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靖國神社宮司不適格の發議を。

 投稿者:備中處士  投稿日:2016年 6月20日(月)22時10分14秒
  通報 返信・引用 編集済
   靖國神社、遂にこゝまで來たか、の感を深うする。

 泉水隆一監督『靖國神社の眞實』(平成二十二年十二月・二十四年四月・洛風書房刊)を讀んで下さつた方々は、既に御承知の筈。泉水隆一翁の豫言が、遺憾乍ら、的中してしまひました。本道に無念です。

 泉水隆一監督の曰く、「いづれの宮司も、覺悟信念は、尋常ではなかつた。それが、靖國神社の正統を繼承し續けて來た。それが、今は絶えようとしてゐる。俗化したからである。覺悟を祕めた宮司、不在のためである。松平・大野宮司退任以降、俗塵が舞ひ上がる一方である。神社が俗なら、集ふものも俗人ばかりとなる。次の宮司は、誰か──。まさか、南部家に繼いで、徳川家にゆかりの者でないことを願ふばかりである。神聖神域に、ほど遠くなりつつある現在の靖國神社を、嚴肅正統に復歸させる。明治天皇の聖旨に從ふべき道筋に戻すには、尊皇一筋の者でなくてはならないが、果たしてそのやうな者が、現今、ゐるものかどうか」と。

 松平永芳・大野俊康兩宮司の悲願を否定して來つた、湯澤貞・南部利昭・京極高晴・徳川康久の歴代宮司の罪は、萬死に價する。「鎮霊社」を公開した以上、今日の宮司發言の出づる所以は、蓋し既定路線でありませう。「怨親平等」とか、中子の教義を靖國神社に持込んだ、「神佛分離令」を批判する總長を戴く神社本廳の意圖を感じざるを得ませぬ。

 明治天皇の聖旨を否定し、私見を逞しうする靖國神社宮司‥‥。「公私混同」は現代の流行ださうだが、宮司になるべからざる御方は、固より宮司職を拜辭すべきでありました。吉田松陰先生『講孟箚記』に曰く、「天子の命を奉ぜずして、敵國相征するは、何程の正義に依ると云ふとも、義戰にあらず」と。「價値觀の相違で、戊辰戰爭になつてしまつた」と云へば、大義名分は立たぬではないか。皇國の教學は、何處に在りや。相對價値の個人主義者では、靖國神社宮司は勤まるまい。總代會の臨時開催を、強く希望したい。

 靖國神社第十一代宮司・徳川康久氏は、徳川慶喜公の令曾孫と云ふが、其の「血統」は傳へ得ても、義公以來の水戸學の「道統」は繼承してをられぬやうだ。遊就館に寶藏される「錦旗」は、畏れながら、代々木大神樣へ奉還されるが宜しいか、と。
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http://9112.teacup.com/bicchu/bbs/1262



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靖國神社の徳川康久宮司「明治維新といふ過ち」發言の波紋 /平成二十八年六月二十日

 靖國神社が搖らいでゐる。來る平成三十一年に迎えへる創立百五十周年に向けて、徳川康久宮司が語つたインタビユー記事の發言が、波紋を呼んでゐるのだ。

 記事は、共同通信社から配信され、加盟する一部の地方紙(靜岡新聞六月九日付、中国新聞六月十日付)に掲載されたのみだつた。ところが、地方でしか讀まれないはずの記事が、各界の識者の注目を集め、にはかに論爭へと發展してゐる。

 徳川宮司は、靖國神社が抱へる課題や、神社の將來像について語つた後、「明治維新を巡る歴史認識について發言してゐますね」といふ質問を受けて、自らの「明治維新史觀」を開陳した。以下が、宮司の發言だ。

『文明開化といふ言葉があるが、明治維新前は、文明がない遲れた國だつたといふ認識は間違ひだ、といふことを言つてゐる。江戸時代はハイテクで、エコでもあつた。』

私は、賊軍・官軍ではなく、東軍・西軍と言つてゐる。幕府軍や會津軍も、日本のことを考へてゐた。ただ價値觀が違つて、戰爭になつてしまつた。向かふ(明治政府軍)が、錦の御旗を掲げたことで、こちら(幕府軍)が、賊軍になつた。

 一連の發言が波紋を呼んだのは、靖國神社創建の「原點」に關はるからだ。靖國神社のルーツは、明治二年に建てられた東京招魂社に遡る。

 明治維新に際して、薩摩藩・長州藩中心の後の「明治政府軍」と、徳川家や會津藩が中心の「幕府軍」が爭ふ「戊辰戰爭」が勃發。勝利を收めた明治政府軍が「官軍」、敗北した幕府軍は「賊軍」とされた。

 この時、明治維新を偉業として後世に傳へ、近代國家建設のために命を捧げた官軍側犠牲者を慰靈顯彰するため、明治天皇が創建したのが、東京招魂社だ。明治十二年に、社號が「靖國神社」と改められて、現在に至る。

 それゆゑに「賊軍對官軍ではなく、東軍對西軍」とする發言は、靖國神社の歴史觀を搖るがしかねないと受け止められたのだ。

 靖國神社にある遊就館に展示されてゐる「錦の御旗」には、「戊辰戰爭で、官軍の象徴として使用された」との解説があるやうに、靖國神社の見解は、あくまで「明治政府軍=官軍」だ。

 發言の背景には、徳川宮司の出自が關係してゐる。徳川宮司は、徳川家の末裔であり、「賊軍」の長であつた十五代將軍・徳川慶喜を曾祖父に持つ。徳川家康を祀つた芝東照宮に奉職した後、靖國神社の宮司になつた。「賊軍の末裔」が、「官軍を祀る神社のトツプ」に立つたわけである。

 「明治維新史觀」の見直しは、最近のムーブメントだつた。昨年一月に發賣された原田伊織氏の『明治維新といふ過ち──日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』(毎日ワンズ刊)が、ベストセラーになつたことを皮切りに、半藤一利氏と保阪正康氏の共著『賊軍の昭和史』(東洋經濟新報社刊)など、明治維新の勝者の立場に立つた歴史觀を見直す論考が、相次いで發表されてゐる。

 その流れで、徳川宮司の發言が飛び出したことで、騒動が擴大してゐるのだ。著書で、「薩長史觀」を鋭く否定した原田氏は、徳川宮司に同調するかと思ひきや、意外にも「發言は中途半端」と手嚴しい。

「明治維新當時、東軍・西軍といふ言葉は、ほぼ使はれてゐません。徳川家や會津藩に賊軍といふレツテルを張つたのは明らかに薩長ですが、その責任や是非を問はず、當時、ありもしなかつた言葉に置き換へて流布するのはをかしい。また靖國の持つ歴史觀を見直さないのは、欺瞞です。「官も、賊もない」と言ふならば、まづ靖國神社の境内にある大村益次郎(官軍側の司令官)の銅像を撤去すべきです」

 そんな意見が飛び出すほど、今回の發言は衝撃だつた。波紋が廣がる徳川宮司の發言について、靖國神社は、「創建の由緒から鑑みて、『幕府側に對する表現や認識を修正すること』を、神社として行なふ考へはなく、今後も同樣の考へが變はることはないとの發言と、理解してをります」と囘答した。

 宮司は、百五十年間封印されてゐた、パンドラの箱を開けてしまつたのか。

※ 週刊ポスト/平成二十八七月一日號
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http://news.livedoor.com/article/detail/11663872/

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