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  • 大元靈に坐す天之御中主大神

  • 投稿者:備中處士
 
平成二十二年三月二十一日、
春季皇靈祭の日、建立。

 無始無終の大元靈と坐す、天之御中主大神は、至靈至妙、宇宙根本の大神にして、「玄古の太祖、諸神・諸人の元祖、衆姓・衆尸の分派、皆な悉く此の神の苗裔ならざるは無き也」(大壑平田先生『吉家系譜傳』)。「恐かれども、我が皇室の『大統譜』にも、最初に造化三神の御名を掲げさせ給へる由、密かに漏れ承る所である」(山本信哉博士『神道要典――國體篇』昭和十七年七月・博文館刊)。實に懼れ多くも畏くも、遙かに思ひ奉らば、嗚呼、尊び奉るべき哉、仰ぎ奉るべき哉、固より言語に絶して盡すべからざるなり矣。

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  • 別天幽中の幽府・天之眞中に坐す大神、坤。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2014年10月15日(水)19時56分29秒
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~承前~

高天原に成りませる神の名は、天之御中主神、次に高御産巣日神、次に神[御]産巣日神。此の三柱の神は、竝な獨神成り坐して、隱身也[かくしみゝなり]。

○さてこゝに、「於高天原」と書いて、本語「たかまのはらに」とあり。此の高天原と云ふ名は、神典の文例にては、天地の分れし後、天神の坐す天つ國、則ち大陽日球界の事を指して、此の地球より唱ふる時の名にして、天之御中主神は、日球も地球も未だ成らざる前より、無始無終に坐す神なれば、爰に「於高天原」と傳あるは、日球成りて後に成り坐せる神かと疑はるゝが故に、本居先哲は、「後の事を上に囘らして傳へたるものならん」と云はれ、平田先哲は、「此の高天原は、北極紫微宮の事にて、天之御中主神の本府なるを、後に大陽日球界成りて、其の高天原の名を以て、日球にも移して名づけたるものなり」と説かれたり[兩傳見合すべし]。或説には、「爰の高天原は、天之御中主神の本府をさす事にて、日球の高天原とは別にて、之を別てば、爰は大高天原と云ふべく、日球は、只に高天原と云ふべし」などの説も聞ゆれ共、未だ何れも一定の説とも聞えがたし。

 故に何れが是ならんと考ふるに、余が講究にては、前に講じ置きたる如く、天と云ふは、無際涯なる大宇宙の虚空なるを指して云ふを本語とすれば、此の高天原とあるも、北極紫微宮とも定めがたく、又た日球高天原成りて後の名を上に囘らしたるものとも云ひ難く、申さば高天原の名は、此の文を本語の起りとして、日球を高天原と云ふは、これより移して云へる事と思はるゝなり。然りとてこれを、平田先哲の云はれたる「北極紫微宮」の名と定むるには非ず。始め講じ置きたる天地の本語に隨つて考ふるに、先づ「高」と云ふは、此の地球より大空を指して云へる詞なるは、諸先哲の説、一定したる通りにて、夫れより尊稱にも用ゆる事なるは、能く聞えたる事なるが、此の時は、未だ日球・地球は無き以前の事なれば、何れを高と云ふべき目的もあらざるべし。然れ共も神典は、此の地球に傳へられたる造化の神傳なるが故に、後々には地球を本として、地球より他を見るが如くに傳はらざれば、後世、其の意を解する事あたはざるが故に、高と云ふ言詞は加へられたる傳にて、只に天原と見る時は、能く聞ゆるなり。如何となれば、天と云ふは、大宇宙の虚空を云ふ本語にして、原と云ふは、廣漠なる所を云ふ事なるは、兩先哲の解ある通りにて、野原・海原と云ふも、廣漠なる所を云へるなれば、天原の本語は、無際涯の廣き大宇宙の事を云ふより起りたるものにて、後に此の地球より云ふ時は、大空を云ふを移して、大陽日球をも天[あめ]と云ひ、其の天は、何れも地球より高く見あぐるものなるによりて、共に高天原と云へるにて、宇宙を天と云ふは先にて、日球を天と云ふは後なり。然ればこゝの「於高天原」とあるは、日球高天原の名を通はしたるには非ずして、只だ大宇宙を云ふものとすれば、能く聞ゆるなり。

○さてこゝに、「於高天原」の次に「成神名」とあるは、本語「なりませるかみのみなは」と訓むなり。此の語によれば、無始無終なる大元靈と坐します天之御中主神は、此の時に成り坐せりと聞えて、無始より坐しませる神とは聞えがたきが故に、諸説一定ならず、種々の論説も起る事なるが、平田先哲は、「高天原に、神有[ま]しき焉。御名は天之御中主神」と、本傳の明文を書き改めて、『成文』とせられたり。こは申す迄も無く、無始無終の大元靈に坐せば、道理上は動くまじき事なれ共、『書紀』神代の一書にも、「高天原に、生[あ]れませる神の名は、天御中主神」とありて、此の時、生れませる神の如く傳へたるは、如何なる事ならんと考ふるに、『古事記』に、所謂「成りませる神の名」とある本語も、『日本紀』神代の一書の「生れませる神の名は云々」とあるも、何れも天之御中主神のみにかゝりたる語に非ずして、次の高皇産靈神・神皇産靈神にも、共に云ひかけたる本語なり。

 これを以て考ふる時は、次の皇産靈の兩神は、天之御中主神の、天地萬物を造り給はんと、始めて御神量りの、一度び動き玉ひしによりて、其の大元靈の靈徳より、次々に成り出で玉へる神なるが故に、此の兩神は、此の時に成り坐せる神とも云ふべく、又『書紀』の傳の如く、此の時、生れませる神と申すべき理りなり。然れば此の三神を合して云ひかくれば、成りませる神とあるも、聞えざるに非ず。特に天之御中主神は、無始無終の神に坐せ共、天地造化の上より傳ふる時は、此の時、造化の氣運、始めて兆し起らんとする時なるが故に、此の時を始めんとして傳へたるものとするも、妨げなし。譬へば東西南北も上下も前後も、素と無際涯の大宇宙には非ざる理なれ共、何か目的となるべき物の成りたる上は、東西南北も上下も前後も定めらるゝ事にて、無東西にも、東西の始めあるが如く、無始なる神にも、何か目的となるべき事の發る時を始めとして傳ふるも、同じ理りあれば、此の傳も、無始なる神ながら、天地を造り給はんとの御兆しの發りしを始めとするも、聞えざるには非ず。都て事物は、着手せんとする時の事をさして始めとするも、此の理なり。特に次の兩神へ掛けて傳ふるに、「神有しき焉」とある時は、三神共、無始よりの神と聞ゆるを、皇産靈兩神は、天之御中主神の、天地萬物を造化成し給はんとする神量りの御活動より成り出で給へる事は、道理上、疑ふべくも非ざれば、こは「成りませる神の名は云々」の本語の儘にて、然る可し。此の三神を別々に云はんには、「高天原に坐しませる神の名は、天之御中主神、次に成り坐せる神の名は、高皇産靈神、次に成り坐せる神の名は云々」と、傳へざるべからざる道理なり。故に平田先哲は、記紀兩傳の本文をも、此の理を以て改められたれ共、余は『古事記』の儘にて聞えたりとす。古傳の明文・本語は、後世、改め換ふべきに非ず。然れ共も記紀、其の他に正傳とすべき古書の内にて、異傳のあるものは、其の道理を推して、能く道理に符ふ傳を採りて、これを改むべきは勿論の事なり。さてこゝに成りませる神の名の本語に就いて、粗々意見を講じたれば、是より天之御中主神の御名に就いて講究すべし。

○さてこの御名の「天之御中主神」とある「あめ」は、大宇宙をさす本語なり。「御中」の御は尊稱なれ共、又「み」と「ま」とは通ふ言詞なるが故に、此の神名の御中は、本居・平田兩先哲ともに、「眞中の意」と云はれたり。眞中と云ふは、中央の云ひなり。「主」は、本居先哲の説に、「のうしの約言なり」とあり。「のう」を約(つゞ)むれば、「ぬ」となる。又「ぬ」と「う」とは、横に通ふ言詞にて、「うし」と云ふも「ぬし」と云ふも、同じ意ありて、近く通ふ言詞なり。此の本語の意は、物の主宰たるを云ふ語にて、古言にも「宇斯波久」と云ふ語は、其處の主として宰り居る事なりとは、先哲等、一定の説なり。然れば天之御中主神と云ふ御名は、大宇宙の眞中に坐して、其の大宇宙間を、悉くうしはき玉ひ宰り玉ふとの意にて、全世界の大主宰と坐す事は、多言を用ひずして、此の御神名にて明かに傳はりたるものなり。

 此の神は、神の中にも最第一の大神にして、他の八百萬神は、皆な此の神の神靈より成し出で玉へるなり。故に其の御神徳の廣大なる言詞の盡すべき限りに非ず。開闢の始めより、神代は申す迄も無く、萬世の今日に至る迄、天地間の萬物、一として此の大神の神徳に由らざる無し。これを解かんとするも、及ぶべからざる御徳にて、天地組織の大造化を始め、天地間の萬物、今日に繁殖し、生々化育、止む時無きは、皆な此の大神の御神量りより出づる所なるが故に、こゝに其の御神徳の如何を論ぜんとするも、盡すべきに非ざれば、以下の傳々を講究するに至りて、時々此の大元の神徳に注意して講ずべし。凡そ神世五期(上件の「書目」參看)の講究を終る迄には、粗々天之御中主神の神徳も窺はるゝ所あれば、自得せらるゝに至るべし。此の天之御中主神を「造物主」と云ひ、有神論者は、「全能全智・獨一眞神」と云ひ、無神論者と雖も、「不可思議的なり」と云ふて、「人智、議るべからざるものあり」と云ふ。其の意は、天之御中主神の御上に、自ら當るものなり。吾が神典にては、此の神の坐す所を、「別天」と傳へたり。余が一家の講究にて、他の神府と分たんが爲めに、これを「幽中の幽府」と、假に名づけて講ずるなり。支那に所謂「大極にして無極、無極にして大極なり」と云へるも、此の極を指すの外ならず。

○さてこゝに「神」と云ふ本語は、如何なる事なるかと云ふ事の講究を成すは、最も要旨なれば、これを講究すべし。此の神と云ふ本語に就いては、諸説、未だ一定の論なく、平田先哲の傳に、「神は、葦牙の「かび」より起りたるものにて、又「かぶ」とも通ふ本語にて、菌[きのこ]の類も、亦た加備なり」など云はれたるは、委しき考にはあれども、あまり委しき過ぎて、如何にやと思はるゝ説も無きに非ず。同學者の内にも、此の説は採らざる人多きものゝ如し。其の外、「「かみ」の「か」は、霞[かすみ]・薫[かほり]・幽[かすか]などの意ならん」など、種々本語に就いての論もあれども、是ぞ、動くまじき説なりと思はるゝ迄の説も見あたらざれば、先づ平田先哲の「神は、加備なり」と云はれたるを本語として、講究すべきなり。然れ共も其の「かび」と云ふに就いて、『史傳』に論じられたる、「彼の菌も、加備なり」など云はれたる種々の説に至りては、服し難き事あれば、只だ「神の本語を、加備なり」と云はれたるのみを採りて、他の霞・薫・幽などの説と合せて講述すべし。平田先哲は、「加備の加は、彼の意にて、物を其れと指して云ふ語なり」と云はれたれども、此は近時の諸説の内に聞えたる、霞・薫などの「か」と云ふ方、勝れり。彼の意とすれば、何も此の語に深き意は無きものゝの如く、霞・薫などの「か」とする時は、霞も幽微[かすか]の意なり、薫も幽微の意ありて、神と云ふ本語の意に近き所あり。斯く講ずれば、神は「かび」にて、其の「かび」の「か」は幽微の意にて、「び」は奇靈[くしび]と云ふ「び」なり。則ち幽靈[かび]と云ふ事と聞ゆ。これ、自ら神の意に能く當れり。

 これを人心固有の想像に問はんに、凡そ人たるものは、神と云ふ本語の意を解すると解せざるに論無く、神は如何なるものと云はゞ、必ず冥々の中、肉眼見るべからざる所にありて、靈妙不測の活きあるものを指す名なりと思ふなるべし。是れ人々、自ら神の何物たる事を自得したる、固有の性なり。此の固有の自得性に合せて講ずる時は、神の本語は「かび」にして、其の「か」は幽微なるの意、「ひ」は奇靈なるの意にして、幽靈[かび]なりと解すれば、能く聞ゆるなり。然れ共も神は、到底、本語の語解を以て、其の意を盡すべきものに非ず。固有の自得性に隨ひて、正邪を講ずるにあり。都て本語の解を用ゆるは、人心に其の意の解し難き所に要用にして、解釋無くして其の意を自得するものに至りては、略するも亦た可なり。如何となれば、辨解の多岐に渉るは、自得性を覆ひ、却つて悟り易きものをして、悟り難からしむるの恐れあり。これ、余が常に人心に自得する事の難からざるものは、其の自得性に任せて、多岐の解を略するを可とする所以なり。

○さて前に講じたる、天之御中主神の次に、「高皇産靈神、次に神皇産靈神」とあり。『古事記』には、「高御産巣日神・神産巣日神」と、文字を假り用ひられたり。文字は、素より深き關係あるものには非ざれ共、此の神名の如きは、平田先哲、『日本紀』の一書を採り、「皇産靈」と改められたるは然るべき事にて、文字も同じくば、意の近きに隨ふを可とす。都て今日は、皇産靈の字を用ゆるを常とすれば、改むべし。然して此の皇産靈の兩神は、天之御中主神と竝び玉ふ神にして、天之御中主神の、天地萬物を造り給はんとする御神量りの、初めて動き給ふに因りて、其の大元靈より成り給ふ神なるが故に、申さば天之御中主神の大分靈とも申すべき程の事にて、天地萬物、鎔造化育の神業は、全く此の兩神の輔翼にかゝるものなり。神典明文の上には、其の事、傳はらざる如くなれ共、此の兩神の神名に、自ら其の意を傳へたるものなれば、御名の本語より講究すべし。

 先づ「高皇産靈」とあるは、本語「たかみむすび」と訓ず。又「神皇産靈」とあるは、本語「かむみむすび」と訓ず。此の語の「高」は「たか」にて、其の「たか」と云ふ語は、「たき・たか・たけ」と活く詞にして、丈・竹・高などの意にて、高く立ち延びる意ありて、竹の高く延び立つも同じく、都て物を張り出す膨脹力の徳を云へるにて、男徳を備へ給ふなり。又これに反して、「神皇産靈神」の上の「神」の字は假名にて、「かみ・かむ」と活き、「かむ」と云ふを本語とす。此の「かむ」と云ふは、高の張り出づる徳に反して、「かみしめる」語にて、縮引力の徳を云ふなれば、自ら女徳を備へ玉ふなり。此の兩神の「皇産靈」と云ふ御名は、何れも同じ事にて、皇は尊稱にて、御と書けるも同じ事なり。こゝの皇の字は、「すめ」又は「すめらき」などに用ゆるとは異にして、只だ假名に用ひたる迄なり。産靈は「うむすび」なりと、本居・平田兩先哲の説の如く、天地萬物を「うむし」成し玉ふは、奇靈の活きにて、靈妙不測の御徳を指して微と云ふ。都て吾が古傳に「ひ・び」など云ふは、皆な奇靈なるを云ふ事にて、これより移りて、日と云ふも火と云ふも、皆な靈[くしび]なるものに名づくるなり。これ則ち産靈の本語の意にして、又た結ぶなど云ふ事にも、自ら通ふなり。如何となれば、萬物は産靈の徳にて「うむし」成し玉ふより移りて、又た諸原素を集めて結び成し玉ふとも聞ゆればなり。本居先哲は、「今時、人の子を生むも、皆な産靈の徳なるが故に、生れたる子を「むすこ・むすめ」など云ふ」と云はれたり。實に造化の御徳に對して、能く聞えたる解と云ふべし。此の御名の本語によりて講究すれば、神典の明文には傳なくとも、神名の上に、造化大元の實事は、自ら傳はりたる事、明かなるべし。然れば天地萬物、造化の大元は、天之御中主神にして、其の組織を專ら輔翼成し玉ふは、皇産靈の兩神なる事、疑ひを容るゝ所なし。其の組織に就いては、膨脹力の活きと、縮引力の活きと、「むすび・むすぶ・うむし・うむす」の靈徳より成し玉ふと云ふ眞理、只だ此の兩神の神名の上に傳はりたるは、妙なる事に非ずや。道は、近きにあり。外邦の學のみに心醉する人、自ら顧みる所あれ。吾が神典明文の上を、一通り迂闊に見る時は、斯く迄で深き眞理の傳はりたるものとは、誰も心付かざるべし。

○さて前に講じたる次に、「此の三柱の神者、竝な獨神成り坐して、隱身[かくしみゝ]也」とあるは、能く聞えたる通りにて、此所に御名を傳へたる造化の三神は、竝び成り坐せる神に非ず。次々順序に成り玉ひしが故に、「獨り神成り坐して」と云へるなり。「隱身也」とあるを、本居先哲は、「みゝをかくしたまひき」と訓まれたれ共、大國(竹屋)翁は、これを「かくしみゝなり」と訓まれたり。此は大國翁の訓み、然るべく思はるゝなり。如何となれば、「身を隱したまひき」と訓ずれば、一度び成り出で玉へる神の、再び幽に御身を隱し給ふ事と聞え、「隱身也」と訓ずれば、素より深く隱れ玉ふ神と聞ゆるを、此の三神は、別天幽中の幽府、則ち天之眞中にて、大極と云ふべき所に坐す神なるが故に、「かくしみゝなり」と訓む方、然るべし。支那の説に、「大極、兩儀を生ず」と云へるは、彼の國の古傳と云ふにもあらず、人智推測の理説と聞ゆれ共、能く吾が古傳の造化三神の御上の事に符合す。然れ共も彼に所謂る兩儀なるものは、陰陽の二氣を指すものにて、神と云はず靈と云はざるは、靈と氣との別ある事を知らざる論にして、これが爲めに支那の理説にては、「氣結んで、靈となる」が如く論ずるに至る。氣は凝結して、生々の活動あるのみ。人心の如き思考覺察の活用をなすものは、氣の作用に非ず、靈の作用なり。此の理を以て、余が所謂る靈・氣・質の三者は、天地萬物の三大元たる事を知るべし。

○或る人、問ふ。造化三神の御徳、粗々了解せり。然るに三神共、別天幽中の幽府、則ち天の眞中なる大極に坐す隱身の神と聞えて、吾が大陽系のみならず、他の恆星天に至る迄で造化し玉ふ御徳なるに、神典の明文中、此の後に至りて、皇産靈の兩神は、吾が大陽日球中に坐して、諸神に神敕を降し玉ふ等の事あるは、全く隱身とも窺はれず、如何。

○答ふ。御最もの御質疑なり。素より皇産靈の兩神は、別天に坐して、天之御中主神の大元靈に添ひ玉ふ神なれば、隱身に坐しますを、後に吾が大陽日球に於いて、天照大御神と共に神敕を降し玉ふ等は、平田先哲も、粗々其の意を説き置かれたる通り、御本靈と御分靈とを別にして、皇産靈神に、二種の別あるに非ず。御同神の魂の御作用より、吾が大陽系中の造化の事を宰り玉ふ爲めに、御靈體をも顯はし玉ひ、神敕をも降し玉ふなり。申さば天之御中主神と共に、別天、則ち天の御中に坐す皇産靈の兩神は隱身にして、吾が大陽系のみならず、他の恆星天の組織をも成し玉ふ御本靈に坐し、吾が大陽日球中、則ち後の高天原に坐す皇産靈の兩神は御分靈にして、他の恆星天に關せず、吾が大陽系中の造化の神業を宰り玉ふなり。此の事、始めて神典の講義を聞く人などは、最も疑ひの起る所なるが、次々の講を聞かるゝに於いては、自得せらるゝに至る事あるべけれ共、一通りこれを辨じ置かん。

 先づ開闢の始め、大元靈・天之御中主神の一靈より起りて、皇産靈の兩靈を成し玉ふは、天地の間に神靈を分賦し玉ふ始めにして、分靈の原理、爰に起りしものなり。此の分靈の原理起りし以後は、神代は素より今日に至るまで、凡そ幽中にある靈は、其の靈の徳により、何れの神にても、幾百の多きにも靈を分ち玉ふ事にて、譬へば菅原道眞公の神靈に向つて、天下幾百萬の人より、同時に神護を祈る事あるも、至誠、幽中に貫くに至れば、東・奧羽の間と西・肥薩の國とを問はず、同時に神護し玉ひ、或は眞夢の内に神體を顯して神示し玉ふ等、一神にして同時に幾分體を顯はし玉ふも知るべからず。萬神、皆な此の如きものにて、其の事實、枚擧するに遑あらざるなり。人皇以後、聖賢忠臣の靈、此の如し。況んや天地開闢第一期の始め、造化の大元靈と坐す天之御中主神の第一の大分靈たる皇産靈神に坐しませば、幾百萬の神體を顯はし玉ふも、何の難き事あらん。此の幽理あるを以て窺ふ時は、皇産靈の兩神は、其の御分靈、幾百萬の多きにあるも知るべからず。是れ大元靈・天之御中主神の神量りより出づる所の造化の原則にして、吾が大陽系のみならず、他の恆星天に至るまで、幾百萬の數限りなき星球を、悉く造化し玉ふ所以なり。此の眞理あるを以て、此の後に皇産靈の兩神、大陽高天原に出で顯はれ坐して、吾が大陽系中の神業を宰り玉ふは、御分靈の産靈神なるを知るべし。然るに此の傳の始めに坐す造化の三神は、前に講じたる通り、別天隱身の御本靈に坐すが故に、古傳、是れ迄の所は、吾が大陽系中の事のみを傳へたるに非ずして、他の恆星天迄、かゝる傳へなり。此の次の傳よりは、單に吾が大陽系中のみの事にかゝれば、其の意を得て講究あるべし。

 さて是れ迄で講じたる神典の明文、僅かに四十六文字・本辭九十六言にして、其の中に造化の大原則を窺ひ得べく傳はりたるは、これを神慮なり神傳なりと云はずして、何とか云はん。人智の能く作爲すべき限りに非ず。余が此の略解數言にしても、斯かる大なる眞理を、此の九十六言の本辭の内に含蓄せり。然れ共こゝに講ずる所は、太初の事にして、本傳、特に簡なるを以て、未だ其の意を盡しがたけれ共、此の次々の講述と合せて、再びこれを反省せらるゝ事あらば、自ら其の深意のある所を知るべきものなれば、暫く序を追ふて講ずるを俟たるべし。
 

  • [7]
  • 別天幽中の幽府・天之眞中に坐す大神、乾。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2014年10月15日(水)18時46分37秒
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 茲に紹介せんと欲するは、美甘政和大人の『天地組織之原理』にある、『古事記』劈頭の講義、即ち是なり。美甘大人は、吾が吉備國の神道人にて、小生の仰いで已まざる神人なり。かつて『神仙道誌』(昭和六十三年十月・山雅房刊)に、大人の筆による、大國主大神を論じ奉る玉文「國津神の第一位・大地官大司命・大國主神──幽政主宰の大權を御分任」を拜して、尊崇敬戴、これを久しうせり。

 次の天之御中主神の論説は、明治の文にも拘らず、今人にも解り易ければ、小生が淺解誤讀を超えて、各位には、熟讀精覽、着眼一變、其の深き哲理を究められむことを、切に乞ひ奉る。而して若人有志の英邁なる、神典研究に鋭意精勵し、日夜研鑽、進んで闇黒前寸(アングロサキスン)人種による、一寸前きは暗闇、平面史觀の世界觀・宇宙觀を討つ可し矣。討つて、討つて、撃ち盡して已む可し而已矣。吾が神典古傳を以て、彼の基礎根源を撃破歸正せしめて、世界皇化の資とせられむことを熱祷すと、爾か云ふ。



●國幣中社中山神社宮司從六位勳六等・大社教大教正贈一等教勳・樂天翁旭香美甘與一郎源政和大人講述『天地組織之原理』全五卷・附録一卷(明治二十四年七月・神典研究會事務局刊)の劈頭

我獨慙天地。清滿呂、書』。
 前に掲ぐる所の題字は、嵯峨の院の寶庫に藏する、和氣清麿公の眞筆なるを、故ゑ有つて、本國(美作)・舊津山藩の儒臣・鞍懸氏が臨寫して、これを上梓し、御維新の際、勤王の諸氏に頒ちたるものなり。勤王無二の公の眞跡と云ひ、短簡の一語、能く道義を貫き、筆跡も亦た高雅にして、往昔を追懷するの情、止めがたく、再びこれを臨寫して、卷首に掲げ、諸氏と其の感を同ふせんと欲す。

『 篤胤
まさ(正)しかる 事のしるしは 天の下の 物しり人や 問ひてし(知)らまし
』(★註一)
 前に掲ぐる所の和歌は、先哲・平田篤胤大人の染筆にして、門人・大田朝恭に授與せられたる、久延毘古神々像の贊歌なるを、故ゑ有つて、當今、余が所藏する所となれり。余は、此の神像を得たる時より、頓に神典研究の着眼一變し、終ひに本講を成すに至りたれば、自ら感ずる所あるを以て、臨寫して、これを卷首に掲ぐ。
 久延毘古の 神の幸ひを うけ得つゝ 尋ぬる人の あらばこたへん
  後學・(美甘)政和、謹みて識す。

★註一。愚案、『氣吹舍歌集』に收むる哥の詞書に、「久延毘古の神の像をうつして、『此の神は、足は行かずと雖も、盡に天下之事を知れる神也』と、神典に見えたるによりて」とあり。

[緒言]┬┬┬┬┐
[書目]┤↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/1913
[附言]‥‥(略)‥‥

『天地組織之原理』卷之第一
開闢第一期[天地分判・物質凝固]世記之部
  大日本帝國美作國御民・美甘政和、謹みて講述。


『古事記』に曰く、天地の初發の時、

○謹みて考ふるに、『古事記』に、「天地初發之時」と語り傳へたる「天地」と云ふ文字は假り用ひたるものにて、本語は「あめつち」と訓ずるなり。都(すべ)て吾が古傳は、文字に拘らず、言詞にて解くべきは、先哲も云ひ置かれたる通りなれ共、中には文字の、能く吾が本語に合するものも少なからず。故に文字にも、心を付くべきなり。先づ此の「あめつち」の本語に、「天地」の字を用ひたるなれども、能く當りたる文字の如くなれ共、到底「あめつち」の本語に由らざれば、眞理は解すべからざるものにて、以下の傳へも此の如きものなれば、其の心して講究あるべし。この「あめ」と云ふ本語を、本居(鈴屋)先哲は、「葦萌[あしもえ]の約言には非ざるか」と云はれ、平田(大壑)先哲は、「「あめ・あみ」と活(はたら)く語にて、天網[あめあみ]の意ならん」と解かれ、其の外の説に、或は「青見[あをみえ]の略言ならん」と云ひ、或は「赤見[あかみえ]の略言」と云ひ、又は「明見[あきみえ]の略言ならん」と云ひ、其の説、一定ならず。故に此の諸説に就いて、其の眞なるものを、何れなりと定むるは、講究の旨とする所なれば、先づ此の「天」の語より講究すべし。實は本講の趣意とする所は、本居・平田兩先哲の説を本として、余が神典講究中に發明したる意見と兩先哲の説と、大に異なる所あるを以て、余の識者にこれを質さんが爲めに、忌憚なく先哲の説に反する一家の講究説を講ずるを旨とするを以て、言詞の解、所謂る語釋の如きは、多くは之を略し、他學の人にも解し易からしめんが爲めに、單に神典本文の明文に隨ひ、道理を以て眞理のある所を簡短に講ぜんとするにあり。然れ共も開闢の始めの如きは、古傳、最も簡なる傳にして、多く神名に實事を傳へたるものなれば、是非とも本語によりて、語解より講ぜざれば、眞理を發見しがたきが故に、暫く語解より入り、道理解に渉らんとす。尚ほ聽く者にして、其の意の解しがたきは、質問に隨ひ講ずべし。

○さて先に、天、則ち「あめ」の語意を定むる事を云ひ置きたり。故に其の意を述ぶべし。先づ先哲の「葦萌の約言ならん」と云はるゝは、「葦牙の如く萌え騰がる物に因つて云々」の傳あるより云はれたるなり。又「天網の活言なり」と云はれたるは、「天上に衆星等のかゝれるは、網羅[あみ]の如きものなり」と云ふ説より起りたるものなり[兩先哲の傳、見合すべし]。其の外にも種々説ある中に於いて、余が採るべしと思ふは、「明見の約言なり」と云ふ説、是なり。如何となれば、「あき」と云ふ詞は、「あき・あく・あけ」など活く詞にて、物の空虚なるを云ふ。箱などの内に、物品の無きを「あき」箱と云ふも、此の意なり。夫れより移りて「あきらか」と云ふ時は、空間に物の障り無く、能く見ゆる意にて、日光・火光などを「あきらか」なりと云ふも、これより移して用ゆる詞なり。其の語の起りは、「あ」の一音より起る言詞にして、「あ」と云ふ音は、口中を空虚に成さゞれば、發しがたき音なり。此の道理を推す時は、「あめ」は空虚に見ゆるものなるが故に、「あ」の音より起り、明見と云へば、大空を指して云ふ言詞となるなり。則ち空虚に見ゆると云ふ意なり。今ま思想を遠大にして、吾が大陽系中は素より、其の他の恆星天に至るまで、空間に大陽も地球も諸星も、未だ無き以前の大宇宙は、如何なるものならんと考ふる時は、宇宙間、何れの方に向つて思想を馳するも、際涯無きものなる事は、誰にても知らるゝならん。其の際涯も無き大宇宙間に、幾百萬の數限りも無き諸星と成るべき程の諸原素の細分子が、散在充滿してありしは相違無き事にて、天地開闢前の大宇宙間は、眞の虚空とは申し難く、日球・地球、或は衆星とも成るべき程の物質の元材、所謂る諸原素の細分子が散在してありしものなるは、道理を推して明かに知らるゝ事なり。素より眞の虚空なれば、造化の神に坐しても、何を元材として、大陽・地球・諸星の如き大なる物質を造り給ふべき。之を以て考ふる時は、開闢以前の大宇宙間なるものは、天地萬物となるべき物質の細分子を含蓄し、之に加ふるに其の物質の細分子をして、或は一所に集合せしめ、又た其の物質の細分子中の異種なるものと同質なる物とをして、或は散ぜしめ、或は集合凝固せしむる元氣、則ち精氣と云ふべき無形物を含蓄し、此の二種の外に、神羅萬象、悉く造り出だし給ふ全能全智なる造化大元靈の神徳、充滿したるものなる事は、道理を推して明かなるべし。如何となれば、今日の物質は、諸原素・細分子の集合物たるは論ずる迄も無く共、集合するには、動物・植物、其の他、有情・非情に論なく、皆な氣質有りて、集合し活動する事も明かなるべし。又た氣質の二者を集合する非情物の外に、靈有りて、思考・覺察・喜怒哀樂等の知力・性情を備へたるものも現存するを見るべし。然れば天地萬物を推して、其の大源に溯れば、「靈・氣・質」の三者に歸するの眞理、明かなり。此の三者の内、靈・氣の二者は、人間の眼を以て見る時は無形に屬し、只だ物質の一のみ有形と思ふならん。假令ひ無神論者と雖も、氣と質と二者の外に、不可思議的のものある事を知るべし。其の不可思議的と云ふは、則ち有神論者の所謂る造化主にして、吾が古傳に傳ふる所の天之御中主神の神徳なり。然れば無始無終なるは、造化の神のみならずして、大氣も亦た無始無終なるべく、物質となるべき諸原素の細分子も、亦た無始無終なるべし。此の三者[靈・氣・質]の内、物質は有形なれ共、極細分子に歸する時は、又た見る事あたはざるべし。此の如き道理あるを以て、余が一家講究に於いては、天地萬物は、靈・氣・質の三者より成れるものなりとす。此の道理あるが故に、前に講じ置きたる天、則ち「あめ」と云ふ詞を解すれば、物質となるべき有形の諸原素の分子が集合して、一の大なる物質となり、其の跡の空間には、靈・氣のみ充滿し、虚空となるより明見、則ち約言して「あめ」と云ふ語起りしと云ふは、道理上、誣ふるには非ざるべし。

○次に「地」と云ふは、本語「つち」とあり。此の「つち」と云ふ本語は、未だ一定の説あらざるのみならず、本居先哲も、「「つち」は、「つし」ならんか」など、疑ひ置かれたる迄にて、其の他の説にも、未だ考ふべき程の解を聞かず。故に他説を擧げて講究するに、據なし。先づ參考迄に、余が一家説を以て講ずれば、地は、本語「つち」と訓じて、其の「つち」は、「つゞり・つゞる・つゝみ・つゝむ」などの、「つゝ」と云ふ重音の下の「つり・つむ」を約むれば、共に「ち」となるを以て考ふるに、「つゞり・つゞる・つゝみ・つゝむ」と云ふ詞は、「つゝ」より起りたる詞にて、「つゝり」と云ふは、物質の集合する詞なるを、「つゝみ」と云ふも、亦た同じく物を一所に集めて、或は風呂敷等に入れ置く事にて、物の散在せぬ爲めなり。これ則ち天地開闢以前、大宇宙に散在したる諸原素の細分子を一所に集め、大氣を以てこれを包み綴り合せて、地球の如きものを多く造り給へるより、「つゝ」と云へるには非ざるか。此の「つゝ」と云ふ語は、上古、星の名とも聞えて、『萬葉』にも、「ゆふつゝのか行かく行云々」など詠める歌は、星を「つゝ」と詠みたる例なり。之を以て考ふる時は、地の本語は「つゝ」にして、星の事なるべし。吾が地球も、亦た一個の星なれば、必ず「つゝ」と云ふべきなり。

 故に「天地の初發の時」とあるは、「あめつゝ」の始めの時と云ふ事にて、前に講じたる通り、大空の明見に對して、諸原素を包み綴り合せて、物質と成し玉ふの云ひにして、其の明見も、綴り包むの實體も、未だ成らざる初め、其の物の兆し發らんとする時の事より語り傳ふるが故に、「天地の初發の時」と傳へたるが如く聞ゆるなり。然れば天地の本語は、全く虚空と實體とを別つの本語と聞ゆるを、後には地球のみを「つち」と云ふ事となりて、其の地球の中にても、國土をのみ「つち」と云ふより、一塊の土をも「つち」と云ふに至りたるものゝ如し。これ諸原素・細分子の、最も凝固したるが故ならんか。都て天地と對する時の地と云ふ語は、地球の事なるは申す迄も無き事にて、其の地球は、他の星球より見る時は、又た一個の星なれば、星に「つゝ」と云ふ名の存するは、全く開闢の始め、諸原素を綴り合せて、大氣を以て包み成し玉へるより起りし名にして、地の本語を「つゝ」なりと云ふは、道理を推すも實物に照らすも、誣ふ事に非ざるべし。然れば大陽・日球も、其の「つゝ」と云ふ實體より起りたるものなれば、「あめ」と云ふべきに非ざる如くなれ共、地球より高く大空にある清明の上國なるを以て、地球より云ふ時は、天と云ふ語を移し用ゆるに至れるなりとするも、聞えざるに非ず。尚ほ能く考ふべし。
 

  • [6]
  • 『神名考』・『神名臆斷』

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2014年10月 9日(木)19時45分42秒
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●琴舍堀秀成翁『神名考』(明治十九年六月)

天之御中主神[アメノミナカヌシノカミ]

 此の御名を明らめむには、先づ阿米[あめ]の原義より極めずはあらず。然るは阿米の阿の音に、限り無く廣き義あり[阿の音に、其の義を具へたる由は、『音義本末考』に云へり]。例へば阿に廣く、世[せ]に狹き義あれば、廣き所に境を成して狹めたるを、畔[あぜ]と云ふが如し[清音の濁音に變ずるに、三義あり。此の世の濁は、息を強むる爲めの濁なり。此のことの委しき説は、『音圖大全解』に云へり]。本居氏の説に、「畔はあなり、せは脊の義にて、畔脊[あぜ]なり」とあれども、阿行には一音にて言と成る例、絶えて無ければ、あぜの二音、猶ほ畔一物の名なること、紛れなし。又た米の音に、周[めぐ]りの義あり。此の二音を合はせて阿米は、此の地球を廣く取周らしたるを、阿米と云ひ始めたるものなるべし。例へば海の周りを海邊[あま]と云ふ[マとメと同音なり。又た其の小なるを濱と云ふ。アマ・ハマも同音なり]。『和名抄』郡名に、海部を安萬[あま]と注せり[豐後國]。又た『姓氏録』にも、海[あま]と云ふ氏あり。海漁を業として海邊に住む人を、海人[あまびと]と云ふも、是れなり。猶ほ云はゞ、偏[あまねく]といふ言も、其の區域をなしたる周圍の内に遺る所、漏るゝ隙なく敷き渉るを云ふ[阿麻は同じく、禰久は年麻禰久など、古言に云ふ禰久なり]。又た其の周圍の外に出るを、良行に活用して、阿麻理・阿麻流と云ふ。此を以て阿米の義を思ひ定むべし。然るを阿米は、網と同義とも、葦萌えの約りとも、又た青見え・上り方[あがりへ]等いへるは、推し當てたる説なるのみ。然して阿米とは、天上をも云ひ、又た日月諸星の係る所を、廣くもいへり。天の高市・天岩屋等は、天上の方にて、天津星・天津風・天津雲等の阿米は、大虚空を廣くいへり。此の神名の阿米は、大虚空の内を廣く云へる方にて、地をも包含せり[海といひて、陸をも包含せる例あるが如し]。

 御中の御は、滿[み]の言より出て、勝秀[すぐれ]たる意とも、正中の意とも、又た副へたる意ともなる。御山・御谷・御崎等の御は、勝秀たるをいひ、御中・御究等は、正中を云ひ、又た輕く副へて、御雪・御吉野・御熊野等と云ふ。此の御を、同音の麻にも轉じて、眞金・眞心・眞清水等、美稱[ほむる]方ともなり、又た母[も]にも轉じて、六合之中心[くにのもなか。『神武(天皇)紀』]・天之中央[あめのもなか。『天武(天皇)紀』]・御堂のもなかに舞臺ゆはせ[『榮花物語』]なども云へり。而して此の御名の御は、實語の御にて、滿の意なり。故に御中を續きて、阿米の周圍の内を遺る所なく、全くと云ふ意となる。

 主とは、領[うしはく]を云ひて、廣く大きく領[しむ]るを云ふ[領くは、『古事記』上卷に、「汝がうしはける葦原中國者云々」、『祝詞式』に、「山川の清地に云々、吾が地とうしはき坐せと」、『萬葉』五に、「うなばらのへにもおきにもかむづまりうしはきいます」、同九に、「この山をうしはく神の云々」等、例多し。其の有斯[うし]は、『神武紀』に、「大人、此をうしと云ふ」とある如く、大なる意。波久[はく]は、佩に同じく、我が有とする意なり]。

 此の天之御中主と云ふ言を、取統[とりす]べて云はゞ、天地間、大虚空の中を、悉く領き坐す意にて、凡そ天地間に在りとある神羅萬象の元素は、皆な此の神徳より出て、御靈の寓[やど]らぬはなし。例へば動物の心經の本は、腦髓の内に在りて、其の末の身體中に彌綸して、至らざる所なきが如し。


【はゆまつかひ樣『堀秀成翁・醜能御楯』】
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t26/l50



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○玉之屋宮地嚴夫大人『上園實久氏「神名臆斷」序』(大正二年二月・會通社刊に所收)

 靈幸ふ神の御名はしも、神代に名づけ奉れるより、三栗の中津代を經て、今に傳はれるものにしあれば、上代の詞のまゝにて、石上、古言學を爲さらむ人には、解き得べくも有らねば、其の御名は稱へながらも、如何なる神とも知り得奉らで在るか、少なからざるは、慊たらぬ事とぞ云ふべき。然るに本居・平田の二大人出でて、『古事記傳』・『古史傳』を始め、數多の書どもを著はされ、菅の根の、ねもごろに説明されたれど、何れも浩瀚の書なれば、急がはしき今の世人には、讀むべき便りを得ざるが多かるべし。爰に上園實久ぬしのものせられたる『神名臆斷』はしも、要と『古史傳』の説に基づき、『古事記傳』を始め、多くの書等をも參攷して、其の神の御名をら、巨勢山のつらゝゝ、椿つらゝゝに、説き辨へられたれば、此の書をだに繙かむには、眞澄の鏡、まさやかに、知り得らるべきは、こよなう愛でたき書になもありける。此の度び其を印刷に附し、世に公にせられむとして、余に一言をと乞はれたるを、固よりめづべき此の書のことゝて、いなの笹原、いなむよしなく、打ち出でらるゝまゝを、其のはしに、斯くなむ。
 大正元年十二月二十三日  掌典從五位・宮地嚴夫



●上園卜部實久翁『神名臆斷』卷一・阿ノ部・上より

天之御中主神[アメノミナカヌシノカミ]、北極紫微宮に、無始よりまします神なり。

 「天」は、師説[師説とは、平田(大壑)大人の説を云ふ。下、此に效へ]の如く、北極紫微宮、其の眞區[まほら]にて、此の蒼々[あをゝゝ]として、上下四方、都て圓形に圍成せるが如く見ゆるところの疆界を云ふ(★註)。名義、アは、彼[あ]にて、物にまれ事にまれ、現れ在るを指して云ふ。メは、聚[むれ]の約にて、天の聚々圓々[むらゝゝまろゝゝ]と見ゆるを云ふ。

 「之」は、成終言にて[成(な)と之と通音]、二言の間に成し持てにをはなり。かれ何所ノ人と云ふべきを、何所ナル人など云へり。ナルはニ在の約なるが、其のニ、則ち通音なり。

 「御」は、滿定言にて、其の滿ち定まるより動くことなき、眞實[まこと]の眞と同意なり。

 「中」は、天地の初發、牙[かび]を含める所を云ひしが、中といふ語の起れる始めにて、成所[ならか]なり、滑所[ぬらか]なり[成・滑、共にナと約る]。所をカと云ふ語の意は、カは堅く慥かなる語なれば、其の所と慥かに指す意なり。

 「主」は、ノウシの約と見る説は、いかゞ。ヌは、總てナニヌネノの五音成る義にて、成るは寄る意なり。物相寄らずは、成る理なし。かれ連ヌる、貫ヌくなど、寄せ統ぶるを云ふ。シは、締まり鎭むる意なり。總て事物の主たるものは、事物を取締り鎭め寄せ統ぶるものなれば云ふ。

 「神」は、牙と同語にて、其の牙は、天日となれる物なるが、カはクラの約にて、其の牙の地中に凕涬[くゞもり]ながら、旋々[くらゝゝ]と旋[くる]めけるを指せる言にて、カと約りては、彼此の彼の義をなせり。ヒは、フリの約にて、牙の奮々[ふらゝゝ]と奮り動けるを云ふ。然るからに事物の奇すしく妙なるを奇靈[くしび]と云ふは、其の活動の奇妙なるを稱する意にして、轉[うつ]りては、只だ其の徳を稱することなれり。

 さて神は、此の牙と同語にて[カム・カブなども云ふ]、カは彼、ミはヒの轉りにて、轉りては滿定言となりて、眞實[まみ]などの意となり、眞實とは、何にまれ動き移らず、堅く慥かなる事物を指して云ふことなれば、萬物の主と云ふ事となれり[主たるものは、堅く慥かなる意味あり]。されば神は、彼奮[かぶり]にて、其の活動の奇靈なる徳を稱へたる語と見てもよく、亦た彼實[かみ]にて、萬物の主、天地の實物と云ふことと見てもよし。


★註。磐山友清歡眞大人の曰く、「平田先生が、北極紫微宮高天原説を唱へられたのは、實に平田先生の驚くべき功績で、幽の歸神に非ずんば、誰れか之をあきらめ得べきと思はるゝ」と。



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【參考・石原藤夫博士『甲類・乙類とは何か』】
  ↓↓↓↓↓
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/kouotu.htm
 

  • [5]
  • 高天原は、神魂の故郷なり矣。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2010年 4月13日(火)00時29分59秒
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●皇大神宮主典兼中講義(至大講義)・藤園山口傳兵衞起業翁『神典採要通解』卷之一(明治七年七月官許・神宮教院藏版。山口起業翁『合册・神典採要通解』平成二年六月・山雅房刊に所收)に曰く、「


[皇大神宮少宮司兼少教正・正七位(至宮内省御用掛)・改亭浦田土佐長民翁謹輯『神典採要』――明治六年十一月官許・神宮教院藏版に曰く、]
【古へ未だ天地有らざるの時、神聖有り焉。大荒に生ず。其の始めを知る莫し。】

[山口藤園翁演義『神典採要通解』に曰く、]
 『(日本書)紀』・『(古事)記』・『(古語)拾遺』に由る。『古へ未だ天地有らざるの時』は、太古、天地無形の時を云ふ。『神聖有り焉。大荒に生ず。其の始めを知る莫し』は、神聖は造化の三神、大荒は天地無形の際をいふ。造化の神、無形の際に生じ玉ふ。其の始め、至遠にして知られざるを云ふ。


【名を天御中主尊と曰ふ。次を高皇産靈尊と曰ふ。次を神皇産靈尊と曰ふ。】

 『紀』・『記』・『拾遺』を參取す。彼の渾沌の中に化生したまへる神聖は、則ち此の三神なり。天御中主尊の名義は、天の眞中の主の義にして、其の徳、天空(おほぞら)に充滿して、萬物の元素を作りたまふを稱(たゝ)へたるなり。尊は至つて貴きの稱なり。『紀』に、『至貴を尊と云ひ、自餘を命と云ふ』とあるに由る。此の下、皆な此の例に由る。高皇産靈尊・神皇産靈尊の、高皇と神皇とは美稱にして、産靈は結びの義なり。其の徳、天御中主神の統べたまふ、天の眞中の精靈の氣を凝らし結びて、神魂を生じたまへるを稱へ奉るなり。神魂に、結ぶの義あるは、魂の字を牟須比と訓じ、又た鎭魂祭に、魂結びの式あり。又『奧儀抄』に、人魂を見る時の厭勝の歌を載せて、『結び止めする下がひのつま』と詠めるあり。是れ其の證なり。又『結ぶの神ぞうらめしき 強面(つれな)き人を何造りけむ』と詠める歌の意も、何ぞ如此く強面く薄情の神魂の人を結び造りけむと、怨めるなり。又た露氷の類に結ぶと云ふも、凝り結ぶの義にして同意なり。


【實に造化の元始也。】

 『記』の序に由る。上の三神は、實に天地萬物を鎔造化生するの根元本始に坐すを云ふなり。


【然して後ち清陽の氣、漸く開けて、天と爲る。之を高天原と謂ふ。】

 『紀』・『記』の意を採る。彼の造化元始の三神の徳に由りて、清明純陽の元氣、漸く開闢して、神界となる。之を高天原と云ふ。名義は、高天は天空を指す。原は廣く平らかなるの意なり。三神、混沌無形の中に化生したまひ、其の靈妙不測の神徳に依りて、始めて神界なる高天原を作りたまふ。此こに於て天たるもの、始めて其の形あり。此の高天原は、次ぎて出生したまふ八百萬の神等の神留まりまして、各々其の徳を施したまふ本界にして、人の神魂より國土・山川・草木・禽獸・蟲魚、其の他萬物に至るまで、其の本始を推せば、悉く此こに成り、此こに出でずと云ふことなし。就中く神魂なる者は、此こに出づる靈物中の靈なる者にして、其の妙用、測る可からず。

 蓋し神魂の去就に於て一定の常規ありて、一旦、體を下土に受くれば、天神、之を賦與して肉體に宿せしめ、天命の本分を盡さしめ、其の事を終れば、復た天上に歸着し、生涯の功過に應じて福祉定まるなり。此の理に於ては、天壤と共に變易なき所なり。此れを卑近に譬ふれば、高天原は神魂の故郷にして、體を下土に受くるは、其の故郷を出でて、他邦に就て生産を營むが如し。而して其の功業終りて、再び高天原に歸着するは、其の修し得たる餘福を保ち、故里に歸り、闔族、之が爲めに安寧快樂を得ると同理にして、此の界に出でて、復た此の界に歸るは、直ちに故郷に歸るのみ。更に多言の比諭證據を引くに足らず、明々昭々たるの常理なり。天子の崩御を、加牟阿賀利萬須と稱ふは、神魂、高天原に歸り上りますの義にして、神魂復歸の實理より出づるの稱なり。而して臣民に於て之を云はざるは、其の稱を混ずるを諱避する者にして、本理は皆な等しく天上に歸着せずと云ふことなきなり」と。

  • [4]
  • 至清至明、至大無外、至小無内、靈妙不可思議の大神徳。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2010年 4月11日(日)18時09分13秒
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●宮地嚴夫掌典『外人の問に答へたる神道』(明治四十一年六月、英人ゴルドン夫人に對する講義。九月、華族會館に於ける講演。大正元年十一月・會通社刊)に曰く、「

 扨て其の神の事で有りますが、基督教國にて、尊ぶ所の神は、特一神と申して、神は御一方に限りて、其の外に神は無きと申す事に成つて居ります。我が神道の神は、此れと聊か其の説が違つて居ります。神道の神には、主宰の神と分掌の神とが有りまして、主宰の神の上より申さば、一神で有りますけれど、分掌の神の上より申す時は、八百萬の神と申して、頗る多くの神が有ります。之れを總合して申さば、一神にして多神、多神にして一神と申す譯にて、例へば此の現世に於て、一君主にして億兆の臣民を統轄し、億兆の臣民にして一君主を奉戴して居ると、其の道理に於て、少しも違ひの無き、實に秩序の整然たる神で有ります。‥‥

 扨て其の主宰の神は、一神で有りますれど、又た其の神徳が分れて三神と成りて在らせられます。故に之れを造化の三神と申します。先づ其の主宰の神の御名は、第一に天之御中主神と稱(まを)し上げます。此の御名の意義(こゝろ)は、天の眞中の主の神と申す譯にて、此の宇宙の中心に御座(おいで)なされて、宇宙の全體を統轄し在らせらるゝ神と申す意で有ります。次に高皇産靈神・神皇産靈神と申し上ぐる、御二方の神が在らせられます。扨て此の神の御名の意義は、高皇産靈神の高は、健(たけ)く高く進み行く皇産靈神と申す譯にて、此れは宇宙の中心力と座します天の眞中の主の神より、宇宙の外に向ひて遠く放れ健く高く進みて、膨張する神徳が有る、其の神徳を主る神で在らせらるゝより、斯やうには稱し上げ奉りしもので有ります。また神皇産靈神の神は、カミシメル皇産靈神と申す譯にて、此れはまた此の宇宙の外面より、其の宇宙の中心力と座します天の眞中の主の神を求めて、カミシマリ收縮し來る神徳が有る、其の神徳を主る神で在らせらるゝ故に、斯やうには稱し上げ奉るのであります。斯やうな譯にて、此の天地宇宙の間に、所在(あらゆる)一切の森羅萬象は、皆な此の御三方の神の中心たり、遠心たり、求心たる靈徳の作用に因つて、生々化々して盡きざる物と成りて居りますより、世界の一切萬物、總て此の靈徳に洩れたるものは有りませぬ。ソコデ彼の理學の原則の、中心力・遠心力・求心力と申すも、實は此の天之御中主神・高皇産靈神・神皇産靈神の御三方の御靈徳が、一切の事物に具備して居らざるもの無きが、眞理の上に顯れたるを、理學の原則とは申すと見えます」と。



●磐山友清歡眞翁『神道古義』(昭和四年五月講演。神道天行居版『全集』卷二に所收)に曰く、「

 アメツチノハジメノトキは、『天地初發之時』と書いてあり、其のため、古來いろゝゝの議論がありますが、これは要するに「世の始め」とか、「世界の始め」とかいふ意味に外ならぬのであります。『高天原』は、タカマノハラとよみます。わざゝゞ其の下に、『天を阿麻とよめ』と古訓が註記して傳へてあるから、タカアマハラとよまなければならぬと主張する人があり、タカアマハラの六言を、一言宛むつかしく解釋して、奇怪なる説を立てる人たちもありますけれど、阿麻と古訓があるのは、高天原をタカメノハラとよませぬための注意で、タカマノハラとよむのが正當と信じます。『成りませる神』は「生りませる神」の意ではありますが、併し普通の意味における發生といふのと異なり、いつからナリマセルといふことなしに、おのづからに、始めの始めの始めから成りませるといふ意味であります。高天原といふのは、天津神たちのまします神界を申すので、北極神界(愚補、天津眞北の高天原)をも、太陽神界(天津日の高天原)をも申すは固より、天上にある色々の神界(成層圏内――日本上空なる特定の高天原。宇内神界の中府)を申すと同時に、廣い意味に於ては、茫々たる大宇宙を申す場合もあります(竝びに、宮城の高天原を申す)。

 『天之御中主神』、これは宇宙根本の神樣でありますから、俗にいへば、宇宙精神とでもいへば、稍や其の神徳の一面を言ひ現はし得るかと考へられますが、併し宇宙精神を神格化したものが、天之御中主神であるといふやうに、普通のモノシリが解するやうに解釋すれば、いかにも學術的で、謂はゆる知識階級の人たちを承諾せしやすいので、多くの神道學者の御意見も、要するに左うなのでありますが、これは飛んでもない邪解で、天之御中主神樣は、そんな眼も鼻もない、靈氣とでも言つたやうなものでなく、一柱の神として人格的に嚴存し給ふ、至靈至妙の大神で、天津眞北の高天原、すなはち北極紫微宮の中央の宮殿に大坐します神樣であります。この大神の御神徳は、人類は固より森羅萬象、世の中の一切のものに表現して居りますので、この机も此のコツプも此の鉢の草花も此の友清といふ人間も、天之御中主神樣の神徳の表現とみることは差し支へないのでありますが、それならばと云つて、此のコツプが天之御中主神だ、この友清は天之御中主神だ、この机も此の机を造つた大工さんも同じものだといふ風になれば、「悟つたつもりの迷ひ」で、世の中のモノシリの大部分は、此の病氣に罹つて居りまして、しかも隨分な重態に陷つて居るやうであります。天之御中主神といふ御名を以て稱へ奉るやう、神傳へになつて居ります意味は、『アメノ』は、單なる美稱尊稱でなく、この大神の場合に於ては、「大宇宙の」といふやうな意味が濃厚に含まれてあることは、無邪氣に神典を拜讀すれば、誰にもわからねばならぬ筈であります。『御中』といふことも、單に中心といふやうな意味でなく、中心だけの意味でなく、「統べてを統一せる中心」といふ意味であります。でありますから、「中心より統制せる總て」といふ意味があります。『ヌシ』といふのは、多くの先輩も言へる如く、「ノウシ」の約れる語で、之大人といふ意味(磐山翁『山姥乃穴』第九則に曰く、「ウシはウチの轉音なり。ウチとは大靈なり。氏の語も、これに出づ」――『全集』卷六)で、宇宙を主宰(ウシハキ)ませる大神といふ意味であります。‥‥

 天之御中主神の御神徳は、只だ至清至明なものであります。至清至明なものは、我々の認識にあづかりませぬが、ミムスビの神の生成が働いて、始めて山は高く水は長く柳は緑に花は紅に、紋理が表現して參ります。けれども其の紋理も、本來、至清至明なもので、認識にあづからない性質のものであります。山は高きがまゝに、水は長きがまゝに、柳は緑なるがまゝに、花は紅なるがまゝに、森羅萬象、そのまゝに、あるがまゝに、至清至明なのであります」と。


●磐山友清歡眞翁『春風遍路』(昭和二十一年五月。『全集』卷五)に曰く、「

 『かみ』といふ言葉の、本來の根本的の意味は、何とも彼とも言ひやうのない、靈妙不可思議の尊崇すべき對象に向つて放たれた、嘆美畏敬の言葉であつて、今から六百年前に、檜垣常昌が、『神の神たるは、天地に先だつの神、道の道たるは、乾坤を超ゆるの道』といつたやうな模樣のもので、この常昌の哲學的表現は、印度か支那の借りものであるとしても、其の意味するところのものは、古傳である。天地に先だつの神だから、どうにも斯うにも、其の恰好を紹介することが困難である。別のいひかたをすれば、其の第一の根本の「かみ」なるものは、即ち天之御中主神である。天地初發のときに高天原になりましたとは、表現技巧であつて、天地に先だつ神を瞼に描いて書いたものであることは申すまでもない。アメノミナカヌシノカミといふ神名を詮じつめると、「ナカ」といふことが問題になるので、それについて諸家の説もあるが、この中といふのは、單なる物の中心といふやうな意味ではないので、これを禪的表現にするならば、『狗子無佛性』の「無」に相當し、むろんそれは有無の無ではないのである。これは決して私の一家言ではなく、鈴木重胤も、天之御中主神の中を『無處(ナカ)』と解して居るのである。

『さてその中の無なる證は、先づ一尺のものの眞中は五寸なり。此の外よりみて中有ると、其の物の内の自然にし中なるとて、中の位はあるを、其の中といふもの、形質にあらず。ただ事中に具はれるのみなり。然れば其の一尺の中を捉へむとして、其の中央の五寸に割けば、中の位、二寸五分の眞中に居るなり。如此く幾千々に割くとも、終ひに中の捉ふることなく、捉ふることなけれども、中あるなり。此れより經にも緯にも云ふことと成りて、上と下との間をも中と云ひ、物と物との間を中と云ふは、共に有にして中を無と云へるなり』

と説いて居る。なんだかヘーゲルの無(ニヒツ)の講釋のやうな氣分もあつて、少しどうかとも思ふが、ともかくも今から百年前(弘化三年執筆の『神代眞言』)に於て、これだけの説明をやつて居るのは偉とすべきであると思ふ」と。

  • [3]
  • 全智全能の大神。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2010年 4月10日(土)18時54分49秒
  • 編集済
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~承前~

 或る人の問ふ、「天之御中主神の御名の義の事は、今ま子(そこ)の説(い)はれたる言にて善く聞えたるを、さりとては、此こに疑はしき事なむある。然れば今ま試みに問はむ。此の大神は、純善たる神に座しますか、純惡なる神に座しますか、將た善惡混沌たる神に座しますか。此の天地を創め給ふからは、善吉(よ)き事のみにて、凶惡(あし)き事は無きやうにし給ふこそ良からめ。また縱令(よし)や世間(よのなか)なる枉事は、鈴屋大人、及(ま)た子が師の説き給へる如く、禍津日神の御心にまれ、魔神の所爲(しわざ)にまれ、其の禍津日神や魔神などは、誰が御魂に因りて、誰が造り出たるぞ。天之御中主神には座しまさずや。善き事を行ふを天理(かみのこゝろ)とせば、惡しき事を行ふも、亦た天理とせむ。此の理、いかゞ」。

 重石丸の答ふ、天之御中主神は、純善なる神に座しますこと、云は卷くも更なり。されど今ま此こに心得おくべきこと有り。さるは戎人も、人身を小天地と云へる如く、先づ己れが身に立返りて、御中主神の御上を想像(おもひや)り奉るに、喜・怒・哀・樂の大御心の、固より大御體に具はり在らせらるゝこと、云ふまでもあらず*[是は風・火・金・水・土を始め、宇宙(あめつち)の間に有りと在らゆる萬の物の理は、悉々に此の大神一柱の大御上に具へ給へると同じ道理(ことわり)なり]*。其の喜・怒・哀・樂の情(みこゝろ)、即て善・惡・吉・凶の端となりて、世の中なる禍事は、千差萬別、これによりてぞ起りける*[熟く思ふべし、善く想ふべし。本居大人の『玉鉾百首』に、「動くこそ 人の眞心 動かずと 云ひてほこらふ 人は石木(いはき)か」と詠まれたる如く、喜・怒・哀・樂の情の動く事は、神も人も同じと知るべし。然るを喜・怒・哀・樂の情の動くを、吉・凶・善・惡の端と成るとて、其を非(ひがこと)也と云はゞ、夫れこそは木石(いはき)にして、人とは云ふべからず。神の御上に、さる道理あるべくもあらず。猶ほ下に云ふを見よ]*。されど其の喜・怒・哀・樂の情と云ふが、即て純善なる御心性(みこゝろ)の驗しなり。さるは喜びと樂しみとは、善き事に屬(つ)くなること、論ふまでもあらぬを、怒りと哀しみとは、元來(もと)喜びと樂しみとが本性なる故に、其の本性に反したる事のありて、其を怒りもし哀しみもするにても、其れとは察らるゝなり*[其は人の性情を以て、神の御上をも準へ想ふべく、神の御上より推及ぼして、人性の純善なる謂れをも準へ察(み)るべし。人は神より出たる物なれば、素より然か在るべき道理なり。

○或ひと問ふ、「人に喜・怒・哀・樂の情あるを、性の純善なる驗しと云はれたるは、然る言なるを、或は人の物を盗み、人の妻女を奸(おか)す者あり。是は喜・怒・哀・樂の情の外なるを、さる事する者、まゝ有るは如何に。戎人も、「色・食は、性也」とも、「飲食男女は、人の大慾存せり」とも云へり。然れば是れをしも、純善の性と云ひて可からめや、いかゞ」。答ふ、盗みをするも、色を好むも、悉々人性純善の験しなり。然るは人、誰か富貴を欲(ほ)りせざらむ。又た誰れか子孫繁榮を欲りせざらむ。是れ天之御中主大神の好生之徳を被賜(たば)りあればなり。斯くて不義の富貴を貪るを盗と云ひ、不義の色を好むを淫と云ふ。盗と淫とは、所謂る好生之徳の末弊にこそあれ、義に合へる富貴と義に合へる色とは、大神の許可し給へる大道なるをや。然れば其の末弊と云ふも、云ひ以て往けば、魔神に率(まじこ)られたる者ぞかし。其は下に云ふを見よ]*。

 然はあれども、其の或は哀しみ、或は怒れる、其の怒哀の常節を失へるより、甚(いみ)じき凶禍(まがこと)を引出す事なれば、是は純善なる御靈魂の中に雜りたる禍魂(まがみたま)とぞ謂ふべき*[此れより及ぼして、宇宙間なる萬の事物に、惡事の雜らでは得有られぬ理も、此の義に外ならずと察るべし]*。此の魔魂は、天之御中主大神の、大御身の中に具はり有りて、己れ命(みこと)も、素より其の禍魂なる事は、知食(しろしめ)して在るなり*[其は、人の上を以ても考へ見よ。喜・怒・哀・樂に就て、其の節を失へるより、甚じき過失を爲出づるを、誰が教訓ふると無しに、遂には其の本心に立復りて、自ら其の惡しき事を知る物ぞ。盗賊、或は火付など爲たる惡奴にても、首を斬らるゝ時に至りて、冤罪(つみなし)と思ひて刑を受くる者は無きぞかし。是れ天之御中主神の純善なる御靈魂を被賜り在ればなりけり]*。

 故れ大神の、天地を創造り給ふ時に當りて、己れ命の禍魂を分魂(わけみたま)として、豫美津國に鎭め令座(ませ)奉り、顯世(うつしよ)なる人に率らせじと爲給へるなり*[豫美國の事は、下に論ふべし。偖て己れ命の禍魂を分け給ふちふ事を疑ふ人も有るべけれど、是は大國主神、「皇美麻命の將鎭(しづま)り坐さむ大倭國」と白して、「己命の和魂を八咫鏡に取り託けて、倭の大物主櫛□[瓦+長]玉命と名を稱へて、大御和の神奈備に坐せ。己命の御子・阿遲須伎高孫根命の御魂を、葛木の鴨の神奈備に坐せ。事代主命の御魂を、宇奈提に坐せ。賀夜奈流美命の御魂を、飛鳥の神奈備に坐せて、皇孫命の近き守り神と貢り置きて、八百丹杵築宮に靜まり坐しき」とある例をも想ふべし。彼れは己れ命の分魂を、天神の御子の近き守神と分け給ふなり。此れは御中主大神の禍御魂を分魂として、人に率らせじと分け給へるなり。此の分魂の例は、外にも數多あり。合せ考ふべし]*。

 斯くて己れ命の純善なる御靈魂を以て、八百萬千萬の神をも人をも造り出で給へれば、其の御靈魂に因りて、生(あ)れ出づる神も人も、各々純善なる靈魂を具へて在ること、是れ亦た理の至極みと謂ふ可し*[かゝれば世には、惡神・惡人は、更に無き理なり]*。然はあれども、大神の、既に禍魂神を生(な)し給へる上は、己れ命の御心にも任せ給はず、其の御荒び給ふ時は、神も人も、其れに率られて、更に如何とも爲給ふこと能はず。是は譬へば、衆々の善き兒の中に、偶々惡しき子の在れば、其の惡しき子に誘はれて、善き兒も惡事を爲出づるを、父たらむ者の、其を如何ともすること能はざるが如し。

*[世に生れ出づる神と人とは、此の善き兒と心得て在るべく、分魂なる禍魂神は、善き兒を誘ひ導きて、過惡に陷らしむる、こよなき惡しき子と心得べし。或ひと、予を難じて云ひけらく、「天之御中主大神の、惡しき子を生しませるとしては、いかでか大神を、純善なる神と云はむ」と云へるに、答へけらく、天之御中主大神の御魂は、□[金+肅。くも]り無き正宗の劍の如し。其の禍魂を分魂として、豫母都國に置き給へるは、正宗の劍の、己が身體を傷つけむことを恐れて、預め其の害を防ぎて、此れが用心を爲給へるなり。いかに知慮深遠なる御所爲にあらずや。世の人、天之御中主大神の御心を心として、善く正宗の劍を用ひなば、其の利有りて、其の害、無かるべし。且つ汝、己が身に立復りて考へ見よ。汝が靈魂は、御中主大神の靈魂なるぞ。汝は獨を愼みて、惡しき事は爲まじ、怒る事有りてば、怒りを和めてむとなど、種々に心配(しら)ひするに非ずや。是れにて天之御中主大神の、惡しき子を豫母都國に鎭め坐せ奉り給へる、純善なる御心の程は、いと善く窺ひ察(し)らるゝに非ずや。

 或ひと、又た予を難じて云ひけらく、「天之御中主神の、善き兒の、惡しき子に誘はれて、惡しき事を爲すを、如何ともすること能はずといはゞ、いかでか大神を、大神とするに足らむ」と云へるに、答へけらく、是れ亦た汝が身に立復りて考へ身よ。汝に數多の子あらむに、其が惡しき事を爲ば、汝が心の任(まゝ)に、賞罰を行ふにあらずや。然れども汝が知らぬ陰善・陰惡は、猶ほ其の賞罰を逃るゝ事も有らむ。然るに御中主大神の賞罰は、如何に逃るとも、遁るべきやうなし。彼の元惡・大□[敦+心。たい]に至りては、遂に豫母都國に神逐ひ逐ひ給ふべき御掟さへあれば、深く恐るべく愼しむべき事ならずや。況して今ま顯世(まのあたり)、皇美麻命の知看す信賞必罰も、御中主大神の御掟の外ならぬをや。然るに汝、妄りに「大神を、大神とするに足らず」など云ふは、いとも畏き狂語(たふれごと)ぞも]。*

 されば如此く善き者・惡しき者ある上は、所謂る賞罰の權(わざ)以て、是れを糺さゞること能はず。牢獄(ひとや)など云ふ物を造りて、惡人を禁(いまし)め置く事の如く、豫母都國ちふ穢き國を造り出で給へるは、先づ第一に、惡しき子と座す禍魂神を、其れに栖ましめ、將た其れに率られたる惡神・枉人をも、神夜良比夜良比給ふ御規則と窺ひ察られたり*[外國にて地獄ちふ、いと畏き處ありて、罪人の魂の往きて苦しみを受くる由。種々の説あれども、其は何處とも知られず。是は全く豫母都國の故事を訛り傳へたる事、疑(うつ)なし]*。但し人は、一度び牢獄に入りては、牢獄の外なる人を誘ひて、惡しき事を爲さしむること能はざるを、禍魂神は、豫母都國に座し坐し乍(つゝ)も、其の魔御魂を顯國に通はして、枉事を爲し給ふ。是れ神と人との異なる處なり*[若此く云ふ所以は、御門祭、また道饗祭などの祝詞を見て知るべし。○偖て上文のごと作文(か)きて、後に熟く思へば、禍魂神の、豫母都國に座し坐し乍も、其の魔御魂を顯國に通はして、枉事を爲し給ふは、譬へば牢獄に入りたる人の、動(と)もすれば牢獄を脱れ出て、他(あだし)良き民を誘ひて、惡しき事を爲さしむるが如し。斯在れば、實は神も人も、道理は同じきなりけり]*。

 然らばさばかり天之御中主大神の、純善なる御靈魂を幸ひ給ひて、生れ出たらむ人の、禍神に相率り相口會ふは如何にと云ふに、是は譬へば、豫母都國なる禍神の御魂は火の如く、顯國なる人性は硝藥の如し。一とたび喜・怒・哀・樂の情、動けば、忽ち彼の國の御魂の通ひ來て、動もすれば彼の御魂の火に燒かるめり*[諸越人も、「同氣相求め・同聲相應ず」と云へるは、實にさる言にて、神も人も、元來は天之御中主大神の御魂を蒙りて生れ出れば、然るぞかし。されば大神の禍魂を、豫母都國に分け置き給ふとは云へど、實は大神の御魂は煙焔の如く、此の宇宙間に充滿(みちゝゝ)たれば、荒魂・和魂の混沌(おぼゝゞ)しくして、其れと慥かには分け難き由縁あり。其は一人の身に取りても、荒魂・和魂の二つにして、一つ一つにして二つなるに思ひ合せて默契(さと)るべし。斯かれば顯國なる人草の、彼の國の魔魂の火に燒かれ、率られ易きも、宜べなる理なりけり]*。

 然かはあれど、「然ばかり天地を創造し給へる程の全智全能なる大神の、魔神を造り出で給へるは心得ず。魔神を造り出で給へるは、生出(つく)り給はざるの勝れるに如かず。また縱令(よし)や造り出で給へるにもせよ、人をして其れに率られぬやうに、制(か)ち給ふ神力(みちから)の座しまさぬ理やあるべき」など、難(とが)めいふ人も有りなむか。されど其は猶ほ未だしき心なり。さるは右に論ひし如く、此の大神は宇宙の總主宰にして、萬事萬物の大御祖にし座しませば、此の世に在りとあらゆる、喜・怒・哀・樂、吉・凶・禍・福、善・惡・邪・正の類まで、悉々に大御體の中に具有(そな)へ給へること、勿論なり。さればさる魔神を造り出で給へるも、實は御神徳の廣大なる處にして、更々難め奉るべき事にはあらず。さるは鈴屋翁の「動くこそ 人の眞心 動かずと いひて誇らふ 人は石木か」と云はれたる如く、喜・怒・哀・樂の心の動くは、神も人も同情なり。然るを如(も)し動くを非(ひがごと)とせば、穴な畏こ、此の大神は、所謂る木石にして、無情なる物とせむか。さては天地は、有りても無きに齊(ひと)しく、世間(よのなか)の道は、空といふ一字に歸(お)つめり。さる道理は、固より有るべくもあらぬをや*[其は魔神を造り出で給ひて、夫れに率らせじと、深く御心配びし給へる、大神の大御心の程は、上にも下にも論へれば、合せ考へて、然る所以の故を悟るべし]*。

 故れ世に魔神ありて、人の其れに相率り相口會ふを、大神の暫時(しばし)おほろかに許可し給ふと見ゆるは、全智全能に闕けたる所あるが如くなれども、是は別に深き由縁ありて、大神の宇宙を創造し、天地を經營し給ふ、所謂る造化の無盡藏の穴とぞ、窺ひ奉らるゝ*[全智全能の大神にして、魔神てふ物を造り出で給へるは、一とわたり闕失の如くにも思はるれども、實は闕失にあらずて、無盡藏の穴ともいふべき、造化の大工夫にしあれば、全智全能の御神徳は、是れにても益々顯れ給へるに非ずや]*。

 是こを以て凡て世間には、禍事・惡事相雜りては有れど、其の破局(をはり)を要(たづ)ぬるに、悉々に善に歸せずと云ふこと無し。其の一二を云はゞ、此の疾あれば、此の藥あり、此の惡あれば、此の刑あり。禍津日神有れば、直日神おはし座して、其を直し給ふなり。されば人は、一旦無盡藏の穴を出入して、時ありては魔神に相率り相口會ふとも、宇宙を總括し給ふ造化大神の、四方八隅(よもやも)に千綱五百綱、うち延(は)へたる如く、張り出し給へる天網にしあれば、所謂る恢々疎にして失(たが)はざるの理にて、終ひには誰一人として、大神の大神律(おほみおきて)に洩るゝこと能はざる物と知るべし。此れに因りて畏み畏みも、謹んで猶ほ熟々大神の宇宙を鑑臨し給ふ、幽政の大御上を想像り奉るに、顯幽かけて福善禍淫の報の、萬古一定、動かざる事は、譬へば磁針の如し。其の純善なる本つ魂は、南北を指せる針にして、其の禍魂の動くは、東西に狂へる針の、暫時本つ位を失へるが如し。然れど其の針、必ず本の南北に復る期(とき)ありて、惡は遂に善に勝つこと能はず。是れを「天道は、善に福し淫に禍す」とは謂ふ也。いかに恐るべき事ならずや*[如此くいふ故は、上に御中主大神の、己れ命の禍魂を、豫母都國に分け鎭め坐さしめ給へると云へること、また魔神の御魂は火の如く、人性は硝藥の如しちふ説どもを、立ち復り見て默契るべし]*。

           喜怒    東
純         哀樂    │
  天之御中主神    北─┼─南
善         吉凶    │
           善惡    西

 斯かれば人たらむ者は、大神の、此の禍魂の、世の害と爲ることを、夙くより知看めして、豫母都國に分け鎭め座さしめ給へる大御心を心として、其れに率られじと、心を用ふべし。是れを神の御道と云ひ、人の道とは云ふなり*[漢籍『中庸』に、「喜怒哀樂の未だ發せず、之れを中と謂ひ、發して節に中る、之れを和と謂ふ。中和を致して、天地位し焉、萬物育す焉」と云へるは、眞の道に叶へる語なりけり]*。

 さて右の如く、神代に夙く禍神の出來らむ上は、如何なる人と云へども、其れに率られじとは、決(さだ)め言ふべからず。故れ天之御中主大神の御心として、大祓の式てふ禮あり。是れなむ、所謂る改過の法にして、誠に人道の大目的には在りける*[人の本性は、天之御中主大神の、純善なる靈魂を被賜りて生出づる物にしあれば、豫母都國より荒び疎び來る魔神に率らるゝを罪と云ひて、其を祓ひ清めしめて、善に復らしむる法は有るなり。譬へば玉は、固より曇りなき潔質なるを、動もすれば蠅などの飛び來りて、糞をまり懸けなどするを、洗ひ清めされば、遂には其の本つ光を失へるが如し。いかに尊く至れる御教ならずや。然れば人に荒魂・和魂など附き傍ひ居りて、車の兩輪あるが如しと云ふも、悉々に純善なる靈魂なり。御中主神の、豫母都國に分け給ふ御魂と、一同(ひとつ)に勿思ひ誤(まが)へそよ。猶ほ前文に云へる議論どもを合せ考へて、神の御魂の妙なる道理を悟るべし。猶ほ魔神の事は、別に論ふべし。いともゝゝゝ畏き御魂ぞも。穴な可畏こ]*。

 右、『天御中主神考』一册は、予が『古史傳備考』の中より、首篇を抄出したるなり。『古史傳備考』とは、故き先生等の説き置かれし事の、疑はしき節々を、予が新見以て、試みに記(か)き綴りたる書なり。偖て此の書は、未だ大成に至らざれども、今度び思ふ旨ありて、急(とみ)に首腦の篇のみを抄出して、上板するになむ。されば斯の書を讀まむ人、論難を起さまほしき件々も多からむを、其は『古史傳備考全書』の出づるを待ちて看るべし。

 明治五年壬申六月 渡邊重石丸しるす。


 官許
 明治六年五月
   遠藤家藏版
    製本所
  京師 菅廼舍池村氏



 渡邊豐城翁『天御中主神考』全一卷を謹書すること、件の如し。

  • [2]
  • 网之眞清明瓊主神。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2010年 4月 1日(木)18時47分56秒
  • 返信
 
天御中主神考

   豐前國中津・渡邉鐵次郎國前直重石丸、謹考。

 此の神の名義(みなのこゝろ)の、主(ぬし)を、『記傳』・『史傳』(愚案、鈴屋翁『古事記傳』・師の平田翁『古史傳』)に、「能宇斯(のうし)の切(つゞ)まれるなり」と説き給へるは、おのれ重石丸、いとゝゝ信(う)け難く思ふ由あり。さるは、此の天之御中主大神は、宇宙創造の眞宰にして、八百萬神・千萬物の元本御祖(もとつみおや)にし座しませば、天地の初發(はじめ)より大御名の座し々ゝけむ事は、云ふ迄もあらず*[名は生・成・熟・形・也(なり)などの本語にて、其の物の成就(なり)たる上にて、名ちふ物の有りけるてふ師説、思ひ合すべし]*(愚案、――*[云々]*――は細註なり。以下、之に傚へ)。

 然るを主(ぬし)字、能宇斯の切まりたる語としては、某之大人(なにのうし)てふ語、始まりて後に負ふせ奉りし御名の如と思はれて、名は生・成・形てふ言の本語と云ふに合(かな)はず。他の神々は、兎まれ角まれ、此の大神に至りては、天地の無かりし前より大座しまして、皇産靈二柱大神・宇麻志阿志訶備比古遲神・天之底立神をさへに造り生し給へるなれば、此の四神、御名ありて、其の本つ御祖たる大神には、御名無しと云ふこと、さる道理のあるべくもあらず。

 故(か)れ今ま重石丸、畏み畏みも愼みて考ふるに、主(ぬし)とは、決して能宇斯の切りにては有るべからず。奴斯(ぬし)の奴は、沼矛・沼琴の奴にて、玉なるべく、斯は、大刀自・宮主(みやじ)・水主(みづし)・主(あるじ)・村主などの主(じ)なるべく思はるれば、『奴斯』は、猶ほ瓊主(たまぬし)と云はむが如し。さるは師説の如く、玉はいともゝゝゝ貴き幽契(いはれ)のある物にて*[天瓊矛・天之沼琴・御頸玉の事に就て、委しき論あり。『古史傳』を見るべし]*、人の魂(たま)も、神の賜物なれば、『タマ』と云ふとあるごとくなれば、皇産靈大神の、伊邪那岐・伊邪那美二柱神に賜へる瓊矛も、其の根元(もと)は、天之御中主大神の御靈を添へて賜へる瓊矛なる事、論なし*[さるは、御中主の『ヌ』は瓊にて、瓊矛の瓊も、瓊主(ぬし)の『瓊』より出たる事と思はるれば、大に由縁あることなり]*。されば社(こそ)、其の瓊矛より、天地萬物は出來にけれ。是を徒に皇産靈神の御徳(みむすび)に由れりとのみ説かむは、猶ほ末の事なり。其の瓊矛の瓊も、即(やが)て御中主大神の御瓊なるをや*[是にて御中主神の御名の主の義(こゝろ)の瓊主なることをも、瓊矛の瓊の自出(もと)の因縁も、いとゝゝ奇靈に妙なるにあらずや。是れに就て熟々按ふに、名は邇と通音にして、瓊(に)の義なるべし。人を尊みて汝(な)といふも、先つ方を瓊として申せるなり。されば名は、生・成・熟・形などの本言とは言ひながら、天之御中主神の御名の瓊主が本にて、瓊より出たる事、炳焉(いちじる)し。さるは、瓊(な)・瓊(に)・瓊(ぬ)・瓊(ね)、みな通音にして、生・成・熟・形(なり)などの『利』は、後に添はりたる辭と思はるればなり。此の事、猶ほ下に委しく云ふを見よ]*。

 若此(かく)て主(ぬし)も主人(うし)も同言にて、同じ事なり。さるは『奴』と『宇』と通ひて云ひしことは、『ヌバ玉』とも『ウバ玉』とも云ふにて論無ければ、上古は『ヌシ』とも『ウシ』とも云ひけむ中に、『ヌシ』が本にて、其の『ヌシ』の根元は、天之御中主の『ヌシ』ぞ、本なりけむ。故れ宇志波久(うしはく)てふ言も、『ヌシハク』ちふ言にて、瓊主佩(ぬしはく)てふ義とぞ思はるゝ*[されば宇志波久は、大人波久の義にては有るべからず]*。其は如何にといふに、云は卷くは畏こけれど、天之御中主大神は、高天原に大座しまして、八百萬神・千萬物に御靈を賦(くま)り幸ひ給ふ、造化眞宰の大神に座しませば、瓊主てふ御名を負ひ給へるが、總體(なべて)の人・神の尊稱(たゝへな)にも爲り、また國にまれ物にまれ、己が有(もの)と爲たる物をば、主といふ事となりたること、更に論ひあるまじく思はるればなり。

*[さて神名なる豐斟渟神の渟も、瓊の義にて、瓊主てふことの略語なり。是を能宇斯の約語の『奴』としては、甚(いた)く後とも後なる世の詞を以て、稱へ奉りし事となりて、いかゞなり。これに因りて按ふに、宇比智邇神・須比智邇神の御名の邇も、瓊なるべく、また凡て神名に、根てふ尊稱あるも、邇奴の轉語にて、是も瓊主の義なること灼然(いちじる)ければ、根を名兄(なえ)の約言と云へる説はあらざりけり。偖て邇も奴も根も共に、天御中主神の瓊より出たる言なるが、世に瓊ばかり美麗(うるは)しき物の無ければ、神代より美麗しき物を指して、然か云ひけむ。彼の伊邪那岐・伊邪那美二柱神の、互(かた)みに「阿那邇夜志(あなにやし)云々」と詔へる邇てふ言、即ち其れなり。

○因みに云ふ。世に他(ひと)の物を奪ひ攘(と)るを『ぬすむ』といひ、さる事する人を『ぬすびと』といふは、瓊令失人(ぬうすびと)また瓊令失(ぬうすむ)の義には非ざるか。さるは世に瓊ばかり貴き寶の無ければ、夫より轉じて、人の所持(もた)る寶を奪ふを『ぬすむ』と云ひ、さる事する人を『ぬすびと』と云ふ事と爲りたるならむ。彼の賜物と云ふ言の、瓊矛より出でたる謂はれに考へ合せて、古語・古意を知るべし。]*

 されば大人も主も、共に假借字(かりもじ)にて、瓊主(たまぬし)の義なること炳し。扨て『ウシ』と『ヌシ』と通はし云へる例を猶ほ云はゞ、『書紀』に、繼體天皇の大御父を、彦主人(ひこうしの)王と申し奉るを、大人と書かずして、主人と書きて『ウシ』と訓み、『續紀』に、阿倍朝臣御主人(みうし)と云へる人をも、然か書きて、然か訓めるなどにても知らるゝなり*[然るを『古事記傳』に、奴斯にも之を添へて、某之主といひ、又たゞ主とばかり首(はじめ)に云ふなどは、みな後の事なり。『萬葉』十八・天平勝寶元年の歌に、たゞ奴之とあり。其の頃よりぞ、さる言もありけむ。また主の字を、宇斯にあてずして、奴斯に當てたるは、能宇斯と云ふよりも、約(つゞ)めて奴斯と云ひし言の、古より多かりし故なるべし。されど本を正して云はゞ、主の字ばかりは、宇斯と訓むべきことわりなりと解き置かれたるは信(うけ)られず。奴斯に之を添へて、某之主といひ、又たゞ主とばかり云へるなどは、總て古義に合へる事にて、決(きは)めて後のことにては有る可からず。『萬葉』に、たゞ奴之とあるも、古言なること、本文に云へる言どもに徴(あか)して悟るべし。また主の字を宇斯にあてずして、奴斯に當てたるも、主は能宇斯の切まりたる言にはあらずして、奴斯といひし言の、古より云ひ習はして、奴斯とも宇斯とも云ひし故にもあるべし。されば主の字ばかりを、奴斯と訓まむは、誠に當たれる訓にて、本文に論へる彦主人王・阿倍朝臣御主人などの例と、よくも合へりと云ふべし]*。

 偖て本居大人の説に、古に宇斯は、必ず某之宇斯と、之を加(そ)へたるに云ひ、奴斯は某主と、直(たゞ)に連ねて之を加へぬに(愚案、そ、と歟)云へり。飽咋之宇斯能神・大背飯之大人・大國主神・大物主神・事代主神・經津主神などの如し。また『書紀』に、齋主人を齋之大人と號(い)ふと見え、また丹波美知能宇斯王を、『書紀』には、道主王とある。是れ等を以て知るべしと云はれつれど、熟く按へば、『ヌシ』と『ウシ』と、本は同語*[同語とは、『ヌシ』は『ノウシ』の約語に非ざるを云ふ。『ヌバ玉』・『ウバ玉』は同言にして、『ヌバ玉』は『ノウバ玉』の約語に非ざると、同じ例なり]*なれども、『ノウ』は『ヌ』と、偶然(たまゝゝ)に約まれる語勢なるに牽(ひ)かされて、宇斯には之を加へ、奴斯には直に某主と連ねて云ふことゝ爲りて、さて後の世の意を以て是れを見れば、如何にも奴斯は、能宇斯の約言の如と思はるれども、本言は、決めて然には非ずかし。

*[其は上なる、天之御中主大神の御名の、瓊主の義なるに思ひ合せて辨ふべし。若在(かゝ)れば飽咋之宇斯能神・大背飯之三熊之大人など云へる類は、古に飽咋之主神・大背飯之三熊之主とも云ひけむが、偶然にさる名稱の脱(も)れて、後世に知らざりけむも、亦た知るべからず。其は後世に、奴斯にも之を添へて、某之主といひ、又たゞ主とばかり首に云ふなどを考へ通(わた)して、天地の神のいは令(し)むる、言靈の妙理を悟るべし。上古に云ひし古言の、中つ世に絶えて、反りて今の俗言に殘りたる例さへ、外にも數々有るをや。

○『古事記』師木玉垣宮の段に、旦波美知宇斯王と書きて、能の字無き處、二箇處あり。縣居翁も鈴屋翁も、延佳が説に據りて、能字を補はれたれど、予(まろ)が上文に論へる説より察(み)れば、決めて私事(さかしら)なるべく覺ゆ。斯かれば是れも、大人は主と同言にて、能を添へても云はざりし古語の、偶然に殘り傳はりし一證と謂ふべくや。是は試みに驚かし置くなり]*。

 さて右の如く考へ定めて、猶ほ熟々考ふるに、本居大人の御説に、凡て物の中間を中と云ふは、伊邪那岐大神の、中つ瀬に降り潛(かづ)きて、御禊し給へるより出でたる言にて、清明(あか)といふことならむと云はれたるは、誠に然る説ながら、是れも御中主の中が本にて、中つ瀬の中は末ならむと思ふ由あり。さるは中てふ言の本を中瀬より出たる言とせば、天之御中主神の御名の中は、御禊し給へるより後に負せ奉りし御名となりて、本末違へり。さる道理のあるべくもあらず。されば御中主の中は、本居先生の御説の如く清明にて、此の大神の、宇宙の造化眞宰と座しまして、其の御徳の六合至らぬ隈なく廣く大なるを稱へ奉りて、天之御中*[天は网(あみ)にて、御中は眞清明仰觀(まあかあみ)、或は青所見(あをみえ)より出たる言なるべし。二説の内、今定め難し。見む人、擇びねかし。さて阿麻牟・阿美・阿牟・阿米と活きて、网てふ物も、天の穹隆(かたち)に似たる故の名なるべし。天を网に似たる故の稱といひては、本末違へり。天之御中主神の大座し所は、最(いと)高き天(ところ)なれば、諸神等の阿米と詔はむは、然も有るべき事ぞかし。其は天神、太占(ふとまに)以て卜問(うらと)ひ給へる條にも、容易く御中主神には見え奉り難ければこそ、皇産靈神等も御心問ひ給へるなれ。此の理をも思ふべし。此の事、猶ほ別に委しき論ひあり]*と申し奉れるが、其の天之御中、即(やが)て眞清明くして、其の眞清明き眞區(ところ)、即て天之眞中央(みなか)なれば、中ちふ言の本は、是よりぞ出つらむ*[如此く見以て往けば、中瀬の中も、是より出たること、更に論ひあるまじくこそ]*。若在れば、天之御中主神と申し奉る御名の義を、總(ふさ)ねて申さば、网(あめ)之眞清明瓊主神てふことにて、天地萬物に、御靈魂(みたま)を賦(くま)り幸ひ給ふ、いと止む事無き、無上至尊の大神にまし坐すこと、いよゝゝ益々炳焉し。

*[本居大人及び故大人の御説に、天地萬物、悉く産靈神の御靈とのみ解き給へりしは、いまだ委しからず。さるは皇産靈二柱大神は、人身にて云はゞ、其の御徳、兩手の物を拮据經營するが如し。然るに大人等の御説は、徒に其の兩手の功をのみ稱へ給ひて、萬の事物、悉々に手の徳(はたらき)とぞ解かれたる]*。

 是れに就て猶ほ深く考ふるに、此の大神は、天の眞中央に座しまして、所謂る聲も無く臭も無く、無爲寂莫として、神典に、唯だ其の御名の見えたるばかりにて、何の御功徳も無きが如く御座しませども、景行天皇の大御詔に、「大倭の國は、行事を以て名を負ふ國也」と詔へる如く、此の大神の、瓊主てふ御名を負ひ給へるにて、其の天地萬物に幸ひ給ふ、御魂主なること、固より炳(しる)かり。故れ今近く人身に喩へて、猶ほ委曲に云はむに、天之御中主大神の、天に座しますは、譬へば靈魂の、頭腦に舍(やど)りたるが如し。さて其の靈魂は、頭腦に宿りつゝも、無爲寂莫にして、其の徳、眼・耳・鼻・口に如(し)かざるが如し。然れど眼・耳・鼻・口の、色を見、聲を聞き、臭を嗅ぎ、味を知るも、悉々に頭腦なる靈魂の幸ひを受けて然るなれば、實は彼と此と、中々に比倫(たくら)べて云ふべき物にあらず*[然のみならず、手の爪(さき)、足の甲(すゑ)、また背なる、耳目の及ばざる處までも、□[虫+幾]虱(しらみ)の咬みたることなど、頭腦なる靈魂の、默して是れを識る類ひ、いかに奇靈なる物ならずや。戎人(からびと)も、人身を小天地と云へる、實にさる言なり。是れに因りて考ふるに、頭は天魂(あたま)にて、額(ぬか)は瓊所(ぬか)にはあらざるか。魂の在所は、頭額に在ればなり。されば項(うなじ)も瓊之主(ぬのじ)にて、項根は瓊之根なるべく、宇那賀氣理而の宇那も、瓊根なること炳焉く、草木の根と云ふも瓊の義にて、精(たま)の存る處なるが故の名なるべし。扨て項を瓊之主の義と見るに就ても、『ヌ』と『ウ』と通ひて、主人(うし)は瓊主の義なること、いよゝゝ益々炳焉るし]*。

 されば御中主大神の御徳も、是れに均しければ、彼の瓊主てふ御名の 高く貴きこと、是れを以ても悟りつべし*[猶ほ此の大神は、天地の無かりし前より座しまして、八百萬・千萬歳の後の世までの事を、未然に知り給へる神徳の大神に座しますこと、天神の太占して卜問ひし給へる條に、委しく論へり。此段と合せ考へて、其の妙なる理を悟るべし]*。

 さて若此く考へ定めて、此の大神の御座所を、猶ほ熟々考ふるに、高天原に座すとある高天原は、師説に、天の最中の、いと高く寂莫にして、動き徙らざる處、すなはち謂はゆる北辰なり*[委しくは、『古史傳』に就て見るべし]*とあれど、『古事記傳』、また『靈能眞柱』には、大虚空なりと有る方こそは、勝りて聞ゆめれ*[師説に、たゞ天の眞中に坐し々ゝてとのみ云ひてはいかゞ。さては何もなき大虚空に坐ませる趣にて、餘りにたどゝゞしく聞ゆと、宣ひしかども]*、是は實は大虚空とは云へど、造化主宰の大神の座します、甚と麗しき天上眞都の有りて、其處を指して、高天原とは云ひしなるべし*[但し肉眼以ては、是れを窺ひ見ること能はず]*。また如(も)しくば、造化眞宰の大神にし座しませば、直ちに天つ大虚空に座しましけむも知るべからず*[造化眞宰の大神にし座しませば、然在むも、何か疑はむ。心を平にして思ふべし]*。かくて其の大虚空に座しまして、宇宙(よのなか)に在りと有らゆる日月・大地・北辰は、固よりの事にて、百千萬億無數の金銀なす、光る小さき星の世界など、殘る隈なく主宰まし座す事と知られたり*[天之御中主の名義を、熟く思ふべし]*。爭(いか)でか北辰に居所を定め座して、徒に肉眼以て見ゆる限りを主宰(しろしめ)すなど云ふ如き、瑣小き御功徳ならむや*[重石丸、去にし己巳の歳、皇學所に居たる時、八田知紀翁と共に、此の事を論ひしが、近頃益々如此く堅く思ひ定めつ]*。然らば北辰には座しまさぬかと云はむに、然にはあらず。此の神、素より造化眞宰の大神にし座しませば、大虚空に座しましつゝも、其の御魂、至らぬ隈なく幸ひ給へば、北辰にも在さずとは云ふべからず。さるは今現に北辰の大地の樞軸と成れるなど、即ち其の證と謂ふべし*[故れ唐戎の古傳には、北辰を以て天帝の居所とも語り傳へたるなり。是は實にさる事なり。師は是れに據りて、高天原を北辰と定められしかども、猶ほ宇内の大なるより見れば、北辰も信(まこと)の上帝の居所ぞとは、爭でか定め説ふことを得む]*。

 偖て右の如く、御中主神の名義、また其の御居所の事など考へたるに付て、神てふ名義を、師説に、彼靈(かび)*[『古史傳』に就て見るべし]*より出たりと説き給へりしかども、善く思へば、是れも必ず最初より有りし辭ならむとまでは、不審(うたがひ)を起したりしかども、其の義、未だ思ひ得ざりしに、知紀翁の説なむ、信に面白く覺ゆる。其の説に云ふ、『加美』と云ふ義は、さまゞゝの説あれども、賀茂翁の云はれし如く、上の意なるべし。其は天上に坐して、尊き限りなれば、上と稱へしにて、君上を『カミ』と云ひ、頭を『カミ』と云ふも、皆な尊稱なるを思ふべし。扨て『加美』の『加』は、幽(かすか)・隱・風・霞・香*[重石丸云、氣と加と通音なれば、物の怪・神の氣などの『ケ』も、『加美』の『カ』より起れる辭なるべし。人の魂の幽冥に入りて、風火に類ひて、處として至らぬ事なきも、其の魂、即て神にて、其の本體の、固より氣なればなるべし。されど氣と云ふを、徒に無形の事と、勿(な)思ひそよ。是は幽冥に入れば、今世の凡人とても、人の眼に見えねば、『加美』の『加』を氣とは云へど、神も有形に座しますこと、論ひ無きなり]*などの『加』にて、此の方より容易く伺ひ難き者を云ひて、即ち疑ひの『加』も同意ならむか。『美』は靈異の『比』にて、通音なるべしと説はれたり。若かれば神とは、天之御中主神の事にて、泛く衆神を神と云へるは、其れより後の事と知るべし。されば彼靈てふ言は、神より出たる辭にて、皇産靈大神の、彼の「溟滓而含牙(くゝもりてかびをふくめる)」ものを御覽(みそなは)して、彼靈と詔はしゝも、既(はや)く『加美』てふ辭の有りし故に、牙を然か詔へりし事と察(し)られたり*[神を、天之御中主神の御事として、『加美』てふ名義を、『上』の意と見る時は、天之御中主大神の、宇宙眞宰の神と座します事、いよゝゝ益々炳焉し]*。

~續~

  • [1]
  • 天津眞北の高天原。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2010年 3月21日(日)00時10分23秒
  • 編集済
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■天武天皇、大御親勅授したまへる『古事記』首章に曰く、「

 天地の初發(はじめ)の時、高天原に成りませる神、

名(みな)は、天之御中主神、

次に、高御産巣日神、

次に、神産巣日神。

 此の三柱の神は、竝(み)な獨神(ひとりがみ)成り坐して、隱身(かくりみを「治(しろ)」しめしたまふ)也
」と。


■「天御中主尊(命)」=『日本書紀』・『日本續紀』天應元年七月・『日本後紀』大同四年二月・逸文『伊勢風土記』。
「天御中主神」=從五位下・齋部宿禰廣成大人『古語拾遺』。


●『古事記序』(民部卿贈從三位・太朝臣安萬侶大人の上表文)に曰く、「

 乾坤、初めて分るゝとき、參神、造化の首(はじめ)を作(な)す」と。


●桃華老人・東齋一條關白藤原兼良公『日本書紀纂疏』に曰く、「

 北極を天中と爲す。或は天御中主尊を以て、北極帝座の星と爲す」と。


●贈從三位・秋津彦美豆櫻根大人・鈴屋本居中衞平宣長翁『古事記傳』二之卷に曰く、「

 勅語は、天皇の大御口づから詔(のたま)ひ屬(つく)るなり[有司をして傳へ宣(のら)しめ、又は書にかけるなどをも、たゞ勅とはいへども、そは勅語とはいはず]。‥‥

 もと此の勅語は、唯に此の事を詔ひ屬けしのみにはあらずて、彼の天皇[天武]の大御口づから、此の舊辭を諷誦(よみ)坐して、其を阿禮に聽取らしめて、諷誦坐す大御言のまゝを、誦みうつし習はしめ賜へるにもあるべし。もし然るにては、此の記は、本と彼の清御原の宮に御宇しゝ天皇の、可畏くも大御親ら撰びたまひ定め賜ひ、誦みたまひ唱へ賜へる古語にしあれば、世にたぐひもなく、いとも貴き御典にぞありける」と。


●贈從三位・神靈能眞柱大人・氣吹舍平田大壑平篤胤翁『伊那版・古史傳』一之卷・第一段に曰く、「

古へ、天地、未だ生(な)らざりし時、高天原に神ましき焉。御名は天之御中主神。次に高皇産靈神[亦の名は、高木神。亦た薦枕(こもまくら)高皇産靈神と云(まを)す。此は、所謂る神魯岐命にます也]。次に神皇産靈神[亦た神産巣日御祖命と云す。亦た神魂大刀自神と云す。此は、所謂る神魯美命にます也]。此の三柱の神は、竝な獨り神成り坐して、御身を隱したまひき矣。

 高天原とあるは、後に天つ御國の生れる處を云ふには有るべからず。必ずこゝは、大虚(おほそら)の上方(かみつべ)、謂ゆる北極の上空、紫微垣の内を云ふなるべし。其は如何となれば、後に成れるを以て、其の無き以前(さき)に及ぼして云ふこともなきにはあらねど、此は決めて然るべからず。此の紫微宮の邊(あたり)はも、高き處の極みにて、天の眞區(まほら)たる處なれば、此ぞ高天の原と云ふべき處なればなり。

 扨てさきに『古史成文』を撰ぶる時に、此處を「天つ御虚空に」と書きたるは、中々に惡かりき。故れ『古事記』に依て、今の如く記し改めつ。‥‥

 かくて此の大神の御所在(みましどころ)は、何處ぞと云ふに[己れさきに『靈の眞柱』を著せりし頃は、今云ふ旨をば、思ひ得ざりし故に、其の説、拙かりき。故れ暇あらば、『訂正・靈の眞柱』と云ふを作らむとす。見む人、これを宥せ]、此は天の最中(もなか)の、いと高く、寂寞(しづか)にして動き徒(うつ)らざる處、すなはち謂ゆる北辰にて、これ天の本綱(もとづな)たる處なるが、御中主大神は、此の處に鎭り坐せるなり。扨てそれより五百綱千綱を引き延(は)ヘて、編み成せる如く、宇宙(よのなか)の萬の物を、悉く主宰(つかさど)り給ふ事と聞えたり」と。


●大壑翁『赤縣太古傳』上皇太一紀・第一に曰く、「

【太古の時、物有りて混成す。天地に先だちて生ず。】

 是の物、固より無名にして、陰ならず、陽ならず、其の形質、また知るべからず。是の故に姑く假に物と稱し、混成とは言へり。‥‥斯くて是の混成の物、その天地の先に在り。天地も是に因りて出たれば、此の物の始めは、誰か知らむ。然るに生ずとしも云へるは、大朴(おほらか)に語り來し古傳の趣(さま)にて、實には無始無終の物たるに論ひ無し。然れば此の「生」字は、「在」字の意にて見て在るべし。然も有らば、是の物の在處は何所にて、此は何物なると云ふに、其の在所は、北極の上空、謂ゆる紫微垣の中宮なるが、是れやがて今ま現に見放くる北辰星にぞ有りける」と。


●國幣中社中山神社宮司從六位勳六等・大社教大教正贈一等教勳・旭香美甘與一郎源政和翁『天理組織之原理』(明治二十四年七月・神典研究會事務所刊)卷之第一に曰く、「

 此の天之御中主神を造物主と云ひ、有神論者は、全能全智・獨一神眞と云ひ、無神論者と雖も、不可思議的なりと云うて、人智議るべからざるものありと云ふ。其の意は、天之御中主神の御上に、自ら當るものなり。吾が神典にては、此の神の坐す所を別天と傳へたり。余が一家の講究にて、他の神府と分たんが爲めに、これを幽中の幽府と、假に名づけて講ずるなり」と。


●清雲鴨居正桓翁(『古道』昭和二十九年一月號に云ふ、磐山友清歡眞翁からの打聞)の曰く、「

 『古事記』の訓み方については、種々先師(愚案、磐山翁)から御教示に接したが、『大體に本居先生が歸天された翌年かに、名古屋から上木されたものによるがよい』。‥‥首章の「隱身」の上に、「治」の字を補ふことは、敷田年治翁(神宮皇學館學頭・從五位下・百園敷田伊勢守年治翁)の説を採られたのであるが、敷田翁は『大倭本紀』によつたのである。そして同翁は、これを「カクリミヲシロシメシキ」と訓んだのであるが、先師は『「シロシメキ」では過去になるので、妥當ではない。高貴の神々は、過去・現在・未來を治しめしておいでになるのだから、「シロシメシタマフ」と訓んでほしい』と申された。その時、私は「カクリミ」の解釋を伺つたが、『それは、直接には、今日人間の目に見えぬものを指すが、目に見えるものは、目に見えぬものゝ投影であるから、この宇宙間の一切のものを意味するであらう。又た普通に「ナリマセルカミノミナハ」と訓じ居るが、これは「ナリマセルカミ」で一應切つて、「ミナ」と訓んでほしい(愚補、靖齋谷森善臣翁の卓説)。こゝの「カミ」は、何とも名状することのできない、絶妙の御存在で、後より御名は稱へ奉つたのであるから、その邊の含みをもつて、かやうに訓みたい』と申された」と。

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 今こゝに謹みて、渡邊豐城翁の『天御中主神考』(明治五年六月謹考・六年五月官許)を拜書して、同學諸賢の清覽に供しまつらむと欲す。又た是は、相原修神主が、天皇陛下御即位二十年を祝ひ奉りて、『伊吹廼舍先生及門人著述集』第三集として、平成二十一年正月に覆刻せしものにして、相州の御民、河原博史主より、圖らずも賜ふ所と爲れるは、先哲の志を紹ぎ、あらためて之を憲章せむとして、おほけなくも拜書發願する、其の契機にぞありける。亦た悦しからずや。

【參考】道生館主・豐城渡邊重石丸翁(氣吹舍塾頭・京都皇學所御用掛・下總國香取神社少宮司)
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/253
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/255


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