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からだ、だわるな。是れ我が指針なり。

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年10月23日(日)19時54分3秒
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   ●平泉澄博士『三徳の記』(昭和二十五年七月記。『日本』六十一年十二月號「市橋保次郎翁の盛徳──歳寒の記・三徳の記」所收)私抄

 修徳のうち、特に三つの點に就いて述べたいと思ふ。

一、禮儀
 そもゝゝ我が國が禮儀の正しい國として、外國より尊敬せられたのは、由來、久しい事である。唐の人、我が國の使節を見て、「人民豐樂、禮義敦行の君子國が海東にあるとは、かねて聞いてゐたが、今、あなたを見るに、まことに其の噂に背かない」と云つたとは、『續日本紀』にいふ所であり、殊に唐の玄宗が、我が遣唐副使に與へた國書に、「日本は、禮義の國、神靈の扶(たす)くる所」と記されたとは、『文苑英華』の傳ふる所である。近くは明治初年に福井に來た米人グリフイスの如きも、その名著『ミカドス・エムパイヤ(皇國)』に於いて、日本人の禮儀の正しく、禮讓の厚いのを、深く歎賞してゐる。しかるに戰後は、一國の人、殆んど狂せるが如く、社會の風潮は、俄かに激變した。即ち其の態度は、横柄にして驕慢、其の言語は、野卑にして不敬、互ひに輕んじ、互ひに疑ふに至つた。古語にも、「禮は人の幹なり。禮無くば、以て立つこと無し」とあるが、禮を無視する事は、自他の人格をふみにじる事である。自分の人格も棄てゝ顧みず、相手の人格もふみつけて構はないのであるから、人に融和なく、世に平安なきは、當然であつて、こゝに相尅の世、危亂の時が現れた。

一、勇氣
 禮儀から、忽然として勇氣へ移つては、人、或はその變化に驚くであらう。普通には、禮儀と勇氣とは縁の遠いもの、寧ろ反對のものとさへ考へられるからである。しかるに深く考へて見ると、禮儀は、實に勇氣より發するのである。何故かと云へば、自己の慾情を規制し得て、初めて禮をふみ行ふ事が出來るのであり、若し之を抑へ得なければ、放縱・專恣・怠惰・驕傲に流れ、即ち禮にそむくからである。『論語』に「克己復禮」とあるは、實に之をいふ。勇氣の中でも一番強い力を必要とするのは、己の慾情と戰ひ、之を抑へつける時である。山中の賊を討つは易く、心中の賊を平ぐるは難い。從つて心中の賊を討ち、己の慾情にうちかつ人は、之を大勇大剛の人といはなければならぬ。

一、正直
 禮の本が勇にある事は、既に述べたところであるが、勇の源は、正直であらう。若し不正直であれば、眞の勇氣の湧いてくる筈がなく、一切の徳の生ずべき由がない。正直は、蓋し神を信じ、神を恐るゝより發する。之を「せいちよく」とよまずして、「しやうぢき」とよむ點から考へれば、この言葉は、佛教より出たものであつて、『法華經』の方便品に、「正直捨方便、但説無上道」とあるもの、恐らくその出典であらう。かやうに言葉としては佛典より出たものであらうが、教としては、專ら神道に於いて重視せられて來た。即ち有名な『三社の託宣』のうち、天照大神の神教として、「正直は、一旦の依怙(えこ)にあらずと雖も、終ひには日月の憐を蒙る」とある。一旦の依怙云々といふのは、正直者は、一時的には不利であるやうに見えても、終局に於いて神助を期待し得るといふ意味である。これが神道、殊に伊勢神宮の神教として尊ばれて來たのであつて、さればこそ、謠曲の『御裳濯(みもすそ)』にも、「夫れ人は、天下の神物たり。かるが故に正直をもつてさき(先)とす。日月はししうを照すといへども、分きて只だ正直のかうべにやどり給ふ」と歌はれてゐるのである[「ししう」は四衆であつて、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の四つを指し、即ちすべての人の意味であらう]。

 初めは之を別々のものとして、横に竝べて見てゐたが、そのうちに内部的相關から、縱に配列すべきもの、即ち相互の間に本末始終の關係があると考へ、以上のやうに順序を立てたのである。さてかやうに順序を立てゝくると、それは期せずして橘曙覽先生の『遺訓三箇條』に合致し、たゞ其の順序が、丁度裏返しになつてゐるのに氣がついた。遺訓にいふ、

うそ いふな
もの ほしがるな
からだ だわるな


「うそいふな」は、即ち正直である。「ものほしがるな」は、克己心であり、即ち慾情を制する勇氣である。「からだだわるな」のだわるは方言であるが、語脈は遠く『古事記』の「山の多和」、源順の『家集』の「ねし黒髮のねくたれのたわ」、『後撰集』の「垣根もたわに咲ける卯の花」などの「たわ」と通じ、撓むの「たわ」と同じく、緊張の反對、即ち弛緩・屈曲・倦怠・怠慢・疲勞・無作法を意味し、從つて「からだだわるな」は、懈怠を戒め、勤勉を説いたものであるが、同時に無作法を戒め、禮儀を正しくするやうに諭したものと解して差支へないであらう。見來れば先哲後賢の揆を一にする、驚くべきである。



【忠孝と義勇との關係──平泉澄博士による谷秦山先生『炳丹録序』講義──『萬物流轉』險難の一路に所收】
  ↓↓↓↓↓
http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/t6/4



 愚生の病弱なる、年來、書を讀めば頭痛の劇しき、業に動けば疲勞の重き、如何ともし難き身なれども、さして病名のつく程では無く、所謂る未病のうちに手当經過するが故に、愚生の宿病は、蓋し懈怠にして勤勉ならず、無作法に在るのであらう。橘曙覽先生の、隱逸にしてなほ「身體、弛緩倦怠する勿れ」の嚴烈なる遺訓、謹みて拜戴するものであります。
 
 
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