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  • 賀茂百樹大人遺文

  • 投稿者:備中處士
 
【靖國神社に關する遺文】

●『明治神宮と靖國神社との御關係』昭和九年十二月・有備會本部刊(大正九年十一月三日述「明治神宮と靖國神社との御關係」、竝びに大正十二年七月十二日述「大御心」を收む)
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/meiji_yasukuni.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/ohomikokoro.htm

●賀茂百樹大人
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/kamo_career.htm
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t4/l50

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  • 靖國神社宮司の覺悟。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2017年 1月 7日(土)23時40分36秒
  • 返信
 
●靖國神社宮司──明治四十二年三月二十九日~昭和十三年四月二十一日──
葵園賀茂百樹縣居宿禰眞定大人の哥(『中今亭雜歌』昭和十四年九月・中今亭刊)


○(明治四十二年)四月はじめ、靖國神社に就任し、國なる父におくりける歌。

靖國の 神の社に 今日よりは いやとこしへに 仕へ奉らむ

宮柱 底つ岩根の 動きなく 心ふりたてゝ 仕へ奉らむ


○十一月二十六日、官舍にて、縣居翁百四十年祭を行ふ。本居豐頴・井上頼國・宮地嚴夫・丸山正彦等、三十餘人參拜あり。己、(靖國神社)宮司となるをも披露の心ありてなり。

我大人の 御靈賜ひて 縣居の 門の廣けく なるがうれしも


○(昭和九年)守屋大連をよめる。

法の水 世にひたゝけて 君が著る ぬれ衣いまだ 乾かざりけり

射放ちし 君が古矢し 違はずば 世に立ちすくみ あとやたゝまし

光りある 君が功を 今も猶 おほひかくせり 墨染の袖

此の君の 御心おもへば 神主は 御墓の前に 悔いて死ぬべし


○(昭和十一年)二月二十六日、降雪三寸許り、一昨日の雪の上に積めり。今朝、暴徒來襲、四門閉鎖を、憲兵より乞ひ出づ。許さず、そのまゝとす。戒嚴令を施かれたり云々。實に國家の大凶事なり。いとかしこき御事なり。

宸襟(みものおもひ) いかゞあらむと かしこくて 雪の終夜(よすがら) 泣きつゝあかす

──注・森谷秀亮博士編『靖國神社略年表』(昭和四十八年七月・靖國神社社務所刊)に、
「二月二十六日、二・二六事件の勃發により、遊就館を臨時閉館し、徹宵、警戒に當る。
二十八日夕刻、歩兵第三聯隊の將兵約百名來社、神社守護に當ることを要求したが、容れられず。九段ビルに移り、のち原隊に復歸す。
二十九日未明より、戒嚴部隊の一部千餘名、外苑に待機し、神社、また南西二門を一時閉鎖して、萬一に備へる」と。


○(昭和十三年)三月二十日、伊國訪日使節・侯爵バウルツチ参拜。天皇陛下御參拜と決す。われ、奉仕に事缺かむ恐れあり。不敬となりてはと思ひて、本日、辭表を出す。

さゝげたる 身にはあれども 屍を 願ふこゝろを 神ゆるさなむ


○四月二十日、辭職聞き屆けらる。昨日、感謝祭を仕へ奉りて。

大君に さゝげしものを 病にて 尸賜ふ 身となりにけり

年久に 仕へ奉りし 廣前を まかると思へば 涙ぐましも

盡さるゝ までは盡して いや果てに 尸賜はる 我が幸おもふ
 

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  • 『靖國神社事歴大要』下

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2008年11月15日(土)01時44分13秒
  • 編集済
  • 返信
 
 靖國神社の御社號は、初めは招魂社とのみ稱せられしが、斯くては、一時、在天の神靈を招きて、祭祀を擧げ神饌を享する、齋庭を指して稱するものゝ如くにして、萬世不易の御社號としも云ふべからず。是を以てか、明治十二年六月四日、太政官より、

『東京招魂社を、靖國神社と改稱、別格官幣社に列せられ候ふ。此の旨、相達し候ふ事』

といふ布達は出でぬ。靖國の熟字は、『春秋左氏傳』に見ゆれども、全くこれに據られしにもあらざるべし。この靖の字は、『韻會』に「安也」とありて、安と同意の字なれば[この靖字は、治也(亂を靖む)、和也(之を和安す)、清也(自ら人を清め、自ら先王に獻る)ともありて、最も善しき字なれば、安にかへて用ゐられしなるべし]、靖國は、安國の字と同一に心得て然るべし。安國とは、平安なる國家の意義にして、古來、わが國にて、大に唱導し來りし固有國語なり。皇祖の、皇孫をこの土に降臨せしめ給ふ時に、皇孫を天津高御座[天皇の御座の名稱]に坐さしめ、大御手自ら三種の神器を捧げ持ち賜ひて、

『我が皇うづの御子、皇御孫の命、此の天津高御座に座して、天津日嗣を萬千秋の長秋に、大八洲豐葦原瑞穗の國を、安國と平けく知ろし食せ』

と、言壽ぎ宣り賜ひしを始めとして、古き宣命・祝詞等に、多く見えたる語なり。固有國語の上より云はゞ、文字は假りたるものゝみ。安にても靖にても、關する所ろ無きなり。

 扨て何故に、この神社の御社號を『やすくに』と名け給ひしぞと云ふに、同十二年六月二十五日、招魂社に勅使を御差遣ありて、社格制定、社號欽定の奉告祭典を行はしめられし時の御祭文に、其の由を委しく宣べさせ給ひぬ。左に全文を掲げて、勅諚の深義を衍べ奉らむ。

『天皇の大命に坐せ。此の廣前に、式部助兼一等掌典・正六位・丸岡莞爾を使ひと爲て、告り給はくと白さく。
掛卷くも恐き畝火の橿原宮に肇國知し食しゝ天皇の御代より、天日嗣高御座の業と知し食し來る、食國天下の政の衰頽へたるを、古へに復へし給ひて、明治元年と云ふ年より以降、内外の國の荒振る寇等を刑罰め、服はぬ人を言和はし給ふ時に、汝命等の赤き清き眞心を以て、家を忘れ身を擲ちて、各々も死亡りにし其の大き高き勳功しに依りてし、大皇國をば、安國と知し食す事ぞと思ほし食すが故に、靖國神社と改め稱へ、別格官幣社と定め奉りて、御幣帛奉り齋ひ奉らせ給ひ、今より後、彌や遠長に、怠る事無く祭り給はむとす。故れ是の状を告げ給はくと白し給ふ、天皇の大命を聞し食せと、恐み恐みも白す。』

 謹みて其の大旨を窺ひ奉るに、祖宗より繼承し來れる、この大皇國を、天地の與に悠久に、平けく安けく統治し行かんことは、烈聖(列聖の誤植か)の、みな、祖宗に負ひ給へる天職なるが故に、時に可憐なる祖宗の赤子を、平和の犠牲となすことあるは、誠に已むを得ざるなり。汝神靈等は、克く聖慮を體して、赤誠忠實に、靖獻、其の身と其の家とを顧みずして、大勳績を樹てしによりて、祖宗の御國は、斯の如く平安なる國家となるに至りぬ。汝等が斯く身命を擲ちし功績によりて、國家を平安に統御することを得るを以て、汝等の神靈を奉齋せる招魂社の稱を、靖國神社と改め、更に別格官幣社の社格に列して、自今、千秋萬歳に、緩む事なく怠る事なく、祭祀の典を擧ぐべしと、宣り給ひしに外ならず。

 古來、我が國は、平和を以て國是とす。大古、伊弉諾尊の、此の國を名けて、浦安國と稱し給ひしも、是れなり。元來、わが國民は、協同の祖先に起りて、外には君臣の義あり、内には父子の親あるが故に、君は民を愛撫する御心深く、民は君を尊親する念厚ければ、君は、いかにしてか、國家を平和になして、萬民を安寧ならしめんと、叡慮を勞せさせ給ひ、民は、いかにかして、國家を平和にして、宸襟を慰安し奉らんと、身命を碎きぬ。されば國歩艱難なるや、擧國一致、身を忘れ家を捐てゝ、この平和の爲に致さんとす。親は、斯の如くにして、死して以て子に忠を訓へ、子は、斯の如くにして、死して以て更に孝道を傷らず、祖先の靈も、亦た之を見て、衷心より歡び、子孫も、亦た之を傳へて、家の名譽とす。所謂忠孝一途の要道、茲に存せりと言ふべし。斯く安國たらしめんとする、上下の大精神は、二千有餘年の歳月と戰ひて、世界萬國中、絶對無上の國體を造りぬ。否、是より益々進みて、平和の間に、天壤無窮の皇運を扶翼し奉らんこと、子々孫々、更に變ること無く、わが靖國の神靈の如くなるべし。嗚呼、靖國の御社號、深旨ある哉。嗚呼、國家を泰山の安きに置き坐せるは、靖國の神に坐す哉。

 御社格を別格官幣社に列せられしは、御社號を賜はりしと同時なること、上に引ける太政官達の如し。官社を、官幣・國幣の二つに分つ。官幣は宮中より、國幣は國庫より、幣帛を奉らるゝなり。この官幣・國幣の稱は、延喜の古制に因られしものにして、神祇官より幣を獻るを官幣と云ひ、國司より獻るを國幣と稱したりしなり。現今にしては、いさゝか適合せざるものゝ如しと雖も、其の古制によりて、天つ社・國つ社を尊崇し給へること、最も恐き御事なりと云ふべし。而して兩幣を通じて、延喜の制には、大・小の二つに分ちたりしが、現今は之を大・中・小の三つに分ち、官・國幣社を通じて、大幣を奉らるゝを大社とし、中幣を中社、小幣を小社と云へり。別格官幣社とは、大・中・小に序いで給はざる社格にして、其の幣は、小社と同一なり。靖國神社も、法規上、他の別格官幣社と同じく、官幣小社の次位に坐しませども、亦た更に皇室の御殊遇、國家の尊崇、特別なるもの有り。

  • [3]
  • 『靖國神社事歴大要』上

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2008年11月14日(金)21時21分58秒
  • 編集済
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●賀茂百樹大人『靖國神社事歴大要』(明治四十四年二月・國晃館刊)

http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40043615&VOL_NUM=00000&KOMA=58&ITYPE=0

 己(賀茂大人)、曾て出雲大社に詣り、御埼山麓に、大己貴神の神徳の大なるを思ふ。大神は、何故に多くの官國幣社に齋はれ給ふか。北海道を開拓するや、何故に大神は、札幌の官幣大社に齋はれ給ひしか。臺灣の新領土となるや、何故に大神は、臺北の官幣大社に齋はれ給ひしか。樺太の我に歸するや、何故に大神は、豐原の官幣大社に齋はれ給ひしか。大神は、少彦名神と協心戮力して天下を經營し、禁厭醫藥の術を定め給ひ、竟ひに大國の主となり給ひしを以て、然るか。夫れ然り。然りと雖も、萬世の下、尚ほ之を欽仰する所以のもの、他に存せずんば有らざるなり。

 昔、天孫を此の土に降し給はんとするや、香取・鹿島の二神を遣はして、大己貴神に、其の領土を避けしめ給ふ。時に皇祖天神、大己貴神に勅して曰く、

『夫れ汝が治むる所の顯露の事は、皇孫、治め給ふべし。汝は幽事を治(し)れ。汝が宮は、柱高く太く、板は廣く厚く造らむ。又た神田を附せん。又た神地に橋を架し、船を備へむ。又た神寶の武器を置かむ。而して汝を祭祀する者は、天穗日命、是れ也』と。

是に於いて、大己貴神曰く、『天神の勅、慇懃なること、此の如し。敢へて從ひ奉らざらんや』と、喜んで命を奉じ、曾て治功ありし廣矛を、皇孫に獻貢り、其の從へる岐神を二神に薦め、而して自ら其の御子等を率ゐて、皇基を守護する神とならむことを宣言して、長へに隱れ坐しき。

 斯くて寸毫も大義名分を謬り給はず、天下後世をして、其の嚮ふ所を知らしめ給ひぬ。其の大忠至誠の神徳、洵に偉大なりと云ふべし。宜なり、千載の下、大神の神徳赫々たること、爭(いか)でか之を祭祀せざるを得んや。斯くの大忠至誠の大元氣は、終ひに深く吾が國民の腦裡に印象して、違勅を以て不臣の極となし、皇室の御爲には、進んで死し、死しては、則ち喜んで護國の神たらんとする美風を馴致し來りたるをや。爭でか之を欽仰せざらんとして得んやと。

 而して今や、予は、大神の神徳を、我が靖國神社祭神の高節に見る。御沙汰書(明治元年五月十日・京都東山招魂社創建の御沙汰書)に、

『況んや國家に大勳勞有る者、爭でか湮滅に忍ぶ可けんやと、歎き思し食され候ふ。之に依りて其の志操を天下に表はし、且つ其の忠魂を慰めされ度く、今般、東山の佳域に祠宇を設け、右等の靈魂を、永く合祀致さる可き旨、仰せ出だされ候ふ。猶ほ天下の衆庶、益々節義を貴び、奮勵致す可き樣、御沙汰候ふ事』

とあるは、恰も皇祖天神の、大神に賜ひし神勅に似たるものあり。

 而してこれに因りて、維新以來、喜んで護國の神となりしもの、夫れ幾千萬人ぞ。わが祭神の高潔、亦た大神の勇退に似たりと云ふべし。而して明治の皇業と、天孫降臨のことゝは、皇祖天神と、わが皇上の仁慈なる御威徳とにより、大己貴神と、わが靖國神社祭神との一大精神を發揮したる結果によりて完成せし、歴史上の二大事件にあらずや。

 斯く叙し來れば、我が國は、實に長へに神の御世なりけり。神愈々滋くして、國愈々昌ゆ。神國とは、蓋し此の謂ひなるべし。而して靖國神社は、明治の神の萃り給ふ所、高潔なる大精神の儼在する所、忠烈なる氣魄の磅□[石+薄]する所、長く我が國家元氣の發生する淵源なりと云ふべし。嗚呼、爭でか仰ぎ尊まざるべけむや。

 靖國神社の祭神は、わが國特性の大精神を發揮し盡して、高節を守り給へる忠勇の神靈に坐しませり‥‥。祭神は、其の在世に於ける位勳官等の高卑・族籍・男女の差別こそは坐しませ、其の高潔な大精神に於いては、共に皆な一なり。されば生ける時には、假令ひ身を卒伍の卑きに置けりと雖も、高潔なる大精神に於いては、既に業(すで)に自ら神なり。これ即ちわが陛下の、神と齋はせ給ひて、至尊無上の御身を以て、玉冠を傾けさせられて、禮拜の誠を致させ給ふ所以なり。

 抑も神に、正邪・公私の別あり。恐くも天皇の、神位を與へ給ひしものは、公神なり、正神なり。私に齋きて神と濳稱するものと、霄壤の差あることを知らざるべからず。實にわが天皇の尊嚴たるや、無上絶倫、その大權たるや、無限絶對、敢へて侵すべからず。されば人物に爵位を與奪し、人靈に神格を加削し賜ひぬ。而して神も人も、幽冥よりも、現露よりも、天皇を一大中心として護持し奉るを以て、古來國民の堅く信念とせること、我が光輝ある歴史の明示する所なり。是に於いてか、苟しくも天皇の、神位を授け給へば、神も亦た神たるの靈能を發揮し給ふべく、而して朝廷の之に對し給ふことも、更に從來の神社の神等と別あること無し。其は御祭文に、『掛卷くも畏き靖國神社の大前に云々、聞こし食せと恐み恐みも白す』と、他の大神に宣らせ給ふと同一の、崇敬辭の限りを盡し給ひ、其の他、祈年・新甞の典を始め、苟しくも國家の爲に、或は祈り或は告げさせ給ふこと、他の神等と、更に異ならせ給はざるにても知るべきなり。遺族たり、國民たるもの、能く此の理を覺らざれば、或は誤りて不敬に陷る事も有らむ。見よ、見よ、春日神も、臣位の神にて坐しき。忌部神も、臣位の神にて坐しき。而して今や、靈能を發揮し給ひて、共に官幣大社に列し給ひぬ。之を思へば、我が祭神十一萬餘の、武徳の神靈を集めて一團とせる、靖國神の大偉徳は、天を極めて湮滅せず、地を極めて朽廢せず、長へに後昆の爲に金鑑と仰がれ給ひて、靈光を天日と與に萬世に輝かし給ふべし。嗚呼、丈夫の志懷、此れを措きて、將た何をか求めむ。嗚呼、忠の徳たるや、偉大なる哉。是に至りて、我が國風の懿美、眞に驚歎に堪へざるなり。

 かくて我が國、古來國民の皇室を尊崇する念厚く、生きて身を君國に獻げ、死しても亦た神となりて、君國を守護し奉らんとする信念、最も堅固なれば、一朝、事あれば、一死、固より辭せず、從容として死に就く態容、實に爛漫たる櫻花の、春風に散るが如きものあり。蓋し世界無比なるべし。而して此の優越せる氣魄の、最も能く發揮したるは、七百有餘年、積威の覇府を壓倒して、王朝の昔に囘し、延いて老大の國を懲らし、崛疆の邦を伏して、震天撼地の大功業を遂行し得たる、わが祭神の大精神なりと云はざるべからず。是れ實に天孫降臨、神武天皇東征に亞げる偉績にして、皇國史上に特筆大書すべき事なり。上に述べし如く、此の大精神の發揮する所以の原動力は、遠く神代に起り、此の大精神を實行したる神、近く現今に實在し、終始一貫して、今ま猶ほ古の如くなるは、是れ我が國體の萬世不變なる實證ならずや。而して千萬世の後までも、この國體と共に、赫々の光を放たしめざる可からざるものは、この一大精神なりとす。

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  • 「皇國時報」所載の論説

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2008年 9月24日(水)20時44分45秒
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●三重縣川俟神社々掌・鈴木武一翁『氏神と氏子』(昭和十年十一月・五色屋書房刊。平成元年九月・山雅房復刻。陸軍大將荒木貞夫男・宮内省掌典星野輝興翁の題字、宮地直一博士の序文)に引く所の、靖國神社宮司・賀茂百樹大人「皇國時報」所載の論説に曰く、「

 靖國神社(九段招魂社)の御祭神は、凡そ日本國民にして、戰役及び事變に際して、その職に殉じた人々、即ち國家危急の秋に當り、自己一身の生命を御國の永遠無窮の大生命に融し込んで、護國の英靈と仰がるゝ人々が、靖國神社祭神として、合祀の榮典に與る資格ある次第なのである。合祀祭と稱せらるゝ臨時の祭典が次々に行はれ、國威宣揚と共に、祭神數の著しく増加して參つたのである。‥‥

 世間では、靖國神社を以て軍人のみを祀る神社也と思惟し、且つこゝには平時に於ける軍人の殉職者も合祀せらるゝものゝ如く、考へらるゝ向あるは誤りである。されど一方、又た直接戰爭に從事せずとも、征戰の事に關係して、その爲に殞命せるものは、病死と雖も、合祀の恩典に浴するのであるから、現に軍人軍屬以外にも、戰役及び事變による殉難者として、合祀せられし人も少なくなく、その中には、地方官・外交官・鐵道員・警察官・船員・看護婦、其の他、雜多の職業の人々を含んで居るのである。‥‥

 靖國神社は、たゞに軍人軍屬のみ祀らるゝ神社ではなく、靖國の御社號の示す如く、身命を捧げて國家の大生命の彌榮に資せる國民の悉くを、陛下の思召しによつて祀らるゝ神社であり、いはゞ全國民の忠君愛國の大精神の結晶とも申すべきである。

 明治三十七年、「鏡」といふ御題にて、

  國といふくにのかゞみとなるばかり
    みがけますらを大和魂

と詠ませ給へる御製がある。わが國民は、よくこの大御心を體して、國家發展の人柱となる最上の喜びとも名譽ともして、年毎に神社の光を加へ來つたわけであると信ずるのである。‥‥

 合祀祭典中、夜間に行はるゝ招魂式は、殊に壯嚴を極むるものであつて、先づ拜殿南側なる招魂齋庭に祭壇を設けて招魂場とし、その左右に幄舍をぱ構へ、正面に鳥居を建てゝ、その南側に五色の絹を附けた眞榊を樹て、所々に庭燎を焚く外、すべて燈火を滅して始められる。即ち陸海軍掛官・各省總代參列、一箇中隊の儀仗兵警護の下に、宮司以下神職一同奉仕の上、新たに合祀せらるべき神靈を招ぎ奉つて、神饌・幣帛を供して祝詞を奏し、訖(をは)つてその神靈を本殿に奉遷して、永久鎭祭の旨の祝詞を奏上するといふ次第なのである。又た祭典日には、各軍隊・學校・在郷軍人會・訓練所、其の他、諸團體及び一般參拜者を以て、夜晝となく、境内は雜踏殷賑を極むるを例とするが、その中でも、勅使が御幣物を捧持して參向し、御祭文を奏せられることは、私共臣下として感激に堪へぬ所である。

 義勇、公に奉じ、以て天壤無窮の皇運を扶翼し奉るは、我々國民の最善至美の行爲となす所であり、斯く身を以て奉公の實を擧ぐる國民のあつたことによつて、世界に誇る輝かしい國史が綴られて來たのである。

 畏くも上御一人に於かせられても、かゝる合祀者が、一度び神たるの資格を得られて、社の奧深く鎭り坐せば、現津神たる至尊の御身を以て、御親拜あらせらるゝのである。遺族の人々は申すも更なり、我々一般國民として、感激、之れに過ぐるものなく、この一事を以てしても、神と君とを中心として、萬民共に彌榮ゆる皇國の有り難さが、見に沁みて感ぜらるゝ次第である。

 國事に殉ずるは、苦しみでもなく悲しみでもなく、實に極まりない喜びであることは、この新合祀祭に及んで、如實に知らるゝのである」と。

  • [1]
  • 『靖國神社忠魂史』の序

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2008年 9月24日(水)20時40分19秒
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●賀茂百樹大人『靖國神社忠魂史』の「刊行に際して」(陸海軍大臣官房監修『靖國神社忠魂史』第一卷・昭和十年九月刊。平成十八年十一月・ゆまに書房復刊)

 靖國神社は、明治天皇の深き叡慮に依て創建せられた神社であります。畏くも忠魂を慰むる爲に神社を建てゝ、永く祭祀せしむ、益々忠節を抽んでよ、との御趣旨を體して、當時、田安臺と稱した九段坂上に、東京招魂社を建てられ、軍務官知官事仁和寺宮嘉彰親王を祭主として、鳥羽伏見役以來の戰死者三千五百八十八人の英靈を鎭祭せしめられたのが、その起源であります。

 その後、明治十二年六月四日に至り、別格官幣社に列せられると共に、靖國神社の社號を賜はつたのでありますが、靖國の社號は、その時の祭文に、「汝命等ノ明キ直キ心ヲ以テ、家ヲ忘レ身ヲ擲テ、各モ各モ身亡リニシ、其ノ大キ高キ勳功ニ依リテ、大皇國ヲバ安國ト知食スコトゾト、思ホシ食スガ故ニ、靖國神社ト改メ稱へ、別格官幣社ト定メ奉リテ、御幣帛奉リ、齋ヒ祭ラセ給ヒ、今ヨリ後、彌ヤ遠永ニ怠ル事無ク祭リ給ハムトス」と宣らせ給へるに依つて、欽定せられたものであります。叡慮の程も拜察せられて、誠に畏き極みであります。

 明治天皇の叡慮は、素より之れ等、維新の戰死者のみの祭祀に止められず、將來、國家防衞のために命を殞すものは勿論、遡つて嘉永六年以來、國事に盡瘁し、難に殉ひ節に死するの士をも、次々に合祀遊ばされんとする有り難き思召でありましたので、明治二年六月以來、合祀祭を行はせられること、四十九囘、その祭神總柱數は、今や十三萬に埀んとして居ります。

 而して祭神は、男女の區別もなく、又た階級的に何等の差別もなく祭祀せられてゐるのでありますが、世には往々靖國神社を以て、軍人の殉難者を祀る神社であるかに考へてゐる者があります。之は誤解も甚しいもので、かくては一視同仁の聖徳を涜し奉るものと云ふべきであります。

 茲に祭神生前の官職・身分等の大略を擧ぐるも、維新前には、公卿・藩主・神職・僧侶・百姓・町人あり、又た明治以後には、陸海軍人を初めとして、地方官・外交官・警察官・鐵道從業員・從僕・職工等があります。殊に幕末多難の秋に際し、男子も及ばぬ壯烈な死を遂げた烈女節婦、その後の戰役事變に殉職した看護婦等、現在四十九柱の女性祭神があることを思はゞ、誰か聖徳の廣大無邊なるを思はぬ者がありませう。即ち苟くも帝國臣民にして、聖慮を奉體し、國家非常の秋に際して、二つなき一身の生命を國家の生命に繼ぎ足した者は、貴賤上下・老幼男女の別なく、靖國神社に祭祀せられてゐるのであります。又た之を祭神の郷里から見ますれば、汎く全國各町村に亙り、已に臺彎・朝鮮に於ける同胞も、合祀せられてゐるのであります。

 かくの如く、靖國神社の祭神は、階級を超越し、國民を綜合した、忠勇義烈の御靈でありまして、換言すれば、實に忠君愛國の全國民精神を表現し給ふところの神であると申すべきであります。

 されば、靖國神社の祭祀が衰へる時は、國民の元氣が衰へる時であり、靖國神社の祭祀が盛んなる時は、國民の元氣も亦た盛んなる時であります。

 而も今日、吾々がその恩頼に依つて生き、限りなき皇澤に浴しつゝあるを思へば、靖國神社祭神十二萬八千餘柱の英靈に對して、感謝せざるを得ますまい。

 乃ち祭神の事蹟を顯彰し、その神となられた瞬間の心を以て、全國民の心とするならば、上、皇室の御仁澤に對へ奉り、祭神の偉靈を慰め、進んでは天壤無窮の國運を扶翼しまつるの所以であると、信ずるものであります。

 本書編纂の趣旨も、實に茲にあります。

 然しその事業たるや、一朝にしてよく成すべきものではなく、實に種々の困難を伴ふ大事業であります。計畫の實現を期しつゝも、荏苒、年を經た所以でありますが、こゝに好機を得て、之を陸軍竝びに海軍省に諮り、共同の委員を擧げ、境内に編纂所を設けて、去る昭和八年一月より、その實行に着手したのであります。爾來、三十閲月、史實の考證・記録の蒐集に惱みつゝも、編纂委員の絶えざる努力と大方の厚き後援とに依つて、漸く全五卷五千餘頁の編纂を完成するに至つたのであります。今、これを刊行するに方り、尚ほ幾多遺憾の存するものがありますが、之は他日改訂の期を待つて、補正することゝ致します。

 冀くは、右、編纂の趣旨を諒せられ、全國同憂の士の心讀清鑑を得ば、たゞに吾等、編纂に携はれる者の本懷のみならず、皇國のため、欣幸に堪へざる所であります。

 昭和十年七月
  靖國神社宮司 賀茂百樹


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