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  • 祖神垂示 親譲之道 拾遺

  • 投稿者:はゆまつかひ
 
平成二十二年二月二十三日
天照らす日嗣の皇子、みあれの日を壽ぎまつりて、建立。

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sage

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  • 男子の本懐

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2017年 6月11日(日)23時51分7秒
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神武參劍王 小泉太志命 曰く

日の本つ國、惟神神武參劍の道を踏みゆく士は己の名譽を傷つけ、己の生命を奪はんとする者をも活かし助け救はざるべからず 其の場に立たせられ其の天命に生きる士なり以つて日本國に生を受けたる男子の本懐と成す。


  • [36]
  • 至誠の極み

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2017年 4月11日(火)21時34分42秒
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東嶽宮地嚴夫先生 曰く

神仙得道の法、必ずしも一つに非ず。還丹修煉の效によりて此れを得る者あり。靈芝仙藥を服するによりて此れを得る者あり。積善陰徳の功によりて此れを得る者あり。圖をおび符を服するによりて此れを得る者あり。精思純想によりて此れを得る者あり。靈章祕文を唱するによりて此れを得る者あり。此の他なお種々ありと云へども、其れはただ分け入る門を異にするに過ぎざるのみにて、要するに至誠が極まり神明の感応を得る結果に他ならず。

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  • 惟神の心

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2017年 4月11日(火)00時10分13秒
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磐山友清歡眞 「天行林:獅子吼無畏説 百獸聞僉腦裂」  大正拾二年刊 より

 惟神の心とは小自己を忘れて宇宙の大自己の爲に徹底盡力する事にあると
云ふことを云ひ、古事記上卷全體が此の無我殉道の記録である


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  • 心得

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2017年 4月 9日(日)22時14分2秒
  • 編集済
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神道天行居 「本部在任者心得」より

自他靈覺を盲信する事大凶の本也。深く相警むべき事

世間出沒の諸術者及び憑靈者に惑ふことなく之等のものに對して
常に冠を彈じ衣を振ふの見識あるを要する事


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  • 神酒をいたゞく

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2016年 7月 4日(月)21時12分34秒
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祭政會梅田道場 「祭祀祝祷詞」より

このみきは、 あがみきならず
やまとなす、 おほものぬしの
かみしみき、 いくひさ ゝ


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  • いたゞきのことば

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2016年 7月 3日(日)22時31分3秒
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祭政會梅田道場 「祭祀祝祷詞」より

食膳拜餉詞(いたゞきのことば

あまてらすおほみかみ、 とようけのおほかみ、 みおやのみたま、

つつしみかしこみて、 これの、 みめぐみを、 いやまひまつる。


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  • 皇化

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2016年 2月 5日(金)00時21分36秒
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金谷 眞 著 「山の道場より」 みそぎ會星坐聯盟 昭和十七年刊 に曰く

日本の思想ではいつも福を外に出しておきます。
さうしてたとひ鬼があつても其れを悔悟させて福の神とゐたさねばなりません。
皇國のはらひみそぎといふことはすべての鬼を福の神にかへてしまふことにあたります。
(愚案 これ即ち「神武」也)

  • [30]
  • 天壤無窮の大責任

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2016年 1月18日(月)22時46分28秒
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文山中村三郎 「天皇國大日本の完成」 昭和十九年二月二十六日發行 非賣品より

          天照民族の誓願

 皇國神聖、聖戰神武。 文武忠烈、億兆奉公。
 皇威天照、八紘照徹。 敵國敬服、萬邦同親。
 神人清明、顯幽安泰。 大道蕩々、皇道森々。
 人生宇宙、皇澤無盡。
 天皇稜威、萬、萬、無窮代。萬、萬、無窮代。


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  • ついで參りはせぬやうに

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2016年 1月13日(水)23時22分25秒
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朱晃鳳山敕使河原大鳳「沙庭とサニハ的思考」 山雅房 平成三年六月十八日刊より

 此れは小生の失敗談であるが、さうした神社(「正」なる境界と、しからざる境界の實在する場所に御鎭坐)の一つに參拜した時、まつすぐに其の神社にお參りすればよかつたのに、一寸他へ寄道をしてお參りした。

 所が、まことに異形の巨大な靈物を拜したが、どうも神靈から受ける感覺とはちがふ、實になんともいへぬ表現のしやうのない靈波長を感じた。また 動物靈とか一寸したいたづら靈からのものとも違ふ。

 幸ひに師仙(愚案 紫龍仙眞人)在世中の事なので、詳細を文面にしたためてお送りした。先づ第一番に、「ついで参りをするとは何事か」といふお叱りであつた。此れにはグーの音も出ない。「さうした事をすると○○界に感格し、其の氣線によつて其の一部をのぞいたのだ」と教示を受けた。

 小生としては、さうした界の感覺を體驗した事に依つて、一つの「サニハ」の規準をからだに感じたから良かつたのであるが、若し其の靈現象を奇徳(ママ)なこととしたら、えらい所に引きずりこまれる所であつたわけである。其の時は一寸した心のスキでさうした事をしてしまつ た。今までした事もないのに。其れ以後は絶對についで參りはせぬやうにしてゐる。

  • [27]
  • 參拜順路・心得

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2016年 1月11日(月)16時09分13秒
  • 返信
 
神社と墓參の參拜順路、忌避行爲、家中に入る前の祓ひ清めの心得を、紫龍仙眞人傳「安鎭神法總説」より抄出し、注意喚起させていただきます。

以下

 慰靈祭式行事終了後は、其の都度・事情の許す限り、家族一同揃つて、(止むを得ぬ事情のあるときは、當主又は適當な代表者でもよし。)其の原住地の産土神社を參拜して、祖靈始め諸幽魂等の魂魄淨化・靈體安寧・靈格向上等の冥福向上繁榮を隨意に祈請すべきものである。

 最初は産土神社へ參拜祈請後に、其の歸る途中に於いて、墓參するのが正則順路にして、初めに墓參を濟ませてから、其の歸路に、産土神社へ參拜祈請するが如きは愼むべきことである。

 扨て、墓參終了後に歸宅入室の場合は、必ず、家中に入る直前に、玄關口・即ち表出入口にて、清明水にて口漱・洗手して心身を清めて後に、家中に入るべきものにして、若しも清明水の調製祕事の知らぬ場合は、清水に鹽(愚案 海鹽)を任意適量ほど混合して代用せられても差支へなし。止むを得ぬ事情のある場合は、單に鹽を一掴みつつ躰の左右前後にパラパラと振り撒かれるのみでもよし。

 又特に心得て置くべきことは、墓參の歸途に他家に立寄るが如きは遠慮すべきものにして、若しも他家に行かねばならぬ事情のある場合は、一応・何處へも立寄らずに歸宅して、時間を改めて外出訪問すべきである。・・・・・・どうしても、止むを得ぬ事情あつて、他家に立寄らねばならぬ場合は、鹽を適量ほど白紙に包みて懐中して、他家の玄關で自己の躰を鹽にて祓ひ清めて後に家中に入るべきである  

  • [26]
  • 神社參拜の心得

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2015年11月12日(木)21時34分22秒
  • 返信
 
             公示
           __________

              定
一 車馬ヲ乘入ル事
一 魚鳥ヲ補ル事
一 竹木ヲ伐ル事
右之條々於境内令禁止者也
                    内務省
                          ___________

畏クモ 伊勢神宮ニ對シ奉リ國民タルモノハ誠心誠意常ニ崇敬シ奉ルベキハ勿論ニシテ其ノ敬意ヲ表スルハ猶更毫モ不敬ニ渉ル如キ舉動ナキ樣愼マザル可ラズ爲メニ前記ノ如ク宮域ノ入口ニ公然掲示シアルモ尚此他ノ行爲ニ附多クノ參拜者ノ中ニハ知ラズ識ラズ心ニモナキ事ヨリ終ニハ宮域ニ於テ衞士ニ注意セラ ルヽ事アリ折角思ヒニ念フテ參拜シナガラ萬一ニモ右樣ノ事ニ立至ル時ハ一生忘レガタキ悔トナルベキ又 神宮ニ對シ奉リテモ實ニ恐レ多キ次第ナレバ苟モ神宮 ニ參拜スル時ハ大略左ノ心得ヲ持シ決シテ不敬ノ行爲ナキ樣深ク注意セラルベシ

一 宮域ニ入リテハ可成其姿勢ヲ正シクシテ一意專心敬神ノ誠意ヲ表彰シ苟モ邪念ナキ樣 心得ベキ事

一 喫煙ノマヽ又ハ「ステツキ」ヲ振廻ハシ或ハ醉歩蹣跚?トシテ公園ヲ遊歩スルガ如キ状態ナキ樣心得フベキ事

一 外套、肩掛、又ハ襟卷ハ勿論「裳カラゲ」等ノ儘神前ニ進マザル事

一 宮域ニ入ルニハ嗽、手水等ヲナシ充分心身ヲ潔齋シテ後神前ニ進ムベキ事

一 見苦シキ荷物等ヲ背負ヒ或ハ高聲放談シナガラ恰モ物見遊散ノ如キ状態ハ最モ愼ムベキ事

一 其他一舉一動苟モ不敬ニ渉ラザル樣各自深ク注意シテ宮域ニ入ルニ先ダチ充分心身ヲ清ラカニシテ宮域ニ入リテハ一層靜肅ニ其身ヲ持シ以テ至誠ヲ表彰スル事ニ心掛クベキ事

以上

從來宮川祓ト稱シテ齋主宮殿下ヲ始メ一般潔齋ノ後慮ンデ宮域ニ進マルル事ヲ思ヘバ苟モ國民タルモノハ深ク萬事ニ注意シ誠心誠意敬神ノ至心ヲ表彰スル事ニ心掛クベク本部(愚案 神宮崇敬會本部)常ニ感ズル處アリ熟誠ノ餘リ茲ニ參拜人ノ心得ノ大略ヲ指示スルモノナリ

  • [25]
  • 神道の奧義

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2015年 3月22日(日)23時20分59秒
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神道の奧義と云ふものは、一人二人の者が悟つて行ふと云ふやうな道ではない。天下の人が殘らず日々の事業にかけて、其の道の道理のまにまに行はねばならぬところのものが即ち神道である。

たとへば、如何なる者も、大君(愚案 天皇)に忠誠を盡くすのは即ち天上復歸の道を得た者である。

いたづらに神名を諳(そら)んじ神跡を講じ神徳を語つて、私の考へをもつて人に教へるのは眞の神の道とは申し難い。

人の身は元來、神道を勤める爲に此の世に生ぜしめられるので、其の人ごとに行はねばならぬ神道を、其の身に託けて賦與せしめられてゐるのであるから、 其の稟け得た職を誤らずに行つてゆく外には別に求むべき道とては無いのである。

皇大神宮主典兼中講義山口起業 撰「神判記實」より

  • [24]
  • 節分の豆撒き歌

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2015年 2月 2日(月)21時45分3秒
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金谷 眞 著 「山の道場より」 みそぎ會星坐聯盟 昭和十七年刊 より

 二月三日の節分は立春の前日にあたり、季節の分かれ目と成つて居ります。此の日は柊の枝に鹽鰯を刺して門の戸に挾み厄除けをする所もあります。また節分の夜には「おにやらひ」または追儺と云つて豆撒きをいたします。尤も此の風習は支那から渡つて來たもので日本古來からのものではありません。日本では寧ろ其の翌日の祈年祭を主として居るのであります。祈年祭は今年の五穀がゆたかに實のるやうにと天皇さまが民草のために御祭りをして下さる、いとも尊きお祭日でありますから、豆撒きもさる事乍ら、國民は一層此のお祭の方に、感謝せなければなりません。五穀の中で稻は天孫降臨の際、天照皇大神さまが皇孫「ににぎのみこと」へお手づからお授けに成つたもので、おほみたからとしての民草の衣食住を充分に滿足させよとの深き御心による事であります。其処で天皇さまの御一生御一代の大嘗祭のお祭りにも、此の稻がなくてはなりませぬ。かかる尊き稻でありますから、天皇さまとしましては天津日嗣とともに天津穗嗣のあらせられる次第であります。天皇さまは民草の作ります稻や五穀が今年もゆたかに出來るやうにと、宮中に於ては御先祖の神さまをお祭りに成り、官國幣社の神々に對しては二月四日に幣帛を贈られます。また二月一七日には伊勢神宮へも御敕使をお遣はしに成つて幣帛をお供へに成ります。こんな大切なお祭りでありますから、國民は愈々大御心の有難さを思ひ此の日のお祭りをいたさねばなりません。

 節分の豆撒きうたは全國どこでも行はれてゐますが、此れはみな自分の家にのみ福の神をとりこんで、鬼は外へ追ひやつてしまふといふ利己的なうたであまり關心出來ぬものと成つて居ります。「福は内、福は内、鬼は外。」と近所の人にはづかしくもなく自分勝手なことを言ひ乍ら豆を撒いてはたまりませぬ。此れは利己的個人主義の外國人のいふことで、本來の日本思想ではありませぬ。福はみな自分の家へとりこんでおいて、鬼はみな他人の方へ追ひやつて居ると、一寸の間はよいやうでも門を開けるや否や外一ぱいの鬼が飛びこんで來ます。畢竟宇宙觀の全てのものは自分も周圍も同じものから成り立つて居りますから、人間のみならず土地も空氣もみな福の神としておかねばなりません。日本の思想ではいつも福を外に出しておきます。さうしてたとひ鬼があつても其れを悔悟させて福の神とゐたさねばなりません。皇國のはらひみそぎといふことはすべての鬼を福の神にかへてしまふことにあたります。

其処で一つ純日本式の豆撒きうたをやつて見ませう。

 福は内、鬼は外。福は内、鬼は外。

 鬼は内、福は外。福は外、鬼は内。

 福は外、鬼は内。福は外、鬼は内。

 福は外、鬼は内。此の鬼喰ひ殺せ。

 福は外。福は内。此の福撒き散らせ。

 外も内も福の神々
 


(昭和十二年二月)

  • [23]
  • 神代の式に隨ひ奉る

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2014年 7月 4日(金)21時52分49秒
  • 返信
 
乃樂舎楢翁岡吉胤 「葬祭要儀」 會通社 昭和六年十一月二十八日刊より

葬祭要儀端文

言卷も畏けれど我天皇は正しく皇皇天神の皇統を受傳へて天位を知食給へば歴朝の天皇皆皇皇天神を崇敬し給はざるはなし然るに中つ世印度の佛教渡來りしより公にも其教法に迷はせ給ひしを明治の聖代と改りきて萬つ神代の御所爲に復らせ給へる事と成りにたるは尤も貴く有難き御代になむ然れば臣民たるものも又其皇祖天神の子孫ならざる者なければ必天皇の叡慮に習ひ奉りて神代の式に隨ひ奉るべき事なるも下ざまの愚なる者はさる事とも心つかずひたふるに佛の法を崇め或るは耶蘇の教を信じて葬儀を打任せつるはいともあるまじき事なり又偶々神道に心づきたる人もあれど其法式にたどたどしきより止むを得ず彼等に頼める人も多かるを予もかつて遺憾に思ひつるをこたび我實行教の大教正岡吉胤翁が葬祭要儀は多年實地を經驗して懇ろに其の件の事どもを書著されたる書なれば神官教職は更にもいはず誰にても我大日本固有の葬祭を行はんには己に此れ書あり予なにをかいはん

                                      實行教管長 柴田守忠誌

  • [22]
  • 神氣が素饌(生命の素)を通して人の生命波へ結んでくださる

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2013年 1月 4日(金)22時37分41秒
  • 返信
 
日垣宮主『電磁波で解く日本神道』 創藝社 平成二十四年 刊 より

通常、豐受大神は食物の神樣なので、天照大神が伊勢の國にお鎭まりあそばした折、天照大神がお召上がりくださる食物の神樣として豐受大神をお隣りへ御迎へ申しましたと教へる樣です。

けれど

天照大神も豐受大神も人間の樣な肉體を持ちませんから米も食べなければ野菜類も食べる道理が無いのです。

では

何故天照大神が豐受大神を御招びになつたのでせうか。
其れは神界に於ける神慮りであります。

人間の爲であります。人が身心を持ち神に向かひます。其の時 神が人と通ひ合ふ爲には米や麥などの五穀が必要に成るのです。

人が身體を維持する爲に米を食べそして其の他の野菜類を食べますと、體内に入つた食物が消化されて血液が生まれます。

血液の中に生命を保つ磁氣が入つて其の磁力が體内の靜電氣を養ふところのエネルギーに成ります。

血液の中の磁氣波が人間の心波を生みます。
人の心は體内の血液中の電磁波と申せませう。

神樣が心を生みますと其の心は神の磁氣波に成ります。 そして 其の御心が人に相對する時、慈氣化致します。

神前に米 水 鹽 を供へる時此の供へ物の事を 素饌 と申します。

素饌と申しますのは「生命の素」の意味でありまして、神氣が素饌を通して人の生命波へ結んでくださいます。

天照大神は生命の根元の神樣で生命波の神樣でありますが、此の生命波を人間に與へなさる爲に生命の素に成る食物を必要と致します。



  • [21]
  • 神棚を見れば、人間の體に必要なものがわかる

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2013年 1月 4日(金)22時02分54秒
  • 返信
 
若杉友子『此れを食べれば醫者はいらない』 祥傳社 平成二十四年 刊 より

前略

   神棚にお供へするのは米と水と鹽。

  お正月やお祭りと云つたハレの日にはお神酒や野菜、魚をお供へする事もあるけれど、日常的にお供へするのは米と水と鹽。そして兩脇に榊を飾り、ろうそくを燈すのが基本です。

  此れらのお供へものが象徴してゐるのは、人間が生きていくうへで必要なものです。

  榊とろうそくで火をおこし、水と米でご飯を炊く。ご飯だけでは味氣ないから其処に鹽を加へて、味をよくし、榮養のバランスをとる。

  神棚のお供へものは、此れだけあつたら人間は生きていける云ふことを教へてゐるんです

 裏を返せば、人間のからだには米と水を鹽が必要不可缺と云ふことを教へてゐると言つても好いでせう。

 もう一度言ひますが、鹽は人間が生きていくうへでなくてはならないもの。生命の糧なんです。

    間違つた減鹽信仰から拔け出し、ミネラルがたつぷり含まれた本當の鹽を、からだに適した分量でしつかり取り入れませう。

後略

  • [20]
  • お米にはすべての「氣」がこめられてゐる

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2013年 1月 3日(木)21時42分35秒
  • 編集済
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若杉友子『此れを食べれば醫者はいらない』 祥傳社 平成二十四年 刊 より

八十八歳を米壽と云ふけれど、どうして「米」が「八十八」を示すのか知つてゐますか?
「米」と云ふ字を分解すると「八」と「十」と「八」に成るからですね。

ぢやあ何故八十八を組み合はせた字が「米」を意味する事に成つたのでせう?
其れは、米が實るまでに、八十八囘もの手順や手間がかかるからです。

八十八歳の米壽を祝ふのも、米を食べて長生きできた事、そしてからだを支へてくれた米に感謝すると云ふ思ひがこめられてゐるんだと思ひます。

私は長い間、「米」は「八十八」もの手間をかけて作るから貴重なものだし、すばらしい食べ物なんだと思つてきました。

でもあるとき、此の「米」と云ふ字に祕められた、更にすごい事實を發見したんです。

「米」と云ふ字の眞ん中にある「十」と云ふ字。此の「十」と云ふ字の横に走る線は陰を、そして縱に走る線は陽を表してゐます

東洋には五千年もの昔から、すべてのものは陰と陽に分けられると云ふ考へ方があります。此の陰と陽とが互ひに調和をとる事でバランスをとつてゐるわけです。

そして「米」と云ふ字は、陰陽の調和を表した「十」と云ふ字に、更に天に向かつて腕をあげたやうに二本の線が左右に廣がり、下の部分には大地に根をはるかのやうに二本の線が伸びて、一つの文字に成つてゐるんです。

天に向かふ力を陰とし、地に根を張る力を陽と考へると「米」と云ふ字は、「十」と云ふ調和した文字に、更に陽と陰との調和を重ねてゐる事に成ります。「米」は大調和 の姿をした文字であり、米にはすべての氣が米(込め)られてゐる。
「米つてすごいな」と改めて感心させられました。

だからこそ日本人は「お米を粗末にしたら目がつぶれる」と言つて、幼い子供に躾け、育ててきたのです。

普段使つてゐる漢字の中にも、お米の威力を示すものやお米の大切さを表すものが度くさんあります。

例へば「気」と云ふ字。昔私たちが學校で習つた頃には「氣」と書きました。「メ」ではなく「米」だつたんです。元氣、勇氣、やる氣、氣力、氣勢など「氣」と云ふのは根源的なエネルギーを示す言葉。今は「メ」に成つてしまつたけれど、昔の人は、米がからだに入る事によつて「氣」が湧いてゐる事を知つてゐたんでせう。

精力、精神など魂の根源を表す「精」の字も、米へんに「青」と書く。生命の誕生に缺かせない「精子」も米から出來てゐると云ふことです。最近、無精子症で惱んでゐる男性が増えてゐると聞くけれど、握りしめればぺちやんこにつぶれてしまふやうなパンを食べてゐるからそんなことに成つてしまふんです。日本人が昔から食べてきた米を昔の人のやうにたくさん食べれば、いい精子が出來るんです。

「男」と云ふ字も「田」に「力」と書き、米を聯想させます。田んぼに入つて汗水流して米を作るのが「男」の役目と云ふわけです。

もう一つ、へその下にある「丹田」。東洋醫學で米から血液が作られる場所と言はれてゐる此の言葉にも「田」の字が當てられてゐる。田んぼは米を作る場所です。米からできた血液からパワーのあるエネルギーが作られる。此れらの言葉は、米がエネルギーの元の元である事を感じさせてくれます。

日本人は米を食べ、其れを血肉にする事で、日本の精神、大和魂を培つてきたんですよ。 昔の日本人が持つてゐた生命力とからだの精神力を取り戻すために、日本人はお米をもつとたくさん食べなくてはいけないんです。


  • [19]
  • 米を主食としてきた日本の食卓が西洋化した理由

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2013年 1月 3日(木)17時35分57秒
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若杉友子『此れを食べれば醫者はいらない』 祥傳社 平成二十四年 刊 より

「米なければ人なし、人なければ米なし、人をつくる親は米なり」
江戸時代中期の醫者で思想家の安藤昌益の言葉です。此のやうに日本人は昔から米を作り、米を食べ、米でからだを作つてきました。米は日本人にとつて何よりも大切な食べ物なんです。

日本は古來稻が多く取れる事から、「瑞穗の國」と呼ばれてきました。瑞穗とはみずみじしい稻穗のこと。此の呼び名のとほり、日本はお米がたわわに實る日の本の國です。

ところが、戰後、日本の食生活はよくないと云ふことで、食の歐米化が進み、パンや肉、乳製品などが食卓に上がるやうに成りました。

私は戰後最初の學校給食を經驗した世代です。今の學校教育ではいろいろとおかずが出るさうだけど、當時はミルクとコッペパンだけ。甘いスキムミルクと大きなコッペパンがアルミの器に載せられて配られました。

亞米利加は日本人の「榮養改善」を進めるために、小麥と脱脂粉乳を食糧援助と稱して日本に供給したと云ひます。食糧援助と云ふと聞こえはいいけれど、其の頃亞米利加では小麥と脱脂粉乳が大量に餘つてゐた。要は其れを處分し度くて日本に送り込んだわけです。

更に、日本人が亞米利加人と同じやうな食生活をするやうに成れば、將來的に亞米利加で農産物が餘つたときに、日本に買つてもらへる。そんな下心があつたんです。
食料不足でお腹ういすかせてゐた日本人は、此のミルクとパンを有り難く食べました。また「米を食ふとバカに成る」と云ふ根も葉もない噂が飛び交つた事もあつて、日本人はだんだんとお米から離れていつたんです。私に言はせれば風評被害も好いところ。亞米利加は日本人に米を食べさせないやうにし、自國の農産物を日本に買つてもらふ土壤作りをし、更には、日本人が持つてゐた大和魂も拔き取らうと考へたに違ひない。酷い話です。

そして戰後六十五年が過ぎ、日本人の食卓はすつかり西洋化してしまひました。パンを食べ、牛乳を飮み、肉を食べ、デザートを食べ、コーヒーを飮む。其の一方で米の消費量は減少、田んぼは減反。日本の食糧自給率は最下位に成りました。

「榮養改善」された日本人はどうなつたかと云へば、石を投げたら、がんや糖尿病、人工透析の人に當たると云ふくらゐ、病人であふれ却つてしまひました。動脈硬化や高血壓の人が大勢ひるかと思へば、低體温・低血壓・低血糖で體調が優れない人も多い。日本人の病氣は天井知らず。此れが亞米利加の云ふ「榮養改善」の結果なのです。

ご飯をしつかり食べてゐた昔の人には、がんや糖尿病にかかる人など殆どいませんでした。そして精神的にも體力的にも、今の日本人とは比べものに成らないくらゐ元氣でした。運動會で、男子は一俵の俵を擔ひで100メートル競爭をしてゐたほどです。今の男性で一俵を輕々擔げる人は殆どいません。

擔ぐどころか持ち上げる前に、ひいひい言ひさうな、ひ弱な男許りに成つてゐるんぢやないかしらね・・・・・。

其れくらゐ日本人は生命力や體力、精神力を失つてしまつたと云ふことです。 たかが食べ 物、されど食べ物。口を通つたものが、結果と成つて病氣として表れてゐるのです。

  • [18]
  • 民族性を維持するための食生活

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2013年 1月 2日(水)23時16分58秒
  • 返信
 
日垣宮主『電磁波で解く日本神道』 創藝社 平成二十四年 刊 より

昔から日本人は自分達を「神州清潔の民」と呼んで參りました。清血が清潔心を呼びます。

古來、此の國の人々は肉食を嫌ひました。
何故でせうか

民族神が此の國の民族性を維持する爲に米食と菜食の生活を確立させなさつたのです。

諸外國の民族と交流が開始されまして、明治以降、此の國の人々は肉食をする樣に成りました。

人は食べた物に化 と神が申してをります樣に、日本人は肉食する事に依つて肉食民族の民族性が如何なるものであるかを理解出來る樣に成りました。

不思議なことに、外來の魚が日本の湖水に入りますと昔から住んでゐる魚類が急激に減少致します。

外來のタンポポが日本の國土へ根を下ろし始めたら和タンポポが消へて無くなり始めました。

何故でせうか。

野菊も、そして山野に自生する蘭も咲く花の香りは本當に人の心を清めて呉れるほどの清しさを放ちますのに、洋蘭は香りなく、菊花も香る事は無いのです。

人は大地の精を吸つて生まれます。

民族とは其の國土の香りを吸つて誕生します。

花に香りがある樣に民族にも香りがございまして、其の香りが民族の言葉に成ります言語に成ります皮膚の色を民族の色に染めます。

すべては生命の磁氣の粒子波動であり電磁氣であります。
人が國土に生まれる時、其の身體を構成する生命力は磁氣に成り磁力に成り電磁波に成ります。

だから、民族は團結出來るのです。
だから、民族は自己防衞の爲に戰ふのです。

現代科學と文明は電化され機械化された結果、同じ型の機器が世界の各國で製造される樣に成りました。

日本製自動車でも部品の多くを外國に於いて製造させ、國内で組み立てます。
一見、何處の國に於いて造つても同じ型で同じ樣な部品で組み上げられた自動車であるなら、何處の國で製造しても變りは無い樣に見へるでせう。

ところが

蘭や菊の香りの樣に、自動車の香りが違つてをります。
決して同じでは無いのです。

 人間の身體とは血液の生命力其のものでありますから血液が現代醫學の上で同じ樣にA型ですB型ですAB型ですと申しましても、日本民族の血液と諸外國の民族の血液は其の生命磁氣が違ひます。

最近、世界の食糧事情が大きく變化した結果、貿易の自由化から米穀・麥穀など、日本以外の産地からの輸入が増えつゝあるとお聞きしますが まさか 此の貿易の一つが民族の本質を變化させる結果を招かうとは思ひもよらぬところでございます。


  • [17]
  • 此の國の米穀の持つ神祕

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2013年 1月 2日(水)21時20分29秒
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日垣宮主『蘇る魂の故郷 「民族の帖」』 創藝社 平成二十年刊 より

 太陽が生み出す生命力は地球の廻轉に深い關はりを持ち、其の廻轉の中に日本列島を置いてゐる。

 其處に生存する民族が日本民族で此の民族を育む 食物 が民族の體質を形成してきた。

 此の體質内に日本民族獨自の遺傳子が成長し 代々受け繼がれてきた。

 日本民族の主食は米である。

 此の米が此の國の人間の遺傳子を保ちつゞけた譯であるが此の國の米穀の持つ神祕を知る者は少ない。

 春 夏 秋 冬 の四季がめぐる日本列島の大地に宿る 生命力 がある。
 其の生命力を米穀の中へ籠らせる祭祀がある。
 稻を作る田の祭祀から始まつて
 苗代つくりの祭祀。
 田植祭祀。
 稻刈りに入る拔き穗祭祀。
 食物神に捧げるところに新嘗祭や神嘗祭を置いてゐる。

 米を食べる民族は日本民族以外にも存在するのだが民族舉げて米穀への入魂と感謝の祭祀を此の國ほど重要に思ふ民族は無からうと思ふ。

 一國・一民族の中心に 天皇陛下 が存在し、其の中心が先頭に立つて稻神の祭祀をあそばすところに言ひ知れぬ民族性を思ふ。

外國へ行つて米食をする。
日本米と異質な稻・米を食べる。
此の米を食べたら、此の米が此の國の人に成る。

古事記の中に伊佐那美の神が黄泉國へ行つて黄泉の食べ物を食べたので 最早 元の姿に戻れません(愚案、黄泉戸喫)と言つてゐる樣に食べる人と食べ物には本當に深い縁がある
と思つてゐる日本人である。

  江戸時代の渡世人が大切にしてゐた仁義の道があつて、“一宿一飯の恩誼の爲に死んでも悔いを殘しません”と言はれる 其の中に一本民族の筋金が入つてゐる。

 昭和二十年に日本民族は長い戰爭を脱けて新しい時代に入つたが同時に日本人の食生活も變はり始めた。
 主食が米であつた時代が去つて西洋流の食生活が取り入れられ、 學校給食の獻立にパン食が入り肉食が普及し、 更に家庭内の食事から米の姿が次第に姿を消すやうに成つた。

 私は格別其のことに氣を使ふことは無かつたのだが、 神道に志し 神氣に觸れてゐるうちに氣がついた。
 大變だッ 日本民族が崩れてゆくッ  と。

 日本人が此の民族が食べる米に民族の活性力が篭められてゐたのだ。

中略

 稻穗が伸び黄金の波をうつ頃 一筋毎に美しい實をつける實籾の一粒一粒は完全に獨立して其の實の固さは思ひのほかと言へる。

 其の籾が一度脱穀されて食膳に上がる時の柔らかさ加減は又格別で 一粒一粒がふつくらとし乍ら ねばり強く 互ひに結び合つて美味しい握り飯に成る。

 此の樣な米の飯で育つ民族が家族の結びも自然で一人一人が我を通さず協力してゆくと言ふ家族體形を生み出してきた。

 然も鞏固な籾さ乍らの自立精神で自己を保つ民族でもあるのだ。

 此の樣な遺傳體質民族が我が身の程を知らず 徒に美食・飽食と言ふ洋風食を專らにした結果が現代的世相を生むこと 間違ひないところである。

 人は 民族は 單なる榮養學だけで保たれる存在では無かつた。

 田を祀り 畑を祀り 米を祀り 麥を祀り 其の中へ生命の營みを齋き祀る日本の傳統の農作業が眞實 人を生かし地球を蘇えらせる原動力なる事を忘れ度く無い。


  • [16]
  • 神社參拜の心得とされたし

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2012年12月31日(月)15時12分3秒
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神宮司廳教導部 『瑞垣』 第拾七號(昭和貳拾九年三月三十一日發行)

岡田米夫翁」神宮參拜の心得」より拔粹

 神宮の神拜作法を記した神拜式によると、御境内に入るのは、神の御許(みもと)に赴くのであるから、其の心持ちと成る事が肝要であると見えてゐる。其の心の持ち方と云ふのは、祓をした以上はつとめて清淨で無念無想に成り、神の御許に參る事だけを思ひ念ずるのである。其のためには同伴者があつても、境内に入つたら神拜が濟むまでは雜談をしない事が第一の心得である。又境内では痰や唾を吐かない。淨域を汚さざらんためである。參道は左右どちらか片脇を歩む。中央は神及び奉仕者の歩むところとされてゐる。

鳥居をくぐるときは、愈々神のお側に近づくのであるから、輕く御辭儀をして、祓の詞(祓ひ給へ清め給へ)を心の中で唱へるのを古くからの心得とする。鳥居に紙垂榊の附けられてゐるのは、此處から内は愈々清淨である事、不淨を避ける事を標示したも のである。此れを知るものの心得は、心に愈々清淨を思ふべきで、此れを古く「心に注連を懸ける」と言つてゐる。此れは參拜のときだけでなく、常に心に禍事 のきざさないやうにする心懸けのためにも必要である。

愈々進んで板垣南御門を入るときは、高天原に參上る心持ちを持つべしと言はれる。高天原とは神の御坐所のことである。拜禮は二拜・二拍手・一拜する。神宮では神前では 跪まづいて拜するのが、愼しみあり心得のある作法であるとされてゐる 其れは神宮の祭は全部庭上に坐して行ふてゐる事を重んじたもの である。祈念は其の人の心に思ふことを祈り念ずるべきで、たゞ誠心誠意を捧ぐべきである。


  • [15]
  • 祭祀の正道

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2010年 4月 7日(水)21時28分10秒
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祭祀の大道  了

    然らば祭祀の正道とは如何。

○ 神床は、明るい清い静かな処で、第一が北より南に向うが最もよし。次にに西より東に、
  次に南より北に向うがよろしい。

○ 毎日毎朝、山野の幸、河海の幸、特にお米とお塩とお水は欠かさずに献る。 常に生気
  溢るる清い新しい生饌を成るべく豊かに供え奉る。

○ 家祭用の吉詞(のりと)を毎日毎朝奏上する。マゴコロをこめた真声を張り上げて奉誦
  する。 この『ノリト』は、神も我も、祖宗も子孫も倶に共に、天津霊嗣のマコトの道に生
  き貫く称詞(たべごと)と、天津日継の宝祚無窮を祝福する吉詞(よごと)と、子孫永く 清
  く明き正しき直き強き雄々しき公明正大な生活に生き貫く、誓詞(うけびごと)とを一括
  した天津詔詞(あまつのりと)の太宣詞(ふとのりと)が、最も有効適切である。之れ が
  祭祀の大道であり、同時に人間至高至尊の生活である。

         (はゆまつかひ曰、一般民人は、大祓詞を以って代えられたし。
例えば、「祖先と共に靖国の大神に捧ぐる大祝詞」http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t25/4 など、更に奉唱されれば、なお、めでたい。)

  かくあらば、如何なる幽霊亡魂、邪魔、鬼神も、日毎朝毎の豐の幸に恵まれ、天津霊嗣のマコトに照され、大自然の真律に乗じて、忽ち浄化し、明化し、強化し、公明正大の神様に向上し、真善美大の大神となり、神聖な統一(みすまり)の神明となって、其の家その子孫の為めには永遠の守護神となり、公には国家世界人世を光栄する鎮守の大神にまで向上するのである。祭祀の大道は寔に茲に在り、祭祀の真義は実に斯の如くである。

 然しながら、祭祀の道を誤り、真を失い、人情に背きてマコトが無ければ、その神霊は悉く鬼となり、魔となり、餓鬼となり、禍津毘となって恨み崇って、怪異を子孫に及ぼし、世間を禍するに至る。故に其の家その子孫の不幸は言うまでもなく、国家世界の上にも絶えず転変地異人災となって警告を表すことになる。人生の不幸之より大なるはない。

 然るに、神州を以って自ら任ずる我が国のみならず、世界の文明国と称するクリスト教国も仏教国も、その信仰教義に邪魔せられて、この重大な祭祀道を誤って居る。之をこのままの勢に放任しておくと言う事は、天地大自然の真律に戻り、人間のマコトの本性本能に背き、天津霊嗣の大道大義を亡ぼし、人生を永遠の常闇にする。乾坤の不幸不吉之より大なるは無い。誰か天地に慟哭して雄健び起ち、大救世の進軍に発仭するものぞ。

  • [14]
  • 神人同床共殿の立体生活

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2010年 4月 6日(火)20時15分56秒
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祭祀の大道 その2

   以って鬼も神化し、禍津毘も直霊化し、悪神も善神となって其の家を守り、子孫を祝福し給うお家の宝神、福神様として永遠に神鎮り給うのである。之を神人同床共殿の立体生活と言うのである。この祖孫一体―神人合一の立体真仰の立体生活を無みした単独生活―平面生活―孤立生活では、どんな偉人でも、その一生の業績は知れ切ったものであり、又何事も成就するものでもない。

    抑も、外来宗教の非道非礼、無誠無情、冷酷破倫の葬祭は、人間死後における霊魂生活の真相に通じない為めの結果であろう。彼等の教義では、生死を分界として、其の生者と死者との間のマコトを断ち、顕幽照応の神事を無みし、神人道交の祭祀を妨げ、神我豊楽の生活を廃しておる。而も其の虚偽虚礼の祭壇を荘厳にし、徒らに其の形式の善美真化に万全を尽すけれども、その実が無い。即ち其の幽霊亡魂を永遠に救済する道が全く無く、ただ死者を無何有の方外に放逐するのみである。憐と言うも仲々愚なり。何の為めの宗教ぞ、信仰ぞ、何故の葬祭ぞ、儀式ぞと言いたい。

    かくの如きは宇宙人生を一貫する大自然の真律に乖き、天津日嗣のマコトの道が許さない。又人間の本性本能の忍びない所である。故に我が皇祖大神は、『齋鏡齋穂』の神勅を以って人間に同床共殿の奉仕=慰霊報賽の祭祀=神人同慶の神儀=顕幽一体の生活=生死一貫のマコト道=大自然の真律=天津霊嗣の大道を、特に御垂示し給うたものと欽仰し奉る。 されば、顕幽倶に安泰に、神人共に清明に、祖孫一体に豊楽するには、其の宗教信仰の如何を問わず、古今東西の差別に拘らず、人間誰でも、其の祖宗先親先輩のおミタマを万世に亘って一定の依所に祀り、子孫永くマコトをこめて奉仕し、公明正大な祭祀の大道を以って、毎日慰霊報賽のお祭りをせねばならぬ。

  • [13]
  • 善悪は二にして一

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2010年 4月 5日(月)22時20分29秒
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祭祀の大道 その1

    隣邦の明哲も『鬼神(祖宗先親の霊魂を言う)之を祭れば神となり、祭らざれば鬼となる』と観破しておる。真に然り。元来、善悪は二にして一、神魔は同魂である。宇宙の間に、絶対の善なく悪なく、絶対の魔なく神なし。ただ統一(みすまり)して宇宙元気が充実して公明正大の心境に立てば善となり神となる。之に反して、その心境が分裂して元気分散し、気力消沈すれば悪となり魔となるに過ぎない。故に善も神も、一度び油断し懈怠し向下すれば、直ちに悪となり魔となる。また悪も魔も、真に懺悔し発奮し向上すれば忽ち善となり神となる。是れ亦、顕幽の神人万有に通ずる普遍の真律である。天上天下、いかなる神魔と雖も、この大自然律を破り紊すことは出来ない。ここに因果の道理が儼存し、万有おのずから因果の道理を明証しておる。而して宇宙人生の健全、荘厳、神聖、公明正大の根拠となっている。

   さもあらばあれ、人間が死んだようでも、其の生命(いのち)まで消滅して無くなるものではない。死者の生命は、十百千万億兆京・・・・の年所を経ても消滅しない。其の生命(いにち)の霊魂は、その生前の迷信や信仰のまにまに、一時は浄土若しくは天国を尋ねて飛び去り、宇宙間を隈なく彷徨して翔け廻るけれども、遂に彼等の生前期待した様な極楽境は見当らず、又何処にも其の生前に迷信させられたようなゴットも仏陀も待っていない。茲に於いて、非常に失望落胆した亡霊幽魂は、恨み悲しめどもその自業自得の浅間しさ、其の疲労困憊した浅間しい姿を以って、必ずや其の生前の吾が家か若くは子孫縁者を頼って帰って来るのである。

 然るに其の遺族共は、それ幽霊が来た!亡霊が出た!悪魔が来た!と言うて、之を憎み嫌い、再三再四、之を追い払うに努力するのである。世に是れほど無誠、無情、酷薄、非道、不義、破倫の所為はあるまい。あわれ生前は非常な大恩になった親様であり、良人や妻であり、又わが可愛い可愛い子女や兄弟や孫彦である。死んだからとて、斯かる非礼は大道大義の許す所ではない。大道大義は、マコトを以って生死を一貫し、顕幽を一貫し、三世を一貫して敢て愉らないのである。

   今茲に、その親や子や夫や妻や兄弟などの窶れ果てた幽霊亡魂が、わざわざたよって来たからには、大に歓迎して之を永遠の依所(ミタマシロ)に奉斎し、且つ手厚いお祭を世々の子孫がマコトを罩めて仕え奉り、而して之を慰安し、祝福し、報賽しつつ弥々浄化し明化し強化して、立派な神様にまで押し上げ参らせねば、人間としての本性本能が承知しない。安心しない。斯くするのが祭祀の大道である。

  • [12]
  • 外つ宮の相殿に座す、皇孫の命

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2010年 3月12日(金)00時29分22秒
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「外宮に於ける「御食殿(みけどの)ノ御儀」にて皇祖様には、毎朝必ず御食殿に出御ましまして、御躬から御主役となり給うて、豊受大神を始め、相殿の三神及び外宮別殿の神々達を御接待遊ばし、お親しく相嘗の御儀を挙げさせられ、尚、毎年秋の新穀には、必ず御報賽のため、相嘗の大礼を致され給う由」

     この「皇祖様」は外宮 相殿の一座、瓊々杵の尊にて御坐しますこと、四宮憲章 『皇政の根本 伊勢大神宮』 皇明會 昭和八年刊によって以下に示すこととする。

曰く

   外宮の相殿に奉齋してある神々は、色々な説があるが、文献に徴しては、大倭姫(やまとひめ)の命の世記が一番正しいもので、又最も信ずるべきものである。

       大倭姫の命の世記に云ふ、豐受の大神一座、相殿の神三座、
相殿  左 大 一座   天津彦彦火瓊々杵尊  形 鏡 坐
      右   前 二座 
  天児屋命            形 笏 坐   
                                天太玉命         形 寶玉 坐

と、ある、平田篤胤翁の古史傳の細註にも「外宮の相殿に、皇孫瓊々杵の尊の御坐すと云ふことは、何の他の古書にも見るところなきに、唯この「世記」に依てのみ、然る事とは知られたるは、誠に貴とく、ありがたき事の限りなり」と云ってある。この説も亦誠に貴とく、ありがたい事であるが、尚伊勢御鎮座本記に、「雄略天皇の御世に豐受氣の大神を今の外宮に遷し奉られし時に、大御神の御託まして、天の児屋の命、太玉の命を外つ宮の相殿に座す、皇孫の命に陪奉り、かの御戸開の神二座を伊須受の宮の相殿と為し給へり」との記事がある。右の「外つ宮の相殿に座す、皇孫の命に陪奉れ」とは、大御神の御託宣とあるからは、瓊々杵の尊の外宮相殿に御鎮座のことは、最早昭々嚇々として何等爭ふべきの餘地はないのである。

  • [11]
  • 日々の神嘗

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2010年 3月11日(木)00時51分4秒
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御食殿(日々の神嘗)の御儀に依る大義名分

 (愚案、みけどのは正式には御饌殿、御食殿の御儀は日別朝夕大御饌祭。)
 http://www.isejingu.or.jp/maturi/maturi3.htm

   お伊勢様の御神儀に就いて、最も感激に堪えない事は、外宮に於ける「御食殿(みけどの)ノ御儀」であります。即ち皇祖様には、毎朝(愚案、毎朝夕)必ず御食殿に出御ましまして、御躬から御主役となり給うて、豊受大神を始め、相殿の三神及び外宮別殿の神々達を御接待遊ばし、お親しく相嘗の御儀を挙げさせられ、尚、毎年秋の新穀には、必ず御報賽のため、相嘗の大礼を致され給う由を承っております。この御食殿は、神と神との相嘗ゆえに、世に之を神嘗祭り(かむなめのまつり)と申し上げております。

     この御食殿に於ける神嘗の御儀を拝察しても、われわれは深く鑑みねばならない重大な御儀表が仰がれましょう。即ち、皇祖様には今も猶、御在世中に引き続いて天下億兆のために祖神及び天神地祇に御奉仕なされます其の顕幽一貫の御孝養と御垂示とであります。斯様に生死を通じ顕幽に貫く至誠至純至正の生き方-在り方-立ち方-こそ真に「親譲之道」の鮮明なお手本と仰がれます。

    それ故に、宮中に於かせられても、この御食殿の神嘗に倣わせられて、賢所の御前に朝御餉(あさみけ)、夕御餉(ゆうみけ)の御儀があり、毎年秋の新穀には、必ず皇祖高燥及び天神地祇に御報賽の大礼を挙げさせられます。之を世に新嘗祭(にいなめのまつり)と申します。 従ってわれわれは、この日戸毎に国旗を揚げて、「よく解りました。われわれ見倣うて必ず実行致します」とお誓いして、各家庭に於いても日毎御先祖様方に相嘗し、常に敬神崇祖-慰霊報賽-祖孫一体-神人豊楽-顕幽安泰の立体生活に祝福されます。之れ亦お伊勢様の御行伝として仰ぎ得る大義名分であります。

(愚案、「皇祖様」は肇國の神皇 瓊々杵の尊と拝察奉る。神胎にてもとより生死無し、文山翁の筆の荒びか)

  • [10]
  • 真心を言語に移して他に伝える言霊

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2010年 3月 7日(日)15時24分15秒
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皇道(おやゆずりのみち)の三顕法

(3) 言伝に就いて

    言伝とは、己が真心を言語に移して他に伝える言霊であります。而して言霊には二種あります。即ち(イ)直接言霊によるもの、(ロ)間接に記録文書に化して遺すものとあります。直接の言霊に依るものは、例えば言語以って、直ちに指導し啓発し、教訓し忠告し叱責する等であります。 その間接の言伝とは、例えば吉詞(のりと)、宣命、勅語、詔書、御製、御詩、及び古事記、日本書紀、旧事記、上記、古語拾遺、風土記、或はその他の歴史書、郷土史、各家集、文献、日記、書簡、家憲、教訓等であります。是等は総て行伝に伴う記録でありますから、我が先輩の行跡を紹述し、言霊を写したまでであります。故に外来宗教の経書や経文や経典などとは違い、単なる教義、教典、教範、教則等とは、その本質が全く異なっております。悉く史実や行跡の裏附けがありますから、それが全て親譲之道となって後世に伝わり、且つ子々孫々の感化、薫陶、発奮に絶大な影響があることは、単なる理想や主義や教法に止まる経書、経典、経文、聖書等の比ではありませぬ。それ故に国民の教育上に、歴史地理及び修身の重要なる所以はここにあります。

(愚案、スレッド 霊的国防の本義拾遺- 戦力としての言霊 御参照。)

  • [9]
  • お正月のお飾りと禊祓の御垂示

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2010年 3月 5日(金)21時50分34秒
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(2) 器伝に就いて その2

     お正月の御飾りは総て子々孫々に禊-祓-鎮魂の一連の実修を督励し、之を代々に伝統すべしとの警告であります。併しこの重要な真義を知るものは尠い。従って初月を正月と呼び、若くは睦月と称する所以も判って居りませぬ。

   それ故に正月はただその年の始めで、飲食して遊戯し、観劇や映画等に徒食し、甚だしきは賭博と荒楽とを能事とするのを当然とする今日になりました。併しながら、古来からの形式が伝統しているだけでも、尚、之を全廃するよちは可としなければなりませぬ。何となればこれも「告朔の気養」で、他日必ず役立つ因縁となるからであります。

 さもあらばあれ、人間がこの世に生存する間には、絶えず心身の内外から受ける「ケガレ」や毒、若くは「ツミ」や「トガ」が触れかかって邪魔になりますから、人間の本性本能は昧み、「マコト」は蔽われて、遂に小人、凡夫、罪ノ子と化して仕舞います。それ故にこれを防ぎこれを除く為め、人間は絶えず禊祓鎮魂して心身の清・明・正・直を保全し、常に健康を持続しなければなりません。    

 されば我等も宮中の御公儀に倣うて、毎年夏冬の二回ぐらいは「ミソギ」「ハラヒ」をなし、鎮魂反省して真人間となり、日に、月に、年に新たなる人生を創造せねばなりませぬ。げにお正月の床飾及び行事は、わが祖先の新設な道統の器伝であり、重要な禊祓の御垂示であります。

  • [8]
  • 器伝の本位には必ず行伝の裏附が伴う

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2010年 3月 4日(木)23時26分18秒
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皇道(おやゆずりのみち)の三顕法

(2) 器伝に就いて  その1


    器伝とは、器物や型などに依って、大自然の真理、真律、真道を後世に教え伝える方法であります。わが国の神殿や住宅等の形式、折り紙や水引の結び方、神籬磐境の製法、年中行事のお正月や桃の節句や端午の節句などは、悉く器伝を主とする親譲之道の伝法でありまして、洵に重大なる意義があり、之れに依って斯道を永遠の子々孫々に相続せんとする祖宗の伝道法であります。 然るに、是等の伝法の真義本領が、いつしか忘れられたり失われたり、或は誤られたりして、今日では只一片の形式のみが辛うじて存続するものやら、若しくは妄りに変革してその本義をはなれたものが多くあるのは、遺憾千万と謂わねばなりませぬ。 日本の食制度の中にも、親譲之道がいろいろと加味されて居りまして、特に大自然の味や香や色等を、そのまま活かして摂取するようになって居りますことなど、諸外国の調理法と異なっていることを見遁してはなりませぬ。 その他わが日本伝来の生活形式の裏には、用意深く「言霊之幸(ことたまのさち)」を活かし、尚陰を去り、陽を摂り、「数霊之真(かずたまのしん)」を損しないように度量衡の制を立ててあるが如き、驚嘆に堪えないものがあります。 中略 併し特に申上げておきたい重大事があります。それは器伝の本位には之に必ず行伝の裏附が伴うていると云うことであります。之れを忘れますと、貴重な年中行事も単なるお祭りさわぎになり、妄らな歓楽に終始するのみで、却って後世の子々孫々を害毒する結になります。正に現代の醜態は之れを証して居ります。

  • [7]
  • 永遠の立体責任

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2010年 2月28日(日)15時25分29秒
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(3) 夫婦生活の神聖

 夫婦生活が真に神聖な誠愛-純愛-真愛であれば、清明正直の真人が産まれます。愛の権化の神様が生まれます。即ち、その子女は、両親の「マコト」の結晶というべきであります。是れこそ神聖な天津霊嗣(あまつひつぎ)の神産みであり、お芽出度い天孫の降臨であります。天孫降臨も、祖神の神産みも、上古ばかりの神話でなく、今にも将来にも、一貫した古今東西に通じる大自然律であり、顕幽に一貫する神秘であります。是れが万物の霊長たる人間の結婚目的であり、夫婦間に於ける神聖な恋と愛と仁とを兼ね得た神事であり、神勲であり、人生無上の使命であり、同時に人間最大の聖業であり、永遠の立体責任でもあります。

 然しながら、人間もし夫婦の常道を誤れば、悪魔の子孫を世に胎して永遠に社会を害毒する大罪悪となりましょう。 故に人類は悉く罪の子であると説くクリストは、大自然の真律を感得し得ずして、神聖な夫婦の神事(かみわざ)を誤っていると云うべきではあるまいか。されば記伝に於いてもいかさまイエスは処女マリアが単独で産んだことになっているが、宇宙人生を一貫する大自然の真律・真理・真実としては、神の奇蹟は必ずその精霊を、夫婦の聖愛に依ってのみ限られております。之を紊し破るは大同の反逆者であります。わが皇道(おやゆずりのみち)では、絶対に之を認めず又許さないのであります。

  • [6]
  • 男女遘接の霊的影響-子孫の直日(霊)

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2010年 2月27日(土)22時40分26秒
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(2) 男女の貞操

  親譲之道を保全する上に、最も緊急な重大事は男女の貞操であります。人間の貞操は男も女も倶に等しく厳守せねばなりません。即ち誰人も、その結婚前であろうと、結婚後であろうと、各自その心身の清浄を保持して終生一貫すべきであります。 何となれば、男女一たび遘接しますと、相互の霊魂は全身を通じて交流し、非常の活力を以て対者の全身に侵入し行流するのであります。それ故に、若し二人以上の異性に交わったものは、それらの相仇するニ種以上の霊魂を吾身に受け入れて、それが全身を荒び廻りつつ絶えず霊的暗闘を続けます。それ故に、かかる混乱した霊魂を享けて産まれた子女は、その性格が不健全であり、その思想も不統一であるのは当然で、忠克、忠孝の子女は有り得ませぬ。 抑々人間の最も偉大にして悠久な大事業は、神聖な「子宝」が神聖な夫婦の純愛=「マコト」の結晶であるべきは、大自然の真律であり、神様の照鑑摂理であります。人間一生の事業功績も悉く一時の泡沫であり、真実の大事業は、神聖な人産みに外なりませぬ。 されば、われら天照民族は、結婚の聖道を守って子宝を益々多く産み胎し、皇国の精華である親譲之道を全うして、家門の光栄、国体の安全、世界の平和、人生の円満極成を期さなければなりませぬ。是れが天津日(霊)嗣の大道に生き成る天皇国大日本人の、世界に立つ天職使命であります。(注.日は原文では○の中心に・) さもあらばあれ、男性の神聖を守護する責任は、女に在り、女性の神聖を守護する責任は、男に在るのであります。即ち、男の堕落は女の罪、女の堕落は男が悪いのであります。世の中は倶斃れになってはお仕舞いです。お互いに注意しましょう。

(愚案、男女の貞操がその直霊(日)に及ぼす霊的な影響の甚大であるに心されたい。
 下に、『おゝ靖国の大神』に収録の同趣旨の文を引用し若干の補足とする。)

『おゝ靖国の大神』
-「地縛霊(餓鬼)」に見込まれないような強い“直日”の子女を産む秘法

     (愚案、ここでの地縛霊(餓鬼)は禍津・魔を判り易く表現されたもの)

 世の親達は、地縛霊に見込まれるような“直日(注.日は原文では○の中心に・)”の弱い児を産まぬだけの強い決心と教養と覚悟とが必要であり。この為には、世の男も女も常に意思を鞏固に、品行を慎み、心身高潔に、一生を通じて異性をニ三にするは厳禁である。    何となれば、男女何れも、一度遘接と同時に、男女ともに相手の精霊を無数に身に受け容れて仕舞い、爾後は霊的にも精神的にも極めて不純かつ卑屈化し、自ら自身の“直日”を無みする結果となる。これが爾後の産児に遺伝し、●●や○○○を産む結果となる。人間の前後左右に満ち、待ち構えている地縛霊に捧げる結果になるのである。げに貞操は、男も女も心すべき重大事である。恩師(愚案、川面凡児)はわが入門時に、予の左の手の平を視られて云うには、お前の御両親とも立派な人であったので、お前は幸福であると安心された。然るに現代の世相は、某国の陰謀にや、三S政策とやらに魅せられて、男女の「セックス」過剰化が大流行し、いよいよ“直日”の弱い●●や○○○が産まれて、たゞ餓鬼共に捧げることになる。おそろしやおそろしや。たゞ宗教家や行者共が、これを私用し悪用し、そしてそ操縦して衣食し、高居する結果となる。人世は益々惨禍するのみである。心すべきことにこそ。
  あゞ天神真仰の天ツ日嗣 天皇国大日本の天命-天職の重大事を痛感するのである。

  • [5]
  • 親譲之道の伝統保全の根本-結婚の常道

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2010年 2月26日(金)22時01分35秒
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● 親譲之道の保全法

(1) 結婚の常道

 この世に於ける親譲之道の伝統を保全する為の根本-出発点は、結婚に始まるのであります。これを誤れば、健全な子孫は得られません。世に悪質、不良、不健全な子女を産み胎しては、神聖な親譲之道は汚れ、不忠、不孝、不義、不幸のものが世を継ぐことになります。現今の若い人が考えているような軽薄で早急な結婚では、殆ど禽獣に近い野合に等しくなり、その子供に、三毛やブチやアカ、シロ、クマ等が産まれましょう。それでは親譲之道も何も有ったものではありません。中略  一言申し添えたいことは、現在流行の産児制限の件であります。之を祖神の霊魂観に照らしてみますと、慥かに産制は悪魔の所為であり、非常な大罪悪であり、大自然の道に乖く無知な暴行であります。故にその祟りは酬い来たって、その子を産み育てる超楽超苦に幾層倍の不幸不吉不詳の禍事(まがこと)が、その身その家その国に頻発するのは必然の因果応報であります。もし国家として之を奨励するようになれば、その国は滅亡の外はありません。

 それよりも結婚の正道を全国民に徹底し、健全で優良な子孫を挙げしめ、国家が之れに至当の教育(教育勅語の御本旨による)を授けて、人間の親譲之道を啓発し助け長したならば、日本民族の繁栄は興国の基本となり、世界平和の増進となるであろう。果たして日本民族が健全で優秀であるならば、世界各国も相争うて、我等の移植と入国とを大歓迎すること疑いないのであります。之れが御神慮に順応した積極的国是の重大事であります。

  • [4]
  • 経の行伝・緯の行伝

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2010年 2月25日(木)23時46分41秒
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我等の親様(祖宗)

(1) 経(たて)としての行伝

 慎んで我等の親様の行跡を密かに顧みますれば、全べて立体的大個人たる自覚に徹しておられたことが克く判ります。故に、いずれの御方も、公私共に無窮の立体責任に立ち、顕幽一貫の立体願行に生きぬかれております。即ち親譲之道を踏み、祖先伝来の「家」を守り、君民一体の国体を尊び、世間公共の為に「マコト」からなる祭政一致の立体生活の上に安心立命して、生死一如の奮斗努力に終始されております。実に偉大で悠遠な人生観に生きぬかれて居ります。
 故に平常は如何に御多忙のときでも、必ず朝夕は祖宗の神霊を慰め奉り、又父母に孝養し子孫を愛撫し、家業に励んで弛むことがありませんでした。 されど、一旦緩急に際しては、一身一家を顧みないで、大義の為に献身奉公するに躊躇致しませんでした。是れ皆な経(たて)の行伝を我等後裔に遺し給うたのであります。  是の故に教育勅語にも『克ク忠ニ、克ク考ニ、億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ、是レ我ガ国体の精華ニシテ・・・・』と仰せられて、わが国民性の純真をお褒め称えられ、且つはわが、『教育の淵源亦実ニ此ニ存ス』と諭されて、国民教育の根本は、国民の大自性を啓発して「親譲之道」を助長するにあることを、明らかにし給うてあります。是れ悉く経(たて)としての行伝であります。

(2) 緯(よこ)としての行伝

 わが祖宗の緯(よこ)としての行伝は、我等は古老の言や、家門に遺された文献に依って察することが出来るのであります。又わが父母の平生に依って親しく知っております。即ち喜んで郷土に尽して公益を図り、博く愛を施して家門の光栄を発揚して居られます。 又同時に幾多の子女を善導して、之を世に出し国に捧げて社会を麗しくして居ります。これ皆、緯(よこ)としての行伝であります。

  • [3]
  • 萬邦大々神化弾

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2010年 2月24日(水)20時47分4秒
  • 編集済
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愚案 :

   皇道(おやゆずりのみち)は「行伝」を尚ぶ。教育勅語の内容本質は総て我が天照民
   族の行伝に他ならない。一先ず「器伝」、「言伝」を離れ、「教育勅語の大神化力」 を掲載
   する。

   「教育勅語を共に、偕に、その国民教育の上に普及し徹底させ、先ずわが国教に復
   原し、万邦の儀表 を示す(文山翁)」 は、此れ、霊的国防の一である。

   先ずは、毎日の家祭に御神前で教育勅語を奉読されたい。

● 教育勅語の大神化力

  今や世界全人類を恐怖のどん底に追い込んだ原水爆の猛毒から救って、人生を永遠の天照宮(みあらか)に安んぜしめる唯一道がある。それは極めて簡易、ただわが教育勅語を国教に復活して、ここに天皇国大日本を完成し、斯道を全世界の人間教育に押し及ぼすのみであります。教育勅語の復活は、幾千万の原水爆の劫火も施すに由なきほどの大神化力を有つ大々的神化弾であります。 されば、我が教育勅語を以て全人類の本性本能を開き、人間の「マコト」を顕証して、同光同栄に和楽すれば、文化的野蛮な暗黒世界が、立ち所に叡智に輝く文明世界に一変し、万万世にかけての太平が開け、幾万個の山積した米ソ英等の原水爆も永久に無用の邪魔となり、後世の笑物として其の醜態を曝すのみでありましょう。少しも恐れる必要はないのであります。 恐ろしいのは、只之を悪用して人世を惨害しても構わないと言うような人間性の迷信=小人、凡夫、罪ノ子らの強暴が恐いのであります。わが教育勅語は、実に人間の迷いを祓い、全人類の本性本能を啓発して、人生の神光、神力、神徳を開発する大神化弾であります。だから米ソ英などに原水爆の禁止を哀求悃願するよりも、寧ろ教育勅語を共に、偕に、その国民教育の上に普及し徹底させ、先ずわが国教に復原し、万邦の儀表を示すに在る。之れが即ち、本末を正し前後を誤らぬことであり、わが日本に、本立って世界に道生ずることになる。ああ、天皇国大日本の宇宙に常立つ大使命ここに在り。天照民族の全人類率先すべき大天職は、かくも偉大であり、崇高であり、悠久であることを信ずるものであります。

  • [2]
  • 教育勅語の内容本質は、総て我が天照民族の行伝

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2010年 2月23日(火)23時17分38秒
  • 編集済
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● 皇道(おやゆずりのみち)の三顕法

 お伊勢様の御伝として、皇道(おやゆずりのみち)の三顕法と申すことがあります。即ち(1)行伝、(2)器伝、(3)言伝、の三伝法であります。

(1) 行伝に就いて

 皇道の尚ぶところは、三顕法の中でも「行伝」であります。古来わが民族は徒に言挙げせずして、直ちに実行実顕することを主として来ました。それ故に皇道には、教義とか教典とか教範とかいうような一定の規律はありませぬ。ただ世の親等が平常の生活-起居-家事-育児-交際におのずから「マコト」を顕して清・明・正・直の人生を営むに過ぎませぬ。それが知らず識らずも子孫の儀表となり、「行伝」となり、親譲之道となるのであります。 行伝の中で最も重要なことは、同床共殿の祖先祭祀であり、祖先祭祀の家祭であります。即ち『天之御柱のお祭り』と申しまして、天ツ神が祖神(なぎなみのかみ)に事依し賜うた時の『修(うみつくり)・理(うみおさめ)・固(うみかため)・成(うみなせ』の神勅に始まり、次で祖神(いざなぎのかみ)が、皇祖に事依し給うた『頸珠(みくびたま)』の御親祭となり、尚、皇祖(あまてらすおほかみ)が皇子皇孫に授け賜うた『斎鏡(みかがみ)』を、同床共殿に奉斎せよとの神勅に由来するのでありまして、御歴代の天皇様に於かせられても、万世に一貫する「賢所」の御親祭という最大要儀となって居ます。 即ち宮中に於かせられては、天皇陛下御親しく賢所大御前に於て、皇族王族を始め、百官有司、国民各階の代表者参列の上で執り行わせられる。即ち皇祖皇宗を始め天神地祇に奉賽のマコトを捧げられ、その御加護の下に、普く天下億兆を祝福し保全し給う宏大甚深な御神儀と仰ぎ奉るのであります。この御神儀この御盛徳、この御宮事を欽仰することの出来る我々は、ここに天下の大儀表を得て、各自の家庭に於ても、おのもおのもの祖、宗、先親の神霊に対して、家長自ら斎主(いわいぬし)となって、家族一同と共に朝夕マコトをこめて、丁重厳粛に慰霊報賽の敬礼を捧げ、己が祖宗先親と共に、天皇陛下の万々無窮代を祝福し奉り、同時に子孫永遠の光栄、国体の安泰、世界の平和幸福を祈願するものであります。げに家祭は、家主たるものの最高至尊の重大責任で、古来の家督相続は、その家の祭祀権の引継ぎであります。行伝中の第一位にあります。其他の枝葉末節の行伝は一々列挙するまでもないが、平常の言動悉く公明正大で、一事一言全て道義、礼儀、情宜の三義を兼ね得た行為が子々孫々に伝統する行伝であります。就中、明治天皇様が古今内外の人間に普く宣明し給うた教育勅語(愚案、「教育ニ関スル勅語」)の内容本質は、総て我が天照民族の行伝でありまして、人間に本有する本性本能の 「マコト」の顕証を明示し給うたものと拜し上げ、欽仰に堪えないものがあります。

  • [1]
  • 人世に天壌無窮の大天照宮を円満成就する大自然律

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2010年 2月23日(火)00時07分1秒
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 わが靖国の大神達は、全て等しく天皇真仰に帰一して悠久の大義に献身し、顕幽に一貫して天壌無窮の皇謨に参向し、七生八生、十百千万生に常生して、天皇の大公身に一体し奉っている。同じく、誰人でも其の生死を貫き、顕幽一途の真念、真仰のまにまに七生、八生、十百千万生、萬世無窮に奉公することが出来る道が伝統されている。万世に伝うべき其の道を「親譲之道」という。

 ここに、中村文山『親譲之道』神社本庁内 中村文山先生八十鶴寿祝賀会 昭和三十四年 非売品 を紐解き、最重大事を拾遺して同憂諸賢の参考に供す。

 同書の「川面凡児先生と本稿」に中村文山翁の曰く

 わが師の川面凡児先生からお伝え頂いた「祖神の御垂示」は、日本人は勿論のこと、全世界のものが悉く、慎んで傾聴せねばならぬ人生の重大事であると信ずるものであります。  何となれば、わが祖神の御垂示こそは、世界万邦を安んじ、全人類を救い、顕幽の万霊万生を祝福してやまない道で、宏大無遍な立体文明の綜合文化であり、人世に天壌無窮の大天照宮(おほみあらか)を円満成就する大自然律であるからであります

(愚案)「靖国」の言霊は、まさに「祖神の御垂示」-大自然律に淵源するものである。
     我が神武・霊的国防は、ここに立脚するものでなくてはならぬ。


● 親譲之道は大自然律-皇道の真髄

 我国に於きまして、神道とか、皇道とか、又は惟神之道(かむながらのみち)とか申しますのは、実は外来教が入って来てからのことでありまして、それ以前は、親譲之道(おやゆずりのみち)もしくは随親之道(おやにしたがうのみち)とも申し伝えて居りました。  親譲之道は大自然の道理や法則が、そのまま世の親々を通じて、其の子、其の子へと伝わる本性本能の「マコト」であります。即ち宇宙人生に一貫する真律-真理-真実が、親子間の生命に伝統して顕証されていることであります。之を約言すれば、天津日(霊)嗣を一系連綿に伝統する大道であります。この親譲之道が挙国一体、君民一徳に顕証し得ることは、実にわが君民一体を本質とする国体の精華でありまして、君民同祖一体の歴史に生成し発展して来た天照民族の恵まれたる特殊性であります。それ故に国柄を異にする諸外国では、各個人としての各家庭に於ける親譲之道があっても、挙国的に大和し得る公の親譲之道は有り得ませぬ。  そもそも天津日(霊)嗣とは、宇宙人生を一貫する立体生命の伝統でありますから、親譲之道は、この立体生命によって親から子へ-親から子へ-親から子へと関聯一系伝統して天壌無窮に相嗣ぐ本性本能の「マコト」であります。故に之を随親之道(おやにしたがうのみち)とも申します。後世これを漢訳して、前者を惟神之道、後者を随神之道と書き別けるようになり、倶に「カムナガラの道」と訓ませます。いずれにしても同一で、親の立場に即すれな「オヤユズリの道」であり、子の立場から言えば「オヤニシタガウの道」であることに相違ありませぬ。それ故に、事実は不二一体であります。要は親子一体、祖孫一体、君民一体、宇宙万有一体の有るがままの天津日(霊)嗣の大自然律の外なりませぬ。

 天津日(霊)嗣の内容本質は、即ち霊統・命統・血統・性統・徳統の六統が、一系連綿として遺伝し相嗣ぐことであります。ここで嗣ぐとは延長延伸の義であります。 中略  天津日(霊)嗣を通してこそ、真に君民一徳、四海同親、八紘為宇の大自然の和親譲之道が開けます。而して之を如実に顕証し得る民族は、世界広しと雖も皇国大日本あるのみであります。何となれば、皇国こそ、万世一系の天津日嗣に常立ちます天皇が宇宙人生一貫の大道により、祭政一致の立体信仰を以て、顕幽の神人万有を永へに照鑑摂理し給う歴史的大事実があるからであります。故に斯の道を「皇道」とも申します。即ち天下の大儀表が、天皇の常立ちによって開顕し顕証されるからであります。


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