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祭政一致、億兆一心、世界一家を邪魔するもの──天○機關説を討て。

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 6月18日(土)21時46分29秒
返信・引用 編集済
   平泉澄博士『明治の光輝』(昭和五十五年五月・日本學協會刊)には、「戰爭に對して反對があるにしても、國敗れて慟哭し、國家と浮沈苦樂を共にするは、忠良なる國民正常の感情でなければならぬ。彼等には、それが無いのである。無い者が國立大學に據り、學界に横行してゐるのである」として、
一、法學博士宮澤俊義
一、文學博士和辻哲郎
一、法學博士石井良助
一、評論家伊藤正徳
等の、掌をかへすが如き變節改論、諛悦側媚の事例を紹介してをられる。「棺を蓋うて、事、乃ち定る」(昌黎韓退之『同峽冠詩』)。

 葦津珍彦翁も、『神國の民の心』(昭和六十一年十一月・現代古神道研究會發行・島津書房刊)に於いて、
一、柳田國男
一、折口信夫
等の裏切りを指摘して、餘蘊が無い。我々も、うかゝゝとしてはをれません。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t10/5

 『漢書』成帝紀・隆朔二年九月條に曰く、「詔して曰く、古の大學を立つるは、將に以て先王の業を傳へ、化を天下に流さんとする也。儒林の官は、四海の淵原なり。宜しく皆な古今に明かにして、故きを温ねて新しきを知り、國體に通達すべし。故に之を『博士』と謂ふ。否らざるときは則ち學者、述ぶること無し焉。下の輕んずる所と爲る。道徳を尊ぶ所以に非ざるなり」と。蓋し博士號の亂發は、嚴に之を愼まねばなりますまい。既に授與の榮を賜つた方々は、博士の謂ひを根源に溯つて能く反省し、鋭意、國體明徴に勵まれむことを、切に祈るものであります。



●沒後五十年記念『頭山滿翁寫眞傳』(平成五年八月・頭山滿翁顯彰奉贊會刊)に曰く、

「神も神、(頭山滿翁の)床の間に安置されたる注連飾りの御箱の中には、畏くも明治天皇の尊像が神鎭まりに鎭まらせ給ふのである。その御傍らに、翁の郷里、福岡博多の人形師が、特に作つて、東郷元帥と翁とに贈つて來た、西郷南洲翁の像が、其の昔、南洲翁が、天皇の側近に奉仕せし當時を偲ばせてゐる。軸物は、翁の心友、杉浦重剛翁の筆蹟で、『大其心、容天下之物‥‥云々』とある。

 『祭政一致、億兆一心、世界一家』は、翁の信條である。即ち翁曰く、

『畏れ多いことであるが、私は、この皇國に生を享け、日本人として育つたことを、唯一無二の幸福と感じて居る。皇祖皇宗より傳へ給へる、宇宙一貫の天業ありて、目ざすところは、神を敬ひ、皇室を尊び、億兆、心を一にして、世界を一家とし、この世を和氣藹々の樂土となさんことである。この事たるや、神の既に定められた所であつて、たゞ其の實現の年月を、人智を以て計り知ることが出來ないだけである。私は一生の念願として、成るべく速かにそれを實現せしめ、以て皇恩の萬分の一に報い奉りたいと思ふ。どうか、日本國民全部、否、世界人類の凡てが、自己一身の利害損得を忘れ、無我の境地に心身を置いて、覆載の下、渾てを人類及び萬生の樂土となすの襟度あるに於ては、如何に吾等の生存をして樂しからしめるであらう。而して此の大使命は、日本民族が、古來傳統の純白無二の國魂を根幹として起つてこそ、始めて達し得るものである』と。

 而して翁が、二十歳頃から今日に至るまで六十年間、愛國の至誠に燃ゆる不屈不撓の努力は、相踵いで起る國家の内憂外患に對して、如何に匡救是正の手段を盡したか、計り知られぬものがある。數年前、或る新聞記者が、翁を訪うて、『近來の思想問題について、先生の御考は‥‥』と質問した時、翁は、言下に、

私にも、責任がある‥‥、根底を離れ、上調子で、洵に困つたものぢや

と慨せられ、翁は、翁自身の力、未だ世を救ふに足らざるを嘆くが如くに思はれて、翁の國士としての責任感の強烈なるに三嘆した、と云ふ記事を見た事がある。

 例へば『學問の自由』の名の下に、非國家的思想を醞釀せる學者等の、恐るべき言説の如きは、全く始末に終へないものであつた。吉野一派の學説に對する、翁を盟主と仰ぐ浪人會の立會演説など、その排撃運動は、二昔も前の事になつたが、近くは美濃部一派の機關説排撃運動は、翁を中心に仰ぐ國體擁護聯盟に依つて、國民運動を代表して居る。昭和十年三月八日夜、日比谷三信ビル内に、頭山翁の名に於て、民間志士の巨頭を會した時、翁の述べた言葉は、簡單ながらも、赤心報國の至誠、來會者の胸を打ち、其の後の運動に、偉大なる力を與へたのである。思ふに、『極天、皇基を護る』は、頭山翁畢生の念願である。翁及び其の同志の努力は、必ずや天壤無窮の國體に關する邪説を一掃して、片影だになからしむるであらう」と。



【參考・國史を顧みざる學者】
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/1454
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/1653
 
 

日本に立たず むなしきろかも

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 6月10日(金)22時35分21秒
返信・引用
   影山正治翁の歌集『みたみわれ』(昭和十六年四月・ぐろりあそさえて刊)の首、

山も裂かん いきどほりあり 捕はれて ひとり默(もだ)して 國を思へば

から始まり(「事破れ獄に下りて」昭和八年七月)、『續・日本と共に』(昭和五十七年五月・大東塾出版部刊)のいやはての哥は、

身一つを みづ玉串と ささげまつり 御代を祈らむ みたまらとともに
民族の 本ついのちの ふるさとへ はやはやかへれ 戰後日本よ


であつた(「辭世」昭和五十四年五月二十五日)。『續・日本と共に』卷頭には、淺野晃翁の序があつて、

「君(影山翁)は、神のまにまに祈り、行じ、戰ひ、斃れた。それは、湊川の道、城山の道であつた。君は、鹿兒島での大西郷百年祭に列し、

百年の 憂ひを憂ひ 百年の 祈りを祈り 斃れたまひき

と詠んだが、それは、そのまま君の生涯を詠んだものとなつた」とある。時勢にかまけて、翁の哥を抄することを許されたい。



●影山正治翁の哥集『續・日本と共に』から(昭和五十一年)

「ひそかに慷慨して詠める歌」
責むるもの 責めらるるもの なべてみな 日本に立たず むなしきろかも
いづれもが いづれも叫ぶ 民主主義の 危機とふ叫び むなしきろかも
ぬばたまの いづれ烏の 雌雄ぞも 黒が黒きを あざ笑ふあはれ
黒と黒が 白旗と赤旗を 振るあはれ ポツダム體制 討つべかりけり
石を投ぐる 資格ありやと 保守内紛 あざ笑ふ革新に 資格あらなくに
反米を 云ひ來しものも 草も木も ふるアメリカに 片なびくあはれ
ロツキード・ アメリカ謀略の なまぐささ にほひただよふ 秋津島根に
草木みな もの言ひにける 天の岩戸 神代のことも 思ほゆるかも
天の岩戸 おし開かれて 朝日さし 草木もの云ふ やめにけるかも
「もてる國」 「もたざる國」と いふがありき 核武装のことに あらざりにけり
「もてる國」が 「もたざる國」に 口をぬぐひ 人道主義を 説きゐたりけり
「もてる國」に 「もたざる國」が たまりかね 自由平等 ぶつけたるかな
核武装 「もたざる國」に 「もてる國」が 恥ぢらひもなく 人道を説く
核武装 「もたざる國」が 「もてる國」に 自由平等 迫る日あらむ
おろかなる 核三原則を おろかにも 與野黨が叫ぶ おろかなるかも
核大國 米・ソに先づは 云ふべかり 核三原則は 汝等守れと
占領下に われは米・ソに 云ひたりき 軍備全廢は 汝等行へと
有つべくは 我等にもまた しからずば 汝等こそは 棄つべかりけり

「日韓の橋を」
獨立が ひき裂かれたる 民族の 分斷を生めり 悲劇なるかも
民族の 分斷の龜裂 まざまざと 韓半島の 秋は深しも
敗れたる 日本は統一を 保ち居り 分斷と半獨立を 内にもちつつ
生れ出づる 惱みは深し 極東の 大き民族 惱みつつ行く
全世界の 再生はあらむ 極東の 兩民族の 再生の上に
新世界の 生れ出づる惱み きびしければ 有志相寄り 行くべかりけり
日韓の 教育・文化の 交流と 一口に云へど 多難なるかも
たてまへと 本音の二筋 道を越え 誠一すぢに 結ぶべきかな
民族を 越えて一すぢに 貫通する 誠誠の 結び見むとす



【孤忠悲しき朴鐵柱之命――日本を愛しぬいた一韓國人の生涯】
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t19/222
 
 

明治維新は、寺田屋の一室より出づ。

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 6月 4日(土)23時14分22秒
返信・引用
   先般、京都伏見の逆旅寺田屋にて、坂本龍馬紀直柔氏の詩を得たり。

天顔咫尺、如何とす可けんや、
憤涙潸々、短嚢に濺ぐ。
自ら得たり、樹皮に十字を書(兒島高徳公の故事)するを、
從來、志を述ぶるに、多きを須(もち)ひず。
  龍馬、書す。

 薩摩藩の定宿に指定せられたる旅籠(はたご)寺田屋は、九烈士殉難の地と云ふよりも、現在は、薩藩の賓客・坂本氏を喧傳せり。寺田屋は、何時しか、坂本氏一人の獨擅場の如き爲體にして不可思議、些か遺憾なり。件の詩は、兒島高徳公の戀闕の至情を詠込み、坂本氏の詩として、之を推したい。



 有馬新七平正義先生の哥(文久二年正月二十四日)

天雲の 向伏す國の 丈夫の 思ひ充滿す 眞心は 霞と共に 大空に 立渡ける 隼人の はやくも急ぎ 鳥が啼 東の國に 行向ひ 千千に心を 盡しつつ 荒びなす 醜の醜臣 打拂ひ 功業立てなむ 其時に 我もやがて 敷嶋の 平の都に 馳參て 錦の御旗 大内の 御山をろしに 吹靡かせ 我大君の 大御心 靖奉りて 大御代の 御代の光りも 外國に 彌耀し 常しへに 動きなく 仕へ奉らむかも

外國も 承服ひ奉れ 大君の 御稜威の光り 徹るかぎりは

 「おいごと刺せ」の有馬正義先生、其の凭りかゝりたるは、寺田屋一階の白壁なるを確認す。「今高山」こと有馬先生は、崎門道義の學の正系にして、大西郷の兄事せし俊英なるも、大久保甲東により讒せらる。有馬先生、御一新後に在れば、南洲を指導して宜しきを得べく、維新の情勢、如何ばかり變つてゐたことであらうか。下記は、かつて紹介した所であるが、小補再掲して、清鑑に供す。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t6/24
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t6/25



●川田甕江翁『薩藩九烈士遺蹟表』(京都伏見の逆旅寺田屋邸前の碑文)

 大丈夫、事を擧ぐるや、必ずしも身に其の功を收めず、後人をして繼起せしめ、以て吾が志を成さしむ。則ち元(かうべ)を喪ひ、斷脰(斬首)さるゝも、亦た憾む所ろ無きは焉、何ぞや哉。志、天下國家に在りて、一身の謀を爲すに非ざるが故ゑ也。

 往時、幕府の失政、内訌外侮、衆心乖離す。識者、皆な知る、師を起し罪を問ひ、以て王權を復するの急務爲るを。然るに之を士大夫に告ぐるに、則ち曰く「時機、未だ至らず」と。之を侯伯に告ぐるに、則ち曰く「時機、未だ至らず」と。乃ち之を公卿・縉紳に告ぐるに、亦た曰く「時機、未だ至らず」と。嗚呼、坐して時機を待つ、日、復た一日、孰れか能く身を挺して難を發(ひら)かんや。

 是に於て薩藩九烈士、同志を糾合し、奮つて兵を擧げんと欲す。有司、諭止するも、聽かず。格鬪して命を伏見の逆旅・寺田屋に殞す。世、或は其の徒死して、功無きを惜しむ。殊に知らず、一死、以て海内の士氣を鼓動すること、是れ其の素志たるを。他日、五條(天忠組)に、生野(平野國臣)に、天王山(眞木紫灘)に、豪傑、踵(つ)いで起り、百折不撓、薩長の諸藩も、亦た師を出だして王に勤め、中興の大業を成す。果して其の豫期する所に違はず。死する者にして、知る有らんか、應に笑みを地下に含むべし也。烈士は、誰とか爲す。曰く有馬新七(正義)、曰く田中謙助(盛明)、曰く橋口傳藏(兼備)、曰く柴山愛次郎(道隆)、曰く弟子丸龍助(方行)、曰く橋口壯介(隷三)、曰く西田直五郎(正基)、曰く森山新五左衞門(永治)、曰く山本四郎(義徳)、其の死するは、實に文久(二年)壬戌四月廿三日なり。

 今ま茲に(明治二十七年)甲午、三十三囘忌辰、伏見の人、追慕して祭を修め、銅表を寺田屋遺址に建て、文を余れに請ふ。余れ甞て宇治平等院を過ぎり、源三位(頼政)の故跡、所謂る扇芝なる者を弔し、低徊して去ること能はず。蓋し壽永中、平氏專横にして、頼朝・義仲等の擧兵討伐、以て之を亡す。然れども三位の首倡、難を發くに非ざれば、安んぞ能く遽かに偉勳を奏するを得んや。此の地、宇治を距つること咫尺にして、九烈士の事、又た相類す焉。故に余れ、筆を揮ひ大書して、其の功烈を表し、扇芝と竝び、美を千載に傳へん。後人、此を過ぎるも、亦た必ず低囘して去ること能はざる者有らん矣。

 明治廿七年五月

  正四位勳四等・文学博士・川田剛(甕江) 撰
  從五位・長□[艸+一+火。けい](三州) 書
  參謀總長兼神宮祭主・陸軍大將・大勳位・熾仁親王(東征大總督・有栖川宮) 篆額
 
 

杞憂か‥‥

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 6月 1日(水)23時28分49秒
返信・引用 編集済
  【神宮御發表】
  ↓↓↓↓↓
http://www.isejingu.or.jp/topics/rytp2wwq.html
http://www.isejingu.or.jp/topics/xxy84qp9.html
http://www.isejingu.or.jp/topics/52m6sctx.html

 非常識にも原爆ドーム前にて恫喝したるか──禍々しき核ボタンの鞄は、(以下、六月三日訂正し畢ぬ)畏れ多くも宇治橋を越え、神域に闖入したるも、恐らくは御垣内には侵入してゐないだらう由、盛義一兄より示教あり。

 實に言語道斷と謂ひつ可し矣。安倍晉三首相、此の大罪を、如何にして償ひ奉るや。爾後、アメリカ大統領の参拜だけは、御遠慮いたゞきますやう、切に懇望したいと存じます。此の爲體から拜するに、皇居へも闖入してゐるのでありませうか、杞憂は募るばかりであります。

 各首腦、「我が國の傳統にそつた形で表敬」との御發表ですが、詳しき御發表は、神宮司廳より、後日、あるやうであります。期して待ちたいと存じます。

オロモルフ博士の憂慮
  ↓↓↓↓↓
http://8227.teacup.com/ysknsp/bbs/15032

 宇内の代表の一部が、神宮に集ひしは、洵に祝着なるも、今後の觀光客の動向が‥‥、杞憂であればよいのですが‥‥。これも「世界皇化」の一道程、國民の覺悟を要します。
 
 

義は則ち君臣にして、情は猶ほ父子の如し。

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 5月25日(水)21時44分40秒
返信・引用 編集済
   楠公祭の當日、奇しくも松田晃平同志は、拘留期間の滿期となり、起訴された由。洵に無念であります。



■大正天皇即位禮に於て賜りたる勅語(大正四年十一月十日)

爾ぢ臣民、世世相繼ぎ、忠實、公に奉ず。義は則ち君臣にして、情は猶ほ父子のごとく、以て萬邦無比の國體を成せり。



■昭和天皇御製

日々のこの わがゆく道を 正さむと かくれたる人の 聲をもとむる



 謹案、諫言は、子の父に對する如し。然れども敬肅謹愼を必須とす。談笑雜言、憂勤惕厲の色あること無きは、撃つて可なり矣。況んや事實誤認、無知より來る、恣意輕薄なる「忠言・諫言」と自稱するものをや。



●吉田松陰先生『講孟箚記』に曰く、

「苟くも能く一向に義理の當然を求め、終始なく作輟なき時は、又た何ぞ事の成らざるを憂へん。‥‥心身家國、切實の事務を以て、世上話となす者、取るに足る者有ることなし。是れ人を知る眞訣なり。然れども是を以て人を知るの訣とするも、亦た世上話の類のみ。宜しく親切反省すべし。辭を修め誠を立つる、是れ君子の學なり。‥‥我に在つては、道を明かにし、義を正うし、言ふべきを言ひ、爲すべきを爲すのみ」と。



●葦津珍彦翁『日本の右翼──その思想と行動──右翼精神の系譜と現状──日本人の底にひそむ力強い精神潮流』(『經濟往來』昭和四十五年九月號。頭山滿翁生誕百五十年祭實行委員會編『近現代戰鬪精神の繼承──西郷隆盛・頭山滿・葦津珍彦の思想と行動』平成十七年二月刊に所收)に曰く、

「昭和初期、『國體明徴』の旗を立てたが、日本の社會通念では、國家社會主義は右翼なのだが、保守的な元老や大財閥のブルジヨアジーの巨頭は、決して右翼ではないことになつてゐる。學者や思想家であつても、西歐哲學やキリスト教等を根據とする人々は、いかに保守的な立場の人であつても、日本では、右翼とは言はれない。右翼は、保守か急進かと云ふよりも、むしろ『西歐化』に對決するものに限定されて用ゐられて來た總稱と言つてもいいだらう。日本では、西歐的文明に源流するものは、保守でも反動でも、右翼の中に入らない。それ故に同じ右翼と稱せられる人々の中にも、多樣多彩な思想的な差異がある。だそこに、一つの大きな共通性がないわけではない。

 それは西郷南洲を景仰する人々であり、南洲が斃れて後、その遺志を繼承した頭山滿である。この西郷──頭山路線が、日本右翼の主流である。この路線は、公權力の中にも政黨の中にも、『目に見える組織力』を構成し得たわけではなかつたが、脈々として日本人の精神的潮流の中に生きつゞけ、時に應じて強大な壓力となつて、日本人の社會を動かして來た。私は、そこに『右翼』と云ふものがあると思つてゐる。‥‥

 尊皇攘夷に、右翼精神の見識が存する。この第一義『天朝を憂ふる』(松陰先生の語)の精神が、明確なる目標として示されねばならない。攘夷[反共]は、第一義確保のための當然の手段である。それは、第二義的手段である。しかしてその尊皇的體制にとつて、議會制政黨政治・自由主義經濟を有效なる方法と認めるか、あるいは政黨の權限を制約するか、經濟に計畫性を認めるか、それは流動する時代の條件により、『時の宜ろしき』に從つて判斷さるべき、政治手段の論であり、第二義以下の末の問題だと云つてもいい。この本末輕重の名分を明らかに正すところにこそ、日本右翼の獨自の見識がある。戰後右翼の理論に混線があるとか、曖昧さがあるとか評せられるのは、この本末名分についての見識が明示されない弱みがあるからであらう。本末を亂り、いやしくも末に流れて、本を曖昧にしてはならない。

 この本末を正しくする見識が確立しさへすれば、格別に優秀なる理論家を待つまでもなく、その主張には、自らなる條理が立つ。そこには、ポツダム體制下に成長した自由民主黨とは異質の、鮮烈な存在理由が明らかとなるはずだ。そのとき日本右翼は、目に見える姿は小さくとも、國民大衆の心理の深いところに、脈々として底流する潛在勢力の代表者として、再びその威力を囘復し得るだらう」と。



【ワックに對する再聲明──時局對策協議會】
  ↓↓↓↓↓
http://jitaikyou.org/%e8%81%b2%e6%98%8e/
 
 

願はくは青螢と化して、墓畔に生れ、香骨を追隨し、吾が心を快ばしめむ。

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 5月24日(火)21時53分12秒
返信・引用
   寸楮拜呈、仕り候ふ。明日、風薫る五月二十五日は、我が國史の上でも、最も重き日の一つにて御座候ふ間、大楠公を偲び參らせ度く存じ上げ候ふ。敬みて白す。



正成一人、未だ生きてありと聞召され候はゞ、聖運、遂に開かるべしと思食され候へ
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t15/l50



追伸。『九段塾』、いつか左上の計數、二十萬との表示。任重くして、道遠いと謂はねばなりませぬ。呵々。
 
 

擧國、松田晃平青年の御志を恢弘せよ。

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 5月 9日(月)21時37分15秒
返信・引用 編集済
   雲深き邊りに御奉公する者を、特に「御志」と云ふなり。即ち『神皇正統記』後醍醐天皇御條に曰く、「河内國に橘正成と云ふ者ありき。御志ふかゝりければ云々」の筆法、是れなり。 勤皇戀闕の御志ふかき者が、今こそ求められる。



【松田晃平青年が殘せし、もう一つの抗議文】

 今般、貴社が發刊した『WiLL』六月號の
皇室に對する不敬對談記事に、斷固として抗議する。

  WiLL編集部
  西尾幹二
  加地伸行
は、謝罪し、自決せよ。

平成二十八年五月四日
  松田晃平




●平澤次郎翁『月刊言論』(平成元年六月十五日號。大岩優輝氏の特別寄稿『不敬なる言論に自由なし──風流夢譚事件を再考すべし』──『芳論新報』本年五月號に所收から引用)に曰く、

「(小森一孝烈士の風流夢譚)事件は、歴史の彼方に埋もれつゝあり、テロは消えたかに見える。だが、憂國の至情は、日本人の深部に沈殿し、國體の尊嚴を侮る輩に向けて、刃を研いでゐる。右翼のテロは、民族の怒りと共に爆發する」と。



 奢るもの久しからずとは、奢れる者、如何で知るべき。泰西保守・腐儒の跳梁、不敬を重ねる『WiLL』に對して、血性ある有志、之を忍ぶべくんば、何をか忍ばむ。此が討伐は、民族正當防衞權の行使にして、皇室の尊嚴護持は、日本人として、當然當爲の責務なり。擧國、松田晃平青年の志を恢弘せよ。

 時局對策協議會・松田晃平理事の、辯護士を通じて、盛義一副議長への傳言に曰く、「麹町警察は、畏れ多くも皇城の御濠端に在る故、激勵街宣は、遠慮願ふ。街宣車の音量で、宸襟を煩はし奉るは、眞に畏れ多い。その代はり、『WiLL』を徹底的に糾彈して欲しい」と。其の敬肅謹愼の状、見る可く、涙を禁じ得ない。

 かつては、天皇即國家、國家即天皇であつたが、晩近、或は泰西の影響ならむか、畏れ多くも天皇陛下を以て、國家の下位機關と爲すに至る。國體觀念の紊亂、こゝに極まると謂ふ可し矣。西尾・加地等の、やうやく出づる所以なり。而して謹愼の徳目も、亦た併せて失ふに及べり。嗚呼、悲しいかな哉。 備中處士、泣拜敬白
 
 

端午の節句に、義擧の一報あり。

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 5月 5日(木)19時05分11秒
返信・引用 編集済
   泰西保守・西尾某を討つに、戀闕の心から來る、現代稀有の義擧あり。誰ぞ。神風の伊勢の人・松田晃平青年、即ち其の人なり矣。

 如何なる者と雖も、國人を殺むるは、神道を奉ずる者として、生成化育の玄理に反すれば、自裁せざる可からずと雖も、抑も老人を殺めたるに非ず、其の賣文の本據を討ちたるなり。西尾某は、「もう言はない」と曰ひつゝ、敢へて流言蜚語を繰返す確信犯、はた確信犯に非ずんば、癡呆なり。不敬至極、上、官憲、之を斷罪する能はざれば、下、草莽、之を討たずんばある可からず。松田晃平青年には、至誠、已むに已まれざる戀闕の心あり矣。斷々然として、之を支持するのみ而已。



●田中卓博士『西尾幹二氏に問ふ「日本丸の船主は誰なのか」──「忠諫」を裝ふ「放伐」の詭辯を憂ふ』(日本學協會『日本』平成二十年七・九月號)

「西尾氏は、皇室に慇懃な言葉を使ひ、巧みな論理を操るので、一般には天皇制度(ママ)を擁護する忠諫の士と見られてゐるが、實は天皇制度といふ船の中に、彼の判斷で不適當と思ふ人物[乘客]があれば、その人物を、いつでも下船[放逐]させ、場合によつては、制度そのものゝ『廢棄』も辭さない[『WiLL』平成二十年五・六・八月號]、非情な『無關心』派に過ぎないのだ。そしてその思想は、彼が三十二歳當時の座談會[土屋道雄・所功兩氏との鼎談。『論爭ジヤーナル』昭和四十二年十二月號]の中でも、既に見られる。

『(西尾云)ぼく自身の個人的感覺に則して言へば、天皇に、なんら怨恨もなければ、なんら愛情もないといふ、無關心な感情ですね。非常にその點、ぼくの場合、天皇制に對する感情は、稀薄ですね』と。

 かやうな戀闕の心なき知識人の無關心が、やがて革命論に通底し、事ある時には、萬世一系の國體を『廢棄』するにいたるのだ。いはゞ禪讓放伐の現代版である」と。



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【報道集成】

 平成二十八年五月五日、警視廳公安部は、月刊誌「WiLL」の編集部が在る、ワツク株式會社(東京都千代田區五番町)に侵入したとして、建造物侵入の疑ひで、東京都港區濱松町・右翼活動家・松田晃平容疑者(滿二十四歳)を、現行犯逮捕した由。逮捕容疑は、四日午後十時四十五分頃、オフイスビル四階に在る、出版社の入口窓ガラスを割つて社内に侵入した疑ひ。松田容疑者は、「發行してゐる雜誌の對談記事『皇太子さまへの諫言』の内容が、不敬だ」と供述してゐる。

 公安部によると、松田容疑者は、複數の右翼團體等で構成する「大日本愛國團體聯合・時局對策協議會」の理事を名乘つてゐると云ふ。「出版社に侵入し、黒ペンキを撒いて、机に消火器を噴霧した」と、自ら警察に通報し、驅けつけた警察官に逮捕された。同社は、「皇室の安寧を願っての問題提起を、言論では無く、暴力で封じようとする行爲は、容認できない」と、コメントした。


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【松田晃平青年が殘せし要求文】

WiLL編集長・西尾幹二・加地伸行に諫言する!

一、對談記事の謝罪と撤囘。三者の引退。
一、五大新聞に謝罪廣告を掲載する事。
一、WiLLの廢刊。

不敬極まりない、お前らは、恥を知れ!

 東京都港區
  松田晃平


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【WiLL編集部からお知らせの呟き】

 五月四日深夜、弊社に暴漢が不法に侵入し、器物破損及び威力業務妨害を行ひました。言論による問題提起を、言論でなく暴力で封じようとする行爲は、容認できるものではありません。斷固、抗議します。


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【大日本愛國團體聯合・時局對策協議會の聲明】五月六日

 この度、時局對策協議會同志・松田晃平理事が 皇室の尊嚴を貶める記事を掲載したワツク株式會社に對し、直接行動を行なひ、目的を完遂しました。

 松田晃平理事の直接行動は、事の成否・大小・是非はさておき、國體觀念の動揺、極に達した、保守派論壇に斧鉞を加へたものであると、我々一同は、信じてあやしむものではありません。

 諸賢各位に於かれましては、これを機として、なほ一層、松田理事、竝びに弊協議會々員に對しまして、御指導、御叱責くださいますやう、一同、伏してお願ひ申し上げます。

 なほ松田理事は、本日より第一拘留と同時に、接近禁止となりました。今囘の件に附きまして、お問ひ合はせ等ありましたら、下記會員迄、御一報下さい。更に諸先輩より激勵街宣のお申し出を頂いてをりますが、麹町署は、
宮城のお膝元ゆゑ、御遠慮頂いてをります。御理解の程、お願ひ致します。

  聯絡擔當・時對協事務局長 山川裕克/携帶090(3066)6815

    大日本愛國團體連合・時局對策協議會議長 福田邦宏 拜


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 愚案、或る團體が、麹町警察署へ激勵街宣をされた所、松田晃平氏より、

一云、「激勵して戴くのは有り難いが、
皇居・
神域を御騒がせ奉るのは畏れ多いので、申し訳ありませんが、遠慮して下さい
」と。

一云、「麹町警察は、畏れ多くも
皇城の御濠端に在る故、激勵街宣は、遠慮願ふ。街宣車の音量で、
宸襟を煩はし奉るは、眞に畏れ多い。その代はり、WiLLを徹底的に糾彈して欲しい
」(時對協・盛義一副議長への傳言)と。

との要望が傳へられた由。此の一言を以てしても、一時の激情の迸る所に非ずして、敬肅謹愼、戀闕の至情より發する所なるを知るに足れり。

 マスコミ第四權力の膺懲、燎原の火の如く燃え擴ごりて、昭和の御宇、爲さむとして爲し得なかつた、皇室の尊嚴の護持、冀はくば完遂せられむことを。


【皇道日報】
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靖國神社執行部への戰ひ──正統護持のために。

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 5月 5日(木)01時01分36秒
返信・引用
   靖國神社正統護持のためには、何よりも先づ、「鎮霊社(特に俗漢字を用ふ)の祕匿」から始めなければならぬ。松平永芳宮司『宮司願』を承けた、大野俊康宮司の再調査と『宮司通達』の徹底貫徹のために‥‥。從軍神職としての自覺なく、軍務を放棄して、「鎮霊社の公開」を犯した者は、抑も誰ぞや。
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 泉水隆一監督『靖国神社の真実』に曰く、

「去る日、靖國神社の拜殿横より、鎮霊社に向かつた。初詣で賑はふ拜殿前から、一歩、左脇の淨地に足を向けると、全く不思議な程、雜踏の聲・足音が消滅して、清閑な冷氣に身が包まれる感觸を得る。然し拜殿横から連なる玉垣に近づくにつれ、妖氣を身體全身の毛穴が感じ取る。氷の室に向かふが如く、己が足が止まる。目の前に、玉垣を無殘に切り取つて、鎮霊社への入口とした箇所に來る。痛々しい玉垣の慘状に、心が縮み込む。喉が凍てつく。聲が出ない。何故、このやうな事をしたのか。慘殺現場に臨むやうな、背筋に一脈の冷水が走る、寒々とした氣持ちに襲はれる。荒魂が身内から噴き上がる。憤怒に變化する。危險な情緒を覺える。

 以前、(敗戰直後の國民の淨財で作られた、一層一階建ての、古式ゆかしい造りの)參集所を取り壞し、キンキラキンの(大佛殿に似た二層式の)參集殿を作るために、參集所周邊の櫻の大樹を、邪魔な木だと云ふ理由で、無造作に切つた奴等である。靖國神社の王樹である櫻の大木を、何本も切り倒した現下執行部。その切り株に青い工事用のシートをかぶせて、參拜者からの目を隱した。小生は、その青い工事用シートを思ひ切りめくり返して、參拜者に見せた。『ほれ、貴樣達、見てみろ。切り株から新芽が出てゐるだらう。櫻の樹は、切るなら、切つてみろ、俺は負けんぞ──さう言つてるんだ』と、小生は叫んだ。參拜者の列は、小生を狂人と見た樣子。皆、意味不明な笑ひを口端に浮かべて、小生のひつぺがへしたシートの勢ひに、トラブルの發生を感じたのだらう、騒動に卷き込まれまいとして、無視したやうに通り過ぎて行く。顔見知りの衞視が飛んで來たが、狂態の犯人が、小生であることを知つて、氣づかない振りして、去つて行つた。小生の顔貌に、異常を見たのか。咎めれば、騒動は血を見るからと判斷したのか。小生がめくり返したシート、そこには無殘に地上から十五センチほどの所で、胴體を切斷された櫻樹の切り株が、日に晒されたのである。その切り株の一點から、何んと、瑞々しい緑の葉が育つてゐるではないか。胴體は伐られても、未だ屈つしてゐない、櫻木の執念である。命を燃やしてやる、伸びてやる、大きくなつてやる。伐るなら伐れ。俺は負けない──その叫びの緑の苗木である。生命である、不屈の魂である。これこそ、本殿に祀られる神靈、腕をもがれても、足を吹き飛ばされても、武器なく、彈なくとも、齒があれば、喰ひついてやる。齒がなければ、顎で戰つてやる。さあ、來い、さあ、來い──その勇者の荒ぶれる魂を受け繼ぐ、櫻木の斷末魔の戰ひであつた。小生は、倒された櫻の大樹を譽めてやりたかつた。貴樣を切り倒した現下執行部に、必ずお前の恨みは晴らす。さう誓つた。

 數日後、この新芽を吹かせた櫻木の伐り株は、更に地面すれゝゝに切斷され、何んと、セメントが流し込まれてゐた。櫻木の抵抗は、完全に終はつた。最早や、彼の命は消滅してゐた。あたかも戰場で、たつた一人の兵士に、寄つてたかつて四方八方からなぶり殺された、一兵士の如くである。あの瑞々しい緑の葉を、何處へやつた。誰が、ひねりつぶしたのか。小生は、心の中で絶叫した。彼は、最早や、無抵抗である。セメントに埋められて、木肌も見えない。抵抗を無くすために、セメントを流し込んだのか。息の根を止めるために、セメントで埋めたのか。武士道とは何かなど、遊就館で語るな。靖國會館の二階で、語るな、貴樣らよ。小生の戰ひは、この日より始められてゐる。櫻を切り倒したものは、靖國神社の裏切者であり、謀反者である。例へ宮司であらうとも、權宮司であらうとも、部課長の神職であらうとも。理論・理屈は、無用である。神靈が見てゐる。直毘の神が見てゐる。魑魅魍魎が見てゐる。邪神が見てゐる。本人に、家族に、係累に、罪は及ぶ。新造された參集殿は、斬られた櫻の怨念がへばりついている。さう、小生は思つてゐる。今に何か、この參集殿で、大不祥事が起きると、小生は豫感してゐる。天罰か、天誅か。

 今からでも遲く無い。靖國神社の全神職が、もう一度、松平永芳宮司の言葉を思ひ出されたい。『たたずまひを汚すな』。それならば、直毘の神も許すであらう。切に心から改心を望む。明治天皇の御製、

我國の爲をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉垣

その玉垣に添ふやうに咲く、萬朶の櫻。櫻のやうにパツと咲いて、見事に散らうぢやないか、國のため‥‥。さう歌つて、營門を出て行つた軍靴幾十萬の足音、滑走路を驅けて愛機に飛び乘つた戰士、幾百萬の勇者、大艦の舳先に敬禮を返し、祖國の爲に殉じる身で出撃した幾十萬の兵士(つはもの)。その英魂をとむる櫻木を、無造作に切り倒すことを許す者を、小生は許さぬ。
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http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t3/6

 あの日の事を、またも思ひ出させた、今囘の玉垣の破壞である。靖國神社の連なる玉垣に留まる魂魄は、この國を守護した英魂二百四十六萬六千餘柱。いづれも血縁をもたず、唯だ日本のため、國家のため、天皇のために、醜の御楯となり、地に伏し、海に沈み、空に逝つた、幾百萬の勇者である。『靖國神社で會はう。どうせ、今度は歸れない。家にはカヽアや子供も待つてゐるが、歸れる見込みは無い。死ねば、靖國神社に祀られる。お互ひ靖國神社で會はうぢやないか』。家を捨て、父母を捨て、弟妹と訣別した兵が還る所は靖國神社だ、と話した將兵・將官の事を、お前達は、心に刻んでゐないのか。毎日の奉齋に、心は無いのか。魂魄の契りを破壞した者は、誰か。玉垣を破壞し、鎮霊社への參道をつけた愚者は、誰か。それは、靖國神社現下宮司以下の執行部及び神社總代であらう。明治天皇の心願顯した玉垣に、ナタを下ろし、決壞させた罪は、萬死に價する。その者共に、神靈は怒りを振り下ろさない。たゞ眺め見下ろしてゐる。然し神靈に奉仕する直毘の神は、これを許さないのではないか。それを小生は、今こそ、祈願する。この玉垣を破壞し、鎮霊社への參道作りに關はつた者、工事者を含め、總てに祟りの落ちることを切望する。それなければ、改心を致さぬならば。祟りを切願する者は、自らも祟りを蒙る事も、承知である。小生も墮ちる。またこの門をくゞり、鎮霊社に參する者にも、祟りが及ぶことを切望する。

 鎮霊社の横には、元宮がある。しかしこの元宮の役目は、既に終はつてゐるものだ。此處に參じる必要は、最早や無いと見なす事が、本殿への正眼であらう。鎮霊社は不要である。廢祀するべきものである。少し文節が亂れるが、心の赴くまゝに書き進める。靖國神社・英靈にこたえへる會・日本會議の諸氏には、もう小生が何者であるか、凡その察しが着いてゐるのかも知れぬ。これほどの靖國神社内部の詳細を知り、英魂を知る者は少ない。然し小生の背中を押す者がゐる。臺灣沖で戰死した、從兄の海軍大尉。一發の砲彈も撃たず、默々と輸送船團の護りに徹した護衞空母勤務。敵米國潛水艦に、夜半轟沈された。一萬五千の關東軍現役兵を護り切れなかつた痛恨。共に海の底に沈んだ。口惜しいだらう。これを『犬死』と呼ぶ者がゐた、新宿驛構内で。小生はいきなり、ぶん毆つた。齒が折れたらしい。小生、四十五歳の時、昔だ。よろしいか。敵潛水艦がゐようとも、兵を送るしかなかつた。レイテに援軍を待つ友軍がゐる。他に方法が無い。沈められるのは、覺悟の上。『自殺行爲だ』とか、『軍部が無能だ』とかは、戰後の者が言ふな。海防艦の救助で助かつた兵は、『送るなら、内地でなくて、戰場に送れ。戰友が待つてゐる』と、後で水交社にて聞いた。レイテに搬送された兵は、全員玉碎したと、後年、知つた。從兄の軍務は、成功したのである。敵兵に對抗する皇軍を運んだのである。見事である。從兄を譽めたい。海に沈んだ戰友の恨みを、生き殘つた兵は、幾何かであつても、やり遂げてくれたのだ。太平洋の屍となつた幾十萬・幾百萬の將兵は、最後まで敢鬪した兵士に、大歡聲を擧げたであらう。皇軍兵士の戰ひに、『犬死』は無い。戰つてみればわかる。『今にしてみれば‥‥、犬死だつたかなあ」は、あるだらう。だが、戰ひの最中にあるのは、『敵愾心・復讐心、殺してやる』だけだ。それは戰場にで無くても、銃後に在つても、同樣である。從兄の最後の葉書に、『敢鬪せり』と、一文字あり。昭和二十一年、靖國神社に合祀されてゐる。この從兄が小生に、靖國神社の眞實・現況を『書け』と、背中を突いてゐる。これまで、何度もパソコンに向かつて、人差指一本で、キーを押してゐる。何を書いているか知らぬ知人が、『そんなに力いれたら、壞れるよ』と言ふが、これでしか打てない。その背中を、本當に誰もゐない部屋の中なのに、小生の背中を、指で突いてゐる。從兄であると、小生にはわかる。『わかつた、書くよ』と、小生は話しかける。小生は、海軍大尉に護られてゐる、神靈に護られてゐる。

 この破壞された玉垣を、國民の運動で、もう一度、元に復歸させるべきである。玉垣が切られたら、靖國神社は滅びる。切り取つた玉垣は、何處へやつた。かつての參集所の解體處置から考へれば、廢材トラツクにはふり投げられて、何處にか運ばれたに違ひない」と。
 
 

最敬禮。

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 4月29日(金)23時38分56秒
返信・引用 編集済
  奉祝 昭和節



 泉水隆一監督『靖国神社の真実』(平成二十三年十二月・洛風書房刊)に曰く、

「大東亞戰爭時、陸軍侍從武官であつた吉橋戒三さんと云ふ方が、昭和天皇のお傍に在つた時の話を殘してをられる。

『二十年の一月七日の事でしたが、軍司令官が特攻隊員に與へた一枚の感状(戰功のあつた者に與へる賞状)を携へ、御文庫の御政務室(大元帥陛下がをられる所)に向かひました。御政務室は、わづか六坪ほどの小さな部屋で、私は、陛下の机の上に、ルソン島リンガエン灣の地圖を廣げ、この日の上奏事項である、リンガエン灣の戰況について報告をいたしました。そして感状の内容を讀み上げ、特攻隊が突入した場所を地圖にかゞみ込みながら、ご説明を申し上げました。私が顔を上げようとすると、陛下は、すつとお立ちになり、遠くの方を見つめながら、最敬禮をなさつてゐたのです。いつも最敬禮を受けられる陛下が、御自ら最敬禮をされるお姿は、私にとつて名状し難い體驗でした。御文庫を出る時も、電氣に打たれたやうな感覺で、武官府に歸つても、暫くは口も利けない状態でした』。

 軍人に對する最高の名譽は、最敬禮です。それは畏敬の念を表象するものだからです」と。
 
 

松平永芳宮司の諫言。

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 4月20日(水)00時04分53秒
返信・引用 編集済
   「畏れ多い」てふ言葉は、現代、既に死語になつてゐるやうだ。行幸を奉迎する國民の態度に、大いに問題が存する。携帶で御眞影を撮り奉るなどは、不敬至極であること、勿論である。かつて昭和天皇巡幸に於ける逸話──左翼の労働組合員が、天子樣の稜威に感激して「握手」を求め奉つたが、天子樣には、『日本流でゆきませう』との御言葉を賜はり、御會釋を戴いたと傳はる。こゝゝに軍人にして從軍神職・松平永芳靖國神社宮司の諫言を想起したい。



●泉水隆一監督『靖國神社の眞實』(平成二十三年十二月・洛風書房刊)に曰く、

「松平永芳宮司が退職する前年の暮れだつたか、ペルシヤ灣の機雷除去のために派遣されてゐた海上自衞隊の掃海派遣部隊が横須賀に歸つて來るのを、松平宮司は、痩身に外套を羽織つて、靖國神社職員と出かけた。同行した職員の中には、女性職員も數人混じつてゐた。既に退職したAさんは、この日の松平宮司を、今でも涙の粒の向かう岸で、搖れる海軍軍人松平永芳を、「初めて見た――」と、以前、話してくれた。岸壁に送迎用のランチが到着すると、松平宮司は、脇で身體を支へてゐた女子職員の手を振り切るやうにして乘り移つた。そして走り出したランチの舳先に、不動の姿勢で立つた。七十七歳の御高齡である。遠く岸壁から、松平宮司のご樣子を心配げに見てゐた女子職員等は、普段とは違ふ宮司を、そこに見てゐた。寒風吹きすさぶランチに立ち盡くす宮司の外套が、風に膨らんで、バタヾヽとはためく。女子職員は、『何故か、涙が滲んで來たんです。あのやうな姿の宮司さんを、私は見たことがなかつた‥‥。あれが本當の宮司さんの姿なんだ、と。きりつと背筋が伸びてゐて‥‥、カツコウ良かつた』。帝國海軍軍人の姿を見た、と云ふ。そして港内にゆつくりと入港して來た自衞艦と竝行するやうに走る、遙か彼方のランチの上で、松平宮司は、直立不動の姿勢で、擧手の敬禮をされたさうだ。搖れるランチの上でしつかりと、いつまでもゝゝゝゞゝ敬禮してゐた、その姿が忘れられないと云ふ。自衞官の敬禮とは違ふと、さう話した。『あれが、松平宮司の本當の姿なんだ。やつぱり宮司さんは、軍人だつた』と、感想を述べた女子職員。私は、この話を伺つた時、うつむいてしまつた。不覺にも涙がこぼれた。孤軍奮鬪された松平宮司。靖國神社は正統に戻さねばならない、と。外部ではない、内側から‥‥。

 靖國神社中興の祖と云はれる、松平永芳宮司の言葉。

靖國御社頭での祈りとは誓ひだ、御靈と同じやうに、いざといふ時は、國に命を投げ出します、といふ誓ひのない祈りでは、御祭神の御滿足は得られない‥‥』。

賀茂百樹宮司も言つた。鈴木孝雄宮司も言つた。數少ない、正統の繼承者。それでも、絶やしてはならないと思ふ。

 少し外れるが、地震などの災害地訪問で、兩陛下が、體育館の床に膝をついて、被災者とにこやかにお話してゐる姿を、テレビニユースで拜見するたびに、つらい思ひをする。皇后陛下の膝にまとはりつく子供がゐたりすると、子供を叱り飛ばしたい。松平宮司の、社報『靖國』に書かれた「謹愼謙虚」といふ話が、胸にコタヘル。

『岩倉公が亡くなる少し前に、明治天皇が岩倉邸に見舞ひの行幸をなさつた。もう自分では起き上がれず、令息夫人に背中を支へられて身を起こしてゐる岩倉公に対して、天皇さまは、軍服姿で直立不動の姿勢でをられる。これが王者の見舞ひです。王者には、王者の見舞ひの態度があるんです。こゝで天皇さまが腰を屈めたり、疊にひざをつけたりしてしまはれたら、王者としての繪にならない。‥‥皇室のお立場では、開かれるべきと云つても、限度があり、國民と同じ床でお振る舞ひをなされゝば良いといふものではないんです。‥‥』
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http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t3/8

この松平宮司の話も、「何がいけないの。いいぢやないの。開かれた皇室だよ」と言ひ出すのが、「靖国ファン」だらう。この開かれた皇室、天皇が被災者の前に膝をつかれた姿が‥‥、實は、現在のこの國ををかしくしてゐるのではないか。さう思はざるを得ない。

 明治維新は、天皇を國民一人ひとりが仰ぎ奉つて成就した。さう云ふ時代を作り、骨格を形成し、近代日本を作つて來た。その骨格は、敗戰後も、かなりあつた、感じられた。だが、今は、もう無い‥‥。感じにくい。靖國神社ですら、「骨格」が搖らいでゐる。ましてや國民は、骨格など求めてゐないやうにも見える。現に「皇室ファン」・「靖国ファン」が、正統を押しのけて、尊嚴を笑ひ飛ばし、肩で風を切つて歩いてゐる。年寄りは消えろと、野次つてゐる。極右が求められる。囘天である。誰が理解できるか、どの程度、理解できるか」と。
 
 

大御心。

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 4月15日(金)21時41分56秒
返信・引用 編集済
   熊本地震を聞きて、天變地異に畏む‥‥。天地の大道、是れ、一視同仁なり矣。



●葦津珍彦翁『天皇陛下』(昭和二十六年五月。『光榮』第二號。『神道的日本民族論』昭和四十四年一月・神社新報政教研究室刊に所收)に曰く、

「天皇陛下は、われら日本人の良心の鏡であらせられる。私は、新聞やラヂオを通じて、陛下を拜する。自動車で行幸せられる陛下を拜したことがある。だが、私は、陛下の玉音を親しく承つたことはないし、終生、そのやうな機會があらうとも考へない。だが、私の心は、常に陛下の玉座の下に赴く。‥‥

 かつてワシントン會談が難航し、平和の危機が重苦しく感ぜられたころ、私は、常に思つた。陛下は、今、どのやうに御考へだらうかと、會談の前途が破綻に瀕して來た時に、私は、朝も夕も、陛下の御心を御察し申し上げては、考へた。十二月八日、陛下の宣戰の詔書を拜したとき、私の一切の思慮は、一段落をつげた。私は、たゞ陛下の御心に從ふと決めた。

 戰地から還つて來る白木の箱を驛頭に迎へる時に、私は、常に思つた。陛下は、今、どのやうに御考へになつてゐるだらうかと。

 東京の空襲の激しくなつたころ、私は、何時もかの凄壯な夜戰を見つめてゐた。B29の巨大な機體に、高射砲彈が命中すると、街上からは、本能的な歡聲が擧がつた。彼方の空の下では、猛火が人家を包んでゐた。燃えおちる空の米兵と、猛火の中を逃げまどふ市民の心を想像してゐる私には、歡聲を擧げることができなかつた。そして私は、考へた。陛下も、亦た今、あの燃えおちる飛行機と、あの猛火を御覽になつてゐるだらうかと。

 私は、今、世界戰爭の危機を報ずる新聞を見、ラヂオを聞いては、考へてゐる。陛下は、どう御考へになつてゐるだらうかと」と。
 
 

戰鬪精神の繼承。

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 4月14日(木)19時27分16秒
返信・引用
   こゝにも、「一兵士」翁を發見せり。曰く、



●葦津珍彦翁『明治・靖國社頭のちかひ』(昭和二十四年。『神道的日本民族論』昭和四十四年一月・神社新報政教研究室刊、また頭山滿翁生誕百五十年祭實行委員會編『近現代戰鬪精神の繼承──西郷隆盛・頭山滿・葦津珍彦の思想と行動』平成十七年二月刊に所收)

「戰終の年の秋、私(葦津珍彦翁)は、明治神宮に參拜致しました。かの歴史的な十月三日の、自由の指令が出て間もないころでした。聯合國軍總司令部は、日本天皇の政府に對して、強硬なる指令を發し、その命令に基づいて、内務大臣は罷免され、特高警察は廢止され、天皇制防護の法令が撤廢されて、コムニスト等の政治犯は、すべて釋放されました。皇族内閣東久邇宮内閣は崩壞し、獄外に出たコムニストは、凱旋將軍のやうに歡迎され、一流の大新聞紙も、天皇制に對する嘲笑と攻撃の論説や記事を掲げてゐました。特に日本は、亡國に瀕してゐると思はれたのであります。神宮の參道は寂として人なく、爆撃に傷められた樹木がそのまゝで、荒涼たるものでありました。私は、この神宮に御參りして、日本帝國の中興の英主たる御神靈の前に、謹んでお誓ひ申し上げ、且つお祈り致しました。

「明治天皇樣の大御代のやうな、光榮ある帝國の獨立を恢復致したい。私は、そのための一兵士として、御奉公致したいと念じて居ります。この志に對して、御神靈の御加護を祈り上げます」と。

 私は、靖國神社にも參拜致しました。こゝには、私共と親しくした、幾多の英雄が祭られてある。私共と志を同じうした人々である。かれ等は、祖國の光榮と獨立のために、生命を捧げた人々である。かつて私共と親しく志を語り、誓ひあつた人々である。私は、その英靈の前に、私が、決して祖國を裏切らないことを誓つたのであります。

 かくて私の良心は、明治神宮の御神慮に背き奉ることを畏れる。私の良心は、靖國の神々の照覽し給ふ所である。それ故に、私の良心の畏れる所は、この世の權力者でもなければ、法律でもない。私の肉體的な本能的情意は、權力や法律を畏れるかも知れないが、少なくともそれは、良心に對しては、何の權威でもない。私は、千萬人の大衆から嘲笑され、惡罵されても、私の良心は、少しも恥づる所はない。たゞ私は、靖國の神々に對する誓ひを裏切ることを恥づるでありませう。

 かやうに私の良心に對して、權威を以て命令するものは、神宮や神社の御祭神の神意であつて、それはこの世の俗衆の議論でもなければ、權力者の命令でもあり得ない。わたしの良心は、神宮や神社の神慮によつて支配される。このやうな關係に立つとき、私の思想は宗教的であり、特に神道に屬すると稱すべきだと思ふのであります」と。



【賀茂百樹宮司『明治神宮と靖國神社との御關係』】
  ↓↓↓↓↓
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/meiji_yasukuni.htm



 泉水隆一監督の曰く、

「あと十五年で、皇軍兵士は消える。では、誰が、明治天皇の聖旨、靖國神社の社憲を、過てること無く繼いでいけるのか。あなた方しかゐないでせう」と。

 愚案、聞かれるがよい。稻麻竹葦の混迷の中に在つて、金鐵、少しも撓はざる誠忠の臣・泉水隆一翁の、血に泣く、其の聲を、其の雄叫びを。『靖國神社の正統を、次代者は、どう受け繼ぐべきか』、是れ即ち吾人の深刻かつ親切なる問題にして、勤皇報國、御志深き者は、血の涙、決してこれから遁るゝこと能はず、皇國の復興、尊皇精神の恢弘は、吾人に依託されたのである。共に立たむか、戰鬪精神の繼承者たちよ。有志、如何。
 
 

神武天皇以來の正史と『凛として愛』

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 4月 2日(土)15時21分17秒
返信・引用 編集済
   明日は、神武天皇二千六百年式年大祭。天皇陛下の橿原神宮行幸を仰ぎ奉る御由。



 泉水隆一監督の曰く、「映畫『凛として愛』は、日本を變へる、日本の近代史を描き、英靈の汚辱を晴らしたい、といふ意向を強く主張された、花田忠正靖國神社權宮司の意向に從つて、制作が開始してゐます。靖國神社は、それまで默つてゐたんですけれども、一つ打つて出ようと、本當の話を言はうぢやないかと云ふ事で、その映画を制作する最高責任者・花田權宮司(平泉澄博士の門下)が、それを考へましてね。日本と云ふ國は、神武東征以來ね、大和民族として、天皇の爲めに戰つて來たんだ、さう云ふ國であると、さう云ふ事を、最初から言はうぢやないかと云ふ事で、この映畫の制作はスタートしたんですけど、たゞ餘りに長いスパンがあり過ぎるんで、大東亞戰爭と云ふか、明治以來の近代戰爭と云ふ事で、そこの部分を取り上げて、常に日本は、武器を取り、戰ひ續けて來たと、さう云ふ事實を、若い人に知つて貰はう。この映畫はね、これを見た人が、日本民族の、大和民族のね、魂に觸れて、勇氣を持つて、映畫館から出て行つて貰ひたかつたと、さう云ふ思ひを籠めて作つたのです。‥‥神武天皇を始め、創世の神々は、常に矛をもち、劍を握り、戰はれて來た。靖國神社は、その天皇の臣靈を守護する神官とて、神威を戴き、眦を決するのは、至極當然のこと、靖國神社は、軍人を祀る神社である事を忘失してはならない」と。



 某氏の曰く、「泉水隆一監督は、映畫『凛として愛』を創作せしものに非ず。正に『英靈の言の葉』を、脚本に寫し取られしものにして、美しくも力強い詩吟の調べに乘せて、朗々と歌ひ上げしもの、即ち『凛として愛』なりと思考する。此の映畫は、一篇の詩、民族慟哭の敍事詩なり。監督の意圖する所、靖國神社の、遊就館の入館者増加を乞ひ願ふ等の小事に非ずして、究極する所、皇室の翼贊に外ならざるものと恐察す。此の映畫は、今日の皇室に奉贊の誠を捧げるものなり。その爲めにこそ作られし映畫にして、靖國神社が、如何あるべきか、如何に護持するかの次元を超えた、神武創業の正史を、正當に理解する爲めの映畫なりき」と。



【泉水隆一監督が、唯一認可した『凛として愛』頒布先】
  ↓↓↓↓↓
http://www.hanadokei2010.com/prof.php?no=5

http://ameblo.jp/rintositeai/
 
 

松平永芳大人遺文。

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 3月 8日(火)23時46分50秒
返信・引用 編集済
   靖國神社には、やはり、松平永芳宮司を云々する輩が巣食つてをるやうだ。寒心に堪へない。

 今一度、九段塾頭・泉水隆一監督の言靈を思ひ起し、松平永芳宮司の遺文を熟讀されむことを切に懇祷して已まない。「松平永芳大人遺文」こそ、戰後に於ける靖國神社正統護持の據つて立つ最後の砦である。「松平永芳大人遺文」を、恢弘せよ。何人も、讀めば分る筈。分らぬ奴は、暗躍使嗾する戰後保守・俗流右翼の手先なり。撃つて、撃つて、撃ちまくれ。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t3/l50
 
 

罪、萬死に價す。天壤無窮を確信して瞑す。

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 2月15日(月)21時44分14秒
返信・引用 編集済
   我が畏友・秋田智紀主より、告知到來す。曰く、

平成二十八年二月二十八日午前十時、岡山市中區平井の野中家墓地にて、第四十囘野中祭(陸軍歩兵大尉歩兵第三連隊第五中隊長・野中四郎命八十年慰靈祭。是れ、周年祭なり)を齋行せんとす、と。

 こは、岡山縣愛國者協議會・岡田則夫翁より、秋田智紀祭主が承け繼ぎたる祭典なり。齋主は、足高神社・井上直亮禰宜。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/1701



●野中四郎大尉『遺書』(昭和十一年二月十九日)

 迷夢昏々、萬民赤子、何れの時か、醒むべき。一日の安を貧り、滔々として惰風に靡く。維新囘天の聖業、遂に迎ふる事なくして、曠古の外患に直面せんとするか。彼のロンドン會議に於て、一度、統帥權を犯し奉り、又た再び我が陸軍に於て、其の不逞を敢へてす。民主僣上の兇逆徒輩、濫りに事大拜外、神命を懼れざるに至つては、怒髮、天を衝かんとす。

 我、一介の武辨、所謂る上層圏の機微を知る由なし。只だ神命神威の大御前に阻止する兇逆不信の跳梁、目に餘るを感得せざるを得ず。即ち法に隱れて私を營み、殊に畏くも至上を挾みて、天下に號令せんとするもの、比々皆な然らざるなし。皇軍、遂に私兵化されんとするか。嗚呼、遂に赤子、御稜威を仰ぐ能はざるか。

 久しく職を帝都の軍隊に奉じ、一意、軍の健全を翹望して他念なかりしに、其の十全徹底は、一意に、大死、一途に出づるものなきに決着せり。我、生來の軟骨、滔天の氣に乏し。然れども苟も一劍奉公の士、絶體絶命に及んでや、玆に閃發せざるを得ず。或は逆賊の名を冠せらるゝとも、嗚呼、然れども遂に天壤無窮を確信して瞑せん。

 我が師團は、日露征戰以來、三十有餘年、戰塵に塗れず、其の間、他師管の將兵は、幾度か其の碧血を濺いで、一君に捧げ奉れり。近くは滿洲・上海事變に於て、國内不臣の罪を、鮮血を以て償へるもの、我が戰士なり。我等、荏苒、年久しく帝都に屯して、彼等の英靈、眠る地へ赴かんか。英靈に答ふる辭なきなり。

 我、狂か、愚か、知らず。
 一路、遂に奔騰するのみ。

 昭和十一年二月十九日、於週番指令室、陸軍歩兵大尉・野中四郎



●野中四郎大尉『遺書』(昭和五十四年七月十六日、野中大尉の圖嚢から、四十三年目に發見せられたる蹶起決意の手記)

一、自己を否定し盡くした、眞の人としての活動。

一、聖旨を奉戴し、之を具顯すべく、輔弼協贊、扶翼し奉る政治たることに於て、毫末も變化は認め得ぬ。

一、我が國、昭和維新は、急速に進展すべからず。幾變轉、幾波瀾の後、又た幾多軍民、煩悶懊腦の後、遂次(愚案、「逐次」か)に機運を促進し、遂に澎湃たる興國維新の波に、黎明を迎ふるに至らん。濫りに陰謀を畫し、術策を弄して、自便征行、一擧に事を爲さんとするの誤りなるや、明白なり。

一、軍隊、先づ更生せざるべからず。神國具現は、先づ神軍具現に發せざる可からず。

一、目標は、一個誠忠、茲に功名爭ひある可き筈なし。利慾勝利を超越、茲に維新の根源存す。

一、人生人事、悉く之れ、人と人との交換、捨我棄自の人無くして、人生人事、進展することなし。

一、一心の成滿、結局は行に移行す。



●野中四郎大尉『蹶起趣意書』(二十六日)

 謹んで惟るに、我が神州たる所以は、萬世一神たる天皇陛下、御統帥の下に、擧國一體、生成化育を遂げ、遂に八紘一宇を完ふするの國體に存す。此の國體の尊嚴秀絶は、天祖肇國、神武建國より、明治維新を經て、益々體制を整へ、今や、方に萬邦に向つて、開顯進展を遂ぐべきの秋なり。

 然るに頃來、遂に不逞凶惡の徒、簇出して、私心我慾を恣にし、至尊絶對の尊嚴を藐視し、僭上、之れ働き、萬民の生成化育を阻碍して、塗炭の痛苦に呻吟せしめ、從つて外侮外患、日を逐ふて激化す。所謂る元老・重臣・軍閥・財閥・官僚・政黨等は、此の國體破壞の元兇なり。倫敦海軍條約、竝びに教育總監更迭に於ける統帥權干犯、至尊、兵馬大權の僭竊を圖りたる三月事件、或は學匪・共匪・大逆教團等の、利害、相結んで、陰謀、至らざるなき等は、最も著しき事例にして、その滔天の罪惡は、流血憤怒、眞に譬へ難き所なり。中岡・佐郷屋・血盟團の先軀捨身、五・一五事件の噴騰、相澤中佐の閃發となる。寔に故なきに非ず。

 而も幾度か、頸血を濺ぎ來つて、今ま尚ほ些かも懺悔反省なく、然も依然として私權自慾に居つて、苟且偸安を事とせり。露・支・英・米との間、一觸即發して、祖宗遺埀の、此の神州を、一擲破滅に墮らしむるは、火を賭るよりも明かなり。内外、眞に重大危急、今にして國體破壞の不義不臣を誅戮して、稜威を遮り、御維新を阻止し來れる奸賊を芟除するに非ずんば、宏謨を一空せん。恰かも第一師團出動の大命、渙發せられ、年來、御維新翼贊を誓ひ、殉死捨身の奉公を期し來りし、帝都衞戍の我等同志は、將に萬里征途に上らんとして、而も省みて、内の世状に、憂心轉々、禁ずる能はず。君側の奸臣・軍賊を斬除して、彼の中樞を粉碎するは、我等の任として能く爲すべし。臣子たり、股肱たるの絶對道を、今にして盡さゞれば、破滅沈淪を飜すに由なし。

 茲に同憂同志、機を一にして蹶起し、奸賊を誅滅して、大義を正し、國體の擁護開顯に肝腦を竭し、以て神州赤子の微衷を獻ぜんとす。皇祖皇宗の神靈、冀くば照覽冥助を埀れ給はんことを。

 昭和十一年二月二十六日
  陸軍歩兵大尉 野中四郎
  外      同志一同



●野中四郎大尉『遺書』(二十九日)

 實父勝明に對し、何とも申し譯なし。老來、益々御心痛相掛け、罪、萬死に價す。

 養父類三郎、義母ツネ子に對し、嫡男としての努めを果さず、不幸の罪、重大なり。俯して拜謝す。妻子は勝手乍ら、宜しく御頼み致します。

 美保子、大變世話になりました。貴女は、過分無上の妻でした。然るに此の始末、御怒り、御尤もです。何とも申し譯ありません。保子も可哀想です。かたみに愛してやつて下さい。井出大佐殿に御願ひして置きました。



●野中四郎大尉『絶筆』(二十九日、於陸相官邸の一室)

天壤無窮


**********


■平泉澄博士『孔雀記』(昭和十一年三月六日夕筆。田中卓博士『平泉史學の神髓』平成二十四年十二月・國書刊行會刊に所收)

 檄

 利己主義・自由主義・民主主義の、多年に亙る跳梁跋扈の爲めに、皇國のまことの姿の失はれたるを歎き、慨然として時弊を改革し、大いに皇政を翼贊し奉らんとするは、我等、平素の本願にして、其の爲めにこそ、刻苦努力し來りしなれ。從つて今次(二二六)の變、その形の一半に於ては、我等と相通ずるところなしとせず。しかれども若し眞に國體を擁護せんが爲めに、非常の手段をとれりとせば、遂行の曉に於ては、直ちに割腹自決するか、しからざれば二重橋の御前にひれふして、謹んで罪を待つべきのみ。しからずして要地を占領し、朝廷に要請し奉りてやまざるが如きは、全く外國革命の手段に同じく、叛軍逆徒にあらずして、何ぞや。之を誅戮する事なくして、皇國の中興、いつをか期すべき。

 しかも之が討伐は遷延して、一向に開始せられず、勅命降下して、猶ほ且つ躊躇逡巡しつゝあるを見ては、我等、到底傍觀する能はず。微力なりといへども、蹶起して凶徒を誅戮せんとす。もとより武力の、見るに足るものなし。只だ肉彈を以て突入せんとす(愚案、實は或る具體策を立てられし由)。期する所は、一死以つて、皇國臣子の道、かくの如くなるを示し、眠れる日本魂を覺醒せしめんとするに在り。

 嗚呼、我等、生きて不逞の徒を鎭壓する能はず、無力無能、慚愧に堪へざるも、死して長く國家を守護し、天地無窮の皇運を扶翼し奉らん。冀くは天下、志を存する者、身の軍籍に在ると否とを問はず、苟くも日本人なる以上、幾千年來、祖先忠義の精神を繼承し、この難局に當つて、決然奮起し、違勅の凶徒を討伐して、天皇陛下の宸襟を休め奉らん事を。昭和十一年二月。

 (昭和十一年)二月二十八日深更、(平泉先生)奮起討死の方略を決し、檄文を草す。‥‥

 三月二日、中川中尉(平泉先生宅へ)來訪。‥‥中川中尉が、二十七日、禁足中を脱走して、首相官邸に至り、叛徒に自決を勸告せし事は、その夜、西内教授より聞きしが、今、中川中尉より聞くに、二十九日には、田中・岩田・畑中・一宮等の中尉、打揃ひて自決勸告に赴きし由。また聞く、二十八日深更、田中中尉は、單騎討入りを覺悟し、中川中尉等に對し、遺書を認め居るところへ、中川・岩田兩中尉、予の宅よりのかへりにおとづれ、予の決意を告げたるに、大いに喜びたりと云ふ。又た聞く、岩田中尉も、其の夜、遺書を認めたりと云ふ。

 三月三日早朝、(大阪府警察部長)富田氏より電話あり。「仄聞するに、陛下は、荒・眞兩大將に對し、深く御不快に思召さるゝ由。また聞く、秩父宮殿下より、野中大尉に、御叱りの御言葉あり。野中、之を承りて、殿下よりは、恐らく御ほめいたゞく事と思ひ居たるに、『殿下よりも、御叱りいたゞく上は、致し方なし』とて自決せし、との説あり。斯くては事の成らざりしは、或は平泉の爲めかと思ひて、憤激するもの無きを保せず、身邊、警戒せよ」と云々。予、厚くその芳情を謝すといへども、警戒は出來る事にもあらず、また敢へて恐るゝに足らず。但し予の判斷、并びに行爲は、之を明記し置くべし。

 二十七日、(秩父宮・高松宮)兩殿下に言上の要旨は、次の如し。

一、天皇が、下々の脅迫強要によりて、御方針をかへ給ふ事は、斷じてあるべからず。若し萬一、左樣の事あらば、是れ國體の根源を破り、天皇の神聖を汚すもの、此の膝、一たび屈して、また伸ぶべからず。強要は、斷じて許さるべきにあらざるなり。

二、然れども其(丙子二二六事件)の精神は、之を汲まれざるべからず。昭和六年以來、頻々として繼起せる事件は、これ、朝廷に一大英斷の無き爲めに起れるものなり。よろしく勇敢に時弊を革新せらるべし。

三、而して此の大方針の下に、時局を收拾し、國難を救ふものは、文に在りては近公、武に在りては荒木・末次の兩將軍なり。よろしく近公を中心とし、兩將軍をして左右、之を支持して進ましめらるべし。

 以上の三點、これ、言上の要旨なり。

 [一]は、二十九日、實現したり。而して三月四日午後、近公に組閣の大命下りし時は、[二]・[三]共に、或は實現すべきかと思ひしが、西園寺公の注文、恐らくは[二]を防ぎ阻みしと見えて、近公、御辭退申し上げられ、翌日、廣田外相に、大命下るに及び、事、遂に成らず。天を仰いで長歎すれば、天、黯慘たり。人を避けて兀坐すれば、燈明滅す。この心、何人か能く之を察すべき。禿筆、もとより盡すなきのみ。しかれども事の成らざりしは、時の到らざるなり。我は、たゞ此の非常の難局に遭遇して、道義の判斷、曾て惑ふことなく、微力は微力ながらに、聊か以て國體を守護し得たりしを喜びつゝ、これよりまた靜かに學窓にこもらんとす。
 
 

奉祝 紀元節。

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 2月10日(水)22時49分12秒
返信・引用 編集済
  ●贈正五位・秦山谷丹三郎大神重遠先生『劒匠・山口國益に贈る序』(『秦山集』四十二・信五卷・明治四十三年十二月・隈山谷干城子刊)

 我が國、寶祚、數千萬載、一劒を以て、天下、平かなり矣。劒の徳、其れ盛んなるかな矣哉。上、王公より、下、皁隷に至るまで、食は去る可きも也、劒は去る可からざる也。劒の用、其れ廣いかな矣哉。‥‥

 嗚呼、劒は、身を護る所以ん也。身を護ること能はずんば、利しと雖も、亦た奚をか爲さん。此れ、往古神人の説、予が諸れを鹽土に聞く所にして、國益が傳ふる所と、約せずして會す。何ぞ其れ奇なるや也。予、竊かに神代の學に志有り。此に相證する有るを喜ぶ焉。因つて書して以て之を遣る。元祿辛巳正月二十日。鏡郡山田野の農夫・谷重遠、序す。



 平成丙申の紀元節を祝ひ奉るに、秦山先生の玉文を以てす。
 
 

『日本美のこころ』──日本美を巡る旅。

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 2月 9日(火)22時16分4秒
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   先般、岡田則夫翁によつて、下記の、美しい御本の御紹介に與かつた。其の極く一部で恐縮であるが、拜記し、清覽に供したい。



●彬子女王殿下『日本美のこころ』(平成二十七年十二月・小學館刊)

 神宮は、平成二十五年、六十二囘目の式年遷宮の年を迎へた。二十年に一度、神樣のお住まひになる社殿と、神樣のお召しになる御裝束・神寶を造り替へ、新しい社殿に御遷座頂くといふ式年遷宮は、戰亂や財政難で中斷したことはあつたものゝ、持統天皇の御代から約千三百年の長きに亙り、連綿と續いてきた。これだけの長い間、御遷宮を支へてきた力とは、一體、何なのだらう。

 今日、式年遷宮といふと、神宮のすべての建物を造り替へることだと思つてをられる方が多いと思ふ。實際、私も最近まで、さう信じてゐた。『律令』の施行細目を定めた『延喜式』といふ書物には、式年遷宮について、神樣のお鎭まりになる正殿、お供へした御神寶や幣帛を納める寶殿と外幣殿といふ、神樣に直接關係のある御垣内の三つの建物を、新材を使つて、二十年に一度造り替へるやう決められてゐる。つまり「すべての建物を、新材で造り替へる」とはされてゐないのだ。

 時代と共に、より鄭重にすべきといふ考へ方から、御垣の外の鳥居や別宮も新しくするやうになつたものゝ、すべての建物を新材で造り替へることになつたのは、昭和四年の御遷宮からなのださうだ。大日本帝國が一番力を持つてゐたときに、國力を揚げて行つた事業だつたため、前例と違ふ大規模造營となつた。このときの事例が踏襲されて現代に至つてゐるので、明治・江戸、それより前の御遷宮はどうであつたのかを、きちんと調べ直し、本來の御遷宮の形を復興しようといふ動きもあると聞いた。

‥‥

 帝室技藝員の作品に共通することは、その卓越した技術の力だ。少々殘念なことではあるが、現代の作家が、「明治の工藝家の技術には、とてもかなはない」と言ふのを、しばゝゞ耳にする。でも、それほどまでに評價されてゐるのにもかゝはらず、どうして誰も「知らない」のだらう。これは、日本美術史が、長い間、明治を境に分斷されてきたことと關係してゐる。

 例へば日本の國立博物館の作品蒐集の對象は、江戸時代末期まで。一方、近代美術館の蒐集對象は、大正時代以降が中心。近年、多くの研究者の努力により、やうやく再評價され始めてはゐるものゝ、明治時代の美術は、研究對象として、てふど狹間にあり、影が薄い。結果として帝室技藝員の存在も、その作品の「凄さ」も、長い間忘れられてきたのである。‥‥作品の完成度、そして、それらが持つ力は、帝室技藝員の實力を垣間見る‥‥。日本の工藝史において、技術的水準が最高潮に達した時代が明治時代であり、その中心にゐたのは、帝室技藝員だつたのである。

‥‥

 日本での(竹工藝の)需要が減る一方、海外で評價をされたことで、竹工藝が、その壽命を長らへることができたのは、幸運であつたといへるかもしれない。でも、産業としても、美術の一分野としても、竹工藝界の苦しい現状に變はりはなく、世界に誇る日本の竹工藝の存續は危ぶまれるばかり。竹ひごを準備し、編み上げ、仕上げに染色したり、漆をかけたりと、一つの作品にかゝりきりで制作しても、完成まで何ケ月もかゝることもあると聞く。でも、その勞力に、正直に値段をつけようとすると、「竹なのに、こんなに高い」と驚かれる。結果として作品制作だけで生活できる作家は、本當に一握りなのださうだ。これでは、優秀な若手を育成する餘裕は生まれるはずもなく、竹工藝界に明るい將來は見えやうもない。他の多くの工藝品と同じやうに、日本の竹籠は、存續の岐路に立つてゐる。日本の文化に育まれてきた、素晴らしい美術を生かし續ける力となるのは、いつなくなるかわからない外國からの需要ではなく、日本人であつてほしい。さう、願ふばかりだ。

‥‥



 愚案、神宮式年遷宮に於ける二十年てふ期間は、如何なる故ぞ。『延喜式』に據れば、世代技術傳承説は、もろくも崩れ去りたり。然れども現代に於いては、却つて必須と爲さゞる可からざるものあり。金滿日本に於いて、傳統技術の傳はる、縷の如し矣。悲しいかな夫。

 女王殿下の御本は、文章も寫眞も美しく、是非とも手に執つて拜戴されたい。洵に畏れ多いことではありますが、中に元號もあるものゝ、西暦が主となつた所もあり、又た「太平洋戰爭」の辭も、遺憾ながら存する。御諫め申し上げる御方の出現を乞ひ奉り、只管ら御待ち申し上げたい。恐懼謹言
 
 

神明奉仕の覺悟。

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 2月 3日(水)22時36分4秒
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   神明奉仕には、平生の覺悟が肝要にして、「いざ」てふ時の對應は、臨機應變なるを要す。「笏を持たざる神主」葦津珍彦翁の、いとも尊き教へを、『葦津珍彦先生追悼録』(平成五年十二月・宮崎正顯翁刊)から數條拜見し、靖國神社正統護持のための一助としたい。



○乃木神社宮司・高山亨翁「乃木神社に神明奉仕するにあたつて」

 昭和六十年九月に、乃木神社宮司を拜命した間もなく、久しぶりに葦津珍彦伯父に會ひ、話をする機會を得た。‥‥(珍彦伯父の曰く、)

「君は、乃木神社の宮司として、何を最も大事に奉仕、努めたらよいか、私の參考意見を申し述べるので、よく聞いて欲しい。御祭神・乃木將軍は、古來、稀な英雄・偉人として、又、日本人の鏡として、その神徳を高揚致すことが、一番肝要と思ふのが、一般的な考へであらうと思ふが、果してそれのみで、御祭神が喜ばれるであらうか。乃木將軍自刃後、自分は神として祀られることを、御自身想定したであらうか。

 日露戰爭凱旋の折、『‥‥愧づ、我、何の顔あつてか、父老に看えん。凱歌、今日、幾人か還る』と詠まれてゐる。又、明治天皇に、悲痛の復命書を奏上してをる。その中に、『‥‥忠勇の將卒を以てして、旅順の攻城には、半歳の長月日を要し、多大の犠牲を供し、‥‥臣が終世の遺憾にして、恐懼、措く能はざる所也。‥‥天恩の優渥なるを拜し、顧みて戰死・病沒者に、此の光榮を分つ能はざるを傷む。‥‥』。この御祭神の意を體するならば、この混迷せる世にあつて、乃木將軍の國體觀を充分に勉強しなほし、今、この世に御祭神が在ますならば、何と考へるであらうか、どのやうな行動をとられるであらうか、といふことを、先づ第一に考へて神明奉仕することが、御祭神が、一番にご嘉納になる道である。‥‥」



○葦津元成翁「珍彦伯父の教育の一端」

 以前に東伏見の學生が、國大の研修で、先生から、「神靈代は、限りなく尊く、火災時、神職は、命がけで護るのが第一義」と教はつてきた。これに對し、父(葦津大成)は、

「萬一、社殿が火災となつた場合、神靈代を搬出できるにこしたことはないが、命の危險もある場合には、無理をせず、ご昇神いたゞくのが至當と思ひ、職員にも、さう指導してゐるのだが、如何」と、伯父に尋ねた。

「それで良い。教條的でないが良いよ。但し歴史の重みとでも言ふか、神靈代にも、種々ある。例へば神宮の場合なら、何百人かの犠牲を覺悟してゞも、ご神體護持につとめることが當然だらう」と、教へられた。
 
 

『寤寐憂國』──崎門の宿老・有馬良橘大將の奧津城。

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 1月27日(水)22時11分24秒
返信・引用 編集済
   下山陽太兄は、今日、明治神宮宮司・有馬良橘大將奧津城の掃苔をされた由。感謝に堪へませぬ。加へて寫眞まで寄越して下さつた。謹んで御披露させて戴きます。

 有馬大將こそは、山崎闇齋先生の御墓を、偶然、見つけられて之を修理し、自ら闇齋先生を研究して、徳富蘇峰翁と共に顯彰に力められ御方であります。而して大將の促す所、内藤湖南・平泉寒林兩博士によつて、廣く天下に紹介され、山崎先生の研究が起りました。闇齋先生の奧津城は、其の後、近藤紹宇先生によつて護持されてをります。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/240



 葦津珍彦翁が、最晩年に居間から外されたと云ふ、「寤寐憂國」の四文字は、實は有馬大將の揮毫にかゝります(尊父・耕次郎翁に贈りしもの)。『葦津珍彦先生追悼録』(平成五年十二月・宮崎正顯氏刊)の扉に、其の寫眞が出てをります。



 水戸義公『明の故き徴君・文恭朱(舜水)先生を祭る文』に曰く、

「嗚呼、先生は、明の遺民なり。難を避け□[木+査=筏]に乘り、來つて秋津に止む。寤寐、國を憂ひ、老涙、巾を霑す‥‥」と。
 
 

御神縁、無量なり。

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 1月25日(月)18時51分28秒
返信・引用 編集済
   瓶子廼舍の兄が紹介されたブログ、甦りし「神道家・眞橘道義」氏のブログ『櫻水鏡』、是非、御清覽たまはらむことを。

 未だ面謁も得ないが、小生、熱いものが込上げて來るを、如何とも止め難い。
  ↓↓↓↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/qq6a9kv9k/65712283.html
 
 

平成大御代の新年、謹みて賀し奉る。

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 1月 1日(金)18時04分6秒
返信・引用 編集済
  平成紀元 二十八年
中興紀元(皇紀) 二千六百七十六年
天降(あもり)紀元 五千十六年
天皇正月、歳、丙申に次(やど)る、元旦、大御代新春の御慶び、芽出度く申し納め候ふ。更めて謹み、
聖壽の萬歳を祝ひ奉り、竹の園生の彌榮を懇祷し、併せて御閲覽各位の福壽無量を祝祷申し上げ候ふ。



■『訂正古訓・古事記』上卷(本居宣長大人訓。享保三年十月刊)

 此の時、伊邪那岐命、大(いた)く歡喜ばして詔りたまはく、「吾れは、子(みこ)生み生みて、生みの終(はて)に、三(みはしら)の貴子(うづのみこ)得たり」とのたまひて、即ち其の御頸珠之玉の緒もゆらに取りゆらかして、天照大御神に賜ひて詔りたまはく、「汝が命は、高天原を知らせ矣」と、事依さして賜ひき也。故れ其の御頸珠の名を、御倉板擧(たな)之神と謂(まを)す(天照大御神の左の御みづらに纏かせる物實、即ち八尺の勾璁之五百津之美すまるの珠より、皇太子・正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命、成りませる也)。



【美甘政和大人『天地組織之原理』卷之第五「三種神寶考」】
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t10/34
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t10/35
 
 

祓給清給へ──吉き御歳を。

 投稿者:備中處士  投稿日:2015年12月31日(木)21時06分28秒
返信・引用 編集済
   年末に、不可解なる闖入者を見ましたが、之に凝りませず、來る歳も、何卒、宜しく御引廻し下さい。



 先般、病院の待ち時間を利用して讀了した、長濱浩明氏『韓國人は何處から來たか』(平成二十六年一月・展轉社刊)にある、次の文字(『舊約聖書』民數記第三十一章)が印象に殘つた。我が日本を除いて、洋の東西を問はず、現代の世相を映し出して、餘す所が無い。曰く、

「さて主(エホバ=ゴッド=アラー)は、モーセに言はれた、『ミデアン人(びと)に、イスラエルの人々の仇を報いよ』と。‥‥

 そこでモーセは、ミデアン人に復讐する爲め、一萬二千人のイスラエル軍を編成し、主がモーセに命じられたやうに、ミデアン人と戰つて、五人の王を含め、其の男を、皆な殺した。‥‥

 又たイスラエルの人々は、ミデアンの女共と其の子供たち(ママ)を捕虜にし、其の家畜と羊の群れと財貨を、悉く奪ひ取り、其の住まゐのある町々と其の部落を、悉く火で燒いた。かうして捕虜と略奪物を持つて、イスラエルの町に歸つて來た。‥‥

 時にモーセ・祭司と會衆の司達は、皆な宿營の外に出かけて迎へたが、モーセは、軍勢の將達に對して怒つた。『あなた方は、女共を、皆な生かして置いたのか。此の子供たち(ママ)のうちの男の子を、皆な殺し、亦た男と寢て、男を知つた女を、皆な殺しなさい。但し未だ男と寢ず、男を知らない娘は、全てあなた方の爲めに生かして置きなさい』」と。



 かやうな砂漠の禍神・預言者を信奉する蕃人共と、我々は、戰ひ、附合ひ、言向け和はして行かねばならないのである。任重くして、道遠し。祓給清給へと、恐み恐みも白す。
 
 

四方節 元始祭

 投稿者:はゆまつかひ  投稿日:2015年12月30日(水)13時58分36秒
返信・引用
  四方節
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t31/24

元始祭
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t31/25

元始祭祝詞
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t31/30
 

明日は大祓

 投稿者:はゆまつかひ  投稿日:2015年12月30日(水)13時15分46秒
返信・引用
  聖上の大綾威を仰ぎ、大祓の儀を遥かに拜みて、大祓詞を奉唱致しませう。

引き潮は 十二月三十一日 二時七分、十四時三十二分

天皇大御身の祓詞
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t31/33

萬古天皇を仰ぐ
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t31/17

禊祓浄化・祝福安泰
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t25/10

大祓の一大事
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t28/33

國之大祓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t28/32

大祓式幽祭
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t28/34

大祓に對する一考察
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t31/8
 

大祓の前日に‥‥。

 投稿者:備中處士  投稿日:2015年12月30日(水)03時03分57秒
返信・引用
  謹告

 「愛国主義者」てふ御方は、九段塾頭が世に出る契機(櫻掲示板のスレツド)をつくられた方であり、塾頭も恩義を感じて容認された人でありましたが、今、出現の「愛国主義者」てふ御方は、或は別人か、或は熟知した上での發言か存じませんが、「本掲示板の主旨に反する書込み」が目に餘り、此の管理人も對應いたし兼ねますので、已むことを得ず、退場を乞ふことと致します。

 御閲覽各位には、御諒承を御願ひ申し上げる次第であります。敬白
 
 

この奇怪な乱入者について

 投稿者:愛国主義者  投稿日:2015年12月29日(火)23時35分54秒
返信・引用 編集済
  備中處士様、常連の皆様

長々と無粋なる投稿を、
続けたることにお詫び申し上げます。

しかるに、この桜坂 秀翠なる正体不明の
人物の行動は奇怪の一言であります。

年末の挨拶と称し、言葉の
揚げ足を取る挑発的なる言動。

天長節に対する祝意は一切述べない。
自分自身で議論を吹っかけておきながら、
それに対する質問には答えない・答えら
れないという奇異なる行動・言動。

奇怪千万、正体不明、まさに得体のしれない人物。
小生が言うのもなんですが、当掲示板には似つかわ
しくない御仁とみなしております。

いったい何の目的があって突如として当掲示板に
出現したのか?ふざけた愉快犯のつもりなのか。
 

・・・・・つまりあなた自身が説明できない

 投稿者:愛国主義者  投稿日:2015年12月29日(火)22時12分18秒
返信・引用 編集済
  ・・・・そういうことですか?
唖然とするというか、あきれ返るというか・・・

>あいにくですが不毛な議論をするほど暇ではありませんし、また徒労に終わるのは目に見えてますから、貴公からのせっかくのご要望に答えられず申し訳ありませんが、要望は悪しからず却下させていただきます。

いやいや、もう一度言いますが貴殿が、今この場で簡潔に
説明していただければ、内容次第でなっとくします。

暇ではない・・・本日は小生と長きに
わたり意見を交わしているではありませんか?
話がかみ合ったかは別ですが。

無論、納得できなければ貴殿の言う
『不毛な議論』になってしまうと思いますが。
徒労であるかは誰にもわかりませんよ。

・・・・『凛として愛』の件も貴殿の方が
わかりやすく説明できると思うのですが??
逆に当方から質問ですが、何をしに当掲示板に来られたんですか?
 

ご遠慮します

 投稿者:桜坂 秀翠  投稿日:2015年12月29日(火)22時07分53秒
返信・引用
  >いや、貴殿が簡潔に今説明していただければ問題ないのでは?
答えが掲示板にあると指摘されても、恥ずかしながら
皆目見当もつきませぬので、むしろ貴殿から具体的に説明を
受けたほうが、何を指摘されているのかがわかりやすいと
感じております。


あいにくですが不毛な議論をするほど暇ではありませんし、また徒労に終わるのは目に見えてますから、貴公からのせっかくのご要望に答えられず申し訳ありませんが、要望は悪しからず却下させていただきます。
 

いま説明してください

 投稿者:愛国主義者  投稿日:2015年12月29日(火)21時59分14秒
返信・引用 編集済
  いや、貴殿が簡潔に今説明していただければ問題ないのでは?
答えが掲示板にあると指摘されても、恥ずかしながら
皆目見当もつきませぬので、むしろ貴殿から具体的に説明を
受けたほうが、何を指摘されているのかがわかりやすいと
感じております。

正直、貴殿の説明が今一わからんのですが・・・・
 

えっ???

 投稿者:桜坂 秀翠  投稿日:2015年12月29日(火)21時36分14秒
返信・引用
  >堕落した執行部とありますが、具体的にどの部分が堕落しているのですか?
それはいつごろから?それを放置した宮司は誰なんでしょうか?
近代主義的神社という意味が分からんのですが?


ということはまさかとは思いますが愛国さん、あなた塾頭や備中さんの言ってきたことや映画「凛として愛」のことをまったく読まずここに来たのですか?

ご質問の答えはこの掲示板にすべてありますから、私へのご反論はひとまずそれを読んでからにして頂きたいものですな。


 

えっ?

 投稿者:愛国主義者  投稿日:2015年12月29日(火)21時14分44秒
返信・引用 編集済
  桜坂さん、

ご返信いただけるとは、恐縮であります。
さて、貴殿の御投稿拝察いたしましたが、
正直何を仰っているのか、よくわからないのですが。

>国や人種の違いを超え、そこを訪れる者すべてが額ずかざるを得ない、
拝跪せざるを得ない、霊気漂う「神聖なる場所」、それが靖国神社の本来の姿でしょう。
靖国神社がそういう場所であるなら本来守衛も門番も監視カメラも、
そういう人為的なものは一切要らないのです。

まあ理想論の域を出ないご意見だとは感じてはいます。
神社本来の姿はこうあるべき、という主張は理解致します。
もっとも神社そのものは人為的に建てられたものですが・・・
特段異論はこの部分に関してはさほどありません。ただ、次の

>しかし堕落した執行部によって政治的あるいは
興行的に神社が利用され、英霊は客寄せパンダとされ、
神社は近代主義的神社という訳の分らない神社に変貌したのです。

堕落した執行部とありますが、具体的にどの
部分が堕落しているのですか?
それはいつごろから?それを放置した宮司は誰なんでしょうか?
近代主義的神社という意味が分からんのですが?

>これを治すのは愛国さんのいう(設計主義的な)制度などではなく、
われわれ国民の気風しかないのですよ。
つまり私が言いたかったのはそういうことです。

最後にはまた理想論という印象ですが。国民の気風は結構ですが、
神社に侵入する暴漢や無頼の衆を放置して、なすすべもなく
神社が棄損されるのは意味合いが違うのではありませんか?
 

つまり

 投稿者:桜坂 秀翠  投稿日:2015年12月29日(火)20時56分19秒
返信・引用 編集済
  戦後採用したアメリカニズムによって近代主義(歴史の英知を外し、たかだか今を生きてるに過ぎない人間の理性に依拠して何事も決定する不治の病)が横行闊歩する日本列島ですが、それでも地方などへ行きますと、断末魔一歩手前ではありますがまだまだ「共同体」の名残に触れることができます。

「左翼」というものをその語源であるフランス革命に倣って言いますと、「人工的(人為的)な理念に基づき、社会の総体を合理的に設計しようとする設計主義」を左翼と言いますから、生じた何らかの不都合をあるシステムによって合理的に解消しようとする思想は左翼思想であり、そういう設計主義(コンストラクティビズム)には背を向けるのが真正の保守主義です。

共同体にお話を戻しますが、そこでは誰がいつ決めたものでもない、歴史によって自生的に醸成されたルール(不文の慣習法=村社会の掟)に従って人々は日々を暮らしている。そういう人間社会にあってはおおよその家では夜間を除き家に鍵をかけません。外部とは遮断された地縁血縁でつながった社会ですから鍵をかける必要もないし、仮に掟を破る者がいたとしたらその者には厳しい罰(村八分などの)が課せられますからね。

こういう人為のない「自生的秩序」が人間集団の理想なのですよ。

しかし、こうした地方も自由主義による国際化の波というか人の流動というかそういう流行には抗えませんから、やがてそうした侵入者への警戒心から人々は家に鍵をかけるようになっていく。これも時代の流れだから「仕方がない」とみるほかないでしょう。

愛国主義者さん同様、私とてこういう止むに止まれずの「セキュリティ」まで否定するつもりは毛頭ありませんが、じゃあ果たして靖国神社ではどうでしょうか。

国や人種の違いを超え、そこを訪れる者すべてが額ずかざるを得ない、拝跪せざるを得ない、霊気漂う「神聖なる場所」、それが靖国神社の本来の姿でしょう。

靖国神社がそういう場所であるなら本来守衛も門番も監視カメラも、そういう人為的なものは一切要らないのです。しかし堕落した執行部によって政治的あるいは興行的に神社が利用され、英霊は客寄せパンダとされ、神社は近代主義的神社という訳の分らない神社に変貌したのです。

これを治すのは愛国さんのいう(設計主義的な)制度などではなく、われわれ国民の気風しかないのですよ。

つまり私が言いたかったのはそういうことです。







 

年末の御挨拶が揚げ足取り

 投稿者:愛国主義者  投稿日:2015年12月29日(火)19時22分9秒
返信・引用 編集済
  これはしたり、恥ずかしいかな、不調法者ゆえ、
粗忽極まりない、文章を投稿してしまいました。

しかしながらなんでしょうか、少なくとも当方は
天長節を心よりお喜び申しあげ、ついつい余計な文言を
付け加えてしまった。それについて、なんとも揚げ足取りとも
取れるお言葉も、またいかがなものでしょうか?

掲示板に投稿しなかったから、天長節を祝っていないということ
ではありませんが、桜坂さんのお名前は随分とお見受けしないのですが。
まず、貴殿がすべきことは、他人様の言葉の揚げ足取りではなく、
素直な気持ちで、天長節に対する祝意を述べること。

それを差し置くとは、面白おかしい御仁だ。

>備中さんのいう「かむながら」が理解できるはずもない。

さて、一体何について指摘をされているのか?
靖国神社を参拝される方々や神社の警備を改めるべし・・・
という一般常識を投稿したつもりですが?
 

年末のご挨拶

 投稿者:桜坂 秀翠  投稿日:2015年12月28日(月)21時18分46秒
返信・引用 編集済
  >お喜び申し上げ奉ります。


↑「頭痛が痛い」とか「靖国通りアベニュー」とか「アメリカに訪米する」といったような可笑しな言葉遣いと次元的に同じだな。

こういうトートロジー(同義語反復)を使うようなお方に、備中さんのいう「かむながら」が理解できるはずもない。

「左翼的反左翼」が保守の主流を占める戦後にあっては、戦後の保守思想はなべてシナ式の「からごころ」や、欧米式の「設計主義」といった「こしらえものの思想」をベースとして生まれてくる。こうして「自然(じねん)」という概念は日本思想から死滅していくんだ。

「保守主義」の「設計主義化」これは相当に根深いビョーキといっていい。

備中處士 さん、「九段塾」ご常連の皆さん、本年も残りわずかとなりました。

皆様にとって新たな年が輝かしいものとなりますように。

どうか良いお年をお迎えください。


 

祝禱 天長節。

 投稿者:愛国主義者  投稿日:2015年12月23日(水)17時48分10秒
返信・引用
  備中處士様、常連の皆様

本日は天長節であります。
今上陛下の82歳の御聖誕日を心より、
お喜び申し上げ奉ります。

天皇陛下万歳!  
 

祝禱 天長節。

 投稿者:備中處士  投稿日:2015年12月22日(火)19時21分55秒
返信・引用 編集済
   明日は、天長節、謹みて賀し奉る。

天皇尊には、御寶算八十三、彌益の御長壽を祝禱すると共に、神敕を奉じて、億兆の大君に坐します、
天皇尊の大御代を、嚴し御代の足し御代に、守り幸はへ奉り給ひ、皇御國を彌榮えに榮えしめ給ひ、
天皇尊の大御心の隨にまに、世界皇化、八紘億兆、一人も其の處を得ざること無からしめ給はむことを。



 『老子道徳經』韜光章第七に曰く、「天は長なへに、地は久し。天地の能く長なへにして、且つ久しき所以の者は、其の自ら生ぜざるを以てなり。故に能く長なへに久し」と。
 
 

Re: 大祓を控へて‥‥。

 投稿者:宮城野の月  投稿日:2015年12月21日(月)01時02分0秒
返信・引用 編集済
  備中處士様

御多用の中を御教示いただきまして、まことに有難う御座いました。
墓所のことなども、他にも伝える様に致します。

別途、横文字のアドレスでメールを差し上げておりました。

備中處士様始め皆々様もどうぞ御自愛くださいませ。
種々有難うございました。

             宮城野の月 拝


 

有難う御座いました。

 投稿者:宮城野の月  投稿日:2015年12月21日(月)00時43分18秒
返信・引用
  はゆまつかひ様

首肯して御礼申し上げます。
神社での御祓いしか経験が無い故に、そのようなことも判らずにおりました。
今後とも御指導の程、宜しく御願い申し上げます。
本当に有難う御座いました。

                 宮城野の月 拝
 

大祓を控へて‥‥。

 投稿者:備中處士  投稿日:2015年12月20日(日)19時23分0秒
返信・引用 編集済
  宮城野の月樣
はゆまつかひ樣

拜復

 御供へに非ざれば、山川に散ずべしと、理の趨く所、自己流に思考しつゝ、大掃除にかまけてをりました所、はゆまつかひ樣の、丁寧かつ正確なる御囘答に接しました。感謝に勝へません。



 餘談‥‥出雲大社岡山縣支廳長の權大教正樣の御教へを二三。

一、御下りの神饌の五穀を、庭に撒くとよい。實れば福來らむ、と。いつも稔らず、乃至は氣づきませんでしたが、或る時、父母が氣づき、みつとも無いので拔くぞと云ふので、暫く待つて戴きました所、御蔭樣にて、愚娘の縁談が調ひました。

一、かつて墓所を清めんとして、小生、鹽を撒きしに、甚(いた)く叱られました。墓所に鹽を撒くものでは無い、と。直ちに先靈に對して、御詫びを取次して戴きました。

一、最近は花筒に、ステンレスを用ゐるは、甚だ惡し、と。墓所は、金氣(かなけ)を特に嫌ふ。速かに棄つるべし、と。これは仄聞する所なり。

 件は流派もありませうが、また支廳長の受けし神示か、出雲古傳か、得て知らざる所でありますが、小生の心に殘る御教へです。



 寄る年次みに克てず、大掃除は、年々疲勞度を増します。兩親は不可能、家内も、最近は衰へが顯著、愚息や娘夫婦の手傳ひが必須と相成り、歸省するを待たねばなりません(泣)。暖冬とは申せ、風吹けば、寒さも一入です。皆樣には、御自愛ください。敬みて白す。
 
 

Re: 小人「豆津魔」──精米にて祓ふべし。

 投稿者:はゆまつかひ  投稿日:2015年12月20日(日)17時06分31秒
返信・引用
  > No.2407[元記事へ]

宮城野の月様

御神前へのお供へではなく祓ひの料ですから、白紙で包んで川や海に流すか土に埋めて下さい。其の前に屋内の四方もしくは八方に散じて祓ひを重ねるも尚、宜し。

はゆまつかひ 拝


宮城野の月氏への返書。

> 備中處士様
>
> >枕邊に「精米」を置いて、自ら祓はれむことを。
> >各位の周圍に、同樣の御方が居られましたら、是非とも勸めて戴きたい。
>
> この祓いに使った「精米」は、どのように扱えば宜しいのでしょうか。
> 勧めようと思いましたが後始末の仕方が解りません。
> ご教示いただければ幸いでございます。
>
>
 

Re: 小人「豆津魔」──精米にて祓ふべし。

 投稿者:宮城野の月  投稿日:2015年12月20日(日)09時34分41秒
返信・引用 編集済
  備中處士様

>枕邊に「精米」を置いて、自ら祓はれむことを。
>各位の周圍に、同樣の御方が居られましたら、是非とも勸めて戴きたい。

この祓いに使った「精米」は、どのように扱えば宜しいのでしょうか。
勧めようと思いましたが後始末の仕方が解りません。
ご教示いただければ幸いでございます。

 

200cc乗り様

 投稿者:愛国主義者  投稿日:2015年12月11日(金)21時06分25秒
返信・引用
  初めまして、御返信ありがとうございます。

少なくとも好き勝手に日本と朝鮮半島を行き来できる
状態は何とかしてもらいたいですね。朝鮮人の
入国に関しては、指紋・顔写真、血液サンプルと
目的地の確認。最低でもこの程度の監視は必要でしょう。
 

何故また来日したのか・・・

 投稿者:200cc乗り  投稿日:2015年12月 9日(水)22時04分23秒
返信・引用
  まさに何が何やら・・・と言った感じですね。
この罰当たりな輩には、しっかりとして取り調べをして、証拠が固まれば起訴を行って欲しいものです。
 

靖国爆弾テロ犯逮捕

 投稿者:愛国主義者  投稿日:2015年12月 9日(水)19時33分39秒
返信・引用
  靖国爆弾テロ犯『チョン・チャンハン』という
男が逮捕されました。逮捕された経緯が再入国
だったというのだから、いささか驚いた。

単に我が国を舐めているだけなのか?
帰国したままという手段もとれたはず。
とりあえず厳しく取り調べをしてもらいたい。

靖国神社で爆発音 韓国人の男を逮捕
12月9日 11時33分

先月、東京・千代田区の靖国神社のトイレで爆発音がして火が出た事件で、
事件直後に帰国していた韓国人の男が、9日朝、再び来日し、警視庁は、
正当な理由がないのに神社の敷地内に侵入したとして、建造物侵入の疑いで逮捕し、
不審物を仕掛けたとみて捜査しています。

警視庁によりますと、調べに対し男は「よく分からない」などと供述し、
容疑を否認しているということです。

逮捕されたのは、韓国人のチョン・チャンハン(全昶漢)容疑者(27)です。
(後略)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151209/k10010334811000.html
 

おかしなもの言い

 投稿者:愛国主義者  投稿日:2015年12月 8日(火)19時02分28秒
返信・引用 編集済
  備中處士様

貴殿の知識・博学さに比べれば小生のごときは
何も理解できぬ俗物でございましょう。
しかし、貴殿の御意見が通るのはあくまでも
神道を学んだ人だけの間の理屈にしかすぎません。

生きるも、死ぬも運命論的なご意見ですが、
果たして靖国神社の宮司の方々も同意見なのでしょうか?
神様が見ているのはよくわかりましたが、人間が努力すべきは
努力しなければいけません。警備も甘いところ、見落とした
部分があるのでしょう。今一度吟味しなおして、参拝者の
方々の安全を図るべきであります。

小生は単に警備を、より厳格にすべしと申し上げたまで。
何らおかしなことはないと思いますが?

衞士がゐるし、參拜者の目もあります

残念ながらこのたびは、その衛士も参拝者の
目も当てにはなりませんでした。
そもそもなぜ衛士がいるのか?それは神社内の
公共秩序を守るため。当然だと思います。

しかし、衛士の方々が爆発物の処置の心得
があるのでしょうか?おそらくないでしょう。

靖国の社に誰か彼きがねなく、参拝できるようにするための
参拝者の方々を守るための警備であります。

不心得者へ神罰を下すは神様のなさることである。
現世において身の周りを護るは人の務めではありませんか?
そのために衛士もいるんではありませんか?
 

天詔降下、義勇、公に奉ぜし日なり矣。

 投稿者:備中處士  投稿日:2015年12月 8日(火)18時51分47秒
返信・引用
  ■吉田松陰先生『對策一道・附論』(『戊午幽室文稿』安政五年四月中旬)に曰く、

天子の敕は、乃ち皇神の旨なり」と。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/2324



 夫れ天下は、一人の天下なり。天皇御一人の天下は、乃ち皇祖皇宗の天下なり。皇祖皇宗の天下は、天皇御一人の天下なり矣。蓋し皇國體の骨髓、皇民の安心なり。世界皇化の淵源なり。



●星野輝興掌典『日本の祭祀』(昭和四十三年七月・祭祀學會編・遺著刊行會刊)の「皇室の祭祀」に曰く、

「祭神は、嘉永癸丑以來、王事に盡瘁して、隕命の勤王志士、伏見の役以來、君國の爲めに戰死された方々をお祀り申し上げたのである。‥‥此の祭神の内のお一柱が、生前は一兵卒であつたとかで、吉野某が、ある雜誌で、其の生前の芳しくないことがあつた爲め、同伴のお子たちが、社前に於いて頭を下げ澁つたといふことを記されたことがある。しかし我が國の神社は、其の祭神の生前の生活全部の爲めにお祀り申し上げるのでなく、其のお方の、國家に對する功とか徳とかいふものを抽出し、それを主とし、出發點としてお祀り申し上げるのである。

 
例へば東照宮の徳川家康公である。御祀り申し上げたのは、豐臣氏に對して、どうした、かうしたといふのでなく、實に三百年の太平の基礎を築き上げられた功と徳、我が御國體の眞髓、天津日嗣の本始、惟神の大道の一部分に協つた功と徳とに對し、公を神としてお祀りしたのである。で、多少、生前云々があつた一兵卒といへども、君國の爲めといふ一念の下に倒れられた其の至誠は、皇祖の思召しと一致するものである。御國體のまことの姿である。惟神である。神である。それをお祭り申し上げたものである。之れに對し、何者が頭を下げることを肯んぜざるものがあらうか。しかしかういふ見解、吉野某に類した考へ方を、別格官幣社に對してするものが、當事者といはれる方々の内に、ひよつとすると見受けることがないでもないのは、甚だ遺憾とする所である」と。
 
 

神は見てをる。

 投稿者:備中處士  投稿日:2015年12月 7日(月)22時17分11秒
返信・引用 編集済
  愛国主義者さん

 靖國神社には、衞士がゐるし、參拜者の目もあります。何より、神樣は、見てをられます。「關所」を設けて拜觀料をむしり取る、遺産遺物の寺では無く、神社は、活きた齋庭です。愚見は、既に申し述べてをります。小生が、「政治家は來るな」と懇祷するのは(それは熱烈に懇祷しますが)、所詮、希望に過ぎません。日本の神社は、世界の萬人に開かれてをるのですから。「爆彈犯人は來るな」、「不敬な者は入る可からず」と申しても、網をかいくゞても、やつて參ります。御祓ひをしない、それは偉い總理大臣も存在しましたし、何を恐れるのか知りませんが、こそゝゝ訪問する、疚しき首相もをられます。參道の「正中」に天幕を張り、來賓と稱せらるゝ御方もをります。

 屋上、屋を架するならば、生死は、人間の力では、どうにもなりませぬ。靖國神社に參拜するに、安全を期待する人ならば、參拜を控へるでせう。警備を幾ら嚴しくしても、人間は、死傷するときは、死傷し、助かるときは、助けられます。奇特な參拜者と雖も、死ぬべきときは、生きたくても死に、生くべきときは、死にたくても生くるものです。犯人と雖も、之に同じ。何もかも「惟神ら」であります。但し幽顯無敵ですから、御國替への折には、幽律に因つて、きつちりと精算されます。御安心ください。

 愛国主義者さん、‥‥小生は、參りました(泣)。

 御閲覽の御方がをられましたら、小生の如き風流人に關はらず、吉き御意見を、愛国主義者さんに應へて戴き度く、宜しく御願ひ申し上げます。小生、今日は寒氣がしてをりますので、休ませて戴きます。 不具
 
 

参拝者の安全は?

 投稿者:愛国主義者  投稿日:2015年12月 7日(月)20時03分16秒
返信・引用
  備中處士様

ご意見が食い違うことはよくあること。
このこと自体は良しと致しましょう。

ただ神社の警備は厳しくするべきではありませんか?
このたびの爆弾テロが、たまたま不発・たまたまトイレ
を使用している人たちがいなかった。

まさに不幸中の幸いですが、同じ手口でまた違うところで
爆発物を仕掛けられて、そのとき、参拝をされる方に死傷者が
出た場合、どうなさるのでしょうか?運が悪いとかの
レベルでは済まされません。

やはりそれなりの現在より厳しいセキュリティにせざるを得ません。
靖国神社側としてもそうせざるを得ないでしょう。
理想は理想、現実は現実です。参拝をされる一般の方の安全を
守るためにも警備は厳しくしていかなければ。
 

見直し聞直して‥‥。

 投稿者:備中處士  投稿日:2015年12月 6日(日)21時14分9秒
返信・引用 編集済
  愛国主義者樣

 靖國神社への相繼ぐ放火は、悲しいかな、靖國神社が、政治的に利用されてゐる證據でありませう。今は、敢へて「一宗教法人」を楯に取つて、劇場型の政治家共を排除して、靜謐と清淨を取戻したいと、幾度びも小生が懇祷してをること、御承知の通りであります。

 「空港のセキユリテイー竝みの警備が、靖國神社には必要」となれば、そこは、最早や、神社では無くなりませう。靖國神社には、朝鮮籍の祭神二萬一千一百八十一柱ましませば、靈威赫々、大事には至りますまいと確信してをります。大東亞戰爭にても大事に至らず、今、若し大事に至ることあるとすれば、それは神意として、之に應へ奉らねばなりますまい。

 
勿論、對朝鮮には、是々非々にて臨まなければなりませぬが、國家百年、千年の大計を思へば、共産支那の解體を見据ゑ、また米露に對抗するには、先づ朝鮮を、再び皇化に浴せしめんことが重要と信じてをります。一衣帶水の朝鮮すら、皇化せしむること能はずとなれば、八紘一宇・世界皇化は、夢幻となりませう。

 
皇國の使命、即ち皇祖皇宗の神敕を、地上に於て完遂せむと力め給ふ、皇上陛下の大御稜威の下、吾人國民は、皇運の一端を翼贊し、幾萬年の皇恩に報いなければならい。小生は、神代からの結縁、戰前からの日鮮同祖論、大亞細亞主義の道統を承け繼ぎ、朝鮮の民を「見直し聞直して」戴き度く冀ふものでありますが、愛国主義者樣には、論調から拜するに、御無理なやうですので、此の議論は竝行線にして、精神衞生上からも終了とし、小生の如き風流人は御見捨て戴き、再論は御容赦たまはらむことを、切に御願ひ申し上げます。懇祈々々。
  
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