたナイーブな「田母神閣下様」のように、アメリカとの仲睦まじい同盟関係を堅持しながら主体性をもって国防にあたろうなどと虫のいいことを考えてるからこの国は何時までたっても独立と無縁なのですよ。

いいですか、はっきりいいますが、我々が念願の核武装を果たし、自主独立を叶えたいと本気で願うなら、アメリカとの同盟破棄を覚悟に入れてそれに挑まねばならない、ということですよ。アメリカとの同盟を維持しながらわが国の主体性も保持するということなどは白日夢に等しいと認識すべきなのですよ。

核はないは、国軍はないは、民主主義の毒が全身に回った国民精神のままで集団的自衛権などに突入したらまたイラク戦争の二の舞を繰り返すだけです。アメリカの義のない戦争、つまり、侵略戦争の片棒を担がされるだけが関の山なのですよ。

繰り返す。核武装でアメリカと決別する覚悟がありますか、それともこのままアメリカの属国を維持し、安全と生存を保持していきますか、その二つに一つしか答えはないんだ。

いい加減に目を覚ませ!
 

言論の作法

 投稿者:ひぐらし  投稿日:2014年 2月 8日(土)21時42分43秒
返信・引用
  > No.2063[元記事へ]

 私は、sakamoto氏が主催されていた掲示板に書込をしたことは一度もありませんし、旧桜掲示板でもsakamoto氏とやりとりをしたことは一度もありません。私は、一兵士氏が桜掲示板から追放されて以来のこの掲示板の読者です。その私が、何故、何の根拠もなく「ストーカー」とか「おっかけファン」とかのレッテルを貼られなければならないのでしょうか。それが「保守思想の正しい現れ方」だというのなら何も申しません。
 備中處士様、別に謝られる必要はありません。私の書込を読まれれば、私はあの書込で田母神氏を擁護したのではないというのはすぐにわかるでしょう。田母神氏が「俄かの西暦保守」であり「苦手」で「意見に感心しない」のは理解できます。私の書込の趣旨は、田母神氏の論文をきちんと読まず、「わが国とアメリカは親子の関係なんだ」という田母神氏が言ってもいないことを根拠に批判することに問題ないですか、という問題提起です。あの論文を読めば、田母神氏が「親子関係」という言葉で比喩したものは片務的日米同盟であり、これを双務的日米同盟にすべき(まず、集団的自衛権を認めるべき)というのは自明ではないですか。「親子関係」という言葉を使わなくても説明できることに「親子関係」という言葉を使ってしまった。その片言隻語を捉えて、あそこまで批判するのは正当でしょうか。もし、あそこまで批判するなら、片言隻語ではなく、それなりの根拠を示して行うべきではないでしょうか。すなわち、私は言論の作法を問題にしたのです。
再掲します。
<これらの批判にあるように、田母神氏は当該論文で「わが国とアメリカは親子の関係なんだ」と言われているでしょうか。本当に論文を読まれての批判なのでしょうか。こういう批判の仕方は妥当なものでしょうか。>
 

愚妻のパソコンから。

 投稿者:備中処士  投稿日:2014年 2月 8日(土)20時02分32秒
返信・引用
   急にパソコンが入力できなくなつたので、愚妻のパソコンにて入力します。修理せねば、小生も休み。何せ、名代のパソコン音痴ゆゑ、お許しを。漢字も出てこない。

 さかもと兄「しばらく書き込みを遠慮致します」と。お休みの間に、葦津珍彦翁『国家神道とは何だったのか──現代史通説の虚像を論破する』は名著、是非とも読んでみて下さい。

 明治元年の神仏分離令は、神道人にとつての悲願にして、わづか十数日後に、排仏行動は犯罪と公示されました。国家神道は、明治三十三年からの世俗合理主義による官僚行政です。神仏分離令と国家神道とは、直接、結びつきませぬ。両者の所論は、共に左翼・戦後御用学者の独擅場です。「誤解」を生むも、当然です。先づは先入観を捨てて、ご研究ください。

 ひぐらしさん、ご免ね。でも、彼の俄かの西暦保守、小生は苦手です。靖国神社の「正中」で、しかも「来賓」でいらつしやるのでしよ。過去の言動を、テレビで聞いてをります。やつぱり感心しませんね。

 どうも入力に不便、ほんと、入力に疲れます。匆々、ご容赦を。備中処士、拝

 

安寧の場所は何処に

 投稿者:sakamoto  投稿日:2014年 2月 8日(土)15時40分47秒
返信・引用
  またストーカーが出てきたようだ。

どこにいっても後をついてくるな。なんで私の後ばかり付いてくるんだ?

こういう「接ぎ木のナショナリズム」はクソなんだ、と申しているのですよ。

「日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。」と本音を漏らした後で、それへの反撃を食らわないよう「子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。」と、大急ぎで予め用意してあったタテマエを付記するその鵺的な論じ方が気持ち悪いといってるのですよ。

備中さん、また私の熱烈な「追っかけファン」が出てきたようですので、しばらく書き込みを遠慮致します。

ありがとうございました。
 

田母神論文の該当部分を引用します

 投稿者:ひぐらし  投稿日:2014年 2月 8日(土)15時14分23秒
返信・引用
   初めて投稿させていただきます。「靖國神社の正統護持のために」というスレッドのテーマから外れてしまいますがご容赦下さい。
 「幕僚長辞任のきっかけとなった「『田母神論文』」において「『わが国とアメリカは親子の関係なんだ(田母神)』といった、『目的と手段の転倒現象』が当然のごとく論じられ」ているとのことですが、当該論文の該当部分を引用してみましょう。
http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

<引用開始>
(前略)諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きができなようになっている。このマインドコントロール(引用者注:大東亜戦争の責任を全て日本に押しつけようとした東京裁判によるマインドコントロール)から解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。日本国民は20年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。私は日米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。(後略)
<引用終了>

 当該論文は一般人向けに平易に書かれており、一読すれば文意は明快でしょう。それでは、この文章に対する以下の批判は的を射ていると言えるでしょうか。

(曰く)
これと似たような現象は安全保障のあり方を論じる際にも顕著に現れます。例の「安全保障確保にはアメリカとの同盟が欠かせないんだ」とか、「我々は自由や民主主義という価値をアメリカと共有してるんだ」とか、「わが国とアメリカは親子の関係なんだ(田母神)」といった、「目的と手段の転倒現象」が当然のごとく論じられ、それに異を唱えようものなら、「お前は理想主義者だ」といって罵倒する。現実一点に人間精神を傾注させていくことがあたかも保守であるかのように錯覚してるのですね。

(曰く)
「わが国とアメリカは親子の関係」なぞと、都知事候補とあらうものが公言してをるんですか、本道に‥‥。こりや、全く駄目ですね。流石は、國史を西暦一本で表現するだけの事はありますなあ。トホホ‥‥。最近流行の「保守」とは、已むを得ず、敢へて戰略的に申すのなら、罪、一等を減じてもよいが、本道に、心底から仰つてゐるのでせうから、小生の如き田舍者は、思考の埒外に居ります。
 我が國と建國三百年も滿たぬ人造國家、果して「親」は、どつち。いつぺん聞いておいて下さいね。試驗に出たら、答へるに窮しますから。

(曰く)
件の発言は幕僚長辞任のきっかけとなった「田母神論文」からの一節を引いたものですが、結局、この国ではこうした官僚にせよ政治家にせよ知識人にせよ、これらはなべて戦後思想を色濃く染めている負のニヒリズム・・・手段という、本来なら二義的でしかない価値を目的にまで高め、その結構な代用品を守るため、ああでもないこうでもないと理屈をこねくり回す不治の病気・・・の末期にあるのですね。

 これらの批判にあるように、田母神氏は当該論文で「わが国とアメリカは親子の関係なんだ」と言われているでしょうか。本当に論文を読まれての批判なのでしょうか。こういう批判の仕方は妥当なものでしょうか。
 付言すれば、このスレッドのテーマに沿った議論をお願いしたい。保守思想をテーマにした議論を続けられるのであれば、管理人様が、スレツドを作ると仰っているわけ<tt>ですからそちらで<tt>お願いします。
 失礼致しました。
</tt>
</tt>
 

おお~

 投稿者:sakamoto  投稿日:2014年 2月 7日(金)19時35分4秒
返信・引用
  備中處士さん

いやあ、感動しました。「Fn」と「End」の同時押しで一瞬にして最下段に飛びましたよ。

上に戻るときは、「Fn」と「Home」で瞬間ワープです。

○○師の○○に何が入るかは想像し難くないですが、その○○師に騙されたと解かってからもなおその行為をやめようとしないのはどういうことでしょうね。どうしても騙されたいんでしょうかね、オレオレ詐欺の被害者みたいに。

きっと映画制作資金の3億5千万など端金なんでしょう。羨ましいですねえ(爆笑)。



 

老婆心‥‥。

 投稿者:備中處士  投稿日:2014年 2月 7日(金)18時48分5秒
返信・引用 編集済
  sakamoto樣

 パソコンによつて違ふかも知れませんが、最下段に行くには、

一、「コントロール」+「エンド」

 または

一、右端のスクロールにカーソルを合はせ、左クリツクして、下までドラツグ

で、一瞬に行くと思ふのですが‥‥。件の片假名をやうやく覺えた小生の老婆心、うまくゆけば萬々歳。



 嚴寒の候、體調にはお氣をつけ下さい。小生も寒さで首が凝り、頭痛が酷いです。賢兄は、病でも筆を措かず、凄いなあ‥‥。「スレツド」を作りますから、「櫻粹會」における「近代保守思想の學術的考察」の總括を、鋭意、投稿くだされば宜しいのに‥‥。お堅いものを。チヤンネル櫻は、塾頭が氣をつけて見張れとの仰せでしたが、あれは○○師でせうに‥‥。騙される方が惡い矣(「矣」は、「‥‥であるぞ」の謂ひ)。西尾某とか申す、不敬罪適用の週刊誌・月刊誌一派も蟠踞してゐるし‥‥、見る氣がしない、小生は、御免蒙らさせて戴いてをります。

 小生宅は大家族の部類でせうが、家中には風邪も蔓延、家中で一番元氣だつた祖母も白壽、然し昨年末よりは食事も喉を通らず、誤嚥も再々、老々介護の日々です。特に女連中は大變、小生は車の運轉の手傳ひしか出來ない、實に情けなき男ですが、聲掛け、見守りぐらゐは‥‥。不一



【權田直助先生傳】── 國學大系第二十卷『權田直助集』(昭和十九年十一月・地平社版)解説の抄録か。
  ↓↓↓↓↓
http://www.library.moroyama.saitama.jp/moroyamawoshiru/pdf/naosukesenseiden.pdf#search='権田直助'
  
 

悪文の見本

 投稿者:sakamoto  投稿日:2014年 2月 7日(金)18時17分46秒
返信・引用
  文法的にも文脈的にも「悪文の見本」のような文章を手直ししたいのですが、下まで下がるのが面倒なのでご勘弁願います。

結局、何が言いたいかといいますと、田母神のような単なる「実体保守」を真の保守派に祭りあげ、「田母神閣下」とおだてあげ神輿に担ぐチャンネル桜、そしてそういう左翼的にして革新的な戦後の枠組みを保守することを趣味や日課とするような「近代主義的保守主義者」という鵺保守にエールを贈る訳の分からない者たち。

こういうドタバタ喜劇が延々と繰り返されてきた戦後に終止符を打つには、かかる保守主義にとっての土台となるものは何か、これをきちんと確認したうえで日米安保論なり核武装論なり靖国神社論をせねばならない、ということだ。

そのことを等閑にしてかかるから、この国のナショナリズムはあたかも国体論に近代主義を接ぎ木したようなグロテスクなものとなってしまうんだ。私の言う「思想の安定剤・・・スタビライザー」というのはつまりそういうことである。

日ごろは「日米安保を見直せ」だのと威勢のいいことを言っている偽保守の化けの皮は「危機との直面」においてすぐさま剥がされる。

少し前ならイラク戦争、直近なら尖閣問題だな。イラク戦争肯定に一時期慎重論もあった保守派の構えも、アーミテージだかに「ショウ・ザ・フラッグ(どっちにつくのかさっさと旗を見せろ」と恫喝されるや否や、「ハイ」と二つ返事でアメリカのイラク侵略の方棒を担がされ、今や軍事大国となった中国との摩擦が激化すればそれまでの威勢のよさはどこ吹く風、「靖国問題でアメリカ様を怒らせるな」とくる。

こういう「サブ・スタンシシズム」・・・本来、「サブ(二義的)」でしかないものをメイン価値に押し上げてそれを後生大事に神棚に祀るという、生命至上主義を親として生まれてきた救い難い病気。

絶対平和主義の左翼と似たり寄ったりの平和主義。いや、仮にガンジー主義をモットーとするのが真の平和主義だとしたら、こういう「アメリカの袖の下にうずくまっていれば安全なんだ」という、偽保守の劣性の平和主義は左翼のそれより遥かに下劣で低劣な平和主義である。

 

重いなあ

 投稿者:sakamoto  投稿日:2014年 2月 7日(金)15時00分32秒
返信・引用
  思想的に重厚な掲示板だけにPCの動作も重いなあ。

なんていうの?メモリーというの?

それをもっとデカイのにしなけりゃダメだな。

それと「100件表示」の設定だと下まで降りて編集機能を使うまでが一苦労。

あ、人様の庭で愚だ撒くのもみっともないな。
 

撃つべき相手は誰だ

 投稿者:sakamoto  投稿日:2014年 2月 7日(金)14時49分47秒
返信・引用
  つまるところ、中韓のあの粘着質的な反日思想の温床となった「東京裁判の判決」を正面から否定できなかったところにこの国の諸悪の根源があったといっていいだろう。

むろん、裁判の判決には「拘束力」があるからいかにその判決に瑕疵があろうともいったん下りた判決は簡単には覆らないのだが、その瑕疵が重大かつ明白な場合はその判決は「無効」である。この点、その制定過程に重大かつ明白な瑕疵のある占領憲法も同じく無効だ。

この東京裁判を政治的に「無効である」と宣言できなかった背景には「日米同盟」という、アメリカとの間に結ばれた深い友情の絆がむろんあるのだが、この子供でも解かるあたりきしゃりきのことが、政治家や高級官僚や名高い学者といった東大出身のセンセイ方には解からないとみえる。

中韓の図に乗った態度を正当化する「東京裁判史観」を疎んじつつ、そのイデオロギーの作出者としてのアメリカに対しては侵略の謝罪表明と自由と民主主義への反逆への反省に明け暮れるという、その鵺のようなどっちつかずの態度がかくも長き戦後の根本的原因であるはずが、「わが国はアメリカと自由民主主義を愛する同盟国であり、価値観を共有する友である」という。

アメリカと価値観を共有しているのだから「反省」するのは当然だろう。アメリカの有す歴史観は「天皇制という野蛮かつ前近代的な制度のもと、自由と民主主義に反抗して日本はあの大戦争を惹起させた」というものだから、自称の保守どもが「アメリカと日本は親子の関係」と、事も無げに言うのももっともなことである。

むろん、中韓の理不尽な言いがかりには誰だって頭にくるが、そもそもそういうふうな中韓の対日感情に水をやり肥料をやりで育て上げてしまったのは我々日本人ではないのか。キミらが敵と認識しなくてはならなかったのは我々でなく、我々の仲を引き裂き、その対立の隙間から実り出る美味しい果実を得ようとし、人為によってこしらえられた「東京裁判史観」というイデオロギーではないのか。

 

政治を知るためにも政治から離れろ

 投稿者:sakamoto  投稿日:2014年 2月 7日(金)13時39分47秒
返信・引用
  さすがにもう出るモンも出ないとみえ(お食事中のかたは失礼)大事には至りませんでした(笑)。

「素人の床屋政談」が好きで好きでたまらないのが戦後の大衆ですが、結局、何故人間社会や人間思想に社会科学的な考察が欠かせないのかというと、どういう公約を掲げるどういう者に一票投じるか、そういった政治的判断をするにもその判断の前提となる何らかの根拠なり要素が必要なのであって、思想のない者には単なる「好事趣味」としか映らないであろうが、平田篤胤や権田直助らの偉大な思想家たちから学んだ思想なり哲学というものが、畢竟、今日の大衆の政治的能力に直接的間接的かは解からずとも多少なりとも反映されることに期待して我々は過去の言葉に耳を傾けなければならないということです。

つまり、政治を知るためにも政治から距離を置くというパラドックスですね。

かくいう私も、恥ずかしながら明治の「国家神道」や「神仏分離令」を、「それは歴史性のない近代主義に基づく設計主義ではないのか」と誤解していた節があります。

モダニズムを忌避するおのれがモダニズムに洗脳されている。実に怖ろしきはイデオロギー(何らかの意図をもった者たちの人為によるこしらえものの思想)ということですね。



 

「ノロ」でも書く

 投稿者:sakamoto  投稿日:2014年 2月 7日(金)12時25分53秒
返信・引用
  いやあ、参りました。

「流行(モード)」のノロウィルスにやられました。間断なくやってくる下痢と嘔吐に体中の水分がほとんど奪われ、今や乾燥しきったミイラ状態です。

持続性のない、一瞬の流行に散々悪罵を投げつけてきた私ですが、これでは「保守主義者」の面目丸つぶれです(泣)。

件の発言は幕僚長辞任のきっかけとなった「田母神論文」からの一節を引いたものですが、結局、この国ではこうした官僚にせよ政治家にせよ知識人にせよ、これらはなべて戦後思想を色濃く染めている負のニヒリズム・・・手段という、本来なら二義的でしかない価値を目的にまで高め、その結構な代用品を守るため、ああでもないこうでもないと理屈をこねくり回す不治の病気・・・の末期にあるのですね。

生命が価値のてっぺんにくれば、その安全と生存を保持していくためにはたかだか250年の歴史ともいえない「単なる時間の経過」しかないアメリカを最強の親と崇めなくてならなくなる。アメリカが「A級戦犯の顕彰はいかん」といえば、「首相の靖国神社参拝は過去の反省と不戦の誓いである」といわざるを得なくなる。グローバリズム(それに基づく市場経済)がどれだけ我々の国体にそぐわないものだとしても、親であるアメリカがそれを要求すれば「もっと市場の開放を」と叫ばざるを得なくなる。

こういう負の循環を延々70年近くもやってきてるのですよ。

手段(日米安保)と目的(国家の自立と自尊)とが逆転し、手段のためなら肝心の国柄が破壊されようが国民精神がアメリカ化しようが、法から国家制度のすべてがアメリカ印のものとなろうがそんなことは一切おかまいなし。「プライドで飯が食えるかよ」というのですね。

こういうマテリアリストが「俺は反共主義なんだ、保守なんだ」と言ってるのですからもう笑いしかありません。

いけね、また腹がゴロゴロいってきた。このへんで失敬致します。
 

西暦保守の本性、しかと見据ゑたり。

 投稿者:備中處士  投稿日:2014年 2月 5日(水)22時37分22秒
返信・引用 編集済
   「わが国とアメリカは親子の関係」なぞと、都知事候補とあらうものが公言してをるんですか、本道に‥‥。こりや、全く駄目ですね。流石は、國史を西暦一本で表現するだけの事はありますなあ。トホホ‥‥。最近流行の「保守」とは、已むを得ず、敢へて戰略的に申すのなら、罪、一等を減じてもよいが、本道に、心底から仰つてゐるのでせうから、小生の如き田舍者は、思考の埒外に居ります。

 我が國と建國三百年も滿たぬ人造國家、果して「親」は、どつち。いつぺん聞いておいて下さいね。試驗に出たら、答へるに窮しますから。

 今日は嚴寒、惡寒がします。其の上、「親子關係」てふ言靈、寒氣も彌益、おやすみなさい。
 
 

思想のモデル化を排せ

 投稿者:sakamoto  投稿日:2014年 2月 5日(水)17時22分24秒
返信・引用
  これはいつも書いてることだが、近代主義に汚染されオツムがモデル化した戦後人はとかく二者択一が好きだ。

万事について「民主か独裁か」とか「主権者は国民か天皇か」とか「国教は神道か仏教か」といった単純化した思想で物事をみるのがどうやら国民性となっているようだ。

その統治方式にあるいは様式に伝統が確保されてさえいれば、国民主権であろうが国家主権であろうが、統治権の所在がどこにあるかなどは二義的なことなんだ、ということがモダニストたちには理解できない。

これを「あるべき病」と名付けよう。

この思想のマニュアル化はなにもテクノクラートに陥ったお役人だけに限らず、本来「自由」であるはずの民間人にもその毒を撒き散らしている。

思考がモデル化した官僚主義に自らどっぷり染まりながら「脱官僚」を言うほど滑稽なものはない。

お話は逸れましたが、本来、神社とその附合物としての別当寺とは衝突するものでも反目するものでもなく、持ちつ持たれつの間柄であって、例えば阿夫利神社と大山寺との関係もその例に漏れず共存共栄を保持していくべきではなかったのか。

まあ例えばだが、寺が神社の広報担当を引き受け、神仏ともに参拝者で常に賑わうようにすることも一つのあり方・・・むろん、儀式の様式を一方が一方に押し付けるようなことはあってならないが・・・としてはありだろう。

まずは善悪二者択一論という「思考の貧困化」を排し、自由な議論・・・むろん、唾棄すべきアメリカ的な意味での自由ではない・・・をどんどんやっていきましょう。







 

確かに力作ですが

 投稿者:sakamoto  投稿日:2014年 2月 5日(水)09時42分56秒
返信・引用
  備中處士さんの引かれたそのブログですが、出典文献もきちんと明示され、丁寧に書かれているという感は確かにありますね。

惜しむらくは(歴史アドバイザーだからしょうがないのだが)単なる年表の羅列でなく、直助を始めとする幕末の勤王運動家たちに対する自分たちなりの感想意見、つまり思想を盛り込んで貰いたかったですね。

それと、努力と意欲は買いますが、いくらなんでも平田篤胤を平田胤篤としたのはいただけません。しかも、一度や二度でなく、全編通しで「胤篤」ですから直助を調べるまで篤胤の存在など知らなかったのではないでしょうか。立派なブログなのですから見ている人に「生兵法怪我の元」などと揶揄されないよう、そういった基本的なことには注意すべきでしょうね。

まあしかしこれ以上言いますとまた喧嘩になりますから控えます(笑)。

私も備中さん同様、医者であり国学神道家であり、そして熱烈な勤王の士であった権田直助を偉大な人物と見る一方で、先に申しましたようにそうした美点にだけ目を向け、バンダリズム(廃仏毀釈)に目をつぶるのは思想的にフェアじゃない、という観点から真相究明に乗り出そうとした次第です。

もちろん、歴史ですから科学的に証明することは不可能ですしそもそもそんなものにはいかほどの意味もありませんから、重要なのは当時の庶民にどう思われていたか、大山を御神体に持つ地元大山の人々の暮らし方や生き方にどういった影響を及ぼしたのか、その「物語」を知るということです。

まだ資料にざっと目を通した段階ですからこれは私の推測に留まるのですが、幕府により手厚く庇護された仏教に対し、反対に軽んじられてきた神道家たちの不満が明治の神仏分離令とともにルサンチマンとなって一気に噴出したのではないか。

篤胤や直助たちは人為を好まず「かむながらのみち」にまかせてはいたが、神社の神官たちにはそれまでの不遇が我慢ならなかった。神仏分離令を拡大解釈してあのような蛮行に及んだ。つまり、神仏分離を政治的に利用し、その反動で一気に立場の逆転を狙おうとしたのではないか。

篤胤や直助に廃仏毀釈を直接命じたという事実はなく、神官たちは篤胤や直助のネームバリューを前面に押し出し、自分たちの行いを正当化しようとした。

今の大山阿夫利神社の宮司は私の同級生の実兄がやってるのですが、あまり大きな声では言えませんが、評判があまりよろしくない。その詳しい理由は聞いてませんが、伝統軽視の合理主義的な運営がどうやらその理由のようです。

もっと精緻な研究が必要ですね。
 

橿原の 御代に復ると 思ひしは あらぬ夢にて ありけるものを‥‥

 投稿者:備中處士  投稿日:2014年 2月 4日(火)23時25分57秒
返信・引用 編集済
   標題は、矢野玄道翁の哥でありますが、明治皇學者の悲しみを表して餘りあるものがあります。なほ明治の皇學者・神道家は──現代の學者・神職と違ひ──、激しい論爭を繰りひろげてをります。少し難しいですが、藤井貞文博士『明治國學發生史の研究』(昭和五十二年三月・吉川弘文館刊)は、引用も多く且つ長く、實に勉強になり、當時の國運興隆の志氣を垣間見ることが出來ます。それに引換へ、現代の神道界、行儀は宜しいのでせうが、全く奮ひませんね。葦津珍彦翁のやうな、「笏を持たざる神主」の出現が待たれます。

「私の実家のほうも、明治の神仏分離令を根拠とした廃仏毀釈の嵐が吹き荒れたようで、無残にもことごとく頭部をはねられた古い石仏が多数存在します。依拠すべきは神道か仏教かを別としまして、保守を自認する者としましては、こういうバンダリズム(文化的破壊主義)を容認するわけには到底まいりませんから、真相はどうだったのか、やはり平田神道及びその衣鉢を継いだ権田直助たちの仕業だったのか、というのが、いま非常に気になっているのです」と。

 前にご紹介申し上げた「いせはら歴史解説アドバイザー養成講座(第2期)の修了レポート」には、權田直助翁に於ける神佛分離の業績を、簡略ですが、よくまとめて書かれてゐます。學者にして皇醫道の復興、志士、即ち五十九歳にして幕末の動亂に關はり、岩倉友山公との道交、やがて幽閉。而して晩年最後のご奉公が、相模國大山阿夫利神社祠官としての神佛分離、實務者としても模範となる勳功を上げてをられます。誠に物凄い御方です。



【寒林平泉澄博士『神佛關係の逆轉』/「佛教者の神社參拜」に於ける頭山立雲翁の評】
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/1478
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t10/2
 
 

誤字訂正

 投稿者:sakamoto  投稿日:2014年 2月 4日(火)22時31分14秒
返信・引用
  ×廃仏稀釈

○廃仏毀釈
 

一年生から勉強してみます

 投稿者:sakamoto  投稿日:2014年 2月 4日(火)21時31分8秒
返信・引用
  備中處士さん

内心、「あんたが来ると場が荒れる」と断られるんじゃないかとひやひやしておりましたがお許しを頂きましてホッとしております。

実は、私の実家のほうも明治の神仏分離令を根拠とした廃仏稀釈の嵐が吹き荒れたようで、無残にもことごとく頭部をはねられた古い石仏が多数存在します。

依拠すべきは神道か仏教かを別としまして、保守を自認する者としましてはこういうバンダリズム(文化的破壊主義)を容認するわけには到底まいりませんから、真相はどうだったのか、やはり平田神道及びその衣鉢を継いだ権田直助たちの仕業だったのか、というのがいま非常に気になっているのです。

国学や神道に関する知識は備中さんと違いほとんどない私ですから、そう深いところまで入り込んでいくつもりも毛頭ありませんが、地元縁の大思想家のことぐらいはきちんと知っておかないとやはりまずいですからね(笑)。

ご推薦の書物は一度読んでみたいと思います。しかしあまり難しいのは勘弁(笑)。
 

屈折したナショナリズム

 投稿者:sakamoto  投稿日:2014年 2月 4日(火)21時07分51秒
返信・引用
  「戦後日本には背骨がない」とは自称の保守の常套句ですが、かく言うご本人様に何があるのかと言いますと背骨どころか備中さんが取り上げられていたような、中韓への対抗心だけの形式的な靖国神社参拝に喝采を贈るような他愛のない者どもが保守面をしていられるわけです。

要するに、その思想の内実とはいっさい無関係に、「参拝」という外形さえ備えていればいいというのですね。

これと似たような現象は安全保障のあり方を論じる際にも顕著に現れます。例の「安全保障確保にはアメリカとの同盟が欠かせないんだ」とか、「我々は自由や民主主義という価値をアメリカと共有してるんだ」とか、「わが国とアメリカは親子の関係なんだ(田母神)」といった、「目的と手段の転倒現象」が当然のごとく論じられ、それに異を唱えようものなら、「お前は理想主義者だ」といって罵倒する。現実一点に人間精神を傾注させていくことがあたかも保守であるかのように錯覚してるのですね。

中曽根が二礼二拍手一礼を抜いた無形式で無礼な靖国参拝をしたとき、(首相の参拝時には恒例となってる)松平宮司は挨拶にすら顔を出さなかったそうですね。

「官から民へ」を合言葉に三公社を民営化させ、ローカル線や不採算郵便局を廃止においやり、地方の過疎化に拍車をかけた新自由主義の中曽根のみならず、歴代の自民党などほぼ全部が「戦後保守」つまり、左翼的にして革新的な戦後体制を積極的に保持しようとする左翼集団以外の何ものでもないのを、この国の無思想な保守どもは保守政党と見誤った(保守派どもというのは不正確な表現でして、正確には本来なにが左翼で何が保守かすらも解からない阿呆どもですが)。

こういうバカどもを「保守政治家」と規定して選んできた「民主主義」なるものをアメリカと共有しているそうです。素晴らしいことじゃありませんか。



 

『仙境異聞(仙童寅吉物語)』の世界。

 投稿者:備中處士  投稿日:2014年 2月 4日(火)20時41分34秒
返信・引用 編集済
  sakamoto樣

 これはゝゝゝ、早くお出ましになられましたね。邪魔とか、滅相もありませんが、小生ごときでは、御相手も叶ひませぬ(泣)。

 何やら‥‥、大國隆正翁とか、權田直助翁とか、── 小生は、はつきり云つて、餘り精しくありませぬ(涙目)。名越廼舍翁の豫習をしてをりましたが、何せ、當代きつての御醫者樣、‥‥無理です。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t10/20

 大壑先生の門下、多しと雖も、大學者の一人でせう。研究させて戴くには不足はありませんが、やつぱし無理。sakamoto樣、醫道のご造詣は、果して如何。

 大國翁は、實は大壑門下では無いやうです。大國翁は村田春門門下で、抑も春門は、平田先生をして鈴屋本家と溝を生じさせようとした張本の一人、大國翁が平田門に還るには、相當の時間を要しました。『増補・大國隆正全集』が最近復刻されてをりまして、小生の書齋に飾つてをります(大笑)。定年後に讀まうと‥‥。松浦光修博士の『大国隆正の研究』(平成十三年九月・大明堂刊)が、秀逸でせう。小生は、氣に食はぬ所がありますが‥‥。

 然し大國翁にしろ、權田翁にしろ、平田篤胤先生の『仙境異聞(仙童寅吉物語)』(岩波文庫他)を、sakamoto樣が、何より先づ讀まれて興味が湧かないやうでしたら、兩翁の研究は、勞多くして實を結ばないやうに存じます。閑暇の折に、是非とも仙童寅吉の世界を覗いてみて下さい。

 先づは取り敢へず御挨拶まで。不具。
 
 

昔の名前で出てきました

 投稿者:sakamoto  投稿日:2014年 2月 4日(火)14時51分18秒
返信・引用
  備中處士様

こんにちは備中さん。

当掲示板運営者との契約がまだたっぷり残ってる(本年11月いっぱいまで)にも関わらず、遺憾ながら当方(桜粋会)を閉めてしまったのでこちらに書かせて貰いますが、もし、邪魔なら邪魔といってください。塾頭の手を一番焼かせたのはおそらくこの私でしょうから(笑)。

本来なら、名誉棄損した者の発信者情報の開示をプロバイダに請求できるのでしょうが、日ごろからそうした実定法に悪罵を吐きかけてる以上、自分に都合のいいときだけ縋りつくのも格好悪いですからやめておきました。しかし前払いした利用料はもったいない(笑)。

しかしあれですねえ、「戦後」というものを一言で言い表すと、「スタビリティなるものの欠如」の一言じゃないでしょうかね。

論争好きの私でさえもが辟易し、「もう書くな」と懇願したのことなど平気の屁の河童で人の嫌がることを延々と書いてくる、放埓としかいいようのない行為までが、「個人の自由」という戦後の魔語によって正当化していく社会。

正にアメリカニズムという、私が攻撃し続けたもの自体に負けてしまいました。備中さん、この国はもう政治じゃ変わりませんね。こういう輩が主権者として巷間をのし歩いてるのですからこれで変わったら逆におかしい。

というわけでして、これからは自分の好きなことだけを考察したり、好事趣味的に研究していくことに決めました。素人の政治好きか、それとも単なる学問好きのディレッタントか、同じアホなら踊らにゃ損損と(笑)。

私の地元に縁の深い権田直助にいま関心があるのですが、平田篤胤同様、廃仏稀釈の旗振り役だったとか、偏狭な神道家だったとか、色々言われてますが、果たして実際の直助像はどうだったのか、とかその辺を勉強してみたいと思っています。







 

繰返される非禮。

 投稿者:備中處士  投稿日:2014年 2月 3日(月)22時54分57秒
返信・引用 編集済
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http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140131-00000019-pseven-soci
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小林よしのり氏、安倍首相の靖国参拝は、英霊を侮辱したと批判/NEWS ポストセブン 1月31日(金)16時6分配信

 安倍首相が靖国(ママ。靖國神社)参拝をして、保守派の知識人・言論人たちが、「これは慰霊の参拝であり、なおかつ不戦の誓いをしているのだから、そのようにアメリカやヨーロッパに説明すればよい」と主張している。
 だが、靖国神社は顕彰の施設(ママ)であって、特段に秀でた英霊たち(ママ。「たち」は不要)を「よく戦ってくださいました」と顕彰する、讃える場所だ。「あなたたちの霊を慰めます」などと、失礼なことをしてはいけない。そこを、根本的にわかっていない。自分の命を投げ出して戦った兵隊たちに対して、とてつもない侮辱をすることになってしまう。そのことぐらいは前提にして、語ってもらわなくてはいけない。
 安倍首相の参拝ひとつをとってみても、「本当の愛国者とは誰なのか」を、まったくわかっていない。ものの知識がない。「学者」という名がついている人まで、そうだ。
 本当の愛国者とは何なのか。本当のナショナリズムとは何なのか。単なる嫌韓感情・嫌中感情というものだけで、ナショナリズムを作り上げて、中韓への反発心で、靖国神社に行くような「愛国心」は、偽物だ。
 本当の愛国者とは、どういうものだったか。明治以来の近代化のなかで、国家観をどのように持って、どうやって尊王攘夷の思想を持って、脱藩して国を意識してきたか──そういう人たちを描いたのが、『大東亜論』だ。
※小林よしのり氏『大東亜論──巨傑誕生篇』特別動画より

**********

 小林氏の著作『戰爭論』を以て、かつて我が娘・嫡男に讀ませたことがあるが、些か輕佻浮薄な所が氣になつて、以後は餘り見なくなつたが、件の記事を友人から指摘され、此の「言葉に限つて」は、快哉を叫びたい。塾頭の玉文を讀まれた方々には、珍らしくも何でも無い、當然の批判である。まさか『靖國神社の真実』を見た訣でも無からうが、人に因つて言を拒まず、此の零細掲示板の叫ぶ所は、所詮、蟷螂の斧であるが、此の人氣作家の記事には、素直に喜びたい。「中韓への反発心で」の所で、或る翁から、頗る興味深い話を聞いた。小泉首相は、此の「反発心」だけで、靖國神社へ「訪問」した由。其の前後に、「訪問」の事歴は無いさうだ(呆)。

 然し我が首相は、相も變らず、「『御』英霊‥‥。日本は、二度と戦争を起こしてはならない。私は、過去への痛切な反省の上に立って、そう考えています。戦争犠牲者の方々の御霊を前に、今後とも『不戦の誓い』を堅持していく決意を、新たにしてまいりました。‥‥『自由と民主主義を守り』云々」。そして今日拜戴した『靖國』平成二十六年二月號には、何故か、「不戰の誓ひ」の重要文句を省いてをる。かやうな引用の仕方は、見苦しい。松平宮司と相違し、SPを從へし首相は、「徳川宮司らの出迎を受けた」さうであるが、下記の『安倍内閣総理大臣の談話~恒久平和への誓い~』を見て、安倍首相ならずとも、小生は、「痛恨の極み」たる思ひを、獨り噛みしめてゐる。
  ↓↓↓↓↓
http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/discource/20131226danwa.html



【松平永芳宮司『誰が御靈(みたま)を汚したのか――「靖國」奉仕十四年の無念――/あの總埋大臣の無禮な公式參拜は忘れられない。政治權力との癒着を後任に戒め、私は職を離れた/――「公式參拜」といふ名の非禮を、私は忘れない――』(平成四年十月三日「東京レディーズ・フォーラムに於る講演」に加筆。文藝春秋社『諸君』平成四年十二月號所收)】‥‥何度でも、お讀み下さい。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t3/6
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t3/7
 
 

困つたもんなり。

 投稿者:備中處士  投稿日:2014年 1月27日(月)18時24分17秒
返信・引用
  ・ 殿
??殿

 「・」および「??」殿の投稿は、暫くして削除させて戴きます。 投稿名を考へて戴きたい。

 高天原地上説は、我が國にも、多く存在します。近くでは、岡山縣にも、蒜山や、備前一宮吉備津彦神社にもあり、決して珍しいものではありません。殊に後者は、神主・總代が當然の事として吹聴し、識者をして呆れさせてをります。加耶大學校の總長も含めて、共に噴飯物です。

 現代、東大の保守を自認する博士も、神代は歴史に非ず、「天照大御神は、皇室の直系に非ず」と、魔説を喧傳して憚りませぬ。我が國に於いても斯うなんですから、況んや韓國の博士をや。お仲間の説は、他でやつて戴きたい。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t22/26

 削除の件、惡しからず、ご諒承を乞ひます。

     九段塾管理者 拜
 
 

R困惑‥‥。

 投稿者:れきしの観察者  投稿日:2014年 1月26日(日)12時00分43秒
返信・引用
  【小生は、「皇國の上空に坐しますなむ」と信じ、かく申し上げてをりますが、地上の高天原は、人間世界の四國くらゐの面積ありとの御説もあるやに聞いてをりますので、中らずとも遠からず、さやうに喧嘩腰に云はれることも無いでせう】
--------

やっぱり警戒心一杯の過剰防衛本能心でっか?。
短兵急に意味とり違えられましたか、わかり申した。お邪魔虫これを最後に退散いたしまする(涙)。

ご貴殿に喧嘩腰してんじゃありません。
そのツアーの韓国人ガイドの説明に「ぐ・ぐ・ぐ」と詰まされた己れの不甲斐ない苛立ちよ
だからこうゆう場合の論争をどうやったらいいんかを一兵士翁殿に申しこんだのよ。

だって相手は微笑をもってこう弁論しとるのよ
「史家の第一人新井白石先生は、こう仰った
神とは人である。高天原は遠い昔に天皇家の先祖がいた場所である。
故に、高天原を地上の特定の場所にあったとする。」
(日本に住み、歴史の勉強でもしたのであろうか 在日二世か?)

そしてこう言うた。
「北緯36度以北慶尚北道高霊邑の水と共に稲作伝来の伝承に
乗って北緯34度以南の九州説の筑紫に移って何が不自然ですか? 新井白石大家も
認めておられる」

ええですか、ここは公園なんですよ「高天原公園」なんですよ、神様公園や。
勝手にメカルト図法の平面史観で屁理屈されとる。公園の転居だと・・
そんなもん高千穂峰の阿蘇上空の立体史観でいかにゃアカン。

こんなことコリアに日本人観光団に言わさせとってええのか?
新井白石は「異端だ!騙りだ!」と叫ぶが、一兵士くん君の本当の仕事やないんけ?
某掲示板にゴマを摺ってるヒマあるんけ? 日本人観光団、「高天原公園史観」上ツケで
帰国するで、目を玄界灘のそとに向けんでもええんか?

の論争せようとしたらご公儀の目にとまり「反皇国不敬のおそれあり」で削除された。
アカン私への警戒心が強過ぎたんでしょう、抵抗すればまたアク禁になる。
キャインキャインキャインとおとなしくなった(笑)。

今、従軍慰安婦像の設置反対運動で、全国議員連名世界各地をまわる。
そんな世界最古の職業のああでも、こうでもありませんぜ、こっちは神々の故郷の
「高天原世界」の最大事を、「神様公園」でオチョクラレとる。こっちの撤去が先だ。

でも、塾頭・一兵士翁泉下の人・一番弟子に
「堂々と言えばよし、稲は天上でできしもの、その天上とは、高千穂の峰の垂直の雲の上だ!」と。

これは史学(新井・平田・本居)を含む世論への喚起を求め、高弟備中處士殿が、一兵士翁の意思を継がれどう思われるかの意味合レスであったが、どうも伝達能力不足
「櫻粋会炎上荒らし」マンの登場と疑われたよし・・ここはきれいさっぱり退散いたします。

頭が痛くなるようなヤリトリ・・どうも拙者の頭では、自信がござらぬも正直な答え。
どう思うかをお聞きしたが







 

困惑‥‥。

 投稿者:備中處士  投稿日:2014年 1月25日(土)21時45分32秒
返信・引用 編集済
   「北緯36度以北、慶尚北道高霊邑の水と共に、稲作伝来の伝承に乗って、北緯34度以南の九州説の筑紫に落ちる」と。さやうな御説も、一説として承りました。「慶尚北道高霊邑」にて檢索したら、色々あるものですね。ご示教、有り難うございました。小生も、日韓の姉弟關係につき、かつて名越翁の文を紹介させて戴いたことがありました。須戔鳴尊の天降られた御地は、今の朝鮮白頭山でせうから、まんざら、縁なき事とも申せません。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t19/222

「堂々と言えばよし、稲は天上でできしもの、その天上とは、高千穂の峰の垂直の雲の上だ、と」。

 小生は、「皇國の上空に坐しますなむ」と信じ、かく申し上げてをりますが、地上の高天原は、人間世界の四國くらゐの面積ありとの御説もあるやに聞いてをりますので、中らずとも遠からず、さやうに喧嘩腰に云はれることも無いでせう。然し所詮、地上人の、しかも素人の臆説妄想、お聞き流し下さるか、相手にならぬと諦觀されむことを。此の調子ですと、小生は、塾頭では無いのですから、とても御相手かなひませぬ。こらへて下さい。

 何はともあれ、老臺には、何か、不快に思召されました御樣子、御許し下さい。
 
 

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