• [0]
  • ★☆★ 時計の間 ★☆★

  • 投稿者:塾頭
 
●塾頭の曰く、「

 喫茶室・酒場は困りますが、皆さんが、塾の講義を聞いているだけでは疲れるでしょう。私も以前から、気楽にみなさんがお話を出来る「休憩室」みたいなものを作ったら、案外、いろいろなことをおしゃべりできていいかな、とは思っています。酒の「話だけ」なら構わないが、持ち込みは厳禁です。お茶とお菓子ぐらいで、あとは手弁当を食べるぐらいはいいでしょう。あくまでも「九段塾の休憩室」ですから。居酒屋ではありませんよ(笑)。

 そこで『時計の間』という部屋を、スレッドの中につくってもらいましょう。「時計の間」の意味は、休憩室ではあるが、常に柱には「時計」が架っていますので、いつまでもグダグダ、この休息の場でだべってばかり、寝そべっていては困るという話です。別スレッド「事務連絡」は事務連絡で、従来どおり。

 焼酎の話でも、孫の話でも、世間話でも、それは一向に構わないと思いますが、それでもこれから天下に名を馳せようと考えている九段塾ですから、あまり品位の無い話はまずいでしょう。政治の話、神社の話し、時世の話、日常の話、旅の話し、よもやま話――九段塾の掲示板では、少し不似合いな話。それは、なんでも自由でいいでしょう。あくまでも皆さんの休憩室。講義の間の休憩室です。そこらへんは、皆さんなんですから、善く飲み込んで理解して下さい。九段塾の「常識」の範囲で。

 喧嘩は、絶対ダメですよ。つい、激論、激昂にはしりそうなメンバーもいそうなので、塾生同士の喧嘩は、絶対にご法度。

 「時計」がありますから、あくまでも時計を眺めて、お話を適度にされて。

 ‥‥それと、これは私の気持ちだが、あまり食い物と飲み物の話ばかりというのは、私は好きではない。歳をとると(若ければなおさらだが)、必ず「どこそこの酒はいいとか、名物はいいとか」話し出す。昔、大先輩より云われた言葉があって、「人間、食い物・酒の話の自慢話をやるようになったらおしまいだ」というのがあります。それはプチ人間になるからです。やはり食い物が無くて困った生活をしている人たちが、世間には沢山いるし、自分もそういう経験をしてきている。みなさんはそれなりの生活を作ってきているのでしょうけれど、自分たちだけが幸せな話をされるのは、私は好まない。「たまには、すこしは、いいでしょうが、あまり食い物・酒の話をするのは困ります」。これは私の性格で、もともと酒宴が嫌いなもので、申し訳ない。食い物にもあまり興味が無い。なんでも、あれば食べるので。どれがおいしい、まずいを云うと、怒られる。今でも。「なんでもおいしいおいしい」と食べるのが普通ですからね。それと‥‥結構、うるさいですが、「今日は俺がおごるとか、ごちそうするとか」の会話。これも好きではない。申し訳ないね。なんだかんだ、うるさくて。

 「じゃ、ちっとも自由にしゃべれないじゃないか。そんなら休憩室はいらねえよ」とは言わないで下さいよ。九段塾ですからね。そこらここらにあるもんじゃない。××社を始め、多くの正統保守が見ている掲示板ですから。そこはそれ、お願いします。じゃんじゃん、やってもいいですよ。お茶とお菓子と弁当で。なんとか間を持たせて、休憩して下さい」と。


**********

 入力要領は、本篇・掲示板と同一。「編集・削除」も、最下段のボタンより、投稿者自ら出來ます。提案・苦情等、何なりと遠慮なく仰つて下さい。出來ることは、善處する所存です。 謹白

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  • [355]
  • 將棋の底流に流れる武士道文化。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2017年 7月30日(日)22時49分1秒
  • 編集済
  • 返信
 
~承前~

■大橋宗古二世名人(宗桂の長子。本因坊算砂の門下)『象戲圖式』(寛永十三年刊)卷末「將棋治式三(四)箇條」

一、二歩を打つことの禁。
一、千日手の禁。
一、逆馬(さかうま)にゆき處なき駒を打つの禁。
附、打歩詰の禁。



●田中寅彦九段『將棋界の眞相』(平成十六年十一月・河出書房新社刊)に曰く、

「日本の將棋のルールには、大きな特徴がある。駒の動かし方など、基本的なゲームに關するものは決められてゐるが、ルールが非常に少ない。ゴルフのやうに、『カラスに球が當たると、どうなる』といつた、細かな規定まで決めたルールブツクはない。またこれまでルールの變更も、ほとんど行つて來なかつた。『國際的に普及するためには、ルールをもつと細かく決めて分りやすくし、明文化すべきではないか』といふ棋士もゐるにはゐるが、現状でいゝと考へる棋士が多數派だ。それが日本の傳統文化だからである。

 將棋は、單なるボードゲームではない。日本の長い歴史の中で育くまれた傳統的ゲームである。日本人の考へ方を反映しながら發展して來た。日本は、古來、武士道精神を大切にする。將棋の底流に流れてゐるのも、武士道精神だ。ルールになくても、恥づかしい行爲はしない。禮儀に則つて、お互ひに判斷するのが、プロ棋士。『ルールの範圍内なら、何をしてもよい』といふ、西歐流の考へ方とは異なり、わびさびの世界に近い。

 例へば相手の駒を取つて駒臺に乘せたものゝ、もう一度、盤面に返した、現にかういふシーンが、プロの對局でもある。その時に相手や見物人は、ドキヾヽする。明らかに駒を取る意志を示したのだから、戻すのは違反といへば違反だ。しかしそんな違反すれゝゝの行爲にも、プロ棋士は抗議しない。『駒のほこりを取つてもらつたのだ』と解釋する。許されるからといつて、頻繁に同じやうな眞似をすると、『さうまでして勝ちたいか』と輕蔑される。これがプロの考へ方だ。したがつてルールは必要ない。お互ひ禮儀の問題、心のあり方の問題である。

 私がアマチユアの審判を頼まれた時に傳へることは、將棋の中に色濃く殘つてゐる日本の文化、武士道精神だ。
『二歩を、どちらかが指した。もし打つ(ママ。指し)た人が、その後で氣づいたのなら、「二歩でした。負けです」と、自ら申告して下さい。勝つた人は、逆に「二歩だ。自分の勝ちだ」と指摘するのは、どうも將棋の精神には馴染みません。「それは二歩ですから、お戻し下さい」と言ふのが、人間としての情けです。それに對して負けた側は、「濟みません。戻します」ではなく、「申し譯ありません。私の負けです」と言つて下さい。これが日本の文化。さういふことを覺えて下さい。殺伐としてゐる今の世の中で、せめて將棋の世界ぐらゐは、日本の佳き文化を殘しませう』
と、指導してゐる。

 ボランテイアで小學校に指導に出かけた時も、眞つ先に教へるのは、駒箱の開け方と駒の出し方。對局は禮に始まり禮に終はるといふ、基本の中の基本だ。日本の文化と傳統を、將棋を通して學んでもらふのが、最も大切だと思つてゐる。何から何まで、ルールで決めないと揉めるのでは、日本の文化ではない。最低限のルールだけで、後は遣り取りの中で、お互ひの氣持ちを忖度しながら決めて行く。これが日本の文化だと、私は思つてゐる。

 棋士は、傳統を重んじる。タイトルマツチに出場する選手は、昔から和服と決まつてゐる。背廣を着たことがあるのが、加藤一二三さんと島朗ぐらゐ(愚案、邪蘇教徒と赤旗關係者。後に和服の發注が間に合はなかつた村山聖九段)。昨年、王座に初挑戰した渡邊明五段(當時)も、慌てゝ和服を新調した。最低限のルールだけで、ほとんど手も加へて來なかつたのは、傳統的な考へ方を大事にしたいといふ棋士が多いからである。‥‥

 柔道は世界に廣まつたものゝ、カラーの柔道着など、日本では認められなかつたものが使用されてゐる。競技としてのルールが新たにつくられ、武道としての柔道は、原型をほとんど留めてゐない。本來の柔道とは違ふものを傳へてゐるやうな氣がする。柔道と同じ轍を踏んではならないと思ふ。『ジヤバニーズチエス』ではなく、あくまで將棋は『シヨーギ』、金は『ゴールド』でなく『キン』、ルールも簡素なまゝで傳へ、外國の人達に理解してもらはないと、普及に成功したとはいへない。將棋を通じて日本の傳統文化に觸れてもらひ、日本の文化を深く理解してもらつてこそ、意義がある」と。
 

  • [354]
  • 玉將と王將と。博と奕と。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2017年 7月17日(月)21時56分9秒
  • 編集済
  • 返信
 
~承前~

 或人の曰く、「『玉將』と『王將』と、何れか正しき」と。將棋盤上は、一の小宇宙なれば、『禮記』曾子問・坊記、或は『孟子』萬章上の「天に二日無く、土に二王無し」を引いて、王將を以て玉將の上に措く者あり。然りと雖も此の説は、凡そ五百年來の新説にて、古へは然らざるものあり。

 將棋の駒(古は「馬」と謂ふ)は、和銅五年の好字令の影響ならむか、珍寶佳品の美字を用ゐるを例と爲す。故に金・銀・銅・石等の各將を抑へ、「玉將」、即ち「水晶の將」を以て至極とす(三十六ないし四十九枚の小將棋・九十二枚の中將棋・百三十枚の大將棋・百九十二枚の大々將棋・三百五十四枚の泰將棋。下つて江戸時代の八百四枚の大局將棋の出現に至る)。

 最近、興福寺の舊境内跡より出土の將棋駒も、「玉將」三枚有つて、「王將」無し(天喜六年頃)。王將の濫觴は、後花園天皇の御代に於ける出版『壒嚢抄』に、

「『將棊の馬(駒)に、玉を王と云ふは、何の故ぞ。兩王いまさん事を忌みて、必ず一方を玉と書く。是れ手跡家(駒師)口傳と』とあるが原典となつてゐる。天に二日なしといふ思想で、これは江戸時代になつて、儒家が盛んに引用した。大田南畝の蜀山人も、『半日閑話』の中で、他書の引用として、『王將に點うつ事、王、二人なし。故に馬の王には、點を打つことこそ』と書いてある」(原田泰夫九段・天狗太郎氏『將棋名勝負物語』昭和四十七年三月・時事通信社刊)。

 而して一の「玉將」に替へるに一の「王將」を以てする説を豐太閤に歸する所の巷間の説は、全くの錯誤にして、豐太閤は、既に存せる王將に替へるに「大將」を以てせんと欲す(下記『御湯殿上日記』文祿四年五月五日)と雖も、遂に叶ふこと能はざるが如し。

 下記に、最も詳細なる幸田露伴翁『將棋雜話』等を抄記して、博雅の士に供すと云ふ。



**********

●幸田露伴翁『將棋雜話』

二、王と玉と

 朝川善庵の隨筆に、

「予、先年、大橋宗桂の需(もとめ)に應じて、其の著述せる將棋の書に序することありしに、王將といふ馬子(こま)は、何とも疑はしき名なり。王ならば王、將ならば將といふべし。王と將と混稱するの理あるまじとて、將棋の諸書を攷證するに、開祖宗桂より四代目宗桂まで、代々著述するところの『將棋圖式』には、雙方とも玉將とありて、王將の名なし。よつて思ふに玉を以て大將とし、金・銀を副將とするなるべし。左すれば金將・銀將の名も據(よりどころ)ありて、ひとしほ面白くおぼゆ。蓋し五代目宗桂以後、雙方の同じく紛はしきを嫌ひ、一方は一點を省きて差別せしにやあらんと、今の宗桂に語りしに、宗桂曰く、

『それは必ず然るべし。其のわけは、毎年十一月十七日、御吉例にて、御城に於て將棋仰せつけられ、其の圖譜を上るに、雙方とも玉將と書すること先例にて、王將といはぬことの由、家(大橋將棋所家)に申し傳へ、今に代々玉將と書きて上れども、何故といふことを知らざりしに、これにて明白なり』と。

遂に其の嘗て著述せる書を、『將棋明玉』と名を易へ上梓し、予が序を卷首に載せたり」

と云へり。『將棋明玉』は、其の書、今存す。玉將を王將とするの非なることは、まことに善庵の説の如し(但し王將も、また古き俗稱なり。『御湯殿上日記』、文祿四年五月五日の件りに、(後陽成天皇に)「太閤(豐臣秀吉公)より、菊亭・勸修寺・中山御使にて、將棋のわうしやう(王將)を改めて、大しやう(大將)に直され候への由、申さるゝ御心得あり」と見ゆるを、星野博士の見出して論ぜられしことあり。玉を王と呼びたるも、五代目宗桂以後の事にはあらず)。

ただし王と玉とは、たゞ一點の有無によりて相分るゝのみならず、王の字に點無きも、また玉と讀むべく、古文は、王と玉と、甚だ相異ならざるなり。王の字の横の三畫の中の一畫、上に近きものは帝王の王の字にして、横三畫、相均しきものは、珠玉の玉の字ならば、今の將棋の馬子に、一方を玉と書して、一方を王と書せるも過誤(あやまち)ならず、たゞこれを玉將と呼ばずして王將と呼ぶは、過誤なるのみ。棋聖小野(五平第十二世名人)氏の如きは、常に玉とのみ呼びて、未だ曾て王と呼ばず。これ其れ正しきを失はざるものといふべし。

四、玉將につきての俗説

 いはゆる番太郎馬子(ごま。手書き駒)の、玉將の一方は玉とあれど、一方は王とあるがために、局に對する時、貴き人の方へ玉といふ字の馬子を與ふるは禮なり(愚案、現行「王將上位」の逆なり。圍碁は「白石上位」とするも、かつて「晝は白石を貴人に參らせ、夜は黒石を貴人に參らせるべと」等の記録あり)などといへる俗説あり。取るに足らぬことといふべし。されど一つは玉と書き、一つは王と書くも、新らしからぬことなるにや。『壒嚢抄』は文安年間に成りたる書なるが、其の中に、

「象戲(將棋)の馬子のことをいひて、一つは玉と書き、一つは王と書くは、國に二王あるを忌むなり、これ手跡家の口傳なり

とありといふ。おのれ、未だ本書に就ては見ざれど、如何はしき愚なる口傳なりといふべし。

十二、將棋と吉備眞備と大江匡房と

 寶暦三年、伊藤看壽(八段・贈名人)著はすところの『象戲百番奇巧圖式』に、林信充(林家第四代・大學頭。榴岡と號す。鳳岡の子)の序あり。其の序に曰く、

「象棋家、傳へ稱す、『先王の時、吉備公、再び唐朝に聘せられ、小將棋を得て歸る』と。其の圖状を案ずるに、兩營、王將の首(前)に醉象あり、左右金將の首に、各々猛豹あり。然れども其の精思を得る莫きなり。大江匡房、兵理を窮む。因つて象豹を去りて、而して中華(支那)に傳ふ。今の行ふところ、是なり云々」。

此の序は、予、これを『將棋雜考』に載せ漏らせしが、將棋の史を究めんとするものゝ、一顧すべきところのもの也。

**********

●幸田露伴翁『圍碁雜考』

 棊は、支那に起る。『博物志』に、「堯、圍棊を造り、丹朱、これを善くす」といひ、『晉中興書』に、陶侃、荊州の任に在る時、佐史の博奕の戲具を見て、之を江に投じて曰く、「圍棊は、堯・舜、以て愚子に教へ、博は殷紂の造る所なり。諸君は竝に國器なり。何ぞ以て爲さん」といへるを以て、夙に棊は、堯・舜時代に起るとの説ありしを知る。然れども棊の、果して堯の手に創造せられしや否やは明かならず、猶ほ『博物志』の、老子の、胡に入つて樗蒲を造り、『説文』の、古は島曹、博を作れりといふが如し。此を古傳説と云ふ可きのみ。

 但し棊の、甚だ早く支那に起りしは疑ふ可からず。『論語』に、博奕といふ者有らずやの語あり、『孟子』に、奕秋の事あり、『左傳』に、太叔文子の君を視る、奕棊に如かず、其れ何を以て免れん乎の語あり。特に既に奕秋の如き、技を以て時に鳴る者ありしに依れば、奕の道の、當時に發達したるを察知するに足る。假令ひ堯の手に成らずとするも、奕は、少くも周、若くは其の前に世に出でたるものなること知る可し。

 棊の由つて來ること、是の如く久しきを以て、若し棊に關するの文獻を索めんには、厖然たる大册を爲すべし。史上に有名なる人物の棊に關する談は、費□[衣+韋]と來敏との、羽檄交々馳する間に於て對局したるが如き、王粲が一局の棊を記して誤らざりし如き、王中郎が棊を座隱といひ、支公が手談と爲せる如き、袁□[羊+儿+ム]が棊を圍みながら、殷仲堪の易の義を問ふに答へて、應答、流るゝが如くなりし如き、班固に奕旨の論あり、馬融に圍棊の賦あるが如き、晉の曹□[手+慮]・蔡洪、梁の武帝・宣帝に賦あるが如き、魏の應□[玉+昜]に奕勢の言あり、梁の沈約に棊品の序あるが如き、唐より以下に至つては、詩賦の類、數ふるに暇あらざらんとす。

 然れども梁に棊品あるのみ、猶ほ多く專ら書有る無し。宋の南渡の時に當つて、晏天章、『元々棋經』を撰し、劉仲甫、『棋訣』を撰す。是より專書、漸く出づ。明の王穉登、『奕史』一卷を著はして、奕の史、始めて成る。明の嘉靖年間、林應龍『適情録』二十卷を編す。中に日本僧虚中の傳ふる所の『奕譜』三百八十四圖を載すといふ。其の棋品の高下を知らずと雖も、吾が邦人の棋技の、彼に傳はりて確徴を遺すもの、まさに此を以て嚆矢とすべし。予の奕に於ける、局外の人たり。故に聞知する少しと雖も、『秋仙遺譜』以下、奕譜の世に出づる者、蓋し甚だ多からん。吾が邦、隋・唐に往來するより、奕を傳へて此を善くする者、また少からず。傳ふるところの談、雜書に散見するもの、亦た多し。

 本因坊(算砂)あつて、偃武の世に出づるに及び、蔚然一家を爲し、太平三百年間、雋異の才、相繼いで起り、今ま則ち禹域(支那)を壓すといふ。奕譜も、亦た甚だ多し。然れども其の圖譜以外の撰述に於ては、甚だ寥々、彼と我とを併せて、『棋經』十三篇に及ぶもの無し。十三篇は、蓋し孫子に擬する也。中に名言多きは、前人、既にこれを言ふ。棊有つてより以來、言を立て道を論ずる、これに過ぐる者有る無し。目して棋家の孫子と爲すも、誰か敢へて當らずとせんや。棋は十三篇に盡くといふも可ならん。杜夫子・王積薪の輩、技、一時に秀づと雖も、今にして其の觀る可き無きを憾む。棊の大概、是の如きなり。

一、棋經妙旨(以下、略)
二、奕旨/後漢・班固(以下、略)
三、圍棊賦/後漢・馬融(以下、略)

**********

●田村龍騎兵氏『物語り圍碁史』(昭和四十七年四月・日本棋院刊)

 いま「博奕」と書くと、バクチと讀むことになつてゐる。だいたい奕の字だけで、バクチの意味に取られるのが普通だ。だがこれは、碁にとつてたいへん迷惑な話である。博奕と書いて、二つを一緒にするのが間違ひの元なのである。元來、「博」は、チヨボ・スゴロク等の雜技をいひ、「奕」は、碁そのものを指す。全然違ふものを一つにし、しかもバクチ呼ばはりするとは、何事であるか。

 第一、博と奕では、品格が違ふ。博は、極端にいへば丁半バクチも同じで、賭け金さへ持つてゐれば、誰にでもやれる。碁は、技術を知らなくてはやれない。知つてから後の奧行きの廣さ・深さも拔群である。誰でも直ぐにでもといふわけにはいかないのだ。昔、博も奕も大流行し、皆なウツヽを拔かして社會問題につたことがある。困つた役人は、嚴重な御觸れを出した。「博する者は罰す。奕する者は罰せず」と。
 

  • [353]
  • 隨感――圍碁・將棋。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2017年 7月15日(土)00時42分13秒
  • 編集済
  • 返信
 
 平成二十九年六月二十六日、藤井聰太四段、二十九連勝、祝着至極。久しぶりにアベマテレビに接續して觀戰、興奮した。攻め過ぎと思ひきや、天才の妙技には痺れた。小生、高校以來にならうか、テレビ解説を聞いたが、まだ判る自分がゐることに、更めて驚く。升田幸三九段が引退して、將棋に興味を覺えぬやうになつたものゝ、此の報には、感激しきりなり。藤井棋士(將棋指し。棋士と云ふは、つい最近の稱)、其の後も連勝、信に本物だ。

 かつて倉島竹二郎氏『近代將棋の名匠たち』(角川選書・昭和四十六年十月刊)を讀んで、升田幸三九段のフアンであつたが、芹澤博文九段も、亦た天才であつた。將棋は、盤外戰が面白い。其の點、圍碁は上品か。兩者共に、其の歴史が面白い。なほ圍碁は「打つ」と云ひ、將棋は「指す」と云ふ。世に誤用が多いので、念の爲めに贅言す。
  ↓↓↓↓↓
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170705-00000076-spnannex-ent

 升田幸三九段は、小生の最も好きな將棋指しである。升田九段は、柏戸關のフアンであつたと云ふが、小生も亦た柏戸關の熱狂的フアンであつた。共に引退する時は、之に涙した。升田九段は、戰後、米兵から將棋界を死守したのみならず、「戰犯(即ち昭和殉難者)を殺すな」と、直談判した由。

 倉敷の鶴形山頂・阿智神社の境内に、木見金治郎九段の顯彰碑あり。木見翁は、大野源一・升田幸三・大山康晴等の師匠。升田九段は、執拗に木村義雄名人を敵視するも、大山九段は可愛いゝ弟分にして、世に升田・大山を好敵視するは、蓋し俗見なり。倉敷市出身の大山十五世名人の令甥は、我が小學校の、小生が擔任なりき。容貌相似たり。倉敷市藝文館には、大山名人記念館を併設す。

 日蓮宗寂光寺の塔頭である本因坊の算砂日海(法印權大僧都)ちふ碁打ちは、信長公より「名人ぢや」と讚歎され、呼稱「名人」の嚆矢となつた。將棋も、大橋宗桂より強かつた。然し千宗易のやうに政治に口出しせず、人格高潔にして藝道に生きた。

 田村龍騎兵氏『物語り圍碁史』(昭和四十七年四月・日本棋院刊)を、書庫より探出して再讀し畢ぬ。觀戰記者だけあつて、下らぬ小説よりも面白い。血が騒ぐ。「名人碁所」と云へば、直參旗本以上の格式なり。安井算知九段は、第三世碁所。其の弟は、安井(保井)二世算哲七段にして、彼の土守靈社澁川春海先生、即ち是なり。嗚呼、春海先生の天文・暦學に於ける、我が國開闢以來、其れ一人なり矣。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/1641
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/1665

 我が國に於ける圍碁の歴史は千四年なるも、支那よりの傳來もの。延暦二十三年の遣唐使の一員に、碁師の伴小勝雄あり。唐代隨一の顧師言と戰つて惜敗し、長安、爲めに沸騰すと云ふ(『古碁經』に、「鎭神頭の圖」を遺せり)。一方、現行四十枚なる將棋は、後奈良天皇の敕定ちふ傳説あつて、其の歴史は、凡そ五百年。將棋こそ、當に國粹固有の遊戲と謂ひつべきなり矣。而して後水尾天皇親筆の書體「錦旗」駒あり。幕府の驕慢無禮に憤らせ給うた天子樣の、數少ない御慰めの玉品ならむか。欲しいが、分不相應にして、玩物喪志の虞れ無きにしも非ず。
 

  • [352]
  • スパムロボット

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2017年 2月14日(火)19時57分25秒
  • 返信
 
内容的にも量的にも「攻撃」レベルのものではないので
スパムロボットによりアドレスが收集されて自動書込み
してゐるものと考へられます。 狙ひ撃ちではないでせう。

  • [351]
  • 御免蒙りたい。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2017年 2月14日(火)18時35分49秒
  • 返信
 
宮城野の月樣

支那ですか。此の掲示板、支那人には、向かないと存じますが‥‥。
然し執拗ですね。感心する。何處であらうと、いゝ加減、もう、御免であります。

teacup.殿に、こゝまで來ると、任すしかありませんけど‥‥。
 

  • [350]
  • 発信は露でも

  • 投稿者:宮城野の月
  • 投稿日:2017年 2月13日(月)23時32分0秒
  • 返信
 
辿ると背後は支那だと、何処かで読んだ記憶があります。
支那だと此処に送りつけるのは納得できます。

  • [349]
  • 英露の奴輩、許す可からず。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2017年 2月13日(月)00時20分42秒
  • 返信
 
はゆまつかひ樣

 御心配をおかけしてをります。英奴の次は、露奴ですか‥‥。

 此の掲示板では、拒否できるのは、「出入禁止ホスト名」と「NGワード」のみ。異國語ばかりの奴輩の侵入禁止は、固より不可能のやうです。

 200cc乗り樣の御奬めにより、「機能の設定」に、再度、露語獨特の一文字を數箇指定した所、露奴は止んだやうです(以前は、指定しても機能しなかつた筈。不思議)が、今度は、英奴が入り込んでをる樣子。際限がありませんね。

 近いうちに、投稿の形式を變更しようと思ひます。即ち、

從前は、御投稿があつた場合、「即時に掲載」でしたが、
此の掲示板の管理者たる備中處士の「確認後に掲載

てふ形式であります。此の方式ですと、

一、御投稿者の掲示は、管理者の確認後となり、小生も掲示板に張り付いてをる身分ではありませんので、せつかくの御投稿も確認できず、掲示が何時になるやら知れず、御投稿たまはつた御方に對して、申し訣これ無し。

一、又た或は管理者の恣意が働き、備中處士の機嫌次第(笑)で、掲載したりしなかつたり、と云ふことになり兼ねませぬ。

 やはり色々惱む所であります。暫く樣子を見て、決斷する所存です。

     九段塾管理者・備中處士、敬白
 

  • [348]
  • 白熊の

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2017年 2月12日(日)14時42分41秒
  • 返信
 
惡露者の迷惑行爲ですね。

國別にアクセスを禁止する機能があれば、國外からのアクセスを一切、禁止する手が使へます。
臺灣に閲覽者がをられるならご迷惑ですが。

http://www.iphiroba.jp/ip.php?mode=ranking&ip=5.63.152.169

http://www.takanome.me/181


http://tomokimatsubara.net/filteringrefererspam/

http://hiroshinakazato.com/wp/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%83%91%E3%83%A0%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%8C%E7%B6%9A%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99/



  • [347]
  • 放置も出來ず‥‥。いやはや。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2017年 2月11日(土)22時49分7秒
  • 編集済
  • 返信
 
200cc乗り樣

御配慮、有り難うございます。

「出入禁止ホスト名」では、數多くして對應あたはず、
「NGワード」も、露語獨特の一字を入れてをりましたが、效能なし。
他に影響を及ぼし兼ねないので、今は、裸の状態にしてをります。
teacup.にも、幾度も問合せてをるのですが‥‥。

何にしても、再度、「機能の設定」を試してみます。
此の迷惑行爲、此の掲示板に、何用あつて闖入するのやら。
何とも解せぬ、不可思議なる現象ですね。
投稿意欲は殺がれること萬々、御目汚し、御容赦ください(泣)。

最近、スマホからも非表示に出來ることを知り、時に挑戰中。
然しこれも煩はしく、困つたもんであります。
何せ、四六時中、送信して來るのですからね。難儀なことですなあ。
此奴、今に罰が中りますよ(笑)。

     九段塾管理者・備中處士、百拜
 

  • [346]
  • スパム(迷惑投稿)の対策

  • 投稿者:200cc乗り
  • 投稿日:2017年 2月11日(土)20時07分25秒
  • 返信
 
掲示板の管理項目などは存じ上げないのですが、本文がロシア語のようですので、
ロシア語のいくつかをNGワード(禁句)登録されてはみては如何でしょうか。

  • [345]
  • 元始祭

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2017年 1月 3日(火)14時59分36秒
  • 返信
 
謹みて聖壽の萬歳を祝ひ奉り、閲覽者各位の御清祥を祷上候。

一月三日は、歳のはぢめにあたり、宮中三殿におひて 天皇陛下が天津日嗣の元始を祝ひ奉るお祭り(元始祭)を執り行はせられるにつき、御民われらも天孫降臨に始まる國の大元 を壽ぎ、皇位の無窮をお祷り致しませう。


  • [344]
  • 関東も相変はらず揺れてをります。

  • 投稿者:那須の権太
  • 投稿日:2016年10月21日(金)22時45分17秒
  • 返信
 
これは大転換の前触れなのかと戦々恐々です。

  • [343]
  • 晴れの國、吉備。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2016年10月21日(金)22時18分16秒
  • 返信
 
 地震御見舞ひ、痛み入ります。今日は、私用にて大阪へ。とんぼがへり。

 吉備國も大震れ。うちの「奧」に依れば、遂に來たか、と。相當の搖れの由。本箱も倒れず、まづは安心。吉備國は、晴れの國、天變地異も無く、災害に遭はれた地方の方々に申し訣ないくらゐです。

 それより關東の方が心配。那須兄、御要愼を。
 

  • [342]
  • Twitterとやら・・

  • 投稿者:那須の権太
  • 投稿日:2016年10月21日(金)21時59分22秒
  • 返信
 
苦手です。IDはありますが・・。(^^)

  • [341]
  • なんとか這いつくばって・・

  • 投稿者:那須の権太
  • 投稿日:2016年10月21日(金)21時56分3秒
  • 返信
 
うはは、末期の焼酎呑みながら生きてます。
なんと四方山話にファンがをられた?書き込み再開しませうか?それにしても今回の地揺れには心配しました。

  • [340]
  • 大丈夫なわけ無いでせう。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2016年10月21日(金)21時34分48秒
  • 編集済
  • 返信
 
 何と、那須兄~、生きとられましたか。

 「日本刀四方山話」にて、御客さん、待つとられます。然し音沙汰、何もありませんがね。

 小生、柄にも無く、「Twitter」なるもの、やつとります。兄も、如何。

 今日も頭痛、今年は九星占ひの黒星でも無いのに、碌なことありませんは。そろゝゝ還暦の厄年、年貢の納め時です。

  • [339]
  • 備中様、大丈夫ですか?

  • 投稿者:那須の権太
  • 投稿日:2016年10月21日(金)21時23分52秒
  • 返信
 
このところ大和の国津神が慟哭なされておられるやうな・・。

  • [338]
  • 呟きは愼重に

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2016年 4月 2日(土)17時14分36秒
  • 返信
 
公刊物からの引用で、其れと知らずにしたとしても、結果的に神法道術の要素や祕事密訣に觸れる事を不特定多數が閲覽可能な場で示すことは冥罪に成りますので愼重にされた方が良いですね。

  • [337]
  • TWITTERとは,腹ふくるゝを醫すもの‥‥.

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2016年 4月 1日(金)23時50分36秒
  • 返信
 
 本スレツドに、『古史成文』を清書されし「南雄」樣が、陸奧の北奧から、何と、「呟き」始められました。
  ↓↓↓↓↓
https://twitter.com/urojiuyuminami
 

  • [336]
  • 只今、更年期の眞只中。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2016年 2月20日(土)00時20分17秒
  • 返信
 
御庭番樣

 御活躍の御由、洵に慶賀の至りです。

 小生は、柄にも無く、「備中處士」として、「Twitter」なるものにも挑戰中。「Facebook」は、かつて闖入しましたが、使ひ方が分らず、諦めました。二つは使ひこなせず、御容赦ください。實は「Twitter」も、能く使へませぬ。

 挑戰する氣が失せるは、年をとつたせゐでせうか。洪笑。氣温の寒暖に、四苦八苦。氣功、鍼灸、醫者がよひ‥‥、加へて介護‥‥。此の更年期を拔ければ、我が世の春か。期して俟たむ。
 

  • [335]
  • 何をか為さざるや・・

  • 投稿者:御庭番
  • 投稿日:2016年 2月19日(金)22時04分3秒
  • 返信
 
勝手気ままに訪ねし御無礼お許しあれ。

昨年秋日に【Facebook】なるものに挑戦を致しました。
『Noritomo Abe』。


某中学校在職7年の体験から10~20代のこれからの若者たちに『鏑矢』を放し、
以って反日左翼による洗脳から如何にすれば解放なるものかと。
静かな挑戦です。











  • [334]
  • 太陰暦による大祓式幽祭

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2016年 2月 6日(土)21時01分30秒
  • 返信
 
明日は太陰暦大晦日

↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t28/34


  • [333]
  • 方違への豆打ち

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2016年 2月 3日(水)20時45分20秒
  • 返信
 
「方違への豆打ちとは、立春を迎へるのにあたり、節分の日に翌年の恵方に行つて一夜宿泊し、邪氣を避けると云ふ陰陽道の行事でした。其れが簡略化され、家の恵方の部屋に移つて一夜を過ごし、其の前に靈力が籠るとされる豆を撒いて邪氣を祓ふやうに成つたのです。」

↓↓↓↓↓

http://www.nippon-bunmei.jp/topics/saijiki/%E5%A6%82%E6%9C%88%E3%80%80%E7%AF%80%E5%88%86%E3%81%AF%E5%9B%9B%E5%AD%A3%E3%82%92%E5%88%86%E3%81%91%E3%82%8B%E6%97%A5.html

  • [332]
  • 純日本式の豆撒き歌

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2016年 2月 3日(水)00時43分45秒
  • 返信
 
↓↓↓↓↓

http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t27/24

某神社の節分祭では、福升に手を添へた儘「福は内」を三唱し、次いで「鬼は外」を二唱しつつ豆を撒く。此れを東西南北の四方に面しつつ行ふのである。

尚、古傳として籾米での打撒がある。精米でも構はぬので四方祓されると宜し。






  • [331]
  • 象山の學力・詩、皆な鬼神を泣かしむ。蓋し傑儒なる可し。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2015年11月 3日(火)19時26分20秒
  • 返信
 
はゆまつかひ樣

 御無沙汰してをります。象山神社ですか、宜しうございますね。小生は、本日、國旗を高く掲げて、獨り、會社勤めでありました(泣)。

【默霖翁と小國嵩陽との筆談】
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/900

「明治節」。故き虎童村尾次郎博士が、「文化の日で無い日は、非文化の日か」と、苦笑、否、憤怒してをられたのを想ひ出します。

 明日の暦を繰るに、ユネスコ憲章記念日の由。聯合國の專門機關とやら‥‥。道理で、明日からは、さしづめ「野蠻の日」が、一年間續きます。長いですよ(大笑)。

 政治家も名を「明治節」と變ればよいものを、反對者を恐れてか、面倒臭いのか知りませぬが、斯やうな事に骨を折る勇氣もありませぬ。いつか「ばち」が當りますから、ま~、見てゝおいて下さい。
 

  • [330]
  • 慶祝・明治節

  • 投稿者:御庭番
  • 投稿日:2015年11月 3日(火)17時57分22秒
  • 返信
 
菊 薫る明治天皇誕生日です。

幕末の先覚者・佐久間象山先生を祀る、象山神社に詣でました。




  • [329]
  • 安倍は何でも言うことを聞いてくれる

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2015年 8月16日(日)13時58分52秒
  • 返信
 
↓↓↓

http://www.defenseone.com/ideas/2015/04/shinzo-abe-ally-america-needs/111130/

  • [328]
  • 夏越の祓

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2015年 6月30日(火)20時25分48秒
  • 返信
 
聖上の大綾威を仰ぎ、大祓の儀を遥かに拜みて、大祓詞を奉唱致しませう。

引き潮は二十三時三分。

萬古天皇を仰ぐ
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t31/17

禊祓浄化・祝福安泰
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t25/10

大祓の一大事
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t28/33

國之大祓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t28/32

大祓式幽祭
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t28/34

大祓に對する一考察
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t31/8

  • [327]
  • 元號奉記から見る思想・運動家の志。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2015年 4月29日(水)12時35分35秒
  • 編集済
  • 返信
 
 一水會の木村三浩氏が、糾彈されてゐる。蓋し當然である。其の嚆矢は、平成二十七年四月十三日。時局對策協議會の盛義一氏(盛道烈士會長)である。靖國神社參拜後の抗議のやうだ。傳統右翼は、一水會なぞ、其の道統上、齒牙にもかけぬと想像してゐたが、我慢の限度を越えたのであらう。
  ↓↓↓↓↓
http://kokusaipress.jp/80047
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/53111292.html

 學生時代、亡き先輩から、「御前は平泉門下と聞くが、今度、一水會か、今泉研究所か、どちらか連れて行つてやる」と誘はれ、小生は、躊躇すること無く、日大の今泉定助翁の研究室を選擇し、高橋昊教授の謦咳に接した。一水會には、左翼の臭ひがした故に、之を敬遠したからに他ならぬ。小生の死藏してゐる、鈴木邦男氏の書における序・跋の署名を見るに(蒐集家では無いので、一部であるが)、

『時代の幽閉者たちに』──「序にかえて」には、昭和五十年十二月
『新右翼』──「あとがき」には、昭和六十三年一月
『テロ』──「序」には、昭和六十三年八月
『がんばれ新左翼』──「あとがき」には、昭和六十三年十二月
『平成元年のペレストロイカ』──「あとがきのあとがき」には、平成二年一月
『赤報隊の秘密』──「あとがき」には、平成二年一月
『天皇○の論じ方』──「あとがき」には、平成二年十月
『民族派最前線』──「あとがき」には、平成四年八月
『これが新しい日本の右翼だ』──「あとがき」には、平成五年六月
『脱右翼宣言』──「あとがき」には、平成五年十一月
『90年代のナショナリズム』──「あとがき」には、平成六年二月
『僕が右翼になった理由』──「はじめに」には、一九九六年十二月
『夕刻のコペルニクス』──「あとがき」には、一九九六年十一月
『続・夕刻のコペルニクス』──「あとがき」には、一九九八年二月
『右であれ左であれ』──「あとがき」には、平成十一年八月
『言論の覚悟』──「あとがき」には、二○○二年四月
『公安警察の手口』──「あとがき」には、二○○四年九月
『愛国者は信用できるか』──「あとがき」には、二○○六年四月
『愛国者の座標軸』──「あとがき」には、二○○七年十一月
『愛国の昭和』──「あとがき」には、二○○八年七月
『愛国と米国』──「あとがき」には、二○○九年四月

 やはり平成十二年を境に、鈴木氏は、元號を使用してゐない。鈴木氏の思想的轉換は、平成七・八年と見て相違なからう。是に由つて之を觀るに、元號を奉ぜざる者は、日本人に非ずとの定理は、之を動かすこと能はぬ。



●鈴木邦男氏『鈴木邦男政治論集・時代の幽閉者たちに』(昭和五十一年二月・島津書房刊)の「我が内奥の聖なる天皇」に曰く、

「マイホームの理想たる一夫一婦制にとらわれる必要はない。一世一元制なども不必要である。『皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する』と規定した皇室典範も、廃止するがいい。女帝の出現は、歴史的な事実としても存在するし、今後も、阻止するいわれなどはない。時間と空間から自由であり、それらを支配すべく、社会倫理を超え、何時でも元号などは変えられるに越したことはない。喜こび事があったといっては、又、悲しみ事があったといっては、元号を変えて、民安かれと祈られた天皇の祈りを、これからも民の側から制約する必要などはない。天皇は、元号を自由に変えられることによって、何よりも『時間』を支配し、『時間』そのものとしての永遠性を保たれてきた。そこに於ての『皇統連綿』であり、そこに於ての『神聖性』であった」と。



 天子樣の、憲法に於ける超越絶對性(即ち是れ本義なるは、理の當然なり矣)を云ひながら、よりにもよつて、己が書の序・跋に、耶蘇暦を使用するに至るとは、小生の如き田舍者、元號法制化を熱祷した者には、理解し難い。鈴木邦男氏は、やはり「轉向」したのである。
 

  • [326]
  • 野中祭。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2015年 2月22日(日)22時47分22秒
  • 編集済
  • 返信
 
■五草庵主三宅萬造翁歌集『草かげのいのり』(昭和四十九年十二月刊)

──野中四郎大尉慰靈祭に──昭和十九年

國中に はびこる夷 うたばやと 雪の朝に 起てる畏こさ
眞澄みたる 只一筋に ますらをは 使命(みこと)畏み 命捨てけり

狂か愚か ただ一筋に ますらをは 使命畏み 命捨てけり

(『三宅萬造全歌集』平成十八年六月刊に作る所は、件の如し)



 野中祭、日の丸の旗、なびくなり。三十九年、一度びも、雨降らずてふ御祭の、末席を汚せり、尊とかりける。
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/1701

http://koudoupress.net/%e3%80%90222%e3%80%91%e9%87%8e%e4%b8%ad%e5%9b%9b%e9%83%8e%e5%91%bd%e4%b8%83%e5%8d%81%e4%b9%9d%e5%b9%b4%e7%a5%ad%e6%96%89%e8%a1%8c/
  

  • [325]
  • 百田尚樹『永遠の0』

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2015年 2月15日(日)23時47分7秒
  • 編集済
  • 返信
 
 百田尚樹の『永遠の0』てふテレビドラマが、三夜連續であると云ふので、今、見畢へた。初夜から、反戰映畫ではないかと思つてをつたが、第三夜を見て、胸糞が惡くなつた。遺族がヤクザノ圍ひ者として登場し、英靈を貶め、且つ最後は、遊就館の御寫眞が使はれてゐるではないか。頭がガンガンする。「妻子」の爲めてふ主題が全面に溢れ、「大詔」の御字は、一字も聽くことが無かつた。

 これは、何だ。原作とドラマと、同じかどうかは知らぬ。百田とやらは、保守か、眞正保守か、右翼かも知らぬが、こんな戰爭ものが持て囃され、ベストセラーとなるのか。此の作家、「武人」のこゝろの一片だに無い。此のドラマは、何處の國の創作物語か。必ずや、歐米人の手になるものなる可し。塾頭の感想を聽くまでも無い。許すことは出來ぬ。

 こんなドラマに、何故ゑ、靖國神社社務所は協力したのか。勃然と怒りが込み上げて來る。其の感性に驚くと共に、諦觀せざるを得ぬ。洵に無念である。祝融の禍の無からむことを、只管ら祈るのみ矣。



【塾頭の靖國神社映畫「みたまを継ぐもの」の感想】
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/113
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/116
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/117
  

  • [324]
  • 神武開國

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2015年 2月10日(火)22時47分10秒
  • 返信
 
二月十一日は如何なる吉日ぞ。

神武天皇即位紀元の大節なり。天壤無窮の祝日なり。

紀元節
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t31/26

開國祭
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t31/27

神武天皇以後の開國祭
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t31/28

紀元節の歌
https://www.youtube.com/watch?v=2UvYla-aZzc

  • [323]
  • 勉強になりました。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2015年 2月 7日(土)00時22分35秒
  • 返信
 
 「惠方」は大事ですが、卷壽司は、關西の地域性でせうか、何時とはなしに小生も、齧りついてをりました。調べもせず、商魂にたぶらかされて‥‥(泣)。

 「中世の古文書」樣の二月二日の呟きを、「さっちゃん」樣が紹介してをられました。論文にしたら、かうなる由。結論は、同じでせう。最近の色街玄人の風俗を、一般素人の世界に取込んではなりませんね。赤線は必要、きつちりと引かねばなりませぬ(微笑)。風俗紊亂の一端は、赤線廢止に在り(圍込み管理の法的放棄から、玄人も素人も見分けがつかぬやうに成り果てた御時勢)とは、小生の眞面目なる結論であります。
  ↓↓↓↓↓
https://twitter.com/kojima_sakura?original_referer=http%3A%2F%2Ftaikousya.blog20.fc2.com%2F&profile_id=846957229&tw_i=562566289269334016&tw_p=embeddedtimeline&tw_w=250867473514102784
  ↓↓↓↓↓
https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/index.php?active_action=repository_view_main_item_detail&page_id=13&block_id=83&item_id=18619&item_no=1
 

  • [322]
  • Re: 恵方卷き「丸かぶり」に福は來ない

  • 投稿者:那須の権太
  • 投稿日:2015年 2月 4日(水)20時36分7秒
  • 返信
 
>>321
はゆまつかひ樣、ご無沙汰いたしてをりました。また宜しくお願ひ申し上げます。

惠方卷なるもの、此方栃木ではごく最近の流行りで、ワタクシの子供の頃は全く記憶にないものです。なんでも、某大手コンビニさんが仕掛人だと聞いたことがありますが、なるほど矢張りデッチアゲの産物でしたか。あんな太くて長いものを兩手でつかんで丸齧り・・・。
う~む・・・。もとは藝妓さんを揶つての遊びとなん。若い婦女子がやる事ではありませぬな、まったく・・。我が家では一度もさせたことはございません。



  • [321]
  • 恵方卷き「丸かぶり」に福は來ない

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2015年 2月 2日(月)22時48分7秒
  • 返信
 
大和しうるわし東海本部メルマガ「大安吉日に送る勝ち神からの手紙」より

====================================
  恵方卷き「丸かぶり」に福は來ない
                    NO.350 2015年1月31日
====================================
 皆さんこんにちは。
今から6年前、毎年の新春京都參拜を初めて、暫くたつた頃です。
「恵方卷き」に就いて學びました。
實は、其の後、「恵方卷き」を一切口にしてゐません。
其の理由は・・・立春前の今、改めて、「恵方卷き」の本當の姿をお傳へし度いと思ひます。

抑も、「恵方卷き」は、海苔の消費擴大のために、關西の壽司屋と海苔業者が組んで始めたものです。
大正時代、花街で遊びに飽きたお大盡樣が、お新香の海苔卷を藝妓に「丸かじり」させて笑ひものにして樂しんでゐました。
色々ないわれをつけて、作法を生み出し、恵方を向ひて一氣に丸かじりする・・・インチキが生まれました。
お金のために、此の品のない食べ方をさせられた藝妓は、「一見の客」にまことしやかに傳へ、逆襲してゐました。
恐ろしい~

昭和に成つて、壽司屋と海苔問屋が、此の遊びを復活させ、太卷きの「恵方卷き」にして大阪中に廣めようとしました。
「福を卷いて・・・、切ると福がこぼれる・・・だから丸かぶり」と云ふこじつけも生み出しました。
海苔問屋などの業者が、此の太卷きの早食ひ競爭などをすると、此のイベントは大盛況。
商賣繁盛!!!!やめられません!!!と・・・いうわけです。
何も知らない庶民はまんまと、はまりました。

太卷きを、此のやうな品のない食べ方で、一氣に食べたら、日本人として恥づかしい事です。
日本人の美意識が疑はれます。

ですから、私は、太卷きは切つて食べます。

實は、お壽司のなかで、結構、海苔卷が好きです。
手卷き壽司も好きですし、軍艦卷きも大好きです。

昔、海苔問屋のお客さんがゐて、隨分海苔に就いて教へてもらつた事があります。
高級な海苔は香りや風味、齒ごたえが違ひます。
其の當時食べた高級海苔の感觸を今でも忘れられません。

海苔は日本人の技術が生み出した貴重な文化なのです。

節分と立春が近づいてきました。
恵方卷きは切つて、品よく食べませう。さうすれば、福はやつてきます。
一年の始まりは縁起よく始める事が大切です。
「立春大吉」おめでとうございます!
勢ひをつけて始めの一歩を踏み出しませう。

  • [320]
  • 申し訳ない

  • 投稿者:那須の権太
  • 投稿日:2015年 1月19日(月)12時40分8秒
  • 返信
 
此方も此処の所色々ありまして、やつと一息、といふところでして・・・。
時々顔出させて頂きます。九拜

  • [319]
  • ほつと‥‥。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2015年 1月18日(日)22時54分2秒
  • 返信
 
那須の権太樣

 本道に久しぶりですね。お、御元氣でしたか~。

 此方の年末年始は、愚女の結婚、我が家の法事二件も重なり、且つ先週は、愚息がノロウイルスに罹かつたと云ふので、鄰縣の借家から連れて歸りました。ノロなら除菌せねばと、藥品を買込んで、マスク・手袋てふ完全裝備にて、愚息の借家に闖入。家に歸つたら歸つたで、年寄にうつつたら大變と、座敷牢に押込め完全隔離。性來元氣者のくせに、惡寒の經驗は初めての由、高熱が下らぬので、よく調べたら、流感A型とやら、些かほつとしたるも、タミフルとやらを處方され、胃袋を痛めて、又た大變。御蔭で此方は疲労困憊です。小康を得たので、今、送り出した所、交通事故だけは氣をつけろ、と。‥‥もう、寢ます。

 大兄の御聲を聞いて、些か愁眉を啓きました。少しは御出現ください、ね。どうされたのかと、心配してをりました。小生、柄にも無く、ツイツターなるものに手を伸ばし、是亦どうしたものかと思案してをります。本年も、何卒宜しく、幾重にも御願ひ申し上げます。百拜

https://twitter.com/kibinohito
 

  • [318]
  • 新年明けまして御目出たう御座いまする

  • 投稿者:那須の権太
  • 投稿日:2015年 1月18日(日)19時01分0秒
  • 返信
 
少し遲いですね。お久し振りで御座います。
本年も何卒宜しう願ひ上げ奉りまする。

  • [317]
  • 「に」と「を」‥‥正しい國語を使はんと欲するか、年寄の繰言ととるか。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2015年 1月12日(月)19時03分58秒
  • 編集済
  • 返信
 
 一昨日は、今年始めての岡山縣愛國者協議會例會。岡田則夫翁より、荒魂之會『あらたま』第七十八號(平成二十六年十二月)を拜戴。翁は、下記他を朗讀された。



 丁亥(駒井鐵平翁か)の曰く、「言葉の用法は、時と共に變るとか言はれ、年寄の繰言として片付けられるだらうなと思ひ默つてゐたが、‥‥我國の報道界に、『正しい國語を用ゐる』といふ、自らの社會的責務を思ひだしていただく爲には、一見些細なことでも、せっせと苦言を呈さねばならぬと氣づいたからである。言葉の意味をよく調べ理解してから口にするといふ、報道界として當り前の姿勢があれば、「從軍慰安婦」とか、「廣義の強制性」などといふ造語や詭辯は、疾うの檢證の俎上に載せられてゐただらう」(老の繰言)と。



「(平泉澄先生『山河あり』の)『瀧原宮』の冒頭に、

「『年ごろ伊勢の兩大宮にまうでまつらん、と思ひわたりたれど(後略)』とは、文久元年の秋、伊勢神宮に參拜した、橘曙覽の『旅日記』の書出しであります」

とあります。原文には、「伊勢の兩大宮に」、説明文には、「伊勢神宮に」と、何れも助詞は、「に」と書いてあります。今日の新聞記事では、誰々が何々を參拜と書いてあります。最近の例では、東京新聞の四月二日附の夕刊には、見出しに「両陛下が明治神宮参拝」とありますが、本文には「明治神宮を参拝された」とあります。三月二十五日附の夕刊には、「両陛下伊勢へ出発」の見出しに、本文は「伊勢神宮を参拝する」とあります。「に」と「を」の混用ですね。例へば「伊勢神宮の境内を掃除する」といふのはをかしくありません。「伊勢神宮を參拜する」といふのは、語法としてをかしい。「何處其處(どこそこ)に行く」と言ふ、「何處其處を行く」とは言ひません。

 もう一つは、筑波山の麓の小田城阯に就ての記述の中で、

「心の荒廢を救ふ一つの手段として、先づ『私達』といふ亂雜な言葉を止めて、『私共』といふ正しい言葉にかへす事にしたいと思ひます。戰後、ラジオに『私達の言葉』といふのがあつて、『私達』といふ妙な言葉が流行して來ましたが、本來いへば、これは誤であります。古典に見ますと、『達』は尊敬の意味をもち、『共』は卑下の意味をもつて居ります。」

「『源氏物語』には、『更衣たち』・『女みこたち』(桐壺)、『君たち』(帚木)などあり、『大鏡』には、『此四人の大納言たちよ』などあつて、『たち』は、神とか、佛とか、君とか、すべて高貴に對して用ゐた言葉である事、明瞭であります。之に反して、『ども』の方は、『子ども』(『萬葉集』卷五・卷十・卷二十)・『名もしらぬ草木の花ども』(『源氏物語』若紫)・『いまやうのちごども』(『大鏡』)などの例に見ます樣に、いづれも敬意を拔いた場合に用ゐられて居ります。

 それ故に、戰前に一般に使用しましたやうに、他人、しかも尊敬すべき他人に對して『たち』を用ゐ、自分に於いては『ども』を用ゐるのは、日本語の正しい傳統であります。今でも大阪の舊家で使はれてゐますところの、『お宅のお子達はお元氣でございますが、うちの子どももおかげさまで達者でございまして』といふ風な表現に、その正しい傳統が殘つてゐるのであります。」

 今から五十年以上も前に書かれた書物(平泉先生『山河あり』)に於て、『神社に』に關しては、平泉先生が述べる事がないのは、それは護られてゐたからですね。五十年經ちまして、「達」が消え、「共」が消え、更に「を」と「に」との混用が行はれてゐる」(座談會(平泉澄先生『山河あり(全)』を巡つて──駒井鐵平翁の言)と。
 

  • [316]
  • 吉き御歳を御迎へ下さい

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2014年12月31日(水)10時44分19秒
  • 返信
 
聖上の大綾威を仰ぎ、大祓の儀を遥かに拜みて、大祓詞を奉唱致しませう。

萬古天皇を仰ぐ
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t31/17

禊祓浄化・祝福安泰
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t25/10

大祓の一大事
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t28/33

國之大祓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t28/32

大祓式幽祭
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大祓に對する一考察
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お正月のお飾りと禊祓の御垂示
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t27/9

四方節
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t31/24

一月一日(四方節の歌)
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t19/232

元始祭
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t31/25

神社參拜の心得
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t27/16

神拜詞
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t28/23

靖國神社神拜詞
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t25/34



  • [315]
  • 平成二十六年、掉尾の御挨拶を申し上げます。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2014年12月29日(月)22時57分28秒
  • 編集済
  • 返信
 
 平成第二十六の御年、將に暮れんとす。

 御投稿・御閲覽を賜はりました各位へ、御禮の御挨拶を申し上げます。

 來る御歳は、本掲示板も、八年目に入ります。然し靖國神社を取卷く情況は好轉せず、國體觀念は益々混迷を加へ、保守すべきものが何かさへ、疑はしい世の中となつてをります。此の中今なればこそ、松平・大野宮司の時代の靖國神社に復古せんと、塾頭御照覽の下、警鐘を鳴らし續けなければなりませぬ。有志には、愈々の御協贊御研鑽を乞ひ奉ります。

 下つて私事にて恐縮でありますが、昨年四月には、嫡男が鄰縣に就職、本年二月には、祖母刀自が歸幽、而して朔旦冬至に、愚女が鄰市へ嫁ぎ、當方は老人四人相寄つて、寂しい年の瀬と相成りましたが、年末年始は親族相集ひ、まだゝゞ讀書三昧の隱居も出來ないやうであります。小生不肖なりと雖も、健康が許す限り、本掲示板の管理に、鋭意、力むる所存です。

 各位には、來る年も、相變りませず、御厚誼御誘掖の程、幾重にも懇禱する次第であります。御投稿御叱正を御待ち申し上げます。吉き御歳を御迎へ下さい。頓首敬白
 

  • [314]
  • 短册書式。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2014年12月26日(金)21時24分45秒
  • 編集済
  • 返信
 
 「墨繼ぎは、初句と三の句と五の句とにてする。其の外にては、決して墨繼ぎをしてはならぬ」。これは參考となりませう。短册を見るときは、其の句切れの知らねば、歌意を誤る。但し、正法を知らぬ者の短册もあれば、要注意(泣)。



●丸山正彦翁閲・大日本普通學會講習部編『新撰詠歌自在』(明治四十四年六月・嵩山堂刊)

 短册は、二行に書くを正式とする。其のかきかたは、左の通りとする。

第一、短册を三つ折にして、上の折目に、半文字かゝる位に書く。實際に短册を三つ折にしてはならぬ。これは、其の標準を示したまでゞある。
○○○○○○●○○○○○○●○○○○○○○
         やと毎にいとなみたてしかと松の
         まつにかならす春はきにけり 契沖
(愚案、此の正法を守らぬ短册も多し。)

第二、墨つぎは、初句と三の句と五の句とにてする。其の外にては、決して墨つぎをしてはならぬ。
 りもせすくもりもはてぬのよの
 おほろ月夜にくものそなき 千里
赤字の文字の所が、即ち墨つぎである。此處にて、筆を墨に浸す。

第三、上の句と下の句との歌に、假字を竝ぶるは妨げないが、漢字を并ぶるは避くべきである。また短册には、一切、濁點を施してはならぬ。

第四、題のかきかたは、一字・二字・三字題までは、一行書き下し、四字題以上は、二行に書く。假名題、また詞書き多きは、散しがきに書く。但し熟字は、切つてはならぬ。これは注意すべき事である。
* 春 雨
*橋
  五月雨
*五月雨
     晴
*名所
   早苗
*紅葉を
   折りて
    人の
     もとに
*あきかせ
    さむし

第五、女性の短册は、下の句を半文字、若しくは一文字下げて書き、自身の名は、裏面に小さく書くを正式とする。
[表]若草のつまもこもれるはるの野に
     しのひかねてやきゝす鳴くらむ
[裏]
                     たみ子
 

  • [313]
  • 驕る者、久しからずとは、驕れる者、如何で知るべき乎。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2014年11月21日(金)18時51分13秒
  • 編集済
  • 返信
 
『朝日新聞社・平成二十六年十一月二十一日記事』に曰く、

「解散が宣言された、二十一日の衆院本會議で、伊吹文明議長が、『解散詔書』を讀み上げている途中、一部議員が先走つて、「バンザイ」と唱へ、伊吹議長が注意するハプニングがあつた。

 紫のふくさに包まれた『解散詔書』が議長席に屆くと、議場は緊張した雰圍氣に。伊吹議長が、「日本國憲法第七條により、衆議院を解散する……」と讀んだところで、氣がはやつたのか、一部議員が萬歳三唱を始めた。伊吹議長は、むつとした表情で「萬歳」が靜まるのを待ち、「御名御璽。平成二十六年十一月二十一日、内閣總理大臣・安倍晉三。以上です」と、續けて朗讀。「萬歳は、ここでやつて下さい」と促し、やうやく一齊の萬歳三唱となつた。

 伊吹議長は本會議後、「解散は、天皇陛下の國事行爲としてなされる。(『解散詔書』に)御名と御璽が押されてゐることを、私が言わなくちやいけない。その前に拍手をしちや、困つちやうんだな」と苦笑してゐた」と。

**********

 ニユースを一覽した所、物の分る衆議院議長もをるものだと思つたが、歸宅後の記事を見るに、遺憾ながら、早合點であつた。「困つちやうんだな」で濟む事か‥‥、此の野郎‥‥。おつと、失禮。あるべき姿、道理を知つた上での發言とは、どうしても思へない‥‥。又た「大義が無い」だと。所詮、利の爭ひ、義、何處にありや。況んや大義をや。「大義」の安賣りは、即刻やめて戴きたい。

 民主主義政治家には、怒りを通り越して、憂鬱になる。自民が勝たうが、將た亦た次世代・太陽・維新が勝たうが、戰後體制に變化は無い。又かつて「日本國萬歳」と稱へた首相もゐたと記憶するが、萬歳の本義は、「天皇陛下萬歳」しか無い。やはりニユースは、精神衞生上、見る可きではなかつた‥‥。

 「驕る者、久しからずとは、驕れる者、如何で知るべき」とは、高山樗牛氏『瀧口入道』の名句なり。
 

  • [312]
  • 「皇后○○子さま」

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2014年11月 6日(木)21時00分31秒
  • 返信
 
■秦澄美枝博士釋『皇后美智子さま全御歌』(平成二十六年十月・新潮社刊)

 影山正治翁をして「豪傑」と呼ばしめた都羅山人三宅萬造翁の門下である、岡山縣愛國者協議會の岡田則夫翁紹介の一書。曰く、

「秦氏の言葉遣ひに贊同しかねる箇所もあるが、釋は素晴らしく、寫眞は美しく最高なり。但し題目は、話にならぬ」

と。長年取つてをつた或る月刊誌の記事に、此の「皇后○○子さま」の字を見て、購讀を中止された程の岡田翁なれば、意外とする所であるが、其の岡田翁をして紹介せしめた物語繪卷、各位も手に取られむことを。
 

  • [311]
  • 蓮田善明翁『現代語譯・古事記』出現。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2014年10月30日(木)23時37分34秒
  • 返信
 
 蓮田善明翁『現代語譯・古事記』(昭和五十四年九月・古川書房刊)を寶藏してゐるが、今度び岩波現代文庫として復刊(平成二十三年九月)されてゐる。江湖に讀まれむことを。

 それにしても岩波書店、やるではないか、蓮田善明とは。かつて戰前、此の書店、平泉澄博士に解説を求め、菅沼貞風著『新日本の圖南の夢』(岩波文庫・昭和十七年十二月刊)を出してゐる。學術論文【註】は兎角く、平泉先生と岩波書店と‥‥。「儲かれば、出版に吝かならず。そんなもんですよ」とは、同學先輩の言である。
【註】
一、『中世に於ける國體觀念』昭和八年九月・岩波講座日本歴史
一、『保元平治の亂と平氏』昭和九年八月・岩波講座日本歴史
一、澁澤榮一著『樂翁公傳』昭和十二年十一月



 坂本勝氏の解説に曰く、

「蓮田譯は、意譯をなるべく避け、地の文では、素朴な逐語譯に徹してゐる。たゞ歌謠の現代語譯は、たんなる逐語譯ではなく、七五調を基本とする大膽な意譯もみられる。ただしそれは、譯者の主觀によるといふより、古事記研究者として、古代歌謠の文學史的意味を考慮した上での戰略であつたと思はれる。一例を引く。高天原を追はれて出雲に降つたスサノヲ(愚案、命)がヲロチを退治して、クシナダヒメと結ばれるときの歌がある。岩波文庫の訓讀文では、

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を

蓮田譯では、

雲が立つ立つ 八雲立つ 出雲は雲が垣をなす 妻とこもれと垣をなす 夫[つま]とこもれと垣をなす

ちなみに角川文庫『新訂・古事記』の武田祐吉譯では、

『雲の叢[むらが]り起つ出雲の國の宮殿。妻と住むために宮殿を作るのだ。その宮殿を』

と、なつてゐる。物語の歌としては、歌ひ手は、あくまでスサノヲだから、妻との共寢に限定する武田譯は、原文に忠實な逐語譯である。一方の蓮田譯は、それとは微妙に異なつてゐる。蓮田譯では、『妻とこもれ』、『夫とこもれ』の竝列によつて、歌ひ手の位置が、男から女への一方的な思ひではなく、その男と女の雙方を包み込む、新たな位置を手に入れてゐる。この譯により、歌は男から女への單線的な思ひから、新婚の二人の周圍から祝福する、多聲的で合唱的な歌聲へと、あらたに言語化された。これは譯者の主觀ではない。『古事記』の歌謠が、集團的な場に息づいてゐた新婚の祝ひ唄としての前史を經て、物語としての歌へと、徐々に熟成していつた經緯を踏まへての、譯者の織り技である」と。
 

  • [310]
  • 政治家の正體──政治利權ゴロ。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2014年10月23日(木)23時33分50秒
  • 編集済
  • 返信
 
はゆまつかひ樣

 ご紹介、忝く存じます。早速、注文仕りました。有り難うございます。

 何處も同じ秋の風、知らぬは小生ばかりなりと、歎いてをるばかりでは、事は濟みませんね。ネツトで檢索すれば、出るは々ゝゝ。何と非道な事が罷り通る世の中となつてしまつたか。

 神社本廳・山口縣神社廳の爲體、目を覆ふばかり、塾頭の憤怒が、今になつて愈々身につまされて實感されます。保守を騙る左翼が、神道の骨髓を冒してをります。政治家は、如何に敬神を語らうとも、所詮、眉に唾をつけて觀なければならない事は、靖國神社を巡る騒動を見てをれば、自然と判ると申せませう。

 現在の首相は地元、本件を知らぬとは申せません。我が國が如何に原發技術の優秀を誇つても、畢竟、之を操るのは「人」でせう。然し之を安全として、世界に輸出しようとしてをります。どう云ふ思考囘路で、斯くなりしか。利權・集票‥‥、否、正しく「死の政商」と謂ふべし。我が國の首相の正體、洵に遺憾ながら、確かと見据ゑたり。

 大御心を忖度し奉ることは、畏れ多き極みでありますが、福島の大慘事を目の前にすれば、大御心に添ひ奉ることとは、到底、思へません(福島の救ひは、吉田所長はじめ、日本人の技術者魂があつた事であります)。

 影山正治翁の『祝詞』には、
天皇命の大御旨に照し通はせて
とあります。

 山口縣に於いては、政治家と營利企業が結託して、神道政治聯盟を通じ、神社本廳を抱へ込んだのでせう。本廳と産土神社と、一人として仲介の勞を執らむとする神道人も不在なのでせうか。保守ゴロも暗躍してをるやうです。

 祭政一致は、我が皇國體の本宗であります。政治が反國體であることは承知してをりますが、祭事を輔翼すべき神社廳が此の醜態では、天譴が降ることは火を睹るより明かでせう。『神社本廳憲章』に自ら反して、恬として耻ぢざる神道人。神道人も、其の肩書きを問はず、政治家同樣、眉に唾して見なければなりません。自ら任じて立つ皇民の監視建言が必要です。



追伸。馬關廼舍樣は、下山五無齋殿から、本件を聞かれた由。五無齋殿は、小生には教へてくれぬ(泣)。まあ、よからう‥‥。



【山口縣熊毛郡四代正八幡神社・林春彦宮司の遺訓】(『現代農業』平成十四年五月増刊號)──塚本保嗣翁の教示
  ↓↓↓↓↓
http://ruralnet.or.jp/zoukan/image/zoukan_224_228.pdf
 

  • [309]
  • 日本列島の”神殺し”は最終段階に入つた

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2014年10月23日(木)20時47分44秒
  • 返信
 
ミリオン出版 怖い噂 vol.11 小池壯彦 「山口『上關原發』計劃で明らかに成つた狂氣の"神殺し"」より

 前略

 原發問題と云ふのは“原發利權”の問題であつて、發電所と云ふハコモノは手段に過ぎない。擬態としての電力の問題を煽りつつ、實態は核燃料や放射性廢棄物の貯藏庫が足りないだけである。歐米資本は笑ひ乍ら「さつさとやれ」と尻を叩いてゐる。此の政策を續ければ當然日本は核の墓場と成るが、其れでも好いから神社などつぶしてしまへと云ふのがマネーゲームに狂奔する官僚・政治家・電氣屋・マスコミの考へである。彼らの正體が此れではつきりわかるだらう。勿論日本人ではない。「此れが犯罪でないならば、世の中に犯罪と云ふものはない」と故・林元宮司は喝破した。血涙をふりしぼつた抗議であり、日本の行く末を憂慮する魂の叫びであつた。原發マフィアに加擔した「神社本廳」の判斷は、日本の歴史に禍根を殘した。世の中には方便と云ふものが慥かにあるが、此れだけは讓つてはいけないと云ふ一線がある。ましてや日本精神の根幹に關る問題である。全國八萬神社の元締めが、其の齒止めに成らなくてどうするのか。神社地賣却問題と云ふのは、日本を僞裝した國家もどき「日本國」の正體を如實に物語る。最早其の醜態を隱さうとすらしてゐない。

 後略

  • [308]
  • Re: 神敵巨惡を討て ── 擴散を乞ひ奉る。

  • 投稿者:はゆまつかひ
  • 投稿日:2014年10月22日(水)23時30分1秒
  • 返信
 
此の件、ミリオン出版 怖い噂 vol.11 小池壯彦 「山口『上關原發』計劃で明らかに成つた狂氣の"神殺し"」が初出で數年前から知られてゐます。殘念乍ら此の雜誌は廢刊されましたが、學研から出版されてゐる 眞説 日本の正體」http://hon.gakken.jp/book/1340590400
でも觸れてゐますのでご紹介まで。

  • [307]
  • 神敵巨惡を討て ── 擴散を乞ひ奉る。

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2014年10月22日(水)22時40分7秒
  • 編集済
  • 返信
 
http://news.livedoor.com/article/detail/9375632/

 馬關廼舍てふ御方からの情報。

「保守の敵は、保守なり」とは、松平永芳宮司の言でありますが、これが本當ならば、何とも情けない連中が居るものです。此の經濟保守共の退治こそ、喫緊の課題でせう。「經濟大國」と云ふ汚名は返上し、吾人皇民は、大義を闡明にして、皇土産土に、つゝましく生きなければなりません。

 神社・神道の危機は、靖國神社執行部だけに止まりません。其の巨惡に對して、蟷螂の斧でも振りませう。天網恢々、疎にして漏らさず、神敵退散‥‥。神を畏れぬ所業と謂ひつ可し矣。心が鎭まりません‥‥。
 

  • [306]
  • 『楠公囘天祭五十年誌』

  • 投稿者:備中處士
  • 投稿日:2014年 9月 1日(月)23時59分43秒
  • 編集済
  • 返信
 
 平成二十六年九月七日は、黒木博司少佐が殉職されて七十年、昭和三十九年、岐阜縣下呂に於いて、「楠公囘天祭」が擧行されて五十年に當り、『楠公囘天祭五十年誌』が刊行される御由。

■囘天楠公社奉贊會編『楠公囘天祭五十年誌』目次
第一章 楠公囘天祭の精神(少佐の師・平泉澄博士の論文等)
第二章 楠公囘天祭の創祀(囘天楠公社の由來等)
第三章 奉贊會の歩みと社殿の變遷
第四章 楠公囘天祭五十年の歩み
第五章 月刊誌『日本』等にみる黒木少佐・楠公囘天祭
第六章 楠公囘天祭に思ふ(參拜者の文集)
第七章 資料(囘天殉國勇士の記録・年表等)

協贊金=一册・參千圓or二册・五千圓(一册は圖書館等へ贈呈いたゞけたら幸甚)

【楠公囘天祭ホームページ】
  ↓↓↓↓↓
http://credo99.s1.weblife.me/

**********

【嗚呼、慕楠黒木博司少佐】
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t20/l50
 


スレッド一覧

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