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之を古今に通じて謬らず、之を中外に施して悖らず ── 教育勅語を仰ぐ。

 投稿者:備中處士  投稿日:2017年 3月12日(日)22時37分37秒
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  ■『教育に關する勅語』漢譯(『漢英佛獨・教育勅語譯纂』明治四十年・文部省刊)

 朕惟、我皇祖皇宗、肇國宏遠、樹徳深厚。我臣民、克忠克孝、億兆一心、世濟其美、此我國體之精華、而教育之淵源、亦實存乎此。

 爾臣民、孝于父母、友于兄弟、夫婦相和、朋友相信、恭儉持己、博愛及衆、修學習業、以啓發智能、成就徳器、進廣公益、開世務、常重國憲、遵國法、一旦緩急、則義勇奉公、以扶翼天壤無窮之皇運。如是者、不獨爲朕忠良臣民、又足以顯彰爾祖先之遺風矣。

 斯道也、實我皇祖皇宗之遺訓、而子孫臣民之、所當遵守、通諸古今、而不謬、施諸中外、而不悖、朕庶幾、與爾臣民倶拳拳服膺、咸一其徳。

 明治二十三年十月三十日。

御名御璽。




■明治天皇聖喩『教學大旨』(明治十二年。元田永孚謹記。森清人翁『みことのり』平成七年六月・錦正社刊)

 教學の要、仁義忠孝を明かにして、智識才藝を究め、以て人道を盡すは、我が祖訓國典の大旨、上下一般の教とする所なり。然るに輓近、專ら智識才藝のみを尚び、文明開化の末に馳せ、品行を破り、風俗を傷ふ者、少なからず。然る所以の者は、維新の始め、首として陋習を破り、知識を世界に廣むるの卓見を以て、一時西洋の所長を取り、日新の效を奏すと雖も、其の流弊、仁義忠孝を後にし、徒らに洋風、是れ競ふに於ては、將來の恐るゝ所、終ひに君臣父子の大義を知らざるに至らんも、測る可からず。是れ我が邦教育の本意に非ざる也。

 故に自今以往、祖宗の訓典に基づき、專ら仁義忠孝を明かにし、道徳の學は、孔子を主として、人々、誠實品行を尚び、然る上、各科の學は、其の才器に隨つて、益々長進し、道徳才藝、本末全備して、大中至誠の教學、天下に布滿せしめば、我が邦、獨立の精神に於て、宇内に恥づる事無かる可し。




●梧蔭井上毅子『元田永孚に與ふる書』(明治二十三年十月二十二日)

「愚見にては、内閣の政事に混雜せずして、一に聖主の親衷より斷ぜられ、内閣大臣の副署なき勅語、又は御親書の體裁にして、廣く公衆へ御下げに相成り候ふ方、然る可きか歟。‥‥若し副署ある一の政令となりて發せらるゝ時は、國會にて啄を容るゝ所の内閣、責任政略の一と看做され、後日に政海の變動と共に紛更を招くの虞れあるべく、却て千載不滅の聖勅の結果を薄弱ならしむべきか歟、御熟思、之れ有り度く冀ひ奉り候ふ」と。



●東野元田永孚男『内閣總理大臣・山縣有朋に與ふる書』(明治二十三年十一月三日)

「囘顧すれば、維新以來、教育の主旨定まらず、國民の方向、殆んど支離滅裂に至らんとするも、幸ひに聖天子、叡旨の在る所と、諸君子、保護の力とを以て、扶植矯正、今日に至りたる處、未だ確定の明示あらざるより、方針に迷ふ者、少なからず。

 然るに今般の勅諭にて、教育の大旨、即ち國民の主眼を明示せられ、「之を古今に通じて謬らず、之を中外に施して悖らず」、實に天下萬世、無窮の皇極と云ふべし。彼の不磨の憲法(大日本帝國憲法)の如きも、時世に因りては、修正を加へざるを得ざるも、此の大旨(教育勅語)に於ては、萬世に亙りて、復た一字も易ふ可からず矣」と。



●田中卓博士『教育勅語を仰ぐ』(『日本』昭和四十二年十月號。日本思想史研究會『教育勅語を仰ぐ』昭和四十三年十一月・皇學館大學出版部刊に「日本教育のバツクボーン」として所收)

「教育勅語の飜譯は、單に英語・ドイツ語のみではない(戰後の獨逸にては、教育勅語の價値を失はず、例へばアデナウアー元首相は、其の官邸に獨譯を掲げたりと云へり)。實はフランス語も支那語もある。そしてその飜譯者は、他ならぬ日本の文部省であつた。明治四十年、文部省は、教育勅語の英譯を公にした。そしてそれには、教育勅語發布の由來書まで附載した。その後、漢語譯(愚、上記を拜記す)ができ、引きつゞいてフランス語譯・ドイツ語譯ができたのでこれをあはせて一卷とし、明治四十二年、文部省より『漢英佛獨・教育勅語譯纂』と題して公刊された。

 すなはち教育勅語は、その發布後二十年間に、日本國民の精神をつちかひ、日清・日露の戰勝を經て、大いにわが國威を發揚せしめたが、政府は、さらに文字通り「之を中外に施して悖らず」といふ信念をもつて、外國譯に飜譯し、精神的にも日本の道義を海外に宣布しようとしたのである。いはゞ千二百餘年前、日本の歴史を漢文で書き、『日本書紀』と題して唐人に示さうとした父祖の態度と同じである。何とすばらしい氣概、堂々たる識見であらうか。あゝ、『明治の精神』。この精神、なかんずく教育勅語を復活することこそが、明治維新百年を迎へての眼目でなければならぬ」と。



 愚案、かつて東野元田永孚翁『聖喩記』を、蘇峰徳富翁の書から拜抄して、同憂の士の清覽に供せしことあり。目的の爲めなら手段を撰ばざる所の、何某記念小學院の創立にかゝはつて騒擾する折柄、こゝに再掲して、教育勅語の、宇内に神聖たる所以、また古今に普遍たる所以を高唱し、
代々木大神の大御心より發せらるゝ所にして、世界皇化の大眼目なる可きを喚起すと云爾。
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http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/genda.htm



●蘇峰徳富猪一郎翁『増補・元田先生進講録』(昭和九年六月・民友社刊・普及版)に曰く、

「聖喩記・明治十九年丙戌十一月五日・元田永孚謹記

 十一月五日午前十時、例に依り參内、既にして皇上出御、直ちに臣(元田永孚)を召す。臣、進んで御前に侍す。皇上、親喩して曰はく、

「朕、過日、大學に臨す[十月二十九日]。設くる所の學科を巡視するに、理科・化(學)科・植物科・醫科・法科等は、益々其の進歩を見る可しと雖も、主本とする修身の學科に於いては、曾つて見る所無し。和漢の學科は、修身を專らとし、古典講習科ありと聞くと雖も、如何なる所に設けあるや、過日、觀ること無し。

 抑も大學は、日本教育高等の人材を成就すべき所なり。然るに今の學科にして、政治治要の道を講習し得べき人材を求めんと欲するも、決して得べからず。假令ひ理・化・醫科等の卒業にて、其の人物を成したりとも、入つて相となる可き者に非ず。當世復古の功臣、内閣に入つて政を執ると雖も、永久を保すべからず。之を繼ぐの相材を育成せざる可からず。然るに今、大學の教科、和漢修身の科、有るや無きやも知らず。國學・漢儒、固陋なる者ありと雖も、其の固陋なるは、其の人の過ちなり。其の道の本體に於いては、固より之を皇張せざる可からず。

 故に、朕、今、徳大寺侍從長に命じて、渡邊總長に問はしめんと欲す。渡邊、亦た如何なる考慮なるや。森文部大臣は、師範學校の改正よりして、三年を待つて地方の教育を改良し、大いに面目を改めんと云つて、自ら信ずると雖も、中學は稍々改まるも、大學、今見る所の如くなれば、此の中より眞成の人物を育成するは、決して得難きなり。汝(永孚)、見る所、如何」。

 臣(永孚)、謹んで對へて曰く、

「陛下の言、此に至る、皇國生民の幸なり。臣、曩(さき)に命を奉じて、徳大寺と共に大學を巡視し[十月十八日]、竊かに感覺する所あり。徳大寺、先に既に反命するを以て、臣、未だ敢へて陳せず。謂へらく、臣、敢へて言はずと雖も、陛下、一たび臨御せば、必ず叡心に覺る所あらん」と。

 今、宸勅を奉ずるに、果して臣が見る所の如し。臣、嘗つて大學々科の設けを聞くに、修身の學科なし。和漢の學は、文學科に和漢文ありと雖も、僅かに和漢の文章を作るのみ。哲學科に東洋哲學ありと雖も、是れ亦た僅かに經書聖賢の話を述ぶるのみ。加之(しかのみならず)、僅かに時限を以て、匆々に經過すれば、和漢修身の學も、僅かに名のみにして、其の勢、將に廢棄せられんとす。其の教科にある教官は、物見高見・島田重禮等、僅々たる一二員にして、其の餘は、皆、洋學專修の徒、而して此の人々たるや、大抵、明治五年以來の教育に成立したる者にして、西洋の外面を摸彷し、曾つて國體君臣の大義、仁義道徳の要を聞知せざる者共なり。彼の某等の著書を一見しても、其の放言する所に依て、其の思想の赴く所を概見すべし。此等の腦髓を以て生徒を教導せば、後來の害、實に恐る可きなり。今にして此を停止せざれば、復た挽囘すべからず。

 今、陛下の眞衷より發し、徳大寺を遣はされ、渡邊總長に詰問賜はらば、皇道の興張、果して此より生るべき也。臣、誠恐、深く陛下の此の言に感仰欽敬す。臣、敢へて一身を顧みず、唯だ陛下の命ずる所、森大臣・渡邊總長に向つて問難する所あらんとす。然れども臣、竊かに自ら量るに、臣が漢學者流にして、陛下の左右にあるは、衆目の視る所なり。故に臣が言を出さば、陛下眞衷の勅語も、故は臣が上言して作爲する所と、疑を容れんも知るべからず。是れ臣が、謹んで敢へて自ら任ぜざる所なり。

 抑も教育の重大なる、夙に陛下の深く慮る所、『幼學綱要』の欽定ありしより、漸くにして米國教育の流弊を救正し、世上、再び忠君愛國の主義に赴き、仁義道徳を唱ふる者あるに至りしも、去去年より、又た復た洋風に傾き、昨今に至つては、專ら洋學と變じ、和漢の學は、將に廢絶に至らんとするの勢、有志の士、皆、大いに憂慮する所なり。但だ國學・漢學の固陋なるは、從來、教育の宜しきを得ざるに因る。其の忠孝道徳の主本に於いては、和漢の固有なり。今ま西洋教育の方法に由つて、其の課程を設け、東洋哲學中に、道徳の精微を窮るに至るの學科を置き、忠孝廉恥の近きより進んで、經國安民の遠大を知得することを務めたらんこと、眞の日本帝國の大學と稱すべきなり。今の設けの如くしては、聖喩の如く、名醫は多人數成就するも、政事は執ることはなるまじく、法學にて、君徳の輔佐も充分ならず、理科・植物・工科等にて、其の藝に達したりとも、君臣の道も、國體の重きも、腦髓に之れ無き人物、日本國中に充滿しても、此を以て日本帝國大學の教育とは云ふべからざるなり。

 自今以往、聖喩に因つて、和漢の學科を更張せんには、其の道に志ある物集・島田等の如き、聊かも國學に僻せず、漢學に泥まず、西洋の方法に因つて教科を設け、時世に適應して、忠孝道徳の進歩を生徒に教導せんこと、何の難きことあらん。其の風氣の及ぶ所、必ず國學・漢學者中に奮發して、國用に供する者出で來るべき也。當世の風潮は、面々各々、其の辯を振ひ、其の腕を伸ばし、唯だ進んで取ることを要するの時に際しては、自分一歩も退くべからず。素より彼等に抵抗するにも及ばず。唯だ地歩を占めて進む時は、一歩も拔かさず、吾が道徳仁義を進入せしむるを以て、當世の著眼となすべきなり。是れ臣が平生の見る所、深く陛下の勅喩を敬承贊美し、速かに徳大寺に命ぜられ、渡邊總長に下問あらんことを希ふ所なり。更に宜しく伊藤大臣・吉井次官等にも、聖意の在る所を御示喩あらんことを欲す。

 右、謹んで上言する處、聖顔、喜色麗しく、更に又た反復懇喩あり。一時間餘にして退く」と。



○自在・公平か、自由・平等か。
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