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  • 平田篤胤大人『古史成文』

  • 投稿者:南雄
 
平成二十五年四月十三日建立。

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  • [164]
  • 『古史成文』[百六十四]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年12月 4日(水)12時32分45秒
  • 返信
 
天津日高日子波限建鵜草葺不合命、其の姨玉依毘賣命に御合ひて生みませる御子の名は、五瀬命、[亦彦五瀬命と云す。] 次に稻氷命、[亦彦稻飯命と云す。] 次に御毛沼命、[亦三毛入野命と云す。] 次に若御毛沼命、[亦豐御毛沼命と云す。] 亦名は神倭伊波禮毘古命。[亦神倭磐余彦穗穗出見尊と云す。亦名は狹野命。] 凡て四柱坐しき。後久しくまして、日子波限建鵜草葺不合命、西洲の宮に崩りましき。因れ日向吾平山上陵に葬しまつる。


あまつひたかひこなぎさたけうがやふきあへずのみこと、そのみをばたまよりびめのみことにみあひてうみませるみこのみなは、いつせのみこと、[またひこいつせのみこととまをす。] つぎにいなひのみこと、[またひこいなひのみこととまをす。] つぎにみけぬのみこと、[またみけいりぬのみこととまをす。] つぎにわかみけぬのみこと、[またとよみけぬのみこととまをす。] またのみなはかむやまといはれびこのみこと。[またかむやまといはれひこほほでみのみこととまをす。またのみなはさぬのみこと。] すべてよばしらましき。のちひさしくまして、ひこなぎさたけうがやふきあへずのみこと、にしのくにのみやにかむあがりましき。かれひむかのあびらのやまのへのみささぎにかくしまつる。


平田篤胤大人『古史成文』これにて終了となります。尚、平田篤胤先生『古史成文』の解説であります『古史傳』は、名著出版にて新本を購入することができます。

  • [163]
  • 『古史成文』[百六十三]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年12月 3日(火)12時38分17秒
  • 返信
 
然後には、豐玉毘賣命、其の情を伺ましし事を恨みつつも、戀心しきにえ忍へたまはずて、其の御子を養し治むる縁に因りて、其の弟玉依毘賣命に附けて、歌をなも獻りける。其の歌、
「赤玉は、緒さへ光れど、白玉の、君が装し、貴くありけり。」
[一傳に云はく、「赤玉の、光はありと、人は言へど、君が装し、貴くありけり。」]
爾れ其の比古遲答へたまひける歌、
「奥つ鳥、鴨着く島に、我が率寝し、妹は忘れじ、世の悉に。」
此の二首を擧歌と曰ふ。故れ日子穗穗手見命は、高千穗宮に五百八十歳坐して、崩坐しき。御陵は即ち其の高千穗山の西、高屋の山上に在り。


さてのちには、とよたまびめのみこと、そのまうらをみまししことをうらみつつも、こひしきにえたへたまはずて、そのみこをひたしをさむるよしによりて、そのおとたまよりびめのみことにつけて、うたをなもたてまつりける。そのみうた、
「あかだまは、をさへひかれど、しらたまの、きみがよそひし、たふとくありけり。」
[またのつたへにいはく、「あかだまの、ひかりはありと、ひとはいへど、きみがよそひし、たふとくありけり。」]
かれそのひこぢこたへたまひけるみうた、
「おきつとり、かもどくしまに、あがゐねし、いもはわすれじ、よのことごとに。」
このふたうたをあげうたといふ。かれひこほほでみのみことは、たかちほのみやにいほやそとせまして、かむあがりましき。みはかはすなはちそのたかちほのやまのにし、たかやのやまのへにあり。

  • [162]
  • 『古史成文』[百六十二]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年12月 2日(月)13時01分55秒
  • 返信
 
故れ是の彦波瀲武鵜草葺不合命の生れませる時に、大綿津見神の子、振魂命の四世の孫、天忍人命、侍ひ供へ奉りて、箒を作りて蟹を掃ひ、仍鋪設を掌りき。故れ遂に職の號として、蟹守と云ふ。是は掃部連等が祖なり。又他婦人を取りて、乳母・湯母及飯嚼・湯坐と爲て、諸部を備行ひて養し奉りき。此れ世に乳母を取りて兒を養す縁なり。亦子武位起命。此の命の子を、棹根津比古命と謂ふ。此は大和國造、大和直、久比岐國造、明石國造、青海首等が祖なり。


かれこのひこなぎさたけうがやふきあへずのみことのあれませるときに、おほわたつみのかみのみこ、ふるたまのみことのよよのひこ、あまのおしあまのみこと、さもらひつかへまつりて、ははきをつくりてかにをはらひ、またしきものをしりき。かれつひにつかさのなとして、かにもりといふ。こはかにもりのむらじらがおやなり。またあだしをみなをとりて、ちおも・ゆおもまたいひかみ・ゆゑとして、もろもろとものををそなへおこなひてひたしまつりき。これよにちおもをとりてこをひたすことのもとなり。またのみこたけくらおきのみこと。このみことのみこを、さをねつひこのみことといふ。こはおほやまとのくにのみやつこ、おほやまとのあたへ、くびきのくにのみやつこ、あかしのくにのみやつこ、あをみのおびとらがおやなり。

  • [161]
  • 『古史成文』[百六十一]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年12月 1日(日)01時30分32秒
  • 返信
 
爾に豐玉毘賣命、其の伺見たまひし事を知らして、心恥しと以爲して、白したまはく、吾、恆は海路を通して往來はしめむと欲ひしを、吾が形を伺見たまひしが甚怍しきこと、と白して、又其の御子は、眞床覆衾及草に裹みて、波瀲に生み置きて、今より以往、吾が奴婢君の處に至なば、勿還したまひそ。君の奴婢、吾が處に至なむをも、還さじと云して、去りたまふ時に、火遠理命就でまして、御子の名は何と稱けば可けむ、と問ひたまへば、答曰したまはく、日子波限建鵜草葺不合命と號けたまへと言訖て、即ち海坂を塞きて、徑ちに海鄕に還り入りましき。此れ海陸相通はぬ縁なり。


ここにとよたまびめのみこと、そのかきまみたまひしことをしらして、うらはづかしとおもほして、まをしたまはく、あれ、つねはうみつぢをとほしてかよはしめむとおもひしを、あがかたちをかきまみたまひしがいとはづかしきこと、とまをして、またそのみこは、まとこおふふすままたかやにつつみて、なぎさにうみおきて、いまよりゆくさき、あがやつこどもきみのみもとにきなば、なかへしたまひそ。きみのやつこども、あがもとにきなむをも、かへさじとまをして、さりたまふときに、ほをりのみこといでまして、みこのみなはなにとつけばえけむ、ととひたまへば、まをしたまはく、ひこなぎさたけうがやふきあへずのみこととなづけたまへとことをへて、すなはちうなさかをせきて、ただちにわたつさとにかへりいりましき。これうみがくぬがあひかよはぬことのもとなり。

  • [160]
  • 『古史成文』[百六十]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年11月29日(金)13時16分5秒
  • 返信
 
故れ先に、火遠理命、海宮より還りまさむとしたまふ時に、豐玉毘賣命、從容に語りたまはく、吾は已に有身めり。天神の胤、海中に生みまつるべきにあらず。故れ産まむ時に、君の處に就でむ。風濤急峻からむ日に、海邊に産屋を造りて、相待ちたまへとまをしたまひき。故れ火遠理命、還りまして、全鵜の羽を葺草に爲て、産屋を作りて待ちたまふ。爾に其の産屋の甍、未だ葺き合へぬに、豐玉毘賣命、大龜に馭りて、海原を光らし、風波を冐ぎて、先の期の如、參來ましつ。時に孕月已に滿ちしかば、御腹忍へがたくなりて、葺き合ふも待たずて、産殿に入り坐しき。爾に産みまさむとする時に、其の日子に白したまはく、吾産む時に、吾を勿見たまひそ、とまをしたまひき。火遠理命、其の言を奇しと思ほして、竊伺みたまへば、八尋熊和邇に化りて匍匐委蛇ひき。即れ見驚き畏みて、遁げ退きたまひき。


かれさきに、ほをりのみこと、わたつみやよりかへりまさむとしたまふときに、とよたまびめのみこと、おもふるにかたりたまはく、あはすでにはらめり。あまつかみのみこ、わたなかにうみまつるべきにあらず。かれみこうまむときに、きみのみもとにまゐでむ。なみかぜはやからむひに、うみべたにうぶやをつくりて、まちたまへとまをしたまひき。かれほをりのみこと、かへりまして、もはらうのはをかやにして、うぶやをつくりてまちたまふ。ここにそのうぶやのいらか、いまだふきあへぬに、とよたまびめのみこと、おほきなるかめにのりて、うなばらをてらし、なみかぜをしぬぎて、さきのちぎりのごと、まゐきましつ。ときにうむがつきすでにみちしかば、みはらたへがたくなりて、ふきあふもまたずて、うぶやにいりましき。ここにうみまさむとするときに、そのひこぢにまをしたまはく、あれみこうむときに、あをなみたまひそ、とまをしたまひき。ほをりのみこと、そのことをあやしとおもほして、かきまみたまへば、やひろくまわにになりてはひもこよひき。かれみおどろきかしこみて、にげそきたまひき。

  • [159]
  • 『古史成文』[百五十九]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年11月27日(水)13時55分20秒
  • 返信
 
故れ火須勢理命、弟命の神德有すことを知りて、伏辜ひまつらむとするに、火遠理命、仍御心解けずて、共言も與ず。是に火須勢理命、犢鼻を著け、赭を掌と面に塗りて、告しけらく、吾は此如身を汚しつ。永に汝命の俳優者となりなむと云ひて、乃ち足を擧げて踏行きつつ、其の溺れ苦める状を學びて、初め潮足を漬せる時は、足占を爲し、膝に至りし時は、足を擧げ、股に至りし時は、走り廻り、腰に至りし時は、腰を捫り、腋に至りし時は、胸に手を置き、頸に至りし時は、手を擧げて飄掌せる状して、こひのみまをしき。故れ今に至るまで、是の裔の隼人等、天皇命の宮墻の傍を離れず、吠狗に代りて、亦其の溺れし時の種種の態絶えず仕へ奉る。是れ世人、失せたる針を債らざる事の本なり。故れ此の火須曾理命は、吾田小橋君、阿多隼人、阿多御手犬養、大角隼人、日下部、二見首、坂合部宿禰等が祖なり。


かれほすせりのみこと、おとのみことのあやしきいきほひますことをさとりて、したがひまつらむとするに、ほをりのみこと、なほみこころとけずて、あひごともしたまはず。ここにほすせりのみこと、たふさぎをつけ、そほにをたなうらとおもてにぬりて、まをしけらく、あはかくみをけがしつ。ひたぶるにながみことのわざをぎびととなりなむといひて、すなはちあしをあげてふみゆきつつ、そのおぼれくるしめるさまをまねびて、はじめしほあしをひたせるときは、あしうらをなし、ひざにいたりしときは、あしをあげ、ももにいたりしときは、はしりめぐり、こしにいたりしときは、こしをもじり、わきにいたりしときは、むねにてをおき、くびにいたりしときは、てをあげてたびろかせるさまして、こひのみまをしき。かれいまにいたるまで、このはつこのはやひとども、すめらみことのみかきのもとをはなれず、ほゆるいぬにかはりて、またそのおぼれしときのくさぐさのわざたえずつかへまつる。これよびと、うせたるはりをはたらざることのもとなり。かれこのほすそりのみことは、あたのをばしのきみ、あたのはやひと、あたのみてのいぬかひ、おほすみのはやひと、くさかべ、ふたみのおびと、さかひべのすくねらがおやなり。

  • [158]
  • 『古史成文』[百五十八]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年11月26日(火)12時31分2秒
  • 返信
 
爾に火遠理命、其の珠と鈎とを受けて、本宮に歸り來まして、備さに海神の敎言の如くして、先づ其の釣鈎をたまひき。故れ爾より以後、其の兄火須勢理命、日稍愈に貧しくなりて、更に荒き心を起して迫め來。攻めむとする時は、潮滿珠を出せば、潮大溢て、其の兄溺るる。因れ愁ひ請しけらく、吾汝に事へまつりて奴僕とならむ。願救活たまへと云ひき。因れ潮涸珠を出せば、潮自づから涸て、其の兄平復ぎぬ。已て後に前の言を改へて、吾は汝の兄なり。如何にぞ人の兄とありて弟に事へむと云ふ時に、火遠理命、復潮滿珠を出せば、其の兄其を見て高山に走登る。爾に其の潮、亦山に沒る。高樹に縁れば、潮亦樹に沒る。兄既に窮途りて、逃去るべき所無し。故れ潮涸珠を出して救ひたまふ。亦其の兄の釣する時に、火遠理命、海濱に居して嘯きたまへば、迅風忽に起りて、其の兄溺れ苦しみて、生く可き由無かりしかば、遙に弟命に請しけらく、汝久しく海原に居せれば、必ず善術有らむ。願救ひたまへ。若し吾を活かしたまはば、今より以往、吾が生兒の八十連屬、汝命の垣邊を離れず、晝夜の守護人と爲り、狗人と爲りてぞ、仕へ奉らむとまをしき。是に火遠理命、嘯を停めたまへば、風も吹息ぬ。


ここにほをりのみこと、そのたまとはりとをうけて、もとつみやにかへりきまして、つぶさにわたのかみのをしへごとのごとくして、まづそのつりばりをたまひき。かれそれよりのち、そのいろせほすせりのみこと、ひびにややややにまづしくなりて、さらにあらきこころをおこしてせめく。せめむとするときは、しほみつたまをいだせば、しほいたくみちて、そのいろせおぼるる。かれうれひまをしけらく、われみましにつかへまつりてやつことならむ。いかですくひたまへといひき。かれしほひるたまをいだせば、しほおのづからひて、そのいろせたひらぎぬ。かくてのちにさきのことをかへて、あれはいましのいろせなり。いかにぞひとのいろせとありていろとにつかへむといふときに、ほをりのみこと、またしほみつたまをいだせば、そのいろせそをみてたかやまににげのぼる。ここにそのしほ、またやまにのぼる。たかきにのぼれば、しほまたきにのぼる。いろせすでにせまりて、にげさるべきところなし。かれしほひるたまをいだしてすくひたまふ。またそのいろせのつりするときに、ほをりのみこと、うみべたにましてうそぶきたまへば、はやちたちまちにおこりて、そのいろせおぼれくるしみて、いくべきよしなかりしかば、はろばろにいろとのみことにまをしけらく、みましひさしくわたのはらにませれば、かならずよきわざあらむ。いかですくひたまへ。もしあれをいかしたまはば、いまよりゆくさき、あがうみのこのやそつづき、ながみことのみかきのもとをはなれず、よるひるのまもりびととなり、いぬひととなりてぞ、つかへまつらむとまをしき。ここにほをりのみこと、うそぶきをやめたまへば、かぜもふきやみぬ。

  • [157]
  • 『古史成文』[百五十七]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年11月25日(月)12時29分18秒
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是に大綿津見神、復白したまはく、天神の御子の、吾が處に臨ませる欣慶、何日も忘れむ。皇美麻命、八重の隈路を隔つとも、時相憶ほしまして勿棄置、と白して、即ち悉に鰐どもを召し集めて、問ひたまはく、今天津日高の御子、虚空津日高、上國に幸でまさむとす。誰は幾日に送り奉りて覆奏さむ、と問ひたまひき。故れ各身の長短の隨に、日を限りて白す中に、一尋和邇、吾は一日に送りまつりて還り來なむと白しき。故れ其の一尋和邇に、然らば汝送り奉りてよ。若し海中を渡る時に、勿惶畏ませまつりそと告りたまひて、即ち其の和邇の頚に載せまつりて、送り出しまつりき。故れ期が如、一日の内に送り奉りき。其の鰐返りなむとせし時に、御佩の紐小刀を解かして、其の頚に著けてなも返したまひける。故れ其の一尋鰐をば、今に佐比持神とぞ謂ふなる。


ここにおほわたつみのかみ、またまをしたまはく、あまつかみのみこの、あがもとにきませるよろこび、いつかもわすれむ。すめみまのみこと、やへのくまぢをへだつとも、よりよりおもほしましてなわすれたまひそ、とまをして、すなはちことごとにわにどもをめしあつめて、とひたまはく、いまあまつひたかのみこ、そらつひたか、うはつくににいでまさむとす。たれはいくかにおくりまつりてかへりごとまをさむ、ととひたまひき。かれおのもおのもみのながさみじかさのまにまに、ひをかぎりてまをすなかに、ひとひろわに、あれはひとひにおくりまつりてかへりきなむとまをしき。かれそのひとひろわにに、しからばなれおくりまつりてよ。もしわたなかをわたるときに、なかしこませまつりそとのりたまひて、すなはちそのわにのくびにのせまつりて、おくりいだしまつりき。かれいひしがごと、ひとひのうちにおくりまつりき。そのわにかへりなむとせしときに、みはかしのひもがたなをとかして、そのくびにつけてなもかへしたまひける。かれそのひとひろわにをば、いまにさひもちのかみとぞいふなる。

  • [156]
  • 『古史成文』[百五十六]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年11月23日(土)23時30分28秒
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是に火遠理命、豐玉毘賣命に娶ひて、其の國に留まり住み、纏綿篤愛みて、已に三年を經ましき。然るに彼處は、安樂しきところなれども、仍郷憶ふ情有り。其の初の事を思ほして、大きなる歎一つしたまひき。故れ豐玉毘賣命、其の御歎を聞かして、其の父に白したまはく、三年住みたまへども、恆は歎かすことも無かりしに、今夜悽然て、大きなる歎一つ爲たまひつるは、若し何の由故有るにか、と白したまへば、其の父の大神、其の聟夫に問ひたまはく、今旦我が女の語を聞けば、三年坐しませども、恆は歎かす事も無かりしに、今夜大きなる歎爲たまひつと白せり。天神の御子、若し郷に還らむと欲すにかと問ひたまへば、火遠理命對へたまはく、然なり。爾に海神、其の釣鈎を取り出でて、清洗して奉る時に、思へば潮滿珠、思へば潮涸珠、并せて二箇を其の鈎に副へて奉りて、教へたまひけらく、此の鈎を其の兄に給はむ時に、陰に言たまはむ状は、此の鈎は貧鈎、淤煩鈎、須須鈎、宇流鈎と詛言して、三たび下唾きて、後手に投棄てて授へ賜ひてよ、向ひて勿授ひそとまをして、復珠を用ふる法を敎へまつりて、其の兄高田を作らば、汝が命は下田を營らせ。其の兄下田を作らば、汝が命は高田を營らせ。然爲たまはば、吾水を掌れば、三年の間必ず其の兄貧窮しくなりなむ。若し其然爲たまふ事を恨怨みて攻戰はば、潮滿珠を漬さば、潮忽ちに満たむ。然爲て溺らせ、若し其悔ひて愁ひ請さば、潮涸珠を漬さば、潮自づから涸む。又其の兄海に出て釣せば、汝が命は海濱に在して、風招作たまへ。如此らば、吾瀛風・邊風を起し、奔波を起てて溺らし惱まさむ。如此して惚苦めたまはば、其の兄自然にまつろひなむ、と白したまひき。


ここにほをりのみこと、とよたまびめのみことにみあひて、そのくににとどまりすみ、むつまかにしたしみて、すでにみとせをへましき。しかるにかしこは、たぬしきところなれども、なほくにしぬびたまふみこころあり。そのはじめのことをおもほして、おほきなるなげきひとつしたまひき。かれとよたまびめのみこと、そのみなげきをきかして、そのちちにまをしたまはく、みとせすみたまへども、つねはなげかすこともなかりしに、こよひうらぶれて、おほきなるなげきひとつしたまひつるは、もしなにのゆゑあるにか、とまをしたまへば、そのちちのおほかみ、そのみむこのきみにとひたまはく、けさわがむすめのいふことをきけば、みとせましませども、つねはなげかすこともなかりしに、こよひおほきなるなげきしたまひつとまをせり。あまつかみのみこ、もしくににかへらむとおもほすにかととひたまへば、ほをりのみことこたへたまはく、しかなり。ここにわたのかみ、そのつりばりをとりいでて、すましてたてまつるときに、おもへばしほみつたま、おもへばしほひるたま、あはせてふたつをそのはりにそへてたてまつりて、をしへたまひけらく、このはりをそのいろせにたまはむときに、ひそかにのたまはむさまは、このはりはまぢち、おぼち、すすち、うるちとまぢことして、みたびつばきて、しりへでになげうててあたへたまひてよ、むかひてなたまひそとまをして、またたまをもちふるすべををしへまつりて、そのいろせあげたをつくらば、ながみことはくぼたをつくらせ。そのいろせくぼたをつくらば、ながみことはあげたをつくらせ。しかしたまはば、あれみづをしれば、みとせのあひだかならずそのいろせまづしくなりなむ。もしそれしかしたまふことをうらみてせめたたかはば、しほみつたまをひたさば、しほたちまちにみたむ。しかしておぼらせ、もしそれくひてうれひまをさば、しほひるたまをひたさば、しほおのづからひむ。またそのいろせうみにいでてつりせば、ながみことはうみべたにまして、かざをぎしたまへ。かからば、あれおきつかぜ・へつかぜをおこし、はやなみをたてておぼらしなやまさむ。かくしてたしなめたまはば、そのいろせおのづからにまつろひなむ、とまをしたまひき。

  • [155]
  • 『古史成文』[百五十五]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年11月22日(金)15時35分50秒
  • 返信
 
故れ是を以て海神、悉に大き小き魚どもを召し集へて、若し此の鈎を取れる魚有りやと逼め問ひたまふ時に、諸の魚ども、僉識らずと曰す中に、一つの魚白さく、口女久しく口の病有りて來ず。喉に鯁ありて、物得食はずと愁ふなれば、必ず是れ取りつらむとまをしき。故れ即ち口女を召し來て、其の喉を探りしかば、果して失せたる鈎有りき。爾に海神制けらく、儞口女、今より以往、餌を勿呑。天神の御子の饌に勿預と云ひき。即ち口女魚を大饌に進らざるは、此れ其の事の本なり。


かれここをもてわたのかみ、ことごとにおほきちひさきうをどもをめしつどへて、もしこのつりばりをとれるうをありやとせめとひたまふときに、もろもろのうおども、みなしらずとまをすなかに、ひとつのうをまをさく、くちめひさしくくちのやまひありてまゐこず。のみどにのぎありて、ものえくはずとうれふなれば、かならずこれとりつらむとまをしき。かれすなはちくちめをめしきて、そののみどをさぐりしかば、はたしてうせたるはりありき。ここにわたのかみおきてけらく、おれくちめ、いまよりゆくさき、えをなのみそ。あまつかみのみこのみけになあづかりそといひき。すなはちくちめうををおほみけにたてまつらざるは、これそのことのもとなり。

  • [154]
  • 『古史成文』[百五十四]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年11月15日(金)10時14分43秒
  • 編集済
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爾れ豐玉毘賣命、奇しと思ほして、出で見て、乃ち見感でて、目合して、還り入りて、其の父に白したまはく、吾が門に麗しき人有す。顔貌甚且閑にて、殆常人にあらず。若し天より降れらば、天垢有るべく、地より來れらば、地垢有るべきを、實に是れ妙美、虚空彦といふ者にやあらむとまをしたまひき。爾に海神、自ら出で見て、此の人は天津日高の御子、虚空津日高にませりと云ひて、即ち内に率て入れまつりて、美智の皮の疊八重を敷き、亦絁疊八重を其の上に敷きて、其の上に坐せまつり、崇敬拜みつかへ奉りて、百取机代物を具へて、御饗爲て、即ち其の御女豐玉毘賣を婚せまつりて、天神の御子、此間に到ませる由は奈何に、と問ひまつりたまひき。爾れ其の大神に、備さに其の兄の失せたる鈎を責れる状を語りたまひき。


かれとよたまびめのみこと、あやしとおもほして、いでみて、すなはちみめでて、まぐはひして、かへりいりて、そのみちちにまをしたまはく、わがかどにうるはしきひといます。かほかたちいとみやびやかにて、ほとほとただびとにあらず。もしあめよりくだれらば、あめのけあるべく、つちよりきたれらば、つちのけあるべきを、まことにこれまぐはし、そらつひこといふものにやあらむとまをしたまひき。ここにわたのかみ、みづからいでみて、このひとはあまつひたかのみこ、そらつひたかにませりといひて、すなはちうちにゐていれまつりて、みちのかはのたたみやへをしき、またきぬたたみやへをそのうへにしきて、そのうへにませまつり、かたちゐやまひをろがみつかへまつりて、ももとりのつくゑしろのものをそなへて、みあへして、すなはちそのみむすめとよたまびめをあはせまつりて、あまつかみのみこ、ここにきませるゆゑはいかに、ととひまつりたまひき。かれそのおほかみに、つぶさにそのいろせのうせたるはりをはたれるさまをかたりたまひき。

  • [153]
  • 『古史成文』[百五十三]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年11月12日(火)23時00分49秒
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爾に海神豐玉毘古命の御女、豐玉毘賣命の從婢、玉器を持ち出で來て水を酌まむとするに、終に能滿ず。俯して井の中を視れば、水底に人の笑める影倒に映れり。仰ぎて見れば、麗しき壯夫杜木の上に有り。甚異奇しと思ひき。爾に火遠理命、其の婢を見たまひて、水を得しめよと乞ひたまふ。婢乃ち水を酌みて、玉器に入れて貢進りき。爾に水をば飮みたまはずして、御頸の璵を解かして、御口に含みて、其の玉器に唾き入れたまひき。是に其の璵、器に著きて、婢璵を得離たず。故れ璵著けながら豐玉毘賣命に進りき。爾れ其の璵を見まして、婢に若し門の外に人有りやと問ひたまへば、從婢まをさく、我が井の上の香木の上に人有す。甚麗しき壯夫にます。吾我が王獨絶麗しと謂へりしに、我が王にも益りて甚貴し。故れ其の人水を乞はせる故に奉りしかば、水をば飮みまさずて、此の璵をなも唾き入れたまへる。是得離たぬ故に、入れながら持ち來て獻りぬと白しき。


ここにわたのかみとよたまびこのみことのみむすめ、とよたまびめのみことのまかたち、たまもひをもちいできてみづをくまむとするに、つひにえみたず。ふしてゐのうちをみれば、みなそこにひとのゑめるかげさかさまにうつれり。あふぎてみれば、うるはしきをとこかつらのきのうへにあり。いとあやしとおもひき。ここにほをりのみこと、そのまかたちをみたまひて、みづをえしめよとこひたまふ。まかたちすなはちみづをくみて、たまもひにいれてたてまつりき。ここにみづをばのみたまはずして、みくびのしらたまをとかして、みくちにふふみて、そのたまもひにつばきいれたまひき。ここにそのたま、もひにいつきて、まかたちたまをえはなたず。かれたまつけながらとよたまびめのみことにたてまつりき。かれそのたまをみまして、まかたちにもしかどのとにひとありやととひたまへば、まかたちまをさく、あがゐのべのかつらのきのうへにひといます。いとうるはしきをとこにます。あれあがきみのみすぐれてうるはしとおもへりしに、わがきみにもまさりていとたふとし。かれそのひとみづをこはせるゆゑにたてまつりしかば、みづをばのみまさずて、このたまをなもつばきいれたまへる。これえはなたぬゆゑに、いれながらもちまゐきてたてまつりぬとまをしき。

  • [152]
  • 『古史成文』[百五十二]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年11月 9日(土)09時15分53秒
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是に其の弟火遠理命、海邊に往でまして、低佪愁吟たまふ時に、川鴈の羂に嬰りて困厄むを見そなはして、即ち憐心と起して解き放ちたまふ。須臾ありて、鹽槌神來て問ひけらく、何にぞ虚空津日高の泣き患ひたまふ由はと問ひ奉れば、答言へたまはく、我兄と佐知を易へて、其の鈎を失ひてき。斯て其の鈎を乞ふ故に、多の鈎を償へども受けずて、仍其の本の鈎を得むと云ふなり。故れ泣き患ふとのりたまひき。爾に鹽槌神、吾汝が命の爲に善き議作む。勿憂へ坐しそと云ひて、即ち嚢の中なる玄櫛を取りて地に投げしかば、五百箇竹林と化成りき。因れ其の竹を取りて、無間勝間之小舟を造りて、[一は大目麁籠と云ふ。] 其の船に載せまつりて、敎へまをさく、我此の船を押し流さば、差暫し往でませ。味御路有らむ。乃ち其の道に乘りて往ましなば、魚鱗の如造れる宮、其れ綿津見神の宮なり。其の神の御門に到りましなば、傍なる井の上に湯津香木有らむ。故れ其の木の上に坐しまさば、其の海神の女、見て相議らむ者ぞ、とをしへまつりて、海中に推放てば、自然に沈みにき。故れ鹽槌神の敎の隨に少し行でまししかば、備さに其の言の如、海底に可怜小汀有りき。乃ち堅間を棄てて、汀の尋に進ば、海神豐玉毘古命の宮に到りましき。門の外に井有り、井の傍に湯津杜木有り。枝葉枎疏せり。即ち其の木に登りて坐しましき。[一傳に云はく、火遠理命、愁吟ひて海濱に坐す時に、鹽筒老翁いはく、な憂ひましそ。吾計らむ。海神の乘らす駿馬は八尋鰐なり。是れ其の鰭背を竪てて橘小戸に在り。吾彼と共策らむといひて、乃ち火遠理命を將て、共に往きて見へりき。是の時鰐魚策りて曰ひけらく、吾は八日以後、皇美麻命を海宮に致しまつらむ。唯我が王の駿馬一尋鰐魚こそは、一日の内に致し奉らめ。故れ歸りて、彼を出で來せむ。彼に乘りて海に入りたまへ。海中に味小汀有らむ。其の汀の隨に進さば、我が王の宮に至りまさむ。宮の門の井の上に湯津杜木有らむ。其の木の上に就りて居しませ、と言ひ訖へて、即ち海に入り去にき。故れ皇美麻命、鰐の言ふ隨に、留居りまして待ちたまふに、果たして一尋和邇來つ。因れ乘りて海に入りまし、悉に前の鰐の敎へ言遵ひき。]


ここにそのいろとほをりのみこと、うみべたにいでまして、うなたれめぐりうれひさまよひたまふときに、かはかりのわなにかかりてたしなむをみそなはして、すなはちあはれとおもほしてときはなちたまふ。しまらくありて、しほつちのかみきてとひけらく、いかにぞそらつひたかのなきうれひたまふゆゑはととひまつれば、こたへたまはく、あれいろせとさちをかへて、そのはりをうしなひてき。かくてそのはりをこふゆゑに、あまたのはりをつぐのへどもうけずて、なほそのもとのはりをえむといふなり。かれなきうれふとのりたまひき。ここにしほつちのかみ、あれながみことのみためによきことはかりせむ。なうれへましそといひて、すなはちふくろのなかなるくろぐしをとりてつちになげしかば、いほつたかむらとなりき。かれそのたけをとりて、まなしかつまのをぶねをつくりて、[あるはおほまあらこといふ。] そのふねにのせまつりて、をしへまをさく、われこのふねをおしながさば、ややしましいでませ。うましみちあらむ。すなはちそのみちにのりていましなば、いろこのごとつくれるみや、それわたつみのかみのみやなり。そのかみのみかどにいたりましなば、かたへなるゐのへにゆつかつらあらむ。かれそのきのへにましまさば、そのわたのかみのみむすめ、みてはからむものぞ、とをしへまつりて、わたなかにおしはなてば、おのづからにしづみにき。かれしほつちのかみのおしへのまにまにすこしいでまししかば、つぶさにそのことのごと、わたのそこにうましをはまありき。すなはちかたまをすてて、はまのまにまにいでませば、わたのかみとよたまびこのみことのみやにいたりましき。かどのとにゐあり、ゐのかたはらにゆつかつらのきあり。えだはしきもせり。すなはちそのきにのぼりてましましき。[またのつたへにいはく、ほをりのみこと、うれひさまよひてうみべたにますときに、しほつつのをぢいはく、なうれひましそ。あれはからむ。わたのかみののらすよきうまはやひろわになり。これそのはたをたててたちばなのをどにあり。われかれとあひはからむといひて、すなはちほをりのみことをゐて、ともにゆきてあへりき。このときわにたばかりていひけらく、あはやかすぎて、すめみまのみことをわたつみやにいたしまつらむ。ただわがきみのよきうまひとひろわにこそは、ひとひのうちにいたしまつらめ。かれかへりて、そをいでこせむ。それにのりてうみにいりたまへ。わたなかにうましをはまあらむ。そのはまのまにまにいでまさば、わがきみのみやにいたりまさむ。みやのかどのゐのへにゆつかつらのきあらむ。そのきのへにのぼりてましませ、といひをへて、すなはちうみにいりいにき。かれすめみまのみこと、わにのいふまにまに、とどまりましてまちたまふに、はたしてひとひろわにきつ。かれのりてうみにいりまし、つぶさにさきのわにのおしへまをせるごとしたまひき。]

  • [151]
  • 『古史成文』[百五十一]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年11月 6日(水)15時18分19秒
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是に火須勢理命、悔ひて、弟命の弓箭を返して、己が釣鈎を乞ひて、山佐知も己が佐知佐知、海佐知も己が佐知佐知、今は各佐知返さむといふ時に、火遠理命詔りたまはく、汝の鈎は、魚鈎りしに、一魚も得ずて、遂に海に失ひてき、と詔りたまふ。しかれども其の兄強ちに乞ひ徴りき。故れ其の弟、別に新鈎を作りて償ひたまへども、兄肯受けずて、猶其の故の鈎を責る。火遠理命患ひて、御佩の十拳劍を破りて、數千の釣鈎を鍜作して、一箕に盛りて償ひたまへども、兄怒りて受けず。吾が故の鈎にあらずば、多なりとも取らじ、といひて益責徴りき。


ここにほすせりのみこと、くひて、いろとのみことのゆみやをかへして、おのがつりばりをこひて、やまさちもおのがさちさち、うみさちもおのがさちさち、いまはおのおのさちかへさむといふときに、ほをりのみことのりたまはく、みましのつりばりは、なつりしに、ひとつもえずて、つひにうみにうしなひてき、とのりたまふ。しかれどもそのいろせあながちにこひはたりき。かれそのいろと、ことににひばりをつくりてつぐのひたまへども、いろせえうけずて、なほそのもとのはりをはたる。ほをりのみことうれひて、みはかしのとつかつるぎをやぶりて、やちぢのつりばりをかたして、ひとみにもりてつぐのひたまへども、いろせいかりてうけず。あがもとのはりにあらずば、さはなりともとらじ、といひてますますせめはたりき。

  • [150]
  • 『古史成文』[百五十]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年11月 5日(火)13時47分52秒
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爾に火須勢理命は、海佐智毘古と爲て、鰭廣物、鰭狹物を取り、火遠理命は山佐智毘古と爲て、毛麤物、毛柔物を取りき。爾に其の兄は、雨ふり風ふく毎に、其の利を得ず。弟は雨ふり風ふけども、其の利忒はざりき。是に火須勢理命、其の弟に謂ひけらく、吾試に汝と佐知を易へて用欲と云ひき。火遠理命、許諾て、各に相易へて、火須勢理命、弟の佐知弓佐知矢を持ちて、山に入りて獸を覔ぐに、終に獸の乾迹も見ず。火遠理命、兄の佐知鈎を持ちて、海に出て魚を釣らすに、都に一魚も得たまはず。其の釣鈎をさへに海に失ひて、覔ぐ由無かりき。故れ倶に空手にして歸りましぬ。


ここにほすせりのみことは、うみさちびことして、はたのひろもの、はたのさものをとり、ほをりのみことはやまさちびことして、けのあらもの、けのにこものをとりき。ここにそのいろせは、あめふりかぜふくごとに、そのさきをえず。いろとはあめふりかぜふけども、そのさきたがはざりき。ここにほすせりのみこと、そのいろとにいひけらく、あれこころみにみましとさちをかへてもちひてむといひき。ほをりのみこと、うべなひたまひて、かたみにあひかへて、ほすせりのみこと、いろとのさちゆみさちやをもちて、やまにいりてししをまぐに、つひにけだもののからともみず。ほをりのみこと、いろせのさちばりをもちて、うみにいでてなをつらすに、ふつにひとつもえたまはず。そのつりばりをさへにうみにうしなひて、まぐよしなかりき。かれともにむなでにしてかへりましぬ。

  • [149]
  • 『古史成文』[百四十九]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年10月31日(木)12時13分28秒
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爾に木花之佐久夜毘賣命、誓言驗有りて後に、皇美麻命を恨み奉りて、共言も與ざりしかば、皇美麻命憂ひて歌ひ曰はく、
「沖つ藻は、邊には寄れども、さ寝床も、与はぬかもよ、濱つ千鳥よ。」
と歌ひたまひき。後久しくまして、天津彦火瓊瓊杵尊、崩りましぬ。御陵は即て筑紫日向埃之山に在り。故れ是の佐久夜毘賣命は、駿河國福慈岳の浅間社に坐す。


ここにこのはなのさくやびめのみこと、うけひごとしるしありてのちに、すめみまのみことをうらみまつりて、あひごともしたまはざりしかば、すめみまのみことうれひてうたひたまはく、
「おきつもは、へにはよれども、さねどこも、あたはぬかもよ、はまつちどりよ。」
とうたひたまひき。のちひさしくまして、あまつひこほのににぎのみこと、かむあがりましぬ。みはかはやがてつくしのひむかのえのやまにあり。かれこのさくやびめのみことは、するがのくにのふくじのたけのあさまのやしろにます。

  • [148]
  • 『古史成文』[百四十八]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年10月30日(水)13時41分29秒
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是の後木花之佐久夜毘賣命、參出て白したまはく、妾妊身るを、今産むべき時に臨りぬ。是の天神の御子、私に産みまつるべきにあらず、故れ請す、とまをしたまひき。皇美麻命、嘲笑ひて詔りたまはく、佐久夜毘賣、一宿にや妊める。其は我が子に非じ。必ず國神の子にこそあらめ、とのりたまへば、甚く慙恨みてまをしたまはく、吾が妊める子、若し國神の子ならむには、産むこと幸からじ。若し天神の御子にまさば幸からむ、と誓ひて、即ち戸無き八尋殿を作りて、其の殿内に入りまして、土以て塗り塞ぎて、産ます時に方りて、其の無戸室に火を著けてなも産みましける。故れ其の火の盛に燒ゆる時に生れませる子の名は、火須勢理命。[亦名は火進命。亦名は火照命。亦火須曾理命と云す。亦火須佐利命と云す。] 次に火炎衰りて火熱を避る時に生れませる御子の名は、火遠理命。[亦火夜織命と云す。] 亦名は天津日高日子穗穗手見命。凡て二柱生れ坐しき。此の御子等の生れませる時に、竹刀を以て其の臍を截ちき。其の棄てたる竹刀、終に竹林と成りき。故れ彼の地を竹屋と曰ふ。是の時神吾田鹿葦津姫、卜定田を狹名田と號けて、其の田の稻を以て天甜酒を釀み、渟浪田の稻を飯に爲きて新嘗したまひき。故れ其の櫻大刀自神と力を合せて坐す神の名を、苔虫神と謂す。此は並に朝熊社に坐す神等なり。


こののちこのはなのさくやびめのみこと、まゐでてまをしたまはく、あれはらめるを、いまみこうむべきときになりぬ。このあまつかみのみこ、わたくしにうみまつるべきにあらず、かれまをす、とまをしたまひき。すめみまのみこと、あざわらひてのりたまはく、さくやびめ、ひとよにやはらめる。そはあがみこにあらじ。かならずくにつかみのこにこそあらめ、とのりたまへば、いたくはぢうらみてまをしたまはく、あがはらめるみこ、もしくにつかみのこならむには、うむことさきからじ。もしあまつかみのみこにまさばさきからむ、とうけひて、すなはちとなきやひろどのをつくりて、そのとのぬちにいりまして、はにもてぬりふたぎて、みこうますときにあたりて、そのうつむろにひをつけてなもうみましける。かれそのひのまさかりにもゆるときにあれませるみこのみなは、ほすせりのみこと。[またのみなはほすすみのみこと。またのみなはほてりのみこと。またほすそりのみこととまをす。またほすさりのみこととまをす。] つぎにほのほよわりてほとほりをさるときにあれませるみこのみなは、ほをりのみこと。[またほよおりのみこととまをす。] またのみなはあまつひたかひこほほでみのみこと。すべてふたばしらあれましき。このみこたちのあれませるときに、あをひえをもてそのほそのををたちき。そのすてたるあをひえ、つひにたかむらとなりき。かれそのところをたかやといふ。このときかむあたかあしづひめ、うらへたるたをさなだとなづけて、そのたのいねをもてあまのたむさけをかみ、ぬなだのいねをいひにかしきてにひなへしたまひき。かれそのさくらおほとじのかみとちからをあはせてますかみのみなを、こけむしのかみとまをす。こはともにあさくまのやしろにますかみたちなり。

  • [147]
  • 『古史成文』[百四十七]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年10月29日(火)12時18分21秒
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爾に大山津見神、石長比賣を返したまへるに因りて、大く耻ぢて白し送りたまひける言は、我が女二人竝べて立奉れる由は、石長比賣を使はしてば、天神の御子の御命は、雪零り風吹けども、恒なる石の如く、常堅に坐さむ。亦木花之佐久夜毘賣を使はしてば、木の花の榮ゆる如、榮え坐さむと宇氣比て貢進りき。斯るに今石長比賣を返して、木花之佐久夜毘賣獨留めたまひつれば、天神の御子の御壽は木の花のあまひのみ坐さむとまをしたまひき。故れ是を以て今に至るまで、天皇命等の御命長くはまさざるなり。亦磐長比賣も、耻ぢ恨み、唾き泣きて曰ひけらく、顯見蒼生は、木花の移落ふ如く、うたて衰去へなむと云ひき。此れ世人の命短折き縁なり。故れ此の磐長比賣命は、伊豆國に坐す神なり。


ここにおほやまつみのかみ、いはなひめをかへしたまへるによりて、いたくはぢてまをしおくりたまひけることは、あがむすめふたりならべてたてまつれるゆゑは、いはなひめをつかはしてば、あまつかみのみこのみいのちは、あめふりかぜふけども、とこしへなるいはのごとく、かきはときはにまさむ。またこのはなのさくやびめをつかはしてば、このはなのさかゆるごと、さかえまさむとうけひてたてまつりき。かかるにいまいはなひめをかへして、このはなのさくやびめひとりとどめたまひつれば、あまつかみのみこのみいのちはこのはなのあまひのみまさむとまをしたまひき。かれここをもていまにいたるまで、すめらみことたちのみいのちながくはまさざるなり。またいはなひめも、はぢうらみ、つばきなきていひけらく、うつしきあをひとくさは、このはなのうつろふごとく、うたておとろへなむといひき。これよびとのいのちみじかきことのもとなり。かれこのいはなひめのみことは、いづのくににますかみなり。

  • [146]
  • 『古史成文』[百四十六]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年10月28日(月)12時15分13秒
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是に天津日高日子番能邇邇藝能命、笠紗の御前に遊行しし時に、麗き美少女の遇へるに、汝は誰が女ぞと問ひたまへば、答へ白したまはく、大山津見神の女、名は木花之佐久夜毘賣と白したまひき。[亦名は豐吾田津比賣。亦神吾田津比賣と云す。亦名は鹿葦津比賣。亦神吾田鹿葦津比賣と云す。亦名は櫻大刀自神。] 復汝兄弟有りやと問ひたまへば、我が姉石長比賣在りと白したまひき。爾れ詔りたまはく、吾汝に目合せむと欲ふは奈何に、とのりたまへば、吾は得白さじ。吾が父大山津見神白さむと云したまひき。故れ其の父大山津見神に乞ひに遣しける時に、大く歡びて、其の姉石長比賣を副へて、百取机代之物を持たしめて奉出しき。故れ爾に其の姉は甚凶醜きに因りて、見畏みて、返し送りたまひて、唯其の弟木花之佐久夜毘賣を留めて、一宿婚爲つ。[一傳に云はく、皇美麻命、吾田笠狹之御碕に到りまして、事勝國勝長狹神に問ひ曰はく、其の秀起てる浪穗の上に八尋殿を起てて、手玉玲瓏に織紝る少女は、誰が子女ぞとのりたまへば、答曰へけらく、大山祇神の女等、大の號は磐長比賣、少の號は木花開耶毘賣と白しき。因れ皇美麻命、木花開耶毘賣を幸して、一宿婚爲つ。]


ここにあまつひたかひこほのににぎのみこと、かささのみさきにいでまししときに、かほよきをとめのあへるに、いましはたがむすめぞととひたまへば、こたへまをしたまはく、おほやまつみのかみのむすめ、なはこのはなのさくやびめとまをしたまひき。[またのみなはとよあたつひめ。またかむあたつひめとまをす。またのみなはかあしづひめ。またかむあたかあしづひめとまをす。またのみなはさくらおほとじのかみ。] またいましはらからありやととひたまへば、あがあねいはなひめありとまをしたまひき。かれのりたまはく、あれいましにまぐはひせむとおもふはいかに、とのりたまへば、あはえまをさじ。あがちちおほやまつみのかみまをさむとまをしたまひき。かれそのちちおほやまつみのかみにこひにつかはしけるときに、いたくよろこびて、そのあねいはなひめをそへて、ももとりのつくゑしろのものをもたしめてたてまだしき。かれここにそのあねはいとみにくきによりて、みかしこみて、かへしおくりたまひて、ただそのおとこのはなのさくやびめをとどめて、ひとよみとあたはしつ。[またのつたへにいはく、すめみまのみこと、あたのかささのみさきにいたりまして、ことかつくにかつながさのかみにとひたまはく、かのさきたてるなみのほのへにやひろどのをたてて、ただまもゆらにはたおるをとめは、たがむすめぞとのりたまへば、こたへけらく、おほやまつみのかみのむすめたち、あねのなはいはなひめ、おとのなはこのはなのさくやびめとまをしき。かれすめみまのみこと、このはなのさくやびめをめして、ひとよみとあたはしつ。]

  • [145]
  • 『古史成文』[百四十五]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年10月25日(金)13時49分35秒
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爾に天都神の天御量以て、天香山を天降したまふ時に、二箇に分けて、片端をば、倭國に天降したまひき。天香山是なり。片端をば、伊豫國に天降したまひき。天山是なり。[一傳に云はく、空よりふり降れる山の大きなるは、阿波國に降りき。天詔戸山是なり。其の山の碎けて倭國にふり就きたるは、天香山と云ふ。] 此の天降り就く神の香山、畝火を愛しと、耳梨山と相諍竸ひき。爾の時出雲國の阿菩大神、三山の相闘ふと聞こして、諫め止めまく欲ほして上り來ませる時に、播磨國に到り坐し、闘ひ止むと聞かして、其の乗らせりし船を覆せて坐しし地を、神の阜と號ふ。阜の形覆るが似し。


ここにあまつかみのあまつみはかりもちて、あめのかぐやまをあまくだしたまふときに、ふたつにわけて、かたつかたをば、やまとのくににあまくだしたまひき。あめのかぐやまこれなり。かたつかたをば、いよのくににあまくだしたまひき。あめやまこれなり。[またのつたへにいはく、そらよりふりくだれるやまのおほきなるは、あはのくににくだりき。あまのりとやまこれなり。そのやまのくだけてやまとのくににふりつきたるは、あめのかぐやまといふ。] このあもりつくかみのかぐやま、うねびををしと、みみなしやまとあひあらそひき。そのときいづものくにのあほのおほかみ、みつのやまのあひあらそふときこして、いさめやめまくおもほしてのぼりきませるときに、はりまのくににいたりまし、あらそひやむときかして、そののらせりしふねをふせてまししところを、かみのをかといふ。をかのかたちふせるがごとし。

  • [144]
  • 『古史成文』[百四十四]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年10月24日(木)12時56分46秒
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是に天兒屋根命、天都神の御依さしの任に、聞こし食す由庭の瑞穗を、太兆の卜事を持て仕へ奉りて、悠紀主基の國、大嘗の齋庭を齋ひ定めて、亦大嘗の宮材、御膳の柏、御琴の木を採る山、葺草を刈る野をも卜へ定め、天罪國罪の類を種種求ぎて、國の大奴佐を取り、國の大祓を爲して、荒世和世御服贖物を出したまひて、天神國神に幣帛を奉り、抜穗使差遣はし、稻實齋屋を卜へ定め、八柱の神を祭り、次に物部の人等、酒造兒、酒波、粉走、相作、薪採、灰燒、稻實公等を卜へ定め、皇美麻命、卜食川に幸て、禊祓爲したまひ、荒妙和妙の神服、國國の由加物悉に備はり、物部の人等、大嘗の齋場に持齋はり參來て、ゆしりいつしり、持恐み恐みも清まはり、各其の態に仕へ奉り、大嘗の宮を造りて、月内に日時を撰び定め、十一月中卯日を以て、多米都物等、作り備へ獻り、歌人等に國風を奏はしめ、語部等に古詞を奏らしめて、此の獻る、悠紀主基の黒木白木の大御酒、多米都物等を、皇美麻命、天都御膳の長御膳の遠御膳と、汁にも實にも、赤丹の穗に聞こし食して、豐明に明り坐しませと、天神の壽詞を、稱辭定め奉りて、亦稱辭定め奉る皇神等にも、相嘗獻りて、千秋の五百秋の相嘗に、相うづのひ奉り、堅磐常磐に齋ひ奉りて、伊賀志御世に榮えしめ奉り、此の年より始めて、天地のむた月日と共に照らし明らしおはし坐す事に、皇神等と、皇美麻命との御中執り持ちて、伊賀志桙の本末傾けず仕へ奉り、壽詞を稱辭定め奉りたまひき。此は大嘗祭の御政の本なり。亦諸部の神等、天津神の勅の如、歴世に相承けて、各其の職に供へ奉りき。


ここにあまのこやねのみこと、あまつかみのみよさしのまにまに、きこしめすゆにはのみづほを、ふとまにのうらわざをもてつかへまつりて、ゆきすきのくに、おほにへのゆにはをいはひさだめて、またおほにへのみやのき、みけののかしは、みことのきをとるやま、かやをかるぬをもうらへさだめ、あまつつみくにつつみのたぐひをくさぐさまぎて、くにのおほぬさをとり、くにのおほばらひをなして、あらよにこよのみけしあがものをいだしたまひて、あまつかみくにつかみにみてぐらをたてまつり、ぬきほづかひさしつかはし、いなのみのいみやをうらへさだめ、やはしらのかみをまつり、つぎにもののふのひとども、さかつこ、さかなみ、こばしり、あひづくり、かまぎこり、はひやき、いなのみのきみらをうらへさだめ、すめみまのみこと、うらはみのかはにいでまして、みそぎはらひなしたまひ、あらたへにこたへのかむみそ、くにぐにのゆかものことごとにそなはり、もののふのひとども、おほにへのゆにはにもちゆまはりまゐきて、ゆしりいつしり、もちかしこみかしこみもきよまはり、おのもおのもそのわざにつかへまつり、おほにへのみやをつくりて、つきのうちにひときをゑらびさだめ、しもつきのなかつうのひをもちて、ためつものども、つくりそなへたてまつり、うたびとらにくにぶりをうたはしめ、かたりべらにふることをかたらしめて、このたてまつる、ゆきすきのくろきしろきのおほみき、ためつものどもを、すめみまのみこと、あまつみけのながみけのとほみけと、しるにもみにも、あかにのほにきこしめして、とよのあかりにあかりましませと、あまつかみのよごとを、たたへごとさだめまつりて、またたたへごとさだめまつるすめがみたちにも、あひにへたてまつりて、ちあきのいほあきのあひにへに、あひうづのひまつり、かきはときはにいはひまつりて、いかしみよにさかえしめまつり、このとしよりはじめて、あめつちのむたつきひとともにてらしあからしおはしますことに、すめがみたちと、すめみまのみこととのみなかとりもちて、いかしほこのもとすゑかたぶけずつかへまつり、よごとをたたへごとさだめまつりたまひき。こはおほにへまつりのみまつりごとのもとなり。またもろとものかみたち、あまつかみのみことのごと、よのつぎつぎにあひうけて、おのおのそのわざにつかへまつりき。

  • [143]
  • 『古史成文』[百四十三]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年10月23日(水)12時36分25秒
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爾に天兒屋根命、皇美麻命の御前に仕へ奉りて、天忍雲根命を、神魯岐神魯美の命の御前に受け給はり申しに、天之二上に奉上げて、皇美麻命の御膳水は、宇都志國の水に、天津水を加へて立奉らむとまをせ、と事教へたまひき。是に天忍雲根命、天之浮雲に乗りて、天之二上に昇り坐して、神魯岐神魯美の命の御前にまをせば、天玉串を事依さし奉りて、此の玉串を刺し立てて、夕日より朝日照るに至るまで、天都詔戸之太詔刀言を以て告れ。如此告らば、麻知則、弱韮に、由都五百篁生ひ出でて、其の下より天之八井出でむ。此を持ちて天津水と聞こし食せ、と事依さし奉りたまひき。[一傳に云はく、皇大神、皇美麻命天降り坐せる時に、天牟羅雲命、太玉串を取り、御前に立たして天降り仕へ奉りき。是に諸神まをさく、葦原中國は潮なり。いかにすべきとまをす時に、皇美麻命、天村雲命を召して詔りたまひつらく、食國の水は熟からず。荒水に在りけり。故れ御祖命の御許に參上りて、此の由を言して來よ、と詔りたまひて登らしめたまひき。即ち天牟羅雲命、參上りて、御祖命の御前に、皇美麻命のまをせと宣たまふ事を子細に申し上ぐる時に、神魯岐神魯美の命詔りたまはく、雑雑に仕へ奉らむ政は、行下し奉りて在れども、水取の政は、遺して在りけり。何れの神を下し奉らむと思ふ間に、勇ましく參上り來にけりと詔りたまひて、天忍石之長井之水を八盛取りて、玉の瓫に入れて、をしへたまはく、此の水を持ち下りて、皇大神の御饌に八盛、皇美麻命の御饌に八盛獻りて、遺る水は、天忍石水と術云て、食國の水のうへに灌ぎ和へて、朝夕の御饌に獻り初め、御伴に仕へ奉りて、天降れる神等、八十伴の諸人にも、此の水を飲ましめよと詔りたまひて、神財の玉もひ共に授けたまひき。天村雲命受けたまはりて、持ち下りて獻る時に、皇美麻命詔りたまはく、何れの道よりぞ參上りつると問ひたまふ時にまをさく、大橋は、皇大神、皇美麻命の天降り坐せるを畏みて、後の小橋より參上りきと申す時に、皇美麻命詔りたまはく、後にも畏み仕へ奉る事、勇し、と詔りたまひて、天村雲命、天二登命、後小橋命と云ふ三名を負ふせたまひき。即時日向高千穗宮の御井定め、崇ひ居ゑて、朝夕の御饌に任へ奉り、しかして後に、丹波の氷沼に移し居ゑて任へ奉りき。]


ここにあまのこやねのみこと、すめみまのみことのみまへにつかへまつりて、あまのおしくもねのみことを、かむろぎかむろみのみことのみまへにうけたまはりまをしに、あめのふたのぼりにたてまつりあげて、すめみまのみことのみけつみづは、うつしくにのみづに、あまつみづをくはへてたてまつらむとまをせ、とことをしへたまひき。ここにあまのおしくもねのみこと、あめのうきぐもにのりて、あめのふたのぼりにのぼりまして、かむろぎかむろみのみことのみまへにまをせば、あまのたまぐしをことよさしまつりて、このたまぐしをさしたてて、ゆうひよりあさひてるにいたるまで、あまつのりとのふとのりとごとをもてのれ。かくのらば、まちば、わかひるに、ゆついほたかむらおひいでて、そのもとよりあめのやゐいでむ。こをもちてあまつみづときこしめせ、とことよさしまつりたまひき。[またのつたへにいはく、すめおほかみ、すめみまのみことあもりませるときに、あまのむらくものみこと、ふとたまぐしをとり、みさきにたたしてあまくだりつかへまつりき。ここにかみたちまをさく、あしはらのなかつくにはうしほなり。いかにすべきとまをすときに、すめみまのみこと、あまのむらくものみことをめしてのりたまひつらく、をすくにのみづはにごからず。あらきみづにありけり。かれみおやのみことのみもとにまゐのぼりて、このよしをまをしてこよ、とのりたまひてのぼらしめたまひき。すなはちあまのむらくものみこと、まゐのぼりて、みおやのみことのみまへに、すめみまのみことのまをせとのたまふことをつばらにまをしあぐるときに、かむろぎかむろみのみことのりたまはく、くさぐさにつかへまつらむまつりごとは、おこなひくだしまつりてあれども、もひとりのまつりごとは、のこしてありけり。いづれのかみをくだしまつらむとおもふほどに、いさましくまゐのぼりきにけりとのりたまひて、あまのおしはのながゐのみづをやもりとりて、たまのもたひにいれて、をしへたまはく、このみづをもちくだりて、すめおほかみのみけにやもり、すめみまのみことのみけにやもりたてまつりて、のこるみづは、あまのおしはのみづとまじなひて、をすくにのみづのうへにそそぎまじへて、あさゆふのみけにたてまつりそめ、みともにつかへまつりて、あまくだれるかみたち、やそとものもろびとにも、このみづをのましめよとのりたまひて、かむたからのたまもひともにさづけたまひき。あまのむらくものみことうけたまはりて、もちくだりてたてまつるときに、すめみまのみことのりたまはく、いづれのみちよりぞまゐのぼりつるととひたまふときにまをさく、おほはしは、すめおほかみ、すめみまのみことのあもりませるをかしこみて、しりへのをばしよりまゐのぼりきとまをすときに、すめみまのみことのりたまはく、しりへにもかしこみつかへまつること、いさまし、とのりたまひて、あまのむらくものみこと、あまのふたのぼりのみこと、しりへをばしのみことといふみつのなをおふせたまひき。そのときひむかのたかちほのみやのみゐさだめ、いはひすゑて、あしたゆうべのみけにつかへまつり、しかしてのちに、たにはのひぬにうつしすゑてつかへまつりき。]

  • [142]
  • 『古史成文』[百四十二]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年10月22日(火)12時15分53秒
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故れ其の猨田毘古神、阿邪訶に坐しける時に、漁爲て比良夫貝に其の手を咋ひ合さえて、海水に沈溺りたまひき。故れ其の底に沈み居たまふ時の名を底度久御魂と謂し、其の海水のつぶたつ時の名を都夫多都御魂と謂し、其のあわさく時の名を阿和佐久御魂と謂す。故れ是の猨田毘古大神は、宇治土公氏の祖なり。此の神の子を、吾娥津比賣命と謂す。亦伊賀津比賣命と謂す。此の神の所領りし地を伊賀と云ふ。


かれそのさだびこのかみ、あざかにましけるときに、すなどりしてひらぶがひにそのてをくひあはさえて、うしほにしづみいりたまひき。かれそのそこにしづみゐたまふときのみなをそこどくみたまとまをし、そのうしほのつぶたつときのみなをつぶたつみたまとまをし、そのあわさくときのみなをあわさくみたまとまをす。かれこのさだびこのおほかみは、うぢのつちぎみうぢのおやなり。このかみのみこを、あがつひめのみこととまをす。またいがつひめのみこととまをす。このかみのしらせりしところをいがといふ。

  • [141]
  • 『古史成文』[百四十一]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年10月21日(月)12時16分34秒
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是に天宇受賣命、狹田毘古神を送りて、還り到りて、乃ち悉に鰭廣物、鰭狹物を追ひ聚めて、汝等は天神の御子に仕へ奉らむやと問ひたまふ時に、諸の魚ども皆、仕へ奉らむと白す中に、海鼠白さず。故れ天宇受賣命、海鼠に謂りたまはく、此の口や答せぬ口、と云ひて、紐小刀以て其の口を拆きき。故れ今に海鼠の口拆けたり。是を以て、御世御世、嶋之速贄獻れる時に、猨女君等に給ふなり。


ここにあまのうずめのみこと、さだびこのかみをおくりて、まかりいたりて、すなはちことごとにはたのひろもの、はたのさものをおひあつめめて、いましらはあまつかみのみこにつかへまつらむやととひたまふときに、もろもろのうをどもみな、つかへまつらむとまをすなかに、こまをさず。かれあまのうずめのみこと、こにのりたまはく、このくちやこたへせぬくち、といひて、ひもがたなもちてそのくちをさきき。かれいまにこのくちさけたり。ここをもて、みよみよ、しまのはやにへたてまつれるときに、さるめのきみらにたまふなり。

  • [140]
  • 『古史成文』[百四十]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年10月18日(金)12時19分39秒
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故れ爾に皇美麻命、御宇受賣命に詔りたまはく、此の御前に立ちて仕へ奉りし猨田毘古大神は、專ら顯し白せりし汝、送り奉れ。亦其の神の御名は、汝負ひて仕へ奉れとのりたまひき。即ち天宇受賣命、猨田毘古神の乞はしの随に侍送りき。是を以て、猨女君等、其の猨田毘古の男神の名を負ひて、女を猨女君と呼ぶ事、是なり。


かれここにすめみまのみこと、あまのうずめのみことにのりたまはく、このみさきにたちてつかへまつりしさだびこのおほかみは、もはらあらはしまをせりしいまし、おくりまつれ。またそのかみのみなは、いましおひてつかへまつれとのりたまひき。すなはちあまのうずめのみこと、さだびこのかみのこはしのまにまにそひおくりき。ここをもて、さるめのきみら、そのさだびこのをがみのみなをおひて、をみなをさるめのきみとよぶこと、これなり。

  • [139]
  • 『古史成文』[百三十九]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年10月17日(木)12時17分22秒
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是に皇美麻命、その高千穂の曾褒里山峯の天浮橋より遊行して、膂宍の空國を、頓丘より國覓ぎ行去りて、吾田笠狹之御碕に到りまし、長屋之竹島に登り坐して、其の地を巡り覽まして詔りたまはく、朝日の直刺す國、夕日の日照る國なり。故れ此地は甚吉き地、と詔りたまひて、國主事勝國勝長狹神を召して問ひたまはく、此地は誰が國ぞも、對へ曰さく、此は長狹が住める國なり。然れども、今乃ち天神御子に奏上らむ。取捨意の任に遊ばせとまをしき。故れ底津石根に宮柱ふとしり、高天原に氷木たかしりて坐しましき。故れ其の事勝國勝長狹神、亦名は鹽椎神。[亦鹽土老翁と云す。亦鹽筒老翁と云す。] 此は伊邪那岐大神の御子なり。


ここにすめみまのみこと、そのたかちほのそほりのやまのみねのあめのうきはしよりいでまして、そじしのむなくにを、ひたをよりくにまぎとほりて、あたのかささのみさきにいたりまし、ながやのたかしまにのぼりまして、そのところをめぐりみましてのりたまはく、あさひのたださすくに、ゆうひのひでるくになり。かれここはいとよきところ、とのりたまひて、くにぬしことかつくにかつながさのかみをめしてとひたまはく、ここはたがくにぞも、こたへまをさく、こはながさがすめるくになり。しかれども、いますなはちあまつかみのみこにたてまつらむ。ともかくもみこころのままにあそばせとまをしき。かれそこついはねにみやばしらふとしり、たかまのはらにひぎたかしりてましましき。かれそのことかつくにかつながさのかみ、またのなはしほつちのかみ。[またしほづちのをぢとまをす。またしほづつのをぢとまをす。] こはいざなぎのおほかみのみこなり。

  • [138]
  • 『古史成文』[百三十八]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年10月16日(水)12時32分24秒
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爾に天津彦火瓊瓊杵尊、高千穂の二上峯に天降り坐しし時に、天暗冥く、晝夜別ずて、人物道に失ひ、物色別き難し。茲に土蛛有り。名を大鉗小鉗といふ。二人皇美麻命に奏言しけらく、命の御手を以て、稻千穗を抜かして籾に爲て、四方に投げ散らしたまはば、そら開晴得むとまをしき。その時大鉗等が奏せる如く、千穗の稻を搓き、籾と爲して投げ散らしたまへば、即ち天開晴、日月照光れり。因れ高千穂の二上峯といふ。既にして、その高千穂の槵日二上峯に移幸ましき。


ここにあまつひこほのににぎのみこと、たかちほのふたのぼりのみねにあもりまししときに、そらくらく、よるひるわかずて、ひとどもみちにまどひ、ものいろわきがたし。ここにつちぐもあり。なをおほかむをかむといふ。ふたりすめみまのみことにまをしけらく、みことのみてをもて、いねちほをぬかしてもみにして、よもになげちらしたまはば、そらあかりなむとまをしき。そのときおほかむらがまをせるごとく、ちほのいねをぬき、もみとなしてなげちらしたまへば、すなはちそらはれあかり、ひつきてりわたれり。かれたかちほのふたのぼりのみねといふ。すでにして、そのたかちほのくしびのふたのぼりのみねにうつりいでましき。

  • [137]
  • 『古史成文』[百三十七]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年10月15日(火)12時13分56秒
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故れ爾に天津日子番能邇邇藝命に詔して、天磐座を離ち、眞床覆衾に褁みまつりて、天磐戸を引開けて、天降し奉りき。故れ此の神を稱へて、天國饒石彦火瓊瓊杵尊と曰す。故れ其の猨田毘古神、御先に立たして、天忍日命、背に天磐靭を取り負ひ、臂に稜威高鞆を著け、手に天梔弓を取り持ち、天波波矢を手挾み、八目鳴鏑を副持ち、頭槌之劍を取り佩き、大久米部を帥て、御前に立ちて仕へ奉り、天牟羅雲命、太玉串を取り、天忍雲根命、天津諄辭を宣りて祓ひ清めつつ、天之浮橋に、[亦天之磐船と云ふ。] うきじまりそりたたして、天之八重多那雲を押し分けて、いつのちわきちわきて、果たして先に猨田毘古神の言ひしが如、筑紫日向之高千穗之久士布流峯に天降り坐しき。さて後に、大來目部を、天靭負部と爲たまふ。天靭負部といふ號、此の時より起まりき。故れ其の天押日命、[亦名は神狹日命。亦名は大久目主命。亦名は天津久米命。亦名は天槵津大來目命。] 此は産巣日神の御子、安牟須比命の子、大伴連、久米直、浮穴直、門部連、佐伯連等が祖なり。次に天村雲命は、天曾己多智命の子、天嗣杵命、[亦名は明日名門命。] の子、天鈴杵命の子、天御雲命の子、伊勢朝臣、額田部宿禰、度會神主等が祖なり。次に天忍雲根命は、[亦天押雲命と云す。] 天兒屋根命の子なり。


かれここにあまつひこほのににぎのみことにみことのりして、あまのいはくらをはなち、まとこおふふすまにつつみまつりて、あまのいはとをひきあけて、あまくだしまつりき。かれこのかみをたたへて、あめくににぎしひこほのににぎのみこととまをす。かれそのさだびこのかみ、みさきにたたして、あまのおしひのみこと、そびらにあまのいはゆぎをとりおひ、ひぢにいつのたかともをつけ、てにあまのはじゆみをとりもち、あまのははやをたばさみ、やつめのなりかぶらをそへもち、かぶつちのたちをとりはき、おほくめべをゐて、みさきにたちてつかへまつり、あまのむらくものみこと、ふとたまぐしをとり、あまのおしくもねのみこと、あまつのりとをのりてはらひきよめつつ、あめのうきはしに、[またあめのいはふねといふ。] うきじまりそりたたして、あめのやへたなぐもをおしわけて、いつのちわきちわきて、はたしてさきにさだびこのかみのいひしがごと、つくしのひむかのたかちほのくじふるたけにあもりましき。さてのちに、おほくめべを、あまのゆきおひべとしたまふ。あまのゆきおひべといふな、このときよりはじまりき。かれそのあまのおしひのみこと、[またのみなはかむさひのみこと。またのみなはおほくめぬしのみこと。またのみなはあまつくめのみこと。またのみなはあまのくしつおほくめのみこと。] こはむすびのかみのみこ、やすむすびのみことのみこ、おほとものむらじ、くめのあたへ、うきあなのあたへ、かどべのむらじ、さへきのむらじらがおやなり。つぎにあまのむらくものみことは、あまのそこたちのみことのみこ、あまのつきほこのみこと、[またのみなはあけひなどのみこと。] のみこ、あまのすずほこのみことのみこ、あまのみくものみことのみこ、いせのあそみ、ぬかたべのすくね、わたらひのかみぬしらがおやなり。つぎにあまのおしくもねのみことは、[またあまのおしくものみこととまをす。] あまのこやねのみことのみこなり。

  • [136]
  • 『古史成文』[百三十六]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年10月13日(日)18時34分46秒
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爾に日子番能邇邇藝命、天降りまさむとする時に、先驅者還りて白さく、天之八衢に、背の長さ七尺餘の神居て、上は天原を光し、下は葦原中國を光し、眼は八咫鏡如せりとまをしき。即ち從神を遣して問はしめたまふ時に、得目勝ち問はざりき。故れ天照大御神、高皇産靈神の命以て、天宇受賣神に詔りたまはく、汝は手弱女に有れども、いむかふ神と面勝つ神なり。故れ專ら汝往きて、吾が御子の天降りまさむとする道を、誰ぞ如此くて居ると問ひてよ、と詔りたまひき。故れ天宇受賣命、往き向ひて問はす時に、八衢之神答へ白さく、吾は國神、名は猨田毘古神なり。出で居る所以は、天神の御子天降り坐すと聞きつる故に、參向ひ待ちて侍ふ、とまをしたまひき。天宇受賣命復問ひけらく、汝先ち行かむか、抑吾先ち行かむか。答へ白さく、吾先ちて啓行む。天宇受賣命復問ひけらく、汝は何處に到り、皇美麻命は何處に到りまさむ。答へ白さく、天神の子は、筑紫日向高千穗槵觸之峯に到りまさむ。吾は伊勢の狹長田、伊須受之川上に到らむ。我を發顯せる者は汝なり。故れ汝吾を送りたまへ、とまをしたまひき。爾に天宇受賣命、還り詣りて其の状を報しき。


ここにひこほのににぎのみこと、あもりまさむとするときに、さきばらひのかみかへりてまをさく、あめのやちまたに、せのながさななさかあまりのかみゐて、かみはあまのはらをてらし、しもはあしはらのなかつくにをてらし、めはやたかがみなせりとまをしき。すなはちみとものかみたちをつかはしてとはしめたまふときに、えまがちとはざりき。かれあまてらすおほみかみ、たかみむすびのかみのみこともちて、あまのうづめのかみにのりたまはく、いましはたわやめにあれども、いむかふかみとおもがつかみなり。かれもはらいましゆきて、あがみこのあもりまさむとするみちを、たれぞかくてをるととひてよ、とのりたまひき。かれあまのうづめのみこと、ゆきむかひてとはすときに、やちまたなるかみこたへまさく、あはくにつかみ、なはさだびこのかみなり。いでをるゆゑは、あまつかみのみこあもりますとききつるゆゑに、まゐむかひまちてさもらふ、とまをしたまひき。あまのうづめのみことまたとひけらく、なむじさきだちゆかむか、またあれさきだちゆかむか。こたへまさく、あれさきだちてみさきはらはむ。あまのうづめのみことまたとひけらく、なむじはいづこにいたり、すめみまのみことはいづこにいたりまさむ。こたへまさく、あまつかみのみこは、つくしのひむかのたかちほのくしふるのたけにいたりまさむ。あはいせのさながた、いすずのかはかみにいたらむ。あれをあらはせるかみはみましなり。かれみましあれをおくりたまへ、とまをしたまひき。ここにあまのうづめのみこと、かへりまゐりてそのさまをまをしき。

  • [135]
  • 『古史成文』[百三十五]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年10月11日(金)12時06分47秒
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爾に神魯岐神魯美の命以て、高天原に事始めて、天都詞之太詞事、言依さしたまひて、天神社、國神社、稱辭竟へ奉らしめて、高皇産靈神勅り曰はく、吾は天津神籬、天津磐境を起樹て、皇美麻命の爲に齋ひ奉らむ。汝天兒屋命・太玉命、天津神籬を持ちて、葦原中國に降りて、皇美麻命の爲に齋ひ奉れと詔りたまひて、復太玉命に、諸部神を率て、其の職に供へ奉ること、天上之儀の如くせよとのりたまひて、諸神をも與に陪從はしめたまひき。


ここにかむろぎかむろみのみこともちて、たかまのはらにことはじめて、あまつのりとのふとのりとごと、ことよさしたまひて、あまつかみのやしろ、くにつかみのやしろ、たたへごとをへまつらしめて、たかみむすびのかみのりたまはく、あれはあまつひもろぎ、あまついはさかをおこしたて、すめみまのみことのみためにいはひまつらむ。いましあまのこやのみこと・ふとたまのみこと、あまつひもろぎをもちて、あしはらのなかつくににくだりて、すめみまのみことのみためにいはひまつれとのりたまひて、ことにふとたまのみことに、もろとものかみをゐて、そのつかさにつかへまつること、あめのみわざのごとくせよとのりたまひて、もろもろのかみをもともにそへしたがはしめたまひき。

  • [134]
  • 『古史成文』[百三十四]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年10月10日(木)12時16分33秒
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是に天照大御神、御手に鏡劒を捧げ持ち賜ひて、言壽詔りたまはく、大八島豐葦原瑞穗國は、吾が子孫王とます可き地なり。皇我宇都御子皇美麻命、就坐して、此の天津高御座に御坐して、安國と平けく、天日嗣の瑞穗を、天御膳長御膳の遠御膳と、萬千秋の長五百秋に、安らけく、齋庭に所知食せ。此れの鏡は專ら吾が御魂と爲て、吾が御前を拜くがごと、同殿同床に坐さしめて齋き奉りたまへ。寶祚の隆へ、天壤のむた無窮べしと詔りたまひて、復天兒屋命、[亦常世思兼神と云す。] 天太玉命に勅りたまはく、惟爾二柱神も、同殿内に侍ひて、御前の事を取り持ちて、爲政とのりたまひき。故れ此の二柱神は、佐久久斯侶伊須受宮に并せ祭る。次に天手力男神、萬幡豐秋津比賣神は、佐那縣に坐す。此は御戸開之神なり。次に登由宇氣神、此は外宮の度相に坐す。次に一鏡は、天照大御神の御靈、天懸神と名づく。一鏡は、天照大御神の前の御靈、國懸神と名づく。今木國名草宮に崇敬ひて、解祭る大神なり。次に一鏡及子鈴は、天皇の御食津神と、朝夕の御食に、夜の護、日の護と齋祭る大神。今巻向穴師社に坐させて、解祭る大神なり。


ここにあまてらすおほみかみ、みてにかがみつるぎをささげもちたまひて、ことほぎのりたまはく、おほやしまとよあしはらのみづほのくには、あがみこのつぎつぎきみとますべきくになり。すめらわがうづのみこすめみまのみこと、いでまして、これのあまつたかみくらにましまして、やすくにとたひらけく、あまつひつぎのみづほを、あまつみけのながみけのとほみけと、よろづちあきのながいほあきに、やすらけく、ゆにはにしろしめせ。これのかがみはもはらあがみたまとして、あがみまへをいつくがごと、ひとつみあらかひとつみゆかにまさしめていつきまつりたまへ。あまつひつぎのみさかへ、あめつちのむたきはみなかるべしとのりたまひて、またあまのこやのみこと、[またとこよのおもひかねのかみとまをす。] あまのふとたまのみことにのりたまはく、やよいましふたばしらのかみも、おなじみあらかぬちにさもらひて、みまへのことをとりもちて、まをしたまへとのりたまひき。かれこのふたばしらのかみは、さくくしろいすずのみやにあはせまつる。つぎにあまのたちからをのかみ、よろづはたとよあきつひめのかみは、さながたにます。こはみとあけのかみなり。つぎにとゆうけのかみ、こはとつみやのわたらひにます。つぎにひとつのかがみは、あまてらすおほみかみのみたま、あめかかすのかみとなづく。ひとつのかがみは、あまてらすおほみかみのさきのみたま、くにかかすのかみとなづく。いまきのくになぐさのみやにかたてゐやまひて、わけまつるおほかみなり。つぎにひとつのかがみまたこすずは、すめらみことのみけつかみと、あしたゆふべのみけに、よのまもり、ひのまもりといつきまつるおほかみ。いままきむくのあなしのやしろにまさせて、わけまつるおほかみなり。

  • [133]
  • 『古史成文』[百三十三]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年10月 8日(火)12時35分28秒
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故れ是を以て白したまふ隨に、日子番能邇邇藝命に科詔せて、天都高御座に坐せ奉りて、此の豐葦原水穗國は、汝知さむ國なり、と言依さし賜ふ。故れ命の隨に天降りますべしとのりたまひて、天兒屋命、天太玉命、天宇受賣命、伊斯許理度賣命、玉祖命、并せて五伴緒、天忍日命、及諸部緒の神等を支り加へて、其のをぎし八咫鏡、及天藂雲劒二種の神寶を以て、永に天日嗣の御璽と爲さしめて、亦其のをぎし八尺勾璁、及平國の廣矛、常世思兼神、布刀玉神、天手力男神、萬幡豐秋津比賣神、護齋の鏡三面、子鈴一合を副へ賜ひ、又天照大御神、吾が天原に所御す齋庭の穂をも、吾が兒に御せまつる、と勅りたまひて依さし賜ひき。


かれここをもてまをしたまふまにまに、ひこほのににぎのみことにみことおふせて、あまつたかみくらにませまつりて、このとよあしはらのみづほのくには、みまししらさむくになり、とことよさしたまふ。かれみことのまにまにあもりますべしとのりたまひて、あまのこやのみこと、あまのふとたまのみこと、あまのうずめのみこと、いしこりどめのみこと、たまのやのみこと、あはせていつとものを、あまのおしひのみこと、またもろとものをのかみたちをくまりくはへて、かのをぎしやたかがみ、またあまのむらくものたちふたくさのかむたからをもて、とこしへにあまつひつぎのみしるしとなさしめて、またかのをぎしやさかのまがたま、またくにむけのひろほこ、とこよのおもひかねのかみ、ふとたまのかみ、あまのたちからをのかみ、よろづはたとよあきつひめのかみ、いはひのかがみみつ、こすずひとはこをそへたまひ、またあまてらすおほみかみ、あがあまのはらにしろしめすゆにはのほをも、あがみこにまかせまつる、とのりたまひてよさしたまひき。

  • [132]
  • 『古史成文』[百三十二]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年10月 7日(月)12時51分3秒
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是に天照大御神、高皇産靈神の命以て、太子正哉吾勝勝速日天忍穗耳命に詔りたまはく、今葦原中國平け訖へぬと白す。故れ言依さし賜へりし隨に、降り坐して知看せとのりたまひき。爾に天忍穗耳命の白したまはく、吾は降りなむ裝束せし間に、子生れましつ。名は天邇岐志國邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命、[亦天饒石國饒石天津彦火瓊瓊杵尊と云す。亦天津彦彦火瓊瓊杵尊と云す。亦天津彦火瓊瓊杵根尊と云す。亦天津彦國光彦火瓊瓊杵尊と云す。亦天津彦根火瓊瓊杵尊と云す。亦名は天之杵火火置瀬命。亦天杵瀬命と云す。] 此の子を降すべし、とまをしたまひき。此の御子は、産巣日神の御女萬幡豐秋津比賣命の子、玉依毘賣命に御合ひて、生ましめたまへる御子にます。天照大御神、高皇産靈神、特に憐愛とおもほして、崇養し奉りたまひき。


ここにあまてらすおほみかみ、たかみむすびのかみのみこともちて、ひつぎのみこまさかあかつかちはやびあめのおしほみみのみことにのりたまはく、いまあしはらのなかつくにことむけをへぬとまをす。かれことよさしたまへりしまにまに、くだりましてしろしめせとのりたまひき。ここにあめのおしほみみのみことのまをしたまはく、あれはくだりなむよそひせしほどに、みこあれましつ。みなはあめにぎしくににぎしあまつひたかひこほのににぎのみこと、[またあめにぎしくににぎしあまつひこほのににぎのみこととまをす。またあまつひこひこほのににぎのみこととまをす。またあまつひこほのににぎねのみこととまをす。またあまつひこくにてるひこほのににぎのみこととまをす。またあまつひこねほのににぎのみこととまをす。またのみなはあまのきほほおきせのみこと。またあまのきせのみこととまをす。] このみこをくだすべし、とまをしたまひき。このみこは、むすびのかみのみむすめよろづはたとよあきつひめのみことのみこ、たまよりびめのみことにみあひて、うましめたまへるみこにます。あまてらすおほみかみ、たかみむすびのかみ、ことにめぐしとおもほして、かたてひたしまつりたまひき。

  • [131]
  • 『古史成文』[百三十一]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年10月 6日(日)08時33分27秒
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故れ其の八重事代主神は、天磐笛を製りて、皇美麻命に奉りて祝ひたまひ、亦天押楯と天狹弓とを奉進たまひき。亦此の神八尋熊鰐に化りて、産巣日神之御子、三島縣主祖、天神玉命の子、三島溝咋耳命の女、溝咋比賣に[亦名は玉櫛比賣。] 通ひて、生ましめたまへる子、天八現津彦命。此は長公、長我孫、土佐國造等が祖なり。故れ其の事代主神は、亦三島鴨社に坐す。亦伊豆三島社に坐す。此の神の后を、伊古奈比賣命と謂す。亦本后を、阿波咩命と謂す。[亦阿波波神と云す。亦阿波神と云す。亦天津羽羽神と云す。] 是は天石帆別命[即ち天石戸別命是なり。] の女なり。生みませる子、五柱坐しき。其の一柱の名を、物忌奈命と謂す。此は並伊豆國に坐す神等なり。


かれそのやへことしろぬしのかみは、あまのいはぶえをつくりて、すめみまのみことにたてまつりていはひたまひ、またあまのおしたてとあまのさゆみとをたてまつりたまひき。またこのかみやひろくまわにになりて、むすびのかみのみこ、みしまのあがたぬしのおや、あまのかむたまのみことのみこ、みしまのみぞくひみみのみことのむすめ、みぞくひひめに[またのなはたまくしめ。] みあひて、うましめたまへるみこ、あまのやうつつひこのみこと。こはをさのきみ、をさのあびこ、とさのくにのみやつこらがおやなり。かれそのことしろぬしのかみは、またみしまのかものやしろにます。またいづのみしまのやしろにます。このかみのきさきを、いこなひめのみこととまをす。またもとのきさきを、あはのめのみこととまをす。[またあははのかみとまをす。またあはのかみとまをす。またあまつははのかみとまをす。] こはあまのいはほわけのみこと[すなはちあまのいはとわけのみことこれなり。] のみむすめなり。うみませるみこ、いつはしらましき。そのひとばしらのみなを、ものいみなのみこととまをす。こはみないづのくににますかみたちなり。

  • [130]
  • 『古史成文』[百三十]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年10月 5日(土)08時46分16秒
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故れ是の時、大國御魂神期曰はく、天照大御神は天原を悉治めたまはむ。皇美麻命は、葦原中國の八十魂神を專ら治めたまはむ。我は大地官を親ら治めむと言訖へたまひき。大地主神とまをす號は、此の時よりまをしき。是は大和社に坐す神なり。此の大國御魂神、天降り坐しし時に、飮成の地にて御膳食したまひき。故れ其地を飯梨と云ふ。


かれこのとき、おほくにたまのかみちぎりたまはく、あまてらすおほみかみはあまのはらをみなをさめたまはむ。すめみまのみことは、あしはらのなかつくにのやそみたまのかみをもはらをさめたまはむ。あはおほとこのつかさをみづからをさめむとことをへたまひき。おほとこぬしのかみとまをすみなは、このときよりまをしき。こはおほやまとのやしろにますかみなり。このおほくにたまのかみ、あもりまししときに、いひなしのところにてみいひめしたまひき。かれそこをいひなしといふ。

  • [129]
  • 『古史成文』[百二十九]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年10月 3日(木)12時11分9秒
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故れ即ち手置帆負神を作笠者と定め、彦狹知神を楯縫者と爲め、天目一箇神を金匠者と爲め、天日鷲神を由布作者と爲め、櫛明玉神を玉作者と爲め、乃ち天太玉命の弱肩に太手繦被けて、御手代と爲て、大物主神を祭らしむること、是の時より始起りき。且天兒屋命は神事の宗源を主る者なり。故れ太兆の卜事を以て仕へ奉らしめき。是の時の齋之大人を、齋主神と號す。此の神、今東國の檝取の地に在す。亦建御雷之男神は、香島天大神と稱す。天にては、香島宮と號しを、國にては、豐香島宮と名づけき。此は鹿島連がいつき奉る神なり。亦春日社に坐す。


かれすなはちたおきほおひのかみをかさぬひとさだめ、ひこさじりのかみをたたぬひとさだめ、あまのまひとつのかみをかなたくみとさだめ、あめのひわしのかみをゆふはきとさだめ、くしあかるたまのかみをたますりとさだめ、すなはちあまのふとたまのみことのよわがたにふとたすきとりかけて、みてしろとして、おほものぬしのかみをまつらしむること、このときよりはじまりき。またあまのこやのみことはかむわざのもとをしれるかみなり。かれふとまにのうらわざをもてつかへまつらしめき。このときのいはひのうしを、いはひぬしのかみとまをす。このかみ、いまあづまのくにのかとりのところにます。またたけみかづちのをのかみは、かぐしまのあめのおほかみとまをす。あめにては、かぐしまのみやといひしを、くににては、とよかぐしまのみやとなづけき。こはかぐしまのむらじがいつきまつるかみなり。またかすがのやしろにます。

  • [128]
  • 『古史成文』[百二十八]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年10月 1日(火)12時42分25秒
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故れ是の時、歸順へりし首渠、大物主神、大國御魂神、及言代主神。乃ち八百萬神を天高市に合へて、其の諸神を帥て、共に天に昇りて、其の誠欸の至を陳す時に、高皇産靈神、大物主神に勅りたまはく、汝若し國神を妻とせば、吾猶ほ汝疏ぶる心有りと謂はむ。故れ今吾が女三穗津比賣を汝に配せむ妻と爲よ。八百萬神を領て、永に皇美麻命の爲に護り奉れと詔りたまひて、乃ち還り降らしめたまひき。


かれこのとき、まつろへりしひとごのかみ、おほものぬしのかみ、おほくにみたまのかみ、またことしろぬしのかみ。すなはちやほよろづのかみをあまのたかいちにつどへて、そのかみたちをひきゐて、ともにあめにのぼりて、そのまつろひのまことをまをすときに、たかみむすびのかみ、おほものぬしのかみにのりたまはく、いましもしくにつかみをめとせば、あれなほいましうとぶるこころありとおもはむ。かれいまあがむすめみほつひめをいましにあはせむめとせよ。やほよろづのかみたちをひきゐて、とこしへにすめみまのみことのみためにまもりまつれとのりたまひて、すなはちかへりくだらしめたまひき。

  • [127]
  • 『古史成文』[百二十七]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年 9月30日(月)13時49分47秒
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故れ其の普都大神、葦原中津國を巡り行でまし、山河の荒ぶるものどもを和し平め畢へて、天上に歸らむと心存て、即ち身に随へる嚴杖甲戈楯劒、及所執玉、悉く常陸信太國高來里に留置きて、即ち白雲に乗らして、二柱神共に天上に還り參上りて、葦原中津國は皆已に言向けをへぬと奏言たまひき。


かれそのふつのおほかみ、あしはらのなかつくにをめぐりいでまし、やまかはのあらぶるものどもをやわししづめをへて、あめにかへらむとおもほして、すなはちみみにそへるいづのものかわらほこたてたち、またとらせるたま、ことごとくひたちのしだのくにたかくのさとにとめおきて、すなはちしらくもにのらして、ふたばしらのかみともにあめにかへりまゐのぼりて、あしはらのなかつくにはみなすでにことむけをへぬとまをしたまひき。

  • [126]
  • 『古史成文』[百二十六]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年 9月29日(日)09時36分39秒
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是に經津主神、建御雷之男神、岐神を郷導と爲て周流つつ削平て、逆命者は斬戮り、歸順者は神和し和し、荒振神等をば、神問はし問はし、神攘ひ攘ひて、語問ひし磐根樹立ち、艸の片葉をも語止ましめて、中に服はざりし、星神天香香背男は、[亦名は天津甕星。] 倭文神健葉槌命を遣せば、乃ち服ひき。此の經津主神、國巡ります時に、山國の地に來まして、是土は止まず見欲しと詔りたまひき。故れ山國と云ふ。即ち正倉有り。亦天石楯、縫ひ直しし處を、今に楯縫と云ふ。


ここにふつぬしのかみ、たけみかづちのをのかみ、ふなどのかみをみちびきとしてめぐりつつことむけて、まつろはぬものはきりはふり、したがふものはかむやわしやわし、あらぶるかみどもをば、かむとはしとはし、かむはらひはらひて、こととひしいはねきねたち、くさのかきはをもことやましめて、なかにまつろはざりし、ほしのかみあまのかがせをは、[またのなはあまつみかぼし。] しどりのかみたけはづちのみことをつかはせば、すなはちまつろひき。このふつぬしのかみ、くにめぐりますときに、やまくにのところにきまして、このくにはやまずみまほしとのりたまひき。かれやまくにといふ。すなはちほくらあり。またあまのいはたて、ぬひなほししところを、いまにたたぬひといふ。

  • [125]
  • 『古史成文』[百二十五]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年 9月27日(金)14時29分23秒
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是に水戸神の孫櫛八玉神を膳夫と爲て、天御饗獻る時に、禱ぎ白して、櫛八玉神鵜に化りて、海の底に入りて、底の波邇を咋ひ出でて、天八十平瓮を作りて、海布の柄を鎌りて燧臼に作り、海蓴の柄を以て燧杵を作りて、火を鑚り出でて云しけらく、是の我が燧れる火は、高天原には神皇産靈御祖命の登陀流天之新巣の凝烟の、八擧垂るまで燒き擧げ、地の下は底津石根に燒き凝して、栲繩之千尋繩打ち延へ釣らせる海人が、口大之尾翼鱸さわさわに控き依せ騰げて、拆竹のとををとををに、天之眞魚咋獻らむとまをしき。


ここにみなとのかみのひこくしやたまのかみをかしはでとして、あめのみあへたてまつるときに、ねぎまをして、くしやたまのかみうになりて、わたのそこにいりて、そこのはにをくひいでて、あまのやそびらかをつくりて、めのからをかりてひきりうすにつくり、こものからをもてひきりぎねをつくりて、ひをきりいでてまをしけらく、このあがきれるひは、たかまのはらにはかむみむすびのみおやのみことのとだるあまのにひすのすすの、やつかたるまでたきあげ、つちのしたはそこついはねにたきこらして、たくなはのちひろなはうちはへつらせるあまが、おほくちのをはたすずきさわさわにひきよせあげて、さきたけのとををとををに、あまのまなぐひたてまつらむとまをしき。

  • [124]
  • 『古史成文』[百二十四]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年 9月26日(木)12時51分37秒
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爾に大國主神、鎭まりましし時に、神魯岐神魯美命、天穗日命に詔りごちたまはく、汝天穗日命は、天皇命の手長の大御世を、堅石常石にいはひ奉りて、伊賀志の御世に、幸はへ奉れと仰せたまひき。此は出雲國造が、統々杵築宮に仕へ奉りて、神の禮自利臣の禮自と、天皇命に御禱の神寳を獻りて、神賀の吉詞を奏す縁なり。


ここにおほくにぬしのかみ、しづまりまししときに、かむろぎかむろみのみこと、あまのほひのみことにのりごちたまはく、いましあまのほひのみことは、すめらみことのたながのおほみよを、かきはときはにいはひまつりて、いかしのみよに、さきはへまつれとおふせたまひき。こはいづものくにのみやつこが、つぎつぎきづきのみやにつかへまつりて、かみのゐやじりおみのゐやじと、すめらみことにみほぎのかむたからをたてまつりて、かむほぎのよごとをまをすことのもとなり。

  • [123]
  • 『古史成文』[百二十三]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年 9月25日(水)13時38分36秒
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是に大國主神、其の平國けたまひし時杖けたまへる廣矛を、二柱神に授けて白したまはく、吾此の矛を以て卒に功治を有せり。皇美麻命、此の矛を用て國を治めば、必ず平安ましなむ。吾が治る顯明事は、皇美麻命治すべし。吾は退りて幽冥事を治むとまをして、乃ち岐神を二柱神に薦めて、此の神吾に代りて從へ奉るべしと言訖へて、即ち躬瑞之八坂瓊を披きて、遂に八百丹杵築宮に、長に隱鎭まりましき。此の宮作らしし時に、諸神等、宮處に參集ひて杵築之故に、杵築と云ふ。亦佐香河内に、百八十神等集ひ坐し、御厨を立てたまひて、酒を醸しめたまひて、百八十日喜燕て、解散坐しき。故れ佐香と云ふ。


ここにおほくにぬしのかみ、そのくにむけたまひしときつけたまへるひろほこを、ふたばしらのかみにさづけてまをしたまはく、あれこのほこをもてつひにいさををなせり。すめみまのみこと、このほこをもてくにををさめば、かならずまさけくましなむ。あがしれるあらはごとは、すめみまのみことしらすべし。あはさかりてかくりごとをしらむとまをして、すなはちふなどのかみをふたばしらのかみにすすめて、このかみあれにかはりてつかへまつるべしとことをへて、すなはちみづからみづのやさかにをときて、つひにやほにきづきのみやに、とこしへにかくりしづまりましき。このみやつくらししときに、もろもろのかみたち、みやこにまゐつどひてきづきたまひしゆゑに、きづきといふ。またさがのかはうちに、ももやそがみたちつどひまし、みくりやをたてたまひて、さけをかましめたまひて、ももやそかあそびて、あらけましき。かれさがといふ。

  • [122]
  • 『古史成文』[百二十二]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年 9月20日(金)12時42分18秒
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是に産巣日神の天御量以て、大國主神の謂したまひし如に、出雲國の多藝志之小濱に天之御舍を造らしめて、御子天御烏命を楯部として天降したまひき。爾の時退り下りて、大神の宮の御装の楯造りき。仍れ今に、楯桙を造りて皇神等に立奉る。爾ち楯縫の地是なり。


ここにむすびのかみのあめのみはかりもちて、おほくにぬしのかみのまをしたまひしまにまに、いづものくにのたぎしのをはまにあめのみあらかをつくらしめて、みこあまのみをのみことをたてべとしてあまくだしたまひき。そのときまかりくだりて、おほかみのみやのみよそひのみたてつくりき。かれいまに、たてほこをつくりてすめがみたちにたてまつる。すなはちたてぬひのところこれなり。

  • [121]
  • 『古史成文』[百二十一]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年 9月19日(木)08時49分2秒
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故れ大國主神、越の八國を平げて、還り坐しし時に、長江山に來坐して詔りたまはく、我が造り坐して令しし國は、皇美麻命、平世に所知と依さし奉れり。但八雲立出雲國は、我が静まり坐す國、青垣山廻らして、玉置きて守ると詔りたまひき。故れ其處を母理と云ふ。其の越の八國を平げむとして徃でましし時に、林の地の樹林茂りき。爾の時、吾が御心の波夜志と詔りたまひき。故れ其地を拜志と云ふ。


かれおほくにぬしのかみ、こしのやくにをたひらげて、かへりまししときに、ながえのやまにきましてのりたまはく、あがつくりましてしらししくには、すめみまのみこと、しづみよにしらせとよさしまつれり。ただやくもたついづものくには、あがしづまりますくに、あをがきやまめぐらして、たまおきてもるとのりたまひき。かれそこをもりといふ。そのこしのやくにをたひらげむとしていでまししときに、はやしのところのはやししげりき。そのとき、あがみこころのはやしとのりたまひき。かれそこをはやしといふ。

  • [120]
  • 『古史成文』[百二十]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年 9月17日(火)12時25分20秒
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是に大國主神、皇美麻命の鎭まり坐さむ大倭國と白して、己命の和御魂を八咫鏡に取りつけて、倭の大物主櫛甕玉命と名を稱へて大三輪の神奈備に坐せ、己命の子、味鉏高日子根命の御魂を葛木の鴨の神奈備に坐せ、事代主命の御魂を宇奈提の神奈備に坐せ、賀夜奈流美命の御魂を飛鳥の神奈備に坐せて、天神の御子の近き守神と貢置きたまひき。此の天事代主命は、飛鳥直、長柄首等が祖なり。


ここにおほくにぬしのかみ、すめみまのみことのしづまりまさむおほやまとのくにとまをして、おのれみことのにきみたまをやたかがみにとりつけて、やまとのおほものぬしくしみかたまのみこととみなをたたへておほみわのかむなびにませ、おのれみことのみこ、あぢすきたかひこねのみことのみたまをかづらきのかものかむなびにませ、ことしろぬしのみことのみたまをうなでのかむなびにませ、かやなるみのみことのみたまをあすかのかむなびにませて、あまつかみのみこのちかきまもりがみとたてまつりおきたまひき。このあまのことしろぬしのみことは、あすかのあたへ、ながえのおびとらがおやなり。

  • [119]
  • 『古史成文』[百十九]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年 9月12日(木)13時43分24秒
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是に建御雷之男神、更に且還り來て、其の大國主神に、問ひたまはく、汝が子等事代主神、建御名方神、二神は、天神の御子の命の隨に違はじと白し訖へぬ。故れ汝が心奈何にぞ、と問ひたまひき。爾に答白したまはく、吾が子等二人の白せる隨に吾も違はじ。此の葦原中國は、命の隨に既に獻らむ。如し吾防禦がましかば、國内の諸神必ず同に禦ぎなむを。今我避り奉らば、誰か順はぬ者あらむ。亦吾が子等百八十神は、八重事代主神、神の御尾前と爲りて仕へ奉らば、違ふ神はあらじと白したまひき。


ここにたけみかづちのをのかみ、さらにまたかへりきて、そのおほくにぬしのかみに、とひたまはく、ながこどもことしろぬしのかみ、たけみながたのかみ、ふたりは、あまつかみのみこのみことのまにまにたがはじとまをしをへぬ。かれながこころいかにぞ、ととひたまひき。ここにこたへまをしたまはく、あがこどもふたりのまをせるまにまにあれもたがはじ。このあしはらのなかつくには、みことのまにまにすでにたてまつらむ。もしあれほせがましかば、くぬちのかみたちかならずともにほせぎなむを。いまあれさりまつらば、たれかまつろはぬものあらむ。またあがこどもももやそがみは、やへことしろぬしのかみ、かみのみをさきとなりてつかへまつらば、たがふかみはあらじとまをしたまひき。

  • [118]
  • 『古史成文』[百十八]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年 9月11日(水)13時28分5秒
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是に稻背脛命、復命す時に、大國主神、其の子の辭ひしが如、二柱の神に白したまひき。故れ爾に建御雷之男神、亦白すべき子有りや、ととひたまへば、大國主神白したまはく、亦我が子建御名方神あり。[亦建御名方富神と云す。亦名は御穗須々美命。] 此を除きては無しと白したまふ間しも、其の建御名方神、千引石を手末に擎げて來て言ひけらく、誰ぞ、我が國に來て、忍び忍び如此物言ふ。然らば力競爲む。故れ我先づ其の御手を取らむと云ふ。故れ其の御手を取らしむれば、即ち立氷に取り成し、亦劍刄に取り成しつ。故れ懼れて退き居り。爾に其の建御名方神の手を取らむと、乞ひ返して取れば、若葦を取るが如搤み批ぎて投げ離ちたまへば、即ち逃げ去にき。故れ追ひ往きて、信濃國の諏方海に迫め到りて、殺さむとしたまふ時に、建御名方神白しつらく、恐し、我を莫殺したまひそ。此地を除きては他處に行かじ。亦我が父大國主神の命に違はじ。兄八重事代主神の言に違はじ。此の葦原中國は天神の御子の命の隨に獻らむ、とまをしたまひき。此は諏方祝部がいつく神なり。此の神の后神を、八坂刀賣命と謂す。


ここにいなせはぎのみこと、かへりごとまをすときに、おほくにぬしのかみ、そのみこのいひしがごと、ふたばしらのかみにまをしたまひき。かれここにたけみかづちのをのかみ、またまをすべきこありや、ととひたまへば、おほくにぬしのかみまをしたまはく、またあがこたけみながたのかみあり。[またたけみながたとみのかみとまをす。またのみなはみほすすみのみこと。] こをおきてはなしとまをしたまふをりしも、そのたけみながたのかみ、ちびきいはをたなすゑにささげてきていひけらく、たれぞ、わがくににきて、しぬびしぬびかくものいふ。しからばちからくらべせむ。かれあれまづそのみてをとらむといふ。かれそのみてをとらしむれば、すなはちたちびにとりなし、またつるぎばにとりなしつ。かれおそれてしりぞきをり。ここにそのたけみながたのかみのてをとらむと、こひかへしてとれば、わかあしをとるがごとつかみひしぎてなげはなちたまへば、すなはちにげいにき。かれおひゆきて、しなぬのくにのすはのうみにせめいたりて、ころさむとしたまふときに、たけみながたのかみまをしつらく、かしこし、あをなころしたまひそ。ここをおきてはあだしところにゆかじ。またわがちちおほくにぬしのかみのみことにたがはじ。あにやへことしろぬしのかみのことにたがはじ。このあしはらのなかつくにはあまつかみのみこのみことのまにまにたてまつらむ、とまをしたまひき。こはすはのはふりがいつくかみなり。このかみのきさきがみを、やさかとめのみこととまをす。

  • [117]
  • 『古史成文』[百十七]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年 9月10日(火)13時34分2秒
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是に積羽八重言代主神、[亦都波八重事代主神と云す。] 其の父の大神に言さしめたまはく、恐し、天神の命の如に、此の國は天神の御子に立奉りたまへ。吾も違ひまつらじと云ひて、即ち其の船枻を蹈み傾けて、天逆手を青柴垣に打ち成して隱りましき。此は宇奈提之神奈備、及葛城之鴨社に坐す神なり。


ここにつみはやへことしろぬしのかみ、[またつはやへことしろぬしのかみとまをす。] そのちちのおほかみにまをさしめたまはく、かしこし、あまつかみのみことのまにまに、このくにはあまつかみのみこにたてまつりたまへ。あれもたがひまつらじといひて、すなはちそのふねのへをふみかたぶけて、あまのさかてをあをふしがきにうちなしてかくりましき。こはうなでのかむなび、またかづらきのかものやしろにますかみなり。

  • [116]
  • 『古史成文』[百十六]

  • 投稿者:南雄
  • 投稿日:2013年 9月 9日(月)13時36分34秒
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是に經津主神、還り昇りて報告時に、高皇産靈神、乃ち二神を還し遣して、大國主神に勅り曰はく、今汝が言ふことを聞くに、深に其の理有り。故れ更に條條にして勅りたまふ。夫の汝が治せる現事は、吾が皇美麻命に治しめ、汝は神事を治せ。又汝の住むべき百千足天日隅宮は、今供造らせてむ。其の宮造の制は、乃ち縦横は、御量の千尋栲繩以て、百結々、八十結々下げて、柱は高く太く、板は廣く厚くし、田供佃らせむ。又汝が海に往來ひ遊ぶ爲の具に、高橋及天鳥船も供造らせむ。天安河にも打橋を造り、又百八十縫の白楯を供造り、又汝の祭祀を主む者は、天穗日命なり、と詔らしめたまふ時に、大國主神曰したまはく、天神の勅敎、如此しも慇懃なるを、敢で命を不從まつらむ。吾が兒八重言代主神に、鳥遊漁爲て、三津之碕に在り。今之に問ひて、報命さむとまをして、熊野の諸手船に[亦名は天鳩船。] 使者稻背脛命を載せ、[天鳥船神是なり。] 遣して、天神の勅を言代主神に致て、報命之辭を問はしめたまひき。


ここにふつぬしのかみ、かへりのぼりてまをしたまふときに、たかみむすびのかみ、すなはちふたばしらのかみをかへしつかはして、おほくにぬしのかみにのりたまはく、いまいましがいふことをきくに、まことにそのいはれあり。かれさらにおぢおぢにしてのりたまふ。そのいましがしらせるうつしごとは、あがすめみまのみことにしらしめ、いましはかみごとをしらせ。またいましのすむべきももちだるあまのひすのみやは、いまつくらせてむ。そのみやつくりのさまは、すなはちたてよこは、みはかりのちひろたくなはもて、ももむすびむすび、やそむすびむすびさげて、はしらはたかくふとく、いたはひろくあつくし、たつくらせむ。またいましがわたにかよひあそぶためのそなへに、たかはしまたあまのとりふねもつくらせむ。あめのやすのかはにもうちはしをつくり、またももやそぬひのしらたてをそなへつくり、またいましのまつりをなさむものは、あまのほひのみことなり、とのらしめたまふときに、おほくにぬしのかみまをしたまはく、あまつかみのみさとし、かくしもねもころなるを、いかでみことをそむきまつらむ。あがこやへことしろぬしのかみに、とりのあそびすなどりして、みつのさきにあり。いまそれにとひて、かへりごとまをさむとまをして、くまぬのもろたぶねに[またのなはあまのはとぶね。] つかひびといなせはぎのみことをのせ、[あまのとりふねのかみこれなり。] つかはして、あまつかみのみことをことしろぬしのかみにのりて、かへりごとまをさむことばをとはしめたまひき。


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