• [0]
  • 「九段塾」塾頭・一兵士翁遺文抄

  • 投稿者:備中處士
 
平成二十三年二月十七日、「としごひのみまつり」に建立。

 我が塾頭・一兵士翁は、是れ、詩吟大和流宗家第二代・金城福井忠翁にして、映畫『凛として愛』の監督・泉水隆一翁、即ち其の人なり矣。

 平成二十二年庚寅七月十六日午前○時三分、歸幽、御年六十九。

 塾頭の曰く、

「一兵士の出版は、著作権は、備中處士さんが好きに使っていい。ただ、この著作権というのは、『人格権』というものがあって、他人に譲渡できないと、言われたことがあった。著作権は、ともかくも、備中さんに全部譲渡しますから、どうぞ、お好きなように」(平成二十年九月十四日附「備中處士に與ふる書」)と。

 「九段塾」塾頭・一兵士翁の遺文抄――稿本――なり。謹みて拜書すること、以下の如し。なほ「備中處士」以外の御方は伏字とするも、言論の玄人等は、原文のまゝとせり。書翰の應酬なれば、翁の遺文のみにては、文意の通ぜざる所あらむも、乞ふ、之を諒せよ。

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sage

  • [100]
  • 『靖国神社の真実』第二刷の正誤表。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2012年 9月30日(日)23時28分26秒
  • 編集済
  • 返信
 
 泉水隆一翁『靖国神社の真実』第二刷誤植の追加、下記の通りです。謹みて御詫び申し上げます。

 他に御氣づきの御方は、ご一報たまはれば幸甚であります。

 最近は、どう云ふ訣か、舊稿の編集が出來なくなつてしまひました。一度ならず、二度三度‥‥、クツキーとやらの問題でも無さゝうで、teacup.に問合せしても、原因不明(泣)です。何かゞ惡さしてをるやうで、固より小生の無知から來るものでせう。已む無く再掲の上、追記させて戴きます。 備中處士、恐懼敬白



【『靖国神社の真実』第二刷の正誤表】平成二十四年壬辰四月二十九日増刷・京都洛風書房取扱ひ――初版誤植は訂正濟(前記投稿)。

 なほ此の第二刷は、版元・洛風書房樣が、扉「靖国神社の真実 泉水隆一」の黄紙を附加(一枚二頁分)して戴いてをります。御禮申し上げます。

● 頁・段―― 行‥‥ → 

 三九・下―― 一九‥‥情操作 → 情操作
          二○‥‥在能力 → 在能力
四一○  ――  六‥‥頒價 壹千圓 → 協贊費 貳千圓
 

  • [99]
  • 『靖国神社の真実』正誤表。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2012年 2月25日(土)20時25分48秒
  • 編集済
  • 返信
 
 泉水隆一翁『靖国神社の真実』の誤植、下記の通りです。謹みて御詫び申し上げます。

 他に御氣づきの御方は、ご一報たまはれば幸甚であります。 備中處士、恐懼敬白



【『靖国神社の真実』第一刷の正誤表】平成二十三年辛卯十二月八日初版

●頁・段―― 行‥‥ → 

一三一・上―― 一三‥‥臣民ノ情モ → 臣民ノ情モ
一三七・下――  三‥‥臣民ノ情モ → 臣民ノ情モ
一八三・上―― 一八‥‥紹介 → 照会
二四二・下―― 一五‥‥・涙 → ・涙
三五四・下―― 一一‥‥習性となり → 習性となり
三七一  ―― 二一‥‥山口多聞子息 → 山口多聞三男
三八六・上―― 一七‥‥天陛下 → 天陛下
四一○  ――  五‥‥頒價 壹 千圓  → 私家版(非賣)
          一○‥‥電話○七五ー二四一ー二一九三 → 電話○七五ー二四一ー三八四九



【『靖国神社の真実』第二刷の正誤表】平成二十四年壬辰四月二十九日増刷・初版誤植は訂正濟

四一○  ――  六‥‥私家版(非賣) → 協贊費 貳千圓
 

  • [98]
  • 九段塾藏版『靖国神社の真実』頒布。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2012年 2月23日(木)21時49分38秒
  • 編集済
  • 返信
 
■□■靖國神社正統尊崇奉贊準備會叢書第一輯

九段塾藏版
『「九段塾」塾頭・一兵士翁こと泉水隆一監督遺文――靖国神社の真実――靖國神社正統護持のために――』
■□■


一頁は、三十二字×二十五行×二段の縱書きにして、全て四百十六頁。
四六版(152ミリ×220ミリ)・淡クリーム菊判、塾頭原稿の文字、實に五十萬餘字なりき。

出版社は、京都なる「洛風書房」(代表・魚谷哲央翁)、即ち是れ也。

發行日は、平成二十三年辛卯十二月八日なり矣。

なほ此の自費出版における内容責任は、全て、編輯者たる不肖「備中處士」に在り。



***************

【 扉 】

―― 靖國神社は、軍人が軍人を祀り、軍人が奉慰顯彰する神社なり ――

我が「九段塾」塾頭・一兵士翁は、
是れ、詩吟大和流宗家第二代・金城福井忠翁にして、
映畫『凛として愛』の監督・泉水隆一翁、即ち其の人なり矣。
塾頭は、平成二十二年庚寅七月十六日、歸幽。享年七十。
謹みて此の書を、塾頭の靈前に捧げ、ご照覽を乞ひ奉る。


本書は、一兵士翁が、戰後の人々に、或は靜かに滾々と、或は荒び迸り、
或は教化しようとして、誰も聞くことのなかつた、
「靖國神社の眞實」の記録、
そして、
「靖國神社の正統を、次代者はどう受け繼ぐべきか」の覺悟を問ひ、
皇猷神算を翼贊し奉らむと欲するものであります。
ご閲覽の御方には、翁の血涙の雄叫びを、どうか、お聽き取り下さい。



【目  次】

一、年 譜 篇  九段塾塾頭・福井金城翁事歴抄 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥   一

二、本 篇 一  一兵士翁、掲示板に登壇 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥  一七

三、本 篇 二  靖國神社の正統を次代者はどう受け繼ぐべきか ‥‥‥  五七

四、遺 響 篇 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 三六九

五、參考文獻・跋 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 四○八


 就中、【四、遺響篇】の内容――本文・敬稱省略/五十音順

一、真の歴史観を伝へた「凛として愛」
   全日本愛国者団体会議最高顧問 靖國會特別顧問 国民協議会名誉顧問 阿形 充規

一、日本を失ってはならない
   女性塾幹事長 伊藤 玲子(元・鎌倉市議)

一、映画「凛として愛」を観て
   日本ネイビークラブ理事長 大橋 武郎(元・空将補)

一、保守による大衆運動を
   大東亜青年塾々生 岡本 美麗

一、日本人は今こそ「萬邦萬人 天皇歸一」の大理想を成就せよ
   神奈川縣維新協議會政策實行局長 海法 文彦

一、翁見えずとも、其の言や今猶ほ生命躍動す
   同血社會長 河原 博史

一、泉水隆一氏の遺文集に寄せて
   大行社本部青年隊長 木川 智

一、天皇の神社
   九段塾參加者 見目 和昭

一、泉水監督の作品に想を馳せ
   青年意志同盟青水塾々長 坂田 昌己

一、現代を生きる私達があの戦争の真実を伝える援軍になりたい
   ジャーナリスト 佐波 優子

一、映画「凛として愛」に思う
   ミュージシャン 實吉 幸郎(實吉安純海軍軍醫中将の令曾孫)

一、泉水隆一監督の遺稿輯發刊にあたり
   原道社代表 鈴木田 舜護

一、靖國神社を語る重さ
   靖国神社清掃奉仕有志の会代表 維新政党・新風代表 鈴木 信行

一、英霊が残したあるべき未来――「凛として愛」泉水隆一監督に捧ぐ
   株式会社カルチャージ代表取締役 東條 英利(東條英機首相の直系令曾孫)

一、英霊の為に生き 英霊の為に逝く
   時局對策協議會議長・防共新聞社主幹 福田 邦宏

一、映画「凛として愛」普及に協力したい
   大東塾 福永 武(不二歌道會代表)

一、泉水隆一監督の思い出
   愛国女性のつどい花時計代表 藤 真知子

一、「凛として愛」に思う
   大東亜青年塾東京本部青年部長 森川 俊秀

一、映画「凛として愛」を鑑賞して
   公益財団法人水交会――慰霊顕彰・援護委員会委員長 山口 宗敏(山口多聞海軍中将の令息)

一、大東亜 おほみいくさは 万世の 歴史を照らす かがみなりけり
   大東亜聖戦大碑護持会顧問 山本 邦法(山崎幸一郎日本民族覺醒の會々長の令従甥)

***************



 「九段塾」ご參加ご閲覽各位にて、『靖国神社の真実』頒布ご希望の御方は、
芳名・送付先・册數を、遠慮なく、本篇掲示板の最下段なる「管理者へメール」
にて、ご一報たまはれば、在庫がある限り、無代にて御送付申し上げます(但し郵送代は、着拂ひとさせて戴く場合もございます)。

     眞金吹く吉備中つ國なる玄月書屋に於いて、備中處士、謹みて白す。



*** 靖國神社正統尊崇奉贊準備會叢書 ***

【第一輯】――今囘の自費出版『靖国神社の真実』の元原稿――
■九段塾藏版『九段塾塾頭・一兵士翁遺文抄』
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t36/


◎ 以下は、小生の夢にして、容易に期す能はざるもの、些か開陳して、我が心を慰めむと欲するも、亦た可からずや。


【第二輯】――第一輯續篇・本「九段塾掲示板」の塾頭遺文/未版――
■九段塾藏版『九段塾塾頭・金城翁最終講義』
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t37/l50

【參考/泉水隆一監督作品・映畫『凛として愛』臺本】
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t38/l50

【第三輯】――未版――
■靖國神社宮司賀茂百樹大人遺文『明治神宮と靖國神社との御關係』覆刻
昭和九年十二月・有備會本部刊(大正九年十一月三日述「明治神宮と靖國神社との御關係」、竝びに大正十二年七月十二日述「大御心」を收む)
  ↓↓↓↓↓
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/meiji_yasukuni.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/ohomikokoro.htm

【第四輯】――未版――
■九段塾藏版『靖國神社宮司松平永芳大人遺文抄』
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t3/l50

‥‥‥‥
 

  • [97]
  • 九段塾塾頭・一兵士翁事歴抄。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月20日(水)19時05分23秒
  • 編集済
  • 返信
 
■□■九段塾塾頭・一兵士翁事歴抄■□■

昭和十六年四月十二日、稟生。福井忠、金城と號す。尊父は、詩吟大和流宗家初代・福井銀城翁。
備中處士『尊父・福井銀城翁』
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/1106

【平成十二年】

□月、英霊にこたえる会『君にめぐりあいたい』の監督・ナレーシヨン。
* ユーチユーブ動畫=肉聲
 一、https://il.youtube.com/watch?v=bWrCYiJqcpg&feature=related
 二、https://il.youtube.com/watch?v=1hhpvctVJ0I&feature=related

七月二十三日、詩吟大和流宗家第二代・金城福井忠(泉水隆一)翁、靖國神社へ、初めて靖國神社創立百三十年記念事業映畫製作の趣意書を持參。

【平成十四年】

七月十三・十四日、靖國神社、泉水隆一監督作品として、『凛として愛』を上映。
* ユーチユーブ動畫=肉聲
 一、http://www.youtube.com/watch?v=Hpz5rFqI7jA
 二、http://www.youtube.com/watch?v=shv750vHcIU&feature=related
 三、http://www.youtube.com/watch?v=vQOQm52iAnk&feature=related
 四、http://www.youtube.com/watch?v=MjhR4NvXiEs&feature=related
 五、http://www.youtube.com/watch?v=kTP3t4cdL3Q&feature=related
 六、http://www.youtube.com/watch?v=mWMcs7Cv9f4&feature=related
 七、http://www.youtube.com/watch?v=Cx5Wyl8C8YI&feature=related
* 高畫質DVD『凛として愛』=「愛国女性のつどい花時計・『凛として愛』拡散プロジェクト」にて頒布。
 問合先=http://www.hanadokei2010.com/rintositeai/index.php

七月十五日、靖國神社首腦部、『凛として愛』をして中止せしむ。

九月十八日、泉水隆一翁、『靖國神社製作「凛として愛」撮影ご協力頂いた皆様方へ』
http://ameblo.jp/rintositeai/entry-10680084559.html
九段塾版=http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/1075

【平成十八年】

八月十六日、日本文化チヤンネル櫻の掲示板に、「一兵士」と名乘り出顯。
* ①②とも、九段塾『塾頭遺文』版=http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t36/l50
* ①櫻版=「愛国主義者」樣スレツド『保守派よ!総理大臣の靖国神社参拝を支援せよ!』十六頁~三十五頁。
http://nf.ch-sakura.jp/modules/newbb/viewtopic.php?topic_id=761&forum=1&viewmode=flat&order=ASC&start=150

九月四日、一兵士翁、スレツド『靖國神社の正統を次代者はどう受け繼ぐべきか』を建立。
* ②櫻版=「一兵士」樣スレツド『靖国神社の正統を次代者はどう受け継ぐべきか』一頁~一百三十八頁。
http://nf.ch-sakura.jp/modules/newbb/viewtopic.php?topic_id=1164&forum=1&start=0

【平成十九年】

十一月十七日、一兵士翁、『勤皇の志を持て』を以て、チヤンネル櫻掲示板から退隱。

【平成二十年】

九月十三日、一兵士翁、塾頭として『九段塾/靖國神社の正統護持のために』開講。
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/3
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/27

【平成二十一年】

九月十一日・十二日、塾頭『むすびに至る日々』他――九段塾最後の玉稿。
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/572
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/573
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/577
九月十九日、塾頭、九月十六日、胸部急性心筋梗塞にて倒る。
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/587
十月一日、塾頭『九月二十九日の訓話』――頚椎損傷にて倒る。
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/603
十月七日、塾頭『左手人差指一本の玉翰』
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/608
十月十八日、塾頭『左手人差指爪の玉翰』
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/629
十月二十五日、塾頭『短信』
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/635
十一月三日、塾頭『新天地』
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/640
十一月十八日、塾頭『七難八苦』
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/654
十二月二日、塾頭『日本人とは誰のことを言うか』――承詔必謹
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/668
‥‥十二月七日、「静」樣、九段塾に『凛として愛』上映會の告知。
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/673
十二月二十一日、塾頭『尊王勤皇の風を吹かせよ
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/689

☆十二月二十七日、日本女性の会「そよ風」主催し、九段會館にて、『凛として愛』を上映。滿天下に戰を挑みたり。
* ニコニコ動畫=肉聲http://www.nicovideo.jp/watch/sm9239223
* 文章=http://ameblo.jp/sakurara-f/entry-10593755283.html
九段塾版=http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/1076

【平成二十二年】

☆一月六日、泉水隆一翁『一億国民に崩壊の危機』
http://ameblo.jp/rintositeai/entry-10680081580.html

一月十一日、塾頭『最後の斷章』――病名・間質性肺炎。
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/710
六月十四日、塾頭『三月六日の打聞・首一丁』――最後の言靈。
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/896

七月十六日○時三分、歸幽。享年七十(満六十九歳)。法謚・忠賢凛徳。
* ご遺族=http://pearl.x0.com/pg_blog/diary.cgi?no=142

七月二十三日、杉竝區コムウエルホール高圓寺に於いて告別式。喪主は、室・光子刀自。
* 遺影・肖像=http://hanausagi.iza.ne.jp/blog/entry/1714862/


私記。平成二十三年二月五日、備中處士、塾頭の身罷りしを覺れり。
備中處士『招魂――泉水隆一監督/一二三』
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/1075
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/1076
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/1077
備中處士『有り難き御便り拜戴』
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/1079
備中處士『嗚呼、哀しいかな哉』――塾頭・一兵士翁=福井金城宗家・泉水隆一監督なるを斷定す。
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/1088
備中處士『泉水隆一翁「凛として愛」』
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/1092
備中處士『皇猷翼贊』
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/1095
備中處士『援軍、何れの時か來る』
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/1097
備中處士『靖國の杜からの言靈‥‥』
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t19/163
備中處士『塾頭は、皇國の從軍兵士なり矣』
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t19/165
備中處士『平泉澄先生『少年日本史』一卷』
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t19/166
 

  • [96]
  • 餘燼二。靖國神社「正統護持」奉贊企劃。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月16日(土)00時10分38秒
  • 編集済
  • 返信
 
ご閲覽各位 硯北

 謹みて、皆樣に、九段塾管理者・備中處士から、あつかましき御願ひがございます。

 只今、二箇月を要して、『「九段塾」塾頭・一兵士翁遺文抄』を拜書し畢へました。

 皆樣の御知り合ひに、出版を請負つて下さる出版社をご存知の御方がいらつしゃいませんでせうか。塾頭は、「靖國神社正統護持」の爲めに、其の志操を天下に恢弘したき念願を御持ちでありました。然し其の玉稿は大部にして、やはりプロの妙手が必要かと存じます。

 今の世、我が塾頭の御志が通ずる時代とは思ひませぬが、此の時代に風穴を開けるには、塾頭の文靈を、天下の有志の手に御渡しせねばりませぬので、熟慮の末、推參にも各位へ御願ひ申し上げる次第であります。出來得れば安價に仕立て、書店にも竝べるやうに流通いたしたく、義侠心ある出版社を求めてをります。是非とも、御連絡を乞ひまつるものであります。念願が叶ふやうでしたら、塾頭の遺族へ、出版容認の御願ひに參らうかと存じます。

 無論、收益なぞは考へられませんので、持出しは覺悟してをり、小生が能ふ限り被ります。なほ此のスレツドに於いては、不肖「備中處士」の發言も載せましたが、本格的出版にあたつては、固より「塾頭遺文」のみに限るものとします。然しながら餘りに大部となれば、其の「精粹」となるかも知れませんので、豫め御含みおきの上、何卒、宜しく御願ひ申し上げます。

 平成二十三年四月十六日
  我が九段塾塾頭・一兵士翁、逝いて凡そ十月
  眞金吹く吉備の中つ國・黍房書屋にて、備中處士 謹白
 

  • [95]
  • 餘燼一。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月16日(土)00時08分47秒
  • 編集済
  • 返信
 
■平成十九年十二月三日

――備中處士――承詔必謹、再び。
 「天下を以て己が任と爲し、死を盡して以て天子に事へまつり、貴賤尊卑を以て、之れが隔限を爲さ」ゞるは、洵に結構ですが、必無の論は、控へられるが宜しい。

●本居宣長大人『古事記傳』卷四十三
●吉田松陰先生『齋藤生が文「天下、一人天下に非ざるの説」を評す』(丙辰幽室文稿卷三)
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t1/14


■平成十九年十二月八日

――備中處士――皇室中心主義、即ち尊皇攘夷。
 本日は、宣戰大詔の渙發あらせられて、こゝに六十七年であります。「日本は、天皇あつて、初めて國民あり國家がある。私の皇室中心主義は、あらゆる荊棘の道を辿つて、ヘトヘトになつて、漸く行き着い」た所の、蘇峰徳富猪一郎菅原正敬翁の皇室中心主義の唱道を、靜かに囘想し、詔書を奉唱、決意も新たに、我々の志操を彌益に昂めたく存じます。

●徳富蘇峰翁謹解『宣戰の大詔』(昭和十七年三月・東京日日新聞社竝大阪毎日新聞社刊)に曰く、「
【忠良なる皇民を作れ】
 我が國民は、案外、記憶力が缺乏してゐるかの如くである。試みに遠き昔と云はず、大正の中期より、昭和の初期の日本を囘想して見たならば、如何である乎(か)。我が人心は、全くとは云はぬが、既に半ば頽廢して、英國や米國の極めて下劣醜惡なる個人主義に感染(かぶ)れ、甚だしきは享樂淫蕩の佛國にまで落下し、進んで社會主義となり、共産主義に墮落した者さへあつたではない乎。
 それより近き事は、昭和十六年十二月八日以前の、我が社會の現状を囘想して見るがよい。今日では、誰も口を拭つて、「百年も前から、英米討つ可しの論を、乃公は唱へた」といふ樣な顔をしてゐるが、昨年十二月八日以前には、如何なる事を爲しつゝあつた乎。
 我等は、決して既往を咎める者ではない。然も油斷は大敵である。東條首相は、兵の強弱には、第一が人、第二に錬成、第三が物に在ると云つた。これには、何人も異存はあるまい。然も其の所謂る錬成は、如何なる程度まで出來てゐた乎。それを思へば、我等は、殆んど身の毛が立つ心地がする。
 畢竟、大稜威の下に、我等の祖先の餘光が、我等の心を蘇へらせ、今日の如き世界稀有の大勝を、眼前に活現せしむるに至つたものであつて、我等は、皇恩祖澤に向つて感謝せざるを得ない。
 然もヴエルサイユ會議や華府會議やロンドン會議の流儀を謳歌し、其の調子で日本を風靡したる往時を考へれば、實に油斷はならぬと思ふ。故に我等は、何よりも先づ人を作らねばならぬ。其の人とは、即ち空漠たる世界人では無く、純乎たる日本人である。忠良なる皇民である。而して皇民の皇民たる所以は、先づ日本魂[一切を、我が君國の爲に奉仕するといふ精神、即ち生きるも死するも、唯だ君國の爲といふ覺悟]を作らねばならぬ<ものと思ふ。此の如くにして、皇室中心主義を以て、日本國を照らし、日本國を以て、大東亞を照らし、日本が大東亞の光となり、延いて世界の光となる事が、我等の理想である。
 而して此の理想を實現することが、我等の先輩が尊皇攘夷を唱へた、其の志に酬ゆる所以であると思ふ。皇室中心主義を分析すれば、即ち尊皇攘夷である。尊皇は、言葉通り、固より説明を要しない。攘夷と云つても、誰でも彼でも排斥するといふでは無い。我が皇威を冒涜し、東亞を蹂躙せんとする者を排斥するといふ意味である。要するに、尊皇は體であり、攘夷は用である。尊皇も、攘夷に依つて、初めて其の用を全ふする事が出來る。而してそれが軈(やが)て、八紘爲宇となることは、我等の斷じて疑ひを容れぬところである。
 昭和十七年一月二十七日、於民友社楼上、蘇峰八十叟」と。


■平成十九年十二月二十三日

――備中處士――明神御宇日本天皇(公式令)。
●『日本書紀』に曰く、「
 伊弉諾尊・伊弉冉尊、共に議りて曰く、『吾れ已に大八洲國、及た山川草木を生めり。何にぞ天の下の主(きみ)たるべき者を生まざらむや』と。是に共に日神を生みます。大日□[靈の巫なしに女]貴と號す。此の子、光華明彩、六合の内に照り徹らせり。故れ二神、喜びて曰く、『吾が息(みこ)、多(さは)なりと雖も、未だ若此(かく)靈異なる兒は有(ま)さず。久しく此の國に留めまつるべからず。自ら當に早く天に送りまつるべし』とのりたまひて、天上の事を授けまつりき。是の時、天地相去ること、未だ遠からず。故れ天の柱を以て、天上に擧げまつりたまひき」と。
●齋部廣成大人『古語拾遺』に曰く、「
 天照大神は、惟れ祖、惟れ宗にましまして、尊きこと、二(ならび)無く、自餘(ほか)の諸神は、乃ち子、乃ち臣にましまして、孰か能く敢抗(えたぐ)へず」と。
●北畠准后親房公『神皇正統記』に曰く、「
 地神第一代、大日□[靈の巫なしに女]尊‥‥。吾勝尊、降り給ふべかりし時、天照大神、三種の神器を傳へ給ふ。後に又た瓊々杵尊にも授けましゝゝに、饒速日尊は、是をえ給はず。然れば日嗣の神にはましまさぬなるべし。天照大神・吾勝尊は、天上に留り給へど、地神の第一・二に數へ奉る。其の始め、天下の主たるべしとて生れ給し故にや」と。

 愚案、我が大君は、固より天津神にあらせられ、天(天上)照らし坐します、皇大御神の日嗣、正に直統本宗に大坐しませり。我が當今の皇御孫尊、神勅のまにゝゝ、天降りたまひて、國(地上)照らし坐しますこと、こゝに十九年、寶算七十餘五と仄聞し奉る。天上・天下、幽界・顯界の諸神・諸人・山川草木もろ共に、國旗を沖天高く掲げて、天長の賀節、いざ、謹みて壽ぎ祝ひ奉らむ。千秋萬々歳。
修理固成、光華明彩、
天業恢弘、天下光宅、
天皇、彌榮、々々、々々。

●東京帝國大學文科大學教授・荻齋黒川眞頼博士『天長節』
今日のよき日は、
大君の、
うまれたまひし、よき日なり。
今日のよきひは、みひかりの、
さし出(で)たまひし、よき日なり。

ひかりあまねき、
君が代を、
いはへ、もろ人、もろともに。
めぐみあまねき、
君が代を、
いはへ、もろ人、もろともに。
●保田與重郎翁『(「神道理論のプロレゴメナ」)序文』(湊川神社第十四代宮司吉田智朗翁の著作に所收・昭和四十九年八月・湊川神社社務所刊)に曰く、「
 わが國風の神ながらの考へ方では、人を神として祭ることに、何の不自然さも感じない。この人と神についての思想は、現今では、多少政治的な問題に關聯するところをもつてゐるが、近代の政治や軍政は、下卑の欲望者の、思考と行動の所作である。
 神ながらの生産の生活によつて、天上の風儀のまゝを、地上に移し行ひ、國土を高天原にの姿となすといふことが、わが神國の契であつた。天孫降臨の因源の、こゝにあることは、神話の眼目として述べられるところである。これは太古の遠御祖神の豫言でなく、まして宗教的豫言者の啓示でもない。このちかひの實體は、民族発生と同時的な、神々の事よさしであつた」と。


■平成十九年十二月二十五日

――備中處士――日本文化チヤンネル櫻掲示板に於ける、最後の投稿。
一兵士樣の退去を喜ばれてゐる皆樣へ。
 歸去來兮(かへりなむ、いざ)。田園、將に蕪(あ)れなむとす。胡(なん)ぞ、歸らざる。
 幾ら申しても、何を申しても、やはり此の板に集ふ、一部の戰後派の方々には敵ひません。皆樣が言論の基礎軸足は、他(私見ないし私團體の方針)に在つて、其の本幹たる靖國神社に在るとは、到底、思へませんでした。蓋し皆樣と小生とは、棲む世界が餘りにも違ひ過ぎ、會話が成立しないやうであります。飜つて靜かに思想の根柢を養ふことをせず、行動とか運動とか、近年唯物論者の所謂る理論と實行なぞと云ふ人格分裂の徒の論ひに似て、敬神の根柢、國本の研鑽涵養を蔑ろにする、恣意輕浮の論調には、本道に悲しく、殘念な極みでありました。
 又た斯くまで、御老體の心中を圖れぬとは‥‥。純粹無雜なる翁のこゝろ、病ひ重き身を以て言を遺さむと欲する、一兵士樣の志操を想へば、泪は盡きませぬ。掲示板のスレツド、數多ある中、其の一隅の立言さへ許さぬとは。況や長者古老に對して、執拗に罵詈雜言を專らとするに於いてをや。小生は翁の教示を戴きたかつた、更に學びたかつた。拜聽注釋を主とする事に專念してをり、もつと義を質したかつた。何より、靖國神社の堂奧に迫りたかつた。然し‥‥、此の掲示板では、もう、叶はぬ夢なのでせう。洵に無念です。
 小生も長居に過ぎ、退去轉進、已むを得ざるに至りました。こゝろ無き者から、「能天氣な同調者」と斷罪輕侮された事は、其の御方の識見なれば、諦觀するしかありますまい。削除・追放寸前の我が身なれば、もう、管理室の御手を煩はすことも無いでありませう。今ま面壁に想ひを凝らし、陋巷に筆を執るに、言はむと欲して言ふ能はざるものゝ、頗る多い事を。皆樣も御達者で。さやうなら。

×××××

○○樣
○○○○樣
○○○樣
○○○○○○○○○○樣
○○○○樣
○○樣
○○○○樣
○○○○樣
○○樣
○○樣
‥‥‥‥

 更めて本道に難有うございました。感慨、盡くる能はず、又た其の恩誼叱咤は、終生、忘るゝこと無いでありませう。彌益のご健勇ご精勵を懇祷して已みません。
 虎童村尾次郎博士『眞砂路・虎童子遍歴記録』序文に、「先師平泉澄先生は、『險難の一路を進め』と教へられました。また先考の庭訓には、『進路の選擇に迷ふときは、一身の利害を以て決せず、人の囘避する方角を選べ』とありました。人生の指針としては、極めて嚴しいことでありますが、幸ひ私には、師父の教訓を受けて立つ血氣があり、‥‥曲學阿世・怯懦變節の譏りは免れて今日あるを、悦びと致してをります」と。小生の、今の心境です。天壤無窮の神勅、常しなへに嚴然たり矣。皇國護持の御爲め、先哲古賢を仰ぎつゝ、今後とも志操の高みに向つて、辛苦して參る所存です。
 顧みるに小生は、一兵士翁の高話嚴訓を拜聽するを、何より樂しみと爲す、こゝ一年有餘でありました。翁の坐すとあらば、耻を忍んで、一度びは踏み止まりましたが、遂に此處では駄目でしたね。一期一會と申します。他スレツドに於て、洪恩友益ある御方にも缺禮の仕儀と相なりますが、此の投稿を以て、訣別の辭とさせて戴くことを、何卒、お赦し賜はらむことを。盡きざる想出は、深く懷中に藏ひ度く存じます。長い間、洵に難有うございました。百拜敬拍手

○一兵士 翁に承けし 御諭しは あだにぞするな 忘られなくに

 平成十七年四月十五日投稿以來、茲に二年九箇月、
 平成十九年歳次丁亥十二月二十五日、筆を擱き畢ぬ矣。


**********

【‥‥備中處士の退去は、一兵士翁の許容に因れり。而して九箇月後の、掲示板『九段塾/靖國神社の正統護持のために』へと續いて行く。‥‥】
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 塾頭ご遺言は、「承詔必謹」、「尊王勤皇の風を吹かせよ」でありました‥‥。

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  • [94]
  • 九十三。勤皇の志を持て。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月16日(土)00時03分22秒
  • 返信
 
■平成十九年十一月十二日

南朝の古木になりなさい。
 ウーム。さすがは○○○○○○だな。学識は半端じゃないよ。到底、一兵士などでは追いつけない分野に精通している。それに対し、疎通の洋々と出来る備中處士さんも、さすがだ。本当に、この人の知識蔵は、無尽蔵だ。二人の話を聞いているだけで、清涼の風が吹いてくる。それと‥‥、やっと、○○○○さんが現われた。昨夜、読んだ時には、「一兵士の健康と御長寿を、祭神にお願いして参りました」と、一兵士を呼び捨てにして書いてあったので、「さすがだ!」とも思い、もしかしたら「抜け落ちたかな?」 さて、どちらだろう‥‥と、考えていたら、今朝は、「様」が朱字で加筆されていた。はははははは。○○○○さんは、人が善い。まさに、無垢なる異邦の人。三千年、五千年前――、もっとそれ以前から、連綿と続いている民族の血を濃く引く方だ、ということがよくわかる。こういう人の血が絶える事無く、この国に続いて欲しいと思った。

 今朝は、気持ちのいい朝だ。「○○○○」という‥‥、確か、初めての人が見えた。面白い名前だ。平氏の風を感じるし、勿来の関に吹く風も感じる。どのような志操を今後、備えていくのかは知らないが、名前に負けないよう、より多くの史書を読まれるといいと思った。○○○○○○さんや備中さんとは違う世界がよろしいか、と。日本の古典を読了されると、精神に桜古木の筋が通る。今は、少し、柔らかく察せられる。名前の発想は、心の奥底の聲だ。丹田の奥にある祖先の血が、聲として響いてくる。南朝の桜になるか、志賀の都に散る桜になるか、そこが分かれ目かな。出来れば、南朝の古木、延元陵下の花影として、栄咲く花になってくれればと願う。

 朝から勝手なゴタクを並べたが、あなたの名前に魅かれて、つい、余計な話をした。相すまぬ。さて‥‥、南京の真実の話だが‥‥。この映画製作に賛同し、公式に表明している保守陣営の多くの人がいる。チャンネル桜の表頁にも、ズラリと書かれている。様々な団体の長も、その中にいる。彼らが今回の映画製作の推移、題名の決定などに対し、事前にどの程度の説明を受けていたのか、受けていないのか‥‥。そして、題名を了承したのか、しなかったのか――。そこら辺りの事情を、少々、聞いてみたい気がする。この映画の賛同者は、錚々たる有識者だ。この人たちが、賛同したことで、一般の人たちの中には、映画製作資金の寄付をした人もいる。かなり多い筈である。信用と信頼があった。つまり、広告塔――、とまでは言わないが、その役割を果たしている。‥‥ということは‥‥、名前を出した賛同有識者にも、この責任の一端はあると、一兵士は思っている。

 ○○○○○○さん、あなたの心配や配慮はよくわかっとります。ただ、少しお灸を据える程度ではいかんだろうと思っているので。備中さんが、話をしたがっている。どうぞ、遠慮なく、一兵士のところでおやりください。こちらも眉を寄せながら、俄か勉強させて戴いている。頭を冷やすのには、恰好のものです。頭の中を一掃しないと、読みきれん。それでは。失敬。

――備中處士――然り、洵に然り‥‥、只管ら感謝。
 「今、現在の一兵士樣は、靖國神社の祭神の『神の生かす力』によつて活かされてゐるのだ」と。それ故に、小生も、此の掲示板を離れる事が能はぬのであります。一兵士翁の悲願、我々の熱祷、冀はくば、靖國之大神、ご照覽たまはらむことを。


■平成十九年十一月十六日

――備中處士――己が向き々ゝ在らしめ給はず、能く神習はしめ給へ。
 靖國神社の廣前に於いて、一兵士翁血涙の諫言を受けても、猶ほ且つ參道を「闊歩」せむと唱へ、或は鳥居前にてビラを配つて憚らず、亦た松平永芳大人「宮司通達」以前は、得て知らず、更には其の祭神に對し奉り、所謂「○級戰○」或は「死刑○」と名づくる言辭を弄んで耻ぢざるは、抑も如何なる心底に在るのか。或る者は理解協讚せよと訴へるが、云ふはうが難題無理と申すものである。大御寶と性根を固むる人ならば、先づ私見を去り、拘りを捨て、先哲先賢の教へを仰ぎ、老いも若きも、力を合せ心を一にして、遠きも近きも、神を敬ひ國を愛しみ、異端を攻め邪に立ち向かはねばならぬ秋にこそ、あらめ。然るに其の根柢が、既に動搖する爲體では、やはり時は未だ至らず、百年後、二百年後を待つて、而して動かねばならぬのであらう。國體の明徴・國語の復興・反省懺悔の沈潛、これ無き所、假令ひ何を爲さうが、屋上、屋を架するものにして、神明の冥罰を蒙るのみ。此の小生自身も、斯く申し上げるが故に、亦た神明の冥罰を蒙ること必定なるは、固より覺悟の上である。


■平成十九年十一月十七日

勤皇の志を持て。
 ビラ配りの支援スレッドで、一兵士宛の伝言があると仲間に教えられたので、何日か前に読んでみた。例の「一兵士」に会いたいといっていた、○○氏だ。哀れだ‥‥と、読んだ後の感想。口に出せない「死刑囚」という題名。それを書いたビラを配らなければならない運命。それでも、なんとか正当性を認めようと、躍起になる。為に、頭が混乱する。国体を護らずして、敵国裁判の舞台にわざわざ乗って、「死刑囚」が何故悪いかと、反論を述べている。死刑囚などと、左翼も連合国も呼んでいない。「戦争犯罪人」だ。だから「戦犯」という。頭が混乱すると、こんな簡単なことまで亡失する。水島さんは、この簡単な話を踏み外している。「戦争犯罪人」という烙印を押されたことを反論するならまだしも、「死刑囚」とは、初めての呼称だ。通俗的でさえある。主張もない言葉だ。ただ、悪い奴だから死刑にする――。○○○○○○さんが書いていたが、母堂がもらしたという、「あの人たちは悪いことをしたから」という話が、「真実味」を帯びてくる。これはしまった。つい、○○○○○○さんの母堂の話を引用してしまった。決して母堂を非難しているのではない。○○○○○○さんが、ウじゃらウじゃら書いた長文は、名文でもある。これが、多分、おそらく、一般大衆の「真実」であったかも知れない。ただ、それは一般大衆の中での「真実」、正統論のなかでの「真実」とは違う。彼の話は、少し場所が違うので、引用すべきでなかったが、つい、母堂の言葉を引用した。決して悪気はない。悪く思わんでくれ。

 話を元に戻す。誰も呼んだことのない、身勝手に擦り付けた、新たなイメージ。七人の昭和殉難者は、死刑囚だった!――、この主張に、どんな意味があるのか、ワカラン。出来損ないの頭でないと、発想しない「題名」だ。正統保守には理解できない。この錯乱した頭。支援者も代表者も、同じ坩堝に嵌っている。これでは、チャンネル桜が表明している、草莽崛起も、へったくれもない。掲示板ドアタマに書かれている言葉がある。「日本の伝統文化の復興と保持を目指し、日本人本来の『心』を取り戻すべく‥‥」、なんたらうんたら書いてあるが、風に吹かれたビラ同然、誰も、もう読む人が、チャンネル桜にはいなくなったようだ。国体護持派が消えた――ということを意味する。いまは、「死刑囚」がいい題名だ、なんていう連中しか残っていない。靖國神社の尊厳、国体護持を護らにゃならん瀬戸際だというのに、日本中の名のある保守が運動しなきゃならん時に、肝心要のチャンネル桜が、「昭和殉難者」を死刑囚と呼んで映画を作ります。その題名の苦渋の選択をわかってくれ? 「ワケガあるんだ」と、弁解している。バカの骨頂としかいいようがない。要は能力が薄いというだけの話。下卑た、おなじみの賛成者もいる。可哀想に。みな、同じ仲間になってしまった。草莽崛起だの、草莽の士だの、覚えたての言葉を連発している連中の中には、誰一人「国体護持派」がいないというのも、哀れだ。チャンネル桜では、最早、日本の伝統、正統運動は無理だと感じた。意識の低さは、サヨクも唖然ではないか。死に物狂いで、国体を護持しようとする者がおらん。この一兵士のスレッドでは、草莽崛起だとか、草莽の士がどうだとか、正面きって話す者はいないが、みな、並々ならぬ勤皇の至誠を感じる。伝統を重んじ、正統の何たるかに迫ろうとしている。その証拠は、何よりも、人を凌駕する理論を有していることだ。感銘させる言葉が多い。熱誠が根にあるからだ。此処に集まる人のほうが、チャンネル桜の大道を行くものではないか。

 誰かが「死刑囚」よりも、「昭和殉難者」という題名がいいのか?と、吐き捨てていたが、おお、そういうことなら、こんな素晴らしい題名はないではないか。南京の真実とは、まったく関係ないが、東京裁判を舞台に、昭和殉難者を主役にして、日本の戦争の正義を打ち出し、しかも身に覚えのない罪であることを、世界中に発信する映画を、この一兵士が書いてあげようか。集まった資金が、今、どの程度残っているのか知らんが、この一兵士が、「昭和殉難者」の至誠、熱祷を描く映画を作ってあげようではないか。題名は、
「一死をもって大命に殉ずる――昭和殉難者必死の戦い――」
国内向け映画としては、全国津々浦々に、世界の果てケープタウン、喜望峰を廻って、西洋・東洋のハシハシまで、靖國神社祭神昭和殉難者の呼称を広めさせ、いかに、身に覚えのない罪で刑死したか、日本の戦争が、西夷をアジアから駆逐するための征討軍であったことを、改めて描いてやる。伊達や酔狂で、一億総特攻を口にしたのではない! 「負けるわけにはいかない戦争だから、アジアを代表する帝国であり、皇軍だから」、国民を鼓舞し、戦意を奮い立たせ、殉国の志操をあきらかにして戦ったのだ。日本の戦争は、「不義を討つ。西夷を懲らしめる戦いであった」ことを、堂々、誰に恥じることもなく描いてやる。どうだね、一兵士に「南京の真実」で集めた支援金残額をすべて寄越せば、世界中が唸る大作を作ってあげる。サヨクが、共産党が、敵意をむき出して見に来る。そういう映画だ。

 ○○○○さんが、偉いことを書いていた。「東京裁判を、戦勝国による復讐劇などと言う馬鹿どもには、一言、ふざけるな、と言いたい」。たいしたものである。こういう人が草莽崛起の士だよ。復讐されるようなことを、日本はしたのかね? ええ? していないでしょうが? だから、戦争国による復讐劇だなんて、裁判の正当性を支持するが如き言葉を吐くな!と、○○○○氏は叫んでいる。七人の昭和殉難者を死刑囚と、初めて呼びつけた第一部が、南京の真実に迫る作品には為りえない! 何度でも言う。そういう視点で東京裁判を使おうということ自体が、南京問題の真実を把握していない証拠だ。単なる俗論に乗っかる話でしかない。‥‥大体、製作委員会は――、東京裁判で発生した南京問題。七人の刑死者を、果たして「死刑囚」と呼べるだけの理由はあったのか――、東京裁判は正しかったのか‥‥などと、宣伝文を書いていない。あるのは、刑死二十四時間の七人の動静みたいなものを描くと、宣伝している。いわゆる、当初、予定していた「南京の真実」は、第二部・第三部で描きますから、引き続き支援金をお願いします、と書いてある。アッタマ冷やして、よく読んで御覧。東京裁判がどうだとか、南京の真実がどうだとかではなく、刑死前の二十四時間を描いた映画ですよ‥‥と、水島さんは言っている。それだけの映画だから、一兵士は「死刑囚」という呼称の題名はよせ、と言っている。苦渋ではなく、単なる思い付きの題名でしかない。だから、いろいろ理屈を考えなければならないストレスも招いている。歯車が廻っていない。

 ‥‥これだけ書いても、反論がないのは‥‥、まだ、映画が完成していないのではないか? 誰も、支援者は、ストーリーを知らないからではないか? 中味を知っていれば、一兵士は「中味も知らんで、勝手なことを吹聴するな! これは南京の真実に迫る話だ!」と、関係者が怒ってきてもいいはずだ。それがいないのは、一兵士の話が当っているからではないのか? 一兵士は、何も知らん。ただ、正直に製作委員会が書いた「映画の内容」らしき言葉を読んで、推測して書いている。もう一度、死刑囚賛成派は、よく委員会の言葉を読みなさい。何処に「南京の真実の原点に迫る――」などと、書いてあるかね。二十四時間の七人を描くと、はっきり書いてある。皆様お約束の南京の真実は、「第二部・第三部」とも書いてある。日本語も読めんのか、バカモノどもは。と、まあ、このぐらいで、今日はやめておく。

 ○○○○さんの「神の宮で縄を振るう者」の話もしたいが、疲れた。一兵士が、靖國の大神のおかげで命を助けられれているのは、当然の話。
≪今現在の一兵士様は、靖国神社の祭神の「神の生かす力」によって活かされているのだという感慨です。
「我が生くるは、我が力ならず、
天地を貫きて生きる、祖神(みおや)のいのち。
我が業(わざ)は、我が為すに非ず、
天地を貫きて生きる、祖神(みおや)のちから。」≫
と、書いてくれた。嬉しいねえ。わかっているねえ。

 ○○○○さんは、なにか知らぬが、独特の知性を備えている――、会って話をしたいという仲間もいる。≪私は今現在、自分自身の忠孝を、命懸けで断行貫徹しなければならないのです≫。○○○○さんは、こうも書いている。どんな厳修を課そうとしているのかは知らないが、あなたが数日前に靖國神社に参拝したという投稿を読んで、一度、会って話をしてみたいと思う、若い神職が何人かいる。普通人とは違う、知性を感じるのだろう。あなたの大論が、いつか聞くこともできよう。楽しみにしています。

 ‥‥ということで、完成試写には、まだ時間がたっぷりある。題名は変えなさい。祭神の尊厳を護持しなさい。それが正統保守の道だ。俗論に振り回されないこと。踏み間違えないように。水島監督、まだ考える余地はある。信じて歩いてきた道の先が無くなっていることに気づいて、茫然としているのかも知れない。しかし、それなら引き返せばいい。迷い道に入らぬことだ。戻りなさい。戻って、もう一度、考え直す。改めて出直す。勇気がいるが、それを超えてこそ、草莽崛起だ。草に寝て、石を枕に。最悪な道を‥‥、あなたは、いま選んでいる。靖國神社、深夜、お参りしなさい。誰も連れず一人で来なさい。セットの清祓いなど考えず、靖國神社祭神に全身を預けて、身を低くして伺候しなさい。声が、その内聞こえてくる。その声に従いなさい。過ちは誰にでもある。間違いは、問題ではない。すぐにそれを正すことが大切だ。あなたは、まだ若い。やり直すことも出来る。無理に槍を握る必要はない。謝ることも必要です。保守の道は茨だ。茨だらけだ。じっくり、思考して、それから、改めて構想を練ればいい。素直になることを祈る。正しければ、一兵士は応援する。


**********

【‥‥上件が、結果的には、日本文化チヤンネル櫻掲示板に於ける、一兵士樣の最後の言擧げとなりました。嗚呼‥‥。言語に絶する、櫻掲示板運營管理室からの、或は水島総からの面罵に遭つて、人は、日本文化チヤンネル櫻の正體を知つた。而して爾後、一兵士樣は、「九段塾の塾頭」として、我々の前に出現することとなる。‥‥】
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  • [93]
  • 九十二。最後の諫言。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月15日(金)19時06分25秒
  • 返信
 
最後の諫言。
 ‥‥読み返してみたら、長すぎた。それで、投稿をやめようと思ったが、修整するのも面倒だ。大事な話も書いてあるので、投稿することにした。読みたい人は、読んでください。○○○○○○さんが、今回は執拗に絡んできている。どうも、彼には、事の重大性がわかっていないようだ。また、水島監督周辺の人間も、理解していないようだ。アイリス・チャンの墓に花束を捧げ、黙祷をした水島さんを、右翼とも保守とも思わん。単なる普通人でしかないだろう。まあ、もうそのことはいい。

 靖國神社に祀られる昭和殉難者を、「死刑囚」と呼びつけた映画が完成した、ということが歴史だ。いま、○○という投稿者の紹介する箇所をクリックして現われた文字を見て、「悪魔!」と、刹那に感じた。サヨクである。この映画を製作した者はサヨクと、瞬時に判断した。自分の長年、右翼陣営に身を置いてきた判断である。間違いはないだろう。○○○○○○さんがいろいろ書いているが、あまり事の中心とは関係のない話だ。確かに一般者には――、この昭和殉難者を死刑囚と呼んだことは、たいした問題ではないのかも知れない。神事に尊厳を抱かず、天皇を何(なに)とも思わぬ人々には、「昭和殉難者」では客は来ないが、「死刑囚」なら来る――、という話が成立するのかも知れない。一兵士の諫言は、映画題名に「昭和殉難者」を冠せよなどという、唐変木な話でもない。原理主義という言葉が、どういう意味だが知らんが、そんなハイカラなものの話でもない。正統を守る話だ。靖國神社の尊厳、祭神への尊厳、松平宮司の心想い、昭和天皇の大御心、そういう話をしている。水島氏がサヨクに転向したというなら、これは仕方がない。文句をつけても意味がない。しかし彼は、いまだ自分は保守陣営に座っていると思っているのだろうが、それは終わった。そう判断した。昭和天皇が了承された、靖國神社に祀られる「昭和殉難者」の呼称に墨を塗るような「死刑囚」という題名は、「よしなさい」と言っているのだ。それだけのことだ。製作の嫌がらせだとかではない。中味に文句を付けているのではない。従って‥‥今回も、○○○○○○さんは関係ない話だ。一般の話ではないのだ。内々の話だ。いい悪いではなく、「言ってはいけない言葉」を言うな!というだけの話だ。それを水島監督が理解するかどうかだけが、今、問題となっている。映画があたる、あたらないも、関係ない。そういうレベルでもない。映画の内容なども、どうあれ、関係ない。もっとも、肝心の映画内容――、つまりストーリー、おそらく題名からして「南京の真実」などという話とは、全く関係ないストーリーであることは推測できる。「七人の真実」ではなく、『七人の「死刑囚」』だ。七人の昭和殉難者と南京問題は、まったく関係がない。が、映画の中味については、あとで触れる。要は、題名に括弧が付いていようが、付いていまいが、七人が死刑囚だという題名である。

 この掲示板では、多くの人が水島氏の映画製作を応援している。それは当然であろう。そしてこの「死刑囚」という題名について、○○○○○○さんが水島氏を弁護する解説をしているが、それを聞いて、「そうだそうだ」と納得し、ホッとするのも結構だ。但し、それが限界――、というだけのこと。それだけの志操しか持ち合わせていない、保守というか、ファンだったという証明がなされただけのこと。早い話、水島監督も、支援者も、保守というより、保守に憧れている人々という実態が曝け出された‥‥、ということだろうと、一兵士は考える。それも別段、どうでもいいこと。一兵士の話は、簡単だ。題名が「保守として」付けるべき題名でない――、という、この一事だけである。わからなければわからないで、仕方がない。しかしこの題名で、どれだけの人間が映画を見に行くか――、答えは出ている。おそらくさっぱりだろう。題名に感動がない。嫌悪感のみである。このような題名に感動する保守・右翼が、いるものだろうか? まずまっとうな右翼は、見に行かない。戦前生まれの高齢者も同様。殊に多額の寄付をしている女性陣は、「なあに、この水島という男! サヨクじゃないの?」と言い出すのは、目に見えている。現にそういう人が、一兵士のところへ電話をしてきている。靖國神社の神職でも、そろそろ題名を知りだして、ええ??という声が、聞こえ始めている。昨日今日、右翼陣営に身を列している一兵士ではない。

 では、少し、別の話をしよう。よくわかっていないようなので。右翼もヤクザも、針の上のような部分を歩いている。少しでも踏み外すと、抗争につながる。抗争の理由は、「やっちゃいけないことを、やるからだ」。今は、水島という名前も、チャンネル桜という名前も、「右翼団体」では、そうそう知られていない。知っていても、だからどうだ、ということはない。この掲示板で天皇を批判したり、勅諭をふざけたりしても、右翼は見ていない。だから直接行動には出てこない。しかし、映画として「七人の死刑囚」が公開され、マスコミがどうするか知らんが、産経は取り上げる。新聞に、「七人の死刑囚」という題名が出る。右翼団体にも、次第に知れ渡る。昭和殉難者を崇敬し、独自の境界で仕切り祀る右翼団体は多い。知多半島三ケ根山には、東條首相を仰ぐ人たちのメッカがある。殉国七士の廟であり、慰霊塔だ。この殉国七士の慰霊祭には、全国から右翼団体が多数参列する。殉国七士奉賛会は、熱烈な右翼陣営だ。いいかね、半端じゃないんだよ。素人の集まりではない。××が到着すれば、ズズズズーと、両側に人が分かれて、挨拶が飛ぶ。日本最大の右翼が、その中核をなしている。おどしではないよ。彼らが、この熱烈に支持する「東條閣下」を、死刑囚などと呼ぶ映画が登場した時、何も起こらなければよい。よいが、もしも全国の組織に檄が廻ったら、しんどいことになる。そのことを、水島監督には話したつもりだ。「あなたのためであり」というのが、それだ。右翼に、映画の理屈は通らん。作家としての熟慮も、関係ないだろう。一兵士も同様だ。彼らがどのような怒りの行動を起こしても、多くの保守は、「仕方がない」と思うに違いない。もともと水島氏がこちら側――、つまり保守陣営に入ってきたのは、つい最近の事だ。彼が右翼だと認識している右翼は、多分いないだろう。○○○○○○さんにしても、どの程度、右翼を知っているのか‥‥。あなたの余計な弁護で、水島氏が心得違いしないことを、切に願う。

 戦後、正統保守は、いかに「東京裁判を否定し、○級戦犯という言葉を否定してきたか」。そして松平宮司が、「昭和殉難者」としてお祭りしたことで、なんとか名誉回復の一端を為した。いま、昭和殉難者を、靖國神社から分離しようとする動きが活発化している。その最中、「七人の死刑囚」という題名が、世の中に――、それもチャンネル桜という保守を自認する陣営から登場する。果たして正統に評価されるだろうか。喜ぶのはサヨクであり、昭和殉難者を快く思わぬ保守陣営である。水島氏も、その反昭和殉難者の陣営かと疑われることは間違いない。「言っちゃいけないことを、なすりつけるように言ったからだ」。水島氏に、その意図はなくとも、そうとられてもやむを得ない。映画の内容など、関係ない。昭和殉難者を死刑囚と呼んだことに、全てが集中する。これまでの営々と続けてきた正統の運動を蹴り上げ、元に戻すがような敵性行為と看做される。一兵士は、そう判断している。要は、「水島さん、改題しなさい」、ということだけだ。何も恥ではない。多くの保守が嫌悪することを押してまで、訳のワカラン映画を作ることはない――、ということだ。

 折角だから、もう少し書こう。映画題名は改題してもらうことが最良――、ということで、この話は、もう終える。あとは公開試写まで、まだ時間がある。監督にはもう一度、よく考えてもらえばいい。次ぎは映画内容だ。これに関して言及する。こんなことまでする気はなかったが、死刑囚という題名で、「南京の真実」がどうのこうの言い出した連中がいるので、冷水を浴びせる積りで書く気になった。一兵士は「瞬時の判断」で、七人の死刑囚――という映画は、訳のワカラン映画だと判断した。一兵士のスタンスは、この南京の真実を描く――、という話が出た当初から、「凡庸な映画は、作ってくれるな」と思ってきた。凡庸な志操でないならば、傑作も生まれるだろう。それを切望している。立派な映画が作られることを希望している。だが、である。その願いは、正直に言えば、今、崩壊した。見るも汚らわしい、吐き気を催す題名だ。○○という人の紹介掲示板を見た瞬間――、蒼ざめた。太ゴジックで書かれた「七人の死刑囚」という文字。眩暈がした。怒りが眦を切るほどだ。一兵士と同様の感覚を持つ知り合いの右翼から、現在、自分の所に、次々と電話がかかっている。彼らには自分が知らせたからだ。○○という人の紹介した掲示板を見よ!と、教えたからだ。全員が怒り心頭である‥‥、というか、軽蔑かな。理屈ではない。右翼の感性だ。水島さんは針の上を踏み外した――、そういう感想しかない。

 水島氏は、「南京の真実」を描くと言った。大いに結構。どのように描くのか――、少々心配であった。そんなことが可能か、という疑問である。そして、今回、その作品が完成した、という話を知った。但し、三部作だという。「え??」と、正直、思った。「なんで、三部作なのか」である。なんで一本で、世界に戦いを挑まないのか――、一本では描ききれないのか――、それほどの大作なのか――。つまり、時間を費やさないと、南京の真実は描けないのか? そう思った。ところが、この三部作は、どうもそういう話ではなさそうだ。ブログに、こう書かれていた。
「第一部では副題の通り、いわゆるA級戦犯とされてしまった松井石根大将や東條英機大将ら、東京裁判で絞首刑の判決を受けた七人が登場致します(近日キャスト発表!)。二部・三部は、当初より予定・準備をしております、南京攻略戦や情報戦の検証内容となる予定です」。
つまり、当初から予定していた「南京の真実」の話は、二部・三部で描く‥‥、それも予定です、と書かれている。予定という言葉は、少し不思議な言い方だ。南京の真実を描くというので、ビラまで撒いて、金を集めたんだから、予定ではなく、「第一部・第二部・第三部で、南京の真実を追究――、まず、その第一部が完成!」‥‥と、普通はこうでなければおかしいでしょう。ところが、第一部は、どうも南京の真実とは、あまり関係がなさそうな話。「七人の死刑囚」という題名だ。つまり南京の話ではなく、七人の死刑囚が主役である。?????? 南京の真実は、どうしたのだろう?である。

 一兵士は関係者ではないから、もう完成した様子の映画のストーリーは、当然のように知らない。知らないから、内容を知っている関係者から見れば、「トンチンカン」な話をしているのかも知れない。けど、構わない。公開された情報だけで推測している。完成試写会が、十二月十四日、赤穂浪士討ち入りの日だ。特にこの日を選んだのだろうか? 南京映画を赤穂浪士の討ち入りと、同一視しているのだろうか? そして、この第一部――、内容の概略が書いてない。あちこち見たが、わからない。何故、概略を紹介しないのだろう。試写当日まで、秘密にしたいのだろうか。しかし今、新たに書き直したらしい宣伝文を読むと(○○氏の紹介掲示板)、東京裁判で刑死された殉難者七人の最期の二十四時間を焦点とした、第一部が完成した――、と書かれている。????? 七人の、最期の二十四時間を描いた話のようだ。これと南京問題と、どう関係があるのだろうか? 想像が付かない。つまり、額面どおり受け取れば、この第一部は、「南京の真実」とは関係なく、東京裁判で死刑の判決を受けた七人の二十四時間を描くもので、南京の真実を追究する話ではない、ということが推測できる。七人の刑死二十四時間を描くのは、別段問題ないだろうが、それと南京問題と、どう関係するのか――。水島さんがやらなければいけないことは、東京裁判の刑死者七人の二十四時間を描くことではなく、南京の真実に迫る話ではないのか? 第一部から、その話ではないのか?

 大丈夫なのだろうか? とりあえず、東京裁判の刑死者二十四時間を見てください。次ぎの第二部・第三部では、皆様お約束の「南京の真実」について描く予定です‥‥と、こういう風な意味合いが、ブログからは読み取れるが‥‥????? わけがわからない。チンプンカンプンである。つまり一兵士の言いたいのは、本当に南京の真実を追究するためには、昭和殉難者を、どうしても「死刑囚」とまで呼び捨てにしなければならない――、そういう納得できるような作りに「第一部」がなっているのか‥‥、という疑問である。‥‥「刑死した七人」と南京問題は、まったく関係がない筈だ。宣伝文章にも、「第一部で、南京の真実の何々を、まず解き明かす――」とか、「第一部で、世界に南京問題の原点を突きつける――」とか、南京の真実と関係する文言が、まったく書かれていない。これが気になる。書いてあるのは、「七人の刑死前二十四時間」だけである。一体、七人の刑死前二十四時間で、何を描く積りなのか? 七人で、南京問題が激しく討論されるのだろうか。そういうストーリーなのだろうか? そんな実話は聞いたこともなし。まったく推測がつかない。これが一兵士の、映画そのものに関しての疑問である。それだけに「本当に、南京の真実を描くのに、昭和殉難者を死刑囚」と呼んでまで、題名にする必要があるのか――、である。

 まあ、この疑問は、映画が公開されれば、一挙にカタが付く話だが、しかし気になる話だ。‥‥もう疲れた。書くのに厭いた。無常観である。グダグダと書きすぎた。読んでくれた人には、感謝だよ。まあいい。死刑囚という題名で、なんとも感じない連中ばかりであるなら、それも仕方がない。それが現実だ。備中さんが何を書こうが、馬に念仏、仏の耳にアーメンだ。ただ、最後にもう一度、水島監督に伝えて欲しい。七人の死刑囚は、改題されたほうがいい。なにも恥ではない。より優れた題名が浮かんだことで、改題した――で、済むことだ。保守の陣営で、右翼の連中の中に、敵を作ることはない。まだ公開までに、時間はある。再度、製作委員会で検討してみて下さい。これで、諫言は終わる。これ以上、言うことがないため。○○○○○○さん、あんたも大変だ。いろいろ面倒みなくちゃ、いかんのだろう。しかし少し、水島さんを褒め過ぎだ。あまり過ぎると、褒め殺しかと疑われる。あんたの親切はありがたいがね。一兵士のスレッドをよく見ていてくれて、感謝しとるよ。


――備中處士――「よかつたですネー」への返書。
○○樣
 貴方樣ご指摘のものは、固より承知してをります。それ以外の、萬人が偶見する所の表題の訂正が無いと、申し上げてをるのです。此の掲示版にも、そろゝゝ『七人の「死刑囚」』に非ざる、『七人の死刑囚』の貼付けが行はれてゐるやうです。
 「水島さんは、『国を篤く想うこと、人後に落ちない』事は、万民の認めること」の由、小生は詳しく無いので、御聞きしたいのですが、水島社長は、最近、此の活動に入られた御方なのでせうか。覺醒の遲速云々を申し述べてゐる訣では、決してございませぬ。大方の保守連を糾合された御方なれば、其の功績や大なるは、始めから承知してをります。四年前に掲示板を拜見しましたら、卷頭に、國内版にもかゝはらず、耶蘇暦で署名されてゐたと記憶するのですが、元號法制化の折は、何を爲されておいでゞあつたのでせうか。元號法制化を熱祷して自決された御方もをられました。映畫界の事は、小生、まことに疎く、保守運動に熱心な御方、骨髓からの皇民であるならば、絶對に書く能はぬ筆法と、失禮ながら愚考いたしてをります。
 なほ一兵士翁の曰く、「保守として、この東京裁判を描くなら、どんな意圖があらうが、カツコつきの題名だらうが、『昭和殉難者を死刑囚』と呼びつけることは許せない」と。「死刑○」の訂正が、漏れなく完了したとしても、或は千萬人が情状を諒解したとしても、翁は決して之を認める御方では無く、其の題名が變更されるまで、其の罪を鳴らされるでありませう。今一度、翁の玉翰を御讀み下さい。ご無禮いたしました。
 追伸。そろゝゝと、躊躇逡巡しながら書いてをりましたら、一兵士樣の大論「最期の諫言」が出てをりました。重ねて失禮いたしました。


■平成十九年十一月十一日

――備中處士――是非とも「支那論」を!
○○○○○○樣
 老臺の宮崎市定博士に於る、小生の平泉澄博士に於るが如し、と云ふことでせう(微笑)。
「小生も、門下生の端くれの、その先っぽの存在であろうとも、宮崎先生の肩持つのはアタリマエです。駄目弟子は百も承知の上で、先生を力の限り、大礼賛させていただきます。これが、私の本願であります。先生は『あらゆる学問の中で、歴史学は、とりわけ客観的具体性を尊重する学問である』、『歴史学とは、史料に歴史事実を語らせる学問』である。『何を史料に使い、その史料をどう使うか、という問題に還元される』と言う、『歴史学は、結局、歴史事実をして歴史事実を語らせる学問だということになる』。『すぐれた歴史家とは、史料のいうことを間違いなく受取る、聞き上手のことである』と断言します」と。
 清朝考證學の影響が在るのですね。考證學の本領は、「××學案」に在り、泰西獨逸の考證學に非ずして、「歴史學は、歴史事實をして歴史事實を語らせる學問」に在るのでせう。此の清朝考證學の發生「以前」に、同じ手法を採られた先哲に、山崎闇齋先生がをられます。誰も之を言はぬ。闇齋先生には『文會筆録』てふノートがありますが、先哲の學説のみで、私見は、わずかに「嘉(闇齋先生の名)、謂く」としてあるのみ。然し朱子學の精髓が、此の筆録に輯められ、書かれてあります。闇齋先生の偉大なる所以です。内藤湖南博士は、支那の學者は馬鹿だとの仰せでしたが、闇齋先生を、頗る欽慕してをられる(『先哲の學問』卷頭の「山崎闇齋の學問と其の發展」)。また桑原隲藏博士『支那の孝道――殊に法律上より見たる支那の孝道』(講談社學術文庫に在りますが、さかしらにも「中國の孝道」と、變更してゐる。義憤)には、痺れましたね。之を讀まずして、支那は語れませぬ。
 平田俊春博士に『神皇正統記の基礎的研究』てふ、巨册がありますが、平泉澄博士は、之に序して曰く、「私は平田博士が、既に基礎的研究を大成した上は、更に進んで正統記の本質を究め、その精神の宣揚に努められむ事を望んで止まぬ」と。老年の權威・平田博士に對しても、恩師碩學の叱正は、容赦ない。「建國記念日」復活は、田中卓博士の神速怪力、洵に大きなものがあつた云ひます(日本文化研究會編『神武天皇紀元論――紀元節の正しい見方』・昭和三十三年三月・立花書房刊)。又た「元號」法制化は、日本青年協議會の運動と所功博士の學術的支援と、影山正治大人の最終一撃がありましたこと、老臺ご承知の通りであります。
 こんな話をしたらきりがありませんが、老臺には、櫻掲示板の宿老の由、別スレツドに御得意の「支那論」を建てられ、誹謗中傷と取られかねない言説を控へられ、奮起一番、宮崎博士の顯彰展開を、是非とも御願ひします。學ばさせて戴きます。小生は、闇齋先生・平泉先生の顯彰祖述に、蟷螂の斧と雖も、鋭意力むる所存であります。然し今は「正念場」、動靜に注視したく存じます。
 

  • [92]
  • 九十一。七人の死刑囚とはなんだ!

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月15日(金)19時01分52秒
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■平成十九年十一月三日

――備中處士――歴代天皇の叡慮。
 本十一月三日は、明治天長の佳節(太陰太陽暦・嘉永五年壬子九月二十二日、御降誕。太陽暦に換算すれば、即ち十一月三日なり)、國旗を沖天高く掲げ、明治天皇の叡慮を、謹んで拜承させて戴き度く存じ上げます。
●備中處士『八紘一宇の眞諦』
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/190


■平成十九年十一月五日

――備中處士――たゞぬかづかん、此の忠烈。
 彼の幼き日、小生が見て、涙が止まらなかつた、鶴田浩二主演の東映々畫、大西瀧治郎中將の苦惱を中心に描いた『あゝ決戦航空隊』、無性に見たくて仕方が無い。然し見る術は無い。今ま再び見ることが出來たら、如何に思ふのだらうか。嗚呼、『死刑囚』とは‥‥。

●南西方面特派員・高松棟一郎氏『神風特別攻撃隊の英靈に捧ぐ』(不二教職員連絡會・淺野晃翁編『殉國の教育者――三島精神の先驅』より所引)
 マバラカツト飛行場戰鬪指揮所を偲び、猪口(力平)・中島(正)兩雄に贈る

かの丘(靖國神社)に還らんかな
かの岡に碑を建てんものを
神々の征きて歸らぬ御座の跡なれば
みこと畏み命のまま
黒き艦船の突き入り
國護り國鎭む神々となりぬ

うら若きおもかげ鋭きまなざし
今もなほ眼底にあり
永久に消ゆるまじ
あたら惜しき命 もののふの坐
ここに捨つれど
いさをは永劫にかんばし
いふなかれ仇人よ「狂信」と
知らずや 武人の靜かなる澄める心を

などか狂ひては
あまたなる機器をあやつり
嵐なす彈幕かいくぐり
命中なし得べき
見ずや その胸に護符と人形の飾れるを
きかずや 純白の頸卷ににほふ香を

‥‥
●大本營發表
 神風特別攻撃隊敷島隊、(昭和十九年)十月二十五日一○四五(十時四十五分)、スルアン島の北東三○マイルにて、空母四隻を基幹とする敵機動部隊に對し、奇襲に成功、空母一に二機命中、撃沈確實、空母一に一機命中、大火災、巡洋艦一に一機命中、轟沈。


■平成十九年十一月七日

七人の死刑囚とはなんだ!
 せっかく、備中さんが、靖國神社の神髄に迫る話を、滾々(こんこん)と語られている最中を中断して申し訳ないが、水島総監督に申し上げたいことがある。重要な話だ。日本が独立を宣した以降、保守の運動の一つに、「東京裁判」否定の活動がある。現在も続いている。靖國神社に祀られている「敵国裁判」による刑死者を、松平宮司は、「幕末維新の殉難者」同様と正視して、「昭和殉難者」としてお祭りをされた。いまだかつて正統保守が、「敵国裁判による刑死者を――、死刑囚」と呼んだ人を聞いたことがない。どのような経緯で、南京の真実を描く映画が三部作となり、世界へ抗議を発信する第一部が、東京裁判で刑死された方々――、「昭和殉難者のうちの七人を取り出し」、≪七人の死刑囚≫と呼び捨てたのか――。いかなる趣旨・主題があるかは知らないが、保守として水島監督の見識を疑うものであり、早々に題名を改題すべく、少なからず、抗議をしたい気持ちである。許しがたいことだ。題名は、「主題」を想起させる。昭和殉難者は、「敵国裁判の死刑囚」ではない!

 戦後生まれの水島監督には、昭和殉難者は「他人事」のように見えるのか知れないが、戦前生まれの人間には、「身内」の感覚がある。身内の人間に「死刑囚」と呼び捨てる正統保守は、かつて存在しなかった。この題名で、世界に「何を発信」しようとしているのか――。靖國神社に祀られる昭和殉難者に接し、恥ずかしいと思わぬのか! 「身内」が「身内」に対して、「死刑囚」などと呼んではいけない。どのような趣旨であろうとも、「死刑囚」という言葉自体を破棄しなければいけない。水島氏は、七人の「昭和殉難者の遺族」の気持ちを考えたことがあるのか! 「死刑囚」と呼ばれる映画を、「さらし者のように」試写され、どこの映画館で上映される。そういう題名のついている映画館に、足を向けたいとは思わん。水島さん――、少し頭を冷やして考え直しなさい。映画はもう完成したのだろうが、題名だけなら、まだ直すことも出来るでしょう。このチャンネル桜の代表者が、「昭和殉難者」を「死刑囚」と呼んだ汚点は生涯消えないし、靖國神社松平宮司の想いを踏みにじるものであり、ひいては靖國神社に対し、弓引くものであり、敵対者と見なされることも考えねばならない。どのような映画であろうが、中味が問題ではない! 南京の真実を描くに、「昭和殉難者」を死刑囚呼ばわりする「映画題名」を、黙って「見過ごすこと」は、一兵士としては出来ない。今なら、まだ間に合うはずです。改題をして戴きたい。昭和殉難者を否定する「七人の死刑囚」などという映画題名は、「口にするのも」、「目にするのも」、不快であるのは、一兵士だけではないと思うが‥‥。また、世間知らずのワカラン坊主どもが飛び込んでくるだろうが、一向に構わん。なにが正論かを、教えたまでだ。


――備中處士――必ずや、名を正さんか。
 再び最初の議論に歸らざるを得ないのか‥‥。一兵士翁の心、遂に通ぜす。問題の辭「A級戰犯」に、更に「死刑囚」が加はつたと謂ひつべきなり(上記「七十九。靖國神社崇敬者第一の心得」參看)。
 一葉の落つるを見て天下の秋を察するに足り、一斑を見て全豹を卜するに足る。正名の大義、爲政者に非ずと雖も、愼まざるべからず矣。下記『正名論』の出現に因つて、所謂る後期水戸學、即ち明治維新の義擧が起こつたのである。深く味はつて戴きたい。

●贈正四位・藤田幽谷先生『正名論』
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t6/10


■平成十九年十一月八日

再度諫言する。
 南京映画スタッフブログの完成試写会案内で、下記のような文言が書かれている。≪第一部では、副題の通り、いわゆるA級戦犯とされてしまった松井石根大将や東條英機大将ら、東京裁判で絞首刑の判決を受けた七人が登場致します(近日キャスト発表!)≫。一体これは、誰が書いた文章かね! 何故、いちいち保守たる人間が、○級戦犯などと、敵国呼称を使用しなければならないのだ。更に≪松井石根大将や東條英機大将ら、東京裁判で絞首刑の判決を受けた七人が登場致します≫。なんだね、このくされ文章は! ふざけたことを書くな! 東京裁判で、絞首刑とはなんだ! そんなに絞首刑という言葉が使いたいのか! これが、保守陣営を名乗るチャンネル桜が掲示する言葉か! 東京裁判で絞首刑の判決を受けた七人が登場致します――、とはなんだ! 円形劇場に引き釣り出して、笑いもんにするような文言を書くな! 七人が登場します、だなんて――、開いた口が塞がらない。よくもこういう文言を書くことが出来るな! いいかね、絞首刑などという文言を、お前達はどういう神経で書いたんだ! 書くなら刑死でいいだろう。わざわざ「絞首刑」などと、何故、書くんだ! 七人の昭和殉難者に対する尊厳は、どこにある! お前達の心の何処にもないから、「昭和殉難者」を、死刑囚だなんて呼び捨てられるんだ。「絞首刑の判決を受けた七人が登場致します」だなんて――、悔しくて、涙が出てくる。貴様達を一列に並べて、片端から殴りたい気持ちだ。何処にも保守としての無念さ、悔しさが滲んだ言葉ではない。
「七人の死刑囚」・「いわゆる○級戦犯」・「絞首刑の判決を受けた」・「登場します」
これでは、サヨクが書く文章と、何処に違いがあるんだ。水島氏は、「殉難者の皆様に対する思いは、人後に落ちぬつもりである。だからこそ、映画製作を進めている」と返事してきた。寝言を言いなさんな。人後に落ちぬつもりであるなら、「死刑囚」などという言葉は撤回しなさい。どんな意図があろうとも、昭和殉難者を、「死刑囚」呼ばわりはさせない。もしこの題名を改題しないで強行すれば、あなたは生涯、「昭和殉難者を死刑囚」と呼び捨てにした男として、正統保守陣営から、確実に攻撃される。一兵士も喧伝する。許せんからだ。作家的観念・芸術的思念などは関係ない。保守として、この東京裁判を描くなら、どんな意図があろうが、カッコつきの題名だろうが、「昭和殉難者を死刑囚」と呼びつけることは許せない。管理人殿から、わざわざ返答をもらったが、昨日は忙しくて書けなかったので、今、書いている。腹が煮えくり返っている。映画の中味に、文句を言っているのではない。題名だ。昭和殉難者を死刑囚という言葉で、宣伝することで、この映画に対し、石を投げる多くの保守が現われるだろう。それは間違いない。もう、一兵士の周辺にいる戦前生まれの人たちは、「映画を見ん」とも言っている。

 それに、これは聞いた話だが、水島さんは、アイリス・チャンの墓に花束を捧げて黙祷したそうだね。それから、撮影したという。祟りが怖くて哀悼を捧げたのか、それとも怨親平等の気持ちで、死んだアイリス・チャンに黙祷したのか――。どっちにしても、あなたは、維新動乱の志士ではない。勤皇の精神をもっておらん。アイリス・チャンが何をしたのか、理解していないようだ。これで「俺は、絶対に映画を見に行かん」という、保守もいる。よろしいか。保守というのは、少しのことで、心胆が見えてしまう。以前、「靖國神社を靖国と呼び捨てにする奴の意見は聞く必要がない」と書いたが、実際、呼び捨てにしている奴の靖国論は、手前勝手、低い低いお話で、誰かの焼き直しが関の山だ。それと同じように、靖國神社に祀られる昭和殉難者を、「死刑囚」と呼ぶ人間の話は、聞く必要がない‥‥、と言うことも今後、付け加えるつもりになっている。俺は、正念場と思って書いている。「七人の死刑囚」とう題名で、誰が熱い保守陣営が作った映画だと思うかね。「七人の日本を救った男たち」・「七人の怒れる男たち」――。こういう題名なら、多くの保守が、大衆が、映画館に駆けつけるだろう。事実、そういう功績を残した「昭和殉難者」である。最後に、もう一度いいます。水島監督。題名を変えなさい。あなたのためであり、南京の真実のためであり、日本のためでもある。保守の多くを敵に回すことになる。


■平成十九年十一月九日

――備中處士――嗚呼、已んぬるかな。
 一兵士翁の血涙諫言の玉稿、難有く拜讀いたしました。
 松平永芳宮司は、靖國神社傳統の「殉難者」を承けて、「昭和殉難者」と御呼び申し上げました。其の殉難者に對して、映畫とは申せ、「死刑囚」と題名を冠する事なぞ、小生は思ひも寄りませんでした。實に敵國の名づけし呼稱、廻りのスタツフから、異見反對は無かたつたのでせうか。又た彼のご遺族から、苦情詰問は無いのでせうか。靜かに惟みるに、泪なきを得ませぬ。
 唐ごころ・夷ごころから出づとは、ゆめ信ずる者ではありません。蓋し一兵士翁の仰る所の、「作家的觀念・藝術的思念」から來るものでせう。然し殉難者への不當なる雪辱の爲にも、悲願成就の爲にも、永く後世に殘るであらう、其の題名には、渾身の魂を籠めて、愼重の上にも愼重に言葉を撰び、人をして寒心誤解せしむる事の無いやう、是非とも再檢討して戴きたいものであります。
 水島社長、一先づの御囘答を知つてか知らずか、括弧なしの「七人の死刑囚」は、已に喧傳されつゝあります。「死刑囚」のひとり歩きが始まつてしまひました。恐るべき事、血に涙、洵に殘念至極であります。納得のいく再答を賜れば、幸甚です。

●宮内省(圖書寮)藏版『殉難録』(明治四十二年十二月成功)あり。『修補・殉難録稿』(昭和八年十一月・吉川弘文館刊、題字は徳富蘇峰翁)序文である、虚心黒板勝美博士「修補・殉難録の卷頭に辯す」に曰く、「
 明治維新の鴻業は、是等勤王憂國の志士が、所謂人柱となりて築き上げたりといふ。豈に過言ならんや。嗚呼、明治天皇、聖徳、日の如し。是等志士の神靈を崇めて、靖國神社に合祀せしめ給へり。志士の神靈は、天翔り國翔り、永く護國の神とまします。殉難録稿は、實に是等勤王憂國の志士を傳したるものなり」と。

 愚案、「殉難」の語は、彼の明治元年五月十日附・太政官府布告に始まり、宮内省より出づ矣。以て嘉すべく、斷じて之を汚し奉ること能はざるなり。

――備中處士――『易經』文言傳に曰く、辭を修め、誠を立つべし、と。
櫻掲示板運營管理室殿
 田舍の一投稿者の發言なぞ、無視するなら、無視するで、一向に構はないが、默止がたきことあつて、一筆呈上つかまつる。
http://jpn.nanjingpedia.com/wiki/?Word%2F2007-12-14#r7f2f8eb
『南京ペデイア・フリー史實事典【共同編集】映畫「南京の眞實」まとめサイト(非公式)』に在る、
*「【千代田區】映畫南京の眞實・第一部『七人の死刑囚』完成試寫會【全三部作】」
*「映畫南京の眞實・第一部『七人の死刑囚』・チラシのPDFフアイル」
等には、『七人の「死刑囚」』の括弧(「」)が無い。丸兩日も經つと云ふに、訂正の氣配すら無い。水島氏の仰せが、徹底してゐないのでは無からうか。早急に訂正の指示を出されたい。
 然らずんば、水島氏の眞意と爲す所の、『七人の「死刑囚」』が傳はらずして、巷に『七人の死刑囚』が、ひとり歩きし、氾濫すると心得られるがよい。
 「「死刑囚」といふカギ括弧つきのタイトルにするつもりで、このタイトルを考へた。「いはゆる」「A級戰犯」といふつもりのカギ括弧である。内外へのアピール等、樣々な面から考へた上でのサブタイトルである。こちら側のミス等もあり、カギ括弧の意圖が傳はらなかつたことは、率直に皆樣にお詫び申し上げたい」と、かく仰つた以上は、これぐらゐは、せめて徹底して戴きたいものである。事は重大と考へてゐないと云はれても、言ひ訣が出來ないのでは無いか。御身の爲である。職務怠慢の謗りを免れず、洵に不快千萬である。それとも、前言は撤囘される心算なのでせうか。


■平成十九年十一月十日

――備中處士――何とかならぬものであらうか。
○○○○○○樣
 特段「迷惑至極・不快」とは存ぜませんが、小生は「言葉」の重要性を認識し、其の忽せにしない事を訴へてをるだけであります。「殉難者」てふ題名にせよとは、誰も申してをりませぬ。幾ら錢を注込まうとも、譬へ演出の豪華に惠まれようとも、映畫としての評價は別物でありませう。極論すれば、其の内容より、其の訴へが重要と考へます。勿論、歴史に刻む名作となるに越した事はありませんが‥‥。
 然るに「昭和殉難者を死刑囚といふ言葉で宣傳することで、この映畫に對し、石を投げる多くの保守が現はれるだらう。それは間違ひない。もう、一兵士の周邊にゐる戰前生れの人たちは、『映畫を見ん』とも言つてゐる」由であるからして、上映前から態々敵を作つて、如何とせうか。どうしても「死刑囚」で無ければならぬ、拔き差しならぬ事由が存すると仰せでせうか。例へば「沈默」、或は「靜寂」等では、月竝みなのか。明かに不適切と覺しき挑發的言辭を弄して、人をして驚愕せしむるに、主題が在るのか。
 抑も我が國に「戰犯」なぞ存在しないと、主張したのでは無かつたのか。今、新たに「死刑囚」などと云ふ言葉を打出して、「ノンポリ連」竝びに毛唐人の反省同情を求めようとするのであるか。「死刑囚」とは、進駐軍の命名する所にして、血性ある日本人には、之を用ゐるに忍び難きものがあり、又た「中庸」には程遠きものがあります。我々(と云つても、此のスレツドでは、一兵士翁と其の周邊および小生だけではあるが‥‥)は、沈思黙考、幾ら理解しようと努めても、遺憾ながら容易には能はぬのであります。「暖かく見守るといふことも、保守支援の一貫」との仰せには同意しても、其の限度・許容範圍と申すものがあるのでは無いですか。○○○○○○樣には、「七人の死刑囚」をご覽になられて、「死刑囚」てふ題名が、實に適切であつたか否か、「大衆」が見て感動したか否か、「英靈」が嘉納せられるや否か、何卒ご高見ご感想を、鶴首して御待ち申し上げてをります。
 追伸。○○○○○○樣は、宮崎市定博士の門下の由。宮崎博士は、内藤湖南・桑原隲藏・狩野君山博士の門下、小生も『科擧』・『雍正帝』・『論語の新研究』等、拜讀させて戴き、感動した一人であります。然し現代、もはや、かつてのやうな碩學泰斗は、現れないでせうな。
 

  • [91]
  • 九十。歴史学の厳修が大切。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月14日(木)21時23分18秒
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■平成十九年十月十八日

――備中處士――賜、勅使。
 愚案、勅使を賜はりし日、即ち靖國神社創祀の日なり矣。去りゆきし日は、あな尊と、神嘗の大御祭の日、又けふは、靖國神社秋季例大祭にて、畏くも勅使を賜りし由、此の賤が躬にも、遙かに聞きまつるに、橘曙覽大人の歌の、しきりに思はれて、些か抄しまつらばや。
○天の下、清く拂ひて、上つ古(よ)の、御まつりごとに、復るよろこべ
○隱士(よすてびと)も、市の大路に、匍匐(はひ)ならび、をろがみ奉る、雲の上人
○天皇の、大御使ひと、聞くからに、はるかにをがむ、膝をり伏せて
○天皇は、神にしますぞ、天皇の、勅(ちよく)としいはゞ、かしこみまつれ

【贈五位・青垣掻隱伊豆凝爺・志濃夫廼舍橘曙覽先生の歌抄】
○朝日影、かゞやきあはむ、御旗をば、戴き奉り、太刀取り進め
○さしたつる、錦の旗の、下に立つ、身をよろこびて、太刀とりかざせ
○愚にも、まどへるものか、大勅(おほみこと)、たゞ一道に、いたゞきはせで
○勅に、そむくそむかず、正し見て、罪の有り無し、うたがひはらせ
○大皇に、背ける者は、天地に、いれざる罪ぞ、打ちて粉にせよ
○大皇の、勅(みこと)頭(かしら)に、戴きし、功績あらはせ、戰ひの場(には)
○大皇の、勅頭に、いたゞきて、ふるはん太刀に、よる仇あらめや
○太刀佩くは、何の爲ぞも、天皇の、勅のさきを、畏まむため
○大皇の、醜の御楯と、いふ物は、如此(かゝ)る物ぞと、進め眞前(まさき)に
○皇國の、御ためをはかる、外に何、する事ありて、世の中にたつ
○湊川、御墓の文字(嗚呼忠臣楠子之墓)は、知らぬ子も、膝折りふせて、嗚呼といふめり
○一日(ひとひ)生きば、一日こゝろを、大皇の、御ために盡くす、吾が家のかぜ
○恐るべし、末の世かけて、國體(くにがら)に、兎の毫(け)ばかりも、疵のこさじと
○何わざも、吾が國體に、あひあはず、痛く重みし、物すべきなり
○潔き、神國の風(ふり)、けがさじと、こゝろくだくか、神國の人
○君と臣、品さだまりて、動かざる、神國といふ、ことをまづ知れ
○利(くぶさ)のみ、むさぼる國に、正しかる、日嗣のゆゑを、しめしたらなむ
○八十神に、ひとりおくれて、負ひたまふ(大國主神)、袋にこもる、千(ちゞ)のさきはひ
○天地と、ともに久しく、天皇の、御尾前つかへ、國まもる神(事代主神)
○あまざかる、鄙(ひな)のはてまで、かゞやかす、日の御旗こそ、たふとかりけれ
○天皇に、身もたな知らず、眞心を、つくしまつるが、吾が國の道

[獨樂吟]
○たのしみは、神の御國の、民として、神の教へを、ふかくおもふとき
○たのしみは、あき米櫃に、米いでき、今一月は、よしといふとき
○たのしみは、戎夷(えみし)よろこぶ、世の中に、皇國忘れぬ、人を見るとき
○たのしみは、物識人に、稀にあひて、古しへ今を、語りあふとき
○たのしみは、そゞろ讀みゆく、書(ふみ)の中に、我とひとしき、人をみし時
○たのしみは、數ある書を、辛(から)くして、うつし竟(を)へつゝ、とぢて見るとき
○たのしみは、ふと見てほしく、おもふ物、辛くはかりて、手にいれしとき
○たのしみは、鈴屋大人の、後に生まれ、その御諭しを、うくる思ふ時

○おくれても、生まれし我か、同じ世に、あらば履(くつ)をも、とらまし翁(鈴屋大人)に
○これや此の、書看(み)ふければ、夜七夜も、寢でありきとふ、神(平田先生)の筆蹟
○吹く風の、目にこそ見えね、神々は、此の天地に、かむづまります
○起き臥しも、やすからなくに、花がたみ、目ならびいます、神の目おもへば
○眞荒男が、朝廷(みかど)思ひの、忠實(まめ)心、眼を血に染めて、燒刃見澄ます
○國を思ひ、寢られぬ夜の、霜の色、ともしび寄せて、見る劍かな
○國汚す、奴あらばと、太刀拔きて、仇にもあらぬ、壁に物いふ
○正宗の、太刀の刃よりも、國のため、するどき筆の、鉾揮ひみむ
○國のため、念ひ痩せつる、腸(はらわた)を、筆にそむとて、吾が世ふかしつ
○仇に向き、しりたゝきけむ、古人に、ならひてこそは、國に仕へめ
○古書の、かつゞゝ物を、いひ出づる、御世をつぶやく、死眼人
○廢れつる、古書どもゝ、動きでて、御世あらためつ、時のゆければ

●『橘曙覽小傳』に曰く、「
 斯くの如き古來未曾有の大御代に遭ひながら、目前復古の盛儀大典を見奉るに至らず。況やかねての抱負も、將に達するに向はむとして、今日はかなく世を去るこそ、返す々ゝも口惜しけれとて、切齒瞑目せられたり。‥‥性恬澹にして寡欲、氣宇高邁、風丰、俗を凌ぐ。人、以て神仙の姿ありと爲す」と。


■平成十九年十月二十二日

――備中處士――玉體護持。
 若き髮長が、比叡山千日囘峰行の中途、堂入り滿願の由、「修行」てふ言葉が嫌はれる御時勢にて、洵に清々しく尊く拜聽いたしました。なほ千日囘峰行を滿行した曉には、京都御所への參内が許され、玉體護持・國家安穩を修法し奉るが、その際は、所謂る生き佛として、畏くも土足のまゝ參内すると云ふ榮譽を拜受できる由。
 海軍飛行豫科練習生に志願したこともあると云ふ、權大僧正酒井雄哉大阿闍梨は、此の荒行を、昭和五十五年十月と六十二年七月の二度、成し遂げてゐる。千日囘峰は、延暦寺の記録では四十七人あり、二度の囘峰行を達成し得た者は、一千年を超える比叡山の歴史の中でも、三人しかゐない。今の度びの行者は、四十八人目となり得るか、豫斷は之を許さない。
 我々の目標も、玉體護持・國家防衞に在るは、勿論であります。我々、固より神州清潔の民、斷々然として靈的には、釋氏坊主が如きに後れてはならぬ。至純の祈り、即ち靈的祈祷に、至誠集中、以て有志者と共に從事したいものであります。

●贈從四位・斑鳩隱士伴林六郎光平翁『出寺之詩』(松林飯山翁『飯山文存』に[佛堂柱に題す])
本と是れ、神州清潔[精血]の民、
誤[謬]つて佛奴[僧侶]と爲り、同塵を説く。
如今、佛を棄つ、佛、咎むるを休(や)めよ、
本と是れ、神州清潔[精血]の民。
●平泉澄博士『少年日本史』(昭和四十五年十一月・時事通信社刊。四十九年一月・皇學館大學出版部復刊。講談社學術文庫『物語日本史』と改題して、五十四年二月・講談社刊)に曰く、「
 囘峰行は、叡山に古くから傳はつて、今も行なはれてゐる苦行です。叡山は大きな山で、大別して三塔に分れ、細分して十六谷にも上りますが、その大きな山の、あちらこちらに散在してゐる靈所を囘つては拜むのが、この行です。それは勝手に自分の好きな所を囘るのではなく、囘るべき靈所は、昔からきまつてゐて、それを一囘りすると、七里半になります。一里は四キロですから、つまり三十キロでせう。それを晝あるくのではなく、夜囘るのです。夜の十二時前に起きて、佛前のおつとめをして、一時前に出發して、山を登り、谷を下り、全速力で歩いて、夜明けまでに歸つて來るのです。それも昨夜も、今夜も、明日の晩もつづけて、百日つづけます。これが第一年目の行。第二年も同樣百日。第三年目も同じく百日。第四年になると、今度は二百日連續。第五年も同樣。そこで全部を計へて、七百日の行が積まれると、九日の間、明王堂に籠つて、呪文を唱へること、一日約一萬遍、九日で十萬遍、その間、水も飲まず、穀物も食べないのです。それが終つて第六年の行、初めの百日は七里半、あとの百日は一日に十五里あるかねばなりません。第七年の二百日は、前年の十五里に、さらに京都へ下りての巡禮七里半を加へて、合計二十二里半、九十キロを一日にあるいて、二百日續けるのです。かやうに七年、正味千日の行程は一萬二千里、四萬五千キロに及ぶのですが、それは皇國の限りなき榮えを祈るために行なはれてきたのです。かやうな眞劍な苦行をかへりみる時に、始めて、最澄が叡山を開いて、鎭護國家の道場とした意味が分るでせう」と。


■平成十九年十月二十五日

歴史学の厳修が大切。
 雑事繁多で、掲示板をゆっくり見る時間もない。昨夜も遅くまで起きていた。備中さんが、靖國神社の正統に触れる言辞大海を摘記してくれている。なにか、応えたいが余裕がなく、申し訳ないと思っている。久しぶりに、昨日、○○さんの投稿を読むことが出来た。以前、南方の島で、観光のさらしものになっている遺骨の話を書いていたので‥‥、○○さんの気持ちはわかるとしても、??? あまり靖國神社とは関係のない話‥‥、と書いたことを気にしていたようだ。悪いような気がした。しかし、今度の時代祭りに、「今までなかった」足利将軍の登場の話は、鎮霊社以上に、重大事なことだと考える。○○さんは、≪靖國神社のご祭神と、参拝者との関係を考える上で、参考になるのではないか、と考えております。まだ、自信がありませんので、もう少し考えてみます≫と、書いているが、それ以上の、神武天皇以来の日本歴史の転覆につながる攪乱(かくらん)が、明確に始まった――と考えるべきでしょう。誰だかわからない「足利将軍」の登場は、これまでの時代祭りの威儀を、風俗化させる第一歩であろうし、正統を俗化・俗論の下賎の海に投じる、思惑あっての指示に間違いない所だ。狙いは‥‥ね皇国史観の払拭であろう。「京都の時代祭りだ。室町時代も実際にはあったんだから、足利将軍も登場させ、室町時代の風俗もお見せしたほうが正しい」という‥‥、皇室の崩壊を狙う敵性陣営の狡猾な運動が、着実に実を結びつつある現実だ。そう観察することが正しいだろう。

 現在、保守のおおよそが、正統・伝統を知悉せず、居酒屋談義の如き俗論であることも気づかず、恣意的な自分ながらの歴史論をしゃべりまくっている間に、敵は着実に具体的に、日本歴史を破壊しつつある。かつて維新前には、足利尊氏創建の京都等持院にあった足利三代の木像の首が勤皇志士に刎ねられ、三条大橋の河原に晒された。朝廷をないがしろにした逆賊に、天誅を加えた私刑である。そういう歴史認識が維新を起こし、回天の聖業を成さしめた。戦後、足利尊氏の逆賊性は希薄となり、恣意的な歴史観の造成で、NHK辺りでは、尊氏を顕彰・賞賛すべきドラマを放送する時代となった。その反映が、遂に「時代祭り」の風俗化に着手した。朝廷に叛旗をひるがえした賊に、光輝のスポットを当てる狡猾な意図は、単に「時代祭り」の威儀を風化させるだけではない。今後、やがては神武天皇以来の日本の歴史が、どのような見直しを受けていくのか――を示唆する、重大事である。蘇我一族も、蘇生してくるかも知れない。神武天皇紀にあっては、紀州の長髄彦(ながすねひこ)までが、地方豪族の長でありながら、侵略者大和朝廷に滅ぼされた悲劇の一族という話が跋扈しだす。

 ノーベル賞は貰っても、文化勲章は拒否した大江健三郎が、今度は「徳川財団の徳川賞」を受賞し、それは有難く頂く――、という事柄が実現するような‥‥、日本歴史のひっくり返しが、本格的に始動した‥‥ことを感じる。ほとんど日本の歴史を勉学してきていない現代の保守陣営では、時代祭りに「足利将軍」が登場してきたことを、「一大事」と看做すだけの知識があるまい。「俺たちは、君のために死ににいく」という、特攻の映画があった。まあ、個人的な感想を綴っただけの、極めて個人的な映画だから仕方がないが、「あの時代――、戦争に負けても言いと思う国民の志操は、何処にもなかった」という根幹の時代が、何処にも描かれていない。「お遊びの映画」である所以だ。特攻が生まれた下地が、なにも描かれていない。敗色の濃さではない。特攻作戦・必死作戦が、上層部から発想されたわけでもない。特攻が重要なのではなく、「必死作戦」を生んだ当時の国民の志操、前線に赴いた将兵の思想がなければ、特攻作戦は生まれて来ないということだ。そこに目を向けないと、「必死作戦」は、正鵠に理解できないだろう。歴史学を究めないと――、学問を積まないと、大衆の俗論しか語れない保守になる。目の付け所が違うのだ。低すぎることを恥とする志操を、早く身につけることだ。時間がなく、この程度しか書けない。申し訳ない。それでは、また。

言い落としたことがある。
 書き落としたことがある。「俺は、君のためにこそ死ににいく」が、正しい映画題名だった。しかし、この件ではない。映画の出演者で、窪塚洋介という役者が出ている。彼だけは、しっかりと台詞を吐いていた。彼はこの映画に出演する、ずーと以前から、靖國神社によく参拝していた。二度ほど、偶然にも会ったことがある。いつも一人だった。ふらりと来る。彼が何か自殺めいたニュースが流れた時も、一兵士は、「彼は助かる」と思っていた。靖國神社の祭神が、彼を見守っていると思ったからだ。見事、彼は立ち直った。彼だけが、「台詞が生きていたように感じた」。劇中で、怪我で出撃できない仲間に、「靖國神社に先に行っているからな」と言った時、思わず目頭が熱くなった。彼はこの台詞が言いたくて、出演承諾したのではないか。彼のような若者が、特攻に志願したのだ。最前線の戦士から、「特攻の発想は」起きている。「戦争に負けてもいいという志操が国民になく、第一線の皇軍将兵になかったこと」が、特攻作戦を生み出している。最後、壮絶な形相で、弾幕を突き破り敵艦船に体当たりする窪塚洋介のシーンは、出色の出来であったと感じた。それは、彼が靖國神社に参拝し続けていたおかげである。英霊が、背中に写っていた‥‥ほどである。このことを言い忘れたので、追加する。


■平成十九年十月二十七日

――備中處士――祭祀大權の恢弘。
●葦津珍彦翁『天皇――日本人の精神史』(昭和四十八年四月・神社新報社刊)に曰く、「
 祭祀大權の恢弘こそが、憲法問題の核である。‥‥祭りと統治とを斷絶することはできない。天皇の御祭りと云ふのは、ただ天上の神(ゴツト)の光榮をたたへるとか、彼岸での安堵をもとめるとか云ふ宗教儀式なのではない。この地上の國、日本の國と民との統治が、高天ケ原の神意のまにまに、民安かれ、國平らかなれ、と行はれることを祈られるのであつて、統治が祭りの目的と云つてもいいほどだ。祭りの精神が、統治の基底でなくてはならないと云つてもいい。祭りと統治とは、表と裏の別はあつても、はなればなれの別の事ではないはずだ。‥‥そのやうな國の基本に關する重大事に關して、天皇に無關心であれと望むのは、それは『天皇の祭り』そのものを無意味化することになる」と。
 愚案、肥後敬神黨の祖・林櫻園老の曰く、「今の世の中、決然、時勢に反對すべし。反對また反對すれば、自ら神仙の道に冥合すべし」(神谷俊司氏『三罵倒書』昭和五十二年十月刊より所引)と。○○○○樣の言説『「相対主義」というインチキ』に、溜飲が下がり申した。相對主義は、五黄殺的に、後から效いて來る。正に教學・道義道徳の敵である。山本七平氏と申せば、其の五黄殺的相對化の論法で、右も左も負けさうです(笑)ので、○○○○○樣には惡いのですが、小生は餘りよい讀者ではありません。


■平成十九年十月二十九日

――備中處士――行幸啓御道筋の通行者奉拜。
 靖國神社は、上御一人を始め奉り、勅使・皇族方の行幸啓を賜る神社である。其の節は、境内は固より、其の周邊に於ては、殊に恐懼戒愼に力めなければならぬ。

●『増補・皇室事典』より
【昭和十六年四月制定『文部省禮法要綱』】
一、行幸啓の鹵簿[近衞兵の儀仗御警衞を備へた御行列を申し上げる。宮城内・停車場構内などの儀仗御警衞を備へないものは、單に御列または御行列である。『皇室儀令』第二十二條ないし第二十八條參照]を拜するには、御道筋または指定された場所に整列して、靜かに御通過を待つ。
二、老人や子供は、なるべく前列とし、總て警察官・掛員の指圖に從ひ、混雜を來さぬやうにする。
三、通御の時刻が近づいたら、傘をたゝみ、帽子・外套・襟卷・肩掛を脱ぎ、姿勢を正す。雨雪の際は、傘・外套等、雨具を着用したまゝ拜して差支へない。
四、御車が凡そ六十米(約三十間)の距離に近づいたときに、最敬禮を行ひ、上體を起して目迎・目送し奉る。
五、御召列車御通過の節は、御召列車が凡そ二百米(約二丁)の距離に近づいたときに、最敬禮を行ひ、上體を起して目迎・目送し奉る。
六、坐つて拜する場合も、前各項に準ずる。
七、鹵簿は、塀越・窓越または高い位置から拜してはならない。御通過の後は、喧噪に渉らぬやうに、徐ろに退散する。行幸啓の節の敬禮に關し、特別の規定あるものは、これに從ふ(愚案、『陸軍禮式』・『海軍禮式』等)。
八、皇族・王公族の御成の節は、公式の場合は、前各項に準ずる。
 行幸啓御道筋の敬禮法については、『行幸の節、御道筋通行の者、旗章を見受け候はゞ、馬車を下り、笠竝びに帽等を脱し、總て路傍に立禮致す可き事』といふ、明治六年三月九日・太政官布告があり、これに則つて、大正四年十一月五日・内務省警保局長より廳府縣長官宛の通牒『行幸啓の節、路傍に跪坐拜觀に關する件』が骨子となり、その細目は、各地方警察部で、夫々決めゐる。學校職員・學生・生徒・兒童の敬禮法については、昭和十二年六月三日『文部省訓令』第二十七號に定められてゐる。


■平成十九年十月三十一日

――備中處士――靖國神社神職の學則。
●『靖國神社誌』より
○[明治三年四月四日『沿革記』拔萃]
 今般、「招魂社祭典取調所」御設置相成り候ふに付ては、別紙『學體』に法り、學科の通り、社司一統に、學術研究致され度く候ふ。此の段、御許可相成され度き樣、願ひ奉り候ふ也。
  大久保忠尚・富士亦八郎・桑原眞清
兵部省御中
「別紙」願ひの趣き、聞き屆け候ふ事。
【學體】
 是れの日出づる本つ御國の大道は、天地と久しく常しへに變易(かは)るべからざる大道にして、現世界(うつしよ)に[五大洲及び百萬の島嶼を謂ふ]、在りと在らゆる事・物の義理(ことわり)は、凡て此の大道にこそ包ね藏めたれ。そが大道を習ひ學ぶべき次第(つぎて)は、言卷くも恐こけれども、上つ代に、寶祚の隆えまさんことは、天壤と窮み無けん矣と、詔り給ひ仰せ給へる、大御詔の由縁(ゆゑよし)を、神世の御典(みふみ)に讀み明し考へ究めて、先づ神習ふに始むべし。
 然かはあれども、八百萬・千萬歳を經し今の世と成りにたれば、打細(うつたへ)に神代の御典をのみ讀みてやは止みぬべき。風の音(と)の遠皇祖の大御世に、奉貢(たちまだ。愚案、たてまつら)せる唐土(もろこし)の戎(から)の書籍(ふみ)は更なり、繼ぎ々ゞ今の御世に至るまで、月に日に考へ競ふ四方八方(よもやも)の御奴國(みやつこくに)より、奉り捧げ持ち來る、百の技藝(わざ)・萬の規則(のり)の八千種も、彼の大道の大御規則に符ひ叶ひぬべき、味(うま)し所業(わざ)は、きらふ事なく捨つる事なく、取り學び考へ盡して、愈や益に鹽土翁神の幸を請け廣むるに在りぬべし。
 然れば此の招魂社(たまをきのやしろ)の學校(まなびや)も、專ら此の大道を修學(をさ)むべき設(ま)けにし在れば、其の教への次第に隨がひ、愈や益に學ばざらめや。勉めざらめや。
學科
一、本教
一、文章
一、歴史


■平成十九年十一月二日

――備中處士――金枝玉葉の御染筆。
●『靖國神社誌』の「寶物」より
一、『戰死者名簿』四帖
 明治三十七八年戰役に戰死せし士卒の姓名・戰地・同月日等を、常宮(愚案、後の竹田宮恆久王妃昌子内親王)・周宮(後の神宮祭主・北白川宮成久王妃房子内親王)兩殿下の御自筆あらせられしものにして、四十二年四月二十七日、奉納せらる。
○[明治四十二年四月二十七日、常宮・周宮御養育主任・佐々木(高行)伯爵(後に侯爵)よりの宮司への書面]
一、『日露戰死者名簿』四帖・紫縮緬幕一張
 右は、常宮・周宮兩殿下より、御社へ御納め爲し遊ばされ候ふ條、此の段、申し進り候ふ也。
【御靈簿由緒記】
 これの名簿はしも、云は卷くも文にかしこき、珍の内親王常宮・周宮二柱の御前の、みゝづから書かせ給ひて、納めさせ給ひしものになむ。いで、後の爲めに、其の由一言、こゝにかきつげてむ。
 抑も々ゝ兩柱内親王はしも、雙槻の相竝びましを、令徳高く聞え給ひ、蒼生を惠み給ふ御心深く御坐しますまにゝゝ、往し明治三十七八年の戰役起れりし時に、其の戰場に身罷る人々の多かりければ、甚く憐み給ひて、相謀りて思ほしめさくは、氏早き時に、君の御爲め、國の爲めに、身をも家をも顧みなくて、水漬く屍、草生す屍と仕へ奉ることは、日本の倭國の益良雄の道にて、やがて其の身罷りし人々の魂は、靖國神社に齋ひ祀らしめ給ふ御制には有れども、暫時の間だも、其の魂を放らしおかむは、いぶせく、はしたなきわざなりけりと、思ほしめして、御自ら靈璽にとて、書き認めさせ、大殿の奧床を假宮と定めて、朝夕に、菅の根のねもごろに、齋ひ祭らせ給ひけるを、さて後に戰勝ちて、天下平らぎ、御制のまにゝゝ、いそしき御魂をば、此の神社に合せ祀らしめ給ひぬ。
 かゝる間に兩柱の内親王には、めでたくも所繼せ給ひて、高輪の御殿をも閉ぢさせ給ひぬるを以て、此の名簿四帖に、假宮に用ゐ給ひし紫の御幕をもそへて、今歳四月二十七日に奉納しめ給ひしになむ。
 あはれ、これの名簿はや、萬世に傳へ行くべき、甘し御寶底の寶と、神殿の内に深く納め奉りつるを、神靈たちも、いかに忝なみ喜び給ひなむ。穴賢こ、穴尊と。
 明治四十二年八月一日 宮司・賀茂百樹

 愚案、件に曰く、「君の御爲め」と。御一新後、價打ちの下がつたものゝ一つに、呼稱「君(きみ・くん)」があります。我が國に於て「きみ」とは、本來、上御一人のみを申し上げ、亦た「くん」は、神仙聖賢の謂ひ、尊稱たゞならざるものがありました。「くん」の方は、漢文にて現代も活きてをり、「○○君顯彰碑」等、我々が神社等にて遭遇する所、然しながら第二義的用法であります。況や俗稱「○○くん」をや。「君」の一大字、權臣さへも憚る所、全く君臣の大義に關つて、洵に至重至大であります。濫用は之を避け、本來の意味を、是非とも復活させたいものであります。
●源頼朝公『東大寺俊乘房重源宛返書』に曰く、「
 兼ねて御消息の、(重源房が輕率に用ゐた所の)『君、御助力ならずば』と候ふは、頼朝の事にて候ふか。然れば君の字は、恐れ候ふこと也。自今以後も、更に有る可からず候ふ者也」と。
 

  • [90]
  • 八十九。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月14日(木)21時16分54秒
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■平成十九年十月七日

――備中處士――吉備國の殉國烈士之碑。
●吉備國一之宮・吉備津神社【岡山縣關係法務死殉國烈士慰靈顯彰之碑】
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/698
 なほ一兵士樣の大論が、上記「三十。英霊に真の奉謝を願う」に在ります。翁のご識見、甚だ高きを拜することが出來ます。是非とも再讀して戴きたく存じます。
 又た宇山草地貞吾大人のシベリア抑留の記録が、次に在り、是非とも拜讀して下さい。
  ↓↓↓↓↓
http://www5.ocn.ne.jp/~iyasaka/Fuuka0.htm


■平成十九年十月九日

――備中處士――浪曲・村上喜檢。
○○○○樣
 浪曲「村上喜檢」は、「忠臣藏外傳」の由、小生は全く不案内なもので、其の粗筋なりとも、急ぎませんので、ご教授いたゞけませんか‥‥。是非とも。洵に相濟みません。備中處士 拜


■平成十九年十月十日

――備中處士――浪曲・村上喜劍。
 皆々樣、洵に難有うございました。檢校ならむかと、早とちり。後刻、調べて見ますね。敢取へず先づは、御禮申し上げます。○○樣にもね。此の場合の「ありがとうございました」は、初めて素直に????受取らせて戴き度く、存じ上げます。中々、粹な事も。ヤルヂヤン。但し彼方は、ゆめ、荒らすなよ‥‥。

――備中處士――堪忍袋の緒。
 こりや、本眞に驚いた。爲五郎だ。「文中と文末の『ありがとう』では、意識して使い分けています。文中のそれは『感謝の意』を表しているつもりですが、結びの『ありがとうございました』は、飛行機の機内アナウンスからヒントを得た、言わば『商売用語』です。食前に『いただきます』、食後に『ごちそうさま』と言うように、特に深い意味がない『慣用句』・『挨拶語』の類と思っていただければ幸いです。こうした説明がないと、人によっては、『皮肉』や『嫌味』に聞こえているのかも知れませんね」と。
 これだから、御主とは、住む世界が違ふ、と申すのです。此のスレにて、「商賈」なぞ、しないでもらひたいと、スレツド主では無いが、一言、苦言を申し上げておきたい。抑も「いたゞきます」とは、『食事神拜詞』の「天津神・國津神、言別けて豐受姫大神・産土大神達の恩頼(みたまのふゆ)を賽謝(よろこびまつ)り、拜み奉らくと白す。戴きます」の、最略詞と知れ。
 「余計なひと言ですね。起こってもいない事象の『妄想』は、あなたの脳内だけに留めておいてください。そう思うのは、あなたの自由であり、親しい仲間への忠告としてなら理解できますが、面識もない相手に向かって言ったら、反感をかうだけでしょう。それこそ、『争い』の火種を作るようなものです。言葉遣いもそうです。今の『仲間』でない赤の他人は、あくまで『部外者』であって、決して『敵』ではないでしょう。いずれ『仲間』になるかも知れないわけです。どうして、このことに思い至らないのですか」と。
 よくも、ま~あ~、これだけ云ふものと、感心しきりであります。天に唾するとは、御主の事では無いのか。耻づかしく無いのかな。言つたもん勝ちでは無いのですよ。出た~、「腦内妄想」の言、誰の眞似ならむ。御主、何と申して、此のスレツドに闖入して來たか、憶えてをいでゞすかいの~。儂は或人から教へてもらうた口ですが、ゆめ忘れてはをりませんぞ。御主の、或は惡口雜言、或は粘着執拗、或は慇懃無禮なるレスを、儂は、ず~と悲しび堪へに堪へてをつたが、遂に堪忍袋の緒が解けて來たのですよ(沈默無口は、それだけでも「禊の行」になりますがね‥‥)。餘人はいざ知らず、御主の如き者たげには、云はれたくないもんだ。プンプン。
 言はれゝば、默ること能はざる、一言居士ならぬ商賈人。さあ、一言、否、千言萬言、喋り捲くれ。而して喋り疲れたら、默つて居れ。獨言‥‥言葉遣ひが、そんなに惡いかなあ。御主の今までの投稿態度・口調からして、當然、斯く言はねば、均衡がとれぬ、と‥‥思うんですがね。未だ遠慮してをる心算なんだが。なほ往昔、古文調に凝つて習作した事があつたが、今更ら無理だし、○○樣のやうには、柔らかく書けないしなあ‥‥。然し一兵士翁の、彼の返翰は、名文だつたなあ‥‥。悔しかつたら、書いて見ろ。
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上記「八十七。今日も清浄、いい天気だ。」


――備中處士――浪曲・村上喜劍、續。
 村上喜劍、詠ふらく、
佯狂、世を欺いて、荒淫を事とす、
胸裡の謀略、遠くして且つ深し。
薩南の烈士、何ぞ察するを得ん、
漫罵、面に唾して、獸心と爲す。
と。
●福島四郎氏著『正史・忠臣藏』(昭和十四年十一月・厚生閣刊)に曰く、「
 さて、今一基の追加は、大高源五の隣に位置する點線の碑で、碑面の文字は次の通りで、
薩州産宇都宮成高寺現住岱潤建焉
刃道喜劍信士
明和四丁亥年九月十六日
と、ある。
 これには刃劍の二字があり、建設した年月と、薩州生れの宇都宮成高寺住職岱潤が建てたものだという事だけは分るが、俗名が書いてないから、刃道喜劍信士とは、誰の事だか、分明しないのである。
 この碑の建てられた明和四年は、義士らの切腹から六十餘年の後であるが、俗名が分らないため、種々の臆測が行はれた。そして俗間には、講談でよく讀まれる村上喜劍、すなはち大石が敵に油斷させる計略から遊蕩に耽り、大道に醉ひつぶれてゐるのを、恩知らずの犬ざむらひだと罵倒し、その面に唾して辱しめた人物の墓だと信ぜられてゐる。その村上喜劍が、後に泉岳寺の大石の墓前で、謝罪のために割腹して果てた。それで、その志を憐んだ僧岱潤が、一黨と同型の石碑を建ててやつたものだらうといふのである。
 これに對して福本日南は、この村上喜劍の事は、林鶴梁の名文『烈士喜劍傳』から有名になつたのであるが、喜劍の本名も不明なばかりか、他の信愚すべき書册にも見えない。多分好事者が、碑面薩州産の文字と、喜劍といふ法名によつて、薩州の劍客喜劍といふ架空の人物を作りあげ、講談の一席ものにしたのを、文章家の鶴梁が事實の精査もせずに、うつかり信用して、あの傳を作つたものだらうと言つてゐる。
 そして――、明和時代の神澤貞幹が、その著『參考義士篇』中に寺坂の事を記し、一説として「吉右衞門は、日本を遍歴したる後、參河の某寺に留り、明和四丁亥九月十六日沒す、行年八十七歳、法名刃道喜劍信士」と書いてゐる。寺坂は、延享四年に死んで、麻布の曹溪寺に葬られ、法名は節巖了貞信士であるから、前記、刃道喜劍信士は別人に相違ないが、三河の國には、兎に角さういふ僞寺坂がゐたものらしい。岱潤和尚、そんな事とは露しらず、三河にある僞寺坂の碑を、實際の寺坂の碑と思ひこみ、その法名と死亡の年月とを、他の義士と同型の石に刻して、ここに建てたのであらう。そして俗名を記さないのは、公儀では逃亡者として取扱はれた關係上、明記を揮つたのであらう。しかるに俗名の記してないところから、これが寺坂の碑であることを知らずに、後人が、今度は曹溪寺内の寺坂の碑によつて、間十次郎の隣の一基を建てたのである。だから追加の二基は、共に寺坂の石碑であると、これは福本日南の所説である。
 しかし今日に於ては、これが萱野三平(芝居では早野勘平)のために建てられたものだといふことが、ハツキリ分つた。井上通泰博士所藏の「泉岳寺藏版・義士墓地古圖」には、この一基に「俗名、萱野三平」と明記されてゐる。多分これは、『堀内覺書』の中に、傳右衞門が三平の噂をきいて大石に確めたところ、「もし生きてゐれば、必ず一黨に加はるべき人物であつた」と答へられたとある記事などにより、宇都宮成高寺の岱潤和尚が、泉岳寺住職の同意を得て、萱野三平のために建てたのだらう」と。

 愚案、義士四十六士論は、徳富蘇峰翁が夙に有名であるが(『近世日本國民史』第十八卷「元禄時代・中卷・義士篇」・大正十四年九月刊・時事通信社・講談社學術文庫)、渡邊世祐博士(『正史・赤穗義士』・昭和五十年一月・光和堂刊の著者)の、此の「序」にある如く、執念熱誠、福島氏の駁論も、亦た讀まれるべきであらう。件の論は、殊に蘇峰翁と福島氏の消息が面白い。最近はネツトと雖も、名論を讀むことが出來るのが嬉しい。
 浪曲師の師匠は「先生」と呼ばれ、落語家のそれは「師匠」と呼ばれる。其の所以が、浪曲師は、『太平記』讀み等の軍學者・武士の末裔にして、落語家は庶民・町人の流れであるから、格式が違ふと云へり。浪曲は、浪曲として樂しめばよろしい。無粹な引用であり、スレツド違ひの話題となりましたが、ご容赦の程を。


■平成十九年十月十一日

――備中處士――靖國神社創祀の源流。
【孝明天皇御製】
ほことりて 守れ宮人 九重の みはしのさくら 風そよぐなり

●今日の讀賈オンラインから(餘りに非道いので、書替し畢ぬ)
 孝明天皇、攘夷を御祈願、下鴨神社、「開かずの間」初公開へ
下鴨神社(京都市左京區・世界遺産)は、十一月一日~十一日、幕末、孝明天皇が攘夷を祈願し給うた神服殿(重要文化財)の「開かずの間」を、初公開する。神服殿は、寛永五年の式年遷宮で、祭神用の衣服を仕立てる場所として建立された。廣さ十二疊の「開かずの間」は、玉座があつたことなどから、一般には公開されてゐない。
 ペリー來航をきつかけに、國内が騒然とした文久三年、孝明天皇には、將軍徳川家茂を從はせ給ひ、約二百四十年ぶりに下鴨神社へ行幸、この部屋に於て攘夷を祈願し給うた。公開時には、部屋の中央に、「御褥(おしとね)」と呼ばれる座布團を敷いて、「玉座」を再現し奉る。


正気の系譜。
 ○○○○さん、あなたの投稿は峨峨(がが)たる峻岳の谷間を一人、黙々とあるく行者の如き感がある。悪いことではない。まさに、明治初頭の「神風連の人々」の想いが連想できる。○○○○さんの志操は、靖國神社云々ではなく、伝統・正気の系譜における呻吟でしょう。他人が、誰も手出しが出来ぬ。じっと見つめているしかない。ただ、ふっと脳裏に浮かんだのは、獄中にあった越前福井藩士橋本景岳のことである。大獄にある景岳と○○○○さんの悩み・環境は、まったく関係のないことだが、何故か、ふっと浮かんだ。景岳は、獄中の夜の長きに閉口した。陰風骨を刺して三更を過ぐ。獄中の窓から見える天空の一点に光る星を見つめて、文天祥の正気の歌を独吟。その風格節義を心に筆写し、威儀を正したという。いつのまにか、四隣のざめきは心に入らず、端坐して、無限の燭光が心の内を照らし、寝入ることができた、と‥‥ものの本に書いてあった。この話が‥‥、○○○○さんのお役に立てば‥‥と思った次第。正気の系譜を継いで欲しい願いでもある。

 備中さん、お元気そうで。結構なことです。一兵士は、雑事頻繁で、しばらくは閲覧です。泉岳寺の話、面白かった。○○さんが、最近あまり見えないのが寂しいし、○○○○さんの話も、なにか聞きたい。○○○○さんも忙しそうだが、荒れる話で結構、書き込んでください。それもここの特徴ですから、かまうことなく、暴言はいてくれていいですよ。‥‥○○さんは‥‥、この人は荒れた後に出てくる人だから‥‥。なにか書いてと言っても、無理かな。それでは、これから出かけますので。

 ○○○○さん。あなたの話は、直ぐに飛びつけない。様子を伺いながら、(この人は、今度は何をいいたいんだろう‥‥)と、恐る恐る読んでいくサスペンス、スリラーみたいな投稿だ。そして、最後は喝采を送っている。そちらには聞こえていないかも知れませんがね。一兵士の喝采の音です(おみごとなり)。


――備中處士――産土大神の讚歌。
○○○○樣
 「私がそれらの映像を見る事を、『不敬』であると感じるからです」となん、洵に祝着至極に存じ上げます。
 産土大神へ、月に二囘は參拜される由、此の上なく難有く、尊き事と拜し奉ります。小生も、歡喜の餘り、次のめでたき産土大神が讚歌を紹介させて戴き度く、筆を執ります。
●龜山神社宮司・潮武臣翁『産土讚歌』(昭和五十五年五月刊『鎭守の杜の神々』所收)
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http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t21/9


■平成十九年十月十四日

――備中處士――皇學指要。
 和魂漢才を稱へしは、我が菅公なり(『菅家遺誡』に曰く、「凡そ國學の所要、和魂漢才に非ざるよりは、其の蘊奧を闕くこと能はず矣」と)。西洋最新の學術を習び、世界の大勢に通曉した橋本景岳先生は、弱冠にして、學、東西を兼ね、皇國至純の傳統(崎門道學・平田國學)を得て、「器械藝(=技)術は彼に取り、仁義忠孝は我に存す」(成齋重野安繹博士が、西郷南州翁より景岳先生の言葉を傳へ聞いた所)と、所謂大和魂を振起した。
 亦た敬神黨、即ち所謂神風連の一黨の祖・林櫻園老は、自ら蘭學を學び、門生に其の手ほどきまでしてゐる。神風連の門下に、齋藤求三郎・上野堅五・井戸勘兵衞・福原秀久等の、蘭學者にして錚々たる國粹主義者を出づるに至つた所以である。このことは、日本の先覺と云はれ、進歩派の代表の如く思はれてゐる横井小楠と其の一黨に、米國に渡つた二甥の外は、一人の蘭學者も無く、漢籍以外の外國書を讀む者が無かたつたことは、不可思議と謂ふべきであらう。なほ我が國粹主義とは、皇國の精粹を發揮して已まざる者を謂ふ。亦た宜しからずや。
 下記の最下に在る論評は、平田篤胤大人に對する理解ある言葉なり。
●オロモルフ博士『平田神社参拝記録』
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http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/hirata.htm

●濯直翁遊佐木齋先生『神儒問答・第三』(室鳩巣に答ふる書・元祿十年六月十八日)に曰く、「
 夫れ人也、生るれば必ず死し、王也、興れば必ず亡ぶ。必然之理也。然れども我が王也、盛衰有りて、未だ興亡有らず。興らず、何の亡ぶことか之れ有らん。天地と共に主爲り、開闢と共に君爲り。天地に主として萬物に君たる者は、其の創業埀統を言ふ可からず‥‥。
 天、地に下らず、地、天に上らず、君、臣に下らず、臣、君に上らざるは、天地之常經、古今之通誼也。此れ乃ち我が神教之大意也‥‥。
 明徳・新民(愚案、『大學』の綱領)有りて、本末を差(たが)へざるは、則ち王道也。明徳・新民有りと雖も、少しく本末を差ふれば、則ち覇道也。明徳・新民を知りて、能く本末を知る者は、道學也。明徳・新民を知ると雖も、本末を知らざる者は、功利之學也」と。
●谷秦山先生『秦山手簡・三宅尚齋に答ふる書』に曰く、「
 御諷諫までもなし、君を弑し申し候ふも、事によりくるしからずと、もろこし第一の『易』に出で候得共、此方に用ゐず候ふ。合はざる事を用ゐず候ふからは、合ひ候ふ事を用ゐ申すも、自然の理にて候ふ。是れ人の本心にて候ふ。むせぶにこりて食をすて候ふは、愚昧の人のする事、法るに足らず候ふ」と。
●寒林平泉澄博士『皇學指要』(昭和四十四年十月・『高原(美忠)先生喜壽記念・皇學論集』所收)
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http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/869

――備中處士――
●備中處士『靖國神社誌』・『新編・靖國神社問題資料集』
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http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t2/l50
●備中處士『靖國神社祀職』
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http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t4/l50
●備中處士『賀茂百樹大人遺文』
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http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t8/l50
●備中處士『松平永芳大人遺文』
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http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t3/l50
●備中處士『靖國の祈り』
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■平成十九年十月十五日

――備中處士――『やすくにの祈り』
●靖國神社・やすくにの祈り編集委員會編著『御創立百三十年記念――やすくにの祈り――目で見る明治・大正・昭和・平成』(平成十一年七月・産經新聞ニユースサービス刊)より
○『奉頌歌・靖國神社の歌』(作詞=主婦之友社の一般公募第一等・高知縣教員細淵國造、作曲=陸海軍省選定・海軍軍樂隊員和眞人)
一、日の本の光に映えて、盡忠の雄渾祀る、
宮柱太く燦たり、
あゝ大君の御拜し給ふ、榮光の宮、靖國神社
一、日の御旗斷乎と守り、その命國に捧げし、
ますらをの御魂鎭まる、
あゝ國民の拜み稱(たゝ)ふ、いさをしの宮、靖國神社
一、報國の血潮に燃えて、散りませし大和をみなの、
清らけき御魂安らふ、
あゝ同胞(はらから)の感謝は薫る、櫻さく宮、靖國神社
一、幸御魂幸はへまして、千木高く輝くところ、
皇國は永遠に嚴たり、
あゝ一億の畏み祈る、國護る宮、靖國神社
○「戰沒者の合祀」に曰く、「
合祀基準と手續き・戰前
一、合祀について、陸海軍で一定の基準を定めてゐたやうであるが、極祕に取扱はれてゐたため、確實なことはわからない。また明文化されたものは無かつたやうである。ただ前例に基づき、前例を擴大しない方針で取扱はれた。
 昭和十七年ごろ、すなはち大東亞戰爭戰沒者の合祀審議を行ふやうになつて、はじめて「合祀資格審査内規」のやうなものを、前例に基づいて作成し、審査委員のみに配布されたやうである。
二、合祀の手續きについては、戰沒者が生じた時點において、陸(海)軍省大臣官房内に審査委員會が設置され、高級副官を委員長とし、各部將校を委員に任命、出先部隊長または聯隊區司令官からの上申に基づき、個別審査の上、陸海軍大臣(他省關係合議の場合もある)から、上奏御裁可を經て、合祀が決定され、官報で發表、合祀祭が執行された」と。
○「『やすくにの祈り』ともに未來へ」に曰く、
國民的な組織を目標に、靖國神社崇敬奉贊會發足
 平成十一年、靖國神社は、御創立百三十年を迎へた。靖國神社は、明治二年に創立されて以來、近代國家建設の途上で遭遇した事變・戰爭で、尊い生命を國に捧げた二百四十六万六千餘柱の神靈を手厚く祀つてをり、國民から國家の安泰と國民の平安を念じつづける神社として崇敬されてゐる。
 しかしながら戰後五十年を經た今日、これまで神社を支へてきた遺族や戰友の高齢化が進み、また、戰後教育の偏向によつて世情が荒廢する中で、神靈のみ心と神社崇敬の誠を次世代に傳承するといふ大きな問題が、神社を取り卷いてゐる。
 そのやうな状況下で、國民各層から物心兩面の支援を得るため、平成十年十二月十七日、靖國神社奉贊會と全國の靖國講を統合して、「靖國神社崇敬奉贊會」が發足した。‥‥
 靖國神社は、平成十一年の御創立百三十年を期して、「やすくにの祈り」を、國民と共に未來へ傳へるために發進した」と。

――備中處士――大正天皇御製詩。
●南部利昭宮司『天地十分春風吹き滿つ――大正天皇御製詩拜讀』序(西川泰彦翁著・平成十八年四月・錦正社刊)に曰く、「
 現在、靖國神社に對する政治家・學者・經濟人からマスコミに至るまで、常識を失つた論が横行してゐるが、大正天皇は、實に明確なる英靈顯彰の御心をもたれてゐた。當社で毎朝拜禮の際、『明治・大正・昭和天皇御製集』から、一首づつ奉唱してゐるが、その中に次の一首がある。
 臨靖國神社大祭有作(大正四年)
武夫重義不辭危
想汝從戎殞命時
靖國祠中嚴祭祀
忠魂萬古護皇基
 靖國神社大祭に臨みて作有り
武夫、義を重んじて、危きを辭せず、
想ふ、汝、戎(たゝかひ)に從ひて、命を殞すの時、
靖國祠中、祭祀を嚴にす、
忠魂、萬古、皇基を護る。
 義により難に殉じ、永く皇基を護る忠魂に對し、祭祀をおごそかに行はんとの御意である」と。
 なほ一兵士翁の謹解は、上記「六十九。厳なる戦いの勇者を祀る」に在ります。
 

  • [89]
  • 八十八。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月13日(水)18時27分16秒
  • 返信
 
■平成十九年九月三十日

些細なことだが、大事な話。
 いま、投稿しようとしたら、該当の人が投稿していた。それを知らずに書いたので、とりあえず、投稿する。諡号のハンドルネームのことだ。少し、触れておこう。大事なことだから。○○○○さんが、投稿してきた相手のハンドルネームに、「様」をつけて呼びかけた。「○○様」、と。宮中の旧側近奉仕者や、神社関係者は、「明治天皇は明治様」、「大正天皇は大正様」とお呼びするのが普通である。逆にいうと「明治様」といえば明治天皇を、「大正様」とお呼びすれば大正天皇を、「昭和様」と言えば‥‥、昭和天皇をお呼び申上げる時である。一世一元の制ということは、こういうきわめて限定的な「用語法」を、国民に強いるものであることも知るべきであろう。○○○○さんが、突然――、≪まあ、この掲示板には先帝陛下の諡号を、堂々ハンドルネームにしているような馬鹿がおりますから≫と言ったのは、当然といえば当然なわけなのだが、普通人・一般人の感覚で言えば、「なんだ、この野郎」と気色ばるのも、わかるといえばわかるが、こういうところに、学識・尊崇・尊厳の問題が内在してくるのだ。要は、深い領域にまで、ご自身の身を置いて、保守を論じるのか、靖國神社を論じるのか、という問題になろう。ネット族・オタク族で終始するのか、向上するのか、自分を今後、高みへもって行きたいのか、凡庸で終わりたいのか、そういう問題だ。学問するのか、バカでいたいのか‥‥、という問題と関わる。ここのスレッドは、一兵士以上に、専門家に近い人も投稿している。教えを受けたら、素直に従った方が、自分を上に持ち上げられる。バカといわれて、怒ることはない。そういう暴言を、自身で吐いているからだ。此処は、そういう正統なことを論じるスレッドだから、反していれば、バカと言われて当たり前。「三丁目の夕陽」を懐かしむ、「気楽なスレッド」ではないよ。○○ちゃんが、初めていいことを書いていた。○○○○さんが一向に相手しないのは、「理解が、○○○○さんの話のレベルまで達していない」からだ。俗論では、いつまで罵っていても、出てこんと思うがね。

 ‥‥話を元に戻すが、やはり、こういう先帝陛下の諡号の命名は、本来、避けるべきであろうと考える。保守の掲示板では。昭和天皇をさしおいて、他人から「○○様」などと呼ばれ奉られて、平然としているのは、まずかろうと思う。‥‥多分、この方は、此処までのことを考えておらず、懐かしさの時代という意味で、「年号」を命名されたと思うが、誤解を呼ぶ。変えたほうがよろしいかと思う。誤解が生じない。また、時・所・場所によっては、脇腹を一突されることも考えられる。そういう人たちも混在したのが、靖國神社だということも。それほどのことと‥‥、理解されることを望みたいが。あとは、あなた次第だ。素直に自分を見つめるか、ふんぞりかえるか。そこで普通人と学びの舎となるか‥‥、ご自身の格付けです。少し、厳しい言い方をしている。この方は、そういう人ではないような気もするが‥‥。

 また、もう一つ。別の話。靖國神社といわず、全国の神社境内に、「公共」というものはない。一見、公園に見えるような神社境内もあるが、そこで目に入るベンチ・灰皿・小石・樹木・池・金魚‥‥、一木一草・本殿上空に広がる青空・雲、あるいは山一つでさえ、それは公共物ではない‥‥と、考えることが、神社に対する心、姿勢なのです。あなたに、尊崇の念があるならば、だ。総ては参拝者のためのものであり、一般者のものではない。ましてやマスコミなどのために用意したものなど、何一つとしてない。靖國神社境内の灰皿を、「公共灰皿」などという言葉を使わないように。靖國神社境内で目に入るものを、「公共」などという言葉を使わないように。それを聞いて、憤然としない神職は、いないだろうと思う。くれぐれも注意を。境内に「公共」はない。しつこいようだが、「一般人」は関係ない。総て参拝者のためであり、神社は、参拝者が訪れる所だ――、という意識を、言葉の内でも外でも、頭の中でも額でも、厳然として持つか、貼り付けておくことだ。あなたに、靖國神社に対して尊崇の念があるならば、だ。なければ‥‥、別に。叱責の対象ではない。神社は公園ではない事を、もう一度反芻してください。

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【追伸‥‥到着殿反對側のデイアナ號のカノン砲の脇に、三十年前から在る『固定の參拜用灰皿』を、「靖國神社側が、マスコミ・その他一般人のために、道を隔てて用意してくれた公共灰皿と緑陰休憩場所」と言ひ張り、己の非を隱して人を欺く櫻掲示板運營管理室。此の開き直りの發言ほど、驚愕したこと絶えて無く、小生が怒り、抑へ難し。無禮至極、嘘言僞作、こゝまで來れば、習い性となり、必ずや詐欺の常習犯と謂ふべく、抑も「とんでも無い連中」であることの實證。嗚呼、慘たる哉、日本文化チヤンネル櫻‥‥。一斑は以て全豹を察すべく、「誠」も通ぜぬ、「魂」の醜き奴輩たるは、明々白々、斯くの如き詐欺師相手に、何を云はうが、畢竟、徒勞なり。然し一兵士樣は、小生が「斷筆退室」を御許し戴けない。‥‥】

【參考・塾頭『破邪顕正を旗印に』――日本文化チヤンネル櫻の正體】
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http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/415

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――備中處士――尊號たる御追號。
 此の場合の「御諡號」は、一世一元制の下に在つては、「御追號」が適當ならむと存じ上げます。
●『増補・皇室事典』(井原頼明翁著・昭和十七年四月版・五十四年五月復刻・冨山房刊。宮内大臣松平恆雄氏の題字・宮内次官白根松介男の序あり。井原翁は、神道の大家・今泉定助大人の弟子)の「御追號」に曰く、「
 舊くは御諡號とも申し上げた。天皇・太皇太后・皇太后・皇后の崩御せられた後に奉る尊號である。御追號(皇室喪儀令には追號と用ゐられる)は、これを勅定せられ、天皇、親しく殯宮に追號奉告祭を行はせられ、次で宮内大臣・總理大臣の連署をもつて公告し、太皇太后・皇太后・皇后の御追號は、宮内大臣が公告する。御歴代の天皇の尊號は、或は御在所名・御陵地名をとり、或は前帝の尊號に「後」の字を加へ、または御治世の年號をもつて奉るものなど、區々であつた。然るに明治天皇崩御の後からは、御治世の元號をもつて御追號となし奉るの例が始まつたのである(皇室喪儀令第二條・第三條參照)」と。
●蘇峰徳富猪一郎正敬大人「『皇室事典』に就て」(東京日日新聞「蘇峰小品」・『増補・皇室事典』所收)に曰く、「
 野人、禮節に□[女+間。なら]はずとは、人臣相互の間には、或は通用す可し。苟も事の皇室に關するものは、我等臣民は、恐懼、戒愼、其の丹誠を抽んでゝ、萬に一の失體なからんことを□[冒+力。つと]めねばならぬ。
 然も今日の皇室に關する事は、決して上代の如く、簡明なるものでは無い。されば如何に我等が丹誠を抽んで、忠□[心+枕の右。しん=誠]の極みを效さんとするも、我等の知見にして及ばざれば、臍を嚙むの悔を來さねばならぬ。この心配を除く爲には、本書の如きは、如何にも座右の佳伴とせねばならぬ。‥‥惟(おも)ふに如何なる學者でも、事の皇室に關するや、往々其の用語に當惑することがあるも、それは決して用語其物を知らぬからではない。但だ如何なる場合に、如何なる用語を使用す可きかを知らぬからだ」と。

――備中處士――ひとり相撲・捏造癖・自己陶醉。
 「総ては参拝者のためのものであり、一般者のものではない。ましてやマスコミなどのために用意したものなど、何一つとしてない」は、一兵士樣の文章です。貴方の文ではありません。○○○○樣の曰く、「得意の電話攻撃とは何のことか。事実でないことを書いた」、「私について、桜に電話をかけたと言っていたが、それは間違いだ。私は電話はかけていない。間違いを指摘されて、そのままか。間違ったら、謝罪せよ。日本語が読めないか?」、「私は桜に電話をしたことがない。嘘をつくな」と。一兵士樣は、「実際に掲示板運営者に話して来なよ。お得意の電話攻勢かけて、一兵士の追放運動を起こしなさいな。いいんだよ、遠慮はいらん」と仰られました。さう、『電話したら如何なの』と仰せであつて、『電話した』と仰られてはをりません。貴方が「ひとり相撲」・「捏造癖」と云はれる所以であります。貴方が冷靜になられる事は無理と判りましたが、再度、否、何度も讀み返すことを、強く勸めます。「事實でないことを書いた。間違つても謝罪しない。日本語が讀めない。嘘をつく」のは、貴方です。

一、○○○○樣の曰く、「『桜』に掲示板を提供していただいているおかげで、投稿できることもわかってはいない。これについても『おかげさま』という気持ちがあってもよい」と。數ある掲示板の中で、熟慮選擇して、御蔭樣にて書込みさせて戴いてをります。此のスレツドの發言者は、一人として「おかげさま」と思つてゐない御方は無いのではないか。「おかげさま」は、貴方の獨占物ではありませぬ。
一、「桜のTVスタッフの件についても、管理人室様からご指摘があった。言い訳をへらへら書かずに、謝罪せよ」と。餘り此の問題を蒸返しますと、それこそ一大事となり、靖國神社社務所樣・掲示板運營管理室樣のご迷惑になるのではありませんか。
一、「人としての常識を持ってから、歴史について述べよ。カレーの牛肉の話を仲良くやっている内は、同趣味の仲間の会話として放置する」と。洵に難有うございます。
一、「ハンドルネームを問題にされるのであれば、経歴詐称の「一兵士」を問題にしなければならないはずだ。本人よりきちんとした説明はなかった。英霊を冒涜するものである。‥‥他の人のハンドルネームまで、同好会のネタで批判する」と。雅號の問題は、今まで、一兵士樣はじめ、何人もの御方が發言されてをられます。今一度、ご精査ください。貴方は納得出來ないのは仕方がありませんが、必要以上の繰返しは、「誹謗中傷」にもなりかねません。抑も雅號を問題としたのは、貴方および其の御一黨樣であることを、御忘れでせうか。○○○○樣は一囘のみ、それに引替へ、貴方は幾囘になつたでせうか。此の掲示板には、人を驚かす雅號を名乘られてゐる方が、幾人もをられます。今頃、頭を掻いたり、赤面してをられるかも知れませんよ。五月の蠅では無いのですから、お控へ下さい。
一、「この板はしめるべきだ。根拠なく人を貶める者が集う板なら、閉鎖されるべきだ。この板で、靖国神社に集う人への無用な批判をしたり、桜のTVの批判をしたり、他人のハンドルネームの批判をしているが」と。「無根據」との仰せですが、或は見識を以て、或は見聞を以て、或は出典を以てし、皆樣各人、責任を有つてをられると存じます。又た「批判」が無ければ、掲示板の意味は無いと存じますが、如何でせうか。それとも貴方だけが、唯一の「根據」をもつ御方なのですか。
一、「いずれもこの板に集う者が勝手に思っていることであり、誰が見てもおかしいという根拠をもつものではない」と。當然でせう。靖國神社の「正統」を語らうとしてゐるのですから、反對ないし不愉快なる御方がゐる事は、固より覺悟してをります。
一、「この板は閉めて、どこかでブログでも立ち上げて、自由に文句を、永久に語ってくればよいのだ」と。何度も恐縮ですが、貴方にとやかく言はれる筋合ひは、全くございません。「電話」はされぬ由ですから、「運營」の方でも投稿されむことを、切に御頼み申し上げます。スレツド閉鎖は、貴方は御承知ないやうですが、櫻掲示板運營管理室樣の專權事項であります。其の際には、管理室樣にご迷惑を御掛けしないやう、明確な「根據」を示して下さい。亦たスレツド主たる一兵士樣が「正統」を語れぬ環境と斷ぜられたら、自ら閉鎖されると存じます。それまでは、待つて戴けないものでせうか。でも、一兵士樣の不在は寂しいですね、小生には。○○○○樣、ご熟慮ご理解を賜はれば幸甚です。


■平成十九年十月一日

――備中處士――高速スクロールの妙技。
 何か虚脱感を覺えたり。なに、單なる小生の愚癡ですが‥‥。更めて「○○○○」なる者の、他スレツドに於ける最近の發言を電覽して、尋常ならざる言葉を發見し、深刻なる衝撃を受けた事を、こゝに告白せざるを得ない。曰く、「歪曲屋や全くの事実誤認を、ただ書いているようなものについては、無用なスレッドの隙間として、高速スクロールしてもよいかと、思っています」と。洵に不埒千萬、小生は疲れました。皆樣にも「高速スクロール」の技法を、此の者に對しては御勸めしたく存じます。返答は御無用です。固より宛名を書いてをりませんから。
 ○○○○樣には、誰も何も申せません。貴方に狙はれたら最期、不運として我が身をかこつ事と致します。此の調子で、本スレツドに御臨みなのでせう。これでは、規定「著しく敬意を缺く表現」に、「皇室」有つて「神宮」無きをよい事に、「大御名」の誤植は、絶對に訂正しない。返應が無いと怒るくせに、自分は馬耳東風、傍若無人。やうやく腑に落ちました。貴方の如き御方は、正に唯我獨尊、天下無敵です。何時か戰役があつたら、刃物、否、軍刀を振りかざし、「うるさい!」と咆哮して、貴方は不愉快と信ずる者を斬りまくるに相違ない。冀ふ所は、外つ國の覇道不仁の軍に參加されむことを。ゆめ、大義の軍たる皇軍として志願されぬやうに‥‥。戰ひ終つて、相手國から何を訴へられるか、得て知るべきでは無い。福原、桑原。


■平成十九年十月五日

――備中處士――御諱の禁忌。
 追號たる御稱號は、之を知らず。歴代天皇の御諱の流用は、法令に之を許すと雖も、草莽たる者、三代の御諱は、嚴に之を避けるべきであらう。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t7/4
 愚案、奈良の若草山は、もと三笠山(御蓋山)と呼ばる。然るに昭和十年、大正天皇第四皇子崇仁親王には、「三笠宮家」を創立し給うたが故に、之を憚り、若草山と呼稱するやうになつたと云ふ。明治六年以降に廢止されるも、良風美俗、猶ほ存すと謂ふべし。但し戰後は如何か知らず、何でも自由ならむか。故に殊更に之を咎めずと云ふも、亦た已むを得ざるなり。現行の「裕」の御字は、蓋し都知事の弟御より來るならむか。亦た風俗の下りたるを知るに足らむ。吁。


■平成十九年十月六日

――備中處士――正統護持の所據『靖國神社誌』編纂事業繼承の悲願。
【新編・靖國神社問題資料集】
 ↓↓↓↓↓
http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/document2007.html

●文教科學技術調査室・調査及び立法考査局專門委員・春山明哲氏「解題『新編・靖國神社問題資料集』刊行の經緯と收録資料の概要――靖國神社の近現代史に寄せて――」に曰く、「
 靖國神社の歴史敍述は、明治四十四年に刊行された『靖國神社神社誌』(靖國神社發行兼編輯)をもつて嚆矢とする。この書は、靖國神社第三代宮司である賀茂百樹の編纂執筆にかかるもので、東京招魂社の創建から日露戰爭の、この時期までの記録を歴史的にまとめたものである。賀茂百樹は、明治四十二年から昭和十三年まで、三十年間にわたつて宮司の職にあり、江戸時代の國學者賀茂眞淵の家系を繼いだ國學者でもあつた。賀茂は『靖國神社誌』の刊行と同時に、『靖國神社事歴大要』(國晃社・明治四十四年)を著し、また昭和十年には、全五卷の『靖國神社忠魂史』を編んだ。これは明治維新から滿洲事變・上海事變までの戰史、個々の戰鬪・事件等と對應させて、この時點までの十二萬八千餘柱の氏名と事蹟を收録した、膨大な記録である。
 靖國神社が編集刊行した基本的な資料は、昭和五十八年から五十九年にかけて刊行された『靖國神社百年史・資料篇』(上・中・下)三册と、昭和六十二年刊行の『靖國神社百年史・事歴年表』である。『資料篇』は、神社所藏の文書資料等を十七部門に分類整理して收録したもので、『事歴年表』は、昭和六十年までをカバーした詳細なものであるが、當初豫定されてゐた『總説』一卷は、編著者の森谷秀亮博士(元駒澤大學教授)の急逝により實現しなかつた。このためもあつて、靖國神社の通史記録は、現在にいたるまで存在しない」と。

 愚案、今夏、靖國神社に參拜させて戴いた折、偕行文庫にて『靖國神社百年史』(非賣品)を拜見、中に松平永芳宮司の序文が無いので、之を不審に思ひ、司書の御方に御聞きした所、「松平宮司に御願ひしてをらぬ」由。『靖國神社百年史・總説』完成の折に、御願ひする心算であつたのか。松平宮司時代の編纂事業、其の頓挫が悔やまれる。『湊川神社史』三卷をものせられた元總代・森田康之助博士も既に亡く、現總代・所功博士に期待するや、大なるものがある。
 一兵士樣に熱望する所は、更に御自愛あつて、靖國神社正統の歴史編纂に當り、現在に於る靖國神社の誤解・混迷の樣相を剔出し、「あるべき姿」を「事に據り直書」して、後世に殘されむことを懇祷して已みませぬ。又た松平大人の逸話・義憤も、是非とも更に御聞きしたく存じ上げます。是れ即ち靖國神社正統護持、一條の燈であります。
 

  • [88]
  • 八十七。今日も清浄、いい天気だ。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月13日(水)18時23分29秒
  • 返信
 
いやあ、弱った弱った。
 (桜掲示板劇場第二幕・台本執筆中の一兵士様。部屋の中を、行ったり来たりしている。)
「なんか、みんな、勝手に書いていやがんなあ。オイラの腹の苦しさも忘れて。まあ、いいか。さすがは、一味違う連中だ。たいしたもんだ。そんなことより、いやあ、弱った‥‥、弱ったねえ‥‥、困ったねえ‥‥。とうとう、管理人様が出てこられた。ひや~~~~、相手が悪い。泣く子と地頭と桜管理人様には、お手向かい出来ませんよお~~~~。」
と、頭をごしごし、金田一耕介のごとく掻きむしる。ハタト足を止める。
「しかしだ――。」
天井を見つめて、腕組みする。
「しかしだ――。まさか、まさか、今度の管理者様は、以前の方と違うようで、どうも一兵士が、靖國神社の生き字引、境内灰皿・置物・幄舎(参集殿前にある布帛で覆った臨時小屋。一般的には休憩所と見られている場所)・献木‥‥、何から何まで知っていて、普通の参拝者とは違うよ‥‥、ということを、知ってたんですか、知らなかったのか? まさか、管理人様から、神社境内の様相、到着殿前のマスコミの様相などを、ご説明されるとは思わなかった。朝日毎日の取材場所はロープ規制、桜のスタッフは、彼らマスコミ陣よりも優遇され、ある程度自由に、境内を撮影してもよいという許可を‥‥、広報課は出している。‥‥これにもいろいろあって、‥‥ともかく桜には出している。従って、一般のマスコミ陣とは違ったアングルで、境内は撮影できる‥‥。これがまずかったのか? いやあ、一兵士を怒鳴るだけならよかったが、とんでもない話を、管理人様は書いてしまわれた。靖國神社をあまり知らないようなので‥‥、困ったああ、困ったああ。(その話は違いますよ)なんて言ったら――。ああ、もっとオオゴトになってしまう。管理人様のお立場がなくなってしまう。逆鱗に触れるのはまずいなあああ。

 灰皿はマスコミ用ではなく、参拝者用で、あの灰皿は三十年前からあるもので‥‥、神社はこれまで、マスコミ用に灰皿・休憩所など用意したことは一度としてないし‥‥、なんて、まともに言えないし、ああ、弱った弱った。管理者様に、なんとお諌めしたらよいか‥‥。ええい、このまま、一兵士が申し訳ありませんと、謝って置けば穏便に‥‥。しかしなあ、誤解を生むような発言をされているからなあ、管理人様は‥‥、チト問題だし。ああ、ハムレットの悩みだ。どうしたらいいか。管理人様に恥を書かせては、一貫の終わり。アウト。それだけはなりませんぬ。一族の運命がかかっておるし‥‥。し‥‥しかし、話が違いすぎるし、ああ、これは出来たら、裏で談合して‥‥。いかんいかん、そんなことしたらいかん。ああ、どうするどうする。ようし、わかった。此処は一番、管理人様の間違いには目をつぶって、○○○○をこらしめにゃいかん! そうだ、これでいこう。長いものには巻かれろ! 短い奴には文句を言え!だ。よし、これで一件落着――。さ、寝るかな」。

 一兵士、布団の中に入る。すぐに起き上がる。
「しかしだ。まさか、ホントにまさか、一兵士に、神社境内の話で説教してくるなんて、思いもしなかった。誰か、傍にいるものが、『一兵士は堀の内の人だから、神社内部の話とか、境内の話などしても、相手は住人同様だ。逆襲されるのがオチだから、他の手で懲らしめろ!』という、助言者がおったらよかったのに‥‥。ああ、どうしよう、どうしょう」。
一兵士、バタンと横になる。
「今夜は寝て、明日、考えよ~~~と。明日、目が覚めるのがこわいなああ。どんなことになっているのか。」‥‥ぐうぐう(と、もう鼾をかきだす)。
舞台、暗転。


■平成十九年九月二十六日

今日も清浄、いい天気だ。
 一兵士、ガラッと玄関の戸を開けて‥‥、ではなく、申し訳ないが、大戸を押して、玄関先まで雪駄で降りる。
「あ~あ。今日も空気は清浄、いい天気だ。」
「おはようございま~す」と、いつもの掃除のおばさんが、顔をあげて挨拶してくる。
「まあ、一兵士様、今朝もお顔が輝いていますわ。」
「はあ、それは嬉しい。おや、善子さん、何、その棒は?」
善子と呼ばれた掃除のおばさん、六尺棒みたいなものを掴んでいる。
「は?あ、これですか? いえね、朝方まで玄関先にうろついていた野良犬。まあ、汚いの、何の。可哀想に、昔は立派な飼い犬で、皆さんにも可愛がられていたんでしょう。それが捨てられてしまったんでしょうかねえ。哀れな感じでしたよ。」
「ほう、野良犬か? 可哀想に。まともなメシもくっとらんだろう。」
「そうなんでございますよ。口からだらだらよだれを垂らして、また、それを自分でナメテ‥‥。ああ、いやだいやだ。思い出しても気持ち悪い。それに野良犬の癖に、なにかイザナギ・イザナミの話なんかしているんですよ。」
「は? 野良犬がか? 神さまの話をかね?」
「はい。」
「はははは。なんだ、善子さんも人が悪い。本物の野良犬のことかと思ったよ。なんだ、人間の話か。野良犬みたいな人間ということか。はははははる」
「いいえぇ、本物の野良犬でございますよぉ。」
「ははははは。冗談がキツイねえ。」

 一兵士、大あくびして――、
「しかし、なんだな。この間の○○さんの時は、○○さんが拍手一番、見事なお話だったが、今回は選出が難しい。○○○○・○○○○・○○○○‥‥、何れも味なことを言っている。う~む、何れも一騎当千のツワモノ、一城の主。しかし、今回は、強いてあげれば、一番槍の○○○○氏、一連の投稿かな。ことに≪俗説に対置する逆説こそが、信頼に値する正統である≫なんて話は、ちょいと誤解も招きかねないが、しかし、なんのなんの、そこらここらの主では出てこない言葉。やはり、足軽風情とは違いますなあ。○○○○氏の話はたいしたものだが、これは‥‥、もしかすると、○○○○氏が偉いんではなくて、父上殿が大層なお人なような気がする。小さい頃から、父上の背中を見ておったんでしょう。多分。○○○○氏の百二十%説。なんにも言わなくても、「わかっている人は、わかっている」ということの立証ですかな。男は黙って‥‥、やることをやんなさいだ。一般人ではないぞ、参拝者ではないぞ。自覚せよ!という、エライカーブというか、ドロップというか、ブーメランのような警鐘ですな。それと、○○○○さんの海軍カレー。あれはその通りだ。一兵士も考え付かなかったこと。いやはや、おみそれいたしやした、たいしたお人だ。あの遊就館の中のお店ね、あそこの店には寄らんのだ。一兵士が座っとると、いろんなのが寄って来るので、挨拶を返すのが面倒くさくてな。‥‥そういえば、備中さんが、あまり顔を出さなかったね。やはり、右手の直りが良くないのか? まあ、ヤキモキせんと、ゆっくり養生を。○○さんも、おや、○○さんも、そういえば顔を出さなかったな。ご両人のことだ。ばかばかしくて、相手が出来んということか? ま、、、、、、そういえば、そうだがね。さて――いよいよ、次回の第二幕‥‥三幕か四幕か、わからんようになった。

 書籍『やすくにの祈り』序文に書いてあった、江藤淳さんの「皇帝と国民」。靖國神社のホームページに書き写してある「皇室と国民」の、どっちが真贋の話だ。ネットだけでメシを仕入れていると、どんな残飯を食わせられるか、知れたもんじゃないことの――警鐘だ。全閲覧者にだ。戦前から現在に至るまで、日本国天皇は、大日本国皇帝であらせられている‥‥。戦後、大日本帝国は消滅しても、「天皇は、皇帝陛下である――」と、全世界が認識されている――。無論、江藤淳氏も然り――、その凄いところ。従って、皇室と国民ではなく、「皇帝と国民」を、江藤氏は「序文」で述べていた。原文、原著では。ネットはミスった。皇室と国民――、そんな関係はないよ。江藤さんが言うのは、皇帝と国民が一体となり、戦没者追悼を進めた‥‥が、正解だ。戦没者追悼は、「皇室と国民が一体となって」進めたわけではないよ。話が通じんでしょう、これでは?

 諸君よ、お解かりかな。ネットを引用し、学識がないと、間違いも何も、クソミソ一緒に食べちまって、満足してしまう。自分がネズミだか、野良犬だかさえ、わかんなくなる。地獄図絵だな。まあ、そうならんように、閲覧者は。恰好の標本が、目の前を二足歩行で歩いておる。足軽に取り立てられて、侍になった気分でおるんだろうが、足軽は足軽。町人は町人、武士は武士。石をいくら磨いても、玉にはならんことを教えてやらんとな‥‥。いやいや、石に教えてもダメか。もとが玉石なら、磨けば玉にはなる。やっぱり、教えるのはやめとこ。勿体無い。損しちゃう。‥‥しかし、今朝は、出かけにゃならん。台本が書けない。誰かに代筆を‥‥。おらんなあ。まあ、情勢をみてのことだな‥‥。(ブツブツブツ)もういいか、メンドクサイ」。一兵士、首を「あのねのおっさん」のように振って、ブツブツ言いながら、玄関に戻り、室内に入り、大戸を閉めようとする(‥‥あのねのおっさん‥‥は、もう誰も知らんか‥‥)。

 善子、慌てて、一兵士を呼び止める。
「ああああ、一兵士様、先ほど、バイク便が来まして、こんな手紙を。」
と、ポケットから薄い封筒を渡す。一兵士、渡された封筒を見る。
「ありゃ、○○○○○○さんからだ。バイク便とは、あの方も、なかなか洒落っ気があるな。しかし、それにしても薄い手紙だ。一枚きりだ。なになに、メモみたいだが‥‥。(手紙を読む)ウムウム、なるほどなるほど。ウわっははははは。」
善子、声をかける。
「どなた様ですか、○○○○○○さんなんて、聞いたことがありませんが。」
「はははは。まあ、現代版大陸浪人、満州浪人か。(唄う)お前がいくなら、俺も行くって所か。戦前の人間だ。豪傑だな。なんでも食ってきた人だ。この封筒、見た目は薄いが、重さは二百グラムはあるわい。フフフフフ。どうも、○○○○○○氏には見抜かれたワイ。」
「まあ、真似を? 一兵士様が?」
「(肯く)そうだ。そろそろ、手紙も来る頃かなと、オモットッタ。ご本人なら、パクッテいるかどうかは、すぐわかるよ。バカではわからんがね。ははははは。ごもっともだ。返信はいいだろう。それじゃ、善子さん、掃除、お願いしますよ。」
と、言って、大戸を閉める。そこへ、またバイク便。善子、受け取る。
「今度は、どなたからのお手紙かしら。差出人は‥‥、○○様? へんな名前ばかりでございますねえ。ま、あとでお見せしときましょ。もう、一兵士様は、お部屋に入られたし。ささ、急いで掃除して、あたしも帰らなくっちゃ。」
ソソクサト、玄関先を掃除し始める善子、声をあげる。
「ま、こんな所にもウンチして。ホントに嫌だよ、野良犬は! 保健所に連絡しちゃうよ。」
ゆっくり、照明落ちて‥‥、暗転‥‥なし。しばらく、ずーと暗いまま。


 ほい、○○○○○○○さん。しまった。古事記が手元になかった。確か、口から入ったものを、人に食わせた女神がいたのは確かだ。はははは、仲間からも、投稿一番で、「違うぞ」と、電話して来たよ。まあ、いいだろう。少しは得意にさせてやんなさいというので、ほっておいた。しかし、○○○○○○○さん、今のままなら、もう、此処へはこん方がいい。心がすさんでいる。凄みも加わった。これが加わると、抜け出せなくなる。捨て台詞など、一兵士には無用だ。もっと、楽になって、遊びに来なさい。村八分は辛いが、人の世は有為転変だ。風向き一つで、人も変わる。何も荒地を選んで歩くこともあるまい。ただ、汚いものは撒いてくれるな。それだけだ。一兵士は、寄って来た者は拾うが、あんたは、まだ、無理かな。まあいい。寂しくなったら、おいでなさい。今度は少し、風呂でも入って、毛並みをそろえてくれば、席に座ることも出来ますよ。それが出来んなら‥‥、まあ、遠慮していただけると、迷惑がかからんがな。

ほいほいほい、○○○○○○○さん。
 フフフフと、笑いながら、今書いている。あんた、だんだん、良くなっている。その調子だ。あんたの底にある良質が、チョビット出てきたぞ。そら、もう少しだ。どう、一兵士を、そうやってからかっていると、楽しくなってくるだろう? 明るさなんだよ。先ずは、禊だ。あ、すまん。あんたには、これは禁句だ。神様は忘れて、一つ、○○氏・○○○○氏みたいに、あんたの子供の頃の風景を、のんびりと聞かせてくれんかね。中学校時代の初恋の話でもいい。そんな話を、○○○○○○○さんがすると、面白いのだが。一兵士のことは、まあ、忘れて。待ってますよ。

がんばれー、○○○○○○○。
 おお、そうか。帰るかね。仕方ない。一期一会の世界だ。斬り結んで破滅する人もいるし、大悟なく死ぬ人もいる。みな、同じ世界だ。優劣はない。ただ、生きている時に、常に心に青春を刻んでおけば、倒れる時に後悔はないだろう、と‥‥。掃除のおばさん「善子」さんの、なくなったご主人の言葉だ。なんとなく、心に残っている。「善子さん」、七十九歳。○○○○○○○殿が、真の勇者になることを祈っておりますよ。


■平成十九年九月二十七日

――備中處士――天之御蔭・日之御蔭。
○○○○樣
 一兵士樣は、此の如く、御やさしいでせう。翁が縷々お述べになつてゐるのに、何故ゑ人は疑ふのでせうか。小生は、全く解せませぬ。本道にやさしい御方が怒ると、天地も搖ぎますがね。おつと、○○○○○○氏も、何とやさしいことか‥‥。○○○○樣が御相手される氣持ちも判るなあ‥‥。
神代の言辭、正解なぞあるべき筈もありませんが、一應、參考に供します。右腕が痺れるので、取り敢へず云爾。御容赦を。

【皇御孫之命の美頭の御舍仕へ奉りて、天之御蔭・日之御蔭と隱れ坐して、安國と平らけく、所知ろし食さむ國中に、成り出でむ天之益人等が、過ち犯しけむ雜雜の罪事は云々】
●稻村眞里翁『祝詞作文』(昭和三十一年七月・神社新報社刊)
 天をさへぎり、日光をさへぎる安らかな御殿。
●青木紀元翁『祝詞全評釋――延喜式祝詞・中臣壽詞』(平成十二年六月・右文書院刊)
 皇御孫の命の、生氣に滿ちた御殿をお造り申し上げて、そこを天に覆ふ陰・日光を覆ふ陰となる立派な御殿として、皇御孫の命はお住まひになつて、これから安泰な國として平穩に統治して行かれる、その國の中に、どんどん生まれ出て増へて行く人民らが、これからきつと過ち犯すと思はれる種々雜多な罪の行爲は、‥‥
●山崎埀加翁『中臣祓風水草』
 天かくし・日かくしとして、奧深く隱り坐すなり。天子御即位の時、女嬬持つ所の長柄の大團扇、之を御翳と謂ふ、此之縁なり。鎭座傳記・本紀・延喜式、御翳・御蔭と、同じく之を訓ず。‥‥(古説引用)‥‥
 嘉(埀加翁)謂ふ、天の御蔭・日の御蔭、是れ皇儀にして、神道を表する者なり。天の御蔭は、天御中主尊・高皇産靈尊の御蔭なり。日の御蔭は、天照大日□[靈の上に女]尊の御蔭なり。皇天二祖、皇孫の爲に之を加護し玉ひ、皇孫、二祖の命を奉行ひたまふ。所謂上は則ち乾靈、國を授くるの徳に答へ、下は則ち皇孫、正しきを養ふの心を弘むるは、神籬・巖境、此れが爲にして建つるなり。
 或る説に、此れ二祖加護の義に非ず。只だ宮舍を經營りて、天日を蔽翳(おほひかく)すの謂のみ。春日祭の祝詞に、天乃御蔭・日乃御蔭と定め奉るは、春日神、豈に二祖加護の義有らむや。嘉謂ふ、此れ神籬・巖境の傳を知らずして、妄りに言ふ者なり。二祖の加護、止(た)だ春日に及ぶのみに止まらずして、天下の萬神に及ぶ。故に祝詞、往往、是の辭有り。又た萬神に及ぶのみに止まらずして、天下の萬人萬物に及ぶ、仰がざるべけむや、愼まざるべけむや。
●村山惣作翁『世界は日ノ本に歸る』の「大祓の靈的釋義」(平成三年四月・山雅房刊)
 天の御蔭・日の御蔭、天上の御蔭・日天の御蔭なり。天は天御中主神・高皇産靈尊、日は天照大御神なり。天孫、瑞の宮殿を造作して、その中に奧深く御坐して、諸人が猥りに拜がむことなくも、國家を浦安と泰平に治め玉ふをいふ。一説に曰ふ、蔭とは恩澤と言ふが如く、陰陽晝夜、日月雨露の恩澤を受けざるもの無し。
●水谷清翁『大祓講話』(昭和十一年四月)
 皇孫を瑞之御舍として、皇親は天之御蔭・日之御蔭と隱れまして、豐葦原水穗國を安國と平らけく治しめすのであります。天照大御神は、天上に在しますと見るので、皇孫御統治に對しては、天之御蔭・日之御蔭と成り給ふ譯です。天之といひ、日之といふ所に、注意を要します。天之は平等を意味し、日之は無限の慈愛を意味し、天の如く、日の如く、雄大尊嚴に在しまし、又た平等無量の大仁慈の親心を以て、安國と平らけく治しめすのです。而して地上に住する者は、水の如く、地の如く、此の廣大なる御徳を仰いで、皇孫御經綸の翼贊に當り參らすので、天地互に相和合して、安國と平らけき統治が、無窮の發展を見る次第であります。


――備中處士――實體驗。
○○○○樣
 ご貴殿は、同じこと許り、何を言つてをるのか。えゝ加減に目を醒まし、冷靜にスレツドを讀まれたらどうか。管理室樣は、「臨時雇ひのカメラマン」に事情聽取された「事實關係」を述べたのみ。管理室樣は、チヤンネル櫻がスタツフの言を信じたのは、蓋し當然であらう。一方、一兵士樣は、「内堀の住人同樣」の御方、ご貴殿は管理室樣を信用し、小生は一兵士樣を信頼するだけである。「ご案内」に、「當掲示板は、日本の傳統文化の復興と保持を目指し、日本人本來の『心』を取り戻すべく集ふ自由な掲示板です。當掲示板の定めるルールと禮儀にかなつた發言であれば、いかなる思想信條の發言であっても、削除することはありません」とあり、削除もされないのであるから、追放の恐れなぞ無い。況んやご貴殿に、餘所に行けなぞと言はれる筋合ひは、全く無い。それとも何か、ご貴殿は、チヤンネル櫻のスタツフとでも仰るのか。證據を出し給へ。それとも管理室樣と爭はせたいのか。やれやれ、難儀な事ですな。
 小生はカメラマンと云ふ人種を、原則として信用してはゐない。チヤンネル櫻の臨時雇ひのカメラマンは、其の例外中の例外でありませうが‥‥。思出話で恐縮ですが、昭和天皇崩御の砌、小生は知らず新幹線に飛び乘つてをりました。悲しみに包まれた宮城を奉拜、記帳テントを遠く離れ、一人、お別れ申し上げましたが、喪服の私に、新聞記者がマイクを突きつけて來ましたが、ぎろつと睨み付けてやりました。かやうな秋に於いてさへ、カメラマンはジーパンに、こ汚い帽子をかぶつてをりました。とんぼ帰りの新幹線の中、悔し涙を流したことでした。又たテレビで、靖國神社の畫像を拜見しましたが、開門と同時に參道を走り拔ける、ジーパン姿のカメラマンの映像を見せつけられました。彼等の教育・禮儀は、何うなつてをるのでせうか。あれは人間ではありませんね、機械の一部であります。洵に失禮申し上げました。
 

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  • 八十六。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月12日(火)18時15分13秒
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■平成十九年九月二十一日

○○○○さんへ。
 今、目が覚めて、掲示板を見て、ほい、しまった。てえへんなお人を忘れておったと、慙愧。肝心かなめの森の石松‥‥とは、くらべものにならないお人です。その名も、○○○○。何たる蒼茫、馥郁たる名前であろうか。元気になられて来訪されてたことを、忘れておりました。最近は、あちこちに頭をぶつけていまして、物忘れがひどい。どうも失礼致しました。その‥‥今度のネットにおける「大宝殿靖國会構想」の中にも、「○○○○」さんの頁も用意してありますので、どうぞ気楽にご入室いただき、後継者、次なる世代のためにも、また、ご自身の研鑽、まとめとして、足跡として、ご使用頂ければ幸甚で御座います。別に一兵士と同様の意見というのではなく‥‥、まあ、市井の言い方をすれば占いの館‥‥の如く、「この方の観方、視点はこうですよ」という‥‥、次の世代に橋渡しできるものを‥‥、と考えております。

 また、他の方々ご常連の人たちにも、相談がありますので、その節にご連絡いたします。まあ、すぐには、なかなか進まないと思いますが‥‥。閑暇ある時には、どうぞ、意見なくも、気軽に、この掲示板・一兵士スレッドに投稿してください。あまり、ゴミチリ芥にはとらわれず、お好きな話を‥‥。そう、○○さんとか、○○○○・○○○○氏などの如く、一陣の風の如く来たって‥‥、勝手に去ってらっしゃる。なかなか、味のある話を残していくから、さすがである。それらを眺める後輩諸氏には、これも勉強になる話。どうも、このスレッドは、一兵士が居ない方が、皆さん、お好きに話が出来るようなので、○○○○さんも、どうぞ自由にお入りください。竹林の賢人では役に立たないが、その話を聞く人の中から、偉才が育てばめっけもの。従って、竹林の賢人の存在は必要なのです。なに、スレッドの庭が、どう跋扈はびこりようが、荒れようが、すぐに皇風来たって元に戻るのを、何度も見てきましたので、一兵士にも安心、安心満ちて風雅洋々で、毎朝、スレッドを楽しみに読んでいます。まあ、一時、このスレッドは驟雨、荒城に降るが如し、一日にして楼台も崩れた感もありましたが‥‥、清風来たって、皇風を興す。どうも最近、書く文章にだぶりがある。が、これも一兵士の癖。いたしかたない。では、○○○○さん。お好きにどうぞ、投稿を。


■平成十九年九月二十二日

――備中處士――靖國神社に於る歴代の宮司・權宮司。
 一兵士樣・金剛樣が、以前に紹介してをられた、靖國神社・やすくにの祈り編集委員會編著『御創立百三十年記念――やすくにの祈り――目で見る明治・大正・昭和・平成』(平成十一年七月・産經新聞ニユースサービス刊)を、先日やうやく探索、落掌しました。本道に史料性の高い、美しい寫眞集ですね。「歴代宮司・權宮司・崇敬者總代」の項目(肖像附)を發見。故に標記の舊稿を補正しておきたい。なほ總代欄に、ご指導いたゞいたことがある井内慶次郎先輩を、圖らずも見附けて驚愕、感慨しきりなるものがありました。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t4/l50


――備中處士――
 登録者は「編集」てふものが出來るのであるから、誤植は直しなさい。長時間、畏れ多い「大御名」の間違ひは、不敬至極。しかも他人樣の引用とならば、其の罪、一等を重ぬべし。怒りに任せて、書込むものでは無い。此の無禮者めが! もしも~し、聞いとんのか‥‥。


■平成十九年九月二十三日

誤植修整・引用について。
 いま、各人の投稿の合間合間に、「○○さんと○○○○君」が、≪言い合い≫をしている。それは構わないのだが、○○○○君が、先に投稿した自分の文章を、どうも知らない間に、削除したり、修整したりしているような気がする。いま、二人が言い合っている一つになっている、「おけがさま」という言葉。これは確か、○○○○君の投稿文、「○○殿の歪曲癖は直らないようだ」の冒頭部分に書いてあったと思うが、今見たら、そっくり消えている。だから、○○さんが、『「おけがさま」は、戦傷病者のことかなと思ったが、よくよく読めば、「おかげさま」という、天照大御神を讃美申し上げる、この上ない尊い言葉を誤植されたかと想像します』と、書いていても、その部分の字句と文章までを、○○○○君が黙って削除してしまったようなので‥‥。○○さんが、何を「怒っているのか」、閲覧者には不明で、チンプンカンプンだ。また、備中處士さんが、○○○○君の、最新の大変不逞な誤植を放置したままなので、すぐに正しなさいと意見しているが、肝心なこちらの誤植は正していない。どういうことかね? 基本的なスタンスとして、誤植を一字直すならいいが、先に投稿した原文を、こっそりと改竄するに等しい修整というか、削除は、「やってはいけない」不逞のやりかたであろう。もし、修整したら、あるいは削除したら、そのことを注記なりで書いておかないと、後から来た閲覧者は、何を論争しているのか、さっぱりわからない。論争になりそうもない字句を削除するくらいなら、問題はないと思うが‥‥。「衛藤さん」という字句も、いつの間にか直されている。これでは、○○さんは「一人相撲」だ。閲覧者には全く意味がわからない。○○○○さんは、間違えた字句がある時は、必ず、新たな投稿で、謝って書き直している。一兵士は、「たいしたミス」でなければ、そのままにするし、まずい時は、「別項で書き直している」。こうした方がよいのではないか。特に論争点となっている部分を削除しては、論争が成立しないよ、○○○○ちゃん。まあ、誤って書いたところを晒しておくことは辛いが、でも、それはたいしたことではない。こっそり修整したり、削除したりすることのほうが重大だ。こういう字句の修整・削除は、掲示板の管理者氏がチエックすることは、到底不可能なわけだから、投稿者の良心に期待するしかない。

 それとね、○○○○ちゃん、あなた、以前と「ものいい」が変ってしまった。前は、もっと気持ちも優しく控え目で、自分に謙虚な所もあったが、最近の投稿は山賊・ヤマアラシの如く、猛々しくなっている。なんで、しばらく会わない間に、こんなになってしまったかね。これでは伸びる素質も伸びないで、枯れ死してしまう。こういう言い方をすると、あんたは嫌な気を起こすかも知れんが、「何かの怨霊」がついてしまったんではないか? 最近、肩が重くはないかね。一兵士だけでなく、他のスレッドでも、あんたの「物言い」は荒れている。余裕がない。荒荒しい。決していいことではない。大体、一兵士もそうかも知れんが、この掲示板は地獄の戦場だから、投稿者が猛々しい。過ぎる感じがする。それは仕方がない。だが、○○○○ちゃんは、ハナカラ恫喝的に話す傾向が強くなっている。少し、余裕を持ったらどうかね。もう少し、素直というのかね、肩肘張った挨拶などせんで。どうかね。あんたは感化されやすいので、誰かの影響を受けているのか? それともおだてられているのか‥‥。少し、投稿を控えて、自然の山野でも見てきたらどうか。清浄な空気を吸うか、金銭に余裕があるなら、何処かの神山の社を訪ねてみたらどうかね。心を休ませる旅は有効だよ。

 ‥‥こういうことをいいながら、今度は少し、お説教だ。あのね、あなたの靖國神社に対する「気持ち」、戦友会に対する「気持ち」、あるいは従軍者に対する「気持ち」は、わかるといえばわかる。だがね、実際は、いろいろな人がいるんだ。戦友会も、いろいろだ。従軍者は、総て「靖國神社の存在」を認め、天皇を尊崇しているわけではない。そのぐらいは知っているでしょう? それが、「どうも知らないように」思えてならないんだ。気持ちが清純なのか、単純なのか、どっちだろう? あなたは‥‥、やはりこの方面での学識がない。ないからと言って、バカにしているわけではない。ここなんだよ、肝心な所は。学識がないというと、すぐに反論する。そうじゃないんだ。自分を楽にしなさい。自分は何も知らない――と思ったら、それをバカにする人はいないよ。別に知らなくても、恥じゃない。一兵士なんか、知らないことだらけだ。肝心なのは教えてもらって、すぐに理解するスピードだ。これがないと、学問は進まない。それは、養いだ。自分で自分を養うんだよ。叱咤勉励しかない。すぐに切れないで――、ジッと我慢できないかね。以前は出来た筈なんだがね。あんたが引用した戦友連は、特殊でね、いろんな人がいる。殊にあんたが引用した話は、反戦平和の主張者なのだよ。ここで紹介すべき「標本」ではないんだ。大体、戦友会は「反戦平和だ」。そうでなければ、世間がうるさかったからだ。まあ、ぐだぐだ説明するのは、めんどうくさい。自分で調べて。

 また『やすくにの祈り』の冒頭に掲げてある、評論家江藤淳さんの言葉はね‥‥、もとの原文があるんだ。もっとしっかりした原稿が。この江藤さんの序文は、「自分で、じかに書いた文章ではないでしょう」、おそらく。○○さんも書いていたが、『靖国論集』に原文があるよ。これは立派な文章だ。この文章を、誰かが切り貼りして作ったんだよ。おそらく産経新聞の記者あたりが、まとめたんではないかな? この『やすくにの祈り』を作っている頃、神社には、産経新聞の記者が詰めて通っていたからね、あるいは、編集委員の誰かが補正したか‥‥、それはわからんが‥‥、極めて切り貼りだ。話の筋が通っていないよ。読めばわかるでしょう? それと、あなた、江藤さんの引用文を、捏造というと言葉が悪いが、勝手に直して書いているね? 違います? 「‥‥このように皇室と国民が一体となって、戦没者を追悼してきたのは‥‥」と、あんたは江藤さんの文章を引用しているが、『やすくにの祈り』の序文では、「このように皇帝と国民が‥‥」となっている。初版・第二版でも「皇帝」だった。その後の版は知らないが、「皇帝」が「皇室」に書き直されているのかどうか? 一版・二版では、江藤さんは「皇帝と国民」と書いている。○○○○ちゃんの本では「皇帝」でなく、「皇室と国民」と書いてあるのかね? どうなのかな? よく見て欲しい。江藤さんが「皇帝」と書いたのか、「皇室」と書いたのか‥‥。あんたが「皇帝」はまずいんで、「皇室」と書き直して公表しているのか‥‥、どちらだろう? まあ、こういうことを言っていいかどうか‥‥、この「本が発刊された時」、この記念すべき創立百三十年記念の「序文」に、参拝にも来ない文化人を充てたのは、問題があるのではないか――、という批判も、少し陰ながらあったんですよ。‥‥実は、江藤淳さんは‥‥、正式には、靖國神社には参拝していないと思いますよ。あの人が参拝したと言う話を聞いた記憶がない。そりゃ、花見やなにかで、神社に来たことはあるかも知れないが、多分、参拝という形で、昇殿なんかは、していないん‥‥ではないか。これは、なにも江藤さんを貶めるわけではないんだ。今のあんたがたのような若い世代はピントこんかも知れんが、戦後の靖國神社というのは「遺族」と「戦友」さんが訪れる所で、それ以外の一般者や文化人という人たちは、靖国懇などで、保守論壇者であっても、靖國神社に参拝する――、ということはなかった。この場所は、「あくまでも遺族さんと戦友さんが」参拝する場所だったのです。文化人は、一般的に――、靖国神社護持運動、崇敬奉賛という姿勢ではなく、保守論壇の地位にあって、哲学的に、思想的に、靖國神社を捉えていた。遺族・戦友でもないのに、特別に「参拝する」という風潮はなかった。現在の「靖国ファン」が異色で、特別なんです。これが当たり前ではなかったんです。あの映画「プライド」で、東條英機を演じた主演俳優が、毎年の八月十五日に、ご夫婦で参拝しているのは、「主演した」という「理由」があって、参拝しているのだと思います。神社参拝というのは、「理由」があって参拝する。「特別の理由」がなければ、文化人は参拝しなかった‥‥、昔はデスよ。いまは‥‥、いろいろですなあ。崇敬・敬神・尊崇でないのが多いと感じていますなあ。だから江藤さんは、「あくまでも文化人として」、靖國神社‥‥というか、「軍人・官制」などから離れた位置で「靖國神社」を見て、論じていたんだよ。それは立派な正統論もあります。ただ、断片を繋ぎ合わせた論とも知らずに「引用」してしまうと、江藤さんの言いたかったことが変ってしまう。案の定、○○○○君が「引用」してしまった。まあ、『やすくにの祈り』という本の中で、あのように「序文」として書いてあるわけだし、靖國神社の正式な思考だと‥‥、読者は考えてしまう。当然であろう。しかし、深い学識があれば、江藤さんを知っていれば、「この序文は、少しおかしい」と気づくのだが‥‥。まあ、それを○○○○ちゃんに求めるのは酷である。いやいや、○○○○ちゃんだけではなく、一般者にである。それで、問題があったんですよ、「あの序文は」。

 ただね、閲覧者の皆さんに言いますと――、靖國神社における天皇の行幸(参拝)と総理大臣の参拝は、やはり意味が違うし、その捉え方は、○○さんの話が正論で、正統でしょう。この方の話は‥‥、貰っておくべきでしょう。最後に言うがね、○○○○さん。一兵士も、○○さんも、備中處士さんも、そのほかの常連の方も、あんたが言うように、「サヨク」ではないんだよ。靖國神社の正統は、どういうものかを話しているんだ。いま、神社にあるもの、境内にあるものが、「総て正統」ではないんだよ‥‥。それを一兵士は書いているんだよ。靖國神社そのものを貶めているんではないんだ。普通ならわかる筈なんだがねえ。困ったことだ。戦友さんの中にも、悪い奴は居る。参拝者の中にも、不謹慎なモノもいる。それに忠告・注意しているんだ。そのくらい、わかんなさい。大抵の閲覧者がわかっている筈だ。それでなきゃ、管理人が許さんでしょうが。まあね、今のあんたは、確かに「聴く耳」持たないと言っていたからね。仕方がない。権威は大事にしなければならないが、なんでもかんでも権威主義になると、真贋をとれなくなる。‥‥また反論を書いてくるのかね? やめなさいよ。少し、休みなさい。但し、備中處士さんが指摘されていたことは直しなさいよ。放置したままだと、本当に不逞の輩に堕ちますよ。それでは。


■平成十九年九月二十四日

――備中處士――再考ご檢討を!
○○○○樣、おはやうございます。
 「誤植等はなおした」となん。あの~、相濟みませんが‥‥、あなたの投稿「自覚の足りない者へ」の下から十二行目なんですけど‥‥。餘りに非道いものですから、直ちに校正して戴けるものと存じ、御訂正後は、小生、血の涙を以て指摘させて戴いた當該箇所は、削除する心算でしたが、何を云つても、どうも御理解が及ばぬやうで、些か吃驚してをります。今からでも、ご再考ご檢討いたゞけませんでせうか。
 それと‥‥、靖國神社ホームページからの引用であることは、皆樣、先刻ご承知ですよ。「言ひががり」なんぞとは、大袈裟な。これまた「獨り相撲」の標本。
 又も見逃し難い、餘りに粗忽なる言葉‥‥。「戦っていただいたおかげで、ご皇室が存続していることを理解していない」と。否、本音・本性が見えましたな(今は「ご皇室」てふ言葉の問題は、暫く問はぬ)。これが自稱保守と申す御方、或は戰後世代・民主主義者に通底する心なるかな。洵に寒心せざるを得んや。泣きに泣きたり‥‥。


○○○○君へ
 あんたは、『やすくにの祈り』の書籍を読んでの引用ではなく、ネットのホームページを読んでの引用か‥‥。そうか。もう、そういう時代か。あんたは、『やすくにの祈り』という書籍を持っておらんのだな。持っていなく、読んでもいなく、ただ、ホームページの寸言を読んで、靖國神社を語っておられたのか? ‥‥なるほど、それで、○○さんは、「わざと漢字で、靖國の祈り」と書いたんだな。あんたを試すために。あんたは何も反論せんから、「おかしいなあ」と思ってたが‥‥。そうか、あんたの知識は、みんな書籍・原典でなく、ネットで手に入れているのか‥‥。「鵜呑み」にするわけだ‥‥。わかった。○○○○ちゃん、あんたには、もうなにも言わんよ。好きなように行きなさい。生きなさいではないよ。好きなように行きなさい‥‥だ。


――備中處士――洵に申訣ございませんでした。御許し下さい。
○○○○樣
 m(__)m


■平成十九年九月二十五日

コンビニ男に、塩をまけ。
 バカにつける薬はないとは、よくぞ言ったものだ。この○○○○という男――「掲示板運営者に、妙にすりより、こびへつらう男妾のような」、保守の風下の、その便所の陰にでも置いておきたい男が付け上がったか。「ロクでもない、言いがかりをつける研究会のスレッドなど、この桜の掲示板には要らないなと、私は思う」。貴様の掲示板か、このウスラトンカチメ! 備中さんは、大人だから、あんたの相手をやめたが、一兵士は、そうはいかんぞ。ネットでしか知識を拾えん癖に、一丁前の口を聞くな! 少し、甘やかすと、すぐに付け上がるデクノボウ!‥‥ いいか、このスレッドでは、ネットで仕入れた知識なんぞで話しをしている者は、誰もいない。あんたぐらいのもんだ。研究会だと? なにを研究しとんのかね? 「正統を研究?」とでもいいたいのか? そんな言葉遣いがあるんかいな。目玉を三つも四つもつけて、腰ぎんちゃくみたいなものをヒラヒラ付けとるから、このスレッドが研究会だか、正統護持運動なのか、真贋が判断できんのだ。少し、あっちこっちのスレッドで、「ご苦労様、○○○○様」など、頭なでられ、おだてられて、ノウミソが沸騰して、茶を沸かしたか? 偉そうなことを書いているが、あれもこれも、みんな、あんたの知識はネットで仕入れて、他人が語った話を、「べた貼り」しているだけではないのか? 多分、そうなのだろう。あんたの資質の各層に、断層があり過ぎる。あんたのような者を、確か前にも言ったが、「コンビニ男」というんだよ。コンビニで仕入れたような知識は、所詮、コンビニの味しかせん。もっと金を出し、高級なものを食って来い。文句はそれからだ。端っこの話ばかりに飛びついて、自分の知識のなさを糊塗しているくらい、わかっているよ。可哀想だから、誰も指摘していないだけだ。

 閲覧者は、一兵士が、何を突然、怒りくるっているか、わからんだろう。原因はこれだ。前にも似たようなことを書いていたが、「ところで、正統とか伝統をよくここの板の者は書くが、人様の掲示板で書いていて、その掲示板を提供していただいている方々への悪口を書きながら、またその掲示板で書き続けることについて、何も問題ないのでしょうか。これが正統か?」 なんだね、この文章は。「人様の掲示板とか」、「掲示板を提供していただいている方々への悪口」だとか。ええ、恥ずかしくないのか。男妾みたいに擦り寄りやがって。あんたの本性が、これなんだろう。「いただいている方々へ」だと? こういう発想だから、いつまでたっても、「ご英霊」・「ご皇室」などの書き方をするんだよ。「日本のために戦ってくださった方々」・「英霊の方々」だ。「いただいた」だの、「方々」じゃないんだよ。もっと背筋をぴしっと伸ばして書け。自信がないのか? 「英霊」・「皇室」じゃ、「呼び捨てにしている」とでも思ってんのか? 多分、そう思ってんだろう? あんたが「男妾‥‥。妾という字は読めてんだろうな。めかけだよ。おとこめかけと読む。わかったかい。「いやらしい男」のことをいうんだよ。つまり、あんただ。あんたが「男めかけ」のような発想をやめれば、すきっとした清浄な世界が見えてくるよ。「すぐに権威に擦り寄る男」・「こびへつらう男」が、一兵士は大嫌いなのだ! 男の風下にも置けん! 「人様の掲示板で書いていて、その掲示板を提供していただいている方々への悪口をかきながら、またその掲示板で書き続けることについて、何も問題ないのでしょうか」。??? 誰に向かってしゃべっているんだ? なんだ、この「何も問題ないのでしょうか」などという女々しさは。猫なで声など出しやがって。気持ち悪くて仕方がない。閲覧者に聞いているのか? それとも掲示板運営者か? それとも全国民の民意を問うてんのか? 妄想協会長になったんか。○○○○さんな、あんた、ヘラヘラ言ってないで、実際に掲示板運営者に話して来なよ。お得意の電話攻勢かけて、一兵士の追放運動を起こしなさいな。いいんだよ、遠慮はいらん。

 「人様の掲示板」と、それだけ媚を売る以上は、なにか掲示板運営者に「褒めてもらいたいんだろう」。頭をよしよし撫でてもらいなよ。いいんだよ、遠慮しないで。掲示板運営者に「裏からでも表からでも」、どっちでもいいから、「問題があるのか、どうなのか」泣きついて、返事を貰って来い! 掲示板運営者が、「あんたの直訴を聞いて、こういう悪口を言ったから、問題があると言ってたぞ」という話を持って来い! そうしたら、「聞いてやるよ」。どこが悪口で‥‥、悪口だと? なんだ、その言い方は! 貴様、それでもれっきとした大和男子か! 今時、「悪口を書いていいんでしょうか」などと、洟垂れ小僧みたいな言い方をする保守が居るのか! 「悪口」とは、どういう話だ。何か? 去る八月十五日、靖國神社到着殿前で、桜のジャンパーを着た映像スタッフが、ちょっと撮影しちゃ、桜の木陰に飛び込んで煙草を咥えていたという話か? 他社のカメラマンが「猛暑にジッと耐えて、取材場所を動かなかったのに対して‥‥、みっともないと感じたことか? 当たり前だろう。一兵士は桜の身内ではないが、桜の人間が後ろ指を刺されないように、チュウコクしている積りだ。これも当たり前でしょう? 「プロフッショナル」な問題だよ。この話のことかね、悪口というのは? なんだ? この話か? なにか、それとも一兵士が嘘を言っている――、捏造した話とでもいうのかね、○○○○さんよ‥‥? なあ、そういうことかね。第三者の、それも靖國神社に参拝しにも来なかったあんたが、見てもいない話の「シロクロ」つけたきゃ、つけてもいいんだよ。おそらく、たっぷり絞られて、反省もしているだろうし、今更、寝た子を起こすようなことをしたくはないが、あんたが表沙汰にしたいなら、してもいいんだよ。ええ、はっきり返事支那よ。‥‥「返事支那よ」‥‥??? あれれ、いくら書いても「しなよ」というひらがなが、支那に変換してしまう。おかしいな??? どうしてどうして‥‥??? どうしても「返事支那よ」になってしまう。あんた‥‥、隠れ支那人? 違うのか? どうも最初から、おかしいおかしいと思っていたが‥‥、大阪の支那人?かぁ。

 場内、暗くなって、同時に‥‥幕が下りてくる。万雷の拍手。
――休憩――
桜掲示板劇場(○○様命名による)
本邦初公演「男妾のコンビニ野郎に、塩をまけ」第一幕終了。
えー、オセンニキャラメルはいかが~~~~二十四時間休憩で~~~す(座付作者が、急いで次ぎの台本を執筆していますので。しばし待たれよ――支配人)。
 

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  • 八十五。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月12日(火)18時08分12秒
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■平成十九年九月十日

しばらくお休み。
備中處士さんへ。
 あまり心を傷めないように。悲歌慷慨も、一時のこと。今週、仲間との会合あり。備中處士さんの、無尽蔵の先哲の書、惜しむ人多し。また、一兵士の志操の浸透を広めることを目的とした××があり、計画あり。しばらくお休みください。おいしい倉敷米でも食しながら、のんびりとお過ごしください。

 一兵士に絡んでくる蛾は、後を断たない。どうということはないが、うるさい。正鵠な話を書くことが出来ない。無理のようだ。一兵士の話は「高級」すぎて、「セレブ」過ぎて、「ハイソ」過ぎて、ついていけない。今まで聞いたことも読んだこともない「話」なのだろう。学問をしない人には、面食らうことばかりだったのではないか。なにかと、根拠を示せという。不安で仕方がないのだろう。コンビニから仕入れたメシばかり食べていた連中には、「食し方」がわからないに違いない。もともと、東京招魂社――靖國神社は、当時の「セレブ」・「ハイソサエティー階級」・「高級志向」の人たちが集まった所です。錦絵をみれば、一目瞭然。

 ○○という人の投稿を読んでいて‥‥、仲間と話し合った。本当に‥‥靖國神社の深層に仕舞われている、神社創建の思想を汲みだす。そして、いかに国民を平等に律するか――を志向し、徴兵制を案出し、近代日本の諸条件を基礎に据えた。その資料は山とある。天皇の宮中における祭祀、靖國神社における祭祀、それはどんなものか、改めて教えたい。軍人が軍人を祭祀する、その根底の志操とは、何であったのか。賀茂宮司・鈴木宮司、そして、筑波宮司から松平宮司――。その間、靖國神社ではどのような変化があったのか――。日清・日露とは違い、大東亜戦争が終わってみれば、国民全部が遺族のような雰囲気が現出していた。この感覚・視点を、現在の戦後生まれの学者では、まったく「靖国論」に組み込むことが出来ない。不可能。知らないからだ。凡庸な、恣意的な靖国論が溢れ出る。しかもかつてのハイソも、セレブも消え、まして大臣も軍人も消滅し、‥‥そして境内を埋め尽くしたのは‥‥、遺族はともかく、実は‥‥闊歩みたいな連中、すなわち戦友会だったのです。そのことを、いまだ書いた人間がいない。書けなかったからだ。境内に溢れかえった戦友会。暴れまわった。宮司を頭ごなしに呼びつける――。これは、今でも変らない。こういう実態も、軍人・遺族の消えていく今日、靖國神社を支えていかねばならない次の世代は知らなくてはならない。

 一兵士の話を、備中處士さんの話を、いまだ聞かざる靖國神社境内の話を聞きたい人、常識人は大勢いるだろう。その人たちのために、いま、どうしたら「それが可能となるか」、方法を考えています。戦後、境内に溢れかえった戦友会で統制が出来ず、‥‥正統が、ここで危機に陥った‥‥。そしていま、さらに深刻な正統の危機がおとずれた。これが新しい‥‥環境での柱になります。トコトン、話してあげます。知りたい人は、沢山いる。‥‥また、国民全員に義務を課した戦前とは違い、自衛隊は、現在、選択自由の職業の一つでしかない。国防がどうのこうの言ったところで、自衛隊は、あくまで危険な職業であるに留まっている。こうした現実を、冷静に見る感覚も養成したい。あらたな幻影を抱かせないためである。また、連絡します。


■平成十九年九月十一日

――備中處士――
一兵士樣
 拜承いたしました。御言葉に甘えて、暫くは休養、もしくは已む無きときは、短文の書込みにて、失禮させて戴かうと存じます。翁には「新しい環境で、トコトン話して」戴ける由、樂しみに御待ち申し上げます。謹拜

○○○○樣
 圖らずも懷しき聲を聞き、嬉しうございました。大部の投稿、感慨を以て拜讀いたしました。本スレツドの成行き、不幸な事態になりつゝありますが、一兵士樣の大論、未だ聞かざる所にして、小生なんぞは、何度も痛棒を感得し、寔に至大珍重、更に學びたく渇望してをります。小生も右手の疼痛・痺れを速く治さねば、皆樣方について行けなくなりますね。敬拜


■平成十九年九月十四日

――備中處士――
 「クムガンサンとお呼びしたほうがよろしいでしょうか?」と。こゝまで云ふか‥‥。限度を超えたり。御主は、純粹な日本人では無いな。誠意と云ふものが、全く通ぜぬ輩。最も口汚い言葉で、此のスレツドに闖入して來た、第一の癡れ者。櫻の掲示板を我がもの顔で徘徊し、嫌味と惡口と粘執の限りを盡し、全くの傍若無人。荒しは荒しを呼び、釣師は魑魅魍魎の亂入を誘發せしめたり。嗚呼‥‥、荒れに荒れたり。熱量不變の原則からして、本スレツドの正當性を、彌が上にも高めたりとして、自ら慰むるべきかな。
 「芝居」か‥‥。「有り難うございました」と云ふ、美しき言葉は、地に墮ちたり。御主の所爲だ。「有り難うございました」てふ捨て臺詞、之を見たら、御主の朋輩として認めざるを得ぬ。何が、傳統文化の復興・保持か、日本の心は、此處には斷じて無い。

 叱られた?、誰に。なるほどね~、實に判りやすい。な~んだ‥‥、御主。虎の威を借る者であつたか。本道の「弱虫」さん、よく言つたと、譽めてもらひなさいよ、しつかりと。


■平成十九年九月十五日

――備中處士――招魂式の全國中繼。
○○樣
 容易ならざる報道ですね。外務省が直ちに動くと信じますが、連邦政府の責めは免れないでせう。キリスト教が壓倒的に有力な由、彼等の宗教意識の現れなのでせうか。日本人には、到底、考へられない感覺ですね。英魂のみは、靖國神社に坐すのが、せめてもの救ひです‥‥。

●昭和十五年四月二十三日、臨時大祭[招魂・合祀祭]に於る日本放送協會ラヂオアナウンサーの全國實況中繼(中村直文・NHK取材班『靖國――知られざる占領下の攻防』平成十九年六月・日本放送出版協會刊に所引の「放送臺本」より)
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http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t1/7


■平成十九年九月十七日

――備中處士――
 只今一讀、奇想天外。疑心、暗鬼を生ず。洵に「文は人なり」、今月の大ヒツトでせう。長生きしてゐて、よかつたなあ‥‥。狂犬に、御芽出度き人、トンデモ本的ご主張、色々樂しいですが、癡話喧嘩の續きは、他所で御願ひ申し上げます。頼みますよ、ホントに。それと‥‥、○○樣の御名は、ご文章を拜讀するに、蓋し金剛山から來るならむと、存じ寄ります。どうせ、「薄汚い取卷きの世迷ひ言」ですので、ご放念ください。

●羽嶽根本通明博士『讀易私記』に曰く、「
 書を讀み道を學ぶ者は、識見の高きを先と爲す矣。夏蟲に冰を語る可からざる者は、一時に篤ければ也。下士に道を話す可からざる者は、習俗に束すれば也」と。


■平成十九年九月十八日

――備中處士――人も色々。
○○樣
 見ての通りですので、御相手なされませんやうに。何を云つても、通じやしませぬ。パソコンを壞されますよ。
 更めまして、今の度びは、洵に御氣の毒でありました。小生は、○○樣のご文章を拜讀し、其の論の爽快なる、其の説の躍動せる、且つ氣づかぬ大事まで指摘され、深く難有く思ふ者の一人であります。そして其のご文章は、サヨクの立場から、最も遠いものであり、知識を振りかざすものに非ずして、識見の高く、含蓄の深きものと、痛く感佩いたしてをります。然し‥‥これでは、幾ら何でも、悲しくなりますよね。人も色々と云ふことでせう。今後とも、何卒、御教導の程、幾重にも宜しく御願ひ申し上げます。
 先に御述べになつてをられましたが、小生も學生時代、元號法制化には、微力を盡した經驗があり、懷しさで一杯になりました。然し記年の現状を見るに、悔しさで涙することもございます。洵に悲しい哉。

――備中處士――風簷、書を展べて讀めば、古道、顔色を照らす。
●平泉澄博士『慕楠記』(岐阜縣教育懇話會竝楠公社下呂奉贊會叢書第十集・昭和五十年七月・岐阜縣教育懇話會刊)に引く、慕楠黒木博司海軍少佐『風古・別册の一の序』
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http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t9/4


■平成十九年九月二十日

――備中處士――祭政一致の大道を宣明せよ。
●古事記・祭政一致の神勅に曰く、「
 天照大御神・高木神、詔りたまへらくは、此れの鏡は、專ら我が御魂と爲て、吾が前を拜くが如と、いつき奉れ。次に思金神は、前の事を取り持ちて、政を爲よ、とのりたまひき」と。
●祭政一致の道を復し、氷川神社を親祭し給ふの詔(明治元年十月十七日)に曰く、「
 神祇を崇び祭祀を重んずるは、皇國の大典にして、政教の基本なり。然るに中世以降、政道漸く衰へ、祀典擧がらず、遂に綱紀の不振を馴致せり。朕、深く之を慨く。方今更始の秋、新たに東京に置き、親しく臨みて政を視る。將に先づ祀典を興し綱紀を張り、以て祭政一致の道を復せむとす」と。
●大教宣布の詔(明治三年正月三日)に曰く、「
 朕、恭しく惟みるに、天祖・天神、極を立て統を埀れたまひ、列聖相承して、之を繼ぎ之を述べたまひ、祭政一致、億兆同心、治教上に明かに、風俗下に美なり。而して中世以降、時に汚隆あり、道に顯晦あり、治教の洽からざるや久し。今や天運循環、百度維新、宜しく治教を明かにし、以て惟神の大道を宣明すべきなり」と。

○○樣
 某氏への應へにて、元寇の際、神風が「實際に吹いたんです。ほかに言ふことなし」と、○○樣は言下に、しかも事も無げに仰いましたね。現代只今の世に於て、且つ掲示板と云ふ對話の世界に於て、なほ且つ不敬の徒に對して‥‥。小生は驚愕しました。「しびれ」ましたね。小生なぞは、確信はあつても、かやうな状況に於て、よう言ひませんは(洪笑)、本道に。然し目が覺めました。かやうな御方に對して、誰か曰ふ、サヨクの如し、と。小生は獨り、未だ義憤を抑へることが出來ずにをります(悲歎)。
 未曾有の國難に際して、後宇多天皇には固よりの御事、殊に龜山上皇には、畏くも身命を以て國難に代る事を神宮に祈らせ給ひ、又た君臣上下の別なく、敵國降伏、專心神明の加護を祈願を籠め、御民は奮戰敢鬪したる史實を想起し、洵に親祭・親政、維れ二に非ず、君臣合體、國を安ずるは敬神に在りと、小生は猛く反省懺悔したる次第であります。

●田中卓博士『天皇親政の論――日本の歴史を正視しよう』(『浪漫』昭和四十八年九月號)に曰く、「
 日本歴史を顧みて、結果的に天皇を「象徴」と解することは誤りではない。しかし發生的に見れば正しくないのである。正しい見方よりすれば、天皇は「親政」を本質として、その「みいつ」(稜威。その具體的な發現が、幽界統治の「祭祀」と顯界統治の「親政」)によつて「象徴」の成果が生れたといふべきである。「象徴」を「象徴」たらしめるものは、實に「親政」に他ならないのだ。「親政」が根であり、「象徴」は花である。花の美しさだけをみて、根を忘れ、切斷してしまへば、一切が喪はれることを覺悟せねばならない。‥‥日本の歴史‥‥の傳統は、「天皇親政」によつて護持され、光彩を放つのである」と。


しばらくぶりに。
 おお、やっと正統論者が集まってきましたね。ははははははは。○○さんにあれほど書かれたら、返答できる人はいないだろう。黙るしかあるまい。○○さんの話していることは、どこの本にも書いてないし、触れても居ない。深い学識から導き出された正論だよ。というより、正統論かな。いまの靖国を論じる学者・研究者とて、果たしてあそこまでの認識・学識を有しているかどうかは疑問だ。多分、皆無だろう。ましてや‥‥だ。しかし、備中さんはもとよりだが、さすが○○さん、今回は一番手に拍手だね。宮家の血を受け継いでおられるのか、よくぞ‥‥(当たり前ですけれどね)○○さんの話を理解された。その通り。『「国立の戦没者慰霊施設」は、靖国神社の本来の意味とは関係の無い話だと理解すべきですね』。よくぞ、よくぞ、ですね。やはり、堀の外連中とは違う。○○さんも「話した甲斐がある」と喜んでいる節が、返礼の文面に溢れている。いま、○○さんと○○さんの二人が、何か「国民的戦歿者」の話をしているが、その真意は何を話しあっているか、皆さんにはわかりますか? ○○さんと○○さん両氏は、お互いに核心をわかって話しているが、難しすぎて、みなさんにはわからんと思います。お二人の話している要点は、つまり、靖國神社は、≪正統が護られていさえすれば≫、福田氏が総理になろうが、国立の何が出来ようが、参拝者が減少し、神社が寂れようが、英霊は永遠に鎮座してる‥‥、ということを話しているのです。天皇の神社――、天皇が勅使を差遣わし、奉幣するニハ(庭)。それが靖國神社だということです。

 ○○さんはこの前は、南方の遺骨の話を突然、持ち込んできたので、「ありゃ?」、このスレッドには関係ない話だで、どうしたんだろうと思ったが、即座に備中處士さんが、さりげなく、冷静に、正統論に戻されたので、救われた。まさに大関・横綱、堀の内の人たちはさすがに違いますなあと、○○さんも含めて、仲間内で感心していました。ただ、○○さんの話は、此処では一級品というより、高級すぎて、難しすぎて、備中處士・○○・○○○○・○○○○‥‥諸氏クラスでないと、「何言ってんだか」、頭に入らないでしょう。官幣・勅幣の専管事項なんて言われても‥‥ね。しかし、改めて思うに、さすがに○○さん、尋常な人ではありませんね。もしかしたら、この方の門前には、日本中の学者が列を成しているのではありませんか? おっと――、こんなことを言ったら、迷惑がかかるかも知れんな。まあ、野には禽獣も多いが、飛びぬけた賢人もいる‥‥、ということです。到底、一兵士など、足元には及ばない。

 ところで‥‥いろいろ、仲間と話し合いましてね、このネット社会到来を記して、靖國神社に関わる一大「正統論」だけの世界を‥‥、いわば「靖國神社」に触れる本当の世界――を、命ある限りにつくろうではないか‥‥、そういう構想を立てました。まだ完成はしていませんがね。そして、一兵士が死んだら、その後をまた継いでいってもらう‥‥、そういう竹林の如き庭を作ろうと。このホームページというのか、そこにくれば、本当の靖國論が聞ける。皇国史観が聞ける。神道が聞ける。天皇の祭祀が聞ける‥‥。神社本庁も学者も驚愕する、最高の学問のニワにしたい。無論、一兵士だけではなく、備中處士・○○・○○○○・○○○○・○○氏など、これまでの投稿から、一言家を有した人たちの部屋というか、頁も作りたい‥‥。若い人が接しやすい志操も大事だと思うので。落ち着いて勉強できる環境を作りたい。だからといって、このチャンネル桜の掲示板を出て行く気は、今の所はありません。一兵士が、この掲示板を「出て行くような風聞」が流れているようですが、それはありませんよ。愚者に説く仕事は、一兵士の仕事ですから。大体、最初に書いたと思うが、議論するために此処に来たわけではなく、正統を説くために来た。チャンネル桜に集まる諸氏の知識がお粗末過ぎるのと、俗論過ぎるのと、オタク過ぎるので、到底、将来、保守論壇にデビューできる駿才は生まれんと思い、書き出した。正直、要領の得ない人が多い。これは仕方がない。勉強してきたわけでないから、やむを得ない。

 ただ、このチャンネル桜だけでは、正統論が「邪魔が入って」、連続して書けないでいる。「○○」みたいな人に話をしたい。みな、若い人は一兵士や備中さんの話をコピーしているそうだ。今度は○○さんが、「ドンな本にも書いていないこと」を話し出した。貴重である。これほどの高論がちりばめられた「靖國神社」に関するスレッドは、ネット社会でも、チャンネル桜掲示板以外にない筈である。これを読んで、どんどん、若い人たちが優秀な理解を示し(アホバカコンビは置き去りにして)、正統な知識を備えてくれれば、チャンネル桜に集う人たちの靖國神社に関しての知識は、何処に出しても恥ずかしくないものとなる筈だ。真贋を見分けることも出来る。疑問があれば、ありとあらゆる文献を探りなさい。探るだけで、どんどん学識が広く広く身についていく。人から聞いた話は、三歩あるけば忘れる。

 最近、テレビで「水戸黄門」をやっているのかどうか知らないが、あの水戸黄門の人気は、最後に助さんだか格さんだかが、「この紋所が見えないか」と、葵紋の印籠を悪代官やら悪家老に突きつけ、「ハハッツー」と、連中が平伏する所が、庶民大衆の喝采を呼んでいる。だが、これは水戸黄門が偉いのではなくて、「印籠の葵紋」を見て、(おお、これは、先の水戸副将軍、ご老公ぞ)と、トッサニ理解した悪代官・悪家老がバカでなかったから、えらいのである。それでドラマは成立している。しかしだ、この悪家老や悪代官が「バカ」で、「アホ」で、葵紋の「印籠」見せても、「なんだ、それは? 新しい携帯か?」などとホザキ、「天下の副将軍である根拠を示せ」、「答えよ」、などと言ってたら、このドラマは‥‥、ある意味面白いが、脱線して、からかい劇場になってしまう。
格さん「だから、印籠をみせているではないか」。
悪代官「それがどうした」。
助さん「葵の紋所が見えぬか、この不埒なやつめ」。
悪家老「葵の紋がどうしたの? 関係ないじゃん」。
黄門「関係ないとは? 意味がわからん」。
悪家老「だから貴殿が、水戸ご老公だという根拠を示せ。そのジジイと取巻きは、本当に幕府側かぁ。オランダ人じゃないのか。どうも最初から貴殿を見ていると、オランダ人、いや支那人みたいだ。わが藩の家老を、わざと悪く言ったり、貶めたりしているではないか」。
悪代官「↑↑↑そうだそうだ。ブワーッツ!」。
‥‥つまり、こういう話をエンエンとやっているから、閲覧者の多くは飽き飽きしているんではないかね。○○さんが一生懸命――、よくぞまあ、こんな家鴨みたいな連中に、丁寧に懇切に話してあげていると、寒々と感心する。ま、逆にいうと、こういうアホ連中がいるから、その都度、「正統論」が書ける――、という見方も、あるといえばあるがね。

 「文は人なり」‥‥が好きな連中が集まっている掲示板だが、○○さんの「披瀝した話」を聞けば、「文は人なり」ではなく、「文は学問の高低」・「知識の高低」を顕わすことがよくわかるでしょう。‥‥結局、権威主義が浸透していることが弊害だ。だから、肩書きを信じて、中味を見ない。一兵士にしても、備中處士さんにしても、○○さんにしても‥‥、書いてある話を読めば、「並たいていの氏」であるわけがないでしょう。そういうことすらわからない。なぜ、わからないかというと、学問・知識がまるでないからだ。見誤ることが多い。○○○○氏とか、優しい人がいるから、本当はオチョクレコンビは救われているのだが、どうもその優しさも通じていないようだがね。まあ、仕方がないか? なんか、とりとめもなく書いたかな? とりあえず、備中處士さんと、少し、個人的に話したいことがありますので、備中處士さんさえよければ、メールがもらえると嬉しい。気楽にしてくれるといいのだが。一兵士のメールアドレスです。これはとりあえず、備中處士さんだけに知らせるアドレスです。それ以外の方は、入室禁止です(→××××××××××)。


はて?どうだったか?
 そうそう、備中處士さん。いま、風呂に入って出てきたところだが、ふと、思ったことがある。○○さんが話していた神風というのは‥‥、神風は敵を退散させるのか、神国日本を払い清めるのという言葉が正しいのか? どちらですかね? 正解は、なんですかね?

――備中處士――拜復、一兵士樣。
一兵士樣
 ○○樣の深意は圖れませぬが、「神風といふのは‥‥、神國日本を拂ひ清める」の謂ひ、大清祓なりと、小生は、愚考してをります。戰前までの國體の尊嚴は、畢竟、萬世一系と侵掠不犯とに二つであり、大いに喧傳された所、現在は血の涙でありますが、後者は之に疑問符を打たざるを得ず、御民の躊躇逡巡、國體觀念の混迷を招來しました。神意、之を測るべからず矣。故に「夫れ皇國の尊嚴なる所以は、開闢以來、幾千年、上下相信じて、君民和樂し、父子相親しんで、代々志を傳へ、内に絶えて革命の亂逆を見ず、一朝、外に事あれば、忠勇無敵なりしに因る。これ固より神威の尊く、皇徳の高きに依ると雖も、抑も亦た先哲、道を弘め、教を布くの深きが致す所」としなければなりませぬ。
 

  • [85]
  • 八十四。新たなる復古主義、極右集団の創出を、續。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月11日(月)18時51分17秒
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~承前~

 靖國神社の正統は、戦前、賀茂百樹宮司が、鈴木孝雄陸軍大将宮司が、頑なに護り続けてきた。松平永芳宮司は、宮司の定年制を打ち出しながらも、定年過ぎても、なおも宮司であり続けた。「まだ退けない。まだ退けない」と。少なくなる軍人・遺族さん。神社経営が困窮するのは、目に見えている。だからといって、「靖国ファン」はいらないのだ。自立できる基盤整備の為に、松平宮司は、招魂斎庭の桜木を伐採し、駐車場を作ることを提案した。批判が宮司に集中した。しかし、宮司は押し通した。招魂斎庭の役割は、もう終わったものとして‥‥。それでも、宮司は祭壇部分を残して、鳥居を残して縮小。あとは総て植樹された桜木を伐採し、駐車場にした。今日、おかげで、年間七千万、八千万の財源を確保出来ている。靖國神社の正統は継承しなければならない。それだけが、松平宮司にある。「あなたがやめたら、もう来ませんよ」、そう語った三笠宮寛仁殿下。「そんなことおっしゃらずに、若い宮様を誘われて、お越しください」。‥‥松平宮司も宮様も、今後、この靖國神社がどうなっていくのか‥‥、末が見えていたのか‥‥。しかし、そんなことは、口が腐っても言えない。松平宮司の心を知っていたのは‥‥、宮様だけだったのか。松平宮司の葬儀。宮内庁からの祭祀料をはじめ、生花や玉串料の類ひは、すべて生前に辭退された。ただ三笠宮寛仁親王からの生花だけが供えられていたという。そして‥‥、ご自身の身体は‥‥、献体された‥‥。

 かつて、賀茂宮司は、靖國神社宮司就任の命を受けた時、靖國神社に一命を捧げますと、神前で誓われた。だが、病気のために退職した際、自分で捧げた肉体を、結局、最後は自分で賜ってしまった‥‥、という慙愧の念を述べている。参拝者は神前で、≪現在は平和であるけれども、萬が一の時には、皆さんと同じやうに國に一命を捧げますといふ誓ひをするべきだ‥‥≫と、参拝の仕儀を口にした松平宮司。生前に‥‥献体を申し出られた。昭和殉難者を合祀し、「宮司の一人や二人、切り捨てられても‥‥」、やるべきことはやらねばならない‥‥。その御覚悟。あらゆる非難の嵐も、黙って受けられた。最後に「身一つを国家に捧げられて」、この世を去っていかれた。‥‥これが松平宮司の仕儀であったと思う。国家に忠義を捧げた方の仕儀であると、一兵士は考えております。秘かに慟哭した。靖國神社を既に退職した者で、遥かに遥拝して、地べたに伏したという、関西在住の元職員のことも聞いた。

 ‥‥松平宮司が退職する前年の暮れだったか。ペルシャ湾の機雷除去のために派遣されていた海上自衛隊の掃海派遣部隊が横須賀に帰って来るのを、松平宮司は痩身に外套を羽織って、神社職員と出かけた。同行した職員の中には、女性職員も数人混じっていた。既に退職したAさんは、この日の松平宮司を、今でも涙の粒の向こう岸で、揺れる海軍軍人松平永芳を、「初めて見た――」と、以前、話してくれた。岸壁に送迎用のランチが到着すると、松平宮司は、脇で身体を支えていた女子職員の手を振り切るようにして乗り移った。そして、走り出したランチの舳先に、不動の姿勢で立った。七十七歳の御高齢である。遠く岸壁から、松平宮司のご様子を心配げに見ていた女子職員らは、普段とは違う宮司を、そこに見ていた。寒風吹きすさぶランチに立ち尽くす宮司の外套が、風に膨らんでバタバタとはためく。女子職員は「何故か、涙が滲んできたんです。あのような姿の宮司さんを、私は見たことがなかった‥‥。あれが本当の宮司さんの姿なんだ、と。きりっと背筋が伸びていて‥‥、カッコウ良かった」。‥‥帝国海軍軍人の姿を見たと言う。そして‥‥港内にゆっくりと入港してきた自衛艦と並行するように走る、遥か彼方のランチの上で、松平宮司は直立不動の姿勢で、挙手の敬礼をされたそうだ。揺れるランチの上で、しっかりと、いつまでもいつまでも敬礼していた‥‥、その姿が忘れられないという。自衛官の敬礼とは違う‥‥、そう話した。「あれが松平宮司の本当の姿なんだ。やっぱり宮司さんは、軍人だった‥‥」と、感想を述べた女子職員。一兵士は、この話を伺った時、うつむいてしまった。不覚にも涙がこぼれた。‥‥今、書いていて思ったが‥‥、孤軍奮闘された松平宮司。靖國神社は正統に戻さねばならない、と。外部ではない。内側から。

 備中さんが紹介してくれた、松平宮司の言葉。
‥‥靖國御社頭での祈りとは誓ひだ、御靈と同じやうに、いざといふ時は、國に命を投げ出します、といふ誓ひのない祈りでは、御祭神の御滿足は得られない‥‥」。
賀茂宮司も言った。鈴木宮司も言った。数少ない、正統の継承者。それでも絶やしてはならないと思う。少し、外れるが、地震などの災害地訪問で両陛下が、体育館の床に膝をついて、被災者とにこやかにお話している姿を、テレビニュースで拝見するたびに、つらい思いをする。皇后陛下の膝にまとわりつく子供がいたりすると、子供を叱り飛ばしたい! 備中さんの紹介してくれた松平宮司の、社報『靖國』に書かれた「謹愼謙虚」といふ話が、胸にコタエル。
岩倉公が亡くなる少し前に、明治天皇が岩倉邸に見舞ひの行幸をなさつた。もう自分では起き上がれず、令息夫人に背中を支へられて身を起こしてゐる岩倉公に對して、天皇さまは、軍服姿で直立不動の姿勢でおられる。これが王者の見舞ひです。王者には王者の見舞ひの態度があるんです。こゝで天皇さまが腰を屈めたり、疊にひざをつけたりしてしまはれたら、王者としての繪にならない。
(中略)皇室のお立場では、開かれるべきといつても、限度があり、國民と同じ床でお振る舞ひをなされゝば良いといふものではないんです
」。
‥‥この松平宮司の話も、「なにがいけないの? いいじゃないの。開かれた皇室だよ」と言い出すのが、「靖国ファン」だろう。この開かれた皇室。天皇が被災者の前に膝をつかれた姿が‥‥、実は、現在のこの国をおかしくしているのではないか。そう思わざるを得ない。

 明治維新は、天皇を国民一人一人が仰ぎ奉って成就した。そういう時代を作り、骨格を形成し、近代日本を作ってきた。その骨格は‥‥、敗戦後もかなりあった。感じられた。だが、いまは、もうない‥‥感じにくい。靖國神社ですら、「骨格」が揺らいでいる。ましてや国民は、「骨格」など求めていないようにも見える。現に「皇室ファン」・「靖国ファン」が、正統を押しのけて、尊厳を笑い飛ばし、肩で風を切って歩いている。年寄りは消えろと、野次っている。極右が求められる。回天である。誰が理解できるか。どの程度、理解できるか?


――備中處士――結局は、「櫻」の爲に。
一兵士樣
 御氣が萎えられ、「『靖國神社の正統は‥‥』なんて、書くことが、もう一兵士は厭いてしまつたのだ」と。かう次から次へと、同じやうな嫌がらせ・集中砲火を浴びては、さもありなむと存じます。小生は翁の使命感に贊同し、之に學び、漸く書込む者、翁の進退と同じうせむと、固より覺悟してをります。決してご無理はなされませんやうに、幾重にも御願ひ申し上げます。


○○○○樣
 ○○○○樣は、靖國神社より、チヤンネル櫻の方が大事と見える。此の掲示板の一隅にて、些かの批判も許せぬとは、此の板の本意でもあるまいに‥‥。「チヤンネル櫻のジヤンパーを着たスタツフだけが、少しカメラを囘しては、すぐに木陰に飛び込んで煙草を咥へてゐた。すごく目立つた」のが本道なら、今頃、管理人樣も、頭を掻いてをいでゞすよ。次囘からは、きつと配慮くださることでせう。櫻チヤンネル親衞隊は、大いに結構ですが、ちと、度が過ぎやしませんかな。私も實は愛煙家ですが、神社では、何時間でも我慢しますよ。
 一兵士樣の曰く、「サヨクならまだしも、靖國神社の神職が、自ら奉職してゐる神社をして、『我が國における戰歿者慰靈顯彰の中心的施設』だと書く神經。もう末期だらう」と。○○○○樣、「言葉尻」ぢや、無いんですよ。文章は常に推敲を重ね、我が國語に愼重であらねばならぬ。さうだ、ご貴殿に、國語を愛する御方の、とつておきの言葉を贈らせて戴きませう。

●保田與重郎翁『新論』に曰く、「
 正常な國語、正確な文法、民族の歴史、民族の修身を復活することは、民族當然の義務であり、自主獨立の第一歩である。憲法改正や再軍備は、第二義の問題である。これらが第二義の問題であるといふことを、國民は自覺せねばならない」と。


――備中處士――二題。
 閑話休題。松平永芳大人の論文は、本格議論スレツド「靖國神社に、清淨と静謐の環境を!」竝びに本スレツドに、大方紹介した心算ですが、靖國神社ホームページの「靖國偕行文庫」に、圖書檢索の機能が出來ましたので、一寸、調べてみました。好學の爲め、小生の調査と併せて、松平永芳大人の著書を書いて置きます。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t4/6


――備中處士――
○○○○樣
 あの‥‥。小生の如き、多藝多才の藝者に非ざる者には、無理難題と云ふものであります。それとも所謂「南京」・「拉致」に言及せねば(一寸だけ感想らしきものは、物語つた記憶はあるのですが)、「日本が本當に大切だと思つてをられますか?」となん、一寸、言葉が見當りません。御許し下さい。「チヤンネル櫻」と其の勝手協贊者・應援者は、どこかで別體のものと伺つてをりましたが‥‥。普通の人間は、是々非々で臨むべきでは無いのでせうか。然らざれば、所謂新興宗教の類でせう。たとへ「チヤンネル櫻」と雖も、無謬ではありませんよ。然し彼の言葉には絶句。「日本が本當に大切だと思つてをられ」るのは、さう、きつと「○○○○」樣と其の御仲間だけなのでせう。仲間外れにされちやいました‥‥(グスン)。一層のご活躍を御祈り申し上げます。
 一兵士樣は「以前から『櫻』の活動には、批判的であると見られるところが、多々」ある由、小生には、些かも見出せませんが‥‥。感性の相違ですかね。もし批判が正當と思はれゝば、直ちに反省すればよい。正當ならずと考へるならば、一人となつても、誤解されぬ言動に、鋭意、力むべきでは無いですか。學ぶ者は、一寸でも「傲慢不遜・自己顯示・自己過信」となっては、後は墮落するだけ、天狗・妖魔の餌食となるだけでせう。相手の圖らざる非難や憎惡は嫌なものですが、餘りに非道執拗ならば、敢然と之と鬪ふか、萎えて無視するか、或は靜かに退場するかも知れません。御免なさいね、○○○○樣のご期待に添へなくて‥‥(泣く)。
 追伸。進展が早すぎて、ついて行けませぬ。


■平成十九年九月八日

こらーっ! 静かにしろ!
 こらーっ!!! 「ばわーっっ」、「ばわーっっ」(バケツの水をぶっかける) 何だ、夜の夜中に、人の庭先で、わあわあ騒ぐな! うるさい! しずかにしろ! 離れろー!! ‥‥さかりがついた犬ではあるまいし、迷い込んだ野良犬などほっときなさい! なんだね、いい大人が。騒ぎを鎮めなきゃいかん○○○○さんまで、釣られて飛び込んでくるとは!

 そんなことより、折角、○○さんが、重要な話を書いている。「保守系共和主義者」の話だ。まさに、これが、今、どんどん保守の本流となって、靖國神社にも現われ始めている。真に保守を名乗るのであれば、これを警戒しなさい。いま、現に、この掲示板で、その亜流に染まっている連中が、大勢いるではないか。

 それと、○○○○ゃん。あんたがいかん。≪靖国神社にどのような方が祀られているか、また、明治維新がなく、富国強兵策がなければ、今の日本は存在できたのか≫。‥‥いいかね、このスレッドで、一兵士や備中處士さんをからかったり、文句を言ったりするのは構わんが、こういう、いいかげんな蓮っ葉な解釈で、第三者に教えるような説教は迷惑だ。背筋が寒くなる。あんたには、まだ無理だ。頭が凡庸すぎる。自分の感想をしゃべりたければ、他所でやってくれ。また、≪家族や郷土、日本のことを思って、知覧の飛行場から、命令されたのではなく、特攻機に載って散華した十六・十七歳の方々を、どう思いますか≫。こういうデタラメの話も困る。いあや、あんたは、でたらめではない。事実あったといいたいのだろう。でも、いいんだよ。そういう特別な話を、戦前の主流みたいに話すことは、誤解を生むだけだ。そういう視点がサヨク的なんだよ。家族や郷土、日本のことを思って‥‥、先人が戦ったと、あんたが洗脳されているのは仕方ないとして、そういうことで、戦前の国民は、「勝手に戦場へ赴いたのではないし、勝手に戦ったのではない」。皆、天皇の命令に従って、戦場へ赴いたことだ。皆、家族と縁を切って、一命を国家に差し出したんだ。それでも、靖國会館では、「戦争に負けたのは天皇のせいだ。敗戦責任は天皇にあり!」と、戦友会で、大声で叫んだ軍人はいくらでもいる。この人たちは、「あんたがたのように、人から歴史を教わったり、聞いたりしたんではなく、実際の当事者だ。実際に戦ってきた人だ」。自分が経験したこと、感じたことを、めいめい口にした。自論を、とうとうと展開した。それで、戦後が混乱したのだ。東條英機を祀るな! 合祀するな!と叫んだのは、戦後生まれではない。単なるサヨクではない。実際に戦争に行った戦友会の人間だ。そういう戦後の実相を、総て腹に括った上で、なお、靖國神社を話すならいいが‥‥、○○○○ちゃんには、それは現段階では不可能。それだけの志操になっていない。

 それと‥‥はっきりしときたいが、家族や郷土は関係ない。そういう感性を、心に秘めた方がいたことも事実だ。遺書に書いた方も、少ないが、あることはある。しかし、本流ではない。あんたのいう家族とか郷土とか‥‥、そういう左翼的な視点になる話は、此処では不似合いだ。チャンネル桜に集う人間が、口にすべきことではない。少なくとも保守を名乗るからにはだ。最近、やけに流行ってきた、「愛する妻だの、恋人だのために戦った‥‥」なんて言葉で、あんたは完璧に洗脳されている。わかるかね。凡庸だと、すぐに取り込まれてしまう。だから勉強しろといっているのが、まだわからん。まあ、○○○○さんとか、○○○○さんらは、それなりの史観を備え始めているからいいが、○○○○ちゃんはまだだ。まず、その凡庸をぶっ壊して、国学を勉強しなさい。皇国史観を勉強しなさい。そうすれば軍国思想がわかる。主義も理解できる。思想のなにものもなく、ただの感想で、安直な話で、靖國神社や特攻をしたけりゃ、自分でスレッドを立ててやんなさい。あんたが、その‥‥保守系共和派まっしぐらだよ。

 自分の凡庸が修正できたら、一兵士の言葉がわかる。一兵士に質問する前に、まず、皇国思想を勉強しなさい。一兵士に文句をつけるなら、それが先だ。靖國神社は、皇国そのものだよ。わかるかい? 「日本の為に」戦った人たちが祭られているのではないよ。「天皇の軍隊」、皇軍だけだよ。軍属でも女子でも子供でも、皇軍として祀られている。少し、保守系共和派の読本を読みすぎだ。口当たりがいいから、志操のない者は、すぐに染まる。それと、○○○○ちゃん、あんたは昔から病気なのかも知れんが、目玉が三つついているのを知っているかね。その目玉を二つか一つにすれば、人の書いた文章を、正確に理解できる筈だ。三つも目玉をつけているから、トンチンキアンな質問になる。ここへ入ってくるのは自由だが、ありもしない戦前の話を吹聴しないように。誤解が、どんどん広がってしまう。それと「散華」もよしなさい。気にっている言葉のようだが。どうしても自分の感想で説教したけりゃ、自分のスレッドを立てて、そこへ野良犬を呼ぶなりして、話なさい。この庭で、保守側の人間が、サヨク史観をしゃべられたらかなわん。また、バケツの水をぶっ掛けるよ! あんただけだよ、此処の庭で、第三者に、突然、いいかげんな話で説教したのは。あんたが、一兵士サイドの人間に思われてしまう。大いに迷惑だ。あんたは、一兵士を批判していりゃいいことだ。誰も笑っちゃいないが‥‥、恥ずかしくて仕方がない。ここで第三者に説教したけりゃ、せめて他の先輩諸氏の如く、少しは一兵士的な視点で述べなさい。それが最低の条件だ。少し遠慮しなさい。あんたは、まだ、不似合いだ、此処には。


――備中處士――承詔必謹。
 「天皇陛下=日本そのもの」。洵に然りですが、戰後の日本は、殘念ながら然らず、となつてしまつた。日本の爲には、國益の爲に、となつた。戰前は、國益よりも、大義に生きたんですよ。大義は本、國益は末。
 承詔必謹。大義、親を滅す。「大義悠久」とは、本年の「みたままつり」に奉獻した、小野田寛郎陸軍少尉の辭ではなかつたか。先の終戰にて、大詔下つたから、皇軍は矛を收めた。然らざれば、國、滅亡すと雖も、最期の一人に至るまで戰つたでせう。それでも日本人種幾人かあつて、日本は殘つたかも知れませんが、それは皇國日本とは別物でせう。


■平成十九年九月九日

題名なし。
 ブバーッツと、バケツの水を撒くのももったいないので、撒かないよ。貴重な資源は大切にせんとな。今日は朝から気分がいいので、一寸書くか。○○○○ちゃん、耳の後ろにも、よこちょにも、目玉があったのか。もう、チンプンカンプンだよ、質問が。わかっている? 早く、目玉を二つにしなさい。友を選ばば、「目玉は最高二つあればいい人」を選びなさいよ。しかし、ばーさんとは、なかなかいい組み合わせだ。合縁奇縁、似合いの新カップル誕生だ。

 特攻隊に編成されていた田形竹尾さんという方と、一兵士はあったことがない。しかし、お会いして話をすれば、田形さんは‥‥、一兵士に向かって、「愛する家族、愛する郷土の為に戦った‥‥」なんて話はせんでしょう。○○○○ちゃんには話しても、一兵士には絶対しない。それはもうわかりきっていることなんですよ、○○○○ちゃん! 田形さんが一兵士に話される内容は、自分の任務がどのようなものであったとか、戦友とかの別離の話でしょう。先に特攻した戦友に申し訳がない‥‥とかの話もせんでしょうな。○○○○ちゃんには話してもだよ。また、○○○○ちゃんが泣いて喜ぶ‥‥、「戦友たちの死が、現在の日本を作った」‥‥などという話も、一兵士にはせんでしょうな。○○○○っちゃんには話してもだ。これもわかりきった話。‥‥意味がわかるかね、○○○○ちゃん・○○ちゃん。あんたがたには、「愛する家族、愛する郷土のために戦った‥‥」と言っとく方がいいと感じているから、そう語っている。

 ‥‥特攻は‥‥合法だったかどうか‥‥結論を、国は出していない。敗戦したからだ。今のところ、大西中将の言う「外道」という所で終えている。そのままにしてある‥‥徴兵制度・兵役法というものがあるが、もし、これを合法とすると‥‥制度が崩れる‥‥が‥‥ま、こういう話は、あんたがたに話しても、「ラチガイ」の話で、理解できる段階に頭が整っていない。現実には特攻も特別扱いではなく、「戦死」扱いをしている。わかるかい? 「必死の徴兵制・兵役法」があったら、日本は近代国家を返上しなければならない‥‥。あんたたちには、こういう話は無理でしょう? 違いますか? もし○○○○ちゃん? 難しい話が、ゴマンと出てくる。「戦死は不測の事故」‥‥。こういう扱いになっているのが、近代徴兵制・兵役法だぞなもし。まあ、○○と○○○○ちゃんは、新宿の喫茶店でも待ち合わせて、互いに目と目を見交わし、微笑みあっているのが、一番の幸せではないのか? 気があっている。ピッタリだ。こんな所で、バカだのチョンだの言われないですむ。そうしなさい。平和な暮らしを求めなさい。○○○○○とは違うぞなもし。‥‥一兵士側が強力なのは‥‥、皆、常識人がそろっている‥‥という、ただそれだけの理由に過ぎない。ツーツーレロレロじゃないんだよ。わかるかい? そうそう、忘れるとこだった。○○という人、こういう人に、一兵士は書いているんだよね。さて、出かけてくるよ。


――備中處士――
 もう、えゝ加減にして下さい、同じことばかり。時・處・位に應じた、見人説法も知らないのでせうか。論語も讀んだことも無いのですか。‥‥否、否。解讀能力と云ふ問題では、決して無い。
 貴殿は、管理人の登場を期待してゐるんぢやな。貴殿が操る手段、さう、虎の威をかつて、一兵士翁の追放を劃策期待してゐるのですね。どうせ、今度は、「質問に應へない」、或は「印象操作」とか、「腦内妄想」とか、云ひ出すのでせうな‥‥。これでは眞面目に相手させて戴いても、光陰の無駄と云ふもの。翁が御相手して下さることをよいことに‥‥。「軍歴」がおありだつたら、あんた、どうする心算なの、何か證據でもあんの。「僞兵士」とか、他人樣の雅號を弄ぶこと勿れ。因果應報、何時か、同じ目に遭ふぞよ。然し‥‥呆れた人ですね、勝手におやんなさい。
 

  • [84]
  • 八十三。新たなる復古主義、極右集団の創出を、正。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月11日(月)18時46分4秒
  • 返信
 
――備中處士――謹愼謙虚の心。
 引用は原典に當り、一字一句を忽せにすべきでは無いのは當然のことですが、今は已む無く、『靖國戰後祕史』より引用します。引用元が彼の本ゆゑに、洵に氣が引けますが、御許し願ひます。それは今こゝに引用する後半の、靖國神社社報『靖國』の「謹愼謙虚――今日の我が國に失はれた心」てふ文章であります。遺憾ながら極く一部でありますが、小生は、『讓ることのできない傳統の一脈――祖父春嶽の精神を受け繼ぐ者として』(日本青年協議會『祖國と青年』平成五年一月號、同十五年三月刊『英靈の遺志を受け繼ぐ日本人として・論文選集』所收)に因り知り、長らく紹介せむと欲して能はざるもの、松平宮司が靖國神社を辭するに當つての遺言とも謂ふべきものであります。「門外不出・外部閲覽嚴禁」、「靖國神社の正史」てふ『社務日誌』は無理として、往昔の社報『靖國』(松平・大野兩宮司の志操あり、宮司通達あり)を丹念に讀む御方あらば、靖國神社の正統精神が、自ら發見出來るのではないでせうか。
 此の『讓ることのできない傳統の一脈』も、正に血涙を揮つての發言、孤忠の臣・松平永芳大人に非ずんば、誰か述べ得ようか。裂帛の氣迫、近くは徳富蘇峰先生『終戰後日記・頑蘇夢物語一~四』(平成十八年七月~十九年八月・講談社刊)に比すべきものと、知らず襟を正して拜したのであります。
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 又た前に紹介させて戴いた、宮司就任前の松平永芳大人が、福井市立郷土歴史博物館長時代に書かれた『岩倉公の謙虚』(日本學協會『日本』昭和四十七年十月號)と、一貫通底すること、云ふまでもありません。

●松平永芳宮司『年頭の挨拶』(『靖國』昭和五十四年一月號)に曰く、「
 政治面・教育面・司法面・マスコミ面等に於ける混迷、偏向は一向に改められず、これが爲、一國存續の根幹として尊ぶべき道義道徳面の低下は、目を覆はしめるばかりで、‥‥我が傳統國家・傳統民族の平和と繁榮を、最後の瞬間まで念じつつ、貴い生命を捧げられた英靈の御心に對し、何とも申し譯なく、堪へ難い思ひが致す。‥‥次の世代に神社の由來を認識せしめることに努力を傾けつつ、神社百年の計を具體化する爲に、心血を注ぐ決意であります」と。

●松平永芳宮司『謹愼謙虚――今日の我が國に失はれた心』(『靖國』平成四年二月號)に曰く、「
 幕末から維新の一大改革を卿て、光輝ある明治の御世も終末を迎へ、やがて大正デモクラシー時代に入るや、急速に先哲の學統、勝れた父祖の傳承し來つた家訓、經世の教訓等が忘れ去られ、國内には名分を正す氣風も薄れ、昭和時代に入るや、幕僚統帥と言ふ言辭が、屡々口の端にのぼる程、下克上の惡弊が横行し、國家に大害を齎らし、更に敗戰に因る占領政策の結果は、無慚極り無く、名分を正すとか、謹愼謙虚と言ふ言葉も文字も、我が國各界各層の人々から葬り去られるに至り、‥‥
 謹愼謙虚の態度とは、‥‥即ち地位權勢を得ても、又、嘖々たる名聲を博しても、聊かも驕り高ぶることなく、益々愼み深く振る舞ふ、その態度を指して居るのである。‥‥この謹愼謙虚の心取り戻した時こそ、我が國は再び優雅な、おほらかな國として、世界の尊敬をかちとることが出來、物心兩面に亙つて、眞の道義國家としての再建を成し遂げることが出來たと言へよう
」と。


■平成十九年九月六日

新たなる復古主義、極右集団の創出を。
 備中處士さんが、痛切な思いで書かれている。一兵士が何も書かないので、抗議するがような、備中さんの思いも伝わってくる。申し訳ない。少し、考えるところがあって、投稿する気が萎えていたところ。だが、備中さんの無尽蔵とも思える先哲の話の引用に、少し、気力が戻ってきた。それで、少し書く。

 九月号の社報「靖國」の「靖濤」を読む。社報の編集人の氏名が印刷されている。宮澤佳廣氏である。神社本庁から確か、去年、移って来た人だ。遊就館の資料課長から、今年の二月ごろに、広報課長に異動された。これは暴露ではなく、社報に公表されている公開された一般情報であるので、念のため。但し、これから先は、批判になる。この人が編集人になってから巻頭の「靖濤」が、突然、ヘンテコになりだした。ほとんど靖國神社とは関係があるようで関係ない話が、陸続として書かれ続けている。靖國神社に縁薄いせいもあるだろう。別段、松平宮司・大野宮司の薫陶を受けたわけでもない。靖國神社祭神、あるいは事歴に詳しいわけでもない。戦前の賀茂宮司・鈴木宮司に心酔しているわけでもない。単なる――と言っては、言い過ぎになるが、本庁という場所から移って来た神職‥‥というか、まあ、「人」である。本庁出身の現靖國神社権宮司を始め、総代にも、本庁の人間が座りだした。そしていきなり中枢に座った宮澤氏と。本庁から、ヤケに人が靖國神社に集まってきた感がある。‥‥何か考えていることがあるのか‥‥。今までなかったことだ。この宮澤氏が「社報」をいじるようになって、社報の性格ががらりと変った。靖國神社広報課は、執行部直属にもなる、重要なセクションである。靖國神社が、現在、どのような考えの下で運営をしているか、また執行部の考えはどのようなものであるか、外部に示す発表機関でもある。社報を見ていれば、現在の靖國神社がどのような所を目指しているか、起用する執筆人を見ても、大体がわかる。いわば、神社の顔である。とりわけ「靖濤」は、靖國神社の現在の志操を公にする、発表の場でもある。だから「社報を」編集する広報課長は、その時の執行部信任の神職が起用される。従って、宮澤氏が編集する――、あるいは執筆する文章は、執行部の志操そのものとなる。今年の二月ごろから、編集人が宮澤氏に代わってから「靖濤」は、ふやけた話ばかりが書かれている。例大祭のポスターもおかしくなった。プロレス興行と例大祭が、同格に扱われだした。執行部の考えである。ホームページを見ても、これまでの祭事が、以前にも増してイベント性が強調されている。祭祀を貶めだした。遊就館の歴史記述変更といい、靖國神社の祭祀を否定する鎮霊社――、公開を禁止していた先々代『宮司通達』を破り、堂々と公開して、混乱をわざと起こしたり、「平和を祈願する神社」とパンフに書き出したり、靖國神社は明確に‥‥、しかも巧妙に変化しだしている。それが、最近は露骨になりだした。靖國神社そのものに関心がまったくない、「靖国ファン」にはわからぬことだ。みたま祭をイベントと思っている連中だから、仕方がない。もともと保守の原質をもたぬ連中だから、求めても無理である。

 最近の「靖濤」に書かれる記事は、靖國神社の国家との関係や皇室の祭祀という意味を「わからなくし」、忠魂の実在感を薄めていこうという意図の下に書いたような文章ばかりである。共産党的サヨク主義者の常套手段が、靖國神社社報にはっきりと現われている。神職の中にも、実際、もう気づいている人もいる。‥‥だが、口を開けない。簡単に馘を切られるからだ。地方の神社に異動させられる。だから、批判は出来ない。‥‥仕方がないだろうと思う。九月号の「靖濤」は、更に最悪である。八月十五日のことが書いてある。話にならない文章。それを象徴するのが、社報表紙に掲載された、当日の神門前付近の写真説明文だ。≪八月十五日、参拝者で賑わう御社頭≫と書いてある。この一行の文字に、カッカしている神職が大勢いる。「ふざけやがって!」である。唇を噛む若い神職は多い。学生もいる。当然であろう。国民服喪の八月十五日に、ビラ配りした連中や、そのビラ配りに何の違和感も持たぬ――、どうでもよい浮かれ参拝者――、また、旗ざし物を連ねて境内を闊歩した代議士や地方議員連中にも、なんでこの≪八月十五日、参拝者で賑わう御社頭≫という説明で、「本物の崇敬者や神職がカッカ」したか、わかるまい。到着殿前に姿を現した小泉元総理や石原都知事を見て、日の丸の小旗を振って、「ばんざーい」を叫ぶ、アホタレ連中にもわかるまい。ケツを蹴っ飛ばして、池に沈めてやりたい。神門・遊就館・靖国会館に半旗が垂れている意味がわからない連中ばかりだからだ。国民服喪の意味がわからないからだ。今、このスレッドを読んでいる閲覧者の中で、どれほどの人間が、≪八月十五日、参拝者で賑わう御社頭≫と書かれた説明文を見た瞬間――、「なんだ、この野郎!」と、腹の底から激怒するか――。それが‥‥リトマス試験紙の役目をする。「参拝者が、本当に、心の底から靖國神社を想い、正統を、伝統を、尊厳を、皇国を大切に考えている人間かどうか」の検査になる。口先だけの感謝だの慰霊だの、英霊に代わってどうだとか、父祖のナントカガなんだとか、ごっこ遊びをしている連中と、同種同様の人種かどうかの分れ道だ。夏の「みたま祭」がイベントなら、八月十五日も、「真夏のフエスティバル」になったようだ。小泉総理が参拝を始めてから、靖國神社も劇場になった。今から思えば、大迷惑なことだった。小泉総理の後ろに、こんなひどい「身勝手でしかない」靖国ファンが現われるなんて、ホントに、それまでの崇敬者は、誰一人考えもしなかったろう。この連中さえ来なければ、八月十五日は、国民服喪の日として、八月十五日の境内は、「半旗垂れる」日であった。街宣右翼も、この日は黒服一色の喪服を着て、汗を最中に滲ませても、背広を脱ぐ奴はいない。今年のこの日も、喪服を着て、あの猛暑の中で、背広を着たまま参拝の順番を待っていたのは、皮肉なことに街宣右翼ばかりが目立った。

 「靖濤」は書いている。「‥‥八月十五日の参拝者数が、一年を通じてとりわけ多くなるのは、「終戦の日」であるこの日が、「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」として、国民の間に確と定着しているからだろう」と、今頃‥‥トンチンカンに、真面目クサッテ書いている。お笑いだ。八月十五日、神門前付近に参集した人々の姿に、前代未聞の≪参拝者で賑わう御社頭≫と書いた編集人である。祭礼縁日になってしまった。もう、靖國神社の執行部も、幹部も、参拝者の多くが、「八月十五日」が、どういう日だか忘れてしまっている。口先で言うのは、もういい。結構だ。‥‥それこそ、実践であろう。「国民服喪」の実践だよ。政府は、何度も国民に広報をしている。
『先の大戦における全戦没者に対し、国を挙げて追悼の誠をささげるため、昭和五十七年四月十三日の閣議決定「「戦没者を追悼し平和を祈念する日」について」(別添)に基づき、政府主催の下に、平成十九年八月十五日、日本武道館において、全国戦没者追悼式を行います。
一、当日は、各省庁及びこれらの出先機関並びに国立施設において、半旗を掲揚するとともに、正午から一分間の黙とう(祷)を行います。なお、国会及び裁判所にも、協力を依頼しました。
二、地方公共団体の庁舎等における半旗の掲揚及び黙とうの励行については、各都道府県知事及び市区町村長に協力を依頼しました。
三、学校・商工会議所・農業協同組合・会社・工場等については、関係団体を通じ、協力を依頼しました。‥‥
五、その他。当日の正午には、都道府県庁・市区役所・町村役場・寺院等において、鐘・サイレン・チャイム等を鳴らし、また、当日の午前中にボーイスカウト・遺族会等による戦没者墓地等の清掃、供花等が行われるよう、各都道府県知事に措置を依頼しました』。
これを「国民服喪の日」と、以前は呼んだ。そのために、靖國神社神門・靖國会館・遊就館には、半旗の日章旗が掲揚されている。この日章旗を見て、「靖國神社には半旗が似合う」と書いたバカがいたそうだ。「服喪の半旗」が、社頭の装飾になってしまった。そう思う奴が出てきている。いい年をした連中がである。戦争を知らない世代‥‥、痛みを知らない世代が、戦争を語る‥‥。そういう時代を、初めて日本は体験する時代に突入した。ありとあらゆる尊厳が、伝統が、音を立てて崩壊していく。やはり‥‥想像した通りだった。みんな、もう誰もこの日が「国民服喪の日」だなんて、思っちゃいやしない。正午に黙祷するのも、フェスティバルの一つだぐらいにしか考えていない。「服喪」の日だということを、腹の底から認知していないから、到着殿前で「万歳」を何度も叫んで、拍手したりバカ騒ぎをする。悲しくて笑っちゃうしかない。この、八月十五日がどういう日だか、誰もわかっちゃいない。「範」をしめさなけれなならない団体が、「範」を示さない。自分達の主張だけである。「せめてこの日だけは慎もう」という、まっとうなリーダーが出てこない。

 八月十五日は、「靖國神社の祭礼縁日」だ。大勢の人が繰り出す、「賑わいの神社」としか映っていない。ヘリクツばかりが横行する。かつて‥‥覚えているだろうか、昭和天皇崩御の日。十九年前だ。政府は国民に対し、宮中におかれては大喪に服せらるにつき、歌舞音曲を控え、繁華街の殷賑も自粛されることを要請した。国民は、言われる前から自粛した。店を閉める商店が、全国に出た。テレビで、それまで天皇の戦争責任を舌鋒鋭く追及していたサヨクの大島監督ですら、談論の会に出ていながら、「今日は、天皇の話は口には出来ない。不謹慎である国民にはなりたくない」と言った程だ。国民服喪であった‥‥。この八月十五日、天皇皇后両陛下は、武道館への追悼式には行幸されるが、その後は宮中で、終日お慎みである。各宮家でも同様である。御謹慎されている。「英霊が」、「父祖の名誉が」、どうだを演説する前に、慎みを持つことを、この掲示板に集まる人総てに伝えたい。殷賑を極めているのは、あんた方だ‥‥ということを、誰かが教えなければならない。それで書いている。靖國神社境内に見えることが、「総て正統ではない」ということを知りなさい。祭祀は、縁日ではない。いつまで「靖国ファン」を続けるのか。

 ‥‥ついでに言うか‥‥、チャンネル桜の映像スタッフ。こういう所で公にするのに躊躇するが、心苦しいが、自戒を心から、本当にしてもらいたいので、敢えて書く。朝早くから、チャンネル桜のスタッフが、境内で汗を掻き掻き取材していた。彼らの背中には、チャンネル桜のマークが入っている。すぐにわかる。到着殿にも新聞社・テレビ局など、大勢のマスコミ陣に混じってスタッフがいた。うだるような暑さの中で、他社のカメラマンは汗を拭き拭き、ジッと取材対象の来るのを待ち構えていたが、チャンネル桜のジャンパーを着たスタッフだけが、少しカメラを回しては、すぐに木陰に飛び込んで煙草を咥えていた。‥‥すごく目立った。境内での煙草――、それも木陰で煙草を咥える姿は、他社のカメラマンが誰一人していないことを見て、みっともなく、恥ずかしい。撮影スタッフが、この日だけ臨時に雇ったスタッフだかどうかは知らないが、チャンネル桜を名乗る者は「範」を示さないと、見る者は「見ている」ことを知ってもらいたい。映像スタッフだけではない、総てだ。保守を名乗るなら、「範」を自ら示しなさい。

 ‥‥話を「社報」に戻す。この「靖濤」では、またこんな言葉を使って書いている。「(このように終戦の日に人が大勢集まるのは、)‥‥靖國神社が、我が国における戦歿者慰霊顕彰の中心的施設として在り続けることの証左でもある」と。‥‥情けない。サヨクならまだしも、靖國神社の神職が、自ら奉職している神社をして「我が国における戦歿者慰霊顕彰の中心的施設」だと書く神経。もう末期だろう。「中心的施設‥‥か」。「施設」。明治天皇の思し召しによる創建の神社も、百三十年経過すると、「施設」になってしまった。もう、こういう表現が、神社自身が、一番ぴったりする感覚になっている現われであろう。備中さん、「靖國神社の正統は‥‥」なんて、書くことが、もう一兵士は厭いてしまったのだ‥‥。もう、ぶっ壊すしかないのでは‥‥。そして、愛媛玉串料訴訟の話――。昔、「神社新報」がよく書いていた話が、また書かれている。一体、この書き手は、祭神の話を、尊厳の話を、いつ書き出せるのか? この書き手のオタンコナスは、三権の長の一つである最高裁を、公然と機関紙で批判していることだ。だから松平宮司は、「政治の渦中に神社を投じない」とし、「何も言わない不言の方針」を貫いたのだ。靖國神社が、「国家を敵に回して」、どうするんだ! 靖國神社は、「国家の規範そのものを示し」、三権の長が例大祭に参列することを、式次第に規定している。安易に裁判ごとなど、保守の安価な手に乗り、あらぬ方向に波紋を広げるような発言をするな‥‥、である。

 書き手が、まったく靖國神社の人間でないから、尊厳を伝統を護る意思が希薄だから、こんな文章しか書けない。他人事なのである。「これからも終戦の日、靖國神社には、多くの国民が参拝に訪れることだろう。そしていつの日か、かかる国民良識が、最高裁の判例をも覆すであろうことを、固く信じて疑わないのである」。この文章を読めば、いかれた人間が神社に侵入してきていることがよくわかるだろう。頭が毒素で犯されているに違いない。やはり、書き手には、「神社新報」が似合っている。本庁にもう一度推薦しなおして、戻ってもらったらどうか? 靖國神社には、「似合わない神職」である。こんな文章が続くなら、「靖濤」はやめるか、「社報」も一時廃刊したらどうか‥‥。それとも、最初に書いたように、執行部に、なにか、魂胆があって、わざと靖國神社を貶め、国家と離反させ、天皇との関係を希釈させるために書かせているのか‥‥。‥‥松平宮司は、広報課長を始め、課員と「社報」の紙面づくりのために、深夜まで及ぶことはざらであった。当時の在職者なら知っていることだ。課長の書く文章にも、何度となく赤を入れる。寸分も怠惰な文章、隙だらけの文章を嫌った。心が貫徹される言葉を選び、推敲した。松平宮司に、「遊び」はなかった。筑波宮司に慣らされた職員は、松平宮司が煙たかった。堂々と、面と向かい、その「頑な」な姿勢を批判する幹部もいた。昇進すべき人間が昇進しないことに腹を立てた別の職員が、自宅まで行き談判したこともある。決して、みなが皆、松平宮司を迎えたわけではない。その中で、松平宮司を陰のように支える職員、顧問的な立場の元軍人の方もいた。確か長野の人だった。名前が出てこない。以前にも少し、この方のことを書いたと思ったが。旧遊就館の歴史記述は、ほとんどがこの方が、松平宮司と相談し、書いたと思った。松平宮司の陰の顧問だった。また、元軍人の総代も、強力にバックアップされた。それもあって、松平宮司は、孤軍奮闘が出来た。境内から酒を追放したのも、松平宮司だったと思う。戦友会からうらまれたこともある。しかし、動じない。若手の神職が、松平宮司を盛り立てた。松平宮司を「靖國神社中興の祖」として尊称、崇める若手神職もいた。その言葉が、今もマスコミに使われている。

 現在、神社本庁に関係する「神道青年全国協議会」の中にも、松平宮司の志操を奉戴する、熱烈な青壮年神職が案外いる。彼らに言わしめれば、「靖国ファン」などの実態を知り‥‥、首をふる。一兵士のスレッドを読んでいる。まるで神道がわからない者に、靖國神社を奉戴護持などは出来ぬ。固く信じている。極右に近い人が、結構いる。一兵士の仲間が、新宿の寄合場所で、数時間論議した。‥‥「結局、最後は、神職しか頼りになる者はいない‥‥」と、仲間が言う。一般人は‥‥無理だといわざるを得ない。日常生活でも和服を着る――。紅白の餅は、最初に「赤」から喰いつく――。此処から始める。極右の人間しか、頼りにならない。剣道は、皆、出来る。中には杖術・空手を並行して修得する者もいる。女子も同様である。仲間の家では、みなそうだ。ほとんどが師範だ。武道は大切である。むちゃくちゃに「復古主義」を、ともかく主張する。そこからはじめる。靖國神社崇敬奉賛会に、「極右集団」を組織する。その集団に、国学と国典研究させる。それに基く思想・精神・正統を持たせる。それしかないか‥‥。それが「神風連」だ。‥‥松平宮司は‥‥、やがて、境内を埋め尽くした元軍人たちが消え、遺族さんが消えていく。そういう現実を認識していた。その時、靖國神社を支える人たちは、「靖国ファン」であってはならない。「靖国ファン」はいらない‥‥と、今、御存命ならば、間違いなく口にしたろう。
靖國神社に參拜する時は、今日の日本の平和と繁榮に對して、御靈方のおかげで、ありがたうございます、といふ感謝の祈りと同時に、平和であるけれども、萬が一の時には、皆さんと同じやうに國に一命を捧げますといふ誓ひをするべきだ――
松平宮司の言葉だ。そのような参拝者を育てなければ、靖國神社の社稷は保てない。参拝者を教化するべきだと‥‥。
 

  • [83]
  • 八十二。松平永芳宮司、畢竟の覚悟。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月11日(月)18時42分36秒
  • 返信
 
■平成十九年八月二十六日

――備中處士――靖國神社宮司就任前の松平永芳大人。
 一兵士翁・○○○○樣、御見舞ひ難有うございました。體調不十分なるものゝ、小康を得ましたので、靖國神社の正統護持、松平精神の顯彰恢弘の爲め、筐底の文を謹寫し、更めて一兵士翁の露拂ひをさせて戴きます。

●福井市立郷土歴史博物館長・松平永芳大人『岩倉公の謙虚』(日本學協會『日本』昭和四十七年十月號)に曰く、「
 私は、自他共に維新の功臣として認められて然るべき岩倉公にして、なほ分に過ぎたことであると言つて、左大臣への昇進を辭退して、右大臣に留まられたこと(松平春嶽公直筆『岩倉公祕事』)は、公の人物を判斷する上に於ても、見逃してはならない所と思ふ。
 然し、日本古來の斯くの如き謙虚な心も、明治の初期、わが國に自由平等の思想が滔々して這入つて來た、その時以來、更に又、大東亞戰爭一敗地に塗れ、占領政策によつて、わが傳統的良風美俗までが、冷酷無慙にも否定され、打ち碎かれて以來、全くその影を沒し、政・官界に、教育界に、そして財界・藝能界、あらゆる所に顯はれ出たのは、傲慢不遜、自己顯示、自己過信の姿のみである。
 佐藤總理の四選が、果して大局的に觀て、わが國の爲にプラスであつたか、マイナスであつたかは、歴史の裁斷に待つしかないが、戰後のわが國には一例に過ぎないが、重要なる最高官職に、今もなほ八年餘の長期に亙つて胡坐し續けて、自他共にこれを怪しまない樣な弊風が定着してしまつた。如何に有能な人材であれ、如何に人格高潔の士であれ、獨裁の立場を長く繼續すると、その配下の組織は、派をなし閥を作る結果となり、人心は倦み、凡ての行爲がマンネリ化して活氣を失ふこととなる。
 獨裁には、斯かる致命的缺陷の内在すると言ふことを、世の識者は反省銘記すべきではなからうか。又、從來、わが國に在職年限の規制がなかつたのは、「分に過ぎるから‥‥」とか、「後進に道を開く爲に‥‥」と言つた美風が、各界指導層の心の裡に定着して居たが爲であつたが、斯かる傳統的美風が、今日既に消え去つてしまつたからには、外國流の年限規制に付ても、併はせ考へて見るべきではなからうか」と(愚案、神社界にも影響を與へたと云ふ靖國神社「宮司定年制」は、松平大人の持論でありました)。

●平泉澄博士『靖國の御神徳を仰いで』(昭和三十四年三月十日・靖國神社講社大祭に於る講演。『靖國』三十四年十一月~三十五年三月・『靖國叢書・第五集』所收)
●毎日新聞『靖國:「戰後」からどこへ十二――A級戰○合祀の源流』(平成十八年八月十九日・東京朝刊)
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●福井市立郷土歴史博物館長・松平永芳大人『屈原の心境か?――市川團藏翁と清水澄博士の入水』(日本學協會『日本』昭和四十六年五月號)に曰く、「
 三島氏の事件は、惰眠を貪る昭和元禄の世に大きな衝撃を與へ、多くの波紋を卷き起こした。新聞・雜誌・テレビ等は、月餘に亙つて各界の論評・反響を掲げ續けたが、これ等論評の内、眞に讀むに堪へ、傾聽に價するものは少なかつた。しかし、それは當然のことで、三島氏の如く、眞に祖國の前途を憂へ、信念の爲には一命を捧げて悔なしとする人物が筆を執つて居ない爲であらう。
 尚又、この事件で遺憾とする所は、益田總監の一身を按ずるの餘り、總監部が三島氏等の要求に易々として應じ、隊員に集合を下令したこと、集合した隊員の中に、三島氏等の、死を決しての切々たる訴へに(行動の贊否は別として)、感應する力もなく野次を飛ばせた者の多かつたこと、更に又、防衞廳のスポークスマンが、集合した隊員が野次を飛ばせたことを以て、「自衞隊が外部からの呼び掛けによつて左右されない健全性を確立して居る」かの如き口吻を以て、自己辯護的な態度をとつたことである。
 なる程、人命は貴い。しかし國の組織と言ふものは、總監の一人や二人、斬つて捨てられても、筋違ひの人間の言ふが儘に動いてはならない嚴しさがなければならない。今日のわが同胞は、人命より貴いもののあることを忘れ去つて居るのではなからうか?
 曾て陸上自衞隊に奉職し、市ケ谷臺で十年近く勤務したわが身にとつては、あの事件には人一倍強い衝撃を受け、改めて同地在勤當時の囘想に耽つたのである。
 當時、隊員に對する思想・精神教育が不充分であることを痛感した私は、自分の隊に對しては何とかしたいと考へ、最後に勤務した部隊に於ては、十日目毎に、必ず一編の精神教育資料を印刷頒布して、退職迄の滿二箇年間に、八十編に及ぶ時事問題、隊内問題、歴史・思想・教育・躾問題等に關する私の考へを投げかけて、一同の思考錬成に努力した。‥‥
 以上、屈原の如く、自ら入水して碧海の波濤に身をゆだねられた方々の、美しくも清らかな死を説いたのであるが、諸官は如何に感じ、如何に考へられるか? 萬事ソロバンをはじいて己れの進退を決するを宜しとする人、人生の目的を物質生活の豐冨と快樂のみに求める人、かう言つた人々にとつては、屈原の死も、清水博士・團藏翁の死も、「いのちあつてのもの種」であらうから、一顧の價値も認められないかも知れない。しかし私は、何事にも眞劍な態度を以て、これに當り、その事に殉じ得る人を貴しと考へ、このやうな先人にこそ、あやかりたいと考へるものである。‥‥
 尚、三島氏の死に對する論評が、論ずる人の思想・人格によつて異る如く、清水博士の死についても、同樣であつた。昭和三十九年の『文藝春秋』十一月號に、博士の嗣子虎雄氏(當時東洋大學教授・憲法學)が、表題「明治憲法に殉死した憲法學者」、副題「父は信ずるところに死んでいつた」として、一文を投じ、詳細に當時の事情を述べられて居るが、その文中に、
「父の死後直後に弔問された穗積重遠博士が、『先生は明治憲法に殉じられたのでせうね』と言はれたのは、自決の辭を動機として直感したのであらう。岡田啓介大將の囘想録中にも、『舊憲法に殉じたのであらうと考へてゐる』と記されてゐる。しかし、後に觸れるやうに、父の五十餘年の親友であり、私の恩師である美濃部達吉博士を、父の死の直後訪問した時、博士は、『私には君のお父さんが死ななければならなかつた理由が、どうしても分らない』と、嘆息するやうな調子で言はれた。」
と記述されて居る。
 一方、徳富蘇峰先生は、博士急逝直後の九月三十日附書を以て、博士の御遺族を弔慰せられ、「寔ニ寔ニ見事ナル、申分ナキ御最期ト感嘆イタシ申候」と、繰り返へし述べられて居る。一方は、死なれた理由は了解に苦しむとされ、他方にあつては、見事な御最期であつたと遺族を弔慰される。人各々の感じ方・考へ方は、斯くもその思想・人格、學問の深淺によつて異るものである。三島氏の死の眞意も、眞劍深刻に國家の前途を憂へ、身を以て傳統國家の命脈を護持しようと決意する人々以外には、所詮理解出來ず、野次を飛ばすか、興味本位に扱ふか、はた又商魂の材料とするか、かう言つた受け止め方しか出來ないのである」と。


■平成十九年八月二十七日

松平永芳宮司、畢竟の覚悟。
 いやあ、嬉しいねえ。備中處士さんが戻られた。小康を得たので、「靖國神社の正統護持、松平精神の顕彰恢弘の為め、筐底の文を謹写し、更めて一兵士翁の露払ひをさせて戴きます」と、書いてくれた。数日前に、仲間から毎日新聞社が出した『靖国戦後秘史』を知らされ、昨日、読了したばかり。備中さんは、既にこの本を読まれたようだが、一兵士とは、別の視点で、靖國神社内部暴露を行った「特異な」出版物である。松平宮司を叩き潰すことが目的の書物であるが、この中に書かれた「情報話」の総てを、蹴っ飛ばす「本当の話」を、一兵士は、なお「有している」。ただ、現在、一兵士は‥‥、少し、忙しくて、投稿できない。しかし、備中さんが投稿してきたことに挨拶をしないわけにはいかないので、そのために一寸、顔を出しただけだ。備中さん、小康を得たというのが本当なら嬉しい。これからも書いてください。あなたがいないと、レベルダウンが免れない。一兵士の話は、大体が、外堀の靖国ファンでは「計り知れない」、靖國神社の「堀の内」話ですから。

 ただ、この『秘史』の中で、執筆者グループが、さんざん、こき下ろしている松平宮司の「昭和殉難者合祀」の件。現在、分祀騒動を日本遺族会が起こしている。まもなく煽動を始めるが‥‥。何故、松平宮司は「昭和殉難者を合祀したのか」。この真相は、実は誰も「わかっちゃいない」。毎日新聞の若手記者の取材レベルでは、まず、掴めないだろう。‥‥何人かしか知らない。ここで、自分が書くわけにはいかない。しかし、諸氏に「松平宮司の心を」伝えることは、できる。その答えは、備中さんが紹介していた、松平宮司の「三島事件」に関わる叙述のなかにある。松平宮司は、こう書かれている。
尚又、この事件で遺憾とする所は、益田総監の一身を按ずるの余り、総監部が三島氏等の要求に易々として応じ、隊員に集合を下令したこと
と、ある。そして、松平宮司は、
なる程、人命は貴い。しかし国の組織と言ふものは、総監の一人や二人、斬つて捨てられても、筋違ひの人間の言ふが侭に動いてはならない厳しさがなければならない。今日のわが同胞は、人命より貴いもののあることを忘れ去つて居るのではなからうか?
この一文である。松平宮司は、昭和殉難者合祀をはじめ、国家護持法案の反対、大量の職員リストラ敢行、招魂斎庭の桜木を伐採し、「駐車場経営」を敢行。英霊にこたえる会や戦友会の批判も浴びたが、動じなかった。また、生き残った特攻の「海軍十四期」を、「ごろつきども!」と蔑んだ。境内から「日本にふさわしくないもの」を、次々と排除した。峻厳、峻罰である! 更に「職員の趣味・酒宴を警告し、ゴルフを禁止させた。業者の挨拶・接待を一切受けない。自分の机まで入室させないことを、職員一同に徹底させた」。この厳修に、根をあげた職員が大勢いた。「神道は、もっとゆるやかであるべきだ」、「筑波宮司は、なにも言わなかった」、「参拝者も楽しく、神職も楽しいほうがいい」。そういう批判をする者が結構いた。似たようなことを吐く連中は、現在、この掲示板に、うようよいる。靖國神社にも、大勢いた。みな、リストラされた組である。権宮司であろうが、幹部職員であろうが、「辞めていただいた」。だから、戦前の「正統・尊厳・伝統・皇国」と「靖國神社の軍務」継承が成った。その後の大野宮司は、松平宮司の負託を受け、「神社神職が『語り部』となれ」と訓話したのだ。

 現在の靖國神社職員の中で、当時、松平宮司が雲の上のような人で、到底、口など聞けず、あの眼光が恐ろしくて近寄れない‥‥と思っていた人が、まだ沢山いるだろう。就任中は口も聞けなかった人が、「かなり残っている」筈だ。その厳格さ、峻厳さを‥‥、懐かしむ‥‥、いや、当然だと思う職員も、また多いことを、一兵士は知っている。ただ、そのことを口に出せないのが、現在の靖國神社の内部状況になっている。一言だけ漏らす。貶めるためではなく、利用されないために漏らす。筑波宮司は「おおらか、平和主義」だったと、『靖国戦後秘史』では、松平宮司を極悪非道にするために、靖國神社の理想の宮司として、しきりと「筑波さん」を誉めて書いている。‥‥おおらかも、なにも‥‥、「筑波宮司は、ほとんど神社には出社していなかった」のだ‥‥。職員のことなんか、執務中、なにをしていようが‥‥、皇族の宮司には、まったく関心がない‥‥。だから、昼間でも、職員は境内でバレーボールに興じられるし、夕方になれば、まだ閉門しない前から、部課長クラスは、「さて、一杯やるか」と、一升瓶をドンと机に置くことも出来たのだ。これが、松平宮司就任後は、総てパーとなった。給料計算も、「ドンブリ勘定から、近代式に変更された」。筑波宮司には、「職員の給料」‥‥などという感覚が、果たして頭の中にあったのか‥‥。あったのは、「ご褒美」という感覚である。皇族宮司である。今日は大分お賽銭が集まったから、「ほれ、ご褒美だ」というのは‥‥、消滅した。『秘史』の後書きで、「これだけ靖国問題を深く追求し、内部情報を掴んで真相に迫った書物は、今までなかったろう」と、政治部の副部長が得々と書いているが、なに「ほんの入口」を入っただけの「本でしかない」。下手をすると、靖國神社の玄関を開けた積りでいるが、隣の家の「玄関」を開けていたりして‥‥。一兵士のスレッドの方が‥‥、そういう意味なら、「今まで誰も知らなかった内部情報だらけ」であろう。松平宮司に関した日常話は、ほとんどこのスレッドで、一兵士が先に公開していることばかりだ。

 ‥‥話がよそに飛んでしまった。戻す。つまり松平宮司が、昭和殉難者合祀をはじめ、様々に靖國神社で為されたことは‥‥、一言で言えば、「宮司の一人や二人、斬って捨てられても‥‥、やらねばならぬことはある」。それが、松平永芳宮司の「覚悟」であったろうと‥‥、一兵士は、遠く遠く離れた場所で、畏まって平伏いたすので御座います。○○さん・○○○○さん・○○○○さん、他の皆さん方、ロムしたままでよいが、この半言で、直ちに松平宮司の心を理解してくださいな。昭和殉難者合祀の真相は、ここに‥‥。天皇が参拝されなく‥‥なることも承知していたのか‥‥。迂闊なことは申し上げられないが、その筋を通した生き方は、自身の葬儀にまで及んでいる‥‥。生前に、葬儀の仕儀を遺漏なく‥‥指示されて‥‥終えられた。此処を、よく熟考してください。「宮司の一人や二人、斬って捨てられても‥‥」。


■平成十九年八月三十一日

――備中處士――靖國神社正統護持の旗は、斷じて倒されるべきでは無い。
 本スレツドならびに他スレツドに於ける、一部の者の妄想喧騒に氣分が萎え、本志を喪ひかけてしまひますが‥‥。これ以上は云はぬが宜しい、思ひもよらぬ挑發や荒しに遭ひますからね。小生は、一兵士翁ほど人間が出來てをりませんから、こゝは一番、ならぬ堪忍を我慢して、口を愼みませう。
 小生は、靖國神社本來の正統護持、即ち松平宮司精神の顯彰恢弘せむと欲する者、方や一部の御方は、戰後の所謂「國際平和主義路線」を積極的に採用され、又た「娯樂化路線」を復興し、「顯彰よりは慰靈」を目指された元宮司精神、即ち>戰後精神を展開しようと仰られるのでせうか。一兵士樣の所論が御氣に召さぬ御方は、別にスレツドを御建てになられて、大いに開かれた、戰後民主主義の流れに沿つた所の、靖國神社の宣傳を、大いにおやりになられては如何かと存じます。御仲間は大勢をられる由、千客萬來、慶賀に勝へませぬ。然し‥‥此方へ投稿は、何卒ご遠慮ください。
 鎮霊社が約三メートルの鐵柵で覆はれてゐることに、現在の崇敬奉贊會長・久松定成氏(「自分は白い共産主義者なんだ」と漏らし給うた元宮司の從弟)は、以前にも紹介しましたが、「内外の戰沒者を祀つた鎮霊社が示す愛の小世界にも、心を打たれる。宣傳を教化すべきだ。昭和天皇の御心がかなつた社」と、強く訴へられてゐる由(『靖國戰後祕史』)です。然らば一兵士翁に與せぬ御方は、崇敬奉贊會長の、よき翼贊者となられることでせう。松平・大野兩宮司とは正反對の路線であり、小生としては、洵に遺憾殘念ですが、已むを得ません。お互ひ頑張つて參りませう。
 松平永芳大人の、彼の元宮司薨去に伴ふ宮司就任は、將に天の命ずる所でありました。我等の悲願は、ご時勢なれば、竟に多勢に無勢でせうが、大事の出來あるごとに、靖國神社の正統は、せめて、其の中樞(宮司はじめ神職・總代)のみの祕訣奧傳として、或は確實に遵法墨守して行つて戴ければよいのかも知れません。然し旭日再輝の何時の日か、日本が皇國である以上、靖國神社の正統、即ち松平宮司の目指された本來の眞姿は、必ずや顯現されることを、小生は確信し、又た只管ら懇祷してをります。
●靖國取材班『靖國戰後祕史――A級戰○を合祀した男』(毎日新聞社・平成十九年八月刊)に曰く、「
 靖國の戰後六十年間餘を、松平宮司以降、今日までの戰前復古主義路線と二分するほどの期間を占めた筑波宮司の戰後平和主義路線とは、どのやうな靖國神社だつたのか。知られざるもう一つの靖國戰後史をたどると、松平宮司が登場しなかつたら、現在の姿とはまつたく別の靖國になつてゐたのではないか、といふ可能性さへ想像されてくる」と(愚案、よほど悔しいのでせうね、松平宮司の存在が‥‥)。

 愚案、湯澤貞前宮司は、「尊敬するのは松平宮司」と仰りながら、本殿に連なる參集所の建替へ・遊就館の大改修を遂行される。『靖國の言ひ分、英靈たちの聲』(産經新聞社『正論』平成十七年八月號)には祭祀の祕儀を書き、棚橋信之元主典からは、直ちに「湯澤神學の提唱か」と疑義を呈される。前宮司は神職の出、長く明治神宮に出仕し、謂はゞ祭祀の玄人、且つ靖國神社では權宮司として七年間、松平・大野兩宮司に仕へ、靖國神社を巡る情勢も見聞周知され、宮司として七年間、其の骨髓の繼承・引繼ぎも行はれてゐる(松平元宮司の曰く、「政治權力との癒着を後任に戒め、私は職を離れた」と)筈なのに、何故ゑ靖國神社の正統に關して問題とされなければならないやうな事態が釀成されたのか、何故ゑ再び元宮司の混迷せる時代に戻りつゝあるのか、今以て不可思議とせねばなりません。或は松平宮司の心配されたやうに、強大なる「政治權力への迎合」によるものなのか、或は「筋違ひの人間」、即ち似非保守による横車の壓力なのか、或は戰後世代の精神劣化なのか、或は國體觀念の混濁不明徴なのか(寒林平泉先生『皇學指要』に曰く、「大雨數日にわたれば、濁流は横溢し、教學十年を怠れば、俗論横行して止まぬ」と)、或は湯澤貞氏本人の面從腹背の性格に因るものなのか、‥‥一體、如何なのでせうか。
 靖國神社の正統にかゝはる至重至大の事にも拘らず、此の正統からの逸脱を問題としたら、すは内部暴露だの、やれ現執行部批判だの、戰後精神は、此の掲示板にも横溢し、病ひ膏肓に入つた感があります。鎮霊社の公開、手水舍前に於る便所の建設、遊就館展示の書替へ等々、重大問題が重疊するに於ても、是々非々の論、又た神社内外に於る「闊歩ならびに配布は遠慮すべし」の、神社を崇敬する者ならば、當然當爲當行の批判書込みさへも許さないと云ふのでせうか。こゝまで來れば、立派な戰後精神によるカルトの誕生を見る思ひです。然らば借問す、靖國神社は、松平宮司の危惧された方向へ行きつゝあると斷ぜざるを得ませんが、此のまゝの推移に任せて置いて、眞實に宜しいのですか。一兵士翁の仰せ、正統贊同者の筆記、小生の引用・書込みが信じられぬと云ふのなら、御自分で研究し、嘲笑や排除では無く、別スレツドにて大いに論陣を張つて下さい。然し我々の正統護持の旗は、斷じて倒されるべきでは無い。孟軻の曰く、「藥、瞑眩せざれば、其の疾ひは癒えず」と。何卒、ご賢察ご自重の程、宜しく御願ひ申し上げます。
 かつて崇敬者總代に、森田康之助博士あり、松平宮司の靖國神社中興の同志であられた由。
「日本がいつもここにある――、さういふ神社にする」と、松平宮司が口癖のやうに話されてゐたと云ふ、靖國神社。
「自分が靖國神社から、戰後民主主義の日本を改革してみせよう」と、松平宮司が決意して乘り込まれたと云ふ、靖國神社。
「非禮參拜」を犯した民主總理を出迎へなかつた松平宮司の死守した、靖國神社。
ゆめ、其の復興の志、其の一條の光を消してはならぬ。
出でよ! ひとりの靖國神社總代。
出でよ! ひとりの靖國神社祀職。
語れ! 靖國神社の正統精神を。
集へ! 靖國神社の正統を護持せむとする若者よ。
 只管ら懇祷し奉る! 皇國の中興・復古・維新を‥‥。
 

  • [82]
  • 八十一。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月10日(日)21時43分49秒
  • 返信
 
メイドカフェ通いはよしなさい。
 ○○ちゃん、大丈夫かね。あんたの「天皇陛下」が、どうのこうのいうの、珍しい投稿なので、家に来る若いのに読ましたら、「こいつはメイドカフェ通いをしていますね、ゼッタイ」といって笑っていた。ご主人様、お帰りなさいませとか、お客を呼ぶらしい。なるほどねえ。この○○ちゃんも、「御皇室」・「御英霊」・「御祭神」組だな。しかし、面白い連中だネエ。一兵士が黙っていりゃ、「知らねえんだろう。バーカ」と言い、教えてやると、「バーカ」と、また言われる。こっちがバカバカと言うから、感化されちゃうのかね、この団塊世代は。それで、勝手に「ほっておきましょう」とか、初めて同士で、女みたいな会話をして、勝手に出て行く。まさに「メイドカフェ」そのものだね。ああいうところに行っちゃいかんよ。染まりやすい性質のようだからな、二人とも。しかし、それでもカンシンなことに、このスレッドをよく読んでいるようだ。一兵士に文句をつけちゃ、自分の知識がどうなのか、確認しているようだから、まあ、可愛いと言えばカワイイが。ハムスターみたいなもんじゃ、役に立たんしな‥‥。でも、もう放置してくれたようだから、ホッとする。まあ、黙って一兵士のスレッドを読んでいなさい。山のような本物の知識をモノに出来るのは間違いない。ただ、自分でも勉強しなさいよ。すれば、山登りが出来るようになる。馬鹿笑いが‥‥、その内、止まってくるよ。

 どうかね、備中さん、岡山も暑いんでしょうね。そうだ、忘れていた。○○○○さん、どこにお住まいか知らないが、この暑さは厳しいんじゃありませんか。元気でいてくださいな。しばらくぶりに一兵士が出てきて、みんな、遊んでほしんじゃないかと、さっき、仲間から電話があった。冗談じゃない。メイドカフェの趣味はないですよ。ホットイテクレー。さ、これから仕事だ、もう相手はせんよ。涼しくなったので、やらにゃならん。


――備中處士――心身家國、切實の事務を以て世上話となす者は、誰ぞ。
一兵士樣
 どうもいけませぬ。八月に入つて、頸肩腕症候群と云ふのでせうか、右頸より右腕に疼痛・痺れが再發、今の度びは、些か激痛重疊、書込みが出來ぬどころか、閲覽さへまゝならざる状況であります。彼奴等の未だに續く陰險姑息なる手口多辯に閉口、悲しみの積もる所、厭きれると云はうか、諦めると云はうか、申し上げる言葉もありませぬ。而して又ぞろ、彼の掲示板では、「○○○」なる御仁、恐らく櫻掲示板の御常連でせうが、煽つてをるやうですね。醜惡の極みです。
 何ぞ、これしき‥‥。然れども‥‥暫く拜讀のみに徹せざるを得ない爲體、何卒、御許し賜はらむことを。頗る時間を要して、漸くこゝまで書上げたる次第。頓首不具

●松陰吉田先生『講孟箚記』に曰く、「
 輕重を失ひ、本末を忘るゝ、亦た甚しと云ふべし。其の故は何ぞや。『從我』の二字に過ぎず。從我の心は、何より起ると尋るに、私欲のみ」と。
又た曰く、「
 抑も有志の人、言語、自ら別なり。心身家國、切實の事務を以て世上話となす者、取るに足る者有ることなし。是れ人を知るの眞訣なり。然れども是を以て人を知るの眞訣とするも、亦た世上話の類のみ。宜しく親切反省すべし。辭を修め誠を立つる(愚案、『易經』文言傳)、是れ君子の學なり」と。


■平成十九年八月十九日

残暑感懐。
 ○○○○さん。しばらくですね‥‥。昨日、今日、急に秋風を肌で感じ、季節の変わり目の速さに驚いています。まあ、あなたが言うように、「茶化す事以外に、何も出来ない」連中が飛んできている。そのこと自体は、巨象に群がるアリンコ‥‥二十匹ぐらいで、なんということはない。体調がよけりゃ、いつまでも同じ目線でからかってやる。問題は、彼らが自分たちを、どうも正統と考えている節が、最近、言葉のハシハシに出てきたことです。ここに重篤な問題がある。正統と言う形‥‥、どうも正統と言うのは、自分の心に響き、自分以外の者も、自分と同じように考えるモノ‥‥、大衆のほとんどが理解できるモノとして捉えられているような節がある。時代と共に変遷していくものと、考える風もある。相撲場の四本柱撤去と同様な価値判断。だから、一兵士が伝える靖國神社の正統が、どうも、自分達の考えることと違う。偽兵士の言うことなんか、嘘っぱちだ‥‥で、終わらせてしまう。無論、あなたのように、一兵士を支援してくれる人もいる。しかし、あなたがたのような人たちは、一兵士がいなくても、正直、関わる知識が仮に薄くても、頭脳明晰、あるいは明快だから、判断が間違いなく、上方に向かう。今後、いろいろな方の話しを聞くことで、「正鵠」だけを吸収し、ほっといても卓越した場所に出て行ける。そういう道を歩いていける。「ばあ~っつ!!」はない。

 一兵士が「靖國神社は、いつ天皇陛下が行幸するかもわからない場所」と書いただけで、すぐに「ハッと」、自分の今まで気づかなかったことに気づく――。「靖國神社は、軍務を継承した」と書くだけで、即座に「靖國神社の戦前・戦後の祭祀」がなんであったか、「正統への手がかり」を理解してくれる。「このバカ!」、「オタンコナス!」と、一兵士が怒鳴り散らしている間は、ロムというのかね、みんな「知らん顔」している。一兵士の話を少しでも聞きたいという人たちは、何故、一兵士の話の趣旨が、即時に理解出来るのか‥‥。それは、極言すれば‥‥、「規範という精神」を理解し、そのことを重要視しているからだ。現代が喪失した「規範」が、正統の概念だ、ということをよく理解しているからだ。だから、一兵士のいう「毒でない部分だけ」を有効に取り込み、滋養としている。だが、一兵士を攻撃‥‥していると思っている、数多いアンポンタン‥‥は、若い時に勉強が苦手だったか、出来なかったか‥‥、根がアカか‥‥、感化させやすいのか、いずれにしても、自由人・遊び人の特色を感じる。あるいは二軍生活が長かったのか‥‥、二軍のままで終わってしまったのか‥‥。「規範なき人生」を歩いてきた人たち、また、今も歩いている人。「なんでも見てやろう」の感覚で、この世を渡ってきてしまった人たちの感じが強い。彼らは「規範」の意味がわからない。生活の中から失われていることすら気づいていない。此処が、一兵士の理解者と異なる一点だ。それで、ヘンな者には盲従してしまう。「知識」・「学問」・「勉学」はなくても、「屁」とも思わない「ヘラヘラ群像」。唯一、頼りになるのは「自分」である。「自分の心に響く」ことが、「素晴らしい」ことだと思ってしまった。自我だけが発達してしまった。「従我」である。勉強はしない。理解できることだけを理解する。深く入る頭脳がないから、やむを得ない。それ以上は、頭が痛くなる。つまらない。結論を自分で出してしまう。わかりやすい所だけで、勝手に理解する劣等生の性格そのままである。

 そこに靖國神社がはまった。英霊を知った。俄かファンになってしまった。靖國神社に参拝すれば、「英霊から元気を貰った」、「励ましてくれた」などと言うオッチョコチョイ。「英霊も喜んでくれている」とか言う八方ヤブレ。靖国ファンの実態は、もうほとんどの人たちが、「閲覧して知った‥‥ようだ」。閲覧数が上がった筈である。一兵士の株が、余計、上がってしまった‥‥、というから面白い。「詔勅のことを書くのに、『天皇陛下』とも書けない、根っからの大馬鹿なんです」‥‥なんて「ののしり」には、????考え込んでしまう???? こういう「文章」と言うより、「知識」というのか‥‥、どこで手に入れてきたのか‥‥。ファンが堂々と書き込んでくる。‥‥赤信号、みんなで渡れば‥‥、恥かかない世代だ。こっちが「もう、ほっときたくなる」。

 備中さんは、困難な病魔の中で、松陰さんを持ち出されてくるが、意味がない。土台、彼らの頭では、漢字が読めないし、意味も理解できないから、勿体無いだけ。美辞麗句だなんて言われてしまうのが、関の山。「もうやめたら」と、知人が電話してくる。仲間も、
「もう、無理だよ。どうしても書きたいなら、馬鹿はほっといて、備中さんのように、一兵士の話しを聞きたがっている人だけに話してやったら」と言ってくる。ウームである。「この○○○○だってそうだし、誰それさんだってそうだ。もっともっと話を聞きたがっているじゃないか」。
「この人もそうだよ」と、仲間が今までの投稿者の名前を並べだす。優秀な人だけに絞って話をする‥‥のは、楽は楽だ。堀の内のことも聞きたいだろう。だが‥‥しかし、バカをなんとか目覚めさせることが、一兵士の望んだ最初の動機だ‥‥。どんなに馬鹿でも、「話せばわかるだろう」と思っていた。本当に「簡単に考えて」いた。
「しかし、これだけ話してもわからないのは、もともと正統に興味もなく、靖國神社にも英霊にも関心がなく、ただ、現在「オモシロイ」からだけじゃありませんか」
と、仲間は言う。とっくに投げている。
「本当に英霊がどうの、先人がどうの言うのだったら、靖國神社はともかく、護国神社といわず、全国の神社に参拝者の姿が溢れていますよ。涼みに来る人の姿は見かけるが、参拝者はほんの数える程度‥‥もうやめやめ」。
「そうそう。あんた、心臓をもっと大事にした方がいい」。
「書くなら、まともなのだけ相手にしよう。あんたの途中で書きやめた話が、ワンサとあるの知ってるかい?」
「ああ‥‥」と。なかなか、踏ん切りがつかない。‥‥そうか‥‥。そうするか‥‥。「ああ、そうしなそうしな」、「じゃあねえ、また」と、帰っていく。‥‥しばらく、また考えましょうと思う‥‥。

 それはそうと、備中處士さん、なにか難しそうな症候群に見舞われた様子。遠くから快癒を祈るばかりで、何の力にもなれんが。投稿はゼッタイ無理しないで。あなたの事情もわからず、あまり、安易な言葉もかけられないので、ただただ快癒をお祈り申し上げる次第。一兵士のことは、心配しないで下さい。一日も早く元気な声を、○○○○さん共々お聞かせ下さるのを‥‥、気長に待っていますよ。暑さがぶり返すのか、秋になるのかわからないが、御身体大切に。


■平成十九年八月二十日

正統論に戻る前に。
 ‥‥少し、迷ったことがある。折角、○○○○さんが、「あおり投稿」を遮断してくれたのに、「あおり」をうけるのは、○○○○さんの心遣いを無にするので、申し訳ないが、最後のことなので、お許し頂こう。正統の話を書く前に、性懲りもなく飛び込んでくる、「ばあ~っつ!!」さんのことを書きながら、少し話をしておきたい。この人、よほど、一兵士の「まあ、お兄さん、よってらっしゃい~な」という擬態が好きでたまらないらしい。この人は、確かどこかで読んだが、「自分は、昭和二十三年生まれだ」とか書いていた。ホンマカイナ? 嘘だろうと思う。いくらなんでも、こんな五十九歳はおるまい。もし、本当ならどうして、こんな「お調子者」になってしまったのか? 最後だから、一緒の目線で書いておく。この人、「ばあ~っつ!!」と、返答してくるんでっすよ。皆さん、見てやってください。
「ばあ~っつ!! あなたも妄想を巡らすのがお好きなようですね。「メイドカフェ」にお詳しいようですが、何度も通って、ご自分の眼でお確かめになりましたか。はははははははは。備中さん。その他のお仲間の皆さん、出番ですよ。」
一兵士の擬態はたまにだが、この人は、あっちでもこっちでもやっている。自分が五十九歳の時はどうだったか、‥‥少し、思い出しにくいが、今の五十九歳‥‥、つまり団塊世代というのは、こういう人が多いのだろう。本当におちこぼれてしまったのか? 「ばあ~っつ!!」さんが、他のスレッドでどんなことを語っているのか、一寸見てみたが‥‥、やはり、おかしなことばかりしゃべっている。あっちこっち、この板だけが生き甲斐のように走り回っている。こういう人を、昔は「お調子者」と言ったもんだが、大体、五十過ぎると、それなりの人物になった。戦後は、やはり違う。本当に二十三年生まれとすると、団塊世代がどれほどダメか――、格好の「標本」でしょう。昭和二十三年生まれと言えば、確か、チャンネル桜の水島社長も、その辺りのお生まれでしょう。片や社長で、片や「「ばあ~っつ!!」ですよ。いい加減にバカをやめればいいのに、どうも、仲間から「一兵士」に果敢に絡んでるところを見せて、「誉めて」もらいたいのか? ‥‥?? よくわからん。朝から晩、夜中にかけても、この掲示板で動き回っている印象を持つ。‥‥信じられない姿だ。天皇の詔書を「もてあそぶ」ようなことをしていると、その内、どこかで踏み外し、身を危うくするからよしなさい――と、注意してあげたが、「一兵士の揶揄か、単なる脅し」に過ぎないと思われてしまった。想像力の欠如が、一番、危険だ。右翼と言うのは、暴力団・ヤクザぐらい程度しか、頭に浮かばないようだ。逆に言うと、こういう今まで一般人だった人たちが、「保守」・「右翼」みたいな発言をしながら、桜に集まってきているのだろう。一兵士が、この「ばあ~っつ!!」さんを晒し者のようにして書いているのは、この人が「触ってはいけないことまで、お調子に乗って書き出した」ので、それで注意した。この人のためだ。それと、閲覧者にも同様に注意を促しておこうと思って、今、書いている。

 「天皇」に関わる発言は気をつけて欲しい。ことに「詔書」に関しては、一層の神経を払うように。このスレッドは‥‥、一兵士に限らず、チャンネル桜掲示板自体が、常に××関係をはじめ、様々な機関にチェックされていることをよく想像した上で、書き込んだほうがよい。この「ばあ~っつ!!」さんは、他のスレッドで、杉浦重剛翁の「教育勅語」をべた貼りしている。このこと事態、不快と感じている方もいるだろうと思う‥‥が、それは置くとして、そのべた貼りした中に、「滅私奉公」の原典が書かれてあったが、この男、気がついているのだろうか。多分、わかっていない様子。一兵士に「滅私奉公を解説してみろ」と、絡んできている。「なんとか鼻の穴をあかして」、自慢したいらしい。当人はわかっていると、思い込んでいる様子だ。本当に「滅私奉公」がわかっていれば、重剛翁の述した箇所で、「注釈」を書き込んでもいいのだが、そこまでの読解力は、勿論ない。ないから、べた貼りするだけだ。滅私奉公の意味がわからないから、「正統の継承」がわからず、なんだかんだと、「一兵士」に絡んでくる。意味がわかっていれば、実は‥‥絡んでくる筈はないのだが‥‥。この人をなんとか救ってあげたいが、「お調子者」を変えようとしない五十九歳。今の段階では「○○○○」さんの言う通り、無理だ。永遠に「滅私奉公」の意味がわからないまま、死んでしまうのかも知れない。

 彼が、「ふざけたような」べた貼りでなく、重剛翁の一行一句、言葉を理解し、原典をあたり、写本するがごとく‥‥ならば、このようなふやけた頭にはならなかった筈である。また、戦前、陸軍省監修の映画「靖國神社」を鑑賞するにしても、「お調子者の論評」はしまい。いかに、他所で「まじめくさっても」、底の浅さは露呈する。すべからく、心に「規範」がないから、「尊厳」を大切にする心がないから、「雲染む心」がないから、何をやっても、最後は「おふざけ」になってしまう。それは、大抵の閲覧者がわかっていると思うが、他山の石とすべきでしょう。彼自身、反省して、尊厳・伝統・皇国を勉学すれば、それなりの「言葉」が出てくる。なにも「お調子者」を演じることはないのだ。一兵士が、時に擬態を演じるのとは違う。重剛翁の大論には、金剛山下、暮雲尽きる笠置山頭の話が述されている。目の前に、「滅私奉公」の話が書かれている。「南朝の天子、いまいずくにか在る‥‥」。これでわかったでしょう? 滅私奉公の意味が。「私心を捨てて、公のために尽くすこと‥‥」と、現代辞書には意味が書いてある。が、これは勿論、GHQから指示された文言が、いまも続いているだけ。それはわかっているだろうと思う。こういう意味ではない。吉川英治の「宮本武蔵」が、戦前は「日本刀」だったのが、戦後は「刀」に置き換えられたのとは、少し違う。‥‥これが、一兵士最後の「ワルガキ」への返信だろうと思う。

 以前、絡んできた若いひとがいた。彼には、何度も何度も、「学問しろ、学問しろ」と言い続けてきた。「お前の話は、心に響かない」とか言って、わあわあ絡んできた。しばらく見えないが、今も変っていない様子だ。しかし、「ばあ~っつ!!」さんとは違う。彼は自分自身には、「知識がない」事を素直に認め、自覚もしていた。また、一兵士が「博学」だということも「わかっていた」。ここが違う。一兵士を「知識をひらけかしやがって」という大ブーイングの中で、「博学」だと言うことを、彼だけは、最初から口にしていた。こういう人は、いつか機会が巡れば伸びる。頭が「バカ」でないからだ。事実、少しずつ伸びているようだ。知識を蓄え始めたからだ。彼は知識の重要性に気づき始めているはずだ。「知識」の面白さを知り始めているのかも知れない。自分を高めていく「知識」、‥‥それが、いつか学問への道を開く。真贋の眼はまだのようだが、まだ、ピラミッドの下層だが、これから精進すればどんどん伸びていくだろうと思う。この人に「魂魄」が理解できるようになると、格段と進歩は進む。「ばあ~っつ!!」さんが、早く「チョロチョロパッパ」をやめて、どっしり構えて物事を見詰めていけば、少しは自分を変革できるかも知れない。自己否定できるかどうかだろう。明日からは‥‥、また、少し仕事で忙しくなるので、そうそう、このスレッドには書けないが、時間の許す限り、体調が続くなら、「靖國神社正統」の話をすすめることにした。一兵士の話を聞きたい「人たち」のために書いていくことにした。塾みたいな格好になるが、それでも掲示板管理者が許すならば、である‥‥。備中處士さんが休まれているので、あの方のように「先哲」の話は投稿できない。自分に、そのような素養はない。一兵士だけでは大変だが、なるべく日にちを空けずに書いていく所存です。勉強してください。
 

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  • 八十。尊厳靖國神社の正統を戻せ。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月10日(日)21時37分38秒
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■平成十九年八月十七日

尊厳靖國神社の正統を戻せ。
 みなさん、しばらくぶりです。暑い夏です。残暑の季節は、まだまだ先のようです。挨拶もそこそこだが、この休み期間中、心にひっかかったことを、先に箇条書きにしておきたい。それでないと、忘れてしまうから。
一、青森りんご。
二、八月十五日参拝。ビラ配りの件。神社は、ビラ配りのメッカになった。
三、NHKスペシャル。パル判事は南京事件ありと認定している判決書。だから顕彰碑を建立するなと言った! 南京の真実は、まず、パル判事を敵としろ! 兵士の掠奪残虐と、組織的をどうする? パル判事の「日本有罪論」をしっかりと読め!
四、連日のTV報道。戦争は悲惨、戦争は嫌だ――は、当たり前。それでも戦争は、放棄してはならない。やる時はやる。しないと侵略される。いつでも行く。今からでも行く。
五、テレビ報道で‥‥、生き残った兵士の証言が気の毒だった。おもねるしか、相手にしてくれない。生き残ったものの辛さ。
六、北海道の白い恋人。内部告発の問題。これしか、企業の悪だくみは表に出ない。では‥‥。
七、追悼式は問題。初期の目的と変ってきている。

 先ず、最初の青森りんごというのは、この夏休み前の一連のビラ配り騒動で、投稿してきた方のハンドルネームです。休み中に、再度、投稿文に眼を流していた時、この「青森りんご」という人の投稿を思い出した。つい、書き落としてしまったのに、気がついた。少し、心に残った文章があったからだ。一兵士が知識をひらけかしている――という、劣等生達のアホ批判に対して、この青森りんごと名乗る方が書いていた言葉だ。『あれを「言葉の羅列」と言い捨ててはいかんな。「いかな知識」??? あれは、知識ではないんだよ。何かって? それやぁ、経験みたいなもんだろう』。別になんという言葉で無いかも知れんが、一兵士にしてみると、「心にひっかった」言葉だったねえ。ああ、わかっている人もいるんだなあ――、という感慨か。自分が最後に「夏休み宣言」してから、誰も遠慮をしてか書き込んでいない。スレッドは放置したままである。だが、休み期間中に六百回数っというのか、閲覧数が上がっている。この掲示板の常連は、一通り読み終わった筈なのに、誰かが、毎日、平均百以上閲覧している。急上昇だ。誰が見ているんだろう? 気になっていた。

 ‥‥現在、チャンネル桜に集う人たちが、靖國神社というものに対して、どのようなレベルにあるのか、調査している者がいるのかも知れない‥‥。それには役に立つスレッドだろうと思う。次がビラ配りの話である。仲間が「連中のビラぐらい、もらってきてやるよ」と言ってくれていたが、「暑い中、わざわざ出かけることは無い」と断っていたが、八月十五日に靖國神社に参拝する際に、彼らの言い分どおりのビラ内容なのかどうか、実際に自分が貰ってきてみようと思った。十五日は、異常な暑さだった。こんな日にビラ配りとはご苦労なこったと、正直思った。ビラ配りする場所さえ、間違えなきゃ、憂国の志士にもなるものも、根っこが浅いから、「遊び」にしかなっていない。こんな程度のことでも「活動」と呼ぶことに、一兵士の年代では、違和感しか感じない。ビラ配りは‥‥、ビラ配りで‥‥、別段、なんということではない。所が、彼らにとっては「活動」らしい。どうもサヨクの臭いがしてならん。新聞配達は、新聞配達だ。人民のための配達活動と、彼らなら言いそうである。どうも正直にいって、保守・右翼を自認するものが、「活動」などという言葉を使うことが、そもそも自分には聞きなれないし、馴染まない言葉だ。ビラ配り自体が好きでない。サヨクの戦法としか感じられない。そこに嫌悪感が、まずある。まあ、これは年代の違いだろう。団塊の世代が集まっているのだろうから、仕方がない。

 八月十五日、昼前に、地下鉄九段下の出口を上がって、表に出た途端、真っ白な熱射の光と共に、ワーッツと、がなり声が一斉に襲ってきた。地下鉄出口から吐き出された大勢の参拝者の列に向かって、ビラを持った大男達が、取り囲むように迫っていた。なんと、九段下の舗道は、ビラ撒き街道と化していたのだった。「南京の真実を――」、「ペキンオリンピックを許すな――」のがなり声、それ以外に「従軍慰安婦の――」とか、判然としない声が、ウオアーンと、白昼の舗道に跳ね返っていた。大鳥居境内まで、僅か五十メートルほどを歩いただけで、幾つものビラが、右から左から、自分の手の中に押し込まれていく。次から次である。静謐とか、崇敬とか、神社とか‥‥、そんな論争は蹴飛ばされて、まるで新宿駅前のマチ金融・エステ・パチンコ・旅行宣伝など、怪しげなチラシ・ティッシュ・ビラ配りの人間で、雑多埋められた混雑ぶりが、そっくり移動してきたかと錯覚する。

 錯覚ではない。大鳥居前の横断歩道を渡って、やっとビラ街道を通り抜けた。自分の広げたままの手の上には、山のようにビラが乗っていた。一体、どんなビラが配られていたのか、とりあえず、ビラを鞄の中に押し込んで、ビラ街道を振り返った。幾つの団体が、靖國神社大鳥居前の、公道に集まったのか――、あきれ果てた連中である。地下鉄出口から、ビラ配りの連中によって作られた囲いの中を、参拝者は、ヨロヨロと通って行くしかない光景が見えた。まさにというべきか、遂にはというべきか、この大鳥居前の九段下舗道は、ビラ配りのメッカとなったも同然だった。参拝者の中には、立ち止まって、ビラ配りの者と熱心に話し合う者もいる。それが渋滞を作る。「頑張って」と、声をかける陽気な婦人もいる。参拝者と一体感を感じて、興奮しているビラ撒き人もいる。「がんばりまーす」と、声をあげている。ビラ配りも参拝者も、皆、張り切っている。一種の熱気で溢れている‥‥。しかし、靖國神社と関係の無い一般者の目から見たら、どのような光景として映っているのだろうか‥‥。おそらく‥‥御蔭参りの熱狂とは、こういうものだったのかも知れない‥‥と、ふと思った。自分には溜息しか出ない。ここが重要なんだ。この光景を「溜息でしか」見ていない人間がいたということ。これが歴史の重要性だ。靖國神社の正統を受け継ぐ意味が含まれている。

 家に帰って、鞄の中からビラを取り出して、板の間に広げた。ビラは、南京の真実どころではなく、レコード会社の宣伝パンフ・出版社の出版本宣伝ビラ・神社清掃の勧誘まで‥‥、雑多である。極論すれば、雑多なビラ配り人が参集していた――、という驚き。大鳥居へ着くまでの歩道は、まるで、何十年間、見たことのない光景が、九段下に展開されていた。その中で、背の高い男が署名板を持った、主権の会の署名活動まであり、まさに盛況そのもの。誰かが言っていた‥‥、これが「大同団結」だそうだ。配布されたビラは、自分が受け取ったものだけで‥‥、別に自分が求めたものではなく、ただ、歩いていただけで、手の中に次から次と、各種ビラが積み重ねられていった‥‥。ちなみに、貰ったビラを列記すると、
「南京の真実」・「温家宝国務総理閣下への公開質問状」・「南京虐殺は嘘だ!」・「日本文化チャンネル桜視聴方法」・「血まみれの北京五輪にノーといおう」・「沖縄戦集団自決から六十二年≪真実の攻防≫――世界日報社増刊号」・「英霊に感謝。いっしょに靖國神社を清掃しませんか」・「広島・長崎の原爆投下を許すな。米国政府に謝罪を要求する会」・「北京五輪阻止のTシャツを買おう。価格二千三百円」・「北京オリンピックに反対しよう。土屋敬之市民の会」・「聞け、台湾出身英霊の声」・「台湾は中国ではない!」・「河野談話の白紙撤回を求める署名にご協力をお願いします」・「私たちの祖父の名誉回復を!」・「靖国神社戦後六十周年特別企画NIPPONNのうた。今日発売!定価二千円。井上和彦先生推薦――彼らは日本近現代史のたしかな語部である」・「教育勅語の復活で日本を救おう」‥‥以上、十六種類。
幾つの団体者がいたのか? 自分が欲しかったビラは「南京の真実」関連だけで、本当に、彼らが言う通り、十二月に映画が上映される、「宣伝が第一の目的」ビラかどうか、確認するためであった‥‥。「お金のおも言わない」ビラなのかどうか、それを確かめるためであった。そして、読んだが‥‥。彼らが何故、靖國神社でしか、ビラ配りをしないのかが、その理由がわかった。到底、新宿・渋谷などの街頭で、一般に配れるビラではなかった。身内にしか通用しないビラだ。それならそれで、最初から言えば済むことだ。いちいち「活動」ダナンテ、大仰のことを言わず‥‥。まあ、もういい。彼らのことは見放すしかない。そんなことより、彼らだけではなく、他の団体まで呼び寄せてしまったことだ。靖國神社が「境内の中も、外もダメです」と言えば、この騒乱はなかったものを‥‥と思った。これからは、靖國神社大鳥居前の舗道が、保守陣営の参拝者目当てのビラ配りメッカとならなければよいが‥‥。

 さて、今年の八月十五日の参拝者はどのくらいか。正午の判断では、精々七万か八万程度と思っていたが、しばし、乃木大将姿の白岳さんと懇談したり、新たな人を紹介されたり、それと‥‥、いつか紹介したことがある「大鳥居」を一晩かけて一人で洗った‥‥人が、病気でもしたのか、すっかり「老人」となっていたことに驚愕した。頬もコケ、髪も真っ白で、誰だか思い出せなかったほどの変りようである。長い長い棹に、日章旗と旭日旗をはためかせて参道を歩く姿はお馴染みだが、重そうで、ヨロヨロと‥‥、堪えるのが辛そうだった。みんな年老いていく‥‥。

 早く帰る積りが、結局、夕方まで境内にいたが‥‥、境内はガランガラン。昨年は、夕方からどんどん混み出したが、今年は、どんどん空きだした‥‥。遊就館の無料一階ロビーは混雑していた。土産モノが随分売れていたようだ。しかし、よく見ると、入場者は、一向に動かない。どうも冷房の効いたロビーでの夕涼みを決め込んでいるようだ。エスカレータで上がる有料拝観者は、ごく僅か。この日の拝観料は激減だろう。今年の参拝者数は、実数七万か八万がいいとこだろうと思った。もう、三十年も靖國神社に来ている仲間に聞くと、「いや、五万を下回るのではないか‥‥」と、口にした。「よくて五万だろう」と。参集殿で待ち合わせたもう一人の仲間に聞いたら、彼は、片手を広げた。「五万だ」と断定した。さて、靖國神社は何万人の参拝者と発表するのか‥‥。従来通りなら、三~四万ぐらいを上乗せするのが恒例。ならば、精々八万五千ぐらいにするかと思っていたら、十六万五千人と発表してしまった。あ~あ、である。昨年も参拝数を二十五万五千と発表したために、八万とは発表できなかったか‥‥。八万でも、実は物凄い参拝者数なのだが‥‥。正午の時間で、ロープ規制もなく、内苑の境内がガラガラだというのに、十六万はないよね。バカにしすぎているんじゃないか‥‥と思ったが、この掲示板の他のスレッドを見たら、十六万五千人の参拝者数に、誰も不思議に思っていない。一日中、大鳥居付近に陣取っていた筈なのに、人数が読めないのか。もっとも靖國神社の参道は往復だから、行く人帰る人が混然となるから、一見混雑しているように見えるので、今の人では読めまい。一万がどのくらいの混雑で、二万、三万の人数と言うのがどのくらいか、数える訓練もされていないし、まるでわからないらしい。

 靖國神社の正史になる『神社日誌』には、八月十五日の参拝者数の正式な実数が記録されている筈だから‥‥、この記録さえ、しっかりと書き込まれていさえすれば、いいだろう。‥‥堀の外の靖国ファンが騒ぐことではない。十六万五千人の参拝者で喜んでいればいいことだ。これだけの人数が実際に参拝していれば、参集殿はパンクしている。対応職員は、全員、倒れている。奉納金は×××ぐらいは計上する。バンバンザイダ。職員全員、世界旅行である‥‥。‥‥一兵士は執行部も含め、全職員に言いたい。‥‥靖國神社は、いかに「時勢に便乗する」と、バブルを迎えるか、今回の激減で、痛いほどわかった筈である。「靖国ファン」をどれほど集客しても、泡沫でしかない。それを肌で感じたはずだ。今年の十五日、参拝客で「疲れた」なんていう職員はいないだろう。定時を、少し過ぎた程度で帰れた筈だ。尊厳・伝統・皇国の継承を忘れ、世俗同様の祭祀を続けていけば、折角の若い崇敬者も離れていく。現在の崇敬奉賛会・青年部「あさなぎ」などは即刻解消して、戦前にあった「靖國会」の如き組織を作る。そして、全国地を遊説し、靖國神社の正統がなんであるか、その尊厳・伝統・皇国を語り、新しい、若い崇敬者を育てることだ。それしか存続の道は無い。

 崇敬奉賛会を立ち上げて七年、八年。会員が減少する一方であるのは、高齢者の死亡だけでなく、エテ公など呼んで楽しんでいる会の「ばからしさ」に、若い青年層が、次々と辞めていくからだ。講師が鼻垂れ小僧ばかりで、「御英霊」は、愛する家族・愛する妻・恋人のために出征したとか――、特攻隊とか、安直な視点で、昭和の戦争しか語らず、それも軽薄な解釈でしゃべっているから、少し勉強した青年なら、「ばかばかしく」辞めてしまう。残った青年層は、「完全無欠の靖国ファン」だけ。何かと言うと、すぐに会合し、酒を飲んで、「英霊を語ろう」みたいなことばっかりしている。中には未成年者もいる。クズだ。吹けば飛んでしまうこういう連中など、あてにするから、このたびの如く、八月十五日参拝者激減を迎える。湯澤宮司時代の方が、まだ、八月十五日の参拝者は来ていたのではないかと思った。

 松平宮司は、大野宮司は、「育てろ」とお話したでしょう。靖國神社境内の池では、「鯉を飼っていますから、それを見に来てください。エテ公がいますから、それを見に来てください」とは言わなかったでしょう。「鯉を見に来るだけでもいいから、鳩に餌をあげるだけでもいいから、お子さんをお連れして、靖國神社に親しんで下さい」、そう、一人一人の崇敬者にお話していたでしょう。そうすれば、松平宮司は、小さなお子さんを一人一人教化することが出来る。そう考えていた。靖國神社祭神の勇壮な物語。皇国をお守りするために、祭神はどのような決心をしたのか、天子様にどのような約束をして、出陣したのか‥‥。祭神は、父母を大切にし、兄弟姉妹を庇い、時には叱責した。そして、一朝事あれば、天皇の馬前に参集した。命を差し出した。現代人には理解しにくい話をしていく‥‥、それが教化だ。皇軍兵士の英魂を伝えることに、どれだけ、賀茂宮司・鈴木宮司が腐心してきたことか。風はどう吹いたのか。皇国の風はどう吹いたのか‥‥。それを語っていくのです。現代の若い人には、それは、最初は「神話」かもしれない‥‥。それでいい。最初は神話でいい。それが、その内、実話でもあることが明確になっていく。次第に尊厳が生まれる。知識を得ていくからだ。遺族との会話で、戦友さんとの親しい会話で、本当のいいお話を、靖國神社の多くの神職が聞いて、知っている筈だ。皆が、立派な語り部になれる筈なのだ。

 何故、それが出来ないか‥‥。執行部に見識が無いからだ。無いなら、自分ひとりでもいいから、参拝者一人一人を教化していく努力をしていくことだ。現代日本で、「日本」があるのは、靖國神社だけなのです‥‥。此処は氷川神社でなくて、軍人を祀る靖國神社であることを‥‥、天皇祭祀をし続ける神社であることを‥‥、堂々とこの日本で語れる場所は、この靖國神社だけなのです。その尊厳・伝統があればこそ、永脈となり、日本人をはじめ、多くの外国人参拝者も跪かせることも出来るのです。尊厳・伝統は、どの国の人間も理解できる思念です。参拝者は絶える事無く、参道を行き交うに違いない。神職が、祭神のお話をする。これ以上の語り部がいますか? 外部から芸能界崩れの男女やバンドなど呼んで、「語り部」などとおだてるのはやめにしなければならない。俗化した話は、「俗化したファン」しか育てない。‥‥俗化した人間が執行部に座っているから、怪しげな司会者や怪しげな講師・学者が集まってくるのではないか? 決然起って、皇風を吹かす者はいないのか。南部宮司、あなたが一言「正統」に戻す!と言えば、この靖國神社の俗化は消滅する。‥‥この靖國神社の境内には、いつ来ても「日本がある」‥‥、そう言った松平宮司の継承者が出でることを、痛切に願う次第である。

 次は、興味あるテレビ報道があった。NHKスペシャルである。二日間にわたって放送された。東條首相以下の、昭和殉難者の東京裁判に於ける尋問書である。そして、インドのパル判事の話である。「日本無罪論」を貫いた‥‥と、保守陣営に思いっきり喧伝されたパル判事の膨大な判決書が、何故、他の判事達には一顧だにされず、無視されたかが、さりげなく描かれていた。日本無罪は、単に「裁判手続き論」でしかなかったからだ。しかも、パル判事は南京事件は認めていた。南京だけでなく、通常の戦争犯罪が、日本軍にあったことを認めている。日本兵による暴虐な仕打ちは、否定できないほど、圧倒的な立証があると、幾度と無く判決書で述べている。だから、靖國神社境内に、パル判事の顕彰碑を建てるな!と、一兵士は以前、批判したことがある。「日本無罪論」にだまされるな――である。そこをNHKは、「逆手」としてついてきた。パル判事の判決書は、よく読めば「日本無罪論」ではなく、「日本有罪論」も書かれているのがわかる筈である。欧米が侵略したという話も書いてあるが、それは彼の感想であり、裁判とは関係のないこと。欧米の侵略などは、列席している判事全員が知っていること。ただ、彼らは口にしなかっただけ‥‥と、仲間が言っていた。知らんぷりするのか、慌てふためくのか‥‥、あなたはどっちだ。また「南京の真実」は、この問題をどうするのかだ。南京の問題は、現在の中国・米国ではない。写真が嘘だ、インチキだではない。その根っこは、東京裁判だ。松井大将が、何故、極刑に処せられたか――。その理由を知っているか? 南京事件があったからだ。そう判決されたからだ。パルでさえ認知しているのだ。真の「敵」を見間違えないような映画であることを願うばかりである。今日は、此処までにしたい。少し疲れた。


詔書をもてあそぶな。
 おい、○○ちゃん。真面目な質問で‥‥はないようだから、答えてやる。いいかね、天皇の詔書をもてあそぶようなことをしていると、いかに一般人とはいえ、何時か何処かで、危険な眼にあうぞ。注意しなさい。あんたには、まだ、右翼をよく承知していないようなので、気をつけなさい。今後、どういう会合にか、あんたが出て、天皇の詔書をペラペラ言い出した段階で、アウトだということも知っておきなさい。コノ世界には、「遊び」じゃない、戦前からの右翼が、沢山いることを知っておきなさい。

 ‥‥それと、可哀想だから一つだけ、あんたの身柄のために教えておく。終戦の詔書が戦後の出発だなんて、二度と口にしないように。戦後の出発に、「臣民」という言葉があるか!

朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク擧國一家子孫相傳へ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ

よく読みなさい。天皇は、国体の精華発揚を命じられた。神州不滅を信じろと言われた。終戦の詔は、あくまで、戦争降伏準備のものだ。戦後は、まだ出発してない。バカモノ! 天皇の詔書を、勝手に解釈するな! 下っとれ! ‥‥お前は馬鹿だから、このままだと××レルかも知れないので、教えておく。戦後の出発を言うなら、大東亜戦争の開戦大詔か、あるいは昭和二十一年の新日本建設だ。しかし、お前あたりが、まだ口にするのは早い。もっと勉学してからだ。天皇に関しては、発言を気をつけなさい。殊に詔書については、余計なことを言わないように。あんたのためだ。本気で注意している。忘れなさんなよ。
 

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  • 七十九。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月 9日(土)18時37分42秒
  • 返信
 
■平成十九年八月一日

――備中處士――平泉澄博士『山彦』から。
 暦變じて、本日は靖國神社月次祭。又た清國に對する宣戰の詔勅渙發の日。更たなる氣分にて書込ませて戴きます。

●平泉澄博士『山彦・増補版』(昭和五十年十月・立花書房刊)の「青苔」(昭和四十三年九月七日)に曰く、「
 明治も今は百年、明治以前に生れた人は殆んど無く、明治の初めに生れた人も稀になつた。十年前には、さういふ老人が、かなりあつた。その一人、一年に一度きまつて白山社(愚案、越前平泉寺白山神社)へお參りに來たが、二里あまりの坂道、必ず下駄であるいて、決してバスに乘らなかつた。その感激に充ちた、樸直にしてしかも獨創的な言葉を、十年後の今日も、私は忘れない。
「身にあまるうれしさは、何ともかんとも申せませぬ。からだ中、ぬくぬくで歸らせていただきます。」
「天地も驚く程の喜でござります。」
「はらわたも融ける思でござります。」
かういふ人々の、樸直にして質素、正直にして敬虔、そして苦難を恐れぬ勇氣、そこには明治の御代の底力を、強く感得せしむるものがあつた。
 さやうな明治初年の人、今はメツキリ減つた。殊に此の夏ここへ來る人、若い男女が壓倒的に多い。その服裝は、とかく亂雜異樣であつて、どうかすると、男か女か判斷に迷ふ事がある。態度は、一見横着であり、不作法である。ところが話してゐるうちに、彼等の素直さは、私を驚かす。片足あげて石を踏まへながら話してゐた娘も、忠告すれば笑つて足をそろへ、百人二百人の少年少女も、辨當のあとに紙屑一つ殘さない。彼等は境内の莊嚴を讚へ、歴史の悠久に胸をうたれる。三四百年、老いたる杉の密林の下は、一面に毛氈を布きつめた如き青苔である。前にはその苔をいため、或は之を取つて歸る不心得者があつた。今はそのやうな者、殆んど無く、誰も境内を汚さうとはしない。
 是に於いて思ふ、若い人々の亂雜放縱は、家庭や學校に於いて、父母や教師が之を親切に指導せず、無責任に放任して置いた爲であり、もし指導よろしきを得ば、彼等の純情はそこなはれないであらう、と。まして反抗を奬勵し、反逆を指導すれば、やがて全學連の狂暴を見るに至るは、當然ではないか」と。


飛流直下の正統論――見事なり。
 ははははは。わらっちゃうよね、あんたがたには――○○○○・○○氏ら、三銃士。いいんだよ。響かなきゃ、響かないで。とりあえずは、○○さんの話が、備中さんの話が、一兵士の話が、また、多くの人の話が、今まで聞いたこともない話が、あんたがたの濁った腹の中に、滔々と流れ出しているんだよ。それでいいんだ。あんたがたは、正統な学問を耳にした。バカが少しずつ、チョイバカに進化している傾向だ。しかし、此処までは、誰でも進級出きる。此処から先が、真正アホと利口の別れ道だ。黙って聞くか、ひっくり返るか。馬になるのか、人になるのか。馬なら、神話吹き込んでも仕方あるまい。馬耳東風。意味は自分で調べなさい。ちゃんと辞書を引いて、意味を知りなさいよ。響くはずだ。学問しか、自分を深めることは出来ない。自身の劣等性を、五十を過ぎても、誇るという‥‥、神経はわからぬでもないが、そういうのが多かったから、こういう時代が来ている。現在、日本の多くの代表者だろう。あんたがたは。多数派に属している。正統が奪われた理由は、そこにある。

 明治開国、幕末、全国草莽の志士は、日本近辺に、ロシヤ・イギリス・フランスの艦隊が姿をあらわすにつけ、我も我もと、長崎遊学の途に向かった。学問以外に対抗できる道はない。オランダを超えて、西洋学問を吸収に吸収し、夫々の国に持ち帰り、藩主に報告した。藩主が暗愚なら、駿才の家老が輩出、その学問を藩校に響かせた。大半は佐幕派だ。倒幕を成し遂げた新政府は、これら、佐幕派の優駿を海外に率先留学、西洋を学ばせた。これが近代日本、奈良・平安の時代から連綿、繋いできた学問の国、日本の正統だ。バカはいなかった。勉学をしない平民は、「おりゃバカだから、先生様の言う通りだにゃあ」と従い、頭を利口にしていった。森の石松だって、金比羅さんの代参が務まった。だから、西洋列強は、日本を植民地化することより、この優れた種族の智恵を利用して、自国の繁栄を図ろうとしたのだ。また、それでこそ、日本は開国の嵐を踏み越えて、西洋列強と‥‥。(しばし、沈黙)そうか‥‥、そうか、あんたら三銃士はバカだったっけ。馬に念仏、カラスがこけて、川にはまったという逸話の連中だ。こりゃ、無理だな。心に話が響かんだろう。そうや、そうや、明石の集いで、響くもの同士の集会が、一番、似合っとる。学問したくないものには、用のない場所だ。拝聴させてください‥‥と、心底、礼をもって投稿する姿勢が見えたら、今後、静かに拝聴することだけは許す‥‥、という意向だ。くだらん話は投稿するな。正統な話を続けるきっかけが出てこない。少し、甘やかしたのが、まずかった。○○さんも、どなたさんも、下らん話には、一切、関わらないで欲しい。一度か二度したら、それ以上は猥雑となる。一番嫌いだ。それで終わりだ。それ以上、話がしたいなら、別冊「一兵士を讃えるスレッド」を立てて、そこで、いーだ、こーだ、あーだ、と好きなだけ激論したらいい。

 しかし、それにしても、○○さん、見事な話だった。一兵士も穴が見つからないんで、入らないが、あれば、飛び込みたい気持ちです。あなたのような方がいるとは、正直、思わなかった。一挙に核心を迸ったようだ。断崖から飛沫をあげて、一気に下る秘境の瀑布に、突然、出くわしたような感慨。さすがに、○○○○さんは、見抜いていたのか‥‥、恐れ入りました。うん。自分も反省しきり。相当の学問を修得されたようだ。かなわん。雪の日の叛乱将校の靖國神社参拝は、謝絶されたことは、無論、知っておるが、その解釈を、あなたほどに、悲痛慟哭にあふれて書けるかどうか、自分には自信がない。うーん、無辺ですなあ、この世界は。備中さん、こりゃ、大変な方だよ。あんたも一兵士も、教えをこわにゃいかんかも知れんぞ。皇軍兵士、いや、将校の再来ではないか。感服しました。飛流直下、三千尺――、是れ銀河の九天より落つる正論なり。久々に読む。


■平成十九年八月三日

――備中處士――服喪の月。
 ほら、來た。まだゝゞ來るぞ。一兵士翁の如き御方さへも、「右翼ゴロ・似非右翼に勝つ手段はない」と、仰つてをられます。「どなたさんも、下らん話には、一切、關はらないで欲しい。一度か二度したら、それ以上は猥雑となる。一番嫌いだ」とも。地獄版とは申せ、スレ主權限の發動です。草木も言やめて聞け。
 聞かぬ者は、謂ふ所の荒しであり、釣りであつて、掲示板の敵です。保守の敵は、かゝる自稱保守・チンピラ保守であります。○○○樣の仰る「忠孝を知らぬ××(=禽獸。追記、櫻掲示板運營管理室に因る削除を免れる爲に伏字とす)」であります。松平・大野宮司は、暴に對するに正を以て應ぜられた由ですが、彼等には何を云つても通じやしませんよ。あるのは、どろゞゝとした憎惡のみ。御三方か御四方か存じませんが、じつと其の醜態を見屆けてやらうではありませぬか。彼等は各々役割分擔が出來てをるやうですよ。
 然し‥‥餘りにも淺墓にして凄慘なもんですな。我等は、決して暴を以て暴に應ずるべきでは無い。我等が服喪の月、暫くは彼等の活躍する秋です。


■平成十九年八月七日

――備中處士――靖國神社崇敬者第一の心得。
 何度でも、繰返し申し上げます。小生が一兵士翁から教はりし嚴訓、懺悔反省、骨髓に徹したる一事であります。少なくとも此のスレツドに投稿される以上は(勿論、掲示板に限らず、全ての發言に於いての悲願ですが)、靖國神社の御事を「靖國」と呼び捨てにしないやうに、又た昭和殉難者を「いはゆる○○戰犯(容疑者)」と書かないやうに、敬神の心は萬言萬行の基、當に謹愼あつて然るべく、殊に現在只今に於いては、更に痛切深刻なるを覺え、言靈の幸ふ所、一人でも多くの御方には、言葉遣ひへの御配慮、一字一句を忽せにすること勿らむことを、幾重にも御願ひ申し上げます。

●一兵士翁の曰く、「
 靖國神社の名稱由來は、「春秋左氏傳」に書かれた、「吾以靖國也」から付けられた。これは「國を靖んじる」といふ意味で、「靖國の大神」・「靖國の祈り」・「靖國の宮」・「靖國の心」・「靖國の願ひ」・「靖國の聖旨」などは、語句の用法、慣用句であれば構はない。「呼び捨てにするな!」といふのは、靖國神社を「靖國」と呼び捨てにするな!といふことで、勘違ひ、心得違ひはしてはならぬ。言葉をもつと大事にしなさい」と。
又た曰く、「
 禁句である「いはゆる○○戰犯」といふ「言葉」なり、「考へ」を、小生は人々の口から、腦裏から、この世から「抹殺」したいと思つてゐる。見るのも聽くのも不快だし、人の目に「觸れさせたくない」。日本中が、マスコミが、「昭和殉難者は云々」といふ風に、言葉を使つてもらはねばならない。靖國神社を護持したい方々は、間違つても「○○戰犯」など、おくびにも出してはならない。
 何のために松平永芳宮司は、「昭和殉難者」といふ呼稱を『宮司通達』(昭和五十三年十一月二十四日)したか、そのことが「本當に」理解されてゐない。單に松平宮司が「呼稱」を強制してゐるわけではない。保守系を自認する昨今の學者・評論家の大抵が、「いはゆる○○戰犯」といふ言葉を使ふ。この「いはゆる」といふ用語の意味は、「本當は――世間ではかう呼んでゐるよ」といふ意味、つまり昭和殉難者とはいつても、要は世間一般では「○○戰犯」と呼ばれてゐるよ、認知されてゐるよ、と、かう言ひ表すのが、「いはゆる」といふ用語法だ。松平宮司は、「いはゆる――世間では戰犯刑死者と呼ばれてゐる方々を、これからは昭和殉難者と呼びますよ」と云つてゐる。それを今の學者は、愚かにもまた元に戻してゐる。まさに「いはゆる○○戰犯」とは、「昭和殉難者」の呼稱を認めないことを意味し、明らかに「昭和殉難者」を貶める言葉であり、松平宮司に對する侮辱であり、祭神に對する冒涜であり、昭和天皇に對する不敬でもある。
 「昭和殉難者」といふ言葉を使ひ、現在の日本人が話をすれば、後から來る「若者・次代者」も、何の抵抗もなく、「昭和殉難者」といふ言葉が固有名詞なのかと思ひ、この言葉を使ふ。さうすれば、「戰犯」などといふ言葉は、永久に放逐できるのである。靖國神社を「靖国」と呼び捨てにする者の「意見は、聽く必要がない」と云つたが、これは定理である。同樣に保守系と見られてゐる學者・論者が、「昭和殉難者」と云はずに、「○○戰犯」と呼ぶ人間は、「ろくでもない人間」・「曲學阿世」の亡者と考へていいだらう。聽く必要のない異見である。
 靖國神社中興の祖である松平宮司が、「○○戰犯といふ言葉は口にするな!」と、『宮司通達』した以上は、こと「靖國神社」を語る者であるならば、「○○戰犯」は使つてはいけない――、といふことなのです。松平宮司が、ただ好んで、呼ぶだけの呼稱ではない! 松平宮司が、「乾坤の一滴を以て」、先帝陛下に「御覽」戴きたく、差し出した「呼稱」なのです! 「昭和殉難者」なる呼稱は、先帝昭和天皇にお知らせ申し上げた「呼稱」、畏れ多くも昭和天皇が「御覽」になられ、「お認めに」なられた「呼稱」なのです。それであればこそ、松平宮司は、『宮司通達』を職員に出したのである。
 諸氏よ! 天皇からお預かりしてゐる靖國神社祭神の呼稱を、單なる一宮司が、「勝手に」呼稱をつけられると思ひますか。それも忠臣中の忠臣である松平宮司が‥‥ですよ。昭和五十三年十月、靖國神社からの上奏簿もご覽になり、「お認め」になられた。そしてその年の靖國神社臨時祭(合祀祭)に、「勅使差遣」の通知を、掌典長から屆けさせてゐるのです
」と。

●松平永芳宮司『宮司通達』(昭和五十三年十一月二十四日附)に曰く、「
宮達第六號
昭和五十三年十一月二十四日『戰犯死亡者』・『引責自決者』等の呼稱について
 安政の大獄を始め、幕末の内戰等による死亡者を、當社諸記録に於いては、『幕末殉難者』あるいは『維新殉難者』と呼稱してゐる實情に鑑み、爾今、大東亞戰爭終結後の所謂戰犯刑死者・引責自決者等を『昭和殉難者』と呼稱し、要する場合は、『昭和殉難者(刑死)』・『同(未決獄死)』・『同(自決)』等の如く區分する。但し中央・地方官廳等に對する公文に於ては、從來通り『法務死』の語を用ふ。
 なほ神社當局の立場としては、『戰傷病者戰歿者遺族等援護法』といふ法律によつて、遺族が遺族年金等の受給資格者と認定された以上、その受給者の身内故人に對する生前の功罪を批判して、合祀・不合祀を決定する樣な、おほそれた事の出來ないのは、論を俟たぬ所であり、また祭神は、階級・位階勳等・性別などによつて區別されることは一切なく、總て何某の命と呼稱いたす所存で、特定祭神を、尊稱をもつてすることなどあり得ぬ所であります
」(愚案、官名・雅號の使用は、尊稱となります)と。

●靖國神社・社報『靖國』昭和六十一年二月一日號に曰く、「
 神社は、從來から自ら發言し、政治問題の渦中に卷き込まれぬ立場を堅持してゐる」と(「不言」の方針により、新聞・雜誌等、あらゆるマスコミに對し見解を發表したり、質問に答へ對談に應ずるやうなことはしてゐない由)。

●『靖國』昭和六十一年三月一日號・松平永芳宮司「昭和殉難者靖國神社合祀の根據」に曰く、「
 國家機關・地方自治體・公の機關では、戰犯刑死者と言ふ語を用ゐず、すべて法務死亡者・法務關係遺族と言ふ用語を使用してゐる(ことを、公文通知書の史料により紹介した上で)‥‥昭和二十七年四月二十八日、講和條約發效翌年の第十六國會の議決により援護法が改正され、聯合國側が定めたA・B・C級等の區分には、全く關係なく、法務關係死亡者、當神社の呼稱する昭和殉難者とその御遺族が、一樣に戰沒者・戰沒御遺族と、全く同樣の處遇を國家から受けられる事になつたと言ふ事實を、篤と認識されたい。援護の實施は、さかのぼつて、二十八年四月一日からと決つた。從つて所謂A・B・C級戰犯刑死の方々は、その時點を以て法的に復權され、これを受けて、靖國神社は、當然のことながら合祀申し上げねばならぬ責務を負ふことになつた」と。

●北畠親房公『神皇正統記』後醍醐天皇條に曰く、「
 言語は、君子の樞機なり、といへり。‥‥亂臣賊子と云ふものは、その始め心ことばを愼まざるより出で來るなり。‥‥心の兆して言葉にも出で、表には耻る色のなきを、謀叛の始めと謂ふべき也」と。

●福田恆存氏『私の國語教室』に曰く、「
 一方では相も變らず、傳統だの、文化だのといふお題目を竝べ立てる、その依つて立つべき「言葉」を蔑ろにしておきながら、何が傳統、何が文化であらう。なるほど、戰に敗れるといふのは、かういふことだつたのか」と。


■平成十九年八月九日

夏休みです。
 お早うございます。しばらくは夏休みです。‥‥いずれにしても、今回の騒動は、保守を自認し、大衆に、尊厳・伝統・文化を働きかける者たちにしては、あまりにお粗末な知識であり、保守行動であったことが、つぶさに露呈した観がありました。まあ、こんなもんだろうとは予測していたが、いかに、女・子供・デクノ棒の視点であったか‥‥。まあ、暑い最中、アイスクリームを舐め舐め、参道は歩かないように‥‥ぐらいしか、注意ができん。どなたかが、他のスレッドで、戦前の映画「靖國神社」を鑑賞し、割烹着姿で参拝していたとか、二礼二拍手はしていないとか、尻を端折ったままで参拝していたとか、また、天皇の車列を立ったままで見送っているとか‥‥、帽子をとっていないとか‥‥。まったく、戦前の仕儀、というものが知られていない‥‥、知識不足‥‥というより、全く知らないため‥‥、自分の観測で満足している。可哀想な気がする。ため息しかでない。‥‥また、閲覧者が、戦前を知らないから、その解釈に、なんの異論もおこさない‥‥、と言う‥‥。しかし、割烹着を着たまま参拝していた‥‥、というのは、思わず笑った。二礼二拍手はしていないとか‥‥、戦前の国民儀礼「最敬礼」と遺族参拝の「二礼二拍手」という仕儀もわからず、日本の文化伝統がどうのこうの言う前に、‥‥やはり、最低限から最高限の知識は知っておくべきでしょう。恥を晒す。勉学をしないで、保守を自認する神経が、どうしてもわからない。‥‥いまや、靖國神社の参道は、「崇敬者」の吐き捨てたガムだらけ‥‥、べったり張り付いて、とれやしない‥‥。以前は衛視が取っていたが、そんなペースでは追いつかない。これが象徴でしょう。保守を叫び、自認するなら、毎朝、毎朝、五時に大鳥居前に集合し、靖國神社の外苑境内を清掃する会でも立ち上げたら、祭神は、多少のバカさもお許しくださるかも。

 後日、靖國神社の祭祀根源は何か――、靖國神社の賑わいとはどのような意味か――、国風の風・皇風・国魂・鎮魂・たまふり‥‥について、みっちり、話してあげるつもりだ。それでは、少し夏休みです。備中さん、八月は、大原へは行けなくなりました。残念ですね。またの機会もあるでしょう。それでは、暑さ厳しき折、諸氏も日射病にならぬように。○○○○さん、暑さ負けしないで下さいね。それでは失敬。
 

  • [79]
  • 七十八。真実の草莽の士になれ。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月 9日(土)18時26分27秒
  • 返信
 
■平成十九年七月三十日

真実の草莽の士になれ。
 おやおやおや。なんと、○○さんが見えられた。その前には、○○○さんも、そろっと庭先に降り立ちました。○○○○さんの呼びかけが届いたようです。○○○○さん、今朝の身体の具合はいかがですか。あなたの呼びかけで、昔懐かしい人が、声をかけに訪問してくれましたよ。みんな、やっぱり、スレッドを見ていてくれたんですよ。○○○○さんの一発は、効果テキメンでした。生涯、この恩は忘れたくない。「お声をかけてあげて下さい」という激励に、戦前の心を思い出しましたよ、ホントに。しかし、○○さん、凄いですね。よく、こんなに詳しく、谷干城の激励集会を知っていますね。驚いた。そういえば、以前も、とても詳細に、なにか書かれていたのを思い出した。○○さんも、それを覚えていたんでしょうね。

 しかし、結局は‥‥、虚しさが流れる。懲りないビラ撒きの面々には、一向に効き目がない。暴走族を相手にしているような気がする。こういう勝手連が、チャンネル桜を担ぎ上げていたのかと思うと、失望である。正統が何かを知らず、尊厳も知らず、要は、桜が好きで、特攻隊が好きという程度‥‥、だけではないが、学識を軽蔑するという、まさに劣等生の咆哮だけが目立つ靖国ファンに、教化の道は、ほど遠い。だが、諦めずに、声をかけたい。彼らは、彼らのスレッドの中で、一兵士の諫言に対し、≪靖国神社を訪れる人々にやかましい事を言って、結果、靖国神社へ参拝に訪れる人々遠ざけて、衰退を願って止まない貴殿とは違うことを知れ≫と、書いている。「やかましい?」‥‥。あきれた解釈だが――、その通りだ。一兵士の叱責はやかましい。それは、この連中にはわかっているようだ。この勝手連により、靖國神社の尊厳・伝統が踏みにじられるなら、こういう靖国ファンの衰退を願わざるを得ない。靖國神社には、まったく必要としない人種だ。まったくいらない。ひとかけらもいらない。境内が汚れるだけだ。それでも、靖國神社は、衰退などはしない。どだい、靖國神社に対して、正統保守なら、口が裂けても、「衰退」などと口に出来ない文言を口にすることが、「似非モノ」であることの証拠だ。いくらいっても、靖國神社は、天皇の神社ということが認識できないでいる。英霊、英霊と叫んでいる。だから、つい、ヘッポコ知性と、バカにすることになる。この勝手連が衰退してくれれば、靖國神社境内、周辺は静謐を取り戻すことが出来る。清涼を復帰出来る。早く、早く、彼らの衰退を切望するだけだ。

 南京映画製作スタッフには、役に立っているのだろうが、靖國神社のためには、何の役にも立たない。小泉総理参拝が始まる前は、チャンネル桜が立ち上がる前には、こういう勝手連は、靖國神社の境内で、見かけることは少なかった。多少、あっても、注意すれば、すぐに誤りに気づいてくれた。このヘッポコ連中が姿を現さなかった時は、いつ参拝に訪れても、神域は、静謐が漂っていた。周辺の景観には、浄域が示されていた。遊就館は訪れる人は少なかったが、一人一人が、間違いなく、英霊に深く頭を垂れる敬神の人々ばかりだった。自分の靴音が館内に響くので、音を鳴らさないように、拝観者は互いに気を配り、静かに歩みを進めた。奇声を発する子供には、厳しく無作法をたしなめる連れ添いの声が飛んだ。それすら、見ていて、気持ちのよい、いい風景だった。各所に展示された、拝観者をじっと見詰める遺影から、遺品から、英霊が語りかけて来る言葉を、静かに聞くことが出来た。広い館内なのに、私語させ交わせなかった。反響して、大きく響いてしまうからだ。ほんの数年前のことだ。一日何十人の拝観者しかいない日も珍しくない。しかし、軽薄はなかった。戦友さんが、遺族さんが、ボランティアで、館内のトイレ、清掃を黙々とされていた。ああ、あの日々が恋しい。あの時の尊厳を護った人々も、伝統を大切にする人々も、芥のような雑踏に、一、二年でかき消されてしまった。何十年も前の話ではない。平成十一年ごろまでの話だ。尊厳・伝統なんて、あっというまに大衆の暗愚の前では、木の葉のように吹き飛んでしまう。

 一兵士は、新しい参拝者に、このような拝観の姿をみせてあげたかった。このように、靖國神社を参拝する継承を願っていた。あの当時‥‥、「英霊はさあ」なんて、会話があったろうか‥‥。ほとんどが「祭神」・「御祭神」という言葉であったような気がする。小泉参拝騒動以降、「英霊」という言葉が、一挙にマスコミの手で大衆社会に流されたからだ。バカも杓子も、「英霊」、「英霊」と言い出しやがった! 熱に浮かされたような「靖国ファン」が、靖國神社の境内に、濁流のように、突如、殺到し始めたのである。現在のビラ撒きの連中も、その頃に、ファンになった人たちなのではないか。チャンネル桜が立ち上がった時は、正直、凄いぞと思ったものである。これで、日本中の保守が一同に集まる場が出来た――と、小躍りしたものである。その喜びは、すぐに萎んだ。集まってきたのは‥‥、集蛾灯に寄って来る‥‥者達ばかりのような気がした。何の知識もない。靖國神社の歴史もまったく知らない。尊厳も知らない。伝統も知らない。いや、その前に、常識を知らなかった。節度を知らなかった。だから、自分は、この桜の掲示板に、投稿をはじめた。少しずつ靖國神社の何が正統かを教えるためである。まさか、こんな攻撃を喰らうことなんぞ、予想だもしなかった。揚げ足取りの繰り返しだ。面食らった。こういう場を経験したことがなかったからだ。○○○○さんがおっしゃる通りだ。体勢を立て直して、仕切りなおした。それが、このスレッドだ。

 まさにビラ撒き連中は、コンビニの前に座り込む、高校生のようにしか見えない。オタクの成虫に近い感触だ。七~八年前の靖國神社のことすら知らないようだ。平成十一年以降に、突然、湧いた新種のようにしか思えない。その考え方は、従来の崇敬者が身につけていない考え方だ。戦友会・遺族会をまとめた英霊にこたえる会が、靖國神社の静謐を、従来、護り続けてきていた。その力が失われる‥‥。それこそ、衰退するに従って、雑種が生えてきた感じである。就任以来、いまだ、ご自身では、なにも意思を発言しておられない南部宮司。もう、神社組織・総代諸氏、そして、参拝者の志操を、一通り見てきて、知った筈である。そろそろ、お立ちになってもよろしかろうと思う。宮司が一言、「正統に戻す」と発声すれば、それで、神社は、一日で、ぐるりと回転する。まさに回天の払暁である。あっという間に、愚者・似非者を、境内から一掃出来るのだ。ことは「南部宮司の双肩」にかかっていると、一兵士は考える。松平宮司の負託を継承できる方は、やはり殿様しかいないのではないか――。そう考え出した。神社経営の苦心は、松平宮司の時から始まっている。新招魂斎庭に植樹されていた桜木を総て伐採し、駐車場にして、神社収入を計るという大英断。今後百年先の財政計画を実行された。このことを知らぬ坪内某氏は、自著の中で「招魂斎庭を駐車場にしたこと」を批判しているが、みんな、なあんにも知らないんです。その本当の意味を。そして、知らないで、好き勝手な自説を振りまいて、自分の生活を支えているんです。靖國神社は、そうやって利用されてきている。現在も変らない。

 ‥‥話がそれたが、にわか保守・にわか右翼を装っているに過ぎない人々。一人でも、目覚める人間が欲しい。とりあえず、ビラ撒きの人たちだ。一人として、反省していない。今朝、彼らのスレッドを覗いたら、妙なことを○○氏が書いている。≪私達の活動に若干誤解されている方々がいるようなので、補足しておきます。私は、正直最初の頃、映画制作の為、募金活動もやるべきだと思っていました。しかし、制作委員会の方針は、街頭での募金は、絶対に禁止です。映画制作委員会の趣旨に賛同した方が、振り込みという手段をとってカンパする、これが制作委員会の方針です。私達の活動は、第一に南京の真実の映画が、十二月に完成予定であることを知らしめる。第二に南京虐殺の嘘を訴えたビラを見て頂くこと。第三にハッピー二四一を知ってもらい、チャンネル桜の友の会を紹介する。参拝の方々や通る通行人に、お金のおの字も言っておりません≫と。

 ‥‥だから、これが募金活動だということが、どうしてもわからないらしい。災害地の復旧を訴えて、遺骨収集の必要を訴えて、みな「趣旨に賛同した方からの資金カンパ」をお願いする。これが街頭活動。彼らは、現金を受け取らないだけで、その金は、振込みでお願いしているだけのことだ。現金受取か、振込みかの違いだけだ。軽蔑するのではなくて、‥‥なるほど、この認識がないために、自分達は募金活動をしているんじゃない――ということを主張しているようだ。やっと、彼らの頑迷な底が透けて見えた。要は、自分達の活動の趣旨を把握していないのかも知れぬ。彼らの配布するビラには、こう書いてあるらしい。≪1本の映画を製作するためには、多額の費用を必要とします。皆様、この映画の製作にご参加いただき、是非ご支援・ご協力下さい。映画「南京の真実」製作委員会を、物心両面で応援しよう!!≫ つまり、彼らは認識していないが、あちこちに資金カンパの話が書き込まれている。振込みに関しても、≪ビラにある口座名義ではないものが表示されているので、今後はビラにある口座名義を新しいものにしたいですね≫というやり取りもある。これだけ会話していながら、募金活動はしていないと、認識している事実に驚く。映画「南京の真実」そのものの評判を落とすのではないか。その方が心配だ。

 ○○という人は、一時、一兵士に、本名を名乗れとか、会って話そうとか、しつこく迫られたことがある。ニッポン男児ならやってみろ!みたいなことも言われたので、変った人だなと思って避けていたが、どうも、根は真面目らしい。ただ、認識力が弱いのだ。また、これは‥‥、揚げ足とりではなく、素朴な疑問であるが‥‥、≪私達の活動は、第一に南京の真実の映画が、十二月に完成予定であることを知らしめる≫、≪第二に南京虐殺の嘘を訴えたビラを見て頂くこと≫、≪第三にハッピー二四一を知ってもらい、チャンネル桜の友の会を紹介する≫。参拝の方々や通る通行人に、お金のおの字も言っておりませんと、書いている。彼らのビラ撒きの目的は、第一が、映画が十二月に完成する告知だという。‥‥?? なんでこんなことを、彼らが今から、わざわざ靖國神社周辺で、暑い最中に出て、ビラ配りして、騒動をおこしてまでやらなければならないのか、さっぱりわからない。映画の完成を告知するなら、全国紙・雑誌・テレビコマーシャルなどを利用して、映画製作委員会‥‥というか、「株式会社エンターティメント」がやれば、済むことだ。一兵士にはよくわからないが、映画製作費・テレビ・雑誌・新聞など、マス媒体を使っての宣伝告知費、全国上映館の確保費用、その他、支那あるいは米国など敵地での上映、宣伝告知活動費‥‥を考えると、お金はいくらあっても足りないような気がする。それであるなら、この資金カンパを全面に出した支援活動こそ、本筋のような気がしますが‥‥。どうなんですか? 一兵士は、そのための活動だと思っていたが、そうではなく、映画が完成する告知が第一だという。それだけのことなら、なにも草の根運動みたいにビラ配りなどする必要はないんではないか――と思う。映画製作自体に、どれだけお金をかけて作るのか、皆目わからないが、情報戦である以上、宣伝告知にある程度の資金投入をしなければ、効果は薄い。ビラ配りなど‥‥、なんて言い方をするのはまずいが、たいした戦力になるとは思えない。映画の宣伝告知なら、こんな騒動をおこしてまでやることではないと思う。

 もし、資金不足で、製作委員会が、何回も新聞・雑誌・テレビ等の広告媒体に告知が出せないのであれば、映画製作に賛成した沢山の保守系議員・学者・ジャーナリストが参集しているのだから、この方達に働きかけて、最善の方法を考えてもらったらどうなのか? なんで、靖國神社でしか、ビラ配りをしないのかが、まったくわからない。何故、街に飛び出さないのかが、わからない。資金カンパが目的でないなら、街中の一般者こそに知らしめなくてはいけないのではないか? ここがわからない。殊に≪第二に、南京虐殺の嘘を訴えたビラを見て頂くこと≫のアピールに至っては、参拝者に配布してどうするの? 皆さん、知っていますでしょう。知らないのは、繁華街の若者・サラリーマンです。新橋の駅前で、酔っ払ったおじさんと南京問題を熱く話し合う――。それこそ、連日、その活動をやっていれば、週刊誌・テレビニュースが話題として取り上げるかも知れない。違いますか?

 一兵士に悪態を吐く情熱を、街に飛び出して、ふらふらしている連中にビラ配りするほうが、絶対、あなた方の趣旨に合致した活動だ。どうして、靖國神社の静謐・景観を汚してまで、此処でしか、本当に、此処でしか、ビラ撒きをしなきゃいけないのかが、まったくわからない。‥‥なぜかというと、誰も、この質問に答えてくれないからだ。何故、街に飛び出さないのか――。南京映画の支援カンパが目的の趣旨でないなら‥‥(本当はそれを目的とした方がよいと思うが)‥‥、この東京の街に、強烈な話題を投じることだ。草莽崛起の幟をたてて、今日は新宿、次は渋谷・青山、その次は銀座・築地・亀戸・浅草‥‥、活動場所は無数にある‥‥。何故なんですか‥‥。南京虐殺の嘘を、参拝者ばっかりに話してどうするのか????? また、≪第三に、ハッピー二四一を知ってもらい、チャンネル桜の友の会を紹介する≫。これは、完全に一企業の宣伝だから、靖國神社とは関係ないし、こんなビラは大義名分さえないこと。ただ、あんたがたの立場に立てば、参拝者に配りたい気持ちはわかる――、という程度のこと。これも街に出て、チャンネル桜の存在を訴えた方が、趣旨に合致すると思うが‥‥。渋谷・新宿・池袋の若者に、何故、声をかけないのか‥‥。靖國神社周辺でしか活動しないビラ撒きは‥‥、やはり、参拝者の懐だけを狙っていると思われるのが、当たり前ではないか。なぜ、街に飛び出て、南京映画の告知、南京大虐殺の嘘を知らしめないのか――。返答できる人はいないんですか? 何故、街に出ないのか‥‥、靖國神社で撒くのは、精々、一、二度でしょう。それはもうやったでしょう。○○○○○さんが言っていた言葉を、最後に贈る。
≪一兵士様の言われるように、新宿でも渋谷でも人口の多い、無関心なものの多い場所で配ることこそ、広報効果があるし、啓発になると思います。朝、靖国神社に参り、渋谷でも出て一般大衆の中に入り、草莽ののぼりを立てて、ビラを配り続ける、今日は一割しか受け取らない、次は二割、と受け取る人が増えることにこそ、意味があると思うのです。そして終れば、また靖国神社に行き、感謝のお参りをすればよい≫。
究極、これが草莽を名乗る者達の活動だと思うが‥‥。なにか、隠している、口に出せぬ理由が他にあるなら‥‥、仕方ないとは思うが‥‥。○○さん、悪かったね。あんたの投稿があったとはわからなかったので、かぶせてしまった。あしからず。


――備中處士――九段に於る「谷君名譽表彰運動會」
一兵士樣
○○樣
 明治二十年に於る靖國神社の貴重なる御話、寔に難有うございました。○○樣、お久し振りでございます。今後とも御指導の程、幾重にも御願ひ申し上げます。
 小生も谷將軍の「谷君名譽表彰運動會」を、平尾道雄氏『子爵谷干城傳』(昭和十年四月・冨山房刊)にて確認しました。然し九段靖國神社に於る該會主唱者こそは、林有造舊自由黨員でありますが、谷將軍は、其の會に出席されてをりません。どうも、事實と相違するやうで、彼の引用文には續きがございます。こゝには、『干城傳』より引用してみます。曰く、「
 子の蹶然、官を去るや、在野の有志は、子の態度を以て大いに壯となし、欽慕の極、八月一日午後四時を期して、九段靖國神社に、『谷君名譽表彰運動會』を催うした。主唱者は舊自由黨員林有造で、參會するもの、無慮三百名。社前に「國家の干城」と大書し、「贈谷子帝國逸民」と傍記せる大旗一旒を飜へし、また「谷氏勇退、谷君萬歳、嗚呼、勇氣なるかな、谷中將、氏、官を去つて、天帝、爲國家嘆」などと記したる紙の小旗を亂立した。機を見て、主宰者の一人、開會の主旨を述べ、その終るを待つて、一同、手に手に小旗を振り、谷君萬歳を連呼しつゝ、市ケ谷田町の子の邸前に至り、代表者、進んで祝詞を述べ、、頻りに面會の榮を得んことを要請した。
 子も有志者の好意なれば、辭するを得ず、一同を庭内に招き、黒の羽織に袴を着け、右手に黒の山高帽を持ちながら、歎聲裡に衆前に進み、慇懃に禮を交した。林有造、即ち進んで訪問の旨趣を述べて敬意を表すれば、子も衆に向つて一揖し、左の如き簡單なる謝辭と希望を以て之に應じた。
(愚案、以下『明治政史』所載)『炎暑、燒くが如き候をも厭はず、諸君の茅屋を訪はれたるは、自分の深く謝する所なり。‥‥自分が今度、職を辭したるは、敢て政府に對して敵意を懷くの何のと云ふ儀は之れなく、全く自分の行き足らぬ所(此の時、うゝゝの聲、一齊に起れり)、且ついろいろの事情あつて、遂に事、茲に至りしなり。自分は假令ひ野に退くも、王室の爲、國家の爲には、飽くまで盡力する覺悟なり(ひやひやの聲、盛に起る)。諸君も、常に王室の爲、國家の爲、十分力を致されよ。是れ自分が敢て諸君に希望する所なり』」と。
 愚案、引用の恣意、論據の導きから來る結論、事によれば、谷將軍の名譽にも關はるかも知れず、一言、拜記させて戴きました。


■平成十九年七月三十一日

――備中處士――谷將軍の本懷。
○○樣
 「當時、林某氏が靖國神社に衆徒を招聘したるは、さきに小生が申したやうな、谷將軍の縁由深きことを斟酌なされたこと、あはせて地の利の便、現場境内地の状況の今日と異なることなど、當時においては妥當のことと考察して、大過なきものと、ご贊同いただけませうや。小生、言はんとしたるは、神人一如の決起大会同(愚案、同然か)になりしも、政略修羅の集會場と唱へるは、かたはらいたしとの言であります」と。分つてをりますとも。○○樣の見事なる御考察に感激し、小生も、やをら『子爵谷干城傳』を引張り出したる次第、感謝に勝へませぬ。
 然し彼の引用が、坪内祐三氏『靖國』に在つたのか、どうか、小生は讀んでをりませんので、何とも云へず、若し坪内氏が『明治政史』から引用したのなら、坪内氏の罪過でせうし、或は『明治政史』に、谷將軍出席の事實があるのなら、『干城傳』は異説と謂ふべく(『干城傳』にも『明治政史』を引用してゐるのであるから、其の可能性は極めて低い)、又た其の引用者が我田引水、恣意的に引用したのなら、引用者の疎漏粗忽に非ずんば、爲にする貼付け、一兵士翁および其の一味同心を憎惡して已まず、何が何でも貶めむ爲の史料とする者、斷じて之を許す訣には參りませぬ。
 ○○樣が「『今度は、明治二十年八月に、「舊自由黨員」たちが、ビラまきならぬ、靖國神社境内で政治集會を開いたお話をしませう』などと言つてはなりません。この言ひ方は、左翼歴史學者の言ひ方そのものだ。先人を、谷干城將軍の名譽を貶めることだ。谷干城は靖國神社境内を占據して、同郷同黨の浪士をあつめ、反政府集會をやつたとでも想像してゐるんですか。既に學習院長をつとめ、この翌年には、さらに學習院御用係を拜命することになる御仁ですよ」と仰る如く、其の引用したる者は、「左翼歴史學者」の御先棒を擔ぐ者、且つ彼を得意氣に流布する者は、何の顔せあつてか、天日を仰ぎ得ませうや。○○樣ならずとも、之を默止する能はざるものがあります。○○樣感激の谷干城中將謝辭の全文を、更めて引用させて戴きます。
●『明治政史』(『子爵谷干城傳』所引)に曰く、「
 炎暑、燒くが如き候をも厭はず、諸君の、茅屋を訪はれたるは、自分の深く謝する所なり。就ては諸君に、聊か希望する所あり。元來、歐米諸國には、今日、諸君が催うされたる同樣なる集會、度々あつて、現に自分も今囘の巡視中、屡々之を目撃したり。然れども我邦に於ては、一般の人民、未だ此の種の集會を解得せざるが故に、偶々諸君がかゝる賑かなる會を催さるゝ時は、時に視て、以て奇異の想を爲すものあるべし。故に斯る集會は、あまり度々催うされざる方、然るべしと存ずるなり。去り乍ら諸君が斯る集會を催うされたるは、畢竟、國家を愛するの深きより出でたるものと信ずるなり。自分が今度、職を辭したるは、敢て政府に對して敵意を懷くの何のと云ふ儀は之なく、全く自分の行き足らぬ所(此の時、うゝゝの聲、一齊に起れり)、且ついろゝゝの事情あつて、遂に事、茲に至りしなり。自分は假令ひ野に退くも、王室の爲、國家の爲には、飽くまで盡力する覺悟なり(ひやひやの聲、盛に起る)。諸君も、常に王室の爲、國家の爲、十分力を致されよ。是れ自分が敢て諸君に希望する所なり」と。
 本日は我が産土神社の輪くゞり樣、即ち大祓式でありました。此のスレツドの赤魔を、些か攘拂すと爾か云ふ。
 

  • [78]
  • 七十七。英霊は国家の魂――國魂である!

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月 9日(土)01時04分42秒
  • 返信
 
英霊は国家の魂――國魂である!
 いやあ~申し訳ありませんでした。いまさっき出先から帰ってきたばかりで。今朝、出がけに、なんと懐かしい○○○○さんからの投稿を見て、すぐに返答を書こうとしたんですが、時間がなくて、そのまま外出し、今、帰ってきたばかりなんです。改めて、本当にお珍しいや、○○○○さん‥‥。親しく呼ばさせてください。この騒動の最中、一兵士はかまやしないんですが、備中さんが貶められていましたんで、実は、いつ、あなたが援けにきてくれるか、気を揉んでいたんですよ。いやあ、よかったよかった。備中さんの投稿も、喜んでいる様子が伝わり、本当に感謝します。なにか、左手が不自由だそうで‥‥、一瞬、緊張しましたよ。これが最後の投稿に‥‥、「恐らくは本件が、私がこの掲示板に書き込める最後の投稿になると思います」と、書かれた文面を読むに至り、粛然たる気持ちで読みましたよ。「このスレへの投稿は、他スレに比して、確かに勇気のいる事でしょうが、私のような未熟者でも、至らぬは承知の上で書き込んでおります。何も知識・見識の披瀝等は、御無用と存じます。暑中見舞いの挨拶文を御投稿頂くだけでも、存在感は、全く違います‥‥」に至っては、なんともいえぬ感慨が、すーと川面を吹き流れ行く、一陣の涼風を受けたような‥‥感動を。思わず募らせました。この荒れた庭の中に在って、先に投稿された○○○○さんとか、初めておめにかかる○○○○○さんの文章も含めて、なんと、読みやすいことでしょうか。こんこんと湧き出でる渓谷の泉を見るが如くで、これまでの備中さんは言うまでもなく、○○○○さん・○○さんともども、まさに峠を越えて来た旅人の疲れを癒す、甘露の味わいを覚えました。心が正義であるからでしょう。淫獣たる臭いを、一瞬にして吹き消す特効薬とも申すべきか。無論、これは世辞であるわけはなく、心底、嬉しく、思うとります。

 いや、正直、いま、絡んでくる○○氏や外地の酔っ払いは、これまでの桜の掲示板に集う人たちとは異なる臭いを発散する連中でして、どうしたものか、いろいろ「仕掛けて見た」が、まだ、本性が掴めなかった。○○○○さんが、「どうも作為策謀」を感じる――と、当初から疑いをかけ、今もって懐を許していない。すごい人ですよ、この人。以前の草莽会とか活動のもめごととかは、うっすらとしか知らないし、大体、そういうことに、あんまり関心がないので、「掴み」で書いてきたが‥‥。○○○○○さんがある程度、書いてくれたんで、ほう、そういうことがあったのか‥‥と。しかし、○○○○さんが不自由を押しての投稿というのは、本当の話、心にコタエル。どのような方なのか、推測できませんが、最後までの敢闘を祈るしかない。一期一会とは申せ、時々、時候の挨拶というか、病気見舞いというのか、声を掛けますよ。応えてくれなくても、結構です。応えてくれれば、「はい」でも、「元気です」の一言でも嬉しいが、なくてもよろしいです。家の主人が栄えようが、零落しようが、変わりなく、ツバメが旧巣に戻るように、いつまでも‥‥自分が書ける間は、○○○○さんの所へ、時折、挨拶をいたしましょう。養生してください。

 ああ、そうだ。忘れていた。あなたの紹介してくれた○○氏のスレッド、朝方に拝見した。扉を開けたら、「なんだ、石ころが三つ転がっていただけか‥‥」という感想ですかな。要は「脇が甘い」から、こういう失態を晒す。しかし、傑作だった。なんか、熊野山中の盗賊の棲家を覗いたみたいで、酒盛りの真っ最中だった。向こうも笑っていたが、こちらもゲラゲラ笑った。あなたも澄ました顔で、サラリと書く。凄い人ですね。あなたみたいな構築された文章は、読んでいて飽きないし、○○○○○さんのような真面目な文章は背筋が伸びるし、○○○○さんのようなシャープさは、本当に小気味がいい。それに一回転して飛んでくる○○○○さんのくせ球や、石舟斎のような問答を繰り出す○○さんと‥‥、みんなユニークだ。それに正統を歩かれる備中處士さんと。なんちゅうのか、本当に読んでいて、心が洗われる。多分、このスレッドを読まれている多くの常識人は、正常な判断をしているでしょうから、いちいち「一兵士の言う通りです」なんて、書き込まないでしょう。○○○○さんが言ってたように、「なんか毒があるな――」と思う人はいるでしょう。いても、揚げ足取りのような反論はせんでしょう。

 それより、○○○○さん、もうこれきりで最後の投稿と書かれていたが、風雪の厳しさに打たれる思いだ。以前、書いた堺の港から、「もうこれが最後の参拝です」といった、戦友さん・遺族のことを思い出す。この方はお金がなくて、もう上京できません、というお詫びです。こうしたお詫びの話は、昔の旧遊就館のノートには、あちこちに書かれています。○○さんがこの話で、いいことを書いていたが、連中は「それはお金じゃなくて、病気かも知れない」とか言って、高齢者の銀行通帳みたいなのを出していたようだが、情けなくなる。こんなのばかりかと、がっくりしていたが、ああ、よかった。いろいろ援けに来てくれた人があって、ホッとする。‥‥孤高の精神というのは、右翼本流の魂だが、その域に達するのに、先哲は多くの血を噴出した。なかなか達することが出来ない。そこで、どうしても備中さんのような正統派が求められる。○○○○さんも楽しみにしている。この入れ歯‥‥じゃない、荒れ場は、直に清涼になる。一兵士を攻撃する側に、あまりにも非がありすぎて、どうにもならない。そうしたら、また備中さんの出番ですよ。あなたは、騒乱にでてくる必要はありません。岡山の城下でも散歩していてください。ああ、そうそう、今年の夏、もしかすると、大原美術館に用があって、出かけるかも知れない。その時は、どこかで、手紙を隠くす約束などをして遊びますか。一兵士の自筆は保存しておくと、あとでお宝となるかもしれない‥‥、というのは嘘、嘘。まあ、一泊しかしませんが、またその時がきたら書きます。もっとも備中、岡山、あなたが何処に住んでいるのか、さっぱりわかりませんが、出てくるのが大変なら、いいですけれど。おっと、つい、脱線しまして。今夜はとりあえず、この程度で終わります。少々、足が棒のようで。

 それと、外地の酔っ払い「○○○○ちゃん」が、なんか、書きまくっているが、閲覧者は気にしないで下さい。この人、おそらくすぐ感化しちまう人なんだと思う。しゃべっている内容は、おそらくマレーシャの居酒屋で聞いた「霊感商法」の話と、日本で読んだサヨクの「靖国論」に感激して、なんだかわからんが、酒が入っているから、「ええい! 書いちゃえ」と、書いたんでしょう。まだ、全文読んでいませんが‥‥。読んでも、多分理解不能だと思うが‥‥。日本に「祀神」なんて言葉があるとは思わなかった。なんて読むのか、どういう意味なのか。マレーシャで流行っているんですかね。伊勢神宮と靖國神社は違う、とかも叫んでいる。この人、「日本」を忘れちまった。伊勢神宮も靖國神社の祭祀も、天皇がなさることを知らないようだ。同じだよ。伊勢神宮は皇室の祖廟、靖國神社は赤子の社稷。ま、いってもわからんかな。「祭りをコーディネートすることも、靖國神社の一機能なわけです――」なんて、ホザイテイル。ばかだねえ、酔っ払いは。祭りは、靖國神社がやるんじゃないよ。祭りをされるのは天皇陛下。あれもこれもいったら、きりがない。まあ、マレーシャでの靖国論だから、文句をいっても仕方ないが、根本の話だけ触れておく。靖國神社は、「国家を護る為に死んだ英霊を祀っているのでは‥‥」ないんです。マレーシャでは、「英霊以前に、至高の国家がある」と言われているらしいが、日本では、英霊は国家そのものであり、国家と靖國神社との関係ではなく、国家と国民の関係しかない。即ち、英霊は国家の生命であり、「國の魂」である。だから戦前は、「国家の生命を國魂」と宣した。國魂――、それが国民の忠魂であろう。国家の生命と国民の生命は、同一である。だから、天皇は、皇国の祭祀者として、靖國神社に国家の生命である英霊を祀り、帝国の神祇とした‥‥。どうですか? みなさん。慄然とするでしょう。これが靖國神社の社稷です。あとで、再度、根本だけ、話しておきましょう。靖國神社とは何か――。靖國神社という名称は、祭神の別称である――。このことを今夜中、考えて見て下さい。それでは、疲れたので、失敬する。みなさん、またあとで。そうそう、この散らかったマレーシャ人による「靖国論」は、日本には上陸せんでしょう。多分、マラッカ海峡辺りで、沈んでしまうと思うが‥‥。


――備中處士――
 ○○○○氏「今、郷里の母親にデンワしまして、地方区は○○党、比例は○○に入れるように『指示』しました‥‥。こういう時の為に、普段からケアしているわけでして/笑(半分冗談)」となん。何が嫌と申しても、かう云ふ書込みに惡寒を覺えます。某甲は腋から誕生したさうですが、彼は口から生れ出たのでせう。彼のやうな立派な息子を生んで下さつた御母堂樣に對し奉り、「指示」を出すのですか‥‥。昔は大臣高官と雖も、父兄の鞭を甘受しました。且つ「かういふ時の爲に、普段からケアしてゐるわけでして/笑(半分冗談)」と、掲示板に書込む神經が、小生の如き者にとつては、批判や嘲笑なんぞより、何よりも悲しいことです。御見逸れしました。此の御方とは、皇國の道義道徳は語れませんね。全くの「冗談」である事を、切に祈ります。

一兵士樣
 ○○○○樣は、ほんに大變な御方ですよ。古神道を研鑽されること、此の御方の右に出る者は、此の櫻の掲示板上、誰も居られませぬ。「語るべきで無い」から、述べられぬだけです。「言擧げせよ」なぞと、ゆめ申されませんやうに‥‥。○○○○樣の投稿を拜見しては、小生なんぞ、反省懺悔しきりです。未だ御若い由、きつと皇國の爲に成すあらむことを期待してをります。もう直ぐ、舊大祓ひですね。
 小生は一御民、固よりハンドルネームや本名に拘るものではありません。「備中處士」は、備中國の一浪人、大原美術館近邊は遊び場です。樂しみにしてをります。謹拜


■平成十九年七月二十九日

勉学しなさい。
 おお、なんと、わずかであるが、~とうとう、知識を披露し始めた。○○氏も○○○○氏も、まるっきりバカじゃないんだということがわかった。一生懸命、本を読み出したのか、人に聞きだしたらしい。サーカスの話をもちだしたり、競馬の話を持ち出したりしてきた。似非右翼・右翼ゴロからの脱出が始まった。つまり、このスレッドに足を突っ込むことで、曲がりなりにも、彼らの背中に、「誤りを正す直毘の神」が貼りついたと言う事である。長く、このスレッドを閲覧している方たちは、彼らの境内の賑わいは事実だが、楽しさを追求したことではないということを、充分、知っていられると思う。大変いいことだ。先ず、彼らの初期段階ではあるが、まっとうな知識を読み出した。まだ、幼稚園ではあるが、これを積み重ねていくと、次第に、真正、靖國神社にたどり着いてくる。ことに酔っ払いさんは、酒が切れて、少しは根の善い部分が目覚めたのか、一兵士に謝ってきた。「祀神」という言葉が、日本語にない事を知った。なんと、辞書を開いたらしい。素晴らしい。日本語を取り返そうとする努力が始まった。新鮮な驚きだ。つまり、揚げ足取りから、三ミリほど、前進したのだ。だからといって、これからどこまで勉学が出来るかどうか、本人次第だが、ともかく、知識を語りだしたことは、ノーテンファイラー患者ではなかったという証明にはなる。誰かの本を写して、一生懸命書いているのが、微笑ましい。早く山賊・盗賊みたいな、荒しからの脱却だ。成人式の舞台に駆け上がり、ひっくり返って暴れていた不良が、鉛筆舐め舐め、勉強しだした。いいぞいいぞ。まず、小学生段階の知識だが、これをバカにしちゃいけない。日本はアジアの中に在る国です‥‥、という知識から始まった。そのうち、中学・高校・大学・大学院‥‥と、進級していく。その時、初めて――、ああ、なんと俺はバカだったか。恥ずかしい。という思いに到達する。五十代からの勉強であるが、どうせ暇でやることがないんだ。まだまだ、勉強すれば、世の中のためになることは出来る。頑張れ、○○○○・○○氏よ。

 この一兵士のスレッドでも、同じ話を繰り返す。次第に難しい解説・詳細に入っていく。いきなり、英霊は国家と同一だ! なんて叫んでも、意味がわからない。だから、これまで懇々と、緩やかな解釈から講義を始めてきた。靖國神社を「靖国」などと呼ぶな!と――、それをいきなり、靖國神社は祭神の別称だ――、なんて言っても、みんな、ついて来れない。だから、わかりやすい話――、尊厳とか敬神辺りの話で、ともかく、呼びつけちゃいけないことを話していった。昨日出した「英霊は国家なり」、「靖國神社は祭神の別称」というのは、最高府の、ついに講義を漏らしはじめたということである。いろいろ、段階を一兵士は考えている。騒ぎも利用する。これから、最高府の、いよいよ、靖國神社の話をしていこうと考えていた矢先の暴風だ。あまり、この暴風がひどければ、話はやめる。皆さんが、本当に誰も話さなかった‥‥、というより、話せるだけの学問知識がないため、書けなかった話を書くつもりだった。一兵士しか書けない話だ‥‥。なぜ、一兵士しか書けないのか‥‥、謎ですね。‥‥そうだね、今日は忙しいので、あまり時間がない。手早く、少し、○○○○・○○氏に教えてあげよう。わかりやすく書く。

 明治の時代、薩摩・長州などの錦の皇御軍――、官軍は、徳川幕府を倒し、やがて天皇が、京都から江戸――東の都――東京に居を移された。このぐらいは知っているだろう。そして、九段の坂上に、戊辰戦争で死んだ官軍の兵士を招魂、祭祀した。やがて、この東京招魂社は、祭神が、常に在住する靖國神社となっていくのだが、明治初期、倒幕後は、ほとんどの殿様が、江戸市中から姿を消した。屋敷を追われ、あるいはタタミ、本国へ家臣共々帰国してしまった。江戸市中は、官軍側と庶民だけになった。いくら、倒幕を果たしても、江戸は二百五十年間続いた徳川様、将軍様のお膝元。九段の坂上に招魂した官軍兵士の社なんぞ、拝めるか――、というのが実情だった。そりゃそうだよね。江戸庶民にとっちゃ、サムライの争いは関係ネエとはいっても、なにも将軍様をやっつけた兵士の祀られている九段なんかに行きたくはない。その上、九段は、旗本屋敷、各藩の武家屋敷区域。普段から庶民が寄りつけない場所。九段界隈は、人の姿が絶えてしまった。新政府にとっては、これからは、天皇親政でこの国を治めていかなければならない。官軍兵士‥‥ではなく、日本の国家の生命、国家の忠魂として、江戸庶民は勿論、全国民に東京招魂社の意義を認識させねばならない大道があった。

 そこで、それまで、幕府時代でも足を踏み入れたことのない江戸庶民を、なんとか九段に招き寄せて、教化しなければならない。まず、彼らの「新しもの好き」の性格を利用するしかない。好奇心を喚起させ、呼び寄せる――。とりあえず、九段に足を運んでもらう‥‥。そのための智恵として、西洋のサーカス団の見世物興業を境内で始めさせたのだ。これが大当たりして、江戸庶民は九段に殺到したのである。九段は、いつの間にか江戸の‥‥、いや、新東京の名物地となっていくのである。その後の、神社賑わいが、政府の考えとは違い、猥雑になったため、サーカスも、競馬も、早い段階で中止しにしたし、遂には露天商も、総て境内から排除した。このことは、既に書いている。賑わいは、祭神の慰めのためではないよ。祭神への慰めは、もっと他のことで為したが、今は書いている時間がない。祭神もよろこんでいるでしょうと、その内、誰かが勝手に言い出して、猥雑に向かったのさ。神社は俺たちのもんだといわんばかりの連中は、昔からいた。その小説を読んだんだろう、あんたがたは。まあいいよ、その内、勉強すれば、一兵士の言っていたことが、よく理解できる。そいて、頭を下げて教えを請いに来る。それが出来たら、やっと社会に放免だ。五十の手習い。昔の人は、よく知っている。やりなさい。今から。

 更に、この九段坂上は、もともと幕府の軍馬繋留、訓練地であった。開国して西洋人が最初に始めたのが、根岸の競馬だ。政府は欧化主義を打ち出している。競馬開催も、列強と肩を並べるための一つの西洋化施策である。この競馬をもって、政府は陸軍の軍馬育成を目論んだ。逞しいアラブ種と、大型で強靭な速力を持つサラブレッドの血の混合だ。一時はブルトン系の馬種も輸入したが、上手くいかず、この馬は木材運搬にまわされ、春先には旗競馬の一種として、競馬にも使われた。これが北海道のバンエイ競馬だ。競馬は、馬匹改良が主目的である。まあ、簡単に言えば、こういうわけだ。靖國神社入門書では、此処までは書いていない。著者の怠慢で、持てる知識だけで書いているから、書いてないだけのことだ。今の、あんたがたと同じだ。まだ、書くのは早い。もっと勉強しなさい。しばらく、このスレッドを、静かに読んでいるといい。表の記録では書かれていない、その内面を一兵士は語っている。だから、多くの閲覧者が、驚いて瞠目しているのでしょう。今までのどの本にも書いていなかったことが書かれている。つまり‥‥、まあ、いいや、面倒くさくなった。ともかく、あんたがたは、これから一兵士を蹴っ飛ばすために読書をしなさい。猛烈に靖國神社に関する本を読みなさい。百冊読んだら、もう百冊をまた読む。――神道・右翼・戦前の保守本流の本を、手当たり次第に読みなさい。そうすれば、なんと!、あの○○○○が、○○がね剣聖宮本武蔵になった‥‥と、主権の人たちが目をむくでしょう。驚かせてあげなさい。では、車が来た。出かける。


お元気で。
 はははは。なんだ、○○さんは、一兵士に興味をもっていたのかね。それは知らなかった。ここに集う常連は、一兵士にも興味を持つ人もいるだろうが、ほとんどは書かれている内容だよ。自分に興味など、もってほしくありません。しかし、少しぐらい、知識の不足さを指摘されたからといって、また、執行部批判に戻るとは‥‥。○○氏は子供じみてるなあ。あんた、もう少し、素直になれば、もっともっと活躍できるチャンスがあったのではないか。それを自分で潰してきているんではないか。ま、あんたの人生だから、関知はしないが、勉強したくないなら、しなくてもいいよ。自分で志をつぶしている。チャンスをつぶしている。先ほど、帰宅して、スレッドを見て、今日は来客が多いので、投稿はしないつもりだったが、○○氏の捨て台詞があって、あまりに可哀想なので、少し書く。

 とりあえず、○○氏は、もう一兵士には関心がないので、こちらには投稿しないようですので、喜んでください。ついでといっては、可哀想なんだが、この人の紹介していた、明治二十年の谷干城の政治集会が境内で行われた――という話なんだが、これが間違った記述と言われていることを知らなかったようだ。内容を調べもせずに、引用してしまった。これは谷干城の政治集会ではなくて、維新動乱から西南の役での西郷軍との奮戦に活躍した谷干城の、単なる激励集会の間違い。現在、靖國神社に保管されている陸軍省の記録には、この集会の申請書も許可書も残されていない。つまり、この激励会は、靖國神社境内で行われたものではないから、申請書も許可書も関係ないから、「存在」しないだけだ。○○氏はしきりと、境内と書かれた文言に飛びついているが、この激励会は境内ではなく、現在で言えば、外苑にあたる場所で行われた。此処は当時、まだ、大村さんの銅像もなく、単に石燈篭の列と馬小屋があっただけで、靖國神社とは地続きだが、境内ではなく、公園。実際、この当時の絵葉書などでは、「九段公園」と書かれている。そこいらじゅうに、馬糞があった場所だ。つまり、馬の糞尿がしみこんだ公園の空き地で、激励会が行われたにすぎない。大体、この当時、日比谷公園もないし、何百人も集まれる場所なんか市中にはなかった。この九段の空き地ぐらいしか場所はなかった。それで、ここでやったに過ぎない。そういう細かいことを○○氏クラスでは、到底知るよしもないので、つい、得意げに引用して、このように「恥をかく」ことになる。すべからく「脇が甘い」からだ。明治に書かれた本だから、真実だと思って、○○氏は得意になって書いているんだろう。少し、頭を働かせば、もう、明治二十年ですよ。どうして人一倍天皇にかしづく谷干城が、天皇の神社である靖國神社境内で、自分の「政治集会」をやりますか。また、「激励会」を執行しますか。いろいろ調べたんだろうが、結局、無学だと、こういう風になってしまう。だから、勉強しろというのに、「もう一兵士には興味がない」と泣き出した。しょうがない人だ。本当は、この明治二十年の話も、もう少し、史料を見ながら話すと、靖國神社の創建時の思想が明確に浮き出るんんだが、もう、疲れて疲れて‥‥。はい、では、少し、休みます。ごきげんよう、○○さん。お励みなされよ。
 

  • [77]
  • 七十六。身内の愚、大衆の愚。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月 9日(土)00時57分35秒
  • 返信
 
■平成十九年七月二十七日

身内の愚、大衆の愚。
 どうやら芥・ゴミの濁流が走り去って‥‥も、一兵士は「我が家」のニワの清掃開始だ。しかし、今回の騒動はオリコミ済み。前回の春の闊歩の騒動の時は、たいした収穫はなかったが、それでも靖國神社境内の賑わいは、当時の陸軍省が「いらん!」と大喝して、露天商を一掃した話を書けた。軍務の継承が書けた。信仰が、いつのまにか俗化して濫祀に陥ることは、戦前でもあったのです。戦後六十年、現在の日本の中枢を占めている団塊の世代――、これが、ほとんどサヨク化して、日本の伝統・文化を蹴飛ばし、破壊してきた。サヨクを多く排出した世代だ‥‥と、一兵士は考えている。多分、○○と名乗る人も、五十台半ばぐらいなのだろう。保守的な話をしているが、多分、途中で、転向した人だと思う。ビラ撒き連中にも若いので、サヨクからの転向者がいるようだ。転向したことは本人の意思だから、そのことは、なんら問題はない。ただ、転向者の一番の弱点は‥‥、根がアカだ‥‥、ということである。そこを一日も早く払拭しないと、すぐにサヨク感覚が飛び出す。発想が、どうしてもサヨク的になる。「訴える! 執行部に責任がある!」と叫びだす。あとで触れるが、一兵士の言動を問題視することをもって、○○さんは、靖國神社執行部の責任を叫びだした。一見、似たような行動として、主権の西村修平さんがいる。春先に、靖國神社が神門前に、参拝者用の便所設置工事の公告を突然出した。このことに素早く反応したのが、西村さんだ。その前に、神門前のエテ公の見世物抗議が前座試合としてあったが、ともかく、神社に乗り込み、執行部に、その考えを完全に翻させた。便所工事を中止させた。見事である。彼を改めて、まざまざと一兵士は見詰めたものである。この西村修平さんの心を、激しく突き動かしていたのは何か、その行動の原点がなにか、○○氏と天地の差があることを明言できる者がいるか――。ビラ配りの中で、答えられる者がいるかどうか――。いる筈がない‥‥に違いない。彼らの靖國神社に対する思い・信仰は‥‥、戦前、陸軍省が一番嫌った、「信仰が俗化して濫祀」に陥っている者達だからだ。これでは、真贋が判別できないだろう。あんたがたの好きそうな言葉で言えば、「男西村修平」が、靖國神社執行部を批判するのは、ひとえに尊厳護持・伝統護持・皇国護持という、右翼本流を引き継いだ憂国の赤誠があるからだ。その血が滾っているからだ。それが便所工事を中止にさせた。‥‥だから、次第に本物になってきたと、一兵士はいつか書いた、正直な想いである。何の活動をするにも、保守・右翼と名乗るからには、尊厳護持・伝統護持・皇国護持の志操を備えていなければ、それは単なる「ごっこ」でしかない。このことをビラ撒きの人たちは考えなければならない。

 何かというと、「上からものいうな!」と、一兵士を批判しているが、上から言われて、「はい」と返事する訓練もした方がよい。誰かが滅私奉公と書いていたようだが、意味をわかって口にしているのかどうか、気がかりである。同じ神社執行部を批判する西村氏と○○氏では、天地の差――なのだ。わかるかね、支援団のみなさん。あなた方のビラ配り、南京映画支援そのものを、一度たりと、一兵士は批判しておらん。あなたがたが、ゴタクを並べる前に、尊厳保持・伝統護持・皇国護持を打ち出したら、保守本流を名乗ってもいいが、尊厳無視・伝統無視・皇国‥‥、日本軍がどうのこうのでは、まだ遠い星の彼方だぞ。だれか、一人でも自分たちの間違いに気づいた者はおらんのか。

 少し外れるが、サヨクが右翼に真に転向を決意するのは、天皇陛下の臨御だ。このことに気づいて転向する者が多い。ところが、はっきり言うが、根がアカだから、西村さんのような尊厳護持・伝統護持・皇国護持という志操が、なかなか身につかない。そこで、身勝手な信仰が、俗化した濫祀を持ち出すことになる。つまり、○○氏の神社執行部批判は、単なる吊るし上げで、神社尊厳を保持しようとか、伝統を護持しようとかの気持ちがゼロということだ。○○さんもいいところは衝いているが、未だ保守・右翼たりえていない。自戒厳修を求む。一兵士の神社執行部批判は、靖國神社の尊厳護持・伝統護持・皇国護持以外にない。一旦、運動から身を引けば、たいがいの者は、全体像が見えてくるのではないか。と、まあ、これが巻頭言だ。今回は、前回の騒動より、一層収穫があった。実態を引き出せたことだ。これから本章にはいる。

 まず、今回の騒動の功績者は、なんといっても、○○○○○○さんだろう。彼は、以前も、春の草莽会というのか、闊歩の会の時の、騒動の火付け役を「演じている」。ハハハハと、ビラ撒き騒動を、この「放火魔」は笑っているよ。「どうかね、大兄、あとはあんたの料理しだいだよ。敢闘を祈る」ぐらい、言っているんではないかな。この○○○○○○さんと一兵士は、実はグルではないか‥‥なんて、疑った御仁はおられるかな? 今回の騒動で、これは当然のことだが、誰一人、一兵士攻撃陣から、戦前右翼の、あるいは戦後保守――先哲の言葉を引用して、いかに一兵士の語ることが間違っているか、指摘してくるものがいなかった。というより、出来なかった。みな、自分の勝手な解釈。俺たちの靖國神社論・英霊論が溢れていただけのこと。神道が、完全に、ごく一部だけになってしまったことの現われであろう。戦後保守の第二世代として先頭に立たなければならなかった団塊世代――、それこそ定年を迎えるこの世代が、サヨク思想を飲み込んだことが、最大の原因だろう。学問というより、知識の払底だ。ガンマニアか、兵器大集合みたいな本しか、読んで育ってこなかったか。なにかというと、三八式銃のナンタラカントカ、答えられるかとか聞いてきて、一兵士が黙っていると、ほくそ笑んでいる。こいつは偽者だ!と、得意になっている。○○○○氏が言ってたかどうか、ちょっと自信がないが、「真贋」を見極める目が、単純すぎる。その目を養わせるためにも書いている。

 トンチンカン囃子が鳴り響いている中で、傑作なのは、一兵士は、『外堀でモノを言っているのではない、内堀で言って居るのだ』という、何回か発言した自分の言葉をもって、彼らは「一兵士は、靖國神の内部の人間だ」と判断したことだ。こんな推測をされるとは、一兵士は、まったく考えもしなかった。堀の外・堀の内と書いたことを、靖國神社の外と内と地理的な問題、居場所として理解されるなどとは、本当に考えもしなかった。それじゃ、一兵士と名乗ったって、なんの意味もないではないか。頭かくして尻隠さずだ。彼らは恐らく奉賛会員ではないのかも知れない。ほとんどのことは、社報に公開されて書かれている話だ。ビラ配りの中にも、奉賛会員がいると書いてあったが、社報を隅から隅まで読んでおらんのだろう。困った連中だ。釣り人の話を、○○○○さんがのんびり書いているから、じっくり読んでみたらいかがかな? 挙句の果てに、「私が思うには、一兵士は定年で退職した元神社内部の人で、身寄りが無く、靖国神社の寮に寄宿しているのではないかと推察しています」とも書いている。これを書いているのは○○○という人で、彼らのスレッドに投稿している。この○○○というのが本名なのか、それともハンドルネームなのかわからないが、おそらくハンドルネームではないか。この人には、後で少し叱責してやらねばならぬことがある。しかし、相当な想像力である‥‥。程度の低さに驚く。神社というものが、皆目、わかっていない。ま、わかっていないのは、彼ばかりでなく、彼ら全員もそうだが、いちいち言ってたらきりがない。

 さて、○○○○○○さんに次ぐ第二の功績者は、○○さんだな。この○○さんが、騒動をさらに煽ったことで、○○氏は勿論、ビラ配りの連中の腹の中まで、披露させてくれた。彼らのスレッドに、親切に自分たちの中身をひらけかしてくれていたので、大いに助かった。この○○さんの知的程度を、ある考えがあって、総て暴露させないために、敢えて、彼を黙らせるのに、「共産分子・支那分子!」と、サヨクのレッテルを貼ったが、まあ、可哀想なことをしたと思っている。さっきはちょっぴり○○氏を批判したが、今度は少し誉める。このうずたかい山となった彼らのゴミのような発言の中で、この○○と言う人だけが一言だけ、まっとうなことを吐いている。これは注目だ。それは一兵士を攻撃する中で、吐いた言葉だ。即ち――この言葉だ。≪境内において、プロレス興行を挙行し、左翼脚本家による芝居を認めながら‥‥≫。これはたいしたものだ‥‥。なに、当たり前のことなんだが、このスカラカチャンチャン応援団の中では、こんな話がキラリと光る。プロレス興行を批判する人は多いが、同期の桜――○○氏が、左翼脚本家による芝居というのは、この同期の桜のことだ。この件については、一兵士がサンザン、書きまくったことだが、それをこの人は読んでいないのかも知れない。○○氏には、一兵士のスレッド全文を読むことを勧める。あんたは、まだ是正が出来る。

 彼は、この芝居が「左翼脚本家による芝居」ということが見えていた。これは最良だ。あとは、尊厳護持・伝統護持・皇国護持の志操に到達したなら、一人前の行動右翼が出来るかもしれない。この三つの護持を、あんたは、これから団塊世代の罪滅ぼしと思って、勉強・学問を思考することを願う。根っこにある「アカ」を、早く排斥することだ。同じ団塊世代の中でも、孤高の精神で、正統を貫き、基を正して筋を通すことが、どんなに大変なことか。肌でお感じになられている方もいらした。松平宮司が退任する際、寛仁親王は、「あなたがやめたら、もう参拝に来ないよ」と言われたそうだ。松平宮司は、「そんなことをおっしゃらず、若い宮様たちにも、これからどんどん靖國神社へ来ていただけるように、お導きください」と言上されたと聞く。尊厳護持・正統護持・皇国護持を正中に置かれているお二人には、今後、靖國神社がどのようになっていくのかが見えていたのでしょう。最早、正統が護れない‥‥。そういう時代が、怒涛のように押し寄せていることが見えていたんでしょう。しかし、松平宮司は、そのことを口が裂けても、身が張り裂けても、認めることは出来なかった。認めるわけにはいかなかった‥‥と思います。

 あの中曽根総理の不敬参拝をはじめとして、村山総理・細川総理の英霊冒涜発言に対し、松平宮司も、その後を負託された大野宮司も、辞表を懐にして、靖國神社尊厳護持のために、伝統護持の為に戦かわれた。今から考えれば、「神社の中で、孤軍奮闘」されていたのです。その先代宮司の想いは、現在、途切れてしまった。そして、現在の執行部に至り、尊厳護持・正統護持は、忘れられているかのようである。遊就館の歴史記述をサヨク化し、本殿祭祀を否定する鎮霊社を公開し、既に終わった旧招魂斎庭に鳥居を建設し、あまつさえ、神門前に便所を建設しようとする‥‥。この暑い最中、ビラ撒きの連中は、自分達の志操のために公道に立つ。それは立派であろう。そのこと自体はエライと思う。問題は、尊厳護持・伝統護持の志操が欠けている事だ。「いつか靖國神社に参拝に行きたい」、その一心で、はるばる遠隔地から上京し、靖國神社に参拝しにきた方が、「おい、待っている時間がないんだ。早く参拝させろ!」と言いますか? 言うわけがない。言わないでしょう。そういう方ではなく、もっと異種の靖国ファンが、どんどん入り込んできているんですよ。社頭に溢れかえっているんですよ。それをまた増長させるのが、あなたがたの靖國神社周辺でのビラまきや、以前の闊歩の会の人たちの、身勝手な言い分だ。≪私が英霊なら、境内でのぼりを立てて、南京の真実を訴えるビラを参拝者に配布し、共に戦おうと誓っている姿を、あの世から見たい。でも神社の掟により、境内で無理なら致し方ない、それは神職たちの聖域を守護するという尊い気持ちを理解して、百歩譲ろう(英霊も、私も)。靖国神社は、百人百様の思い入れがあって当然だ。それだけ日本人にとっては、ホントに特別な所だとも思っている。百年後に草莽堀起の起点としての碑でもあれば、そんな思いさえある。相応しい場所だ≫。≪祭神に対する毀損には、断固としてこれを駆逐する、という行為も含まれるのだ、という『主観』を持つ者もいるわけですよ≫。このような発言を、あなたがたは支持する。

 英霊が蒙った汚辱を、自分達が晴らす、「南京映画の支援だ!」と叫ぶ‥‥。これを、松平宮司も、大野宮司も嫌ったんです。映画の宣伝なら、映画が出来た時点で、社報に掲載してもらえないか、相談すればいい。またこういうことも言う。「私たちは南京の真実を話し、映画の宣伝をしているだけだ。そして、もし、映画製作を支援してくれるんでしたら、どうぞ、此処へ資金を送ってください――、と言っているだけですよ。別に強要しているわけではない‥‥」という。しかし、それが募金活動なんです。参拝者の懐だけを狙っているとしか、今でも思えない。仮に、では、その支援金のビラと友の会のビラだけ除いて、配布しますか?といえば、そりゃダメだというでしょう。つまり、募金活動がメーンなんですよ‥‥と思うが。あなたがたの所に、参拝者が直接持ってきたお金を受けとったりはしない‥‥なんて書いてあったが、当たり前でしょう。妙なことを自慢しないで下さい。

 南京問題は、今に始まったことじゃない。南京問題が東京裁判に登場してから六十年間、靖國神社は、なんらこの問題とは関わらず、関係なく祭祀を執行してきている。戦友さん・遺家族、またどの右翼も保守団体も、南京虐殺の話を、靖國神社に持ち込んで来た者はいない。尊厳を知るもの、伝統を知るものが参拝者であり、崇敬者で占められていたからだ。英霊の名誉と、あんたがたはすぐに持ち出すが、それがゴロの言葉なんですよ。ちょっと、妙な言い方になるかもしれないが、靖國神社に祀られている英霊は、東京裁判のことなんかは、どなたも知らない。南京虐殺のことなんかも知らないで、戦死されています。知っているのは、昭和殉難者の方だけです。また、南京虐殺のことを耳にした関係者では、松井大将ぐらいではないですか。虐殺など、祭神には関係ないことです。また、騒ぐ声すら届いていない。神道を勉強してください。いま、支那や米国で、南京虐殺が叫ばれているから、さも靖國神社も関係はおおありだ――なんて、あなた方が騒ぐこと自体がおかしい。まるでサヨクだよ。それを神社にねじ込んでくる――。英霊の名誉挽回のためのビラ撒きを、神社は支援するべきだ――。これが右翼ゴロの発想なんです。南京虐殺の話を、靖國神社境内に持ち込んだ者は、あなたがただけです。まあ、いずれにしても、一日もあなた方が冷静になること。一旦、活動から身を引いてみれば、少しは正統が見えてくるんではないかと思う。尊厳護持・伝統護持が、あなたがたの提唱ではないんですか? ちょっと、疲れてきた。本当は、まだまだ書きたいことがあるんだが、体力の限界がきた。

 最後に○○○さんに伝えたい。あなたの名前は本名なのか、それともハンドルネームなのか? ニイタカヤマニノボレの暗号名からとった、ハンドルネームだと考えて書く。あんたはみたま祭の献灯に、、「○○○」という大型提灯を、第二鳥居北側に、出している。チャンネル桜の提灯と、「南京の真実」という提灯と共にだ。靖國神社祭神の前では、みな一国民だ。天皇が勅使を差遣わせる例大祭に、参列を許されている遺族・戦友・崇敬者には、参列のための何の資格もいらない。あるのは日本国民としての資格だけだ。その祭祀の境内に、ハンドルネームの提灯をだすとは、どのような考えなのか。本名ならばいいが‥‥。話していいかどうか迷ったが、崇敬者の誤り、姿勢を正す意味で、一度だけ漏らす。靖國神社に祀られる祭神は、通称名や、勝手に自分で決めた号などでは、誰一人祀られていません。すべて戸籍の氏名で祀られている。吉田松陰すらも、その名前では祀られていない。吉田松陰という号ではなく、本名で祀られている。献灯には、個人名の場合、みな、「どこの誰それ」と、表記されている。それを掲示板のハンドルネームで書き出すとは、売名行為にとられてしまうし、不謹慎そのものと考えてください。もし、ハンドルネームとして、この名前で、みたま祭に献灯した場合、一般者ではない芸能者・作家などと同様、チャンネル桜掲示板を職場とする「職業人」として看做される。更に右翼・保守を自任すれば、公安の監視対象ともなり、税務署も徹底的にマークすることになる。これはおどしではなく、当然の処置だが、そこまで考えての献灯かどうか。もし、知らなかったなら、次回は本名での献灯を切望する。また、これはあなたには関係ないと思うが、「南京の真実」という宣伝まがいの献灯は、慎んで欲しい。これをやっていいのであれば、どの映画会社も出してくる。レコード会社は、次々と歌手名や曲名の献灯をはじめる‥‥。伝統破壊・尊厳破壊の先導者にならないように、苦言を申し上げる。

 もう書くのはやめますが‥‥、今回の騒動で感じたことは、彼らになんの謹慎の姿が見えなかったこと。尊厳・伝統が何であるか、心底考えをめぐらす人間ではなかったこと、勝手気ままな人たちが、集合しているに過ぎないのではないかという‥‥、実態を見せつけられたということだった。戦後、こうやって、尊厳・伝統は、大衆の愚により破壊され、消えていったものは多々ある。蔵前の国技相撲の四本柱があると、相撲が見えにくいという大衆の意見が圧倒し、四本の柱は外された。確かに、土俵の相撲は見えやすくなったが、柱に宿っていた勝負の判定者である「直毘の神」の居場所がなくなった。そのために国技相撲に、八百長という言葉が飛び交うようになった。尊厳・伝統を破壊する者は、常に「敵」ではなく、「身内」か、大衆の愚である。それを長い人生で、幾度となく見せつけられてきている。

○○さんへ
 あんたが、心底、滅私奉公の意を問いたいと、聞く至誠が感じられたら、話してあげよう。いまの口調では、まだ話せぬ。話しても、理解に到達できぬ。しかし、言い寄って来る者は、あなたにも、「誤りを正す直毘の神」が、手を差し伸べたのかも知れぬ。しばらく、このスレッドを、必ず見るようにしなさい。生まれ変われるほどの識者・伝統継承者、そして、うまくあなたが自分を研鑽すれば、学識者にもなれるかも知れぬ。今夜は、これから知人が何人か来るので、相手が出来ん。これで、失敬する。


■平成十九年七月二十八日

――備中處士――
 ○○○○○樣、(○○樣も仰るやうに)運動の眞髓を學ばせて戴きました。洵に難有うございました。一兵士樣への質義の由、心待ちにしてをります。
 ○○○○樣、難有うね。痛快の中にも、何だか、心あたゝまりました。例の掲示板、實は小生も氣づいてをりましてね。彼等の心底を窺ふに十分でしたね。餘りに調子に乘つて酷ければ、小生もご紹介せざるを得まいと、考へてをりました。もう少し「奧座敷」とやらを見ておきたかつたが、これで衆目監視、迂闊な事も云へず、これでよかつたと思ひますよ(苦笑)。此の世の中、信じられぬ事ばかりですね。
 なほ戰前の賑ひについては、一兵士翁が、上記「三十五。猿回しの一件」等で述べられてをりますので、あらためて御覽ください。神社の御事は、文獻だけでは限界があります。
 

  • [76]
  • 七十五。引きずり出した実態。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月 8日(金)18時17分39秒
  • 返信
 
■平成十九年七月二十四日

再度、検討したらどうか。
 いやあ、驚いたね。まあ、朝方まで○○さんと○○○○さんが話している。○○○○さんは突っ込みで、○○さんは‥‥、先生だね。いやあ、なんといっていいか、○○さんには申し訳ない気持ちが‥‥。礼を言うのもおかしいしがね‥‥。しかし、この○○○○さんというのは、面白い人だよ。ノンキでいい。好人物なんでしょうね。ま、いろいろ、話のボロはあるが、細かいことはいいとして、気になったことは、このひとは、別段右翼とかいう人ではないので、あまり厳しいことは言わんが、「靖國神社本体」などという言葉を使ってはいかんよ。それとね、神社に正式に話を持っていきなさいと提案したことが、「その程度か」と言うなら、その程度のことを、まず、やんなさい。かと思うと、実行する前から、「ハードルが高い」という。と、言うことは、自分達の活動に自信がなく、うしろめたいことがあって、ハードルが高いと発言しているのか‥‥、よくわからんが、低い所だけを見てはだめだよ。高い目標に向かったらどうかね。まず、挑戦してみることだ。正当なことをやれば、批判は受けないよ。

 靖國神社近辺でも、ビラ撒きや募金支援運動や政治的主張をやっていいのであれば、ワンサと、皆んな押しかけていますよ。これまでやったのは、サヨクと似非右翼・右翼ゴロ‥‥。それと、あんたがただけだ。祭神・参拝者に非礼ということを考えなさい。一兵士の批難ボロクソは、いくらやっても制限なしだ。「袖の下をくれないので、ヒネテル」というのは、サイコーだよ。思わず噴きだした。それと、投稿を読まない筈がないとか、上から無視しろと言われたに違いない――と書いたのはだね、あんたがたとチャンネル桜管理者さんはお馴染みの仲なんだから、あれだけ書けば、管理者さんから連絡がいくに決まってると思うでしょう。普通ならそれで、神社周辺でも撒くのはまずいということに気が付き、作戦を練り直す筈。所が強行する。ということは。何かノルマが科せられていて、撒かざるを得ない状況にある‥‥と、普通は考えるよ。それだけのことだ。それが歩合制という言葉だよ。

 以前の騒動の時は、何かと管理者さんから怒鳴られたり、削除されたり、大変だった。それが今回、なにも言ってこないのは、留守だからだと思った。あんたがたの投稿文を読んで‥‥、推測したんだが‥‥、多分、水島さんが渡米したと書いてあったから、取材撮影でしょう。誰だかが、チャンネル桜は、人が少なくて大変みたいなことも書いていたから、全員、撮影取材に連れて行ったのではないかなと思った。まあ、留守番の人はいるんでしょうがね。米国に取材撮影となれば、一週間というわけにはいかないから、二・三週間から一ケ月となると、長すぎるから‥‥、行ってるんじゃないの? よくわからないがね。これは勝手な推測の一つ。それか、一兵士の投稿文はもっともだと思っている。思わないまでも、削除・警告は必要なしと、判断しているかでしょう。だって、あんたがたの活動を邪魔しているわけでなく、靖國神社の静謐を乱すな――と、叱責、お願いしているだけだ。それは禁止事項で、天下の公道とかも関係ない。‥‥しかし、それにしてもだよ、あんたがた、保守陣営のくせに、「警察の許可をとったから」云々というのは、‥‥話にならんよ。それがわからない頭が、わからない。右翼・保守なら、靖國神社神域の静謐は厳守するがね。

 みんな、参拝者めあてに主張したいことは沢山あるんだよ。それでもしなかったのは、靖國神社祭神・参拝者への迷惑を考えて、断念しているんだ。なぜ、群集が集まる所は、新宿・渋谷・池袋・銀座・青山‥‥、無数にある。そこへ行かずに、どうして靖國神社周辺だけで活動するのか? 此処へ来る人で、「南京大虐殺」を支持する人はいないよ。だから、此処で南京の真実を話しても仕方ない。繁華街でやんなさい。殊に販売が目的でナイナラ、多くの一般国民を教化しなさい。いいにくいことだが、募金支援活動は、絶対だめだよ。参拝者の懐をあてにしているだけでしょ?と、思われますよ。まず、正統な道を歩んでこそ、右翼・保守活動だよ。

 一兵士は嘘つきだ、でたらめだ!と罵るのは、一向に構わんが、神社の意向を無視して警察に頼ったと、本気で言うなら‥‥、右翼陣営からは唾棄されると思うがね。あんたがたには、強烈な言葉を使わんと反応しないので、使っている。あんまり吠えんと、まず、まっとうな「話を、神社に行って」話してみたらどうなんですか? まだ、やってないんでしょう? やることをやって、それがダメなら、靖國神社周辺は諦めて、よそでやりなさい。まず、右翼活動は正統を踏まんと、あとから足元を掬われる。○○○○さんが書いているよ。さて、備中處士さんが言うように、確かに光陰矢の如し。大事なことを忘れてた。引き戻された。これから、こちらもまっとうな話に戻る‥‥、つもりとするが‥‥。今日は、東京は快晴だ。気分もいい。目の前の杜に散策に出かけよう。最後になるが、○○さんには、頭が下がります。それでは失敬。

 そうそう、読み返して落としがあったので、追記する。確かに、天下の公道だから、警察の許可がでたならば、なにをやっても構わん――という理屈はあるが、それを全面に押し出して、靖國神社周辺で思想・信条の宣布活動を言い出した右翼・保守は、あんたがただけだ。その考えが右翼・保守陣営で通るなら、遺骨収集の支援金願いのビラ撒きだって、始めますよ。悪いことではない。英霊・遺族のためと、いくらでも理屈はつけられる。あんたがただけじゃないんだよ。日本のためと思って活動しているグループは沢山ある。日本の正しい歴史映画を作る――、是非支援金をお願いします。日本の戦争は侵略戦争じゃない、その映画を作る――、是非、支援金をお願いします‥‥。参拝者なら、きっと出してくれる――、その想いを持つのは当然だ。可哀想な子供達がいます、援けてください。参拝者に話しかけたい団体もあった。しかし、みんな断念した。神社の意向を理解したからだ。参拝者の心の中を乱してはいけない。靖國神社周辺の静謐・景観を汚してはいけない。常識でしょう? 違いますか。それを強行したグループがあったことを、自分は聞かない。あんたがただけだ。ここまで書いておこうと思ったので。


■平成十九年七月二十五日

最終勧告。
 ‥‥これだけ天下に堂々と、バカを陳列させたスレッドは、ここぐらいだろう。この、○○○○・○○、それに○○という‥‥、まあ、○○○○という人は、酩酊気味で、悪気はなさそうだが、それでも五十歩百歩。○○・○○は、まさに右翼ゴロ・似非右翼ぴたりの発言を披瀝している。一般の人は、そうそう右翼ゴロの台詞を聞いたことがないだろうが、今、彼らがどなっているのが、それですよ。小学生の作文でなく、頭が小学生なんだが、まあ、そんなことはどうでもいい。要は、ここで大事なのは、こういう連中が、靖國神社を「靖国」と呼びつけたりして、支離滅裂な自説を咆哮する、典型的な「靖国ファン」だ。似非保守・右翼ゴロの典型を暴露したということだ。彼らが下っ端ならホッとするが、どうも「チャンネル桜」を支援するグループの主要メンバーのようだ。まっとうな話を神社に持っていけと、一兵士が提案した話を、○○というのは、ビラ配りの申し込みがあったのがどうだとか、配線違いのヘナチョコな話をしている。一兵士の悪口を言ったあとは、結局、それきりだ。ほとんど一兵士の提案には応えていない。ビラ配りの許可申請でなく、社報への掲載願いをしたりしないのか、何故、繁華街、群衆の中で活動しないのか? 靖國神社周辺での活動に、異常な執着を発揮する。まさに高齢者の懐を狙う、健康器具販売だろう。ビラ配りの連中はボランティアでも、製造元に資金を集中させる手口と同じだろう‥‥と、見なされても仕方あるまい。いかに右翼ゴロと同じ回線路を歩いているか――、彼らにはわかっていない。せめて、閲覧者にはわかってもらいたいものだ。オトシマエがどうのこうの、神職がどうのこうの、アンチャンみたいな発言を、此処で繰り返していると、ますます、あんたがたの活動がまともでなく、胡散臭い詐欺まがいのものじゃないかと‥‥、思われても仕方がないよ。身から出た錆だ。というか、実体かな? あんたがたの活動のイメージを悪くするのは、一兵士ではなく、あんたがた自身だよ。わかっているのかね。

 さきほど、彼らの正式な名称を確認するためにスレッドを覗いたら、ビラを撒く許可を、靖國神社に頼みにいったら、「境内はだめ。境内の外は問題ない」といわれたと白状した。案の定、確定犯だ。境内で撒いちゃいけないと言われたので、境内外もやってはいけないと自ら考え、断念したこれまでの憂国の人たちと比較すれば、いかに靖國神社に対し、尊崇・敬神の思いが希薄だということがわかるでしょう。あんたがたに、境内の外はダメなどと、神社側が言えるわけないでしょう。境内の外は、天下の公道だよ。境内の外も困るんですと言う様ものなら、「なんだ、靖國神社は、天下の公道まで規制するのか」と、凄むに決まっているでしょう。過去、右翼ゴロが、そうだった。だから、神社は内苑・外苑対策として、「境内外は問題ない」と話すしかない‥‥と決めている。騒動に巻き込まれるのを防ぐためだ。騒動を起こすのは、いつだって「保守」だよ。つまり、あんたがたみたいな似非右翼だよ。

 いいかね、何回も言っているが、もう一度、言いましょう。靖國神社周辺の公道も、靖國神社神域のうち、静謐の内なんだよ。この○○○という人が頭らしいが、目先が近くて遠くが見えない。一兵士の悪口ばかり、文句言っている。自分たちの行動は正しいと思っている。だから右翼ゴロと同じだというのが、まだわからない。靖國神社周辺でたむろする似非右翼に、「迷惑だから、どいてほしい。静謐が乱される。祭神・参拝者に非礼だ」と言っても、「神社は、境内の外なら問題ない」と言っていると、まさにあんたと同じ文言を吐く。参拝者の幾人かが、頑張ってくれと励まされたからと言って、正しい行動をしているわけじゃないんだよ。一度、二度くらいのビラ撒きなら、その趣旨を考えれば、黙っていたいと自分も思ったから、何も言わなかった。しかし、いつのまにか、此処を活動の拠点にした。南京映画の支援ばかりでなく、チャンネル桜の友の会の勧誘すら始めている。まったく公的なものではない。♪♪チャンチャカチャンの乗りである。

 この掲示板は、チャンネル桜が設定したものだ。多くの閲覧者が、チャンネル桜を応援している人たちだ。一兵士が、その逸脱した行為を、いくら叱責しても、それが正論だと思う人もいるだろう。しかし、仲間のことを考えたら、一兵士に同調するのも難しい。だから投稿しにくい。黙って成り行きを見守るしかない。また、「どうしてビラをまいてはいけないのだろう。警察の許可も取っているし、神社の迷惑もないのに‥‥」と、思う方もいるだろう。だから、一兵士が、その間違いを話している。教化している。祭神・参拝者に非礼だということをだ。境内の外でも、靖國神社周辺は、靖國神社神域の内と考えるのが、これまでの保守・右翼だった。だが、彼らは新たな桜ゴロとして、這い出てきた虫だ。どうにもできない。この○○○という者も、此処に飛び込んできた三人トリオも、多分、主力メンバーなのだろう。一兵士が罵倒したからといって、本当は、あんたがたは凄んじゃいけないよ。あなたがたは、今や、チャンネル桜の顔なんだから、どんなに罵声を浴びせられても、冷静に、秩序ある文言、学識ある成語・連結語を駆使し、それこそ「品位」をもって、ひたすら靖國神社を大切にする心を打ち出すことが最先決だよ。‥‥むなしい‥‥。

 しかし、まだ言う。彼らは靖國神社にビラ撒きの申請に行って、断られたのを明言している。それを「境内外なら問題はない」と解釈して、大鳥居の前の路上で、参拝者にビラを渡している。これがダメだと言っているのに、「警察の許可をとった」と言う。似非保守・右翼ゴロ同然だから、ビラを撒いているが、これまでの保守・右翼陣営は正統を守って、ビラを撒かなかった。募金活動はしなかった。一企業の宣伝はしなかった。だから、靖國神社の大鳥居周辺は、いつも静かで、静謐で、参拝者は九段下から粛々とした気持ちのままで、大鳥居前に至り、静かに頭を下げ、うつむき加減に身を抑えて、参道に入っていくことが出来る。その参拝者に、突然、横からビラが渡される。ビラ配りの者が配置されている。背広は着ていても、胡乱であることにかわりはない。参拝者の心の中を乱し、神社周辺の景観を汚す‥‥。ビラ配りは、あっちゃいけない風景なんです。一度二度ならいい。まったく、他の繁華街での活動はしない。参拝者の懐だけを狙っているとしか考えられない。いくら言ってもわからない。一兵士の悪口雑言で、正当化している。無念だ。右翼ゴロ・似非右翼に勝つ手段はない。ここまでだ。何かと言えば、実力で排除しろと、ヤクザみたいに脅してくる。天下の公道で、警察の許可をとっているビラ撒きを、実力排除できないでしょう。こちらは、暴力団右翼ではないのですよ。あきれたイカレポンチとして、諦めるしかないか‥‥。残念です。しかし、一兵士の衝撃は、大きい。まあ、いままではバカだのアンポンタンだの、からかっていたが、その域を超えている。こういう連中が、チャンネル桜に集まり、親衛隊の中心メンバーになっているのかという事実をまのあたりにして、正直、気持ちが萎えている。到底、日本文化だの、伝統の継承だの‥‥。そうそう、自分達は、チャンネル桜とは一切関係ないと言っているが、そんなことはないでしょう。そりゃ社員じゃないという程度のことでしょう。でも、いいんだよ、そういう言い訳は。もういい。これから、このスレッドの入口に出せるものなら、「右翼ゴロ・似非右翼の進入禁止」の看板を出したいものだ。お願いしますよ。正統の話に戻りたいので、邪魔をしないで欲しい。

 最後に、もう一言。東京の繁華街で、堂々と支援作戦と、南京の真実を訴える活動をしなさい。それと、八月十五日は、「国民服喪の日」ということを忘れないように。天皇陛下臨御の日。正統保守であることを願う。騒動の元を作らないように切望する。


引きずり出した実態。
 どんどん、唾を吐き捨てなさい。あなたがたがどういう人たちだか、靖國神社の多くの神職が、今、このスレッドを閲覧しているだろう。これがチャンネル桜の人間たちか、元さくら草莽会という会員か‥‥。これがビラを撒いている人間の実態か‥‥。このように、靖國神社祭神を貶める似非者だったか‥‥。そう思っているのではないか。チャンネル桜と少しは通路がある奉賛会担当者M課長・部長も、境内を仕切る管理課課員にも、その実態を知らしめるのに、最良の資料となった。草莽崛起のジャンパーの中身なのか‥‥。呆然だろう。これがあんたがたの御大の水島さんにも影響を及ぼすのは、間違いないだろう。色眼鏡で、ますます見られるようになる。原因は、この右翼ゴロ同然の親衛隊のせいである。あなたがたの、どの言葉が不敬か、逸脱か、無学か、を拾い出すことはしない。無意味だからだ。一兵士が言わなくも、あんたがたが、いかに似非保守か、右翼ゴロであるか、いかに身勝手な人間なのか、その吐き捨てた言葉を見れば、一目瞭然。まったく同質・同一であることが、第三者に示し得れた。これで、一兵士の半分の仕事は終わったようなものである。

 巣食う者達の論理・罵声がどのようなものか、靖國神社祭神に対し、神職に対し、参拝者に対する考えがどのようなものであるのか、吐き出させたことに、ホッとする。あとは、残る者達を引っ張り出すことだ。これは、かつて新遊就館を立ち上げたスタッフが、国民に、日本の敵は、支那や韓国ではなく、アメリカだということを認識させたかった。そして、遂に、岡崎という手先の蠢動により、米国を表舞台に引きずり出すことに成功した。‥‥その喜びと同じである。チャンネル桜を信じきっている高齢者は、一兵士の周りに多くいる。みな、チャンネル桜の登場を喜んでいる。「私は、自分の死ぬまでのお金だけ、とっといて、あとは全部、チャンネル桜に寄付しているの」、そういう方もいる。実際、多額の資金を振り込んでくるおばあさんもいるでしょう。こういう方に、あなた方の姿を、自分は見せることが出来ない。自分は、いつも無言でうなずいているだけだ。しかし、思った通りの人間ばかりだということが判明した‥‥。自分のスレッドを汚してしまったが、よかったと思っている。


サヨク分子でないのか。
○○さん
 あんた――、送り込まれたサヨク分子だな。どうも最初からおかしいおかしいと思っていたが、一兵士と桜応援団の衝突に入り込んできて、いかにも桜応援団の身内のような格好つけて、実は、靖國神社祭神・英霊を侮辱し、敬神を喪失させ、自由勝手な参拝が、いかにも現代にふさわしいような話をぶちまけてきたのは、騒擾を引き起こさんが為か! かつて、保守同士の衝突で、靖國神社を騒動に引っ張り込もうとする保守・右翼はいなかった。そうか、貴様は、送り込まれてきた共産分子、支那の破壊士か! 応援団に聞く。この○○と名乗る者は、あんたがたの仲間かどうか、まず、その返事だけを、此処に書きこみなさい。○○さん、どうなのだ! 仲間だとして、長い付き合いなのか? 間違いない人物なのか――。自分の感覚としては、この○○なるものの言い分は、巧妙に一兵士を貶めるふりをして、神社執行部を引き出そうとしている。彼の言い分は、これまでの桜掲示板に集う人たちと、感性があまりにも違う。異質だ。サヨク的発想を感じる。騒擾へ騒擾へ、持ち込もうとしている。おかしい。身内なら、我々だけで、やりあえばいい。靖國神社を引っ張り出す発想はない筈だ。靖國神社は関係ない話を、無理やり、一兵士の正体暴露を追求するふりをして、神社執行部の返答を迫るなど――、こんな暴虐な身内はいない。諸氏よ、だまされるな! 一端、喧騒を引こう。利用される恐れがある。


○○さん、ありがとう。あんたはいつも、こういう修羅場になると、冷静になれるから凄い。一兵士は、そうはいかん。これは性分だ。では、書く。言葉を柔らかくしてきたな。○○さん。並みの日本人なら、こういう場所に、靖國神社が返答をしてくると思う奴は、百パーセントいない。ましてや右翼・保守が、知らぬわけがない。また、このような手段は、絶対にとらない。とるのは、サヨク分子だけだ! いままで、一兵士が靖國神社を貶めたことは、ただの一度もない。それは、ほとんどの人が理解していると、自分は承知している。一兵士が狼狽していることを指摘しやすい、不利な状況に自分があることは承知している。しかし、靖國神社執行部への追求文言など、口が腐っても、保守は口にしない。貴様の言いようは、詰問・つるし上げの論法である。それはサヨクの常套手段ではないか。独特の匂いがする。靖國神社を真に親しく思うものならば、このような場所に返答を求める不埒な保守はいない。一兵士を何故、追求しないか、罵倒しないか。一兵士を追撃する矛先が、いつのまにか、巧妙に靖國神社に向かっている。責任転嫁という手法は、支那分子・中共分子の定番ではないか!

 チャンネル桜が、例え、どんなに一兵士が憎たらしくても、靖國神社執行部を名指しで批判する者はいないはずだ! あんたは応援団の仲間ではないのだな? そうか、それならわかった。敵は保守でなく、サヨク分子である、あんただ! 好きなだけ、叫んでいればよい。それと、○○さん、すぐに擦り寄るのはよしなさい。絡めとられるぞ。注意しなさい。それと、あなたのような質問に、靖國神社が騒動に巻き込まれるような返事をすると思うかね。外敵には、みんな鍛えられているんだよ。すぐさま一致団結する。サヨクなど歯が立たん、猛者ぞろいだよ。


騒動は終了。
 ○○○○さん、申し訳なかった。もうこれで、騒動は終わったよ。外地の酔っ払いは、主権でつるしあげになっている男だ。こんなのはどうでもいいが、○○というのは、どんどん紳士的に口調が進化している。おそらく、日本語は話せない。顔も日本人ではない。傍にいる者が日本語に翻訳し、掲示板に投稿している。支那分子・外地分子の、いつものやり方だ。もう、静かになる。ほっとけばいい。


――備中處士――もう、よろしいでせう、續。
 こゝは御大層な私見や、怨念をはらす所ではありませぬ。小生は、翁の文章は涙なくしては讀めません。翁の嚴訓の中にも、やさしさを痛感する者です。翁の叱責を默つて聞けぬ貴公方なれば、神社の清淨、靜謐、參拜の心を理解できぬこと、貴公方の運動に對する姿勢、汚い心底、下衆の勘繰りは、よ~く分りました。どうぞ、御引取り下さい。こゝは貴公方の立入るやうなスレツドではございません。速かに出て行つて下さい。ストレスも解消できたでせうし、一致團結も叶つたでせうし、云ひたいことは云へたでせうから‥‥。何を云つても、無駄か。困つたなあ‥‥。○○樣、難有うございました。

 何を申しても、○○○○樣には通じまいと思ひます。小生は情け無く、無念で、憤怒してをります。冷靜たりえません。故に書込めません。テレビでも云つてをりましたよ。「全てのものには、理由がある」。「お前(=テレビの原文のまゝ)には、未だ早い」と。
 

  • [75]
  • 七十四。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月 8日(金)18時11分29秒
  • 返信
 
■平成十九年七月二十二日

――備中處士――靖國神社が代々守つて來た「やめてほしい」と思ふことはするな!
 一兵士翁の曰く、「ただ本當のことを話していくと、皆さんが不快になられることも、多々あります。それを覺悟されてお讀みください」と。こゝは靖國神社の「正統」を、翁から學ぶスレツドであります。小生も俄か勉強、全く知らなかつたことを、翁から多くを學びつゝあり、ついて行くのに、一所懸命である。覺悟の無い者、縁なき者は、讀まぬがよい。然し、『靖國神社が(代々守つて來た)「やめてほしい」と思ふことはするな!』 此の一言に盡きます。神社は、本來、樂しい癒しの空間であり、之に終始する御方があつても、少しも惡しき事、咎める事では決してありませぬ。何囘も申すが、仲良く樂しくおやり下さい。知らぬとは云へ、過ぎ去つた逸脱は、反省すれば濟むことでせう。開き直つて、何とするか。全く會話が成立しませんね。一兵士翁も、縷々情理を盡して語つてをられます。餘所でしなさい、神社の周邊だけでは止めてくれ給へ、と。此の何處に、無理難題があると申すのか。レス=書簡ですら、言葉が通じないのに、何故ゑ會つて、何うすると仰るのか。目的の爲には、手段は選ばず、と云ふことなのか。此の勢ひだと、二重橋の大前でも、本當にやりかねない。物の道理、事の本末も辨へぬ時代・世代となつてしまつた、と云ふことでせう。「なるほど、戰に敗れるといふのは、かういふことだつたのか」(福田恆存『私の國語教室』)。
 稀代の釣師か、御仲間は盡きぬやうで‥‥。或は彼の禽獸・ゴロツキの類か。文字も讀めないのだから、ま、致し方ないと諦めませうか。小生は、一兵士翁ほど度量が大きくないもので。
 早馳の神、汚穢き枉者共を、振放(ふりさ)きて、祓ひ退散(あら)けて、祓ひ給ひ、清め給へと白す。「たとへ伊勢神宮の荒垣外でも、或いはその他の有名大社・古社・靈地に於いても、神域外に邪靈は圍集してゐるのである。萬物は不増不減であるから、熱量不變と云ふ原則からしても、プラスエネルギーの強い場には、同時に同じ強さのマイナスエネルギーが發生する。それが邪靈集團發生の靈理である」(『國魂神の冥護』)と。誠なるかな、此の言。


■平成十九年七月二十三日

擬態の一兵士――すてきよ~
 あら、投稿しようとしたら、ヘンナ方が書いちゃったわ。ま、いいわ。ほら、○○○○○○さん、ごらんなさい。あんたが余計な半畳を入れたから、チラシ配りのお兄さん方が、自信持っちゃたじゃないの。バカ、知らないから。朝っぱらから、狂っちゃったワ。シラナイ、シラナイ(身をよじる。せつなさ一杯に)。
 でも、狂った○○ちゃんも、わるくないわね。バカ丸出しって、カワイイぃー。ホントヨ、○○ちゃん、逆切れしちゃって、オモシロ~イ。
 ‥‥ありゃりゃ、なんだか変だぞ。口調が元に戻らなくなっちゃった。元、元‥‥ゴメンナサイネ。アタイ、元、元、ち、ち、、違うの。元、元、じゃなくってェ~もっと、怒ってー。ステキ~アンポンタンさ~ん。キャー(と、言って、元兵士‥‥じゃない、イ、イ、①、①じゃない、い、い、一兵士、舞台を派手に飛び回る。観客、どっと笑う)。
 ネエ、○○ちゃん、もっとバカ書いてエ~。こういうお兄さん、サイキン、みたことないの。ねえねえ、書いて~。○○○○さんというお方も、お仲間? がんばって~。負けないで~(ぱちぱちと、胸前で小さな拍手)
――幕、下りる――
 アナウンス「みなさま、しばらくご休憩でございま~す。舞台に上がってみたい方はどうぞ、飛び入りご自由でございま~す。皆さんレベルのお話でも、係りのものに伝えていただければ、結構で~す。カチ(マイクの切れる音)」


元に戻す。
 なんだ、いっぱいおばかさんがやってくると思ったのに、ひっかかったのは○○○○ちゃんだけか。面白くないねえ。遊んでくれると思ったが、そうは問屋がおろさんかった。昨夜は仕事が詰まって、朝までかかってしまった。しばし休憩時間をとったが、なんだ、誰も怖がって来なかったか。自分のバカさに、さすがに呆れたか? しかし、さすがに○○○○さんは嗅覚が鋭いし、備中さんは正統派だし、今度の○○さんの話も、実にしみじみとした感懐を抱かせる。≪文化や伝統というものは、正確に受け継ぐことが大切で、その上で新しい境地に達することが出来るのは、ごく一部の者にしか出来ないことです。しかし、それは本質を変えるものでは無く、認識がより洗練されるというべきものでしょう。どこまでも自由に考える人達は、受け継ぐものが、もともと無いのでしょう≫。要は、そういうことなんです。もうこういう人がいるだけで、心が洗われる。

 さて、いいかね、‥‥○○○○○○さんがビラ配りを支援してくれたと思って、喜んでちゃいけないよ。いいんだよ。○○○○○○さんは、自分の叔父さんと静かに懐かしく和やかに会いに来てくれて。それに文句を言っているわけではない。むしろ、あなたのような参拝を、松平宮司は望んでいたようですよ。誰にも迷惑をかけていない。しかしね、あなたはそれでいい。あなたが死んだあと、あなたのような人が死んだあと、そのあとはどうなるんです? 靖國神社はどうなるんです? 正統を保っていけるんですか? 遺家族が全部死んだ後、靖國神社はどうなるんですか? 実際、遺族さんは、どんどん減少してきているんですよ。それに代わって、あなたのいう「靖国ファン」が、どんどん入ってくる。靖國神社を悪くしているのは、実はこの「靖国ファン」なんですよ。サヨクは、靖國神社には近づかない。寄ってくるのは、靖國神社のことを何も知らない、勝手気ままな「靖国ファン」。カッテな解釈で押し寄せてくる。参拝は受け付けた順番に行う。遅く来た者は、待たされるのは当たり前。しかし、昨今は「早く参拝させろ」と、苦情をいう人が増えてきている。主客転倒だ。祭神のことが頭にない。感謝しているといいながら、「早く参拝させろ」とくる。神社は今後、こういう参拝者を相手にしていかなければならない。昔なら、怒鳴りつける戦友さんがいたが、今は、「もう少しお待ちください」と、低姿勢で係は謝る始末。これは悲劇でしょう。

 此処には、お国を守った英霊が、帝国の神祇として祀られている‥‥ことが、腹の中に納まっていないんだ。頭の中にない。こればかりじゃない。口に出せない不肖の事柄も増えている。参拝者の方に、知識が欠如しているからだ。教化がなされていないからでしょう。その証拠が、これだ。「神社の礼儀作法が、何より大切なのではない。それぞれの『心』が、何より大切なのだ。境内でないなら、禁止ではないのだろう」となってしまう。神は不敬の参拝、儀礼を逸する参拝は、一切受け付けない‥‥という、神道の祭祀を話してあげなけりゃ、この方も生涯かわいそうでしょう。なんの意味もない参拝となってしまうからだ。だから、それを話してあげている。一兵士に絡んでくるのは、一様に「勉強になった。しかし、ふざけている。いばっている」と来る。みんな、これだ。頭をイイコイイコ撫ぜてくれなきゃ、○○さんみたいに逆切れしてしまう。怖いネエ。脅かされたよ。一兵士も、恐る恐る教えなきゃならない。教育現場の崩壊が、ここにも出ているんだよ。≪自分の好み・自分の感性を、他に強要するは‥‥、それは靖国の真御心をかえって小さくするものではないか‥‥。靖国の神は、そんな狭量の御霊ではないと、小生思うが、どうであろうか?‥‥神社内での非礼(この判定も個の好みがあり、難しいのだが)さえなければ、大きく寛容するのも、靖国の大御霊ではないだろうか?‥‥≫。こういう○○○○○○さん風の解釈が、どんどん間口を広げて言ってしまう。いや、あんたに説教しているんじゃない。今更説教しても聞かんだろう。こういう考え方が、どんどん世の中に蔓延する。参拝者にも蔓延する。それが今度の境内地周辺のビラまきだ。勝手が、どんどん広がっていく。一を許せば、万になってしまう。いいんだよ、○○○○○○さん、このスレッドは、頭の痛い堅物でいいんだ。説教でいいんだ。本物を求めている人に、正統な知識を与えている場所だ。頭が痛くなる人や、説教がきらいな人は、無理して来ることはない。来れば、教化する。正統な知識を話す。備中さんなどを、「一兵士の取巻きだ」なんて、バカが言っていたが、取巻きではナイヨ。皆んな、一国一城の主だ。すぐに群れたがる輩とは違う。こういうところも、いやんなちゃう。

 いい加減な知識って、つまんないよ。奥がないからね。そこで行き止まりだ。正統は、奥が深い。だから学問する。明治開国、日本は必死に学問することで、西洋に追いついた。学問しなけりゃ、天は人の上に人を作ってしまうことを、福沢は語った。西洋式活版印刷技術の開発で、全国に様々な文献が迅速に出版され、西洋の文献も翻訳され、すぐに大量に出版された。高価な本が安価で販売され、国民が手にすることが容易に出来るようになった。現代は、それがこのネットでしょう。一兵士も備中處士さんも、「ネットお宅だ」なんて、○○氏がほざいていたが、ネットコミュニケーションを理解していない。高度な知識を修養させようというのだから、バカは、所詮無理だ。ただね、それでも寄ってきた人には、正統を自分は話す。それが自分の仕事だ。根気よく話す。でも、直らないバカは見捨てる。どうにもならないからね。まあ、○○○○○○さんは、イチャモンつけてくる連中の中でも、さすがに礼は尽してくれる。嬉しいネエ。ホントだよ。まあ、あんたが元気なら、小生も嬉しい。ここよりも、もっと得意な分野があるみたいだから、そっちで、やあやあやってください。どうせ、自分もそうだが、あんたも、遠からず死んでしまう。あなたは、靖國神社がどうなろうと、気楽な立場だからいいが、こちらは、そうではないのでね。と、いうわけで、ささ、○○○○○○さんは、退散退散。

 さて‥‥、この○○○○○○さんは、決して悪い人ではない。なんだかんだ、わざと嫌われ役を買っているようだが、イザとなれば、武器弾薬なくも、一番損な竹槍もって、敵陣へ突っ込んでいく人だよ。その時の顔つきは、まさに護国の英霊が乗り移ったかのような相貌だろう‥‥。それはわかってるんだが、口調が軽妙で、他人事なら聞いていて楽しいが、いざ、自分の相手となると面倒くさい。と、言うわけで、「心ならずも」いない方がいい。一兵士に絡むのは、もしかしたら、若い頃に上から押し付けられたか、ひどい目にあわされたかしたのかも知れない。それで高圧的な人には、自然と嫌気が走り、本能的に偽善を感じたりして、反抗するんだろう。ま、これは自分勝手な友人としての感想だがね。気を悪くしたらゴメンなさいよ。一兵士が高圧的なのは‥‥、昔の仕事柄、仕方がない習性だ。少し、○○○○○○さんの投稿文を引用させてもらう。≪神社内‥‥本殿前で、ビラを配る、寄付行為をお願いする。とゆうものではない‥‥。周囲でやられると、神社の景観が損なう、神社に迷惑がかかる‥‥。それも貴公流の読みだけによる「迷惑論」ではないだろうか。靖国の御霊の霊障にも連動するかもしれない「南京虐殺」の抗弁のための活動を、必死に靖国の霊威にあやかりのボランティア活動、ある見方によれば、微笑ましい光景でもないかな。美観・景観が損なうとのケチな考えや、神社迷惑行為・神社禁止行為に触れるとは、どうも小生にはわからぬが‥‥≫。こまかいことは、もういい。この投稿文を読んで痛切に感じることは、要は、右翼というものが、完全にこの国から消滅したと思わざるを得ない。無論、○○○○○○さんは、右翼を名乗るものではない。ないが‥‥、痛切に感じる。これが現在の平均的思考だろうと思うからだ。

 戦前、賀茂宮司や、頭山満・今泉定助・葦津耕次郎、その他、昭和初年の右翼言論界の大御所たちが、「靖國会」を結成した。靖國会は、靖國神社への崇敬心を宣布拡張する目的で、活動を展開した。講演会やら、各地の神社参拝やら、遺族援護やら、さまざまなことをやった。彼らが大同団結したのは、国民に弛緩が見えたからだ。危機を感じたからだ。国家に、だ。正しい、靖国神社崇敬の宣伝をしようとした、まさに正統護持を唱えた。そこには、「自由な崇敬心」、「気軽な参拝」の勧奨などあるわけもない。のんきな時代ではなかった。人が死んでいる。同胞が血を流している。国権が犯されている。こういうときに、靖国神社をどう崇敬するべきか――。それを語ったのだ。いま、戦後六十年。靖國神社は、正統を捨てつつある。参拝者は、「慰霊祭」が、靖國神社の責務だと思い込んでいる。神社境内は、心さえあればいいという勝手な解釈が、市民権を得ようとしている。テレビ放送で、天皇陛下・皇族の日常が、行幸啓が茶の間に流れる。その画像を国民は、酒を飲みながら見る、胡坐をかいたままで見る、半裸のままで見る。××のままで見る――。これでどうやって、尊崇が生育していくというのか。天皇に親しさを感じるだけでいいのか‥‥。皇室を、国民は本当に守っていけるのか‥‥。

 チャンネル桜が、春の境内を全国に中継した、みたま祭を全国中継したと自慢する。しかし、家庭の茶の間では、靖國神社の桜をどのような格好で見ているのか、江戸川堤の桜ではない。英霊祭祀のみたま祭りを、どのような格好で見ているのか――。そのことを考えたことがあるのだろうか‥‥。そういう発想を、常に試みていかないと、正統というのは継承できなくなってくるのです。もう、○○さんのように挑戦する人が出た。警察の許可をとったから、正当なビラ配りだ、という人が出てくる。自分勝手な解釈で、自分らの行為の正当化を語る――。これが靖國神社周辺でたむろした、右翼ゴロ・似非右翼の口にしてたのと、ほとんど同じ。靖國神社の神職が、八月十五日、神社に乱入しようとするサヨクに、いかに身体を張っているか、知りもしない。外堀で、わあわあ言うだけの「靖国ファン」。何度も言うが、何故靖國神社は‥‥、いや、何処の神社境内でも、ビラ配りや募金活動を禁止している。それは何故かは、以前、春の参拝騒動の際に説明した。参拝者に、祭神に非礼だということをいくら話しても、理解できない頭が不思議だ。がっかりである。つまり、こんなもんしか、チャンネル桜の支援者は居ないのか――という、がっくりする思いだけである。すまんねえ。疲れたよ。それではまた。


――備中處士――もう、よろしいでせう。
一兵士樣
 寸楮拜呈仕ります。私信を御許し下さい。何か涙腺がもろくなつて來てをります。さうなんですよ。靖國神社を眞に崇敬してをられる御方なら、翁の仰せは、自然と肺腑に下るに違ひない、傳統を重じる保守家と自稱されるならば、遂には翁の思ひと一致すると、小生なぞは信じてをりましたが、何うも甘かつたやうであります。松平永芳宮司が仰つた、「保守の敵は保守」と云ふのが、耳朶に鳴り響いてをります。己の主張の爲に、或は靖國神社を利用してゐるだけなのかも知れません。否、利用する者に誑かされてゐるのではないか。眞實、さう思ひます。そこには敬神も謹愼も、或は遠慮も反省も、小生には全く窺ふことは出來ません。神社の尊嚴よりも、己の思ひが先に在るのですから、翁の文章から、何か學んでみようか、無心に讀んでみようかと云ふ氣持ちが生れないのは、理の趨く所、當然なのかも知れません。
 然し豫想どほり、怒鳴り込んで來る者は、翁の文章なぞ、全く讀んではをりません。否、讀まうともする氣は無いやうであります。我こそは‥‥と、對抗意識むきだしです。論議の正否より、徒黨の雷同が優先するやうです。かやうな爲にする者共を相手にして、光陰を失するより、諧謔を樂しむより、翁の埀示を樂しみにしてゐる者、或は未だ見ぬ贊同者の爲にこそ、翁の精力をお使ひ下さい。伏してお願ひします。翁は言ふべき事は、情理を盡して仰いました。後は本當に御諦め下さい。何時の時代にもをります、あゝ云ふ私見を誇つて救ひ難き類は。無視しておけば、犬の遠吠へ、やがて收まります。最後の足掻きなのですから。靖國神社の正統を語られる御方は、一兵士翁の外にはありませぬ。翁の使命感こそ、小生の頼みでありますが、翁の御健康が氣がかりです。御身大切に、ご自愛ください。謹白
 

  • [74]
  • 七十三。叱責する。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月 7日(木)18時58分28秒
  • 編集済
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■平成十九年七月二十日

みんな、出てケー!
 熱が少し下がったので、書けるところまで書いておく。文章がおかしいのは熱のせいかもしれんが、ともかく書いておく。数日前、防衛省関係の雑誌社から、『武士道のこころ』という新刊本が贈られてきた。名越先生の遺作と帯には書いてあるが、少し嘘がある。こういうことをやってはいかん。名越二荒之助を貶める。帯を櫻井よしこさんが書いている。出版業界の悪癖に、眉が寄る。どうして最近は、こういう傾向になるのか。真性右翼が消えたからだろうか。実際の執筆者は、名越先生の愛弟子だと、先生のお嬢さんがあとがきで書いていらっしゃるが、その愛弟子に問題がある。著者は「まえがき」で、「支那事変」・「大東亜戦争」の呼稱を敢えて使わず、「日中戦争」・「太平洋戦争」という呼稱を用いたと説明している。それは「日本では、いまだ日中戦争・太平洋戦争という呼び名の方が、広く浸透している」からだという。まだ三十歳の方だ。いかに名越先生の薫陶を受けているといっても、三十歳で、日本の戦争を書いてはいかん。なにもわからん。なにも戦前が体感できない。戦前の人々の思いが体感できない。名越先生が、その呼称を許したのかどうかは書いていない。許す筈はないと思う。間違った歴史を残すようなことをしてはならない。雑誌社が金儲けで弟子に書かせたのか、周囲の誰かに踊らされているのか――。利用されるなと、著者に言いたい。名越先生も利用されていると思った。

 こういうと、関係者に怨まれるだろうが、いいかげんな本を書いてはいかん。中身に関しては何も言わんが、後を継ぐ世代に、骨がない。学問がなさ過ぎる。こういう所で、名越先生の愛弟子をつるしあげる気はないが、痛い思いをしていただく。名越先生も怒りゃせんだろうと思って。名越先生の偲ぶ会も‥‥、話がちがう‥‥、と思った。関係ない人が、神輿を担ぎ出した。「話の合わない人が多くなった」と、晩年、親しい人には漏らしていた名越先生。「話の合わない偲ぶ会にならなければよいが‥‥」と、一人思うことにした。日本を悪くする者が多すぎる。東條由布子さんがみたま祭で、ビラ配りをした。これは公職選挙法で認められた、れっきとした選挙活動。参集殿広間では、参院選立候補者が遺族会相手に、「よろしくお願いします」と、娘さんと一緒に選挙活動。これは、神社は止められない。一般の人には知られていないが、もう、選挙のたびに見られる光景だ。例の南京映画の資金支援のビラを撒く連中は、東條由布子さんの選挙活動に便乗して、大鳥居前でビラを撒いた様子。来週も、その次の週も、靖國神社参拝者目当てにビラを撒く。備中さんが、「もしかしたら、靖國神社に暗黙の了解を取り付けてやっているのかも‥‥」と書いていたが、それはありえませんよ。一兵士がビラ配りを批判した次の日の朝、神社に、ビラ配りの許可申請をしてきた者がいる。即座に断られている。一切、神社は許可していない。チャンネル桜に許可すれば、彼らはうれしくって、ペラペラしゃべる筈。靖國神社は、秘かに許可なんかしない。だらしないようでも、ピシッとしている神職も、まだ若手の中にはいる。絶対に許可していない。まあ、このびら配りの連中は、右翼ゴロ同然。どうにも出来ない。小生の投稿を知らないわけがない。誰かが「無視をしろ」と、下っ端に命じているのだろう。それしか考えられない。それか、ビラを撒く連中が、実は歩合制の関係で、何を言われようが、撒くしかないのか、どちらかだろう。「正統なんて、くそくらえ!」、なんだろう。こういう手合いは、昔からよくいた。敬神を装う暴力団右翼が、そうだった。靖國神社を金にする連中は、後を絶たない。

 それより、彼らの「靖國神社ビラ撒き支援」のスレッドを覗いたら、御大の水島さんが、十六日の夕刻、渡米前に応援に駆けつけたと書いてある。注意をしに来たのではなく、激励に来たらしい。うーん、水島さんも、もう少し厳しく律せんと、足元をすくわれかねない。チャンネル桜を、恥ずかしくないものにして欲しい。回りにきりっとしたのがいないのか。気になるのは、此の日、昇殿参拝はしてくれたのだろうか。どうも受付は、姿を見ていないと言うから、拝殿前では参拝していただけたのか‥‥。実際はどうなのか。取巻き連中はともかく、水島さんご本人には、靖國神社をなめたようなことだけはしてもらいたくない。切に願うものだ。今までだれも成せなかった保守のテレビ局を開設したという、そのこと事態は立派だ。功績は大きい。自分のよく知る遺族は、あちこちで番組を宣伝し、南京映画の寄付に、毎月大金を送っている。水島さんを、チャンネル桜を信じきっている。その想いを汚さぬようにしてもらいたいもの。だから、言いたくない苦言も呈しておる。

 それより、ビラ撒きスレッドの書き手は、水島さんの激励がよほどうれしかったのか、ペラペラ、水島さんのながながとした肩書きを紹介したついでに、秘書の名前まで不用意に書いていた。仙道某子さんが、ビラを配ってくれたと。ほほおー。この仙道さんという女史は、小柄な美人の仙道さんのことなのだろうか‥‥。自分の知らないことを、いろいろ教えてくれるスレッドだが、他人の名前は、慎重にしたほうがよい。どこでどういう人が見るかも知れないし、殊に女性秘書の名前など、書くものではない。気をつけなさい。

 今年のみたま祭はひどかった‥‥と、仲間が言う。先日書いた歌手協会の司会者もそうだが、「つのだひろ」とかいうのも問題だ。敵性音楽を、境内にがなりたてている。祀られる祭神は、つのだひろの音楽は、「敵性音楽」としか理解していない。執行部が靖國神社の歌コンクールという、妙なものを始めた時に、入り込んできた男だと思った。本殿で祭祀中にも関わらず、チューニングというのか、大音響でロック調の音あわせをしている。みたままつりは、もうメチャクチャだ。大鳥居前では、選挙活動に寄付活動のビラ撒き連中。もう、大東亜戦争戦歿者の御霊を慰める‥‥、という趣旨なんか、誰も知っちゃいない。関係ない。東京の夏の日のイベントだ。趣旨は失われている。祭祀だけは厳粛に続けるとして、境内のバカ騒ぎは、もうやめて欲しい。いつぞやは、「やすくにのゴッドゴッド」なんて、歌詞を歌う奴もいた。靖國の神々を、「ゴッドゴッド」なんて歌われて、平気の平左で聞いている神社執行部・参拝客、みんな、デテイケーと叫びたくなる! 戦争は絶対にしてはいかん、なんていう歌手協会は、二度と呼ぶな! 松平宮司が生きていたら、賀茂宮司が生きていたら、卒倒するか、ぶっ飛ばすか――。靖國の祭神に対して、「ゴッドゴッド」と歌う歌手なんて、境内に連れてくるな! みたま祭は、もう初期の目的から逸脱して、猥雑そのもの。ビラ配りもそう、煙草を吸う奴もそう。昨年は、幼児が境内で、半被の前を開いて、立小便してしまったらしい。ホントかどうか。でも、信じてしまう。

 みんな、出て行けー。夜店もいらん。奉納公演もいらない。ともかく、みんな靖國神社に来るなー!‥‥と、言いたくなってしまう。神社執行部は、もうだめだ。神職がなにも取り締まらないならば、民間で取り締まるしかなくなる。昔、うるさい軍人がいた。靖國神社を冒涜するが如き奉納者がいれば、腕ずくで引き摺り下ろした! 恐ろしい神社で構わん。礼節を守護しろ。靖國神社が、日本の最後の砦だ。松平宮司は、「日本がいつもここにある――、そういう神社にする」と、口癖のように話していた。何処に、日本があるか。境内の何処に、日本があるのか――。サヨクがさわげば、叩き出せ! 敵対するものあれば、追い払え。勤皇党を作れ! 境内を携帯をみてあるく神職がいれば、遠慮なく反省させろ! 国民の手で、靖國神社を守れ! 次第に凶暴な空気が、自分を取巻きだした。自制心が働くあいだにやめる。また、後日。熱が下がっていないようだ。読み返しが出来ない。駄文なら、ご容赦。


■平成十九年七月二十一日

――備中處士――神ながらの道を生きて行くのも、悲しいなあ。
 こゝまで墮ちたかてふが、正直な感想である。一兵士翁が情理を盡し、而して導き出せる結論に、疎漏瑕疵があらう筈は無い。否、斷じて然らずと云ふのなら、其の據つて來る所を開陳せられるがよい。
 大鳥居周邊は、例へ天下の公道とは申せ、靖國神社の景觀の内といふ理解を爲すのが皇民の道にして、此の景觀の内、即ち靜謐なる淨域にて、私的なる宣傳紙片を撒くのは、言語道斷の振舞ひ、彼の謹愼畏怖を知らぬ者共は、靖國神社を汚す似非保守・似非右翼と看做さねばならぬ。否、然らずと云ふ者あらば、洵に憐憫に勝へたり、須く異端は攻めて可なりと謂ひつべきなり矣。是を放置容認せむか、彼の延長線上に、非禮參拜して憚らず、神靈を無し奉るの所業があることを知らねばならぬ。
 ○○樣が、「實踐、實踐」と云はれても、「♪♪あれ♪♪」ではなあ‥‥。彼の若者に媚びる乘り、輕佻浮薄を以て、松平永芳宮司が、「日本がいつもここにある――、さういふ神社にする」と、口癖のやうに話されてゐたと云ふ、靖國神社を汚してはならぬ。忠誠の情、保守運動とは、常に謹愼含羞の思ひと共にある。靖國神社の「正統」を護持せむと志し、神ながらの道を生きて行くのは、洵に悲しい孤高の道でもある。些か悲しみが重なつて、何か倦怠惡寒を覺えたり。


■平成十九年七月二十二日

再度、叱責する。
 この○○というアンポンタンの投稿を、このスレッドに長く放置すること事態が汚いので、払き消すためだけに、一言書く。○○さん、批判は批判として受けるという話は、反省しないストーカー行為と同等だ、ということがわからんかね。あんたがたの活動がどうのこうのではなく、「靖國神社が禁止しているビラ撒きはよせ!」、と話している。ほかで、ビラ撒きはやりなさい。靖國神社は、いかなる思想・信条でも、募金活動は禁止している。そして、ビラを撒いている風景は、静謐を汚している‥‥。違法行為が汚い、おぞましいと言っているだけだ。参拝者に話したければ、正式に神社に話し、社報に掲載をお願いするとか、まっとうな方法、努力をを教えたつもりだ。それを、「反省はしない。汚しているとは思わない。俺たちは正しいことをしている。八月十五日もマクぞ。お前に会いたい」なんぞ言う連中を称して、「ノーテンファイラー」という。今風に言えば、「いかれてる」。○○とか名前の人も、同病だ。あんたみたいなのを、似非右翼・右翼ゴロという。靖國神社の禁止事項に挑戦してきた保守は、今までいなかった。右翼ゴロと似非右翼だけだった。だから、あんたがたは、似非右翼・右翼ゴロだというのだ。

 国家の秩序を守るために一命を捧げた英霊の足元で、靖國神社に、勝手に「八月十五日も撒く――」と、不法行為を働くヤカラに、何の正当性があるか、地元に帰って、もう一度、祖父に聞いてきなさい。「○○家の面汚しメ!」と、面罵されるのは間違いない。あんたは、自分はバカだから、耳に入っても「右から左」、「批判は批判として受け取るだけの」人間です、と宣言していたから、何を話しても「スルー」になってしまうので、○○さんの周囲のものに話す。少しはまともなのもいるだろうと考えてだ。

 八月十五日は、天皇陛下・皇后陛下が武道館に臨御されている。その日に、ゴタクを並べること事態で、あんたがたが、似非右翼というのが、正真正銘されただろう。天皇陛下・皇后陛下のことを、まったく頭に思い浮かべもしないくせに、一端の口を聞くな!と、このアンポンタンに教えてあげなさい。八月十五日は、政府が全国に半旗掲揚、黙禱するように広報される日だ。この日は一日中、喪に服す日だ。正確な表現をすれば、「終日、服喪の日」という。読めるか? 読めないと思って、わかりやすく書いたが。神社の外苑でも、集会がある。これとても、現在、一部問題視されているが、しかし、追悼集会なので、神社が一体となり、長年執行してきている。この日、全国から上京する遺家族は、武道館参列の為に、礼服を着用して境内を歩いている。その服喪の日を選んで、「金集めのビラ撒き」をすると宣言するは、日本人の心を踏みにじる強盗・悪辣サヨク同然。いや、それ以上の集団であろう。あんたがたが、どのような似非保守であるかを宣言したも同様。「服喪の日」もわきまえず、天皇陛下・皇后陛下行幸啓ある日を、その通行路で南京映画支援の募金活動をするという、この反日的行為。靖國神社のみならず、遺家族の参拝をドロ靴で踏みにじる行為は、全国の右翼・保守を敵に回す所業となる。

 チャンネル桜、水島代表も、あなたの映画を支援するということにかこつけて、靖國神社に寄生する害虫が如き愚劣行為を黙って見過ごすなら、「日本人本来の心を取りもどすべく設立された‥‥」なんて、聞こえのいいチャンネル桜設立文言は降ろしなさい。怨みは全国に蔓延する‥‥ぐらい、考えなさい。ビラ撒きの諸氏に言う。ビラを真実撒きたいなら、南京映画を、真実、訴えたいなら、新宿・渋谷・池袋・青山・秋葉原・大久保・新大久保・歌舞伎町――、くさるほど繁華街はある。群衆の中で闘いなさい。身内の中でわあわあ言ってて、何が実践か。片腹痛い! 靖國会館で、「支那をやっつけろー!」と叫んでいるのと同じですよ。

 折角の忠告を聞かず、それでも靖國神社周辺で撒く――、とホザクなら、堂々と神門前で撒け。拝殿前で撒け! いいや、昇殿して本殿祭祀中の参拝者にビラを撒け――。お前達の活動が正しいという自信があるなら、そうしなさい。こそこそ神社の「へり」で撒かんで、境内に堂々乗りこんでやんなさい! それが出来たら、あんたがたも本気だということだけは認めてやろう。本気の前に、「正統も敬神もいらん」という道理が、あんたらだ。それをやったら、その次は北京広場で撒けば、より挑戦的だ。だれもやらんことをやって、世間を驚かせろ。喝采を叫ぶ保守がいるかも知れん。○○さん以外の者たちに話している。少しはましな者もいるだろうと思っての諫言だ。非は、あんたがたにある。反省して欲しい。活動に対して、一切文句を言っていない。靖國神社周辺で撒くな、といっているだけだ。天皇陛下に挑戦する気か! それと、備中處士さんの書いた「悲しく孤高の道」という言葉が‥‥、今度は○○さん、あんただ。この深淵の意味がわからんだろう。学問・知識がないと、理解できない言葉だが。わかるまで、このスレッドに、未熟な話は投稿しないように。此処は「♪♪♪マーク」はついておらんで、迷惑じゃーと言っても、一兵士の固有財産ではないので、法的拘束はない。道義的な話だよ。まず、その保守病をなおしなさい。頭を冷やせば、なおる筈だ。

○○さん。
 怒鳴られた事のない世代だから、文句をいうのも構わん。だがな、反論する前に、自分達の非を悟ることが先決。一兵士の攻撃なら、いつでも出来る。いくらでもやんなさい。一兵士の悪口なら、すきなほどやりなさい。若いうちは、恥をかくのも修行のうち。十年経過して、自分の書いた文章に赤面できれば、それは進歩だ。少しは世の中によくに立つ。一兵士の叱責が正論だということがわかるようになれば、たいしたもの。仕事がないので投稿する――など、格好つけてはいかん。もっと真面目にやりなさい。でも、少しはこのスレッドを覗いたようだから、どうせだから、最初から読んで勉強したらどうか。備中處士さんという方の投稿文を熟読しただけでも、少しは感性から脱出できる。そうしたら、今度は一兵士の投稿文を読みなさい。それからだ。むかつく間は、まだまだですよ。

○○さん
 ちょっと、言い忘れた大事なことがあった。あなたの間違っている所‥‥、というより、無学‥‥、と言っても、ウルセーと怒鳴られそうだが、一兵士に言った言葉。≪覚醒の必要があるのは、貴方の方だろう。神社・英霊に、そんな厳密な色分けなど無用だ。ばかばかしい。合祀されている英霊の気持ちに立って考えれば、バカにでも分かることだろう≫。これがあなたの現在の靖國神社、祭神への精一杯の理解度・知識度なんです。この言葉だけ、あなたのノートに書き写して置きなさい。十年経って、赤面するかどうか――。武蔵が、バカボンドから剣聖に成れるかどうかの瀬戸際だよ。あんたの心の何かが、小生の所に引き寄せられた。一兵士との縁は大事にしなさい。これから、ずーと、このスレッドは読むようにしなさい。


 いやあ、○○○○さんが、折角「水」を入れてくれたのに、タイミングが悪かった。申し訳ないが、ちょいと○○さんに伝えたいことがあるんで、投稿しますよ。悪いねえ。あとで投稿する手もあるんだが、書いちまったもんだから。じゃ、投稿します。

 ○○さん、いいですねえ。あなたみたいな人を教化するのが、一兵士の本当の狙いです。どんどん、書きなさい。あなたの靖國神社観を書きなさい。その都度、訂正してあげる。一兵士の勝手な解釈ではなく、賀茂宮司・松平宮司、また多くの先賢の方々の言葉だ。その内、備中處士さんも、いろいろ教えてくれるでしょう。一兵士の話は、右から左でもいい。あなたの身体の中を、小生の言葉が通過するだけで、結構だ。でも、備中さんの引用文は、何度も熟読しなさいよ。ネットだから、一兵士を殴りたくても殴れないが、だから、すぐに冷静に戻れるよさがある。あなたを一人前の右翼・保守に育てたい。何処に出しても恥ずかしくない者にする。まず、あなたが吐き捨てた、次の言葉。≪大東亜戦争で戦死され、靖国合祀されている英霊たちの気持ちを思う時、捏造を払拭するための戦いは、英霊は応援こそすれ、尊厳を踏みにじるなどと思う訳が無い≫。細かいことは、その内、自分でも気づくだろうが、「靖国合祀」だなんて熟語を、安易に造語しないように。世界中で、国家が戦死者を一人一人招魂して、国家の祭神とする国など、何処にもないのです。まず、正確に英霊の合祀‥‥、合祀祭‥‥、戦後の霊璽奉安祭など、まず一から勉強しましょう。一体、合祀とは何か、帝国の神祇とはなにか――。この根本を理解することが第一段階です。

 それと、あなたがたは、なにかと「大東亜戦争」というが、戦後、日本が独立しても、「大東亜戦争」なんていう呼称を口にする人は居なかったんです。それを「正しい日本の歴史を」という掛け声で、「大東亜戦争」という呼称の復活を、教育界で最初に運動を初めたのが、名越先生や中村粲先生だった。それで少しずつ大東亜戦争という呼称が戻ってきたのです‥‥。こういう知識を知ることも大事。当時の世相が反映している。○○さん、南京映画の支援をしていても、勉強する時間はあるでしょう。正確な知識で、靖國神社を守護していただけたら嬉しい。一人でも多くの正鵠な知識者が、今、必要なのです。

 松平宮司が話した「日本がいつもここにある‥‥」という言葉に感銘したならば、あなたは立派な英資をもっている。今夜は、これで終わる。疲れました。ははは。これを口にすると、身体が楽になるんですよ。まあ、大目にみなさい。あ、そうそう。あなたが言っていた言葉、≪そのビラの内容を見て、気分を害し、眉間にしわを寄せるのは、貴方や左翼の者だけだろう≫と、書いているが、違うよ。しつこいようだが、一兵士や備中さんが問題視しているのは、ビラの内容ではないんだよ。靖國神社で禁止されているビラ撒きはやめなさい!と、叱責しているんだ。少し、冷静になって文言を受け取りなさい。あなたならわかる‥‥ように努力して。それでは。

 あ、ごめんごめん。○○○○さん。続きがあったとは知らなかった。どうもめちゃくちゃにしちまって。ホント、申し訳ない。もう今夜は投稿しませんので、ご容赦。

では、再再度、叱責する。
 はははは、また投稿です。なんか血が騒いで、嬉しくて寝ていられない‥‥。実は○○さんという名前の人が投稿したので、つい、嬉しくなって相手をしたんだが、いま、ふっと○○○○さんの話を思い浮かべていて、考えたら、なーんだ、自分がアンポンタンと言ったので、それで○○と名前にしたのかと合点しました。もしかしたら違っているかも知れないが、まあ、それはどうでもよい。○○さんに伝えときたいことがあって、頃合をみて投稿した。あなたは備中處士さんを、「ネットお宅」などと揶揄しているが、それは、あなたがこの世界のことを知らないから致し方ないが、備中處士さんは、大変な人だよ。権威とか、そんなんではない。この方の投稿文を読めば、すぐにわかると思うが、現在、この人を超える正統派平泉学派継承者は、ほかにいない――、と言ってもいいぐらいの人だ。靖國神社神職でも、一目置かれている。こんなことを書くと、備中さんは、すぐに「とんでもない。自分はそんな人間ではありません」と卑下されるが、いま、遊就館の歴史展示を改竄している永江氏などは、吹けば飛んでしまうほどの学派者ですよ。松平宮司が生きていたら、どれほど目をかけたろうかと、一兵士は思うし、また、同じ想いを持つ人は、投稿文を読めば多い筈だ。

 あなたの一言で、あなたの志操の高低、見識が暴露されるので、注意した方がよい。あなたは恥ずかしくなくても、こっちが恥ずかしくなってしまうからです。○○さん‥‥に関しては、また明日だな。書いている内容が‥‥まあ、大変よいモデルといえば、モデルになれる。というか、教材になる方だ。とりあえず、いま、書いたのは、備中處士さんのことだけは、早いうちに書いておこうと思って。それと、○○さんが質問しているから、返答しないとまずい。では。
 

  • [73]
  • 七十二。靖國神社の藩屏は、誰か。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月 7日(木)18時53分37秒
  • 編集済
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■平成十九年七月十四日

靖國神社を冒涜するビラ配り。
 備中さんが上京していたとは、知りませんでした。そうか、靖國神社に行かれていたか。招魂斎庭は、新・旧二箇所をご覧になられたのかな。両方を見られていればいいのだが。あの大手水舎の前の提灯は、昔からやっていましてね、隠れてしまうのは仕方がない。横から入れば、行けるわけだから、手水を使わない参拝者がいれば、そいつが悪い、というしかないな。ともかく、備中さんが神社に来たのを知って、多くの職員が会いたがっていたようですよ。嬉しいじゃないですか。今後も靖國神社の為に頑張ってください。そうそう、いつぞやは○○○○○○○○○○さんの見舞いを戴いたが、返事をし損ねたままで、いま、思い出したので、ご返事を。どうもありがとう。

 さて、いつか話したと思うが、自分は、靖國神社の外堀でモノを言っているのではなく、内堀に居て話をしている。確かに、現執行部を批判しているが、それは正統を維持させるためである。だが、靖國神社を攻撃するものあれば、共に敲く。共に防戦する。同様に靖國神社を貶めるもの、コケにする者あれば、表立っては言えない神社の立場に代わって叱責する。神社職員の考えていること、空気も時によって伝えている。その空気を、春先の闊歩の人々にも伝えてあげた。それが充分に彼らには伝わらなかった。靖國神社が「やめてほしい」と思うことはするな! 南京映画の支援をやめろ!と、言っているのではない。靖國神社の大鳥居周辺で、一企業が作る映画の宣伝・支援、それも寄付金を集める支援行為はよしてくれ!と、言っているのだ。靖國神社の参拝者に訴えたいのであれば、まっとうな方法があることを、昨日、話したつもりだ。それが、どうも、この支援グループにはわかっていないようだ。靖國神社の職員は、「あいつらは、みたま祭をばかにしている」と、怒っているのを伝えたい。非公式の支援ホームページというのがあるらしい。そこにビラ撒きの宣伝と‥‥、みたま祭各種イベントありと宣伝している‥‥らしい。自分も言われて見た。確かに書いてあった。ばか者であることが判明した。みたま祭をイベントと理解している、保守を標榜するバカがいることを、初めて知った。血が頭にのぼった。靖國神社は、境内地での、いかなる寄付行為・ビラ撒きも禁止している。許可しているのは、二つの団体だけである。以前にも書いた。サヨクならイザ知らず、例え公道とはいえ、大鳥居周辺は、靖國神社の景観の内という理解をするのが保守だろう。敬虔さもない連中と見なした。春先に大鳥居付近でビラを撒いたグループは、それでもビラ配りの仕方に一定の厳しさ、規律を仲間に強いていたことで、靖國神社への尊厳を大事にしていることは伺えた。だが、今回のグループは、ビラ配りに飛び入り自由参加という、規律も指導も、なにもない。ビラ配りそのものが遊びで、お調子そのものだ。この大鳥居周辺で、南京映画の資金募集のビラを配布する連中は、靖國神社を汚すゴロツキ・似非右翼同様と見なす。昔、街宣右翼が、大鳥居の近辺にたむろしていたのを思い出す。神社の景観を汚すからどきなさいと、戦友さんたちが、いくら言っても退かなかった。ムシケラである。煙草は吸う。唾は吐く。ガムを捨てる。とんでもない連中だった。大鳥居近辺でビラ配りを強行する現在の支援グループも、似たもの同士だろう。

 靖國神社のいやがることを、境内地でなく、公道でやることだから、靖國神社は正面から文句を言えない。無視するしかない。それをいいことに、ビラ配りを、それもみたま祭をイベントと見る連中だ。八月十五日も、イベントと見る連中だ。こういう連中は、靖國神社周辺から排除すべきである。ビラ配りをどうも強行する気なので、自分も態度を変えた。靖國神社の尊厳と祭祀を踏みにじってまで、寄付金の支援・映画宣伝の支援ビラ配りを強行する恥知らず!を、野放しにしておいていいものか、支援を受ける水島監督、あるいは製作委員会の考えを聞きたいものだ!


――備中處士――英靈の代辯。
 嗚呼、已んぬかかな。『論語』公冶長第五に曰く、「小子、狂簡にして斐然として章を成す。之を裁する所以を知らず」と。一兵士翁、判る方には十分に分りますので、義憤已む能はずと雖も、これ以上は‥‥。お身體に障ります‥‥。「みたま祭り中は、街宣車の乘入れを禁ず」とありましたね。何時の日か、必ず解つて下さいます。それを信じませう。
 遊就館の賣店にて、下記を購入させて戴きました。新刊ですので、極く一部の紹介に止めます。子供用出版の由、英靈の聲に非ざるも、將にそれにまがふ方なき言葉でありませう。これは何がなんでも、息子に讀ませねばなりませぬ。
●小野田寛郎陸軍少尉『ルバング島戰後三十年の戰ひと靖國神社への思ひ』(まほろばシリーズ2・平成十九年七月・明成社刊)に曰く、「
 靖國の英靈に對して、「心ならずも戰死された(本當は戰爭に行きたくなかつたのに、戰爭で死んでしまつた)」と言ふ人がゐます。しかし、これほど英靈を侮辱した言葉はありません。‥‥特攻隊の遺書には、「心ならずも(本當は行きたくなかつたのに)」なんて、書いてありません。‥‥私がもし當時戰死してゐて、「心ならずも死んだ」と言はれたら、侮辱されてゐると思つて、怒ります。當時の私たちは、死といふことに拘泥しない、深く考へない、死んだら神さまだと、さういふ考へ方をしてゐました。何故かと言ひますと、戰爭には若い者が先頭に立たなければ、國の將來がないととふことを、はつきり考へてゐたからです。‥‥當時は徴兵令で、滿二十歳になると、身體に異常のない男子は、みんな兵役につかなければなりませんでした。だから「心ならずも」と言ふのかもしれませんが、それは當時の私たちの氣持ちを表はした言葉ではありません。好きで兵隊になつたわけではなくとも、多くの人間は、國のために死ぬ覺悟を持つてゐました。戰爭に負けた後、戰後の教育で洗腦され、本當の日本人の氣持ちを理解できなくなつた人が、さういふことを言ふのだと思ひます。
 私が日本に歸つてきたとき(愚案、昭和四十九年三月)、田中角榮總理をはじめ、大勢の方々にお見舞ひのお金をいただきましたので、私はそのお金を、全部、靖國神社に奉納しました。すると、一部の人から、「小野田は軍國主義復活に加擔した」と、散々に批判されました。當時は、戰爭で亡くなつた人を祀る靖國神社のことを、まるで軍國主義の象徴のやうに言ふ人がゐたのです。なぜ、靖國神社にお金をお納めして、惡く言はれなければならないのか。そのとき、私はもう日本に住みたくないと思ひました。それで、次の自分の生活の場をブラジルに求めたわけです(愚案、五十年春)。‥‥
 私の仲間で、十六時間の心臟の手術を受けた者がゐるのですが、その仲間から、ちよつと面白い話を聞きました。手術で眠つてゐる間に、死んだら自分が行くことになつてゐるお寺の夢を見たと言ふのです。そのお寺に行つてみると、金ピカに光つてゐて氣に入らない。「この生臭坊主め」と思つて、靖國神社に行つてみた。すると、知つてゐる仲間が出て來て、「何しに來た。お前の來るところぢやない」と、突つぱねられた。「一緒に戰場で戰つたのに、冷たいことを言ふなあ」と思つて、よく考へてみると、「自分は生きて歸つてきたのだから、もう靖國神社には入れてもらへないんだ、ああ、さうか」と思つたところで、目が覺めた。このやうに、ここで安らいでゐる英靈と自分たちの間には、本當に切つても切れない絆があつて、それは、ふと「自分たちもここへ入れるのではないか」と思つてしまふほど、染み付いてゐるものです。私たち當時戰つた人間の、靖國神社に對する氣持ちは、そのやうなものであるといふことを、皆さんにご理解いただきたいと思ふわけです」と。


■平成十九年七月十五日

靖國神社の藩屏は、誰か。
 備中さん、小生の体調を心配してくれるのはありがたいが、しかし、≪何時の日か、必ず解つて下さいます。それを信じませう≫では、遅い。まっとうな思考をもたぬ人間が、今、靖國神社にどんどん侵入してきている。藩屏を担う人が欲しい。この南京映画の資金募集支援ビラを、靖國神社大鳥居近辺の公道で、集まる参拝者目当てに、勝手に配布するグループ。この狼藉を、言葉では、もう止めることが出来ない。いまだかつて、保守右翼・街宣右翼でさえやらなかった、靖國神社大鳥居近辺での、寄付支援ビラの配布。彼らがビラを配っている時間、本殿では英霊祭祀が執行されている‥‥。そんなことは、まったくおかまいなしだ。いくら言っても、聞かない‥‥。馬耳東風‥‥、致し方ない。言立ての限界だ。書き込みのメンバーを見たら、あの春先の闊歩の会の連中だった。昇殿参拝を待つ間、喫煙場所でもない境内で、煙草を平然と吸っていた連中だ。口で言ってわかる連中ではない。自分が叱責できるのは、此処までだ。

 ‥‥最後に老婆心で言うが、今もって御大の水島総さんが靖國神社に認知されていないのは、チャンネル桜の名前入りのジャンパーを着てきたり、参拝と花見を混同したり、このビラ配りのような違法行為を取巻きが強行する‥‥ことが、原因の一つになっているのではないか‥‥と、思わざるを得ない。恥ずかしい思いをしているのは、小生です。こういう人が、チャンネル桜の支援者ということに対してです。礼儀礼節を、靖國神社は第一義に求める。団体の規律を求める。当たり前の話だがね。

 今朝、仲間が二人、見舞いがてら訪問あり。二人の話では、十三日、能楽堂では、恒例の日本歌手協会の奉納公演があり、九十歳になるバタヤンこと田端義男や二葉百合子など、オールドファンには懐かしい顔がそろって、やんやの喝采だったようだ。ただ、問題は司会をしている合田道人という、サヨクまがいの男だ。いつの頃か、この男が奉納公演の司会をするようになった。「本当は怖い童謡歌唱」とかいう本を書いている、歌手くずれの男だ。司会の合間に自分の書いた本の話をする。童謡には、戦争の怖い話が沢山ある、と言い出したらしい。いくつかの例を出しながら、「これも戦争の歌だった」と説明し、はては、「こういう歌を、二度と子供たちに歌わせないように‥‥」と結ぶ。「海にお船をうかばせて、行って見たいなよそのくに」は、軍艦に乗って外国に攻めに行こう、という意味だ、と言い出した。侵略はやめましょうというメッセージを、目の先本殿に祀られる英霊にたいしてぶつけるこの豚男を、何故、神社は呼んでくる! 参拝者も、なんとも反応しなかったようだ。仲間は壇上に駆け上がれない身だ。止めることが出来ない身体だ。奉賛会の親子の集いでも、この合田という反戦平和を主張する男を、奉賛会の担当課長は、呼んで仕事を与えている。何故、みんな、平気なんですか! 靖國神社の英霊を境内で、侵略した兵隊さんだと言われて、何故、平然としているんだ。そんなに日本の戦争は悪かったのか‥‥。そう思っている人間が、神社境内には集まってきているのか‥‥。執行部が、そういう人間を呼び込んでいるからだ。合田は、耳の聞こえない田端に、なんども「戦争中、慰問に行って、どんな気持ちだったか」と、しつこく聞く。バタヤンは‥‥、空気を察したのか、「戦争だけはしてはならん」と繰り返したそうだ。森光子も、この間どこかで、「慰問には行きましたが、とてもアメリカには、日本軍は勝てないと思った」などと話し出す。どうして、こうなってしまうのか。来年、もう、この日本歌手協会は呼ぶな! 反戦平和が、次第に靖國神社に似合ってきたのか‥‥。

 みたま祭に配られた団扇も持ってきてくれた。最悪の団扇だ。おどろおどろした絵が印刷されている。境内に掲げられた提灯と大村益次郎の銅像が、どろどろと溶けている絵だ。裏は気味の悪いどす黄色一色に塗られ、神輿と担ぎ手が、同様に爛れ堕ちている。即ち、原爆を受けた市民の様子を想像させる。一体、これは何だ! 中国で作らせたのか! メッセージが書き込まれている。
「靖國のみたまは お守りしています
日本 そしてあなたを
今でも‥‥」
誰がこんなコピーを貼り付けたのか! 気味の悪い字体でだ。靖國の御霊が、「今でも」護っているのは、皇室であり、国家だ。「あなた」を守っているんではない! いつから捻じ曲げられたか。はっきり教えてあげよう。靖國神社は、祀られている英霊が、国民を守るのではなく、今、生きている国民が、皇室・国家を守り、靖國神社には、その先人の忠魂が祭られている場所――。はっきりしろ! 覚醒せよ。この認識を間違えるな。松平宮司・大野宮司までは、この認識、正統が受け継がれていた。松平宮司の教えを、背中を見て育った部長が、まだ数人いる。何を、毎日、生きているのか! あなた方に「後を頼んだぞ」と、松平宮司も大野宮司も、退いていったじゃないですか。堺の港から、もう「東京へ来るお金がありません。これが最後の参拝です。あとをお願いします」と、まだ若かったあなた方に頭を下げた老兵がいたでしょう。遺族の方もいたでしょう。あなた方は、その「約束」を反古にするのですか‥‥。幽明さかいを異にしても、約束は守ってこそ、靖國神社神職でしょう。いま、あなた方が何十年間勤めていた靖國神社が、サヨク化している。それがわかっていながら、首をふりふりしているだけでは、「いにしえに還れない」。なんとだらしない、重職の人たちか! 最後のご奉公を決心してください。どうせ、いつかは死んでしまう。栄華も消える。裕福も消える。先人に恥じない神職として、死んでいって欲しい。靖國神社がみたままつりで、うちわを配るなら、そこには「今でも‥‥」ではなく、「今でも、国民が天皇を守る」としなければいけない。「今からでもゆく」でなければならない‥‥と、痛切に仲間は悔しそうに言う。靖國神社の現実は、靖國神社の執行部・神職たちが、勝手に神社を過去の存在にしてしまっている。さりげなく、うちわに書かれたコピーで、世間を、積極的にあざむき始めたのだ‥‥。

 ‥‥岡崎・永江氏が遊就館の歴史記述を薦めている。聞いた事のないメンバーが集められている。このメンバーが、主権の西村修平氏に問い詰められて、返事の出来なかった靖國神社広報課長のいう「識者」なのか? おそらく○○総代に言われた、永江さんが集めてきたメンバーだろう。調べればすぐにわかるが、面倒くさい。ついでのつもりではないが、西村修平さんは、次第に本物になってきている。激励を送る。‥‥純然たる勤王党が、境内に欲しい。疲れた。もう終わる。また。いや、まだ、あった。これだけは書いておきたい。南部宮司です。最後の頼みは‥‥、殿様である南部宮司しかない。皇室と深い関わりにある人は、現在のところ、南部宮司お一人です。これまで何度も宮司批判をしてきたが、しかし、最後に頼むのは、南部宮司に行き着く。神社は、神職・職員では動かない。力はまったくない。あるのは宮司だ。ことに天朝と深いかかわりにある南部家だ。堕ちていく靖國神社を転瞬させる人は、南部藩主による藩屏ひとつにかかっている。就任して以来、ここまで黙って靖國神社を見てきている筈だ。南部宮司には、まだ伝家の宝刀が握られている。その決心に望みをかけたい。


■平成十九年七月十六日

――備中處士――靖國神社の崇敬者とは。
一兵士樣
 一兵士翁の曰く、「松平宮司の教へを、背中を見て育つた部長が、まだ數人ゐる。何を、毎日、生きてゐるのか! あなた方に『後を頼んだぞ』と、松平宮司も大野宮司も、退いていつたぢやないですか。堺の港から、もう『東京へ來るお金がありません。これが最後の參拜です。あとをお願ひします』と、まだ若かつたあなた方に頭を下げた老兵がゐたでせう。遺族の方もいゐたでせう。あなた方は、その「約束」を反古にするのですか。幽明さかいを異にしても、約束は守つてこそ、靖國神社神職でせう。いま、あなた方が何十年間勤めてゐた靖國神社が、サヨク化してゐる。それがわかつてゐながら、首をふりふりしてゐるだけでは、「いにしへに還れない」。なんとだらしない、重職の人たちか! 最後のご奉公を決心してください。どうせ、いつかは死んでしまふ。榮華も消える、裕福も消える。先人に恥ぢない神職として、死んでいつて欲しい」と。此の絶叫咆哮、眞に屆くことを懇祷したい。
 又た曰く、「現執行部を批判してゐるが、それは正統を維持させるためである。だが、靖國神社を攻撃するものあれば、共に敲く、共に防戰する。同樣に靖國神社を貶めるもの、コケにする者あれば、表立つては言へない神社の立場に代はつて叱責する。神社職員の考へてゐること、空氣も、時によつて傳へてゐる。みたま祭は、英靈祭祀の祭り。ビラを、この日は撒いてはいかん。大鳥居の景觀を汚す、祭祀を汚す。靖國神社に對して、參拜者に對して、禮を逸した行爲であることを理解して欲しい。靖國神社の職員は、『あいつらは、みたま祭をばかにしてゐる』と、怒つてゐるのを傳へたい。いまだかつて保守右翼・街宣右翼でさへやらなかった、靖國神社大鳥居近邊での、寄付支援ビラの配布。彼らがビラを配つてゐる時間、本殿では英靈祭祀が執行されてゐる。そんなことは、全くおかまひなしだ。いくら言つても、聞かない。馬耳東風、致し方ない。言立ての限界だ。口で言つてわかる連中ではない。自分が叱責できるのは、此處までだ」となん。
 然し猶ほも敢行して憚らないのは、或は神社側の諒解があるのではないでせうか――。境内では認めぬが、公道ならば默認すると云ふ――(それはそれで問題でせうが‥‥)。然らざれば翁の血涙しぼりきつたる諫言を、堂々たる提案を、且つ神道祭祀の重きを、毫釐も躊躇逡巡せぬとは、凡そ理解を超えるものがあります。これ以上の御叱りは、一兵士翁の心臟に障り、南京映畫の支援者も悲しみます。後は「例へ公道とはいへ、大鳥居周邊は、靖國神社の景觀の内といふ理解をするのが保守。この敬虔さもない連中は、靖國神社を汚すゴロツキ・似非右翼同樣」と看做されることでせう。翁の言擧げは、一定の影響嚴訓を示されました。眞に難有うございました。
 神門奧の鳥居前にても、煙草をくゆらす初老の御方に、小生の如き者でさへ、携帶灰皿を差出して、之を諫めた。日本歌手協會の奉納公演、又た奉贊會親子の集ひに於て、「侵略はやめませうといふメツセージを、目の先、本殿に祀られる英靈に対してぶつける、反戰平和を主張する男を、奉賛會の擔當課長は、呼んで仕事を與へてゐる」と。これには絶句、餘りに酷いですね。「靖國神社總代會」あり、「靖國神社崇敬奉贊會」あり、「英靈にこたへる會」あり、或は「靖國會」あり、一人くらゐは御聞きでは無かつたのですか。何をしてをられるのか。日頃の主張が、烈しく問はれてゐます。

○○樣
 それは宜しうございました。然し小野田少尉、は歸つて來て下さいました、日本の將來の爲に‥‥。もう一本、伊藤陽夫沖繩縣護國神社宮司『動ぎなき天皇國日本』(てんでんブツクレツト五・平成十九年四月・展轉社刊)も御勸めですよ。大いに勉強させて戴きました。
  ↓↓↓↓↓
http://www.nippon-bunmei.jp/tsurezure-58.htm


■平成十九年七月十七日

――備中處士――南部盛岡藩のことども。
○○○○樣
 「秋田に於ける佐竹氏は、良き藩主だつたとは決して言へぬ。二百七十年間、見るべき文化が、殆んど生れなかつたことが、端的にそれを示す。佐竹氏にはすぐれた文化を、秋田の地に育てる意志が無かつたのかも知れぬ。敬語のない秋田の方言も、その事を示す例であらうか。どこの縣にも必ずいくつかはある國寶建造物も、秋田縣には一つもない(工藝に「線刻千手觀音等鏡像」一面のみ)。要するに佐竹氏の秋田に於る施政は、敢へて言ふなら、全くやけくそ的投げやりであつたやうに思ふ。然るに維新後、佐竹の殿樣は、東北地方の藩主達の中で、ただひとり侯爵になつた。藩主が全く認めようとも理解しようともしなかつた平田篤胤大人の若い門人達が、決死以て藩論をひきずり、拔き差しならぬ状態に追ひ込んだ爲に、やむなく官軍につかざるを得なかつたお蔭である。居城久保田城一帶は、佐竹侯の私有地になつた。その佐竹氏は秋田を去り、東京に居を構へて、今も秋田市の中心部千秋公園一帶の廣大な土地の地主として、縣・市・市民から莫大な土地代金を取り立ててゐる。數年前、佐竹氏は、千秋公園内に鎭座する彌高神社に對し、『今までは無料で土地を貸してゐたが、諸物價高騰の折柄、今後、神社敷地の地代を拂へ』と申し入れたらしい。宮司は、『佐竹氏の今あるは、ただひとへに平田篤胤大人のお蔭であることを忘れたか』と、一喝して退けた」(秋田大學助教授・佐々木奎文氏「平田篤胤大人のことども」昭和五十七年七月『現代國學』第四號からの摘要)と云ひますが、南部盛岡藩の傳統・氣質は、如何でありませうか。○○○○樣の薀蓄を以て、全く急ぎませんので、一つ、ご教授いたゞけませんでせうか。突然にて厚かましき次第、宜しく御願ひ申し上げます。
 

  • [72]
  • 七十一。死んで還れと励まされる。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月 5日(火)19時43分41秒
  • 編集済
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■平成十九年七月十二日

死んで還れと励まされる。
 突然であるが、熱にうなされた頭の中で、一つの軍歌が、何度も何度も、頭の中を回転している。午睡から覚めた目を、天井にぼんやり向ける。夢の中で聞こえたのか、現実の世界で聞こえたのか、判然としない。ゆっくりと半身を起こしてもらい、窓外を見る。雨にうたれる森が見える。少し、書こうと思った。備中さんがいい話を、ずーと書いてくれている。山川弘至氏の遺作を紹介し続けている。関係者には嬉しいことだろうと思う。山川弘至氏の名前が、これほどチャンネル桜の掲示板に現われ、全国の人々の閲覧で知ってもらえれば、山川氏の志操が、多くの人に伝播する。小生も嬉しい。気がつけば、このスレッドの閲覧数は二万を超えている。ただ、この数が述べ二万人に読まれたということなのか、二万回アクセスがあったということなのか、そこらへんは専門家でないので、数字の意味がわからないが、それでも他のスレッドでの数字と比較すると、数は多い。最も靖國神社をはじめ、右翼・サヨク・公安・警察関係者も、常にチエックしているだろうから、実際の閲覧者数は、数字より少ないのかも知れぬ。ただ、このスレッドでないと知り得ない情報が多々あるので、関心は高いようだ。今日は、本当は、前回約束した、明治二年の招魂式から靖國神社の祭祀根本を話すことになっていたが、まだ体力がついていかない。書ける状態にない。少し、他の話に切替えます。

 ‥‥頭の中で聞こえていた軍歌は‥‥、「露営の歌」だった。あの「勝って来るぞと勇ましく‥‥」という歌いだしの軍歌。支那事変を歌った最初の軍歌ではなかったかな。北原白秋が絶賛したという歌詞である。街宣車が、この軍歌を流して走って来ると、立ち止まって聞く。この歌ではなくても、軍歌を流す街宣車が来れば、自然と足が立ち止まる。春先に靖國神社の参道で「同期の桜を歌う集い」があるが、以前は、二十代の若者が飛び込みでマイクの前に立つと、元軍人たちに有無をいわさずひきずり降ろされていたが、最近はどうなのだろうか。
「露営の歌」
弾丸もタンクも銃剣も
暫し露営の草枕
夢に出て来た父上に
死んで還れと励まされ
さめて睨むは敵の空
 一番、二番より三番、四番、五番が、この歌の真骨頂だ。夢に出てきた父親に、死んで還れと励まされ、覚めて睨むは敵の空――、というのが、一番のカンドコロだ。敵愾心。これのない歌は、ざれ歌だ。なよなよした「同期の桜」は、好きではない。戦後生まれは、同期の桜みたいな、お涙頂戴が好きだから困る。今も遊就館ノートには、下は中学・高校生から、上は四十代、・五十代くらいまで、拝観者の感想が書かれているが、何かといえば、「愛する国のために戦地に散った方々」とか、「愛する家族、愛する人たちのために命を賭けた‥‥」とか、ノートの至る所に愛する○○、愛する××と、愛愛愛愛が、あふれ返っている。昔の旧遊就館ノートには、こんな書き込みはなかったように記憶する。小泉総理の参拝以降、集まってきた人たちだ。どうしてこんなに愛愛愛愛を書くのだろうか。戦争は愛ではないぞ。小生に言わせれば、参拝者の教化はぜろだ。今年、小泉ブームは去った。あれほど遊就館に詰め掛けた観客は、パッタリ途絶えた。日曜・祭日はまあまあであるようだが、平日の拝観者は激減だ。

 社報の七月号を読めば、崇敬奉賛会会員数も減少である。無理もない。知覧の特攻会館と、違いがほとんど感じられない遊就館。参拝者に、英霊が祭神という意識は、ほとんど反映されていない。あくまでも「人」である。だから「つらかったでしょう」、「悲しかったでしょう」という感想文が溢れる。飛行機事故の慰霊のような感じなのか? 参拝者の心が勝手なままで、神社を後にしている。このような参拝者しか育てられなかった責任は、湯澤宮司時代以下、現在までの執行部の責任であろう。

 センチメンタルな男ばかりが、靖國神社に寄ってきて、涙を流している。情けなくなる。靖國神社の英霊は、祭神は、こんな参拝者をみて、どう思っているのだろうか。誰が自分の為に泣いてくれと頼んだか。泣くのだったら外で泣け、英霊之無念をお前達で晴らせ! そう言っているのでは‥‥。「露営の歌」の四番・五番。これを歴史記述を外して、館内に掲示しておいたほうがよい。
四、
思へば今日の戦闘
朱に染まつてにっこりと
笑つて死んだ戦友が
天皇陛下萬歳と
のこした聲が忘らりよか
五、
戦争(いくさ)する身はかねてから
捨てる覚悟でゐるものを
鳴いてくれるな草の虫
東洋平和のためならば
なんの命が惜しからう

 ところで、備中處士さんが、山川氏の作品を紹介している。『八汐路の奧處も知らず』 その中で、わからない一節があるようだ。

思へども 思ひ見がたき
はるかなる みなみのうみに
八汐路の奧處も知らず
今し我が 伴の隼雄は
空征かば 火の穗の屍
海征かば 水漬く屍と
ひたきほひ 擧り勇みて
かの青波の上に 戰ひをらむ


 『山川弘至少尉『八汐路の奧處も知らず』に、「空征かば、火の穗の屍。海征かば、水漬く屍。山征かば、草むす屍。大君の邊にこそ死なめ」と。就中「空征かば、火の穗の屍」とは、小生の無學なる、初めて之に氣づきました。成る程‥‥。猶ほ此の一句、初めて歌ひ出したるは、誰ぞや。博雅の士の教を乞ひたいものです‥‥』と、書いている。普通は、海行かば水漬く屍、山行かば草むす屍‥‥であるが、山川氏は「空征かば、火の穂の屍」と書いている。この「空征かば、火の穂の屍」と書いた山川氏の詩想に、備中さんは驚くと共に、「誰が最初にこれを言い出したのか」を聞いてきている。博雅の士がいれば、教えて欲しいという。別に自分が博雅の士ではないが、これに答えられる人がいそうもないので、一兵士が答えましょう。

 備中さん、あなたみたいな人が、「空征かば、火の穗の屍」という一句を、これまでに他所文献なりで見たことがなければ、誰も使ったことのない言葉で、多分、山川氏が最初に遣われた言葉だと思います。即ち、山川氏の造語だと思います。あなたが先に紹介した山川弘至少尉『紀元二千六百一年十二月八日』の作中に、一つのヒントがあります。
その夜 私は暗い上野驛の構内に一枚の新聞を求め
遠くハワイに はたマレイ半島に
既に全世界を震撼する我伴の隼雄の戰果を讀んだ
身を一團の火焰となしてかの碧空を天驅りつゝ

と、あるように、大東亜戦争の緒戦を飾ったのは航空部隊。皇軍進発に、海行かば、山行かばに、空行かばが加わったのです。遠く八汐路の彼方に敵を求めて翼を駈し、天鳥の如く敵影挑みかかるわが航空部隊の翼が敵弾を受け、火炎の如く、雷の如く、身を一團の火焰となして、燃えさかる英霊と化し、天空を駆け上がっていく古今無双、勇壮雄渾限りなき英霊之姿を、山川氏は崇敬し、碧空にあるべき英霊の姿として表象した言葉だと思います。戦前、航空部隊が次第に戦いの中枢に入っていくに従い、「雲染む屍」という言葉が使われるようになったのはご存知でしょう。碧空に、大空に翼を並べて雄飛する飛行軍団。だが、敵弾を受け、真っ赤に燃え上がる愛機は、炎を穂のように引きながら、のた打ち回りながら、墜落していく――。だが、それは負けた姿ではなく、全身、愛機と共に火焔の如く火を噴き、炎に包まれて英霊と化し、天駆ける姿となる――。戦いに敗れた搭乗員の血潮が、碧空の大空の雲を赤く染める――、という、雄渾の美称から生まれたのが、「雲染む屍」。

「電撃隊出動の歌」
雲染む屍つぎつぎて撃ちてし止まん
幾潮路決死の翼征くところ
雄叫び高し雷撃隊

「戦闘機隊の歌」
醜の御楯と空征かば
雲染む屍若桜
見よ大君の御為に
死して闘う戦闘機
嗚呼壮なり戦闘機

 平成十五年・靖國神社社頭掲示でも、神風特別攻撃隊銀河隊海軍少尉伊藤勲命の遺書が紹介された。
「身はたとへ嵐の叫ぶ南海に雲染む屍とちりぬとも咲く勲の香り止めて」
海行かば水漬く屍、山行けば草むす屍、空行かば雲染む屍‥‥。海に陸に空に、皇軍将兵の戦いは、大君の御為に死するを名誉として、縦横に戦ったのである。「愛する国、愛する家族ではない」。靖國神社参拝者には、アメリカが何と言おうと、中国がなんといおうと、真実を伝えることが、靖國神社を負託されている現在執行部の責務である。まったく果たしていない。遊就館を拝観した者は、館内に書かれてある歴史記述は、サヨクの教科書から抜粋してきた史観を、岡崎久彦を中心とする捏造グループが、きわめて個人的な政治的な意図の下に書かれたもので、本当の歴史とは違うものだから、これは一切無視して読まないことである。展示されている本物の史資料や遺書を読み、泣かずに出てきなさい。泣かずに、英霊が後に託した勲を胸に抱いて、きりっとした面差しで本殿に向かい、一礼をして神社を帰って行って欲しい。

 話を元に戻すが、つまり、「雲染む屍」という言葉はあったが、山川氏がいう「空征かば、火の穂の屍」という言葉はなかった。火の穂は「ほのほ」と読む。即ち「炎」のことだ。山川氏は、「雲染む屍」の本当の姿――、それは戦斗者が炎に包まれながら、護国の英霊と化すその瞬間を鋭く描いている。炎と燃える英霊之姿を捉えたのは、山川弘至氏が最初であろう。炎となって天空を天駆ける英霊之姿を、戦前浪漫派の駿才山川弘至氏は、「火の穂の屍」と美称した。これは、山川氏が、万葉の「海ゆかば山ゆかば」の詩の意味を超越したとも言える、見事な着想と褒め称える人もいる。

 来年の宮中歌開始の御題は「火」。備中さんが指摘したのは「火の穂の屍」。これは、何かあるぞ。ずーと以前、書いたと思うが、靖國神社が「火」に包まれるほどの出来事が発生する暗示か。今上陛下が宣された「火」の御題。どうなるか。もう少し、書きたいことがあるが、少し休みたい。休んだ後に苦言を呈す。みたま祭は、英霊祭祀の祭り。ビラを、この日は撒いてはいかん。大鳥居の景観を汚す。祭祀を汚す。何度言っても、わからん奴にはわからんのだが、それでも言うしかない。境内の桜木を、神社執行部は、また切った! 神門にも傷がつけられた。衛視は何をしているか! 秘密裏に処理するな! この隠蔽体質が、岡崎問題、遊就館歴史記述メンバーの未公開にも通じている。また、熱い夏がくるかな‥‥。一兵士も、最後のご奉公のつもりで、次に書くか――。


【參考・露營の歌二曲】
  ↓↓↓↓↓



■平成十九年七月十三日

びら配りは中止してください。
 気になっていることがあるので、少し書きます。靖國神社境内では、どのような思想・信条に基くものであっても、寄付行為・びら・チラシ類の配布は厳禁となっている。靖國神社の参拝者をあてこんだビラ配りは違法である。靖國神社に対して、参拝者に対して、礼を逸した行為であることを理解して欲しい。大鳥居近辺の公道で、南京映画支援のビラ配りをするグループの人たちだ。この掲示板にスレッドを立てている。春先の闊歩の参拝でも話したはずだが、まだ承知していないようなので、苦言を呈する。参拝者が喜んでビラを受け取ってくれる、励ましてくれる‥‥、ではなく、そういう恣意的な話ではないのです。靖國神社という英霊祭祀の神域で、ビラ配りをするものではない。何故、してはいけないか、説明する必要もあるまい。やってはだめだから、靖國神社は禁止事項としている。以前の闊歩の参拝騒動の際にも話した。チャンネル桜代表の水島総さんが作りたいという、南京映画を支援することはいい。支援の仕方がだめなんだ。「自分達は、境内でビラ配りをしているのではない」というのだろうが、その意識が問題なのだ。サヨクの連中も、抗議は境内ではやらない。境内外の公道に居座る。そこで、境内に向かい、参拝者に向かい、叫ぶのだ。立ち位置は、南京ビラ配りの人たちと同じだ。英霊の鎮まる靖國神社。その入口となる大鳥居周辺の公道でビラ配りをすることは、その静謐を、景観を汚す。靖國神社だからではない。どこの神社・社頭でも同様です。

 彼らのスレッドを除いたら、ビラを配布する日の天候ばかりを気にしている。今、台風四号が沖縄を襲っている。雨の行方を自分達の配布日・配布時間が晴れていれさえすれば最高――、という、この愚かぶりに腹がたった。また、喧騒がはじまるのかも知れないが、辛いが、叱責するしかない。多分、支援グループの誰かが読むだろうから、そのつもりで書きましょう。あなたがたと水島さんがどのような関係にあるのか知らないが、こういうことを続けていると(靖國神社社頭周辺でのビラ配り)、水島さんにも迷惑がかかる。いわば、親衛隊とみなされる支援グループが規則を守らない、カッテし放題に、ビラ配り・寄付金支援のビラを、靖國神社大鳥居近辺で配布しているということが、水島さんの映画作りにいいことばかりでなく、悪い話もついてしまう。靖國神社参拝者をあてこむ気持ちはわかるが、これまで誰もやってこなかった違法を、水島さんの南京映画支援グループは、大鳥居付近でやったという汚点は残すべきでない。これまで、遺骨収集の支援を参拝者から受けたいと申し出た学生有志や災害支援の募金活動者も、神社から説明を受けて、断念している。周辺で一切活動を行っていない。それを「自分たちは境内ではなく、公道だから許可を受ける必要はない」と、思って活動しているのであれば、それは恥ずべきことだと考えてください。本気で南京映画の支援をしたいのであれば、サヨクまがいのゲリラ的戦術でなく、もっとまっとうな方法を考えたらどうか。

 靖國神社の社報は、全国の崇敬奉賛会会員七万五千人に配布されている。その社報に支援内容を掲載させていただくよう、真摯な想いを語り、神社に働きかけるとか、あるいは参集殿に支援パンフレットを置かせてもらえるように、代表者が行って話すとか、最初にやるべき正道があるでしょう。水島さんを同道してもいい。靖國神社が、なんと返答するかそれはわかりませんが、明々白々、胸中をぶつけてみる――。それはしていないでしょう? そのようなアクションがあったということは、自分は耳にしていない。靖國神社に無断で、公道だからと、参拝に向かう人たちにビラを配るなど――、その光景が、いかに見苦しいか、いかに靖國神社の大鳥居近辺の景観を汚しているか、第三者の目から、冷静に見て御覧なさい。殊に、みたま祭、八月十五日に、日を選んで配布するなど、掲示板に堂々書きこむなどは、その意識には、まったく靖國神社への尊厳、尊崇をわきまえぬ輩と思われても仕方のない所業。確かにこの日は、大勢の人が集まる。遊びのために集まるのではありません。その大勢の参拝者を、「単なる自分達のビラを受け取る大群衆」と見なしてはしゃぐのは、度を越えていると思ってください。

 そういうグループの支援を、水島さんは、また、受けるべきではない。水島監督には辛辣に言うが、こういう人たちの支援グループに、何も注意を与えない水島さんが、今度は批難されるかも知れない。それは望むところではあるまい。支援グループの皆さん。仲間と話し合って、ゲリラ的な活動ではなく、正道な支援方法を考えてください。あなたがたのためでもあり、南京映画のためでもあり、水島さんのためでもある。それと、これは‥‥あまり口にしたくはないが、みたま祭にはいろいろな人間が集まる。殊に外苑は遊侠の徒が集まる。花見の時とは違う。期間中は、実質テキヤが島を仕切る。酒も入っている。ビラ配りを気にいらない連中が絡んでくるかも知れない。絡んでくれば、テキヤが仲に入る。そうすると、後がややこしくなる。トラブルを起こすことは、不本意でしょう。また、八月十五日は、街宣右翼が集合する。サヨクも集合する。おそらくビラ配りは、警察から排除される。グループから怪我人が出るかも知れない。そうなったら、「南京映画」が汚れますよ。神社は、今のところ、何も言っていない。みて見ぬふりをしている。騒ぎをおこしたくないからだ。そういう神社のことも考えなさい。水島さんの評判を、あなたがたが落とすようなことをしてはいけない。言いにくいことだが、水島さんを男にしたいんだったら、取巻きがしっかりと規律を遵守し、逸脱しないことだ。どんな場合でも、この世では取巻き一つで決まってしまう。こういうことを言われた支援者グループ側にも、言いたいことはあるだろうが、小生の言わんとするところを熟考してください。正すことは早い方がいい。


――備中處士――提燈に隱れたる大手水舍。
 昨日十二日夕刻、靖國神社を參拜。「元宮」・「鎮霊社」および「招魂齋庭」を確認拜覽。元宮・鎮霊社は午後四時半に閉まるも、本日は未だ拜覽可能の由、衞士の方の談。遊就館の閉館まで一時間弱の由、急いで拜觀させて戴いた。一兵士翁の曰く、
遊就館を拜觀した者は、館内に書かれてある歴史記述は、サヨクの教科書から拔粹してきた史觀を、岡崎久彦を中心とする捏造グループが、きはめて個人的な政治的な意圖の下に書かれたもので、本當の歴史とは違ふものだから、これは一切無視して讀まないことである。展示されてゐる本物の史資料や遺書を讀み、泣かずに出てきなさい。泣かずに、英靈が後に託した勳を胸に抱いて、きりつとした面差しで、本殿に向かひ一禮をして、神社を歸つて行つて欲しい」と。
 丁度お書きの時刻、翁の念力が利いたのか、幸か不幸か、正に此の状態にならざるを得ませんでした。御羽車を拜し奉り、翁の埀示を想ひ起す。神々の室にて、山川弘至少尉を探索するも、拜し得ざるは遺憾なり。明日十三日――本十三日の正式參拜を期し、一禮して神社を辭した。九段坂を下れば、ポツリポツリと雨模樣、押して懷しき神田神保町にて古書を渉猟。疲れ切つて一泊。
 本日は、午前五時から地下鐵が動く由、朝靄の中、「明治神宮」參拜。神職に「平田神社」の場所を御聞きしたが、神社そのものを知らざる由。些か呆れて、事前調査もしてゐない田舍者なれば、四苦八苦、人に聞き歩き、代々木驛より徒歩數分の所を小一時間もかけて、漸く辿りつく。然し未だ七時にて、留守居の社人あるのみ。正式參拜は九時からの由、幸に宮司樣に連絡して戴き、岡山縣よりの參拜とて、無理を聞いて下さいました。神靈眞柱大人平田篤胤先生を拜し、念願を果たす。平田家は備中松山藩の出、宮司樣も懷かしがつて戴けました。次に「乃木神社」參拜、時あたかも社人による國旗掲揚の刻、之を拜す。九時、靖國神社「みたままつり」前夜祭の日に、昇殿參拜を果たさせて戴きました。重疊至極。偕行文庫にて、『靖國神社忠魂史』と『靖國神社百年史』を拜見。百年史は非賣、關係者に配つたのみ、道理で何處にも無い筈。松平宮司の時代であるが、松平大人の序・跋は無い。些か不審なり。少し氣になつたのが、大手水舍が、提燈に殆んど隱れてしまつてゐる。多くの御方が、鳥居・神門にて一禮もしないし、手水も使はない。神門奧の鳥居前にても、煙草をくゆらす初老の御方がをられる‥‥。洵に殘念でありました。宮城を遙拜し、別件の所用を濟ませ、只今ま歸着いたしました。
 神社參拜にて拜戴した神酒と古書等の爲に、手はちぎれさうで、足には豆が出來、些か疲れましたが、有意義な旅でありました。田舍者ですので、神札や撤饌をロツカーに入れる智慧も無く(昨今は人の骨肉も入つてをる由、とても利用なぞ出來ませぬ)、方々歩きづめの二日間でありました。土産は「とらやの羊羹」、勤務先たつての依頼、無視も出來ませぬ。然し價を聞いて驚愕、最後の力をふりしぼりましたる次第。一本は、これから家族七人と共に戴きませう。
 一兵士翁、「火の穗の屍」に關する御埀示、難有うございました。然し‥‥ご無理は嚴禁です。何卒、ご靜養ご專一に、只管ら懇願申し上げます。あ‥‥、翁の嚴しき御書込みがありました。洵に失禮申し上げました。
 

  • [71]
  • 七十。靖國神社合祀祭は、近代の古事記撰録。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月 5日(火)19時38分23秒
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■平成十九年六月二十四日

――備中處士――保田與重郎翁の誄辭。
●備中處士『山川弘至陸軍少尉の復活』正・續・續々・再續・三續
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――備中處士――現地慰靈の靈理。
●身余堂主人保田與重郎翁『(田村榮氏「英靈」の)序』(昭和五十一年八月・田村芳江氏版)に曰く、「
 この本の著者、田村榮氏は、本文の冒頭に、「私はどうしても書き殘しておきたいと思ひ」と誌してゐる。この一句に、この本の意味のすべてがふくまれてゐるやうである。私は田村氏を知るまへに、本書に出てゐる岡本太次郎氏を知つた。岡本氏は大津市坂本に住む。日吉神社の氏子で、祭禮の世話方などもしてきた。代々の瓦屋で、大津や坂本の寺に出入りし、義仲寺との因縁で私と知り、親しい。氣性のさはやかに激しい人がらである。
 この二人は戰友にて、ともに戰地慰靈と遺骨收容に屡々赴き、その話を數々を承つた。その談話から、多くの人々が、囘を重ねて慰靈の旅に立つ、その心持や由縁を、私の氣持の納得することが出來た。田村氏が本書の中で、靈的といふ言葉で、また靈の世界と語つてをられるところに通ふものだらうか。世の尋常のものではない、數々の不可思議な經驗や雰圍氣が、多くの人々に、度重なる困苦の旅を、さらに新に誘ふ事情を、私はおぼろげに悟つたことである。
 「レイテ島の收骨慰靈に行くたびに、死んだ人の靈を信じるやうになつたのです」と、田村氏は云つてゐる。慰靈收骨に赴いた多數の人々は、それぞれに、語らまほしく、しかも語るまじと思ふやうな思ひを、祕めてゐるのでなからうか、と私は想像する。その心の中で、風景は、噴火口の深淵のやうであらうか、未生の泥海のやうであらうか。
 二人から直接に聞く經驗談の氣分は、まことに生々しくて、いのちの混沌の状態の如くに思はれたりする。すべて紊りな解釋を許さないものであつた。田村氏は、自身の戰傷について、本書の中で語つてゐる。人がらは温雅な外貌にかゝはらず、精神のたしかにつよい人と、私は思つた。戰後は和歌山縣の學校の社會科の先生を久しくし、停年の少し前に職を辭した。俳句を作り、その二册の句集を、私はよんだ。田村夫人は、戰時中、軍病院にて傷病兵の看護に奉仕されてゐたときいた。
 本書に誌された岡本氏の雨中の奇異については、本人から直接きいた。何度も頬をつねつてみた、手をかざして、たしかに雨をたしかめたと云つた。話の骨子は本文に誌された通りだが、その不思議にあつた時の本人の話は、細部詳實、一生懸命だつた。歸國の後、坂本の某寺の、方方功徳の譽高い上人に、その奇異な現象と經驗の説明を乞うた。上人は、自分もただ一度、さういふ經驗があると云つて、岡本氏の不思議な經驗も、たしかにこの世に起ることだと云はれた。しかし、かりそめに人に語るべきではない、さういふ經驗のない人には信じ難いことゆゑ、聞いた人は、あなたの健康を危み、あなたを不安の眼で見るだらう、と上人は申されたさうである。
 私は以前から、兩人の慰靈收骨の旅の話を聞き、そのつど深い感動をうけた。その數々の不思議の經驗が、何と説明すべきかは知らないが、あつたことの事實について、私は疑はず迷はず、感銘した。それはまた私を冥想にみちびくのであつた」と。

 愚案、小生の未熟なる神道理論にて理解する所は、――靖國神社にて勅祭された以上、皇國護持の祭「神」として、活發發地の御働きをされてをられます。人は一靈(別天神の分魂)と魂魄とからなる。彼の一靈は、人が歸幽すれば、大靈に復する。其の魂靈(公心・神性)は、固より清淨に坐します。然し戰死の情況・個人の想ひにより、其の魄靈(私心・行動力)の一部は、現地にも殘存してゐると拜します。是れ現地に於る慰靈祭禮の必要なる所以であります(翁の埀示の通り、然るべき神職による「至誠の懇祷」が必須でありませう)。此の魄靈の汚れた部分、即ち魄體・罪穢れは土に歸り、其の淨化された純魄は、現地に於る慰靈の有無にかゝはらず、其の遲速の差異こそあれ、いづれ靖國神社の神靈として一體になると考へてをります。即ち魂靈と純魄とは、再び一靈と結ばれ、八百萬神として、修理固成・生成化育の神業に精勵され給ふと恐察いたします。或る古神道家の受賣りです。講釋師の眞似事をしてみました。お嗤ひ下さい。

●溝口似郎(晉)陸軍少佐による慰靈の實例。
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http://www.nippon-bunmei.jp/tsurezure-5.htm


■平成十九年六月二十八日

――備中處士――わが大君に仕へ奉る道に、己が本然の心を燃燒せしめよ。
●昭和天皇御製
峰つゝきおほふむら雲ふく風の はやくはらへとたゝいのるなり

●保田與重郎翁『校註・祝詞』(昭和十九年三月・私家版)の「凡例(刊行趣旨)」に曰く、「
 陣中の諸子が、本書所載祝詞(延喜式卷第八および台記別記中臣壽詞)を日夜拜誦し、わが皇神の道を奉じ、神の畏しさを知つて、皇御軍に仕へ奉らんことが、けだしわが念願である。‥‥皇御軍の道は、眞にたゞ神の道にして、神代より萬古一貫の道こそ、萬づものの根本である。‥‥卷頭に謹載し奉つた、今上陛下の御製を深く祈念し奉り、畏き大御心に即し奉ることが、今日の臣草のたゞ一途である。‥‥
 本書を戰友諸子に贈るのは、一箇の思想を強ひるためではない。たゞ我らが道に於て、同じく皇御軍に仕へ奉るとの一念のなすところである。されば諸君が、ひそかに深く謹み畏んで、いのちの本然のものを思ひ凝らすならば、必ず我らの一念と相結ぶであらう。これは我らが一黨派の思想を強ひるのでなく、相共に歸一し奉る一點にたどりつくの意味である。この一點の大本、己が心魂に確立するとき、我らの心は神意によつて生き、現實に於て、わが大君に仕奉る道の確然たるに到る。即ち私は諸君に、神道の一思想を強ひるのではないのである。
 生死觀・世界觀・政治論・情勢論などを以て、諸君の現實を規定する思想を強制するのではない。時々刻々に、わが大君に仕奉る道に、己が本然の心を燃燒せしめよと、この祈願を諸君に貫くためには、所謂思想を與へるといふことのよくするところではない。云はゞそれをなすものは、文學のみである。
 さればかゝる日に、生きよとも死ねとも云ふのではない。わが大君に仕へ奉る道に、その日その日を輝かしく燃えしめるやうに、おのづからに心を高め清め、己がいのちを激しく昂らしめたいのが、我等の願ひである。燃えねばならぬ日であると説くことさへ、わが趣旨とするところでない。燃えてゐるわが心の火を、我も分ち、君も分つやうな、大なる日を作ることが、わが文學の皇御軍に仕へ奉る道である。
 こゝに於て、國土平定當時の神話に、國つ神が、その靈の分靈を各地に鎭めて、わが大君、皇御孫命の御守護に仕へ奉りし大なるさまを、しきりに思ひ起すのである。されば諸君が、戰場に於ける日夜に、まこと皇御軍に仕へ奉つた瞬間を思ひ起し、心清らかに魂の本然にかへるなら、銃火を離れた母國に於て、しづかにかすかな朝夕の煙を立てつゝ、念ずべき大なるものを信じて生きてゐる、日の本の民のくらしに、必ず心から泣くであらう。大御命のまにゝゝ仕へ奉つて、この度の人爲の大世界戰の荒廢を救ひ、來るべき文化の母胎となるものは、かゝる神を信じて生きてゐる民の中にあることを信ずるがよい。すべての世界の知識階級が、信ずべからざる思想と情勢論を信じて、現實の動亂を納める政治を考へてゐる中で、皇御軍の根柢が、かの草深い山陰に炊の煙をあげてゐる、しづかな民草にある事實は、驚嘆すべきことである。彼らは今も八百萬の神々を信じてゐる。しかも信ずるとさへ言擧げせず、その神々の天惠に、萬古不動の信頼を持してゐるのである。‥‥
 わが神の道は、かくて今日の競爭場裡の一思想ではない。されば我らは言擧せずに、時々刻々に皇御軍に仕へ奉るのみである。これは戰の庭に立つも立たぬも變りない民草の道である。我々は戰爭の言擧に奔走してはならぬのである。さうしたことは、崩壞する國の文化人の、その日暮しの暮し方である。我らの道は、萬古の道である。我らの歴史は、わが君に仕へ奉つた祖々の、代々の語りつぎに他ならぬのである。‥‥
 こゝに、神の道に愼しむといふことは、今日の思想といはれる思想ではないのである。されば我々は、一つの思想を信ずる例の如くに、わが神の道を思想として形相化し、これを信じよと、人に向つて強制してゐるのではない。それはわが旨とする國學の態度でないのである。
神祭るわが日の本のてぶりには神のみ國のあかしありけり」と。


■平成十九年六月二十九日

靖國神社合祀祭は、近代の古事記撰録。
 いやはや‥‥、備中處士さんには驚いた。前回、自分が、戦前浪漫派の若き獅子山川弘至氏の話に少し触れただけで、即座に備中さんは反応して、ズラーと山川氏の紹介をされてきた。ふつー正直申し上げて、今日、山川弘至氏の名を知っている方は、そうそうはいない‥‥。というよりか、いないに近い。戦前の文壇に、そうとう詳しくないと知らない。それをいとも簡単に、『保田與重郎全集』に弔辞が掲載されているのを知っていて、それを引用してくるとは。知人が言うには、山川さんの略歴紹介の項目は、多分、非売品の限定「書簡集」からの引用ではないかと驚いていた。「大変な人だよ、この備中處士という人は。なんでも知っている」と、わざわざ、知らせてきた。本当だ。小生は、山川弘至氏の略歴紹介では、『国風の守護』の奥付に書いてあった略歴を参考に、「召集令を受けて急遽結婚――」と書いただけだが、備中さんは未亡人の京子夫人のことも知っているのかも。備中さんの前回の紹介で、山川弘至陸軍少尉『日本創世敘事詩――長詩・新訳古事記』の「序文」(昭和二十年一月十一日の陣中作・平成四年・桃の会主宰山川京子氏復刻)というのがありましたが、山川氏の奥様である山川京子氏‥‥。というより、山川京子先生は、現在も御健勝で、歌の道で多くの方々を教えておいでです。昨年には郷土の岐阜県郡上市に、山川弘至記念館が完成したようだ。日本の精神史を語る上で、今後、更に名前が出てくるのではないか。三島由紀夫氏よりも先に、日本浪漫派の根底に国体・神道・祭祀を据えて、日本という国を見つめた国学者詩人という評価が、今後、一層高まりそうだ。今後、山川氏の著作が広まり、その志操が大きくクローズアップされることを望む人たちも多い。先日、亡くなられた名越二荒之助先生も、山川ご夫妻を誉めそやしていたと思ったが‥‥。そういえば、名越先生の偲ぶ会が、大東塾と草開省三先生の手で、七月下旬には開かれるようで結構なことです‥‥。しかし、まあ、本当に、備中さんという人は、何でも知っている。恐れ入りました。

 今日は‥‥、戦後、靖國神社が占領軍の施策と、独立後も平和憲法に沿い「慰霊」が中心となり、「戦歿者追悼」の中心の場となってしまい、本来の靖國神社の正統の姿が失われてしまった。そのことを指摘し、ほとんど何も知らぬ今日の参拝者に、また勉学薄く、松平宮司・大野宮司の事跡、志操を伝え聞いていない現在の宮司以下、靖國神社神職に、その「根幹・正統」を教え、指導するつもりで書き始めたこのスレッドであった。そして、今日は、靖國神社第一回の合祀祭‥‥、明治二年の東京招魂社に於ける話から、靖國神社の大根幹・大基本である合祀の話を、トコトン話そうと思った。だが、以前にもまして、根気が弱くなって、思考すると疲労が増してくる。体力が薄くなっている。大変、書くことが負担を感じるようになった。それで、今日は書くことを諦めて、備中處士さんがどれだけ大変な人か、褒め称えることで終わりとしたい。次回、何時書き込めるかはわからない。体調を見ながら書きます。

 主題は、「靖國神社は、戦歿者の追悼」の場ではないということ。それは、前回、書いたように、靖國神社祭神は、「人がただ神になった」わけではなく、皇祖皇宗の八百万の神々に、「新たなる神名」を加えていく――。即ち「帝国の神祇」に、新たなる神名を確定する。そういう場所だという理解を深めさせたい。認識させる必要がある。いわば、古事記・日本書紀により、帝国の神祇が確定したように、近代の記紀に等しいのが、靖國神社祭祀――合祀を記録する――近代の古事記撰録とも言えるのです。この認識を教え込みたい。帝国の神祇に対し、「追悼」という祭儀はなく、参拝仕儀もない。「英霊に感謝を」、「平和を大事にしたい」など、なよなよした靖國神社参拝風情を、木っ端微塵にすることが、回帰への入口だろう。戦前への回帰は、まず、靖國神社における正統な理解と参拝を浸透させること。奉仕者である現靖國神社神職への建言でもある。「いにしえに帰れ」である。繰り返し、次回から述べたい。書き落としたことも書いていきたい。それでは、あとは、また、備中さんに頼みます。あまり急がず、ゆったりと。失礼した。いいわけがましい話で、わざわざ閲覧した方に申しわけがない。今日は、備中處士さんが「大変な人」だと思ってくだされば結構です。

――備中處士――山川弘至少尉遺文。
 その懷しき御聲は‥‥、那須の兄イではありませぬか‥‥。氣候不順の折柄、お互ひ氣張りませう。
 一兵士翁、それは困り申した。褒め過ぎであります。小生は、さういふ者ではありません。翁の偶々の山川氏ご紹介もあり、翁と同じ書を讀みしが嬉しくて‥‥。國學者たる藤田徳太郎氏・蓮田善明氏と共に、山川氏を敬慕してをります。『國風の守護』が復刻されたのが、何より痛快事。其の御令室たる京子刀自は、夙に憂國忌の發起人として知る所、最近では「日本の文化人宣言」(此の巴里宣言は、平成十九年六月十二日、AFPより、其の契約先の佛蘭西の全主要メデイア二百數社および二千程の諸組織宛に發信されし由)にも、御名を發見させて戴き、御活躍を嬉しく拜しをりました。小生は、翁のご發言の注釋補助が叶ふなら、それに過ぐる喜びはありませぬ。御身お大事に、引き續き御埀示・御示唆ください。


■平成十九年七月五日

――備中處士――額には箭を立つとも。のどには死なじ。
 山川弘至少尉『八汐路の奧處も知らず』に、「空征かば、火の穗の屍。海征かば、水漬く屍。山征かば、草むす屍。大君の邊にこそ死なめ」と。就中「空征かば、火の穗の屍」とは、小生の無學なる、初めて之に氣づきました。成る程‥‥。猶ほ此の一句、初めて歌ひ出したるは、誰ぞや。博雅の士の教を乞ひたいものです。

●蓮田善明陸軍中尉『花のひもとき――古文學の栞――』(昭和十九年十月・河出書房刊)
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■平成十九年七月十日

――備中處士――日本の悲劇と理想。
 一兵士翁のスレツドを汚してはならじと、引用には愼重これ力めてをりますが、日本の悲劇は、事の至重至大なる、現代の保守家では輕きに失するが故に、やはり、寒林平泉澄博士の高論を紹介せざるを得ません。極く一部ですが、謹んで拜記させて戴きます。
●平泉澄博士『日本の悲劇と理想』(昭和五十二年三月・原書房刊。平成六年十一月・錦正社復刊)
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  • [70]
  • 六十九。厳なる戦いの勇者を祀る。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月 4日(月)18時47分50秒
  • 返信
 
■平成十九年六月二十二日

厳なる戦いの勇者を祀る。
 東京は梅雨入りした筈だが、連日、暑い日が続いていたが、やっと雨が降り出した。沖縄では早くも梅雨明けを迎え、東北はやっと入梅という。おかしな気候だ。地球が変化しているのを感じる。自分の身体も年々、暑さに弱いものとなっていくのがわかる。午前中は、身体がだるく、書く気が起こらない。午後は暑すぎて、パソコンの前に座る気にならなかったが、雨で少し涼しくなったので、書く気を起こす。備中處士さんの紹介する話が、だんだん難しい話になってきた。漢和辞典を傍におかないと、読めない文字が出て来る。単語そのものを理解するのに、漢和辞典は必要だ。若い人には途中で解読不能に陥り、放棄してしまうだろうと思うような話が、とみに増している。実は、学問はわからなくてもいい。ともかく文字を追っていくことだ。その内、読めるようになってくる。意味が通じるようになってくる。

 備中處士さんの紹介してくれた、浅野晃氏の「天と海――英霊に捧げる七十二章」からの抜粋した詩を、幾度となく朗読した。第68章のミンドロの岬から、シブヤンの水道から‥‥という、太平洋の激戦場を連呼する箇所は、何度読んでもたまらない。頭の中には大砲の発射、砲弾が海浜に炸裂し、米兵が吹っ飛ぶ、椰子が裂かれる、手榴弾を投げる皇軍兵士が、焼け爛れた椰子の林を突っ切って、米軍陣地に飛び込んで行く兵士の姿が、撃てっーと叫ぶ隊長の顔が――、殲滅されるまで阿修羅のように肉弾となって米軍におおいかぶさって行く、日本軍将兵の顔が、メチャクチャに現れる。発狂しそうだ! 餓鬼と戦い、髑髏のようになった眼孔を光らせたまま絶命する兵士の姿が浮かぶ。南雲忠一中将を始めとする、多くの大将・中将・参謀・司令官・守備隊長が、敢闘しつも、遥かに宮城を拝して割腹、自決する姿が浮かぶ。艦と共に海底に沈む将官・兵士の姿が閃く。血みどろの眼球がえぐられた顔で、敬礼しながら沈んでいく兵の姿が浮かぶ。「天皇陛下万歳」の声が、がんがんと響いている。‥‥溢れ出る涙の粒で、パソコンの画像が見えにくい。今日は長くなりそうだ。

 チャンネル桜でも良書紹介されていた、戦前浪漫派の若き旗手、山川弘至氏の復刻版『国風の守護』。冒頭にある「畏みて誌し奉る」――昭和十八年、召集令を受け、急遽、結婚し、戦線に馳せ参じた、二十六歳の駿才。その年に出版されている。昭和二十年、終戦四日前に、台湾で壮烈なる戦死。陸軍少尉山川弘至命。いま、靖國神社に祀られている。大東亜戦争の意義を書いている。皇軍の正義を記している。昭和十七年一月の御歌会。前年十二月八日、大東亜戦争開戦直後の御歌会でもある。
昭和天皇の御製
峯つづきおほふむら雲ふく風のはやくはらへとただいのるなり
 山川氏は書いている。
今年一月お歌会始に拝した御製である。まことに畏いきはみといふ他はない。我が国柄の真のあり方と、日本文化の古代より連綿した精神は、思ふに、この一首の御製によって、充分に我々に示されたと拝し奉るも、有難いことといはねばならぬ。我が大和心の精華といふものは、つねにかかる未曾有の時にあつて、史上遺憾なく発揮されるものなることは、今さら申すまでもないことがらである。思へば今や、我が大和民族が、二千六百年にして、かつてない壮烈な聖戦を敢行し、大東亜の天地より、一切の夷狄の侵略的文明を追放して、神々の光栄を地に布く日にあたり、至尊の御製かくのごときを拝誦し奉るは、思ふだに感涙を覚ゆるのは、己一人ではあるまい。
御製を奉戴し、大東亜戦争の意義を、山川氏は精緻に刻印していく‥‥。戦前国民の大東亜戦争に対する基本的な概念であろう。
日本の文明の真の姿とは、まことにかくのごときものの現はれであり、我が民族らが聖天子を上に仰いで、そのみ言のまにまに、八汐路の奥処も知らず、遠く南海赤道を越ゆる大遠征を敢行したのも、只ひとつにこの精神の発露に他ならないことを、私ははつきりと申したいのである。そしてこの歌こそ、日本民族はもとよりこれを拝し奉つて、感銘して奮つて難におもむくべきであり、東亜諸民族も、ひとしくその皇化の広大に感泣すべきである。‥‥」
‥‥こういう先人が皆、死んでしまった。戦後の大地に生き残らなかった。GHQの占領下にあっては、日本の戦争は侵略戦争であったという敵国論に、反抗は出来なかった。国民は頭をもたげることは出来なかった。

世界万邦の人々一切、敵国の夷らも、この御製を拝誦して日本の正義の志に感じ、その非を悔悟すべきである。我が大和民族が剣を取つて立つ時は、つねに世界の国土のうへを覆ふ黒雲が、大日輪の光をさへぎる時である。今や大東亜をさへぎる黒雲をはらつて、我らは再びアジア文明の古の光栄を恢復すべき、歴史的雄渾の使命、有史以来、かつてなき壮大な大業を開始したのである。我々の國の真の文明の決意が、天日をさへぎる黒雲を一掃して、真の平和を世界に布くことにあることは、この御製一首を拝誦して、あまねく知るところであらう。今こそ、我らが日輪の子であり、東海日出づるところの民族であり、この民族こそ、黒雲にさへぎられて苦しむ世界の国民から、真の光を、真の太陽を取り返すべき民族であることを、我らは身をもつて実証せねばならない。我らの國の剣の精神は、常に不動のものであつた。それはつねに正義と平和の象徴であつた。‥‥」
これが当時の国民の大東亜戦争に対する感慨であったろう。八紘一宇。東亜解放。不義を討つ思いで、将兵は「大君の辺にこそ」と、前線に急いだのである。

 同人芳賀壇は、「僕らはいつも悪蛇を撃つために生まれた種族であり、僕らの血統は、悪蛇との戦ひに鍛えられたものであらう。ことによつたら日本の民族は、さういふきびしい種族から成つてゐるのではあるまいか」と、序文に書いている。山川氏は、更に書く。
我が国の皇軍は、橿原の宮の昔より、つねに平和のためのたたかひをたたかつて来たのである。ここに日本の理想があつた。それは西欧の帝国主義侵略戦争とは全く軌を異にする、まことの正義の戦ひであることを、この御製は示して余りあるのである。‥‥」
そして、我が国の戦ひが、日の神のみ子であられる天子の、その天つ日嗣の勅令によって、大和民族が立ち上がった時、その剣の精神は、常に不動であり、平和の高邁な象徴であったことを、歴史をひもとけば明瞭であるとし、世界に比類ない精神の勇壮であることを知れと呼びかける。
そして真に之が世界に比類ないものであることを、如実に我が将兵らは、八汐路の遠い南海に、はたマレーのジャングルに、身をもって世界に実証したのである。我が皇軍の比なく強い所以は、実にこの精神を奉じ、この御製のみ心を拝し奉つてゐるからに他ならない。

 かつて、鎌倉幕府の専横を怒り、倒幕の御意思を示された後鳥羽上皇は、総勢二十万の北條幕府軍に、二万の兵でお相手されたが、敗戦した。承久の変である。戦後、上皇は隠岐に流された。そして、厳しい日本海の荒海、大風に対し、歌を詠まれた。
我こそは新島守よ隠岐の海の荒き浪風心して吹け
この島には上皇である我がいるぞ。それも知らずに日本海の荒き風どもよ、勝手に吹き荒れるな、心して吹けよ‥‥。武運つたなしではない。凛然とした気迫。高貴を滅ぼすものに対峙する高貴至尊。つねに天日をさへぎる黒雲をはらふために、嘆き歌ひつつ剣をとった、我が遠つ祖らの御心。明治幕末、滔々たる西欧帝国主義の侵略の荒波は、支那を冒して日本に迫ってきていた。三千年の我が日本文明の光栄を護るべく、孝明天皇は、戦いの心を詠まれた。
矛とりて守れ宮人九重のみ階の桜風そよぐなり
これを山川氏は言う。
これこそ、日本の代々の詩人の精神であり、代々の武人の精神であつた。かくの如く高雅の心をもつて、明治維新は、細戈千足るの国(くはしほこちたるのくに=神武記に書かれている我国のこと=強くて豊かな心の国)と言挙げして断行せられたのである。そして、我が久しい文明の光栄を、かの西欧の侵略の植民地政策より守つたのであつた。(中略)そして今や、日本民族は、すでにこの二千六百年の久しい文明の悲痛とその歌心の象徴とを、一挙に国をあげて、世界の光栄として地上に布き、一挙に世界をおほふ黒雲をはらつて、この地上に天日を赫々たらしめるべき日に到つたのである。この大業の達成のために、我らは身を投じて悔いない覚悟は、この精神のもとにこそ固められるべきである。そしてこの壮大な征戦のためにこそ、この「はやくはらへとただいのるなり」の御製は宣り下されたのである。はやくはらへとただいのる、とおほせられたみ心をおもふがよい。祈るとは、皇祖皇宗天神地祇の御神明によつてのみ、大業の決行さるゝを示し給うたのである。(中略)この御製こそは、かの承久の院の御憂憤の御製とも、孝明天皇の御製とも、明治大帝の戦ひの御製とともに、拝し奉つて、さらに雄大高明朗たる日本の気宇の未曾有の雄大さを示し賜つて、畏いきはみである。

 ‥‥何度でも言うが、耳にタコが出来てもいうが、大東亜戦争は――、日本の戦争は、天に代わりて不義を撃つ戦争であった。戦争に反対する国民も多くいた。将官も多くいた。だが、天皇の大命が下った以上、国民は一つになり、戦線に赴いた。皇軍は戦った。支那大陸で、太平洋で。淺野晃氏の『天と海――英靈に捧げる七十二章』が、澎湃と浪のように熾きて来る。

君たちは裝ひを改めた
爭つて祖國の急に赴いた

花のやうな羞ぢらひの中に
五月の夜よりもかぐはしく

やさしい思ひ出とも別れ
答へなき天に
おのれの影を投げながら

ひとり世を超え
おそれもなく
ためらひもなく

意味ありげなものの虚妄を
惡しく意味づけられたものの虚妄を
はげしく拒み また拒み

人みなが冷たしと見る
アジアの岸の夜明け前に
虚妄の意味を燒けつくし
おのれひとつの焰と燃えて

おそれもなく
ためらひもなく
花のやうな羞ぢらひの中に
五月の夜よりもかぐはしく

聖なる戰の眞實を
おのれひとつに證(あか)しして
闇の汐に呑まれていつた


 ‥‥海に陸に空に、大君の臣はおそれもなくためらいもなく、神の戦いを繰り広げた‥‥。そして、あの激戦場の連呼となる。

ミンドロの岬から
シブヤンの水道から
スリガオの海峡から
デナガツトの海から
ミンダナオの海から
サン・ベルナルデイノの迫門(せと)から
バラワンの島から
スルアンの島から
エンガノの沖から
サマールの沖から
レイテの沖から
サイパンの島から
テニヤンの島から
グアムの島から
アンガウルの海から
ハルマヘラの海から
パラオの島から
ヤツプの島から
トラツクの島から
ルオツトの島から
クエゼリンの島から
タラワの島から
マキンの島から
ペリリユーの沖から
モロタイの沖から
ビアクの島から
ニユーギニアの岸から
ブーゲンヴイルの島から
ソロモンの海域から
ツラギの島から
ガダルカナルの島から
ルンガの泊地から
ミツドウエイの海から
アツツの島から
歸つて來い
歸つて來い
歸つて來い


 帰ってこい、帰ってこい、帰ってこい‥‥。このリフレインはたまらない。靖國神社招魂斎庭の祭壇に置かれた御羽車は、転瞬に天駆ける磐船となり、天馬となり、激戦場をめぐり給う。脇には天皇自らが立たれている。声を限りに英霊之名を呼ばれている。浅野晃氏の詩も、また、天空から声を掛ける。

赤道の秋
ひややかにうねりを返す浪の背に
祖國の聲が 青い天から
呼んでゐる
捧げた君らの
尊い名を


 浅野氏は、何故に祖国の聲が、青い天から呼んでいる――、と詠じたのか。天馬の如く、雲海を飛翔する御羽車を夢幻に捉えていたのか‥‥。見えていたのだろう。浅野晃浪漫派の眼底には、天艇のように紺碧を飛翔する姿が。大君に捧げられた勇者の魂は、今、大君の腕に掬い上げられて、靖國神社の招魂斎庭――戦いのニワ(庭)に滑空し、帰還する。凱旋である。負けて、悲惨、武運つたなくではない。大君の辺にこそ‥‥、醜の御楯として‥‥、黒雲をはらうべく戦線に急いだ皇軍将官・将兵。いま、見事責務を果たして帰還した。凱旋である。それが、漆黒の深夜の招魂式。

すべては逝く
知つてゐたその人も逝く
録されたすべては亡びる
けれど記憶は殘る
けれど天は忘れない
すこやかにありし日のまま


 浅野氏は、断言している。

けれど天は忘れない
すこやかにありし日のまま
‥‥

 現在、靖國神社に勤める神職、職員は、○○時に一応の業務を終了する。○○時を過ぎれば、大方の者は帰宅していく。私服に着替えた者達が境内を横切り、参道を帰っていく姿がみられるが、ほとんどが、携帯をみながら歩いていく。まだ、内苑だというのに。戦後六十年の靖國神社の姿が、理屈なく此処に在る。天は忘れない‥‥、というのに、現在の靖國神社神職は、悔悟さえしない。松平宮司・大野宮司までは、「神の前の住人である継承」があった。それ以降は絶えた。松平宮司の後を受けた大野宮司は、退任する時に全職員に話したことがある。大正天皇の御製詩である。大正四年四月二十九日、靖國神社では、大正三年戦役(第一次世界大戦参戦)及び台湾蕃匪討伐戰で死歿した軍人軍属・警察官などの合祀祭―臨時大祭が執行された。大正天皇は即位後、初めて靖國神社に行幸遊ばされた。そして、大御心を、御製詩七言絶句に示し給われた。

武夫重義不辞危[ますらを、義を重んじて、あやうきを辞せず。]
想汝從戎殞命時[想ふ、汝、戎(じゅう=夷狄・蛮族)に従(よ)つて、殞命〔いんめい〕の時。]
靖國祠中嚴祭祀[靖國祠中、厳つに祭祀す。]
忠魂萬古護皇基[忠魂、万古に皇基を護らん。]


【一兵士の読みによる。他の読みも在る。語訳もまた一兵士の解釈による。】
「皇国の軍人は、義を重んじて命の危険も顧みる事がない。想うのは、汝らが西方の夷狄との戦いに従軍し、命を落とした瞬間―絶命した瞬間である。その時、靖國神社の祭祀において、汝らの厳(いつ)なる戦いの霊力は、祠中に宿し給う。その忠魂は、遠い昔から今日まで永遠に不滅であり、天皇の国家統治の基礎を護っている」。元来、靖國神社の祭神の死は、○年○月○日が「命日」として捉えられている。しかし、大正天皇の御心は、祭神の死を、その絶息した瞬間――絶命した瞬間に及んでいるのです。勇者が絶命した瞬間に、目を凝らされている。そして、勇者に呼びかけている。汝の義は、厳なる戦いの霊力は、今、この靖國の宮の中におるぞ――、と宣り給われている。つまり、戦死者の御霊が招魂されて、天皇の大御心により、「皇基を護る」万古不易の「帝国の神祇」の神格を有した瞬間でもあるのです。靖國神社の祭神は、天皇の大御心により、「帝国の神祇」に列せられるのです。その瞬間を、この御製詩は語られている。これが合祀祭であり、靖國神社の祭祀である。このことを、大野宮司は、退任時に、全職員に話されたと聞く。厳に靖國神社の祭祀を疎かにするな!、という自戒を与えたのであった。それが継承されていない‥‥。靖國神社の祭祀とは‥‥、なにか。戦死者を護国の英霊に転生させる大御心に他ならない。多分、どの本にも書いてないことを話しましょう。今日は話が天空を走る。ついてくるように。靖國神社の祭神になるための、天空の回路です。

 古来、日本の神社には八百万の神々が、夫々の地で祀られている。この神々は皇祖皇宗、あるいは国家皇室に勲功のあった臣民が神として祀られている。この神々が「帝国の神祇」と呼ばれている。山や滝、地面を御神体として祀る神社もあるが、そのものが神ではなく、その御神体に神霊が宿っているのであり、自然そのものが神ではない。従って神社の祭神は総て神名を奉られ、人格をもって柱として数えられている神霊です。つまり、「帝国の神祇」でなければ、神社の祭神にはなりえないのです。従って、靖國の神々になるためには、戦死者は、「帝国の神祇」としての神格を有していただかないと、靖國神社の祭神にはなりえないのです。それが合祀祭です。戦死者の御霊を、靖國神社の斎庭にお招きする。招くという言葉は使っているが、来るのを待つのではなく、迎神――迎えにいくのです。これが招魂式です。戦死者の御霊を、招魂斎庭に招きます。しかし、これはまだ神格を有していない亡魂と呼ばれるものです。この御霊が本殿に遷幸され、天皇の祭祀を受けることにより、英霊は「帝国の神祇」となり、靖國神社の祭神となるのです。即ち、靖國神社の招魂斎庭から本殿に至る招魂式は、戦死した英霊を「帝国の神祇」として、初めて讃え祀る祭祀を行う唯一の場所です。軍人が軍人を祀り、軍人が奉斎する。之が靖國神社なのです。戦死者が神になる唯一の場所です。

 ちなみに‥‥地方にある護国神社とは、似ているようで、まったく違う所以でもある。護国神社では「靖國神社の祭神を祀る」。即ち、招魂ではなく、既に靖國神社で「神になった」故郷と縁の深い英雄・勇者の祭神を、降神して祀ります。うーん。突然だが、疲れた。今日は、これぐらいにしましょう。次は、もう一度、合祀祭の話をします。まだしたりない。自分が満足していないので。最後で悪いが、○○○○さんへの私信。「シャイローヒル」で、○○○○さんが泣いた理由が違っていたようで。どうも小生の早やトチリで、恥をかいてしまったようだ。それでは、また、来週後半か、もう少しあとか。体調が不安定なので。失礼した。
 

  • [69]
  • 六十八。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月 4日(月)18時41分10秒
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■平成十九年六月十六日

――備中處士――日本學の再興。
 國文學が振はない、況や國學は風前の燈である。本居宣長大人は、それでも未だ讀む人がゐるが、平田篤胤大人は顧みられることは無い。否、顧みる人があつたとしても、其の道奧たる内典、即ち神仙道へまで踏み入る者は無い。こゝ數年、神道の本も本屋には竝び出したものゝ、佛教には遠く及ばない。三島由紀夫氏の行動の原點は、肥後敬神黨に在り。然るに現代の三島研究家は、之を輕視し之を無視して、二二六とか葉隱武士道に注目するのみ。苟くも三島精神を恢弘せんとする者は、其の晩年に到達した所の、肥後敬神黨の研究から始めなければならないのにも拘らず、近代的西歐的價値觀に、皇國精神が埋沒して顯彰されないが如く、亦た英靈顯彰がためらふことなく果たされないが如く、未だ神道國学の研鑽は爲されることは無い。神社に於も昇殿參拜の案内はあるが、一般に祈願事に皇室彌榮・國家護持の項目は無い。古神道を語る人もゐるが、個人の現世利益や低級靈界の興味に止まり、まして靈的國防を口にする者などはゐない。元號は漸く法制化されたが、其の大本たる正朔さへも、嚴肅に用ゐる者は寥々たる有り樣。正に夜明け前の時代が續いてゐる‥‥。
 明治維新は、崎門の日本學が勃興釀成せられて、水戸學の道統に在る最後の將軍と、上は天朝から下は庄屋・民草に至るまで浸透した平田國學とから成つた。然るに現代、蟹這文字ばかりがおどり、皇國の學問は縷の如くにして、興る兆しも感ぜられない。賣文流行の書は次々に出版されるものゝ、時務論・情勢論・戰術論の多くして據る所なく、之を語る者は我執内紛に忙しく、神典古籍は高閣に束ねて、沈濳熟讀、之を尊重繼述する姿勢は毫釐も見る事が出來ぬ。かつてあれだけ讀まれた『靖獻遺言』・『日本外史』や『新論』も、机の上にて繙かれることは、もはや無いのであらうか。寒林平泉先生の曰く、「大雨數日にわたれば、濁流は横溢し、教學十年を怠れば、俗論横行して止まぬ」(昭和四十四年十月『皇學指要』)と。歎き悲しんでも詮無いが、神道の興隆、日本の教學再興を懇祷して已まない。

●谷秦山先生『私講□[片+旁]諭』
●林房雄翁・三島由紀夫氏『對話・日本人論』(昭和四十一年十月・番町書房刊)
●三島由紀夫氏『荒木精之翁宛書翰』(昭和四十一年九月三日附。荒木精之翁『初霜の記――三島由紀夫と神風連』・昭和四十六年十一月・日本談義社刊に所引)
●三島由紀夫氏『荒木精之翁宛書翰』(昭和四十三年八月十七日附。荒木精之翁『初霜の記』所收)
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t22/8

――備中處士――天と海。
●淺野晃翁『天と海――英靈に捧げる七十二章』(昭和四十年四月・翼書院刊)より、第九章・第六十六章から第七十二章
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t18/8


■平成十九年六月十八日

――備中處士――武士道精神を喚び覺ませ。
 平泉澄博士は、世界情勢のただならぬもののある事を膚で感じ、獨・佛・英の在外研究を、自ら二箇年の豫定を一年餘に敢へて短縮し、昭和六年七月、急遽歸國、當時の將に死中に活を求めつつあつた我が國の現状を座視するに忍びず、嚴しい現實の試練の中に在つて、何處に據り所を求めるか、祖國の前途を憂ひ沈思の後に、第一義として日本人自らの自覺による道義の確立を掲げ、遂に「武士道の復活」に見出したのでありました。これは七十五年後の今日、往時より猶ほ困難劍呑と謂ふべき本來の祖國再建、即ち皇國の再興に、我々が如何に挺身すべきかの指針となるでありませう。國史への囘歸を通じて、武士道精神の奮發喚起を。町人道から武士道へ、こゝに、戰後日本の大轉換を要求する。
●寒林平泉澄先生『武士道の復活』(昭和八年十二月・至文堂刊/六十三年十月・錦正社復刊)
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/942


■平成十九年六月十九日

――備中處士――天下の人心を一にする。
●寒林平泉澄博士『日本中興の御志』(『建武中興の本義』所收・昭和九年九月・至文堂刊/五十八年五月・日本學協會復刊)に曰く、「
 王政復古を目指す幕末の志士、安政の大獄に倒れ、櫻田門外及び坂下門に散り、五條また生野に敗れ、敦賀に斬られ、更に禁門に躓いて、大事も今は最早や是迄と思はれた時、二十六歳の青年にして、單騎身を挺して、囘天の偉業に口火を切つた高杉東行は、その直面する時機を洞察して、「是れ此の時、日本の日本たらんと欲する日也」と喝破した。まことに明治維新の大業は、これ日本の日本たらんとする大理想の實現であつたのである。しかるに日本の日本たらんとする大理想は、之に先だつ事數百年、後醍醐天皇によつて掲げられ、楠木正成を始めとして幾多忠烈の士の、生命を捨て家を失ひ、一切を犠牲にして之を護りし爲に、暴風雨の中にも空高く飜る事數十年、しかも時、利あらず、その大旆は遂に倒されて了つたのであつた。明治維新の志士は、この一度倒されたる大旆、日本の日本たらしめんとかる大旆を、再び高く中天に掲げんとしたるもの、即ち特に具體的にいふならば、正成の遺志を繼承せんとしたのであつた。曠古の雄圖、「宇内一帝を期し」たる眞木和泉守が、病中血を吐いて、しかも猶ほ五月二十五日、楠公の祭を怠らざりしもの、よく之を證するではないか。即ち見る、建武の中興は、日本の日本たらんとする大苦修、大試練、前には上代憧憬の情に包まれて大化の改新をかへりみ、後には七生報國の志の遺して明治維新を望み、承前起後の偉大なる働き、まことに日本歴史の中軸をなすものといふべきである。‥‥
 建武中興は、かくの如くして起り、かくの如くして成つた。それは決して幕府の衰微に乘じ、皇室の御私情の爲に起されたものではなかつた。又それは決して大勢に隨ひ、世論に追從する人々によつてなされたのではなかつた。即ちそれは日本をして眞の日本たらしめんとする大理想の下に、強敵怖れず、百難屈せず、君は君として、臣は臣として、まつしぐらに日の本の道を進み給うたものに外ならぬ。建武の中興、その目ざさるゝ所は、まこと皇國日本の中興に外ならなかつたのである」と。

 愚案、又た東行高杉春風(晉作)先生は叫ぶ、、「余を以て之を觀るに、攘夷の第一策は、則ち天下の人心を一にするに在り。天下の人心一なれば、則ち百萬の醜虜と雖も、懼るゝに足らず矣。人心一ならざれば、則ち數十の軍も、亦た懼る可し」(『田中子復を送る序』)と。今しばらく、「先哲を承くるの第一等の正師」(慕楠黒木博司海軍少佐「風古」序に見える辭。平泉澄博士『慕楠記』所收)と云はれた、平泉博士の言靈に耳を傾け、「天下の人心を一にする」の注釋を試みたい。

●平泉澄博士『傳統』の「序」(『傳統』所收・昭和十五年一月・至文堂刊/六十年五月・原書房復刊)に曰く、「
 傳統といへば簡單明瞭のやうであつて、實は多くの誤解が之に纏綿する。即ち現状に泥んで革新を忌む者は、現状の維持、即ち傳統を守る事と考へ、反對に現状にあきたらずして革新に急なる者は、みだりに外國の模倣追隨を專らにして、傳統を固陋と貶し去らうとするのである。我等はその外に向けられたる眼を内に轉じ、今にとらはれたる心を古にかへさなければならぬ。換言すれば、父祖の心を喚び起して、その指導の下に、今日の混濁を洗ひ清めなければならぬ。而してそれは形を主とするのではなくして、實に精神の問題である。これこそ最も穩健なる、しかも最も深刻なる革新ではないか。この革新に於いてこそ、全日本人を一つにする力が存するのである」と。
●平泉澄博士『眞の日本人』(『傳統』所收)に曰く、「
 甚だしいかな、天下形勢の急轉、朝に連衡の約あつて、夕に合從の盟となり、こゝに權變の術あれば、かしこに反間の策存し、一方に衆力を集めて、猛虎を攻めようとかる者あれば、他方に兩虎、相搏つて、共に疲弊するを待たうとする者がある。斯くの如く詐謀の祕術をつくして、一上一下、動亂やむ時なき外交の怒濤に棹さす者は、抑も何を頼み、何に依るべきであるか。これ今日護國報恩の志をいだく士人の、日夜、肝腦をくだく問題でなければならぬ。‥‥
 一億一心、上下一和するならば、何ぞ外敵を恐れんや、むしろ進んで、大に國威を發揚すべし。然るに之に就いては、世に異論があらう。蓋し人心は互に相違する事、まさに其の面貌の異なるが如く、從つて之を一つにするといふが如きは、恐らくは單に修飾の辭であつて、實際に於いては到底不能の事に屬すると考へられ易いからである。しかしながら事實それは、決して不可能ではない。人々にして若し其の私心を去り、深く祖國の傳統に復歸するならば、こゝに祖國傳統の力は、上下貧富の差、老若男女の別を越えて、よく一億を一心ならしめるのである。天下の人心を一にするの説は、國民のすべてを、國家の正しき傳統に復歸せしむるといふに歸着するのである。國體の大義を明かにし、日本の道義に一命を捧ぐる、これ即ち私を去つて傳統に歸順するものに外ならず、よくかくの如くであるならば、之をこそ眞の日本人と呼ぶべきであるが、國民のすべてが、眞の日本人となる時に於いては、一億こゝに一心となつて、外國の權變、恐るゝに足らず、合從連衡、多く意に介せずして、一路邁進し得るのである。‥‥
 皇國臣子の道の、その後再び忘却せられ、傳統の光の、近年又も衰微して來た。しからば我等は此の道を再び明かにし、此の光を今日に輝かしめなければならぬ。我等日本人のすべてが、この忠死の心に立ち、この傳統にかへる時、換言すれば眞の日本人となる時、一億をうつて一心とする事は、始めて可能である。一億をうつて一心となし得たる時、海外の怒濤、それ何物であらうか」と。
●平泉澄博士『武教小學講話』(『傳統』所收)に曰く、「
 一體恩といふ思想は、西洋にも無論ない事はないが、寧ろ甚だ薄いのであつて、恩といふ事が深く考へられて居るのは、東洋の特色である。簡單に申せば、權利を主張するのが西洋思想の特色であり、恩を思ひ恩に報いん事を思ふのが東洋思想の特色であるといつてよい。而して今、君父の恩情を體認し、之に報いんとするのは、これ即ち忠孝に外ならぬ。苟も天下の風教を維持し、國家の柱石を以て任ずるの志の根本は、實に忠孝の道徳に出發しなければならぬ。君と親との御恩を有り難く思ひ、謹んで之に報い奉らうとする所より出發しなければならぬ。若し然らずして、或は功名富貴を望んでの事であるか、または社會に對する憤激より發するといふ事であれば、それは士といふに足らぬ。
●平泉澄博士『少年日本史』の「序」(昭和四十五年十一月・時事通信社刊/四十九年一月・皇學館大學出版部復刊)に曰く、「
 皆さんよ、人の貴いのは、それが誠實であるからだ。誠實は一切の徳の根本だ。その誠實を守る爲には、非常な勇氣を必要とするのだ。世の中には、自分の慾の爲に、事實を正しく視る事の出來ない人もあれば、世間の人々を恐れて、正しく事實を述べる勇氣のない人も多い。今後の日本を擔ふべき少年の皆さん、敗戰の汚辱を拭ひ去つて、光に充ちた日本の再興に當るべき皆さんは、何よりも先づ誠實でなければならぬ。そしてその誠實を一生守り通す勇氣を持たなければならぬ。日本の歴史は、さやうな誠實と勇氣の結晶だ。凡そ不誠實なるもの、卑怯なるものは、歴史の組成(くみたて)に與る事は出來ない。それは非歴史的なるもの、人體でいへば病菌だ。病菌を自分自身であるかのやうな錯覺をいだいてはならぬ」と。
●平泉澄博士『萬物流轉』の「復刊の序」(昭和五十八年六月・皇學館大學出版部復刊)に曰く、「
 歴史の學は、本來、人をその對象とするが故に、史家は必ず人の精神、その人柄を理解し、その魂を把握し、事件に於いて、その本質を究明しなければならぬ。然るに天下、是の點を等閑にして、枝葉末節の吟味に明け暮れ、その考證の精微を競ひ、以て史學の能事終れりとするが如きは、史學の崇嚴の爲に悲しむべきである。人生は古往今來、實に悠久であり、起伏して千變萬化し、盛衰して禍福あざなひ、時に華麗目を驚かし、時に殘忍目を蓋はしめ、其の間に意義を求め、法則を立てむとして、不可解、不思議の多きを歎かざるを得ない。しかも歴史に何の意義も無く、教訓を汲み得ないとすれば、それは實に曠劫に沈淪するものであつて、史學は結局無用に歸するであらう。人としての自覺、國民又は民族としての理想、それを歴史の中に求めようとする者、そのきびしき思索は、撥草參玄の求道者に類するであらう」と。


■平成十九年六月二十日

――備中處士――忠孝の道は、險難の一路。
●吉田松陰先生『士規七則(毅甫の加冠に贈る)』(實際に松下村塾に於て訓讀されたと傳ふ、廣瀬豐氏の訓に據る。文中[云々]は訓まずと云ふ)に曰く、「
 册子を披繙すれば、嘉言、林の如く、躍々として人に迫る。顧(おもふ)に人、讀まず。即(も)し讀むとも、行はず。苟(まこと)に讀みて之を行はゞ、則ち千萬世と雖も、得て盡す可からず。噫(あゝ)、復た何をか言はむ。然りと雖も知る所ろ有り矣、言はざる能はざるは、人の至情也。古人は諸(こ)れを古に言ひ、今ま我れ諸れを今に言ふ、亦た□(言に巨、なん)ぞ傷(やぶ)らむ焉。士規七則を作る。
一、凡そ生れて人爲れば、宜しく人の禽獸に異なる所以を知るべし。蓋し人には五倫有り。而して君臣・父子を、最も大(おおい)なりと爲す。故に人の人爲る所以は、忠孝を本と爲す。
一、凡そ皇國に生れては、宜しく吾が宇内に尊き所以を知るべし。蓋し皇朝は萬葉一統にして、邦國の士夫、世々祿位を襲ぐ。人君、民を養ひて、[以て]祖業を續ぎたまひ、臣民、君に忠して、[以て]父志を繼ぐ。君臣一體、忠孝一致なるは、唯だ吾が國を然りと爲す。
一、士の道は、義より大なるは莫し。義は勇に因りて行れ、勇は義に因りて長ず。
一、士の行は、質實にして[以て]欺かざるを要と爲し、巧詐にして[以て]過ちを文(かざ)るを耻と爲す。光明正大、皆な是由り出づ。
一、人、古今に通ぜず、聖賢を師とせざれば、則ち鄙夫のみ耳。書を讀みて尚友するは、君子の事也。
一、徳を成し材(さい)を達するには、師恩友益、多きに居(ゐ)る焉。故に君子は交游を愼む。
一、死して後ち已むの四字は、言、簡にして、義、該(か)ぬ[廣し]。堅忍果決、確乎として拔く可からざるものは、是を舍(お)きて術(じゆつ)無き也。
 右、士規七則、約して三端と爲す。曰く、志を立てゝ萬事の源(もと)と爲し、交を擇びて[以て]仁義の行を輔け、書を讀みて[以て]聖賢の訓(おし)ヘを稽ふ。士、苟に此に得ること有らば、亦た以て成人と爲す可し矣」と。
●谷秦山先生『炳丹録序』
●平泉澄博士『萬物流轉』(昭和十一年十一月・至文堂刊/五十八年六月・皇學館大學出版部復刊)
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【參考・備中處士『乃木希典大將『(吉田松陰先生)士規七則講話』一卷』他】
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●藤田東湖先生『正氣之歌序』に曰く、「
 天祥曰く、浩然とは、天地の正氣也と。
 余、其の説を廣めて曰く、正氣とは、道義の積る所、忠孝の發する所なり。然るに彼の所謂正氣とは、秦・漢・唐・宋、變易して一ならず。我が所謂正氣とは、萬世に亙つて變らざる者也、天地を極めて易らざる者也」と。
●伯耆國河村郡太一垣神社祠官兼國幣小社大神山神社權宮司・日本國教大道社長・無々道人川合清丸翁の詩『贈橘中佐』
生きては忠孝の民と爲り、
死しては國家の神と作(な)る。
一意、皇祚を護る、
眞成の日本人。


■平成十九年六月二十一日

――備中處士――夫れ學問の本は忠孝に在りて、意氣の恃む可からざるを知る。
 一兵士翁は、若者へ學問の重要性を、何囘も強く訴へてをられます。其の深謀遠慮、若人への期待に對し、小生も感ずる所、亦た大にして、懺悔反省の意を込めて、次の二篇を書き寫させて戴きます。小生と與に、之に感ずる所おほくして、之を共有する御方あらば、祝着至極、道福鴻大に存じます。

●贈權大納言贈正一位(諡は押武男國御楯命)・潛龍閣景山徳川烈公源齊昭公『弘道館記』に曰く、「
 神州の道を奉じ、西土の教に資り、忠孝二无く、文武岐れず、學問事業、其の效を殊にせず、神を敬ひ儒を崇び、偏黨有ること無く、衆思を集め、群力を宣べ、以て國家無窮の恩に報いなば、則ち豈に徒に祖宗の志の墜ち弗(ざ)るのみならんや。神皇在天の靈も、亦た將に降り鑒(みそなは)したまはんとす焉」と。

●矢嶋立軒先生『(橋本景岳先生)啓發録の敍』
  ↓↓↓↓↓
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――備中處士――直情徑行は、戎狄の道なり。
●高杉東行先生『幽室記』
  ↓↓↓↓↓
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  • [68]
  • 六十七。いにしえの国への橋を渡れ‥‥。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月 3日(日)11時28分36秒
  • 返信
 
■平成十九年六月十五日

いにしえの国への橋を渡れ‥‥。
 ○○○○さんが、「醜の御楯」にこだわっているようだ。真面目な方だ。この方は、小生がこの掲示板に投稿を始めた初期の頃から、いつも自分を控えめな位置に置き、英霊を見つめている方だ。時々、投稿される。一兵士を、何度も援けてくれたことがあったような記憶がある。現代人なんだけれど、なんとなく異種の匂いを感じる。普通の方とは、種族の血の系譜が違うような感じだ。少し発想の源が、根源的に違う。南方民族ではなく、‥‥水車小屋で粉を挽きながら、稲の穂数を黙々と数えているような‥‥、古い民族の血を曳いている‥‥。そんな感じを持つ。突然、槍のように、前後の脈絡なく、投稿してくる。グサッとくるのもあるが、ブログみたいなものもある。自分で解決して、勝手に去っていく時もある。ユニークだ。この間は、突如、南北戦争当時の南軍の軍歌「シャイローヒル」を紹介して、小生を驚かした。≪私は、この軍歌の歌詞を初めて読んだ時に、涙が出て来て止まらなくなりました。理由はわかりません≫と、書いていた。理由がわかないはずはない。問い詰めていないだけだ。琴線に触れる瞬間、心は時空を跳躍して、一千万里を跳ねる。祖先から受け継いだ魂の塊が、心の山に埋まっている。その岩盤を砕き、熱く燃えた魂を引きずり出す。それが涙となる。熱い魂を持つことは素晴らしいことだ。今回はワルキューレの話が飛び込んできた。あとで少し触れるが、この話はいい話だ。その前に、○○○○さんの悩みの種が、「醜の御楯」と「卑下と謙遜」。一晩、東北の宿で、豆を齧りながら、膝を交えて、ああでもないこうでもない、話し合えば、○○○○さんも気持ちがすっきりするのではないかと思うが‥‥、それはかないそうもない。要は、靖國神社の祭神に、≪日本人として生きる上での至上の美を、その人生において顕わしたと感じている≫人だ。でも、自分達は、≪到底、靖国神社の祭神の足元にも及ばない存在≫だと思っている。≪祭神について何かを語る時に、「醜」の一字を口にする事に対して、私は抵抗感があります。この抵抗感の正体は、恥です。兵役を経験している訳でも、『醜の御楯』の意志を持っている訳でもない世代に、靖国神社の祭神を「醜」と呼ぶ資格があるのかという疑念です≫。うん。‥‥この疑念は、自分で解くしかない。人に説教されて納得するものではないだろう。そういうものではない。自分が祭神に近づくしか方法がない。そして、話は「卑下」という言葉に触れる。「醜の御楯」の醜を、「自分を卑下する意味」だとすれば、抵抗感があるという。≪日本人本来の精神のあり方としては、「卑下」ではなく、「謙遜」ではないかと思う≫とも言い出す。○○○○さんの悩みは、靖國神社に参拝する戦後人の悩みだろうと感じるしかない。悩みの種は、一言で言えば、先人の想いに「ついていけない」、ひっかかりがあるからだ。学問だろう。知識だろう。体験ではない。体験主義は、ほとんどが真理を導かない。余ほどの鉄人でないと。哲人ではない、鉄人。神屋二郎氏がいうところの、「先人の思いを体感できない」悩みなのだ。膝を交えて一晩、二晩、話し合っていけば、気持ちを解放できるのかも知れないが‥‥。

 従って、○○○○さんの話というか、質問というか、答えるのは、簡単といえば簡単。「早く、いにしえの国に渡って来い」。その橋を架けるために、備中處士さんも小生も、自分に枷をかけて投稿している。見てから跳ぶか、見る前に飛翔するか――。まず、橋を渡ってくるといい。生まれてきた時代が違う。育ちが違う。周囲の環境が違う。社会体制が違う。学校教育が違う。天皇・日の丸・君が代・邦家。毎日、シャワーを浴びるような生活環境ではない。朝の日の出に、両親・祖父母・兄弟がそろって、庭先で感謝をする。居間には御真影があり、出征した父・兄の写真が飾られている中で、父母から厳しい躾を受けるわけではない。学校では神話が語られ、教師は皇統を語り、倫理博愛を語るわけではない。大楠公の故事・白鳥伝説を教えてくれるわけではない。棒倒し・騎馬戦・相撲が、必須体育としてあるわけではない。そして国民皆兵制度があるわけではない。「醜の御楯」の精神は育ちにくく、尊崇・畏敬の念も育みにくいだろう‥‥と思う。

 家に来る人で、三十代の女性がいる。神道には関心が無いという。子供が二人いる。しかし、テレビで、天皇陛下・皇后陛下のニュースが流れると、さっと正座し、両手を膝の上に置き、拝聴する形をとる。靖國神社に参拝する時は、お尻を本殿に向けないことを、心に決めている。剣道を習っていた時に、恩師から教わったらしい。いまはもう剣道はやめたが、心に醜の御楯の精神が、「私にはあります」と、はっきりと言った。こういう人もいる。普通に見える人だ。この人は「いにしえの国の橋を渡ったんだろう」と思っている。もう一つ、謙遜と卑下であるが、≪日本人本来の精神のあり方としては、「卑下」ではなく、「謙遜」ではないかと思います≫と、○○○○さんは書いているが、これは正しくないでしょう。日本人精神の根底を、古代に求めれば――、天孫降臨の章から「卑下」が書かれている。「謙遜」という行為は現われてきていない。高天原に下った天孫一行に臣従した豊葦原中国の者達は、皆、自分達を卑下して、尊貴なる一族に服従し、同化することを願った。日本人の歴史はここから始まっている‥‥。謙遜して服従したのではない。「卑下」は、自分の存在を「無」として捉えず、「存在」として捉える。「謙遜」はあいまいだ。謙遜も決して悪いものでもないが、どちらかといえば、「辞退」・「退く」という意義が強い。ややもすれば自分の穴倉に身を潜めてしまう。それを称して、漢字古語では「欠陥」という。謙譲の美徳は、常に「欠陥」を背後に抱える。だが、自分を卑下することは、行動的な主張ともなる。土下座して、泣いて謝る――。なんてバカな俺だった――。自分を貶め、いやしめてもなお足らず、この上は腹を切ってお詫びする――。そういう話は沢山ある。「テメエ生国をはっしまするは――」という、「自分を卑下する」挨拶もある。

 戦の命が下った。もう、私には、家族のことも兄弟の心配をする必要もない。命を大君に差し出すだけです。卑賤な身ですが、もし死ぬことで役に立つなら、「醜の御楯」になり得るなら、末代までの誉れ、勇者の誉れ、強い守りとなりましょう‥‥と。こちらの方が、日本人の資質ではないかな? 卑下は卑屈ではなく、矮小化でもないと思うが。まあ、おそらく、いまの○○○○さんには、「言葉の解釈」をいくら説いてもダメでしょう。あなたが、祭神に近づくしかない。敢えて言えば――、いまだ、「祭神・先人の心境に達していない‥‥」。いい悪いではなく、多分、そういうことでしょう。修学・修業の道を行くと、「神の国に続くいにしえの国」の庭に通じる橋がある。それを渡るといい。それしか小生には言えない。○○○○さん、また、悩んでください。悩みも勉強、学問のうちです。

 そう、あなたが紹介したワルキューレの話。これはいい。小生も気がつかなかった。一度、時間があれば、ゆっくり北欧伝説を読んでみたい。ヴァルハラの庭に――、戦いの庭に連れてくるために、戦場で死んだ勇者の魂を集めるという、ゲルマン人の神話‥‥。これと似た話は、日本にもあります。それが「招魂斎庭」であり、靖國神社祭神の合祀祭でしょう。招魂式に、何故、貴人の乗る御羽車があるのか‥‥。ただの車ではなく、羽を冠した車――「御羽車」。それは、天馬の如く、時空を駆け巡り、雄渾無敵、皇軍兵士の御霊を、激戦場から集めてくるためです。そのために、天孫降臨、天の磐船の如く、天駆ける羽を付けた貴人の乗り物である御羽車が用意された――。その御羽車が、激戦場を駆け巡り、御国(ミクニ)のために命を捧げた勇者の御霊を集めに、迎えに行く‥‥。それが靖國神社の招魂式‥‥だ、と思って下さい。それを、これから話しましょう。戦前回帰、いにしえの国に帰る橋を架ける気持ちです。今回は少し長いから、じっくり読んでください。以前に書いた、戦前の歌人野村玉枝が、昭和十七年に出版した『御羽車』。その中に、「戦陣訓」という話があります。その話を、今回は紹介します。戦前の人たちが、『戦陣訓』をどのように見ていたか、軍人の考え方、戦前国民の資質、それを知る手助けとなるでしょう。

 ‥‥野村玉枝は、富山の人である。夫野村勇平大尉は、昭和十二年に召集令状が下る。そして、昭和十三年十月十四日、漢口攻略戦、岳州の先陣で戦死。遺された若妻玉枝には、あどけなき娘一人と乳飲み子がいた。乳飲み子は、父、野村勇平命の顔も知らない。出征後に誕生した。
きさらぎの雪華落つる駅頭に今し下りたたす白木の箱は
戦死の公報の日にも、雪の華が舞い降る駅頭に白木の箱を迎えても、玉枝は泣かなかった。滂沱と涙の粒が双眸から溢れたのは、深夜、靖國神社に夫が合祀される時、まさに靖國神社神門を御羽車に乗り、十六菊花天覧のもと、聖域に入る時であった‥‥。夫の戦死公報の日から三年の歳月が流れ、夫が靖國神社に合祀される通知を受けた。昭和十六年四月二十三日、玉枝は富山の山奥から上京した娘暉美と、夫の忘れ形身三歳になる毅、それに年老いた父母と共に、靖國神社に参るのである。招魂式前日に上野駅に到着した遺族団は、本郷の指定旅館で旅装を解き、翌日、係り官の案内で、靖國神社に引率され、招魂式の座席に夫々が落着く。その招魂式の話は‥‥、すでに書きました。もし、読まれていない方があれば、『五十六。靖國神社境内は、戦いの庭』を読んでください。

 野村玉枝の夫、野村勇平は、出征の途上、遺書を書き、それを両親に宛てた。
出発したからには、既に死亡したものと思ひ下されたく、自分は既に覚悟をしてゐます。戦場に於ける生死は運命とは言へ、少なくとも一個小隊を率ゐる以上、兵を殺して自分が生還するといふことは考へられません。しかし、犬死は致しませんから、御安心下さい。戦場に於いても、死すべからざる時はある筈です。死すべからざる時は、つとめて死をさける様にすると共に、部下をも殺さざる様つとめる事は無論ですが、必ず死を賭して戦ふべき時が来ると思ひます――」。
この遺書を、玉枝は夫が初陣の上海攻撃が始まった頃に手にしたのである。玉枝は、
今更のように皇軍の一人としての夫の覚悟に感じ、その妻としての我が身の、あまりに貧弱なことを嘆いたのであつた≫。
野村玉枝の玉章が続く。
夫はその言葉通りに、武人として、最もよき時とよき所を得て、部下の先頭に肉弾となつて敵陣へ飛び込み、山岳要塞戦の露と消えたのである。
 それから三年経つた一月八日、陸軍開始の佳日に、戰陣訓が世に発表せられて、拝読するに、その一訓一節、悉く軍人精神の具体的表現であつて、戦陣にある将兵の道義昂揚の座右銘ともいふべき金玉の文字のみである。読みゆくうち、本訓其三・第二戰陣の嗜・二に、「後顧の憂を絶ちて、只管奉公の道に勵み、常に身邊を整へて、死後を清くするの嗜(たしなみ)を肝要とす。屍を戦野に曝すは、固より軍人の覚悟なり。縦ひ遺骨の還らざることあるも、敢へて意とせざる様、豫て家人に含め置くべし」の項を読んで、夫の遺書のこゝろが、ぴつたりと之に帰着する事を発見したのである。戰陣訓なくとも、その精神は、今も昔もかはりなく、又反対に今も昔も変はりなき武士道精神の節々をまとめられてこそ、この尊き戦陣訓なりしことに思ひ及んだことである
」。
玉枝は『戦陣訓』を拝読し、悉く、其の一節一節は、軍人精神の具体的表現であり、戦陣にある皇軍将兵の道義昂揚の座右銘として、金玉の文字の一文字一文字を目で追ったのである。そして、夫勇平は、戰陣訓なくも、立派に軍人精神を体現したことに尊貴を受けたのだった。
後顧の憂を絶ちて、只管奉公の道に勵み、常に身邊を整へて、死後を清くするの嗜を肝要とす。屍を戦野に曝すは、固より軍人の覚悟なり。縦ひ遺骨の還らざることあるも、敢へて意とせざる様、豫て家人に含め置くべし≫。

 これが戦前国民の御奉公の大方の姿、心だったのです。一兵士は思う。勇者はみな、山野に屍を曝して、醜の御楯として大君に殉じたのである。その御霊を安らかに祀るために、靖國神社の招魂斎庭の祭壇に在る御羽車は、支那大陸をはじめ、昭和の激戦地を、天空の奔馬のごとく、転瞬の時空を駆け巡り、戦場に伏した雄渾無比の皇軍兵士、勇者を迎えに走り回るのだ。その御羽車の脇には畏くも大君がおわします。天皇御自ら、声を限りに「おーい」「おーい」と、勇者の名を呼び、御霊を集めていくのです。それは、あたかも、戦後の遺骨収集で、ガダルカナルで、ペリリュウーで、ニューギニアで、戦友たちが「おーい、吉田ー、河瀬ー、田中ー、迎えに来たぞー」と、声限りにジャングルに呼びかける、「涙ながらの叫び聲」と同じなものなのです。あり難いこと、至上この上ないことであります。

 「招魂」とは、英霊之御霊が降りてくるのではなくて、迎えに行くのです。現在は「降神・昇神」と、言葉が統一されたが、以前は「迎神・送神」と言われていた。招くのではなく、勇敢なる戦没将兵を迎えにいくのです。勇者皇軍兵士の額を貫く敵の矢は立てど、後ろに刺さる矢はないのです。そして、漆黒の夜、激戦地から呼び集められた英霊の乗る御羽車は、たった一度しかくぐらない招魂斎庭の鳥居を通り、凱旋の途に就くのです。招魂斎庭の鳥居は、参道の鳥居とは違います。激戦地から集めてきた英霊が、生涯に一度だけくぐる、凱旋するための門――鳥居なのです。出たり入ったりする参道の鳥居とは違うのです。そして、遺族が鎮まりかえる中を、英霊之乗る御羽車は巡行し、神門を入り、靖國神社本殿に向かうのです。畏敬の神になるのです‥‥。即ち、靖國神社の庭は、境内は、内苑も外苑も常に戦場であり、戦の庭なのです。従って、参拝者は、いつになく腰をかがめ、私語を慎み、伺候する場所なのです。花見見物する場所ではない。闊歩するような所ではない‥‥。

 玉枝は、夫が招魂された夜を思い出して書く。
今は死んだ人を追いすがる気持ちでもなく、残された我が身をいたむ気持ちでもなく、ただただ日本といふ、有り難い御國に生きてゐたよろこびに、泣けるばかりであつた。
右左前も後も我も人も泣くばかりなりただ泣くばかり
数知れぬ英霊のかげに身は生きて皇国の民の感激に泣く
 土にひれ伏して、ひた泣きに泣いた。拝んだ。泣くよりほか、拝むよりほかに、なすすべはなかつたのである‥‥。
 二度と見ることの出来ないお父様の御姿、尊いあの御羽車を、よく拝めよ。そして記憶せよと、玉枝は、二人の我が子に言ひ聞かせた。
ぬばたまの夜目にも白くまなかひに近づきませる御羽車のかげ
白々と風の如くに音もなく我がまなかひをゆきすぎ給ふ


 そして、玉枝は、故郷に帰るのであるが、数日後に、玉枝を世話した係りの兵から手紙を貰う。陸軍予科士官学校石井曹長の手紙の一節を、玉枝は書いている。
霊魂は永久に生くるものにして、決して滅するものではありません。故野村勇平大尉は、永遠に靖國の社に生きて居られます。(中略)軍人の人生観は、「名を竹帛に垂れる」でもなく、「丹心を留守して汗青を照らす」とかいふ、歴史に名を残す事を以て人の理想とするのではなく、陛下から賜った天職に全智全能を注ぎ、武を以て人生を完ふするもので、すべて死を以て奉じてゐる事で、決して決して死を悔ゆるものではありません。戦場に於いて死の直前、「天皇陛下萬歳」の絶叫は、笑つて死する神への権化であると思ひます。故野村大尉殿も、死を以て軍人の人生を完ふなされた軍人の亀鑑です。そして身は死してゐるけれど、その人となりては、必ずその部下、或は奥様、お子様が享けてゐると思ひます。そして、常にこの世に在ると思ひます。大楠公死すとも、今なほその忠烈が、小さな子供にまで忠血を注いでゐるのは、決して偶然ではないと思ひます」。
まさに、戦前の将兵の心胆が明眸の如く、照らされて披露されています。体感してください。

 野村玉枝は、合祀祭で係りとなった三人の兵からの便りをもらい、最後に、こう書いている。
便りに聞けば、三人ともノモンハンの戦士である。そのなされる一挙一動に誠心があふれ、如何なる時にも、常に遺族に対し、献身的の思ひやりがあらはれた。その一挙一言、死を超えて来た人の姿がにじんでゐた。
 萬死に一生を得て、帰還の大命に浴することあらば、具に思ひを護国の英霊にいたし、言行を慎みて国民の範となり、愈々奉公の覚悟を固くすべし。
 それは戰陣訓本訓其三・第二戰陣の嗜の最後の項目であるが、まさにあの三人の姿は、この項目にいひつくされて遺憾がない。
 戦陣訓は、形は軍人にたまはつたものであるけれども、その精神は、単に軍人にとどまらず、老若を問はず、男女の性を分たず、日本に生を享けた誰しもが目指して進むべき生活の目標である。中外にほどこしてもとらぬ人の道である。臣の道である。それは動揺する世態を一貫して、普遍に厳然として存する人の道である。
 「大日本は神國なり」、厳かに華やかにいひ放たれた、その一句。あの戦陣訓を読んで、誰が興奮しないでゐられよう。それは我々の体内をかけめぐつて流れる祖先の忠烈の血が、ひとしく湧き立ち騒ぐからに他ならない。さう考へれば、まことに尊いことであり、祖先から受け、子孫へ伝ふべき、お國のあづかりものとしての我が身であることを悟り、この血を汚すことなく、いよいよ浄化して後代におくるべき責務に、胸せまる希望と歓喜を感ぜずにはゐられないのである
」。

 戦前回帰の珠玉がちりばめられている。体内を駆け巡る祖先の忠烈の血が、ひとしく騒ぐ臣の道である『戦陣訓』を、戦後人は決して貶めるようなことをしてはならない。それが大命に従い、御国の為に戦没した皇軍兵士に対する節義である、儀礼である。鬼と化し、形相化して戦闘する将兵が、命を落とした瞬間――英霊は、国家の柱石となった。その死の瞬間に、思いを馳せめぐらせたのが、靖國神社臨時大祭に行幸された大正天皇です。来週の後半までに、大正天皇のお言葉と合祀祭について、更に招魂式の意義を深めます。
 

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  • 六十六。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月 3日(日)11時13分8秒
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■平成十九年六月十一日

気になる話。
 少し前まで、産経新聞に宮本雅史さんという若いジャーナリストが、「誰がために散る」という題名で、特攻を書いていた。中身はともかく、気なるのは若い方たちが、「散る」という言葉をしきりと使うことが気になる。確かに「散るのは覚悟」という歌もあるが、これは戦争を実際に戦った人たちだけ、身内だけのこととして、赦される会話だろうと了解している。この時代の、戦争に全く関わっていない現代人が、先人の戦いを「散る」などという言葉で、書くべきではないだろうと、最近は強く思うようになってきている。先人の戦いに畏敬の念を、心底、有するのであれば、執筆者は、言葉一つにこそ、最大の神経を払ってもらいたいものだ。執筆者が、何か大切な言葉を後世に伝えたいという、書き手としての大命題を、頭の中、腹の中に樹立していなく、単に読み物を書く気で書くから、このような演歌調の題名になる‥‥と、批判を受けてもやむをえなくなる。

 先日に書いた、大東塾神屋二郎氏が言う通り、先人の想いが体感されていないから、「自分の感性」で、好き勝手に書くことになる。最近は多くなっている。「戦犯」という言葉を廃絶するための「昭和殉難者」という言葉の徹底同様に、「散る」は禁句にすべきであろう。後世の人間が使うべきではない。「散る」は、どこまで言っても散るでしかない。今の世代が使えば、奥の無い言葉で終わってしまう。刹那的な戦いのイメージしか伝えない。「桜が散るように、自分も国の為に散っていく」手記はあっても、その想いは、戦前という時代の中での「日本の心」を、五尺の四肢隅々までに滲み行き渡らせた、男子の思いである。現代人が安易に使うべきではないだろう。また、使う必要がない。戦後人が先人を讃えるのであれば、「戦う」・「参戦」・「出征」・「殉ずる」などの言葉で表現すべきだというのが、自分の考えである。「誰が為に戦う」・「誰が為に参戦」・「誰が為に出征」・「誰が為に殉ずる」、このような題名で論を立てるべきだろう‥‥。右翼団体の会合でも、「散る」とか「散華」などという字句や発言がある時は、必ず訂正を自分は求めている。実際、販売物においても、刷り直していただいた団体もある。

 遊就館でも、「パラオに散った英霊たち」という題名で特別展をやっている。靖國神社執行部はもう末期というより、戦前を放棄し、軍務を放擲してしまった、残滓のような集団と化してしまったので、まあ、こんな題名しかつけられないのだろうと思う。神職全員、横っ面をひっぱたいても、このボケ具合はもう直らないし、自覚も失せているだろう。英霊に奉仕している靖國神社が、祭神を「散った」という表現を使用して、誰もなんとも思わない。あきれ果て足る堕落であろう。遊就館部に、人がいない証拠。靖國神社中枢に、人がいない証拠。総代に、これという人が見当たらない。ひところ、秀才を放っていたかに見えた所功先生も、『日本』に掲載された最近の「明治天皇のお気持ちと昭和天皇の御真意」などを読むと、限界を感じる。書かない方がよい話を書いている。

 六月号の靖國神社社報。例によって巻頭にある「靖濤」の文章がひどい。というより、ノータリンが書いたとしか思えない。ノータリンなんて言っても、この書き手には意味がわかるまい。靖國神社神職が書いたものではない。後楽園辺りを歩いているブンヤに書かせたものではないだろうか。まるで、他人事の「記事」を掲載している。プロ野球の話をする頭もオカシイのだが、中身はもっと狂っている。≪明治五年、日本野球の歴史は、靖國神社の歴史とほぼ重なる≫と、まずは書いている。主語をプロ野球にしている。靖國神社の歴史は、天皇の歴史。日本の近代史そのものだ‥‥。それだけではない。死に物狂いで、欧米列強の侵略に対抗した近代日本人の戦いの軌跡であり、その雄渾を今日、引き継いでいかなければならない栄光の歴史である。その歴史を引き合いに出し、プロ野球史を上席に置いて書ける、「こんなバカ」は、さすがに今までの靖國神社にもいなかった。だが、とうとう、こんなバカが中枢に居座る神社になってしまった。戦前の名選手で、エピソードが幾つも紹介されている石丸進一命の「日本野球ハ‥‥」と、綴りかけたままで終わっている手記が、遊就館に展示されている。これを評して、≪野球への熱情を、敢えてここで断ち切ろうとした、悲壮な決意が、凛として伝わってくるからだろう≫などと、適当なことを書いている。こいつはなんだろう。こいつというのは、書き手のことだ。靖國神社の、もしも神職が書いたとすれば、即時、追放したい。何が、敢えて野球への熱情を断ち切ろうとしたか――である。こいつには、サヨクのケがある。靖國神社神職として冒してはならないことをしでかしている。祭神の心を貶めていることだ。石丸進一投手は、野球への情熱を断ち切ろうとしたのではない。野球を「やめて」、国の命令に従い、国家に殉じる覚悟で、戦場に赴いたのである。そのことが大切なことであり、当時の日本人の至誠であり、戦後人が畏敬しなければならない由縁でもある。石丸進一少尉は、グラブをベンチに置いて出撃したのだ。グラブをもって、特攻機に飛び乗ったのではない! ≪悲壮な決意が、凛として伝わってくる≫など、勝手に創作するなである。「悲壮な決意」・「凛として」などと、安っぽいセンチメンタルな言葉を羅列して文章を作る――、売文稼業の匂いが書き手からプンプン臭ってくる。書き手そのものが安っぽい生活・血脈しか持っていないので、実情とはかけ離れた「男たちの大和」みたいな話を書くことになる。石丸選手の話は、山岡宗八氏が書いている。悲壮が書いてあるかどうか、よく読み返しなさい。野球を「やめて」、出撃していったのでしょう。靖國神社社報の巻頭に、「創作」を書いてはいけない。石丸進一命に触れるのであれば、その「命」の話――神の話をしなさい。祭神という意識が無さ過ぎる。書き手を換えるべきだろう。献身の姿を伝えることが、「靖濤」の役割でしょう。書き手の四肢・体内の血に、「靖國神社」が、まったく浸透していない。個人のブログのように、「靖濤」がなりつつある。末尾に到っては、最低である。‥‥靖國神社から東京ドームまでは、直線にして約一キロ半しかない。そんな近くだが、スタンドの明かりは、ドームのために、遠目では確認できなくなった‥‥。≪だが、ミットを叩く白球の音、一球一打に沸き起こる歓声は、人知れず靖国の杜に届いていることだろう。野球をこよなく愛した英霊も待ち焦がれていた、野球シーズンの到来である≫。‥‥こんな言葉で、終わっている。頭から尻まで、プロ野球シーズン到来の宣伝文。こんな文章があるか! こんな「靖濤」があるか。本殿に鎮まる英霊が、後楽園の野球見物しているような話を、マジで書いている。週刊誌ならイザ知らず、「靖濤」に書く話ではない。この程度の英霊、祭神観。

 この軽さが、「あさなぎ」に浸透している。靖國神社参拝には、「個人個人いろいろあってもいいでしょう」という勝手派が出てきたが、今度は、靖國神社の英霊に対し、「いろいろな見方があってもいいでしょう」派が、とうとう中枢に入り込んできたのだ。まさに、「勝手」・「自由」が、神社内部に侵入・侵攻しだしたのである。下からではなく、上からサヨク化しつつある。靖國神社社報は「少女雑誌」ではない。殊に巻頭の「靖濤」は、靖國神社の魂を伝える場所である。編集者が前任の大山晋吾氏から代わって、突然、女々しく、センチメンタルな、口先だけの、手馴れた売文のような文章が続いている。言葉の羅列が多い。ナンデこんな書き手を重用しているのか、執行部そのものの体質を顕わしている。なにか、勘違いしているのではないか? 社報に「名文」などいらぬ。誠心誠意で書くだけでいい。松平宮司が、深夜遅くまで社報に筆を入れていたのは、「名文」を熟考していたわけではない。祭神に対し不敬はないか、敬神と食い違う字句・表現はないか、崇敬者を教化しているか――。そのことのために、深夜まで広報課長・担当者を交えて、渾身を注いでいた。どうしてこんなテイタラクになってしまったか。「靖濤」とは、文字通り、靖國神社から発せられる波濤である。神門を越え、大鳥居をくぐり、世の中・社会に向けて、担ぎ出す御神輿である。祭神の熱い想い、奉仕者の敬虔な想いを伝播させ、国民を広く教化する――、その思いが発案者にはあったものだ。それが、この二月の人事異動で、がらりと週刊誌になってしまった。書き手が「最下層の心」しかないからだ。祭神の想いを体感できる「日本の心」を有していないから、靖國神社とは無縁のことばかり書いている。確か四月号では、「踏み切り事故で亡くなった警察官をとりあげ、靖國神社の祭神に話が波及する筆法。今、四月号を取り出した。英霊と合祀について、こう書いている。≪靖國神社に祀られる英霊は、歴史の中のそれぞれの瞬間に職責を全うし、そして斃れた方々ばかりである。そうした方々の御霊を慰め、「国の護り神」と祀った先人も、さぞや一人の人間として、ただただ頭を垂れずにおれない心境にあったことだろう≫‥‥。共産党から送り込まれた書き手としか思えない文章である。戦争という文字はない。天皇もいない。皇軍もなし。そして、赦せないのは「英霊を祀った先人」という表現。既に過去の話として決着させている。現在も合祀は続行されている。現在も祭祀は、日々、続行中である。「先人」が祀っただけでなく、現在の神職が合祀し、祭祀している。

 陸海軍に代わり、軍務を遂行しているのだ。そういう感覚がゼロである。感覚だけでなく、知識そのものが無いのだ。つまり、書き手は、靖國神社の神職ではなく、上層部の誰かの友人が、勝手に、パソコンに向かって、ひたすら文章を練り上げることに熱中し、書いているとしか思えない。それか、意図的に靖國神社を過去形にし、新たなイメージ作りに協力している。多分、これだろう。執行部と一体化になって進めている、靖國神社解体化である。「合祀に奉仕する神職を」、≪さぞや一人の人間として、ただただ頭を垂れずにはおれない心境にあったことだろう≫とは、なんたる言葉か! 他人事として書いている。靖國神社の神職、奉仕する至誠を、妙な視点で書いている。≪さぞや一人の人間として≫――。どうしてこういう書き方をするのか‥‥。「靖濤」は、大体が広報課長が担当であるが、この文章は新任の課長が書いたものなのか? それとも他の誰かか? 更に深刻な問題は――、こういう文章を書かれても、現在の靖國神社の神職の多くが、なんとも感じていない様子にあることだ‥‥。ここが慨嘆である。いつか、書いたことがあるが、「一旦、総て総入れ替え」が必要なのではないか‥‥と思う次第だ。

 備中處士さんが、戦前回帰の話をぐんぐん盛り上げている。おおいに働いてください。しかし、閲覧者の数はあがっているが、他の投稿者が消えた。戦前回帰や、備中處士さんの引用に、「ついていけなくなったのか」。なんともわからない。「ことあげ」のために、小生は書いていく。英霊奉仕の仕儀を、なお一層書き込んでいく。戦前回帰は、先ずは靖國神社祭祀正統からすすめたい。靖國神社の祭祀は、勤王の一事のために斃れた祭神を、大祀し奉つることにある。日本の近代の事変・戦争は、勤王の一事のための戦いであった――。これが動からざる歴史真実である――。このことが伝えられていない。総ての始まりは、勤王の一事から端を発している。それが日本の近代史の眼目である。根幹である。うーん、また、少し身体の変調がある。少し、休みます。どうも、読み返していないが、文章になっていないかも知れない。次に戦陣訓――国風の守護――凱旋――招魂斎庭――参拝と、今まで書き落としてきたことを書いていくつもりだが。それでは。

――備中處士――師道の嚴。
一兵士樣
 一兵士翁の曰く、「何か大切な言葉を後世に傳へたいといふ、書き手としての大命題を、頭の中・腹の中に樹立してゐれば兎も角、戰爭に全く關はつてゐない後世の現代人が、先人の戰ひを『散華』(仏教用語)・『散る』などといふ言葉で書くべきではない。『戰犯』といふ言葉を廢絶するための「昭和殉難者」といふ言葉の徹底同樣に、禁句にすべきであろう」と。御埀示、難有く拜受いたしました。「御皇室」・「御英靈」については、翁の何度も仰る通り、過ぎたるは及ばざるが如し、慇懃無禮と存じます。如何してもと云ふ方には、「皇大御室」・「英御靈」をお勸め致します。然し此の漢語音讀は、一般に不通ですね。
 小生の如き末輩の云々する所ではありませぬが、ご指摘の日本學協會刊『日本』平成十九年六月號に於る所博士の文章には甚だ穩當ならずと、小生も些か驚愕いたしました。然し同じ號に於て、虎童村尾次郎博士が、昨年まだ御健在の頃、慨歎れた言葉がある由。曰く、「國家の大事、皇室の大事に當つては、まづ先師(平泉博士)の御示教を眞劍に探求すべきではないか。然るにこの頃は、私説・私見ばかりが先行してゐる。一體、同學はどうなつてゐるのか、憂慮にたへない」(川野克哉翁「篠原亮さんを偲ぶ」)と。彼の論説は、眞に「書かない方がよい話」を書かれてをります。私見私説の跋扈は、青々塾の最も忌む所にして、殊に「皇室問題については、人格極めて高潔、見識拔群に卓越するに非ざれば、私議すべからず」との平泉澄博士の遺教(『日本』平成十八年五月號の川野克哉翁『「皇室典範」と國民』)を、更めて骨髓に徹して學んだ次第です。
 又た高森氏も、小生は學生時代に些か御縁があり、日學連時代の颯爽たる文操、又た自民黨に注文する英姿に憧憬してをりましたが、昨今の『わしズム』掲載の文章、或は監修とは申せ、PHP文庫の事典には、甚だ違和感を覺えてをります。前者は若者層に媚びるもの、後者は元號を括弧にくゝり、且つ邪蘇暦を其の上に冠するてふ代物、内容も當世流行の御座なりのもの、其の師道に反すること甚大と愚考します。大東塾の俊英に、何かあつたのでせうか。圓熟老成と、角が取れたのとは違ひますね。

●吉田松陰先生『赤川淡水の常陸に遊學するを送るの序』
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■平成十九年六月十三日

――備中處士――醜の御楯。
○○○○樣
 「問題なのは正しいかどうか」については、小生は十分な資料もありませんし、正直、分りません。「醜の御楯」として眞つ先に思ひつくのは、一兵士翁が述べられました如く、やはり、
●『萬葉集』卷第二十・四三七三・下野國の火長・今奉部與曾布の哥(醜翁鹿持雅澄翁『萬葉集古義』に據る)
今日よりは顧みなくて大王の醜の御楯と出で立つ我は
の哥でありませう。たゞ小生は、古語「しこ」を、天子樣に對し奉り、只管ら深く沈下卑下する、「卒伍としての臣從」の立場としての言の葉として採りたかつたからに他なりません。大楠公を想ひ出してをりました。其の理由は、其のすぐ後に引用しました、淺野晃翁の玉章を以て代へさせて戴きました。
 ○○○○樣の「靖国神社の祭神を、『醜』と呼ぶ資格があるのかという疑念」、「自らを卑下するのも、度が過ぎれば不敬」、「度を越した自己卑下に対して、人は嫌悪を感じる」等の御言葉は、一般論としてはさうかも知れませんが、其の對象は、「大君は神にしませば」の、我が大君でありますれば、いくら己を卑み下したとしても、足りぬものでは無いと拜します。其の差異が大きければ大きいほど、天子樣の神性を高らしむるものと考へました。むしろ「謙遜」としたら、其の對象が、魂の同じ次元の方か、やゝ高低する御方のやうで、小生には却つて違和感があります。感じ方ですので、○○○○樣に疑義を呈した訣ではありませんので、御赦し下さい。勿論、防人として第一線の御守護たる自負として、亦た護國の祭神として、「しこ」を「頑強」の謂ひに採ることに不滿がある訣でもありません。
○圓珠菴空心契沖律師下川氏『萬葉集代匠記』
 醜は、謙下して、みづから身を罵(のる)詞なり。
○折口信夫博士『口譯萬葉集』
 今日からはどんな戰場に出ても、後を向くことなしに、天皇陛下の御爲の、み楯、つまらないまづい乍らの御守りとして、家を出て出發する。わたしは。
○保田與重郎翁『日本語録』(新潮叢書・昭和十七年七月刊)
 「しこ」とは何かと云へば、今日一般に「醜」の字をあて、身をへりくだつて「しこ」と云つたと云うてゐるのは、當らぬのである。第一、大君に身を比すといふことはあり得ぬことだからである。古人はさういふ冒涜的な考へ方をしなかつた。またさうした解釋では、「かへりみなくて」と「しこの御楯」といふ意識の關係が創造的でなく、極めて理性的になる。大國主命の別名を葦原醜男神と申し、この醜は勇武の意味だと、本居宣長は解釋し、高木市之助は、やはり「しこの御楯」の「しこ」はこの意味で、「みたみ吾」といふ意識の如く、立派なつよい楯といふ意味だと云うた。しかしこの葦原の「しこ」も、萬葉集に「醜の醜手」などとある「しこ」も、神の意志で生ひしげるもの、人間の意志で何ともならぬ、かたくななるものを云ふのである。人の考へ方や力では、何ともならない大きな力で動き、われながら驚くやうな育ち方をするものの力を云ふのである。だから今のことばに當てるなら、勇猛邁進するやうな神の力の、人につくことが、「しこ」のはたらきである。葦原の「しこ」といふのも、葦原のありさまと將來のはたらきの方からきて、それを神の性として見るとき、勇武といふことにもなるのであらう。もとの意味は、葦原の五穀草木がさかんに茂ることを、「しこ」と考へたのである。
○保田與重郎翁『わが萬葉集』(昭和五十七年十月・新潮社刊)
 「之許乃御楯」の「之許」は、「醜」の字を當てるが、これは頑に固いといふ如き意味である。他を罵つていふ語となり、また卑下していふ意味もある。頑固で強いものにも當てられてゐる語である。大君の御前で、敵の矢を防ぐ御楯として、出立つとの覺悟を述べてゐる。
○一兵士翁
 「醜の御楯」とは、戰ひで勇戰することではなく、文字通り、天皇の楯となり、敵の矢を受け、覆ひくる敵の刃を受ける、即ち自分の命は楯として「使ひ捨ててください」と、命を差し出す覺悟を言ひます。その想ひを顯はしたのが「醜の御楯」だと、小生は「聞きに來る者」あるときは、常に答へてゐる。戰場に向かふ兵士は、戰ふことが重要なのではなく、命を捧げる誓約が大事です。一應「命令ですから戰場には行きますが、自分の命が無くなったら怨みますよ」では、戰爭は出來ない。將官は兵を「駒」のやうに動かせない。「命はいりません。どうぞ使ひ捨ててください」、これが「醜の御楯」であり、日本の戰爭である。だから精強皇軍といふ。妻や戀人の爲に、恣意的に戰ふのではなく、天に代はりて不義を討つのが皇軍なのである」と。

 以前ご紹介のありました谷口雅春氏の件は、『愛國は生死を超えて――三島由紀夫の行動の哲學』(昭和四十六年十一月・日本教文社刊)にありますね。然しながら事實關係に、一寸相違があるやうです。些細な事ながら、念の爲に引用しておきます。曰く、「
 わたしは、三島氏とは別に、その生存中に交友關係があつた譯ではない。しかし、あの死の決行には、「日本を毒しつつある現行の占領者の押しつけ憲法に體當り」するために、三島氏にいのちを托して決行を伴にした四人の青年がある。そのうちの古賀浩靖君と小賀正義君とは、生長の家の若い信徒であつて、三島氏は、あの自刃の數日前に、これら決行を伴にする青年に、「ただひとり谷口先生だけは、自分たちの行爲の意義を知つてくれると思ふ」といはれたといふことを、私は、生き殘つたうちの二人の青年から、後に聞いたのである。そしてあの自刃の數日前の十一月二十二日、三島氏は、私に「會ひたい」といつて、私に對して電話をかけて來たのだつたが、その日の午前は、生長の家の秋季大祭の行事があり、午後は、私の金婚式を多勢が祝つてくれるために、ホテルオークラに集まる豫定になつてゐたので、電話口に取次ぎに出た者が、會ふ時間がない由を告げて、輕く斷つてしまつたのであつた。その夜おそく、三島氏は、「今からでも、谷口邸へ直接出掛けて行つたら、面會できるかも知れないから、失禮だが、押しかけて行かうか」とか、「もうお眠みになつてゐるし、面識が今までにないから、矢張り面會を斷られるだらうか」とか、青年たちと色々協議せられたさうだが、つひに遠慮して訪問して來られなかつたので、私はまことに殘念なことをしたと思つてゐる。もうこの世で遭ふ機會のない人で、あれだけ會ひたがつてゐた人に會へないで、惜しいことをしたと、私は今も歎いてゐるのである」と。
 

  • [66]
  • 六十五。正気の歌か。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月 2日(土)16時26分5秒
  • 返信
 
■平成十九年六月七日

正気の歌か。
備中處士さん
 本当にあなたは反応が早く、素晴らしい。小生はいま、あちこちから持ち込まれた史料の解読と分析で、なかなか時間がとれない。それでも、戦前回帰の方向を、まず、靖國神社に定めて、その回路設定をしようと、書いている途中です。それと、此処数ケ月の靖國神社の放埓ぶりにも、鉄槌を降ろさねば成らない。今、紹介してもらった影山翁の神風連の戦いは、迂闊だった。忘れていた。霊の戦い――。これをもっと以前に書けばよかったと、臍を噛む。備中處士さん、もっともっと馬に食わせるほどの話の中から選択して紹介してください。豊富な出典に驚倒しております。閲覧者は、いま、あなたの紹介される先哲の論で、一生懸命、修学していると思います。かつての勤王の志士、維新を遂げる者達は、「無学で刃物を、日本刀を振り回し、突進したのではない!」ことが分明すると思います。無学の徒では、なにも出来ない。知識を糧に、学問が若い世代に求められる。靖國神社正統を受け継ぐためには、「若者なりの感覚」なんかでは話にならない。神道の学問・国学の修学がなくては、いかんともならない。国風を喚起させることが第一でしょう。いうなれば、備中處士さんの後を追う、第二、第三の備中處士さんが陸続することが願いである。

 幸なことに、靖國神社の青年部機関紙「あさなぎ」の春号の表紙が変った。サンザン、以前、批判したのが功を奏したのか、十字架のような十文字のデザインが削除された。あとは、題名の「あさなぎ」の文字デザイン化を廃棄すること。それと、高森明勅氏などの顧問が、「御英霊」・「御祭神」・「御皇室」などの言葉を発しているから、会員がみな「御」をつけて書いているバカぶりは、相変わらずだ。高森氏自身が、まだ勉学途中であるにも関わらず、顧問などの席についていることがおかしい。大原さんの後釜を狙っているのかも知れないが、よしなさい。顧問などは、まだ早い早い。はやく、顧問などは辞退し、司会業などもやめて、もういちど大東塾に戻り、しっかりと国学を勉強しなおさないと、紙切れのようにどこかへ飛ばされてしまう。関係者がこの欄を読んでいれば、彼にもこの一兵士のスレッドを教えて、目を通すように伝言してあげてください。備中處士さん、今更以上に骨折りお願いします。いま、国風の風が巻き起こるように、日本を動かしましょう。正気の歌ですよ!


■平成十九年六月十日

――備中處士――肥後勤王黨・敬神黨の精神を恢弘せむ。
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――備中處士――維新の精神
●南洲西郷隆盛翁『大西郷遺訓』に曰く、「
一、文明とは、道のあまねく行はるゝを贊稱せる言にして、宮室の莊嚴・衣服の美麗・外觀の浮華を言ふにはあらず。世人の唱ふるところ、何が文明やら、何が野蠻やら、些とも分らぬぞ。予、嘗て或人と議論せしことあり。西洋は野蠻ぢやと云ひしかば、否な文明ぞと爭ふ。否な野蠻ぢやと疊みかけしに、何とてそれほどに申すにやと推せし故に、まことに文明ならば、未開の國に對しなば、慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導くべきに、左はなくして、未開蒙昧の國に對するほどむごく、殘忍の事をいたし、己れを利するは、野蠻ぢやと申せしかば、その入口をつぼめて言なかりき、とて笑はれける。
一、人智を開發するとは、愛國忠孝の心を開くなり。國に盡し家に勤むるの道、明かならば、百般の事業は、從て進歩すべし。あるひは耳目を開發せんとて、電信をかけ、鐵道を敷き、蒸氣仕掛けの器械を造立し、人の耳目を聳動すれども、なに故ゑ電信・鐵道の無くては叶はぬぞ、缺くべからざるものぞ、といふところに、目を注かず、みだりに外國の盛大をうらやみ、利害得失を論ぜず、家屋の構造より玩弄物に至るまで、一々外國を仰ぎ、奢侈の風を長じ、財用を浪費せば、國力疲弊し、人心浮薄に流れ、結局、日本身代の限りの外あるまじき也。
一、ひろく各國の制度を採り、開明に進まんとならば、先づ我國の本體を据ゑ、風教を張り、しかしてのち、しづかに彼の長を斟酌するものぞ。しからずして、みだりに彼れに倣ひなば、國體は衰頽し、風教は萎靡して、匡救すべからず。終に彼の制を受くるに至らんとす。
一、節義廉恥を失ひて、國を維持するの道、決して有らず。西洋各國、同然なり。上に立つ者、下に臨みて利を爭ひ、義を忘るゝ時は、下、皆な之に倣ひ、人心、忽ち財利に趨り、卑吝の情、日々に長じ、節義廉恥の志操を失ひ、父子兄弟の間も、錢財を爭ひ、相ひ讐視するに至る也。此の如く成り行かば、何を以て國家を維持す可きぞ。徳川氏は、將士の猛き心を殺ぎて世を治めしかども、今は昔時戰國の猛士より、猶ほ一層猛き心を振ひ起さずば、萬國對峙は成る間敷きなり。普佛の戰、佛國三十萬の兵、三ケ月の糧食有て降伏せしは、餘り算盤に精しき故なり、とて笑はれき。
一、正道を蹈み、國を以て斃るゝの精神無くば、外國交際は全かる可からず。彼の強大に畏縮し、圓滑を主として、曲げて彼の意に順從する時は、輕侮を招き、好親、却て破れ、終に彼の制を受くるに至らん。
一、談、國事に及びし時、慨然として申されけるは、國の陵辱せらるゝに當りては、縱令へ國を以て斃るゝとも、正道を踐み、義を盡くすは、政府の本務也。然るに平日、金穀理財の事を議するを聞けば、如何なる英雄豪傑かと見ゆれども、血の出づる事に臨めば、頭を一處に集め、唯だ目前の苟安を謀るのみ。戰の一字を忘れ、政府の本務を墜しなば、商法支配所と申すものにて、さらに政府に非ざるなり」と。

 愚案、大西郷は、平田篤胤大人歿後の門人である。其の私塾・氣吹舍の門を、自ら叩くこと四度、又た薩摩藩士達を多く門人として氣吹舎に送り込んだ由、近年發見された『氣吹舍日記』からも再確認された(國立歴史民俗博物館研究報告第百二十二・三集『平田國學の再檢討・一~二』平成十七年三月・十八年三月刊)。明治七年前後には、文明開化のイデオローグ福澤諭吉の「楠公權助論」が發表されて、明治維新の眞の精神は、既に崩れて來る。維新の精神を覺醒せんと欲すれば、近くは如何しても大西郷のこゝろに歸らざるべからず矣。其の一歩を外せば、平成維新は、絶對に完遂すること能はぬ。

●淺野晃翁『明治の精神』(新潮叢書・昭和十八年十二月刊)の「増田宋太郎」に曰く、「
 福澤の文明開化には、國史も國體も無かつた。だから彼は、楠公の死を、權助の死に劣るとしたのである。‥‥福澤には、國家日本はあつたが、神國日本が無かつたからであつた。福澤には、忠君愛國はあつたであらうが、敬神尊皇は無かつた。尊皇攘夷は無かつた。神勅奉行が無かつたのである。福澤は、日本人であつたから、日本のために誠心誠意盡くしたが、それは米人が米國のために、英人が英國のために盡くすのと、少しもその次元を異にしたものでは無かつた。福澤には、天つ日嗣といふ一大事が、つひに分つてゐなかつたのである。渡邊重石丸も増田宋太郎も、簡單に言へば、福澤的なるもの(米英の個人主義と功利主義)との戰ひに生き、且つ死んだのである。いな、神風連も西郷黨も、すべて同じことであつた。‥‥福澤には、歌も無く、劒も無かつた。文明開化派には、劒の心と、歌の心が無かつた。それは、神國日本が無かつたからである」と。

●影山正治翁『西郷論の改變』(覆刻版『大西郷の精神』昭和五十二年九月・大東塾出版部刊所收)に曰く、「
 明治十年の役は、尊攘派最後の決戰であつたとゝもに、正統國學派最後の決戰であつた。敵とするところは、單に大久保等數個の人間でなく、文明開化の精神と潮流であつた。國の内に對する攘夷の實踐にほかならなかつた。しかも國學派としての尊攘勢力は、こゝに全滅し去り、漢學派乃至その亞流としての尊攘派は、こゝに變貌して自由黨の形に於て殘存し、戰ひのうちに次第に文明開化派と近接して、遂に昭和政黨幕府の半分と墮し去つた。幕末尊攘派のうち、革命派としての大久保黨は、維新直後に於て文明開化派と合流合作し、革新派としての板垣黨は、十年役後に於て相對的なる戰ひのうちに、次第に文明開化派と妥協混合し、たゞ國學の精神に立つ維新派としての西郷黨のみ、明治七年より十年の間に、維新の純粹道を護持せむがための絶對絶命の戰ひに斃れ伏したのだ。
 だが、形は破れたが、心は破れなかつた。肉體は死んだが、精神は死なゝかつた。西郷黨の道統は、爾來地下水として流れ、時に濆發しつゝ、昭和維新の神機に際會して、一時に濆騰したのである。即ち西郷黨は、明治維新最後の人々(先代國學)であつたと同時に、昭和維新最初の人々(新國學)であつたのだ。勿論西郷黨のうちにも、革命的なるものや革新的なるものが無かつたと言ふのではない。しかし大西郷自身及び西郷黨の本質そのものは、中津隊及び神風連によつて明示されて居る正統國學派としてそれであつた。國學派に實踐なしと言ふ從來の歴史觀は、根本的に是正されなければならない。國學派こそ、實踐の眞の意味に於ける實踐性を、最高度にしたものと言ふべきである。それは人爲・人力の面に於てこそ破れ去つたが、神威・神力の面に於て無窮に生き、無窮に勝つて居るのだ。
 從來の西郷論は、すべて人間(うつそみ)西郷を對照としてのそれであつた。しかし西郷の本質は、そこにあるのではない。楠公の本質が、人間楠公にあるのではないと同斷である。人間と言ふ面では、○○も家康も○○も甲東も、それゝゞに偉大である。たゞ問題は、神勅奉行の一點のみに存する。即ち神格に於てこそ、考へられねばならぬのである。順逆・正邪は、この一點に於て分れるのだ。かく神勅奉行の一點より考へる時、城山の意味は、即ち湊川の意味に於て理解されるであらう。湊川と關ケ原が絶對に違ふやうに、西南役と關ケ原合戰とは斷じて違ふのである。勝てば官軍、負くれば賊軍の考へ方は、湊川に當てはまざる如く、西南役にも當てはまらぬ。(天・神を相手にして人を相手にしない)神風連(國學派)そのものとしての西郷自身(本質)には、既に始めより成敗利鈍は無かつたのだ。あるものは、神勅奉行の一念のみ。この一念凝るところ、起つの始めより、永劫不敗の地に確立してゐたのだ。形の成敗・官賊は、問ふところでないのだ」と。

●影山正治翁『攘夷新論』(『維新者の信條』昭和十七年七月・大東塾出版部刊所收・四十四年増補版)に曰く、「
 明治維新は、尊皇意識の自覺より出發した。この自覺が外敵に向ひし時、尊皇攘夷となり、内敵に向ひし時、尊皇討幕となつた。かくて維新の確立を見るや、更に内を充實し外に伸張せんがために、尊皇開國へと向つた。これは矛盾でも變節でもなく、一貫尊皇であり、こゝにこそ維新の根本原則が存在する。開國は尊皇の手段であり、攘夷の心を以て行はるべきであつた。‥‥
 しかるに尊皇の大義を忘れ、攘夷の心を失ひ、開國のための開國主義のみが横行した。こゝに明治維新崩壞の原因があつた。かゝる反維新的開國主義が、所謂文明開化であり、文明開化の精神は、攘夷否定の精神であり、佐幕の精神につながるものであつた。明治の尊攘派たる神風連や西郷黨を殺したのも、此の精神であり、排佛棄釋・神道確立の大方途を阻止したのも、この精神であつた。昭和維新の思想史的意義は、近く言へば明治以來七十年に亙る、遠く言へば儒佛兩教輸入以來一千數百年に亙る文明開化精神を否定し、新たなる攘夷と討幕を完成して、以て神國日本のまゝなる神國日本を確立する所にある。‥‥
 攘夷の精神は、内なる至高のものを護り、内の純潔を死守しようとする精神である。進んでは外なる邪惡を討伐し、外に至高のものを光被せしめようとする精神につながる。即ち國體の防護に發し、國體の宣布に向ふ。この精神が内に向つた時、所謂討幕の精神となる。内在せる夷狄を掃滅して、内にまづ國體を確立し、以て外敵に當る根柢を固めようとするのだ。かくて攘夷の精神は、討幕の精神と二つでないことが解る。‥‥
 昭和維新の攘夷行動が、何が故に遲々として進まないのか。討幕が完成されて居らないからだ。明治維新の攘夷行動は、日新・日露兩役の戰勝と日韓兩國の合併によつて徹底されたが、これは討幕維新の上にこそ招(もた)らされたのだ‥‥。
 幕末の日本を守り、明治維新の大業を負荷したのは、實にこの壯絶な攘夷の精神であつた。幕府は國を守らんがために開國主義を取るのだと言つた。そのためには紅毛碧眼のハリスに敢て日本女性を姦せしめて疑はなかつた。傲岸不遜のペルリより降伏の標識となすべき白旗を與へられて恥ぢとしなかつた。福澤諭吉を始めとする明治以來三代の自由主義は、かゝる奴隷的開國主義を以て國を守るの道なりと強辯し、かへつて攘夷の精神を以て保守頑迷の野蠻思想なりと妄斷して來た。かゝる開化主義こそ、天皇機關説の主體であり、やがて共産主義の兇逆にまで至りしものである。攘夷は、單に銃劍の攘夷のみを意味しない。それは信仰の攘夷、思想の攘夷を必ず伴ふ。明治維新の二大動力となつた國學と水戸學は、勤皇の學であると共に、攘夷の學であつた。たゞ國學は神道の上に立つてそれを行ひ、水戸學は神儒習合の上に立つてそれを行つた。純粹さの上からは國學派が遙かに勝り、實踐力の上からは水戸學が遙かに優れてゐた。前者は儒佛兩教を敵とし、後者は佛教を敵とした。共に戰ひの學であつたのだ。今人多く國學運動を以て、單なる學説紙上の運動と見る、誤れるも甚だしい(愚案、之に加ふるに崎門學を以て三大動力と謂ふべく、是らは全て日本學なるべし矣)‥‥。
 攘夷の精神と戰ひの事實を無視して、國學運動の眞髓を把握せんとするは、劍の精神を考へずして、古事記神話を理解せんとする如く、絶對の不可能事に屬する。攘夷の根柢は、尊皇であり國體である。尊皇の信仰と國體防護の決意が深ければ深い程、攘夷の意識が熾烈となる。‥‥
 日本の道は抱擁の道であり、綜合の道であり、大和の道であることの故を以て、この全面攘夷を緩和せんとする如き者あらば、そは維新の大道に暗きものであり、徹底せる攘夷の後にこそ、始めて正しき開國と宣布のある事を知らざるものであり、即ち昭和維新の奉行に不忠なるものである。まづ一絲をまとはざる眞裸のわれにかへること、一切の既成分別を抛棄して清新なる無に歸ること、そして徹底せる個人と國の禊祓を嚴修することだ。‥‥
 昭和維新は、單に明治維新の追完のみではない。實に建國以來の大維新、第二の紀元に外ならない。内外・有形・無形の攘夷が、眞に徹上徹下に行はれねばならないのだ。一切の妥協、一切の誤魔化しは、絶對に許されないのだ」と。


【參考・備中處士『嗚呼、大西郷』正・續・續々・再續、『永遠の維新者、大西郷』、『願はくは青螢と化して、楠公墓畔に生れなむ』】
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  • 六十四。いにしえの心に帰りたい。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月 2日(土)13時37分2秒
  • 返信
 
――備中處士――三百年、道義國家を目指して。
一兵士樣
 戰前囘歸の理想への決意・具体案(綱領・憲法案等)は、民族維新派ないし保守運動家なら、何方も一家言あり、馬に喰はせる程の文章・語録はありませうが、それをまとめる周旋家が不在です。翁も仰せでしたが、今まで何囘も何度も大同團結を圖らむとされましたが、領袖の歸幽による後繼者の怠慢、或は意見の相違、或は墮落内紛等により、結局、實を結びません。いはゆる自由主義・民主主義・利己主義・經濟至上主義等が幅を利かしてゐる現状では、皇國日本のまことの姿の失はざるを得ず、青々塾も大東塾も、遺憾殘念ながら、何うにもなりませぬ。我々の理想とする所は、「民主國家」では無く、「道義國家」の建設であります。機は未だ熟してをりませぬ。蓋し神意と心得るべきでせう。橋本景岳(左内)先生のやうな、識見・人格ともに勝れた、一人の傑物大器の登場を待ちつつ、今は吉田松陰先生に學ぶべき秋でありませんか。神界が發動すれば、大西郷や乃木將軍が、期せずして顯在されるでありませう。楠公の七生滅賊、擧賊殉皇の精神の、靜かなる祖述涵養こそ、現在の急務と心得ます。
 自民黨・松下政經塾への失望、維新政黨「新風」の苦惱、或は、例へば前に引用させて戴いた中島一光翁も、言擧げされてをられますが、どうにもならぬやうですね。現況に於て政治的絶望は、洵に深刻なるものがございます。
●中島一光翁『新政黨の結成を訴へる』
  ↓↓↓↓↓
http://www5.ocn.ne.jp/~iyasaka/Sinto.htm

●『緒方竹虎』(修猷館創立七十周年記念講演の祕話。昭和三十一年五月・修猷通信刊)
●田中卓博士『平泉史學と皇國史觀』(平成十二年十二月・青々企劃刊)の「敗戰直後の平泉先生」
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/874

 愚案、靖國神社については、「現状を悲しむのあまり、一時便宜の策を講ぜむとするものもあるやうである。現状を歎いて、一日もはやく解決を急がうとする心情は、之を諒としなければならないが、問題は極めて重大であり、國家の基本に關する所であるから、一時の彌縫、便宜の妥協によつて、その本質を誤るべきでは無い。占領下に於いて、すべてが歪曲せられた事は、今更いふまでもないが、然し眞實をいへば、歪曲せられたるは、ひとり占領下に於いてのみで無くして、占領解除の日に、當然爲すべき修正復原の大事が怠られた爲に、歪曲はそのまま沿襲せられて今に至り、今日に至つては、本末の道理を分らず、是非の感覺も鈍つて來た。我等は、何よりもそれを恐れ、それを歎かねばならぬ。靖國神社は、國家護持の精神のやどる所である。從つて若し此の崇高にして嚴烈なる本質を見誤り、一時便宜の處置によつて之を左右するとならば、それは國家の基礎を動搖せしむるものなる事を覺悟しなければな」(平泉澄博士『靖國神社總説』)りません。まづ第一には、國家護持の精神のやどる所の「靖國神社の眞姿・本質」を明かにしなければなりませぬ。未だに「首相の非禮參拜」・「民主政府による國家護持」を熱望してゐるやうでは、御話になりますまい。
 現在の精神界は、室町時代にも比すべき魑魅魍魎の世界であります。一兵士翁には、旭日再輝の曉まで、ご自愛ご自重あつて、長壽健康、益々健筆を揮はれ、我々、靖國神社正統護持に目指さんと欲する者を指導誘掖して戴かねばなりませぬ。殊に正統護持の爲には、掲示板の制約、或は云ふべからざる祕事もございませうが、ギリギリの所まで教示叱正を賜りたく、幾重にも御頼み申し上げます。
 一兵士翁、前に御約束して戴きました‥‥、靖國神社の現在、松平永芳宮司いませば、如何に對處されるのでありませうか‥‥。恐惶敬白

●佐久良東雄大人の哥
神國の神の教を盡し果て絶えむ絶えじは神のまにまに


■平成十九年五月三十日

いにしえの心に帰りたい。
 昨日届いた大東塾発行の『不二』を読む。草開省三先生が、先日亡くなられた名越先生の思い出話を載せている。名越先生は珈琲が大好きで、渋谷駅前の「蘭」によく立ち寄っていた。開店して四十年ぐらい経つ、小さな喫茶店だ。小生も何度か先生と此処で待ち合わせをしたこともあるし、草開先生も、ひょっこり顔を出すことがある。お二人とも声が大きいので、静かな店内に日韓の話が響き渡る。小生も所構わずしゃべりだすから、居合わせた客もたまったものではない。しかし、話す内容に、殿下とか、天皇とか、靖國神社とか、朝鮮とか、決死ご奉公などの言葉が辺りにポンポン飛び出すから、なんとなく店内はしーんとしている。「声をおさえましょう」と、小生が言っても、名越先生は、「なにをいっとるかね。何も悪いことを話しとるんじゃないんだから。しかしあんたの声は大きいなあ。アハハハハハ」と、椅子に寄りかかる先生の姿が、今でも目に浮かぶ。この名越先生が、病床で、伊勢神宮を流れる「五十鈴川の水が飲みたい」と口にしていたことを、草開先生が追悼で明かしているのを読み、粛然とする。名越二荒之助、いまだ遣り残したものがあったのではないか――。なじる想いが噴流となって、胸内に沸き起こる。そして、名越先生と盟友である大東塾の神屋二郎氏も、現在は、病床にあることを「不二」で知った。

 以前、神屋二郎氏には、少し触れたと思ったが、この方が病床で詠んだ歌が載っていた。
吾娘揉みし足あたたかしいざいねむ内外の憂いなすすべもなく
身体が斃れてはどうにもならない。痛切に感じる。自分も元気であると思っていても、先日の検査では、既に、自分の血管年齢は八十五歳を越えているという。どこまで持たせられるか。焦りが腹の底から湧いている。神屋二郎氏が、別項で、坂野潤治著「未完の明治維新」の書評を書かれている。自分は、この本を書店でペラペラめくっただけであるが、神屋さんは病床でも読んだようだ。さすが二郎さん、たいしたものである。書評は「当然のように」辛辣である。この著者は、昭和十二年生まれである。著者は「明治維新は武士による革命」ということで論を進めているらしい。これに神屋さんは、反論というよりも、慨嘆した心持で批判しているが、さすがに良い言葉を使われている。
『‥‥ここまで書いて(書評を)、歴史とは何かといふ洋の東西、古今を問はず、論ぜられた問題に想ひ到った。泰西の歴史学の碩学や支那の司馬遷にしても、事実の羅列のみでなく、そこに籠められた人々のおもひを、史書の根底に据ゑた。明治維新を成しとげ、新政権を樹立した先人たちを画くにあたり、先人のおもひを体感せずに、いかに詳細精緻な史論を展開しようとも、死論に過ぎない。本書にそれが全く欠如してゐる、といふわけではない。そのおもひを体感する基本に、日本のこころが無いのである。昭和十二年生まれで、少年期・青年期に、徹底的に敗戦史観を叩き込まれた坂野氏には、いささか酷ではあるが、恐らく今後とも自覚されることは無いであろう。‥‥』と。

 まことに見事な世代視点であろう。「先人のおもひを体感せずに、いかに詳細精緻な史論を展開しようとも、死論に過ぎない。そのおもひを体感する基本に、日本のこころが無いのである」。実によくわかる。この通りである。戦前の思いを体感する基本に、現在の多くの国民の心に「日本のこころ」が無いから‥‥、理解が及ばない時代になりつつある‥‥。なってしまった‥‥。あと、三百年待つしかないのか‥‥。備中さんは、小生に、『旭日再輝の曉まで、ご自愛ご自重あつて、長壽健康、益々健筆を揮はれ』という。嬉しい限りである。が、そうはいかない。そうはいかない想いがある。備中處士さん、自分が生きている間に、希望を繋ぐ龍骨の設計図だけでも完成させたい。「いにしえのこころを持つ日本に帰りたい。戦前回帰――早急に取り掛かりたい」。なにからではなく、やみくもな精神の、まず復興であろう。それが維新の精神である。いま、壮烈に「いにしえの心に帰りたい」。その想いだけが、滝のように流れている。


■平成十九年六月一日

――備中處士――古への人、阿南將軍。
 古武士の如き阿南惟幾大將、幸ひなるかな、此の陸軍大臣あつて、承詔必謹の大精神が護持されたと謂ふべきでありませう。「いにしへの心に歸りたい」。然り、古への精神を復興せねばなりませぬ。復古、即、維れ新たなり矣。

●寒林平泉澄博士『松下村塾記講義』(昭和三十五年夏、於存道館。『先哲を仰ぐ』所收)に曰く、「
 先だつて雜誌『日本』(愚案、平泉博士が大川周明博士より、「日本」てふ雜誌名を讓渡されたもの)に、二・二六事件のときの阿南大將の言動を書いておきました。これは私、今まで書かずにをりました。この問題について述べることをひかへてをりましたが、今度の事件に感じて、今こそこれを明白にすべきであると思ひまして、あの事を書きました。阿南將軍は、あの時、少將でありました。東京陸軍幼年學校の校長でありました。その校長に對して、陸軍省から、この事件に關して一切批評することを差控へられたいといふ通牒が參りました。その話は、阿南將軍より、直接私の聞いた所であります。阿南將軍は、これに答へて、
「自分は幼年學校長を拜命してをります。學校長のなすべきことは、生徒に何を爲すべきか、何を爲す可からざるかを、明確に教へることであります。今、目の前に起つてゐる、この爲す可からざる反亂を見て、生徒は動搖してをります。かくの如きものは、爲すべきものでないといふことを教へました。それについて、御處分あることは致し方ない。私は甘んじて御處分を受けます」。
かう云つて、二・二六事件を批判し、その書かれたものを、全校の生徒に手渡されたのでありました。實に立派な態度と云はなければならぬ(愚案、「若し眞に國體を擁護せんが爲に、非常の手段をとれりとせば、遂行の曉に於ては、直ちに割腹自決するか、しからざれば二重橋の御前にひれふして、謹んで罪を待つべきのみ。しからずして要地を占領し、朝廷に要請し奉りてやまざるが如きは、全く外國革命の手段に同じく、叛軍逆徒にあらずして、何ぞや。之を誅戮する事なくして、皇國の中興いつをか期すべき」と云ふのが、蓋し平泉博士の最大の理由ならむ)。あの時に、數多くの人が殺されてをります。その數多くの人が殺されました時に、陸軍省はやはり通達を發して、誰の處へも弔問に行つてはならぬ、お弔ひに行くなとといふ命令が出ました。阿南大將は云ふ、
「高橋是清翁を初め、その他の方々の處へは、自分は特に關係がありませんから、參る考へは持つて居りませぬ。初めから持つてをりませぬ。獨り教育總監渡邊大將に至つては、私の直屬長官であります。如何なる事情にせよ、自分の直屬長官が殺されたと云ふことを耳にしながら、その弔問に行かぬと云ふことは出來ません。私は參ります」。
かう云つて、特に屆を陸軍省に提出して參られたのであります。實に天晴れの態度と云はなければならぬ。大丈夫の進退と云ふのは、かくの如きものであります。處分されることは、これは致し方が無い。しかし自分の爲すべき事は、それにかゝはらずして、これを爲す。實に堂々たる態度と申さねばならぬ。その話は、皆、將軍みづから私に話をされたことであります。
 その渡邊大將の所でお通夜をしてをられます時に、憲兵が飛込んできて、その座に居る或る少將に向つて、「閣下を反亂部隊はねらつてをります、御注意下さい」、かう云つて來ました。その少將は、この憲兵の報告を聞いて、顔色がさつと變りました。どうしてよいか判斷に迷ひ、非常に慌てゝをる。それを見て、阿南將軍が云はれるには、
「このまゝこゝに、今晩は御通夜をされますか、それともお宅へ歸られますか。このまゝ居られるのであれば、それも結構であります、もしお歸りになるといふことであれば、私の車で、私がお守りして、お宅までお屆けします」。
かう云はれます。これは、實に堂々たる態度と云はねばならぬ。その少將の名前は、私は聞き忘れました。又、結果どうされたかも、私は覺えてをりません(愚案、平泉博士の、此の言葉、非常に勉強となります)。しかし阿南將軍の、何といふ立派な態度であるか。校長の態度として、光り輝くものといはねばならぬ。
 かくの如き學長が、今度のデモに一人でも出てをるか。東大總長の最高筆頭に居つて、天下の學界・教育界の牛耳をとつてゐる者、その態度の、何といふ老態醜態でありますことか。日本の國は、こゝまで落ちてをる。驚くべきことであり、悲しむべきことゝ云はなければならぬ」と。

●前川佐美雄翁「捜神」の哥(昭和三十九年八月)
はじめより近代を憎み否み來つれば進歩なき今日のわが生高し


■平成十九年六月三日

――備中處士――天皇の御國、皇國日本‥‥國體明徴。
 戰前囘歸することは、皇國日本に歸ることでありませう。如何なる障碍があらうとも、如何なる現實であらうとも、其の本旨本懷を違へては、神勅の奉行・天業の翼贊は、到底、敵ひません。現在の憲法論議なぞ、洵に無縁空虚の事柄であります。皇神の震怒天譴を、小生は何より恐れます。現状打開には、一に祈祷の力に頼るべきであります。今こそ、有縁の同志による懸命の懇祷、至純の祈願が必要な秋は無いと、確信します。蓋し宗教としての神道の復活です。一人でも多くの方の、皇神・英靈の恩頼を乞ひまつるべく、皇國中興の祈りが求められます。言靈の幸はふ所、祈祷の力をあなどるべきに非ず。今はそれしかありません、此の壓倒的魑魅魍魎が猛威を震へる現實の前には‥‥。否、幽顯一貫、斯くも無殘なる現状は、幽界の混迷に在るのでせう。先づは私見・我執を離れ、先哲・古典の聲に耳を澄ませ、自己の清祓、國家の大祓に努むべきであります。

●寒林平泉澄博士講演『國體と憲法』(昭和二十九年六月三十日、岸信介會長の自由黨憲法調査會の招きに應じ、首相官邸に於て政治家達に對しての講演、原題「日本歴史の上から見た天皇の位置」。『先哲を仰ぐ』所收)
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●寒林平泉澄博士の哥
○單騎なほ千里行くべししかあるを友あり同じ斯の道を行く
○我も子も孫も玄孫も日の丸の御旗のもとに命捧げむ
○皇國はまたも興らむ若人の朝な朝なの清き祈りに
○青々の子等皆緋縅の鎧着て今日の戰に馳せ向ふらむ
○白山の神のしるしの杉の木の直ぐなる道を行けや人々
○怖れなし怒りあらめや我は只いにしへの道今に踐むのみ

●黒龍會長・大日本生産黨初代總裁・黒龍澗人硬石内田良平翁の哥
○五十年國を憂ひて草莽の野にさまよひて泣きに泣きたり
○五十年健び健びて雄健びし益良雄あはれ病みつかれたり
○我がいのちあらんかぎりは政事神代のごとくなさなん願ひ
○天神地祇ともに怒りて大祓ひ清めたまはん時ちかづきぬ

●青梅大東農場大東神社祭主・大東塾長・影山正治翁の哥
○十年を泣かざりされどわがこゝろ涙痕常にあらたなるかも
○日の本の道や衰らふ日日にして衰らふ見つゝなげかふわれは
○大いなる悲願に生きむ國の子のそのかなしみゆ國改まる
○世を擧げて濁りゆくとき益荒雄はいよゝ益々清らなるべし
○湊川城山のみち日本のますら夫の道清くかなしも
○民族の本ついのちのふるさとにはやはやかへれ戰後日本よ


■平成十九年六月四日

――備中處士――いにしへの心。
●保田與重郎翁『日本語録』(新潮叢書・昭和十七年七月刊)
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●保田與重郎翁の文と哥
○これが大人(硬石内田良平翁)の一代(ひとよ)はも、事の大本(おほね)はおのれなして、勳の名は、すべて顯世人(うつしよびと)にゆづり給へり。あはれ現世(うつそみ)の人ながら、なし給へることの、みな神業(かむわざ)よ。在り經ヘしみあとのすゞしさ思へば、今の世の人のわざ、まことや慷慨(うれた)きかな。茲に大人の祭りに仕へ奉らむ諸人(もろひと)は、今の時にしも、大きみたまをおのが心に鎭め、尊きみこゝろを、己が志とやなさむ、かつゝゝも現身(うつそみ)もて、神業はげみ仕へ奉らむ思ひの至れるなるべし。こゝを思へば、わが魂(たま)いとかずしく太り、みまへに獻奉(さゝげまつ)らむことの葉、おのづから口吟(くちずさみ)となりぬ。あはれ、これはも如何なりけむ、さるは、み戰治め給ひし年あけて、われ古國(ふるくに)にかへりこし秋の思ひ、わが口にのりぬ。時にはあらず、かつはをぢなしと知りつゝも、言立上(たてまつ)らむ、天(あま)かけります大き國つ御靈よ。御靈の恩頼よ。(『癸丑歳、内田先生を祭る文』昭和二十八年)
○あかつきのゆふつけ鳥の聲すなり世は明けにけりわれはねむらむ

――備中處士――祈りの戰ひ、靈的翼贊。
 靖國神社の正統護持の爲には、自由主義・民主主義・利己主義・經濟至上主義に據つて立つ者に對して、如何に多勢に無勢と雖も、「靈の戰ひ」・「祈りの戰ひ」を挑まねばならぬ。衆多ければ天に勝つとは云ひ條、不義不正・僞裝正義には、斷々乎として對峙するは覺悟の上、神靈の照覽・先哲の嚴訓を承けて、險難の一路を甘しとし、祖國日本の罪・咎・穢れを祓ひ清めねばならぬ。我々は一草莽にして、多くを望むこと能はず、無學不徳、固より大成は期すべくも無いが、せめて一條の光明、松平永芳元宮司の悲願、即ち「國家護持の精神のやどり坐す靖國神社の眞姿・本質」を死守せねば、皇國に生を享けし御民、何の顔せあつてか、天神地祇を始め奉り、聖死の英靈・父祖の靈に見ゆる事が出來ようか。
●影山正治翁『神道國學運動と昭和維新』(昭和五十一年五月二十二日・於岡山縣護國神社・神道國學講座講演・『言靈』第一號)
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  • [64]
  • 六十三。戦前回帰への思慕。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月 1日(金)18時41分36秒
  • 返信
 
■平成十九年五月二十五日

しばらくぶりに。
 『‥‥臣鞠躬尽瘁、死而後巳‥‥』という詞があります。「臣、鞠躬尽瘁(きっきゅうじんすい)し、死して後巳(のちや)まん」と読む。鞠躬(きっきゅう)とは、身をかがめるという意。その意から慎み深いという訳もある。尽瘁(じんすい)とは、病み疲れるまで心と力を尽す意味のようだ。古代中国、諸葛孔明が魏国討伐の際に、後主劉禅に奉った有名な『出師の表』の中にある一節。≪臣孔明は、身を屈めて、身心共にあるだけの力を尽しきり、先帝劉備の恩に報いて死ぬ覚悟です。その結果は、すべては時の運、天に任せる次第です≫という意味か。中国故事としても「鞠躬尽瘁」といえば、死ぬまで忠誠を全うする、国事に身心を注いで専念する、慎み深い忠誠心などの意味がある。孔明の言いたいことは、「臣孔明は、先帝劉備の恩に報いるために、身を屈め、持てる力を最期まで振り絞って死ぬ覚悟である‥‥」。その結果は、時の運であり、天に任せるしかなく、大事なのは、そのことの結果ではなく、自分の死ぬ覚悟である‥‥、と。先帝陛下の御恩に報いるために、持てる力を絞り尽して死ぬこと――、そのことである‥‥、と。これが「鞠躬尽瘁」の真意であろう。死ぬ覚悟、命を差し出す忠誠心。その結果、勝つか負けるか、それに重きを置いていない。至誠の表れ、顕わしに重きを置いている。これが西洋と違う戦いの志操、哲学かもしれない。滔々と流れる長い人間の歴史の中で、勝敗ではなく、その生き方に価値を見出す倫理観。そこから「邯鄲の夢」の志操も生まれているのだろう。「一炊の出来事」で大切なのは、勝敗ではなく、人間精神の表明。

 大東亜戦争に敗北したことが重要なのではなく、どう戦ったかが問われる。歴史に残る戦い方をしたかどうか‥‥。先人は忠実に先人の歴史を踏まえたのではないか。だからすぐに復興できた。先進国入りが出来た。他の国々とは、そこが違う。備中さんが、随分と書き進めているので、忘れられてしまっているかも知れないが、先だって○○○○さんの言われた「醜の御楯」。このことが気になっていた。諸葛孔明の「鞠躬尽瘁」と同じ志操だと、一兵士は考えている。醜の御楯の解釈は、備中さんが先哲の紹介文にある如くだと‥‥、おおよそのところは小生も思うが、しかし、少々不満がなくもない。「醜」は、自分の卑称かもしれない。相撲の四股(醜)を踏むにあるように、「地の神々の禍を除去するための祓い」から、強い・頑強という意味もあると解釈されている。しかし、まだ足りないものがある。根幹がない。言葉の思想が見えてない。

 醜の御楯といえば、万葉の句に代表される有名な歌がある。
今日よりは顧みなくて大君の醜の御楯と出で立つわれは
これの解釈は、≪大君の命令が出た。最早、我が命のことも家族のことも顧みる必要はない。自分はこれから大君の御楯となって、敵の矢を受けるために、刃を受けるために出で立つ≫。即ち――死を捧げます、という大句である。醜の御楯とは、戦いで勇戦することではなく、文字通り、天皇の楯となり、敵の矢を受け、覆いくる敵の刃を受ける――。即ち、自分の命は楯として、「使い捨ててください」と、命を差し出す覚悟を言います。その想いを顕わしたのが、「醜の御楯」だと‥‥、小生は「聞きに来る者」あるときは、常に答えている。戦場に向かう兵士は、戦うことが重要なのではなく、命を捧げる誓約が大事です。一応、命令ですから戦場には生きますが、自分の命が無くなったら怨みますよでは、戦争は出来ない。将官は兵を「駒」のように動かせない。「命はいりません。どうぞ使い捨ててください」。これが「醜の御楯」であり、日本の戦争である。だから精強皇軍という。「妻や恋人の為に」、恣意的に戦うのではなく、「天に代わりて不義を討つ」のが、皇軍なのである。

 大東亜戦争も同様である。大東亜戦争とは「敵が幾萬あろうとも、天に代わりて不義を討つ」戦争であった。日本の戦争が「侵略戦争だった」とか、「人権無視の特攻作戦」とか、戦後人やサヨクがわあわあ言うのは、勝手なことではあるし、自由である‥‥が、その時代がわからないから、戦後の米国歴史観で、西洋的史観で、物事を見てしまい、無知蒙昧の徒になってしまう。まあ、仕方がないことだがね。その時代に生きていないから、まったくその時代を知らない――。縄文時代でも戦いはあったろうが、その戦いの志操、哲学などは不明である。自分の現代感性で憶測するしかない。まあ、これと似たようなものであろう。だが、戦前の日本は、まったく現代とは違う。似た所はほとんどない。そういう解釈である。現代では、「大君」が理解できない。意味はわかるが、国民の心には、まったく投影されていない。刻印されていない。もう、まったく違う国柄である。

 「命を捧げる兵」がいるから、初めて将官は兵士を、後顧を憂うことなく、兵を敵の矢玉にもさらし、戦場に捨てることも、間髪をおかず、非業な命令さえもできる。戦場で華々しく倒れるのも、船もろとも海底深く沈んだ輸送船の将兵、食料弾丸なくも餓死した将兵も、「醜の御楯」となって死んだのである。同じ忠誠を尽して死んだのである。だから、国家は尊厳をもってお祀りする。一視同仁。大君の思し召しで、靖國神社に御祭する。そういう志操を理解できないと、日本の戦争は理解できない。「勝ってきてください」と、同胞から歓呼の声を受けて出征してきた身である。敵の捕虜になることなど、なんで出来ようか。それならば、潔く死んで名誉を残す。瓦となって死んでいくより、玉となって散ることの方が、名誉ではないか――。「大丈夫寧可玉砕、不能瓦全」(北斉書)。≪立派な男であるならば、むしろ玉となって潔く砕けるべきで、取るに足らぬ瓦のようになって命を長らえるべきではない≫。為に、大本営は将兵の名誉を重んじて、「潔く死ぬことを」命令した。これが玉砕命令である。「玉砕」は、「名誉」なのである。だから、生き残った者達、新しく命を産み継いだ戦後人は、敬謙に靖國神社に祀られる祭神に畏敬と尊崇をもって、社殿に伺候して、頭を垂れる必要があるのです。良い悪いではない。それを「侵略戦争だ」の、「手先」だの、言う人は、バチがあたるのです。本人にはバチがあたっているかどうかは、なかなか分からないが、確実にバチは当たっているのです。死ねば、はっきり分かります。地獄で閻魔が待っています。

 日本の戦争は「勝つことが」いいことなのではなく、「大君の醜の御楯」として命を捧げ、「天に代わりて不義を討つ」ことが重要なのです。それほど、高みにたった戦争なのです。だから、日本の戦争は、勝とうが、負けようが、誇りに思うことです。靖國神社の正統を受け継ぐとは、日本の戦争そのものを誇りとする――。そのことを原点に抱えないと、継承にならないのです。
八紘一宇』。
神国日本』。
復活すべきは‥‥、戦前同様の天皇を中心とした国家作り‥‥。それが一番いいのではないかと、最近、しきりに思い出した。親殺し・子殺し・教育者の児童買春・教え子にわいせつ行為。唾棄すべきニュースが、毎日溢れている。湧いて起きている。いやんなっちゃう。世界が何と言おうと、現在の国民の大多数が驚愕しようと‥‥、元に戻したほうがいいのではないか、と‥‥思いだしている。そうすれば、まだ、日本は生きながらえることが出来るのではないか‥‥。

 戦前教育が身についた人間が、戦後の日本を、基盤を築いてきた。だから、現在の日本が、まだある。あれだけの敗戦を経験しても、十年で世界に追いつき、存在感を見せつけた。それは戦後生まれが成し遂げたわけではない。戦前生まれ、復員してきた将兵、銃後の国民が一団結したからできた。果たして、いまのような国民で、若者で、小学校教育で、日本が将来、存続できるのかどうかは‥‥、疑問である。八紘一宇、天に代わりて不義を討つ――、高い精神・哲学・倫理がなければ、危ないのではないか。現代自由主義・個人主義・人類愛が横溢する日本は、軟弱な西洋小国、脆弱な小国家のように思えてきた。戦争も、多分、出来まい。怖くて出来まい。やむをえず、戦争しても、簡単に降伏しそうだ。すぐに捕虜になって、ベラベラ秘密をしゃべりそうな気がする。優秀な武器があれば、戦争が出来ると思っている。がっかりである。

 ‥‥しばらく、別のことをしていました。やっと、復帰できました。しばらくぶりに書きました。備中處士さんは、本当にいろいろな方の詞をよく知っておられる。たいしたものです。それも選びに選んで紹介してくれているので、楽しい。毎日、楽しみにして読んでいました。八月十五日、終戦の詔勅に際し、宮城前の玉砂利に伏した朝日新聞一記者の言葉は、改めて涙腺を刺激しました。最近は、すぐに涙が出てくる。世界卓球のコマーシャルで、「王国の逆襲が始まる」というコマーシャルの言葉だけで、涙が滲みでてしまう。「逆襲」という言葉に、「涙が出てくる」のだ。試合には簡単に全員負けてしまったが、泣けるメッセージだった。

 この朝日新聞記者の言葉は、まさに「支那事変から至る大東亜戦争」総ての歴史を言い表している。
≪大東亞戰爭、日に我れに不利、遂に民族の保全、一億赤子のことに御軫念あらせられての御聖斷、「朕、何ヲ以テカ、億兆ノ赤子ヲ保シ、皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ」との大御心を拜察し奉りては、正坐する身を、またも嗚咽に伏せる私であつた。この大君のもと、わが忠勇の將兵は、身を鴻毛の輕きにおいたのである。≫
≪最期のその時も、「天皇陛下萬歳」を奉唱して、散りしいていつたのである。とは言へ、いま九段の社に神鎭まる護國の英靈に、我れ何の顔をもつてまみえよう。勝つと信じた戰ひであつた。≫
≪あの昭和十二年七月七日より、「天に代りて不義を撃つ」と、高らかにも歌ひ、歡呼の旗の波に送られ、大陸を血に染めた若者、ガダルカナル・タラワ・マキン・アツツに、「皇國の必勝と安泰を祈念しつつ、全員壯烈なる總攻撃を敢行す」と、硫黄島に玉碎した栗林忠道大將以下の將兵、近くは沖繩に、三千年の歴史を穢さしめじと、牛島大將を陣頭に、醜の楯と斬り込んで果てたわがつはもの達、我も我もが勝利を祈り、必勝を信じて、最後の血の一滴までを、大君に捧げ奉つたのである。≫
≪宮城前に額づくけふの我が身、英靈を偲び遺族を思つては、「五内、爲ニ裂ク」との御言葉に、身の震へはとどまらぬのである。英靈よ、許せ、我らは戰つた。戰ひ鬪つて、しかも忠誠なほ足らず、遂に聖斷を仰いで、干戈ををさめねばならなくなつたのである。≫
≪天皇陛下には、畏くも、「茲ニ國體ヲ護持シ得テ、忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ」と仰せられてゐる。あゝ、聖上を暗き世の御光と仰ぎ、進むことこそ、我ら一億の唯一つの道ぞ、涙のなか、その喜びに觸れて、私は「やりませう」と、大きな聲で叫んだ」と。≫

「今日よりは顧みなくて大君の醜の御楯と出で立つわれは」
 南京映画も特攻映画も良いが、日本の「皇軍の戦い」そのものを、堂々と映画で描いてくれる人はいないものか。幕末のペリー来航から明治維新、そして日清・日露戦争。やがて第一次大戦・軍縮問題・日本の東洋進出、それから、昭和の事変――満州事変・支那事変・大東亜戦争と、靖國神社祭神を主軸にした映画を作ってくれないか。そして、敗戦から勃興する戦後の戦い。東京オリンピック開催までに至る映画が欲しい。「人間の条件」のような、五部作ぐらいで。


■平成十九年五月二十六日

――備中處士――『英靈の聲』
 一兵士翁の曰く、「日本の戰爭は「勝つことが」いいことなのではなく、「大君の醜の御楯」として命を捧げ、「天に代はりて不義を討つ」ことが重要なのです。それほど、高みにたつた戰爭なのです。だから、日本の戰爭は勝たうが負けようが、誇りに思ふことです。靖國神社の正統を受け繼ぐとは、日本の戰爭そのものを誇りとする、そのことを原點に抱へないと、繼承にならないのです。八紘一宇。神國日本。復活すべきは、戰前同樣の天皇を中心とした國家作り」と。御復歸、洵に祝着至極に存じ上げます。
●青梅大東農場大東神社祭主・大東塾長・影山正治翁『神道國學運動と昭和維新』(昭和五十一年五月二十二日・於岡山縣護國神社・神道國學講座講演・『言靈』第一號)
●影山正治翁『三島由紀夫と新國學』(昭和五十三年十二月八日・第七囘現代國學講座講演・『現代國學』第五號)
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■平成十九年五月二十八日

戦前回帰への思慕。
備中處士さんへ
 前回、ふともらした「復活すべきは‥‥、戦前同様の天皇を中心とした国家作り‥‥。それが一番いいのではないか」と考えだしたら、急に目の前が明るくなった。平家物語全巻の「注釈を更に注釈」する裏方仕事を終えて、身に滲みて降りてきたのは、現在の日本が、まったくの新興国であり、伝統も文化も皆無、まったく捨てられ、浮薄な転変が六十年あったに過ぎないのではないかという‥‥、不安に気が付いたことであった。この国の歴史の底辺に悠久に流れていた揺るがざる志操――、既に忘却の波に消えた感があるいにしえの志操。そのことへの思慕が、胸の中に渦巻き、迫り立ち、そのことを復帰、復興させたいと想いだした。戦前回帰――。天皇を中心とした国家作り。それを実現させてみたい。志向した言上げをしていきたいと思った。

 備中さんの紹介してくれた大東塾長影山正治翁の話の中に、
我々は昭和十五年・十六年といふ段階で、新國學運動といふものを行つてをつた。當時、切に言つたことは、日本浪漫派を超えなければいけない。日本浪漫派を認めながら、尊敬し、學びながら、日本浪漫派を超え、神道國學に立たなければならない、といふことです。最後の段階で、三島由紀夫は、日本浪漫派の故郷に歸り、これを超えた。神道國學において、最後の決をとつた』と。
まさに、現代浪漫派を越えることが必要か。備中處士さんにお願いがあります。どなたか、戦前回帰について書かれた語録はないでしょうか? あればお知らせを願いたいのですが。なければ致し方ありませんが‥‥。

再び靖國神社執行部批判の嵐が‥‥。
 追記。靖國神社遊就館の新しい「拝観のしおり」が出来た。それを見ると、もうそこには「英霊」は、単なる「ことば」としてか使われていない。バカ丁寧語である「ご英霊」・「ご遺書」・「ご遺品」・「ご創建」のオンパレードである。英霊に奉仕する神職が、もう「他人ごと」の意識になっているから、「ご」をつけないと、失礼・失敬と思っているのだろう。祭儀部では「ご祭神」という言葉や字句が、しばらく前から正式に使われるようになったそうだ。「ご」をつければ、「敬虔」は装えるし、「おさまりもいい」し、参拝者にも喜ばれるからという話で決まったそうだ。‥‥それで「全部『ご』をつけよう」となったらしい。‥‥しばらく、靖國神社執行部批判は鳴りをひそめていたが、またぞろ、あふれ出しそうだ。再び、靖國神社執行部攻撃の嵐が吹きまくる予感である。

 「拝観しおり」の冒頭には、少女雑誌か幼稚園児に話すような言葉が羅列している。「安らかな国づくり」のために尊い命を捧げられ、愛する祖国、愛する故郷、愛する家族のために、尊い命を捧げられた英霊‥‥と、冒頭に書かれている。「口当たり」の良い言葉が、以前にも増して溢れている。現在の執行部の思想が滲み出ている。「実相とはまったくかけ離れた、英霊の紹介が溢れる」新しいパンフである。「戦争」という主語は、どこにもない。「天皇」もいない。命令などという言葉も失せている。忠君愛国・忠誠心などの言葉もない。一体何のための遊就館か! 新遊就館建設時に神社が公表した、「靖國神社は戦います!」の理想は、完全に破棄された。そして、「しおり」の最後の結句である遊就館の存在意義、目的の主題は――、≪英霊のまごころやご事蹟に直接触れることによって、大切な何かを学ぶことができるのではないでしょうか≫で、終わっている。大切な何かを学ぶことが出来るのではないでしょうか‥‥とは、ナンジャラホイ。「遊就館から何を学んでもらいたいか」‥‥。本当はわかっている神職・担当者もいるのだろうが、現在のサヨク的執行部に逆らうことはできないし、宮司より上席の岡崎久彦が、遊就館の総てを牛耳っているので、反論する者はいない。「明確に、○○を学べ」と、書きたくても書けない。本当に、このままでいいのかな、諸氏よ。これは、明らかに「ある意図」の下に作られた「新しいパンフレット」であり、「○○や○○総代」の意図・指揮のもとに改竄された「新しい遊就館」である。誰も刺激させない。何処の国も――アメリカも中国も韓国もオランダも‥‥、何処の国にも刺激を与えない遊就館とする。そして、靖國神社も普通の神社にする‥‥意図の下に、展開されだした処理であろう。まあ、いいだろう。悪事はどんどん積み重ねて欲しい。

 もう少したてば、岡崎久彦指導による改竄された館内掲示の歴史記述が、総て公開される。「天に代わりて不義を討つ」皇軍の歴史と、「靖國神社祭神にこたえる」ものであればよし。もし、違うものとなれば、靖國神社宮司・総代会含め、執行部批判は、今までとは違う全国規模のものとなるかも知れない。総代も含めて「執行部総退陣要求運動」が、マスコミを巻き込んで熾烈化するのではないか‥‥。復興運動である。‥‥参院選と共に、熱い夏が始まる。誰が仕掛けるか‥‥。
 

  • [63]
  • 六十二。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 4月 1日(金)18時28分25秒
  • 返信
 
――備中處士――松平精神を祖述繼承するは、誰ぞ。
一兵士樣
ご閲覽の皆樣
 「一體、何のために生まれて、自分はここに在るのか。だが、希望の光となるのが、人の言葉だ。先人の秀逸なる警醒の名文である」と。洵に然り。小生が先哲古賢(能ふる限り評價の定まつた名臣哲人)の玉章を引用するのは、私見を開陳して悦に入るよりも、先哲の名辭骨髓を大方[たいはう=見識ある人々]に紹介し、之を祖述顯彰して、其の志操を謙虚に學び、之を繼承するに如かず、と愚考するからに他なりません。今人のやうに、知識見聞を斷章取義して己の主張とし、人との相違を誇つて功業と爲さむ(大方[おおかた=一般]の學者・評論家は然うです、頭のよく世渡りの上手な方なら可能でせう)より、同學と共に識見を涵養し切磋琢磨して、「我に從ふ」の心を棄て、古人と與に忠義を盡したく存じます。朝たに道を聞けば、夕べに死すとも可なるが、古人問學の眞骨頂でありませう。
 靖國神社の御事は、田舍に在つて現場を知らず、靖國神社に關する藏書も乏しき小生の如き者には、「靖國神社正統護持」の爲に、小生なりに納得し、些かなりとも大方へ紹介させて戴くに足るもの、既に限界に來てをります。我が産土神社にある社「靖國樣」を通じて、靖國神社の清淨と静謐とを、只管ら懇祷させて戴きたく存じます。更に一兵士樣や御贊同の方の御埀示、關係事項の御示唆を賜ること、洵に切なるものがあります。靖國神社に御志のある御方には、何なりと宜しく御教導ください。なほ舊掲示板にて、かつて「先哲の遺文」を紹介させて戴いたことがありました。宜しければ、ご覽ください。
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http://www.ch-sakura.jp/oldbbs/thread.html?id=202213&page=1&genre=giron

 越前白山神社では、春には楠公祭、秋には崎門祭(山崎闇齋先生を祭る)があります。昭和の終り頃の事でありましたが、白山にて川口雅昭樣とお話しをさせて戴いたことがありました(此の時でありましたでせうか、白山に登られた松平永芳大人の英姿を望拜した最後でありました)。非常に面白き、明るい御方でありましたが、最近は吉田松陰先生の名辭の紹介に力めていらつしやいます。同學の御方には、是非ご參考ください。
●人間環境大學教授・川口雅昭氏『吉田松陰名語録――人間を磨く百三十の名言』(昭和十七年十二月・致知出版社刊)に曰く、「
 山口縣民は、みな松陰先生を尊敬してゐるといふ「神話」がある。嘘である。私は山口縣の東部に生を享け、そこで高校を出るまで育つた純粹な「長州人」である。しかし先生及び松下村塾のことを知つたのは、高校二年生の夏であつた。‥‥「學問は何のためにするのか」。この問ひに對する答へは、大學三年生の時、突然やつてきた。高校時代の校長先生で、ずつと松陰先生の研究をされてゐた恩師上田孝治先生(愚案、平泉澄博士門下)の勉強會で、『松下村塾記』について御指導をいただいた時のことである。そこには、「學は、人たる所以を學ぶなり」とあつた。あの時ほど強い衝撃を受けたことはない。琴線に觸れるといふ、將にそれだつた。「さうか、さうだつたのか。學問とは、人間とは何か、いかに生きるべきかを學ぶことだつたのか」。これが今に續く、その時の感慨である。
 研究者として、松陰先生との出會ひは、ふるさと山口縣での高校教師時代である。昭和六十年、私は秋吉臺の麓の縣立高校で、生徒と格鬪してゐた。眼前の生徒が、どうしても思ふやうに勉強してくれない。どうにかして學問することの意味を傳へたい。それが一番の惱みだつた。そんな私が縋ることのできたのは、松陰先生だけだつた。その時、嘉永四年に、江戸で「落ちこぼれ」られた先生の立ち直りの原因、そして安政元年、萩の野山獄の同囚達が先生に觸發され、學問を始めた原因を分析した。そしてその主因が、先生御自身にあることを知つた。「松陰先生だから、門人が眞摯に學問に勵んだ」と知つた。しかし同時に學んだのは、人間が生來的に持つといはれる「自己教育」力を重視された教育方法であつた。それを實際に目の前の生徒に施した結果、生徒達が徐々に變はり始め、そして本氣で勉強を始めてくれた。あの時の感激は、終生忘れない」と。


■平成十九年五月十三日

――備中處士――戀闕とは、大君がいとしふてならぬ、至誠惻怛の心。
●鳥巣通明翁『戀闕』(昭和十九年九月・朝倉書店刊/平成九年四月・青々企劃覆刻)に曰く、「
 あるいは先哲志士と仰がれる、それらの人々の思想的立場を繼述することによつてのみ、はじめてわれゝゝも、亦すめらみたみの道をゆきゝゝてゆきつくすことができる、と云ふのがわたくしのかねての信條である。山崎闇齋先生にはじまる埀加神道の流をくむ人々は、これら先人の歩いた純正日本人の道を「ひもろぎの道」と稱し、それは「皇孫を始め奉り、萬々世のすめみまを守護することの名」であり、「日本に生れたからには、何のかのと言ふ論なしに、天子樣へ忠を盡し」、生命のあらんかぎり、「朝家の埋草ともなり、神になりたらば、内侍所の石の苔になりともなりて、守護の神の末座に加はる」べしと説いたが、明治維新の志士達は、そのやうな立場を端的に明示するものとして、「戀闕」なることばを、しばゝゞ用ゐたのであつた」と。
●中島一光翁『尊皇・愛國のホームページ「彌榮」』→「珠玉の言の葉」
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の最下段「戀闕(れんけつ)」に曰く、「
 「辭書」――宮闕を戀ひしたふこと。宮城を戀しく思ふこと。君主を思ふたとへ。
毎囘「辭書」として參考にしてゐる、小學館の國語大辭典をはじめとして、一般の辭書には、どこにも戀闕といふ言葉は出てゐなかつた。町の圖書館を探し廻つたところ、やうやく小學館の「日本國語大辭典」(全二十卷)に、上のやうな説明を見出した次第である。一見、何となく説明してゐるやうに見えるが、戀闕といふ言葉について、何ら本質に迫つてゐない解説である。しからば簡潔に説明してみろと言はれても、言葉に詰つてしまふほど、深い奧行を持つ言葉であり、中途半端な解説により、かへつて本來の意味を損つてしまふことを恐れるが、敢へて解説を試みてみたいと思つてゐる。
 戀をするやうに、激しくそして夢中に、大君をお慕ひ申し上げることであると言はれてゐるが、筆者は殘念ながら、大君をお慕ひ申し上げる氣持ほどの、情熱的な戀をしたことが無いので、あるいは「戀とは何ぞや」といふ事について論ずる資格は無いのかも知れない。もし戀とは、「このやうに一途で、甘美で、そして激しい」ものであるのなら、一度は經驗してみたいやうな氣もするが、それは止めておかう。なぜならば、大君をお慕ひ申し上げる心のやうな激しい思ひを、同時に二つも經驗したのなら、どんなに頑強な身體と心を持つてゐても、耐へきることは出來ないであらうと思ふからである。本當の戀は片手間では出來ないと同樣に、いやもつと嚴しい意味に於て、片手間の戀闕といふことは有り得ない。何の代償も考へず、ただひたすらに、身も心も捧げ盡すのでなければ、戀闕と言ふに値ひしないのである。心ある人にとつては、生命より大切に思つてゐる名(あるいは名譽)すらも捨てて、何ら悔いのないといふ氣持となつてこそ、はじめて戀闕と言へるのである。
 しかし何と言つても、戀と最も大きく異なることは、絶對に片思ひがないと言ふことである。大君は、我々がお慕ひ申す氣持以上に、廣くそして深い御氣持をもつて、我々を見守つて下さるのである。ある特定の個人に對し、何の某をといふ形で見守つて下さるといふことは無いかも知れないが、すべての日本人に對し、いや日本人のみならず全世界の人に對し、分け隔てのない御心をもつて接して下さるのだ。第二章で記したやうに(大逆事件に於る明治天皇の御製)、御自身の御生命を狙つた者に對してすらも、代つて罰を受けようとされるほどの、廣く深く、そして暖かい御氣持をもつて、民を見守つてをられるのだ。このやうな大御心に比ぶれば、我々がいくら御盡し申し上げたとしても、それで十分と言へるものではないのだ。
 もし假に「戀闕の中には、悲戀に類するものがある」と考へる人が居たとしたら、その人は、戀闕の何たるかを知らない人であらう。戀闕といふ「戀」は、絶對に報はれる「戀」なのである。いやそれどころか、報はれてなほ餘りある「戀」なのである。ただ殘念なことに、多くの人は十分に報はれてゐることを知らずに、「ギブ・アンド・テイク」の考へ方にもとづいた、不平を漏らす場合があるといふことである。何ら報はれることが無くとも、捧げて捧げて捧げぬき、盡して盡して盡しぬくのが戀であるのに、捧げた以上に、盡した以上に報はれてゐる「戀闕」の素晴しさに氣付く人が、あまりにも少ないのが殘念である。
 三島由紀夫氏は『奔馬』の中で、主人公の言葉として、
「はい、忠義とは、私には、自分の手が火傷するほど熱い飯を握つて、ただ陛下に差上げたい一心で握り飯を作つて、御前に捧げることだと思ひます。その結果、もし陛下が御空腹でなく、すげなくお返しになつたり、あるいは『こんな不味いものを喰へるか』と仰言つて、こちらの顔へ握り飯をぶつけられるやうなことがあつた場合も、顔に飯粒をつけたまま退下して、ありがたくただちに腹を切らねばなりません。又、もし陛下が御空腹であつて、よろこんでその握り飯を召し上がつても、直ちに退つて、ありがたく腹を切らねばなりません。何故なら草莽の手を以つて直(ぢか)に握つた飯を、大御食(おほみけ)として奉つた罪は、萬死に値ひするからです。では、握り飯を作つて獻上せずに、そのまま自分の手もとに置いたら、どうなりませうか。飯はやがて腐るに決まつてゐます。これも忠義でありませうが、私はこれを勇なき忠義と呼びます。勇氣ある忠義とは、死をかへりみず、その一心に作つた握り飯を獻上することであります」
と、陛下に對し奉る時の心情を吐露されてをられる。この珠玉のやうな一節に對し、異を稱へる氣はさらさら無いが、少しばかり見解を述べさせて戴く。
 陛下は、例へ御空腹であられなくとも、捧げた火傷をするほど熱い握り飯を、喜んで召上られることでありませう。また例へ汚れた手で握つたものであつたとしても、決してすげなくお返しになることは無いでありませう。それ故にこそ、我々臣民は、心して捧げる必要があるのではなからうか。三島氏の述べられたやうに、「神にも等しい陛下の大御食として奉るべきものを、草莽の手をもつて直に握つた」といふ意識で居る限り、その罪は萬死に値ひするかも知れないが、己が身も心も祓ひ清めた上で、氣持の上では、「神と一體」となつて握つたものであれば、形の上では人が握つたやうに見えても、神が、大神樣に捧げるものをお作り申し上げるのであるから、決して不敬にはあたらないのではなからうか。しかしその時に重要なことは、飯は清淨な上にも清淨であるといふことであり、汚れどころか、少しの私心も混じつてはならないといふことである。そしてまた火傷するほど、熱い飯であつてはならないといふことである。
 三島氏が奔馬の主人公に託したやうに、熱い握り飯を捧げるほどに、激しい思ひを現すのも忠義であらうが、それらの思ひを内に秘めつつも、飯を冷ました後に捧げる心遣ひも大切である。熱い握り飯を捧げたならば、例へ御口の中を火傷されようとも、默つて召上られる御方なるが故に、火傷するやうな熱いものを捧げるやうなことは、絶對に行つてはならない。自分の氣持としては、そのやうに激しいものが渦卷いてゐようとも、それを抑へ、時としては不忠の汚名は甘受してでも、陛下の御心に沿ふやうにすべきであらう。このやうな氣持こそが、まさに「戀闕」ではなからうか。形の上では同じであつても、熱い飯を握るのを厭ふが故に、「適度に暖かいものを捧げるのだ」と言譯をするやうでは、忠義とは言へない。何時でも、熱い飯を握れるといふ覺悟が出來た上で、「適度の暖かさのものを捧げる」といふものでなければならないことを付記しておく」と。

●平野國臣先生(紫灘眞木和泉守の曰く、「國臣は、戀闕第一等の人也」と)の哥
○君がよの安けかりせばかねてより身は花守となりけんものを
○大内の山のみ(御)かまきこ(樵)りてだにつか(仕)へまほしや大君のへ(邊)に
○斯くばかり惱める君の御こゝろに休めまつれや四方の國民


■平成十九年五月十四日

――備中處士――勤皇の心。
●徳富蘇峰翁『神兵隊事件公判廷に於る證人陳述』(『國史會』第五十二號)
●林房雄翁『勤皇の心』(昭和十八年四月・創元社刊)、林房雄翁『維新の心』(『勤皇の心』所收)
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■平成十九年五月十八日

――備中處士――靖國神社祭神の標的。
『醜の御楯』
 小學館『國語大辭典』に、「卑しい身で、天皇のために楯となつて外敵を防ぐ者。一説に、天皇の守りの強力な楯となる者」とある由、然れば中島一光翁は、「醜といふ字の第一の意味に、「強く恐ろしいこと。強く頑丈なこと」とあるやうに、醜といふ意味は、「みにくい」・「卑しい」といふよりも、むしろ「強い」といふことである」と仰つてをられます。
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 然し大和言葉『しこ』は、大槻文彦博士『大言海』・平凡社『大辭典』・新潮社『國語辭典』等には、自ら卑下したる言葉として一致してをり、「強い」の意はありませぬ。
さて、難しいですね。萬葉人は、『しこ』(當て字「醜」)を「みにくい」と捉へしか、はた「つよい」と把りしか。小生は、地上至尊、宇内一帝にして、地之高天原なる宮城に坐す、天皇陛下に對し奉り、只管ら深く沈下卑下する、「卒伍としての臣從」の言の葉として採りたく存じます。
 似た字に、『惡』があります。善惡の惡(あし)ですが、惡女の深情けと云ふときは、惡しき女てふ謂は無く、醜い、不細工、不美人の意味でせうかね。我が國特有の用法としては、時として強情な、手強い、利かぬ氣の者の意がありますが、本來の惡の含意は、絶無とは云へないやうであります。
●海音寺潮五郎氏『武將列傳』卷一に曰く、「
 惡源太義平(愚案、保元の亂の張本、頼朝の長兄)の「惡」は、叔父を殺したといふ道徳上の惡の意味も、もちろんあるが、それよりも、「あらく猛々しい」、「普通人にない強烈さ」といつた氣味合の、いくらか驚嘆讚美の氣持を持つたことばで、この(平安末期)時代特有の用法である。惡七兵衞景清も、さうだ。景清が叔父大日坊を殺したところから、この異名がついたのであるが、景清が剛勇でなかつたなら、かうは呼ばれなかつたにちがひない。惡左府頼長も同時代の人で、何ごとも理詰めできびしくさばいて、温情的なところが、さらにない人物であつたから、かう呼ばれたのである。これは多分に惡口の氣味があるが、それでも、その嚴刻寸毫も假借しない人間ばなれしたところにたいする驚嘆の情をふくんでゐるのである」と。
●平泉澄博士『楠公――その忠烈と餘香』(昭和四十八年八月・鹿島研究所出版會刊)に曰く、「
 大東亞戰爭に當つても、‥‥特攻隊に名づけて、金剛隊といひ、菊水隊といひ、或はまた正行隊といひ、櫻井隊といひ、人間魚雷囘天の創案者黒木博司少佐が、自ら慕楠と號した如き、皆その志が楠公を繼ぐに在つた事の現れであります。いや、ひとり特攻隊とのみ云はず、陸・海の全軍が、否、全國民が、楠公忠烈の心を以て、おのが心としたのでありました。全國の小學校、何處へいつても、校庭に見る物は、馬に跨がる楠公の勇姿と、薪を負ひつつ本を讀む二宮金次郎の像でありました。一たび應召して出陣するとなれば、人々の胸に浮ぶものは、櫻井の驛の悲しくも美しい教訓でありました」と。

 愚案、何度も引用して申し訣ありませぬが、一兵士翁のスレツドに、敢へて再録させて戴きます。靖國神社に坐す英靈のこゝろは、卒伍畏命の臣從なりと、信じて疑ひませぬ。
●淺野晃翁『楠木正成』(昭和十八年三月・日本打球社刊)
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■平成十九年五月十九日

――備中處士――承詔必謹。
●關東軍作戰參謀・陸軍歩兵大佐・宇山草地貞吾翁(靖國會第六代總代)『草地貞吾囘顧録――八十八年の哀歡』(米壽記念出版・平成四年五月・光人社刊)
●中島一光翁『紀元二千六百五十年を目前にして』(平成元年一月『さきもり』第二十四號)他
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■平成十九年五月二十日

――備中處士――嗚呼、昭和二十年八月十五日
●一記者謹記『朝日新聞』(昭和二十年八月十六日)
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■平成十九年五月二十三日

――備中處士――靖國神社總説。
●寒林平泉澄博士『靖國神社總説』(昭和四十二年十一月『神道史研究』第十五卷第五・六合併號)
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●藤田東湖先生『文天祥の正氣の歌に和す』(弘化三年頃)に曰く、「
 乃ち知る、人亡ぶと雖も、英靈、未だ嘗て泯びず、長へに天地の間に在り、隱然として彝倫を敍す。‥‥死しては忠義の鬼と爲り、極天、皇基を護らむ」と。
●吉田松陰先生『入江杉藏宛書翰』(安政六年十月二十日附)に曰く、「
 兼ねて御相談申し置き候ふ尊攘堂の事、僕は彌々念を絶ち候ふ。此の上は、足下兄弟の内、一人は是非僕が志、成就致し呉れられ候ふ事と頼母敷く存じ候ふ。‥‥兼ねて御話申し候ふ、高山(赤城)・蒲生(靜修菴)・對馬の雨森伯陽(芳洲)・魚屋の八兵衞(奧氏)の類は、實に大功の人なり。各々神牌を設くべし」と。
○贈正五位・御魚屋八兵衞翁の偉勳。
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  • [62]
  • 六十一。昭和殉難者の呼稱について。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 3月31日(木)19時07分51秒
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■平成十九年五月五日

――備中處士――葦津珍彦翁と大原康男氏。
一兵士樣
 本日は端午の節句です。小生も子供に歸つて、翁に甘へさせて戴き、御叱りを覺悟の上で、些か申し述べて見ます。
 大原康男博士は、葦津珍彦翁の愛弟子です。一兵士翁の仰せの通り、彼の大東塾の出身、其の胸底には、「神道の社會的防衞者」としての任務があり、靖國神社を護持しなければならぬとの、強烈な思ひが、博士なりに在るに違ひ無いと存じます。小生は學生時代に、先輩に薦められて、大原氏のものを多く讀ませて戴きました。今、一兵士翁の正統論を拜聽し、翁の仰る事こそが正統なりと確信してをり、大原氏の所論に疑問を有ちますが、或は世間一般に對しての「戰略的」發言とも受取れるかも知れませぬ。現在の大原氏の立ち位置の詳細は存ぜず、小生の辯護は、放言の類に過ぎません‥‥。大原氏の論説は、正々堂々たる正面から言擧げする所の、「靖國神社正統護持」の爲めには、勿論、必要ないに相違ありません。御讀み捨て下さい。
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●僅存居主人幡掛正浩翁『美しいこととかなしいこと』(『冰雪よりも厲し』所收)に曰く、「
 西郷隆盛は、城山で死なねばならなかつた。二・二六の青年將校は、代々木原頭に刑死しなければならなかつた。もし薩軍が戰勝し、二・二六事件が成功してゐたら、日本近代化の歪みが是正され、昭和維新は達成してゐたであらうか。
 斷じて否である。‥‥西郷南洲は、城山の露と消ゆることによつて千古不朽の人となり、永世に渇仰される英雄となつた。昭和天皇さまは、二・二六の刑死者と同數の盆燈籠を、吹上御所の夜に吊させられたと、ある本で讀んだ(愚案、小生も複數の著作にて拜讀したことがあるが、其の典據の溯源を探索できないのを遺憾とする)。眞僞のほどは問ふ所ではない。しかし、紛れもなく、これが日本人の美意識が描く、天壽國の眞景であるとは斷言してよい。
 三島由紀夫は、絶筆四部作中、『奔馬』の青年將校飯沼勳(愚案、モデルは大東塾の影山正治翁と云へり)の口を借りて、「熱い握り飯を、手づから、お上の前に差出す」と、その志を述べてゐるが、多分、お上は、この握り飯をお受けにならないであらう。それでよいのだ。――君をうらむ心、生じた時は、天照大神の御名を唱へ奉るべしとは、尊皇論の先驅竹内式部の『奉公心得書』に見えることばであるが、(「無法松の一生」の富島)松五郎の思慕が限りなく美しいのは、それが酬はれることの絶對にない、忍ぶ戀であるからである。多分、この世において一番美しいものは、この無私の人の末期の眼が見た、極北のオーロラではあるまいか。‥‥
 『三國干渉以後』の著者滿川龜太郎は、その頃、廣くうたはれてゐた子守唄を、心ふかくも、その著の中に録し留めてゐる。「坊の父(とゝ)さんいつ還る、ほしの數ほど寢りや還る。」 まことに、骨にこたへる哀切のしらべである。だか、忘れてはなるまい。このやるせない悲しみこそが、あの日清・日露の大戰を戰ひ勝つた、當のものであつたといふことを。その日露戰勝の報、しきりに到る明治三十七年、明治の日本を代表する思想的巨人岡倉天心の『日本の覺醒』は、ニユーヨークにおいて初出版されてゐるのであるが、私は、その時、天心が、それを「さびしい浪人のこころに宿つた」と語つてゐることに、格別の注意を拂ひたい。
 人も知る岡倉天心は、自身のことを「日本一の保守黨」と稱したが、彼によつて改革された、それまでの日本畫が、その後、全く面目を一新して、世界の今日にある事は周知の通りである。誰よりもアジアの「多」を知つてゐた彼が、「アジアは一つである」と揚言せねばならなかつた時、どのやうなさびしい思ひが、その心中に去來してゐたことであらうか。日本美の特質を「雅び」・「もののあはれ」とすることに、多分、古來おほかたの異論はあるまいと思ふが、雅びは、もともと「宮び」――宮廷風であること、論を俟たぬとして、私が特に注目したいのは、その高貴なる品位には、深いあはれさが色帶びてゐることの指摘である。私は、新しく皇位を履まれた今上陛下が、日本美の極北として、いつまでも存在し續けていただくことを強く願ふ者であるが、その極北の美には、ある種の悲哀、絶對的さびしさとでも表現すべきものがただよふものであることを、恐懼しつつも申し上げねばならぬ。その爲に、唯その爲にだけ、「堂々男子、死んでもよい」(天心)――死なせることが出來ることをしろしめす御存在なるが故に、である。大慈は大悲と結んで、一語に熟す。
 松五郎が、忍ぶ戀を耐へた未亡人も、生身の人間である限り、排泄作用もするであらう。だが、それを暴いたとて、何にならう。私は、いはゆる「開かれた皇室論」なるものが、所詮、お爲ごかしの、ありていは下衆癡漢の覗き趣味であり、その終着する所、つひに未亡人の裾めくりに至らねば止まぬことを、はげしく卑しみ且つ惡む。ますらをのかなしき命つみ重ね、つみ重ね守つてきた、この美しい大和島根を限りなく愛し、且つ誇るが故に、崇高な孤獨に耐へて光る遠空の北斗こそが、忠良なる一億の號泣し思慕し、往いて還らぬ死をすら辭さぬ極北のオーロラであることを、更にも深く思つて、この筆を措く」と。


■平成十九年五月七日

――備中處士――出雲の祖靈社。
●『大東亞戰爭終結の詔書』(昭和二十年八月十四日)に曰く、「
 帝國臣民にして、戰陣に死し、職域に殉じ、非命に斃れたる者、及び其の遺族に想ひを致せば、五内、爲に裂く。且つ戰傷を負ひ、災禍を蒙り、家業を失ひたる者の厚生に至りては、朕の深く軫念する所なり」と。
●『戰歿者慰靈祭祭文』(『桐廼舍千家尊宣大人祭詞集』昭和四十九年九月・神道學會發行に所收)
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■平成十九年五月八日

――備中處士――歴史に於ける眞と實。
 一兵士翁の曰く、「十年ほど前から、『日本は無條件降伏したのではない。政府は無條件降伏ではなく、日本軍が無條件降伏しただけだ』といふ、妙な論旨が出囘り始めました。自虐史觀を粉碎し、日本人に誇りを持たさうとするお氣持ちはようくわかるし、味方潰しみたいになるので言ひたくないのですが、いつ自分が死ぬかわからないので言ひます。違ひます。法律論的にどうなのか知りませんが、皇軍が降伏したことは、日本が降伏したのです。‥‥無條件降伏だから、兵士は號泣し、天皇陛下に申し譯なく、慟哭したのです。‥‥軍人は榮譽を重んじます。潔さを重んじます。國家のために命を差し出します。『日本は無條件降伏してゐない』といふ論は、皇軍兵士の名譽を貶めるもの」と。
 件に關聯して、歴史に於ける眞と實とを明確にする、好個の事例を紹介させて戴きます。
●皇學舘大學名譽教授・田中卓博士『祖國再建』下卷(わが道を征く六十餘年、平成十八年十二月・青々企劃刊)
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――備中處士――靖國神社に奉る祭文。
●田中卓博士『祖國再建』下卷
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●寒林平泉澄博士『士規七則講義』に曰く、「
 腰に劍を佩かずともよい。職業は何であつてもよい。眞に道義に目覺めて、道によつて國を守らうとする者、しかも義勇の精神により、死して後ち已むの覺悟ある者、之を士と謂ふのである」と。


■平成十九年五月十日

――備中處士――み濠べに寂けき櫻あふぎつつ、心は遠しわが大君に。
●ぬさ賜ふ二荒の山のほとゝぎす初音や神のかしこまりなる
 朝廷よりの獻幣に感激してゐる、神樣の「畏まり」である。獻幣使が、朝廷から幣帛を持つて、二荒山の神前に獻げ、そのことの由を、宮司が祝詞で奏上してゐる所を想像されたい。その時、不如歸が森の方で一聲鳴いたのを、二荒の神樣ご自身が、幣に感激して、不如歸に借りて感激の聲を洩らされたのだと、宮司が受取る、と云ふやうな歌意(幡掛正浩翁『神社神道の根本問題』=大東塾『不二』昭和五十六年十月號)。
 この思想はすでに古く、近頃でも故猪熊夏樹翁などは、「王は十善、神は九善」といふことを、始終口にしてをられた。すなはち神々よりも大御門の方が、一段と御位は高いと言ふのである。明治以降のごとく、人臣のしきりに神と祀らるる御時世においては、ことにこの大義名分は明らかにせねばならぬが、起原の最も久しい各地方の御社としても、その百中の九十九までは、かつて陛下を顯つ神として、仰ぎたたへた人々の神靈を祀つてゐるとすれば、幣帛は常に下賜であり、神の御應答は、まづかしこまりであつたと解することは、國民としては當然(柳田國男翁『日本の祭』昭和十七年十二月・弘文堂刊)。
●三浦義一翁の哥・歌集『悲天』の「草莽」より
一、「萬朶の櫻」――特別攻撃隊、九軍神の忠烈を深く偲びて――景行天皇、日本武尊に詔りして曰く、『――猛きこと雷電の如く、向ふ所前無く、攻むる所必ず勝つ。即ち知る、形は即ち我が子にて、實は即ち神人なり――』と。輝く皇軍の傳統を思ひ、この一章に至る。則ち熄み難くしてうたふ。
○散る花のしづけきを見むいまだにし還らずといふ機をおもひつつ
○さくらばな咲きかつ散らふ時のまも任(まけ)のまにまに散りてゆく伴
○大みことただにあふぎてまさをなる沖つ玉藻となりましにけり
○たはやすく散りゆきにけるわか櫻しづかにおもひて泣かぬ母なし
○み濠(ほり)べに寂(しづ)けき櫻あふぎつつ心は遠しわが大君に
一、「大詔を拜して」――昭和十六年十二月八日。
○つゆ霜は枯れたる枝にひかりつつ消えてあとなし天つ日の下(もと)
○たうたうと天にひびかふ大御言わがすめろぎの神のみこゑを
○天皇の醜の御楯とけふよりはのどには死なじわれも吾が子も
○病めりともわが死にがたしけふの日の大き御告りをききて苦しゑ
○大君の遠の御楯といふべしやわれのいのちのかくも悲しき
○あをぐもの天津日嗣のすめろぎをひたにおもへば落ちぬ涙は
○寥々のみたみと言はじしかれども大君のへに死ぬは誰が子ぞ


■平成十九年五月十二日

昭和殉難者の呼稱について。
 備中處士さんが、あいかわらず、秀逸なる警醒の名文を紹介されている。疑心暗鬼、あるいはご自分の考えに、現在、迷いを持つ者も、備中さんの紹介する「世に秀でたる方々の詞」を目で聴き、目で読むことで、勇気を持つ方、改めて、自分の考えに自信を取り戻す方も、沢山いるのではないかと推測する。愛国の志操というものは、どこまで深めて云っても、必ず、不安に陥る時があるもの。自分の考える所は、畢竟、自分勝手な偏狭の質ではないのか、世人に受け入れられない偏屈の論ではないのか、自分と同じ考えの者はいないのではないのか‥‥。六十歳・七十歳を過ぎても、なお、突然、風に揺れる灯火のような心細さに襲われるものだ。その時、先人に、あるいは後輩にあっても、自分と同じ考えを持つ人の、悠々たる自信と堅忍不抜の如き思考の詞を知る時、人は勇気を貰う。再び、わが道に戻り、旗を振る力を搾り出すことが出来る。――そうか。自分と同じ考えの人がいた。よくぞ、いい得たり。よし、自分は間違っているわけではない。大丈夫だ――。賑やかな人の世を歩いているようでも、自分自身は、誰もいない野原の道を歩いているような、無常な感懐、感慨を抱く時が必ずあるものだ。一体、何のために‥‥生まれて、自分はここに在るのか‥‥。その時に、厭世観を持つ。だが、希望の光となるのが、人の言葉だ。先人の秀逸なる警醒の名文である。その詞で、過去「多くの偉人が立ち直り、また多くの偉人を輩出」した。備中處士さんが、いま、やられていることは、即ち「憂国精神の振作」であろう。神国への復帰、神国への振作、共鳴を呼び起こさんがためであろう。秋にはふさふさと実りある、一面の黄金畑連なりをみたいものである。

 さて、ずいぶんと日が経過してしまったが、大原康男氏の折角の紹介文の投稿削除の願いを聞いていただき、ありがとう。備中さんには申し訳ないことをしたと思っている。いやね、あの人の文章には、禁句である「いわゆる○○戦犯」という言葉が常にあり、また「官民一体」という言葉が入っている。更に「合祀は国が主導した」という意見が入っている。こうした「言葉なり」、「考えを」、小生は人々の口から、脳裏から、この世から「抹殺」したいと思っているからだ。見るのも聴くのも不快だし、人の目に「触れさせたくない」。それで削除してもらった。

 先日のニュースでは、日本遺族会が、まったくやる必要もない、「靖國神社の研究会」を始めた。まったく困ったトップ・指導者がいる。多分、彼らの会議のやりとりの中でも、「○○戦犯」の言葉を口にしているに相違ないと考えると、年だけとって、仕方のない連中だと思う。「戦犯」の話を、現在、むしかえして話すのであれば、「昭和殉難者」という「呼稱」で話し合ってもらわねば困る。日本中が、マスコミが、「昭和殉難者は‥‥云々」という風に言葉を使ってもらわねばならない。靖國神社を護持したい方々は、間違っても「○○戦犯」など、おくびにも出してはならない。何のために松平宮司は、「昭和殉難者」という呼稱を宮司通達したか、そのことが「本当に」理解されていないからだ。単に、松平宮司が「呼稱」を強制しているわけではないのだ。大原さんは、なにかというと、必ず「いわゆる○○戦犯は」と話す。もう癖になっている。保守系を自認する昨今の学者・評論家の大抵が、「いわゆる○○戦犯」という言葉を使う。バカな連中である。今の学者で、これはと思える者がいない証拠とも云える。この「いわゆる」という用語の意味は、「本当は――、世間ではこう呼んでいるよ」という意味なのだ。つまり、昭和殉難者とはいっても、要は世間一般では「○○戦犯」と呼ばれているよ――、認知されているよ‥‥と、こう言い表すのが、「いわゆる」という用語法だ。

 松平宮司は、そのことを否定消去するために、わざわざ、宮司通達の中で、『爾今、大東亞戰爭終結後の所謂戰犯刑死者・引責自決者等を『昭和殉難者』と呼稱し‥‥』と、「いわゆる――世間では、戦犯刑死者と呼ばれている方々を、これからは昭和殉難者と呼びますよ」と云っている。それを今の学者は、愚かにも、また元に戻しているのだ。いやんになっちゃう。まさに「いわゆる○○戦犯」とは、「昭和殉難者」の呼稱を認めないことを意味し、明らかに「昭和殉難者」を貶める言葉であり、松平宮司に対する侮辱であり、祭神に対する冒涜であり、昭和天皇に対する不敬でもあるのだ。「昭和殉難者」という言葉を使い、現在の日本人が話をすれば、後から来る「若者・次代者」も、何の抵抗もなく、「昭和殉難者」という言葉が固有名詞なのかと思い、この言葉を使う。そうすれば、「戦犯」などという言葉は、永久に放逐できるのであるが‥‥。

 大原さんが、いくら、一見「靖國神社」を護持しているかのような論説を試みても、「いわゆる○○戦犯は」という用語を使っている以上は、この人は小生に言わせると、「靖國の敵」である。ある時期から、この人は、敵の体制に組する人間となり、保守でも、サヨクでもない、英霊にも靖國神社にも、何の感慨も抱いていない、何処にでもいる曲学阿世の徒になった‥‥、と思っている。以前、靖國神社を「靖国」と呼び捨てにする者の「意見は聴く必要がない」と云ったことがあるが、これは定理である。同様に保守系と見られている学者・論者が、「昭和殉難者」と云わずに、「○○戦犯」と呼ぶ人間は、「ろくでもない人間」・「曲学阿世」の亡者と考えていいだろう。聴く必要のない異見である。よろしいですか。靖國神社中興の祖である松平宮司が、「○○戦犯という言葉は口にするな!」と、「宮司通達」した以上は、こと「靖國神社」を語る者であるならば、「○○戦犯」は使ってはいけない――、ということなのです。分かりますか? みなさん。松平宮司は、昭和五十三年十一月二十四日『戰犯死亡者』・『引責自決者』等の呼称について、『宮司通達』で、
安政の大獄を始め、幕末の内戰等による死亡者を、當社諸記録に於いては、『幕末殉難者』あるいは『維新殉難者』と呼稱してゐる實情に鑑み、爾今、大東亞戰爭終結後の所謂戰犯刑死者・引責自決者等を『昭和殉難者』と呼稱し、要する場合は、『昭和殉難者(刑死)』『同(未決獄死)』『同(自決)』等の如く區分する。但し中央・地方官廳等に對する公文に於ては、從來通り『法務死』の語を用ふ。
としたことを、備中處士さんが、先だって紹介してくれています。よろしいですか――。この「昭和殉難者」なる「呼稱」は‥‥、先ほども話したが、松平宮司が、ただ、好んで、呼ぶだけの呼称ではないのです!

 松平宮司が、祖父春嶽公の「時勢狂乱の中で、武を文に譲らず、磐石の至誠を貫かんとした」祖父の熱性を受け継ぎ、「乾坤の一滴を以て」、先帝陛下に「御覧」戴きたく、差し出した「呼稱」なのです! よろしいですか。先帝昭和天皇にお知らせ申し上げた「呼稱」なのです。「靖國神社においては、戰犯刑死者・引責自決者等を、爾今、昭和殉難者として呼稱いたしまする」と。「昭和殉難者」なる呼稱は、畏れ多くも昭和天皇が「御覧」になられ、「お認めに」なられた「呼稱」なのです。それであればこそ、松平宮司は『宮司通達』を、≪十一月二十四日≫に、職員に出したのである。諸氏よ! 天皇からお預かりしている靖國神社祭神の呼稱を、単なる一宮司が、「勝手に呼稱を」つけられると思いますか。それも忠臣中の忠臣である松平宮司がですよ。深く、このことを考えてください。

 しかし、それにしても、昨年に「富田メモ」が出た。これは、本人が出したくて出したものではなく、遺族が世に出した。先日は、「卜部亮吾」なる大逆臣・大裏切り者が、「お仕えした陛下の、日常を事細かに書いた日記を」、≪生前に朝日新聞に手渡すという≫、賊徒にも等しい行為をしたことが明るみに出た! 不忠も不忠、断じて赦さざる行為。なぜ、このようなことをしたのか、泉下の卜部侍従に問い質したい思いである。「利敵」に走狗した一侍従職の書いた「日記」が発刊されるという。遺族には、おそらく多額の著作権料が転がり込む筈だ。天皇を利して、死んだ侍従の遺族が儲けるという、赦されざる行為! かつて、森有礼が伊勢神宮の御拝礼所に靴のまま入り、御簾をステッキの先で跳ね上げたという、不敵不敬の振る舞いに及んだこと以上の不敬であろう。戦前なら、言うべくもなく「断罪」である。幕末維新なら、罪親族万代末にまで至ると評される筈である。それほどのことだ。朝日新聞が、その日記を出版するなら、本来は遺族が「許可せず」といわなければいけないものを、「遺族が許可」している。ここでも、「遺族」が問題となっている。富田元長官といい、卜部亮吾といい、遺族が問題だ。

 このような不忠の臣の「ノート」に、天皇は、靖國神社に、≪戦犯合祀あるを以て≫「参拝はしない」、「御意に召さない」と書いてあったとて、なにほどのことやあらん――、というのが、正しい評価であろう。事の真相がどうのこうのは、関係ないことだ。この一連の騒動で、松平宮司が悪者にされかかっている。不届きなことだ。松平宮司の葬儀では、宮中からの供物を‥‥、一切受けられなかった。一切、宮中よりは賜わり物を受けず――、それを家人に遺されたと聞く‥‥。松平宮司の「それが心であろう」。

 平氏武門の隆盛から、没落した藤原一族の子孫である入江相政侍従長。生来、軍人嫌いであったと聞く。松平永芳宮司は、越前松平春嶽公の孫。武門の生まれで、生粋の軍人であった。二人は肌が合わなかった‥‥、とも聞いたが‥‥。また、徳川義寛侍従長。松平宮司とは同じ、徳川同属でありながら、徳川三卿の出である春嶽公と尾張御三家に連なる徳川侍従長。祖先の確執、子孫の相克が在る中での折衝、お話し合い。「雲深き処」の出来事である。余人のうかがい知れぬことがある。あえて、漏らせば‥‥、昭和天皇は「合祀は反対だ」、「認めぬ」とは、一切、おっしゃってはいないのです‥‥。「十四名を、いずれお祀りすることはご承知であった‥‥」。昭和五十三年十月‥‥、靖國神社からの上奏簿もご覧になり、「お認め」になられた。そして、その年の靖國神社臨時祭(合祀祭)に、「勅使差遣」の通知を、掌典長から届けさせている‥‥のです。ここまでにしましょう。何も心配することはないのです。宮中はいろいろなことに配慮しなければならないことがおありです。先日も書いたが、「勅使参向」は、天皇の代理ではなく、天皇そのものなのです。靖國神社には、富田メモ騒動があっても、卜部日記が出ても、今も「勅使参向」は途切れる事無く続いている事実が、一級の歴史資料でしょう。やっぱり、はっきり云えなかったが、仕方がない。この話は、しばらくやめましょう。また、備中處士さん、いろいろな方の文を御聞かせください。
 

  • [61]
  • 六十。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 3月31日(木)19時03分57秒
  • 編集済
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■平成十九年四月二十六日

――備中處士――神拜式條抄。
 下記の作法・心得(抄)は、神宮の禰宜などを始めとして、神に仕ふる人々が參拜する時に、古來、口傳として代々家々に於て守り傳へられて來た事柄を記したものであるから、極めて嚴しい仕來りになつてゐるが、いやしくも古儀高風を慕ひ、正統護持を欲する私共とても、亦た神宮以外の神社に參拜する時などにも、十分に參考にして然るべきであらう。神明は一視同仁、恩愛無上なりと雖も、神に甘へ狎れる事は許されない。
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――備中處士――出雲から。
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■平成十九年五月一日

――備中處士――勅祭社の榮譽。
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●『靖國神社誌』の「勅使」(「行幸・行啓、天皇・皇后・御代拜・皇太子・皇太子妃」の後、「東宮御使併びに御奉納、附・内親王御奉納」の前)に曰く、「
 勅使を立てさせらるゝは、最も重き事なり。本神社へは、草創以來、例大祭(割註略)并びに臨時祭等には、必ず勅使を差遣せらる。最初より茲(明治四十三年五月)に七十一囘、祭文を納めらるゝこと六十五卷なり(割註略)。
 其の初度の參向は、明治二年六月二十九日(當社創祀の日・鎭祭)にして、彈正大弼・五辻安仲、勅使たり。爾來、勅使は侍從を以て充てられしが、同五年九月十五日の達により、更に式部寮の官員を以てせらるゝことゝなれり(九月二十三日、例祭に式部寮六等出仕・戸田忠至)。然れども其の間、特に祭主たる陸海軍の中少將を以て、勅使を兼ねて祭文を奉讀せしめられしこと、三囘あり(陸軍中將兼參議陸軍卿從三位山縣有朋・海軍少將正五位伊東祐磨・海軍中將兼參議々定官海軍卿從四位勳一等川村純義)。明治十一年十一月六日の大祭日(四等掌典從七位・飯田年平)以後は、大祭日及び臨時祭・報告祭に至るまで、總て掌典を遣はさらるゝことゝなれり。
 凡そ勅使の參向あるや、招魂社當時は、專ら武官、之を送迎せしが、社格制定以來、祭典掛官と倶に、宮司は拜殿の階下に、陸海軍兩大臣は縁側に迎へ、宮司先導して神殿に昇る。奉送、亦た奉迎の時の如し。又た例祭・合祀祭にあらずして、臨時の祭典に、勅使の參向ありしは、明治十三年五月(近衞記念祭に西四辻公業・警視局臨時祭に正四位廣幡忠朝)以後、四囘なりき」と。

――備中處士――石清水八幡宮行幸。
●石清水八幡宮宮司・田中弘清翁『石清水八幡宮ご親拜の大御心』(『今上陛下を仰ぐ――平成の御代に生きる國民として』平成十六年三月・日本青年協議會刊・『祖國と青年』論文選集2所收)
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 愚案、靖國神社行幸は、凡そ三十三年間、絶えて無い。當然である。件の如き(御祖神にあつても、百二十年ぶり)を拜すれば、行幸を賜るさへ難有い御事であり、且つ護國之神靈と雖も、臣下の神靈であつて見れば、行幸を賜るてふは、恐懼至極の御事なのである。松平永芳元宮司は、其の在任中、深刻なる反省遠慮を以て、現在の状況下では、「行幸を絶對にお願ひしない」と申された。只管ら行幸を懇祷し、御待ち申し上げるはよろしいが、決裁し給ふのは、あくまで雲上である。我々は百年でも五百年でも、只管らお待ち申し上げるしか無いのである(愚案、一兵士翁御示教に曰く、「否、只管らお待ち申し上げていればよいことなのである」と。上天からり埀示、恐懼戒愼、たゞ頭を下げるのみなり矣。翁の鐵鎚に因り、備中處士不敬不用意の言、幸ひに之を訂し畢るを得たり)。
 然しながら行幸を仰ぎ奉る前に、我々は、靖國神社の廣前を祓ひ清めたか、上下一致、護國の誓願が出來てゐるのか、國内外の情況は、行幸を仰ぎ奉るに於て問題は有るのか無いのか、雲深き邊りに御迷惑を御掛け申し上げる事は無いのか何うか、我々は懺悔反省してゐるのか何うか、激しく深く問ひ直すべきであらう。敢へて言擧げ申し上げる次第である。

――備中處士――宮中祭祀のこゝろ。
●鎌田純一・元宮内廳掌典『宮中祭祀と建國の心』(平成七年十二月二十日取材・『日本の息吹』平成八年二月號)
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http://www.nipponkaigi.org/opinion/archives/888
 上記は、毎度引用に及んで恐縮ですが、此の上なく尊く重きものと存じます。願はくば、心して熟讀たまはらむことを。

●寒林平泉澄博士『建武中興の御政』昭和九年八月十九日朝擱筆(昭和九年九月・至文堂刊・『建武中興の本義』所收/昭和五十八年五月・日本學協會水戸支部復刊)に曰く、「
――大業崩壞の責任、國民の利己心に在り――
 是に於いて建武中興失敗の原因は、明瞭となつた。即ちそれは天下の人心、多く義を忘れ利を求むるが故に、朝廷正義の御政にあきたらず、功利の奸雄足利高氏、誘ふに利を以てするに及び、翕然としてその旗下に馳せ參じ、其等の逆徒、滔々として天下に充滿するに及び、中興の大業、遂に失敗に終つたのである。こゝに我等は、この失敗の原因を、恐れ多くも朝廷の御失政、殊には後醍醐天皇の御失徳に歸し奉つた從來の俗説を、大地に一擲しなければならぬ。否、我等の先祖の、或は誘はれて足利につき、或は義を守つたとしても、力乏しくして、遂に大業を翼贊し奉る能はざるのみならず、却つて聖業を誹謗し奉る事、六百年の長きに亙つた罪を懺悔し、陳謝しなければならぬ。建武中興の歴史は、まことに懺悔の涙を以て讀まるべきである。しかも懺悔の涙を以て讀むといふを以て、單なる追想懷古と誤解することなかれ。建武の昔の問題は、實にまた昭和の今の問題である。見よ、義利の戰、今如何。歴史を無視して、己の由つて來る所を忘れ、精神的放浪の旅、往いて歸る所を知らず、國體を閑却し、大義に眛く、奸猾利を求め、倨傲利に驕る、これ何人であるか。滔々たる世の大勢に抗して正道を求め、眞の日本人として己の分をわきまへ、一意至尊を奉戴して、その鴻恩に報い奉り、死して大義を守らんとする、果して何人であるか。問題は、こゝに、六百年前の昔より、六百年後の今日に、飛瀑の如く急轉直下し來る」と。

●高村光太郎氏『一億號泣』(陸奧國鳥谷崎神社境内碑。昭和五十七年八月十五日再建)
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■平成十九年五月三日

――備中處士――賀茂百樹宮司の逸文。
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●平田篤胤大人の哥
いざ子ども さかしらやめて 現人(あらひと)の 神にならひて おやをいつかな
●藤田東湖先生の詩
天地正大の氣、粹然として神洲に鍾る。
死んでは忠義の鬼と爲り、極天、皇基を護らむ。

――備中處士――神皇正統記に曰く、「毫釐も君を忽せにする心を兆す者は、必ず亂臣となる」と。
【光格天皇の御製】
神樣の 國に生れて 神樣の 道がいやなら 外國(とつくに)にゆけ

●鈴木武一翁『氏神と氏子』
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■平成十九年五月四日

――備中處士――合祀は、祭祀大權に基づくもの、臣民・草莽の吐々するを許さず。
 賀茂百樹元宮司の仰る如く、「靖國神社は、たゞに軍人軍屬のみ祀らるゝ神社ではなく、靖國の御社號の示す如く、身命を捧げて國家の大生命の彌榮に資せる國民の悉くを、『陛下の思召しによつて祀らるゝ神社』であり、いはゞ全國民の忠君愛國の大精神の結晶」であり、亦た一兵士翁が仰るやうに、「靖國神社の合祀は、いや、日本の神社祭祀は――天皇の『祭祀大權』に基いて、その枠組みの中で構築されてゐる。合祀祭を臨時大祭と呼稱したのも、それは、天皇の思召しに基くもの」てふ言擧げは、之を搖がすことが出來ぬ。
 故に『永久鎭祭の旨の祝詞を奏上』された上は、上御一人の宣直しが無ければ、之を廢祀ないし分祀すること、時の政府や國民ないし(必無の事であらうが)靖國神社總代會が、幾ら騒擾決議しようとも、決して能はざるのである。

●國學院大學教授・大原康男博士『新「靖國資料集」が明かす合祀の經緯――當時の國民の心意を讀み取らう』(産經新聞・正論・平成十八年四月三十日)に曰く、「――【削除し畢ぬ】――」と。
●茶畑元35樣『早稻田日記』五月四日條に、「神社新報」四月三十日號の紹介がありました。
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http://plaza.rakuten.co.jp/goaheadgo/diary/200705040000/
[謹告]
 件の『新「靖國資料集」が明かす合祀の經緯』は、賀茂元宮司および一兵士翁との相違懸隔を際立たさむとして引用させて戴いた心算でありましたが、「一兵士他、仲間がもっとも嫌悪する思考」とのご埀示を拜しました。こゝに謹んで「削除」させて戴きました。失禮の段、御赦し下さい。 備中處士 謹拜


備中處士、冴え渡るなり。
 備中處士さんの投稿文が、冴え渡っている‥‥(但し、國學院大學教授・大原康男博士『新「靖國資料集」が明かす合祀の經緯』の紹介文以前に限ってである)。ありとあらゆる国学の書を収拾している観がある。殊に、最近の披露紹介していただいている文を読むと、正鵠に的を射てたるものばかりで、その選択する視点が、以前より飛躍的に弾力を帯び、ぐんぐん上達しているものを感じる。見事なものである。感嘆というしかない。ご本人も、確実に自身の思考が深まっているのを、充分に感じ取っているのではなかろうか。確実に、備中さんは、ステップアップしている。これも、英霊からの、先達からの目に見えない振作を受け、樹液となし、枝葉を伸ばし、幹を太くしつつあるのだと思います。ある段階を、確実に突破したように思える。俗世でいう「一皮むけた」精進ぶりである。本当にうれしいことだ。まさに学問の域に入られている。素晴らしいことだ。万巻の書を読めば、学問の領域に入る――と、以前、若い某君に話したが、彼は実行しているのだろうか。今の備中處士さんは、自分の進捗が面白くて仕方がないのでは? 「乗りに乗っている」。以前の備中さんより、格段の進歩、前進を続けている様子を眺めているのは、渓谷の美を見つめるよりも、なお、すがすがしく、涼風をいっぱいに受けた大森林を見ているような想いである。おそらく、聲はないけれど、閲覧者は、じっと、備中さんの紹介される「知られざる方の詞」を聞き、読み、学問の身なりぐらいを少しずつ付着されているのではないかと想像する。スレッドとしては一級品になりつつあるのを感じる。小生は、いま、さるお方からのお願いで、琵琶法師語る「平家物語」全巻の注釈を、更に注釈するお手伝いをさせられていて、なかなか投稿が書けないでいる。それが気になって仕方がないのだが、備中さんが書いてくれているので助かります。どんどん、投稿してください。

 数日前に、日経新聞が「富田メモ」の詳細を、朝刊に大特集した。その少し前には、朝日新聞が卜部亮吾なる侍従の日記を出版するニュースがあり、その日記の中で、「昭和天皇が靖國神社に参拝しない経緯、直接的には、A級戦犯合祀が御意に召さず」と書いてあるとか‥‥。しかし、昨年の「富田メモ」ほどの盛り上がりは見せなかったようだ。それで、業を煮やしたのか、朝日と連携する日経が、「これでもか!」とばかりに、「あの富田メモ」の全貌めいた内容の公開特集を、何面も使って披露した‥‥。が、それでも、さほど、日本中が燃え上がらなかったようだ。「富田メモ」にしろ「卜部日記」にしろ、所詮は私的なシロモノだから、富田メモ研究委員会委員の秦郁彦氏や保阪正康氏が言うような、「一級資料」とは到底なりえないのだが、彼らはしきりと「一級資料」と言ってはばからない。まあ、「小説や裏話の好きな人には、一級資料」に思えるのだろう。とても『記紀』とか、『続日本紀』のようなものとは比肩しようのない「くされ資料」と、小生は断言しているのだが。「日記」や「メモ」類で、日本の近現代史を作るようになってはオシマイだ。

 満州事変のきっかけとなる満鉄線路爆破は、「私がやった」という手記を、昭和三十年に、「別冊知性」十二月号に発表した関東軍参謀花谷正の「満州事変はこうして計画された」は、当時、まだ東大の学生であった秦郁彦さんが、推測で書いたものに、「花谷正」の名前を載っけて発表したものだし、満州某重大事件の張作霖爆殺は、「私が計画した」と、河本大作が死ぬ前に手記を発表したが、これは中共の監獄で書かされたシロモノだし、まるであてにならない話であるのだが‥‥。この手の「手記」は、結構、重要視されて、現代では、いつのまにか定説化されてしまっている。哀れな日本近現代史ではある。でもまあ、たいしたことではない。過ぎ去っていく歴史が、本物であろうが、捏造であろうが、時はどんどん、新しい歴史を作り出していく。「あの人は、いい人だった」、「アイツは、大悪人だった」と言ってる本人が、どんどん死んでいく。過去になっていく。「いい人だった」と言われた人も、「大悪人」と呼ばれた人も、どんどん過去の激流の中に埋没していく。ものすごい歴史の濁流。パワー。そのなかで、ああだこうだは面白いが、それだけのこと。そんなことより、今、目の前に生まれてくる時間―その時の瞬間が重要だ。その歴史が重要だ。本当は張作霖を爆死させたのが、河本大作だかどうか、当時でもわからないし、満鉄線路を本当に爆破したのが関東軍かどうかは、不明なのだ。そんな単純な作りに歴史はなっていない。やはり、一級資料となるのは、やはり公文書類であろう。

 ずーと以前に書いたと思ったが、満州事変は、勃発後の昭和六年九月二十一日の閣議において、「九月十八日夜、支那兵ノ満鉄爆破ニ因リ生起シタル今回ノ事件ハ、之ヲ事変ト看做ス」と閣議決定されているが、これが歴史です。この閣議決定がその後、否定されたり、削除されたりはしていない。従って、日本の近現代史としては、「満州事変は、支那兵の満鉄爆破に因り起きたものである」というのが、正しい歴史認識なのである。これを関東軍がやったなどと騒ぐのは自由だし、面白いし、歴史の推理は楽しい。が、それだけのこと。それを歴史としてはいけないのである。その認識が、識者には欲しい。が、その識者がいなかった時代に生きた人は、不幸かも知れない。つまり、天皇に近い人のメモに、「参拝しない、それが私の心だ」と書いてあったにしても、身近で勤務する方の日記に、「天皇の御意に召さず」と書いてあったにしても、それは「へえー」とびっくりはするが、しかし、それだけのことで、「歴史資料にはなりようがない」ものなのだ。これらは「歴史」を作る材料にはならない。

 歴史は、備中處士さんがくどいほど書いているように、「靖國神社の例大祭」には、天皇陛下の勅使参向が、途絶える事無く続いている――、ということが「歴史」なのです。「勅使」は、天皇の御遣いです。天皇の代理ではなく、天皇そのものなのです。そこのところをしっかり心におさめておくことです。備中處士さんの言葉が書いてあるので、再度引用したい。
「愚案、靖國神社行幸は、凡そ三十三年間、絶えて無い。當然である。件の如き(御祖神にあつても百二十年ぶり)を拜すれば、行幸を賜るさへ難有い御事であり、且つ護國之神靈と雖も、臣下の神靈であつて見れば、行幸を賜るてふは、恐懼至極の御事なのである。
 松平永芳元宮司は、其の在任中、深刻なる反省遠慮を以て、現在の状況下では、「行幸を絶對にお願ひしない」と申された。只管ら行幸を懇祷し、御待ち申し上げるはよろしいが、決裁し給ふのは、あくまで雲上である。我々は百年でも五百年でも、只管らお待ち申し上げるしか無いのである。
 然しながら行幸を仰ぎ奉る前に、我々は、靖國神社の廣前を祓ひ清めたか、上下一致、護國の誓願が出來てゐるのか、國内外の情況は、行幸を仰ぎ奉るに於て問題は有るのか無いのか、雲深き邊りに御迷惑を御掛け申し上げる事は無いのか何うか、我々は懺悔反省してゐるのか何うか、激しく深く問ひ直すべきであらう。敢へて言擧げ申し上げる次第である。」

 以上の備中さんの言葉を、何度も読み返して、心に刻んでください。正に至言でしょう。敢えて、もう少し、厳密に言えば、「我々は百年でも五百年でも、只管らお待ち申し上げていればよいこと」なのです。と、いうことで、この天皇行幸と靖國神社の話は、これ以上、いうことはないのだが‥‥。上記の件は了解、承諾しても、それでもやはり、靖國神社に天皇の行幸―親拝が途絶えた理由は、なんなのだろうか‥‥。それは、多くの国民も、このスレッドの閲覧者も、畏れおおいことではあるが、「なんとか知りたい」、「その理由を聞いて安心したい」という胸のもやもやを晴らしたいと思う方も、多勢いるだろうと思います。そこで、小生も、考えた末に、その真相をある程度までは書こうと思ったのですが、やはり、どうしても公に出来ない箇所が在り、書くことを断念しました。

 確かに、入江侍従長の日記には、「朝刊に、靖國神社に、松岡・白鳥など合祀のこと出、テレビでもいふ。いやになっちまふ」とあったり、徳川侍従長が語る「侍従長の遺言」では、「当方からは、評議員(総代会)に、元宮内府次長の加藤進さんや東宮侍従をした栄木忠常さんが出ており、これらの人は皇室のお立場もわかっているはずだったんですがね。私は東條さんら、軍人で死刑になった人はともかく、松岡洋右さんのように、軍人でもなく、死刑にもならなかった人も合祀するのはおかしいのじゃないか、と言ったんです」と、合祀に批判をしたり、当時の靖国神社広報課長馬場久夫氏が、「こういう方をおまつりすると、お上(天皇)のお参りはできませんよ」と、宮内庁の担当者から釘を刺されたという話があったり、また、例の富田メモの、「だから、私はあれ以来参拝していない」とか、卜部日記の「御意に召さず」があったりするが‥‥。でも、ほとんど、心配することはないのです。昭和天皇・今上天皇は、勅使を靖國神社に差し遣わしているのです。更に、皇族も途切れる事無く参拝されています。そのことに目を向けてください。先日の例大祭では、四月二十二日に、勅使が参向、幣帛が奉られ、午後には、三笠宮殿下が参拝されている。また、六宮家からは、玉串料の献進もおありです。それでよろしいと思います。当分の間、これでよろしいと思います。五十年・百年の間は、これでよろしいでしょう‥‥。徳川侍従長は、「侍従長の遺言」の中で、こう書かれている。「合祀がおかしいとも、それでごたつくのがおかしいとも、どちらともとれるようなものにしていただいた。」

昭和六十二年八月十五日の昭和天皇御製
この年のこの日にもまた靖國のみやしろのことにうれひはふかし

 追記。この文を投稿しようとしたら、備中さんが新たに「大原さんの話を紹介」していた。いやあ、困った。大原さんは、はっきり言ってダメです。今の靖國神社執行部のいうなりです。何とか「官民一体」を主導し、戦後の合祀は、靖國神社がやったのではなく(神社には責任がなく)、戦犯合祀は、「厚生省がやった」にしたがっているのです。いつか話した通り、「靖國神社は、戦後、鈴木孝雄宮司から、陸海軍省に代わり、軍務として合祀を続行せよ!」と命令を受け、それで「宗教法人」になったのです。官民一体の合祀などやってはおらん。筑波藤麿宮司・松平永芳宮司・大野俊康宮司は、常に軍務として勤めておられた。大原さんの言葉は、その勤王の精神に「違背」するものだ。備中さん、申し訳ないが、大原さんの言葉は削除してください。一兵士他、仲間がもっとも嫌悪する思考である。お願いします。うーん、まずいなあ。備中處士さん。
 

  • [60]
  • 五十九。徒然のままに。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 3月30日(水)18時11分39秒
  • 返信
 
■平成十九年四月二十五日――徒然のままに。

 さあて、そろそろ書かなきゃいかんと、自分を励まして、パソコンに向かう。どうも全身に倦怠感が貼りついていて、なにかするにもおっくうである。でも、書かなきゃいかんという気がある。せっつかれている。それで無理やり自分を座らせる。考えてみれば、書き落としてきている話が、随分あるようだ。気になっている話といえば、「鎮霊社の最終章」が、まだ書いてない。又、誰かが文句を言っていた、英霊之「後ろ傷」の話もまだだ。この後ろ傷の話は、東京招魂社時代の祝詞には、大抵記録されている。それを紹介したいのだが、きっかけがない。また「言上げ」の重要さも云いたい。「言上げしない」ことがいいことだと思っている連中の、脳髄を破壊しなけりゃならない。言上げをしたから、井伊直弼の首が飛び、維新が起こり、板垣の自由民権運動が起きた。日本の近代史は、いわば「言上げ」の連続史だったこと。それで頭山満という大右翼が出現した経緯など、「言上げ」の連綿を教えたい。まだある。天皇の靖國神社行幸と勅使参向の夫々の意義。天皇行幸の喜びで、賀茂百樹宮司が、軍人から胴上げされた話、あるいはあれほどの賀茂宮司が、何故、辞表を提出、辞めなければならなかったか、その真相‥‥。これもまだ書いていない。神社参拝の仕儀。祭祀の礼法。礼なければ、祭神は参拝を受け付けない神道学の話。また、この間書いた西行法師の話の続きがある。これが大事。先日から話している歌人野村玉枝の『戦陣訓』紹介も、まだだ。招魂斎庭の鳥居と参道の鳥居の違いは、先日書く約束をしたばかりなのに、まだ、書く気が起こっていない。胸に沸き起こる雲、熱い狂乱の響きが必要だ。自分には、きっかけが必要なのだ。それがないと、指が動かない。今回も書けるかどうか、まだわからない。指先一つにかかっている。

 備中處士さんが紹介していた皇學舘大學眞弓教授の「エリザベス女王の伊勢神宮参拝」は、実は参拝でなくて、真相は「単なる伊勢神宮の見学」であり、祓いも浄めもなく、奥深く入室したこと。まさに旧敵国の女王に、皇祖皇宗の斎宮が、土足で蹂躙された事実を知らしめたいが、これもいろいろな問題があり、簡単に紹介できない。また、掲示板では話せない、先日の「私的招魂斎庭運用の真相」、「まだ発表されていない戦後の合祀基準と実際の合祀現状」、あるいは「あの富田メモ」の本当の真相とか‥‥。いつか話せる機会があるのかどうか‥‥。多分、ないだろう。御簾を跳ね上げることはできない。思わせぶりに書くのは、深い深い底が、どの世界にもあるということを知らしめたいから。

 一昨日、春の例大祭は終わった。自分は、今回は身体が不自由でいけなかったが、内も外も惨憺たるものだと、仲間が話していた。内のことは話せないが(話しても削除されるだろうから)、外は‥‥、いいだろう。参列者の激減である。当日祭も二日祭も参列者は、五、六百の人数であったらしい。当然のように奉納金も激減である。それと、参列者は圧倒的に戦後者であり、戦友さん・遺族さんの数は、想像以上に僅かであったそうな。今、サヨクは、「靖国問題は、ほっといても、あと二十年で解決する」と言っている。それは靖國神社が解体されるか倒産するか、どちらかだと言う。‥‥。大祭に参列した仲間は、はっきりと言った。「闊歩の如き参列者が多かった」と。靖國神社が靖國神社たりえるのは‥‥、「祭祀の尊厳と祭神への敬仰」しかない。それが戦前は、完全にあった。戦後もあった。あったが、それは継承しようとしてあったのではなく、戦友さんたちが、戦前生まれの人たちが大勢いたというに過ぎなかった。継承を考えたのは、松平宮司・大野宮司二人のみだけだった。先だっての能楽堂での演歌ショーといい、プロレス興行といい、猿回しといい、祭祀の尊厳はひび割れて、干上がっていく。

 最近の靖國神社「社報」にしても、そうである。社報の編集者が、他所から来た神道人でない人間に、三月から変ったようだ(社報に公告されているから、内部情報ではないので。念のため)。第一面というか、表紙に、社報の顔とも云うべき「靖濤」欄がある。従来、稚拙な文面ではあったが、必ず祭神のことを、それなりに一生懸命、広報課長が書いていたが、なんと、代が変わったら、週刊誌の「コラム」か、「産経抄」みたいな、ブンヤ記事になってしまった。三月・四月号と、連続して、「ブンヤ記事」だ。靖國神社に、なんの思いもない編集者が書いていることが明々白々。まるで第三者の目である。それも「偉そうに、何様のつもり」か知らないが、総て上から見下ろして書いている。祭神も、膝下の如き扱いである。敬神を知らぬ、神社オタクの高校生の文章だ。祭祀の尊厳、祭神への敬神なんか、「知らん」輩が書いた「記事」でしかない。こういう手合いを、今の執行部は他所から連れてきて、社報を書かせている。

 つい、一昨日の二十三日まで、外苑参道を占拠して開かれていた陶器市では、居酒屋付きで、客に酒を振舞って飲ましていた。参道で、祭りでもなしに、酒を昼間から飲ましている神社は、靖國神社ぐらいだろう。何週間前に、花見参拝団体の批判を書いた際、「参道というのは、既に参拝中であって‥‥」などと、神社参拝の仕儀、祭祀厳修を書いたばかりなのに、神社執行部が、参道で酒を飲ますのも許可していたんでは、「闊歩も悪くねえ派」から、ザマアミロといわれても、反論できかねる事態だ。こんな様だから、犬畜生も、最近は境内でクソをして、スタスタ行ってしまう。犬も、靖國神社をナメテきたようだ‥‥と、仲間が吐息をついた。溜息である。松平宮司は、靖國神社「社報」紙面づくりに、どれほど精魂を傾けたか――。夜遅くまで、広報課長と討議・推敲して、推敲して原稿を作られていた。それはまさに「もう一つの祭り」の執行であった。それほど「社報」を重要視していた。

 聞けば、春の例大祭を、プロレスと同格の行事扱いにした、小生の大批判した最悪の「春のポスター」を作ったのも、この他所から来た編集者の手によったらしい。問題は、この「よそ者の編集者」にあるのではなく、このような仕事を許している執行部に問題があるのだ。いま、靖國神社では、松平宮司を直接知る人は、僅かになった。この人たちもあと十年で、いなくなる。薫陶を受けていなくとも、精神を継承してくれる‥‥、やはり若い神職が待たれる。靖國神社再興を祈るばかりだ。國乱れれば忠臣が現れるというが、もう、靖國神社は乱気である。早く、忠臣よ出でよ。祈るのみである。古い職員が、そっと、仲間に呟いたらしい。「あと十年は持たせたい」と。ある日、突然、靖國神社は、「わかりました。昭和殉難者は降ろします」と言い出すかも知れない。あるいは「わかりました。靖國神社を國にお返しいたします」と言い出すかも知れない。それでなくとも、最近、南部宮司は、ことあるごとに、「いつか、神社を国にお返ししなければならない」と言い出している。今の日本国は、六十年以前に靖國神社が厳修されていた、「あの時の国家ではない」。

 雨が降る窓外を見ていた。ふと、脳裏に走った。昔、人がいた。靖國神社に。素晴らしい人だったという。「いつか、必ず、靖國神社の大幹部となり、宮司にもなれる逸材だった」と、語る人が大勢いた。大東塾出身。靖國神社勤務は、わずか二年だけ。しかし、大変な逸材だったようだ。その人を知る同期は、まだ、今の靖國神社にもいる。だが、この方は、既に逝った。昭和五十年五月十七日に亡くなった。昭和二十一年八月十五日誕生の、二十八歳。時の筑波宮司は、この方を同日付けで、宮掌から二階級特進の主典に任ずる「辞令」を発した。この方の逝去を惜しんで、「鳥居考」という遺稿追悼集が、その後に出版されている。筑波宮司・池田良八権宮司をはじめ、大東塾塾長影山正治氏・樋口清之國學院大学教授など、錚々たる人々が筆を寄せている。この方のお名前を出してもいいだろう。大東塾学生寮生で、國學院から靖國神社神職に奉職。二年間の奉仕で逝去。日下部勲之命。現在、青梅市の大東塾霊園内に、神式をもって眠られている。

 昭和七年の「血盟団事件」・「五・一五事件」に次いで起きたのが、昭和八年の右翼玄洋社・黒龍会系が中心となった「神兵隊事件」。この事件の首謀者と目されたのが、影山正治氏。後に大東塾を設立。大東亜戦争で、中国に出征、昭和二十年敗戦。影山塾長の留守を守っていた塾生十四名は、敗戦を「天皇陛下に申し訳ない」として、代々木練兵所にて集団割腹自決。今、青梅市の大東霊園に、十四烈士として祭られている。戦後右翼の重鎮として、大東塾塾長影山正治氏の名を、そして十四烈士のことを知らぬ者は、この世界にはおらぬ。その影山正治氏は、昭和五十四年「元号法制化」の法案成立を望んで、五月二十五日、青梅市大東農場にある、大東神社近くの杉林の中で、白装束・黒紋付紺袴の正装で割腹後、散弾銃で自決。傍らにあった遺書に、「一死、以て、元号法制化の実現を熱祷しまつる」とあった。辞世に「民族の本つ命のふるさとへはやはやかへれ戦後日本よ」とある。空にヘリコプターが、一日中響き渡った大東農場であった。大東塾は清貧を本管として、現在も青梅の農場で、自給自足の生活を続けている。戦後「不二歌道會」を主宰した。その信条は、「深く国学の道統を信奉し、厚く歌道の風雅を尊重。敬神・尊皇を以て、大道不二、求道一貫。剣を修練し、低劣を排し、醜悪を討ち、萬有維新の天業に参ぜん」とする。まさに戦前から戦後、現代まで連綿と続く、大右翼の塾である。現在、「不二歌道曾」は、神屋二郎氏が代表を勤めている。鶴のように痩身小柄な方だが、神屋氏が通る所は、最近の遊侠右翼団体は無論、公安も身を引いて道を開ける。既に八十五才を超える。先だって亡くなられた名越二荒之助先生とは、気が逢うていたようだ。戦前から生きた、最後の正統右翼であろう。一兵士も何度と無く話を交わし、青梅の農場にも幾度と無く訪ね、親しくもさせていただいている。豊臣秀吉に茶を講じ、石見銀山を開拓した、九州の豪商神屋宗湛の子孫である。

 少し、大東塾の紹介に時間を費やしたが、この大東塾塾長影山正治氏が、日下部勲之命に追悼の辞を贈られた。その中に印象的な詞がある。
『いはば愚直なまで、かなしきまでに、一心不乱に、「昭和維新を祈り念じつづけて、うら若くして斃れていつた」思想の戦ひ、信仰の戦ひの上での、清冽純たる戦死者の一人と云ってよいであらう。したがつて、本質的な意味に於いては、日下部君のみたまは、靖國神社の一般御祭神たちと同様の、ある面に於いては、それ以上にきびしく、はげしい護国の清霊、靖国の英霊であると云つてよい』
と。まさに絶大の送辞であろう。今日は少し、個人的になるが、日下部勲之命の話をする気になってきた。先だって、備中處士さんが「靖國神社再建を若き神職よりも、一人の識見の高き、權力に屈しない、孤高の禰宜・總代の登場を切望する」と書かれていた。無論、それに越したことは無い。無いが、今は、そのような方を知らない。一兵士は、若き者たちに渇望する。
神に奉仕したい』。
これが日下部勲之命が、靖國神社に奉職する決心の心であった。昭和四十八年に、靖國神社に勤務。中学時代の友人に宛てた手紙に、「神國日本ノ為、一草莽ノ臣トナッテ、頑張ルツモリデアル」と書いている。國學院学生時代は学園紛争で、構内を牛耳っている民青・革マル派など、左翼学生に我慢ならずと、民族派を結集させ、「ひもろぎ会」を結成、≪国史の道統と日本文化の伝統を伝授すべき國學院大學に於いて、その伝統を否定し、そして神殿に放火するような学生に対し、天誅を下すべきである≫と、大音声で説き、決起した。構内で開く左翼学生の集会に突撃、流血を飛ばしながらも粉砕した。学内正常化の先頭に立った活動家でもあった。大変な色男であり、女子にはもてたそうだ。写真をみれば、嘘ではないことがわかる。眉目秀麗。若鷲。妙な例えだが牛若丸、紅顔の美少年のイメージを持った。

 「ランドリーの上行性麻痺」と呼ばれる難病・奇病によって、日下部勲之命は、昭和五十年四月一日、突如襲われた。現在でもギラン・バレー症候群と呼ばれる難病で、下肢から上肢・頸部・胸部呼吸筋へと麻痺が上行する病気らしく、効果的な治療法が見つかっていない。四月一日に倒れ、四十七日間、病魔との壮絶・凄愴な戦いをして、黙された。友は追悼に記す。
「神の前では、清潔そのものの人であった。靖國神社に奉職し、國の為に斃れた英霊の為に、実に誠実に奉仕してこられたことは、彼の生き方を根源的に支えていたものが何であったかを物語っている。」
「いかに天の摂理とは申せ、前途洋々たる兄にして、未だ青春半ばで幽世に旅立たれたことは、返す返すも残念であります。然はあれ、顕幽一体の大道にあっては、あの世もこの世も、奉皇あるのみ。しかも聴く所によれば、兄は死の直前にあって、皇城奉護の一念に、生命の最期の炎を燃やしたという。これ正に兄の七生報国の誓約に違いありません。」

 日下部勲之命が、大学時代に提出した単位論文がある。「我が神道教化の方法」(昭和四十七年)という。抜粋したい。まず、現在の日本人の神道に対する考え方という中で、こう書いている。
‥‥なんといっても学校教育で「修身」を教えられなくなったことが、現在の個人主義の人間を生み出す原因となったとおもいます。戦後の混乱期で、家庭教育・社会教育・職場教育が、国家神道を否定する立場をとっただけに、学校教育で正しい日本人の道を教えられなかったのは残念です。現在の大方の日本人は、神の存在を意識せず、感謝の念も持たず、国体護持についての危機感を持っていず、個人の幸福ばかりを願う人々だとみて、さしつかえないでしょう。

 そして、一般の人々に神道の教化をするべきであることを力説する。日下部勲之命の家は、神社ではない。社家ではない。まだ学生で、神社奉職の経験もない身でありながら、日下部勲之命は、「自分の考える神道教化」はこうすべきであると、高論を述べる。なんと素晴らしいことか。現在の靖國神社総ての神職に読んで戴きたい。靖國神社に奉職する前の、学生時代に書いた「聲」である。
教化するには、そのことについての完全なる知識が必要である。完全といっても、この場合は奉職している神社についての由緒より始まって、御祭神に関すること全般であろう。いわゆる神道学は、基礎的なことだけは必要であって、それよりも高等的なことは、教化をしながら、自分もともに学んでゆきたい。
次に心から神さまのことを敬い、おもわねばだめであろう。それを信じきることである。ここに少しでも懸念が出れば、人を導くことは無理だと思う。
次に己から範をたれねばいけない。具体的に方法を述べよう。神徳を広めることと共に、教育勅語を使用する。使用といっても、教育勅語をもっと解しやすくして教えようと思う。私は、教育勅語は、真の日本人になるのにふさわしい教えであると考える。教えといっても、これは道徳であって、あたりまえのことをすればよいのである。究極の国民道徳は、これだと思う。
次に神社を(社殿・付属物)、氏子の人々の共同のものであると自覚させる。この為には、自ら進んで社殿清掃をして、人々に積極的に手伝ってもらう。自分達の手で美しくし、又、修理などをした神社は、特別の念がわくであろう。少しでもよいから、身体でもって奉仕をしてもらうことである。これは金銭の寄付よりも大事であろう。このことでわすれてならないことは、神社の厳かさを失わないことである。あまり開放的にならないことである。
我々皆の神社なのだ、という自覚が出れば、神道教化は、ほとんど出来たと同然であろう。「敬神婦人会」や「氏子青年団」などを作らずとも、人々は神を敬い、道義をわきまえ、立派な日本人となるであろう。國の役に立つ立派な日本人となるようにすることこそ、教化の目的ではないであろうか。
――結論として――
神主一人一人が、自分の信念を氏子の人々に伝えて、啓発をうながすことである。真の国体の精華と云うものを教えるべきであろう。他人の目を恐れてはならない。私は、神道こそ、日本人を導く大道と思っております。『敬神崇祖』、これこそ我々の教えです。今後も皇国の再建に挺身する覚悟であります。


 なんと見事な、平易な「教え」であり、「聲」であろうか。日下部勲之命が、昭和二十一年八月十五日に生まれたというのも、奇異といえば奇異。敗戦一年目の誕生。日下部勲之命は、「皇国再建」を使命と考えていた。「皇城」に身を奉らんとしていた。そして、神社はおごそかに、あまり開放的にならぬことを旨とし、教化の方法を考えていた。いま存命していれば、権宮司にはなっていたでしょう。あるいは、松平宮司の右腕となり、大野宮司の左腕となり、今日、宮司として、靖國神社の社稷を護持し奉っていたことは想像に難くない。現在の靖國神社を食い物にする者どもの浸入は、一切、拒絶されて無い筈であった‥‥。突然であるが、少々、疲れました。今日のところは、此処までにします。徒然の話の中に、真理を見つけてください。次に日下部勲之命が、「ランドリーの上行性麻痺」という難病・奇病と戦う壮絶な日々を、父の手記から紹介したい。父は海軍の飛行機乗り、大東亜戦争を生き残った方。父母と一人息子三人の、凄愴な四十七間の断片を着床させたい。
 

  • [59]
  • 五十八。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 3月30日(水)18時09分35秒
  • 編集済
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――備中處士――南山の脣の血を忘れめや。
 一兵士翁には、竹柏園の歌人野村玉枝刀自の紹介を賜はり、又た更に披露を戴く由、小生も愛誦歌を書いておきたき衝動にかられました。即ち當時に於る戰爭文學の白眉、森鴎外の詩であります。鴎外自身の筆になるてふ廣告文に曰く、「こは、森林太郎氏が、明治三十七八年役の間、ひた土に青柳の枝折りしきも夜の月の下、出がらしに波立つ天幕の焚火のほとり、鉛筆して、手帳の端に書いつけられし長短種々の國詩を、月日をもてついで、一卷とはしつるなり」と。同好の士は、音吐朗々、誦されたい。
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――備中處士――陛下の萬歳を喚呼し、欣然として瞑目す。
 言々語々、皆、血涙である。之を讀んで泣かざる者、人非人なるべし。英靈の興起振作、顯現するが如きである。願はくば、又た靜かに音誦せられむことを。
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■平成十九年四月二十一日

――備中處士――野村玉枝刀自。
 野村玉枝刀自のご紹介を、一兵士翁に賜り、深く感激、早速三册を檢索して古書肆に注文、やつと全國各地より、各々到着しました。其の眞髓は、他日に翁より戴くとして、其の略歴・著書の書誌を記し、翁の露拂ひをさせて戴きます。
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■平成十九年四月二十二日

――備中處士――呼稱『昭和殉難者』に關する宮司通達。
 『日本』(財團法人日本學協會刊・昭和六十一年三月號)に於て、「『戰犯死亡者』・『引責自決者』等の呼稱についての宮司通達」(靖國神社社報「やすくに」より)の原文を偶見したので、記録明示の爲に、こゝに紹介させて戴きます。
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■平成十九年四月二十三日

――備中處士――靖國神社と異教徒。
 異教徒も、元首首長ともなれば、靖國神社への參拜を希望すると云ふ。小生は之を喜ばないが、主觀的見解を喋々しても、御時勢がら迷惑であらうから愼みたいが、珍しくも無いものゝ、一の打聞きを紹介しておくのも無駄話では無いであらう。外つ國の王(こきし)は、政治的にも軍事的にも宗教的にも、其の長としての使命と責任を痛感してゐるのであらうか、靖國神社てふ存在は、之を無視すること能はざるものがあるやうである。

●八坂神社宮司・眞弓常忠翁『靖國神社のみたま』(『日本』昭和六十一年二月號)に曰く、「
 南溟の果てに死しても、大陸の曠野に倒れても、わが靈魂は天馳り國馳り、この大和島根に歸り來て、この鎭宮に鎭まることとなるものと、固く信じてゐたのである。この信念、この信仰は、俄かな思想教育によつて生じる筈のものではなかつた。民族の永い歴史の中で形成された靈魂觀が基礎となつてゐるもので、その根本にあるのは、靈魂不滅の信仰であり、人も神たり得るとの信仰である。
 靖國神社に祀られてゐる「みたま」は、神靈である。われわれは、これを拜する。またさうすることによつて、みたまは、南溟の果てや大陸の曠野をさ迷ふのではなく、靖國の宮居の奧深く「神」と鎭まり坐して、永遠に國を護り家を護るとするのが、日本人の素朴な信仰であつた(愚案、「新たな記念『廟』の建設」なぞと、異教徒の曾野綾子等は提唱するが、「廟」とは支那語にして、死者の霊祠を謂ふ。洵に困つたものである)。‥‥
 アーリントン墓地内の無名戰士の墓は、身許のわからない戰死者の遺體を以て、全死者を代表させるといふ、アメリカの傳統に從つて葬られたものである。一戰爭につき一體、それも姓名・所屬・階級不明で、戰鬪中に死んだ軍人に限られる。したがつて當然被埋葬者の、生前の宗教も不明である。アーリントンの無名戰士の墓には、過去の四つの戰爭の戰死者四遺體が葬られてゐるが、いづれもユダヤ・キリスト教の儀式によつて、埋葬が行はれた由である(おそらく一神教の世界では、いかなる人物も、死して「神」として祀られることはあり得ないのであり、遺體を以てしなければ、死者儀禮とはならないからであらう。英國に於る戰沒者追悼式も、其のプログラムが示すやうに、キリスト教英國教會による宗教儀式である)。‥‥。
 筆者(愚案、當時、皇學舘大學教授眞弓翁)は、先年、自民黨政務調査會内閣部會の靖國問題に關する小委員會(委員長奧野誠亮氏)に招かれて、公式參拜が違憲かどうかについて見解の陳述を求められ、これに赴いていささか見解を述べた(昭和五十八年十月五日)のであるが、その時、自民黨のさる國會議員から、次のやうな話を聽いた。
 先年、エリザベス女王が來日したとき、女王は靖國神社にお參りしたいと、正式な意思表示をされたにもかかはらず、外務省や政府は非常に困惑して、公式參拜であるから、外國の元首といへども、日本の憲法を遵守して貰はねば困るとでも思つたのか、どういふ斷り方をしたか知らぬが、とにかく伊勢の神宮に來ていただいた。そして、これには新聞記者も揃つてついて行つて、記者會見があつた。そのときエリザベス女王は、記者の質問に答へて、『わたくしは、やはり靖國神社にお參りしたかつた。この國の神話的な伊勢神宮に興味はある。しかし、私は元首として、やはり靖國神社にお參りすべきだつたと思ふ』と述べられた。それに對して、新聞記者連中は何とも云へないで、質疑を止めてしまつたと云ふことである。ここで注意すべきは、エリザベス女王は、一國の元首であるとともに、英國教會の首長であつて、キリスト教の一派を代表する方である。それにもかかはらず、神宮に參拜されたし、靖國神社にも參拜したいと云はれた。極めて偏狭な態度で、靖國神社公式參拜に反對してゐる日本の一部キリスト教徒は、これをどのやうに評價するであらうか」と。


■平成十九年四月二十四日

――備中處士――從五位勳五等・靖國神社第二代宮司・賀茂水穗翁。
 小生は、靖國神社の歴代宮司の略歴を、些か書かせて戴いたことがあるが、『日本』昭和五十九年十月號に、沢田正敏氏『招魂社社司宮田重男』てふ論文があり、賀茂水穗宮司の遺事あるを發見したので、之が増補を試みたい。

●靖國神社歴代宮司第二代【賀茂水穗】宮司在任=明治二十四年二月十七日~明治四十二年三月一日
 遠江國濱名郡の人。天保十一年五月十二日生る。賀茂備後直章と稱し、炳音と號す。遠州報國隊に參加。のち東京招魂社社司、海軍省へ出仕。海軍大祕書。後備海軍大主計。至從五位。神社誌編纂を繼承し、井上頼教主典に之を命ずるも、將に其の緒に就かんとして、明治四十二年三月一日、宮司在職中に歸幽、享年七十。

●靖國神社發行兼編輯(代表・賀茂百樹)『靖國神社誌』(明治四十四年十二月二十六日發行・四十五年六月五日改訂再版。平成十四年八月、神社本廳教學研究所より「近代神社行政史研究叢書Ⅳ」として復刻影印)より
○「職員」の「神職履歴書綴拔萃・宮司」に、
一、賀茂水穗。明治二十四年二月、宮司に補せられ、同四十二年三月一日卒(七十歳)。
○「事歴年表」に、
一、明治二十四年二月四日、宮司從七位・青山清卒す。十七日、後備海軍大主計正七位勳六等・賀茂水穗、宮司に補せらる。
一、明治四十二年三月一日、宮司賀茂水穗、從五位に叙す。同日卒す。特に祭資料を賜ふ。二十九日、賀茂百樹、宮司、仰せ付けらる。
○誌中に、賀茂水穗の元官職として、「海軍中秘書」・「海軍大秘書」等が散見される。

●沢田正敏氏『招魂社社司宮田重男』等より
一、水穗は、遠江國敷知郡宇布見村金山社神主たり。
長兄に、引佐郡伊井谷八幡神社神主の山本大隈金木(遠州報國隊の中心人物、後に伊井谷宮權宮司。明治三十九年十一月二十七日歸幽、八十一歳)あり、
次兄に、新所村八幡神社神主の内藤山城あり。
同志に、濱松藩御用商人の池田庄三郎、其の弟の池田庄二郎、
諏訪社神主の杉浦大學都麿(實は公家甘露寺愛長の二男。報國隊取締)、
賀茂社神主の岡部次郎左衞門政美(秋葉神社祠官。明治三十四年三月二十二日歸幽、七十九歳)、
縣居靈社神主の岡部與三郎、
宇布見天神宮神主の中村源左衞門、
掛塚川袋牛頭天王神主の長谷川權太夫、
參野村津毛利神社神主の桑原式部眞清、
東黒田村の宮田重男(六所大明神神主の二男)等あり。
慶應二年までに、其の大部分は、平田篤胤大人沒後の門人となれり。
一、皇政維新の際、遠江では遠州報國隊が、駿河では駿河赤心隊が結成された。兩隊員の多くは神職で、彼等は官軍に編入され、有栖川大總督宮に隨從し、江戸へ進軍した。兩隊は江戸に於て各所の警衞に從つた。特に兩隊員の中から選拔された御守衞大砲隊は、大總督宮の親兵の待遇を受け、上野の彰義隊討伐にも參加、そして江戸城西丸大廣間での戊辰戰爭戰沒者の招魂祭にも奉仕した。東北平定後、兩隊は郷里に歸つた。
 ところが既に駿遠の地は、徳川藩の領地となり、舊幕臣が多數移住して、駿河に於て二三の殺傷事件が發生した。これらの事件を始めとして、舊幕臣と報國・赤心兩隊との摩擦は、大きな社會問題となつた。此の問題は、時の軍務官副知官事大村益次郎の配慮によつて、兩隊の中から東京招魂社の社司に採用された人々がゐた。明治二年の社司採用は、舊幕臣との摩擦を案じた、いはゞ一時的な社會救濟に等しかつた。その爲め社司の多くは、明治五六年頃までには、他の生業へと散つて行つた。
一、慶應四年三月二十一日、官軍從軍の許可あり。水穗の兄山本金木は、詠むらく、
○數ならぬ身にはあれども世のためと、おもふひとつの心ばかりは(家を立出けるをりに)
○天皇の御先にたちてしめしてむ、やまと心の花の色香を(また庭の櫻の眞盛なる一枝手折りて)
一、明治元年十二月十七日、東京移住を決めた宮田重男に、水穗(後に東京招魂社社司、海軍省出仕)は、濱名郡和地村江間浪江八王子大明神神主の辻村駿河吉野、桑原式部眞清(明治二年十二月十二日、招魂社御用地取締、三十六年二月五日歸幽、八十三歳)と共に同道して、東京に發足す。
一、明治二年七月八日、遠州報國隊の中に、東京招魂社御番を仰せ付けらる者、
杉浦大學(後に社司となるも、明治四年に歸郷。六年七月六日歸幽、四十四歳)、
辻村駿河(後に海軍省出仕)、
宮田重男(二年十一月、社司、至陸軍省十四等出仕、十一年三月、病。九月十六日、招魂社雇差免。十月十四日、東京にて歸幽、三十四歳)あり。

●拾遺
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【參考・備中處士『靖國神社祀職』】
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  • 五十七。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 3月29日(火)19時02分54秒
  • 編集済
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■平成十九年四月十二日

――備中處士――髮長の神社參拜。
 一兵士翁の御復歸御説諭、洵に難有く、珍重に存じ上げます。餘りに嬉しくて‥‥。

●葦津珍彦翁『一神道人の生涯――高山昇先生を囘想して』(東伏見稻荷神社社務所・平成四年七月刊)
  ↓↓↓↓↓
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●瑞山武市小楯(半平太)先生の哥(獄中作)
とし月は あらたまれども 世の中は 改まらぬぞ かなしかりける
●大坂坐摩宮祝部・神祇道學師・神習舍薑園佐久良東雄先生の哥
君がため 朝霜ふみて ゆく道は たふとく嬉しく 悲しくありけり

――備中處士――人物と信仰。
 昌黎韓退之『同峽冠詩』に曰く、「棺を蓋うて、事、乃(すなは)ち定る」と。人は瞼を閉づるまでは、悲しい哉、容易に評價月旦を下せない。何んとなれば則ち人間てふものは、非常艱難の局面に際會しては、意志薄弱なるもの、何時、變節轉向するかも、得て知るべからざるものと諦觀するからに他ならぬ。先の大戰の前後、亦た靖國神社の轉變、洵に殷鑑遠からず、日々戰々恐々たるものを覺ゆ。況や其の言動、其の世評、如何に高からうとも、國體に徹せず、權力名譽に右顧左眄する者においてをや。
 小生は學生時代に、北鎌倉なる瑞鹿山大圓覺興聖禪寺にて、叱正と痛棒が飛び交ふ參禪接心を修した經驗あり(第二百九代管長は、朝比奈氏平等軒別峯宗源老師――テレビ劇「水戸黄門」の、彼の題字を書いた禪師――、師家は、其の嗣子・足立氏慈雲大進和尚。我が帝國軍隊の嚴烈なる規範は、禪門の生活規則を模したるものと云ふ)、又た田中忠雄居士の『古佛道元』(浪漫から『正法眼藏の世界』として復刻)にも影響を受け、些か佛教にも縁なきにしも非ずとせず、其の趨く所、鈴木大拙氏の著述を讀んだことがあつたが、「日本的靈性」とは云ふものゝ、其の全くと言つてよい程の無國籍性と非國民性と、且つ國史を侮蔑し、神道を外道視するに呆れたこと(島田亨氏『禪學彷徨記』昭和五十八年七月・勁草書房刊を參看)があつて、人を容易に信ずる事が出來ず、神道を論じて名聲嘖々たる者と雖も、俄かには從ひ難いことを、洵に遺憾とするものである。靖國神社を論ずるに當つては、如何に優秀卓論なりと雖も、其の人物を見、愼重これ力め、其の引用に躊躇する所ある、少なしとしない。まして一兵士翁の内堀から發せらる熱辯を拜聽してからは、益々逡巡せざるを得ない。おろそかに外堀より之を論ずること、甚だ危惧畏怖するものである。

●平泉澄博士「神道と國家との關係」(昭和三十一年冬筆、昭和三十九年七月『寒林史筆』所收)に曰く、「
 初め此の稿、國家の重大事に際會しての神道の働きを説くに、終を大東亞戰爭に結び、その一例として、山邊習學氏の『豐葦原神風和記講義』を擧げようと欲した。それは氏が大谷派本願寺の代表的なる學者であり、而して其の講義は、(昭和十八年)同本願寺教學局の出版であるにも拘らず、世のいはゆる神道學者の著述よりも、一段と深くほりさげて、しんみりした敬虔さを以て、日本の神々の前に跪き、日本の國が何によつて支へられてゐるか、日本人はいかにして眞實に生きられるものであるかを、親切に説かれてゐるからである。しかるに私は、不幸にして同氏と一面識なく、その晩年の事を承知しなかつた爲に、遂に之を割愛した。何となれば、此の度の戰、一敗地に塗れて後の世の有樣、掌をかへすが如くに轉變して、昨日は高らかに聖戰の必勝を謳歌し、今日は卑屈にも變説改論して、權力におもねり、俗論に媚びようとする者の、餘りにも多き故に、萬一をおもんばかつて、山邊氏を擧ぐるを躊躇したのであつた。しかるに其の後、之を諸家に質して、山邊氏は、昭和十九年九月十二日、未だ敗戰を知らず、時局の艱難を案じながら、病の爲に長逝せられた事を知つた。しからば其の『豐葦原神風和記講義』は、氏の晩年定論として、決定的な地位を占めるものである。私は本論に言及し得なかつた事を遺憾とし、こゝに此の旨を追記して、有志の士の一讀を勸奬する」と。

●平泉澄博士「神道傳承者としての明惠上人」(昭和三十八年六月筆、同上『寒林史筆』所收)に曰く、「
 私が(明惠)上人をいさゝか心讀し得るやうになつたのは、一に、目、その眞筆に親しみ、足、その遺跡をたづねた結果に外ならぬ。且つまたかくして得たる結論に、百萬の援軍到るが如き感じして、力を與へられたものは、昨年(昭和三十七年)十一月、ノルウエーの大船と衝突して火焰に包まれ、全員悲壯なる殉職をとげた第一宗像丸の追善法要に當つて述べられた増上寺の法主、當時八十七歳の椎尾辨匡大僧正の埀示であつた。曰く、佛教は印度に起つて印度に亡び、支那に渡つて支那に榮えず、遂に日本に於いて初めて花開き實結んだ、それは佛教渡來以前幾千年、遠く深く傳はつて來た日本の神道に支へられたが爲である、と」と。

●葦津珍彦翁『神道學史上の今泉定助先生』(昭和五十八年一月『日本大學・今泉研究所紀要』第一集所收)
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一兵士樣
 靖國神社てふ、容易に參拜もかなはず、「現場」を知らざる小生が如きは、戰前の著作、および松平永芳元宮司の遺著と、翁の警鐘のみが頼りであります。おほけなくも前記に整理させて戴いたやうに、松平元宮司の精神は、殆んど無視ないし否定されてをり、一般の社會で云へば、「革命」に相當するもの、靖國神社の根幹は、確實に搖いでをります。翁は若い祀職に期待されてをられますが、果たして可能でせうか。小生は、一人の識見の高き、權力に屈しない、孤高の禰宜・總代の登場を切望します。靖國神社を中興せんと欲する「大惡人(義勇の精神に燃える傑物。惡=勇)」出でよと、叫ばずにはをれませぬ。


■平成十九年四月十四日

名越二荒之助先生逝く。
 名越二荒之助前高千穂商科大教授が、去る十一日、呼吸不全で亡くなられた。今日、午前十一時、目黒正覚寺で葬儀・告別式。ごく親しい人だけに訃報は知らされて、今朝まで内密にされていた。ソ連に抑留された経験から、ともかく、長いものに巻かれても生きぬくことが最先決だという信念を、ひそかに持ち続けてこられた先生でした。生き抜かれたことで、復員後、捻じ曲げられた歴史の修正に生涯を賭けられることができた。貴重な考え方だと、小生は思った。何度か親しくお話したことがあった。小生を先生は、「自分より三つぐらい年上かと思っていましたよ」と、以前、言われたことがある。「じっと我慢する」ことも必要なんです――と、小生にはよく言っていた。一兵士で書いていることは、先生は、多分、知らなかったろう。ご冥福を心からお祈りします。人生、古より、誰か死無からん、丹心を留取して、汗青を照らさん‥‥。


――備中處士――嗚呼、皇國傳統の家風。
一兵士樣
 野村玉枝刀自『御羽車』のご紹介、洵に難有うございました。何度も讀ませて戴き、涙なきを得ませぬ。野村刀自の事、何も知らず、早速檢索、古書店に『御羽車』・『石南花の記』・『歌集ひとすじの道』あるを喜び、たまらず注文させて戴きました。學恩に感謝いたします。

●平泉澄博士「『緒方家集』の序」(昭和四十八年五月『緒方家集』風日社刊)
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●緒方兄弟の母堂・緒方三和代刀自の哥
草莽の 身にはあれども すめらぎの み楯とちりし 吾子をしぞあはれ(徹が歌への返歌)
ちる花の いさぎよきをば めでつつも 母の心は かなしかりけり(襄が歌への返歌)


■平成十九年四月十五日

――備中處士――五一五關係先歿者の御靈鎭め招魂祭。
一兵士樣
 靖國神社は、彼の招魂祭場に於て、次の如き、私的なる招魂を許可することもあるのでせうか(筑波藤麿宮司の時代)、今もあるのでせうか。或は戰友會の一環としての招魂祭でありませうか。謹んで御尋ね申し上げます。決して急ぎません。御體調のすぐれるとき、何かの序で宜しいので、御教示たまはれば幸甚であります。
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■平成十九年四月十七日

ほんの少しだけ招魂斎庭を書く。
備中處士さんへ
 先だっての、靖國神社招魂斎庭での「五・一五事件関係者招魂祭」に関して。いやあ、えらい話を、備中さんは、一兵士に持ち込んできたもんですな。招魂斎庭における五・一五事件関係者の慰霊祭。この招魂斎庭での「私的使用」は、簡単に説明できない。したくても出来ない、戦後の靖國神社の大根本・大根幹・大本質に触れる所で、これを書ける人間が、現在、在野の学者では、誰一人いないだろう。一兵士の小生と、あと三人か四人、いるかいないか――ぐらいではないか。宮司がどうのこうというレベルの話ではない。しかし、いつかは触れなければならない問題であるが、これは小生一人だけの問題ではなく、宮内省にも関わる問題のため、書くことが出来ない。

 何故、現在の招魂斎庭が駐車場になっているのか、その奥に何故、鳥居が建立しているのか、松平宮司は、何故、この招魂斎庭の桜の木を総て伐採したのか、御羽車は、何故、北の門から一端、外に出て、再び、神門に還ってくるのか、戦後はなぜ、御羽車は拝殿の中なのか‥‥。何から何まで、今まで、誰も書いていない靖國神社深奥の扉をあけることになる。靖國神社執行部批判のレベルを超えてしまう。廉を開けてしまうことになる。それはできない。今は出来ない。しかし、である。図らずも、備中處士さんという方が、招魂斎庭の「私的使用」に、疑問をなげかけられた。普通の人間では、質問できないことをしてきた。大原先生も阪本先生でも、その疑問に答えられるだけの知識は持っていない。学者では、誰一人いない。答えられるのは一兵士の自分と、あと数人であろう。これも祭神の催促か。神が発動したのか。書いてもいいと、自分で判断した所までしか書けない。

 とりあえず、確かに昭和三十二年五月十五日。靖國神社招魂斎庭で、本来、賊軍とも呼べる位置にある五・一五事件の首謀者三上卓が、祭典委員長として、慰霊祭が挙行されている。但し、「招魂祭」ではなく、あくまでも「慰霊祭」です。慰霊祭として執行されている。当初、三上側は「霊祭」を望んだという話も、噂として聞いたが、神社としては「慰霊祭」であるとして許可された。この日、事件関係者が、その後、支那事変などで戦歿したこともあり、「五・一五事件関係物故者、犬養毅以下、二十二柱のための慰霊祭」が、招魂斎庭で挙行されている。祭典委員長三上卓。遺族代表犬養健はじめ、遺族・関係者約二百名が参列している。また、この招魂斎庭を使い、昭和三十年八月十四日には、終戦十周年を迎え、終戦時自決した元帥陸軍大将杉山元以下、陸海軍五百四十余名の慰霊祭が挙行されている。祭典委員長は植田謙吉元少将。参列者は一千名を越す。いまだ、本殿に合祀されない方々の慰霊祭である。「私的使用」ではなく、やはりある程度「公的」な部分が解釈されて、許可されていたようだ。五・一五事件でも、関係者の幾人かが支那事変で戦歿しているので、まるで「私的」とは解釈されていない。しかし、なぜ、招魂斎庭の使用を許可したのか‥‥。一概に言える問題ではなく、当時の神社と右翼のつながりもある。独立後の、靖國神社の祭祀動向問題もある。なかなか、簡単に話せない。

 専門的になるが、この招魂斎庭では、知っての通り、昭和二十年十一月の最後の大招魂祭が行われた。その際に仮設された招魂殿が、約一ケ月後には、旧招魂斎庭に一端遷座されていたので、「空き地」になっていた――、という認識も、神社側にはあったろう。そのために‥‥、これは憶測であるが‥‥、この招魂斎庭では、その後、神社物故職員の慰霊祭などにも「使用」されているので、戦後の靖國神社において、招魂斎庭は、「臨時に祭典を行う、建屋の無い儀式殿のようなもの」と考えられていたのではないか、と語る古い職員もいる。‥‥まあ、このぐらいの説明しか、今は出来ない。

 この招魂斎庭の奥には、まだ、祭壇が残されていて、鳥居も建てられている。しかし、拝殿横の旧招魂斎庭は、既に「廃止」されたはずなのに、最近、神社執行部は、なんと、「鳥居」を建ててしまった。大丈夫か、本当に神道を知っているのか?と、疑いが出る。「廃止」した旧招魂斎庭に、鳥居を建てて、どうする? また、誰か招魂しようというのか? おそらく、鳥居がないと寂しいので、建てたら?という程度の知識で、飾りとして建てたのではないか? そういう話が、ひそかに揶揄として、神道界に広がっている。当然でしょう。執行部は早く、鳥居をはずしたほうがいい。恥を後世に残すが‥‥。

 備中處士さん、今日のところはこのくらいで。本気で、戦後の靖国神社祭祀を書くかどうか――だ。大変なことになるだろう。少し、考えさせて下さい。資料集が、まだ騒がれていない。サヨクが調査中なのだろう。神社がひっくりかえることが書いてある筈だ。それが出てきたら、援護のために書くしかないだろう。もう少し、待って下さい。まだ、書くことが沢山あって。先日の野村玉枝さんの戦陣訓にも触れておきたいので。ただ、毎週病院へ通っているので、書くのが辛い。執筆は心臓に力が入るからです。これがいけないらしい。では。一旦投稿した文章を修正する方法が分からないので、今までは、たいした間違いでなければ放置していたのだが、今回は修正しておく。「靖國神社批判のレベルを超えてしまう」という箇所は、「靖國神社執行部批判のレベルを超えて(越えてではなく)しまう」が正しい。

――備中處士
一兵士樣
 早速の御應へ、洵に恐縮至極であります。件は、公の新刊本を見て疑義を存した所、質問は暫く躊躇しましたものゝ、三上卓翁の至誠、祭文の名詞の披露は然ることながら、併せて御伺ひ申し上げたならば、或は翁の文章から、さりげ無く御應へあるものと心得てをりましたのに、ご指定のご囘答まで戴けるとは思ひも寄らず、重ねて御禮申し上げます。
 文章にては、意思を通ぜんと欲しても、半分も傳へ難きもの、又た知り得ることがあつても、十に二三しか書き得ぬものであります。又た書くべきでもありません。況や公開の掲示板、小生の如き者にとつては、十分であります。不肖下根なりに、覺る所、安心する所が、些かございました。「論ぜざるこそ、愼みの至りなり」てふ箴言もございます。神社には祕儀・密傳てふもの、是れ有り。神實神璽の御事、左右の相殿祭神の御事に同じく、決して其の全きの漏傳を求めるものではありません。
 然しながら翁の周邊には、關係者や門人弟子も居られる事と拜してをりますので、掲示板に書く能はざる所の、靖國神社の眞傳奥訣は、何卒ぞ傳授相承して置いて戴き度く、伏して御願ひ申し上げます。眞實の其の深奧は、聽許された、限られた御方のみが、知つておけばよい事でありませう。小生も、更なる神縁がありましたら、何れの日か、或は仄聞を許されるかも知れません。小生は、翁の玉章の拜讀がかなふだけで、道福の至り、行藏の指針と悦んでをる次第であります。
 翁は此のスレのご常連の方々のご發言、ないし未だ參加せず、閲覽のみで見守られる方々を確信せられるに到られし由、洵にご同慶の至り、小生も其の一人として、更なる御示教を待つ身であります。正統を護持せんと欲する者にとつて、公開を許され得る眞髓・心得は、まだゝゞ幾らでもあらうかと存じます。翁、閑暇の時、御病小康の折、引き續き御埀示の程、宜しく御願ひ申し上げます。頓首敬拍手


■平成十九年四月十八日

投稿文の感想。
 先日、備中處士さんが、物凄いことを書いている。葦津耕次郎と頭山満翁の、仏教徒による靖國神社神前参拝に対する志操の話で、大変興味深いやりとりだ。ただ、話が高度過ぎて、神前参拝の知識が深くない一般の方だと、何を問題視しているのか、さっぱり分からない話であろうなあと思うた。この話を紹介するのに、備中處士さんは、「髪長の神社参拝」という題名をつけていた。備中さんは、なにも触れていないが、「髪長」という詞を理解した人が、閲覧者にどの程度いたのだろうか? 実はこの題名で、「答えは」半分出ているようなものであるのだが‥‥。「髪長」とは斎宮の忌み詞で、「僧侶」のことを指す。血を「汗」とか、涙を「塩たれ」という詞で表現する忌み詞。即ち、坊主や汗・涙は、神道では不吉な、不浄な存在だから、言葉の上でも、置き換える。坊主が不浄というと、怒る人もいようが、仕方がない。坊主は髪がない筈なのだが、髪がある俗人同様の生臭坊主がいる。それで、僧侶を揶揄して、「髪長」という忌み詞になった。その大昔、天下の西行法師が、伊勢神宮へ参ったことがある。しかし、内宮に近づくのは許されなかった。僧侶は不浄なために、御手洗川を渡ることが出来なかったのだ。そして、西行法師は、離れた所から、有名な一句を詠んだ。
「何事のおはしますかはしらねどもかたじけなさに涙こぼるる」
つまり、神前の清浄は、それほど絶対的なもので、僧侶は無論、月のもののある女性も不浄であり、近づくことは出来なかった。言葉でも不浄なものは排除されて、忌み詞が使用された。神前は清浄でなければならない。まず、このことだけでも知ってください。

 ○○○○さんも、意味深いことを書いている。○○○○さんの話は‥‥、そうねえ、明治末の小説家長塚節の「土」を読むような、なんとなく虫めがねで、丹念に見ていくような文章が、このスレッドでは多いので、ぼけーと読み流していると、主題が見透かせないきらいが、あることはある。だが、先だっての「死にたくない」という話はよかった。小林よしのり氏の「死にたくない」は「私」であるという主張を批判していたのは、なかなかのものである。また、○○さんが、安倍総理が会津白虎隊の地で、「先輩が迷惑をかけました」という挨拶をしたことに、疑問というよりも、批判を投げかけていた。これも重要な問題です。この設問で重要なのは、安倍総理は、本当は会津で、「どのような挨拶をしなければいけなかったのか」という問題なのです。先輩が迷惑かけたという挨拶一言で、安倍総理の歴史観が、全部吐き出されてしまった。歴史観というより、「何にも無い歴史観」という方が適正かな? ブレーンに優秀な人がいないのだろう。でもまあ、ふつー、こんなもんだろう。歴史観なんていうのは。勤皇・勤王精神は、消えて久しい。

 いやね、今日はなんとなく気持ちが爽やかなので、ちょっと、ブログみたいな感じで、ここ、しばらくのあいだの妙な削除投稿襲撃の間で埋まってしまった、ご常連の投稿文について、感想を書きました。この程度だと、心臓に負担がないので――。ああ、こんな言い方をすると「失敬な」と、○○○○さんや○○さんに叱られるかな。来週には、「御羽車」とはなんなのか、「招魂斎庭の鳥居」とはなんなのか、参道の鳥居と何が違うのか、諸氏が、そこらの本には絶対書いてない、「本当の意味」を話してあげます。そして、野村玉枝の『戦陣訓』について、体調が続けば、少し熱を入れて書くつもりです。今週は、これで休養します。備中處士さん他のみなさんの、素晴らしい話があれば、是非聞かせてください。
 

  • [57]
  • 五十六。靖國神社境内は、戦いの庭。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 3月28日(月)18時20分15秒
  • 返信
 
■平成十九年四月九日――靖國神社境内は、戦いの庭。

 前回に書いた神道界に聳える巨峰――大右翼・葦津耕次郎と子息・葦津珍彦(あしづうずひこ)。耕次郎は、明治十一年、福岡筥崎宮の社家に生まれ、神道人としての熱い信仰心は、誰よりも骨の髄にまで浸透していたが、神職としてではなく、生涯を事業家・国士・大右翼として、国内はもとより、支那大陸・満州を駆け巡り、アジアに勃興した日本を援け、時に正面から批判・抗議、縦横に活躍した稀代の人物である。満州軍閥の張作霖を説き伏せ、鉱山を発掘させたのが驚きなら、朝鮮神宮に天照大神を祀らせた政府に猛批判、朝鮮民族の祖神を祀るべきなりと、急先鋒な抗議行動を起こす。はたまた、支那事変で大発生した大陸の流浪難民支那人を救えと、声を嗄らして叫ぶ。子息葦津珍彦も、また父に見習い、神道人として政府・軍部の大陸攻略に疑問を投げつける! 父耕次郎は死の床についても、「軍部暴走を批判」する。親友の警視総監が見るに見かねて、「もうよせ。さもないと、反軍思想として処分しなけりゃならなくなる」と諌めても、聞く耳は持たなかった。軍部批判は、下手をすると、天皇批判となる恐れがあった。葦津珍彦も、また父同様に、支那事変を収めえぬ政府・軍部批判を繰り返し、三国同盟締結は、日本を戦争に駆りだす元凶になると、猛反対した。まさに葦津耕次郎・珍彦父子は、政府・軍部に睨まれ、嫌われ、時に憎悪の対象ともなった。まさに反体制派とも呼べた。神道人としての「言上げ」は、なかなか理解されなかった。

 だが、昭和十六年十二月八日。ハワイ真珠湾攻撃で、日本中が叩き起こされた。そして、陛下の開戦の詔勅が渙発された。あれほど戦争へ傾斜していく軍部批判を繰り返していた葦津珍彦は、この時、最早、「断が下された」ことを知った。あとは、一国民として、皇恩に報いる途しかなかった。「これまでの一切の思念を断ち切り、陛下の忠誠の臣民として戦うほかはない」と、断言するのである。これが戦前の右翼である。日本国民の心底であろう。「自らが美しく高貴だと信ずる文明が危機に瀕したと知る時、その高貴な文明の為に、男子が必死の戦闘に燃え上がらなくてどうするか」と、葦津は書いている。自らが美しく高貴な文明であると信じた国を守るために、国民は総力をもって戦った。その美しく高貴な国の祭り主が天皇である。常日頃、国が、民が安らかであれと祈り続けてこられた天皇が、「戦争は、朕の心にあらず」と、開戦の大詔に言われた。だが、天皇は矛を持て、戦いを宣された。どうして、臣国民が起たないでいられようか。一億国民が、天皇の醜の御楯となったのである。決心である。これが大東亜戦争である。為に、国民男子・女子、区別する事無く、戦うことを恐れず、死することも恐れず、犬死であったとしても、無意味な死であっても、戦いの庭に出て行くことが大義であり、死する事も大義のためであった。到底、現代の青壮年には、理解不能な高みの世界の話である。

 死ぬよりも生きることが人間らしい、ヒューマンという思考が当たり前になっている今日、この断絶、隔絶した生死の思考は、今一度、尊厳を、崇敬を、国内に国民の大基盤として据え、その上で、天皇制を呼び戻し、『教育勅語』を復帰させ、『軍人勅諭』を国民の生活訓として教え、天皇に統治大権を譲り、神国日本を再生しない限り埋まらないのではないか。そうせよ、というのではない。そうでもしなければ、理解できないのではないかと考える。‥‥だから、玉砕を犬死程度しか理解できないし、命令が終了したあとの、生きて生きて戦った将兵の恣意的な戦いを、「素晴らしい」と誉めそやすようなことになる。軍人の戦いが、「人間的な戦い」となってしまう。いつまでたっても、大東亜戦争を勝敗の視点で捉えたり、一般人が国を守るために戦場に出ていったような、現在の大衆社会の延長線上に戦争があったような‥‥、低い視線で捉えることになる。もし、そのような西洋的な国政で、国民であったなら、とっくに日本は、鎌倉・室町時代辺りで亡国となり、他国が、この国に居座っていた筈である。もう一度いうと、必死の戦闘に心を燃え上がらせることが、臣国民の天皇への忠節であった。常に国安らかにあれ、民やすらかにあれと、日本国の祭主として日夜祈り続けた天皇の皇恩に報いるため、これが好機、千載一遇だと、国民は胎に落としたのである。それが諸氏の祖父であり、父母である。そして、眦を決して、戦いの庭に出て行ったのである。――その庭が、靖國神社の境内内苑・外苑である。

 目を覚ませ! 戦前、軍部を暴走と見る神道人は、確かにいた。政府を批判する者もいた。しかし、大詔が渙発されれば、国民は一切の言論・思念を捨てる。日本の祭主である天皇の醜の御楯となり、馬前に集まる。チャラチャラした格好で、靖國神社に来るな! 笑って、煙草など吹かすな! 土手に行って、花見をしてこい! お前達の来る所ではない。来る必要もない。祭神は、礼法・礼典に準じない逸脱した参拝は、一切受け付けない。「心が誠なら、どんな参拝でもいいではないか」という仕儀では、「祭神は受け付けないのである」。それが神道である。礼の尽しきった最高頂に、祭祀がある。「儀」がある。

 順次、話す。戦友は「靖國神社の桜の下で逢おうと約束した」。それは間違いない。しかし、桜の梢などに、英霊は宿っていない。英霊が宿るのは榊である。榊の枝に宿る、だから、桜の木を奉奠するのでなく、榊の枝を玉串奉奠するのだ。一年三百六十五日、靖國神社は、戦いの庭である。戦死者の祭祀を続けている。敗戦後に、国家から、秘かに受け継いできた軍務である。その軍務を忘れて、華美な振る舞いに興じ、日常庶民の意識で、席を暖めていると言われても仕方がない総代・役員が、神社中枢を占めているために、その証拠に、演歌「風雪ながれ唄」や「愛しのメモリー」などが、日本の戦機挽回、必死特攻を、沖縄に陸海軍が総力をあげた菊水第一号作戦発令その日の鎮護祈る祭祀中、本殿に流れるという大馬鹿を、平然とやることになる。祭祀中に境内に演歌を大音響で流すことで、「境内が賑やかだろう」と、大喜びしている執行部。これを批判・批難しないで、どうするか! 執行部はもう正常な判断が出来ずに、毎日出仕しているだけだ。この不浄・猥雑となった靖國神社を尊厳あらしめるためには、清浄な心を、まだ残している若い神職も幾人か残っていよう。彼らが率先し、靖國神社を回復させるしかない。

 ‥‥野村玉枝という、戦前の歌人がいる。富山の人である。夫野村勇平大尉は、昭和十二年に召集令状が下る。そして、昭和十三年十月十四日、漢口攻略戦、岳州の先陣で戦死。遺された若妻玉枝には、あどけなき娘一人と乳飲み子がいた。
きさらぎの雪華落つる駅頭に今し下りたたす白木の箱は
戦死の公報の日にも、雪の華が舞い降る駅頭に白木の箱を迎えても、玉枝は泣かなかった。滂沱と涙の粒が、双眸から溢れたのは、深夜、靖國神社に夫が合祀される時、まさに靖國神社神門を御羽車に乗り、十六菊花天覧のもと、聖域に入る時であった‥‥。夫が明日、出征するという前夜、玉枝は一人娘の暉美をすっかりねむらせ、日ごとに大きくなるお腹を大事に抱えて、夫の前に座る。夫は玉枝に言う。「今、私は戦場へ出る身だが、戦争といふことはどふいうことか、お前もわかると思うふが、とにかく命をとるかとられるかといふことで、その二つの一つなのだが、まづ覚悟をしておく方が、あやまりがないと思ふのだ。それに戦ひ甲斐のあるいくさだ。一日も早く行きたいと思ってゐた」と、夫は言う。しかし、夫は死ぬことばかりをいっている。なぜ、かえることをいわないのであろうか。玉枝はそのことを、なじるようにいう。既に頬には、涙の雫が溢れ流れていた‥‥。戦前の不朽の名作中の名作と言われた、歌人野村玉枝。珠玉の絶唱詞『御羽車』、その抜粋をしたい。国民が忠節を忠義を、どのように思い、戦場へ赴いたか、死して靖國神社に祀られることを、どのように見ていたのかが知れる。靖國神社内苑は、戦いの庭であり、天皇陛下御一人あらせられる庭である。そのことを髄まで滲みこませて読んで欲しい。

(夫の言葉を聞いた玉枝は、涙の粒を溢れさせながら、)「きつとりつぱに、お留守をまもります。家の事はおひきうけ致しました。御安心なさつて、存分におはたらきくださいませ。しかしたゞ一つ、はじめからかへらぬこととばかりおきめにならないで、勝つてかへるといふことばをきかせて下さいませ。御武運を祈つてをります。二人の子供を大きくして、おかへりになるのをまつて居ります」。(夫は、玉枝の涙が流れ落ちる顔をじいつと見て、)「はじめから死ぬ約束でゆくのではない。しかし人間が最も真剣にものをする時は、命をかけてなす時だ。命をかけて、我を忘れてなす時に、はじめて本当の仕事が出来る。それは戦争の場合ばかりでない筈だ。ことに今の場合は、部下をあづかつてゆくからだだ。かへるとは決して思ふな」。夫は、既に我がものではなかつた。その身は戦場にはないけれど、身心は既に皇国に捧げつくして、家にも妻にも子にもあるべきではなかつた。私は、本当にはづかしいことを言つてしまつたと、すまなく思つた。夫がいふ、「一命を捧げつくしてこそ、本当のことが出来るのだ」といふ言葉を‥‥。(玉枝は深夜、心に語りかける。)

 虫の音に更けくだち、もの皆ねむる夜半を目ざめて、私は出で征くますらをの、燃え上がる誠の聲を聞き、姿を見、さとしを耳にし、今更に軍人の妻としての我が身の何物であつたかを知らされて、自分の責任の重さを、はつきりと感じることが出来た。いつか涙も乾き、深く心の落着く様な思ひが湧き上つて来たのであつた。そして、今は夫のみか、我が身もそのかげに召されて、すべての我を捧げつくし、妻として進むべき新しい道が、眼前にひらき示されたことを、はつきりと知ることが出来たのであつた。(玉枝は、いつか自分も夫の陰で召されて、妻としての戦ひに出征することを自覚するのである。そして、夫はやがて生まれ出る赤子のために、「毅」といふ字を、むしりとつた手帳の紙切れに書いて、玉枝に渡し、出征していくのである。海も荒れず波も静かに、無事、支那大陸に無事着けるやうに、星の一つ一つに玉枝は祈り、新しい墨をおろして歌を詠む。)
家もなく妻も子もなく天つ日の赤きにもえて征きませわが背
新しい筆に、まごころをこめて歌を書いた。そして、ともしの下によみかへすと、泣くとはなしに涙がわいてきた。それはいまだかつて感じたことのない、深い感激の涙であつた。大君のみ盾の一人として、夫を奉る。そして如何なることが、よしあらうとも、必ず正しく強い妻の道、母の道をあゆみつゞけて、たふれる日までつとめやう、はげまう。(玉枝は、大事な大事な夫の身を、大君の御楯の一人として、奉つたのである。御國に差し出したのである‥‥。そして、夫の武運を、いつまでもいつまでも祈り続けたのである。だが、玉枝の祈りとはうらはらに、夫は漢口攻略戦で、戦の庭に倒れたのであつた。)

(そして昭和十六年二月二十八日。「満州事変並支那事変ニ関シ、死歿シタル軍人軍属等ニシテ、合祀未済ノ者ヲ、靖國神社ヘ合祀ノ為、来ル四月二十三日招魂式執行、同二十四日・二十五日・二十六日・二十七日・二十八日、臨時大祭挙行ノ儀、勅許アラセラル旨」、陸海軍省告示あり、夫野村勇平大尉は合祀されることになつた。四月二十三日、玉枝は富山の山奥から上京した娘暉美と、夫の忘れ形身三歳になる毅、それに年老いた父母と共に、靖國神社に参るのである。招魂式前日に上野駅に到着した遺族団は、本郷の指定旅館で旅装を解き、翌日、係官の案内で、靖國神社に引率され、招魂式の座席に、夫々が落着く。玉枝の珠玉の詞が連なる。)折りしも夕陽は斜に御社の屋根を照らし、青銅の大鳥居、中門扉なる菊の御紋章に燦然とかゞやき、神域を流れて、桜若葉のにほひをはなち、全国より上り来れる、今日を晴なる幾萬の遺族の頬を照らす。
――ひたぶるに命さゞげしつはものを我が大君は神とし給ふ  茂吉――
昭和十三年十月十四日、漢口攻略戦、岳州の先陣に、夫戦死してこゝに三歳、今宵しも夫が靈は、再び召されて神としづまるのである。(やがて、時は移り、打ち上げ花火の壮麗さ。そして空砲二発が轟いて、招魂の儀式が執行される‥‥。)

 突然高々と靈を呼ばす御聲、おのづと頭をたれる。あゝ、陸に海に空に、尊くも命散らせ給ひし幾萬の英靈は、今し天がけり天くだりまして、神と鎮まり給ふのである。やがてどこからともなく高く低くむせぶが如く、或いはすゝり泣くが如く流れ来る清き楽の音、荘重なる祝詞、捧げ物と進み、再び祝詞が奏上せられて、いよいよ靈うつしの御儀は、とり進められるのである。あかあかと燃え上がるかゞり火に、頬を伝ふ涙を光らせて、遺族はたゞ感激にふるへてゐる。一瞬、はたと幾百のかゞり火はかき消された。そこには何物の姿もない。何たる深い沈黙であらう。いつか遠い遠い日に、一度味はつたことのあるやうな沈黙である。ぬばたまの夜の神秘、寂として聲一つない。やがて瞑目する心の奥底から、静かに、いとも荘重に流れいづる楽の音。心は世界をさ迷ふ。ふと我にかへって耳をすまして見ると音がする。さらさらと、川底の砂のゆすれる様な音がする。それはすゝり泣きの聲であった。我と我が魂が泣いてゐたのである。とめどもなく涙が湧き、頬を流れ、あごをつたひ、我が身は泣いてゐるのである。戦死の公報の日にも、遺骨を迎える日にも人には見せなかった涙が、このくらやみの中に、そこひもしれずに流れ出るのであつた。あゝ、しかし、なんといふ幸であらう。今この庭に、なき人の靈は、かへってゐるのである。ひたぶるに命を捧げたつはものの一人として、わが大君は、ありし日のわが夫をも、今宵は神とし給ふのである。何といふ尊い御ことであらう。涙をぬぐひつゝ、ひざの毅をゆすりあげる。

 とつぜん左遠く前の方向に当つて、はたはたと拍手が相ついで起こる。その闇の中へ視線をやる。あはれ白いかげ、白いつらなり、ぬばたまの夜目にも白々と、今数しれぬ靈をのせて、御羽車は、こなたへと近づき給ふのである。拍手の音は、雨の様に次第に左から右へと移つて来る。抱いた子の前に両手を合はせた。そして心をこめて打ち合はせた。それは私の全身を揺動かす様な、大きな張りのある音であつた。膝の毅も、私にまねてパチパチと小さい音に、又膝を並べた暉美も、その隣の父母も枯れた音に、それぞれの音に拍手された。御羽車はしづしづと、次第にお近づきになつた。
ぬばたまの夜目にも白くまなかひに近づきませる御羽車のかげ
何といふ荘厳な、その列なりであらう。その御姿であらう。右も左も前も後も、たゞ泣いた。泣くより他に、拝むより他に、なすすべはなかつたのである。稱名念仏の聲さへきこえてきた。それは人間が最も感動した時の姿であつた。私は聲ひくく、二人の子にさゝやいた。「二度と見ることの出来ないお父様のお姿、あの御羽車を、よく拝めよ、そしてよく記憶せよ」と。暉美だけは闇にうなづいた。膝の毅はわからないのであらうか、だまつてゐる。毅にとつては、これがこの世に於ける親と子の最初の対面であるのに。そのたまゆらの悲しみが、矢の様に胸の中を走り過ぎた。突然何を思つたのであらう、腕の中から下に立った毅が、「お父ちやん」と、御羽車に向つて聲を発した。その幼い聲が、庭にみちみつ低いすゝり泣きの中へ吸い込まれた。私は毅を抱きとつた。そして、御羽車の方向にむけて差し上げてやつた。「お父ちやん」と、たしかに毅は呼んだ。何といふたしなみをもつた、その聲であつたらう。これがこの世によび交すことなかりし子が、父への思慕の聲であらうか。私は泣いた。父母も泣いた。

 私は泣きながら、この子を気づかつて、出発の船中より発した遺書の最後にしるした一行を、新しく胸に思ひうかべた。「なほ生れ出づる子も、大切に育てよ」と。言葉は簡単ではあるが、千均の重みを以つて、今宵、我が胸によみがえる。一命を捧げて戦地へきほひ向ふそのきはまで、心を残したこの子。「大切に育てよ」との言葉の中には、もはや私のものとしての子ではなく、「我が身とともに、その子も大切なお國の大みたからなれば」の意がふくめられて居り、又私が今後なすべきことは、母としてのつとめであるといふことも、最も素直に言ひ残されてゐた。私は、風の様に音もなく遠ざかり給ふ御羽車を仰いで、どんな苦難が、よしあらうとも、二人の子は、必ず一人前に育てて御意志をつがせますと、心に誓つた。母の聲が、暉美にさゝやいた。「お前のお父さんは、天皇陛下に忠義なお父さんであつた。お前も、お母ちやんや、おぢいちやん、おばあちやんのおつしやることをよくきいて、おりかうに大きくなつておくれ。それが、天皇陛下に忠義といふことです」。母の聲は、ともすれば涙にとぎれた。暉美はだまつてゐた。父も物をいはなかつた。だまつてゐる父の胸中を、私は思ひやつた。なき人が、あんなにまで大切にしてきた父母、私には父母に対しても、なき夫に代はつてつくさねばならない澤山のことが残されてゐるのだ。

 さう考へるひまにも、御羽車は遠ざかりゆく。拍手はずつと右へ移動して、あたりはひつそりとして、すゝり泣きの聲だけが闇にのこつた。いつまでもいつまでも拝んでゐたい。ああ、もうよほどおはなれになつた。全身の注意を両の眼に集中して、もう一度御羽車を送る、両腕に二人の子を抱きしめつゝ。楽の音は、なほも清らかに流れた。しかしもう白い尊い御羽車の御姿は、視野に求められなくなってしまつた。御羽車の御姿は闇の中に吸い込まれて、再び深い深いすゝり泣きがきこえるだけであつた。さらさらと葉ずれの音をたてゝ、夜風が吹きすぎた。あゝ、毅の父は、遂に神にまつられたのである。二人の子を抱きよせて、私は闇の中に深く目をつぶつた。

 ‥‥靖國神社神門‥‥この玉枝の珠玉の詞を眼にして、諸氏は、それでも靖國神社神門を、気楽にまたいで、神域に入るのか‥‥。露天で買った缶ジュースを片手に、煙草を吸いながら、お菓子をほおばる我が子に頓着せず、携帯で写真をとりまくるのか‥‥。玉枝の話は、この後、『戦陣訓』に移ってゆく。その『戦陣訓』の中に、玉枝の感懐が奔流となって溢れていく。夫勇平は、戦陣訓なき時に、既に『戦陣訓』を実行し、そして、軍人の亀鑑として、その忠烈が語られていく。それは、また次回にしたい。

 ‥‥靖國神社に「猥雑な賑わいはいらぬ」として、昭和十四年四月二十四日、臨時大祭の時、陸軍省は約二十の見世物興業と三百有余の出店・露天商を、一切排除したのだ。理由は「神域の森厳を図るため」であった。明治招魂社時代の「境内のサーカス風景」などの錦絵を見た人もいよう。靖國神社の賑わいは、東京名物の一つにも数えられたこともある。昭和七年の例祭の境内屏風絵でも、大賑わいの神社境内が描かれている。だから、「神社には賑わいが当たり前で、それで祭神も喜ばれる」という、庶民の勝手な解釈が、この時代でもあったのだ。だが、その賑わいが、次第に猥雑となっていった。露天商が内々で、境内の縄張りを取り仕切るなどの弊害も出てきたようだ。

 また、昭和六年の満州事変、二二六事件、そして支那事変勃発と、今までとは違う国家総動員体制による戦争が迫りつつあった。国民が多くの血を流し始めている。その時に、花見だ、サーカスだ、手品だ、金魚すくいだので、神域の尊厳を汚す庶民の騒ぎを、陸軍省は逸脱と見たのである。そして、神社境内から露天商を、一切排除したのだ。催し物は、奉納武道・能・相撲などだけに絞られて許された。演歌ショーなどはいらぬと言ったのである。過ぐる昭和十三年には、泥沼化する支那事変の兆しに憂慮する堤康次郎は、例大祭に、これまで文民である総理大臣が一切参拝しないことを痛撃し、国会で「総理大臣の参拝」を求めたのである。靖國神社例祭は、皇室の殊遇と陸海軍人の参列しか認められていなかった。靖國神社は陸海軍の所管であるため、内務大臣が口出せる問題ではなかった。臨時祭・臨時大祭など、合祀祭と違う例祭は軍人祭祀で、文官の座る場所がなかったせいだろうと思う。その例祭でも、国民と直接触れ合う総理大臣の参拝をさせよ!と、訴えたのである。為政者である総理大臣参拝あれば、更に靖國神社に対して国民の謝恩の念が厚くなり、義勇奉公の精神を振作することになる、と演説している。国民が一斉に靖國神社に敬意を表する日も制定したらどうか、などとも議案を提出している。この時代、靖國神社の尊厳を取り戻そうとする動きが、各所にあったということだろう。

 いずれにしても、現在の靖國神社境内の賑わいは異常である。森厳な賑わいを、靖國神社にとり戻したい。桜が散れば、葉桜の季節、新緑の季節となる。畏敬をもって、祭神の義勇・憤怒・勇武の精神を戴くために、参拝する人々の列が九段下から絶えない‥‥、市ケ谷駅から絶えない‥‥。そういう賑わいを次代者は考えるべきで、実践するべきであろう。そのために、靖國神社を深く深く知る必要があるのです。氏子とは、そういうものなのです。プロの芸人・格闘競技・演歌ショー・芝居・露店商は排除したい――、他でやってもらいたい。これが一兵士の考えである。
 

  • [56]
  • 五十五。賢者よ、集まれ。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 3月27日(日)12時17分47秒
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■平成十九年四月三日――賢者よ、集まれ。

 東京は雨だ。靖國神社の境内も、そぼふる雨に冷たく濡れているだろう。花見客か参拝客か、まったくわからない、土曜・日曜の境内外苑の騒擾たる光景は、一段落した。去る四月一日は、雨模様の天気予報が崩れて、快晴の一日となった。桜掲示板有志も、水島総氏を囲み、桜の木の下に集合、喫煙しながら、なごやかな笑顔で、昇殿参拝までの時間を過ごしていたようだ。そのすぐ後ろには、硫黄島遺族会・ガダルカナル島遺族会慰霊祭の方たちが、看板を出して、厳粛な表情で集合し、ほとんどの方が無言で、私語を慎んでいるように見えたが、彼らは気がついていたのだろうか。やはり、気になることだった。この日、外苑では千代田区主催の「さくらまつり」で、露天商が出店し、花見客で一杯だった。救急車が何度も、サイレンを鳴らして、走り回っていた。昨年は、確か、死人が出た。靖國神社外苑で、昼過ぎから飲み始め、若いカップルが気炎をあげたらしい。彼女も、共に缶ビールを空けて、二人だけの花見を思いっきり楽しんだ。だが、夕方、グランドパレス付近を帰って行った時に、ふらついていた彼が突然倒れた。救急車が呼ばれて病院へ搬送されたが、一命を落とした。靖國神社の花を見ながら、酒を飲んで命を落とした若者。恋人を失った彼女は、病院でパニック状態となり、ひたすら自分を責め続けていたと聞いた‥‥。彼女は、靖國神社の桜を、どのように見ているのだろうか。もう、一生、靖國神社には、来ないかもしれない。桜の花を、一生、疎ましく思いながら、彼女は生きていくのだろうか‥‥。それを考えると、なんともいえない重い気持ちになる。私の身体を心配してか、付き添って来たような仲間が呟いた。この日の外苑花見客の騒ぎを見ながらだった。「いいかげんにしないと‥‥、いまにもっと最悪になる」。靖國神社境内のにぎわいを、「お祭広場」にしては‥‥いけないのです。

 豪華客船タイタニック号は‥‥、沈んでしまった。○○○○さんが書いていた。何故、タイタニックは沈んでしまったのか、と。誰かに問いかけていた。答えが出ていない。艦長の怠慢か航海士の測定が間違ってたか、操舵士のミスか見張り監視役の油断か、いろいろ、原因はあるが、そんな話は、小者が議論する。タイタニックが沈んだ原因は‥‥、氷山に衝突したことである。『靖國神社問題資料集』が、氷山になるのかもしれない。だが、あるいは、『靖國神社問題資料集』からは、間違いなく、戦前の靖國神社も知ることが出来る筈だ。そうなると、現在の靖國神社とは、「まるで違いがある」ことに気づく人も出てくる。それが、海底に沈んだタイタニックを引揚げる動力になるかも知れない。靖國神社宮司・権宮司以下、神職に、「直毘の神」が、どこまで間違いを直してくれるのか、あるいは放棄してしまうのか、今年が山であろう。靖國神社に勤務する者達の父・母は、「うちの子が、靖國神社でお国の為に働いている。英霊之為に働いてくれている」と、何も知らず毎日、吾が子は正しく働いてくれているものと思い、信じているはずである。毎朝、吾が子、不始末なきことを、神棚に祈る母もいよう、父もいよう。父母の期待に応える働きが、これからでも遅くはない。自らのために、自らの真意に言上げして、至誠を取り戻すのだ。そのために、靖國神社に勤めていたのではないか。非常時に、力を発揮するために。

 先日も少し触れたが、昭和九年、激動する大日本帝国の浮沈に関わる世界情勢の圧迫に、頭山満・白川資長・吉田茂・今泉定助・葦津耕次郎など、右翼言論界の大御所らは大集結し、「靖國会」を結成した。軍神鹿島神宮の神徳を欽仰し、靖國神社祭神の威徳を発揚し、「非常時困難突破」の国体運動を展開するためである。まさにこれに近い志操を固めれば、海に沈んだタイタニックは引揚げることが出来る。この話は、敢えてタイタニックという言葉を使って話している。余人は、反論、対論する必要はない。読み下すだけでよい。今回、はからずも「昇殿参拝する有志諸君」の一件で、様々なことがわかった。靖國神社が、まったくこの掲示板に集まる人々には理解されておらず、彼らの考える靖國神社があり、彼らなりの気持ちで考える崇敬、敬神があるに過ぎないことが知れた。誰も、靖國神社を学問していないことがわかった。陸海軍省が管掌してきた伝統・正統とは、関係も縁もない恣意的なものでしかなかった。即ち、無知の上に勝手に築いた、自由な「自分の考え」でしかなかった。まさに無手勝流がのしあるいている言動であった。居酒屋でしゃべるような、気楽な話がほとんどであった。

 しかし、別に驚くには値しない。当初からこんなもんと思っていたわけだから。それより、幾人かの人が現れて来ている。投稿はしていなくも、じいと一兵士の言葉から、靖國神社の端緒を、正統を知ろうとしている、真摯な人々がいることに気づいた。いるに違いないと、確信をもった。一兵士の怪しい素性・言動など、一切介せず、ただ、その知られざる話のトンネルをくぐってくる人の手ごたえを感じた。まだ、質問が出来るまでに至っていない、隠れたる人々に期待がかかる。無私の心の人々が、靖國神社の学問・知識を獲得してくれる援助をしたい。それが一兵士を、今、新たなやる気にさせている。一兵士は、沼を引っ掻き回した。ゴミ芥は、泡だって吹き出す。当然である。ほっとけばよい。サヨクがどうの、崇敬がどうの、戦争の実相と違いがあるなどという話は、見当違いもはなはだしい。正鵠が把握されていない。ほっておけばよい。正統を継ぐ者として、役にたたん。役に立たん者に教えるためではない。響く人が出てくることを期待して書いている。ただ、役に立たんものでも、備中處士・○○・○○・○○○○各氏、それに最近見え始めている○○○○氏などが、良質の息吹を吹きかけている。良質のパワーが、このスレッドには舞っている。その中にいることで、次第に知識が修得され、また、反論するために、芥のような意見者でも、様々な書籍を読む、貼り付けるために自分で書く‥‥、という作業が、次第に学問の切れ端を心の底に堆積させていく。いつの間にか芥が成長していく。もしかしたら、芥から脱皮出来る人が現れるかも知れない。いや、顕われる筈である。それが神徳なのである。芥・ゴミから脱皮しなければ、永遠にゴミ芥の論理しか掴めない。常に下からの考えを意見を言うに終始して、発展がない。神助が得られるか否かは、本人次第。

 だが、また、真摯な意見なら、なんでも良いと言うのではない。愚昧な真摯さはいらない。話もいらない。靖國神社の正統とは何かに肉薄する真摯さが、このスレッドで求められるものである。それ以外は、ゴミ芥に分類するしかない。諸氏が竹林の賢者だけで終わってしまうのは、意味のないことだが、しかし、自分を高めていくということは、こういうことなのだ。会話内容の水準が低ければ、なにも発生しないが、高ければ高いほど、その渦巻きにいる人の質は、ぐんぐん高められていく。他の人も巻き込んでいく。そして、遂には一陣のつむじが、竜巻にまで発展し、壮大なパワー・知力を発揮することになる。一兵士だけではなく、備中處士氏が、○○○○氏が、○○氏が、○○○○氏が、○○氏が、○○氏が、夫々独特なキャラクターを活かし、議論よりも、むしろ、知識を、学問を、披露・談論していくことが望まれる。やがて、見知らぬ識者が参加してくる筈だ。まさに桂林にあって、談論する気風を醸成すべきであろう。それが「言上げ」に向かい、維新が実現するのだろうと思う。ここに必要のない者は、ピントはずれだけである。人のいないところで演説して欲しい。一兵士が望むのは、あくまでも「靖國神社の正統とはなにか」。それを一兵士は「自分なりに」語っているのではなく、事歴に添って、紹介しているのである。靖國神社の事歴こそが、正統なのである。それを、一兵士は、荒らされた庭であるが‥‥。なに、連中はゴミ・芥を投げ捨てていった程度だから、片付けるのは簡単。足跡も残っておらん。ヘノカッパ。チョチョンガプイプイで、綺麗になる。

 これから、とりあえず、先日、投げかけて、誰も答えが書けなかった‥‥、というより、何にも知らないから書けないだけの話を、こっちは「知ってるから」、書いていくことにしよう。「神社境内の賑わい一掃」・「皇軍のこと」・「神社祭祀と後ろ傷の美称のこと」・「勅使参向と行幸」などについて書くつもりだが、すぐには体力的に書けない。今すぐはキツイ。順々に書く。少し、待って欲しい。もし、それまで、備中さん、なにか役に立つ話があれば、「振作」をして戴きたい。閲覧者を高めて戴きたい。無論、そのほかの賢者の方々にも、お願いしたい。窓をあければ、どうやら雨もやんだらしい。靖國神社の一番大切な樹木は、桜ではなく‥‥、榊の樹であることに、誰が一番早く気づくであろうか。


――備中處士――更に嚴烈なるご教授ご指導を、只管ら懇祷します。
 寒林平泉澄博士は、「古人を泉下に起して、之と肝膽相照すは、古人と同樣の高き深き精神に非ずんば、不可である」(『國史學の骨髓』)と仰られましたが、正に一兵士翁こそ、靖國神社の正統を語られる、稀有の御方であると確信してをります。其の使命感と責任感、そして何者にも媚びず怖れず、一途に靖國神社を語られる孤高の姿勢に對し、滿腔の敬意を表します。謹んで翁の激勵叱咤を拜受いたします。

 葦津耕次郎翁の尊名が、○○樣・一兵士翁から出てをりますので、こゝに紹介させて戴きます。
●葦津珍彦翁『神國の民の心』(昭和六十一年十一月・島津書房刊)
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t10/3


■平成十九年四月五日

――備中處士――松平永芳元宮司の精神。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/45
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/46


■平成十九年四月六日

――備中處士――
○○○○樣
 「喧嘩をしてはいけないのは、それが親不孝の初めだからです。『孝経』の中に、以下の如き一節があります――身体髪膚、是を父母に享く、是を敢えて毀傷せざるは孝の初めなり。――判り易く書くと、自分の身体は父母から与えられたものであるから、その身体を傷つけたり、毀したりしない様に努めるのが、親孝行の第一歩である。別の言い方をするならば、喧嘩をしたり、入れ墨を入れたりして、身体を毀傷するのは、親不孝の初まりであるという事になるでしょう。‥‥この倫理規範に従うならば、靖国神社の祭神は最大の親不孝者となってしまいます」と。
 洵に然り、々ゝ。『孝經』の大字は、人類の基本道則にして、日夜、氣をつけねばならぬ事と存じます。然れども我が父母の根源は、皇神にして、報本反始、天皇陛下の御爲に盡すことは、日本人にとつて、當然當爲の行爲と拜します。忠孝兩全、平重盛公の故事を引くまでも無く、之を骨髓に填むる爲にこそ、學問が必要となるのではないでせうか。我が父母から戴いた大切な身、一時の感激憂國なんぞで、此の身を致す事は、到底、かなはぬものと思ひます。『葉隱』武士道では、役に立ちませぬ。是れ山鹿素行先生の武士道が、是非とも必要な所以であります。これは釋迦に説法でした。御赦し下さい。

●五鰭靈社玉木葦齋翁『玉籤集』に曰く、「
[神籬磐境極祕中之口訣]扨て神籬の大事とは、高皇産靈尊、皇子孫を守護し給ふ事、御生世の御時と少しも易り給はず、皇居朝廷を起樹て、高皇産靈尊の御神靈を、皇子孫の御同殿に永く留めて、皇統守護の爲に齋ひ祭り給ふ也。‥‥
 神籬・磐境の畢竟約(つゞま)る處は、神籬は日守(義は天御蔭・日御蔭に隱り坐す)也。磐境は日守の心の磐石の如く、凝り固りたるなり。凡そ日本國に生を受る者、氣化の最初より、二尊及び皇天二祖の臣民にして、御恩頼を蒙り、今日に其の血脈を相續し、身體髮膚、皆な大君の物なれば、皇天二祖の勅りを守り、(内侍所の石の苔になりともなりて)日嗣の君を覆ひ守り奉り、天下太平ならしめんと、大願力の金氣を立て、生ても死んでも、千人所引磐石凝固まりて、此の國の神となりて鎭り定むると云ふ外、一言半句を添ふる事なし」と。

●葦齋翁『神代卷藻鹽草』に曰く、「
 異國には、大君の上に、天帝あり。勅命の上に、上天の命あり。吾國の大君は、所謂天帝也。勅命は、所謂天命と心得べし」と。


靖國神社に、賑わいはいらない。
 書かなくてはいけない話が、毎日毎日、目の前に堆積していく。しかし、自分には、他にも処理しなければならない事柄もある。桜の掲示板では、備中處士さんらがいろいろ書いてくれているのが、嬉しいやら、心苦しいやら。書くのが、大変きつくなっている。こんなことなら、毎日、九段の坂下に易者の如く机を出して、「靖國神社があるこの辺りを、なんで九段と呼んだのか知っとるかな?。此処が九段なら、八段、七段という町名は、他にあるのか? どうだ、知らんだろう。よしよし、わしが教えてしんぜる」みたいな話を、毎日しとる方が、楽といえば楽。「この遊就館が建っている場所には、昔、榊原という幕臣の屋敷があった。その榊原家は、既にお役御免ではあったが、幕臣きっての勇武の家だったのだ‥‥」なんて話は、皆んな聞きたいのではないか? しかし、そんな話をしているほど、ノンキな時代ではないのだ。一兵士にとって、現在の靖國神社は、まさに、沈み行くタイタニック号同様のように見えている。一兵士の書く話を勉強する神職は、靖國神社で、次第に増えていると聞いた。それなら、もっと勉強してもらおう。そして、「言上げ」していただこうと思った。

 靖國神社の「なにが正統か」は、天皇の国家統治大権、祭祀大権が失われ、しかも軍人勅諭・教育勅語も家庭になく、神社祭祀を語る教師・父母もいない、現在の日本国国民では理解しにくい状況となっている。それに比べれば、今でも宮中祭祀に準じる祭りを執行する神社神職の方が、理解は早いに違いない。一縷の望みでもある。靖國神社に勤務する神職一人ひとりが目覚め、革新していくことが、重要ではないか、と。無論、それに伴い、このスレッドを閲覧する人々が、共に知識を獲得し、研鑽、外から「言上げ」の声をふるっていただければ、言うことなしである。

 前に「春の靖國神社」の話にならんポスターを紹介したら、○○さんが嘆いていた。あまりに多い靖國神社境内の、デパートの如き春のイベントに驚いている。内苑・外苑の賑わいが、猥雑になりつつある。例大祭が、奉納プロレスとほぼ同格で扱われている、現在の靖國神社。それを言っても、誰も何も反応しない。黙ってほっておけない。ほっておけるもんか。一兵士は、「靖國神社」を批難した事はない。当たり前だ! まともに読んでいればわかることだ。バカはもう相手にしていられない。

 備中處士さんが書いていた、葦津耕次郎・葦津珍彦という、戦前・戦後を通じて右翼言論界をリードした大御所二人は、常に反体制的であった。日韓合併に反対し、支那事変に反対し、戦争拡大を批判した。上海戦での日本軍の蛮行に、「皇軍とは僭称である」と、批判の声をあげ、軍部に叛逆し、東條英機に反論し、幾度となく逮捕・投獄された。国家・軍部と神道が合体したどころではなく、国家に対し、常に神道人として歯向かってきたのだった。常に体制を批判し続けてきた、大右翼である。そして、この両人が、満州事変大成功で沸き立つ全国民の後押しを受けて、第一徴兵保険会社が奉納した靖國神社神門を作り上げたのである。建築相談役が葦津耕次郎、工事請負は葦津珍彦が代表を務める合資会社社寺工務所である。戦後すぐに、神社没落を防ぐ支柱となった「神社新報社」をつくりあげたのも、この葦津珍彦である。今、神社界言論の先達として、その名は欽仰を受けている。

 靖國神社神門――。それはいつか話をした如く、英霊之凱旋門である。手足をもがれ、首を吹き飛ばされ、内臓を抉られたかも知れない英霊が還る門。屍を山野に晒すは、もとより軍人の覚悟なり。遺骨の還らざることあるも心に留めおけと、妻に、家族に言い残し、出征した兵士・将官が、戦野に倒れ、御霊が招魂されて、漆黒の夜に、この神門を御羽車に乗り、凱旋する門である。‥‥靖國神社内苑は神域。「お祭広場」ではない。

 今日、靖國神社境内能楽堂では、昼から「歌謡ショー」が催しされていた。スピーカーから大音響の演歌が、境内は勿論、静謐でなければならぬ本殿まで聞こえてくる。「雪国の女」・「おとこの出船」・「愛のメモリー」・「風雪ながれ唄」が、靖國神社の参道・境内・拝殿・本殿・遊就館、ありとあらゆる場所に、大音響で流れている。此処は「一体、ドコなんだ!」 本日、四月六日は、菊水第一号作戦実施。沖縄航空総攻撃開始の日である。そして、「一億総特攻のさきがけとなっていただきたい」という参謀の言葉に、「そうか、それならわかった」と、伊藤整一司令官指揮のもと、戦艦大和以下十隻が、水上特攻として出撃した日だ。「大和が出て行けば、必ず挽回できる! 信じていてくれ! 日本のみなさん!」と叫んだ将兵を乗せた大和は、明日、三百機を越える敵艦載機の攻撃を受け、のたうちまわりながらも、憤怒の戦いをするのだ。その陸海軍総特攻の出撃の祭祀が、本殿で行われている最中に、「演歌ショー」の歌声が大音響でながれてくるというのは、どういうことなのだ! この演歌ショウーを許可した神社執行部は、明日はプロレス興行を、奉納という名で許可した。明日は、またまた境内を、靖國神社とは縁も縁もないプロレスファンが、どっと詰め掛けて来るのだ。そして、缶ビールの空き缶をほうり投げて帰っていく。こんな賑わいが、靖國神社にいるのか? 明日、ゆっくり、賑わいはいらぬ話を書こうとしたが、どうにも我慢ができず、夜遅くであるが、投稿する。
(追伸)いやあ、折角、○○さんと備中さんが話を広げている所に投稿して、申し訳ない。ただ、どうしても今夜中に投稿したくて。悪く思わないで。
 

  • [55]
  • 五十四。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 3月26日(土)21時24分11秒
  • 編集済
  • 返信
 
桜の花が来年も咲くか‥‥。
 うーむ。眠りから覚めた。ぐっすり眠った。覚めたら、部屋には誰もいなかった。みんな帰ったようだ。一枚の書置きがあった。「桜が、今日も咲いています。明日も咲くのでしょうか」と、あった。なるほど。靖國神社の桜は、永遠に咲くものだと思っていたのが、もしかしたら咲かない日がくるのでしょうか‥‥と、俺に聞いてきたわけか。まだ、わからん。とりあえず、しばらくは様子を見るしかない。この新刊資料集が、今日の段階では、手元にあるわけじゃなし。ただね、○○さん、今後、どう啓蒙していくかよりも、もう少し、視線の先を上にあげて欲しいんだよ。靖國神社には、まだまだ重要な未公開文書が残っている。それを、今後も放出する人間がいると、見なけりゃならない。そこを何とかしない限り、「貶める騒動」は果てしない。毎日新聞にも出ていた「神社幹部」だ。今は、新聞報道では戦犯合祀に絞って報道されているが、千二百頁に及ぶ資料だ。戦前の合祀の資料も、相当量含まれている。陸軍省の、どの程度の「軍事秘密扱」文書が明るみに出るのかも、はっきりいって、さすがに判らない。それを全部見てからだ。

 ただ、いえることは、靖國神社の合祀は、いや、日本の神社祭祀は――天皇の「祭祀大権」に基いて、その枠組みの中で構築されている。合祀祭を「臨時祭」・「臨時大祭」と呼称したのも、それは、天皇の思し召しに基くもの――、即ち、臨時とはなにか=いわば、特別にという意味だ。特別に、今回はこのドアを臨時に開くという言い方があるように、今回は、特別に‥‥、今回に「限って」、このような方々を合祀しますという意味だ。これ以上は、解説できねえ。あとは自分で考えな。だけど、その考えを、ここで披露しちゃ、いけねえよ。それで、また恣意的に語る奴が出てくる。祭祀大権を、こんなところで、ごちゃごちゃやられたら、たまらん。しばらく、様子をみる。それまで、桜をみたらいい。今夜の靖國神社の桜は満開だそうだ。人も大勢でている。これが続けばいいが。まだ、この騒動の先に待っている「恐ろしい」ことに、みんな気がついちゃいない。それを「口に」することが出来ない。○○さんも、もし、わかったとしても、「口に」だしなさんなよ。このくらいでいいだろう。また、面会に誰かきた。それじゃ。備中處士さん、俺の弁護をありがとうよ。


■平成十九年三月三十日

靖國神社は、民ではない。
 少し、気になることがあるので、書いておく。先日の『靖國神社問題資料集』公開で、靖國神社を支援する側の人間が、「官民一体の共同作業」という言葉を多用する向きがありそうなので、これをとりあえず、「使うな!」と伝えておきたい。國學院大教授の大原康男氏は、最近おかしくなってきたので、この言葉を以前から使い、今回もまたしきりと使い始めている。靖國神社を支援するのはいいが、絶対にあんたがたは、「官民一体の作業」だのという言葉を使ってはいかん。一兵士が、この間「官民一体だと、バッキャロー」といった趣旨が、まったく伝わっていないので、もう一度、精細に書く。靖國神社は、「民」ではない。宗教法人であるかもしれないが、「民」でも「民間団体」でもない。そんな気持で、遺族・戦友会は参拝に来ていない。宗教法人という呼び名も、心の中にはないだろう。国そのものと思って来ている人が大半と思っている。大原さんとは、一兵士も古くから個人的にもよく知る人だ。しかし、若い時と違って、今は少し、学問が薄くなり、安易に言葉を使うようになっている。だが、保守では知られた人なので、すぐに真似して使う人が出てしまう。不用意な言葉が、靖國神社を、気づかずに「貶める」ことにもなってしまうので、気をつけて欲しい。

 ○○戦犯という言葉を広めたのも左翼ではなく、保守側である。昭和三十年代の末頃か四十年代の初め、週刊誌が「○○戦犯」という言葉を使い、世間がびっくりしたことがあった。もう死語かと思っていた時代が、僅かな期間だったが、あったのだ。それから、ちょくちょく○○戦犯という言葉が、マスコミに登場しだし、いまや怒涛の如く渦巻く、全盛期に近い。靖國神社の支援者、また社報でさえ、「昭和殉難者」という言葉を使う人が、ほとんどいなくなってしまった。○○戦犯という言葉を使ってはいけない保守が、○○戦犯という言葉を使いまくって、得意になっている時代だ。いかに、多くの人間がサヨクの波に洗われて、染められているかの証拠だろう。次がこの「官民一体作業」という、なんとなしに聞こえの良い言葉だ。これを絶対に使ってはいかん。靖國神社は、「民」ではなく、「国」そのものであるからだ。この言葉を、サヨクは靖國神社サイドから出るのを、長い間待ち望んでいたのだ。我々は絶対に使ってはいかん言葉だ、ということを理解して欲しい。関係のない人間が反論する必要はない。「我々」は使ってはならないと、「我々」の諸氏に注意したい。

 先日、昭和二十年、「最後の国家命令を宮司に授けた」と書いたが、まさに、このことなのだ。それが現在の靖國神社が為している「軍務」である。詳しく、あの時の質問の答えを、ここで解説しても、現在のこの板の状況、またレベルでは、正鵠に理解され得ない危惧が強い。ことに天皇の祭祀大権から話していくには、ここでは無理がある。また、低次元なからかいか、字義の解釈・解読ができず、「軍暦」問題がでてきて(ちなみにオレハ、暦ではないぞ。また軍歴という言葉自体が造語で、辞書にはない言葉)、ぶち壊しとなってしまうので、しゃべるのはやめる(もっと環境が整えば、説明する気になるかも知れない)。祭神合祀は――、「民」の仕事ではない。「民間」の仕事ではない。国家の仕事である。即ち、靖國神社は、いまも「國の一端」にあり、「國」として「祭神合祀」をし続けている。そのことを陸軍大臣は、国家の命令として、瓦解する大日本帝国、陸海軍省を睨みつけながら、靖國神社宮司に手渡したのだ。以前、一兵士は、「満州事変の論功行賞で、賀茂宮司が叙勲された」ことを書いたと思う。これをサラリと読み飛ばすから、お前達は、靖國神社が理解できないのだ。なぜ、神社宮司・神職が叙勲されるのか。‥‥戦死者合祀は、軍務だからだ。従軍神職なのだ。このことを骨の髄まで覚えこまんと、靖國神社は理解できないし、正統を受け継ぐこともできないのだ。その付託を受けたからこそ、靖國神社は宗教法人になったのだ。わかるか! 此処が根幹だ! 備中處士、○○○○、○○、○○、○○○、○○○、○○○○○○○○○○、○○‥‥、管理室スタッフよ。

 何故、靖國神社を廃社しなかったか、宗教法人になったか! わかれよ! わからなければだめだ! ようく、考えろ! お稲荷さんを祀ってもよかったんだ。だが、違う。鈴木孝雄宮司は、国家から最後の命令を受けた。そして、二十一年。筑波藤麿宮司に手渡した。だから、宗教法人になったのだ。わかって欲しい。わかったな、わかったな。だから、靖國神社は、天皇の聖旨を戴き、社憲に祭祀の本義を盛り込み、歯を食いしばり、GHQの監視の目をかいくぐり、祭神合祀をし続けてきた。「官民一体などではない」。国家の付託を受け、使命達成を一途として、戦後、靖國神社神職は、「国家祭祀」であることを胸に刻み、靖國神社を護り続けてきた。その付託を、近年、忘却しているがごとき神社宮司・神職の行状を、日々、近くに見て、一兵士は異議を唱え、言上げせんとしているのだ。諸氏よ。何故、宗教法人になっても、第一・第二復員局の係官は、靖國神社の祭典には、必ず出向いていたのか。それは、当時の国家は――、祭神合祀の業務を廃止する意思がなかったからだ。戦争には負けても、国家の義務を放棄したわけではなかったからだ。

 安倍総理は、今回の資料騒動に対して、「国が神社に協力していたに過ぎない」とコメントしていたが、この時点で、今の「国」は、最早、あの当時の「国」とは、まったく違うことを歴然とさせた一言であったと思う。「国が戦歿者を祀るのは当然でしょう」という言葉を、既に物故者となった靖國神社宮司・神職は聞きたかった筈である。この膨大な極秘資料が暴露公開されたことと、安倍総理のコメントなどを聞けば、最早、天皇の靖國神社行幸は二度とないだろうと、確信するに至った。例え、国会図書館のホームページで、この資料を諸氏が読んだにしても、すぐに「忘れる」ことだ。何の資格もない国民が、合祀基準を知る必要はないからだ。文化勲章受章者の表彰理由は挙げられても、審査内容は公開されていない。一般人が知る必要のない知識というものがあることを賢察してほしい。啓蒙ではなく、「見たもの、読んだものを、総て忘れること」を、一兵士は諸氏に告げたい。

 また、書き落としたことがひとつアル。この一兵士攻撃の扇風機の中で、二つ心に残った言葉があった。一つは○○○○さんの書いた、≪親父は大鳥居をくぐってからは、一言も喋らない。よって、私も何も喋らない≫という投稿文を、一兵士は随分長い間、眺めて、○○○○さんのお父さんという方を想像したということ。もう一つは○○○○さんの、「一兵士さんが、なんで口に出しなさんなよ」と言ったのか――、という言葉が、心に響いた。それを最初に書こうとしたのだが、書き落としたので。


――備中處士――皇軍。
一兵士樣
 皇軍兵士としての靖國神社祀職の軍務、將に聖旨への奉行、遵守奉戴に在り。謹んで御教示、拜受いたしました。然しながら「最早、天皇の靖國神社行幸は二度とないだろうと確信するに至」られたる由、靖國神社崇敬者は、天皇陛下の行幸、所謂御親拜を熱望されてをる御方が衆いのですが、小生は之を不思議に思ふやうになつてをります。抑も『勅使』の意義、果たして如何。畏くも、靖國神社に賜ふ勅使の御下向は、正に、天皇陛下の行幸に他ならざるもの、勅使は、即ち、皇上陛下の、御顯身の御分身に坐しまし、神道的には全く同義と申してよい。靖國神社には、春秋二囘の例祭に、行幸を賜はつてをるではありませんか。ご懸念には及ばないと存じ上げます。
●橘曙覽翁の哥
天皇の 大御使ひと 聞くからに はるかにをがむ 膝をり伏せて
 こゝ何日か、世界一般に謂ふ所の「國軍」に非ざる、「皇軍」・「皇御軍」てふ言葉を想ひ巡らしてをりました。幕末から先の大戰まで、皇國・皇民等、「皇」てふ重字の復活重用、夥しい中にあつて、「皇軍」の義、其の幾つかを掲記させて戴きます。
●『萬葉集』卷二十・防人歌・大舎人部千文
霰降り 鹿嶋の神を 祈りつゝ 皇御軍(すめらみいくさ)に 我は來にしを
●靜堂乃木希典大將の哥
○皇軍(みいくさ)の 神代のおきて 問はまほし 久米ものゝべの 遠つみおやに(明治四十一年十一月、奈良大演習中、聖駕に扈從し奉りし時、賜勅批)
○天津日の 光をうけし みいくさは 神代も今も 幸ぞありける(同上)
○我もまた みいくさ人の 數なれば のどにはあらじ のどに死なめや
●布告訓示・決戰訓(陸軍大臣阿南惟幾大將)
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●皇軍(中島一光氏HP『彌榮』)
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http://www5.ocn.ne.jp/~iyasaka/Syugyok3.htm#kougun

――備中處士――參道正中は、天皇陛下および神明の通り給ふ道なり。
 參道正中は、天皇陛下および神明の通り給ふ道なり。「我々」は、參拜形式に拘らざるべからざるなり矣。舊稿より轉載させて戴きます。
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■平成十九年四月一日

――備中處士――一兵士樣を信じない皆さんへ。
 一兵士樣が何を仰つても、受付けない。本當に翁の文章を讀まれて、琴線に觸れる所が無かつたとは‥‥。惡意猜疑でしか、人を見ることが出來ぬとは‥‥。「○○○」てふ方が云はれてゐましたね。曰く、「一兵士様を攻撃している皆さん。一兵士様は怒っているのではありません。へそを曲げられたんです。ウチの親父も、一度へそを曲げたら、もうあとが大変。この年代の人たちは、へそを曲げたら、なかなか戻らないんじゃないかなあ」と。然し何度も申し上げますが、翁には使命感があるのですよ。
 翁は、以前にも退去されようとされた事がありました。○○○○○樣の前スレツドに、「いろいろ、あなたがたの知らないことを話してあげたかったが、気持ちが萎えたので、これで失礼します。戦前に育った小生と、戦後のあなた方との違いを知りました。戦前の人たちは物心つく頃から、強制的に他人の話を黙って聞くしつけをされてきました。祖父・両親・兄・姉。一歩外に出れば隣の家のおじさん・おばさん。そして、学校では先生・教師・校長訓話。入営すれば、すべてが上官勉励を聞く。さらに朝、起きれば、天子様のご真影・祖父の写真に頭を垂れる。そういう教育をされてきた小生とは違うことが、はっきりとわかりました。やはり、口は閉ざしていたほうがいい、と注意した妻が、正しかったようです。‥‥さようなら」と。一旦、退去されむとされたが、「ただ、本当のことを話していくと、皆さんが不快になられることも、多々あります。それを覚悟されてお読みください。‥‥やはり小生も不快な言葉と感じると、血が上るので、それで投稿をやめようと思いました。小生が、再び、書く気になったのは、‥‥」。「この欄は議論するところだったというのを忘失していました。○○さんにも、申し訳なかったかな。でも、もう疲れましたので」と。
 然し翁は、血涙もて踏み止まられました。靖國神社正統護持てふ使命感の爲だけに、後に續く者が一人でもゐることを信じて‥‥。前スレツド當初から參加されてゐる○○樣の、時宜を得た、冷靜かつ穩健な應對には、今なほ感謝して餘りあるものがあります。小生も俄か勉強ながら、靖國神社に關する書籍を種々讀ませて戴いてをりますが、翁のやうな論述は、かつて御目にかゝつてをりません。將に誰も語り得ぬもの、古きよき時代からの證言、或は祕儀に亙るやも知れぬ微言これあり、こゝでしか拜聽かなはぬものであらうと存じます。節度を守つた議論・質疑は大いに欣快とする所でありますが、翁を信じない方、現代の常識人には、蓋し無理もありません。嚴しくも近寄り難き、古人教學の高風あるを知られませんから。
 今ま將に翁は、失望の極にあられるのでないかと恐察します。常識を云々される御方なれば、御願ひです、默るか、或は別スレツドにて、樂しく和かに立論して下さい。御仲間は大勢いらつしやいます、安心して下さい。一方、翁を信じて學び、或は聽く者にも、堪忍袋てふものがあります。「一兵士さんを言論の徒として信用できません」、「一兵士様がご投稿を続けられないという選択をされるとしたら、それは大変望ましいこと」なぞと、もうこれ以上、心臟に病ひをもつ御老體をして、怒らせたり、悲しませたりしないで下さい。貴方がたとは、現在に於て、住む世界が違ふのでせうから‥‥。


再度指摘する。
 とりあえず、ご英霊、ご祭神‥‥はやめなさい。みっともない。寒気がする。松平宮司が最も嫌ったことだ。「ご皇室」は無礼。皇の前に出る言葉は、ニホンゴにはない。‥‥とりあえず、そんなところかな。


――備中處士――八紘一宇。
 一兵士翁の御教示(仰つても無理です、わざと使つてをられるのですから‥‥。翁を不快にさせるのが目的の方ですから)があつた所で、雰圍氣を少し變へませう。雄大なる言擧げです。
●蓮田善明大人『皇國人の忠誠心』(外地の人々への放送、昭和十九年六月『忠誠心とみやび』日本放送出版協會刊)
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t1/13
●赤城高山正之(彦九郎)大人の哥
東山 のぼりて見れば 哀れなり 手のひらほどの 大宮どころ
 

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  • 五十三。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2011年 3月26日(土)21時02分47秒
  • 返信
 
■平成十九年三月二十六日

――備中處士――
○○樣
 「靖国神社の正統を引き継げる者は、兵士でなければならない、という信念に基づいて、お名乗りになっているのであろう。‥‥本質的には名乗るものであり、その名前に込められたひとりひとりの気持ちというものがある」と。仰る通りです。
 一兵士翁は、卷頭において「本物の兵士であるのか、嘘かどうかは、何も申し上げません」と仰つてゐるにもかゝはらず、「僞兵士」だの、「軍歴詐稱」だの、「謝罪せよ」だの、洵に喧しい限りです。何かの一つ覺えではあるまいに、他人の「名乘り」を、誰が云々出來ませうや。餘りに情け無いので、何も申しませんでしたが、當然のご指摘に、嬉しく存じ上げました。かやうな事を一いち言ひ立てゝをれば、困る方も、さぞ多い事でありませう